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映画「のぼうの城」が1年間の公開延期に

映画「のぼうの城」が公開延期となりました。
作中の水攻めシーンが「この時節柄上映するにはふさわしくない」と判断され、協議を重ねた末に1年間の公開延期を決定したとのこと。

http://megalodon.jp/2011-0422-1538-29/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110422-00000014-eiga-movi

「のぼうの城」は、豊臣秀吉の北条攻めの際、北条側の支城のひとつである忍城(おしじょう)を守っていた成田長親の奮闘を描いた作品。
豊臣側の攻城戦指揮官は石田光成で、約2万の大軍を率いていました。
対する忍城側の兵力はわずか300余、共に立てこもる民衆を含めても3000程度が籠もるのみ。
彼は当初、兵力差を物を言わせた力攻めで忍城を陥落させようとしますが、周囲を沼地や深田に囲まれ、攻め難く守り易い地形に阻まれほとんど成果が上がらないことに業を煮やし、ついに近くを流れる利根川を利用した水攻めを行うことを決意します。
水攻めは結局失敗に終わり、忍城は北条氏の本城である小田原城が陥落するまで持ちこたえ続け、大いに面目を施すことになるわけです。
そして、その史実を元に描かれた「水攻め」のシーンが「この時節柄上映するにはふさわしくない」と見做されたわけです。

何と言うか、いつぞやの「ヒアアフター」上映中止の時と似たりよったりな「自粛という名の表現規制」以外の何物でもありませんね。
そんなことをしたところで史実が変化するわけではありませんし、「自粛は止めてくれ」と訴えている他ならぬ被災者達自身が、所詮は「自粛」の一種でしかない公開延期など望んでいるわけもないでしょうに。
しかも、この映画の劇場公開予定は元々2011年9月17日だったのであり、これは映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」の【延期】公開予定時期とほぼ同じ頃に当たるのです。
「世界侵略:ロサンゼルス決戦」は10月でOK、「のぼうの城」はそれとほぼ同じ時期でもNGって、誰が、どんな基準で決定しているというのでしょうか?
こんな意味不明の「自主規制」などやって一体誰が得をするのか、映画関係者は一度考えてみる必要があるのではないのかと。

映画ファンのひとりとしては、こんなバカげた「自粛」など百害あって一利なしでしかないのですけどね。
どうせ単なる自己都合でなければ「空気」の類でしかない欺瞞に満ち満ちた「自粛」の風潮は、いいかげん消えてもらいたいものです。

映画「エンジェルウォーズ」感想

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映画「エンジェルウォーズ」観に行ってきました。
精神病院に収容された少女が、幻想的な世界で自由に手にするため戦っていくアクション・ファンタジー作品。
「エンジェルウォーズ」というのは日本の映画配給会社が名付けた邦題で、原題は「Sucker Punch(サッカーパンチ:予想外の殴打)」というのだそうです。

この映画は、主人公である少女の母親が死に、遺産相続を巡って義父との間で家庭内トラブルが発生するところから始まります。
「自分の遺産は全て2人の娘に与える」という遺言書の内容に激怒した継父は、主人公を部屋に閉じ込め、妹であるもうひとりの黒髪の少女をその手でくびり殺してしまいます。
さらに継父は主人公に妹殺しの濡れ衣を着せてレノックス精神病院に隔離し、病院の用務員であるブルーという男にカネを渡し、ロボトミー手術を施すよう依頼します。
ブルーは当初1400ドルのカネを提示されるものの、秘密が漏れる可能性を示唆して金額を2000ドルにつり上げ継父に無理矢理承諾させると、5日後に医者を来させて手術を行わせると約束します。
そしてロボトミー手術が行われ、医者に銀製の杭を頭に打ち込まれるまさにその寸前、突如世界が変貌します。
舞台となっているはずの精神病院は、訳有りの女性ダンサー達が売春婦として客を取る秘密クラブとなり、ブルーはその秘密クラブのオーナーということになってしまうのです。
何故そのような変貌が起こったのかは物語終盤でおぼろげながら見えてくるのですが、全般通じて作中では具体的な説明がなく、その場面だけでは何が何だか全く分からぬまま物語は進行していきます。
とにかく、この秘密クラブに連れてこられた(という設定に変わっているらしい)主人公の少女は、クラブ内における「源氏名」としてベイビードールという名前が与えられ、以後、作中ではこの名前で主人公は呼ばれていくことになります。

ベイビードールはダンサー達のまとめ役的な存在であるベラ・ゴルスキーに、皆が集まっているダンスルームでダンスを踊るよう指示されます。
最初は全く動けないでいるベイビードールですが、ベラ・ゴルスキーの奇妙な語りかけによってやる気になり、再び流れてきた音楽に合わせてダンスを踊り始めます。
するとその瞬間、目の前の光景が日本の寺院のような場所に変わり、ベイビードール自身もまたヘソ出しのセーラー服を纏った姿となります。
寺院の中に入っていくと、そこには日本刀を磨いているひとりの男の姿が。
その男ワイズマンに「何を求める?」と問いかけられたベイビードールは「自由を手にしたい」と回答。
するとワイズマンは、ベイビードールに必要となる5つのアイテムを教えると共に日本刀を手渡し、「この刀を手にした時、戦いが始まる」と告げます。
5つのアイテムの内容は、地図・火・ナイフ・鍵、そして最後のひとつは謎で、その答えは自分で見つけなければならないとされています。
そして、日本刀を手にすると同時に背後から現れる3つの巨大鎧武者。
マトリックス的なアクションシーンがひとしきり繰り広げられ、ベイビードールが勝利を収めた後、またも世界が変転し、最初に踊っていたダンスが終わった直後の状態でベイビードールは佇んでいます。
周囲からは「素晴らしいダンスだ」と拍手と賞賛の嵐が起こり、どうやらダンスを踊っている間、架空の世界で戦いが繰り広げられるらしいことが明示されます。
ベイビードールはワイズマンが挙げた5つのアイテムを獲得し自由を得るために、自分と同じ境遇を持つスイートピー・ロケット・ブロンディ・アンバーという4人の少女達と共に、秘密クラブ内ではダンスを踊りつつ、その最中に展開される幻想の世界で戦いを遂行していくことになるのです。

映画「エンジェルウォーズ」の世界は3重構造となっています。
その世界の構成は以下の通り↓

第1層:現実世界(レノックス精神病院)
↓↑
第2層:現実世界で主人公が空想している世界(ダンサー達の秘密クラブ)
↓↑
第3層:ベイビードールがダンスを踊っている最中に展開される戦いの幻想世界

第2層と第3層の往来は、ベイビードールのダンスが始動キーになっていることもあり結構分かりやすいのですが、第1層と第2層の変わり目が非常に分かりにくいんですよね。
しかも第1層と第2層の行動はカブっている部分があるみたいですし。
物語終盤に主人公はロボトミー手術が施された状態で再び第1層に戻ってくるのですが、その直前に第2層で起こしていた破壊活動の痕跡が第1層の精神病院にも残っていたりします。
また、第2層で秘密クラブからの逃亡に成功したスイートピーは、第1層でも逃亡生活を送っています。
これから考えると、第2層は第1層で実際に起こった事件および各キャラクターの言動を元にして主人公の頭の中で構築された世界である、という仮説が成り立つのではないでしょうか。
第1層で具体的に何が起こったのかについては作中で全く語られないため、そう推察するしかないのですが。
ただ、第3層で主に登場していたはずのワイズマンは、物語の最後にスイートピーの逃亡を手助けするバスの運転手として第1層でも登場しており、この辺が何とも微妙な謎を残すところではあります。

第3層で繰り広げられるアクションシーンでは、日本のマンガやアニメが元ネタと思しき兵器や敵が多数登場しています。
主人公が手にする日本刀や最初の戦いの巨大鎧武者もその類ですし、前面に日本語が書かれているロボットのような兵器も登場します。
敵もナチス・ドイツもどきのゾンビ兵団だったりドラゴンだったりターミネーターもどきだったり、FFシリーズに登場するような未来都市や列車も出てきたりと、もう何でもありの世界です。

作中のストーリーは最初から最後までかなり暗い部類に入ります。
冒頭部分からして母の死・妹殺しの冤罪・精神病院収容・ロボトミー手術と暗い要素が目白押しですし、その第1層を元に作られた第2層もまた、残虐非道なブルーによって仲間達が殺されていったりしています。
延々と殺し合いが続いているはずの第3層が、主人公含むヒロイン達が一番生き生きしているように見えるのも何だか皮肉ですね。
これで結末が明るければまだ救いもあるのですが、その結末もやっぱり暗いの一言ですし。
5人のうち生きているのは2人だけで、しかも主人公はロボトミー手術で廃人状態、スイートピーもひたすら逃亡生活を続ける羽目になる、というラストは、結局「自己満足」以外の何の救いがあったというのでしょうか?

アクションシーンは良く出来ていると思うのですが、基本的にバッドエンド嫌いの私としては評価が低くならざるをえない作品と言えますね。

映画「ガリバー旅行記」感想

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映画「ガリバー旅行記」観に行ってきました。
アイルランドの風刺作家ジョナサン・スウィフト原作「ガリバー旅行記」を現代に合わせてアレンジした、コメディ系のファンタジー・アドベンチャー作品です。
この映画は3D版も公開されているのですが、私が観に行ったのは2D版になります。

この映画の主人公ガリバーは、アメリカ・ニューヨークの新聞社で郵便仕分けの仕事に従事する、虚言癖のあるチキンな人物として描かれています。
彼には新聞記者になる夢を抱いていたり、ダーシーという女性に5年も片思いをしていたりするのですが、チキンな性格が災いして夢を諦めてしまい、結果として郵便仕分けの仕事に10年近くも甘んじていたのでした。
新しく郵便仕分け係に赴任した部下がたったの1日で昇進し自分の上司となってしまった挙句、「君はこれ以上成長できない」的なことを言われていたのには、正直哀れみを誘うものがありましたね。
しかし、そんなガリバーにも、ふとしたことからチャンスが訪れます。
ダーシーに告白だかデートの約束だかをこぎつけようとした際に口から出たウソから、彼はダーシーから旅行記者としての仕事を手に入れる機会に恵まれるのです。
その際、明日までに旅行記者としてのレポートをまとめて提出するよう言われるのですが、当然文才もなければ知識もないガリバーにそんなことができるわけもありません。
そこでガリバーは、ネット上に掲載されている旅行記事の文章をいくつかコピペし自分のレポートとしてでっち上げるという、どこかの唐○俊一のP&Gのごとき神業を駆使してレポートを作成し提出。
結果、(後日にバレるものの)その場では見事にダーシーをダマくらかすことに成功し、バミューダ・トライアングル取材の仕事を勝ち取ることに成功するのです。
しかし、いざ自動操縦の船に乗り込んでバミューダ・トライアングルの海域へと向かったガリバーは、目的地近くの海域で突如大嵐に見舞われた挙句、巨大な竜巻に船ごと飲み込まれ意識を失ってしまいます。
そして次にガリバーが目覚めた時、そこには浜辺で小人達に囲まれ、がんじがらめにされて横たわっている自分の姿があるのでした。
小人の国リリパットにおけるガリバーの旅行記がここから始まるのです。

映画「ガリバー旅行記」一番のセールスポイントは、やはり何と言っても主人公ガリバーを演じ製作総指揮も担っていたジャック・ブラックですね。
ジャック・ブラックが出演している映画の中で私が観た作品としては、1995年公開映画「ウォーターワールド」と2005年公開映画「キング・コング」があります。
特に映画「キング・コング」でジャック・ブラックが演じた映画監督カール・デナムは、他の登場人物達を差し置いて「濃い」キャラクター性を存分に発揮していて強く印象に残ったものでした。
今作でもその演技は健在で、ガリバーの「濃い」キャラクター性と、最初はチキンだった性格から次第に成長を遂げていく様を存分に魅せてくれます。
それ以外の登場人物達は、全体的に「私はこういう役を演じています」というのが誰の目にも一目瞭然な「わざとらしい」雰囲気を前面に出している言動に終始していて、あえてやっていた一面もあるのでしょうけど「良くも悪くも子供向けな演出」という印象を受けましたね。

また作中では、作中では「スターウォーズ」「タイタニック」「アバター」などといった映画のパロディネタが披露されています。
「スターウォーズ」は物語冒頭でいきなりガリバーが「スターウォーズ」のキャラクターフィギュア相手にひとりで声の吹替芝居を始めますし、リリパット王国でガリバーのために作られた舞台でも上演されています。
「タイタニック」も「スターウォーズ」と同じくリリパット王国の舞台で上演され観客達の涙を誘い、またリリパット王国の街中には「アバター」ならぬ「ガバター」の宣伝用看板が掲げられていたりします。
一連の作品は、リリパット王国では全て「ガリバーがこれまで送ってきた人生のエピソード」として語られており、その流れをまとめると、
「悪の父親と直接対決を行い(スターウォーズ)、恋人を助けて海の藻屑と消え(タイタニック)、ガバターとして復活し(アバター)、そしてリリパット王国に流れ着く(今作)」
ということになっているようです。
よくもまあそんなヨタ話をガリバーは作れたものだと、そのホラ吹きぶりには逆に感心すらしてしまいましたね(苦笑)。

ガリバーが訪れたリリパット王国、およびリリパット王国と敵対関係にあるブレフスキュ国は、原作のそれと同じく「中世ヨーロッパ」的な雰囲気と文化を持つ国となっているはずなのですが、作中の描写を見る限り、恐るべき技術力と順応力を持っていることが分かります。
ガリバーのために現代風の家を建てたり、実用性のあるコーヒーメーカーやサッカーゲームを作ったり、ニューヨークの街並みを再現した上に電気まで引いてきたりと、短期間のうちに凄まじい変貌を遂げる順応性とそれを支える技術力が披露されています。
さらに物語後半になると、ガリバーがリリパット王国に持ち込んだ科学雑誌を元に、ブレフスキュ国で製造されたパワードスーツまでもが登場します。
このパワードスーツは、巨人であるはずのガリバーをはるかに凌駕する身長と腕力を誇り、「スターウォーズ」のR2D2モドキな姿から人型形態へトランスフォームできる能力まで持つという、現代世界でさえ達成できていないのではないかというレベルの技術が結集されています。
ガリバーが現代の文化を持ち込んだだけでは、ここまで飛躍的な発展を、しかも短期間でできるわけがないので、リリパット王国とブレフスキュ国は元々かなり高い文明水準を持っていたと考えるのが妥当なところでしょうか。

ストーリー的には、チキンな性格だったガリバーが成長していく過程、およびリリパット王国の王女メアリーとホレイショの恋愛話をメインに進行しており、良くも悪くも王道路線で分かりやすい構成になっている感じです。
ただ、物語終盤で展開されていた「戦争反対ミュージカル」だけは少々理解に苦しむものがありましたが(-_-;;)。
日本語吹替版で映画を観賞したこともあったのかもしれないのですが、踊りのリズムと日本語吹替による歌がまるで合っていなかったんですよね。
字幕版で観賞したらもう少し印象が変わってくるかもしれないのですが……。

子供向けおよびコメディ系のエンターテイメント作品が好きという方にはオススメできる映画ですね。

映画「T.R.Y.(トライ)」の時代考証に反する反日感情

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日中韓の共同制作作品として2003年に劇場公開された映画「T.R.Y.(トライ)」。
20世紀初頭、正確には1911年の上海を舞台に、織田裕二が演じる伝説の日本人詐欺師が、当時の日本軍から武器を奪うべく頭脳戦を繰り広げるサスペンスアドベンチャー作品です。

映画「T.R.Y.(トライ)」に登場する中国・韓国系の主要登場人物達は、皆多かれ少なかれ日本に対し反感や恨みの感情を抱いている設定を持っています。
しかし、彼らが何故日本を恨んでいるのかについて作中では何らの裏設定なり解答なりが全く明示されておらず、また当時の国際情勢を鑑みても日本が恨まれる要素は存在しません。
「過去の侵略行為」を常日頃絶叫する中国・韓国およびそれに迎合して安易に謝罪する日本、という現代でよく見られる図式から「当時もそうだったのだろう」と安易に考えてでもいたのでしょうが、当の中国・韓国が「過去の侵略行為」とやらを絶叫するようになったのは戦後になってからのことです。
そもそも「侵略が悪い」という認識が大手を振ってまかり通るようになったのは第一次世界大戦終結以降の話ですし、当時の大韓帝国などは、ハーグ密使事件と伊藤博文暗殺という2つの事件の報復を恐れるあまり、「自分の国を日本の一部として併合してくれ」などと日本に対して嘆願すらしていたくらいなのですけどね。

また中国の場合、当時の中国を支配していた清王朝は漢民族の国ではありませんし、また義和団事件から日露戦争終結まではロシアに満州を占領された上に略奪・虐殺の限りを尽くされるなど、日本以外の国による侵略の脅威にも晒されていました。
それを救ったのは皮肉にも日露戦争による日本の勝利で、ロシアは極東での南下政策を断念することになったのですから、むしろ感謝すらされても良かったくらいなものです。
すくなくとも日本軍はロシア軍どころか清王朝軍よりもはるかに公正な軍であると列強からも当時の中国人達からも高く評価されていたのですから。
実際、義和団事件や日露戦争を経て「日本の明治維新に学べ!」と考えて日本に渡った中国の革命家も数多く、後に中華民国を建国し臨時大総統に就任した孫文も、東京で中国同盟会を結成したりしています。
そして何より、このような中国の革命家達に協力したり、資金面で支援したりした日本人も決して少なくはなかったのです。

中国で国を挙げての反日感情が蔓延するようになるのは辛亥革命後、1915年に行われた対華21ヶ条要求以降です。
しかし、それよりも前の1911年時点では、映画「T.R.Y.(トライ)」のような話は時代背景的に成り立たないのではないかと思えてなりません。
前述のように、日本は中国革命家達の根拠地でもあったわけですし、革命前にわざわざ日本を敵に回してアジトを放棄したり支援のツテを失ったりするなど、自殺行為以外の何物でもないでしょう。
それでもなおかつ、そういう時代背景を無視してでも日本軍をあくまでも敵にする、という発想に行き着いてしまう辺り、「さすが日中韓合作!」という雰囲気を感じずにはいられなかったですね(苦笑)。
「T.R.Y.(トライ)」という映画は、元々井上尚登という日本人作家による同名小説を原作としているのですが、そのような作品の共同合作という形態を中国・韓国が受け入れたのは「敵は日本軍」という図式が気に入ったから以外の何物でもないでしょうから。
現代におけるあの2国の世界最大級の反日感情から考えても、そう結論せざるをえないところです。

純粋なエンターテイメント作品としては、織田裕二演じる主人公と敵の頭脳戦やラストの大どんでん返しなど、当時の邦画としては確かに面白い部分も多々あります。
しかし一方で、1911年当時の時代考証・政治背景的にはツッコミどころが満載で違和感も多く感じずにはいられなかった、というのが映画「T.R.Y.(トライ)」に対する私の評価ですね。

「自粛」されていた一部映画の劇場公開が決定

以前にまとめていた、すでに劇場公開の延期が発表されていた映画のうち、「ザ・ライト ―エクソシストの真実―」が2011年4月9日に、「世界侵略:ロサンゼルス決戦」が2011年10月に公開されることが決定されました。

http://megalodon.jp/2011-0329-2052-55/woman.infoseek.co.jp/news/celebrity/story.html?q=hwchannelw_20110329_0501

正直、「延期」という名目で劇場公開が事実上中止される可能性もあっただけに、まずは一安心といったところでしょうか。
特に「世界侵略:ロサンゼルス決戦」は、作中の描写に「CG映像による破壊的な映像が含まれている」などという一種の表現規制モドキな理由で公開延期になっていただけに、中止の可能性も否定できなかったものでしたし。
しかし、本当に「被災者に対する配慮」が公開延期の理由だったのであれば、4月公開だろうが10月公開だろうが「不適切」であることには変わりないはずなのですけどね(苦笑)。
極端な話、50年後に映画を観賞したら震災の記憶がフラッシュバックして発作が起こった、などというケースだって充分にありえるわけですし。
「被災者に対する配慮」なんて本当は露にも考えていなかったであろう表層的かつ聞こえの良い理由ではなく、「今の状況では利益が見込めない」的な本音でも素直に掲げてくれていた方が正直かつ誠実でしたし、「被災者に対する配慮」という名の表現規制が跳梁跋扈するかのような「空気」を助長することもなかったと思えてならないのですけどね。

まあ何にせよ、私個人の観賞予定リストにも入っていた映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」が、10月とはいえ日本でも公開されることになったのは朗報ですね。
この調子で、他の「自粛」映画も劇場公開が決定してくれるとありがたいのですが。

あと、アメリカのニューヨークタイムズでも、「日本は自粛という脅迫観念にとらわれている」という記事が掲載されているようですね↓

http://megalodon.jp/2011-0329-2114-38/sankei.jp.msn.com/world/news/110329/amr11032920100008-n1.htm

当のアメリカだって2001年の同時多発テロ事件の際には同じように「自粛」しまくっていたではないかとか、東京の「自粛」は電力不足・計画停電が影響しているという事情もあるだろうとかいったツッコミどころはあるにしても、やはり日本における「自粛という【空気】」の異常性は、外国の目から見ても際立っているように見えるのでしょうね。
他ならぬ被災者自身がそんなことを望んでなどいないのは明白なわけですし、こんな「空気」は早く消えて欲しいものだと私も考えずにはいられないのですけど。

映画「SP 革命篇」が震災の影響で赤字必至

映画「SP 革命篇」が震災の影響で赤字の危機に直面しています。
公開前日に震災が発生し話題性が全てそっちに持っていかれ、イベントも中止された挙句、「自粛」ムードで客足も鈍く、最終的な収益は15億円(前作「SP 野望篇」の半分)もいけば御の字という惨状なのだとか↓

http://megalodon.jp/2011-0328-1747-29/news.livedoor.com/article/detail/5446479/

せっかくTVで「SP 革命前日」やスペシャルアンコール特別編を放送して前準備も万端に整えていたというのに、公開前日になってあの震災ですからねぇ(T_T)。
映画の成功は公開1週間の観客動員&興行収益が全てを決めると言っても良いのですが、その1週間で盛大にコケる羽目になってしまったのですから。
私が公開初日に熊本の映画館で観賞した際には観客も多かったのですが、被災地となってしまった東北・関東地方では当然それどころではなかったでしょうし。
作品そのものはストーリー・演出共にハリウッドにも引けを取らない良作であるだけに、その不運なめぐり合わせが何とも惜しまれてならないですね。

コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】

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今回でとりあえず一区切りとなるコミック版「大奥」検証考察の8回目。
暫定的な最終検証となる今回のテーマは【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】についての考察となります。
過去の「大奥」に関する記事はこちら↓

映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】

コミック版「大奥」の世界では、作中の登場人物達が「道ならぬ近親相姦な人間関係」を構築している様子が描かれています。
徳川5代将軍綱吉の時代に大奥の重要幹部となる秋本惣次郎は、実の妹との間に子供を作っていますし、6代将軍家宣の側室で7代将軍家継の父親となる左京(後の月光院)は、実の母親に性交を迫られ2児の子供を儲けていたりしています。
「大奥」世界でも、近親相姦については社会的にも公認されてはいないようで、近親相姦の事実は子供にすら伝えない当事者だけの秘密、ということになるのが常だったようです。
しかしよくよく考えてみれば、元々「大奥」世界では、男女問わず不特定多数の異性と性交を行うことが身分の関係なく常習化しているわけで、近親相姦だけがことさらタブー視されるのも変な話です。
「婚姻制度が崩壊している」と作中でも謳われている「大奥」世界では、近親相姦のみならず「不倫」「姦通」「重婚」「離婚の濫用」その他ありとあらゆる不道徳な行為が社会的に蔓延していたとしても何ら不思議ではないどころか、むしろそうならないとおかしいものですらあるはずです。
婚姻制度の崩壊。
それは「【あの】赤面疱瘡」すらもはるかに凌ぐ、最強最悪なまでの社会的害毒になりえるのです。

婚姻制度の崩壊が社会に何をもたらすのか?
この良くいえば気宇壮大、悪く言えば恐ろしくキチガイな社会実験を、バカ正直かつ忠実にやってのけた国がかつてこの世界に実在しました。
それは、20世紀前半に君臨したレーニン・スターリン統治下のソ連です。
1917年にロシア革命で成立したソビエト共産党&ソ連政府は、政権を運営するに当たって様々な抵抗に遭遇しました。
ソ連政府はその原因が家族・学校・教会にあると考え、自分達に都合の良い社会システムを構築するため、これらを「旧秩序の要塞・伝統文化の砦」と見做し、様々な攻撃を行うようになります。
ニコラス・S・ティマシエフの「ロシアにおける家族廃止の試み」という論文によると、その攻撃は以下のような形で行われました↓

1.従来、「法律婚の要件とされていた教会での結婚式を不要とし、役所での登録だけで婚姻の効力が生ずるものとした。
2.離婚の要件を緩和し、当事者合意の場合はもちろん、一方の請求だけでも裁判所はこれを認めることとした。
3.犯罪であった近親相姦、重婚、姦通を刑法から削除した。
4.堕胎は国立病院で認定された医師の所へ行けば可能となり、医師は希望者には中絶手術に応じなければならないことになった。
5.子供たちは、親の権威よりも共産主義のほうが重要であり、親が反動的態度に出たときは共産主義精神で弾劾せよ、と教えられた。
6.1926年には、「非登録婚」も「登録婚」と法的に変わらないとする新法が制定された。
7.これらの結果により、同居・同一家計・第三者の前での結合宣言・相互扶助と子供の共同教育のうちの一つでも充足すれば、国家はそれを結婚とみなさなければならないこととなった。 これにより「重婚」が合法化され、死亡した夫の財産を登録妻と非登録妻とで分け合うことになった。

これらはまさに婚姻制度を崩壊させ、家族・学校・教会を解体する政策であり、その結果、確かにソ連政府が意図した通りに「旧秩序の要塞・伝統文化の砦」の力は著しく弱められました。
しかしその結果、思いもよらない副作用がソ連全土を襲ったのです↓

1.堕胎と離婚の濫用(1934年の離婚率は37%)の結果、出生率が急減した。それは共産主義国家にとって労働力と兵力の確保を脅かすものとなった。

2.家族・親子関係が弱まった結果、少年非行が急増した。1935年にはソ連の新聞は愚連隊の増加に関する報道や非難で埋まった。彼らは勤労者の住居に侵入し、掠奪し、破壊し、抵抗者は殺戮した。汽車のなかで猥褻な歌を歌い続け、終わるまで乗客を降ろさなかった。学校は授業をさぼった生徒たちに包囲され、先生は殴られ、女性たちは襲われた。

3.性の自由化と女性の解放という壮大なスローガンは、強者と乱暴者を助け、弱者と内気な者を痛めつけることになった。何百万の少女たちの生活がドン・ファンに破壊され、何百万の子供たちが両親の揃った家庭を知らないことになった。

このあまりな惨状には、さすがのソ連政府も根を上げてしまいました。
1934年頃から、これらの結婚制度の破壊および家族・学校・教会の解体政策が、社会の安定と国家の防衛を脅かすものと認識され始めるようになります。
そして今度は一転、結婚や家族の維持が共産主義の基本的なモラルとして称揚されるようになり、また離婚・堕胎の大幅な制限・非登録婚制度の廃止・多産奨励・親の権威の復活などといった方向へ法改正が行われていきました。
かくして、この壮大な社会実験は「完全無欠な大失敗」という悲惨な結果を残して幕を下ろしたのです。

このソ連が「実際に」試みた結婚制度の廃止&家族破壊の実例を鑑みれば、「大奥」世界で事も無げに言われている「婚姻制度の崩壊」という社会現象がいかに凄まじい害悪を生み出すことになるかがお分かり頂けるでしょう。
レーニン・スターリン統治下における当時のソ連は、大量粛清や戦争で自国民を数千万単位のオーダーで平然と虐殺した前科を持つフダ付きの超問題国家です。
ところがそのソ連でさえ、結婚制度の廃止&家族破壊がもたらす社会的弊害には耐えることができず、20年も経たないうちに方針転換を余儀なくされているのです。
これから考えれば、数百万単位の男性人口を奪った「赤面疱瘡」の脅威をすらはるかに上回る社会的害毒を、婚姻制度の崩壊は潜在的に保持していると言っても過言ではないのです。

では、婚姻制度の崩壊は「大奥」世界に一体どのような害悪をもたらすのでしょうか?
まず、「堕胎と離婚の濫用」は当然のように発生します。
「大奥」1巻に登場し、後に徳川8代将軍吉宗付の御中臈になった杉下は、14歳の頃から親によって毎晩売春行為を強要され、18歳で他家に婿へ行ったかと思えば、5年間子供ができないという理由から食事もロクに与えられることなく離縁させられた過去を持っています。
また江戸時代は、一般的には悪名高い「天下の悪法」とされている「生類憐れみの令」の保護対象の中に「人間の乳幼児」が含まれていたことからも分かるように、乳幼児に対する遺棄も数多く行われていた時代でもあります。
史実でさえそういう事情があるところへ、さらに「家族・親子関係が弱まった」という要素が加わるのですから、堕胎・乳幼児遺棄の大量発生は必至というものでしょう。

さらに生き残った子供の大部分も、婚姻制度の崩壊および「赤面疱瘡」の猛威のために「両親の揃った家庭を知らない」わけですから、親の保護を受けることなく犯罪に巻き込まれたり「少年非行が急増」したりする可能性も飛躍的に増大することになります。
そして、「両親の揃った家庭を知らない」子供達や、特に親から売春行為を強要された男子達は、家庭が持つプラスの要素を何ひとつ知ることなく育つわけですから、マトモな家庭を持ち、子供を育てようとする意識もロクに育まれないことになります。
それは当然、「出生率が急減」という結果を招来することになり、江戸時代における乳幼児の死亡率5~7割という高確率も相まって、長期的には「赤面疱瘡」の被害をもはるかに凌ぐ人口激減が発生する事態まで起こりえるのです。
現代日本並、下手すればそれ以下の出生率の中で乳幼児死亡率5~7割、男子に限っては9割以上、という事態が起こると考えれば、これがいかに恐ろしい社会問題になりえるかがお分かり頂けるのではないでしょうか。

かのソ連ですら20年足らずで軌道修正せざるをえなかった政策を、「大奥」世界は何と80年以上も続けているのですから、その社会的害毒は計り知れないものにまでなっていることでしょう。
徳川8代将軍吉宗の時代における当時の日本の人口は、史実だと約3000万人~3100万人ですが、「大奥」世界のそれは500万人に達していればかなり多い部類に入るのではないでしょうか?

そしてさらに滑稽なのは、これほどまでの社会的害毒が発生しているにもかかわらず、「大奥」世界における登場人物のほとんど全てが「これが問題である」という問題意識すら寸毫たりとも抱いていないことです。
そもそも「婚姻制度の崩壊」自体、徳川3代将軍家光の時代に「赤面疱瘡」の大流行にパニくった当時の男連中が、一夫多妻制というもっとも安全確実な道があったにもかかわらず、それを跳ね除けて女性を家の跡取りにしようとする際に「ついでに」導入されたという意味不明な経緯があったりしますからね。
家を存続させるために、家族制度を完全に破壊する「婚姻制度の崩壊」を伴う社会システムを導入するというのですから、その滑稽極まりない愚劣な選択にはもう笑うしかありませんね。
しかも「大奥」4巻P69では「大名の半数近くが女性であった武家社会から、男性はさらに減り続けてゆくのである」とあり、男女比率が徳川8代将軍吉宗の時代まで一貫して1:4であることから、女性人口は男性人口の4倍ものスピードで減少し続けていることが一目瞭然なのです。
男女問わず、これほどまでの人口激減が発生しているにもかかわらず、そして女性の人口激減に「赤面疱瘡」は全く関わっていないにもかかわらず、「大奥」世界の誰ひとりとしてこのことを問題視している形跡すらもありません。
問題意識のないところに改革は起こりえません。
「赤面疱瘡」の問題を改善しただけではすでにどうにもならなくなっている社会的病理が、誰にも気づかれないまま、着実に「大奥」世界を蝕みつつあるのです。

さて、これまで8回にわたって連載されたコミック版「大奥」検証考察シリーズも、既存6巻までで思い浮かんだ検証テーマについては、今回でとりあえず一巡することとなりました。
コミック版「大奥」が完結ないしは打ち切りになるまで、この検証考察シリーズは続けていく予定ですが、続きは7巻が刊行されて以降に再開したいと思います。

映画「トゥルー・グリット」感想

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映画「トゥルー・グリット」観に行ってきました。
アメリカ西部開拓時代を舞台に、14歳の少女が2人の男と共に父親の仇を追う復讐劇を描いた、1969年公開の西部劇映画「勇気ある追跡」のリメイク作品です。
映画「ヒアアフター」と同じく、スティーブン・スピルバーグが製作総指揮を、マット・デイモンが主演のひとりを演じています。
作中に指を切断するシーンや、片手を切断している女性の描写があったりするためか、この作品はPG-12指定されています。

物語はアメリカのオクラホマ州境にあるフォートスミスで、ひとりの資産家が殺されたから始まります。
殺人犯であるトム・チェイニーは、殺害した資産家から金貨2枚を奪い、インディアンの居留地へ逃亡します。
その後、父親の亡骸を確認に来た娘のマティ・ロスは、父親の形見となった銃を譲り受け、父親を殺害したトム・チェイニーをその手で殺しに行くことを決意。
付き人の弁護士?の静止を振り切り、復讐の軍資金を得るべく、生前の父親が馬を預けていたというストーンヒルという小屋に入り、そこの主人からカネをふんたくるための交渉を開始します。
14歳の少女とは思えないほどの法理論と弁術を駆使し、さらには訴訟恫喝まで交えた交渉術に、ストーンヒルの老主人もついに根を上げ、300ドル以上のカネの供与と馬の提供を約束させられてしまいます。
さらにマティ・ロスは、「真の勇者(トゥルー・グリット)」の異名を持つ保安官ルースター・コクバーンに犯人追跡の依頼を行います。
最初は「何だこの小娘は?」と言わんばかりに胡散臭げな対応しかしなかったルースター・コクバーンも、執拗に依頼を行うマティ・ロスと提示された報酬の魅力にこれまた根負けし、依頼を引き受けることを明言します。
そこへさらに、別件容疑でトム・チェイニーを追い、はるばるテキサスからフォートスミスにやってきた、マット・デイモン演じるレンジャーのラビーフも加わり、犯人追跡の苛酷な旅が始まることになるのですが……。

映画「トゥルー・グリット」は、良くも悪くもアメリカ西部劇を忠実に再現した1960年代臭漂う古風な作品、というイメージがありますね。
リメイク元の作品がそうなのですから当然なのでしょうが、作中で展開されるストーリーもアクションシーンも、CGを駆使したド派手な演出を見慣れた観客としての視点から見るとかなり地味な印象を受けます。
ハリウッド映画でありがちな「マシンガンの乱射をヒュンヒュンかわしていく主人公」的な描写は一切ありませんし、作中の悪役もスケールが小さいし。
同じ1960年代の作品をリメイクした邦画の「十三人の刺客」と比較しても登場人物が少なく、西部劇な描写が展開されるシーンも相当なまでに地味としか言いようがなかったですね。
まあ、そういう雰囲気を演出するのが製作者の意図でもあったのでしょうけど。

この作品の真骨頂は、どちらかと言えば主演3人が繰り広げる人間ドラマ的なものでしょうね。
ルースター・コクバーンとラビーフは、物語終盤近くに差し掛かるまで相当なまでに仲が悪く、特にラビーフは別行動を取ることもしばしば。
特に中盤付近でルースター・コクバーンが敵を待ち伏せしてスナイパー奇襲を仕掛ける際には、偶然その場に居合わせてしまったラビーフが邪魔になり、奇襲が失敗するという結果を迎えてしまったりします。
しかも合流すればしたで、今度は子供の喧嘩じみた言い合いから銃と乾パンを使った的当て合戦をはじめ、互いに貴重な弾丸と食糧を無駄に浪費する始末。
2人を傍観していたマティ・ロスでなくても「大丈夫かこいつら?」という感想を抱かざるをえなかったところですね。

また旅の途中では、ルースター・コクバーンとラビーフそれぞれの過去について語られます。
ルースター・コクバーンは1対多数の局面で単騎突撃を敢行し、多勢の敵を蹴散らした戦訓。
ラビーフは一度トム・チェイニーを300メートル先の眼前に捉えながらも、狙撃に失敗してしまった苦い過去。
これがそのまま、終盤の描写の伏線にもなっています。

結果的にマティ・ロスの復讐は成就され、仇を討つことには成功するのですが、その代償として彼女は左腕を毒蛇に噛まれてしまい、二の腕から下を切断することになってしまいます。
復讐の成就から25年後、彼女はメンフィスにいるというルースター・コクバーンの元を訪れるのですが、そこで待っていたのは「彼は3日前に病気で死去した」という報せ。
一方、ラビーフは生死も行方も不明で、生きていれば80歳近くになるというナレーションのみ。
マティ・ロスがルースター・コクバーンの亡骸を引き取り、新しく埋葬された墓に祈った後、墓から立ち去るシーンで物語は終了します。

古き良きアメリカ西部劇作品が好きな方には100%オススメですが、派手なアクションシーンが好みという人にとっては少々微妙な作品かもしれません。

3月20日時点における「自粛」映画の公開中止&延期理由一覧

東日本大震災の影響で「自粛」に追い込まれた作品の中止理由をまとめてみました。
なお、これまで当ブログで取り上げていた映画に加え、「かぞくはじめました」「ジャッカス3D」「4デイズ」がさらに公開延期になっています。

ヒアアフター
2月19日公開 → 3月14日で公開中止
中止理由:映画の冒頭に2004年のスマトラ沖地震で起こった巨大津波の場面があるため。

ザ・ライト ―エクソシストの真実―
3月19日公開 → 公開延期
延期理由:交通事情の悪化により、公開までのフィルム配送の遅延があるため。

かぞくはじめました
3月26日公開 → 公開延期
延期理由:震災被害の被害状況を鑑みたため(PG-12指定のコメディ作品だから?)。

ジャッカス3D
3月26日公開 → 公開延期
延期理由:震災被害の被害状況を鑑みたため(R-15指定のコメディ作品だから?)。

唐山大地震 想い続けた32年
3月26日公開 → 公開延期
延期理由:唐山大地震や四川大地震を再現したシーンがあり、時節柄、上映にふさわしくないと判断したため。

世界侵略:ロサンゼルス決戦
4月 1日公開 → 公開延期
延期理由:CG映像による破壊的な映像が含まれているため。

4デイズ
4月 9日公開 → 公開延期
延期理由:震災被害の被害状況を鑑みたため(核爆弾を使ったテロと拷問が描かれているから?)。

カウントダウンZERO
4月16日公開 → 公開延期
延期理由:震災被害の被害状況を鑑みたため(核問題を語っているから?)。

サンクタム
4月22日公開 → 公開延期
延期理由:水難事故のシーンがふさわしくないため。

ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦
5月21日公開 → 公開延期
延期理由:地震の影響に伴う製作スケジュールの遅れのため。

父の初七日
6月 4日公開 → 公開延期
延期理由:“故人を送る”というテーマが現状にふさわしくないと判断したため。

こうして改めて対象の作品と理由を見てみると、物理的に劇場公開ができなくなった「ザ・ライト ―エクソシストの真実―」と「ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦」以外の作品は、ほとんど一部の描写のみをことさら問題視されたり、マトモな説明すらできていなかったりしているような理由でもって公開中止&延期に追い込まれていることが分かります。
その一方で、上記で挙げられているような理由から考えれば間違いなく「自粛」対象に入らなければならないであろう4月23日公開予定映画「GANTZ:PERFECT ANSWER」(予告編を見る限り、街が破壊されるシーン他、PG-12系の殺戮シーンも満載)が「自粛」されていない点も不可解で、「自粛」にはかなり恣意的に作品を選んでいるようなフシが伺えます。
しかも公開中止&延期対象となる作品自体、これで収束するという保証が未だにありませんし、最終的にはどれほどまでの映画が「自粛」で公開中止&延期に追い込まれるやら、知れたものではありません。

こんな御都合主義かつダブルスタンダードだらけな「自粛」という名の忌々しい表現規制で、被災者に一体何の得があるというのでしょうか?

次々と「自粛」させられる映画はどこが問題なのか?

東日本大震災の影響による、映画の公開延期が相次いでいます
すでに当ブログでも取り上げていた「ヒアアフター」の上映中止と「唐山大地震 想い続けた32年」の公開延期に続き、以下に挙げる映画の上映延期が決定されています↓

3月19日公開予定映画「ザ・ライト ―エクソシストの真実―」
4月 1日公開予定映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」
4月16日公開予定映画「カウントダウンZERO」
4月22日公開予定映画「サンクタム」
5月21日公開予定映画「ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦」
6月 4日公開予定映画「父の初七日」

http://megalodon.jp/2011-0317-2020-13/www.moviecollection.jp/news/detail.html?p=2268
http://megalodon.jp/2011-0317-2024-25/news.livedoor.com/article/detail/5419888/

今回挙げた6つの映画には、そもそも地震や津波を連想させる要素自体がどこにも存在しません。

「ザ・ライト ―エクソシストの真実―」は、悪魔祓いとバチカンにおける正式な職業であるエクソシストの全貌に迫る作品。
「世界侵略:ロサンゼルス決戦」は、ロサンゼルスを舞台に地球に侵略してきたエイリアン達との戦いを描いた作品。
「カウントダウンZERO」は、核兵器の使用可能性について関係者の口から語られる社会派ドキュメンタリー。
「サンクタム」は、「タイタニック」「アバター」のジェームズ・キャメロン監督製作による、洞窟の中で展開される脱出劇を描いたアドベンチャー映画。
「ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦」は、戦隊モノの映画版。
そして「父の初七日」は、父親の死から葬儀までのゴタゴタを描いた台湾映画。

一体何を基準にすれば、被災者の心証を害すると判断され、公開を「自粛」しなければならないとされる要素が見つかるのか、ということすら理解不能です。
前述の「ヒアアフター」「唐山大地震 想い続けた32年」のように「地震や津波の描写が東日本大震災を連想させるから」的な言い訳すらありません。
同時多発テロ当時のアメリカにおける映画「コラテラル・ダメージ」公開延期でさえ、賛否はともかく誰でも理解はできる政治的な理由が付随していたというのに。
しかも、今回のような「自粛」が、ここで挙げている映画「だけ」で終わるなどという保証はどこにもなく、今後も「自粛」対象となる映画はさらに拡大する可能性すらあるのです。
「自粛」の基準が不透明かつ何の根拠もなく、ただ「被災者に対する配慮」と言いさえすれば何でもかんでも「自粛」に追い込まれる。
ここまで来ると「自粛」というよりも、もはや「被災者に対する配慮」という名を借りた「問答無用の表現規制」としか言いようがないではありませんか。
こんな「自粛」をすることが「被災者のためになる」などと、映画の配給会社はまさか本気で考えてでもいるのでしょうか?

今回の映画公開の「自粛」でひとつ疑問なのは、どうして過去の地震ではほとんど起こらなかった「自粛」が今回だけ凄まじいまでの猛威を振るっているのか、という点ですね。
多くの犠牲者が出た地震自体は、日本では阪神大震災や新潟県中越地震など他にも多々発生しているわけですし、にもかかわらずこれらの地震ではすくなくとも今回ほどの「自粛」は起こっていなかったわけです。
過去に類例のない大地震で犠牲者も多く出たから、というのであれば、スマトラ島沖地震など世界各地で発生した地震でも万単位もの多大な犠牲者を出しているものがあるのですから、それについても哀悼の意を表し、今回と同じような「自粛」があって然るべきだったはずですよね。
今回の地震における「自粛」ラッシュは、「被災者に対する配慮」とは全く関係のない別の理由ないし要素が他にあるのではないか?
一連の非合理的かつ理不尽な「自粛」の実態を見る限り、そうでも考えないと一連の社会現象に説明がつかないのですが。

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