よしながふみ原作のコミック版「大奥」検証考察。
3回目の検証テーマは【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】となります。
過去の「大奥」に関する記事はこちら↓
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」の2巻および3巻では、キリシタンの排除と江戸幕府の交易独占を大義名分に、実際には「赤面疱瘡」の大流行とそれに伴う男性人口の激減を諸外国の目から隠すという意図の下、国を閉ざす、いわゆる「鎖国」体制が構築されていくことになります。
2巻では春日局が、3巻では家光(女性)が、諸外国に日本の現状を悟られないようにすることを主目的に、それぞれ「国を閉ざす」政策について言及しており、周囲の人間が「素晴らしい政策です」「何と優れた女傑か」とその「英断」を絶賛している様子が描かれています。
しかしこれ、隠蔽手段として本当に正しく機能しえるものだったのでしょうか?
そもそも「鎖国」という言葉と概念自体、17世紀当時は全く存在しないシロモノだったりします。
実は「鎖国」という言葉は、徳川5代将軍綱吉の時代に来日したドイツ人エンゲルベルト・ケンペルが著した「日本誌」の章のひとつ「日本国において自国人の出国、外国人の入国を禁じ、又此国の世界諸国との交通を禁止するにきわめて当然なる理」を、1801年に当時の蘭学者・志筑忠雄が翻訳してまとめた際に作った新造語を起源としており、その著書「鎖国論」が初出とされています。
19世紀に生まれた造語が17世紀当時に使われているわけがなく、実際、江戸幕府が「鎖国令」なる名前の命令を出したことはただの一度たりともありません。
一般に「鎖国令」と呼ばれているものは、
・ 奉書船以外の海外渡航および海外移住5年以上の日本人の帰国を禁止(1633年)
・ 長崎に出島を築造(1634年)
・ 日本人の海外渡航および帰国を全面的に禁止(1635年)
・ ポルトガル人を出島に集める(1636年)
・ ポルトガル船の来航禁止(1639年)
の5つの命令を、後世の人間が後付で命名した俗称に過ぎないのです。
しかも「鎖国」体制下では別に長崎の出島「だけ」で対外貿易が行われていたわけではなく、他にも3箇所、幕府から特例として認められていた外国貿易の窓口が存在します。
具体的には以下の通り↓
蝦夷口――松前藩による蝦夷地アイヌとの貿易
対馬口――対馬藩による李氏朝鮮との貿易
薩摩口――薩摩藩による琉球王国との貿易
琉球王国は1609年に薩摩藩の侵攻を受けて以降は薩摩藩の支配下に入り、薩摩藩への貢納や江戸幕府への使節派遣を行う一方、支那に君臨していた明王朝およびそれに取って代わった清王朝に対しても朝貢を続けていました。
そして、この琉球王国の微妙な立場を利用して、薩摩藩は琉球王国を中継点とした対支那貿易をも行っていたわけです。
さらに史実を紐解いてみれば、長崎の出島および3つの特例貿易窓口以外にも、貿易の巨利に目が眩んだ大商人による密貿易もまた後を絶たず、さらには財政難を理由に藩ぐるみで密貿易に乗り出し多くの関係者が処分された事例(竹島事件)も存在します。
もちろん、貿易の利益を独占したい幕府は、しばしば禁令を出して密貿易の取締りを行っていますし、特例で認めた3藩についても、渡航船の数や貿易の規模について一定の制限を課してはいました。
しかし、それでも巨万の利益が得られる密貿易は後を絶たず、ついに幕末まで完全に根絶することはなかったわけです。
いわゆる「鎖国」というのは、一般に思われているほどに「閉ざされた」体制ではなく、抜け穴がいくつもあるシロモノだった、ということですね。
さて、ここでコミック版「大奥」に話を戻しますが、上記の「鎖国」事情を鑑みれば、作中で語られている「国を閉ざして日本の国情を外国に知られないようにする」がいかに荒唐無稽な構想でしかないことがお分かり頂けるでしょう。
対外貿易を「公に」行っているのが長崎の出島1箇所ではないという時点ですでに「国を閉ざして情報封鎖」構想は瓦解しているのですが、さらに密貿易の存在がそれに追い討ちをかけているわけです。
密貿易すら根絶できないというのに、他国との貿易に際して「赤面疱瘡」絡みの情報統制を完璧に行うなど土台無理な話です。
しかも、「赤面疱瘡」の存在も、それによって日本の男女比率が著しく変わっているという事実も、「大奥」世界の日本人ならば誰でも知っている「当たり前の常識」でしかありません。
「機密を守る一番の方法は、機密の存在そのものを隠蔽し少人数のみで情報を独占すること」という鉄則から考えれば、「赤面疱瘡」絡みの情報ほど機密に向かない情報もないでしょう。
ただでさえ非合法的な密貿易の中で「赤面疱瘡」絡みの情報統制が万全に行われるなど夢物語もいいところで、密貿易が実施されるどこかの過程で確実に「赤面疱瘡」関連の情報は外国の人間に漏れてしまうのは必至というものです。
密貿易の取締以上に至難の業である「赤面疱瘡」絡みの情報統制が完璧に行えると豪語し、それを絶賛する作中の登場人物達が、私にはどうにも滑稽に思えてならないのですけどね。
また、他国との貿易を介して「赤面疱瘡」絡みの情報どころか「赤面疱瘡」そのものが海外に流出し、日本のみならず世界中に広がり猛威を振るう可能性というのはないのでしょうか?
山村の片隅で発生した「赤面疱瘡」が10年ほどで関東一円を、さらに10年で日本全土に蔓延したという作中事実から考えれば、たとえ長崎の出島限定の貿易でさえ「赤面疱瘡」が海外に進出しても何らおかしなことではありません。
ましてや、出島以外にも対外的な貿易口があり、さらには密貿易まで横行している「鎖国」体制では、むしろ「赤面疱瘡」が外国に拡散しない方が変というものです。
「赤面疱瘡」が治療どころか防疫すら困難を極める病気であることは、作中で江戸城内にあるはずの「大奥」内部で「赤面疱瘡」が発生し死者まで出ていることからも明らかです。
まあ「赤面疱瘡」が世界中に伝播して世界各国が壊滅的な大ダメージを被れば、実はそれ自体はむしろ日本の国益および安全保障にかなうことではあるのですが、そうならないのは全くもって不思議な話としか言いようがありませんね。
あと、「鎖国」体制の問題を考える過程でふと思いついたことなのですけど、他国との貿易を行うに際して「20歳以上の男性を輸入する」という選択肢は考えられなかったのでしょうか?
「大奥」世界における男性は「赤面疱瘡」の大流行により激減しており、その貴重な人材の確保は大都市である江戸でさえ汲々としている惨状を呈しています。
しかし海外に目を向ければ、そこには当然のように男性が数多く存在する現実があるわけです。
となれば、海外から男性を輸入し、子種の供給や労働の道具としてこき使い一攫千金を狙う、という人間がひとりくらいいても不思議ではないでしょう。
20歳以上の男性であれば「赤面疱瘡」の脅威からも(稀に感染することはあるにせよ)かなりの確率で回避することもできるわけですし、大量輸入すれば男女人口比率の改善及び人口増大にも寄与します。
しかも17世紀~18世紀中頃までは奴隷貿易が世界的に幅を利かせていた時代でもありますから、対外的な大義名分も充分に成り立ちます。
まあ対外貿易の結果、「赤面疱瘡」が外国でも蔓延するようになってしまったらこの手は早晩使えなくなってしまうわけですが、男性不足に悩んでいた「大奥」世界の日本であれば、商人や藩どころか幕府自身が男性輸入政策に積極的に乗り出しても不思議ではないと思うのですけどね。
次の検証テーマは、「大奥」世界における大奥の子作りシステムについて論じてみたいと思います。