エントリー

カテゴリー「映画観賞関連」の検索結果は以下のとおりです。

3D版映画に纏わる料金と演出の問題点

2009年公開映画「アバター」以降すっかり定着した感のある、3D対応の映画と、それを観賞するための3Dメガネ。
私が映画館で観賞している作品でも、だいたい7~8本に1本程度の割合で3D対応映画が出てきます。
3D映画の利点としては、「画面から飛び出す立体感が体験できる」といった類のキャッチフレーズがよく謳われています。
しかし、実際に何度も3D映画を観賞した人間としては、
「通常の映画とほとんど大差のない映像にしか見えないものにわざわざ追加料金を払ってまで観る価値はない」
というのが感想だったりするんですよね。

3D映画を観ようとすると、通常の映画料金とは別に3D料金が300~400円ほどかかります。
映画館にある各種割引サービスでも、3D料金については対象外で割引が全く適用されず、1ヶ月フリーパスポートすら無効で別途料金を支払わなくてはなりません。
最近では3Dメガネを持参すれば料金100円割引というサービスも出てきましたが、以前は300円だった3D料金を100円値上げした上での措置なのですから、「どこまでアゴキな商売やっているんだ」とついついツッコミを入れたくなりましたね。
単純に「カネが余計にかかる」というだけでも3D映画には軽視できない問題があります。

それでも「3Dならではの迫力や魅力」があるのであればまだ良いのですが、3D映画の中には「何故この映画が3D対応になっているの?」と首を傾げたくなるような作品も少なくありません。
立体的に演出されているのが分かるのは字幕だけ、などといった事例も多々ありましたし、よしんば、「これぞ3Dの演出!」という描写があるにしても、映画全体を通じてたった1~2箇所程度の描写だけしかない、という事例もあったりします。
演出的にも、「通常の映画とどこがどう違うのか?」というところからすでに疑問を感じざるをえない作品がほとんどであると言っても過言ではありません。
観客的な視点から見ると、3D映画の利点ってほとんどないのではないでしょうか?

最近では、映画館で3Dと2Dが同時公開されている作品については、時間の都合等でやむをえない場合を除き、無条件で2D版を選択するようになってしまっています。
余計なカネがかかる上に特別な魅力もなく、さらにメガネをかけなければならない手間が増えるだけとなれば、3D映画を敬遠するようになるのは当然のことです。
観客のニーズと合致していない現行の3D版映画が製作される理由って、観客から余分にカネを搾取できる映画館と映画制作者の利権でも絡んでいるのではないかとしか思えないところなのですけどね。
本当に立体的かつ迫力のある3D映画を製作するとか、現行の料金体系を見直すとか、3D映画の現状は何らかの改善を行うべき時期にいいかげん来ているのではないでしょうか。

映画「コクリコ坂から」感想

ファイル 405-1.jpg

映画「コクリコ坂から」観に行ってきました。
1963年の横浜の港町を舞台に繰り広げられる青春ドラマ系のスタジオジブリ作品。
この映画、当初観に行く予定はなかったのですが、映画公開がちょうど1ヶ月映画フリーパスポート有効期間中だったことから、急遽映画観賞リストに追加されました。
「SP 警視庁警備部警護課第四係」シリーズで主演を演じている岡田准一が声優をやっているという点も大きな観賞動機になりましたし(^^)。
私のスタジオジブリ作品の映画観賞は、1997年公開映画「もののけ姫」以来途絶えていたので、実に14年ぶりのこととなります。

今作の主人公・松崎海は、仕事でアメリカに渡っていた母親に代わり、下宿屋であるコクリコ荘を切り盛りする16歳の少女。
彼女は船乗りを生業とし航海途上で船が遭難し行方不明になった父親の帰還を夢見てか、毎朝海に向かって「安全な航行を祈る」という意味を持つ国際信号旗を掲げるのが日課になっていました。
しかしある日、松崎海が通っている高校で発行されている「週刊カルチェラタン」という学生新聞の記事の片隅でそのことがネタにされ、「これってあなたのことじゃないの?」と親友達と話題になります。
親友達以外の誰が自分の習慣のことを知り、ネタにしたのか?
松崎海はその記事と作成者のことが気にかかるようになるのでした。

そんな松崎海が通っている高校では、高校の文化部が部室として使っていた通称「カルチェラタン」と呼ばれる建物を取り壊し、新しいクラブハウスに建て替えるという話が持ち上がっていました。
文化部を中心に反対運動が起こるのですが、「週刊カルチェラタン」が行っているらしい全学生対象のアンケート調査では取り壊し容認が大勢を占めており、反対運動派にとって状況は圧倒的に不利。
そしてある日の昼食時、彼らは自分達のカルチェラタン取り壊し反対運動をアピールするためなのか、各校舎の窓から垂れ幕を流しつつ、校舎の屋根から学生食堂の脇にある貯水池に飛び込むという挙に出ることとなります。
その貯水池に飛び込んだのが、松崎海より1歳年上の男子生徒・風間俊。
貯水池から浮上してきた風間俊を松崎海は手を差し出して引き上げようとしますが、周囲のはやし立てる声に戸惑った松崎海は引き上げようとしていた手を離してしまいその場から逃げてしまいます。
これが2人の最初の出会いでした。

学生食堂での一騒動の後、松崎海より1歳年下の妹である松崎空が、現場で撮られた風間俊の飛び込み写真を30円で購入したと姉に見せつけてきます。
そして、「この人に会いに行きたいから一緒に付いてきて!」と姉に頼みごとをするのでした。
家事に忙しいこともあり、松崎海は最初妹からの頼みを断るのですが、何度もしつこく頼んでくる松崎空についに根負けしたのか、風間俊がいるカルチェラタンの建物へ一緒に向かうことになります。
カルチェラタンは老朽化が著しく進んでおり、壁は内外を問わずペンキが剥がれ落ちて汚れも目立ち、各部屋や廊下も物が乱雑に置かれている上に埃を被りまくっており、確かにこれでは取り壊し容認が大勢を占めるのも当然といった趣をしていました。
そんなカルチェラタンを歩きつつ、風間俊がいるらしい部屋に辿り着きます。
そこは考古学研究会と新聞部の2つが入っている部室。
風間俊は新聞部の部長であり、「週刊カルチェラタン」を執筆・発行していた張本人でもあったのでした。
そして、これがきっかけとなって、2人は次第に惹かれあっていくことになるのです。

しかし、相思相愛になりつつあった2人に試練が襲い掛かります。
松崎海に家に招待され、そこで松崎海の父親の写真を見た風間俊は、次第に松崎海と距離を置くようになってしまいます。
その態度を不審に思い、雨が降るある日の放課後に風間俊を問い質した松崎海は、そこで衝撃的な事実を聞かされることになります。
「俺達は兄妹かもしれない」
2人の父親は共に澤村雄一郎という人物で、戸籍謄本でもそのように登録されているのでした。
松崎海にしてみれば、この話はショックもいいところだったでしょうね。
兄妹だから結ばれないという事実もさることながら、あれだけ昔から慕っていたはずの父親が実は「母親以外の他所の女と寝て子供を作った挙句捨てたろくでなし」だった可能性も否定できないわけですから。
この問題は写真に登場していた父親以外の人物が解決のカギを握っているのですが、さて2人の恋愛の結末は果たしてどうなるのでしょうか?

映画「コクリコ坂から」は、時代背景は異なるものの、同じスタジオジブリ作品で1995年公開の映画「耳をすませば」とかなり雰囲気が似ていますね。
カップル2人の出会い方も微妙に似ていますし、「原作が少女漫画」という点も両作品で共通しています。
「コクリコ坂から」ではそこに、「カルチェラタンの取り壊し反対運動」という1960年代の学生紛争を彷彿とさせる要素を大量に盛り込んでいるのが大きな特徴です。
ただ、物語中盤で松崎海と風間俊の仲がゴタゴタしていたこともあって、本来ストーリーの軸になるはずの恋愛話的な要素が薄れてしまい、どちらかと言えば反対運動話の方がメインで展開されているような感がありました。
カルチェラタン絡みの話はやたらと細かく描写されていますし。
上映時間が91分と映画としては比較的短い部類に入るわけですし、反対運動話よりも恋愛話の方にもう少し力を入れてもらいたかったところなのですけどね。

あと、タイトル名が「コクリコ坂から」となっているにもかかわらず、作中ではコクリコ坂という名前は一切出てきません。
坂自体は何度か出てきているので、その中のどれかがコクリコ坂ではないかとは思うのですが。

ただ、映画を製作した監督である宮崎吾朗は、前作「ゲド戦記」で散々なまでの酷評を受けていたようですが、映画「コクリコ坂から」に関する限りはそういうこともないのではないでしょうか?
個人的には、「耳をすませば」がスタジオジブリ作品の中では1・2を争うお気に入り作品だったこともあり、同様の傾向を持つ作品として充分に楽しむことができましたし。
すくなくとも、少女漫画的な恋愛話や、1960年代的な雰囲気が好きという方にはそれなりにオススメできる作品ではないかと。

映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2(3D版)」感想

ファイル 404-1.jpg

映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」観に行ってきました。
「ハリー・ポッター」シリーズ最終章2部作後編。
ハリー・ポッター一行とラスボスであるヴォルデモードとの最終決戦が、「ハリー・ポッター」シリーズの原点であるホグワーツ魔法魔術学院を舞台に繰り広げられます。
この作品は3Dと2D版が同時公開されており、個人的には2D版を観たかったのですが、不幸にも2D版の上映スクリーンが満席だったため、泣く泣く3D版を観る羽目に(T_T)。
1ヶ月無料のフリーパスポートも、3D版の追加料金については適用されないんですよね~(-_-;;)。

今作も前作「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1」に引き続き、ラスボスであるヴォルデモードの死命を制する分霊箱の探索および破壊がメインとなります。
物語序盤では、ゴブリン達が運営する魔法界唯一の銀行グリンゴッツの金庫に保管されていたハッフルパフの金のカップが目標となります。
様々な罠や裏切りまで発生する中、何とか首尾良くカップを奪取することに成功したハリー・ポッター一行。
そして、次にハリー達が探す目標として選んだ分霊箱は、同じくホグワーツ魔法魔術学院内に隠匿されているレイブンクローの髪飾り。
そのホグワーツ魔法魔術学院は、前々作「ハリー・ポッターと謎のプリンス」で校長ダンブルドアを殺害したセブルス・スネイプが新校長として支配する恐怖政治が行われており、またハリー・ポッターも当然のごとく指名手配犯的な扱いを受けていました。
秘密の通路を辿ってホグワーツ魔法魔術学院に潜入したハリー・ポッターは、生徒・教師を一同に集めてハリー・ポッターの情報提供を強要するスネイプの前に現れ糾弾を開始。
セブルス・スネイプはハリーを倒そうとしますが、そこに立ちはだかったミネルバ・マクゴナガルが炎の魔法を連発してスネイプを圧倒、スネイプは校長の地位を追われ逃走する羽目になります。
そして、自分の弱点でもある分霊箱が次々と壊されていく事態にようやく気づいたヴォルデモードが、これ以上の分霊箱破壊を阻止すべく、大軍を率いてホグワーツ魔法魔術学院へ侵攻を開始するのです。
分霊箱が破壊されるまでの時間稼ぎを目的に、ホグワーツ魔法魔術学院側もマクゴナガルの指揮の下、防戦態勢を整えることになるのですが……。

映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」でひとつ疑問なのは、「死の秘宝」のひとつで前作「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1」のラストにおいてヴォルデモードがダンブルドアの墓から掘り出したニワトコの杖の所有権についてですね。
このニワトコの杖の所有権というのがなかなか面白いもので、所有者が変わると古い持ち主を捨てて新しい持ち主に忠誠を近い、新しい持ち主に所持されている場合にのみ最強の力を発揮するというものです。
作中では、この杖の忠誠心をヴォルデモードが獲得した場合、ハリー・ポッター達の敗北は確実であるとまで言われていました。
シリーズにおけるニワトコの杖の所有権は、前々作「ハリー・ポッターと謎のプリンス」の終盤近くまではダンブルドアが保持していたのですが、ダンブルドアは物語終盤でドラコ・マルフォイの不意打ちを受けた際に所有権を失い、ドラコ・マルフォイに所有権が移動します。
その直後にダンブルドアはセブルス・スネイプに殺害されたため、ヴォルデモードはスネイプを殺害してニワトコの杖の忠誠心を得ようとするのですが、スネイプは当然のことながら杖の所有権者ではなかったので目論見は失敗します。
その一方で、何も知らずニワトコの杖の所有権者になっていたドラコ・マルフォイは、前作「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1」でハリー・ポッターと戦った際に杖を奪われてしまい、その際にニワトコの杖の所有権をもハリーに渡してしまうのです。
さて、そんな状態でハリー・ポッターとヴォルデモードには、今作の物語後半、森の中で1対1で対峙する局面が発生します。
そんな事態が発生した理由は、ハリー・ポッターがヴォルデモードすらも知らないうちにヴォルデモードの分霊箱になってしまったという出生の秘密を知ったことにあるのですが、それはさておき、ここでハリー・ポッターを葬る絶好の好機と見たヴォルデモードは、ハリー・ポッターに呪文を叩きつけて倒してしまいます。
この時、たとえ一時的であるにせよ、ヴォルデモードはハリー・ポッターに勝利したことになるわけですから、この時点でニワトコの杖の所有権移動は発生しないのか、という疑問を私は抱かざるをえませんでした。
何しろ、ドラコ・マルフォイの場合は、直接相手を倒すのではなく武装解除させただけで所有権の移動が成立したわけなのですから。
ましてや「所有権者を倒した」となればハリー・ポッターからヴォルデモードへの所有権移動は当然起こりえるのではないのかと。

Twitterでの返答ツイートやwikipediaで調べてみた限りでは、ニワトコの杖の所有権は「計画された死」では移動することがなく、またあの場面におけるハリー・ポッターは実際には死んでいなかったとのことで、杖の所有権が移動する条件を満たさなかったというのが真相だったとか。
しかしそういった設定は、映画を観ていた限りでは全く説明らしいものがなく、ハリー・ポッターの復活も唐突に行われていた感が否めなかったというのが正直なところでしたね。
ヴォルデモードがドラコ・マルフォイの母親にハリー・ポッターの死を確認するよう命じ、母親は「死んでいます」と報告してもいましたし、対決の直前には「死の秘宝」のひとつである「蘇りの石」をハリー・ポッターが取り出す描写があったので、てっきりそれの効果で復活でもしたのかと最初は考えていたものでした。
せっかく原作をわざわざ二部作構成にしたのですから、この辺りはもう少し説明が欲しかったところではあります。
ただヴォルデモードについても、死の確認方法が甘すぎるとしか言いようがないところではあるのですけどね。
わざわざ他人に確認させないで、自身の魔法を使ってハリー・ポッターの身体を粉砕するとか両手両足ないしは首を切り落とすなどといった方法で、ハリー・ポッターの生死を実地で確認すれば良かったのに(苦笑)。
これなら万が一生きていたとしても戦闘能力を削ぐことができますし。

あと、ヴォルデモードを倒した後、ニワトコの杖を手に入れたハリー・ポッターは、ニワトコの杖をへし折って谷底に捨ててしまうのですが、そんな程度のことでニワトコの杖って無効化できるようなシロモノだったのでしょうか?
ニワトコの杖の処遇についてダンブルドアはかなり苦労していたようでしたし、そんなに簡単にケリがつけられるのならば最初からやっておけば良かったのに、としか言いようがなかったのですが。

しかしこの「ハリー・ポッター」シリーズって、小説でも映画でもやはり全作品通して観覧しないと人物関係や作品相互の関連性が非常に分かりにくいですね。
すくなくとも単独で楽しめる映画作品では全くありえません。
原作を通読するなり過去の映画作品のDVDを借りるなりして、全作品を観ることによって初めて全体像が分かる作品であると言えそうです。

映画「アイ・アム・ナンバー4」感想

ファイル 400-1.jpg

映画「アイ・アム・ナンバー4」観に行ってきました。
侵略者モガドリアンに滅ぼされた惑星ロリアンの選ばれし生き残り達が、覚醒した特殊能力を駆使して戦うアクション物。
ジェームズ・フライとジョビー・ヒューズによる同名のSF小説を原作としている作品です。
なお、今回初めて映画のフリーパスポートなるものを獲得し、これから1ヶ月間、映画が無料で観覧できるようになりました(^^)。
予定では今作も含めて総計6本の新作映画を無料で観賞する予定です。

物語は、ケニアの奥地にある山小屋で自然に溶け込むかのようにひっそりと生活していたナンバー3とその守護者(ガーディアン)が、深夜に突如モガドリアン一派に襲撃され殺されてしまうところから始まります。
ナンバー3を殺害したモガドリアン達は、ナンバー3が所持していたペンダントのようなものを奪い取り、いかにも目的を達成したかのごとき笑いを浮かべます。
ちょうどその頃、アメリカのフロリダ州マイアミにある海岸で友人達とのパーティーに参加していたナンバー4は、突如足に激痛を覚え、ナンバー3が殺される幻影を見ることになります。
それと共に、激痛の元である足には光と共に謎の紋様が浮かび上がり、その様子をパーティーに集っていた人々に目撃されることになります。
後で判明したことですが、その様子はしっかり動画が撮られており、さらにその動画はご丁寧にもYouTubeにアップデートまでされていました。
ナンバー4の守護者で同時に保護者でもあるヘンリーは身の危険を感じ、家の中にある自分達の身分を証明するものを一切合財処分した後、ナンバー4と共にオハイオ州のパラダイスという町に移り住みます。
その後、ナンバー4がいたマイアミの家は謎の女(後でナンバー6と判明)に焼き払われ、やや遅れてモガドリアン達にも物色されていたので、ヘンリーの判断は間違っていなかったわけです。
しかしそうとは知らず、度重なる逃亡生活にいいかげん忍耐の限界に来ていたナンバー4は、息を潜めた生活を命じるヘンリーに反発し、地元の学校に通う手続きを独断で行ってしまいます。

通い始めた学校でジョン・スミスという偽名を名乗り始めたナンバー4は、カメラを愛する美少女サラ・ハートと、彼女の元カレで学校の競技選手であるマーク・ジェームズに陰湿なイジメを受けている科学&UFOオタクのサム・グッドに出会います。
次第に2人と打ち解け、友好的な関係を構築していくナンバー4ですが、そんなある日、授業を受けている最中、奇妙な幻影と共に突如両手が熱く光り出す事態が発生します。
異変を察知したヘンリーから、それが自分の持つ遺産(レガシー)こと特殊能力の覚醒であることを知らされるナンバー4。
能力が制御できるようになるまで休校するようにヘンリーから命令されるナンバー4ですが、ナンバー4は特殊能力を駆使して家を脱走。
町に繰り出したナンバー4は、そこで偶然サラ・ハートと出会い、彼女の自宅に招かれ、そこで身の上話をしている内に彼女に惹かれるようになります。
しかし、元カレでサラ・ハートをストーカーのごとく付け狙っているマーク・ジェームズが、彼女の家から出て行くナンバー4を目撃。
彼は翌日からナンバー4に対するイジメを始めるようになり、さらにはパラダイスの春の祭典であるカーニバルでサラ・ハートとデートをしていたナンバー4に集団で襲い掛かります。
しかし彼らは能力に覚醒したナンバー4の敵ではなく、あっさりと逆襲された挙句、マーク・ジェームズは右手を折られかけます。
結果として警察沙汰にまでなり、さらには前述のマイアミでの動画がYouTubeにアップデートされた事実までもが発覚するに及んで、ヘンリーは再び町を捨てて逃亡することをナンバー4に勧めます。
しかし、ナンバー4はサラ・ハートに恋をしていることを告げ、その提案を拒否。
そういうしている内に、ついにナンバー4の居所を特定したモガドリアン達がパラダイスに到着し、陰で蠢動し始めることになるのですが…。

映画「アイ・アム・ナンバー4」は、全体的に見ると明らかに「シリーズ作品の第1作目」的な構成になっていますね。
冒頭に出てきたペンダントや、物語後半に登場する謎の箱については、一体何なのかすら最後まで全く明らかになっていませんし、最後のシーンも「殺された3人とナンバー4&6以外の残り4人の仲間達を探す旅に出る」描写で終わっています。
そもそも、モガドリアン達は惑星ロリアンを滅ぼした前歴もあるわけですし、地球についても破壊する意思を明らかにしているのですから、チマチマと9人のナンバーズ達を殺していかずとも、地球を丸ごと破壊するなり全世界に絨毯爆撃を敢行するなりして地球もろともナンバーズ達を始末してしまった方が、はるかに効率も良いのではないかとすら考えてしまったのですが。
もっとも、モガドリアン達はナンバーズ達が持っているペンダントに何故か固執しているようでしたし、物語終盤でナンバー4を追い詰めた際にも、ペンダントを握り締めながら「これでこの星を破壊できる」的な発言を行っていましたから、ペンダントに本来の力を封じられているみたいな設定でもあるのかもしれないのですが。
全く何の説明もなかったこの辺りの謎の数々は、続編によって明らかにされていくことになるのではないかと。

作中におけるナンバー4と、後半に正体が明らかになるナンバー6は、それぞれの特殊能力を駆使してモガドリアン達とバトルを繰り広げていきます。
ただ、ナンバー6の特殊能力は超加速タイプのテレポートと耐火能力がメインで比較的分かりやすいのに対し、主人公ナンバー4のそれにはやたらと多機能性が付加されていて能力の方向性がまるで特定できないですね。
敵の光線銃を弾くシールドの役割をしたかと思えば、熱を持ったレーザービームのような使い方ができたり、さらにはナンバー6の体力を回復するヒーリング的な能力まで披露されたりしていました。
屋根から地表に落下するサラ・ハートを空中で止めるというサイコキネシス的な描写もありましたし、一体どれだけ使用用途が広いのかと。
今後続編が出た際には、さらに別の能力が追加付与される可能性もありえますね。

また、モガドリアン達が黒いトラックに引き連れていた怪物と、ナンバー4がパラダイスの町に引っ越してきた際に拾った犬に化けていた守護獣のキマイラとの戦いはかなり笑わせてもらいました。
学校内を舞台に繰り広げられたこの両者の対決は、破壊されたトイレだかシャワールームだかで決着を迎えることになるのですが、この手の映画のお約束よろしく、最初はモガドリアンの怪物の方がキマイラを圧倒するんですよね。
そしてキマイラに重傷を負わせて壁に叩き付け、さあいよいよトドメとばかりに怪物がキマイラに向けて突撃を敢行したその直後、何と怪物は水で濡れたタイルに足を滑らせてすっ転んでしまい、キマイラの眼前で仰向け状態になってしまうのです。
当然キマイラ側がこんなチャンスを逃すわけもなく、怪物は仰向けで晒された喉元を噛み砕かれてあっさり死亡。
私も色々なハリウッド映画を観てきましたが、こんな「自滅」「自爆」以外の何物でもない爆笑ものの退場を余儀なくされたモンスターはあまり記憶にありませんね。
私はてっきり、どこかから援軍が来るか、キマイラが起死回生の奇策でもって何らかのカウンターを繰り出してくるという、これまたお決まりのパターンばかり考えていたので、良くも悪くも意表を突いた描写になりました。
いかにも「凄まじく凶暴であるが故に強そうなモンスター」として描写されていただけに、その無様な死に様はあまりにも滑稽としか言いようがなかったですね。

あと、ナンバー4とサム・グッドに対するイジメや嫌がらせに躍起になっていたマーク・ジェームズが、物語の最後に元気な姿で再登場していたのには少々驚かされました。
彼って、物語後半でモガドリアン達に捕まった挙句、モガドリアン一派のひとりにブン投げられて学校校舎2階?の窓に叩きつけられる描写があるんですよね。
この手の小人にハリウッド映画は躊躇なく「死」という末路をあてがうのが常ですし、「ああ、あいつは死んだね」とすっかり思い込んでいたのですが。
最後では隔意があったはずのナンバー4達にいつのまにか協力的になっていましたし、マーク・ジェームズに一体何があったのかと、この辺りは少々疑問に思ったものでした。

アクションシーンはスピーディーで迫力もあり、またストーリーもある意味「安心して観れる」作品と言えます。
ただ前述のように、作中の設定には最後まで全く明らかにならない謎の部分が結構多いので、作品単独ではなく「シリーズ物1作目」と割り切って観た方が良いでしょうね。

映画「小川の辺(おがわのほとり)」感想

ファイル 396-1.jpg

映画「小川の辺(おがわのほとり)」観に行ってきました。
藤沢周平原作の短編集「闇の穴」に収録されている短編小説を映画化した作品。

ストーリーは、架空の藩である海坂藩の藩士で戊井家の家長でもある主人公・戊井朔之助が、義弟である佐久間森衛を討てとの藩命を受けるところから始まります。
佐久間森衛は、2年前から凶作が続いていた海坂藩の農政について、改善案をまとめた意見書を藩の上層部に上申。
改善案自体は極めて理にかなったものだったのですが、自分の正しさを信じ周囲が見えなくなっていた佐久間森衛は、さらに殿様および重臣一同が集まった面前で現在の農政に対する批判を公然と展開。
これが、どう見ても名君には見えない殿様と、殿様の侍医に過ぎないのに政治にやたらと口出し、現在の農政を主導していた鹿沢堯伯の怒りを買ってしまい、謹慎処分が下されることになったわけです。
しかし、佐久間森衛の改善案に何か感じるものがあった重臣達は、佐久間森衛の改善案を元に独自に農政調査を行い別に改善案を提示。
さらに鹿沢堯伯を叩き出すよう殿様への説得工作も行い、結果めでたく鹿沢堯伯は上意により追放の沙汰が下されることになります。
しかし、当の佐久間森衛が殿様に対する批判を行ったことは事実であり、佐久間森衛および彼の親類にも更なる重い処罰が下されるであろうことは当然予想されました。
結果、佐久間森衛は主人公の妹で妻でもある田鶴を伴い脱藩。
海坂藩としては、殿様批判と脱藩の罪を犯した佐久間森衛を放置するわけにはいきません。
そのため藩による佐久間森衛討伐が行われることになったのですが、最初の討手の病気療養で藩へ帰還してしまいあえなく失敗。
また佐久間森衛は藩でも1、2を争うほどの剣術の達人でもあり、さらにその妻である田鶴もかなりの剣術使いと目されており、それに対抗できる人材が求められました。
そこで、やはり同じく剣術の達人であり、御前試合で佐久間森衛とやり合ったこともある戊井朔之助が、藩から佐久間森衛討伐の命を受けることになるわけです。

戊井朔之助にとって佐久間森衛は義弟であり親友でもある存在。
当然、戊井朔之助も最初は命令を受けかねる旨を、藩命を言い渡してきた海坂藩の家老・助川権之丞に伝えるのですが、助川権之丞は田鶴の存在を元に「そなたの戊井家にも類が及ぶかもしれない」と暗に仄めかし、命令の受諾を迫ります。
結局、戊井朔之助はお家の事情から、自身にとっても苛酷な命令を受諾せざるをえなかったのでした。
自宅に戻ってそのことを伝えられた戊井朔之助の両親と妻は当然いい顔をするわけもなく、特に母親である以瀬は半ば八つ当たり気味に戊井朔之助に突っかかってくるのですが、父親で剣の師でもある戌井忠左衛門は戊井朔之助の苦渋の決断に理解を示します。
その夜、「藩命だから佐久間森衛は討たねばならないが、せめて妹は助けたい」と思い悩む戊井朔之助の元に、兄弟のような間柄の幼馴染で戌井家に仕える奉公人でもある新蔵が、「自分も討伐の旅に同行させて欲しい」と嘆願にやってきます。
戊井朔之助はその嘆願を聞き入れ、かくして2人による佐久間森衛討伐の旅が始まることになります。

映画「小川の辺」では、日本の山岳や河川を描写するのがメインテーマなのではないかと考えてしまったくらいに、数多くの美しい自然風景が映し出されています。
作中に登場する「海坂藩」というのは架空の藩なのですが、元となっている藩は一応存在していて、現在の山形県鶴岡市と庄内地方を収めていた庄内藩がモデルみたいなんですよね。
そして、佐久間森衛がいると噂され、戊井朔之助と新蔵が向かったのは、現在の千葉県市川市の南部に位置するらしい行徳宿。
この間の旅程における山岳・田園・寺社、そして小川の風景が、主人公の回想と共に盛んに映し出されており、いわばロードムービー的な要素も多く含まれているわけです。
実際の撮影も山形県各地で行われたのだとか。

ストーリー後半で判明するのですが、佐久間森衛討伐への同行を自ら志願してきた新蔵は、佐久間森衛の妻となっている田鶴に恋心を抱いていました。
新蔵が同行を申し出てきたのも、田鶴の身を案じたのが一番の理由だったわけです。
それは田鶴の方も同じだったようで、昔の回想シーンで、佐久間森衛に嫁ぐ直前に田鶴が新蔵の下へやってきて、その心の内を告白する描写があります。
つまり田鶴にとって、現在の夫である佐久間森衛との婚姻は必ずしも自分から望んだものではなく、嫌々ながらも「お家のため」と受容したものであったわけです。
作中で主人公も含めた「海坂藩」の面々が軒並み「(佐久間森衛と対峙OR討ち取ったら)田鶴は必ず手向かってくるだろうな」などと言っていたので、てっきり相思相愛による婚姻だとばかり最初は考えていたのですが。
実際、物語終盤に佐久間森衛が討ち取られた際には、田鶴はしっかり実の兄に対し刃向かってきましたし。
元々は自分から望んだことではなく嫌々婚姻させられた夫のためにそこまで尽くすことができる女性というのも、現代ではあまり考えられない話でしょうね。
主人公の藩命にひたすら忠実な行動もさることながら、私はこちらについても「何とも難しい武士の生き様」というものを感じずにはいられませんでした。

ただ、戊井朔之助は藩命を忠実に守りぬいたわけですが、「海坂藩」的には戊井朔之助が命令に逆らうとは考えなかったのでしょうか?
戊井朔之助の旅には個人的動機から同行した新蔵以外、お目付け役的な同伴者は誰もいなかったんですよね。
となると戊井朔之助としては、命令が忠実に実行されるのかを常に監視する人間がいないことになるわけなのですから、いくらでも不正がやりたい放題なわけです。
終盤の描写を見る限り、藩命を遂行した証としては、別に佐久間森衛の首桶を持って帰ってこなければならなかったわけでもなく、佐久間森衛の髷を取ってくれば良かっただけのようでしたからね。
別に正面から命令に背く必要はなく、佐久間森衛の髷だけを切り取ってきて「佐久間森衛を討ち取った証」とすれば、誰も死なずに藩命を遵守したとすることだって不可能ではなかったのではないかと。
その上で佐久間森衛と田鶴には、行徳宿から出て顔も名も変えて新たに人生をやり直すよう告げれば良かったわけで。
まあそれをやってしまったら「武士の生き様」でも何でも無くなってしまいますし、そういう一種の「逃げ」をやらないところも「何とも難しい武士の生き様」というものだったのでしょうけどね。

ストーリー的にも演出面も、ハリウッド的な派手な要素は皆無といって良く、観客を限定しそうな万人受けしない作品ですね。

映画「マイティ・ソー(3D版)」感想

ファイル 395-1.jpg

映画「マイティ・ソー(3D版)」観に行ってきました。
アメリカのマーベルコミックの中でも特に人気が高いヒーローのひとりであるマイティ・ソーが活躍するアクション大作。
私が観に行った映画館では3D版しか公開されていなかったので、余計なカネがかかることを承知で泣く泣く3D版を観ることに。
案の定、どこら辺が3Dの見所だったのか理解に苦しむばかりで、「確かに迫力はあるが、2Dと見た目がほとんど変わらないじゃないか」「何故こんなことにカネを使わなければならないんだ?」と自問する羽目になりましたが(T_T)。
いいかげん、3Dメガネを使用しなければならない映画は止めて欲しいものなのですけどね。

物語は、アメリカのニューメキシコ州で天体観測を行っていた天文学者ジェーン・フォスター一行の前に、突如隕石らしき物体が落下したことから始まります。
周囲が静止するのも構わず、ジェーンは落下地点に車を走らせるのですが、落下の衝撃で濛々たる煙が上がる中、突如姿を現したひとりの男性を跳ね飛ばしてしまいます。
跳ね飛ばしたことに責任を感じたことと、それ以上にクレーターと共に現れた男性の存在に興味を抱いたジェーンは、彼を病院へ連れて行くことになります。

彼の名前はソー。
北欧神話の神々が住まう世界・アスガルドを含めた9つの世界を統べる王として君臨するオーディンの息子です。
ソーは自身にとって「栄光の日」となるはずだった戴冠の儀を、氷の世界・ヨトゥンヘイムからやって来た刺客達に邪魔されてしまいます。
その腹いせに、ソーはヨトゥンヘイムへ侵攻を行い、制圧することを父親に主張しますが、争いを好まないオーディンはその提案を退け、専守防衛方針を命じます。
しかし、オーディンの方針に納得がいかないソーは、自分の弟であるロキと、シフとウォリアーズ・スリーという自分に忠実な戦士達と共に、オーディンに内密でヨトゥンヘイムへ調査に赴くことを決意します。
アスガルドと、ヨトゥンヘイムを含めた他の世界を行き来するためには、ヘイルダムという見張り番の神が常に監視している虹の橋(ビフレスト)を通らなければなりません。
ヘイルダムを説得して一行はヨトゥンヘイムへ。
そこで一行は、ヨトゥンヘイムの王である巨人ラウフェイと出会い、ラウフェイの挑発に乗る形で大々的な戦闘が行われることになります。
腕に覚えがある歴戦の戦士なこともあり、一行も最初は善戦するのですが、敵の本拠地ということもあり相手は多勢に無勢。
しかもラウフェイはさらに巨大な氷の獣をも呼び起こして戦闘に参戦させ、ソー一行はもはや逃げるしかない状況に追い込まれます。
最強の武器であるムジョルニアを駆使するソーの獅子奮迅な活躍で何とか危機を凌いでいた一行ですが、それでも背水の陣状態で進退窮まったその時、ソーの独断専行を知ったオーディンがヨトゥンヘイムに降臨。
ラウフェイと交渉を行い、両者は事実上の戦争状態になってしまったものの、ソー達を連れてアスガルドへ戻ります。
独断専行したソーに失望したオーディンは、ソーとの口論の末、ソーの力を奪いミッドガルド(地球)へ追放する決断を下し、かくしてそれが冒頭の描写に繋がることになるわけです。

ソーが追放された際、彼の武器ムジョルニアもまた、ソーが落下した地点から少し離れたところに落下。
地元住民の格好の見世物になった挙句、調査にやって来た謎の組織シールドによって現場を接収されてしまいます。
そして、ソーを病院に送り届けて自分の家に戻ったジェーンもまた、同じくシールドによって自分の研究成果を全部強引に奪われてしまったのでした。
ムジョルニアを自分の手に取り戻したいソーと、自身の研究成果を取り戻したいジェーンの利害が一致し、2人はシールドが野営をしているムジョルニア落下地点へと向かうことに。
そして一方、アスガルドではソーの弟ロキとオーディンの間で諍いが発生した挙句、オーディンが突然の昏睡状態に陥ってしまいます。
それに乗じてロキは、王の代理と言わんばかり権勢を振るいまくった挙句、邪魔者を亡き者にしようと様々な画策を行うのですが…。

映画「マイティ・ソー」は、同じマーベルコミック系列作品の映画「アイアンマン」シリーズとも明確な繋がりがあります。
たとえば、作中でデストロイヤーという鉄の巨人が地球に現れた際には、作中に登場する謎の組織シールドの関係者達が「スタークから聞いているか?」と発言するシーンがあります。
これはもちろん、「アイアンマン」シリーズの主人公であるトニー・スタークのことを指しているわけです。
また、映画開始と同時に存在が明示されているエンドロール後の特典映像では、同じく映画「アイアンマン」1作目のエンドロール後と2作目のラストで登場した人物が、今作でも全く同じ姿形と役柄で登場しています。
調べてみたら、「アイアンマン」と「マイティ・ソー」は「アベンジャーズ」というヒーローチームにおけるビッグ3のうちの2つみたいなんですよね。
「アイアンマン」でも「アベンジャーズ」の名前がやたらと強調されていましたし、アメコミにあまり詳しくない私的には「一体何なのだろうか、これ?」とずっと疑問に思っていたのですが(^^;;)。
そして、残る最後のビッグ3である「キャプテン・アメリカ」もまた、日本では今年の10月に劇場公開され、さらに「アベンジャーズ」自体も来年に映画としての公開が予定されているのだそうです。
当然、最低でも3つの作品の融合体となるであろう「アベンジャーズ」は、3作品のストーリーや設定を全て融合させることになるのでしょうが(特に「マイティ・ソー」の続きは「アベンジャーズ」に繋がっているようですし)、一体どういう形になるのか気になるところではあります。

映画のストーリーとしては、作中でソーの敵として描かれているロキの行動がいささか支離滅裂な感が否めませんでしたね。
要所要所では「いかにも悪役」と言わんばかりの策動を披露しているロキですが、ロキが最終的に何がやりたかったのかがまるで見えてこないんですよね。
物語序盤では、自らの出生の秘密を知ってオーディンに食って掛かるロキ。
中盤ではソーに対する嫉妬心をむき出しにしつつ、ラウフェイ相手にオーディン暗殺をそそのかし、王位を手に入れることをほのめかすロキ。
しかし、いざ首尾良くラウフェイがオーディン暗殺を達成しようとするまさにその寸前に自らそれを阻止し、ついでにラウフェイを葬ってしまうロキ。
ここまでならばまだ何とか理解可能な範疇だったのですが、物語終盤、ヨトゥンヘイムを滅ぼそうとした自分の行為をオーディンに否定されるや否や自分から死を選んだロキと、そのくせ実は生きていてまた性懲りもなく地球で蠢動していたラストシーンは全く理解不能です。
ロキの行動原理で終始一貫しているのはソーに対する嫉妬心だけで、父親であるオーディンに対する態度はブレまくっていますし、王位が目的にしてはおかしな行動が多すぎます。
父親を憎んでいたか、あるいはアスガルドの王位が欲しかったのであれば、ラウフェイにオーディンを殺害させた直後に「仇討ち」としてラウフェイを葬ってしまえば良かったはずですし、それが一番「自分が英雄と讃えられつつ」王位を手に入れる最善の方法でもあったでしょう。
実は父親に自分のことを認めてもらいたかっただけなのか、とも考えたのですが、それもラストシーンの描写で全て御破算になってしまいましたし。
結局、ロキが意図していた真の目的とは一体何だったのでしょうか?

映像や演出は良くも悪くもハリウッドスタンダードで、その手の描写が好きという方には文句なくオススメできる作品です。

映画「アンダルシア 女神の報復」感想

ファイル 391-1.jpg

映画「アンダルシア 女神の報復」観に行ってきました。
真保裕一の小説を原作とする前作「アマルフィ 女神の報酬」、テレビドラマ「外交官・黒田康作」シリーズに続く、織田裕二主演のサスペンス作品。
スペインと、フランス・スペインの境目にある小国のアンドラ公国をメイン舞台に、とある邦人の殺人事件の真相を、織田裕二扮する主人公・黒田康作が究明していくストーリーです。
なお、私は「アマルフィ 女神の報酬」は劇場観賞したのですが、「外交官・黒田康作」シリーズの方は全く観ていなかったりします(^^;;)。

物語は、フランスのパリで開催されるG20国際会議への出席を控えていた村上清十郎財務大臣が、何故か裏通りにある場末の飲食店で佇んでいる光景から始まります。
財務大臣は、いかにも汚くて浮浪者が飲食しているような店を見回した後、「何故俺がこんなところで待たされなければならないんだ」と周囲に不満をぶつけて店から出ようとします。
そこへ、何故か店を訪れるアメリカの財務大臣。
アメリカの財務大臣は件の店を昔から懇意にしていたものの、いつの間にか店がなくなっていた事を残念に思っていたのですが、匿名の電話でこの場所に移転していたと聞かされやってきたのだとか。
「あの匿名の電話はあなたの手によるものなのですか?」とアメリカ財務大臣から尋ねられた村上財務大臣は、訳が分からなかったものの周囲の合図でとりあえず「YES」と返答し、上機嫌になっているアメリカ財務大臣に対し、今後行われる国際会議についての根回し交渉を行うことになります。
実はこの両者の鉢合わせは、今作の主人公である外交官・黒田康作によって演出されたものであり、これで一連のシリーズ作品を全く観ていなくても、黒田康作の有能ぶりが示される構図になっているわけです。
こういうのって、外交の場では意外と重要な要素を持っていますからねぇ。
ちなみにこの序盤の描写、物語終盤でも大きな伏線として生きてくることになります。

フランス・パリで開催されたG20の国際会議では、マネー・ロンダリングについての規制強化が議題として挙げられ、日本国代表の村上財務大臣は規制強化を各国に提言します。
しかし、主にヨーロッパ諸国の反対によって交渉は難航を極める状況に。
そんな様子を、財務大臣の警護任務に従事しながら様子見している黒田康作の下に、上司である安藤庸介から、アンドラ公国で邦人の殺人事件が発生したので調査に向かって欲しいとの連絡が入ってきます。
財務大臣の次の演説まで間があることもあり、黒田康作は早速アンドラ公国へと向かうことになります。
そこで黒田康作は、ビクトル銀行の行員で事件の第一発見者でもある新藤結花と、黒田康作に先行してアンドラ公国で新藤結花に対する事情聴取を行っていたインターポール捜査官・神足誠と出会います。
第一発見者の新藤結花は、明らかに事件の証拠を隠滅していると思しき描写が序盤で展開されており、また事情聴取にも当たり障りのないことを発言するのみで、いかにも怪しげな雰囲気が漂っています。
一方の神足誠も、黒田康作と出会う直前に上司らしき人物から電話で「事件を穏便に済ませろ、汚名を返上して日本に帰るチャンスだ」的な説得を受けており、こちらはこちらで腹に一物あり気な感じです。
現場検証から、新藤結花の発言と矛盾する不審な点を発見した黒田康作は、新藤結花の自宅を密かにマークするのですが、そこで偶然、新藤結花が何者かに襲撃されている光景を目撃します。
全く別の理由から新藤結花を見張っていた神足誠と共に、襲撃者から新藤結花を守ることに成功する黒田康作は、新藤結花を保護すべく、アンドラ公国から一番近いバルセロナの日本領事館へと向かいます。
しかし、そこでも新藤結花は更なる襲撃を受けることになり……。

前作「アマルフィ 女神の報酬」もそうだったのですけど、今作「アンダルシア 女神の報復」もまた、タイトルで派手に銘打っている割には肝心要のアンダルシアの出番が少ないですね。
作中で占める舞台の割合は序盤の大半と終盤に登場するアンドラ公国、中盤の舞台となるバルセロナで既に3分の2近くが占められていますし、プロローグとエピローグではフランスのパリが出てくるわけですから、スペイン南部のアンダルシア州は全体的に見れば3分の1以下の割合しか占めていないわけです。
しかも真の最終決着の地も、実はアンダルシアではなくアンドラ公国だったりしますし。
前作のアマルフィも結局最終決着の地ではありませんでしたし、このシリーズの映画のタイトルって一体何を基準に命名されているのでしょうか?

「アンダルシア 女神の報復」では、主演の織田裕二もさることながら、脇役達もなかなか豪華なメンバーを取り揃えていますね。
今作のヒロイン役である新藤結花を演じている黒木メイサは、映画「SPACE BATTLESHIP ヤマト」でもヒロインである森雪を演じていますし、神足誠役の伊藤英明は「海猿」シリーズで主人公として活躍しています。
以前観賞したことのある映画の主演クラスともなれば、元来俳優に疎い私でもさすがに名前を覚えざるをえないわけで、「なかなか豪華な俳優さんを揃えたなぁ」とこの辺は素直に感心したところです。
ただ、前作「アマルフィ 女神の報酬」でいかにも「駆け出しの新人」的な言動に終始していた、戸田恵梨香扮する安達香苗役の出番が少なかったのは少々意外ではありました。
予告編では冒頭でご機嫌に黒田康作に話しかけるシーンが映し出されていただけに出番も多いのではないかと思っていたのですが、いざフタを開けてみると彼女の出番はバルセロナが舞台となっている物語中盤のみで、しかもどちらかと言えばチョイ役的な役柄です。
「アマルフィ 女神の報酬」で黒田康作としばしば掛け合い漫才をやっていた場面が印象に残っていただけに、今作でもそれを観られるかと期待していたのですけどね。

あと今作で一番驚いたのは、主演の織田裕二に接吻シーンがあったことですね。
というのも、私は映画「ホワイトアウト」以来、織田裕二主演の映画作品は「駄作な邦画群の中でも数少ない例外」として、邦画の評価が全面的に見直される以前から積極的に観賞しているのですが、その中では男女の関係を匂わせる描写はあっても、実際に抱き合ったり接吻したりするシーンというのは皆無だったんですよね。
織田裕二は恋愛絡みの演技が苦手とか本人がやりたがらないとかいった噂話を耳にしてもいて、「ああ、だからその手のシーンは皆無なのか」とひとりで勝手に納得してもいたのですが、それだけに今回のシーンには驚きを禁じえなかったというわけです。
まあ、件の接吻シーンはフラメンコ踊りも交えていかにもラブシーンだと言わんばかりの演出をしていたものの、結末まで見るとそんな要素は全くなかったことが分かるという、何とも奇妙なシロモノではあったのですが。

サスペンス的なストーリー部分は、ラストの大どんでん返しをハイライトとして、個人的にはなかなか良く出来ていた部類に入るのではないかと。
アクションシーンの方は、本場ハリウッドなどに比べると全体的にショボい印象が否めませんが、まあそれがメインの作品ではありませんしね。
出演している俳優さんないしシリーズ作品いずれかのファンの方ならば、観てまず損はしない作品だと言えるでしょう。

映画「SUPER 8/スーパーエイト」感想

ファイル 390-1.jpg

映画「SUPER 8/スーパーエイト」観に行ってきました。
スティーブン・スピルバーグが製作を、J・J・エイブラムスが監督を担当したSF映画。1979年に実際に起こった事件を下地にした、映画撮影に情熱を燃やす少年少女達の活躍を描いた作品です。
なお、映画のタイトルにもなっている「SUPER 8」というのは、元々はコダック社が出した8ミリフィルムの名称なのだとか。

この物語の舞台は1979年。
物語序盤で、1979年にアメリカで実際に発生したスリーマイル島原発事故についての状況を報じているテレビニュース番組が流れていることから、それが誰でも一目瞭然に分かる構成になっています。
これが今現在における日本の日常風景の一部にまでなってしまっていることは何とも皮肉としか言いようがないのですが、それはさておき。
物語は、主人公ジョー・ラムの母親が事故で亡くなり、葬儀が行われている場面からスタートします。
葬儀の中、自分達が製作している映画の内容がゾンビを扱う作品であることから「撮影は中止だな」と嘆いているジョー・ラムの友人達。
当のジョー・ラムは葬儀が行われている家の外にあるブランコでひとり呆然と佇んでいたのですが、そこへ黄色い車が停車し、ひとりの風体悪そうな男が降りてきます。
彼は主人公の家に入っていくのですが、何故か家の中で騒動になった挙句、ジョー・ラムの父親で保安官でもあるジャック・ラムに引き立てられた挙句、パトカーに乗せられて連行されてしまいます。
これが物語後半である重要な伏線として生きてくるのですが、序盤はとりあえず意味ありげな描写に留まったまま話が進みます。

それから4ヶ月後のある日、ジョー・ラムの親友&映画撮影仲間のリーダー格で小太りの少年チャールズ・カズニックが、アリス・デイナードに映画撮影の協力を取り付けることに成功します。
誰にも邪魔されない無人の環境で撮影を行わなければならないことから、真夜中にこっそり家を抜け出して待ち合わせをすることになったジョー・ラムと映画撮影仲間達。
真夜中、集まった仲間達の下に、親の車を無断で拝借した上無免許運転でやってきたアリス・デイナード。
保安官の息子であるジョー・ラムが撮影仲間にいることに、アリス・デイナードは「親に告げ口されるのではないか?」という懸念から一旦は撮影協力を降りようとしますが、ジョー・ラムが「親には黙っている」と約束。
渋々ながらも了承したアリス・デイナードは、映画撮影仲間達を連れ、撮影現場となる無人駅へと向かうのでした。
撮影準備を進める最中、アリス・デイナードは劇中の登場人物としての演技を行うのですが、演技前はやる気なさげだったアリス・デイナードのかなり堂に入った演技ぶりに、一同からは感嘆の声が上がります。
この時ジョー・ラムがいかにも一目惚れしたような描写が挿入されているのはお約束ですね(苦笑)。
さらに本番撮影の準備を進める一同ですが、そこへ真夜中だというのに駅めがけて数十もの車輌を牽引する貨物列車が走ってきます。
迫力ある場面を撮影する千載一遇のチャンスと踏んだチャールズ・カズニックは、すぐさま撮影に入ることを決断し仲間達に指示、準備不足ながらも早速撮影が始まります。
駅を通過していく貨物列車を背景に順調に撮影は進んでいき、ご機嫌なチャールズ・カズニックをはじめとする仲間達ですが、ジョー・ラムはそこで、貨物列車の先頭車輌めがけて走ってくる1台の車を目撃します。
車は線路で90度ターンすると、線路の上を先頭車輌目指して走り始め、結果両者は見事に正面衝突することになります。
当然列車は脱線、さらに後続車輌が次々と玉突き事故を起こし、車輌が宙を舞うわ駅舎に直撃するわ、ついには危険物を満載していた車輌が爆発までするわの地獄絵図が現出し、主人公一同ももはや撮影どころではなく、我が身の安全を優先にただひたすら逃げるしかなくなります。
そんな中、横倒しになったとある車輌の中で「何か」が暴れ出し、叩きつけるような轟音と共に厚い鉄製の扉を吹き飛ばす描写がジョー・ラムの眼前で展開されます。
「あれは何なのだろう?」と疑問に思いつつも、何とか事態が一段落したこともあり集まってきた主人公一同は、事故の発端となった車を探し出します。
あれだけの事故だったにもかかわらず、車に乗っていた黒人男性は重傷を負いつつもちゃんと生きていて、しかも意識まではっきりとしていて、あまつさえ主人公一同に「このことは誰にも言うな」と警告する余裕までありました。
その警告に呼応するかのように事故現場へ殺到する謎の集団。
主人公一同はさっさとアリス・デイナードの車に乗り込みその場からさっさと逃走するのでした。
しかしその後、頻発する不可解な出来事に行方不明者の続出、さらにはいかにも秘密を抱えて現地で動き回る軍の存在など、小さな田舎町は次第に不穏な空気に包まれていきます。
様々な謎を抱えつつ、物語はさらに佳境へ入っていくことになるのですが…。

映画「SUPER 8/スーパーエイト」のハイライトは、やはり何と言っても、真夜中にこっそりと映画撮影をしている主人公達の眼前で発生する貨物列車事故ですね。
重量感溢れる貨物列車が次々と玉突き衝突して宙を舞い、轟音と共に周囲を破壊していく様はまさに圧巻で、これだけでも充分に映画を観る価値があります。
実はこの貨物列車事故はモデルとなっている実在の事件があるのだそうで、奇しくも同じ1979年にオハイオ州で発生した貨物列車事故をベースにしているのだとか。
元ネタはこれ↓

http://ow.ly/5pMvm

この列車事故には不可解なところがあり、事故処理にかかる費用が当時の相場で5万ドルだったのに対し、何と200万~1000万ドルもかかっていると当時の新聞では報じられたのだそうです。
この列車事故の不可解さと、宇宙人絡みの話として有名なエリア51関係の都市伝説的なエピソードの数々を組み合わせて、映画「SUPER 8/スーパーエイト」のストーリーが構築されているわけですね。

映画「SUPER 8/スーパーエイト」に登場する宇宙人は、人を襲う宇宙人として描かれながらも、元々は「たまたま地球に不時着して帰りたかっただけなのに、人間の実験台にされて敵意を抱くようになった被害者」としての一面も併せて描写されています。
例の貨物列車事故を起こした黒人男性も、彼の心情に共感して実験台にすることに反対し、それが元で軍を追放され、それでも宇宙人を助けようとして事に及んだのだそうです。
この辺りは「宇宙人=絶対悪の侵略者」として描かれがちなスタンダードなハリウッド映画とは一線を画していますね。
まあ元々、「人間と宇宙人との心の交流」を描いた映画「E.T.」を製作した経歴を持つスティーブン・スピルバーグが今作でも製作を担っているわけですし、その系統の流れを汲んでいるだけではあるのでしょうけど。
物語終盤にも、まさに「E.T.」そのものの「主人公と宇宙人による心の交流」的なやり取りもありましたし。
「E.T.」のストーリーを少しでも知っていたら、「ああ、やっぱりこういう描写があるのか」と思わず頷いてしまうこと請け合いですね(笑)。

映画「SUPER 8/スーパーエイト」のラストを飾るエンドロールでは、主人公をはじめとする映画撮影チームが製作した手作り映画が披露されています。
作中でもしばしば撮影シーンが描写されていましたが、「ここであのシーンが使われているのか」と楽しく観賞できます。
なので、エンドロールが始まっても、席を立たずにそのまま映画を観賞し続けることをオススメしておきます。

映画「スカイライン-征服-」感想

ファイル 386-1.jpg

映画「スカイライン-征服-」観に行ってきました。
エイリアン達の地球侵略を、戦う術を持たないごく普通の一般人の視点から描くSFディザスター・ムービー。
この作品、私の地元熊本では熊本市中心部にある熊本シネプレックスでしか上映されていなかったので、久々に中心部まで出向いての映画観賞になりました。
なお、頭をもぎ取って脳を取り出すという描写があるためか、この作品はPG-12指定されています。

この映画の舞台はアメリカのロサンゼルス。
主人公ジャロッドと彼女であるエレインは、ロサンゼルスで仕事に成功し高級マンションのペントハウス(屋上階)に住居を構える親友のテリーに会うため、ロサンゼルスへやってきます。
その夜、テリーのペントハウスでどんちゃん騒ぎなパーティーが行われるのですが、その最中、気分を悪くしたエレインから、ジャロッドは彼女が妊娠していることを聞かされます。
「何故黙っていた?」「パーティーの邪魔をしたくなかったからよ」と口論になり、半ば気まずくなりつつも、その日はとにかく皆眠りにつきます。
そして夜も更けた午前4時27分、突如それは始まるのです。
ロサンゼルスの各所に落下する青白い光。
それを見た人間は、顔から全身に黒い血管のようなものが浮かび上がり、目も白濁状態となって魅入られた後、光に吸い込まれて忽然と姿を消してしまうのです。
ペントハウスで宿泊していた男性のひとりがそうやって青白い光に魅入られ、姿を消してしまいました。
ジャロッドも同様の症状を発症して吸い込まれそうになりますが、間一髪のところで周囲が止めに入り、何とか窮地を脱します。
一定時間同じ場所に留まり続けた後、やがて飛び去っていく青白い光。
しかしそれは、3日間続くことになるエイリアン達の絶望的な侵略の始まりに過ぎなかったのです。

映画「スカイライン-征服-」では、圧倒的な武力を誇るエイリアン達の前に、人間達が如何に無力であるかが描写されています。
ペントハウスから脱出して海に向かい、クルーザーで逃げようと画策するも、ロサンゼルスの街を闊歩するエイリアン達の妨害に遭い、脱出ができない主人公達。
ロサンゼルスの異常事態に緊急出動した軍隊も、エイリアン達の攻撃の前に多大な犠牲を出してしまいます。
多くの戦闘機と爆撃機を送り込み、司令塔となっているであろう大型宇宙船に核ミサイルを撃ち込むという作戦も実施されたのですが、エイリアン達の怒りを刺激した挙句、肝心の宇宙船自体、わずか1日で自然回復し再浮上してしまうありさま。
エイリアン達は人間の脳が好みのようで、人間の頭をもいで脳を取り出す描写が複数あります。
2日目が人間達の反撃のクライマックスだったようで、3日目にはもう反撃が止まっているような感じでした。

何故エイリアン達が地球に侵略してきたのかについては、最後まで全く言及されておりません。
あくまでも「突然の異常事態に右往左往する人間達の様子」を描くのがメインの作品であり、結末も「劇的に人類が救われる」ようなものではなく、かなり暗い未来が暗示されています。
過去に私が観に行ったことのある映画でいうと、2005年公開映画「宇宙戦争」と2008年公開映画「クローバーフィールド/HAKAISHA」を足し合わせたような作品となるでしょうか。

映画「スカイライン-征服-」は、同じようにエイリアンからの侵略を描いている映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」との関連性を想起せずにはいられませんね。
舞台が同じロサンゼルスなのに加え、両作品共に同じ「ハイドラックス」という会社がVFXの製作を手掛けています。
この件では、「世界侵略:ロサンゼルス決戦」の製作を「ハイドラックス」に依頼していたソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント社が、「ハイドラックス」に対して告訴も辞さない構えを見せ、騒ぎにもなっています。
結局、この騒ぎは双方和解で決着したようではあるのですが↓

http://twitter.com/skyline_seihuku/status/81724431193473024
<ハーイ!スキルとマネーを持った永遠のティーン、グレッグ・ストラウスだよ。ボクタチガKUFU(工夫)シテ撮ったエイガガアスコウカイだ。「LA決戦」トの訴訟ハ和解ズミさ。SONYとも今後もシゴトするシネ。6.18 明日、人類の明日を目撃セヨ>

ただあまりに似ている構成の両作品、色々な「大人の事情」についての想像力を刺激される関係ではありますね。
まあ、今作と「世界侵略:ロサンゼルス決戦」の予告編を見る限りでは、作中で描かれているエイリアン達の描写はかなり違うようではあるのですが。
すくなくとも「世界侵略:ロサンゼルス決戦」の方には、エイリアン達が青白い光を発したり人間を吸い上げたり脳を取り出したりといった描写はないようですし。
設定的にも物語的にも繋がっていたりしたら却って面白いのではないかと思うのですけどね(苦笑)。

有名なハリウッドスターが出ているわけでもなく、また結末もすっきりしないこともあって、お世辞にも大ヒットするようなタイプの作品とは言い難いですね。
エイリアン関連の描写については確かに良く出来ていましたけど。

「キング・オブ・ファイターズ(KOF)」の実写映画版が日本公開

ハリウッドでいつのまにか製作されていたらしい、往年の人気格闘アクションゲーム「キング・オブ・ファイターズ(KOF)」の実写映画版が日本でも公開される運びになりました。
2011年7月2日にお台場シネマメディアージュ他で初披露となり、順次全国公開されるとのこと。
映画の公式サイトはこちら↓

http://kof-movie.net/

私の地元である熊本では予告編すら流れていないため、熊本での劇場公開が実現するのか否かはまだ分かりません。
しかしこれ、公式サイトで公開されている情報だけを見ても、既に原作レイプの兆候がそこかしこに漂いまくっていますね。
ストーリーからしてこんなシロモノですし↓

戦いに勝った者だけが次の試合に進めるファイターズのためのトーナメント。しかし、その「THE KING OF FIGHTERS」になるために、以前大会に出場禁止になったルガールが復讐の時を狙っていたのだ。美しい女ファイターである舞と八神一族の庵は、ルガールに力を与え続ける「オロチ」を封印するため、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を探し始める。そこで出会ったのが昔、ルガールを倒し「オロチ」を封印した柴舟とその息子京だった。舞は京に近づき剣の話を持ちかけるが…。八神一族と草薙一族の意外な事実も明らかになるのだが、その間にもルガールによってトーナメントは支配され、殺されていくファイターたち‥。舞たちは剣を手に入れて、悪に染められた世界を元に戻せるのか‥! 戦いの頂点に立つのは誰なのか?!

本来は餓狼伝説シリーズのキャラクターであってKOF独自のメインキャラクターですらない不知火舞が、草薙京を差し置いて主人公。
エンディングを迎える都度、チームメンバーを半殺しにしていた八神庵が不知火舞と手を組む。
もうこの時点で原作設定と大いに異なる点が多々あります。
草薙剣にしても、CMムービーを見る限りでは「草薙の拳」ではなく本当の「剣(というよりも刀)」のようですし↓

そもそも原作の登場人物を姿形だけでも真似ようという気配すら全くありませんし。
2009年公開映画「DRAGONBALL EVOLUTION」という駄作を出していながら、まだハリウッドは性懲りもなく日本のマンガ・アニメ・ゲームの実写映画化を画策していたわけですね。
その方面で何とか成功しているのは、原作からして相当なまでにアメリカナイズされていた「バイオハザード」シリーズくらいしかないというのに。
アメリカではヒットしているのかと思えば、当のアメリカですらブーイングの嵐のようですし。
ことさら駄作に仕立て上げて日本原作の作品を貶めることが本当の目的なのではないのかとすら思えてくるくらい、日本のマンガ・アニメ・ゲームとハリウッドの実写映画化はミスマッチもいいところなのですけどねぇ(-_-;;)。

ページ移動

ユーティリティ

2024年11月

- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

ページ

  • ページが登録されていません。

ユーザー

新着画像

新着トラックバック

Re:デスクトップパソコンの買い換え戦略 ハードウェア編
2024/11/19 from ヘッドレスト モニター 取り付け
Re:映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」感想
2014/11/27 from 黄昏のシネマハウス
Re:映画「プリンセストヨトミ」感想
2014/10/22 from とつぜんブログ
Re:映画「ひみつのアッコちゃん」感想
2014/10/19 from cinema-days 映画な日々
Re:映画「崖っぷちの男」感想
2014/10/13 from ピロEK脱オタ宣言!…ただし長期計画

Feed