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カテゴリー「映画観賞関連」の検索結果は以下のとおりです。

映画「イノセンス・オブ・ムスリム」の出演者が製作者を提訴

イスラム諸国で反米暴動が頻発する発端となった映画「イノセンス・オブ・ムスリム」に出演していた女優が、制作者に対し損害賠償を求める訴訟を起こしたようですね。
映画の内容を詐称して映画出演させたことで精神的苦痛を受けたからなのだそうで↓

http://megalodon.jp/2012-0920-1908-32/sankei.jp.msn.com/world/news/120920/mds12092011460001-n1.htm
>   イスラム教預言者ムハンマドの侮辱映像に出演した女優シンディ・ガルシアさんが19日、制作者に古代エジプトの冒険映画だとだまされて出演し、精神的苦痛を受けたとして、損害賠償を求める訴えをロサンゼルス郡地裁に起こした。
>
>  動画投稿サイトに掲載された映像を閲覧できなくするよう要請したのに拒否したとして、同サイトを運営するグーグルにも損害賠償を求めた。それぞれ具体的な損害額は明示していない。
>
>  訴状によると、ガルシアさんは制作者による役者募集の広告に応じて出演。使われた台本にはムハンマドを侮辱する内容はなかった。
映像には出演者のせりふを撮影後の編集で入れ替えた形跡がはっきりと残っている。映像が注目を集めるようになった後、ガルシアさんには「殺害する」との複数のメッセージが届いたといい、女優としての名誉を傷つけられたと訴えている。(共同)

映画「イノセンス・オブ・ムスリム」の出演者達が偽りの映画内容に基づいて撮影に臨んでいた、という話は以前にもありましたが、とうとう来るべきものが来たという感じですね。
「イノセンス・オブ・ムスリム」に出演した俳優さん達は、結果的に芸歴に傷をつける羽目となってしまったわけですし、元々訴訟大国であるアメリカで被害者達が泣き寝入りするはずもなかったのですが。
制作者は製作者で、セリフにわざわざ手を加えていたりする辺り、最初から確信犯で反イスラム教な映画を作ったのか明々白々なわけですし
利益を度外視し、訴えられるリスクを犯してまで、そんな映画を作らなければならないものなのかと。
宗教的なイデオロギーに基づく動機なのでしょうが、日本人的には何とも異様な映画製作の実態ではあります。
ここまで話題になると、逆に見てみたい気もしないではないのですが、日本ではやはり無理な話なのでしょうねぇ(T_T)。

ハリウッド映画版「ゴジラ」がまたしても制作されることが決定

ハリウッドで日本映画の「ゴジラ」がまたもや制作されることになったようですね。
しかも今度は3Dにまでなるのだとか。

http://www.cinematoday.jp/page/N0046041
>  [シネマトゥデイ芸能ニュース] 7月12日から15日までカリフォルニア州サンディエゴにて開催されていたコミコンで、告知なしに予告編を紹介し話題となったハリウッド版映画『ゴジラ』が3Dで制作されることが明らかになった。全米公開日も、2014年5月16日に決定し、制作が本格始動しているという。
>
>  今回のハリウッド版『ゴジラ』でメガホンを取るのは、『モンスターズ/地球外生命体』を手掛けたギャレス・エドワーズ監督。ハリウッド版『ゴジラ』には、1998年にローランド・エメリッヒ監督が手掛けた映画『GODZILLA ゴジラ』があるが、こちらは「ゴジラがまるでイグアナのよう」と不評を買うことに。エドワーズ監督は、コミコンで制作を発表した際、「(ゴジラによるパニックが)実際に起きたらどうなるか、現実的に描きたい」と語っており、その手腕に注目が集まっていた。
>
>  Hollywood Reporterによると、今回、共同で映画を製作するワーナー・ブラザーズとレジェンダリー・エンターテインメントは、
「キャラクターを原点回帰させ、リアリティーのあるアクション映画にする」とコメントを発表。さらに、「3Dカメラを使って撮影するのか、撮影後に3D変換をするのかはいまだ決定していない」と補足した上で、3D映画とする予定であることを明かした。果たして今度の“ゴジラ”は日本人も納得するものとなるのか? 完成を待ちたい。(編集部・島村幸恵)

1998年公開映画「GODZILLA」における酷評の嵐で、ハリウッドは懲りていたのではなかったのですかねぇ(苦笑)。
「GODZILLA」の内容そのものはそこまで悪いものではなかったのに、「ゴジラ」を名乗ったのが災いして酷評を受ける羽目になったのですし。
あの映画は、ハリウッドで怪獣映画が製作されにくくなった遠因にまでなっていたりするのですが、そこまでして「ゴジラ」にこだわらなければならない理由が、ハリウッドにはあったりするのでしょうかね?
また原作レイプな「ゴジラ」が出てこようものならば、全世界から失笑を買う羽目にもなりかねないのですし。
ただでさえ、日本のエンタメ作品とハリウッドは相性最悪だというのにねぇ(-_-;;)。
まあ制作すると決めた以上はきっちり制作してもらい、それなりの出来になることを期待したいところではあるのですが、果たしてどうなることやら。

映画「白雪姫と鏡の女王」感想

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映画「白雪姫と鏡の女王」観に行ってきました。
グリム童話「白雪姫」を原作に、ジュリア・ロバーツが邪悪の女王役を演じるコメディタッチなファンタジー作品。
2012年6月に日本で公開された映画「スノーホワイト」とはまた別の白雪姫物語となります。
なお、個人的に2回目となる1ヶ月フリーパスポート使用による映画無料観賞は今作で終了です。
最終的には総計13本の新作映画を無料観賞したことになりますが、去年の2倍以上の本数を叩き出すことはできましたし、まあ上出来な結果ではあるでしょうね。

映画の冒頭は、すっかりお馴染みとなった原作における白雪姫の誕生から18歳になるまでの生い立ちが語られることになります。
ただ、そのナレーションがジュリア・ロバーツ扮する女王の口から語られ、原作のプロローグを語った直後にいちいちツッコミを入れていく辺りは、露骨なまでのコメディな流れを感じさせてくれるものではありました(苦笑)。
映画「スノーホワイト」との違いは、国王が女王と結婚した直後に森の中で行方不明となったことくらいでしょうか。
白雪姫が18歳まで城の中で幽閉されること、女王が魔法の使い手で、かつその魔法の影響と圧政で国民が塗炭の苦しみを味わっているという点は、両者共に共通しています。
今作の女王はとにかく暴虐かつワガママな性格をしていて、人間を駒に見立てた実物大のチェスをしていたり、とある男爵からの求愛を罵りまくりながら拒絶したりとやりたい放題。
城内のメイド達からも全く好かれてなどいないようで、彼女らは国王の忘れ形見である白雪姫に期待を寄せるのでした。
彼女らは白雪姫が18歳の誕生日を迎えたその日、城の外へ出て外で何が起きているのかを白雪姫に見てくるよう促し、そのためのお膳立てを整えるのでした。

一方、城からそう遠くない森の中では、冒険の旅の途上にあるらしい隣国の王子と従者の姿がありました。
彼らはその森で、足に竹馬とホッピングを足し合わせたような機器を装着し巨人のように見せかけた7人の小人の盗賊団に襲われ、カネと身ぐるみをはぎ取られた挙句に逆さ吊りにされてしまうのでした。
そこへたまたま通りかかった白雪姫。
彼女は逆さ吊りになっていた王子と従者を解放し、その場ではすぐに王子と別れて反対側の道へと進んでいくのでした。
白雪姫は王国が治めている村へと向かい、かつて父親である国王と共に訪問した際は豊かだった村が、女王の魔法と暴政の影響で今やすっかり窮乏している事実を目の当たりにすることとなります。
白雪姫は、王国の窮状を救うためにも、女王を権力の座から引きずり下ろして王位を奪取することを決意するのでした。
一方、王子は城へと向かい女王と対面。
女王は王子が若いことと、出自が豊かな隣国で自国の財政難を解消できるとの打算から、年の差も考慮せずに王子と結婚することを画策します。
そんな中、城内で催された舞踏会で、王子と、ひそかに舞踏会に参加していた白雪姫が再会することになるのですが……。

映画「白雪姫と鏡の女王」に登場する白雪姫は、その美しさ云々よりも「色濃い眉毛の太さ」の方がはるかに印象に残るキャラクターですね(笑)。
何らかのデフォルメでも意図しているのかとすら考えてしまったほどに、太い眉毛が目立っています。
女王は「自分が若い」と思い込んでいる典型的なオバハン的な雰囲気がありありでしたし、わざとブサイクにしたとしか思えない配役のチョイスぶりは、美男美女で固めた感のある映画「スノーホワイト」とはまた対照的なものではあります。
あちらは女王からしてシャーリーズ・セロンが演じていて、若さ以外の全ての分野で白雪姫を圧倒していたものでしたが。
ただ、ジュリア・ロバーツが演じていた今作の女王も、「存在感」という点ではやはり白雪姫を圧倒していた感は多々ありますね。
変にツッコミを入れたり、家臣達に暴言を吐きまくったり、王子を自分になびかせるために惚れ薬(ただし子犬用)を使ったりと、色々とやりたい放題。
「財政難の解消」という政略的な要素もあったにせよ、若い王子と結婚しようとするオバハンな女王というのも、現実の政治の世界であればともかく、おとぎ話の世界ではなかなかに斬新かつ独創的なキャラクターですからねぇ(苦笑)。
一方の白雪姫も、特に序盤は従順さ丸出しで眉毛以外の存在感が薄かったですし、彼女が独自に動くようになるのは、7人の小人に出会って武術全般を身に付けて以降のことでしたし。
「スノーホワイト」といい今作といい、女王の方が白雪姫よりも目立つ存在になってしまうというのはお約束だったりするのでしょうかね?

原作の「白雪姫」と言えば、毒リンゴによる昏睡と王子様のキスによる覚醒が定番ですが、今作におけるそれは、どちらも取ってつけたかのような扱いになっている感が否めなかったですね。
そもそも今作における毒リンゴは、物語のラストでようやく登場するありさまだった上、それを食したのは白雪姫ではなく、白雪姫に食べさせようとしていた女王自身だったりします。
白雪姫自身には、「毒で倒れる」的な描写すらも全くありません。
むしろ、作中でそれに近い状況に陥っていたのは、本来は白雪姫を助けるはずの王子の方だったりするんですよね。
彼は女王から「子犬用惚れ薬」を飲まされたショックで頭がおかしくなった状態で、女王と王子の結婚式を妨害すべく乗り込んできた白雪姫と7人の小人の盗賊団と鉢合わせることになります。
そして、「子犬用惚れ薬」の魔法を解除するためには「真実の愛」によるキスが必要と7人の小人から言われた白雪姫が、王子にキスすることで王子を正気に戻す、というわけです。
王子様のキスで白雪姫が覚醒する、というエピソードは見事にどこかへ行ってしまっていますね(笑)。
これは「スノーホワイト」にも言えることなのですが、原作「白雪姫」の毒リンゴ絡みのエピソードを、「邪悪な女王と戦う白雪姫」の中に入れてしまうのがそもそも間違っているのではないでしょうか?
元々「白雪姫」という話には、「自分のために戦ってくれる王子様を待つ」というコンセプトがあり、それを補強する道具として毒リンゴのエピソードがあるわけです。
しかし「邪悪な女王と戦う白雪姫」という別のコンセプトでは、一時的にせよ白雪姫が倒れ、助けが来るのをただじっと待つだけの身となってしまう毒リンゴ絡みのエピソードは、コンセプトと合致しないミスマッチもいいところになってしまうんですよね。
「スノーホワイト」にせよ今作にせよ、毒リンゴ絡みのエピソードの扱いに製作者達が相当なまでに困り切っている実態が丸分かりで、「むしろ入れない方が良かったんじゃないの、このエピソードは」とすら考えてしまうくらいなんですよね。
それでも毒リンゴ絡みのエピソードが作中に挿入されるのは、そうしないと「白雪姫」の話では全くなくなってしまうからではあるのでしょうけど。
白雪姫をイビる継母の女王、世界で一番美しい女性を告げる鏡、そして毒リンゴの3つが揃って初めて、「白雪姫」という物語は「白雪姫」たりえるわけですからね。
ただその構図では、2作品の売りであるはずの「邪悪な女王と戦う白雪姫」というコンセプトこそがむしろ邪魔なシロモノである、ということにもなりかねないのではないかと思えてならないのですが。

今作にはアクションシーンも若干あるものの、基本的にはコメディがメインと言えるストーリー構成となっています。
オバハンな女王の毒舌と、事あるごとに身ぐるみ剥がされる王子の狂態、そして眉毛が目立つ白雪姫の成り上がり物語が見たいという方にはオススメの作品かもしれません(爆)。

映画「天地明察」感想

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映画「天地明察」観に行ってきました。
冲方丁による日本の時代小説を原作とし、日本独自の暦を初めて作り上げた歴史上の人物・安井算哲(渋川春海)の生涯を描いた人間ドラマ&歴史伝記作品。
SPシリーズで主演を演じた岡田准一と、「神様のカルテ」「わが母の記」で好演した宮崎あおいが共演していることで話題となった映画でもあります。
もっとも、単に「有名俳優同士の共演」というだけでなく、両者の間で不倫疑惑が週刊誌などで騒がれたというスキャンダルネタでも話題になっていたりするのですが(-_-;;)。

江戸時代前期、「左様せい様」の異名で知られる徳川4代将軍家綱の御世。
囲碁の名家である京都の安井家に生まれ、自身も将軍の御前で碁の対局勝負「御城碁」が行えるだけの実力と地位を持つ安井算哲(やすいさんてつ)という人物が存在しました。
彼は、幼少の頃から寝食を忘れて没頭するほどに星の観測と数学が好きな人物で、物語冒頭でも、翌日には「御城碁」を行うために江戸城へ参内しなければならないにもかかわらず、自宅の屋根で星を観測している様が描かれています。
翌日、江戸城へ参内に向かった安井算哲は、その途上にある寺に立ち寄ります。
その寺では、難解な算術問題が描かれた絵馬が飾られているという一風変わった風習?があるらしく、安井算哲は場所も構わず道具を広げて算術問題を解くことに没頭するのでした。
そこで彼は、たまたま寺の清掃をしていた村瀬えんという女性と出会うことになります。
江戸城へ参内する際に献上しなければならない大事なものを寺に忘れるなどのハプニングを経て、予定より遅刻しながらも何とか江戸城へ参内した安井算哲。
幸い、「御城碁」の対局には支障をきたすことはなく、彼は徳川4代将軍家綱の御前で、対戦相手にして旧友でもある本因坊道策(ほんいんぼうどうさく)との対局に臨むこととなります。
この当時の「御城碁」は、予め決められた定石に従って双方が碁を打つという、囲碁勝負とは名ばかりの形式的かつ儀礼的な式典と化していました。
しかし安井算哲と本因坊道策は、いつも真剣勝負の場に身を置いていたという思いから、型破りを打ち方を披露して周囲を驚かせます。
周囲が非難の声を上げる中、将軍に平伏しつつも己の主張を貫き通し、その心意気にお得意の「左様せい」という承認を家綱からもらい、型破りで真剣勝負な「御城碁」を続ける2人。
ところが、その「御城碁」の内容に周囲も固唾を飲んで見守る中、突如日食が発生してしまい、
「不吉の前兆」ということで「御城碁」を含む全ての式典は一切中止ということになったのでした。
「御城碁」に集まった一同が解散する中、安井算哲は会津藩主で家綱の後見人である保科正之に呼ばれ、彼に刀を授けると共に、日本全国の北極星の高度を測りその土地の位置を図る「北極出地」の旅に同行することを命じます。
この旅が、安井算哲の人生をも一変させるきっかけとなるのですが……。

映画「天地明察」で活躍する主人公・安井算哲は、星の観察と算術問題にうつつを抜かす一種の「オタク」な人物として描かれています。
自分の好きなものに夢中になるあまり、後先考えずに行動したり、周囲の状況が見えずに日常的なことでは色々なポカをやらかしたりする辺りは、現代の「オタク」にも共通するところがありますね。
「北極出地」の旅で全国各地の経度を正確に言い当てるほどの実力を有し、また旅を通じて現行の暦である「宣明暦」に2日もの誤差が生じていることを突き止めた安井算哲は、「北極出地」の責任者だった建部伝内や伊藤重孝、さらには幼少時における天文学の師でもあった山崎闇斎の推薦を受け、新暦作成の総責任者として抜擢されます。
自分の得意分野を存分に生かすことができる「天職」とすら言って良い仕事を、しかも幕府の命令で得ることができたわけなのですから、その点において安井算哲は非常に恵まれた境遇にあったと言えるでしょう。
本業である碁打ちでも安井算哲はそれなりの実力を誇ってはいたのでしょうが、星の観察と算術に比べれば、やや一歩を引いていた感は否めないところでしたし。
世の中は「天職」に恵まれるどころか、意に沿わぬ奴隷同然の労働を強要されるケースの方が圧倒的に多いことを考えればなおのこと。
ただ、それが天職ではあったにしても、その事業が決して楽なものでなかったことは確実なのですし、それを成功に導いたのは紛れもなく安井算哲自身の才覚と努力の賜物であることに変わりはないのですけどね。

安井算哲の功績は、日本独自の暦を日本で初めて作り出したことにあります。
それまで日本で使用されていたのは、9世紀中頃に唐の時代の中国から輸入された「宣明暦」と呼ばれる暦でした。
しかしこの暦は、徳川4代将軍家綱の御世の時点で既に800年以上もの時間が経過していることもあり、日食や月食の予報が困難になったり、春分・夏至・秋分・冬至などの24節気が実際より2日もズレたりするなど、大きな不具合が頻出していました。
また暦は吉日や凶日なども刻まれていたことから、これがズレるというのは当時としては死活問題にも関わることでした。
科学知識がまだ一般的ではなかった時代に、縁起や吉凶日などの風習が重んじられるのはむしろ当然のことだったわけで。
安井算哲ら新暦作成チームは、唐代に作られた「宣明暦」に加え、元の時代に創出された「授時暦」、明代に用いられた「大統暦」とを比較した結果、「授時暦」こそが最も優れた暦であると結論付けます。
ところが、暦を司ることで莫大な利権に与っている朝廷は、「授時暦」の優秀性を認めず、改暦に全く応じようとしません。
しかも、その「授時暦」にも実は大きな誤謬が内包されており、安井算哲は「授時暦」の優秀性を立証するために行った「三暦勝負」のラストで、日食予報を外す羽目になってしまいます。
それでも、ハズレばかり連発していた「宣明暦」より優秀であることは証明できていたのですから、それだけでも安井算哲の正しさの証明と「授時暦」採用の根拠には十分になり得ていたはずなのですが、まあこの辺りは天文学よりも政治の問題に属する話ではあるのでしょうね。
幕府の面目を保ち朝廷を頷かせるためには、たとえ僅かな誤謬であっても許されない、という次元の話であるわけなのですから。
結果、幕府の面目は見事に丸潰れとなってしまったわけですが、安井算哲にとってもこの結果は屈辱以外の何物でもなかったでしょうね。
今のままでも、なまじ「宣明暦」より優秀さが証明されていたのですからなおのこと。
この手の不具合というのは、原因を見つけてしまえば「なあんだ」で簡単に終わってしまうものなのですが、現実にはその「見つけるまで」が大変なわけで、この「不具合の原因」を探すために七転八倒して苦悩する安井算哲のありさまは、見ていて共感せずにはいられなかったですね。
結局、安井算哲は水戸光圀や関孝和などの協力を得ることで、何とかこの苦境を乗り切ることに成功するのですが。

あと、安井算哲は冒頭の寺で出会った村瀬えんについて、当初は1年の予定だった「北極出地」の旅から帰還した後に結婚の申し込みをするようなことを、村瀬えん本人に明言しています。
ところが、当初の予定より半年以上も大幅に遅れて安井算哲が「北極出地」から帰還した時、村瀬えんは既に他家へ嫁いで行ってしまった後でした。
村瀬えんの兄である村瀬義益の発言によれば、彼女は予定の1年までは安井算哲の帰還を待っていたとのことだったのですが。
しかし、新暦作成の仕事が佳境に入ってきた頃、村瀬えんは嫁ぎ先から出戻ってきているんですよね。
これ幸いと安井算哲は、出戻ってきた村瀬えんに再度プロポーズを仕掛け、紆余曲折な反応を経て夫婦として結ばれることになるのですが……。
ただ、村瀬えんが嫁ぎ先から出戻ってきた理由については、作中でも「よんどころない事情」と言われているだけで、具体的な内容については何も語られていなかったりするんですよね。
どう見ても「夫との死別」が原因であるようには見えませんし、仮にあちらの家で世継ぎの子供でも作っていれば、たとえあちらの家の主人が死んだとしても「母親」として子供を育てることに専念せざるをえなかったはずでしょう。
表面的にはお淑やかな美人に見える村瀬えんの、しかし微妙に強気かつ頑固な性格を鑑みると、嫁ぎ先の家でその性格を嫌われ離縁させられたか、あるいは村瀬えんの方で嫁ぎ先の家の気風なり主人の性格なりが気に入らず、自分から飛び出していったかのいずれかのように思えてならないのですが(苦笑)。
元々彼女は、「普通の武家が嫌い」みたいな発言も行っていたわけですし。
ならば結婚なんてしなければ良かったのに…………というのは現代人の価値観なのであって、あの当時は「家のために結婚する」のが当たり前な時代だったのですから、村瀬えんも「世間体」や「家の事情」にせっつかれる形で【他家へ嫁がざるをえなかった】のでしょう。
そんな事情さえなければ、村瀬えんもひょっとすると、安井算哲が「北極出地」から帰還するまで待ち続けていたかもしれないですね。
まあこの辺りは、安井算哲側の「女性関係に対する不器用さ」にも原因がないとは言えないのですけど(^_^;;)。

ストーリーの主要なテーマが「日本初の新暦の作成」ということもあり、作中ではそれなりに難しい専門用語が飛び交っていたりします。
色々な解説を交えることで素人にも分かりやすく説明している努力の痕跡は伺えますし、決して理解できないものでもないのですが、それでも初心者にはやや「取っ付き難い」部分があるかもしれません。
SPシリーズの岡田准一が主演と言っても、今作は派手なアクションシーンなんて全くないわけですし。
岡田准一や宮崎あおいをはじめとする出演者が目当てというのでなければ、今作は時代劇などの歴史物が好きな人向けの映画、ということになるでしょうか。

映画「バイオハザードⅤ:リトリビューション」感想

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映画「バイオハザードⅤ:リトリビューション」観に行ってきました。
前作「バイオハザードⅣ アフターライフ」からの続きとなる、ミラ・ジョヴォヴィッチ主演の「バイオハザード」シリーズ5作目。
今作は3D/2D版が同時に上映されていますが、私が観賞したのは2Dの日本語吹替版となります。
また、相変わらず血みどろの戦いが作中で展開されていることから、前作同様にPG-12指定されています。

今作の物語は、前作後半における戦いの舞台となったアルカディア号の船上で、ジル・バレンタイン率いるV-22オスプレイ群の襲撃を受けたラストシーンの直後から物語が始まります。
前作で救出した囚われの人々が次々とやられていく中、ミラ・ジョヴォヴィッチ扮する主人公アリスは、V-22オスプレイの大群相手に孤軍奮闘するのですが、パイロットを仕留めたオスプレイの墜落に巻き込まれ、海に放り出されてしまいます。

ここで突然場面は切り替わり、アリスは突然、夫と娘がいる家庭の一員として目覚めることになります。
手話が必要な娘ベッキーと、妻と娘を思いやる夫トッドに囲まれ、平和な朝を迎えるアリス。
しかしそこへ突如、ゾンビの大群が家の中へ押し寄せ、夫のトッドは真っ先に襲いかかってきたゾンビの犠牲となってしまいます。
アリスはベッキーと共にゾンビの大群から逃げ惑うのですが、娘を隠匿するために自分を囮にして目立つように逃げている中で、ゾンビと化したトッドに襲われそこで意識がなくなってしまうのでした。

さらにまた舞台は切り替わり、今度のアリスはアンブレラ社が抱える秘密基地の一室で囚われの身となっている状態で覚醒します。
胸の中央に赤い光を放つ虫型の機械に操られているような状態で出てきたジル・バレンタインに、尋問と音波攻撃のごとき拷問を受けることになるアリス。
しばしば拷問を受け、無気力な状態となっていたアリスでしたが、そこへ突然、アンブレラ社のセキュリティシステムが何者かの操作で2分間停止するという事態が発生します。
その間に戦闘服に着替えて武装も整え、牢から出ることに成功したアリスは、セキュリティシステムの回復と共にアリスを捕縛ないし殺害せんと動き出した追手から逃げることになります。
しかし、逃げた先では何故かとうの昔に壊滅していたはずの東京の街並みが無傷のまま存在していました。
戸惑いながらも、追手やゾンビの大群から逃亡を続けるアリスでしたが……。

映画「バイオハザードⅤ:リトリビューション」は、前作までのシリーズ作品を観賞していることが前提となっている作品であり、今作単体だけでは何のことやら分からない展開が延々と続きます。
前作や前々作はまだある程度(作中内での)時間を置いた上で物語が始まっていましたが、今作は前作ラストの直後からスタートな上、前作までのキャラクターも多数登場することもあってか、前作までのシリーズ作品との関連性がかなり強かったりするんですよね。
今作を観賞する際には、これまでのシリーズ作品を予め復習してから臨むのが賢明ではないかと。

今作では、前作でラスボスとしてアリスに殺されたはずのアルバート・ウェスカーが何故か生きており、しかも囚われの身となったアリスをわざわざ助けるべく動いていたりします。
理由はウェスカー本人があっさり白状するのですが、現在アンブレラ社を牛耳っているレッド・クイーンと対立した結果、反旗を翻して離反していたとのこと。
今作のラストでは、ホワイトハウス周辺にいる人類をまとめる立場にある上、一度は自らT-ウィルスの中和剤を投与して超能力を奪ったアリスに対して、再度T-ウィルスを注射して超人的な能力を再度付与させたりしています。
限りなく黒幕に近い立場にありながら、アンブレラ社と決別してなお指導者的地位に居座れてしまう辺り、相当なまでの保身術と政治的手腕を伺わせるものがありますね。
まあ、残された人間側も、ゾンビとアンブレラ社に対抗できるウェスカーの知識が必要だった、という事情もありはしたのでしょうけど。
今作では、とりあえずの当面の敵がレッド・クイーンであることが判明します。
レッド・クイーンが人類の絶滅を目標にしていることも明らかになりますし、次回作となるであろう映画版の「バイオハザードⅥ」では「レッド・クイーンの打倒」が目的となるのでしょう。
しかしこのシリーズ、いくらハリウッド映画としては非常に珍しい「日本のエンターテイメント作品の実写映画化の成功作品」であるとは言え、一体いつまで続編を作り続けるつもりなのでしょうかね。
足かけ10年にもわたるシリーズの積み重ねで、さすがに前作までの流れを思い出すのも結構手間暇がかかるようになってきていますし、そろそろ完結の方向へ動いてほしいものなのですが。

これまでのシリーズや、映画「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」で多く見られたミラ・ジョヴォヴィッチの派手なアクションシーンは今作でも健在。
また、映画としては比較的短い部類に入る96分という上映時間で、終始アクションシーンが繰り広げられる構成となっています。
その点では、ハリウッド作品として「手堅い」出来であると言えるでしょうか。
映画版「バイオハザード」シリーズ作品、およびミラ・ジョヴォヴィッチのファンには必見の映画と言えるでしょうね。

映画「イノセンス・オブ・ムスリム」の謎だらけな制作工程と意図

その上映が中東のイスラム諸国で反米暴動を頻発させ、リビアでは駐アメリカ大使ら4名の殺害事件を引き起こすに至った、アメリカの反イスラム映画「イノセンス・オブ・ムスリム」。
この映画は、イスラム教では禁忌とされているムハンマドを、それも反イスラム的に描いたことでイスラム教国から猛反発を受けているわけですが、その制作過程にも色々とキナ臭い要素が漂いまくっているみたいですね↓

http://sankei.jp.msn.com/world/news/120914/amr12091401240003-n1.htm
>  【ニューヨーク=黒沢潤】リビアの米領事館襲撃事件など、中東での反米デモのきっかけとなった米映画だが、その制作の過程や背景は謎に包まれている。
>
>  ネット上で公開された14分間の映像は、イスラム教では描くこと自体がタブーとされている預言者ムハンマドを暴力的で好色な人物として描いている。
>
>  AP通信などによれば、
同映画は約100人のユダヤ人から500万ドル(約4億円)の寄付を募り、3カ月かけて制作された。59人の俳優が出演し、今年初めにハリウッドの映画館で1度だけ上映された。
>
>  また、米紙ロサンゼルス・タイムズによると、先週になってアラビア語版がネット上に掲載され、エジプトのテレビ局が取り上げた。また、
せりふが差し替えられるなど撮影時とは異なった作品になっており、出演者は激怒しているという。
>
>  肝心な制作に関わった人物について情報は錯綜(さくそう)しているが、
AP通信は13日、米当局者の話として米カリフォルニア州在住の55歳の男性が映画制作者だと報じた。男性はエジプトのキリスト教の一派であるコプト教徒で、エジプト系米国人の可能性があるという。ただ、イスラエル系米国人との説もある。
>
>  一方、動画投稿サイト、ユーチューブを傘下に持つグーグルは13日までに、問題の映像にリビアとエジプトでアクセスできないよう措置をとったと発表した。アフガニスタン当局も同日、ユーチューブの無期限遮断を同国内の全てのプロバイダー(接続業者)に命じた。

映画の製作費の観点から言っても上映回数から見ても、「イノセンス・オブ・ムスリム」は大作映画とは到底言い難いですね。
1ドル=80円レートで換算して4億円程度の製作費であれば、日本でさえ中規模以下の映画と見做されるレベルですし、映画の上映回数自体もハリウッドの映画館でたった1回って……。
この映画がこれほどまでに騒動の種になっているのは、映画の内容そのものよりも、映画の宣伝やネットの影響が大きいのではないでしょうか?
上映回数が1回、それもハリウッドの映画館限定というのでは、実際に映画を観た人もかなり少ないものがあるでしょうし、ましてやイスラム教徒で実際に観賞した人なんて果たしてどれほどいたのかと。
まあ、映画の宣伝動画が過激極まりないものであれば、それだけでもイスラム教徒にとっては激怒もののシロモノにはなりえるのでしょうけど。
出演者まで騙し、撮影の後にセリフの編集を行うなど、映画の製作者は一体何を考えてこのような映画を作ったというのでしょうか?
たった1箇所1回の上映で500万ドルの制作費を全て回収するなどまず不可能でしょうし、すくなくとも興行収益の獲得を狙っての映画製作ではないようなのですが……。

ここまでイスラム諸国で紛糾の種になり、暴動まで引き起こした経緯を鑑みると、映画「イノセンス・オブ・ムスリム」が日本で劇場公開になることはまずなさそうですね。
単純に内容を見ても、日本とはあまりにも縁がない上に政治的・宗教的要素が濃いテーマですから、興行収益が期待できないという問題もありますし。
下手に映画を劇場公開してイスラム教徒の恨みを買う、という事態も、映画館側としては避けたいところでしょうしねぇ。
レンタルDVDでも観賞できるか否か微妙なところですし。
個人的には「怖いもの見たさ&ネタ収集」の観点から観賞してみたいと考えなくもないところではあるのですが、日本公開の行方は果たしてどうなることやら。

ドラゴンボールの実写映画化企画がまたもや進行中

かつて世界中から大不評の嵐を受けたハリウッド実写映画版「DRAGONBALL EVOLUTION」とは別の「ドラゴンボール実写映画化企画」が立ち上がっているみたいですね↓

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1209/10/news082.html
>  クラウドファンドサイト「indiegogo」で、真の「実写版ドラゴンボール」を作ろう! というプロジェクトが話題になっています。目標額の3500ドルはすでに達成済みで、今後は公開に向け正式に動いていく模様。
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>  「ドラゴンボール」の実写映画化と言えば、もはや完全に別モノとなってしまった映画「DRAGONBALL EVOLUTION」の悪夢が思い出されますが、公開されている映像を見るかぎり、こちらは原作のキャラクターをかなり忠実に再現しようとしていることがうかがえます。
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>  登場人物の顔ぶれから、どうやらストーリーはサイヤ人襲来編が中心になるみたいですね。ピッコロやチャオズの再現度からも、制作陣の本気ぶりが伝わってきます。
>
>  
制作しているのはイギリスの小さな映画制作会社k&k productions。あくまでファンムービーという位置づけではありますが、今から完成が楽しみな本作。今後の進展については公式サイトで随時告知していくようです。

2009年のハリウッド実写映画版「DRAGONBALL EVOLUTION」は、あまりにも原作を改変し過ぎていて、映画の興行的な成功よりも「ジャパンバッシング」と「ドラゴンボールシリーズのイメージダウン」が目的としか思えなかったようなシロモノでした(爆)。
予告編を見た時点で「原作レイプ」と分かる映画も珍しいのですが(苦笑)。
アレに比べれば、今回立ち上がったプロジェクトは、すくなくとも「原作に似せよう」という努力の痕跡がまだ伺えますね。
ただ、この手の実写映画化で本当に問われるのは「ストーリーや設定や演出をいかに原作に近づけるか?」にあるので、表面的なキャラ造形だけではまだ中身が良質か否かの判断材料にはなりえないわけですが。
ハリウッド映画へのあてつけになるだけの完成度になれば面白いことになりそうなのですが、果たしてどうなることやら。

映画「夢売るふたり」感想

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映画「夢売るふたり」観に行ってきました。
結婚詐欺をテーマに男女間の複雑な心情や葛藤などを描いた、阿部サダヲと松たか子の2人が夫婦として主演を担う人間ドラマ作品。
作中では「本番」さながらのセックスシーンが3回ほど出てくることもあり、今作は当然のことながらR-15指定されています。
作中で披露される本番さながらのセックスシーンは、同じR-15指定でかなり印象に残った映画「ドラゴン・タトゥーの女」にも匹敵するものがありますね。

東京の片隅で小さな飲み屋兼料理屋を営む一組の夫婦がいました。
板前としての確かな腕を持ち、仕事についてそれなりのこだわりを持つ夫の貫也と、店の従業員として夫を支える妻の里子。
2人は5年にわたって店を営んでおり、常連客も獲得してそれなりの繁盛を見せていました。
ところがある日の店の営業中、多忙な店内を回すために貫也がわずかに目を離した隙に、厨房にある焼き鳥を焼くための機器が突如火を噴き、店は客の阿鼻叫喚の地獄絵図と共に炎に包まれてしまいます。
突如、しかも一夜にして店を失ってしまい、やる気をなくしてしまった貫也は、「もう一度店を出せば良いじゃない」という里子の前向きな励ましにも耳を貸さず、毎日酒浸りの日々を送ることに。
里子はそれでも夫を支えるため、近所のラーメン屋で働きに出て生計の足しにしようと奮闘します。

ここまでは「ダメ夫を健気に支える良妻」という、美しくもある意味単純な構図だったのですが、そんな日々が続いたある日、貫也が店の常連客のひとりだった玲子と道端で偶然出会ったことから、全ての運命が狂い出します。
玲子はとある金持ちの資産家・俊作と不倫の関係にあったのですが、その資産家が突然の事故で危篤状態に陥り、俊作の弟で兄の不倫事情を知る明浩から見舞いを拒否された上で「手切れ金」として百万円の包みを受け取らされていました。
2人は意気投合して酒を飲み合い、互いの境遇を話し合うことになります。
その境遇があまりにもみじめだと嘆く玲子と、彼女を励ます貫也は、しかし酒の勢いもあってか、そのまま抱き合い、風呂場でセックス行為に興じてしまいます。
ことが終わった後、玲子は自分が受け取らされた手切れ金百万円の包みをそのまま貫也にわたし、店の開店資金に使ってほしいと申し出てきます。
最初は受け取りを拒否する貫也でしたが、玲子のゴリ押しと自身の金銭事情の問題もあり、「必ず返すから」との条件付きでカネを受け取ることになります。
しかし、とにもかくにも突然大金が転がり込んできたことは事実で、貫也はすぐさま妻の里子にその事実を報告すべく走り出すのでした。
家に帰って早々に妻を抱きしめ、浮気の事実は隠しつつ「知り合いが金を貸してくれた」と報告する貫也。
ところが里子はしばらく戸惑っていたものの、抱きしめられた夫の服に染みついていた「洗濯された匂い」から、貫也が他の女と寝ていたことをあっさりと見破ってしまいます。
さらに、件の百万円の包みの中には玲子宛ての手紙も同梱されており、浮気相手の正体や受け取り過程までもが露見してしまうことに。
動かぬ証拠を突きつけられ逆ギレした貫也は風呂場へ逃亡。
一方、百万円と共に放置された形の里子は、夫が受け取った百万円を火が付いたコンロに突っ込み燃やそうとします。
しかし、なかなか燃えない札束をしばらく見つめていた里子は、突然夫がいる風呂場へと向かい、夫へ向かって札束を投げつけ癇癪を爆発させるのでした。
しかし、自身の変貌に震える夫を見た里子は、夫に女性をたらし込む才覚があることを見抜き、これを利用することを思いつきます。
これがきっかけとなり、貫也と里子の2人は、女性相手に結婚をちらつかせカネを騙し取る結婚詐欺の道を歩み始めることになるのですが……。

映画「夢売るふたり」では、夫の浮気が発覚した後の妻の変貌ぶりが凄まじかったですね。それまでは「ダメ夫を支える良き妻」的な描写だった里子が、夫の浮気が発覚するや、札束は燃やそうとするわ、夫を足蹴にするわ、挙句の果てには結婚詐欺まで実行させるわ……。
それまでの良妻ぶりとは打って変わって冷酷な態度で夫に接する里子の姿は、「今までの善良キャラは一体何だったのか?」とすら考えてしまうほどに強烈なインパクトを残すものではありました(苦笑)。
それまでは里子に対して横柄に振る舞っていた貫也が、里子に怯えるようになってすらいましたし。
物語中盤では、女子ウェイトリフティングの女性選手のひとみを貫也が結婚詐欺のターゲットに選ぼうとした際に、相手を詐欺にかけることよりも「あの身体で【セックスの】相手をするのは、貫也には身体的な負担が重いのでは?」などという、ある意味「機械的」な心配をして貫也を呆れさせていたりもします。
人当たりが良かった序盤やパート関係の描写とは対極とすら言って良い態度で、正直「人はこんなにも変わってしまうものなのか」と思わずにはいられなかったですね。
ただ、その里子の「本性」は、当の里子自身も実はそれまで全く意識していないもので、夫の浮気をきっかけに一挙に表に出てきた、というのが実情だったのでしょうけど。
里子にとって「夫が浮気をした」という事実はそれほどまでに重いものだった、ということなのでしょう。

ただ、「夫の浮気」によって妻が夫に愛想を尽かした、という単純な構図にもならないのが今作の魅力のひとつですね。
確かに夫の浮気発覚直後は怒りを爆発させた里子ではありましたが、その後自身の発案で他の女性達を結婚詐欺にかける際には、2人揃って仲良く笑い合っていたりする描写も存在します。
前述のウェイトリフティング選手絡みにおける里子の「心配」も、夫である貫也を気遣ったものではあったわけですし。
浮気の事実が発覚した後もなお、彼女が夫を愛し、心から献身的に支えようとしていたのは疑いの余地がないでしょう。
ただ結婚詐欺絡みでは、その里子の「夫に対する愛」こそが、結果的に夫を破滅に追い込んでしまっていた感も多々あります。
彼女は夫に結婚詐欺を行うことを自分から命じてすらいるのに、その夫が結婚詐欺の一環として他の女性と親しくなったりセックスをしたりする関係になることを嫌悪していたりするんですよね。
物語終盤付近になると、彼女は夫が結婚詐欺で積極的にカネを得ようとする行為に賛同しなくなっていき、ついには包丁を持ち出して夫だか相手の女性だかを刺し殺そうと発作的に行動を起こしてすらいます。
それが結果的には、夫を全く別の形で破滅に追い込むこととなってしまうのですが……。
ただ、一番最初の「自分の関知しないところで夫が浮気していた」という事実に怒り狂うのは当然であるにしても、それ以降の夫の(里子以外との)女性関係は全て「自分が夫に結婚詐欺を命じた結果」によるものなのに、被害者はともかく、当の里子がそれに癇癪を起こすというのは、どうにも理屈的には理解し難いものがありますね。
夫の貫也だって、自分の夢と妻の里子のために結婚詐欺という危険な道を突き進んでいたわけで、それで命令権者の妻から怒りを買わなければならないというのも、何とも理不尽な話ではあります。
女性は理屈やカネだけを欲しているのでなければ、それだけで動いているわけでもない、という概念を表現する描写としてはなかなかに秀逸なものではありましたが。

里子は貫也に自分を見て欲しかった、自分を愛して欲しかっただけだったのかもしれませんね。
貫也は貫也で、妻に対しては反発もあったにせよ、愛情や思いやりもあったであろうことは疑いようもなかったのに、特に物語後半では結婚詐欺に慣れたこともあってか、妻に対してやたらとビジネスライク的な接し方に終始していたりしますし。
貫也の妻に対する観察眼もそれなりに鋭いものがあったものの、もう少し妻の心情や葛藤について敏感に察し配慮さえしていれば、あの破滅は免れ得たかもしれないのですけどねぇ(T_T)。

結婚詐欺の主犯である貫也と里子のやり取り以外にも、結婚詐欺の被害者達の心情や葛藤なども良く描かれており、メロドラマ系ストーリーとしてはそれなりの見応えがある映画と言えますね。
その手の作品が好きな方にはオススメの一品です。

映画「デンジャラス・ラン」感想

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映画「デンジャラス・ラン」観に行ってきました。
デンゼル・ワシントンが主演と製作総指揮を兼ねる、派手なカーアクションあり・格闘ありの典型的なハリウッドアクション作品。
今作では拷問等のバイオレンス系な表現が作中の複数個所で展開されているため、PG-12指定されています。

物語の舞台は南アフリカ共和国。
元CIAの工作員で、人間の心理を操作する手腕に長けていたことで半ば伝説的な存在となりつつも、現在は組織を裏切り世界36ヶ国で国際指名手配されているトビン・フロストは、とある店で同じくイギリスの諜報部を裏切ったアレック・ウェイドと対面します。
アレック・ウェイドは、「ファイル」と呼ばれているメモリチップをトビン・フロストに引き渡します。
しかしその直後、2人が入った店に傭兵バルガスをリーダーとする集団が潜入、トビン・フロストの生命を狙ってきます。
トビン・フロストはからくも店を脱出したものの、バルガスはよほど周到に計画を練っていたのか、道をことごとくバルガスの部下に封鎖されてしまい、進退窮まる事態に陥ってしまいます。
何とか逃げ道を探し出すべくトビン・フロストが周囲を見渡すと、南アフリカのアメリカ総領事館の建物が目に飛び込んできました。
前述のようにトビン・フロストはアメリカのCIAを裏切っている身なのですが、彼は自身のその状況を逆に利用し、アメリカ総領事館へ駆け込み庇護を求めるという大胆な方策に出ます。
当然のごとく、彼に駆け込まれたアメリカ総領事館、さらには報告を受けたCIAでは衝撃が走ります。
CIAはただちに、ダニエル・キーファーをリーダーとする9名の工作員達を南アフリカへ派遣し、トビン・フロストを尋問する決定を下すのでした。

トビン・フロストの尋問はアメリカ総領事館ではなく、CIAが南アフリカ国内のケープタウンで密かに保有している隠れ家のひとつで行われることになりました。
トビン・フロストの所在が明らかになることで、国内外に動揺が走ることを防ぐためで、当然、トビン・フロストの所在も尋問の事実も機密事項に。
その隠れ家を管理する「接客係」として任務に当たっているのは、CIA工作員としての出世と栄転を夢見るCIA下級エージェントのマット・ウェストン。
CIA本部から「予約」の連絡を受けたマット・ウェストンは、事前に予定していた恋人であるキャサリン・リンクレイターとの逢瀬をキャンセルし、隠れ家の提供という仕事に従事するのでした。
連行してきたトビン・フロストに水責めの拷問を加え、今回の事情を何が何でも吐かせようとする工作員達の光景を、マット・ウェストンは尋問室のマジックミラー?ごしに目撃することになります。
ところがその最中、隠れ家は突如バルガス率いる武装集団の襲撃を受けることになります。
機密になっているはずの隠れ家を襲撃されるはずがないという思い込みに奇襲効果が加わったこともあり、キーファーら9名の工作員達は奮戦虚しく全滅。
ただひとり、下っ端であるが故に戦闘に参加することなく、トビン・フロストの監視を任されたマット・ウェストンは、工作員達の全滅を目の当たりにしたこととトビン・フロストの心理的な揺さぶりもあり、トビン・フロストを連れてその場から逃走することを決断します。
からくも包囲を逃れ、追手からの追撃をもかわしたマット・ウェストンは、CIA本部の指示を仰ぎ行動することになるのですが……。

映画「デンジャラス・ラン」のストーリーには、「予測不可能な展開」というものは特になかったですね。
CIAという組織の内部を知り尽くしている初老の元工作員と、CIAでの出世を夢見る下っ端の若い接客係というコンビは対照的でしたが、それもハリウッド映画では何度か見かけた覚えがあったりします。
同じくデンゼル・ワシントンが主演を演じていた映画「アンストッパブル」でも、鉄道が舞台という違いはあるものの、基本的には「経験豊富な初老のベテランと若い新米」という全く同じ構図が披露されていました。
トビン・フロストの居場所を襲撃者達に教えている内通者がCIAの内部にいて、最終的にはそれを倒すことが目的になるというのもよくあるパターンでしたし、これまで見られてきたハリウッド映画のスタンダードな手法を正しい手順で踏襲している映画、という感は多々ありますね。
逆に、今作ならではのオリジナリティとしては「トビン・フロストが人間心理操作の達人」という設定にあるでしょうか。
作中でも、CIA幹部がマット・ウェストンに対して発言するであろう内容を正確に言い当て、「その際はお前に責任を擦り付けようとしている」と揺さぶり?をかけることでマット・ウェストンの動揺を誘っていたりします。
ただ、せっかくのこの設定も、作中では上手く機能していなかった感じは否めなかったところですね。
元々「人間に対する心理操作」というものを有効に機能させるためには、相手が自分のことをある程度信用していて、活自分の言葉に耳を傾けてくれるという前提が必要不可欠です。
相手の心理を操作しようにも、まずは相手が自分の言葉を聞いてくれないことには何も働きかけることができないのですから。
しかし今作の場合、トビン・フロストはCIAの裏切り者かつお尋ね者であり、周囲への信用など最初から勝ち得ない立場にあり、彼はまず心理操作が行えるための前提条件から作らなくてはならない状況でした。
しかも、マット・ウェストン以外の人間は、トビン・フロストを問答無用で拷問にかけるか殺そうとするかのどちらかで、相手に対する心理操作が行える余地など最初からどこにもありませんでしたし。
誘拐犯と交渉を行う交渉人(ネゴシエーター)といった設定や、謀略や頭脳戦が全面に出てくるようなストーリー構成でもないと、「心理操作の達人」なんて設定はあまり生かしようがないのではないかと。
作中の描写を見る限り、今作はアクションがメインの作品ではあるのでしょうが、せっかく出してきた「心理操作の達人」という設定が半ば使えない状態になっているというのは、少々残念な気がしないでもありませんね。

アクション映画としてはそれなりの出来なので、その手のハリウッド作品が好きな方にはオススメです。

映画「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」感想

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映画「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」観に行ってきました。
「踊る大捜査線」の映画版4作目にしてシリーズ完結編。
テレビドラマ版「踊る大捜査線 THE LAST TV サラリーマン刑事と最後の難事件」で展開されていた伏線の一部が今作で反映されています。
なお、今作で私の2012年映画観賞本数は、記録的な大豊作となった去年1年間の映画観賞総本数である65本のラインに到達しました。
今月中に70本を突破するのは確実な情勢ですし、今年は最終的に80~90本くらいは映画を観賞することになりますかねぇ。

映画の冒頭では、シリーズお馴染みの湾岸署の面々が、何故か東京の下町?で唐揚げ屋を営んでいる様子が描かれています。
主人公である青島俊作が唐揚げ屋の店主、恩田すみれが相方の奥さん?兼店員で、和久伸次郎が下っ端店員として、和気藹々で明るい店を営んでいるようでした。
すぐに判明するのですが、彼らは唐揚げ屋の近くに住んでいるらしい老人の息子?で指名手配されている人物を捕まえるべく、1ヶ月近くにわたって張り込みを続けていたのでした。
その張り込みの甲斐あってか、該当の被疑者は見事に現場に現れ、犯人ひとりに物量に物を言わせた大捕り物の末、湾岸署の面々は無事目的を達成することに成功するのでした。
結果、1ヶ月にわたって運営してきた唐揚げ屋は店仕舞いとなり、閉店セールと共に残りの唐揚げがほとんどタダ同然で下町の住民達に手渡されていくのでした。
ちなみに後で唐揚げ屋の経費を青島らが請求した際に判明するのですが、この唐揚げ屋の売り上げは黒字を達成していたのだとか(苦笑)。

被疑者を確保し、意気揚々と湾岸署へ久々に戻ってきた青島らの眼前に繰り広げられていたのは、湾岸署管内にある東京ビッグサイトで開催されていた国際環境エネルギーサミットの影響で多くの警官が駆り出され、いつもより人が少なくなっている湾岸所内の一風景でした。
青島らも湾岸署に到着早々、署長の真下正義に交通課など他部署へ手伝いに行くよう言い渡され、しぶしぶながらも手伝いへと向かうのでした。
ところがそんな中、国際環境エネルギーサミットの会場内で男性の誘拐事件が発生し、青島らは事件の聞き込み捜査を行うことに。
事件は人がごった返している広場で公然と起こっており、現場では多くの人達が事件を目撃していましたが、犯人が具体的にどこへ行ったのかまでは結局掴むことができませんでした。
そして数時間後、事件の際に誘拐された男性と同じ黄色いシャツを着た男が、拳銃で撃たれた痕跡を残した死体となって発見されてしまいます。
事件を受け、本店(警視庁)では、誘拐事件で被害者の殺害に使われた拳銃が、かつて警察が押収したものと合致するとの情報をいち早く掌握していました。
しかし、警察が押収した拳銃が犯行で使用されたということは、事件が警察内部の人間によっておこなわれたものであることをも意味することになります。
それが「警察の不祥事」としてマスコミに叩かれ、自分達の出処進退が問われる事態になることを恐れた警察の上層部達は、事件の捜査を指揮する立場となる鳥飼誠一に対し、犯行の隠蔽を行うよう命令を下すのですが……。

映画「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」は、相変わらずコメディ要素満載な展開が繰り広げられていますね。
テレビドラマ版「踊る大捜査線 THE LAST TV サラリーマン刑事と最後の難事件」でも披露された、署長の真下正義をリーダーとする3人組と、元署長を筆頭とするスリーアミーゴスの「猿山のボス猿争い」のごとき低次元な対立は今回も健在でしたし、それ以外にも作中の随所に笑いのネタが目白押しでした。
テレビドラマ版ではスリーアミーゴスの面々に事件の対策本部の玄関口に貼る戒名?を書こうとしたところを妨害された真下でしたが、今作ではその雪辱叶って、見事に自分で戒名を書くことに成功していました。
ただ、「これならスリーアミーゴスの面々の方がまだマシだったんじゃ……」と言いたくなるほどヘタクソな上に字の大きさまで不統一な戒名の仕上がりは、そこらの女性警官達にまで酷評される始末ではありましたが(笑)。
また、青島の部下である王明才がお茶&ミネラルウォーターと間違って注文(「みず」の発言がなまって「ビール」になっていた)してしまった大量のビールの件を巡る責任回避の構図も笑うところですね。
ビールを間違って購入した責任を問われて左遷されることを恐れた青島は、湾岸署内に設置された総計500缶ものビールの山をカモフラージュしてその場凌ぎで何度もごまかしまくった挙句、ついにその存在が露見してしまった際には真下を口先三寸で丸め込んで責任を擦り付けてしまいます。
物語後半の事件発生の際には、いくら緊急時とは言え「真下の息子が久瀬って男に誘拐された!」と青島から堂々と呼び捨てされているありさまでしたし、真下って本当に「人の上に立つ人間」には向いていない上に、部下からも上司として見られていないのだなぁ、とつくづく感じずにはいられなかったですね(^_^;;)。
一応はキャリア出身で出世も順風満帆、私生活面でも妻の柏木雪乃と二児の子供の父親で恵まれた環境にあるはずなのに、スリーアミーゴスと比較してさえも小悪党&小物過ぎる感が否めないところですし。
ただまあ、物語後半ではその手のお笑いネタも鳴りを潜め、陰惨な事件の当事者として悲壮感を露わにしてはいましたが。

ところで作中では、恩田すみれが実は身体の不調から辞職をしようとしていることが明らかになっています。
これはテレビドラマ版でも伏線として出てきていましたが、彼女は2作目映画「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」で撃たれた傷が原因で身体に痛みが走るようになっており、近年は警察としての職務にも耐えられないほどになってきているとのこと。
警察を辞めるという恩田すみれの決意は固く、彼女は青島ら湾岸署の親しい同僚達には何も告げず、九州行の夜行バスで故郷の大分へ帰るつもりだったようです。
恩田すみれは結局、青島に擦り付けられた冤罪の報道から青島の危機を知り、ラストで夜行バスを乗っ取り倉庫へ突っ込むという大立ち回りを演じてのけるのですが、ただ、恩田すみれがあの後どうなったのかについては作中でも全く描かれていないんですよね。
バスの横転後に青島に介抱されたシーンを最後に、作中から存在すら消えてしまった感すらありましたし。
普通に考えれば、あの夜行バスをハイジャックした上に横転大破させてしまった恩田すみれが罪に問われないはずもないので、作中のラスト時点では警察から長期の事情聴取を受け青島らから隔絶された状態にあると考えるのが妥当なところではあるのでしょうが……。
ただ、今作は一応シリーズの完結編・最終作と銘打っているのですから、後日談的なエピソードなり画像なりをエンドロールで流すという形で披露しても良かったのではないかとは思わなくもなかったですね。
また公約を破って性懲りもなく続編を作るというのでなければ、今作を最後に「踊る大捜査線シリーズ」のエピソードは一切語られなくなってしまうのですし。
青島と結ばれて結婚、というシナリオだけはどうにも考えられない話ではありますけど。

今作の事件は、全体像から見れば「警察への私怨と上層部の一掃の双方を達成することを目的とした、鳥飼誠一の謀略劇」という要素が非常に強いですね。
6年前の幼児誘拐事件で無念を味わった警官達を動かし、警察の信用に関わる事件を起こす。
その事件を上層部に隠蔽させると共に無関係な人間に罪をかぶせるなどして上層部に罪を負わせる。
その事件の一部始終および真相を自分の名で公開し、上層部を軒並み引責辞任させ首を挿げ替えると共に、自分は一切傷つくどころか名声すら獲得する。
青島や室井慎次が成し遂げようとしていた警察の改革を、彼は謀略でもって短期間で可能な状態にしてしまったわけです。
自分の私怨すらも利用して邪魔者を片付ける鳥飼の謀略手腕は、政治的には相当なものがあると言わざるをえないですね。
青島も室井も、鳥飼の手法にはある程度気づいている感がありましたが、踊らされていることを自覚しつつ、それでも彼らの立場的には踊り続けるしかないのでしょうね。
ある意味、一連の事件の真の黒幕である鳥飼こそが、今作における最終的な勝者となるのでしょうが、しかし彼の今後は一体どうなるのやら。
こちらも、今作がシリーズ完結編・最終作として語られている以上、普通に考えればまず語られることはないであろうと思われるのですが、彼の罪が何らかの裁かれるがないというのも、政治的にはともかく、物語的には何か不完全燃焼な感が否めないところですね。

シリーズ完結編・最終作というだけのことはあり、「踊る大捜査線」シリーズのファンであれば必見な映画と言えるのではないかと。

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