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銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察19

「亡命編」を含めたエーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝シリーズでは、地球教の扱いに相当なまでに苦慮している様子が伺えます。
全てのシリーズで、地球教はその関係者が作中に一切登場せずにその所在だけがクローズアップされ、その状態のまま現在の状況だけが語られるという「顔のない存在」的な役割を強いられています。
2014年7月現在で唯一完結している「海賊編」でも、結局地球教はその存在のみが語られるだけの展開に終始していましたし。
ヴァレンシュタインの認識も含め、一連のシリーズ中における地球教は、何故か現代のキリスト教かイスラム教並みに広範な影響力と民衆からの支持を得ている組織であるかのごとく描かれ、さらに原作とは比較にもならないほど、帝国・同盟両首脳部および一般層に信仰を浸透させることができる辣腕ぶりを誇ってさえいるようです。
原作にもないはずのこんなおかしな設定を追加してしまったがために、地球教を「顔のない存在」としてしか描くことができなくなってしまったというのは皮肉もいいところですね。
原作の設定や描写を見る限り、原作における地球教は、最大限贔屓目に見ても「日本における旧オウム真理教」程度の力しか持っていないというのが実情に近いでしょう。
キリスト教やイスラム教レベルの教義が存在するのかさえも疑わざるをえないくらいなのですし、信者達をサイオキシン麻薬で薬漬けに「しなければならない」という時点で、既に宗教組織としては底も限界も見えてしまっています。
そんなやり方では、一時的に組織を拡大することはできるかもしれませんが、長期的には脱会信者等からその実態が明らかになるなどして布教はどこかで必ず行き詰ってしまいますし、ましてや全世界どころか一国レベルの国政を左右するほどの信徒を獲得するなど、夢物語もいいところでしかないでしょう。
宗教というのは、そういった一種の「強制」を伴うことなく、信徒が自らの意思で進んで帰依するからこそ強大たりえるのですし、それを実現しえる教義や理論というのを必要不可欠とするはずなのですけどね。
どうにもエーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝シリーズの作者氏は、地球教を過大評価しすぎなのではないかとつくづく思えてならないところなのですが。

さて今回は、「フェザーン謀略戦」と称するテロ行為後の動向について検証していきたいと思います。
なお、「亡命編」のストーリーおよび過去の考察については以下のリンク先を参照↓

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://www.akatsuki-novels.com/stories/index/novel_id~116
銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察
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http://www.akatsuki-novels.com/stories/view/28496/novel_id~116
> 「討伐軍の指揮官は誰です? ミューゼル中将ですか?」
> 「いや、指揮官の名前までは聞いておらぬが……」
> ヴァレンシュタインの問いかけにトリューニヒト委員長、シトレ元帥が表情を変えた。ヴァレンシュタインは表情を消している。はて、ミューゼル中将に関心が有るのか?
>
> 「気を付ける事です」
> 「?」
>
「地球教の軍事力は無きに等しい。そんな彼らが取る手段はテロしかありません。殺人、爆破……、幸い彼らには死ぬ事を恐れない狂信者がいます。戦う事に熱中していると後ろから刺されますよ」
>
> テロの言葉にトリューニヒト委員長、シトレ元帥が顔を顰めた。当然ではある、政府、軍の中枢にある彼らにしてみればテロなどおぞましい代物以外の何物でもあるまい。私だとて彼の言葉に嫌悪感しか感じられない。もしテロが実際に行われれば地球教の連中に対して憎悪を抱くだろう。
>
> 「ミューゼル提督を殺す事で討伐軍を混乱、いや麻痺させようというのだな」
> 「その通りです。彼に警告する事ですね、一つ貸しだと言っておいてください、必ず返せとね」
> ヴァレンシュタインがクスッと笑った。その事に神経が苛立った、妙に反発したくなった。
>
> 「……卿の言う事が当たるかどうか、分かるまい」
> 子供じみた反発だ、馬鹿げている。しかし押さえられなかった……。ヴァレンシュタインも私の感情は分かっただろう、しかし何の反応も見せなかった、私の反発など彼にとってはどうでも良い事なのかもしれない。
>
>『君はミューゼル中将の死を望んでいるのだと思っていたが』
> 「!」
> 「そうですね、望んでいます。死んでくれればと思っていますよ」

> 困惑した様なシトレ元帥の問いかけと何の感情も見えないヴァレンシュタインの答え……。混乱した、訳も分からずスクリーンとヴァレンシュタインを見た。
>
> 『では何故警告するのかね』
> 「さあ、良く分かりません。何でかな……。多分、馬鹿なんでしょう……、感傷を切り捨てられない。……愚劣にも程が有るな、いつか自分を殺すかもしれない人間に忠告するなど……。自分がエーリッヒ・ヴァレンシュタインとして此処で生きているという事を未だに理解できずにいる……」

>
> トリューニヒト委員長、シトレ元帥、私……。皆が困惑する中ヴァレンシュタインだけが無表情にココアを飲んでいる。心此処に在らず、そんな風情だ。先程まで彼に感じた反発は消えていた。この男をどう捉えれば良いのか、まるで分からない……。

ヴァレンシュタインが前世の「佐伯隆二」のスタンスで悩んでいることなど、当のヴァレンシュタイン以外の「読者も含めた」人間にとっては、極めてどうでも良いことでしかありません。
ここで一番問題となるべきなのは、かつて「ヴァンフリートの1時間」とやらでラインハルトを殺せなかったことをヤンに責任転嫁した挙句に罵り倒しまくっていたヴァレンシュタインが、その過去をほっかむりしてラインハルトを助けようとすることに対する矛盾です。
ここでラインハルトが死ぬことがヴァレンシュタインにとっての最大の利益になるという構図は、あの「伝説の17話」当時と全く変わっていないと、他ならぬヴァレンシュタイン自身が明言しているのです。
しかも、ラインハルトに助言をすることが結果的にその利益に反することであると、さらにオマケで追加してしまっています。
ロクに事前情報を提示すらされなかったヤンが「ヴァンフリートの1時間」とやらをやらかしただけで鬼の首でも取ったかのごとく罵り倒すのに、そこまで他人に厳しいスタンスをとる自分自身は、最大の敵を利益に反してでも助けることに躊躇せず、しかもそのことについてただ「読者の頃の自分を捨てきれていない」と検討ハズレな思い悩みを披露するだけで済ませてしまうというわけです。
かつて自身の責任の及ばないところでアレだけ罵られたヤンにしてみれば、これほどまでに「とことん自分に甘く他人に厳しい」最低最悪のダブルスタンダードな態度もないでしょう。
ヤンはその場にいないにしても、その場に居合わせているシトレなどはミハマ・サアヤの報告書を介して「伝説の17話」の経緯を知っているわけなのですから、ヴァレンシュタインの態度のダブルスタンダードぶりに少しくらい疑問を呈して然るべきではありませんか。
しかも当の本人自身、「ラインハルトを助けることは全く利益にならない」と明言しているのですから、それでもなお忠告を行なおうとするヴァレンシュタインに対して「そんなことをする合理的な理由ないしメリットを明示せよ」くらいは命令してもバチは当たらないと思うのですが。
「伝説の17話」以降、責任転嫁の言い訳な後付けのごとく「ラインハルトは危険人物である」と提示し続けてきたのは、他ならぬヴァレンシュタイン自身なのですから。
確かにヴァレンシュタインは馬鹿であるだけでなくキチガイ・狂人と呼ばれるだけの低能な頭の持ち主ではありますが、それは「佐伯隆二」の立場を捨てきれないからでは全くなく、人の上に立つ者として示しのつかないことを、しかも公衆の面前で公然とやらかしていることにその要因の一端があるのです(もちろん、他にも色々とあるのですが(苦笑))。
ここまで矛盾だらけかつ何の利益にもならないことをやらかしておきながら、その言動を誰ひとりとして問題視しないというのはあまりにも異常な光景です。
原作のヤンのごとく「ヴァレンシュタインは矛盾の人である」と設定するのも結構なことですが、それならそれでもっと根源的な大矛盾について口をつぐむことなく「普通ならばとっくの昔に処刑台の露と消えている所業を何度もやらかしているヴァレンシュタインが、誰にも咎められるどころか問題視されることすらなく生き残っているのは原作崩壊レベルな大矛盾もいいところである」くらいはのたまって欲しいところなのですけどね。
まさか作者氏も、ヴァレンシュタインが作中でやっているようなことが「原作世界でも実行可能なことである」などと酔狂なことを考えているわけではあるまいに(苦笑)。

ところで「矛盾」と言えば、常日頃から「自分が生き残ること」をモットーに諸々の活動をしているはずのヴァレンシュタインが、またしても自身の身辺事情についての疎さを露呈しているシーンがありますね↓

http://www.akatsuki-novels.com/stories/view/28496/novel_id~116
> 『ヴァレンシュタイン中将……』
> トリューニヒト委員長が躊躇いがちに声をかけた。しかしそれを遮るようにヴァレンシュタインが話しだした。多分故意にだろう、何か言われるのを嫌ったのかもしれない。
>
>「ミューゼル中将だけじゃありません。テロを効率よく行うには組織の頂点を狙うのがベストです。帝国も同盟も政府、軍の上層部は非常に危険な状況にある。身辺警護が必要です」
>『なるほど、私達も要注意か。しかし一番危険なのはヴァレンシュタイン中将、君だろう』
>
> シトレ元帥の言葉にヴァレンシュタインが僅かに首を傾げた。
>
「私ですか? 非正規の艦隊司令官を殺しても余り意味は無いでしょう」
> 『報復という意味が有るだろう。それに君を一個艦隊の司令官にすぎないとは誰も思っていないよ』
> 『シトレ元帥の言う通りだ。君に死なれては困る』

……ヴァレンシュタインって、「亡命編」だけでも序盤にフロトー中佐に暗殺されかけて同盟に亡命した経緯があり、第6次イゼルローン要塞攻防戦でも直接怨みをぶつけられて殺されかけたことが複数回あるというのに、何故ここまで自身の身辺について何の警戒心も抱こうとしないのでしょうかね?
「自分が生き残る」という観点から言えば、原作知識が通じないことも相まって、原作のラインハルトなどよりも100万倍以上は危険が満ちている要素だというのに。
また原作知識から考えても、ヤンが地球教に暗殺された事例やキュンメル事件等のエピソードを十全に掌握している立場にもあるというのに。
ヴァレンシュタインに竜種の血が流れているとか超サイヤ人としての戦闘力があるとかいった設定でもあるのなら却って理解もできるのですが、実際のヴァレンシュタインにはむしろ逆に「虚弱体質」という要素が付加されてすらいる始末ですし。
本当にヴァレンシュタインが「自分が生き残ること」を最優先事項として考えるのであれば、まず真っ先に警戒しなければならないのは「自分が暗殺・粛清される可能性」であり、自身の身辺警護は全てに優先して行われて然るべきことですらあるはずでしょう。
ヒトラーやスターリンといった歴史上の独裁者達も、「自分が生き残る」ために過剰過ぎるほどの身辺警護で自分の周囲を固め、それでも不安を打ち消すことができずに「先制攻撃的な」大粛清に走るのが常だったりするのですけどね。
結局のところ、ヴァレンシュタインは「自分が生き残ること」を最優先目標として行動していると述べていながら、実際には「自分が殺される可能性」について本当に真剣に考えたことなどないのでしょう。
直接的な生命の危険に晒されていたはずの第6次イゼルローン要塞攻防戦の時ですら、「自分が殺される」とは全く考えてもいなかったようなのですから。
また、バグダッシュやミハマ・サアヤが監視役としてヴァレンシュタインに付いていた時も、「自分を暗殺するかもしれない危険人物」としてマークしていた様子も全くなかったのですし。
そりゃ「神(作者)の祝福」に護られているヴァレンシュタインが他者に殺される可能性なんて「神(作者)の意向」に逆らわない限りはあるはずもないのですし、最悪はそれこそ竜種の血に目覚めたり超サイヤ人に覚醒したりで難を乗り切ることも極めて容易な話ではあるのでしょうけど(爆)。
ただ、当のヴァレンシュタイン自身は自分に「神(作者)の祝福」の護りが施されているという事実を当然知らないわけで、その状態で「自分は決して他者に殺されることはない」と断言できる自信は一体どこから来るのか、という問題は確実にありますね。
「自分が生き残ること」を至上命題としているはずの人間が「自分が(暗殺・粛清をも含めて)殺される可能性」について少しも関心を払うことすらないなんて、矛盾を通り越して「ありえない」話ですらあるのですが。

http://www.akatsuki-novels.com/stories/view/71571/novel_id~116
>『実際には貴族達がフェザーンに攻め込む前に帝国領へ踏み込んでの迎撃戦という事かね?』
> 「いえ、フェザーンは一度貴族達に占領させます」
> シトレと俺の遣り取りに他の三人が、いやシトレを含めて四人が驚いた様な表情を見せた。
>
>
『正気かね、君は』
> レベロが俺を非難した。
> 「正気です、その方が勝ち易いですからね」

> 『しかし』
> 言い募ろうとするレベロを遮った。
>
> 「レベロ委員長、貴族連合なんて烏合の衆ですよ、軍規なんて欠片も有りません。フェザーンを占領したら連中遣りたい放題でしょうね。略奪、暴行、殺人、破壊、フェザーンは無法地帯になります。フェザーン人は大勢死ぬでしょうが心配はいりません。来年はそれを補う子供が沢山生まれます、父親は不明ですが」
>
> 四人の顔が引き攣っている。
> 「もしかするとフェザーンでは貴族達とフェザーン人の間で抗争が起きるかもしれません。結構ですね、大いに結構です。こちらは連中に気付かれる事無く近付く事が出来ますしフェザーンには我々は解放軍だと宣伝出来ます。歓迎されるでしょう、真実を知るまでは」
>
>『君は、正気かね』
> 声が震えていた。その言葉は二度目だぞ、レベロ。
>
「正気です、一度フェザーンを根本から叩き潰さなければなりません。何故なら今のフェザーンは地球教が創ったフェザーンだからです」
> 『……』
>
> 「帝国を見れば分かるでしょう、彼らはルドルフの負の遺産を切り捨てようとしている。一千万人以上殺す事で新しい帝国を創ろうとしているんです。それがどれほど苦しくて痛みを伴う事か……。しかしフェザーンは違う」
> 『……』
>
「フェザーンは変わろうとしていません、自分達が繁栄している所為で危機感が全く無いんです。危険ですよ、このままでは地球教はフェザーンで生き残りかねない」
> 四人が沈黙した、唸り声さえ上げない。
>
> 『……だから潰すというのかね』
>
「その通りです、シトレ元帥。彼らが自らの意思で変わろうとしない以上、我々が潰すしかない。一度叩き潰して彼らに自分達の手で新しい国家を創らせるんです。そうでなければフェザーンは普通の国家になりません」
>
> 地球教とは無関係の人間が何人、いや何万と死ぬだろう。怨め、憎め、罵れ、だが俺は退くつもりは無い。ここまで来た以上、中途半端に終わらせる事は出来ない。
貴族達がルドルフの負の遺産なら地球教と連中が作ったフェザーンは人類の負の遺産に等しい。切り捨て、叩き潰さなければならない……。

「謀略戦」と称するテロを仕掛けられ、自治領主という自国の元首を拉致られた挙句に、こんな上から目線かつ革命家きどりな断定までされてしまうとは、フェザーンも良いツラの皮としか言いようがありませんね。
そもそもヴァレンシュタインは、他ならぬ自分自身がフェザーン相手に「テロ」を仕掛けたという自覚があまりにも無さ過ぎるのではないですかね?
あのヴァレンシュタインのテロ行為は、本来ならば同盟とフェザーンの外交関係を国交断絶レベルにまで確実に破綻させ、両国に政治的・経済的な大打撃を与えた挙句に戦争状態に突入してもおかしくないほどの悪影響をもたらすものですらあります。
「テロ」を仕掛けられたフェザーン側にしてみれば、ヴァレンシュタインは立派な「テロリスト」「犯罪者」でしかないですし、そのヴァレンシュタインをバックアップする同盟は、某北朝鮮などよりもはるかに最悪水準な「テロ国家」以外の何物でもないのです。
その「テロリスト」たるヴァレンシュタインが、フェザーンに対して「彼らが自らの意思で変わろうとしない以上、我々が潰すしかない」だの「フェザーンは普通の国家になりません」だのと意味不明な御託宣をのたまっていることを知ったら、当のフェザーン人は怒りと侮蔑の念を込めてこう言わざるをえないでしょうね。
「お前にだけは言われたくない!」と。
フェザーン側にしてみれば、地球教などよりもヴァレンシュタインのテロ行為とそれをバックアップする同盟政府の方が、はるかに脅威かつ唾棄すべき存在として見られていても何らおかしくないどころか、むしろそれが普通の感覚とすら言えるものですらあるでしょう。
しかも、それが皮肉にも「フェザーンと地球教の関係」というヴァレンシュタインが暴露した情報のインパクト効果を結果的に薄くしてしまい、却って地球教を利することになっている可能性すら否定できないくらいなのですし。
相も変わらず、自分の所業がもたらす深刻な副作用についてとことん無責任かつ無頓着なキチガイ狂人ですね、ヴァレンシュタインは。

それに第一、ルビンスキーのような自治領主府のお偉方はともかく、大多数の一般的なフェザーン人に、地球教に纏わる如何なる責任問題が存在するというのでしょうか?
フェザーンと地球教の関係というのは、あくまでも雲上人たる自治領主府のごく一部の人間と地球教最高幹部クラスとの間のみで成立しているものでしかありません↓

銀英伝3巻 P75下段
<アドリアン・ルビンスキーの執務する自治領主府では職員たちが待合室のほうを見ては、ひそひそとささやきあっている。
 公私ともに多忙をきわめ、身体がふたつ、さもなくば一日が五〇時間ほしいと日常言っている自治領主が、この数日、何を好んで、えたいのしれない宗教家と密談しているのか、部下たちには理解できない。
フェザーン人のなかでも、自治領と地球との間に尋常ならぬ関係があることを知る者は、政治の中枢部に位置する、極少数の人々だけであった。

つまり、それ以外の圧倒的大多数のフェザーン人にとって、地球教はヴァレンシュタインによる暴露が行われるまではせいぜい「取引相手」「客」として接点を持つ程度の存在でしかなかったのですし、場合によってはその存在すら知らなかったという人も少なくなかったでしょう。
そんな大多数のフェザーン人に「フェザーンは地球教によって作られたものであり、これと決別する必要がある」などと言ったところで、彼らは「それはお偉方が勝手にやったことであって、自分らとは何ら関わりのない他人事」としてしか捉えることはないでしょう。
大多数のフェザーン人とは全く関わりのない場所と責任に基づいて行われた問題について、何故当事者意識の持ちようがないフェザーン人が「負の遺産」に対する贖罪意識を背負わなければならないのでしょうか?
しかも、フェザーンは国民ひとりひとりが参政権を持つ民主主義国家ですらないのですから、ますますもって責任意識の持ちようがないはずなのですが。
ヴァレンシュタインは地球教を過大評価するあまり、地球教とフェザーンの関係が「フェザーン人の総意」に基づいて作られたものである、とでも勘違いしているのではないでしょうかね?

また、そもそも「フェザーンは変わろうとしていない」などとほざくヴァレンシュタインは、フェザーンに対してどんな変革を期待していたというのでしょうか?
地球教と決別さえすれば良い、というのであれば、地球教がサイオキシン麻薬を大量に製造し信者達に供与し操っているという事実が暴露された時点で、何の問題もなく普通に達成されそうなものなのですが。
現代日本でも、不祥事を起こし警察捜査のメスが入れられる企業や個人に対し、社会的な村八分が行われる光景がしばしば展開されたりしますが、帝国や同盟はもちろん、フェザーンでも当然同じことが地球教に対して行われるのは確実なのですし、地球教が身近な存在ではないからこそ、大多数のフェザーン人も喜んで地球教を排除にかかることでしょう。
もちろん、地球教との関係を知る自治領主府関係者以外のフェザーン人であっても、たとえば地球教と何らかの取引があったりお得意先として懇意にしたりしている商人や企業の関係者の場合は、有力顧客のひとつが事実上消失することを意味するわけですから、ある程度の経済的な打撃を受けることは当然あるでしょうが、彼らにしても地球教と心中するよりは手を切って生き残る道を選択する者が圧倒的大多数を占めるでしょう。
地球教絡みでフェザーンに必要な変革があるとすれば、この程度のシロモノでしかありえないのです。
ただでさえサイオキシン麻薬に手を染める地球教は、帝国・同盟のみならず一般的なフェザーン人にとっても危険な存在であると認識されるには充分なものがあるでしょうし、別に放っておいても大多数のフェザーン人と地球教の関係は、経済的な要素も含めて自然消滅の方向へ向かうことにならざるをえないはずなのですが……。
「フェザーンと地球教の関係」を象徴する親玉のルビンスキーは、他ならぬヴァレンシュタイン自身が拉致ってしまっているのですし、これ以上フェザーンは地球教に関しては何もしようがないと思うのですけどねぇ。
そんな一連の事情を全て黙殺して「フェザーンは地球教が作ったものなのだから全て潰さなければならない」と地球教と全く無関係の人間の殺戮が行われることを全面肯定するヴァレンシュタインは、第二次世界大戦末期の東京大空襲について「我々は民間人を虐殺していたのではない、日本の軍需工業を破壊していたのだ。それに携わる者は女・子供・老人も含め全て戦闘員だった」などと強弁していたアメリカ空軍のカーチス・ルメイを髣髴とさせるものがあります。
地球教を過大評価し被害妄想にふけるあまり、ヴァレンシュタインはフェザーン人全てが地球教徒にでも見えていたりしたのでしょうかねぇ……。

http://www.akatsuki-novels.com/stories/view/73188/novel_id~116
> 「フェザーンを一度叩き潰すというのは分かるが他に手は無いのかね? このままでは全く無関係の人間まで巻き添えを喰う事になるが」
> 「有りませんね」
> 「……」
> レベロ委員長の問い掛けにヴァレンシュタインが冷淡に答えた。絶句する委員長を見ながら一口オレンジジュースを飲むとフッとヴァレンシュタインが嗤った。
>
> 「貴族連合軍をフェザーンに誘引するのは政治的な理由だけじゃ有りません、軍事的にもフェザーンに誘引せざるを得ないんです、そうしないと勝てません」
> 「……」
> 「貴族連合軍を殲滅するには彼らを一カ所に集めておく必要が有ります。最善の手は彼らを同盟領に引き摺り込み包囲して殲滅する事ですが彼らにそれが通用するかどうか……」
>
> 皆が顔を見合わせた。ややあってホアン委員長が口を開いた。
> 「通用しないのかね?」
> 「その可能性が有ります。彼らは軍を率いていますが軍人ではない、軍事常識が通用しないんです」
> 「……」
>
> 「彼らにはまともな戦略目標などないし作戦も無い。基本的に彼らは烏合の衆です、
纏まって行動するなどという発想は皆無に等しい。イゼルローン要塞経由で同盟領に誘引すればイゼルローン回廊を出た瞬間にバラバラに散りかねない
> 「それは……」
> シトレ元帥が顔を顰めた。
>
> 「そうなったら同盟軍はバラバラに散った貴族連合軍を追いかけなければなりません。同盟領内で追いかけっこが始まりますよ。但し、遊びじゃありません、命懸けの追いかけっこです。一つでも取り逃がせばどうなるか……、
有人惑星に辿り着けばあの馬鹿共は核攻撃をしかねません
> 「馬鹿な!」
> レベロ委員長が吐き捨てたがヴァレンシュタインは苦笑を浮かべてオレンジジュースを一口飲んだ。
>
> 「馬鹿なじゃありません、彼らにとって同盟市民は憎むべき叛徒であり抹殺すべき存在なんです。
核攻撃は有り得ない事じゃありません。そしてそうなったら和平など吹き飛んでしまいます。あとは泥沼の戦争が続くでしょう……」
> 皆が黙り込んだ。確かに和平は吹き飛ぶだろう、そして核攻撃は有り得ない事ではない……。
>
> 「確実に勝つためには彼らを一カ所に集める場所が必要です」
> ヴァレンシュタインが皆を見回した。
> 「それがフェザーンです、連中は甘い果実に集まる虫の様にフェザーンに群がるでしょう。そこを一網打尽にする……。詰まらない感傷は捨ててください、命取りになりますよ。同盟領には一隻たりとも侵入を許すことは出来ないんですから」
> そう言うとヴァレンシュタインはまたサンドイッチを口に運んだ……。

ヴァレンシュタインは、原作の記述や設定のどこをどう見てこんな門閥貴族評を叩き出したのでしょうかね?
確かに門閥貴族の多くに軍事知識がなく烏合の衆であることは、原作のリップシュタット戦役などにも明示されてはいます。
しかし、彼らの行動を見る限り「纏まって行動するなどという発想は皆無に等しい」どころか、むしろ逆に「集団で固まり、徒党を組んで行動するのが常態」と言わんばかりの行動原理すら見えてくるくらいなのですが。
原作のリップシュタット戦役でリッテンハイム侯がブラウンシュヴァイク公と袂を分かち分派行動に出た際も、リッテンハイム侯は貴族連合軍の3分の1相当の戦力で固まり行動していましたし、「ヴェスターラントの虐殺」直前の戦闘でも、貴族連合軍はほぼ全軍「纏まって」行動していました。
フェザーンによってでっち上げられた銀河帝国正統政府が発足した際も、喜んではせ参じる亡命貴族達が少なくなかったですしね。
これらの事例から考えると、原作における大多数の門閥貴族達の行動原理は、「相手が弱者と確信すると居丈高に振る舞うが、本質的には臆病」というのが実態に近いでしょう。
だからこそ集団で徒党を組まざるをえないのですし、単独行動を取るなど論外もいいところなのです。
ましてや、地の利もなければ周囲全てが敵という環境下で、自殺行為そのものでしかない単独行動が取れるほどの「蛮勇」の持ち主が、あの門閥貴族の中にゾロゾロと溢れ返っていたりするのでしょうか?
ヴァレンシュタインが主張するような分散行動を「あの」門閥貴族達が、それも自発的に展開できるくらいならば、原作のラインハルトももう少しは苦戦を余儀なくされたことでしょうね。
それに、あくまで同盟領に門閥貴族達を入れないようにすることを至上命題とするのであれば、回廊の出入口を固めて封鎖し、回廊内を戦場に設定して交戦するという手が普通に使えるはずでしょう。
そうすれば、敵は目の前の敵を粉砕しない限り同盟領へ雪崩れ込むことが出来なくなりますし、待ち伏せ攻撃もやりやすくなります。
特に今回は帝国内部からも協力を受けているのですから侵攻時期も事前に分かるわけですし、周到な準備を整えた上での待ち伏せ&迎撃戦が容易に行えるはずなのですが。
原作にある情報と全く真逆な知識と解釈を、ヴァレンシュタインは一体どうやって導き出したというのでしょうか?
ひょっとして、かつての「佐伯隆二」が所持していたであろう銀英伝の原作小説なりアニメDVDなりブルーレイディスクなりは、数十ページ単位もしくは数百分単位での落丁でもあったのか、そうでなければ一般的なそれとは異なる何か重大な異物が混入していたりでもしていたのでしょうかねぇ(苦笑)。

次回の考察からは、帝国と同盟のフェザーン侵攻を巡る駆け引きについての検証に入ります。

銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察18

一時期は更新ペースが著しく悪化した上、他のシリーズばかり執筆しまくっていたことから「遅筆な田中芳樹のごとく連載を放棄したのか?」という疑惑すら持ち上がっていた「亡命編」も、2014年に入ってからは更新速度が「にじファン」閉鎖前の勢いを取り戻していますね。
この「銀英伝2次創作『亡命編』におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察」も、気がつけば最新話と60話近くも差をつけられているありさまだったりします(T_T)。
そんなわけで、こちらも再び最新話まで追いつくべく、考察を再開したいと思います。
今回は、ヴァレンシュタインがフェザーンで展開した「謀略戦」と称する子供の落書きレベルなテロ活動について取り上げます。
あんなシロモノを「謀略戦」と言えるその神経は相当なまでに太いと言わざるをえないものがあるのですが、この「謀略戦」と称するテロ行為は「伝説の17話」と並ぶ、ヴァレンシュタイン最強の切り札「神(作者)の祝福」の醜悪ぶりを象徴する事件のひとつであると言えます。
原作銀英伝における地球教のテロと同等、いやそれ以下の低レベルぶりを晒している以外の何物でもないのですし。
なお、「亡命編」のストーリーおよび過去の考察については以下のリンク先を参照↓

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://www.akatsuki-novels.com/stories/index/novel_id~116
銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察
その1  その2  その3  その4  その5  その6  その7  その8  その9  その10  その11  その12  その13  その14  その15  その16  その17

ヴァレンシュタインが仕掛けた「フェザーン謀略戦」というのは、フェザーンと地球教の関係、そして地球教の実態を全宇宙に公表することで、地球教の殲滅と帝国・同盟の共闘・和平の道を切り開くことを目的としています。
この「謀略戦」とやらの第一の問題点は、そもそも謀略を仕掛けられるターゲットの知的水準が原作と比較してさえもあまりにも低く設定されていることにあります。
たとえば、ヴァレンシュタインとローゼンリッターの面々がフェザーンの自治領主府に乗り込む際、彼らは原作の第7次イゼルローン要塞攻防戦の要領で内部に潜入しているのですが……↓

http://www.akatsuki-novels.com/stories/view/7122/novel_id~116
> ヴィオラ大佐が受付で話をしている。アポは取ってあるのだ、問題は無いだろう。有るとすれば人数が多い事だが何と言って説得するかはヴィオラ大佐に任せるしかない。全員武器はアタッシュケースに入れて持ち歩いている。ローゼンリッターはエンブレムを外しているから判別は出来ない。ここを切り抜けられるか否かが第一関門だ。大丈夫だ、上手くいく。
>
> ヴィオラ大佐が戻ってきた。顔には笑みが有る、小声で話しかけてきた。
> 「上手くいきました。まあ強盗や人攫いがここに来るはずが有りませんからな」
> 「そうですね」
>
イゼルローン要塞と同じか、IDカードを偽造しても調べられる事は無かった。ここに敵が来るはずが無い、その固定観念が警備を形骸化させている……。

確かにフェザーンには、帝国・同盟両国が戦争に明け暮れる中で漁夫の利を得るがごとくの平和を、建国以来の長年にわたって謳歌している歴史があります。
しかしだからと言って、フェザーンの自治領主府が外部からの脅威に無警戒でいるわけがないでしょう。
そもそもフェザーンでは、宇宙歴791年・帝国歴482年にルビンスキーの前任者だった先代の自治領主ワレンコフが、地球教によって暗殺されています。
フェザーンでは初代の自治領主レオポルド・ラープ以来、地球教と手を切るか独自の道を歩むかで葛藤を続けていた歴史的経緯があり、ワレンコフは地球教から独立しようとして地球教から排除されてしまったわけです。
そして、すくなくともルビンスキーはその経緯と真相について地球教から常に聞かされた上で、「もし地球教に逆らったらお前もそうなるぞ」と脅されている立場にあります。
フェザーンと地球教の関係は決して親密かつ親愛に満ちたものなどではなく、常に裏切りを警戒し監視の目が向けられる緊張状態を強いられるものだったのです。
しかも当代の自治領主であるルビンスキーもまた、地球教とは最終的に手を切る心積もりであったことが、原作銀英伝でもはっきりと示されています。
またそうでなくても、そもそも必要最小限の警察しか持たない軍事力皆無なフェザーンとしては、外部からの諜報活動に対する防諜(インテリジェンス)について、帝国・同盟のそれをはるかに凌駕するレベルの能力が常に求められるところでしょう。
これらの事情から考えれば、フェザーンの自治領主府が外部からのテロや諜報活動に対して無警戒でいるなどという前提自体が本来考えられないことなのです。
原作の第7次イゼルローン要塞攻防戦の場合、攻撃は常に外部から行われるものであり、内部からの攻撃はその時まで一度も発生しなかったという「これまでの実績」があったからこそ、その間隙を突くことも可能だったのですが、フェザーン自治領主府の場合は戦争に対する備えが必要ない代わりに、テロや諜報活動について常に目を光らせざるをえない状態にあったわけです。
またそういう環境であったからこそ、原作のルビンスキーもラインハルトのフェザーン侵攻の際に素早く行方を眩ますことができたのでしょうし、自身を暗殺しようとしたケッセルリンクを返り討ちにしたり、ラングを操りつつ逮捕を免れたりといった保身を図ることにも成功したわけでしょう。
原作から考えても、ルビンスキーはヴァレンシュタインなどよりもはるかに「自己保身」について熱心な人間であり、その方面で警戒を怠るというのはありえないことなのです。
この時点で既に、ヴァレンシュタインの「フェザーン謀略戦」というのは、ルビンスキーを原作よりもはるかに無能な存在にしないと到底成立しえない、まさに「子供の落書き」同然の下手な絵図でしかないのです。

さらに笑ってしまうのは、フェザーン自治領主府に帝国高等弁務官レムシャイト伯を誘き出す際の手法です。
何とヴァレンシュタインは、たった1本の通信だけで伯を誘き出したというんですね↓

http://www.akatsuki-novels.com/stories/view/7122/novel_id~116
> 「帝国の高等弁務官事務所に連絡を入れてもらえますか」
> 「承知しました。外にいる連中にやらせます」
> 俺の言葉にヴィオラ大佐が頷いた。時間は九時四十六分。
ヴィオラ大佐が“白狐を誘き出せ”と指示を出している。思わず笑みが漏れた。さて、出てくるかな、白狐。早ければここには十分程で来るはずだ。

http://www.akatsuki-novels.com/stories/view/7257/novel_id~116
> 「条件さえそろえばフェザーンは同盟に擦り寄るのは目に見えている。現時点で独立など持ちかける必要は無い。私の目的は帝国軍を振り回す為であってフェザーンの独立など本当はどうでも良い事なのだと……。そのためにレムシャイド伯に連絡を入れここに呼び寄せたのだと……。伯に猜疑心を植え付けるために……、如何です?」
>
> 「あの通信は卿の差し金だったのか……」
> 呻くようにレムシャイド伯が呟いた。恨みがましい目をしている。少し慰めてやるか。
>
> 「ええ、そうです。エーリッヒ・ヴァレンシュタインが同盟政府の命令で密かに自治領主と接触している。目立つことを避けるため少人数で来ている。今すぐ自治領主府に行けばヴァレンシュタインの身柄を抑え、ルビンスキーの背信を咎め帝国の威を示すことが出来るだろう。ヴァレンシュタインはヴィオラ大佐の名前で面会をしている、急がれたし……。発信者は亡命者の専横を憎む者、確かそんな通信だったはずです、そうでは有りませんか?」
> 「……」
>
>
「功を焦りましたね。こちらの不意を突けると思い、碌に準備もせずにここに来た」
> レムシャイド伯が顔を歪めている。慰めにならなかったな、かえって傷つけてしまったか……。でも今度は大丈夫だ。
>
「私と自治領主閣下、そしてレムシャイド伯の三人で話す必要が有りました。ですがお話ししましょうと誘っても断られると思ったので……」

いやはや、レムシャイト伯もとことん舐められたものですね。
何しろヴァレンシュタインは、レムシャイト伯がたった1本の、それもその場ででっち上げた感すらあるような通信が送られてきただけで、その内容について何ら疑問を抱く事すらなく頭から信じ込み、後先考えずにのこのこと「敵地」にバカ正直に乗り込んでくる低能であると評価していたわけなのですから(苦笑)。
普通、通信の出処が曖昧だったり不明だったりする時点で、通信内容をイキナリ頭から信じ込んだりするような人間はいないでしょう。
最悪、ただそれだけで「根拠のないヨタ話」として捨てられてしまってもおかしくありませんし、そうしないにしても、すくなくともまずは通信の内容が真実であるのか否か調査するのが先決ではありませんか。
そして、調査の結果、通信の内容が真実であると結論付けられたとしても、今度は「これは罠ではないか?」という考えもよぎらないというのはさらに変です。
古今東西、あまりにも美味すぎる話には罠や裏があると言いますが、レムシャイト伯はそんな常識に思いを致すことすらできないほどに低能無能だったというのでしょうか。
まあ、こと「亡命編」におけるレムシャイト伯に限定すれば、まさにヴァレンシュタインの意図通りの低能ぶりを披露しているわけですからそう評価するしかないのでしょうが、原作のレムシャイト伯と言えど、すくなくともここまでバカ正直かつ政治的な駆け引きもできない低能扱いはされていなかったのではないかと思えてならないのですけどね。

また、もし仮にレムシャイト伯が通信の内容を頭から信じ込んでヴァレンシュタイン一派を捕縛すべく動くにしても、わざわざルビンスキーがいる自治領主府の部屋まで乗り込む必要もなかったでしょう。
レムシャイト伯にしてみれば、重要なのはとにかくヴァレンシュタインを捕縛・殺害することであり、何も部屋まで乗り込んでいく必要はないのです。
ヴァレンシュタインがフェザーンの自治領主府にいるのは分かりきっているわけなのですから、建物の入口という入口を全て塞ぎ、空の飛行をも完全に禁止することで完全包囲し、少しずつ包囲網を狭めつつ、自分達に地の利がある有利な場所を戦場にして捕獲作戦を展開するなり、心理的に追い詰めて降伏に追い込むなりすれば良かったのです。
とにかく目的遂行が最優先で手段は問わない、フェザーンと仲違いしてでもヴァレンシュタインを抹殺する、という覚悟があるのであれば、最悪、自治領主府ごとヴァレンシュタインを高性能爆弾なり戦艦の艦砲射撃なりで消し飛ばしてしまう、という手法だって使えないこともなかったでしょうし。
ヴァレンシュタインを捕縛・殺害するならするで、もっと安全確実にことを進める方法はいくらでもあったのに、何故わざわざ自治領主府の部屋までのこのこと出張った挙句に捕縛されてしまうのか、そこも理解に苦しむところです。
ルビンスキーの件もそうですが、ヴァレンシュタインの「謀略戦」というのは、相手が原作よりもはるかに低能無能でないと成立しえないという点において、原作レイプと言っても過言ではないゴミなシロモノでしかないのです。

さて、ヴァレンシュタインの「謀略戦」とやらは、そのお粗末な内容や成功率もさることながら、実はその行為それ自体にも大きな問題を孕んでいます。
そもそも、同盟とフェザーンは別に戦争状態にあるわけではなく、今回の「謀略戦」とやらも戦争ではなく外交儀礼の延長から発生したものでした。
ヴァレンシュタイン一派は、対フェザーンの外交窓口である同盟高等弁務官事務所の一員たるヴィオラ大佐が正式な手続きを通じてルビンスキーに面談を求め、フェザーン側もこれを了承したことに便乗する形で、フェザーンの自治領主府に「完全武装で」潜入した挙句、本来外交儀礼を尽くすべき相手に武器を突きつけて脅しをかけているわけです。
これが「戦争」であれば、原作の第7次イゼルローン要塞攻防戦におけるヤンのごとく、「奇跡」「魔術師」の名で称えられることもあるかもしれません。
ところが今回の「謀略戦」とやらの舞台は「戦争」ではなく「外交」。
しかもヴァレンシュタインの凶行には同盟の高等弁務官事務所が直接関与している上、自治領主府からルビンスキーを拉致して逃亡する際には、ヴァレンシュタイン自ら「生命を脅かされている自分達の生命を守るためにフェザーンを脅せ」などと帝国・同盟の首脳陣に命じる始末です↓

http://www.akatsuki-novels.com/stories/view/8002/novel_id~116
> 「我々はフェザーンではお尋ね者です。今も追われている。場合によっては問答無用で撃沈される可能性も有ります」
> 『口封じかね、追手の中に地球の手の者がいると』
> 「可能性は有るでしょう。
帝国、同盟がこのベリョースカ号の安全に関心を持っている、フェザーンはベリョースカ号の安全と航行の自由を保障する義務が有ると声明を出してください
>
> 提督の言葉にスクリーンの四人が顔を見合わせました。
> 『良いだろう、……そちらはどうかな』
> 『異存ありませんな』
> ブラウンシュバイク公とトリューニヒト委員長が同意しました。それを見てヴァレンシュタイン提督が言葉を続けました。
>
>
「現在同盟の三個艦隊、五万隻がフェザーンに向かっています。もし我々の安全が脅かされた場合、同盟軍三個艦隊にフェザーン本星を攻撃させる、それも宣言してください」
>
> 『フェザーンを攻撃だと。しかも卿ら反乱軍に委ねるというのか』
> ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が顔を顰めています。コーネフ船長も“馬鹿な、何を考えている!”と詰め寄ろうとしシェーンコップ准将に取り押さえられました。
>
> 「帝国、同盟がフェザーンに対しベリョースカ号の安全と航行の自由を保障するように命じたにもかかわらずフェザーンがそれを守らなかった。当然ですがそれに対しては報復が必要になるでしょう、それを同盟軍が行う」
> 『……』

……何というか、こんな自己一身の安全確保を目的に、武力にものを言わせて他者を脅迫する行為が、ヴァレンシュタイン曰く「謀略戦」の実態というわけですね。
はっきり言いますが、こんなシロモノは「戦争」でもなければ「外交」でもなく、もちろん「謀略戦」などという御大層な名で呼称できるものですらない、ただの「テロ」でしかありません。
しかもこの「テロ」は、その勃発から結末に至るまで、同盟の国家および軍が一丸となってサポートしたものでさえあるのです。
よって同盟的には、一連の「テロ」事件が「ヴァレンシュタインの単独行で行われたものであり、自分達は一切関与するところではない」という言い訳すら展開することができず、ヴァレンシュタインと一蓮托生的に事件の責任を背負わされることになります。
一連のヴァレンシュタインの凶行で特に同盟が大きなダメージを受ける箇所は、その経緯から考えても「外交の信用」です。
何しろ、自分達は必要となれば「外交」の場ですら武器を振り回し、外交相手を「物理的に」脅しつけるような存在である、と万人に向かって宣伝しているも同然なのですから。
当事者であるフェザーンと国交断絶・戦争状態突入になるのはもちろんですが、第三者たる帝国にとっても「同盟という国はとてもマトモな交渉ができるような存在ではない」という認識を抱くに充分過ぎる事象なのです。
「外交の信用」を失うということは、つまるところ「他国とのマトモな外交が一切できなくなる」ことを意味するわけです。
これは同盟およびヴァレンシュタインが目指している「帝国との和平」についても、当然のことながら重大どころか致命的な支障を来す深刻極まる事態を【本来ならば】到来させるものですらあります。
ただでさえヴァレンシュタインは、先の(亡命編における)第7次イゼルローン要塞攻防戦の際に「何百万、何千万人の帝国人を殺してあげますよ」などという「帝国250億無差別虐殺発言」を披露してさえいるのです。
それに今回の「テロ」事件およびそれに伴う「同盟の外交の信用の失墜」が重なればどうなるか?
同盟およびヴァレンシュタインは、帝国と話し合いをするつもりなど最初から全くなく、どちらかが完全に滅ぶまで永遠に戦いを続ける殲滅戦争を遂行するつもりである、などという自分でも意図せざるメッセージを結果として伝えてしまうことにもなりかねないでしょう。
ヴァレンシュタインは、地球教の秘密を公に晒すことと引き換えに、自由惑星同盟という国に「テロ国家」という汚名を被せた挙句、最大の目的である帝国との和平を全てご破算にする行為をやらかしていたわけです。
よくもまあ、こんな【本来ならば】同盟の国益にとっても害にしかならないキチガイな人間を、同盟という国は重用するものですね。
たかだか地球教の実態を暴いた程度のことで、同盟が背負わされる羽目になるこれらのマイナス要素とつり合いが取れるとでもいうのでしょうか?
もちろん、ヴァレンシュタインが繰り出すどんな矛盾も破綻も「神(作者)の祝福」の前には強引にねじ伏せられ、ヴァレンシュタインを礼賛する声に勝手に変わってしまうのですが(笑)。

ヴァレンシュタインが主導する「子供の落書き」レベルの幼稚で浅薄な「テロ行為」を成功と栄光の金箔で飾り立てるために、それ以外の周辺人物の知能水準を原作設定どころか一般常識レベルすらも無視して貶め礼賛させる。
そこではまたしても、「原作知識」とは全く無関係に存在する「神(作者)の祝福」が猛威を振るっているわけです。
挙句の果てに、ヴァレンシュタインは「神(作者)の祝福」を自分の実力と勘違いし、「神(作者)の祝福」を前提とした原作キャラクター批判などをおっぱじめたりするのですから、何とも救いようがないとしか評しようがないのですが。
本当にヴァレンシュタインが有能な人物だというのであれば、作中の登場人物ではなく読者をこそ唸らせるような手腕を披露して欲しいものなのですけどね。

山本弘が「と学会」を脱退

最近すっかりウォッチしなくなってしまっていた自称SF作家が、ついに「と学会」の一切合財から手を引くことを宣言したようですね↓

http://hirorin.otaden.jp/e312496.html
>  お知らせするのが遅くなり、申し訳ありません。
>  4月11日金曜日、
と学会会長の座を引退するとともに、と学会から脱退いたしました。
>
>  べつに突然決断したわけではなく、何年も前から考えていたことです。宣言するタイミングを見計らっていました。
>  
詳しい事情は外部には話せませんが、一言で言えば「きつくなってきた」ということです。
>  確かにものすごくエキサイティングで楽しい活動だったし、知らなかったことをいろいろ学ばせてもらったことに感謝しています。仲の良くなった会員の方も多いですし、これまでやってきたことを後悔はしていません。
>  ただ、
近年はただ楽しいだけじゃなく、嫌なことも多くなってきて、ストレスがたまってきてたんですね。
>  もう20年以上やってきたんだし、べつに死ぬまで会長を続けなくちゃいけない義務もない。そう思い、辞めることにしました。
>  引退宣言をするまではずいぶん悩んだんですが、その後は重荷を降ろして、すっきりした気分です。

そりゃまあ、「あの」山本弘がマトモに見えてすらくるほどに超弩級キチガイな会員連中に囲まれていては、ストレスもたまるでしょうしキツくもなるでしょうねぇ(苦笑)。
かつて「トンデモ本大賞ノミネート作は、僕の一存で決まっているのだ」などと「と学会」内における独裁権を豪語していたにもかかわらず、唐沢俊一の処分問題でその独裁権を会員連中の猛反発から満足に行使できなかったのも痛恨事ではあったでしょうし、そのために盗作評論家の唐沢俊一と自分が同列に見られるのも屈辱の限りだったことでしょうし。
自分にとっては足枷以外の何物でもなかった「と学会」を脱退した山本弘は、今度はこれまでの鬱憤を晴らすかのごとく、「と学会」に猛攻撃を仕掛けたりでもするのでしょうかねぇ。
「と学会」の面々が、脱退したり死去したりした元会員達をこきおろしにかかるという事例は過去にもあるわけですし、山本弘および「と学会」残留組の面々が今後旧左翼過激派の「総括」よろしく対立を深めるという事態もありえそうな話ではあるのですが。

ところで、元キチガイ会長に脱退されてしまった「と学会」の方は一体どうなってしまうのでしょうかね?
会長がいなくなってしまったわけですから、当然後任を考えなくてはならないはずなのですが、まさか盗作その他諸々の前科が燦然と光り輝いている唐沢俊一を充てるわけにはいかないでしょうし。
もちろん、その唐沢俊一の処分を数の論理とキチガイ理論の限りをもって撤回させてしまった「と学会」の面々が、短絡的な発想でもって唐沢俊一に出馬願うなどという事態も、残念ながら「全くありえない」とまでは言い切れないところではあるのですが(爆)。
これ以上「と学会」を存続させてもカネにならないから解散する方向で調整を行う、というのが、ある意味関係者一同にとって最も幸福な発想と選択ではあるのでしょうけど……。

2013年映画観賞総括

2013年も、残すところあと僅かとなりました。
まあ個人的には、諸般の都合であまりブログを含めたタナウツ関連に集中できなかった年ではあったのですが(^^;;)。
2014年はまた以前のペースを取り戻していきたいと考えております。

ところで、映画関連の記事も6月で止まってしまった形になっているのですが、映画観賞自体はその後も問題なく続けていて、今年の映画館での映画観賞本数は85本に達していたりします。
前年の97本に比べると12本のマイナスとなっており、残念ながら年間新作映画観賞本数の4年連続最多記録更新とはならなかったですね(T_T)。
まあそれでも、2012年に次ぐ映画観賞本数ではあるのですが。
2013年の新作映画観賞作品は以下の通りとなっております(左の連番は新作映画の観賞順)↓

 1.ドラゴンゲート 空飛ぶ剣と幻の秘宝(3D版)
 2.96時間/リベンジ
 3.LOOPER/ルーパー
 4.テッド
 5.東京家族
 6.ストロベリーナイト
 7.ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日
 8.アウトロー
 9.ムーンライズ・キングダム
10.ゴーストライダー2
11.恋する歯車
12.脳男
13.王になった男
14.ダイ・ハード/ラスト・デイ
15.レッド・ライト
16.ゼロ・ダーク・サーティ
17.遺体 明日への十日間
18.草原の椅子
19.フライト
20.オズ はじまりの戦い
21.プラチナデータ
22.ひまわりと子犬の7日間
23.クラウド アトラス
24.ジャックと天空の巨人(3D版)
25.だいじょうぶ3組
26.相棒シリーズ X DAY
27.ジャンゴ 繋がれざる者
28.世界にひとつのプレイブック
29.ライジング・ドラゴン
30.リンカーン
31.舟を編む
32.アイアンマン3
33.藁の楯/わらのたて
34.ラストスタンド
35.図書館戦争
36.L.A.ギャングストーリー
37.探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点
38.オブリビオン
39.リアル ~完全なる首長竜の日~
40.G.I.ジョー バック2リベンジ(3D版)
41.エンド・オブ・ホワイトハウス
42.華麗なるギャツビー
43.奇跡のリンゴ
44.アフター・アース
45.ワイルド・スピード EURO MISSION
46.風立ちぬ
47.終戦のエンペラー
48.ローン・レンジャー
49.パシフィック・リム
50.ワールド・ウォー Z(3D版)
51.ホワイトハウス・ダウン
52.少年H
53.スター・トレック/イントゥ・ダークネス
54.ガッチャマン
55.マン・オブ・スティール
56.タイムスクープハンター 安土城 最後の1日
57.サイド・エフェクト
58.キャプテンハーロック(3D版)
59.ウルヴァリン:SAMURAI
60.許されざる者
61.エリジウム
62.そして父になる
63.おしん
64.ダイアナ
65.ゴースト・エージェント/R.I.P.D.
66.人類資金
67.グランド・イリュージョン
68.スティーブ・ジョブズ
69.パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々:魔の海
70.2ガンズ
71.清須会議
72.マラヴィータ
73.悪の法則
74.くじけないで
75.REDリターンズ
76.キャプテン・フィリップス
77.かぐや姫の物語
78.47RONIN
79.利休にたずねよ
80.ルパン三世 VS 名探偵コナン THE MOVIE
81.ゼロ・グラビティ(3D版)
82.武士の献立
83.永遠の0(ゼロ)
84.ウォーキング with ダイナソー
85.ハンガー・ゲーム2

観賞映画の内訳は、洋画50本・邦画32本・その他(中国・韓国映画)3本。
昨年と比較すると、邦画の減り方が特に大きな感がありますが、これは今年の邦画でアニメ関係と恋愛物が多く公開されたことによって、それ以外の映画の上映リソースを多大に食ってしまったことが大きかったと言えるでしょう。
実際、今年の邦画の興行収益ランキングを見ても、上位10位の実に半分以上がアニメ映画というありさまですし↓

http://www.cinematoday.jp/page/A0003969?g_clk=topcover
2013年度邦画興収ベスト10
 1.風立ちぬ
 2.ONE PIECE FILM Z ワンピース フィルム ゼット
 3.映画ドラえもん のび太のひみつ道具博物館
 4.名探偵コナン 絶海の探偵
 5.真夏の方程式
 6.映画 謎解きはディナーのあとで
 7.劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ 神速のゲノセクト ミュウツー覚醒
 8.そして父になる
 9.ドラゴンボールZ 神と神
10.清須会議

私の行きつけの映画館だけで見ても、アニメ映画は事前のネットでの予約状況・現地のスクリーンへの入場者数共に、他の映画と比較して客足が目に見えて違っていたりしますからねぇ。
昔と比べて「アニメを見ることに抵抗を感じない大人」および「大人向けのアニメ映画」が増えていることが大きくはあるのでしょうけど。
また映画館側にとっても、低年齢層向けのアニメ映画はPG-12やR指定の映画と違って老若男女問わず幅広い客層をターゲットに出来る上、家族連れで観賞するケースが多く客寄せの効率が良いという大きなメリットがあります。
映画館も客商売である以上、儲けが多く客を引き寄せられる映画を優先的に上映せざるをえないわけですから、今後も当面は客寄せと収益向上に寄与しえるアニメ映画を優先的に多く上映することになるのではないでしょうか。
いち映画ファンとしては少々寂しい限りではあるのですが、これも時代の流れというものなのでしょうかねぇ。

アニメ映画が隆盛を極めた感のある2013年でしたが、来るべき2014年もまた、アニメ映画も含めた良質な映画と数多く巡り合いたいものですね。

映画「エンド・オブ・ホワイトハウス」感想

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映画「エンド・オブ・ホワイトハウス」観に行ってきました。
タイトルが示す通り、アメリカのホワイトハウスを舞台に繰り広げられるアクション映画。作中では無差別銃撃などで人が血を撒き散らしながら大量に死んでいく描写が存在するため、PG-12指定されています。

今作の主人公マイク・バニングは、アメリカ大統領ベンジャミン・アッシャーおよびその一家を警護するシークレット・サービスの一員。
大統領のスパーリングの相手になったり、大統領の息子コナー・アッシャーと親しく会話していたりと、彼は護衛対象たる大統領一家からも大きな信頼を寄せられていました。
しかし、クリスマスが近いある年の12月、大統領専用の別荘地キャンプ・デービットから選挙資金調達の用事で外出する大統領一家を警護する任に当たっていたマイク・バニングは、そこで不測の事態に直面することになります。
雪が舞う林道を走っている最中、大統領の専用車を先導する警護のクルマに大枝が落下。
パニックに陥った先導車は、ちょうど橋がかかった川に差し掛かったこともあり、大統領専用車を巻き込む形で橋からダイブして川に転落してしまいます。
それに巻き込まれた大統領専用車もまた、橋の淵にかろうじて引っかかった状態で今にも川へ転落しようとしていました。
大統領を救出すべく急ぎ駆けつけたマイク・バニングは、一刻を争う事態ということもあり、妻を助けようとする大統領の身柄の確保を優先して大統領を車から引っ張り出します。
ところがその直後、橋に引っ掛かることで辛うじて保たれていたクルマのバランスが崩れ、大統領専用車はファーストレディを乗せたまま、川へと転落してしまったのでした。
当然のごとくファーストレディは死亡。
大統領と息子は大いに嘆き悲しみ、マイク・バニングもまた、任務を果たせなかったことに自責の念に駆られることになってしまうのでした。

それから約18ヶ月後の7月5日。
ファーストレディを救出できなかった責任を問われたマイク・バニングは、シークレット・サービスの任務から外され、閑職も同然の財務省の国庫課に異動となっていました。
件の事件以来、彼は妻との関係すらも上手く行かなくなってしまい、あの時のショックから未だ完全には立ち直れずにいるのでした。
この日、アメリカ大統領は、北朝鮮との緊張状態が続く韓国の大統領と、ホワイトハウスで会談を行う予定となっていました。
シークレット・サービスによる厳重な警戒体制が敷かれる中、韓国側の護衛と共にホワイトハウスに現地入りする韓国の大統領。
しかしそんな中、一機のC-130輸送機がワシントンD.C.の飛行禁止区域へと侵入。
当然、2機の戦闘機がスクランブル発進して輸送機に警告を与えるのですが、C-130は警告を無視したばかりか突如発砲を開始。
その場で戦闘機を撃墜した上、ワシントンD.C.の市街地に向けて無差別の銃撃を開始し一般人を虐殺し始めます。
危機を察知したアメリカ大統領およびその周囲は、韓国の大統領と共に、ホワイトハウスの地下にある危機管理センターへと避難することになります。
しかし、時を同じくしてホワイトハウス近辺で大規模な襲撃が開始され……。

映画「エンド・オブ・ホワイトハウス」は、久々に「古き良き正統派」なハリウッドアクション映画とでもいうべき内容ですね。
主人公が単身敵に挑む設定といい、主人公以外の味方が無為無力どころかむしろ足を引っ張ってすらいる点といい、どことなく「ダイ・ハード」シリーズや「沈黙」シリーズのノリに近いものがあります。
主人公は最初から最後まで孤立無援の状態を維持し続けていますし、数十人規模の少数精鋭集団をたったひとりのアクションで制圧していく光景は、ハリウッド映画では見慣れたものではあるにせよ、それ故に安定的な面白さを観客に提供してくれています。
主人公は物語冒頭の事件をトラウマ的に引き摺っているため、キャラクター的には少々暗い性格になってしまってはいるのですが、終盤では「事件を解決した英雄」として名誉が回復し、ハッピーエンドで終わるところもポイントですね。
良くも悪くも、往時のハリウッドアクション映画のあり方を踏襲した作品と言えるのではないかと。

公式サイトに掲載されているプロダクションノートによれば、作中におけるホワイトハウス襲撃は「実際にそんなことが可能なのか?」というシミュレーションを重ねた末に考え出されたものなのだそうです。
特に感心したのは、ホワイトハウス襲撃日を7月5日に設定した理由で、この日はアメリカ独立記念日の翌日で、前日の記念式典等で出たゴミを処理するための大型トラックが多数出動するので、それをテロリスト達が利用できるからというもの。
これらの大型トラックは、作中ではホワイトハウスに繋がる道路の封鎖や、警察や軍からの攻撃に対する防塞として大いに機能していました。
物語の設定や必然性としてどころか、リアルなテロ計画としても充分に通用しそうな設定で、「実際にこういった襲撃は可能なのではないか?」という思いを観客に抱かせるのに十分なものがありました。
そして、そのホワイトハウス襲撃でも、ホワイトハウスの地下深くにある危機管理センターの制圧はさすがに難しいのではと考えていたら、そちらは韓国大統領の側近達によって内部からあっけなく占領されてしまっていました。
自国の大統領周辺に北朝鮮に繋がる工作員を、しかも何の疑いを抱くことすらもなく置いているとは、作中の韓国ってどれだけ北朝鮮に甘いんだよとつくづく考えずにはいられませんでしたが(^^;;)。
ただ実際、韓国は特に金大中政権の太陽政策以降、北朝鮮に対し無用なまでに寛大なスタンスを取るようになってしまっていて、結果として北朝鮮の工作が社会的に浸透しまくっているという事情も実はあったりしますからねぇ。
日本ではありえない話なのですが、韓国では「親北朝鮮派」と呼ばれる勢力が少なからぬ力を持っていたりするそうですし。
こんなのを同盟国として抱え込んでいなければならないとは、いくら自業自得であるとは言え、アメリカも不幸な国ではありますね(T_T)。
作中のアメリカは間違いなく、「あの国のあの法則」の呪いにでも巻き込まれていた以外の何物でもありませんでしたし(苦笑)。

作中のようなホワイトハウス襲撃を見て個人的に連想したのは、やはり何と言っても同じように日本の国家中枢を一時的にせよ少人数で奇襲的に制圧してしまった話を描いた映画「SP 革命篇」ですね。
今作のそれに比べれば、あの奇襲は構成人数においても武装においても雲泥の差があるのですが、外国はいざ知らず、日本ではあの程度の奇襲であっても相当なリアリティを伴うものでありえてしまうんですよね。
日本ではあの手の国家中枢への攻撃・占拠などが実施された有事に関して想定したマニュアルや体制などは無きに等しいですし、そういったものを作ろうとすると、そのこと自体が「軍国主義」「右傾化」などの謂れなき非難を受けたりするお国柄です。
「SP 革命篇」で見られるような「拳銃を持った数人程度の武装集団」レベルでいともあっさりと制圧されてしまう光景がリアリティを持ってしまうような日本で、今作のごとき襲撃が行われたりでもしようものならば、襲撃者達はホワイトハウス制圧にかかった最初の13分間で、国家中枢どころか日本という国の機能すらも完全に停止させることが出来てしまうでしょう。
日本では内閣総理大臣が病気などで政務を遂行できなくなった際の明確な取り決めが、何と21世紀に入る直前まで存在せず、ほとんど慣習的に運用されていたくらいだったのですから。
第84代内閣総理大臣だった小渕恵三の緊急入院問題から、多少は改善されて事前の代行指名を最大5名まで行えるようになりはしたものの、法律で18位まで大統領継承順位が定められているアメリカに比べれば未だ不十分なレベルとも言われています。
内閣総理大臣と一緒に、事前に指名された5名全てが捕縛されてしまったら一巻の終わりなわけですし。
また実際問題として、作中で描写されていたような「大統領・副大統領が捕縛されてしまったので、下院議長が大統領代行として指揮を執る」的な権限移譲自体が、日本では果たしてスムーズに行い得るものなのか、という疑問も尽きないですからねぇ。
武器使用の制約が少なく、世界最強の軍隊を持つアメリカですら不意を突かれれば弱いのに、それ以上に制約も大きい日本で作中のホワイトハウス襲撃と同規模の攻撃が起ころうものならば、一挙に国家存亡の危機にまで直結するのではないか、という懸念は以前から消えることがないのですが……。

エンターテイメント作品としては、観客のツボを良く押さえた手堅い作りになっているのではないかと思います。

映画「G.I.ジョー バック2リベンジ(3D版)」感想

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映画「G.I.ジョー バック2リベンジ」観に行ってきました。
1980年代に放映されていたアメリカの同名人気アニメを実写化した、2009年公開のアクション映画「G.I.ジョー」の続編作品。
今作は3D対応のために、本来ならば2012年夏の予定だった劇場公開を1年近くも延期するという、およそ本末転倒な行為をやらかしています。
私に言わせれば、3D化などは映画料金を無駄に高くするための誰得な所業の産物でしかありえないのですが、今回は2D版の公開時間の都合が合わなかったこともあり、泣く泣く3D版で観賞する羽目となってしまいました(T_T)。
何でも、今作が公開延期をしてまで3D化にこだわったのは、序盤の展開に大きな要因があるらしいのですが……。
せっかく大御所のブルース・ウィリスも出演しているのですから、3D化なんて傍迷惑な所業などやらずにさっさと劇場公開しても良かったのではないかと、つくづく思えてならなかったのですけどねぇ(-_-;;)。

前作のラストで、アメリカ大統領そっくりの顔になって本物の大統領と入れ替わっていたザルタン。
彼は、前作で自分達の組織を壊滅状態に追い込んだG.I.ジョー達を殲滅すべく蠢動し始めます。
その頃、核保有国のパキスタンで大統領が何者かに暗殺されるというニュースが世界を駆け巡ります。
パキスタンの政情混乱に伴う核の拡散を憂えるアメリカの国防会議?の席上で、アメリカ大統領を演じるザルタンは、自身の権限を駆使してG.I.ジョーに核の奪取を行わせる作戦を行わせるよう指示するのでした。
元々高い戦闘能力と何世代も先行した感のある超兵器で武装しているG.I.ジョーの面々は、さしたる大きな犠牲を出すこともなく任務を達成することに成功します。
しかし、ザルタンが仕掛けた死の罠は、帰還のための輸送機を待ちながら、任務を達成した満足感と望郷の念で油断していたG.I.ジョー達に襲い掛かったのでした。
味方を装い、突如奇襲的に航空機による攻撃を仕掛けてきた敵により、G.I.ジョーは壊滅状態に。
しかもこの攻撃の際、現地のG.I.ジョーを束ねる司令官だった前作の主人公デュークもまた、身を呈して部下を逃がしたのが災いし、帰らぬ人となってしまうのでした。
ザルタンによる殲滅攻撃で生き残ったG.I.ジョーの面々はわずかに3人。
彼らは、自分達に攻撃を命じたのが大統領であることを察知し、復讐と報復の戦いに身を投じていくことになります。

一方、これまた前作のラストで捕縛され、冷凍睡眠状態?で特殊な牢獄に入れられていたコブラコマンダーが、同じく前作のラストで死んだと思われていたストームシャドーと、コブラコマンダーの部下であるファイアーフライの手引きで脱獄に成功します。
彼らは、天敵であるG.I.ジョーを壊滅させたザルタンと共に、世界を牛耳る計画へと邁進していくことになるのですが……。

今回の「G.I.ジョー バック2リベンジ」は、良くも悪くも意表を突く展開が目白押しですね。
前作の主人公デュークが今作も主人公思いきや、序盤で早々に部下をかばって死んでしまいますし、G.I.ジョーの初代司令官兼「最強の助っ人」として「あの」ブルース・ウィリスが登場したりするのですから。
ただ前者については、物語の展開的にもエンターテイメントの観点から見ても、明らかに失敗だったと言わざるをえないところですね。
この手の物語では、観客は主人公に感情移入して楽しむのが常なのに、その主人公が早々に死んでしまったわけですから、出鼻を挫かれること甚だしいわけで。
前作でアレだけ奮闘したのは一体何だったんだ、ということにもなってしまい、結果的には前作の価値すらも著しく損ねることにもなりかねない、極めて愚かな所業にしかなっていないですね。
物語のラストで殉死させその死を美化する、といった展開にするならまだしも、序盤でああまであっさりと死なせてしまっては、その後の展開に多大な支障を来しかねないことくらい、製作の段階で分かりそうなものなのですが。
実際、この展開は、映画製作者達が映画の完成直後に行ったテスト試写会でも散々な評価だったらしく、それが今作が3D編集に走った原因のひとつにもなっているとのこと。
3Dでより良い映像を見せる、というのではなく「ストーリーの失敗」を理由に3Dに走るなんて、観客からしたら傍迷惑も甚だしい行為でしかありえないのですけどね。
まあ、既に完成した映画を1から作成し直す時間的・経済的な余裕なんて無かったがための苦肉の策ではあったのでしょうが。

その一方で、かつてG.I.ジョーを束ねていた初代司令官として登場したブルース・ウィリスは、さすが大御所だけのことはあり、他の登場人物を圧倒する存在感を醸し出していました。
活躍は抑え目だったものの、要所要所の登場シーンでツボを押さえている感がありました。
ただ、映画の前宣伝でも盛んに喧伝されていた「最強の助っ人(ブルース・ウィリス) VS 最強の刺客(イ・ビョンホン)」の直接対決は、作中では全く見られず終いでしたが。
イ・ビョンホンが扮するストームシャドーは、序盤はコブラの手先としてコブラコマンダーの脱獄の手引きなどをしてはいたものの、初代ジョーと対面する頃には自身の過去の真相を知ってコブラを裏切っていましたし。
あの宣伝は一体何だったのか、とすら思えるほどに「ウソ・大袈裟・紛らわしい」の誇大広告もいいところでしたね。
あの宣伝を信じて、ブルース・ウィリスとイ・ビョンホンの直接対決を待ちわびていた観客も少なくなかったのではないかと思えてならないところだったのですが。

あと、前作の終盤で顔が銀色になり、コブラコマンダーから命名を受けたデストロは、今作ではコブラコマンダーの脱獄の際に早々に見捨てられた挙句、それ以降は最後まで全く登場すらしないという、そこらの三下にも劣る扱いもいいところでした。
前作では大企業の黒幕的な存在感があったのですが……。
ラストを見る限り、今作はまだ続編がありそうな状況ではあるのですが、今後の続編で彼の再登場は果たしてあるのでしょうか?

手堅いアクション映画ではありますので、その手のジャンルが好きな方は観に行く価値があるのではないでしょうか?

映画「リアル ~完全なる首長竜の日~」感想

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映画「リアル ~完全なる首長竜の日~」観に行ってきました。
乾緑郎の小説「完全なる首長竜の日」を原作とする、実写版「るろうに剣心」の佐藤健および「ひみつのアッコちゃん」の綾瀬はるか主演のSFミステリー作品です。

今作の主人公である藤田浩市と和敦美は、小学校時代の幼馴染で、現在は恋人同士の関係にあります。
同棲生活をしていて結婚まで視野に入れた付き合いをしていたであろう2人の関係は、しかしある日突然、和敦美の自殺未遂によって突然断ち切られてしまいます。
和敦美は自殺未遂から1年もの時間が経過してもなお意識が戻らず、また自殺した理由自体も全く不明。
何とか和敦美を目覚めさせたい藤田浩市は、和敦美が入院している病院の医師から「センシング」と呼ばれる先端医療機器の使用を提言されます。
「センシング」とは、昏睡状態となった患者の脳に他者が直接アクセスし、互いの意思疎通を可能にする最先端の医療機器技術のことを指します。
「センシング」の使用に際しては、患者と患者にアクセスする人間との相性も問われるようなのですが、幸いにして藤田浩市と和敦美の相性は良好だったのだとか。
今回の「センシング」の目的は、和敦美が自殺した理由と原因を明らかにすると共にその問題を解消し、和敦美が目覚める方向へと誘導すること。
そして藤田浩市は「センシング」を使い、和敦美との第1回目のコンタクトを図ることとなるのでした。

「センシング」で患者とアクセスできる時間は最大でも数時間程度。
その記念すべき最初の「センシング」で、藤田浩市は無事に和敦美の意識の中にダイブすることに成功します。
そこで彼が見たのは、住み慣れた2人の住居で一心不乱にマンガを描き続ける和敦美の姿でした。
意識の中における彼女は、自身が連載しているマンガの執筆に行き詰っているようでした。
藤田浩市は早速、和敦美に自殺未遂を図った理由について問い質すのですが、彼女は完全に自分の世界に浸りきっていて、藤田浩市の質問に回答を与えようとしません。
そして、自分が抱え込んでいるスランプを抜け出すために、幼い頃に描いた「首長竜の絵」を見つけてきて欲しいと藤田浩市に依頼するのでした。
「首長竜の絵」を見れば、和敦美の意識が戻るかもしれない。
そう考えた藤田浩市は、現実世界と「センシング」の双方で「首長竜の絵」の探索に乗り出すことになります。
しかし、「首長竜の絵」を探す過程で、藤田浩市の周囲では次々と不可解な事象が発生し始めるのです。
謎の怪現象に翻弄されつつ、藤田浩市は事の真相に迫ろうとするのですが……。

映画「リアル ~完全なる首長竜の日~」で重要なツールとして登場する「センシング」という先端医療技術は、ある種の人々にとってはまさに夢のような存在と言えますね。
何しろ、意識不明の重体にある人間の脳に直接アクセスし、様々な情報を引き出すことができるときているのですから。
意識不明の状態にある親族を長年にわたって看病・介護し続けているような家族などにとっては、喉から手が出るほどに欲しい技術ではあるでしょう。
それだけでなく、患者が暴力・殺人未遂事件等の当事者であった場合は犯罪捜査にも役立ちますし、また本人確認が必要不可欠な遺言などにも力を発揮するであろうことは確実です。
意識不明の患者だけでなく、精神病を抱え込んでいる患者相手にも「センシング」はかなりの威力を発揮しそうです。
作中の描写を見る限り、無意識の深層意識なども投影されているようなので、患者の心理状態や過去の事象を探ったりするのにはうってつけのツールと言えますし。
一方で今後の課題としては、患者および患者とアクセスする人間との間で相性が良いことが相当程度の割合で求められることにあるでしょうか。
作中でも、「センシング」が成功したというだけで周囲の医師達一同がわざわざ一斉に拍手していたりするくらいですから、アクセス者は誰でも良いというわけではなく、また成功率もあまり高くないであろうことが伺えますし。
まあ患者側からすると、全く知りもしない人間がズカズカと自分の意識の中に入ってくるというのは、プライバシーその他の問題に抵触する等の様々な問題や弊害を引き起こしかねない事態ではあるのでしょうけど。

プラスマイナスいずれにせよ、色々な事態や利益・問題が生じ得る画期的な技術ではありえるでしょうね、「センシング」という存在は。
他人の意識や夢の中にダイブして情報を引き出したり植え付けたりする、というコンセプト自体は、過去の事例でも2010年公開映画「インセプション」がありましたが、技術的にはこちらの方が現実味があるのではないかと。
「インセプション」の方は、どちらかと言えば「職人芸」的な側面の方が強調されていましたし、その使用用途も「犯罪行為を遂行するためのツール」でしかなく、汎用性が高いとは正直言い難いものがありましたから。
あちらはあちらで、今作のような使い方ができないわけではないと思うのですけどね。

今作は前回観賞した映画「オブリビオン」と同じく、物語前半と後半で主人公の立場が大きく変わることになります。
物語前半の展開全てが、実は事故で入院していた藤田浩市が外界から得た情報を元に構築した妄想の世界だった、というのは何とも凄まじく強引な展開ではありましたが(苦笑)。
ただ、その妄想世界に登場する自分以外の人物達は、外面だけで中身のないフィロソフィカル・ゾンビではなく、どう見ても普通の人間のごとき外見で意思も感情もあったわけなのですが、アレを藤田浩市は一体どうやって現出させていたのでしょうか?
作中前半の描写を見る限り、意識の世界では、人間は本人以外だとフィロソフィカル・ゾンビしかいないみたいな演出だったのですが……。
もっとも、後半判明する逆転の事実から考えると、実は「フィロソフィカル・ゾンビ」という概念自体が藤田浩市の頭の中で作り出された妄想の産物だった、という可能性も否定できないのですが。
マンガ家として自身が執筆していた猟奇作品辺りに出てきても不思議ではなさそうな設定ではありますからねぇ、アレは。
他の患者の「センシング」で同様の存在が出現している、というのであればまだしも、作中では藤田浩市以外の「センシング」実施例がないわけですし、作品世界における「フィロソフィカル・ゾンビ」の実在性については作中の描写や設定だけでは判断できないですね。

あと、物語終盤で藤田浩市と和敦美は、首長竜を相手に逃走劇を披露することになるのですが、ただ逃げるだけでなく「戦う」という選択肢はなかったのですかね?
物語前半では、和敦美(の妄想体?)がどこからともなく拳銃を持ち出してフィロソフィカル・ゾンビを撃ち殺しているシーンがあったのですから、それと同じように重火器の類を作り出したり、自分達に超人的な力を付与したりして、正面から首長竜を打ち倒すことも不可能ではなかったのではないかと。
和敦美(の妄想体?)が主張していたがごとく、所詮は「何でもあり」の意識の世界でしかないのですからねぇ。
まあ、藤田浩市にとっての首長竜は「幼少時のトラウマ」が形になったものでしたし、戦うこと自体が最初から不可能だった、ということなのかもしれませんが、あの時点では和敦美も隣にいたのですし、対抗できないこともなかったように思えてならなかったのですけどねぇ。
首長竜の形をしたトラウマに対し、藤田浩市は結局最後まで反撃どころか逃げることすらもできず、ひたすら無為無力を露呈していただけでしかなかったですし。
この辺りは、自力だけでの更生が極めて難しい精神医学の限界を表現した者でもあったりするのでしょうかねぇ。

SFミステリーと言っても、SF映画にありがちな派手な演出は全くありませんし、どちらかと言えばミステリー的な面白さを追求した映画であると言えるでしょうか。

映画「オブリビオン」感想

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映画「オブリビオン」観に行ってきました。
「ミッション:インポッシブル」シリーズ「アウトロー」のトム・クルーズが主演のSFアクション大作。
先月の2013年5月は何故か公開映画が異様に少なく、実に3週間ぶりに映画館にやってきたにもかかわらず、公開映画のラインナップが3週間前とあまり変わっていなかったことに少々愕然とせざるをえなかったですね(苦笑)。
TOHOシネマズが6月から高校生1000円サービスを始めたことと、何か関係でもあったりでもしたのでしょうかねぇ……。

映画「オブリビオン」の舞台は、2077年の地球。
この世界の地球は、60年前の2017年に「スカブ」という名のエイリアン達による侵略を受け、月を破壊された世界的規模の災害の発生と「スカブ」の攻撃によって荒廃してしまっています。
核攻撃まで交えて何とか「スカブ」との戦いに勝利した人類達の多くは、土星の衛星のひとつ「タイタン」に居住地を作り移住。
残りもまた、地球の衛星軌道上?に浮遊している「テット」と呼ばれる宇宙ステーションで地球を監視する任務に当たっており、地球は人類がほとんど住むことのない星と化していたのです。
ただ、そんな地球にもひとつの例外がありました。
それは、地上からはるか数千メートルに拠点を構え、海上に浮かぶ巨大な採水プラントを警備・監視する「ドローン」と呼ばれる無人偵察兼攻撃機を管理する2人組の存在でした。
オペレーターの女性ヴィクトリアと、今作の主人公で現場パトロール兼修理屋のジャック・ハーバー。
2人は地球での任務に従事するに際し、生き残りの「スカブ」達に囚われても情報を与えないようにするため、任務に従事する前までの記憶を完全に消去されています。
地球での任務終了を2週間後に控えた2人は、一方はその日を待ちわび、他方は地球を離れたくないと考えながら、2人以外は誰もいない世界での任務をこなしていたのでした。

そんなある日、採水プラントを警護・巡回しているドローンのうち、2つほどが消息を絶つ事件が発生します。
テットからの報告とヴィクトリアのサポートに基づいてジャック・ハーバーが急行した最初の現場は、60年前にベースボールだかフットボールだかの試合が行われていたらしいスタジアム跡地。
そこに不時着していたドローンの動力部?を交換し、まずは1台目のドローンを再起動させることに成功するジャック・ハーバー。
そして、消息を絶ったもうひとつのドローンを探し求め、今度は地下深くに埋もれている図書館の跡地らしきところにジャック・ハーバーは潜り込みます。
しかし、そこで示されていたドローンの反応は、ドローンを修復する者を誘き出すための罠であり、まんまと引っかかったジャック・ハーバーは「スカブ」達の奇襲を受けることになってしまいます。
思わぬ事態に必死で応戦するジャック・ハーバーは、ドローンの突然の来援もあり、何とか危機を脱することに成功するのですが……。

映画「オブリビオン」では、物語の前半と後半で主人公が置かれる立場と環境が180度変化します。
実はドローンを管理しているジャック・ハーバーとヴィクトリアは、元々「スカブ」の地球侵攻があった2017年に、侵略者の母艦的存在だった「テット」の調査に赴いていたのです。
その際、彼らは「テット」でおそらくは囚われの身となってしまい、自身のクローンを大量に作られ、侵略の尖兵とされてしまっていたのでした。
当然、地球でドローンの管理に当たっているジャック・ハーバーおよびヴィクトリアもまた、そのクローンの一員だったというわけです。
そして一方、彼らが「スカブ」と呼んでいる存在こそ、「テット」の侵攻によって壊滅的な被害を被った人類の生き残りだったのです。
作中のドローンは、「スカブ」どころか地球に不時着してきた宇宙船に搭乗していた冷凍状態の人間にすら平気で攻撃を仕掛けていましたが、その不可解な謎もそれで説明できるわけですね。
また物語後半では、主人公とは全く別の区画で主人公と同じくドローンの管理を行っているもうひとりのジャック・ハーバーと、そのサポートに当たっているヴィクトリアが登場していたりします。
終盤近くではドローンとの熱いバトルも繰り広げられていますし、SF的なツールを総動員して展開されるストーリーはなかなか見応えがありますね。
主人公が自分の正体と立場に気づいた瞬間に、ああまで世界が変わってしまうという事実をあそこまで表現できるというのは、ある意味凄いことなのではないかと。

一方、今作のストーリーで違和感があったのは、オリジナルのジャック・ハーバーの妻だったジェリアが、クローンのジャック・ハーバー相手に何の疑問も抱くことなく接していることですね。
作中で再会したばかりの頃はクローンの話なんて知らなかったわけですから必然であったにしても、後の方では2人のジャック・ハーバーと格闘しているシーンを彼女は直接目撃しているわけですし、終盤では自分が頼りにしているジャック・ハーバーがオリジナルではなくクローン、つまり「自分が愛したジャック・ハーバー本人」ではなかったことを理解しえなかったはずがないのですが。
確かにオリジナルのクローンなのですから、記憶自体はオリジナルと全く同じものを持ち得て当然でしょうが、しかしそれでも厳密に言えばクローンはあくまでもクローンであり、オリジナル本人ではありえないわけで。
いくらオリジナルの容姿と記憶を持っていると言っても、ジェリアにとって、クローンのジャック・ハーバーはあくまでも「他人」でしかないはずなのですが、その辺りのことを作中のジェリアは全く自覚している様子がないんですよね。
それどころか、ラストではテットと共に自爆した主人公のジャック・ハーバーの忘れ形見である娘と生活していたジェリアが、物語中盤で主人公と格闘していたもうひとりのジャック・ハーバーと再会し、2人して笑顔で見つめ合うという描写があったりします。
彼って、60年後の世界でジェリアを助けた主人公こと「技師49」のジャック・ハーバーとさえも全く異なる別人でしかないはずですし、あの時点のジェリアがそれを知らないはずもないでしょうに、何故ああまでオリジナルのジャック・ハーバーと全く同じように接することができるのか、大いに疑問を覚えざるをえないところです。
ジェリアにとって、相手がジャック・ハーバーでさえあれば、それがクローンなのかオリジナルなのかは全く問題ではなかったりするのでしょうかねぇ(@_@)。
クローンをオリジナルと混合しても良いのか?とか、結構哲学的な命題も多分に含んでいそうなエピソードではありますね、ジェリアの対応は。

トム・クルーズのファンであれば、まずは押さえておいて損はない作品ではないかと。

タイタニア4巻の突然過ぎる脱稿宣言

何と、「あの」タイタニア4巻が脱稿したとの公式発表が、らいとすたっふ公式サイドによって行われました↓

https://twitter.com/adachi_hiro/status/341378408661524480
<さきほど田中さんが事務所て、原稿用紙の束を置いていきました。大変長らくお待たせしましたが、『タイタニア』第4巻、脱稿でございます!

https://twitter.com/wrightstaff/status/341387924308373508
<『タイタニア4』脱稿しました!>

2013年3月7日時点で未だ3章が終わったかどうかというラインをうろついていたタイタニア4巻が、何とまあ突然の脱稿を迎えたものですね。
その半月後の3月24日に「原稿50枚渡しました」という報告があったのを最後に、執筆状況についての情報は途絶えていたのですが、この間、田中芳樹に一体何があったというのでしょうかねぇ。
これまでのタイタニアシリーズは1巻につき8~9章で構成されているのが常だったので、「3章まで終わったところ」というのは、実のところ「半分にも到達していない」ということを意味していたはずだったのですが。
まさか、次回のタイタニア4巻は、4~5章構成だったりするとでもいうのでしょうか?
今までの鈍重な執筆速度(半年以上でやっと1章を書く等)は一体何だったのかとか、そんなに早い執筆速度を保てるのならばさっさと書けよとか、色々とツッコミどころは多々あるのですが、まあ一ファンとしては、とにもかくにも新刊を脱稿してくれたことに喜ぶべきなのでしょうね。
……シリーズ完結巻となるであろう次のタイタニア5巻は、もはや「作者が老衰死する前に書き上がれるか?」というレベルの状況になるのは間違いなさそうですが(苦笑)。
田中芳樹の次の執筆予定作品はアルスラーン戦記14巻、その次が薬師寺シリーズの新刊で、その他にも休眠状態のシリーズはまだまだあるのですから、タイタニア5巻の執筆なんて最低でも5年はとりかかれそうにもありませんし。

さてこうなると、あとはいよいよ出版社の編集作業に全てがかかっていると言っても良い状態となるわけですが、しかし最近はこれがまた異様なまでに仕事が遅かったりするんですよね(T_T)。
らいとすたっふ公式サイドの脱稿宣言から4ヶ月以上もかけてようやく出版、とかいった事例まであるのですし。
出版社側にもそれなりの「大人の事情」がありはするのでしょうが、編集作業で出版に時間がかかるというのはちょっとねぇ……。
ここはやはり、出版社側にも奮起してもらい、可能な限り早く新刊を世に出してもらいたいものです。

テレビドラマ「ナイトライダー ネクスト」DVD1巻感想

2008年にアメリカでテレビ放映され、日本でも2012年にフジテレビの深夜枠で関東圏限定で放映されたテレビドラマ「ナイトライダー ネクスト」のDVD1巻を、レンタルで観賞しました。
あの「ナイトライダー」シリーズの正統な続編として位置づけられている「ナイトライダーネクスト」は、やはり往年のファンとしては何としても観賞したかったところで、今回ようやくそれを叶えることができました。
「ナイトライダー」の続編自体は、これ以前にも「新ナイトライダー2000」「ナイトライダー2010」「チーム・ナイトライダー」と一応それなりの数が出てはいるのですが、全く人気が振るわず知名度も皆無で、今回の「ナイトライダー ネクスト」でも、これらの話は全て「なかったこと」扱いになっていたりします(苦笑)。
設定では、「ナイトライダー」の時代から25年後の世界となる「ナイトライダー ネクスト」。
新しいナイトライダーは、果たしてどのような進化を遂げているのでしょうか?

「ナイトライダー ネクスト」のDVD1巻は、特番の2時間スペシャルが収録されています。
GM社製のトランザム仕様である「ナイト2000」に代わる新たなドリームカー「ナイト3000」と、「ナイトライダー」シリーズの主人公マイケル・ナイトの息子マイク・トレーサーの出会いとコンビが結成されるまでの物語となっています。
「ナイト3000」の正式名称は「Knight Industries Three Thousand」で、愛称は旧作と同じく各単語の頭文字を取って「キット(K.I.T.T)」。
偶然にも、ナイト2000と全く同じ略称になっているわけですね。
まあ、「Two」が「Three」に変わっただけなのですから当然のことではあるのですけど。
ベースとなっているクルマは、アメリカのフォードモーター社製のシェルビー・マスタング「GT500KR」。
旧作のトランザムと比較すると、やたらとゴツくなっている印象がありますね。

ナイト2000
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ナイト3000のベース車「GT500KR」
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ちなみに、「ナイト3000」のベース車である「GT500KR」のKRは、元々「King of Road」という意味が込められていたのですが、「ナイトライダー ネクスト」のアメリカ放映に伴い、「Knight Rider(ナイトライダー)」の意味も加えられたのだそうです。
「ナイト3000」には、「ナイト2000」の外郭を覆っていた分子結合殻に代わり、ナノマシンシステムが搭載されています。
これは「ナイト2000」同様に強靭な防御力を与える以外にも、車体の外郭・色彩・内装を全くの別物に変形させるなどの機能を兼ね備えており、旧作よりもはるかに頼もしい機能となっています。
ただ一方で、「ナイト3000」がシステムダウンしている際にはこの機能も停止してしまい、防御力が通常のクルマと同じになってしまうという問題もあります。
物語終盤では、敵にハッキングされてシステムを乗っ取られそうになったキットを守るべく、「ナイト3000」はマイクらによってシステムを一時的にダウンさせられるのですが、その後の追跡劇で「ナイト3000」は、敵がぶっ放したマシンガンによって一方的に損傷を被っていたりします。
キットのシステムが停止していても車体の防御力は健在だった「ナイト2000」に、この点だけは大きく劣ってしまっていますね。
全体的に「ナイト3000」は、超ハイテクな制御システムに依存しすぎていて、システム停止等の非常事態をあまり想定していないのではないかという感が多々あります。
今回の話だけでも、システムが敵に乗っ取られそうになっていてシステムダウンを余儀なくされているのですし、「何らかの理由でシステムが動かなくなった際の非常時」というものを、もう少ししっかり想定して然るべきではないのかと。

また意外なエピソードとしては、「ナイト3000」が実はガソリン車であるという説明が作中で行われたことが挙げられます。
実は旧作の「ナイト2000」は、燃料については曖昧なままで終わっていたりするんですよね。
一方では水素を燃料にしているという設定があるかと思えば、別のところではガソリンスタンドで給油しているシーンがあったりしますし。
これに対し今作の「ナイト3000」は、燃費調達の利便性の観点から、ガソリン車になったことが作中で解説されています。
「ナイト3000」はリッター当たり71㎞もの走行を可能にするという、プリウスも真っ青な燃費を誇っています。
もっとも、このリッター71㎞という走行距離が、最高の条件(時速60㎞かつノーブレーキで1時間走行時とか)下でのカタログスペックなのか、頻繁に止まる街中での走行を想定したものなのかまでは分からないのですが。
現実のプリウスも、カタログスペック上はリッター30㎞以上といいながら、街中の走行では20㎞いくかどうか、冬場に至っては16㎞程度がやっとというありさまだったりしますからねぇ(T_T)。
「ナイト2000」同様の超スピード走行やナノマシンシステム搭載に伴う負荷を考えれば、「ナイト3000」は相当なまでに消耗の激しいクルマではありそうなのですが。
まあ、アレだけの超高性能を誇る「ナイト3000」であれば、その辺の対策もバッチリではあるのでしょうけどね。

旧来の「ナイトライダー」ファンにとって最も嬉しい要素は、日本語翻訳版で「ナイト3000」ことキットの声を担当しているのが、旧作のキットと同じ野島昭生であることですね。
声優さんが同じだから違和感なく話に入り込みやすい、というのは確実にあるでしょうね。
アメリカ本国版のキットの声優は旧作とは全然違う人物だったのだそうで。
また今回は、旧作の主人公でデビッド・ハッセルホフ演じるマイケル・ナイト本人が、今作の主人公マイク・トレーサーの父親として物語終盤に登場し、新旧2人の主人公同士で語り合うというシーンがあります。
日本語翻訳版のマイケル・ナイトの声優も、これまた旧作と同じくささきいさおが担っています。
マイケル・ナイトは、「1人の男が世界を変えられる」という、かつて自分自身がウィルトン・ナイトに語られた言葉をそのまま息子にも話すんですね。
そして息子は父親と同様、キットを駆使して悪に立ち向かう「ナイトライダー」の道を歩むことになるわけです。
この辺りの構成は結構良く出来ているのではないかと。

「ナイトライダー」ファンお馴染みのターボブーストは今回全く出てきていませんでしたが、これは今後の話数に期待、といったところですね。
今回よりしばらく、「ナイトライダー ネクスト」の話を追っていく予定です。

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