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カテゴリー「らいとすたっふ」の検索結果は以下のとおりです。

実は教員免許を持っていた田中芳樹

https://twitter.com/adachi_hiro/status/190412214094675968
<@masumi_asano 少なくとも田中さんは小説家になれて良かったと思う。本人、教員免許は持っているんですけどね。あと、一応、大学の学部のときに在京FMラジオ局の最終面接までは行っているし。自分で辞退してるけど。>

FMラジオ局の面接の件は以前にもネタに上がっていましたが、教員免許を持っているという話は初耳ですね。
学歴にも「学習院大学文学部・国文学科卒業」とありますから、確かに持っていても不思議ではないのですけど。
だからかつて、教育問題についてこんなことをのたまっていたわけですか↓

週刊現代1987年9月26日号
<ほとんどが想像の世界の産物です。エンターテイメントで行くというのが僕の基本姿勢ですから。面白く仕立てるために、政治家や官僚を登場させたんです。もっとも、学校のこと、教育の問題に関しては、ちょっとニュアンスが違うんですが…。
(中略)
僕は就職という経験がないためか、いまだに学生気分が抜けず、学校の問題となると敏感になる部分があるんです。そのせいで、
歪んだ権力構造としての現在の日本の学校教育の姿は、これは粉砕しなければならない対象だと思うんです。やたらと校則を作り、履いた靴下の端は三つ折りにとか、下着の色は白と決めてあるからと、教師たちが女生徒のスカートを脱がせてパンティーの色を確かめるというようなことが現実にある。これは怒りをぶつける相手だと思うんです。それで、その辺はそれなりに書きこんであるわけです。>

創竜伝以来の「小説中に現実の社会評論を織り交ぜる行為」はエンターテイメントとして全く成り立ってもいないどころか、むしろ逆に作中の設定やストーリーを破壊してすらいるのですが(苦笑)、そんなタワゴトをのたまっていた田中芳樹でさえ、教育問題についてはマジだったと【自分から】認めていたわけです。
何故教育問題だけ? という疑問が以前からあったのですが、ようやく解答が得られたという感がありますね。
小説中に「現実への怒り」なんてシロモノを、しかもストーリーの本筋やメインテーマとは全く関係ない形でぶつけることに一体何の意義があるというのか、当の本人に一度聞いてみたいところではあるのですが(爆)。

それにしても、教員免許を持っているということは、田中芳樹は「教育実習」という形で短期間であるにせよ実地で教鞭を執っていた可能性があるわけですが、そうだとしたら一体どんな授業をしていたのか少しばかり興味がありますね。
創竜伝の社会評論に忠実に沿った、日教組が喜びそうな内容のカリキュラムでも披露していたのでしょうかねぇ、やっぱり(笑)。

あと、本日から銀英伝舞台版第二章「自由惑星同盟編」の東京公演が始まりますね(4月22日まで)。
第一章の時よりも話題性があるみたいですし、今回も客入りはそれなりにありそうではありますが。
熊本在住という地理的な問題もあって、私は今回も観に行くことはできないのですが、一体どんな出来なのやら。

2012年4月上旬における田中芳樹発言いろいろ

https://twitter.com/adachi_hiro/status/185914632643420160
<うちの田中さんも同じコトを言ってます。「引き出しは出来るだけ多くしておきなさい」という表現ですが。 とRT @kemo: "田中氏:  うちの若い奴には,こう言うんです。「デビューのときまでに,もの凄く大きな袋を背負っておけよ」と。..." http://bit.ly/HsdcCw

https://twitter.com/adachi_hiro/status/185917252212752385
<@yukimiz @kemo そうですね。あと田中さん語録では「自分の好きなモノだけ観ていては、結局はその好きなモノの縮小再生産にしか出来ないよ」「今までまったく知らなかった分野の専門家から話を聞くのは楽しいね」「映画は心の栄養です」なんてのが(笑)。>

なるほど、だから昨今の田中芳樹は「好きなモノの縮小再生産」しかできなくなっているわけですね(爆)。
ここ10年程の間に刊行された田中作品を見ても、「権力亡者な女性を不必要なまでに祭り上げる」ような腐臭の漂う話ばかりが幅を利かせるようになってしまっていますし。
1990年代前半頃の田中作品は、似たような傾向があってもそれでもまだ「普通に読める」者が多かったのですが、最近は本当に「見るに耐えない」レベルにまで堕しているありさまです。
田中芳樹が「強い(と自分で思い込んでいる)女性を描く」ことが好きなのは間違いなく、その「好きなモノの縮小再生産」にしか最近の作品は全くなっていないわけで。
「好きなモノの縮小再生産」でしかない今の自分の惨状を見据えた上での自戒だったのでしょうかね、この発言って(苦笑)。

そして、「映画は心の栄養です」に至ってはもう爆笑ものでしかないですね。
そんなことをのたまう人間がこんなタワゴトをかつてくっちゃべっていたとは、にわかには信じ難いのですが↓

イギリス病のすすめ・文庫版 P185~P186
<田中:
 政権交代があることを当然と思ってるところと、現実にないところではね、意識が全然違う。
ぼくは映画の「インディペンデンス・デイ」に見られるようなアメリカ人のセンスをなにかと言うと笑い話のネタにしてるけども……。(笑)
土屋:
 うん、ぼくもそうだから。(笑)>

薬師寺シリーズ7巻「霧の訪問者」 講談社ノベルズ版P104上段
<「現実世界は、ハリウッド製アクション映画の世界と、すこしばかりちがうからです」
「どうちがうのさ」
ハリウッド映画では正しい者が勝ちますが、現実世界では強い者が勝つんです」
 だからこそ、イラクやイランが国際ルールを破れば制裁されるが、アメリカを制裁できる者など存在しない。各国軍隊の戦争犯罪をさばくために国際刑事裁判所というものが存在するが、アメリカは参加していないのだ。わが祖国はといえば、もちろん親分にさからうはずもない。>

こんなごくごく一部のハリウッド映画にしか当てはまらないタワゴトを、あたかもハリウッド全体の傾向であるかのごとくのたまっている辺り、田中芳樹は確実にハリウッド映画の愛好家などではないのでしょうが、では普段は一体どんな映画を観ているというのか、是非とも知りたいところではあります。
邦画の愛好家であるようにも見えませんし、ひょっとして中国映画や韓流にでものめりこんだりしているのでしょうかねぇ、田中芳樹は(苦笑)。

https://twitter.com/adachi_hiro/status/186838236457472000
<田中芳樹さんが「もし風水が正しかったら、歴代中国王朝で、滅んだ王朝は無かっただろうね」って言ってた。 RT @akagitsuyoshi: まあ、フルシチョフぐらいになると、風水なんて鼻の先で笑いとばすわな。

田中芳樹が個人として風水を信じないのは勝手ですが、他ならぬ自分自身の作品でオカルト要素を登場させておきながら作中で迷信扱いするという、ある種の病気でも患っているとしか思えないようなことを小説内で書き殴るのは止めましょうよ。
アレだけ公衆の面前で超常現象や怪物などが跳梁跋扈している光景が大々的に展開されていながら、未だにオカルトが一般社会に認知されてすらいないという作中事実の方こそが「非科学的な怪奇現象」以外の何物でもないのですから。
ネットが飛躍的に発展して個人でも情報発信が可能となり、YouTubeなどのような動画まで一般的なものとなっている現代で、一昔前の情報統制など不可能なのですが、作中の「非科学的な怪奇現象」が一体どのようなやり方で実現されているのについて、田中芳樹には是非とも「科学的に」説明してもらいたいところなのですけどね。

田中芳樹が愛読する「日刊ゲンダイ」

社長氏のTwitterアカウントで面白ツイート発見↓

https://twitter.com/adachi_hiro/status/182722352218513408
田中芳樹さんは、笑えるネタを集めるため、と言って「日刊ゲンダイ」を愛読してる。一度、奥さんがゲンダイと間違えて「夕刊フジ」を買ったことがあって。たいして違わないじゃない、と言った奥さんに田中さんは「君はゲンダイへの愛が足りない」、と。いやいや、ふつうは愛、ないから。>

田中芳樹が「日刊ゲンダイ」を愛読しているって初めて聞きましたよ、私は。
これまでの著書で披露されてきた田中芳樹の思想傾向から考えれば、笑いのネタにしているのは「日刊ゲンダイ」の記事で槍玉に挙げられている政治家や企業などであって、間違っても「日刊ゲンダイ」の記事そのものではないのでしょうけど。
ちなみに「日刊ゲンダイ」といえば、以下のような有名なネタが掲載されたこともあったりするのですが↓

日刊ゲンダイ 2006年9月13日付記事
> 人前でブーッとやらかす恐怖におびえているサラリーマンが急増しているという。
> お腹の中のガスの発生を抑えるオナラ解消薬も売れている。
おなら恐怖症が増えているのはなぜか。まずストレス。緊張すると、唾液と一緒に空気をのみ込み、その一部が腸にたまる。便秘にもなりやすくなり、ますますガスがたまる……ああ、これも小泉失政のツケか――。

「おなら恐怖症の増大」から「小泉失政」へと話の流れを無視してでも強引に繋げるような記事を掲載するような新聞を、田中芳樹は愛読しているわけですね(爆)。
田中芳樹ががなり立てる社会評論も「日刊ゲンダイ」と似たりよったりなレベルですし、やはりシンパシーはそれなりにあるのでしょうねぇ(苦笑)。
次回の薬師寺シリーズ新刊でも、やはり「日刊ゲンダイ」を元ネタにした社会評論が盛大に開陳されたりするのでしょうか?

あと、社長氏のツイートでは「奥さん」という単語が登場していますが、実は私が知っている限り、Web上で社長氏が「田中芳樹の奥さん」について言及したのは今回が初めてだったりします。
何しろ21世紀に入って以降、「田中芳樹の奥さん」という存在は、田中芳樹サイドから「最初からいなかった」かのごとく扱われているのですからねぇ(苦笑)。
ブログ記事だけでなく社長氏の同人本を読んでみても、「田中芳樹の奥さん」に対しては一言たりとも言及された形跡がなく、それどころか今現在の田中芳樹は一人暮らしをしているとまで明言されているわけですし。
まあ「田中芳樹の奥さん」は過去の回想話として持ち出されただけで、今現在の情報が含まれているわけではないのですが。
以前は幾度となく話に出てきた「田中芳樹の奥さん」が、何故21世紀以降はここまで言及されなくなったのかについては、真相が公表されれば十中八九、ごくありふれた他愛もない話でしかないのでしょうが、田中芳樹サイドがここまで何も言及しないことが逆に興味をそそるんですよね。
下手に秘密にすれば、たとえ何ら後ろ暗い所業ではないことであっても「秘密にすること自体」によって結果的に自分の弱みになってしまう、といった主旨のことをアルスラーン戦記8巻で作中キャラクターに語らせていた田中芳樹が、自分の身内のこととなると途端に無為無用な秘密を抱えようとする辺りが何とも笑えてならないところなのですが。
別に発表しても何ら問題ないことだろうに、何故そこまで田中芳樹サイドは「奥さん」のことについて言及を避けようとするのかなぁ、と。

薬師寺シリーズ9巻の2012年3月15日時点執筆状況

https://twitter.com/wrightstaff/status/180176399456411648
<田中芳樹情報です。『薬師寺涼子の怪奇事件簿』新刊の原稿受け渡しがおこなわれました。あとひと息です。順調なら、今月中に脱稿できるかもしれません。

これまた物凄く早い進展ですね。
去年の年末時点でわずか第一章が完了していただけという進捗状況だったことを考えれば、わずか3ヶ月で飛躍的に筆が進んだことを意味するわけですから。
まあ筆が早いのは良いことですし、最近は「病気&後遺症」を口実に筆が遅くなっていた感も多々ありましたから、これはこれで歓迎すべきことではあるのですけどね。
「髑髏城の花嫁」の脱稿から半年程も一体何をしていたんだとか、そんなに早く完成するなら最初からエンジンかけとけよとか、ツッコミどころは多々あるのですが。

ただ、仮に3月中に脱稿したとしても、出版社の対応が遅い昨今の事情から考えると、著書の刊行は早くても7月~8月といったところにならざるをえないのではないかと。
まあ脱稿すれば、すくなくとも薬師寺シリーズに田中芳樹がかかりきりになるという状況から解放され、次回作「タイタニア」の執筆をいよいよ開始することができるのですから、すくなくとも今回の場合は出版社の対応自体は二の次以下の問題でしかないのですが。
極端なことを言えば、出版社が田中芳樹の原稿を全部紛失して薬師寺シリーズが流産したとしても、田中芳樹サイドや出版社としては大事件であっても読者的には大した問題ではないのですしね(苦笑)。
いっそのこと、垣野内成美女史に原作の権利を全部移譲して続きを書いてもらった方が、読者のみならず薬師寺シリーズそのものにとっても幸せなのではないかとすら思いますし(爆)。

ところで今回の薬師寺シリーズ新刊では、サーベルタイガーが何らかの形で登場するらしいですね。
社長氏がこんなツイートと画像をアップしているようなのですが↓

https://twitter.com/adachi_hiro/status/180107098888216576
<田中さんが「今度の『薬師寺…』の資料に使うんだ。」と言って持ってきたサーベルタイガーの人形。わざわざ買ってきたらしい。 http://twitpic.com/8weyi5
ファイル 566-1.jpg
ファイル 566-2.jpg

相も変わらず「オカルトに依存しながらオカルトを全否定する」という構図が繰り広げられることになりそうで(-_-;;)。
非常に不思議なことに、薬師寺シリーズにおける警察機構やマスメディアなどは、自分の目の前で超常現象が繰り広げられていてさえ、ただひたすらに「そんなことは科学的にありえない!」の一点張りだったりしますからねぇ(苦笑)。
薬師寺シリーズ4巻「クレオパトラの葬送」で、オカルトの存在がマスメディアによって世界的に報じられて以降でさえ、相変わらずの反応なのですから。
お前らの反応の方が科学的にありえないよ、と一体何度ツッコミを入れたことやら。
こういうバカな反応を何度も見せつけられると、田中芳樹はオカルト小説向きの人間ではないし、いっそミステリー小説でも書いていた方が却って良かったのではないかとすら思えてならないのですけどね。

田中芳樹が携帯電話を変える?

https://twitter.com/adachi_hiro/status/176574007796187136
田中さんに持たせている携帯電話が今年の7月22日で使えなくなるそうで、電話会社から機種変更の案内が来てる。いまは、いわゆる「らくらくホン」みたいなシンプル一辺倒のヤツを渡しているんだけど、さて、次はどうしようか。いきなりandroidというのも面白そうだが。

冗談抜きで面白そうなので、本気でアンドロイドを渡してみたらどうですか?
案外、銀英伝でテレビのリモコンを毛嫌いしていたヤンがリモコンを気に入ったようなことが起きるかもしれませんし(苦笑)。

そもそも、この情報化社会の時代に何故田中芳樹がデジタル系の機器を必死こいて忌避しようとするのか、それがそもそも理解に苦しむところなんですよね。
田中芳樹と同年齢またはそれ以上の年齢層ですら、ネットをやっている人間は決して少数派ではなくなっているというのに。
他ならぬ自分の姉でさえネットをやっているのですから、それを見習うことくらい別にやっても問題はないと思うのですが。
しかも、薬師寺シリーズのような現代物小説を書くとなると、今時の若者のライフスタイルとか流行とか、そういったものを避けて通ることは不可能に近いんですよね。
薬師寺シリーズ8巻でやっていたような「現在何が起こっているのかをネットではなく紙新聞から確認する」などという、今となっては完全無欠に非効率かつ時代錯誤な行為を、今度の新刊でも全く改めることなく作中のキャラクターにやらせるつもりなのでしょうかねぇ、田中芳樹は。
ストーリーを破壊しかねない愚劣な時事評論の類は平気で作中にぶち込むくせに。

ところで、社長氏が田中芳樹に新たに渡そうとしている携帯の今現在の第一候補はこれなのだそうです↓

イエデンワ(WX02A)
http://www.willcom-inc.com/ja/lineup/wx/02a/index.html
ファイル 554-1.jpg

これでもPHS携帯の一種で、設置が容易かつ乾電池でも動くことが売りなのだとか。
大きさは200×195×76(mm)で重量600gとのことですから、携帯としてはかなり大きい部類になってしまいますが。
日常における持ち運びが非常に不便そうですし、こんなのを持たせられたら十中八九、田中芳樹は「置き電話」として使ってしまうのではないかと思えてならないのですけどね(苦笑)。
まあ、これはさすがに社長氏の釣り的なネタ話ではないか、とは思わなくもないのですが、あの田中芳樹相手だとマジの可能性もありえるのが何とも……。

薬師寺シリーズ9巻の2012年2月時点の執筆状況

https://twitter.com/adachi_hiro/status/172828831130980352
<出社~。今日は田中さんが編集さんに「薬師寺…」の新作の原稿を(途中までだけど)渡す日。これで半分は越えたのかな……。

https://twitter.com/wrightstaff/status/172873076076322818
<田中芳樹最新情報です。『薬師寺涼子の怪奇事件簿』新作ですが、半分まで受け渡しが終わりました。ペースがつかめてきたようです。>

2011年5月下旬頃から執筆が開始されてから9ヶ月も経過してやっと半分とは、相も変わらず、その遅筆ぶりは健在のようで(-_-;;)。
この調子では、薬師寺シリーズの新刊が出るかどうか【だけ】で今年1年が終わってしまいそうですね(T_T)。
これから執筆速度を加速させ原稿執筆を早期に終わらせたとしても、今度は出版社がそれを本にして刊行するまでに3~4ヶ月前後もかかってしまうわけですし。
一体いつまでストレス解消をするつもりなのでしょうかねぇ、田中芳樹は。

しかし、田中芳樹が遅筆なのはいつものことですが、原稿を受け取った出版社の対応までもが遅くなっているというのはどうにも解せないところではあるんですよね。
実は、出版社が田中芳樹サイドより原稿を受け取ってから本を刊行するまでの時間がこれほどまでに増大したのは、ここ最近の話だったりします。
たとえば、2005年に刊行されたアルスラーン戦記11巻の場合、「らいとすたっふ」公式による脱稿宣言が行われ編集者に最終原稿が手渡されたのが8月15日だったのに対し、刊行が9月25日となっています。
また、現時点で最新刊となっている2007年刊行の薬師寺シリーズ8巻も、「らいとすたっふ」社長氏のブログを読む限りでは同年10月中旬~下旬頃に脱稿して12月14日に刊行されています。
この時期までは、脱稿から刊行までだいたい1ヶ月~1ヶ月半、遅くても2ヶ月程度の時間で進行できていたわけですね。
ところが2008年になると、アルスラーン戦記13巻の脱稿が7月10日なのに対し、著書が刊行されたのは10月10日と3ヶ月もかかるようになり、2009年刊行の「蘭陵王」に至っては、5月8日脱稿の9月26日刊行で4ヶ月以上もの時間が必要となっているのです。
脱稿5月6日で著書発売10月31日だった2011年刊行の「髑髏城の花嫁」などは、田中芳樹本人が銀英伝舞台版のニコファーレ会談で直接ネタにしていたくらいですし↓

http://www.gineiden.jp/doumei/special01f.html
司会者:
1500万部、それだけの方たちに届いていて、その中に河村隆一さんもいらっしゃったということですよね。先生、親子2代で読みましたとか、こちらこそありがとうとか、先生に対するコメントもいっぱいリアルタイムで届いていますが、なかなか小説のお仕事ではないことですよね。いかがですか?この会場(ニコファーレ・ニコニコ生放送)の感想は。
田中:
いやぁ、圧倒されまして、何かたいへんな事をしてしまったような感じが(笑)。本当にありがとうございます。ただそれしかいえません。それと、もうひとつ、画面をチラチラ見ているとあの作品はどうなったとか、あの続きはどうしたというコメントがあって、だんだんと、肩の位置が下がってくるんですけれど、
小説というのは生き物でして、これは誓っていいますが、遅らせようと思って遅らせたことは一度もございません。作品のほうが、どうしても遅れるのです(笑)。で、いま書いているのは、9月に出るはずだったのが、これはもう強調しますが、出版社の都合で10月になりました(笑)。もし店頭で見かけましたら、手にとって見ていただければ幸いです。最後までずうずうしくも申し訳ありませんでしたが、本当に改めてありがとうございました。

ここ数年の間に出版社側で何かがあったとしか思えないのですが、一体如何なる「大人の事情」でもってこれほどまでに対応が遅れるようになってしまったのか、気になるところではあります。
出版業界も「出版不況」で売上が下がっているとはよく聞くところですが、リストラをやり過ぎて熟練の編集者が減り、対応に支障が生じるようにでもなってしまったのでしょうかねぇ(-_-;;)。

出版社側の対応まで遅くなってしまうと、ただでさえ自分の遅筆を開き直ったり笑いのネタにしたりしている田中芳樹が、ここぞとばかりに「悪いのは全て出版社」と責任転嫁な自己正当化行為を展開しかねないんですよね。
実際、先述のニコファーレ会談でもそういう言動を披露していたわけですし。
田中芳樹にそんな口実を与えないようにするためにも、出版社側にも迅速な対応をしてもらいたいところではあるのですが……。

「らいとすたっふ」が銀英伝の電子書籍化を公式発表

「あの」銀英伝が、2012年3月1日より電子書籍として販売されることが「らいとすたっふ」公式サイドより発表されました。
電子書籍の名称は「らいとすたっふ文庫」、対応機種はiPhone/iPad、Andoroid搭載の携帯端末になるとのことだそうですが…↓

http://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2012/02/post-f5a4.html
>  私の会社でマネージメントをしております作家、田中さんの著作につきましては、以前より、読者の皆さまから電子書籍化の要望が数多く寄せられていました。
>  しかし、
田中さん本人が根っからのアナログ人間で、電子書籍について否定的な考えをもっていたことから、その実現は難しいとお答えしていました。
>  それに、電子書籍を取り巻く環境は、まだまだ変化が大きく、私の会社のような零細企業としては、参入には慎重にならざるを得ませんでした。
>
>  とはいえ、電子書籍には紙の本にはない多くのメリットが存在しますし、このまま紙媒体のみの流通というのも読者の皆さまの選択肢を狭めてしまうことになります。
>  この点を繰り返し、
田中さんに説明した結果、このたびついに田中作品の電子書籍版の出版が実現することとなりました。
>
>  ただ、その際の条件として「電子書籍を商売にしている会社に丸投げするのではなく、できる限り、君たちがやりなさい」と指示がありました。そのため、既存の電子書籍問屋さんとの提携ではなく、私の会社が出版元となって電子書籍の販売を行うことになりました。

正直、私は「らいとすたっふ」が田中作品の電子書籍化を推進するとは思ってもいませんでしたね。
何しろ社長氏は、2004年と2010年に、自身のブログで電子書籍に対する懸念と問題点の指摘を行っていたのですから↓

2004年
http://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2004/05/post_4.html
http://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2004/05/post_11.html

2010年
http://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2010/02/post-717b.html
http://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2010/05/post-813e.html
http://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2010/05/post-330d.html

どちらかと言えば「技術的な問題などに対する懸念表明」的なものではあったのですが、これらの記事を読んでも、社長氏自身も電子書籍導入に消極的であったことが伺えます。
それに加えて、社長氏自身も述べているように、他ならぬ田中芳樹自身がネットすらマトモにやらないレベルのアナログ人間で、かつ電子書籍導入に否定的であるという事情もありましたし。
さらには「らいとすたっふ」側が電子書籍を導入する動きをこれまで欠片も見せていなかったこともあり、田中作品の電子書籍導入は当面難しいものがあるだろう、というのが私の考えでもありました。
それだけに、今回の「らいとすたっふ」の公式発表は私も寝耳に水でした。
ブログ記事の内容を読む限りでは、今回の電子書籍導入は社長氏の方が熱心に推進していて、あまり乗り気でない田中芳樹を何度も説得して実現にこぎつけたみたいですね。
アレだけ電子書籍に懸念を表明していたはずの社長氏が、一体いつの間に自身の主張を180度変えたというというのでしょうか?
社長氏が懸念を表明していた問題点の数々も、ある程度の改善はされつつも、未だ完全な解決にまでは至っていないというのが実情だというのに。
まあ昨今の出版業界も、長く続いている不況で台所事情が苦しくなっているという話は私もよく聞きますし、稼ぎ頭であるはずの田中芳樹もさらに遅筆に磨きがかかる惨状を呈していますから、その煽りを受けて転向せざるをえなくなったのかもしれませんが。

今回の電子書籍化でまず真っ先に浮上しそうな問題点としては、その料金設定にあるでしょうね。
銀英伝の電子書籍は、以下のような料金設定で販売されるとのことですが↓

> ■予定価格帯
>
100円〜600円。
> 『銀河英雄伝説① 黎明篇』は、
450円でのリリースを予定しております。
>
> ※当社の電子書籍は、カバー絵や挿画のないシンプルなものになります。

これに対し、現在銀英伝の最新版を刊行している創元SF文庫の一般的な販売価格は、巻毎でややバラつきがありますが、だいたい770円~840円といったところです。
これを考えると、「らいとすたっふ」側の電子書籍の販売価格は、明らかに創元SF文庫、ひいては東京創元社の利害に直結するものにもなりかねないのではないかと。
価格だけを見れば、どう考えても「らいとすたっふ」の電子書籍版の方に軍配が上がってしまうのですからね。
東京創元社側にしてみれば、せっかく自分のところで扱っている貴重な金ヅルを奪われる、と解釈しても不思議ではなく、最悪、「らいとすたっふ」に対して何らかの報復措置(著書の宣伝を一切行わない、今後一切田中作品および「らいとすたっふ」所属の作品を扱わないようにするなど)に打って出てくる可能性すらありえます。
また東京創元社だけでなく、田中作品を多く扱っている講談社や光文社などでも「自分のところでも同じことをやられたら…」と危機感と警戒心を持つことになるかもしれません。
これまで色々と世話にもなっているわけですし、それら既存の出版社とは何らかの利害調整をしておかないと、正直マズイことにもなりかねないのではないかと思えてならないのですが……。

日本で電子書籍がなかなか広まらない理由のひとつに、既存の出版社および印刷会社による既得権益死守がある、というのはよく聞く話です。
電子書籍は紙媒体に比べて利益率が低く儲けが少ない上、印刷会社などは仕事を取られてしまうことにもなりかねません。
だから大手出版社などでは、電子書籍を全く作らないか、作っても料金設定を意図的に高くしたり、購入手続きをわざと煩雑にしたりするなどして、既得権益を侵害しない範囲内で電子書籍を普及させようとするわけですね。
正直、良い傾向であるとはとても言えたものではないのですが、彼らも自分達の生活がかかっているのですから必死にならざるをえないわけで。
その意味では、「らいとすたっふ」の今回の価格設定の試みは、やり方によってはそういった電子書籍のあり方に一石を投じるひとつの社会実験にもなりえるかもしれません。
今後一体どうなるのか、予測がつかないところではあります。

しかしまあ、大手出版社の電子書籍に対する態度にも問題があるにしても、だからといって「らいとすたっふ」サイドのやり方が褒められたものであるとは到底言えたものではないのですけどね。
銀英伝の再販ってこれで通算何回目なのでしょうか?
私が知っているだけでも、最初の徳間ノベルズから徳間文庫、徳間デュアル文庫、創元SF文庫へと移転してさらに今回の電子書籍化ときているのですけど。
特に、徳間デュアル文庫で銀英伝が再販、それも各巻を2~3冊に分割して刊行するなどというアゴキな手法が取られた際には、「ファイナルバージョン」などと銘打たれてまでいたはずでしたよねぇ(苦笑)。
今でも「アレは一体何だったのか?」と思えてならないのですが(爆)。
田中芳樹と「らいとすたっふ」のこれまでの所業を鑑みると、今回の電子書籍化もまた、一連の再販戦略の延長線上で行われているようにしか見えないところがまた何とも言えないところでして(-_-;;)。
もちろん、「らいとすたっふ」はあくまでも営利企業であり、慈善事業で作家のマネージメントをやっているわけではないのですから、「企業として金儲けのことを考えて何が悪い!」とは当然主張するでしょうし、違法行為に手を染めているのでもなければ、それが悪いことだとは私も思いません。
しかし田中芳樹は、かつて己の著書でこんなことを述べていたはずなのですけどねぇ↓

イギリス病のすすめ・文庫版 P215~P216
<土屋:
 それともう一つ、日本はイギリス病を輸入しないといけないね、イギリス病にかからないといけないんじゃないか、それは
やっぱり「美しく老いる」ことなんだよね。その渦中にあったイギリスは、美しいなんて思ってられなかったと思うけどね。覚悟はあったとしてもいきなりのイギリス病だったし。……でも、今になってみると、やっぱりああいうふうに停滞をするということ、停滞をしなくちゃいけないということ……要するに、「進歩し続けることが唯一の道」みたいな考え方を、どこかで転換させなきゃいけないんじゃないか。かといって退化しろというわけじゃないけどさ。(笑)もともとそれは無理だしね。退化するわきゃないし、退化できるわけがないけど。
田中:
 永遠に全力疾走できるわけはないのに、そう思って走ってきて、一度でも転ぶともうレースに参加できない、という感じでずっとやってきたから
……やっぱりこれは「イギリス病のすすめ」ってのがいいかもしれない。少なくとも歩くとか休むとかっていう選択ができるようにしておきたいですね。
土屋:
 だからね、
貧乏になろうよ、国を挙げて貧乏になりましょうよ、って。おれは貧乏だけどね。(笑)
田中:
 
日本全体がもともと貧乏だったんだし。(笑)ちょっときれいごとすぎるけど、「清貧」って言葉もあるくらいだから。日本人自身も、そのほうが気楽かもしれない。
土屋:
 金持ちだから世界中で悪いことやるわけで、「貧乏になりゃあいいじゃないか」ってね。>

他人様に対しては「美しく老いよう」「貧乏になりましょうよ」などというタワゴトに全面同意して一緒にお説教までしておきながら、自身は金儲けに邁進するって、それはいくら何でも自分勝手が過ぎるのではないかと。
「らいとすたっふ」のなりふり構わぬ金儲け至上主義的な企業戦略を見て、「美しく老いよう」「貧乏になりましょうよ」とはほんの少しでも思ったことがないのでしょうかねぇ、田中芳樹は(爆)。
「らいとすたっふ」は銀英伝のみならず、他の田中作品についても「電子書籍化」という名の下に金儲けの道具としてとことんまで使い倒すつもりのようですし、田中芳樹の価値観的には今の「らいとすたっふ」にこそ「イギリス病のすすめ」が必要なのではないのかなぁ、と(笑)。

何故手書き原稿を「直接手渡し」しなければならないのか?

https://twitter.com/adachi_hiro/status/160131194556653568
<今日は田中さんの原稿受け渡しで、某K談社の編集さんが来社されることになってる。こんな天気で本当に気の毒。田中さんが手書き原稿なのは仕方ないけど、毎回、編集さんに来て貰うことはナイよなあ。FAXだってあるんだし。むぅ。>

え?
講談社の編集の来社目的が「原稿をもらうこと【だけ】」で、かつ講談社側に「原稿は直接手渡しで貰うこと」とかいった類の社内ルールがあるわけでもないのであれば、原稿引渡についてはそれこそ「らいとすたっふ」側の方こそが配慮しても良いはずなのでは?
田中芳樹から原稿を受け取った社長氏なり他の「らいとすたっふ」社員なりが、原稿をスキャナにかけてPDFないしは画像ファイル化してメールするなりFAXするなりすれば、簡単に手間暇を省くこともできるはずでしょうに。
また実際問題、原稿の元本を自分の手元に置いておいたりデータ化したりしておけば、出版社側で原稿を紛失したり著作権絡みで揉めたりした際にも「保険」として機能するのですから、セキュリティの観点から言ってもそうするべきなのではないのかと。
出版社側の原稿引渡事情を調べてみても、「原稿は直接手渡しで作家から貰わなければならない」といった類の絶対的なルールが存在しているわけでもないようですし↓

http://shuppan.sunflare.com/essays/akibayashi_04.htm
>  作家や、いわゆる「もの書き」の人たちとおつきあいをしていると、いろいろな経験をします。この人たちは文章を書くことが仕事であり、また生きがいでもあるのでしょう。
>
>  いまは
作家から原稿を受けとるといっても、パソコンのメールだったりCDだったり、ファックスで送られてきたりで、手書きの原稿を受けとることはほとんどなくなってしまいました。紛失して社をあげて大騒ぎをする心配はなくなりましたが、私が現役で編集の仕事をしているころは、作家の家を訪ねて、万年筆などで書かれた原稿を受けとるときは、胸がふくらんだものでした。

もちろん、「原稿引渡」はあくまでも「ついで」であって、作家も交えて何らかの打ち合わせをするのが本来の主目的、という場合であれば、編集が来社したり、逆に作家側が出版社に赴かなければならなかったりすることは当然あるでしょう。
携帯電話やメールなどの連絡手段がどれだけ発達しても、「顔を合わせての打ち合わせ」の必要性がなくなることはないばかりか、場合によってはむしろ却って重要性を増したりもするのですから。
しかし社長氏の発言では、出版社の編集は「原稿を受け取ること【だけ】」を目的に「らいとすたっふ」へ来社しているケースが少なくないようなのですけどねぇ(-_-;;)。

あるいは、「らいとすたっふ」側も出版社側も原稿引渡の手間を簡略化したいとは思っているが、作者である田中芳樹自身が「原稿の直接受け渡し」に妙なこだわりを持っていて変革を断固拒否している、という話だったりするのでしょうか?
「イギリス病のすすめ」のあとがきで「自分が小説家であるということに妙なこだわり」を持っていると披露していたり、この情報化社会の時代にパソコンにも携帯にもあまり触れようとせず手書きの原稿執筆に固執したりしている諸々の事例を鑑みる限りでは、いかにもありえそうな話ではあります。
ただそれにしても、そんなことにこだわって何になるのかという問題もありますし、セキュリティの面でも非合理としか評しようのない話ではあるのですが……。

あと、現在執筆中らしい薬師寺シリーズ9巻は、どうやら講談社から出版されるらしいですね。
これまでは出版社の名前が公になっていませんでしたし、薬師寺シリーズは複数の出版社にまたがって刊行されているので、どこの出版社から出るのかについての情報が不明だったのですが。
前回の原稿引渡が去年の年末だったことを考えると、2回目のそれはまたずいぶんと早いですね。
ただ、去年の銀英伝舞台版ニコファーレ会談で田中芳樹は「現在第四章を執筆中」と述べていましたので、ひょっとするとそこまでの原稿が「引き渡しても良い」段階にまで何とか到達した、ということなのかもしれませんが。
もっとも、ただでさえ「遅筆作家」の勇名に恥じない遅れっぷりな上、ストレス解消に半年以上も無駄に費やしていることになるわけなのですから、まだまだペースを上げてもらわないと読者&出版社的には困るところではあるのですけどね。

創竜伝や薬師寺シリーズは「自分で納得のできる作品」なのか?

https://twitter.com/adachi_hiro/status/159063321834815489
<@ogawaissui 田中さんがよく言っている言葉は、「いま書いている作品が遺作になる覚悟」ということ。続けて「作品の評価は他人に任せるしかないけど、自分で納得のできない作品は残したくない」とのことです。>

……いや、言っていること自体は立派だと思うのですけど、じゃあ田中芳樹的には「あの」創竜伝や薬師寺シリーズなどが「自分で納得ができる作品」ということになるのでしょうか?
内容自体が徹底的に破綻しまくっている上に論の一貫性や整合性も全く顧みられていない場当たり的かつ余計な時事評論を作中に挿入しまくり、ストーリーの流れを阻害しまくった挙句、肝心要の物語構成&設定も支離滅裂かつ矛盾だらけと、まるで良いところを見出しようのないアレらの作品群が?
薬師寺シリーズ8巻なんて、執筆当時の安倍内閣&麻生氏憎しで書き綴ったのが祟って、発刊した瞬間から内容的に時代遅れな産物と化してしまっていましたよね?
普通だったら、必死こいて自分自身を説得しようとしても到底納得なんて出来るものではないと思うのですけどねぇ、あんなシロモノでは。

それに、最新刊であるはずの「髑髏城の花嫁」でさえも、過去の作品と比較してこれと言った違いがまるで見当たらないのですけど。
創竜伝にも登場したようなイギリス礼賛論があるかと思えば、薬師寺シリーズにも見られた「オカルトに依存しながらオカルトを全否定する」構図もしっかりブチこまれており、何より主人公の女性キャラクターはあたかも金太郎飴のごとく薬師寺涼子そっくりな性格をしていますし。
「いま書いている作品が遺作になる覚悟」とやらは、すくなくとも作品の品質を上げる方向にはまるで機能していないとしか言いようがないのですが。
ああいうのを自分で書いていておかしいとは思わないのでしょうかねぇ、田中芳樹は。

本当に「いま書いている作品が遺作になる覚悟」で「自分で納得のできない作品は残したくない」というのであれば、すくなくとも創竜伝と薬師寺シリーズを書くのだけは止めた方が確実に良いだろうと思えてならないのですが。
あんなのが「遺作」になるなんて、「晩節を汚す」以外の何物にもなりようがないのですから。

薬師寺シリーズ9巻の2011年末時点の執筆状況

https://twitter.com/wrightstaff/status/151127836617478144
<田中芳樹の新作『薬師寺涼子の怪奇事件簿』、本日、第一章をお渡ししました。まだ先は長いですが、まずははじめの一歩です。>

……は?
確か銀英伝舞台版のニコファーレ会談で、当の田中芳樹本人が以下のようなことを述べていませんでしたっけ?

http://www.gineiden.jp/doumei/special01c.html
司会者
> 本当に田中芳樹先生に生の時間を共有していただくということは貴重な機会であると思うんですが、先生、ニコニコ生放送、ニコファーレに来るというのは初めてですよね?

田中芳樹
> はい。初めてです。本当は今頃は机に向かって、
ある作品の第四章を書いているはずなんですが、そちらはちょっと置いておいて。

「ある作品」って薬師寺シリーズ以外にありえませんよね。
「らいとすたっふ」の社長氏が公表している執筆スケジュールを見ても、現在執筆しているのは薬師寺シリーズなわけですし、社長氏ツイートでも「髑髏城の花嫁の次は薬師寺シリーズ新刊」だの「現在薬師寺シリーズ執筆中」だのと語られていたりするのですから。
そもそも、薬師寺シリーズ新刊の執筆を始めたのが2011年5月で、それから既に半年以上も経過しているにもかかわらず、それだけ時間をかけても実際に完成しているのが未だ第一章だけって……。
ニコファーレ会談の「第四章執筆中」でさえ、私は遅いと思ったくらいだったのに、どれだけ執筆速度が遅いのでしょうかね、田中芳樹は。
ニコファーレ会談の発言を聞いた際には、「執筆開始から(ニコファーレ会談時点で)5ヶ月近くも経過したわけだし、当然一章~三章は既に執筆を終えているのだろう」と普通に私は考えていたくらいなのですけどね。

ニコファーレ会談での発言と「らいとすたっふ」公式のツイート内容のズレについては、田中芳樹が二章と三章を執筆途上で一旦飛ばして四章を書いていた可能性も考えられますから、必ずしも矛盾や不整合とは断じえないのですが、それにしても想像以上に遅すぎる進行です。
一章が完成するだけで半年以上もかかるということは、作品全体の章の数は8~9といったところでしょうから、完成までには単純計算で実に4年以上もかかることになってしまいます。
章が進むにつれて執筆速度が早くなると考えても、こんな調子では、来年も薬師寺シリーズの新刊1冊だけで新作刊行が終わってしまうように思えてなりませんね(T_T)。
それどころか最悪、来年の刊行数ゼロで、新刊刊行が再来年以降にまでズレ込む可能性すらも、完全にないとは言い切れないわけですし(-_-;)。
たかが「ストレス解消」ごときにいつまで時間をかけるつもりなのでしょうかね、田中芳樹は。
そのくせ一方では、垣野内成美女史による薬師寺シリーズのオリジナルストーリーマンガ「SP3薬師寺涼子の怪奇事件簿短編集」のカバーで、こんなことをのたまっていたりしますし↓

> オリジナル短編が
> 面白いので、
> 編集サンに言ってみました。
>
「もう原作はいらないのでは?」
> 返事は「このごろ節電で
> 夜道が暗いですね。
> 気をつけてください」、
> どういう意味でしょうか?

田中芳樹的にはいつもの悪ふざけやギャグのつもりなのかもしれませんが、例によって例のごとく己の遅筆ぶりについて全く自覚がない能天気な発言としか評しようがありませんね。
すくなくとも私は薬師寺シリーズの新刊なんかに全く期待などしていませんし、むしろ冗談抜きで「原作なんか要らないから、垣野内成美女史に著作権ごと作品を売り飛ばせ」と結構本気で考えてすらいるくらいなのですが。
どうせ田中芳樹には既にパチンコに自分の作品を売り飛ばした前科もあるわけですし、当の薬師寺シリーズおよび作中の登場人物達にとってさえも、垣野内成美女史に執筆を続けてもらった方が、現実世界の出版社&読者も含めて現状よりはるかに幸福になるというものでしょう。
田中芳樹ではせいぜい「強者に媚び弱者に居丈高な権力亡者の化け物」としてしか薬師寺涼子を描くことができないわけですし、それ以前に連載が続かないのですから。
ただ当の田中芳樹にそれを実行する気配が全く垣間見られない上に、執筆スケジュール上、薬師寺シリーズの新刊が完成しないと次のタイタニア4巻執筆に着手しないであろうことが確実だからこそ、「さっさと書けよ」と言わざるをえないわけで。
当人が捨てたいというのであれば本当に捨てて欲しいのですけどね、薬師寺シリーズなどというゴミ作品は。

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