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テレビドラマ「踊る大捜査線 THE LAST TV サラリーマン刑事と最後の難事件」感想

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2012年9月1日にフジテレビ系列で放映された、「踊る大捜査線」シリーズの3作目映画「踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!」と9月7日より公開の4作目映画「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」の間を繋ぐテレビドラマ「踊る大捜査線 THE LAST TV サラリーマン刑事と最後の難事件」を観賞しました。
実質的には、4作目映画の前日譚といったところになるでしょうか。
4作目映画は、今回のテレビドラマを観賞していないと理解できないエピソードがひょっとすると盛り込まれているかもしれない懸念もあり、まあとりあえずは見ておこうかということになったわけですね。
この手の手法は、「SP 革命篇」「SPEC~天~」などでも既に前例があることでもありますし。
こういうのって、視聴率稼ぎ兼映画の広報の一石二鳥を目的としたテレビ局側の戦略の一環ではあるのでしょうが、正直あざといかなぁという気はしなくもないですねぇ(-_-;;)。

物語冒頭は、青島俊作達湾岸署の面々が、小学生を相手に交通マナーの講習を行っているところから始まります。
講習の内容は、歩行者が赤信号を無視した際に車に撥ねられたり、右側通行をしている自転車が対向してきた自転車との衝突を避けようとしてやはり車に撥ねられたりといったシーンを演出することで、子供達に交通マナーを守ろうと教えるというものでした。
しかし、車に撥ねられるシーンを大々的に演出しようとするあまり、火薬を過剰に使用したり、片輪走行を続けた車が横転して本当の大惨事になってしまったりと、結果は見事に大失敗。
この顛末は、講習を受けた学校から湾岸署へ抗議がいくことになります。
湾岸署では、それまで署長だったスリーアミーゴスのひとり神田総一朗に代わり、キャリアとしての経歴と交渉人(ネゴシエーター)としての実績?から真下正義が、3作目映画のラストから署長に就任しています。
署長としての真下は、刑事課課長に出世した魚住二郎と、スリーアミーゴスの一員である袴田健吾と一緒に「新スリーアミーゴス」のような3人組で行動するのが常でした。
まあこの組み合わせは、物語中盤頃に残りのスリーアミーゴスの登場と共に一部入れ替わることになるのですが。
真下は冒頭で繰り広げられた交通安全教室の不祥事の件で、責任者である青島を詰問しようとするのですが、事あるごとに邪魔が入って延々と手間取った末にようやく始末書を書くよう命じられるありさま。
そんな中、港区台場1丁目で強盗傷害事件が発生したとの署内放送が流れ、青島達は現場へ急行することに。
被害者へ事情聴取をする中、「本庁捜査一課の者」を名乗る男が現れ、後はこちらの管轄だから青島達に退去するよう指示を出します。
その後色々とゴタゴタやっていて少し目を離した隙に、その男は姿を消してしまい、しかも事件現場に立ち入り規制をするために張られていた黄色いテープまでもがいつの間にか無くなっていました。
男は警察の備品を狙う窃盗犯だったわけですね。
しかもその後、「本庁捜査一課の者」を自称する男は湾岸署にも現れ、署内の備品を色々と物色していく始末。
湾岸署の面々が男の行動に不審を抱く中、中国人民警察の中国人刑事で湾岸署へ研修にやってきていた青島の部下の王明才の結婚式が2日後の日曜日に執り行われることが、真下によって発表されます。
事件を半ばそっちのけにして、湾岸署は祝賀ムード一色で盛り上がることになるのですが……。

テレビドラマ「踊る大捜査線 THE LAST TV サラリーマン刑事と最後の難事件」では、複数の小さな事件が同時並行する形でストーリーが進行していきます。
一応、警察が総出で対応に当たる大きな事件も後半で出ては来るのですが、それでも映画版に比べると小粒な感は否めないところですし。
個人的に笑えたのは、署長となった真下の一派とスリーアミーゴスの絡みですね。
半ばお笑いユニットと化している感のあるスリーアミーゴスもなかなかの小物ぶりを披露していましたが、真下は性格からして「上に立つ人間」にふさわしいものではなく、特に青島らにはあまり強く出られない様を何度も見せつけていました。
その真下が、ことスリーアミーゴスの面々に関しては妙に強気に出て、派閥争いモドキな喧嘩を繰り広げる様子は、大いに笑えるものがありました。
退職していた神田・秋山の2人が指導員として現場に復帰し、真下の派閥から天下り先の確保を餌に袴田を引き抜いて元来のスリーアミーゴスを完全に復活させると、真下も負けじと2人の傘下に入っていた中西修を、将来の刑事課長の地位を提示して引き抜いたりと、なかなかどうして低次元な抗争を繰り広げています。
真下って、以前に「踊る大捜査線」のスピンオフ作品「交渉人 真下正義」では主役を張っていたほどの人物だったはずなのに、今やすっかりお笑いキャラに成り下がってしまったのですねぇ(笑)。
結婚詐欺事件で捜査本部が設置されることが決定した際も、捜査本部の垂れ幕を巡って争っていたりしますし。
この実質2組のスリーアミーゴス抗争、4作目映画でも披露されることになるのでしょうか?

物語後半でメインとなる国際的な結婚詐欺事件は、以前に話題となった結婚詐欺&練炭自殺偽装事件と硫化水素自殺ブーム?をミックスしたものでしょうね。
特に前者の殺人事件は、練炭が硫化水素に変わっただけで手口がほとんど「まんま」でしたし。
ただ、青島も含む湾岸署の男性の多くが同じ犯人に騙されてカネを取られるって、犯人のシン・スヒョンってどれだけの男を相手にしていたのやら。
挙句の果てに、王明才の結婚式の相手までもが同一人物だったというのは、正直話の都合にしても出来過ぎなような気はしなくもないですね。
短期間で結婚詐欺を含めた詐欺行為をやり過ぎでしょうに(苦笑)。
元々結婚詐欺というのは、相手からの信用を得るだけでも相応の時間がかかるものですし、成功すれば少なからぬカネが手に入るものなのですから、短期間で複数以上の男性を相手取らなければならない理由自体もないのではないかと。
そんなに簡単に足がつきそうな詐欺行為を乱発しまくって、シン・スヒョンは一体何がしたかったのかと。
自殺行為以外の何物でもなかったのではないかと思えてならないのですけどね。

物語を最初から最後まで見た限りでは、4作目映画に繋がりそうなネタは以下のようなもの挙げられるでしょうか。

1.室井との結婚話が提示された後、恩田すみれの携帯電話に誰かから電話がかかってきて、体の様子を聞かれたり、相手からの質問に対して「すぐには決められない」と返答するなど深刻な調子で応対していること(親からの電話と考えられるが……)。

2.シン・スヒョンが逮捕された後、恩田すみれが室井に対し「警察を辞めるから結婚は考えていない」と告白するシーン。

3.同じくシン・スヒョン逮捕後、室井が国際犯罪指定捜査室に入るという出世話を蹴ってしまったこと。

4.鳥飼が青島と室井の双方に悪感情をむき出しにしていること。

これらの伏線が4作目映画においてどのような形で反映されることになるのか、答えは9月7日の劇場公開で明らかになる、といったところでしょうか。
ネタ自体は、別に今作を見ていなくても特に支障はなさそうではありましたが。
ちなみに、室井が物語のラストで呟いた「へばなすたっちゃ」というのは東北(秋田)弁で「それがどうした、だからどうした」という意味なのだそうです。
この辺りは、秋田出身で東北大学卒という室井ならではの発言ですね。

今回のテレビドラマ版「踊る大捜査線」は、視聴率21.3%という数字を叩き出すほどの盛況ぶりだったみたいですね。
まさに「踊る大捜査線」の人気の根強さを伺わせるものがありますが、昨今の韓流問題や不祥事の連発などで凋落の一途を辿っているフジテレビ的にも、さぞかしありがたい番組だったことでしょう(苦笑)。
「踊る大捜査線」シリーズ完結編となる映画「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」は、私も映画館で観賞する予定です。

映画「コロンビアーナ」感想

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映画「コロンビアーナ」観に行ってきました。
「ニキータ」「レオン」などの映画製作を手掛けたリュック・ベッソン監督が世に送るクライムアクションドラマ。
作中には血を出して死んでいる人間の描写やセックスを匂わせるシーンがあることから、当然のごとくPG-12指定されています。

最初の舞台は1992年、南アメリカの北東部に位置するコロンビア共和国。
当時、コロンビアの有力なマフィアのボスであるドン・ルイスは、部下のマルコに対し、組織から足を洗おうとしていた同じマフィアの幹部を殺害するよう命じます。
ターゲットにされた幹部の方も、すぐさまその気配を察知し逃げる準備を始めるのですが、時既に遅く、幹部の自宅はマルコの部下達によって包囲されてしまいます。
進退窮まったことを悟った幹部の男は、コロンビアの国花「カトレア」と名付けた当時9歳の娘に小さなチップと名刺を渡し、自分達に万が一のことがあれば名刺に書いてある住所まで自力で向かい、そのチップを渡した後、叔父のエミリオを頼るよう告げるのでした。
ほどなく強引に自宅へ押し入ってきたマルコ率いる男達によって、カトレアの両親はあっさりと殺されてしまいます。
そして勝利を確信し、自宅のテーブルにじっと座っていたカトレアと対座したマルコは、父親から渡されたであろうチップを渡せば欲しいものをやるとカトレアに迫ります。
それまで大人しく、また従順するフリをしていたカトレアは、そこで「ドン・ルイスの命!」という叫びと共に、隠し持っていたナイフをマルコの手に突き刺し、その一瞬の隙を突いて窓から脱出を果たすのでした。
コロンビアの複雑な地形を利用して追手の手から逃れ、名刺に書かれていた住所へと向かったカトレアが辿り着いたのは何とアメリカ大使館。
カトレアが予め口の中に入れていたチップを吐き出し、アメリカ大使館の人間に渡すと、よほどに重要なデータでも入っていたのか、アメリカ大使館の人間は驚愕の表情を浮かべます。
結果、アメリカへの入国が認められたカトレアは、しかしアメリカ入国直後にトイレに入った後、監視の目がないのを良いことに窓から逃亡。
そのままシカゴへと向かい、そこで裏の稼業を営んでいた叔父のエミリオと対面することに。
エミリオはカトレアを自分の保護下に置き、彼なりに守っていくことを決意することになります。
しかしカトレアは、自分の目の前で殺された両親のことが忘れられず、ドン・ルイスとマルコに復讐を遂げるべく、殺し屋になることを考えつき、エミリオにも協力するよう要求するのでした。

それから15年後。
平常の勤務で雑談をしていた警官2人が乗っていた車輛に、突然赤い車が猛スピードで体当たりしてくるという事件が発生。
車にはひとりの女性が乗っていたのですが、女性には自身の身元を証明するものは何も持っておらず(名前が書かれた図書館カードが一枚あっただけ)、また酷く酔っているのか呂律も回らない状態。
その様子を見た警官達は、とりあえず一晩牢にぶち込み、翌日釈放するということで決着をつけます。
奇しくもその時は、同じ牢に凶悪犯罪者を収監する予定が入っており、警官達は事なかれ主義的に処理を済まそうとしていたのでした。
ところが牢に放り込まれた女性は、監視の目がなくなるや否や、娼婦のような露出の高い服から隠し持っていたタイツスーツに着替え、不穏な行動を開始するのでした。
彼女こそ、15年前にエミリオに保護されたカトレアその人だったのです。
カトレアの目的は、収監された凶悪犯罪者をその手で抹殺すること。
様々なテクニックを駆使した末、彼女は首尾良くターゲットの殺害に成功するのですが……。

映画「コロンビアーナ」では、実の両親の仇を討つためにのみ生きる女が、それ故に全てを失っていく様が描かれています。
両親を殺した仇を討つために殺し屋になったカトレアは、闇稼業に精を出すエミリオが請け負った殺しの依頼を受けるという形で、殺し屋稼業に従事していました。
ところが彼女は、両親の復讐を優先するあまり、自分が殺した凶悪犯罪者達の死体にコロンビア国花であるカトレアの花の紋様をわざわざ残していっているんですよね。
カトレア的には、そうすることで自分が生きていることを仇のマフィア達にメッセージとして伝え、自分の下へおびき寄せることで仇を討とうという意図がありました。
しかしそれは、自分の正体に繋がる手がかりを残しながら殺しを続けるという行為に他ならず、警察の捜査から逃れることが困難になるばかりか、マフィア達からも再び生命を狙われかねないという二重の危険を背負うものでもありました。
さらに、死体にカトレアの花を残すという所業はエミリオの指示ではなく、あくまでもカトレアが独断でやっていたものでしかなかったのです。
殺しの依頼を取ってきていたエミリオにしてみれば、自分はおろか、実の娘同然に扱っているカトレアにまで危害が及ぶという事態は到底認められるものではなく、そんなことは止めるようカトレアに命令します。
しかし、復讐が全てに優先するカトレアにとって、仇をおびき出すという手段は決して放棄できるものではなく、通算で23件目となる殺し屋稼業でも彼女は結局同じことを繰り返すのでした。
結果、カトレアはエミリオと縁を切られてしまったばかりか、例の紋様からカトレアを追跡してきたマルコ一派によってエミリオ夫婦叔父と祖母を殺害されるという憂き目まで見ることになってしまいます。
ところが、それでも彼女は復讐を諦めることがないんですね。
殺されたエミリオ夫婦叔父エミリオも、殺された息子の復讐に精を出していた経験から、復讐が不毛なものであることを悟り、死んだ息子の分もカトレアに幸せになってもらいたいと公言されていたにもかかわらず。
また、カトレアの両親が殺されたのはカトレアに責任があるものではありませんが、エミリオ夫婦叔父と祖母の死はまぎれもなくカトレアの行為が原因です。
彼女は結果的に、自身の復讐のために自分の叔父夫婦叔父と祖母を巻き込んでしまっているわけなのですから。
そこまでして、彼女にとっての復讐は何が何でも達成されなければならないものだったのでしょうか?
結果的にカトレアはドン・ルイスとマルコ一派に復讐を果たすことに成功するわけですが、そのために払った代償はあまりに大きなものであると言わざるをえないでしょう。
叔父夫婦叔父と祖母の死、自分の正体が露見し全国指名手配、さらには仕事の基盤をも失い、恋人とも別れて街を出ていかざるをえなくなると、散々な状態に追い込まれたのですから。
彼女にとって「両親に対する復讐」というのは、自分の生涯をかけた「生きる目標」であり、それがなくては彼女は生きていけなかったのか、とすら思えてならなかったです。
自身の復讐のために新たな悲劇を生みながら、それでも復讐に固執せざるをえない彼女の生き様は、ある意味哀れなものがありましたね。

ただそうなると、その「生きる目標」である復讐を果たした後、彼女は一体どうなってしまうのでしょうか?
カトレアには、復讐をどうやって達成するかについてはいくらでも考えていたでしょうが、復讐を達成した後のことについては全く何も考えていなかったように見えます。
「生きる目標」を失い、しかもそれに代わる目標も立たないというのは、精神的に死んだも同然の状態にもなりかねないものがありますし。
また、親しかった人間と強制的に決別させられ、(殺し屋としての)生活基盤をも失った上、正体が割れて全国指名手配までされた彼女の未来は、あまり明るいものとは言い難いものがあるでしょう。
最低でもアメリカからの国外逃亡は余儀なくされるでしょうし、それ以前に「自分が生きる理由」というもの自体が果たして見出しえるのかどうか……。
状況的に見れば、ラストシーンの後に「死んだ両親とエミリオ夫婦に会いに行く」として自殺に走っても何ら不思議なことではないのですしね。
エミリオ夫婦がカトレアに望んだ「死んだ息子の分まで幸せになってほしい」という願いは、残念ながら達成されそうにもないのが何とも言えないところで(T_T)。
後日談的なエピソードがあるのならどういうストーリーが展開されることになるのか、少々興味をそそられはしますね。

アクションシーンはそれなりのものがありますので、アクション映画が好きという方にはオススメの映画と言えるでしょうか。

映画「ひみつのアッコちゃん」感想

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映画「ひみつのアッコちゃん」観に行ってきました。
赤塚不二夫原作の国民的人気を誇る同名コミック生誕50周年を記念して制作された、綾瀬はるか・吉田里琴が主演を担う実写映画化ハートフルコメディ作品。
ストーリーは完全オリジナルで、原作や既存アニメとは何の関連性もありません。
今作は元来観賞する予定はなかったのですが、現在がちょうど1ヶ月フリーパスポート発動期間中ということで、急遽観賞予定リストに加えられることになった経緯があったりします(^_^;;)。
しかし、こんなある意味「古典的作品」までとうとう実写映画化されるようにまでなったのですねぇ。
洋画・邦画を問わず、昨今の映画では原作マンガの実写化が顕著なのですが、この傾向、果たしていつまで続くことになるのやら。

映画のタイトル名や原作から考えても当然のごとく今作の主人公である「アッコちゃん」こと加賀美あつ子は、母親の化粧箱を無断で失敬して見様見真似の化粧をするような、小学5年生のちょっと活動的な女の子。
ある日、加賀美あつ子が5年2組の教室で化粧をしていたところ、今時珍しいガキ大将含む3人の男子児童にイチャモンをつけられた挙句、ガキ大将から物を投げつけられた衝撃で父親からもらったコンパクトを壊されてしまいます。
そのことを嘆き悲しんだ加賀美あつ子は、自宅の庭にコンパクトの墓を作り、壊れたコンパクトを丁重に葬ります。
しかしその夜、加賀美あつ子は突如、誰かに名前を呼ばれると共に白い光が自宅の外で放たれているのを目撃するのでした。
謎の声に導かれるままに彼女が自宅の外に出ると、そこには光に包まれたひとりの男が佇んでいました。
彼は自分のことを「鏡の精」と名乗り、壊れたコンパクトを長年にわたって大事にしてくれたお礼として、新しいコンパクトを加賀美あつ子にプレゼントするのでした。
そして彼はこう付け加えるのです。
そのコンパクトは魔法のコンパクトであり、「テクマクマヤコンテクマクマヤコン」と唱えて変身したいものの名前を言えば、その名前のものに変身することができること。
元に戻りたい時は「ラミパスラミパスルルルンパ」「ラミパスラミパスルルルルルー」と唱えれば良いこと。
そして、コンパクトの魔法は誰にも知られてはならず、もし知られたら魔法が使えなくなってしまうこと。
「鏡の精」が去った後、加賀美あつ子はコンパクトの魔法を何度か発動させ、「鏡の精」が言っていたことが事実であることを確認します。
元々「大人になること」に憧れを抱いていた加賀美あつ子は、自分が好きな時にすぐさま大人に変身することができるコンパクトをすっかり気に入り、大人の女性警察官に変身してガキ大将に説教をしたりするのでした。
そんな折、小学校の同級生と一緒に遊びに行った遊園地で、加賀美あつ子は御年27歳になるひとりの男性と「子供の姿で」出会うことになります。
色々あって遊園地の観覧車に、その男性と一緒に同乗することになった加賀美あつ子は、妙に寂しそうなその横顔が気になるのでした。
その男性とは本来、一度きりの出会いとなるはずでした。
しかしその後、コンパクトの魔法でまた大人に変身した加賀美あつ子は、かねてから興味があった化粧品の売り場で店員から化粧をしてもらっている際、何の因果か再びその男性と遭遇することになります。
彼は化粧品の開発・販売を担っている大企業「赤塚」の開発室長待遇の地位にある早瀬尚人という名前の人物であり、この出会いが加賀美あつ子と早瀬尚人、さらには「赤塚」の運命をも変えていくことになるのですが……。

初の実写版映画(テレビドラマでは既に前例あり)となる今作の「ひみつのアッコちゃん」は、そのメルヘンチックなお子様向け作品をイメージしやすい名前と実績に反して、企業乗っ取りだの株主総会だのといったドロドロな一面が前面に出てきます。
ストーリーの大部分が、化粧品会社「赤塚」および「赤塚」に勤務している早瀬尚人との関係に終始しているため、ストーリー的にはそうなるのも当然ではあるのですが、そのこともあってか、「子供としての加賀美あつ子および彼女周辺の人間関係」についてはかなり小さな比重でしか扱われていないんですよね。
ガキ大将とか加賀美あつ子の友人であるモコなどは、序盤と終盤以外ではほとんど「お情け」レベルの出番しかありません。
そこから考えると、今作はあくまでも「魔法の力で大人になった加賀美あつ子の物語」であり、同時に「大人に憧れる子供の現実遊離な物語」でもある、ということになるでしょうか。
物語終盤では、魔法が使えなくなった加賀美あつ子が、元いた「子供としての自分の居場所」に戻っていくという描写もしっかり描かれていますしねぇ。

ただ、物語全体で見ると、明らかに「魔法のコンパクト」以外の要素があるとしか思えない言動が、加賀美あつ子には目立ち過ぎますね。
たとえば序盤で加賀美あつ子は、冬休み中に通わなければならない塾をサボるために大人に変身して「加賀美あつ子の親戚」と称し、塾に直接乗り込んで「加賀美あつ子は外国へ行ったから当面塾は休むことになる」と塾講師?に告げることで休みを確保します。
しかし、こんなのは塾側が加賀美あつ子の母親に直接電話をかけて確認を取ればすぐにでも露呈するウソでしかありませんし、そもそも一度も面識もない「加賀美あつ子の親戚」なる人物の身分詐称を、塾側が頭から信じなければならない理由もありません。
むしろ塾側としては、加賀美あつ子が何らかの犯罪に巻き込まれた可能性をも考慮して、目の前の女性の身元や親への確認を、自分から率先して行わなければならないところでしょう。
今の時代、この手の対処を誤ればマスコミが総出で叩きにかかりますし、下手すれば塾の経営や信用にも多大な悪影響が出かねないのですから。
あんな稚拙なやり方で、よくもまあ親にもバレないサボりができたよなぁ、とつくづく考えずにはいられませんでした。
そして早瀬尚人が勤務する化粧品会社「赤塚」へバイト待遇で入社した後も、社会人としてのマナーなど欠片たりとも持ち合わせていない言動を披露するのは、その出自から考えてやむをえないにしても、それに対して実行力のある制裁が全く発動しないというのは奇妙な話です。
加賀美あつ子の「非礼」な言動を見て周囲の他者が取った行動って、せいぜい「口先だけの抗議」くらいなものでしかなかったですからねぇ。
特に酷いのは、「赤塚」の株主総会で披露されたマイクパフォーマンスですね。
作中では誰もが彼女に注目し筆頭株主を動かすほどの名演説的な演出として扱われていましたが、元々彼女は「赤塚」の株主ではなく、あの場における発言権限など皆無なはずなのですから。
それどころか、あんなマイクパフォーマンスは企業の株主総会に対する明確な妨害行為とすら見做され、最悪は法的に罰せられる危険性すら否定できないところでしょう。
というか、加賀美あつ子が通う小学校でさえ、ああいう「悪目立ち」する行為を抑制するための社会的なマナー程度のことは普通に教えられそうなものなのですけどねぇ。
ましてや、小学校でも5年生レベルであればなおのこと。
この辺りは「小学生ならではなの世間知らずと無邪気さ」を逆手に取って大人達を圧倒する美談的に扱ってはいるのでしょうが、展開に無理があり過ぎて、正直ここにすら「魔法の力」が介在していたのではないかと考えざるをえなかったですね。

あと、ラストの爆弾騒ぎで加賀美あつ子は、ネコに変身して爆弾の所在を確認した後に人員の誘導を行っているわけですが、何故あそこでネコから元の大人の姿に戻って他者に爆弾の存在を知らせようと考えなかったのでしょうか?
ネコに変身して爆弾の現場まで他人を誘導するなんて手段自体がまどろっこしすぎますし、実際、作中でも一度失敗しかけてすらいますよね、アレって。
そんなことをするよりも、一度大人に変身して素直に「工場に爆弾が仕掛けられています」と他者に知らせていた方がはるかに効率も良く、かつ自身の秘密を知られることなく魔法を失うこともなかったのではないのかと。
というか、もっと効率の良い方法を考えれば、魔法のコンパクトを使って爆弾解体業者に変身して自分で起爆装置を解除するとか、オリンピック級の長距離走&槍投げ選手に変身して爆弾を安全な場所まで持っていって空高く遠くに投げるとか、自分ひとりで解決できる手段はもっと色々あったはずなのですが。
作中でも、魔法のコンパクトでバイクレーサーに変身した際にオートバイまで一緒に出していた上、免許もなく一度も動かした経験すらないはずなのに問題なく普通に乗り回していたのですから、魔法のコンパクトの力を使えば決してできないことではないでしょう。
外見上の変身のみならず一流の技能まで備わる魔法のコンパクトなんて、無敵のチート能力もいいところなのではないかと思うのですけどねぇ(苦笑)。

あと個人的には、物語中盤で子供の加賀美あつ子が、唐○俊○ばりのネットからのコピー&ペーストで「冬休みの課題」をさっさと終わらせたところを佐藤先生に見つかって咎められていたシーンも笑えるものがありましたね。
映画における●沢●一レベルのP&Gな盗作行為自体は、ジャック・ブラック主演の映画「ガリバー旅行記」でも見られたものではありましたが、これって知識さえあれば子供でもできることでもないのだなぁ、と。

原作やアニメにおける「ひみつのアッコちゃん」は、全体的に子供がメインの作品であるのに対し、今作はストーリー的にも出演キャスト的に見ても「大人向けの大人のための作品」ではあるでしょうね。
企業乗っ取りや株主総会の話なんて、とても子供向けに作られたものとは思えないですし(苦笑)。
大人だけで観るのならともかく、すくなくとも親子連れで観賞しえる映画であるようにはあまり見えないですね、今作は。

映画「闇金ウシジマくん」感想

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映画「闇金ウシジマくん」観に行ってきました。
小学館発行の青年マンガ雑誌「ビッグコミックスピリッツ」で不定期連載されている、真鍋昌平原作の同名マンガを実写化した作品。
2010年に実写化されたテレビドラマシリーズの続編で、キャストもテレビドラマ版をそのまま踏襲しています。
作中には女性の裸やレイプシーンなどが描写されていることもあり、PG-12指定されていますね。
なお、私は原作未読・テレビドラマ版未視聴で今作に臨んでいます。

とある一部上場企業の社長・二宮が主催するセレブパーティ。
持ち前のネットワークとコネクションを駆使して二宮を口説くことで、そのセレブパーティに出席した、イベントサークル「BUMPS」の代表である小川純は、セレブパーティに参加している金持ち達に取り入り、自分が主催するイベントで多額の資金を提供してくれるスポンサーを集めることを画策していました。
小川純は、FX長者として成り上がった猪俣なる人物を二宮から紹介されます。
「シャンパンを10分以内に一気飲みして見せたら1000万円出す」という猪俣の挑戦に応じ、見事勝利を勝ち取ってみせる小川純。
シャンパンに2・3滴残されていたことを理由に100万円に値切られはしましたが、それでも小川純は猪俣の名刺を渡され、何とか資金調達のための新たなコネクションを獲得したかに見えました。
ところが、セレブパーティが盛り上がりを見せ始めた中、突如3人の男が会場に現れます。
彼らは会場の雰囲気を無視してズカズカとパーティ会場へ押し入り、猪俣に対し、過去に借金していたことを理由に750万円もの現金を、今すぐこの場で全額支払うよう命じるのでした。
猪俣はFX長者であり億単位のカネを動かせると豪語していましたが、さすがにセレブパーティに参加している席上でそんな大金を、しかも現金で持ち歩いているわけもありません。
猪俣は後日の返済を約束するのですが、男達のリーダー格にしてカウカウファイナンスの社長である丑嶋馨は「借金まみれの奴に明日がくるかどうかなんて分からない、今日返せ」と聞く耳を持とうとしません。
そして丑嶋馨は、猪俣を問答無用の暴力で脅した挙句、「今この場で500万のカネを貸す人間がいたらお前を信用してやる」と宣言するのでした。
猪俣は周囲のパーティ参加者にすがるかのようにカネの催促を行うのですが、丑嶋馨の暴力と雰囲気に圧倒されていた上、求められる金額が金額ということもあり、誰もその要求に応えようとはしませんでした。
結果、猪俣は問答無用で3人の男達に強制連行され、セレブパーティの会場を後にする羽目となったのでした。
しかし、せっかく得られた金ヅルを突然潰されてしまう形になった小川純は、納得できないままに彼らの後を追います。
それに対して丑嶋馨は、「金は奪うか奪われるかだ、お前のように媚びて恵んでもらうものじゃない」と突き離し、猪俣を連行し去っていくのでした。

3つの携帯電話に3000以上ものアドレスを持つ小川純は、その広範なネットワークを駆使して「BUMPS」主催のコンサートを開催し、それを土台にして成り上がるという野望を抱いていました。
ルックスが良く人気が高い「ゴレンジャイ」というダンスユニットを結成させ、女性ファンを中心に集客活動を行っていた彼は、コンサートを行うための会場を借りる交渉を行っている真っ最中でした。
ところがある日、会場主のオーナーが突如、以前からの支払スケジュールを反故にして今日中に会場の賃貸料300万円を全額納めろと小川純に命令してきます。
突然の命令な上、300万円もの大金をイキナリ用意できるわけもなく、また過去に多くの借金を踏み倒してきた前科の数々を抱え込んでいることから、小川純は頭を抱えて悩むことになります。
冒頭のパーティで100万円の資金提供を約束してくれた猪俣も、丑嶋馨に連れ去られて以降は音信不通となってしまい、名刺に書かれていた連絡先も応答がなくなってしまうありさま。
そこへ、小川純の幼馴染である通称ネッシーこと根岸裕太に、違法な闇金業者にカネを借りることを進言されるのでした。
その忠告に従って小川純がカネを借りに行った先は、何と冒頭で猪俣を連行していった丑嶋馨が社長を務めるカウカウファイナンス。
「10日で5割、賭け事の場合は1日3割」などという違法以外の何物でもない超高率な利息でカネを貸すことを説明され、小川純はその条件でカネを借りることになるのですが……。

映画「闇金ウシジマくん」を観賞していて思ったのは、「この主人公、本当に闇金の借金取りを生業にしているのか?」「この作品構成で『闇金』というテーマにこだわる必要があるのか?」というものでしたね。
明らかに「闇金の回収」が目的とは思えない行動が目立ち過ぎです。
特に、FX長者である猪俣を丑嶋馨達が問答無用で脅したてるシーンなどはその典型で、彼らはわざと「自分達に借金の返済が行えない状況」を作り出して借金回収に臨んでいたとしか思えないんですよね。
かつてはその日暮らしにも困窮する生活を送っていたにしても、猪俣はFXで多額の資金を稼ぎ出し、億単位のカネが動かせる生活ができるようにまでなった身分だったはずです。
冒頭のセレブパーティーでも、彼は小川純相手に1000万円もの資金提供を即興で申し出たりしているわけですし。
丑嶋馨が通告してきた750万円の借金返済にしても、あのような場ではなく自宅を強襲したり、カネを銀行等から引き落としたタイミングなどを狙ったりするだけで、彼らはより確実な借金返済を行うことが可能だったはずでしょう。
猪俣の言動自体が全て虚言で、あのセレブパーティーにもわざわざ借金まみれで参加していたなどという事実でもない限り、彼の手元にはFXで稼いだ返済可能な資金が確実にあるはずなのですから。
にもかかわらず、丑嶋馨達があのような「借金取りのセオリー」に反した強硬手段を、それも衆人環視の場でやってのけたということは、つまるところ彼らの本当の目的は「借金取り」ではない、ということにもなりかねないでしょう。
作中の描写を見る限りでは、借金返済を怠った人間に対して制裁を科し、全財産を没収した上で身元不明の状態にして人知れず殺害する、というのが彼らの本当の目的だったとしか思えないところなんですよね。
750万円というのは確かに大金ではあるでしょうが、億単位のカネを持つ人間相手に暴力を振るって強制連行してまで回収すべき金額であるとは到底考えられないのですし。

また、彼らは一部上場企業の社長が主催するセレブパーティー、という衆人環視の目がある中で猪俣を脅しつけ強制連行まで行っているわけですが、その行為によって、セレブパーティーを主催したあの社長は、結果的に自分の顔を潰される羽目になったわけですよね。
作中では丑嶋馨達の暴力の前に事なかれ主義な対応を決めざるをえなかったにしても、あのまま黙って大人しく泣き寝入りを決め込むなんて、あの社長的には到底ありえない対応であるはずなのですが。
猪俣という上客を連れ去られた上、自分が主催するセレブパーティーの眼前で繰り広げられた犯罪行為を黙認したとなれば、自分自身どころか、下手すれば会社の信用問題にまで直結する事態にも発展しかねないのですから。
あの場には猪俣や小川純以外にも多くのパーティー参加者がいて、状況証拠や目撃情報にも事欠かないわけですし。
物語中盤で、借金取り行為で被害届を出され、前科がつくどころか起訴されることにすら危機感を持って対処していた丑嶋馨が、あの公衆の面前でやらかした犯罪行為の数々に無頓着だったというのはおかしいでしょう。
不法侵入と器物破損だけでも、丑嶋馨達が訴えられるのに充分な訴追事由となりえるわけですし、そこから闇金問題にガサ入れされてしまう可能性は濃厚にあるのですから。
後から示談金を支払って解決する問題とは思えませんし、仮にそんな解決法に頼ったとしても、その示談金の金額は猪俣の借金請求額よりも多いものとなりかねないでしょう。
闇金の借金取りが本職であるはずの彼らのあの場での行動は、しかし借金取りとしては完全無欠の失格以外の何物でもありません。
だから私は、「そもそも彼らは本当に借金取りを生業にしていたのか?」という疑問すら抱かざるをえなかったんですよね。
彼らの行動は、むしろ一昔前の時代劇で散々披露されていた悪代官や悪徳商人を成敗する勧善懲悪主人公のそれを連想させるものすらありますし。
作中における彼らの行動を見る限り、「闇金ウシジマくん」というよりも「制裁ウシジマくん」の方が、彼らの実情に正しく沿っている作品タイトルなのではないかと思えてならないのですけどね、私は。

あと、物語中盤で小川純がカウカウファイナンスに対する被害届攻勢をかけていた際、被害届を取り下げるのと引き換えに250万円ものカネをカウカウファイナンス関係者から引き出させることに成功しているのですが、何故その後小川純はバカ正直に被害届を取り下げてしまったのでしょうか?
丑嶋馨をはじめとするカウカウファイナンスの手口を、小川純は物語冒頭から実地で目の当たりにさせられていたはずですし、彼らを警察から自由にすれば、いずれ自分に対して借金回収と報復の手が及ぶことくらい、冒頭の手口からいくらでも察することが可能なはずでしょう。
また、小川純が被害届を取り下げることなく、カウカウファイナンスが警察の手によって壊滅させられれば、小川純はカウカウファイナンスからせしめた250万円をそのまま自分のものにしてしまうことも可能なのです。
となれば小川純は、250万円をせしめた後に約束を反故にし、警察の手でカウカウファイナンスを壊滅に追いやることこそが、あの場における唯一の選択肢であるべきだったのではないのかと。
司令塔である丑嶋馨がいない状態では、さしものカウカウファイナンスといえども十全の実力を発揮することはできないでしょうし。
元々被害届を出して喧嘩を売った時点で、カウカウファイナンス側の怒りと憎悪は確実に買っている上、当の小川純自身、冒頭の猪俣の件もあってカウカウファイナンスを「あんな悪党は滅びて当然」とまで考えていたくらいなのですから、被害届を取り下げるべき理由などどこにもないといっても過言ではないのですが。
というか、カウカウファイナンスを壊滅に追い込むことで目先の250万円を自分のものにする、というだけでも、カウカウファイナンスに被害届を出した小川純の目的は充分に達成できていたはずでしょうに。
出さなくても良い変な温情を出して被害届を取り下げてしまったばっかりに、彼は見事に身の破滅を招くことになったわけなのですから、妙なところで甘いよなぁとつくづく思わずにはいられなかったですね(-_-;;)。

小川純の幼馴染として登場する鈴木美來がラストで若干明るい展望だった以外は、軒並み暗いストーリーのオンパレードでしたね、今作は。
その鈴木美來にしても、母親の性格が最悪な上、丑嶋馨には母親の借金の取り立てを情け容赦なく求められ、小川純からは「ウリ(売春)をやって金を稼いでくれ」などと迫られたりと、不幸な目に遭いまくっているわけですが。
人間の負の部分を描くダークな展開を売りにしているという点では、映画「スマグラー おまえの未来を運べ」にも通じるものがあります。
内容が内容だけに、観る人を選別しそうな映画と言えるでしょうね。

映画「あなたへ」感想

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映画「あなたへ」観に行ってきました。
2012年で御年81歳になる高倉健が、2006年日本公開の日中合作映画「単騎、千里を走る。」以来、実に6年ぶりに映画出演を果たした人間ドラマ作品。
作品の内容が内容ということもあってか、スクリーンの観客は年配者がほとんどでしたね。

富山の刑務所で囚人達の指導技官を長年にわたって務めている今作の主人公・倉橋英二。
彼は高齢になってから結婚して15年になる妻・倉橋洋子に先立たれ、目的がないままに仕事に従事する日々を送っていました。
そんなある日、亡くなった妻の手紙を届けに来たというNPO法人の女性が、 倉橋英二が勤めている刑務所を訪ねてきます。
彼女は、倉橋洋子から依頼されていた2通の手紙を提示し、そのうちのひとつをその場で倉橋英二に直接渡します。
その手紙には、灯台らしき絵と共に以下のような文章が綴られていました。

あなたへ
私の遺骨は
故郷の海へ
撒いて下さい

そして、もうひとつの手紙は、「故人の意思」ということから、倉橋洋子の生まれ故郷である長崎県平戸市の郵便局で「局留め郵便」として10日以内に受け取るように、とのことでした。
何故妻はそんなことをするのか?
疑問に駆られながらも、倉橋英二は妻の生まれ故郷である長崎県平戸市へ行くことを決意します。

倉橋英二は、死ぬ前の入院生活の中で、自家用車である日産製の大型ミニバン・エルグランドをキャンピングカー仕様に改造し、2人で旅に出ようという構想を妻に話していました。
それは既に叶わぬ願いとなってしまったわけですが、倉橋英二は妻の死で途中放棄されていたエルグランドの改造に乗り出し、エルグランドを簡易キャンピングカーとして生まれ変わらせます。
そして彼は、長旅の前に刑務所へ退職届を出し、長崎へ出発しようとするのでした。
しかし、突然退職届を出された刑務所側は、倉橋英二の長年の刑務所勤務の経験を買っており、退職届を受理せず休暇扱いとします。
同僚の刑務所職員が見送る中、倉橋英二は富山を出発。
かくして、妻の散骨のために、富山から長崎県平戸市まで実に1200㎞以上もある長い旅が始まったのです。

映画「あなたへ」は、旅先の風景を映し出すロードムービーとしての一面も兼ね備えており、富山から長崎県平戸市まで、いくつかの観光名所が描写されています。
作中で描写されていた主な中継地は以下の通り↓

富山(出発地点)

岐阜県飛騨高山(杉野輝夫との出会い/その1)

大阪(駅弁の販売/その1)

兵庫県和田山の竹田城跡(妻との思い出)

山口県下関市(杉野輝夫との出会い/その2)

北九州市門司(駅弁の販売/その2)

長崎県平戸市(妻の散骨)

北九州市門司港(駅弁の販売/その3、ラストシーン)

物語は、高倉健が演じる倉橋英二が、行く先々で多くの人と出会い交流しつつ、妻との思い出を回想していくという形で進行していきます。
倉橋英二と妻の倉橋洋子以外は「行きずりの他人」かつ「チョイ役」的な扱いで、浅野忠信が演じた山口県下関署の警官に至っては、名前すらもなく本当にちょっとしか登場しないありさま。
しかし、各登場人物を演じた俳優さん達は、その登場回数を問わず、皆渋い役どころを忠実に演じていました。

ビートたけしが演じた杉野輝夫は、本人の言によれば元国語教師で、倉橋英二と同じく妻に先立たれ、キャンピングカーで旅を続けているとのこと。
山口県下関市で、実は彼は各地で車上荒らしの犯行を重ね指名手配されていたことが判明するのですが、倉橋英二については特にそういったことをやらかすでもなく、むしろ良きアドバイザーとしての一面を披露していました。
コンビニなどで車を止めて宿泊するのは、防犯の観点から拒否される店も少なくないなどといった、意外な盲点を突いた忠告もしてくれていますし。
下関署の警官達は、杉野輝夫が話した生い立ちの数々を「作り話だろう」と切り捨てていましたが、すくなくとも彼が倉橋英二に話したことについては、少なからぬ真実も含まれていたのではないかなぁ、と思わせるものがありました。
倉橋英二も、杉野輝夫には特に悪い印象を抱いていた様子もなく、「むしろ良くしてくれた」などと話していたくらいでしたし。

車の故障が縁となって知り合うことになった、草彅剛が演じる田宮裕二は、およそ遠慮というものを知らないながらもどこか憎めない人間、という役柄でしたね。
何やかやで倉橋英二は、大阪までの輸送どころか、田宮裕二の仕事である駅弁販売まで手伝わされる羽目になっていましたし(苦笑)。
まあそんな田宮裕二も、実は生活面で暗い一面を抱え込んでいることが、北九州市門司のエピソードで判明するのですが。
ちなみに、田宮裕二の車が故障し、倉橋英二の車に荷物を載せて大阪へ向かった際、その場で置き去りにしていた故障車は一体どうなったんだ? という疑問を私は一瞬抱かざるをえませんでした。
しかし、あの車は「わ」ナンバーのレンタカーであり、レンタカー会社に連絡すれば社員が現地まで行って引き取ってくれるのだそうで、その辺の問題はないとのことです。
この辺は作中の登場人物達の会話でも全く言及されておらず、何も知らない人から見れば少々混乱させられる描写ではありますね。

物語後半に全く意外な形でキーマンになるのが、田宮裕二より年長でありながら、仕事の関係上は後輩であるという、佐藤浩一がキャストを担う南原慎一。
初登場時の彼は、お調子者の田宮裕二を諌める役割以外は存在感の薄いキャラクターでしかなかったのですが、長崎県平戸市へ着く直前頃から、彼には明確な伏線が出てくるようになります。
実は彼は長崎県平戸市の出身で、そこで登場することになる食堂店の母娘の関係者でもあるんですね。
南原慎一という名前自体、7年前に名乗るようになったものなのだとか。
しかし、彼が偽名を名乗り長崎県平戸市と縁があることは作中での会話から分かるにしても、南原慎一が実はあの一家の亡くなったとされる夫だったという事実を、倉橋英二が一体どうやって理解したのか、そこは少々疑問ではありましたね。
一応、作中では「散骨の際に一緒に海に沈めてくれ」とあの母娘に言われて渡された「娘と婿さんとの写真」を見て理解したみたいな描写ではありましたが、正直アレだけでは観客的に理解はできないというか……。
平戸市といっても人口は3万人以上いるわけですし、漁師に限定しても数百単位はいるでしょうに、ピンポイントで母娘と父親にぶち当たってしまうとは、倉橋英二も何という僥倖だったことかと。
まあこの辺は、フィクション作品ならではのご都合主義的な要素も多々あるのでしょうけどね。

作品の内容的には、高倉健のファンや年配者向けの映画であることはまず間違いないでしょうね、今作は。
目的地までの過程で各地を巡るロードムービーという点では、映画「星守る犬」に通じるものがありますが、あれが悲劇的結末が最初から確定していた映画だったに対して、今作はある意味安心して観賞することができますので、ロードムービー好きな方にもオススメな一品です。

映画「るろうに剣心」感想

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映画「るろうに剣心」観に行ってきました。
1994年から5年にわたって週刊少年ジャンプで連載され、その後も根強い人気を誇る和月伸宏の原作マンガ「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」を実写映画化した時代劇アクション作品。
連載当時は週刊少年ジャンプの愛読者だったこともあり、原作は当然既読。
ストーリーは原作における「東京編」の「斬左編」「黒笠編」「恵編」をベースとしつつ、原作とは全く別のオリジナル構成で展開されています。

1868年(慶応4年/明治元年)1月に行われた鳥羽・伏見の戦い。
朝廷を擁する新政府軍と、徳川将軍に見捨てられた旧幕府軍が衝突し、凄惨な殺し合いが繰り広げられていました。
数的には圧倒的優勢な旧幕府軍に対し、新政府軍は苦戦を強いられます。
そこへさらに、斎藤一が率いる新撰組三番隊が新たに参戦。
戦局が旧幕府軍に傾きかけたまさにその時、突如ひとりの剣客が単身で新撰組をはじめとする旧幕府軍へ向かっていき、目にも止まらぬ速さと斬撃で次々と旧幕府軍の武士達を屠っていきます。
これに新政府軍は再び勢いづき、戦局は一転して幕府軍有利に。
それでもしばらく殺し合いが続く中、戦場にひとりの伝令がかけつけ、戦いが新政府軍の勝利に終わったことを大声で触れ回るのでした。
戦闘が終了すると、それまで鬼神のごとき強さを振るっていたのとは対照的に、まるで魂が抜けてしまったかのごとく虚ろな様子を見せる剣客。
剣客はその場で剣を地面に突き刺すと、斎藤一が話しかけるのにも返答を返すことなく、その場を後にするのでした。
これが、後に伝説として謳われることになる「人斬り抜刀斎」が、幕末で活躍した最後の姿となるのでした。

一方、勝敗の帰趨が決して無人となった戦場跡では、ひとりの男が息を吹き返していました。
ヨタヨタと戦場を歩く彼は、やがて「人斬り抜刀斎」が地面に突き刺していって剣に触れ、その剣に込められていたと思しき残留思念を垣間見ることになります。
それをきっかけに、彼は「人斬り抜刀斎」にひとかたならぬ執着を抱いていくのでした。

時は流れて1878年(明治11年)。
明治維新から10年の歳月が流れた東京では、武田観柳という名の実業家が「蜘蛛の巣」と呼ばれる新型阿片の開発に成功していました。
武田観柳の弁によれば、「蜘蛛の巣」は従来の阿片よりも依存性が高いとのこと。
彼は「蜘蛛の巣」の製造技術を外に漏らさないようにするため、「蜘蛛の巣」の製造に関わった技術者達を、自身の愛人でもあった高荷恵を除き、手下を使って全て殺させてしまいます。
その際、ひとりの男が逃走に成功するのですが、武田観柳は「奴は人斬り抜刀斎に任せておけ」という謎めいた言葉を残すのでした。

一方、東京の街では、その「人斬り抜刀斎」を名乗る正体不明の人物が、手当たり次第に人を殺害する事件が頻発していました。
件の「人斬り抜刀斎」は、その剣の流派を「神谷活心流」と名乗っており、その情報と共に簡単な人相が描かれた手配書が回されていました。
「神谷活心流」は東京で剣術を教えている道場を営んでいたのですが、その煽りを食らう形で門下生が一斉に離反し、衰退の一途を辿るありさまでした。
その「神谷活心流」の師範代である神谷薫は、ある日、立札に貼られていたその手配書を眺めていたひとりの男を目撃します。
その男の外見が手配書の容貌と似ていたことから、男を「人斬り抜刀斎」と判断した神谷薫は、「神谷活心流」を衰退に追い込んだ元凶を見つけたと言わんばかりの勢いで、男に木刀を突きつけ問答無用に成敗しようとするのでした。
そこで一騒動あった末、彼が街で噂になっている「人斬り抜刀斎」ではないと判断せざるをえなかった神谷薫は、お詫びという形で彼を「神谷活心流」の道場へと案内することになります。
これが、映画の中における神谷薫と、本当の「人斬り抜刀斎」こと緋村剣心との最初の出会いであり、そしてここから全てが始まることになるわけです。

映画「るろうに剣心」では、原作の「恵編」で黒幕として登場した武田観柳が、原作同様にカネの亡者としての悪役ぶりを大いに披露しています。
しかしその一方で、原作で彼の用心棒として雇われていたはずの御庭番衆御頭・四乃森蒼紫は、今作では一切登場しておらず、序盤の鳥羽・伏見の戦いで生き永らえ「人斬り抜刀斎」の剣を取った鵜堂刃衛が、彼に代わってその役割を担っています。
四乃森蒼紫が劇中で登場しないことについて、映画の脚本制作にも関わったという原作者の和月伸宏は、シネマトゥデイのインタビューで以下のように回答しています↓

http://www.cinematoday.jp/page/N0043764
>  [シネマトゥデイ映画ニュース] 実写映画『るろうに剣心』の公開を控え、原作者の和月伸宏が実写化にあたってのエピソードを語るとともに、完成版を観たときの心境を明かした。一人のクリエイターとして「悔しいくらい良いシーンなんですよね」と口にしたのは、主人公・緋村剣心がおなじみの赤い衣装で初登場する映画オリジナルのシーン。「本当にもう『剣心だなあ』って染みこんでくるので、ぜひ観ていただきたいですね」と話す口調にも熱がこもっていた。
>
>  和月も脚本段階から関わったという本作は「人斬(き)り」というテーマが最初に出てくる鵜堂刃衛との戦い、原作でいう1巻と2巻がベース。そこにもう一人の敵である武田観柳のエピソードを交えた構成となっているが、
脚本の第1稿は完成したものとはかなり違い、原作の人気キャラクターで剣心の宿敵である四乃森蒼紫も登場していたという。「監督とも話していて、敵が刃衛だけでは寂しいということで、最初は蒼紫を含めた御庭番衆も考えていたんです。ただ、そうすると2時間では収まらなくなってしまって……」と泣く泣くカットしたことを告白すると、「それで、今回は剣心と仲間たちを描いていこうという形になりました」と現在の構成に落ち着いた経緯を明かした。

このインタビューの内容から考えると、四乃森蒼紫は次回作辺りで原作とは違った形で登場する、ということになるのでしょうか?
原作者のインタビューを見る限りでは、明らかに次回作の存在を視野に入れているフシが伺えますし。
まあ、原作からして単行本28巻・完全版22巻分ものエピソードが存在するのですし、今回の映画も原作の序盤付近のストーリーが展開されていただけですから、続編を制作する余地はまだいくらでも存在するわけですが。
とはいえ正直言って、四乃森蒼紫抜きで構成した今作でさえ、実のところ「詰め込み過ぎ」な感が否めなかったりするんですよね。
特にそれを痛感せざるをえなかったのは、原作では「斬左編」を経て剣心の仲間になっていった相楽左之助の扱いですね。
原作の相楽左之助は、かつては新政府側で戦った赤報隊に所属し、隊長である相楽総三を味方に殺されたことから、明治政府や維新志士を憎み、その関係から剣心と対峙した経緯があったのに、映画ではそれらのエピソードは作中で何も語られも生かされもすることなく、ただ彼は自分の強さを武田観柳に売り込むだけのために剣心に喧嘩を売ってくるというありさま。
しかも劇中での戦いでは、剣心は相楽左之助から終始逃げ回っていただけで斬馬刀がへし折られることすらなく、ただ「あんな男(武田観柳)のために尽くすことはない」という剣心の説得?だけであっさり剣を引いて去ってしまう始末。
しかもその後は、特にこれといった心情が描かれることもなく、いつのまにか剣心の仲間になっているという展開で、あまりにも色々なエピソードが省略され過ぎています。
ラストの鵜堂刃衛との戦いの際も、相楽左之助は原作と違って別に重傷を負っていたわけでもなく、剣心と共にラストバトルに臨むことができる状態にあったにもかかわらず、そこでは何故か相楽左之助が戦いに加勢することもなく、原作同様に剣心と鵜堂刃衛との一騎打ちになってしまう状況。
剣心と2人がかりで鵜堂刃衛に挑むなり、剣心が鵜堂刃衛を引きつけている間に人質となっている神谷薫を救出するなり、彼の使い道もそれなりにはあったはずなのですけどね。
この映画で一番ワリを食っていたのは相楽左之助だったのではないかとすら思えてしまうくらいに、原作のエピソードが全く語られずに原作通りの動きを強制されたキャラクターであったと言えます。
こんな扱いになってしまうくらいだったら、相楽左之助も四乃森蒼紫同様に今作で登場させず、その分を他のキャラクターのエピソードに盛り込んでおいた方が良かったのではないでしょうか?
まあ個人的には、「四乃森蒼紫のいない武田観柳」の方がミスマッチな感が拭えないので、彼ではなく原作通りに比留間兄弟でも出して、原作における相楽左之助のエピソードを忠実に踏襲した方が良かったのではないかと思うのですが。

予告編でも売りになっていたアクションシーンの方は、既存の時代劇の殺陣とはまた異なるスピーディな展開になっているものが多く、こちらは充分に見るべきものがありました。
アクションシーン自体で特に不満に思った箇所は、前述の剣心と相楽左之助の対決も含めて特になかったですね。
四乃森蒼紫と彼の部下の御庭番衆がいないために、武田観柳がガトリングガンを乱射しまくるシーンは原作から大幅に改変されていましたが、むしろこちらの方が原作よりも合理的な上に剣心一派の強さが上手く表現できていたくらいでしたし。
武田観柳の屋敷で剣心と相楽左之助を相手に戦っていた武田観柳の部下2人は、何故か「人誅編」に登場する戌亥番神と外印だったりするのですが、続編を想定している作品で、かなり先のストーリーで登場予定のはずの敵キャラを登場させてどうするのでしょうかね?
まあ2人共死んではいないわけですし、再び敵として再登場ということもありはするのでしょうけど。

原作ファンから見てもまずまずな出来ではありますし、アクションシーンを目当てに観賞してもまず損はしない映画ではあろうと思います。
この出来であれば、制作側の意図通りに続編が出てくることにも期待したいところですね。

映画「プロメテウス」感想

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映画「プロメテウス」観に行ってきました。
リドリー・スコット監督が制作を手掛けた、人類の起源をテーマとするSF作品。
今作は3D/2D同時上映で劇場公開されていますが、私が観賞したのは2D版となります。
しかし、今作は本来2012年8月24日から公開のはずなのですが、私の行きつけの映画館では土日だけとはいえ、8月4日から延々3週間も先行上映をやっていたりするんですよね。
8月4日は1回上映限定だったにしても、実質的には8月11日からの劇場公開といっても過言ではない状況でしたし。
お盆休みの時期を狙ってのものではあったのでしょうが、それならば最初から8月11日公開にすれば良いのにと、ついつい考えてしまいましたね。
なお作中では、女性の腹から子宮を摘出するなどのスプラッタな描写が披露されていることもあってか、この映画はPG-12指定されています。

映画の冒頭、全体的に白く、かつ毛髪の類が全くないものの、限りなく人間に近い容姿のエイリアンが、黒い液体を飲んで身体に異変をきたしながら大河?へ飛び込み、その身体がDNA単位で分解されていく光景が展開されます。
一旦は破壊された彼のDNAが、水の中で再度DNAとして構築されていき、これが生物(人間?)の起源になったらしきことが描写されています。
しかし、物語全体を通して、この行為に何の意味があったのか、また「何故彼がこのようなことをしたのか?」という理由については全く解明されることなく終わっています。
まあ前者については、「これが人類の起源だったのだ!」的なことが言いたかったのではあるのでしょうが、具体的な明示は全くなされておらず、しかも理由が分からないのでは意味不明な描写もいいところですし。
制作側としては、人類起源の謎を断片的に提示しつつ、次回作に繋げたいという意図でもあったのかもしれませんが、そのため今作単独ではいささか消化不良の感が否めないところではありますね。
そもそも、「今作は本当にシリーズ化するのか?」ということすら現時点では不明なのですし。

そこから時代は現代からさらに進むこと2089年。
考古学者のエリザベス・ショウとチャーリー・ホロウェイの2人は、イギリスのスコットランドにある古代遺跡の壁画を目の当たりにしていました。
そこで描かれている壁画には、これまで見てきた他の古代遺跡と共通する星座が描かれています。
しかし、星座が描かれていた古代遺跡の間には全く交流の記録も形跡も確認されていません。
各古代遺跡の壁画に描かれた星座は、人類の起源の謎を解くカギなのではないかと考えられ、ウェイランド・コーポレーションという巨大企業の下、星座に描かれている星に人類を派遣して探索するという壮大なプロジェクトが始動されました。
未知の惑星へ赴くための宇宙船は「プロメテウス」と名付けられ、エリザベス・ショウとチャーリー・ホロウェイを含む総計17名で構成される調査チームが構成されることになりました。
そして年単位に及ぶ低温睡眠状態の宇宙航行を経て、2093年、彼らは人類の起源とされる星座上の惑星に降り立つことになります。

惑星の大気圏へ降下後、惑星の大気圏内を飛び回りつつ、惑星の調査を進めるプロメテウス号。
惑星上の大気成分は、窒素が7割台後半・酸素が21%と地球のそれにほど近い内容だったものの、一方で毒性の強い気体が3%弱程度あることから、外での活動には防護服&ヘルメットの着用が必須とのこと。
さらに惑星の地表へ近付いていくプロメテウス号は、やがて明らかに人工的に作られた直線の道路と思しき形跡と、ドーム状に見える山を発見します。
ドーム状に見える山は、プロメテウスの分析結果から、内部が空洞であることが判明。
そこに人類の起源の謎を解くカギがあると誰もが判断する中、数人の調査隊がドーム状の山へと向かい、ドームの内部を探索することになるのでした。
それが、誰もが思いもよらぬ結果をもたらすとは知らずに……。

映画「プロメテウス」は、元々1979年に初めて劇場公開された「エイリアン」シリーズの前日譚として制作が進められており、途中で路線変更したという経緯を辿っています。
路線変更した後も「エイリアン」シリーズの影響は色濃く残っており、調査チームがドームに入って以降は、「エイリアン」を髣髴とさせる存在が調査チーム達を次々と殺していきます。
この辺りは、元がホラー系作品であるが故の描写でしょうね。
ただ、変にホラー要素を前面に出し過ぎた結果、「人類の起源の謎を解く」という映画のキャッチフレーズに象徴される、ミステリーとSF冒険アドベンチャー的な要素は大きく損なわれてしまった感が否めないところなのですが。
物語後半なんて、もう「人類の起源」云々は脇に追いやられ、生物兵器という正体が判明した化け物達と、「エンジニア」と呼ばれる人類の元となった存在の悪意に対処するのがすっかりメインになってしまっていましたし。
「人類の起源」について作中で明らかになったのは、

DNA的に見て人類と同じ種と見られる「エンジニア」と呼ばれるひとりの宇宙人が、原始時代の地球に降り立ち、自身の身と引き換えにDNAを地球に放出することで人類を作りだした(何故人類を作りだしたのかについての理由は一切不明)。
しかしその後、今度は地球上の人類を滅ぼそうと生物兵器を作り上げた(ドーム状の山はその生物兵器を保管・散布するための宇宙船の一部。また「何故地球の人類を滅ぼそうと考えたのか?」についても全く不明)
生物兵器を満載した宇宙船は、地球へ向けて出発しようとした際、何らかのトラブルが発生し、「エンジニア」達は作中で覚醒した低温睡眠状態のひとりを除き全て全滅した。

しかし、仮にも「人類の起源」というのであれば、「人類を作った」「人類を滅ぼそうとした」如何なる理由があったのか、ということについても明らかにならないと、正直不完全燃焼もいいところなのではないでしょうかねぇ。
結局、「人類の起源」云々の話は相変わらず謎のヴェールに包まれたままで、17人の調査チームの中でただひとり生き残ったエリザベス・ショウが、「エンジニア」達が残した別の宇宙船を使って再び探求の旅に出る、という形で終わってしまいましたし。
映画「プロメテウス」は既に続編制作が決定しているとのことで、最初から続編制作を前提に制作されてはいたのでしょうが、正直、この出来とこの内容では、続編が待望され実際の制作にGOサインが下りるだけの興行的な成功が収められるのかどうか……。
この映画、当初の予定通りに「エイリアン」シリーズの起源作品として素直に売り込んでいた方が、却って内容的にも合致し面白いものになったのではないかと。

「人類の起源」云々以外で一番印象に残ったのは、たった1日のセックスで妊娠3ヶ月と判明するや否や、プロメテウス号に搭載されていた手術マシーンを使い、自分の腹から胎児の摘出手術を実行してのけたエリザベス・ショウの描写ですね。
いくら麻酔が効いているとは言え、意識のある中で自分の腹がレーザーで切り開かれていき、化け物の胎児が摘出される一部始終を全てその目で直接目の当たりにしていながら、よくまあエリザベス・ショウは発狂しなかったものだと。
アレだけの手術を敢行していながら、その後も全く支障なく動き回れるというのも凄いですが。
手術の際の出血も(現代のそれと比べれば)問題にならないほどの少量だったようですし、この辺りはさすが未来技術、といったところになるでしょうか。

未来技術ならではの小道具については、構造物の中を赤外線?を放ちながら自動で巡回しつつ、プロメテウス号にデータを送信して地図を作り上げていくシステムや3Dホログラフィー的な映像投影技術など、作中でも色々と描写されていました。
その中でも最たる未来技術の結晶は、やはり何と言っても外見上は人間と全く区別がつかないデヴィッドになるでしょうか。
記憶能力はもちろんのこと、自分でものを考えて動くことができ、かつ首がもげても会話を続けることができるデヴィッドは、まさに未来ロボットの鏡と言えるものがありました。
ただ、一方でデヴィッドは、チャーリー・ホロウェイの飲み水に、エリザベス・ショウが妊娠すると共にチャーリー・ホロウェイの死因にもなった、生物兵器の毒を混入させるという行為を行っているのですが、正直これは一体何がしたかったのか理解不能ですね。
人間としての感情がないが故に、そこらの人間を使って人体実験をするつもりだったのかもしれませんが、これをデヴィッドは他の誰かに報告するでもなく自分の独断で行っていますし。
そうかと思えば、物語終盤ではエリザベス・ショウに対して積極的なサポートを行ったりしていますし。
どうにも作中におけるデヴィッドの行動には行き当たりばったりな要素が拭えないのですが、彼は一体、最終的に何がやりたかったのでしょうか?

続編制作が既に決定しているということから考えても、今作は「続編の出来と関連性を見て初めてその真価を発揮する作品」と言えるのではないかと。
逆に今作単独だけで見ても、分からない謎と分かりにくい展開だらけで、正直あまりエンターテイメント的に楽しめる映画とは言い難いですね。

映画「アベンジャーズ(3D版)」感想

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映画「アベンジャーズ(3D版)」観に行ってきました。
過去のマーベルコミック作品で実写映画化した「インクレディブル・ハルク」「アイアンマン」「マイティ・ソー」「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」の主人公達が一堂に会するアクション映画。
今作に纏わるマーベルヒーロー4作品は全て観賞済みです。
なお、今回より2回目となる1ヶ月フリーパスポートを発動し、これから1ヶ月間、映画が無料で観覧できるようになりました(^^)。
……とは言っても、今作は時間の都合から3D版で観賞せざるをえなかったため、3D料金だけは普通に徴収されてしまったのですが(T_T)。
一応、今回は1ヶ月間で10作品以上の映画を観賞できる時期を狙っての発動となったのですが、果たしてどうなることやら。

映画「アベンジャーズ」のストーリーは、マーベルヒーローの実写映画4作品を全て観賞していることを前提に展開します。
たとえば、作中に登場するロキのエピソードは、映画「マイティ・ソー」で行われた戦いの後日談という形で語られていますし、キャプテン・アメリカも「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」からのストーリーの延長線で登場しています。
4作品全て観賞しないと、作中で展開されるエピソードの意味や繋がりが分からないようになっているんですよね。
まあ、あくまでもアクションがメインの作品なので、先述の4作品を閲覧していなくても今作を楽しむこと自体は充分に可能ではあるでしょうが、作中のエピソードを完全に理解するためには、やはり4作品全てを観賞した上で今作に臨んだ方が良いかと。
ちなみに、作品の時系列は以下のようになっています。

キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー(終盤以外、1940年代が舞台)

インクレディブル・ハルク

アイアンマン

アイアンマン2

マイティ・ソー(劇中、「スタークから聞いているか?」のセリフ有り)

キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー(終盤部分、冷凍睡眠から覚醒)

また、今作に登場する女スパイのブラック・ウィドウことナターシャ・ロマノフは「アイアンマン2」で、弓矢使いのホークアイことクリント・バートンは「マイティ・ソー」で、それぞれ初登場しています。
そして、アベンジャーズ計画の立案者にして秘密組織「S.H.I.E.L.D.」の総指揮官ニック・フューリーも、「アイアンマン」1作目から要所要所で存在感を醸し出しています。
これらの積み重ねを経た上で、今作のストーリーが展開されるわけですね。

物語は、正体不明の地球外生命体が地球への侵攻を臭わせる発言を披露した後、「S.H.I.E.L.D.」のアジトで密かに研究が行われた四次元キューブを、「マイティ・ソー」のラスボスだったロキの襲撃で強奪されてしまうところから始まります。
この四次元キューブというのは、超強力なエネルギー体という共通項から「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」で登場していたコズミック・キューブと同一のものであると考えられるのですが、名前が違うので少々混乱させられますね。
ロキは襲撃の際、ホークアイを自分の傀儡にしており、四次元キューブと共に彼も引き連れて逃走しています。
四次元キューブを奪われた「S.H.I.E.L.D.」では、当然のごとく容易ならざる事態が発生したことを認識、総指揮官ニック・フューリーは、以前に凍結されていた禁断の計画「アベンジャーズ計画」の発動を宣言します。
「アベンジャーズ計画」とは、過去4作品に登場していたヒーロー達を結集し、チームを組ませて強大な敵に対処させるというもの。
ニック・フューリーの命を受け、まずは元ロシア人の女性スパイであるブラック・ウィドウが、カルカッタに潜伏しているハルクことブルース・バナー博士を、次にフィル・コーンソンがアイアンマンことトニー・スタークを、それぞれ「S.H.I.E.L.D.」に連れ出すことに成功します。
一方、キャプテン・アメリカことスティーヴ・ロジャースは、「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」のラストの段階で既に「S.H.I.E.L.D.」の保護下に置かれていたのであっさり勧誘終了。
「マイティ・ソー」のラストで遠いアスガルドの地へ帰ってしまったソーについては、「S.H.I.E.L.D.」では勧誘のしようがないため、当面はこの3ヒーローとブラック・ウィドウでロキの行方を追うことになります。

調査の末、「S.H.I.E.L.D.」の面々は、ロキがドイツのシュツットガルドに存在することを確認。
現場へ急行したキャプテン・アメリカとブラック・ウィドウ、そして援軍として到来したアイアンマンの活躍により、ロキはあっさりと捕縛されます。
形勢不利と見るやあっさりと縛についたロキの態度に不審を抱きながらも、一行はブラック・ウィドウが操縦する戦闘機?で「S.H.I.E.L.D.」の空の要塞である空中空母「ヘリキャリア」へと向かうことになります。
ところがその道中、突如稲妻と共に「マイティ・ソー」の主人公ソーが戦闘機の上に出現。
ソーは、危険な四次元キューブの奪取と、何よりも所在が判明したロキをアスガルドの地へ連れ帰るべく、再び地球へと姿を現したのでした。
戦闘機内に侵入したソーは、ロキの身柄を確保するや、その場で戦闘機から落下し姿を消してしまいます。
慌てて2人を追うアイアンマンとキャプテン・アメリカ。
そして、ロキを説得してアスガルドに連れ帰ろうとするソーと、挑発的な性格のトニー・スターク扮するアイアンマンの両名が、まずは対峙することになるのですが……。

映画「アベンジャーズ」に登場するヒーロー達は個性派揃いで、それ故にチームを組んで戦うという手法を苦手としています。
そのため、序盤は全くと言って良いほどに足並みが揃わず、しばしば仲間割れすら起こす始末。
特にトニー・スタークとソーは、元々の出会い方が最悪だった上、互いに好戦的な性格であることも災いして全くそりが合いません。
序盤の両者の対決も、キャプテン・アメリカが止めに入らなかったら、どちらかが死ぬまで延々と勝負し続けていたのではないかと。
あの2人を見ていると、「同族嫌悪」とか「近親憎悪」とか言った言葉がついつい浮かんできてしまったくらいでしたし(苦笑)。
かくのごとく、チームワークというものを全く持たないヒーロー達を戦場で束ねる役は、キャプテン・アメリカが担うことになりました。
彼は元々アメリカ軍に所属していて友軍を支援していた実績もありますし、今時珍しい自己犠牲精神と誠実な性格の持ち主でもありましたし、リーダーとしては誰よりも適役者だったでしょう。
この辺りは、「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」の感想記事で予想した通りの展開ではありましたね。
ちなみに、映画「アベンジャーズ」に登場する各ヒーロー達の強さは以下の通りとなります↓

ハルク(ブルース・バナー)
攻撃力:◎ = 全ヒーロー中最強(ロキを一方的にぶちのめす)
防御力:◎ = 全ヒーロー中最強(高度1万メートルから落下しても無傷、敵の集中攻撃にも耐えられるなど)
スピード:◎
遠距離攻撃能力:なし
飛行能力:なし
その他:人間時はそれなりの研究者で理性的だが、ハルク変身時は狂気と衝動のままに行動する。

アイアンマン(トニー・スターク)
攻撃力:○
防御力:○
スピード:◎
遠距離攻撃能力:あり(小型ミサイル、掌から発射されるレーザービームなど)
飛行能力:あり
その他:エネルギー切れの問題があるものの、一番万能で使い勝手の良いヒーロー。

ソー
攻撃力:◎
防御力:○
スピード:○
遠距離攻撃能力:あり(雷を呼ぶ)
飛行能力:あり
その他:体力面ではハルクと同等。遠距離攻撃にエネルギー切れの心配なし、ただし一定の溜めが必要?

キャプテン・アメリカ(スティーヴ・ロジャース)
攻撃力:○
防御力:○(ただし特殊シールドのみ ◎ )
スピード:△
遠距離攻撃能力:あり(シールドを投げる)
飛行能力:なし
その他:筋力が超人的であることとシールド以外はこれといった特徴がなく、他のヒーロー達と比較すると弱い感は否めない。

ブラック・ウィドウ(ナターシャ・ロマノフ)
ホークアイ(クリント・バートン)
攻撃力:△
防御力:△
スピード:△
遠距離攻撃能力:あり(銃や弓矢)
飛行能力:なし(ただしブラック・ウィドウが飛行機を操縦可能)
その他:人間としての身体能力は優れているが、作中では基本的にサポート担当。キャプテン・アメリカと一緒に行動していることが多い。

戦闘能力的には一番であろうハルクが基本的にバーサーカー状態で扱いづらく、一方で一番弱いであろうキャプテン・アメリカがリーダーには最も適していることを考えると、まともなチームワークが確立さえすればバランスが取れたチームと言える組み合わせではありますね。

一方、敵陣営の方を見てみると、今作では地球侵略の尖兵的な役割を担っているロキが実質的なラスボスと言って良く、ロキの背後にいる真の敵はまだ前面に出てきておらず正体も完全には明かされていないという感が多々ありますね。
そもそも、ロキが率いていた地球侵略のための兵達も特にこれといった特筆すべき力があったというわけでもなく、ロキの知略による奇襲や数に任せた物量作戦で押し切る的なものが目立っていましたし。
予告編でも登場していた巨大な怪物も、ヒーロー達の攻撃の前に簡単に撃退されてしまっていて見かけ倒しもいいところでした。
四次元キューブの力で開けられたホールから仰々しく出てきた割には、破壊の規模が妙に小規模な感が否めませんでしたし。
あれならば、アメリカ軍が空軍と陸軍を大量投入すればまだ何とか対抗できないこともなかったのではないか、とは思わずにいられなかったですね。
というか、作中ではヒーロー達以外だと警察が拳銃で飛行体と応戦している程度で、軍はいきなり核ミサイルを発射した1機の飛行機以外は全く参戦してすらいませんでしたし。
作中のアメリカ軍は、敵と直接に交戦して壊滅したような様子すらありませんでしたし、彼らはヒーロー達に戦いを丸投げして一体何をしていたというのでしょうか?
あそこでアメリカ軍がヒーロー達と一緒に戦っていれば、ヒーロー達ももっと楽にかつ優位に戦局を進めることもできたはずでしょうに。
ニューヨークというアメリカの一大都市が敵の攻撃を受けているというのに、結果的に戦いすらもしなかったアメリカ軍は、ヒーロー達が賞賛・恐怖されるのに反比例する形で大いに糾弾されて然るべきだったのではないかと思えてならないのですが。

「アベンジャーズ」のエンドロールの最中に出てくる映像を見る限りでは、明らかに続編があることが示唆されていますし、実際、既に続編の制作も決定しているのだとか。
続編たる「アベンジャーズ2」は2015年5月にアメリカで公開予定だそうで、日本の公開も2015年~2016年になりそうな雰囲気です。
さらにその間に「アイアンマン」「マイティ・ソー」「キャプテン・アメリカ」単独の続編作品や、マーベルコミック系の新規ヒーロー作品も出てくるようなので、続編はさらに盛り上がることになりそうですね。

あと、今作のエンドロールの最後には、黒幕の描写とはまた別の特典映像がありますので、映画が完全に終わるまで席は立たないでおくことをオススメしておきます。

映画「トータル・リコール」感想

ファイル 723-1.jpg

映画「トータル・リコール」観に行ってきました。
1990年にアーノルド・シュワルツェネッガー主演で劇場公開された、同名アメリカ映画のリメイク作品。
今作ではコリン・ファレルが主人公を担っています。

リメイク版「トータル・リコール」では、旧作のそれとは世界設定が大きく異なっています。
旧作「トータル・リコール」では、人類が火星に進出し、火星のエネルギーを採取し火星を牛耳っているエネルギー会社との戦いが繰り広げられるのですが、リメイク版の舞台はあくまでも地球。
作中の地球は、21世紀末に勃発した世界大戦で大量の化学兵器が使用された結果、大気中に致死性の猛毒が充満したことでほとんどの地域が居住不能となってしまい、人類はわずか2箇所の居住可能区域に集中して生活するようになっています。
現在のイギリスにあるブリテン諸島を中心に、限られた富裕層が居住するブリテン連邦。
貧民層がひしめき合いながら居住するオーストラリア大陸のコロニー。
この両者を繋ぐ唯一のルートは、地球の内部をくり抜き、核を通して地球の表と裏を繋ぐ「フォール」と呼ばれる地中エレベーター。
この「フォール」は数万単位の人間やロボットすらも運搬できる能力を有しています。
「フォール」の地球の表から裏まで移動する際にかかる所要時間は、だいたい30分~1時間といったところになるでしょうか。
コロニーの労働者の中には、「フォール」に乗ってブリテン連邦まで移動し、そこで単純労働に勤しむ者も数多く存在しました。
今作の主人公であるダグラス・クエイドもまた、すくなくとも作中の序盤ではそんな労働者のひとりとして働いている人間のひとりでした。

ここ最近、ダグラス・クエイドは毎晩おかしな夢を見ることに悩まされていました。
その夢の内容とは、どこかの施設と思しき場所で、全く知らない女性と逃亡する中、追手に撃たれて女性と離れ離れになってしまい、自身は追手達に捕縛されてしまうというもの。
夢から覚めたダグラス・クエイドは、彼の身を案じた妻のローリーとセックスに及ぼうとするものの、直後にローリーが電話で呼び出されてしまい、結局何もすることがないまま、単身「フォール」へと向かうのでした。
ダグラス・クエイドは、シンセティックという治安維持目的のロボット大量生産の仕事に携わっており、真面目な勤務で昇進のチャンスを掴んでいました。
しかし、貧民層のコロニー出身という出自が仇となってしまい、彼の昇進はブリテン連邦出身の対立候補によって見送られてしまうのでした。
やるせない気分になったダグラス・クエイドは、ふと街中で見たリコール社の宣伝を思い出します。
リコール社は、客の都合に応じた都合の良い記憶を植え付けることで、客に疑似体験を楽しませることを生業とする企業。
ダグラス・クエイドの友人兼勤務会社での同僚であるハリーの反対を押し切り、彼はリコール社を訪問。
そしてスタッフに対し、「諜報員として活躍する」という記憶を植え付けることを依頼するのでした。

しかし、いざ記憶を植え付ける作業へ入ろうとした時、突如機械がアラートを発し、スタッフ達は作業を中断。
さらにその直後、今度は大勢の武装警官達がリコール社内へとなだれ込み、リコール社のスタッフ達を撃ち殺してダグラス・クエイドに銃を突きつけてくるではありませんか。
自分が何故銃を突き付けられなければならないのか、混乱に陥るダグラス・クエイドでしたが、今度はその彼自身の身の上に異変が起こります。
なんと彼は、類稀なる戦闘技術を発揮し、複数の武装警官達をその手で壊滅させてしまうのです。
当然、そんな戦闘技術を身につけた覚えもないダグラス・クエイドは、リコール社の惨劇がニュースで大々的に報じられる中、身を隠すように自宅へと戻ることに。
混乱しながらも帰宅したダグラス・クエイドは、妻のローリーに事情を説明。
半信半疑ながらも、とりあえずダグラス・クエイドと抱擁するローリー。
ところが、ここでローリーは突如、ダグラス・クエイドを絞め殺そうとし、2人はそのまま戦闘に突入してしまいます。
そしてローリーは、驚くべきことをダグラス・クエイドに告げるのでした。
自分はダグラス・クエイドの妻ではなく監視役であり、彼の名前も偽名、経歴も全て偽の記録と記憶によってでっち上げられたものであると。
衝撃を受けざるをえなかったダグラス・クエイドは、すっかり恐怖の存在となりおおせてしまったローリーの魔の手から脱出、逃避行を余儀なくされることになるのですが……。

映画「トータル・リコール」では、主人公の妻であるローリー役を、映画「アンダーワールド」シリーズの主演として有名なケイト・ベッキンセールが演じています。
疑問の余地なくその影響なのでしょけど、作中におけるローリーは、ほとんどまんま「アンダーワールド」シリーズの主人公にして女性ヴァンパイアのセリーンそのものです。
アクションシーンはもちろんのこと、黒ずくめの服装を終始身に纏っているところも全く同じで、他の治安部隊達と比べても明らかに浮いていましたし。
明らかに「アンダーワールド」を意識して造形されているのが丸分かりなキャラクターでしたね(苦笑)。
1990年版「トータル・リコール」と異なり、彼女は終盤まで生き残り続けて最後まで主人公達の脅威であり続けます。
ただ、あのラストのダグラス・クエイド襲撃は、正直何がやりたかったのかよく分からないところはありましたね。
あの時点では、ローリーの上司でコロニー侵略の総指揮を担っていたコーヘイゲンは既に死んでいた上、「フォール」も破壊されて侵略の勝敗の帰趨も決していたのですから、彼女がダグラス・クエイドを殺す意味なんて何もなかったも同然だったのですが。
ローリーにとって、コーヘイゲンの命令は、命令権者が死んで状況が激変してさえも何が何でも遂行しなければならないものだったのでしょうか?
ラスボスたるコーヘイゲンが生きていた中で死んだ1990年版のローリーの方については、そんな疑問を抱く必要もなかったのですが……。

また、コーヘイゲンがオーストラリアのコロニーを侵略する意思をアレだけ明確に表明した上、「フォール」を使った侵略経路まで最初から判明していたにもかかわらず、ダグラス・クエイド以外に「フォール」の破壊を意図した人間がコロニー側にいなかったのも少々疑問ではありました。
ブリテン連邦とコロニーを繋ぐ唯一の道である「フォール」を破壊すれば、敵側の侵攻意図を挫き、少なくとも一定の時間を稼ぐことは充分に可能なことは誰の目にも明らかなのですから。
現地のブリテン連邦の治安維持部隊が「フォール」を死守していたような感じもまるでなく、コロニーの住民達はただただパニックに陥って逃げ惑っていただけでしかありませんでしたし。
それ以前に、既に実質的な従属という形でコロニーを支配下に置いているブリテン連邦が、わざわざ数万の大兵力を派遣してコロニー相手に侵略と殺戮を行わなければならない必然性がまるでなかったりするんですよね。
ブリテン連邦が必要としている「コロニーの労働力」にしても、既に「フォール」を介して大量に送られているような状態なのですし、単純労働者が必要なのであれば、それ専用のロボットを大量増産するという方法だって使えるはずでしょう。
あの世界では、治安維持目的のロボットが普通に作れるだけの技術力が既に確立されているのですからなおのこと。
また、ブリテン連邦の土地が少ないからコロニーの土地獲得を目的としているのであれば、元々ブリテン連邦側はあそこまで強権力が行使できるのですから、合法的な経済活動と権力の行使で「フォール」を中心に自分達の居住区域を少しずつ広げていく方が却って効率が良さそうなものなのですが。
ダグラス・クエイドを使ってレジスタンスの壊滅にも成功した後であればなおのこと、彼らに悪のレッテル貼りをすることで、コロニーの住民達に「ブリテン連邦こそが正義」と信じさせることも可能なわけなのですし。
あの時点で、ブリテン連邦がコロニーを、それも力づくで侵略などしなくてはならない理由は何もないはずなのですが。

アクションシーンや演出などでは1990年版に勝りますが、ストーリー設定や説得力などは1990年版の方に軍配が上がる、といったところになるでしょうか。
個人的には、1990年版「トータル・リコール」に「アンダーワールド」的な要素をミックスした作品として楽しんでいましたね、今作は。

中国に「配慮」を示すヘタレなハリウッド映画業界

北朝鮮がアメリカに侵攻し、アメリカ軍を壊滅させて西半分を制圧するなどという、およそありえないレベルの非現実的な映画が、アメリカで公開されるのだそうです。
映画の原題は「Red Dawn」。
元々は1984年公開映画のリメイク作品で、旧作の敵役がソ連とキューバの連合軍だったのが、ハリウッド映画業界の「大人の事情」から北朝鮮になったのだそうです↓

http://megalodon.jp/2012-0808-1900-37/sankei.jp.msn.com/wired/news/120808/wir12080810290000-n1.htm
http://megalodon.jp/2012-0808-1901-00/sankei.jp.msn.com/wired/news/120808/wir12080810290000-n2.htm
>   北朝鮮が米国に侵攻する映画が公開される。ソ連とキューバの連合軍が米国に侵攻する1984年の『若き勇者たち』のリメイクだ。
>
>  米国の小さな町に、北朝鮮の空挺部隊が降下。対抗する米軍は崩壊する。北朝鮮の装甲車両が街を進む。もはや歯向かうのは、ゲリラとなった若者たちの一団のみ。
>
>  これはゲーム好きのティーンエイジャーによる夢ではない。1984年のカルト映画『若き勇者たち』(英語原題Red Dawn)のリメイクとして11月に公開される予定の映画『Red Dawn』の一場面だ。
>
>  オリジナルの『若き勇者たち』では、ソ連とキューバの連合軍が米国に侵攻し、若く魅力的な米国の若者たちが「ウルヴァリン」を組織してこれに抵抗した。オリジナル版が、当時強大な敵とされていた交戦中のソビエト連邦に対する大衆の恐怖心をベースにして成功したのに対し、今回のリメイクでは、
観客が北朝鮮を現実的な脅威として真剣に受け止めることが期待されている。
>
>  今週末にネットにアップされた予告の映像からは、
北朝鮮が長距離輸送機の大部隊を所持するという、不思議なことになっていることがうかがえる。そしてもちろん、その輸送機の一団が、米軍のジェット戦闘機3,000機をどうくぐり抜けてきたのかとも、誰もが思うだろう。
>
>  実際の北朝鮮は、人口2,400万人で、国内総生産(GDP)はノースダコタ州と同じくらいという国だ。飢える人も多く、現代的兵器を持ちグローバルに軍隊を運用する能力には欠けている。
オリジナルの脚本では、侵攻してくるのは中国だった。中国は、少なくとも73億ドルのGDPと、現代化が進む約200万人の軍隊を擁している。しかし、世界で最も成長している映画市場のひとつを、残忍な世界征服者として描くのはビジネスとしてまずい。そのためプロデューサーが、チケットの販売を当てにされていない北朝鮮に切り替えたのだ。
>
>  北朝鮮が米国を侵攻したという内容の軍事アドヴェンチャーゲーム『HOME FRONT』のシナリオを書いたのは(異論がないわけではないが)オリジナルの『若き勇者たち』の脚本を担当したジョン・ミリアスだった。ミリアス氏は今回のリメイク版の脚本を見て、「(リメイクは)愚かな企てだ」と述べたと伝えられている。
>
>  ※HOME FRONTは2011年3月発売。朝鮮人民軍によって西半分が占領された2027年の米国が舞台になっている。
元々の敵国は北朝鮮ではなく中国だったが、発売前に切り替えられたとされる。韓国では発売禁止タイトルに指定されている。

映画の中とは言え、敵役は素直に中国にしていた方が、国家的なパワーバランスの観点から見てもまだ一定のリアリティが保てたのではないですかねぇ(苦笑)。
北朝鮮が特殊工作員をアメリカ国内に潜入させてテロないしはホワイトハウスの占拠を行うとか、アメリカへ向けてミサイルを発射するとかいった軍事活動ならば、現実的に考えても想定しえる事態であるかもしれません。
しかし、アメリカ相手に長距離輸送機を大量に飛ばして西半分を制圧するって、それはいくら何でも現実離れしすぎとしか評しようがないでしょう。
第一、旧作の敵役がソ連とキューバの連合軍だったのであれば、新作の敵役はそのバランスの兼ね合いを考えても「中国と北朝鮮の連合軍」辺りが妥当だったでしょうに、それを北朝鮮単独にしてしまうって……。
旧作とのバランスを考えても、とてつもないスケールダウン以外の何物でもありませんね。

かつてのハリウッド映画には、2001年公開のトンデモ反日映画「パール・ハーバー」を日本向けに大々的に宣伝・公開し、しかもそれで(半ば酷評・嘲笑・ネタにされながらも)大ヒットを勝ち取ってのけたほどの度胸と興行的な勝算があったものだったのですが……。
アメリカの対中感情も決して良好というわけでもなく、中国を敵役として描いたところでアメリカ世論の反発も少なくて済むでしょうに、中国にビビッた挙句、無理筋なストーリーにしてまで敵役を北朝鮮に変更してしまうとは、ハリウッド映画もずいぶんと堕ちたものですねぇ。
日本のトンデモ映画たる「ファイナル・ジャッジメント」でさえ、名称は架空のものに変更しながらも「中国モデルの残虐な軍による日本侵攻」を描いていたというのに。
どうせフィクションなのですし、リメイク映画版「Red Dawn」でも同じことができなかったのですかねぇ(-_-;;)。
今回の件は、ハリウッドの映画業界ですらも中国頼みにならざるをえなくなってしまった証左と言えるのではないでしょうか?
映画の世界ですら強者として振る舞えず「大人の事情」に配慮せざるをえないって、どこまでヘタレになっているのかと。

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