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カテゴリー「映画観賞関連」の検索結果は以下のとおりです。

映画「ヒアアフター」感想

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映画「ヒアアフター」観に行ってきました。
クリント・イーストウッドが監督を、スティーブン・スピルバーグが製作総指揮をそれぞれ担っている、マット・デイモン主演作品です。

映画「ヒアアフター」では、人の死と死後の世界をテーマに、それぞれ3人の人物にスポットを当てたストーリーが展開されます。

1.インドネシアで彼氏と旅行中、大津波に巻き込まれて臨死体験をし、死後の世界のヴィジョンを垣間見たフランス人女性のマリー・ルノ
2.幼少時の臨死体験がきっかけで、他人を霊視することできる能力に覚醒したアメリカ人男性のジョージ(マット・デイモン演じる主人公)
3.ドラッグ中毒の母親を抱えながらも一緒に生活していた双子の兄ジェイソンを、突然の交通事故で亡くしてしまったイギリス人少年のマーカス

この3人はそれぞれ全く面識がなく、3つのストーリーは何の関連性も絡みもない状態からスタートすることになります。
ストーリーの核となる3人の登場人物は、それぞれ生活面で問題を抱え込んでいます。
フランスのテレビ局でアナウンサーとして出世し、恋人もいながら、大津波に襲われて以後は長い休養が続き、結果アナウンサーとして干された上に恋人にも浮気され別れる羽目になったマリー・ルノ。
かつては他人を霊視する能力を使ったビジネスで荒稼ぎをしていたものの、能力に振り回されて疲れきって引退してしまい、通常の生活を送れずに苦しむ中、霊視ビジネスの旨味が忘れられない兄から何度も復帰を促されるジョージ。
依存していた兄を失い、ドラッグ中毒の母親から引き離されて里親に引き取られるも、兄のことが忘れられず、「死者との会話」を夢見て里親のカネを持ち出し自称霊能力者に会うための旅に出てしまうマーカス。
個人的には、せっかく料理教室で知り合った女性と良い雰囲気になっていたにもかかわらず、兄からの電話で能力のことが知られてしまい、彼女の実の父と母のことをズバリ言い当ててドン引きされ、そのまま別れる羽目になってしまったジョージが哀れでならなかったですね。
ジョージもあの場で「適当なウソをついてその場を誤魔化す」的な選択肢を取れなかったのだろうか、とは思わずにはいられませんでしたが。

それぞれ独立していた3つのストーリーを1つに収束することになったきっかけは、マリー・ルノが自身の臨死体験と独自調査から執筆した1冊の本にあります。
その本の名前は、映画のタイトルにもなっている「ヒアアフター(来世)」。
元々「ミッテラン大統領のことについて書け」と言われていたにもかかわらず全く違う本を書いてしまったマリー・ルノは、上司から変人扱いを受けてしまうのですが、その本の内容に興味を持った出版社がマリー・ルノに打診。
結果、めでたく「ヒアアフター(来世)」は出版されることになり、それを記念して、マリー・ルノはイギリスのロンドンで開催されるブックフェアで講演&サイン会を行って欲しいと依頼されます。
そこに、元からイギリス在住だったマーカス、傷心旅行?でイギリスに来ていたジョージが足を運び、かくして3人は1つの場所に集うことになるわけです。

映画「ヒアアフター」は、ハリウッド映画にありがちな派手なアクションシーン的なものは微塵もなく、ただひたすら登場人物達の心の内面を描くことに徹しています。
また、実際にあった事件も作中で絡めており、冒頭で出てくるインドネシアの大津波の他に、ロンドンの地下鉄爆破テロ事件も登場します。
3人の登場人物達が抱える問題点が前面に出てくるため、序盤から終盤近くまで作品の雰囲気はとにかく暗いのですが、それでも最後はハッピーエンド的な結末がきちんと用意されています。
あれで結末まで悲惨な内容だったら「勘弁してくれ」と言いたくなるところではあったので、ラストシーンではついホッとしたものでした。
この辺りはやはり、製作総指揮を担ったスピルバーグの意向によるものなのでしょうか?

作品のテーマがかなり重く、ストーリーも単純な構成ではないだけに、映画「ヒアアフター」は今作と同じくスピルバーグが製作した映画「A.I.」ばりに哲学的な作品と言えます。
その点では映画「A.I.」と同じように、この作品もまたアメリカ人ではなく日本人向けと言えるのかもしれませんね。

コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】

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コミック版「大奥」検証考察6回目。
今回の検証テーマは 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】となります。
過去の「大奥」に関する記事はこちら↓

映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】

徳川3代将軍家光の時代に(作品的にも歴史考証的にも全くもって支離滅裂かつ非論理的ながらも)導入されることになった「大奥」世界における武家の女子相続システム。
本来は変則的かつ緊急避難的に導入されたはずのそのシステムを絶対的なものにしてしまう事件が、徳川5代将軍綱吉の時代に発生します。
その事件の名は、「忠臣蔵」で有名な元禄赤穂事件。
何故この事件が武家の女子相続に関係するかというと、その理由は、事件の発端となった松之大廊下の刀傷事件を引き起こした浅野内匠頭、および吉良邸に討ち入った大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士47士中の42人が「史実同様に」男性であったことにあります。
赤穂浪士の吉良邸討ち入り、および町民はおろか幕閣の中にすら赤穂浪士達を擁護する意見があることに激怒した徳川5代将軍綱吉は、感情の赴くままに以下のような発言を行うことになります↓

「これより先、武家において男子を跡目とする旨の届出は全てこれを認めてはならぬ!!
浅野長矩の刀傷然り、赤穂浪士の討ち入り然り…。遠き戦国の血なまぐさい気風を男と共に政から消し去ってしまえ!!」
(コミック版「大奥」5巻P195)

この発言が、「大奥」世界の日本における武家の女子相続を決定的なものとし、以後、女子相続が慣習として確立することになってしまうわけです。
……しかし、よくもまあこんな愚劣な発言が「大奥」世界で素直に受け入れられたものだなぁ、と私はむしろそちらの方が疑問に思えてならなかったのですけどね。

件の綱吉の発言には重大な問題がいくつも存在します。
その第一は、そもそも件の発言自体が「討ち入りを行った赤穂浪士達に対する幕府の評定(処分)」の一部として行われていることです。
実際に徒党を組んで他家を襲撃した赤穂浪士達に何らかの処分が下ること自体は、当の赤穂浪士達自身も覚悟していたことでしょうし、家族や旧赤穂藩に所属していた武士達にまで類が及ぶ可能性さえもあるいは承知の上だったかもしれません。
ところが綱吉の発言は、武士階級における全ての男子の存在自体を一方的に断罪している上、吉良邸討ち入りに全く関わっていない武家の相続に対してまで口を出す形になってしまっています。
赤穂浪士達を重罪人として磔獄門にでもすべきだ、と主張している人間でさえ、全く身に覚えのない吉良邸討ち入りの件を口実に、何より大事な自家の相続に余計な口を出されてしまうとなれば、何が何でも赤穂浪士達の処罰に反対する側に回らざるをえないでしょう。
しかも綱吉の時代では、まだ江戸城に参台している武家の男子も少なからず存在していますし、彼らは将軍と顔を合わせる度に「遠き戦国の血なまぐさい気風の象徴」として罵られる可能性まで存在するのですからなおのことです(4巻で綱吉が越後高田藩の継承問題の再裁定を行っている場に参台している武士達は女性と男性が混在している)。
事件とは全く関係のない他人にまで不安を覚えさせ、下手をすれば反感・敵意まで抱かせてしまうような評定を行うなど、論外も良いところではありませんか。

そして件の綱吉の発言があくまでも評定の一部である以上、赤穂浪士達に対する幕府の評定そのものがあまりにも不当なものであると評価されざるをえなくなります。
赤穂浪士達に切腹を命じた綱吉の評定でさえ、作中における町民達からの評判は散々なものでした。
それに加えての綱吉の発言は「赤穂浪士達に対する鬱憤を赤の他人にまで叩きつけている」「男に何か恨みでもあるのか」などといった悪評を追加してしまうことにもなりかねません。
さらに作中における発言当時の綱吉は、ただでさえ「生類憐みの令」をはじめとする失政の数々で評判が地に落ちている有様です。
そんな綱吉の、しかも出発点からして武士・町民問わず多大な反発と敵視が発生するであろう発言に、慣習として万人に受け入れられる余地があるとは到底思えないのですが。

綱吉の発言を現代の事件でたとえると、尖閣諸島沖での中国漁船衝突問題で、海上保安庁の一職員である一色正春がビデオを流出させた件を口実に、当時の民主党政権が「事件の再発を防止するため、海上保安庁そのものを廃止し、その全職員に対し罪を問う」と宣言するようなものです。
尖閣ビデオを流出させた一色正春を民主党首脳部が逮捕・起訴しようとするのに対してさえ、国民からの反発が凄まじかったことを考えれば、ましてや海上保安庁そのものを悪と断罪して廃止するとまで明言しようものなら、当時の民主党政権の支持率はこの時点で一桁台にまでガタ落ちし、さらには大規模な倒閣運動すらも発生しかねなかったでしょう。
しかし、コミック版「大奥」における綱吉は、それと同じ類の発言を、しかも武士階級全体をターゲットにやらかしているわけです。
いかに綱吉の発言が酷いシロモノであるのか、これだけでもお分かり頂けるのではないでしょうか。

第二の問題点は、武家の男子相続の禁止が、徳川3代将軍家光(女性)の遺訓に明らかに反していることです。
太平の世が長く続いた江戸時代ではとにかく事なかれ主義が横行しており、「祖法(昔からの決まりごと)を変えるべからず」という考え方が支配的でした。
そして、春日局の死後、自分が女性であることを正式に公開した家光(女性)は、武家の女子相続について「あくまでもこれは“仮”の措置である」と重臣一同の前で公言しています。
それに真っ向から刃向かっている綱吉の発言は、自分の母親である家光(女性)に対する裏切り行為とすら解釈されかねず、この観点から保守的な武士達からの反感を買うことにもなりかねません。
なまじ徳川家に忠誠を誓っている人間であればあるほど、祖法を蹂躙する発言をやらかしている綱吉には反感を抱かざるをえないところでしょう。
実際、後の徳川6代将軍家宣に仕えた新井白石はまさにそういう考え方の持ち主でしたし、綱吉の死後、家宣はその新井白石の進言を受け、件の綱吉の発言を「生類憐みの令」と共に廃止しています。
第一の理由と併せ、身内を含む武士階級の人間全てを敵に回しかねないという点で、男子相続の禁止令は愚行としか評しようがないのです。

ただ、かくのごとく愚劣な法令であったとしても、それが長い年月の間運用されていれば、江戸時代における「祖法を変えるべからず」の慣習も相まって民衆の間に定着する、ということはあったかもしれません。
徳川5代将軍綱吉の時代における悪政の象徴としてしばしば取り上げられ、20年以上もの間君臨し続けた「生類憐みの令」も近年では見直し評価が行われており、「綱吉の時代にまだ残っていた戦国時代の荒々しい風潮を一掃した」「殺生を禁ずることで治安が改善した」などといった肯定論もあります。
「生類憐みの令」は、長く続けられることによって初めてその効果を民衆の中に浸透させることができる法律だったのであり、だからこそ綱吉もその死の間際に「生類憐みの令だけは世に残してくれ」と遺言した可能性だって考えられるのではないでしょうか。
これから考えれば、妄言の類としか評しようのない綱吉の発言も、「長い年月をかければ」慣習化する可能性も充分にありえたわけですね。

ところがここでも(綱吉にとっては)不幸なことに、綱吉の男子相続を禁止する発言は、それが慣習として根付く時間すら満足に与えられていないのです。
それは綱吉の発言がいつ行われたのかを見ればすぐに分かることです。
元禄赤穂事件における赤穂浪士47士による吉良邸討ち入りが行われたのは、元禄15年12月14日(1703年1月30日)。
それに対し、「生類憐みの令」が廃止されるきっかけとなった綱吉の死去が宝永6年1月10日(1709年2月19日)。
件の綱吉の発言は「生類憐みの令」と一緒に廃止されていますので、武家における男子相続の禁止はわずか6年弱しか続いていなかったことになります。
貞享4年(1687年)から始まったとされる「生類憐みの令」と比較しても3分の1以下の期間しかありません。
ただでさえ綱吉の発言は評価ボロボロで多大な反発やサボタージュを招きかねないようなシロモノだというのに、たったの6年弱でどうやって慣習として定着するというのでしょうか?

しかも、綱吉の発言は「赤穂浪士達に切腹を命じて以降」の男子相続届出を認めないとするものであって、それ以前に認められている男子相続者については当然何の拘束力も発生しません。
たった6年弱では、「赤穂浪士達に切腹を命じる以前に認められていた男子相続者」がそのまま生き残る可能性も少なくないのですから、なおのこと女子相続が慣習として定着する可能性は低くなると言わざるをえないでしょう。
さらに、その時期の綱吉は(江戸時代当時としては)すでに老齢でいつ死ぬかも分からないような状態にあったのですし、綱吉の後継者と目された家宣は「生類憐みの令」にも綱吉の発言にも否定的だったのですから、「犬公方(綱吉の蔑称)が死ぬまで数年程度待てば良い、家宣様が将軍になれば元に戻るから」と考える人間も少なくなかったのではないでしょうか。
綱吉の男子相続禁止令が慣習として根付くには、前提となる条件が根本的に不足しているようにしか思えないのですけど。

前回の検証考察で取り上げた一夫多妻制否定論といい、今回の綱吉の発言といい、「大奥」世界で男女逆転を発生させるための世界設定がここまでズタボロな惨状で、一体どうやって作中のような「大奥」世界が成り立っているのか、私としてはいよいよ深刻な疑問を抱かざるをえないところですね。
男女逆転の過程を描いていると豪語するからには、当然社会システムの変遷およびそれに伴う問題点などについても少しは説得力のある理論や解決方法を提示しているのではないかと期待してもいたのですが……。

さて、次回の検証考察では、「大奥」世界における男性の立場やあり方について考えてみたいと思います。

映画「太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-」感想

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映画「太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-」観に行ってきました。
大東亜戦争(太平洋戦争)で激戦が繰り広げられたサイパン島のタッポーチョ山で徹底抗戦を続け、民間人を守り通した大場栄大尉(通称フォックス)率いる47人の日本兵達の物語。
元アメリカ海兵隊のドン・ジョーンズがまとめた長編実録小説『タッポーチョ「敵ながら天晴」大場隊の勇戦512日』を原作とするノンフィクション作品です。

大東亜戦争(太平洋戦争)の最中にある1944年、6月に行われたマリアナ沖会戦で勝利し、事実上戦争の勝敗を決したアメリカ軍は、当時日本領だったサイパン島南部に上陸。
アメリカ軍は圧倒的な装備と兵力で島の日本軍を圧倒、追い詰められた日本軍は7月7日にバンザイ突撃を敢行、少なからぬアメリカ兵を道連れにして全滅することになります。
しかし、今作の主人公である大場栄大尉は、この突撃に参加しながらもかろうじて生き残り、さらに日本軍から離れて戦う堀内今朝松一等兵をはじめとするヤクザ物の集団に出会います。
生き残りを図るために互いに共同戦線を張り、アメリカ軍の索敵から身を隠しつつ安全な場所を求めて歩き回った末、一向は水がある一軒の廃屋に辿り着きます。
ヤクザ物達が水を求めて狂喜するのを尻目に、廃屋の中を調べる大場大尉。
するとそこには、両親を殺されカゴの中で放置されていた赤子の姿が。
赤子を連れて行くことは困難であるとヤクザ物達から言われた大場大尉は、アメリカ軍に保護してもらうべく、赤い布切れの目印を廃屋の玄関先に垂らしてその場を後にします。
その後大場大尉一向は、サイパン島中部にあるタッポーチョ山へと向かい、仲間達を集めつつ、アメリカ軍への抵抗を続けていくことになります。

一方、アメリカ軍ではバンザイ突撃後も日本軍の残党狩りが行われていました。
しかし、圧倒的優位の戦力差と勝勢に慢心しているためか、日本軍残党を舐めまくっているアメリカ軍。
日本に留学経験を持ち、日本語も堪能なハーマン・ルイス大尉が「彼らを侮ってはいけない」とたしなめるものの、大多数のアメリカ兵達は態度を改めようとしません。
そして案の定、大場大尉率いる部隊の山岳&ジャングルという地形を活かしたゲリラ戦により、少なからぬ死傷者を出してしまうアメリカ兵達。
一向に日本兵を捕まえられない現状に苛立ちを覚え始めたアメリカ軍は、何千人もの兵士を使った大規模な山狩りに打って出るのですが、それでもほとんど戦果は挙げられず犠牲は増えるばかり。
そんな中、徹底抗戦でアメリカ軍を翻弄する日本人指揮官を、アメリカ軍は畏敬の念を込めて「フォックス」と呼ぶようになります。
そしてハーマン・ルイス大尉は、サイパンのアメリカ軍収容所で保護している日本人の証言から、その「フォックス」が大場栄大尉であることを突き止めるのです。

映画「太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-」は、史実のサイパンの戦いで敗退していく日本軍がメインで描かれているため、ストーリーはお世辞にも明るいとは言えたものではないですね。
まあ、結末は「一兵残らず玉砕」ではなく、ちゃんと日本に帰還できる終わり方をしているので、その辺りは救いだったりするのですが。
サイパン島に駐留しているアメリカ軍は、民間人に対しても比較的寛大なスタンスで迎え入れていましたし、日本軍に対しても「フォックス」に好意的なハーマン・ルイス大尉が降伏交渉に臨んだりしています。
戦時中、最大の激戦地となったガダルカナル島では、日本軍は捕虜にされることすらなく徹底的に虐殺された事例が多々あったわけですし、それに比べればサイパン島はすくなくとも流血が少ないまとめ方ができたと言える方でしょう。
また、降伏交渉の際、大場大尉が「日本軍はアメリカ軍に降伏できないが、上官からの命令であればそれに従う」という形で事実上降伏を受け入れたシーンは結構印象に残りましたね。

日本軍を扱った戦争物としてはそこそこに良く出来ている方なのではないかと。

映画「ザ・タウン」感想

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映画「ザ・タウン」観に行ってきました。
年間300件以上もの銀行強盗事件が発生するマサチューセッツ州ボストンのチャールズタウン(略称「タウン」)を舞台に繰り広げられるクライム・アクションドラマ。
作中では暴力が振るわれたり銃撃で頭を貫かれたりする描写やセックスシーンがあるためか、この作品はPG-12指定されています。

映画「ザ・タウン」の主人公で俳優ベン・アフレックが演じるダグは、人を殺さず、人質も取らないことを信条とする銀行強盗団のリーダー格。
物語冒頭、ダグが率いる4人組がとある銀行を襲撃します。
万全な下準備の下、襲撃手順も完璧にこなし、見事金庫の中の現金をせしめる強盗団達。
しかし、いざ現場から引き揚げようとしたその時、ダグの幼馴染ジェムの不手際により、女性支店長のクレアを人質に取ったことで、彼らの運命の歯車が狂い始めます。
殺しを良しとしないダグの判断により人質を無傷で解放した後、取り上げた免許証から、彼女が同じ街に住んでいる人間であることが判明。
短気なジェムが女の始末を主張しますが、ダグはそれを抑え、自らの目で問題があるか否かを確認すべく、彼女に接近することを決意します。
しかし彼女を追跡する中、コインランドリーでクレアがダグに話しかけることをきっかけに、2人は意気投合することになります。
その後もクレアと会い続け、互いに身の上話を交わしたり、ついにはセックスをしたりする仲にまで至ってしまうダグ。
その過程でダグは、自分の仕事である銀行強盗という行為に疑問を抱くようになり、犯罪稼業から足を洗うことを考えるようになります。
しかし、ジェムをはじめとするダグの銀行強盗仲間や、強盗稼業の元締め的存在である花屋のファーギーは、自分達が警察に売られる懸念もあって、ダグが仲間から抜けることを承諾しません。
犯罪稼業から抜け出そうにも抜け出せないまま、ダグはさらに犯罪行為を重ねていくことになるのですが……。

映画「ザ・タウン」では、銀行強盗・輸送車襲撃・野球スタジアムの収益金強奪と総計3回の犯罪が行われます。
ダグが率いる銀行強盗団は、犯行の際は入念に下調べを行ったり、髑髏やシスターに扮したマスクを着用して顔を隠したり、漂白剤を使ってDNAの痕跡をも消してしまったりと、FBIをも唸らせるほどに手際の良いプロ集団として描かれています。
2つの銀行と6台の現金輸送車を襲撃したという犯罪歴がありながら捕まっていないという点からも、彼らの実力が伺えます。
ただそれでも、ほとんど時間を置くことなく次々と襲撃が実施されていくのには、「いくら何でも急ぎ過ぎ&危な過ぎないか?」とさすがに思わずにはいられませんでしたね。
冒頭の銀行強盗だけでもかなりの金額を稼ぐことに成功しているでしょうに、数年くらい時間を置いてほとぼりを醒ます、的な選択肢は取れなかったのでしょうか?
性急過ぎる襲撃依頼のために、2回目以降は準備不足な状態で襲撃が実施されていたようでしたし、警察側の待ち伏せまで受けてしまう始末でしたからねぇ。

あと、ダグとクレアの間で交わされた身の上話のひとつが、物語終盤で重要な伏線として活用されることになります。
これは映画を観賞してのお楽しみということで。

それと、この映画で花屋のファーギー役を演じていたピート・ポスルスウェイトが、2011年1月2日にお亡くなりになったのだそうです。
最近では映画「タイタンの戦い」および「インセプション」にも出演していたとのこと。
謹んでご冥福をお祈り致します。

映画「ウォール・ストリート」感想

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映画「ウォール・ストリート」観に行ってきました。
1987年公開映画「ウォール街」の続編作品。
新エネルギーを開発するベンチャー企業を支援しようと奮闘するシャイア・ラブーフ演じる若き証券マンのジェイコブ・ムーアと、8年の服役ですっかり過去の人となった、前作でも活躍したマイケル・ダグラス扮するゴードン・ゲッコーの2人が織り成すマネーゲームを描いた人間ドラマです。

物語は2001年、インサイダー取引の罪で収監されていたゴードン・ゲッコーが、8年の服役を終えて出所するところから始まります。
ほとんど無一文状態で出所したゴードン・ゲッコーは、自分と同じように出所しながら、迎えに来た家族?と一緒に帰っていく黒人を尻目に見ながら刑務所を後にします。
その後ゴードン・ゲッコーは、金融関係の本を書いて一定のファンを獲得するまでの著名人となっていきます。
舞台は変わってその7年後の2008年。
ニューヨークで投資銀行ケラー・ゼイペル社に勤めていたジェイコブ・ムーアは、次世代クリーン・エネルギーの開発支援に情熱を傾ける若き証券マン。
また私生活面でも、ゴードン・ゲッコーの娘であるウィニー・ゲッコーと結婚を前提とした付き合いをしており、順風満帆な人生を送っていました。
ところが、勤め先のケラー・ゼイペル社が急激な株価の大暴落に見舞われ破綻。
さらには、自身が恩師として慕っていた経営者のルー・ゼイペルが地下鉄で飛び降り自殺するにまで至り、失意のどん底に突き落とされてしまいます。
そんな中ジェイコブ・ムーアは、とある大学で開催されたゴードン・ゲッコーの講演会に出席。
講演会終了後、ジェイコブ・ムーアはゴードン・ゲッコーに「娘さんと結婚します」と告げ、彼に「取引」を持ちかけます。
その内容は、ゴードン・ゲッコーと娘との仲を取り持つ代わりに、ケラー・ゼイペル社を1株3ドルという破格の安値で買い叩き、恩師を自殺に追いやった黒幕であるブレトン・ジェームスに対する復讐のサポートをしてもらうこと。
「取引」を成立させたジェイコブ・ムーアは、「風説の流布」を駆使した株価操作で、ブレトンの会社に打撃を与える作戦に打って出ることになります。

映画「ウォール・ストリート」は、前半が金融や株がらみのマネーゲーム、後半が人間ドラマを中心にした物語構成となっています。
前半はやたらと金融関係の用語が飛び交っており、金融絡みの駆け引きなども展開され、また2008年10月に世界を震撼させたリーマン・ショックのネタも出てきます。
それに対し、後半から終盤にかけては金融や株などといった要素が薄くなり、どちらかと言えば「情に訴える」展開ばかりになってきます。
ジェイコブ・ムーアが最終的に復讐を達成する手段も、結局金融絡みの罠というよりは「スキャンダル報道による信用の失墜」に近いものがありましたし、ジェイコブ・ムーアがゴードン・ゲッコーと対立した際に持ち出された取引材料は、金融絡みのネタではなく「孫の存在」だったりします。
最初から最後まで金融用語だらけのマネーゲームが展開されるとばかり考えていただけに、後半の展開は少々意表を突かれた感がありますね。
ラストシーンも、「金融界に君臨した男も、家族の情を無視することはできませんでした」的な展開でしたし。

私は前作映画「ウォール街」を観ることなく今作を観に行ったのですが、前作映画からの繋がりを示す描写もいくつかあるそうで。
余裕があるなら、予め「ウォール街」を観てから今作は観た方が良いかもしれませんね。

映画「白夜行」感想

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映画「白夜行」観に行ってきました。
東野圭吾原作のサスペンス小説映画版。
質屋の殺人事件から始まる、被害者の息子、容疑者の娘、そして18年もの歳月をかけ真相に迫る刑事の視点で綴られる心理描写ミステリー作品です。
ちなみに私は、原作未読のまま映画を観に行っています。

物語最初の舞台は1980年(昭和55年)、廃ビルで質屋の店主だった桐原洋介が、廃ビルで遊んでいた子供達に発見されることから始まります。
事件発覚後、まずは被害者の妻である桐原弥生子と、質屋の従業員である松浦勇が警察に事情聴取されます。
その際、両者の事情聴取に当たっていた刑事・笹垣潤三は、質屋の2階にいた被害者の息子である桐原亮司からの話を聞くことになります。
この時のアリバイ証言である「テレビを見ていた」に関する裏づけとして行われた「クイズダービーではらたいらが竹下景子に敗れた」という説明は、当時の時代を象徴していて何とも懐かしい気分にさせられましたね(苦笑)。
その後の警察の調査で、被害者は西本文代という女性の家に足繁く通っていたことが判明。
彼女とその愛人である寺崎忠夫が容疑者として浮上したため、笹垣潤三は相棒の古賀久志と共に西本文代の自宅を訪問します。
その際に留守だった西本文代に代わって応対したのが、西本文代の娘で当時小学生だった西本雪穂。
被疑者である西本文代を待つ間、ハードカバー本?の「風と共に去りぬ」を黙々と読んでいる西本雪穂に、笹垣潤三は強い印象を抱くことになります。
やがて帰宅した西本文代に、笹垣潤三は事情聴取を行っていくのですが、彼女には事件当時「公園でブランコをこいでいた」というアリバイが出てきます。
決定的な証拠も出ないまま捜査が難航する中、西本文代はガス中毒で、寺崎忠夫は交通事故でそれぞれ死亡してしまいます。
有力な容疑者が死亡してしまったことに加え、警察上層部のひとりの出世問題が切迫していたという事情が重なったことも相まって、結局事件はそのまま被疑者死亡ということで表面的には決着することになります。
しかし、笹垣潤三はこの決着に納得がいかず、自らの出世を棒に振ってまで独自に調査を進めていき、事件の被害者の息子である桐原亮司と、容疑者の娘である西本雪穂も、それぞれの人生を歩んでいくことに……。
という形で、以後、1985年(昭和60年)、1988年(昭和63年)、1989年(平成元年)にそれぞれエピソードが語られていき、最終的には1998年(平成10年)で事件の真相が明らかになります。

映画「白夜行」では、作中における年を表す描写として、その時代を象徴するキーワードが出てくるのが面白かったですね。
1980年は前述のクイズダービーの話、1985年は本田美奈子のコンサート、1989年は社交ダンス関連の話が出てくることで、それぞれの年が表現されています。
まあ、この3つの中で私がピンと来たのはクイズダービーだけで、社交ダンスは1996年公開映画「Shall we ダンス?」からの連想で少し時代がズレていましたし、本田美奈子に至っては存在すら知らなかったというのが実態だったりするのですが(^^;;)。

作中のストーリーは、最初から最後までとにかく「暗い」の一言に尽きますね。
殺人、冷たい家族関係、学校内でのイジメ、報われない愛、レイプ・性的虐待と、暗い話が目白押しに続きますし。
ところどころに「明るさ」を感じさせてくれるエピソードもあるにはあるのですが、それもほとんどは後半で不幸のどん底に突き落とすための伏線だったりします。
さすが元々がミステリー小説なこともあってか、物語終盤で全ての真相が明らかになる描写の運び方は上手いものがありましたが、最終的な結末も「何故そこでそんな選択を…!?」と言わんばかりのバッドエンドな終わり方をしていますし。
映画の宣伝ポスターで謳われている「二番目に殺したのは、心」というキャッチコピーに良くも悪くも偽りはなし、ですね。

ハリウッド映画にありがちな「爽快感を伴うハッピーエンド」的なものは全く期待できませんので、そういう作品を観たいという方にはあまりオススメできない作品ですね。
あくまでもミステリー好きのための映画、といったところでしょうか。

コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】

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コミック版「大奥」検証考察も、今回で5回目を迎えることになりました。
今回の検証テーマは 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】です。
過去の「大奥」に関する記事はこちら↓

映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
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コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】

コミック版「大奥」における男女人口の激減と男女比率1:4の話を初めて聞いた際、そこから「一夫多妻」「ハーレム」といったものを連想した人は多いのではないでしょうか。
かくいう私自身、映画版「大奥」の存在と内容を知った時から、

「何故そんな男女比率でありながら一夫多妻制が採用されなかったんだ?」
「男性人口に対して女性人口が圧倒的に多いのだから、ハーレムが普通に成立してもおかしくないのでは?」

とずっと疑問に思っていましたし、元来原作者よしながふみのファンでもなければ「大奥」の愛読者でもなかったはずの私が、映画版のみならずコミック版にまで手を出すに至ったのも、実はその疑問を解消することが最大の動機になっていたりします。
その私の疑問に対する回答らしき説明が行われている箇所が、コミック版「大奥」3巻にあります。

コミック版「大奥」3巻 P167
<いわゆる一夫多妻の「ハレム」化を進めて大名家の統合を進めれば、必然的に残った少数の大名家が所有する領地は広大なものとなり、徳川家の脅威となってしまう。
そして「家」を存続させる事が、士農工商どの身分においても最重要課題であるこの国特有の事情ゆえに、
世帯数が極端に減少する(つまり多くの「家」が潰れる)事を意味する一夫多妻化は進まなかったのである。>

……初めてこの文章を読んだ時は思わず目眩がしてしまったものなのですが、こんな無茶苦茶なコジツケでよくもまあ一夫多妻制を拒否してのけたものですね。
まず、江戸時代における幕府の大名統制と一夫多妻制の問題は、全く無関係かつ何の関連性もありません。
大名家が婚姻を通じて「家の統合」を進めたいと本当に考えるのであれば、それは別に一夫多妻制でなく一夫一妻制下の婚姻であっても充分に進めることが可能です。
世界における政略結婚の歴史を見ても、カスティーリャ王国と王女とアラゴン王国の王子が政略結婚することで両国が統合され成立したスペイン王国、ヨーロッパに君臨したハプスブルク家の政略結婚などは、すくなくとも法的には一夫一妻原則に基づいた婚姻制度下で進められたものです。
大名家を統合するレベルの政略結婚が自由に行えるとなれば、一夫多妻制だろうが一夫一妻制だろうが関係なく推進されるに決まっているでしょう。
政略結婚に使うためのコマは、男女問わず子供をたくさん産んでしまえば済む話でしかありませんし、それこそ「お家のため」となれば自分の意思と関係なく「家が決めた相手」と結婚しなければならない、というのが近代以前の常識だったのですから。
一夫多妻制の導入が大名家の統合を推進するなど、すでにこの時点でトンデモ理論もいいところです。

そしてこれがさらに問題なのは、1615年に制定された「武家諸法度」の存在を完全に無視していることです。
「武家諸法度」には「国主・城主・一万石以上ナラビニ近習・物頭ハ、私ニ婚姻ヲ結ブベカラザル事」という法令があり、大名の結婚は幕府の許可が、その下で働いている武士達のそれは上司たる大名や藩の許可が必要不可欠でした。
日本の戦国時代も、主に同盟の締結を目的とした大名間の政略結婚が盛んに行われており、この経験から江戸幕府は、大名達が政略結婚によって互いに同盟を組んだりすることを阻止するために、大名をはじめとする武士の婚姻を厳しく規制していたわけです。
政略結婚による大名家の統合など「武家諸法度」で合法的に規制できる上に、それに逆らう大名家は改易などの厳罰でこれまた合法的に処分することができるのですから、一夫多妻制をことさらに警戒しなければならない理由はどこにもありません。
歴史考証にすら逆らっているという点においても、コミック版「大奥」における一夫多妻制否定論は論外なのです。

では、これらの問題を全て黙殺すると「家の統合」は可能になるのか?
実は、それでも政略結婚による「家の統合」は不可能なのです。
というのも江戸時代当時における武士階級は「夫婦別姓」が一般的なあり方で、夫に嫁ぐ女性は基本的には実家の姓で呼ばれていました。
現代では「夫婦別姓」というと男女平等を実現する制度であるかのごとく勘違いされていますが、元々「夫婦別姓」というのは、家を守ることを目的に妻を余所者扱いする男女差別的な思想に基づいて作られた慣習です。
前述のスペイン王国の政略結婚が顕著な実例となりますが、政略結婚で「家の統合」をするためには、すくなくとも形の上では妻も夫も対等な立場となる「同君連合」的なものにしなければなりません。
ところが、江戸時代における「夫婦別姓」下では、必然的に夫の家に妻の家が一方的に吸収合併されるという形にならざるをえないため、「同君連合」など成立のしようがないのです。
生まれてくる子供も全員父親の姓を名乗ることになるわけですからなおのことです。
一方の家が他方の家を武力なりカネの圧力なりで無理矢理併合し、その体裁を取り繕うために政略結婚を行う、という形であればあるいは可能かもしれませんが、戦国時代ならいざ知らず、幕府が睨みを効かせている江戸時代にそれをやるのは至難の技もいいところでしょう。
第一、一夫多妻だろうが一夫一妻だろうが、これでは結局「家を潰す」「世帯数が減少する」ことに変わりがありません。
江戸時代における大名統制の実態や武士階級のあり方についてあまり考えることなく、一夫多妻制と「家の存続」などという、本来全く関係のない事象を無理矢理繋げて論を展開したのがそもそも間違いの元なのです。

「赤面疱瘡」の大流行に伴い男性人口が激減した結果、女性が有力な働き手としてクローズアップされるようになったり、「一時的に」「後見人ないしは家長代行的な立場で」男性と同等の権力を行使したりする、という流れは確かにありえることでしょう。
しかし、単純に男子の世継を確保したいというのであれば、側室制度や多産奨励、それに養子縁組などといった様々な解決方法が他に色々と存在するにもかかわらず、それを無視して一挙に女系優先の社会システム移行へ突っ走るというのが何とも不思議でならないんですよね。
「あの」春日局でさえも、「いくらでも側女を抱えてお家を存続させれば良いではありませぬか!!(コミック版「大奥」3巻P165)」と明言しているわけですし、「5人にひとりしか男子が育たない」というのであれば、多産奨励で5人以上男子をこしらえれば良いだけの話ではないですか。
第一、史実の江戸時代でさえも、乳幼児の死亡率は男女問わず、また医学の未発達もあって5~7割以上にも達していたわけなのですから、あえて言えば、【たかだか】作中で描写されている「赤面疱瘡」の存在【程度】のことが、すくなくとも男系を差し置いて女系を優先しなければならない理由に【まで】はなりえないと思うのですけどねぇ。
男系から女系に社会システムが変革されるというのは、「あの」明治維新をもはるかに上回る凄まじいエネルギーを必要とする「革命」である、とすら言えるものなのですから。

さて、「大奥」世界における女系優先社会への変遷を語るにあたり、徳川3代将軍家光と並んでもうひとつ言及しなければならない時代があります。
次回の検証は、作中で「武家の女子存続を決定的にした」とされる徳川5代将軍綱吉について考えてみたいと思います。

映画「RED/レッド」感想

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映画「RED/レッド」観に行ってきました。
ブルース・ウィリス主演のアクション物。
「Retired Extremely Dangerous(引退した超危険人物)」を略して「RED」と呼ばれる、老齢となったかつてCIA凄腕スパイ達が活躍する作品です。

ブルース・ウィリス扮する主人公のフランク・モーゼズは、年金課で働いているサラ・ロスと電話で会話することを唯一の楽しみにしているオハイオ州クリーブランドの年金生活者。
彼女と会話をする口実のために、自分宛に届けられた年金の小切手をわざわざ破いて「年金が届いていない」などと苦情を述べていたりします。
そんなある日の深夜、フランク・モーゼズの自宅に最新火器で武装した数人の集団が来襲します。
まずは3人が自宅内に侵入してフランク・モーゼズを仕留めようとしますが、自宅の地の利を生かして後方から接近したフランク・モーゼズに逆に奇襲されあっさり全滅。
しかし敵方もさるもので、初動の奇襲失敗を悟ると、今度は外に予め待機していた第二陣が主人公の自宅に大量の銃弾を浴びせまくります。
家をメチャクチャにした後に死体を確認すべく接近した第二陣を、再びフランク・モーゼズが奇襲で危なげなく各個撃破。
襲撃者達を撃退したものの、サラ・ロスにかけた電話が盗聴されている可能性に気づいたフランク・モーゼズは、彼女が住んでいるミズーリ州カンザスシティへと向かうことになります。
あくまでも一般人であるサラ・ロスは、突然自分の自宅に不法侵入した上、「君は狙われている」などと主張するフランク・モーゼズを当然のように信じず口論に。
そこへお約束のように襲撃者達が襲い掛かり、フランク・モーゼズは仕方なくサラ・ロスを拉致って裏口から脱出。
追跡をかわしつつ事件の真相を探るべく、フランク・モーゼズはかつての自分の上司で現在は介護施設にいるジョー・マシスンを頼るべく、ルイジアナ州ニューオリンズまで車を走らせます。
ここから、「RED」達を訪ね歩く旅が始まるわけです。

映画「RED/レッド」は、老人が活躍する作品だけあって、スピーディーに溢れたアクションシーンはさすがにあまり多くありません。
どちらかと言えば、頭を使った作戦で機転を利かせたり、相手の不意を突く奇襲で敵を一撃で倒したりといった類の描写がメインだったりします。
この辺りは映画「エクスペンダブルズ」もそうだったのですが、老齢になるとどうしても体力や瞬発力が衰えて機敏な動きができなくなるため、そういう戦い方をせざるをえなくなってくるんですよね。
アラバマ州モビールの空港で主人公達の前にバズーカ砲とロケットランチャーを携えて立ちはだかった中年の小太りオバサンも肌ツヤツヤでしたし、メインの敵役である若きCIAエージェントのウィリアム・クーパーをはじめとする主要なCIA要員達も、一部を除き軒並み若い面々で固められています。
ただそれでも、数々のアクション物で主役を演じてきたブルース・ウィリスだけあって、要所要所のアクションシーンや奇襲は上手いの一言に尽きます。
中盤付近までのメインな敵役である若きCIAエージェントのウィリアム・クーパーとも格闘戦を演じていたりしますし。
今作の前に私が観たブルース・ウィリス主演作品が、日本では2010年1月に公開された映画「サロゲート」で、この時は本人のアクションシーンがほとんど披露されなかっただけに、今作はスタンダードに楽しむことができましたね。
ブルース・ウィリスで連想するものはと問われれば、やはり「ダイ・ハード」シリーズに代表されるアクションシーンなわけですから。

「RED」の面々は、身体的な衰えはあっても過去の実戦含めた経験が豊富なためか、駆け引きや臨機応変な決断力については敵方から危険視されるに充分な要素を持ち合わせていますね。
作戦も緻密ならば、副大統領を襲撃することに何の抵抗感も覚えていないし、仲間が危機に陥って助けられないと判断したら躊躇なくその場から撤退していたりします。
逆に、物語中盤までは敵方の中心的な人物として登場するウィリアム・クーパーなどは、私生活で大事にしているらしい妻と2人の子供の身柄をネタに脅迫された際に動揺した様子を見せていますし。
この辺りの描写の違いは、有能さや素質といったものだけでは埋められない「経験の差」といったところでしょうか。

映画「RED/レッド」は続編も計画されているのだそうで、製作会社であるサミット・エンターテインメントが、今作で脚本を担当したジョン・ホーバー&エリック・ホーバーの兄弟に再び脚本製作を依頼しているのだとか。
続編が公開されるとしたら、またブルース・ウィリス主演で製作して欲しいところですけどね。

映画「GANTZ」感想

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映画「GANTZ」観に行ってきました。
集英社の青年漫画雑誌「週刊ヤングジャンプ」で連載中の同名作品実写映画2部作前編。
映画「大奥」で主役を演じた二宮和也と、映画「デスノート」シリーズでL役を担当した松山ケンイチが共演するということで大いに喧伝された作品です。
作中では「肉体や血が飛び散る」的スプラッタな描写が満載のため、この作品はPG-12指定されています。

二宮和也が演じる主人公のひとり・玄野計は、地下鉄の駅ホームで、松山ケンイチが扮するもうひとりの主人公・加藤勝の姿を見かけます。
玄野計と加藤勝は小学生時代の幼馴染で、前者は就職内定がもらえない大学生、後者は弟を守るために父親を殺して少年院に入っていたという設定です。
加藤勝は、駅ホームで線路に転げ落ちた酔っ払いを助けようと線路に飛び込み、酔っ払いをホームに退避させますが、ちょうどその時快速電車が迫ってきます。
玄野計は加藤勝を助けようと手を差し伸べるのですが、逆に線路内に引っ張られてしまい、結果、2人共々電車に轢かれることになってしまいます。
しかし次の瞬間、光に巻き込まれた2人は、東京タワーが見えるとあるマンションの一室に出現することになります。
部屋から外に出ることはできず、また部屋の中には数人の人間と黒い球体がひとつ。
呆然とする2人の前で、黒い球体が放つ青い光によって裸の女性が構築されていき、周囲の人間が「お前達もこうして出てきたんだ」と教えてくれます。
その直後、黒い球体から60年代を想起させるような音程の音楽が流れ、音楽が終了すると、黒い球体に文字が浮かび上がり、ねぎ星人という名の存在と戦うよう命じられます。
それと共に黒い球体が開き、黒い球体からこれまた黒ずくめな武器とスーツが出現。
戸惑いながらも武器やスーツを手にする中、突然部屋の外にワープさせられる部屋の人間達。
ここから、主人公と星人達との戦いが始まることになります。

最初のねぎ星人が殺され、ミッションクリアを達成した後に、黒い球体が「GANTZ」と呼ばれていることが判明します。
作中に登場する星人達は、ねぎ星人・田中星人・おこりんぼう星人の3種類。
ただし、最後のおこりんぼう星人の際には、ターゲットのおこりんぼう星人以外にも千手観音と巨大大仏がおり、これも倒さないとミッションクリアになりませんでした。
幼稚園児レベルのネーミングセンスとは裏腹に、星人達は超絶的な戦闘力と残虐性を秘めており、GANTZの召喚メンバー達を次々と虐殺していきます。
GANTZの召喚メンバー達は老若男女問わず選出の対象にされており、老婆と子供の組み合わせまで召喚されている上、それでも作中では容赦なく虐殺されていたりします。
その一方で、ミッションクリアまでにとりあえず生存さえしていれば、どんなに重傷を負っていても、ミッションクリア後に完治状態で最初の部屋に戻ってくることができます。
ミッションクリアになると、GANTZがメンバー達を採点していくことになるのですが、その採点基準は「直接星人を殺したメンバーに点数が与えられる」のみ。
採点の際、0点の人には何故か「びびりすぎ」だの「存在感なさすぎ」「いたの?」だのといった、人を小馬鹿にしているような一言評価がくっついていたりします。
ネタとしか思えない評価が出される度に、スクリーン内では笑い声があちこちから漏れていましたね。

星人を倒して100点になると、そのメンバーは「GANTZから解放される」か「好きな人間を生き返らせる」かの2択を選ぶことができます。
原作では他にも「強力な武器が得られる」という選択肢があったようなのですが、映画版では削除されているようですね。

作中に登場する武器は、トリガーを押して光が発射されてから数秒後に内側から破裂させるショットガンもどきな銃(小型と大型の2種類)がメインに使用されていますが、他に獲物をグルグル巻きにして捕獲する銃と伸縮自在のソードが登場します。
一方、個々人の名前が書かれているアタッシュケースに収納されているスーツは、身体能力と防御能力を飛躍的に上昇させてスーパーマンのごとき人間になれる夢のようなスーツで、作中でもこのスーツを身に纏い、高台からジャンプして有頂天になる玄野計の姿が描かれています。
黒一色で洗練されたデザインといい、その驚異的な性能といい、この間観賞した映画「グリーン・ホーネット」に登場した発明品の数々が霞んでしまうほどに、いかにも未来感溢れる道具と言えますね。
玄野計の有頂天な描写も、ああいうスーツがあったら確かにああなるだろうなぁ、というものでしたし。

作品的な雰囲気としては、以前に観賞したことのある映画「トロン:レガシー」に近いものがありましたね。
アレも未来兵器的な武器が登場しますし、何よりも夜の舞台をバックに黒ずくめなスーツを着用して活動していましたから(苦笑)。
アクション系の描写も、本場ハリウッドには及ばないにしても、日本映画としては十分頑張っている部類に入るのではないかと。

映画「GANTZ」は2部作構成とのことで、後編となる次回作品は2011年4月23日に公開予定とのこと。
エンドロール後に後編の予告がありますので、映画を観賞される際には最後まで席を離れないことをオススメしておきます。

映画「デュー・デート ~出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断~」感想

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映画「デュー・デート ~出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断~」(以下「デュー・デート」)観に行ってきました。
妻の出産を5日後に控えた「誰よりもキレやすい男」と、ハリウッドに向かう俳優志望の「呼吸するだけでトラブルを呼ぶ男」のコンビが、アトランタからロサンゼルスまで3200キロを横断するコメディ作品。
作中では「車中でオナニー」などという身も蓋もない18禁な描写があったり、麻薬を吸引するシーンがあったりするため、この映画は当然のごとくR-15指定されています。

アトランタで建築家としての仕事を終え、妊娠中の妻が待つ自宅のロサンゼルスに飛行機で帰る予定の日の朝、主人公であるピーター・ハイマンはある夢を見ます。
その夢の内容は、妻の出産に際して自分は全く動くことができず、何故か自分の隣にいた毛むくじゃらのクマが臍の緒を噛み切るというもの。
いかにも意味ありげに語られるこの夢は当然のごとく物語終盤の伏線となるのですが、それはさておき、飛行機で帰るために空港へと向かったピーター・ハイマンは、フレンチブルドックを連れてハリウッドへ向かう途中だったイーサンに、乗車していた車のドアを吹き飛ばされてしまいます。
この鮮烈な出会いがピーター・ハイマンにとっては不幸の始まりで、搭乗した飛行機でもたまたま席が前後で隣り合った2人は、イーサンが何の脈絡もなくテロの話を始めてしまったために、空港関係者から2人共々テロリスト扱いされ、搭乗拒否リストにまで載せられてしまいます。
しかもこの過程でピーター・ハイマンは身分証も財布も失ってしまい、移動手段を失って途方にくれることに。
そこへ、自分を今の苦境に追いやった元凶であるイーサンが、ピーター・ハイマンの前にレンタカーに乗って現れ、一緒に大陸横断をしようと持ちかけてきます。
「お前のせいで俺は…!」と怒りを抱きつつも、他に方法もなかったピーター・ハイマンは、怒りを抑えてしぶしぶながらも助手席に乗り込み、かくして3200㎞の珍道中が始まるわけです。

物語序盤を見ただけでも分かるように、映画「デュー・デート」は、マトモなビジネスマンである主人公が奇矯な男の言動に振り回される、というスタイルでストーリーが進行していきます。
主人公を常に不幸のどん底に追いやるイーサンは、フレンチブルドックのサニーと父親の遺灰が入ったコーヒー缶を常に持ち歩く小太りで髭もじゃな中年男で、その風貌からして不潔さとセンスの無さが滲み出ています。
その言動は好感度ゼロの風貌以上に最悪で、自分の年齢を23歳と自称したり、麻薬をキメていたり、主人公も同乗しているはずのクルマの中で「就寝前のオナニー」にふけっていたりと、間違ってもお近づきにはなりたくないキャラクターとして描かれています。
こんな男と一緒に3200㎞の旅に出るわけですから、当然その道中が何事もなく進むわけがありません。
麻薬を買うためにわざわざ寄り道したり、そのために貴重な資金を200ドルも浪費して旅費が欠乏してしまったり、挙句の果てには居眠り運転でクルマごと橋から転落してピーター・ハイマンに骨折の重傷を負わせたりと、イーサンはとにかくトラブルメーカーとして大活躍しています。
物語後半でも、道を間違えて何故かメキシコ国境に入ってしまったり、国境の検問所で分捕ったクルマにあった拳銃をピーター・ハイマンに向けて発砲してまたも怪我を負わせたりと、イーサンはとにかく疫病神としか言いようがないほどにトラブルを持ち込んできます。

ただそれでも、大陸横断を進めていく過程で次第に両者の間には友情のような感情が芽生えていく、というのはこの手の作品のお約束というものですね。
メキシコ国境でのゴタゴタ後に立ち寄ったグランドキャニオンで、2人の友情は頂点に達します。
……そこでのイーサンの衝撃的なトンデモ告白によって、2人の仲は再びギクシャクしたものに戻ってしまうのですが(苦笑)。

「アイアンマン」シリーズで主役を演じ、今作でも主役に抜擢されたピーター・ハイマン役のロバート・ダウニー・Jrと、イーサン役のザック・ガリフィアナキスは、見た目だけでも対比が分かりやすい組み合わせでしたね。
男っ気溢れるコメディ映画を観たいという方にはオススメの作品かもしれません。

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