映画「終の信託」感想
映画「終の信託」観に行ってきました。
朔立木原作の同名小説を、草刈民代と役所広司が「Shall we ダンス?」以来16年ぶりに共演し、終末医療のあり方をテーマとした、周防正行監督の制作によるラブストーリー作品。
作中には不倫関係の男女が絡み合うシーンと、末期患者が発作を起こして激しくもがき苦しむ描写が存在することから、今作はPG-12指定されています。
物語冒頭は2004年(平成16年)11月、今作の主人公である折井綾乃が、検察から呼び出しを受けて検察庁へと出頭するところから始まります。
予定では3時から検察官との面接が始まることになっていたのですが、面接を担当するはずの検察官・塚原透は、折井綾乃が予定よりも30分早く来ても面接しようとしないどころか、3時を過ぎてさえも面接を始めようとしません。
その間、ずっと待たされ続けていた折井綾乃は、今回自分が呼び出された発端となった事件を回想するのでした。
事件の発端は1997年(平成9年)の天音中央病院。
同病院の呼吸器内科に勤務していた折井綾乃は、エリート医師として患者や仕事仲間の看護師から慕われている一方で、同僚の医師で既婚者である高井則之と不倫関係にありました。
その日の夜も、無人の部屋で密かに出会い、不倫セックスを始めて夜を明かす2人。
翌日、10日ほどの出張に出かけるという高井則之に対し、折井綾乃は空港で見送ると主張するのですが、高井則之は「俺達の関係がバレたらどうするんだ」と拒否の姿勢を見せます。
しかし折井綾乃はどうしても高井則之を見送りたかったようで、ひとり密かに空港へと向かい、高井則之と接触しようとします。
ところがそこへ、高井則之へ駆け寄るひとりの女性の姿が。
その女性は高井則之の妻ですらなく、折井綾乃は彼が複数人の愛人を囲っていて自分もそのひとりに過ぎなかったという事実を知ることになります。
高井則之が出張から帰ってくると、折井綾乃はこの件について問い質し、一体いつまで待てば今の奥さんと離婚して自分と結婚してくれるのだと主張します。
しかし、それに対する高井則之の返答は「俺、結婚するなって言ったっけ?」という何とも酷薄なシロモノ。
高井則之の態度に絶望せざるをえなかった折井綾乃は、その後、病院の宿直室で睡眠薬を飲んで自殺未遂を図ろうとします。
場所が病院だったこともあり、苦しみながらも一命を取り留めることはできた折井綾乃でしたが、このことは当然のことながら高井則之の耳にも入り、彼はベッドで横たわっている折井綾乃に対してこう言い放つことになります。
「自殺未遂で俺をこの病院から追い出したかったのか? そんなことをしなくても、俺は間もなくこの病院を離れることになっていたのに」
と。
不倫相手にも捨てられ、いよいよすべてを失い失意のどん底にまで落ちてしまった折井綾乃。
そんな彼女を救ったのは、彼女が担当医をしていた江木泰三という重度の喘息患者と、彼が貸した1枚のCDに収録されていたジャコモ・プッチーニ作曲のオペラ「ジャンニ・スキッキ」のアリアでした。
この曲に感動した折井綾乃は、医師として江木泰三と接する傍らで、「ジャンニ・スキッキ」のアリアについて語り合い、2人の間には強い信頼関係が構築されることになります。
しかし、江木泰三が患っていた喘息は日を追うにつれて改善されるどころか重くなる一方であり、彼は病院を入退院する日々を繰り返すことになります。
そんなある日、折井綾乃は退院していた江木泰三と川の土手で再会し、江木泰三から、
「これ以上、妻に治療費のことなどで迷惑をかけたくない。もし、自分がいざという時には、早く楽にしてください」
と懇願されることになるのですが……。
映画「終の信託」は、終末医療のあり方がテーマということもあり、今の医療現場の実態および尊厳死の問題、さらには尊厳死を巡る検察の認識および尋問手法などについて鋭く描いています。
特に、検察官として尊厳死を断行した女医を「殺人罪」として糾弾する、大沢たかおが扮する検察官・塚原透は、なかなかにムカつく嗜虐的な悪役ぶりを作中で披露していました。
家族および折井綾乃の証言を元に、検察の都合が良いように口述作成させた調書を作成してみせたり、調書にサインすれば帰すと言わんばかりの口約束をしておきながら、折井綾乃が不満ながらもサインするや否や再度の尋問に入ったり、相手を人格的に罵倒したり挑発したりして「尊厳死させた」という言質を取るや否や、したり顔で「殺人罪として逮捕する」と通告したりと、その悪役としての怪演ぶりには目を見張るものがあります。
作品としてではない意味で全く救いようがないのは、作中で描かれているこの検察官の尋問手法の実態が、決して架空のありえない話などではなく、現実にも実際に行われている所業であるという点です。
ちょうどリアルでも、コンピュータウィルスによるパソコンの遠隔操作問題で、警察が全く無関係の人間を誤認逮捕した挙句に「犯行」を自供させていたなどという事件があったばかりでしたし↓
遠隔操作ウイルス事件
> IPアドレスによる捜査に対してパソコンによる遠隔操作という新しい手法に対処する必要性、パソコンを遠隔操作されて逮捕されて被疑者とされた2人に対する取り調べで無実の罪を認めてしまうなど捜査機関の取調べについても問題が提起された。
極めて皮肉なことに、今作は時節柄話題となっている検察や警察の尋問手法の問題についてまで鋭く問題提起することになってしまったわけです。
また、尊厳死ではないのですが、警察が医療過誤による患者死亡を理由に、現職の医師を業務上過失致死罪や医師法21条違反の容疑で逮捕し、起訴まで行った裁判というのも実際にあったりするんですよね↓
ちなみにこの裁判、検察は求刑からして禁固1年・罰金10万円などという茶番じみた軽いシロモノで医師の有罪を訴えようとした挙句、その主張すらことごとく通らずに無罪判決を迎えるなどという、検察的には「史上最悪の恥」「黒歴史」以外の何物でもない無様な結末に終わってしまう惨状を呈していました。
通常の医療過誤ですらこんな愚行を平然とやらかすような警察や検察であれば、尊厳死に関する作中のような定規杓子な判断をやらかしたとしても何の不思議もないでしょうね。
検察官・塚原透のあまりにも頭がコチコチすぎる醜悪な見解の披露の数々が、しかし「現実にありえない」と断じられずに一定のリアリティを伴っているという事実それ自体が、現実における尊厳死のあり方や検察・警察の歪みを象徴しているとも言えるのですが。
ただ、作中で少々疑問に思わざるをえなかったことが3つあります。
ひとつは「塚原透は何故折井綾乃に調書へサインさせた時点で逮捕を宣言しなかったのか?」という点です。
塚原透が口述で作成させた調書の中には、折井綾乃が江木泰三への尊厳死実行に際し、「致死量に達する薬を与えた」という表現があり、実はあの調書を折井綾乃に同意させた時点で彼は折井綾乃への「殺人罪」容疑での逮捕が充分に宣言できたはずなんですよね。
塚原透にとっての勝利条件は「折井綾乃に江木泰三への【殺意】を認めさせ殺人罪で逮捕すること」であったはずであり、その勝利条件を満たした状態で更なる「殺人罪」認定のための尋問をわざわざ進めなければならない理由自体がありません。
一度調書にサインさせた以上、彼の「勝利」は既に揺るぎないものになっていたはずであり、その時点でさっさと折井綾乃を逮捕勾留させても、検察側の視点的には何の問題もなかったはずでしょう。
実際、前述の遠隔操作ウイルス事件などは、自分達に都合良くでっち上げた調書を被疑者にサインさせる、というのが警察や検察にとっての最終的なゴールでもあったわけですし。
あれ以上の尋問は折井綾乃はもちろんのこと、塚原透自身にとってさえも全く意味のないシロモノでしかありません。
尋問自体は逮捕後も20日にわたって行われていたようですが、それはあくまでも「事実確認を行うため」のものであって「殺意を認めさせるため」の内容ではないのですから、全く意味合いも違ってくるでしょう。
これを合理的に説明できる理由があるとすれば、それは「塚原透個人のサディスティックな嗜虐性を満たすために職権を乱用していた」以外にはありえないのですが。
そして疑問に感じた2つ目は、塚原透が折井綾乃を「殺人罪」で逮捕させ連行させるラストシーンと、それ以降に語られるモノローグの内容があまりにも乖離しすぎていることです。
ラストのモノローグでは、逮捕されて以降の折井綾乃の動向が語られているのですが、そのモノローグの中では、彼女は「殺人罪」で起訴されたものの、江木泰三が残していた61冊もの喘息日記が遺族によって裁判所に提示され、その中の最後のページで「折井綾乃に全てをお任せします」という文言が書かれており、それが「リビング・ウィル」として裁判所から認められたと綴られているんですよね。
「リビング・ウィル」というのは、終末医療における患者の意思を表すもので、尊厳死を行う際の患者本人の意思を確認するための文書や遺言書などのことを指します。
この「リビング・ウィル」については、作中で行われた塚原透の尋問の中でも言及されていて、彼は江木泰三の「リビング・ウィル」がないのを良いことに折井綾乃の行為を「殺人罪」呼ばわりしていたわけです。
ところが、モノローグの中で「リビング・ウィル」の文書が見つかり裁判所に認められたということは、つまるところ塚原透の主張を構成する前提条件そのものが崩壊してしまっていることをも意味するのです。
この時点で、作中における塚原透の主張は、その大部分が意味を為さなくなってしまうことになるのですが、何故作中ではこれほどまでに重要な部分をモノローグだけで簡単に済ませてしまったのでしょうか?
むしろ、この部分をこそラスト部分でメインに据え、塚原透の主張が根底から瓦解して彼がヒステリックに慌てふためくなり論点逸らしに終始するなりといった様を描写し、それによって検察の横暴ぶりと、それでも有罪判決が下される理不尽さを表現していった方が、演出的にもより良いものとなりえたのではないのかと。
そもそも、あの検察室の密室では、尊厳死の正当性・妥当性を論じる場としてはあまりにも不適格であると言わざるをえないのですからなおのこと。
あの塚原透が「最初から有罪ありき」で折井綾乃に相対していたことなんて、誰の目にも最初から分かり切っていたことなのですしね。
今作がテーマのひとつにしているらしい「検察室での尋問の実態」も、前述のように「調書にサインをした時点で問答無用に逮捕勾留」で問題なく表現できるのですし、その後の舞台を裁判の場に移していた方が、却って双方痛み分け的な結末へ持っていくことも可能だったのではないかと。
あのラストでは、「話の分からない悪意ある横暴な検察は最強にして最高!」的なイメージがどうにも拭えませんし、ストーリー的にもすっきりしない部分が多々残ってしまったものなのですけど。
そして最後の3つ目は、「結局、折井綾乃が引き起こした尊厳死問題を警察にタレ込んだのは一体誰?」という点。
実は折井綾乃が江木泰三の尊厳死問題を引き起こしたのが2001年(平成13年)だったのに対して、それが検察の目に止まり塚原透が折井綾乃を呼び出したのが、それから3年も経過した2004年(平成16年)なんですよね。
何故3年も経過した後に問題になるのかも疑問なのですが、結局、折井綾乃を訴えた人間の存在は作中でも全く明示されることがなく、「エリート医師としてのし上がった折井綾乃に反感を抱く人間の仕業なのではないか?」という推測が登場人物の口から語られていただけでした。
遺族が61冊の喘息日記を裁判所に提出したために「リビング・ウィル」が認められたという経緯を鑑みても、遺族が賠償金欲しさに画策したというわけでもないみたいですし。
作中における遺族の様子を見る限り、意志薄弱で誰かに煽動され操られている風な印象ではあったのですが。
私はてっきり、不倫問題で折井綾乃と一悶着あった高井則之が、その後自分の不倫がバレて離婚された上に社会的地位を失った腹いせに執念深く調査を行い一連の所業を画策したのではないか、とすら考えてしまったくらいでした(^_^;;)。
ミステリー的な視点で見ると、彼以外に折井綾乃に恨みを抱くであろう人間が作中には全く登場していないのですし。
ただ、1997年頃に「間もなくこの病院を離れることになる」と明言していたはずの高井則之が、2001年にあの病院に在籍していた可能性は非常に低く、物理的にそんなことが可能なのかという問題があるので、彼への嫌疑は証拠不十分と言わざるをえないところなのですけど。
まさか、あの塚原透が、あの初対面時まで一切面識のなかった折井綾乃を最初から陥れることを目的として一連の逮捕劇シナリオの絵図面を描いていた、などという陰謀論もはなはだしい舞台裏はいくら何でもないでしょうし。
誰が、如何なる動機に基づいて、作中のごとく折井綾乃を陥れようとしていたのか、この辺もしっかり描いて欲しかったところなのですけどねぇ。
尊厳死にまつわる偏見や誤解などとも絡めていけば、この辺だけでも結構面白い人間ドラマが展開できたかもしれないのですし。
作品のテーマ自体は充分に見応えのあるものだったのですが、後半部分の折井綾乃と塚原透とのやり取りが結構重い上に鬱々な展開だったりするので、見る人によっては後半の展開にいささかウンザリすることもあるかもしれません。
一方ではそれだけリアリティがある、ということもでもあるのですが。
今作を観賞する際には、一定の心構えを持って臨むのが良いかもしれません。