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カテゴリー「映画観賞関連」の検索結果は以下のとおりです。

映画「星守る犬」感想

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映画「星守る犬」観に行ってきました。
双葉社が発行する青年漫画雑誌「漫画アクション」で連載されていた、村上たかし原作の同名ベストセラーコミックを映画化した感動作。
北海道でワゴン車と共に遺体で見つかった身元不明の中年男性と飼い犬ハッピーの足跡を訪ね歩き、その旅路に思いをはせる姿を描く作品です。

この映画の主人公・奥津京介は、北海道名寄市役所の福祉課に勤務する青年。
彼は幼少時に両親を事故で、祖母を病気で立て続けに亡くした過去を持ち、唯一の肉親だった祖父にも先立たれ、今ではひとり暮らしをしています。
過去の経緯から、人と積極的に関わることを避け、小説などの本の世界に没頭する性格で、映画冒頭にその趣味のありようが描写されています。
そんなある日、警察から福祉課へ、一台のワゴン車と共に身元不明の中年男性の遺体が発見されたとの連絡が入ります。
福祉課はそういった遺体を引き取り弔うことも生業としているため、連絡してきた警官に先導される形で、奥津京介は同僚と共に遺体発見現場へと向かいます。
現場に辿り着いて検分を進める奥津京介は、放置されたワゴン車とそばに盛り土がされていることに気づきます。
警官によると、それは遺体のそばに寄り添って死んでいた秋田犬を弔った墓であるとのこと。
その時、突如吹きぬけた風で、ワゴン車の下にあった数枚の紙切れが奥津京介の足元に飛ばされてきました。
それはレシートやリサイクルショップの買取証であり、特に買取証には名前や住所も記されていたことから、死んだ男の身元を特定する手がかりになるのではないかと考えられました。
ところが電話で関係各所に連絡を取っても、個人情報保護などを理由に具体的な情報を引き出すことはできず、それ以上の調査は行き詰ってしまいます。
結局、福祉課としては手がかりがないということで、身元不明の遺体を「無縁仏」として処理する判断を下します。
しかし、どうしても身元不明の男性と秋田犬の正体が気になる奥津京介は、ついに有給休暇を取り、リサイクルショップに書かれていた住所へ単身向かうことを決意。
祖父から譲り受けた愛車であるワーゲンビートルに乗り込み、自腹で一路、単身東京へと向かうのでした。

買取証に書かれていた東京の住所と名前は、結局のところ身元不明の遺体とは全くの別人であることが判明。
若干は落胆しつつも、残ったレシートに書かれている店とリサイクルショップを回って北海道に戻ろうと考えた奥津京介ですが、東京に土地勘がないこともあって間違って一方通行路に入り込んでしまい、対向車に怒鳴られながら車を擦ってしまいます。
車の傷を見て落胆する奥津京介の前に、突如「悪い男達に追いかけられている!」などと叫ぶ少女が現れ、車に乗せてくれるよう奥津京介に迫ります。
半ば急かされる形で少女を乗せた奥津京介は、少女を警察へ連れて行こうとしますが、いざ警察署に着くと今度は「おなかが痛いから病院に連れてって!」などと言い出す始末。
目に見える範囲に病院があったのでそこまで歩いていくよう奥津京介が促すと、ようやく少女は本当の事情を話し始めます。
何でも少女こと川村有希は、新人アーティストのオーディションを受けるために旭川から上京してきたものの、旅費も尽きて困窮していたところだったとのこと。
旭川ナンバーだった奥津京介のワーゲンビートルを見つけ「これだ!」と閃いた川村有希は、奥津京介に対し自分を実家のある北海道まで一緒に連れて帰って欲しいと懇願します。
奥津京介は川村有希の身勝手な態度に辟易しながらも、結局、奥津京介は旅の道連れに、北海道までの旅路を進めていくことになります。

映画「星守る犬」における旅の旅程は以下の通りです。

東京

福島県いわき市

岩手県遠野市

青森県弘前市

北海道石狩市

北海道名寄市

今作は2010年8月~10月に撮影が行われたとのことで、震災前の風景が映し出されています。
映画の風景は今現在のそれとはもう違うのかと思うと、作品本来の意図とは違う視点でも切なくなってきましたね。
特に福島県いわき市のエピソードでは、すぐ後ろが海岸であるコンビニが出ていましたし、そこで泳ぐ子供達の姿も映し出されていました。
今となっては、もはや収録不可能な光景ですね(T_T)。

主人公である奥津京介が身元不明の男性である「おとうさん」と秋田犬ハッピーに興味を抱いた理由は、自身も以前にクロという犬を飼っていたことにありました。
クロは、祖母が死んで間もない時期に祖父が奥津京介に飼い与えた犬で、奥津京介は最初の頃こそ可愛がっていたものの、次第にウザがり、邪険に扱うようになっていきます。
その理由については物語後半で明かされるのですが、「クロを愛してしまうと、いつかまた深い傷を負うのが怖かった」というものだったとのこと。
しかし祖父の死後、福祉課に就職した奥津京介を見届けて使命を全うしたかのごとく衰弱し、息を引き取ったクロを見て、奥津京介には「クロに愛情を注いでやれなかった」という後悔が残るのでした。
本当に犬を心の底から可愛がっていたとしても、「もっと可愛がってあげれば良かった」的な後悔は犬好きであれば誰もが思うことですから、奥津京介の後悔はなおのこと深かったであろうことは想像に難くありません。
奥津京介の考え方は結局のところ、クロにとっても自分自身にとっても不幸な結果しか残さなかったわけです。
しかし、件の「おとうさん」とハッピーは最後まで行動を共にし、2人寄り添うように亡くなっていたわけです。
彼らの関係は如何なるものだったのか、奥津京介が多大な興味を抱くのは当然のことだったと言えるでしょう。

映画「星守る犬」では、ペットに対する飼い主のスタンスがこれほどまでに得手勝手なものなのかということについても色々と考えさせられました。
主人公が個人的事情からペットを邪険にしていた件では、まだ主人公に悔恨の情が見られたから救いもあるのですが、秋田犬であるハッピーの方は壊滅的なまでに「ひどい」の一言に尽きますからねぇ。
自分から犬を飼いたいと言って父親を説得しながら、犬が大きくなったからといってその世話を父親に押し付けてしまう娘。
実家がある青森の弘前で、離婚した父親およびハッピーのことなど最初からなかったかのごとく普通に家から出かけている光景を見た時は「さすがに自分勝手が過ぎるのでは?」とついつい考えずにはいられませんでした。
主人公と異なり、彼女には何の悔恨の念もなさそうな雰囲気でしたし、父親共々犬のことなど忘れ去ってしまっているのではないかなぁと。
主人公についても言えることではあるのですが、最初「だけ」可愛がって「飽きた」「面倒臭い」などの理由から犬の面倒を見なくなる飼い主達というのは、ある意味ペット達にとってこれ以上ない残酷な仕打ちをしていると言っても良いのですけどね。

あと物語終盤、ハッピーが近づいてきただけで「野犬だ!」と騒ぎ立てた挙句、ハッピーに薪を全力で投げつけてきた親子についても、「いささか過剰反応過ぎないか?」という感想を抱きました。
確かに、長い間泥まみれ雪まみれ水まみれになって外見が著しく汚れていたハッピーには「可愛い」ではなく「何だこいつ」的な目を向けてしまうかもしれません。
しかし、あの状況では別にハッピーは誰かに吠え掛かったり噛み付いたりしたわけではなく、また唸り声を上げるでもなく、ただ普通に近づいてきただけでしかなかったわけです。
ただそれだけのことだったのに、あそこまで騒いだ挙句にハッピーに薪を叩き付けて致命傷を負わせなければならないことだったのでしょうか?
キャンプ場で犬や猫を見かけるなどさして珍しいことでもないわけですし、あの状況だったら、ある程度は警戒したり距離を置いたりしつつ様子を見るのが常道だったと思うのですが。
あの親子、ハッピーが野犬だったのかどうかが問題だったのではなく、元々相当なレベルの「犬嫌い」だったのではないか、とすら考えてしまったほどです。

私自身が大の犬好きということもありますが、「おとうさん」とハッピーのやり取りはやはり感情移入せずにはいられませんでしたね。
特に北海道石狩市の海辺にあるレストランのオーナーにハッピーを預けようとしながら、ハッピーが「置いて行くな!」と言わんばかりに吠えまくって追いかけようとする光景と、その光景を見て「互いに不幸になる」と分かっていながらハッピーを抱きしめ連れて行くことを決意するシーンは、映画で感動することなどほとんどない私でさえ思わずこみ上げるものがありました。
最初から明示されている結末は確かに悲劇的なものではありましたが、作中でも言われているように、ふたりは短いながらも素晴らしい時間を過ごしたと言えるでしょう。

ただのアンハッピーエンド物ではなく、悲劇的なはずの「おとうさん」とハッピーに勇気づけられ、未来に希望が抱ける終わり方をしています。
犬好きな方はもちろんのこと、そうでない方にも是非観て貰いたい映画ですね。

映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」感想

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映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」観に行ってきました。
アメリカのマーベル・コミックのアメコミ「X-MEN」シリーズのスピンオフ作品。
歴史上の事件であるキューバ危機を舞台に「X-MEN」に登場するプロフェッサーXとマグニートーの若き日の活躍を描いた物語となります。
ただ私の場合、過去の「X-MEN」シリーズの映画版は、同じくスピンオフ作品で2009年公開の「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」しか観たことがなく、本編3部作は全く観ていなかったりします(^^;;)。

全ての始まりは1944年まで遡ります。
ユダヤ人で後のマグニートーとなるエリック・レーンシャーは、ナチス・ドイツのホロコーストに巻き込まれ、母親から引き離されてしまいます。
その際、周囲の兵士達の制止を引き摺って強大な力を行使したエリックを、当時ナチス党に所属しシュミットと名乗っていたセバスチャン・ショウが目をつけます。
セバスチャン・ショウはエリックの目の前で母親を殺すことでその力を引き出させることに成功し、その代償としてエリックから多大なまでの憎しみを買います。
エリックはその後、ナチス狩りに精を出しつつ、セバスチャン・ショウの行方を追うことになります。
一方、後のプロフェッサーXとなるチャールズ・エグゼビアは、同じ1944年に食糧を盗むため自分の家に侵入してきたミスティークと出会います。
チャールズは自身の異能である読心能力でミスティークの正体を見破ると共に彼女を受け入れ、以後ミスティークはチャールズの義妹として成長していくことになります。
ミスティークは最初チャールズのことが好きだったようで、チャールズと恋人関係になるモイラ・マクタガートに嫉妬心を露にしていたりします。
ちなみにミスティークは多情な女性なのか、作中ではチャールズ→ハンク→エリックと、とっかえひっかえ的に男に惹かれていた感がありましたね(苦笑)。

プロフェッサーXとなるチャールズと、マグニートーことエリックの2人が出会ったのは1962年。
そのきっかけは、エリックが目の仇にしているセバスチャン・ショウの陰謀にありました。
彼は当時の米ソ冷戦を煽って第三次世界大戦を勃発させ、両者が共倒れした世界で自分が全人類の支配者になることを目的に、当時の米ソの政軍関係者を裏から操っていたのでした。
セバスチャン・ショウはまず、ラスベガスでアメリカの軍関係者と接触し、彼を通じて対ソ核ミサイルをトルコに配備させ、ソ連を刺激することに成功します。
しかしその際、CIAエージェントであるモイラ・マクタガートが偶然一部始終を目撃。
テレポートや身体をダイヤモンドに変異させるミュータント能力に驚いたモイラ・マクタガートは、エリックに協力を求めることになります。
一方、首尾良く計画の第一段階が上手く行ったセバスチャン・ショウは、滞在していたクルーザーで仇として狙っていたエリックからの襲撃を受けます。
エリックはクルーザーをズタズタに破壊したものの、肝心のセバスチャン・ショウには仲間のミュータント共々クルーザーに格納されていた潜水艦で逃げられてしまいます。
この時、生命の危険も顧みず海に潜っていく潜水艦を追わんとするエリックと、テレパス能力を駆使してセバスチャン・ショウの居場所を突き止め近くでマークしていたチャールズが、ここで初めて邂逅するのです。
最初は隔意ありげに接していたエリックもやがてチャールズと打ち解け合い、2人は無二の親友関係になっていきます。
そして、セバスチャン・ショウとそのミュータント仲間の力に対抗するため、2人は世界各地に散らばっているミュータント達を集め始めます。
その際、前作である「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」の主人公であるローガンに2人が声をかけ、「おととい来い」と返されてあっさりと去っていくサービスシーンが挿入されています。
この辺りはシリーズ物ならではのお約束と言ったところでしょうか。

一方、セバスチャン・ショウの画策はさらに進み、ソ連の高官を操ってついにキューバに核ミサイルに配備させる決断を下させることに成功。
これが歴史上の事件でもあるキューバ危機に繋がり、そしてこのキューバ危機を舞台にチャールズ・エリックとセバスチャン・ショウがそれぞれ率いるミュータント同士の戦いが繰り広げられることになるわけです。

映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」は、CGを駆使したSFXな描写もさることながら、キャラクター毎の人間ドラマなエピソードにも力が入っていますね。
プロフェッサーXが何故いつも車椅子に乗っているのか?
マグニートーが何故いつもヘルメットを被っているのか?
その他、「X-MEN」シリーズに纏わる様々な謎や設定が今作で分かるようになっています。
また、ミュータントであるが故にそれぞれの登場人物達が抱え込んでいる葛藤や決断なども上手く描写されており、ある意味SFXな描写以上に見所のひとつですね。
ただ、物語終盤で自分達の主人をエリックに殺されたセバスチャン・ショウの旧部下達が、いともあっさりとエリックに乗り換えたのには少々疑問を覚えずにはいられませんでした。
比較的新参で飛行能力を持つエンジェルはともかく、テレポート能力を駆使する赤悪魔風のアザゼルと、竜巻を繰り出すリップタイドは「いかにも忠臣」的なスタンスだったというのに。
母親を殺されたエリックのごとく主人の仇を討とうとは考えなかったのでしょうか、彼らは。
もっとも、彼らがセバスチャン・ショウにどれくらい忠誠を誓っていたのかについては議論の余地もあるでしょうし、彼らにしてみれば「自分達の目的が達成できるのであれば上司は誰でも良い」的な心境だったのかもしれませんが。
セバスチャン・ショウもエリックも、「母親殺し」というただ1点において対立していただけで、ミュータントと人間に対する認識と目的はどちらも同じでしたからねぇ。

あと同じく終盤、あそこまで対立が決定的になったのですから、どうしてエリックは自分にとって将来的な脅威となるであろうチャールズを、下半身不随状態になったのに乗じてチャッチャと殺しておかなかったのかと、物語の整合性を損ないかねない疑問も覚えてしまったものでした。
あの状態だったら赤子の手を捻るよりも簡単だったはずなのですけどね、後のプロフェッサーXことチャールズの殺害は。
もちろん、本当にそんなことをしてしまったら、その後の「X-MEN」シリーズのストーリーは全部消えて無くなってしまうのですから、シリーズ作品的には当然のごとく不可能な話だったでしょう。
しかし作品論的に見れば、マグニートーことエリックにとって、プロフェッサーXことチャールズとの今後の対立はあの時点で充分に予測できるものだったはずですし、作中でも無辜の米ソ兵士達を無差別虐殺する決断を躊躇なく下していたはずのエリックが、変なところで甘いなぁとは思わずにいられませんでしたね。
ここで虫の息だったチャールズを殺しておかなかったばかりに、エリックは後々余計な苦労をする羽目になったと思うのですが。

映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」の製作会社である20世紀フォックス社は、今作を「新三部作の1作目」として位置づけているのだそうで、シリーズ構想自体が中止に追い込まれなければ続編があと2つは製作されることになります。
ストーリー的にも演出的にもまずまずの出来な今作を見る限り、続編も充分に期待できそうではありますね。

映画「マイ・バック・ページ」感想

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映画「マイ・バック・ページ」観に行ってきました。
学生紛争の末期となる1969年から1972年の日本を舞台に、雑誌記者と自称革命家との出会いから破滅までを描く、妻夫木聡と松山ケンイチ主演の作品です。

この映画は、1971年8月21日の夜に実際に起こった「朝霞自衛官殺害事件」を元に作られています。
「朝霞自衛官殺害事件」とは、東京と埼玉にまたがる陸上自衛隊朝霞駐屯地で、当時歩哨任務についていた一場哲雄陸士長が「赤衛軍」と名乗る新左翼グループに殺害された事件のことを指します。
犯行現場には「赤衛軍」の名称が入った赤ヘルメットやビラが散乱しており、また殺害された一場哲雄陸士長が左腕に付けていた「警衛」の腕章が無くなっていました。
「赤衛軍」はこの事件まで全く問題を起こしたことがなく、組織犯罪を担当する公安にとってもノーマークかつ正体不明な存在でした。
ところが、1971年10月5日発売の週刊誌・朝日ジャーナルに「謎の超過激派赤衛軍幹部と単独会見」という記事が掲載され、そこに一般に公開していなかった「警衛」の腕章についての記述があったことから、警察はこの取材源について徹底的な捜査を進めます。
結果、日本大学と駒澤大学の学生3人が捜査線上に浮上、同年11月16日と25日に相次いで逮捕されます。
またこの事件では、当時朝日ジャーナルの記者だった川本三郎が、犯人から「警衛」の腕章を受け取り燃やしていたことや、週刊プレイボーイの記者が犯人達に逃走資金を渡していたことなども判明し、両名は「犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪」で逮捕されています。
この時逮捕され、懲役10ヶ月・執行猶予2年の有罪判決を受けた川本三郎が「朝霞自衛官殺害事件」についての自己の体験を綴った回想録が、この映画の原作となる「マイ・バック・ページ」です。
今作の主人公で妻夫木聡扮する沢田雅巳のモデルが、原作者である川本三郎自身ということになるわけですね。

一方、「赤衛軍」ならぬ「赤邦軍」のリーダー格となるのが、松山ケンイチ演じる梅山(本名は片桐優)。
梅山は、思想活動サークルで学生紛争の目的について問われた際、問いかけた相手に「お前は敵だろ!」と逆ギレした挙句、自分の意見に従えないものは出て行けなどとのたまう、ディベートの論者としてはどこかの山○弘を想起させる、何ともお粗末な人物です。
さらには虚言癖まであり、犯行が発覚して逮捕された後における警察の事情聴取では、すくなくとも自衛官殺害を指示していたわけではない京大全共闘議長の前園勇を首謀者に仕立て上げるウソの供述を始める始末。
アジトでは、仲間達が隣の部屋で待機している中、防音性の欠片もない一室で女性隊員を垂らし込んでズッコンバッコンよろしくやっているシーンまでありましたし、その癖その女性にカネの調達を要求したりするなど、人間としてもあまり好感が抱けるような人物ではなかったですね。
物語の最後では、半ば功名欲から事件を起こすに至ったことを告白していましたし。
ただ一方では、主人公である沢田雅巳を上手く利用したり、自分達を利用しようとした反戦自衛官・清原(本名は荒川昭二)を逆に追い込んだりするなど、したたかで微妙にカリスマ性のある人物でもあったりします。
カリスマ性のあるエゴイスト、というのが人物像になるでしょうか。

映画「マイ・バック・ページ」では、「朝霞自衛官殺害事件」以外にも実際に起こった事件が取り上げられています。
物語序盤では、東大安田講堂事件の最中、日比谷の全国全共闘連合結成大会に出席・演説しようとしていた東大全共闘議長・唐谷義朗が、彼の取材をしていた主人公の面前で逮捕される事件が発生していますが、この唐谷義朗のモデルは、当時やはり東大全共闘議長を務めていた山本義隆という人物です。
事件の経緯も、逮捕された大会の会場が日比谷というのも全く同じですし。
また、作中で主人公が憧れの職場として配属を希望していた東都ジャーナルは、1971年に雑誌の回収騒動が起こっているのですが、これも同じく1971年3月19日号の朝日ジャーナルで発生した雑誌回収事件がモデルだったりします。
この回収事件は、雑誌の表紙が女性のヌードだったことと、同雑誌に掲載されていたマンガ「櫻画報」の最終回となるこの号で、朝日新聞の社章が日の出のように水平線から昇る絵に「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」という文が添えられ、さらに「朝日は赤くなければ朝日ではないのだ」などとキャプションがつけられたことが朝日新聞本社で問題となり、同誌の回収が決定されたというもの。
事件後、朝日ジャーナルでは編集長が更迭された他、61名の人事異動がなされ、雑誌自体も2週間にわたって休刊となります。
作中では「アサヒ」の部分が別の表現に置き換えられていましたが、やはり同じように問題となり、現実の回収事件と同じように大規模な人事異動が行われ、そこへ元から配属を希望していた主人公も配属される、という形になります。
しかしまあ、当時から朝日新聞で既に行われていた中国・北朝鮮礼賛報道、後年に次々とやらかしていくことになる教科書・南京・サンゴ捏造虚報事件、さらには近年における「ジャーナリスト宣言」や自民党に対するバッシング、さらには対民主党向けの「報道しない自由」の行使などに見られる愚劣な偏向報道の数々を鑑みるに、この当時の朝日ジャーナルは全くもって正しいことを述べていたように思えてならないのですけどね(苦笑)。
作中の朝日ならぬ東都新聞本社の社会部記者が主人公に対して放った台詞も凄まじいまでに傲慢なシロモノでしたし、「ああ、朝日はやはり当時からずっと朝日だったのだなぁ」と思わず頷いてしまいましたね(爆)。
朝日新聞のスタンスは今現在も昔とほとんど変わっていないばかりか、むしろ悪化すらしている始末ですし。

作中の描写として気になったのは、主人公が梅山へ協力したことについて警察から事情聴取を受けた際、「取材源について明かすわけにはいかない」を繰り返すばかりで、証拠隠滅を図った事実や逃走資金を供与した問題については全く何も言及していない点ですね。
特に後者の場合、「取材源の秘匿」云々は全く何の関係もないのですし、それが「犯罪」であることを自覚できなかったわけもないでしょうに。
まあ、自分の「犯罪」を率先して認めるわけにもいかないから「我が身可愛さ」に自白を拒んでいた、という面もあったのでしょうが、「取材源」云々以外の問題についてどのように考えていたのか、モノローグでも良いから語っている場面が欲しかったところです。

最初から最後まで陰々滅々な雰囲気に満ち満ちていましたし、明るい要素がどこにも見当たらない映画と言えます。
1970年代テイストは上手く再現できていたようで、年配の人には「懐かしい」と思わせるものがあったようなのですが、それ以降に生まれた人間としては「単なる歴史の1ページ」以外の感想など抱きようがありませんでしたし。
「当時の歴史を振り返る&検証する」という目的であればそれなりに楽しめるのかもしれませんが、エンターテイメントしての盛り上がりを期待すると痛い目を見ることになる作品でしょうね。

映画「プリンセストヨトミ」感想

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映画「プリンセストヨトミ」観に行ってきました。
作家・万城目学による同名の長篇小説を原作とする、大阪国と会計検査院の間で繰り広げられる駆け引き、および家族の絆を描いた作品です。
TVドラマ&映画版「SP 警視庁警備部警護課第四係」シリーズで好演した堤真一が主人公だったことが、今作をチョイスした最大の理由となりました。

このことは誰も知らない。
2011年7月8日金曜日 午後4時のことである。
大阪が全停止した。

こんなキャッチフレーズから始まる物語冒頭。
各所にひょうたんが掲げられた状態で誰もいなくなった大阪の街を、ひとりの女性が驚愕の表情を浮かべながら歩いている光景が映し出されます。
かくのごとき衝撃的な事態にまで至ったそもそもの遠因は、7月8日から遡ること4日前の7月4日月曜日に、東京の会計検査院から3人の人物がやってきたことにあります。
今作の主人公にして「鬼の松平」の異名を取る会計検査院第六局副長・松平元(まつだいらはじめ)。
冒頭にあった無人の大阪の街を歩いていた会計検査院第六局所属の女性・ミラクル鳥居こと鳥居忠子。
そして、今回の大阪出張が会計検査院第六局としての初仕事になるらしい、日本人とフランス人のハーフの男性・旭ゲーンズブール。
会計検査院とは、国および国の出資する政府関係機関の決算・独立行政法人および国が補助金等の財政援助を与えている地方公共団体の会計などに関する検査を行い、会計検査院法第29条の規定に基づく決算検査報告を作成することを主要な任務としている組織です。
簡単に言えば、公的機関の決算や会計で無駄や不正が行われていないかをチェックするのを仕事とする組織ですね。
法律上は行政機関となるのですが、内閣に対し独立した地位を有していることが日本国憲法第90条第2項および会計検査院法第1条で定められており、国の公的な機関でありながら、立法・行政・司法の三権いずれからも独立しているという非常に特殊な組織でもあります。
会計検査院所属の3人は、大阪の各公的組織の決算・会計を調査するため、東京から大阪へやってきたわけですね。

大阪各所にある公的機関は、緊張の面持ちで会計検査院の面々を迎えます。
もちろんその理由は、陰で色々な不正や無駄などをやらかしているため、それがバレることに戦々恐々としていることにあるのですが。
しかし、最初の調査対象機関である大阪府庁では旭ゲーンズブールによって30万前後の不正支出が、次の空堀中学校ではミラクル鳥居の「怪我の功名」によって事務がらみの不正がそれぞれ暴かれていきます。
大阪府庁と空堀中学校のチェックを終えた会計検査院の一行は、次の調査対象である財団法人OJO(大阪城址整備機構)がある長浜ビルへと向かいます。
この時の調査は何事もなく終わるのですが、ミラクル鳥居の駄々こねで長浜ビルの正面に位置しているお好み焼き屋「太閤」で食事をすることになった際、松平元がOJOに携帯電話を忘れたことから、事態が意外な方向へと動き出します。
「鬼の松平」が携帯を忘れる、という描写は作品冒頭にもあるのですが、この辺りは何となくSPシリーズの「いつも手錠を忘れる」主人公のことを想起せずにはいられませんでしたね(苦笑)。

それはさておき、携帯を取りに再びOJOに行くと、さっきまで働いていた職員達の姿が全くありません。
OJOに電話をかけても目の前にある電話は全く鳴ることがなく、デスクの引き出しの中も空っぽの状態。
不審に思った松平元は、翌日再びOJOを訪ね、昨日の件についての説明を求めるのですが、OJOの経理担当である長宗我部はのらりくらりと質問をかわし、なかなかボロが出てきません。
大阪中の人間に片っ端から電話をかけまくり調査するという手段に打って出ても不正の証拠は何も出てくることがなく、松平元以外の2人は半ば諦めムード。
しかし、OJOの表向きの管理対象である大阪城について調べていった結果、大阪城の緊急脱出用の抜け穴がOJOに通じており、そこから職員が出入りしているのではないかという仮説を、松平元は導き出します。
そして、OJOの長浜ビルのロビーにあった、曰くありげな扉がその出入り口ではないかと踏んだ松平元は、OJOに乗り込み長宗我部に扉を開いて中を見せるよう要求するのですが、長宗我部は頑強にこれを拒否。
業を煮やした松平元がさらに強硬に要求しようとした時、突如後ろから「私がご案内致します」という声がかけられます。
松平元が振り返ると、そこにいたのは何とお好み焼き屋「太閤」の店主・真田幸一。
扉の中は長い廊下が続いており、その先にあったのは国会議事堂モドキな光景。
半ば呆然とする松平元に対し「ここは大阪国議事堂です」と説明をする真田幸一。
そして「大阪国?」と訝しがる松平元に対し、真田幸一は高らかに宣言するのです。
「私は、大阪国総理大臣・真田幸一です」と。

映画「プリンセストヨトミ」で「大阪国」なるものが建国されるに至った起源は、1615年の大坂夏の陣まで遡ります。
この戦いによる当時の大坂城陥落の際、豊臣家の血筋は絶えたとされているのですが、実は豊臣秀頼の幼い息子だった国松が難を逃れ、その血筋は細々ながらも続いていたのでした。
豊臣家は当時の大坂の民から親しまれていたこと、またその後に莫大なカネをかけて大坂城を再建し威勢を誇った徳川家に対する反発も手伝って、国松および豊臣家の血筋を守り抜くことを目的に、大坂城の地下に寄り合い所が作られたのが「大阪国」の起源であるとされています。
その後、明治維新の際に資金不足に陥っていた当時の明治政府が、資金調達を目的に「大阪国」を正式に国として承認する条約を「大阪国」と締結します。
条約では「大阪国はその存在を外部に公表してはならない」とも定められており、またその条約締結の際の文書には、大久保利通や西郷隆盛などといった明治の元勲達の署名もはっきり記されていたりします。
つまり「大阪国」とは日本国という主権国家から承認を受けているれっきとした「国」であるわけですね。
財団法人OJOも、「国」として公に出来ない「大阪国」の隠れ蓑ないしは出先機関であり、また「大阪城址整備機構」なる略称自体も実は全くの偽りで、その読み方もローマ字読みで「オージョ」、つまり「王女=プリンセス」という、映画のタイトルにもなっている「大阪国」が守るべき対象そのものを指す名称だったのです。
まさかそんな読み方をするとは思わなかったので、この辺は結構良い意味で意表を突かれましたね(苦笑)。

ただ、この話だとある疑問が出てきます。
それは、いくら国家の三権から独立した存在だとはいえ、会計検査院に「大阪国」を好き勝手に処分する権限があるのか、という点です。
先にも述べたように、「大阪国」は明治時代に当時の日本政府から国家としての承認を受けている「外国」であり、その領域は日本国の主権が及ぶところではありません。
会計検査院の調査対象はあくまでも「国内限定」であり、「外国」が調査対象、ましてや「取り潰し」の権限まで行使することは本来ありえないのです。
作中で財団法人OJOが調査対象になっているのは、実は「大阪国」の人間で、会計検査院を利用して「大阪国」の存在を外部に知らしめようとしていた旭ゲーンズブールの画策であることが明らかになっているのですが、実際問題、会計検査院ができるのってここまでが限界なはずなんですよね。
「外国」である「大阪国」でどんな不正や会計が行われていようが、そこに「日本国」の会計検査院が口を出したら、それは「他国に対する内政干渉」になってしまうのですから。
唯一、会計検査院が干渉できるところがあるとすれば、それはすくなくとも表面的な法理論上では「日本国の財団法人」として登録されているOJOだけしかないのですが、作中の松平元は明らかに「大阪国」を攻撃の対象にしています。
真田幸一をはじめとする「大阪国」の面々と対峙していた松平元は、一官僚の立場をわきまえずに日本国代表としての「他国に対する宣戦布告」を無断でやっているも同然だったわけで、これってかなり大問題になるんじゃないのかなぁ、と思えてならないのですけどね。
一方の「大阪国」の面々も、自分達が「正規の条約に基づいて日本国から正式に国家承認されている国である」という事実の強みをもっと大々的に主張すべきだったのではないかと。
「国の重み」というのは、たかだか会計検査院程度の組織くらい黙らせられる力を持つものなのですけどね、小なりといえども。

あと、作中における「大阪国」の人間って、物凄く宗教的かつ国家総動員的な体質を持っていますね。
大多数の人間にとっては一度も見たことがないばかりか正体すらも不明な「プリンセストヨトミ(豊臣家の末裔)」のために、あそこまでの総動員が短時間のうちにかけられ、しかもそのことに誰も疑問を持たないときているのですから。
物語のラストで真田幸一が大衆に向かって笑顔を見せた時も、皆熱狂的に歓喜の雄叫びを上げていましたし(苦笑)。
見様によっては、「アメリカ万歳主義」などとしばしば見当違いな揶揄をされるハリウッド映画が裸足で逃げ出してしまうほどの「右翼的」かつ「愛国心礼賛」な作品ですよね、これって。
まあ、作品および作者的にはそういう意図を込めてはいないのでしょうけど。

作品設定的には色々とツッコミどころが満載ですし、派手なアクションシーンやラブロマンスの類も全くありませんが、主演である堤真一・綾瀬はるか・岡田将生の3人の演技で結構点を稼いでいる映画でもありますね。
俳優さん目当てで映画を観る、という人にはオススメの作品かもしれません。

映画「アジャストメント」感想

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映画「アジャストメント」観に行ってきました。
フィリップ・K・ディックの短編小説「調整班(Adjustment Team)」を原作とする、マット・デイモン主演のSF恋愛サスペンス作品。
2011年に入ってから観賞したマット・デイモン主演の映画は、「ヒアアフター」「トゥルー・グリット」に続きこれで3作目になります。

物語は、元バスケットボール選手でアメリカ上院議員候補として選挙を戦っていたデヴィッド・ノリス(マット・デイモン)が、選挙戦を有利に進めていながら、本番となる選挙の直前に酒場で下半身露出というスキャンダルをやらかし、結果落選の憂き目を見る羽目になるところから始まります。
敗北に直面したデヴィッド・ノリスは、敗北宣言を行う際の演説の内容をひとりで考えるため、男子トイレに入ります。
「誰か入っていますか?」という確認に返答がなかったのでしばらく演説のシミュレーションを展開するデヴィッド・ノリスですが、イマイチながらも一通り考えがまとまりかけたところで、トイレの中から突然女性の声がかけられます。
その女性エリースとの会話から何らかの天啓でも受けたのか、デヴィッド・ノリスは敗北宣言で当初考えていた演説の内容を変更し、結果として民衆に好印象を与える演説を行うことに成功します。
しかし、実はこの2人の出会いは、作中にチラチラ登場するシルクハット帽子をかぶった謎の男達によって意図的に演出されたものだったのです。
そして、彼らの当初の考えでは、2人はここで二度と会うことはなかったはずでした。

選挙の敗北宣言後、デヴィッド・ノリスは、彼の幼馴染で選挙参謀でもあったチャーリーが勤務しているとあるベンチャー企業に役員として招かれ就任します。
役員就任後のある日の朝、デヴィッド・ノリスはチャーリーからの電話で、太陽光発電などの環境系に資金援助を行うよう提言しますが、チャーリーはコストがかかることを理由に難色を示します。
適当なところで電話を切り、朝起きた際に入れたコーヒーを片手に持ったまま、デヴィッド・ノリスは会社に出社します。
ここで再び登場する謎の男2人。
そのひとりリチャードソンは、もうひとりの男ハリーに対し、デヴィッド・ノリスが片手に持っていたコーヒーを、7時5分にこぼすよう指示します。
ハリーは公園で待ち伏せして指示を実行するつもりだったのですが、デヴィッド・ノリスを待っている間にうたた寝してしまったハリーは、予定の7時5分になっても起きることがなく、デヴィッド・ノリスは予定時刻にコーヒーをこぼすことなくバスに乗り込んでしまいます。
このハリーのミスが全ての元凶となり、事態は思わぬ方向へ進展することになります。
まず、本来二度と出会うはずがなかったデヴィッド・ノリスとエリースが、乗り合わせたバスの中で再会してしまいます。
バスを必死になって追いかけるハリーは、遠隔操作のような能力を駆使してバスの中にいるデヴィッド・ノリスのコーヒーを何とかこぼしますが、既に手遅れでまるで意味のない行動でした。
そしてさらに、謎の男達の予定よりも早く会社に到着したデヴィッド・ノリスは、そこで時が止められたような状態で固まっている会社員達と、正体不明の機器を使って彼らをなで繰りまわしている謎の男達の集団を目撃することになります。
異様な雰囲気に驚いたデヴィッド・ノリスはただちにその場から逃走を図りますが、何故か行く先々で謎の男達にことごとく先回りされてしまい、デヴィッド・ノリスは多勢に無勢で押さえつけられ眠らされてしまいます。

次にデヴィッド・ノリスが目覚めると、そこはだだっ広い倉庫だか駐車場のような場所。
彼を拉致し、周囲を取り囲んでいる謎の男達は、自分達のことを「運命調整局(アジャストメント・ビューロー)」と名乗り、超常的な能力を披露します。
そしてデヴィッド・ノリスに対し、自分達のことを一言半句も他人にしゃべらないこと、そしてエリースに二度と会わないよう強要します。
「何故彼女に会ってはいけないのだ?」というデヴィッド・ノリスの質問にも「秘密だ」以外の回答が返ってくることはなく、バスで出会った際にもらった、デヴィッド・ノリスとエリースの唯一の繋がりだった彼女の電話番号が記されたメモも燃やされてしまいます。
しかも解放された後に行われた会社の会議では、朝の電話の会話で太陽光発電の投資を渋っていたはずのチャーリーが、全く正反対の賛成の立場に転じており、「調整(アジャストメント)」の恐ろしさがデヴィッド・ノリスの眼前で展開されるのです。
これでデヴィッド・ノリスとエリースの恋も終わったかに思われたのですが、しかしデヴィッド・ノリスは想像以上にしぶとい人間でした。
彼は何と3年以上もかけて同じバスに乗って通勤し続けることで、ついに彼女を探し当て、3度目の再開を果たすことに成功するのです。
この異常事態を当然のごとく察知して2人の仲を引き裂かんとアレコレ工作を始める「運命調整局」の面々。
かくして、デヴィッド・ノリスの運命を巡る「運命調整局」との戦いが繰り広げられることになるのです。

映画「アジャストメント」は、今作と同じくマット・デイモンが主人公(のひとり)を演じている映画「ヒアアフター」と同様、哲学的な要素が極めて強い作品です。
「ヒアアフター」のテーマが「死後の世界」ならば、「アジャストメント」のそれは「運命の重み」「運命に逆らうことの難しさ」といったところでしょうか。
面白いのは、他人の運命を左右する「運命調整局」の面々は、決して悪意からデヴィッド・ノリスに干渉しているのではないという点です。
むしろ彼らは「人類にとって最悪の未来を回避すること」を目的に、つまりある種の「善意」に基づいて他者の「運命」を調整しているわけです。
作中でも、「ハンマー」の異名を持つ「運命調整局」所属のトンプソンなる存在が、人間の運命を人間自身に委ねるとロクでも事態が起こるということを、ヨーロッパ中世の暗黒時代と2度の世界大戦&冷戦を例にデヴィッド・ノリスに説明している描写があります。
彼の説明によれば、デヴィッド・ノリスは将来、上院議員四選の末にアメリカ大統領までのし上がる「運命」の人物であり、それが「最悪」を回避できるものであるが故に彼に干渉しているのだとのこと。
個人の我欲で動いているわけではないが故に、「運命」の重みというものが感じられる描写でしたね。

主演のマット・デイモンも、かつては「ボーン・アイデンティティー」「ボーン・スプレマシー」「ボーン・アルティメイタム」の3部作シリーズや「オーシャンズ11~13」シリーズなどといった「アクション物」をメインにこなしていたので、アクション俳優としての印象が強かったのですが、最近の作品はどちらかと言えばアクションシーンが控えめですね。
「ヒアアフター」は完全にアクションがありませんでしたし、「アジャストメント」も全体的にはアクションが少なく、ストーリー性や作品テーマで勝負しているような感じです。
まあ過去作自体、ボーンシリーズや「グリーン・ゾーン」などのように「アメリカの暗部」を炙り出しているようなところがありますから、ストーリー&作品テーマ重視の方針は昔から一環していたのかもしれませんが。
マット・デイモン的にはそういう作品の方がやはり好みなのでしょうかね?

あと、作中に出てくる「運命調整局」のアイテムや異能がこれまた面白いですね。
機械の設計図のような幾何学模様の中を、FXチャートのような軌跡を残しながら走り続ける青い光点と、明らかにヤバそうな雰囲気をかもし出している赤い光点が描かれ続ける「運命の書」。
光点が一体何を意味するのか、その原理は作中で全く何にも説明されておらず、「接触点」云々の専門用語まで出てくるのに、雰囲気自体は何となく分かるというシロモノ。
ラストで幾何学模様が消えていった真っ白な右半分を青い光点が走っていくシーンは、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」の終盤近くのシーンを想起させるものがありました。

ドアを開けると何故か全く別の場所に繋がる「どこでもドア」的な能力。
こちらもやっぱり原理は何も説明されないものの(帽子があれば誰でも使えるらしいのですが)、映画の中における描写としては上手いものがありましたね。
特に物語終盤は、「ただドアを開けていくだけ」のシーンをアレだけテンポ良くかつ格好良く描いているわけですから。
ああいう観せ方もあるのか、とここは結構感心したところだったりします。

全体的な構成としては、「哲学的な要素を大量に盛り込んだ恋愛映画」といったところになるでしょうか。
アレだけ主人公に(表面的に見れば)ソデにされまくり、最初はそのことに怒りまくるのに、それでも最終的には主人公についていく女性エリース・セラスには「何とも忍耐強い女性だなぁ」という感想を抱かずにはいられませんでしたが(苦笑)。
まあその部分も「運命的な結びつきの強さ」というものを表現するためのものではあるのでしょうけどね。

映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命(いのち)の泉」感想

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映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命(いのち)の泉」観に行ってきました。
ジョニー・デップが演じるキャプテン・ジャック・スパロウを主人公とする海賊冒険作品。
実はこのシリーズの作品、過去の3部作は映画館どころかテレビでさえも一度も観たことがなく、4作目となる今作が初めてのシリーズ観賞ということになりました(^^;;)。
この映画は3D版でも公開されていますが、私が観に行ったのは2D版となります。
3Dっていちいち専用の赤青メガネをかけなければならないし、作品によっては2Dとほとんど見た目が変わらないこともあり、カネが余計にかかるだけでどの辺りに魅力があるのかイマイチ分からないんですよね。

物語の始まりは、スペインのとある漁師達が引き上げたゾンビが、「生命の泉」のことが記されている200年前の伝説の海賊であるポンセ・デ・レオンの航海日誌を手に入れ、スペインが国として「生命の泉」探索を決定することが発端となります。
一方その頃、イギリスのロンドンでは、牢獄に囚われの身となっていたキャプテン・ジャック・スパロウの公開処刑が行われようとしていました。
ところが、いざ裁判の場に連行され、顔を隠していた覆面が外された時、そこにいたのはジャック・スパロウではなく、彼の相棒だったギブス。
「俺はジャック・スパロウではない!」と主張するギブスの前に現れたのは、何と裁判長に擬態したジャック・スパロウその人でした。
裁判長ジャック・スパロウは、いかにも投げやりに裁判過程をすっ飛ばした挙句、「ジャック・スパロウ」扱いされているギブスに対し終身刑を言い渡、娯楽としての公開処刑を望む民衆からの罵倒を受けつつとっととその場を後にします。
その後ジャック・スパロウは、再び牢獄に連行されていくギブスの馬車に一緒に搭乗。
馬車を引く御者をも買収し、ギブスと一緒にロンドンから逃亡する算段を立てていました。
その際ジャック・スパロウは、自分の名を騙る人間が「生命の泉」を目指すために船の乗組員を募集しているという噂話をギブスから聞かされます。
どこで手に入れたのか「生命の泉」にまつわる地図を所持していたジャック・スパロウは、その話に怪訝な顔をするのですが、その最中、予定よりも早く馬車が停止します。
しかし馬車を降りたジャック・スパロウを待っていたのは、バッキンガム宮殿の広場のど真ん中で自分達に銃剣を突きつける衛兵達。
再び囚われの身となってしまったジャック・スパロウは、時のイギリス国王ジョージ2世の前に引き据えられ、「生命の泉」に関する情報を出せと迫られます。
処刑をも示唆されて脅迫されたジャック・スパロウは、ここから一大脱出劇を敢行。
ここからしばらく、17~18世紀当時のロンドンの街を舞台にしたアクションシーンが繰り広げられます。

紆余曲折の末、からくも衛兵達の追撃から逃れたジャック・スパロウは、たまたまそこで偽物の自分が乗組員募集を行っているという酒場に鉢合わせします。
そこで自分の名を騙っていたのは、かつて修道院?でジャック・スパロウが愛の告白をした女海賊アンジェリカ。
彼女はジャック・スパロウに対し「生命の泉」を一緒に探そうと誘いをかけるのですが、「生命の泉」にあまり興味がないジャック・スパロウは当然のごとく拒否。
ここでもすったもんだのゴタゴタの末、結局ジャック・スパロウはアンジェリカの部下に眠らされた挙句、彼女の船に強制連行され、その後「父親」である黒ひげの脅迫もあって「生命の泉」探索に無理矢理協力させられることになってしまいます。
一方、ジャック・スパロウに逃げられたイギリス側では、海賊なのにイギリス海軍に取り入った、過去3部作におけるジャック・スパロウの宿敵バルボッサ。
彼は「生命の泉」に興味を持ち、かつライバル国でもあるスペインに対抗する気満々のジョージ2世からの命で、イギリス海軍の船1隻を率いて「生命の泉」探索へと向かうことになります。
かくして、永遠の生命が与えられるとされる「生命の泉」を巡り、イギリス軍・スペイン軍・海賊達の三つ巴の戦いが展開されるわけです。

今作を観てまず驚いたのは、やはり何と言ってもジョニー・デップの好演ですね。
コメディタッチな演技とアクションシーンは、私が初めて観賞したジョニー・デップ主演映画「ツーリスト」からは到底想像もつかない高レベルなものでした。
もちろん、ジョニー・デップおよび彼のファン的には「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズにおけるアクション演技が本来の姿であり、「ツーリスト」のあのショボ過ぎるアクションシーンの方が論外なシロモノだったのでしょう。
しかし、「ツーリスト」で初めてジョニー・デップを観た私としては、そちらの印象が強かったこともあって驚かざるをえなかったわけです。
こんなことなら過去作もきちんと観ておけば良かったか、とつくづく思わずにはいられませんでしたね。

また、作中では微妙に影が薄いスペイン軍の目的が「国としては」およそ支離滅裂に満ち満ちたシロモノだったのも個人的にはかなり衝撃的でしたね。
せっかく「生命の泉」を手に入れる好都合なチャンスが自分のところに巡ってきたにも関わらず、彼らがやったことはと言えば「永遠とは神に対する信仰によってのみもたらされるべきものである」という理由から「生命の泉」を破壊するというものでした。
「生命の泉」を破壊するためだけのために軍艦3隻と多くの兵士達を派遣するスペインは、今回の遠征に一体どんな国益や見返りを求めていたのか、はなはだ理解に苦しむものがあります。
「生命の泉」がもたらす利益を求めたイギリス国王ジョージ2世や、「生命の泉」の領土宣言を行おうとしてスペイン軍に撃ち殺されたイギリス軍将兵の方が、国の方針としてははるかにマトモに見えます。
海賊であるバルボッサを利用して「生命の泉」を探させたのも、イギリス的には自国の国益のための一環であったわけですし。
スペインの目的は「生命の泉」がもたらす利益や国益を目指したものではなく「国を挙げての十字軍的な狂信」に基づいたシロモノでしかなかったわけで、こういうのは個人としてはともかく「国としては」絶対にやってはいけないことだったのではないかと思えてならないのですけどね。
略奪による利益すらも全く上げられなかったわけですから、現場のスペイン軍にとっても「骨折り損のくたびれ儲け」以外の何物でもなかったでしょうに。
3つ巴の構図自体は結構面白かったのですが、スペイン軍については「一体何しにやってきたんだよ」とツッコミを入れずにはいられなかった次第です。

物語の最後は明らかに続編が作られるような終わり方をしており、またスタッフロールが終わった後にも、アンジェリカがある「強力な武器」を手に入れるエピソードが挿入されています。
実際にあと2本続編が作られることも既に決まっているのだそうで、今後も期待されるであろうシリーズ作品と言えるでしょうね。

映画「岳-ガク-」感想

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映画「岳-ガク-」観に行ってきました。
小学館発行の漫画雑誌「ビッグコミックオリジナル」で連載中の石塚真一原作漫画「岳 みんなの山」をベースとする、山岳救助にスポットを当てた小栗旬&長澤まさみ主演の映画作品です。
同じく遭難者の救助活動をテーマにしつつも、舞台が海である「海猿」シリーズとは対極に位置する作品と言えますね。

映画「岳-ガク-」の物語は、ひとりの登山家が北アルプスを登山中、足を滑らせてクレバスに落ちていくシーンから始まります。
すぐさま救助要請が長野県警北部警察署の山岳救助隊に入ることになるのですが、ヘリで現場へ急行するにも時間がかかり過ぎることが問題として取り沙汰されます。
ちょうどそこへ、その日から山岳救助隊に配属されることになっていた椎名久美が部屋へ入ってきます。
椎名久美が部屋に入ってきたことに誰も気づかないまま揉めに揉める山岳救助隊の面々ですが、不意に呟いた山岳救助隊の隊長・野田正人の鶴の一声が全てを決します。
「そうだ、三歩がいる!」
三歩こと島崎三歩は、誰よりも山を愛し、世界中の巨峰を登り歩いてきた山岳救助ボランティア。
彼は普段から北アルプスの山で寝食するほどの「山バカ」であり、この日も現場から比較的近い山中で野宿していたのでした。
野田正人は早速三歩と連絡を取り、ヘリで救助に駆けつけるまでに現場へ駆けつけ応急的な措置をしておくよう依頼します。
ここで呟かれた「三歩?」という疑問の声に、ようやく椎名久美の存在に気づく山岳救助隊の面々。
しかし時間が差し迫っていることもあり、山岳救助隊はその質問に対する回答もそこそこ直ちに行動を開始。
椎名久美も移動するヘリに同乗することを許可され、一緒に現場へ向かうことになります。
一方、島崎三歩は何事もなく無事にクレバスへ辿り着き、クレバスに嵌った形で底への落下を免れていた遭難者を見つけ出し、無事を確認すると「良く頑張った」と励ましつつ、遭難者を担いでクレバスから脱出します。
クレバスから脱出して少し歩いたところで、椎名久美も搭乗している山岳救助隊のヘリが現場に到着し、遭難者は無事に保護されます。
ヘリの中から、遭難者を担いだままヘリに手を振る島崎三歩を眺める椎名久美。
これが2人の出会いとなるのです。

その後の映画「岳-ガク-」のストーリーは、山岳救助隊の新米女性隊員・椎名久美の視点をメインに進行していくことになります。
男だらけの職場で、紅一点として厳しい訓練に励む椎名久美。
しかし物語前半は、その努力も全て空回りしているような印象が否めず、周囲に対しても頑なな態度を取っていたりします。
また、物語中盤付近で休暇中に自主訓練をしている最中、自分の目の前で崖から転落した登山者を目撃することになるのですが、「その場で待機しろ」という山岳救助隊本部からの命令を無視して登山者を助けるべく行動したりしています。
その登山者は結局、崖から落ちた時点で頭蓋骨陥没の致命傷を負っていたのでどの道助からなかったのですが、その後、遺体となった登山者を崖の下に投げ捨てるという決断と下した山岳救助隊と、現場に駆けつけ実行に移した島崎三歩に、椎名久美は反感を抱きます。
挙句、その反感から登山者に八つ当たり的な言動を展開したり、怒りのあまり足元がおろそかになって自身が足を滑らせ遭難してしまったりと、物語中盤までの椎名久美は本当に全く良いところがなかったですね。
昴エアレスキューのヘリパイロットである牧英紀から「お前のような奴を何と言うか知っているか? アマチュアって言うんだよ」と酷評されていた描写は、「全くもってその通り」と思わずにはいられませんでしたね。
まあ、これが物語後半を盛り上げる伏線にもなるのですが。

椎名久美関連の描写に象徴されるように、映画「岳-ガク-」は山岳救助の厳しさと現実を良くも悪くも前面に出している作品であると言えます。
物語中盤の山岳救助は、遭難者を発見することはできても助からないものばかりですし、遺体に対面した遺族が救助活動を行っていたはずの山岳救助隊を罵倒し土下座を要求する描写まで存在します。
幾度も危機的状況に置かれながらも、最終的には誰も死ぬことがなかった映画版「海猿」シリーズとはこの辺りについても対極ですね。
個人的には「ああ、こういう場面、現実にも絶対にありえるだろうなぁ」と思いながら観賞していましたが。

物語前半のボロボロな惨状にさすがに意気消沈していた椎名久美は、山岳救助隊の隊長である野田正人から、島崎三歩の過去を聞かされます。
踏破だけで10日もかかるという断崖絶壁に挑戦していた際、自分と共に競いあっていた友人を失い、その遺体を2日がかりで担いで山を下りたという過去を。
山岳救助で冷酷な判断を平然と実行しているように見える島崎三歩にそんな過去があると知った椎名久美は、反発を抱いていた島崎三歩の元を訪ね、自身の父親の身の上話を始めます。
椎名久美の父親は今の山岳救助隊の元隊長で、椎名久美が幼少の頃、無謀な山岳救助に単身挑み、生命を落とした人物でした。
椎名久美は最初それに反発していたものの、17回忌に父親宛の手紙を読んだことから山岳救助を志すようになったそうです。
この時の会話と島崎三歩の激励で何か吹っ切れるものがあったのか、それ以降の椎名久美の成長ぶりは著しかったですね。
最後には「(遭難者を救うためとはいえ)よくぞそんな決断が下せたものだ」的な非情な決断まで実行に移していますし。

原作は未読なのでどうなのかは分かりませんが、すくなくとも映画「岳-ガク-」については「椎名久美の成長物語」的な側面が大きくクローズアップされているのではないでしょうか。
島崎三歩は一応主人公のはずなのに、「他人の視点から見た島崎三歩」的な描写しかなく、島崎三歩自身がどんなことを考えていたのかがはっきりと分かるような描写はほとんどありませんでしたし。
その辺りは原作ファンから見たら微妙に評価が分かれるところかもしれません。

アーノルド・シュワルツェネッガーの映画復帰最初の作品が決定

2011年1月にカリフォルニア州知事を退任したアーノルド・シュワルツェネッガーが映画復帰する最初の作品が決定しました。
その映画の名は「クライ・マッチョ」。
引退の決まった競馬の調教師がお金欲しさから雇い主の息子を誘拐する話とのことです↓

http://megalodon.jp/2011-0501-1441-44/sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110501/ent11050114020015-n1.htm

近年のアーノルド・シュワルツェネッガーは、2009年公開映画「ターミネーター4」で本人をモデルにしたCG演出、2010年公開映画「エクスペンダブルズ」で2~3分程度の友情出演などで映画界での顔見せ興行を行っていましたが、今回、いよいよ主演としての映画復帰が行われるわけです。
「ターミネーター5」の製作も進行中とのことですし、「エクスペンダブルズ」も続編製作が決定していることから、そちら方面でも出演の可能性があります。
今後の動向に注目ですね。

映画「GANTZ:PERFECT ANSWER」感想

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映画「GANTZ:PERFECT ANSWER」観に行ってきました。
集英社の青年漫画雑誌「週刊ヤングジャンプ」で連載中の同名作品を、二宮和也と松山ケンイチを主演に迎えて描かれる実写映画2部作の後編に当たります。
前作「GANTZ」、および2011年4月22日にTV放送された「ANOTHER GANTZ」を観賞した際の私の感想については、こちらをご参照下さい↓

映画「GANTZ」感想
金曜ロードショー「ANOTHER GANTZ」感想

前作に引き続き、今作も残虐シーンが満載であることからPG-12指定されています。
映画公開直前の「ANOTHER GANTZ」放送の影響もあってか、私が行った映画館のスクリーンはほぼ満席状態でしたね。

映画「GANTZ:PERFECT ANSWER」の物語は、前作「GANTZ」のラストから5ヶ月後、トップモデルである鮎川映莉子の元に、小さな黒い球・ガンツボールが送られてきたところからスタートします。
ガンツボールは鮎川映莉子に対し、「鍵」となる人物を殺すよう命じ、鮎川映莉子は無意識のうちにそれを実行していきます。
殺された人物はガンツの元に転送され、前作「GANTZ」で失った加藤勝を生き返らせるため、事実上のリーダー格となって戦っている主人公・玄野計とその他のガンツメンバーと共に戦っていくことになります。
実は鮎川映莉子、および彼女によって殺された「鍵」の人物達は、最後に「鍵」として指定された人物を除き、2年前にガンツに召喚され、星人達との戦いで100点を獲得しガンツから解放された人間であることが、物語後半になって判明します。
ガンツから解放される際には記憶を消されるわけですが、戦い方は身体が覚えているため、彼らは当然のように強いわけです。
そして、ガンツボールが最後に指定した「鍵」の人物は、前作のラストで玄野計に告白し、その後は玄野計と親しく付き合うようになっている小島多恵。
何故「歴戦のガンツメンバー」でもない彼女が選ばれたのかについて作中では何も語られていないのですが、おそらくガンツの意図としては、小島多恵をガンツメンバーに加えることで、星人達との戦いで優秀な成績を収めている玄野計をいつまでも自分の手元に置いておきたいという意図があったのではないかと思われます。
そしてガンツボールが指示を送っている鮎川映莉子自身は、小島多恵を殺させた後で「ミッションクリア」としてガンツルームに呼び寄せる予定だったようです。

しかし、ここでそのガンツの目論見を妨害し、ガンツに仇なそうとする存在が2つ登場します。
ひとつ目は黒服・壹が率いる謎の集団。
彼らは、小島多恵を殺すために地下鉄に乗り込んだ鮎川映莉子を抹殺してガンツボールを奪い取り、ガンツの居場所を特定すべく、行動を開始します。
このことに危機感を抱いたガンツは、玄野計率いるガンツメンバーに対し「黒服星人」として抹殺するよう指示。
これまでの星人達との戦いは、真夜中の人気のない中で行われるのが常だったのですが、この時の舞台は通常運行している地下鉄の真っ只中。
当然、戦いに巻き込まれて死傷&逃げ惑う一般人も多数出る中で、凄惨な戦いが繰り広げられることになるわけです。
ここでの列車内&駅を駆使したアクションシーンはメインの見所のひとつですね。

もうひとつの脅威は、前作で死んだはずなのにラストで何故か野次馬の中に紛れ込んでいた加藤勝。
加藤勝はガンツの記録データの中でも「死者」として登録されており、復活しているはずなどないのですが、彼は黒服星人との戦い直前にも玄野計の前に姿を現します。
黒服星人との戦い後、彼はからくも難を逃れて地下鉄の構内をただ一人うつろに歩き回っていた鮎川映莉子を射殺し、まんまとガンツボールを奪い取ることに成功します。
その頃、ガンツの部屋では黒服星人との戦いにおけるガンツの採点が行われており、鈴木良一が100点を達成することに成功したことが判明します。
鈴木良一は「加藤君を生き返らせましょう」と提案しますが、玄野計は先日加藤勝と再会した経緯から躊躇します。
そこへ、加藤勝に射殺されガンツの部屋に転送されてきた鮎川映莉子がそのことを告白。
そこで「物は試し」ということで加藤勝を復活させ反応を見た玄野計は、先日出合った加藤勝は星人が化けているものだという確信を抱きます。

さらに鈴木良一と同じく100点を達成していた玄野計は、前作「GANTZ」の田中星人との戦いで死んだ西丈一郎の復活を選択。
西丈一郎に対し、黒服星人との戦いにおけるガンツの異常について問い質している中、突然ミッション開始を告げるラジオ体操の曲が、それも音程が狂いまくった状態で流れ出します。
誰もが異常事態と認識する中、ガンツは緊急ミッションとして新たなターゲットを指定します。
そのターゲットとは何と、玄野計が親しく付き合っている小島多恵。
加藤勝に化けている星人が小島多恵を殺してしまうと、星人がガンツボールのミッションクリアによってガンツの部屋へと転送されてしまう事態に直面することになるため、急遽、緊急ミッションが立ち上げられたものと思われます。
しかも、星人でもないはずの小島多恵に対し、ガンツは100点の配当と、ターゲットを殺したメンバー以外の得点を没収する通告まで出します。
これは、ガンツの危機感が相当なものだったという証明になるでしょう。
かくして物語は、小島多恵を死守すべく奮闘する玄野計・鈴木良一、自分に化けた星人に弟を殺され激怒する加藤勝、そして前作「GANTZ」最後の戦いで生き残った桜井弘斗の4人と、ガンツに不安を抱き解放されることを望むその他メンバーとの間で戦いが繰り広げられる事態へ発展することになります。

比較的原作に忠実だった前作「GANTZ」と異なり、今作の「GANTZ:PERFECT ANSWER」では、原作とは大きくかけ離れたオリジナルストーリーが展開されます。
黒服星人という名の星人は原作では未登場(ただし、原作に登場する吸血鬼が黒服星人とほぼ同じ能力を有している)ですし、小島多恵をターゲットとするストーリー自体は存在するものの、勃発する経緯がまるで異なりますし。
加藤勝に化けている星人は、黒服星人と同じ能力を使い、ガンツの部屋に乗り込んだ際に黒服・壹の仲間達を呼び寄せていることから、黒服星人達の仲間であろうことはまず間違いありません。
ただ、変身能力を持つことや二刀流の使い手であること、さらには前作「GANTZ」に登場した千手観音と似たような口調で似たような台詞を話すことなどから、前作の千手観音と同一星人である可能性も否定できません。
あの千手観音は前作でも直接倒された描写がなく(正確には、Xガンを防御した後に巨大大仏を出した後の描写がない)、また前作でも加藤勝の死に際の現場に直接居合わせていたという状況証拠もありますし。
この名前も正体も不明の星人が、歴戦の強者であったはずの玄野計と加藤勝の2人を同時に相手取りながら両者を圧倒していくシーンは、1999年公開映画「スターウォーズ エピソード1/ファントム・メナス」のラストバトルで、たった1人で2人のジェダイ達と互角の戦いを繰り広げたダース・モールを彷彿させるものがありましたね。

映画「GANTZ:PERFECT ANSWER」は、ハリウッド顔負けのアクションシーンだけでなく、これまでガンツメンバーによって殺されていった星人達の復讐心や、小島多恵を巡って葛藤するガンツメンバー達それぞれの姿も大きな見所のひとつです。
前作「GANTZ」でも、千手観音が「お前達が先に攻撃してきた、だから復讐する」みたいなことを述べていましたが、黒服星人も加藤勝に化けた星人も同じことを述べまくっています。
星人達にしてみれば、自分達は何もしていないのに突然攻撃され、仲間を殺されたとなれば当然怒り狂うでしょうし、仲間を殺したガンツメンバーに対し復讐を誓うようにもなるでしょう。
ただ、口では復讐を呼号しながら、殺戮は無感情かつ淡々とこなしている辺りが恐怖を誘うところではありますが。

一方のガンツメンバーは、小島多恵を巡る対応で各登場人物の人間性が表れていて面白かったですね。
半ば恋人関係にあることから小島多恵を死守しようとする玄野計。
玄野計に同意し身を呈して逃亡に手を貸す桜井弘斗。
同じく小島多恵を守るため奮闘しつつも、「100点獲得による妻の蘇生」という甘い誘惑に一度は屈してしまう鈴木良一。
鈴木良一の葛藤は「ANOTHER GANTZ」ともリンクしている内容で、こちらも吟味するとさらに葛藤の様子が分かりやすいですね。
一方、100点獲得のために小島多恵を追跡するメンバー達も、2人ほどは「もう止めよう」と葛藤する場面があったりします。
逆に、小島多恵を嬉々として追っているような印象があったのは、玄野計に復活させてもらったはずの西丈一郎。
追跡の障害となった桜井弘斗を躊躇なく殺しにかかっていますし、こいつを玄野計が復活させたのは間違いだったのではないかと思えてなりませんね。

映画の題名にもなっている「パーフェクトアンサー」の意味は、物語のラストで明らかになります。玄野計がガンツの玉男になる
確かにある意味「完璧な答え」と呼べるものではあったのですが、観覧車の電光表示板に出力されていたメッセージが、何とも切ないものに見えてしまいましたね。

ストーリーもアクションシーンも秀逸の一言で、原作ファンから見ればともかく、日本映画としては間違いなく高い評価が与えられて然るべき映画であると言えます。
機会がありましたら、前作「GANTZ」も併せ、是非観賞されることをオススメしておきます。

金曜ロードショー「ANOTHER GANTZ」感想

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2011年4月22日に放送された、映画「GANTZ」、および4月23日から公開予定の映画「GANTZ:PERFECT ANSWER」を繋ぐもうひとつのストーリー「ANOTHER GANTZ」を観賞しました。
映画「GANTZ」に登場した人物達が抱える裏の事情や、続編の「GANTZ:PERFECT ANSWER」に繋がる前身・伏線話を盛り込んだアナザーストーリーです。

「ANOTHER GANTZ」は、映画「GANTZ」の内容をダイジェスト的に紹介しつつ、原作にも登場するというルポライター・菊地誠一の視点を中心で物語が進行していきます。
作中では田中星人との戦いで死んだ西丈一郎、あばれんぼう星人・おこりんぼう星人・千手観音・巨大大仏との戦いで加藤に告白し生命を落とした岸本恵、最後まで生き残った鈴木良一のエピソードが語られています。
彼らに取材を試みつつ、黒い球ガンツの真相に迫っていくルポライター・菊地誠一ですが、その最中に黒い服を着た男達に襲撃され、物語終盤では黒服に眉間を撃たれ、そのまま帰らぬ人となってしまいます。
物語序盤で死亡フラグらしき誰かとの語らいが展開されてはいましたが、原作について書かれているWikipediaの記述を読む限りではキーマンとして結構長いこと生きていたらしいので、ここで死ぬというのは驚きでしたね。

作中で語られていた人物エピソードのうち、西丈一郎については、Wikipediaの記述を読む限りで、高校で集団イジメを受けていたり、同じ学校の女子生徒に告白されていたりと、かなり原作の設定をベースにしている感がありましたね。
さすがに、「ラブレターを出した女子生徒を除き、クラスメイトを全員惨殺した」というエピソードだけは省略されていたようですが(苦笑)。
「ANOTHER GANTZ」の映画「GANTZ」ダイジェストシーンでは、PG-12指定を受けていた映画版における残虐シーンは全てカットして紹介されており、たとえば身体が血飛沫と共に飛び散るシーンなどは一切入っていなかったんですよね。
TV放送されるとなれば、やはりその辺りの「規制」は厳しくならざるをえないのでしょうね。

岸本恵の場合は、自身が死ぬことになる戦いの直前における、告白を決意する過程が描かれています。
本人はほとんど何もしゃべっていませんでしたし、ただひたすら行動で心情風景を表現するということに徹していました。
そして、映画「GANTZ」で最後まで生き残り、物語当初は「さえない上に存在感のない中年」だったのが妙に貫禄のある御仁に変貌した感のある鈴木良一のエピソードでは、死に別れた妻の遺影に対し、「お前を生き返らせる」と語りかけるシーンが描写されています。
原作はともかく映画版「GANTZ」では、星人を倒して100点を獲得すると「好きな人を生き返らせる」ことができるらしいので、ガンツメンバーと全く関係のない人も蘇らせられるのではないか、とすくなくとも鈴木良一は考えているようで。

ガンツを追跡していく重田正光、謎の集団のリーダー格らしい黒服、さらには映画「GANTZ」最後の戦いで死んだはずの加藤が何故か生きているなど、続編となる映画「GANTZ:PERFECT ANSWER」へと繋がることになるであろう重要な伏線も出てきています。
これが「GANTZ:PERFECT ANSWER」でどう反映することになるのか、映画本編のお楽しみといったところですね。
もちろん私も、映画「GANTZ:PERFECT ANSWER」は映画館へ観に行く予定です。

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