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カテゴリー「映画観賞関連」の検索結果は以下のとおりです。

映画「グリーン・ホーネット(3D版)」感想

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映画「グリーン・ホーネット(3D版)」観に行ってきました。
1936年~1952年にかけてアメリカで放送されたラジオ番組を原作とする同名作品の現代版実写映画。

物語は主人公であるブリット・リードと、その父親で新聞社デイリーセンチネル社の社長であるジェームズ・リードの20年前の会話から始まります。
ここでは「家庭内暴君」として振る舞う父親に対し、主人公が反発する様が描かれています。
そのせいで性格が捻じ曲がったブリット・リードは、20年後も父親に呆れられるほどの自堕落な生活を送っていたのですが、その父親が突然ハチに刺されて急死し、急遽父親の後を継いでデイリーセンチネル社の社長に就任することになります。
急なことだった上に父親に対する反発もあってか、ブリット・リードは会社運営について全くやる気がありません。
社長就任後のある日、朝に飲んだコーヒーに不満を持ったブリット・リードは「今日のコーヒーをいれたのは誰だ!」と家の中で怒鳴りまくります。
それに対し、家の中にいたメイドが「今までのは昨日あなたが解雇した運転手兼整備士のカトーが入れていた」と証言。
その発言を聞いてブリット・リードが早速カトーを呼び戻し、「整備士のお前が何故美味いコーヒーを入れているんだ?」と問い詰めます。
するとカトーは、キッチンにあった隠し戸棚から高性能なコーヒーメイトを披露し、あっさりとブリット・リードお気に入りのコーヒーを再現してのけます。
発明家としてのカトーの才能に感心し、さらに父親に対する評価が自分と同じだったことも相まって意気投合したブリット・リードは、カトーを相棒に「悪人として正義の活動をする」ことを思いつきます。
ここから、「緑のススメバチ」ことグリーン・ホーネットの活躍が始まるわけです。

作中に登場するグリーン・ホーネットの自動車「ブラック・ビューティ」は、その外見といい性能といい、とにかく「昔のアメリカ」的なセンスが滲み出ていますね。
車の型からして、思わず「古っ」とツッコミをいれたくなるようなシロモノでしたし、室内で音楽を鳴らす際には何故か昔懐かしいレコードプレーヤーが出てきたりします。
また「ブラック・ビューティ」はまるで戦争でもするために作られたような自動車で、ゴルフクラブで力一杯殴っても銃で撃ってもボディには傷ひとつつかない上、当然のように重武装が施されています。
セオリーに忠実すぎるくらいに忠実に作られたアメリカンなクルマ、というのが感想ですね。

あと、映画「グリーン・ホーネット」では、ラスボスであるベンジャミン・チュドノフスキーも良い味出していましたね。
敵味方問わず、躊躇無く人を殺せる極悪非道な悪役として描かれているはずなのですが、自分の外見がよほど気になるのか、「俺は怖く見えないのか」的な発言を何度も繰り返しています。
挙句の果てには、グリーン・ホーネットへの対抗心からか、自らの衣装を赤一色で固め「ブラッドノフスキー」と称し、敵を追い詰める際の長々とした前口上まで作り出し、部下にすら「これほどバカな提案は初めてです」とまで言われてしまう始末(その部下は直後に殺されてしまいましたが)。
しかもバカ正直なことに、チュドノフスキー改め「ブラッドノフスキー」は、グリーン・ホーネットを追い詰める際にもわざわざ前口上を最初から御丁寧にしゃべろうとして、グリーン・ホーネット側にその隙を突かれて反撃されてしまうという失態を2回も演じていたりします。
あの惨状を見ていて「格好つけるよりも前に目の前の敵をさっさと殺せよ」「そんなに威圧感のない外見にコンプレックスを抱いているのか」と考えずにはいられませんでしたね。

ストーリーといい設定といい、良くも悪くも典型的と言えるアメコミチックな作品ですね。
アメコミが好きという方には是非ご観賞を。

コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】

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4回目となるコミック版「大奥」検証考察。
今回の検証テーマは 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちら↓

映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】

コミック版「大奥」における大奥に関する描写を見てみると、史実のそれと比較して「何故こんな非効率的なやり方で運用されているの?」と首を傾げたくなる慣習が多数存在していることが分かります。
「女将軍と最初に性交するものは死ななければならない」などという、史実の大奥には存在しないはずのトンデモな規則を定めた「ご内証の方」の慣習などはまさにその典型例です。
映画版を観た時からずっと疑問視していたこの慣習、コミック版「大奥」の2巻~4巻までの家光(女性)時代に如何なる理由から出来たのかについて描かれているのですが、その起源は何と、家光(女性)が男にレイプされたことに端を発するほとんど八つ当たり&逆恨み的な癇癪から生まれたシロモノでしかなかったんですよね。
私はてっきり、権力闘争で政敵を口実つけて抹殺するためにその場で適当にでっち上げた発言なり法令なりがいつの間にか慣習化したものとばかり思っていたのですが、それ以上に何とも低次元かつ非合理的な話です。
ついでに、コミック版「大奥」1巻で「ご内証の方」の慣習について水野に説明している大奥総取締の藤波は「この規則は春日局が決めたことだ」などと述べていますが、実際にこの慣習が正式に定められたのは春日局の死後、2代目の大奥総取締となったお万の方の時代です。
藤波にしてみれば、とにかく「ご内証の方」という慣習が持つ問題を何とかして処理することの方が最優先課題で、「いつ定められたのか?」という歴史考証など些細なことでしかなかったのかもしれませんが、何ともマヌケな話ではあります(笑)。

一般的に伝統や慣習の中で「悪習」とされるものは、それを作った当時は合理的で意味のある決まりだったものが、時代が進むにしたがって遅れた考え方になったり、現実と合わなくなって非合理的なものになったりするパターンがほとんどです。
ところがコミック版「大奥」における慣習は、それを作った瞬間からすでに現実と合わない非合理的な「悪習」になっているものが多く、「作った当時における合理性」というものすら全く見出すことができないのです。
たとえば、コミック版「大奥」によく出てくる慣習の中に「お褥すべり」という決まりがあります。
「お褥すべり」という言葉&慣習自体は史実の江戸時代にもあり、こちらは当然「30~35歳以上の【女性】は将軍と性交できない」という決まりです。
しかし、史実の江戸時代における「お褥すべり」は、高齢の女性と性交しても妊娠・出産について年齢的な限界がある、という意味合いが強い慣習ですし、医学が進んだ現代でさえ、40代以上の女性が妊娠&出産するのは身体的に難しく難産も多くなると言われています。
性交は男女問わず何歳になっても可能ですが、妊娠・出産には女性の身体的な問題があるわけですし、江戸時代における医学水準を鑑みれば、この慣習も江戸時代当時には一定の合理性が存在したわけです。

ところがコミック版「大奥」には、「35歳以上の【男性】は将軍と性交できない」という「【性交に関する】年齢制限」があり、その一方で、妊娠・出産を司っているはずの女性には「【性交に関する】年齢制限」が全く存在しません。
言うまでもないことですが、妊娠・出産を司っていない男性は、性交ができる限りにおいて、高齢になっても子作りを続けることが可能です。
「お褥すべり」の本来の対象はあくまでも妊娠・出産に関する年齢制限がメインなのであり、男女間の性交はその付属物に過ぎない、という観点から言えば、男性に「お褥すべり」なる慣習が存在するのは明らかにおかしな話です。
しかも、ただでさえ「大奥」世界では「赤面疱瘡」の蔓延によって男性人口が激減しており、史実の江戸時代以上に子作りが極めて重要な位置付けとなっているのです。
さらに、20歳以上の男性は、12~17歳を主な感染対象とする「赤面疱瘡」にかかりにくいという利点もあり、その点でも高齢の男性は「安全確実な子種の供給源」として大きな存在価値を有しています。
その貴重な「種馬」をわざわざスポイルするような「お褥すべり」の慣習は、非合理どころか「社会的な自殺行為」もいいところではありませんか。
何故このようなおかしな慣習が「大奥」世界で成立しえたのか、全くもって理解に苦しみます。

また、コミック版「大奥」における大奥の性交システム、および将軍(女性)と側室(男性)の性交の描写も、単に史実の江戸時代における大奥のそれを逆転させただけの「極めて非合理的」なシロモノです。
いくら側室たる男性が多数いたところで、妊娠・出産できる女将軍はただひとり、という時点ですでに一般的な後宮システムと比較して非合理もはなはだしいのですが、それに輪をかけてさらに非合理なのが「わざわざ父親が分かるような性交を行っている」点です。
コミック版「大奥」では、徳川5代将軍綱吉の父親である桂昌院や、7代将軍家継の父親・月光院が、その立場を利用して大奥内で権勢を誇っている様子が描かれています。
しかし、そもそもこのような体制を実現するためには、「父親が誰であるかが分かる」ような性交を行う必要があります。
現代の民法733条には、妊娠している子供の父親が誰であるかという問題を解消するために、離婚後6ヶ月間、女性は再婚することができないという規定があります。
この民法733条の規定を「大奥」に適用すると、「大奥」における女将軍は、ひとりの側室との最後の性交から6ヶ月間は、父親認定の観点から一切の性交ができないことになってしまいます。
「再婚」ではなく「性交」の観点から女性の身体的に最短の時間で考えるとしても、女性は性交してから妊娠するまで3週間~1ヶ月程かかるわけですし、発覚が遅れる事態があることも考えれば、それでも側室が代わる際には最後の性交から2ヶ月程度は性交禁止期間が置かれると考えるべきでしょう。
「大奥」世界において、女将軍から産まれた乳児の父親が誰であるのかを判定するためには、こういうプロセスが絶対的に必要なのです。

しかし、「暫定的な」女系中心社会である「大奥」世界において、わざわざ父親が誰であるかを判別・認定する意味などあるのでしょうか?
一般的な後宮システムにおいてさえ、君主の母親は「外戚」として強大な権勢を誇り、他の臣下との間で凄惨な権力闘争が勃発したり、国政をメチャクチャにしたりした事例が多々あります。
コミック版「大奥」においても、徳川5代将軍綱吉の父親である桂昌院が江戸城内で大きな権勢を誇り、娘である綱吉に「生類憐れみの令」をゴリ押ししたという作中事実が存在するのです。
男女逆転したところで「外戚」の問題は全く変わりようがありません。
しかも、コミック版「大奥」における女系中心社会はあくまでも「仮の措置」でしかなく、「本筋の」男系がいつでも取って代われる危険性をも有しているのですから、「外戚」の脅威は一般的な後宮システム以上ですらあるかもしれないのです。
徳川家にとっても国政にとっても脅威以外の何物でもない「外戚」を作らなければならない「合理的な」理由など、どこを探しても見つけようがないのではないでしょうか。

ではコミック版「大奥」における「大奥の正しくかつ効率的なあり方」とはどういうものなのか?
一夫多妻制の最大の利点が「ひとりの男性が複数の女性に種付けできる」ことにあるとすれば、一妻多夫制の存在意義は「ひとりの女性の卵子に複数の男性が精子を連射できる」ことにあります。
これから考えれば、一妻多夫制的なシステムになっている「大奥の正しくかつ効率的なあり方」というのは、「ひとりの女将軍に対して最低でも数人、場合によっては十数人以上の男性が群がり、18禁的な乱交ないしは輪姦同然のセックスで、妊娠が確認されるまでとにかく無制限に膣内射精を続けまくる」という形態にでもならざるをえないのではないでしょうか。
こういう形態であれば、性交相手を変える毎に少なからぬ性交禁止期間を置く必要がなくなり、その分女将軍は「子育て」に専念することができますし、また「外戚」の存在自体を完全に排除することもできます。
作中における大奥の性交システムは、世継ぎがマトモに生まれる方がむしろ僥倖とすら言えてしまうような構造的欠陥を抱え込んでいる以外の何物でもないでしょうね。

コミック版「大奥」における男女絡みの慣習は、史実の江戸時代に存在したそれを無条件に男女逆転して適用したものになっています。
しかし、慣習というのは元々「それが発生するための過程や一定の合理性・必然性」というものがあり、また男女の地位が逆転したからといって男女の身体的な特徴や違いまでもが変化するわけではありません。
それを無視してただ慣習を男女逆転に引っくり返したところで、江戸時代当時の人間ですら考えられないほどに支離滅裂で意味不明な「悪習ですらない何か」にしかなりえないのです。
「男女の違いに関する考察」という最も基本中の基本的な要素が、コミック版「大奥」には根本的に欠けているようにしか思えないのですけどね。

次回は「大奥」世界における大名統制について検証する予定です。

TOHOシネマズが映画料金の引き下げを発表

シネコン最大手のTOHOシネマズが、映画料金を現行の1800円から1500円に値下げすると発表しました。
今年の3月より栃木、長野、山梨、広島、長崎、鹿児島の6県6劇場で試験的に導入され、来年春より全国の劇場で適用される予定とのこと。

http://www.cinematoday.jp/page/N0029751

実は映画料金というのは、ここ数年で様々な割引サービスが登場し実質的な金額は下がっているのですが、基本料金そのものは1993年以降、全く改定が行われていませんでした。
シネコンの中でも最大手のひとつとして数えられるTOHOシネマズの今回の決定は、そのような映画料金のあり方に一石を投じるものになるのではないでしょうか。

ただ一方で、シニア割引は対象が現行の60歳から65歳に引き上げ、レイトショー割引が取り止めを検討されているなど、これまで恩恵を受けていた一部の映画料金は割高になる可能性があります。
レディースデーやファーストショーなど様々なサービスが入り乱れて複雑化している現行の割引料金を見直し、シンプルな料金体系にして集客を増やしたいという狙いがあるようなのですが、これがどのような結果を招くことになるのか、映画ファンとしては注視していきたいところです。

映画「ソーシャル・ネットワーク」感想

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映画「ソーシャル・ネットワーク」観に行ってきました。
世界最大のSNSに成長したFacebook(フェイスブック)の創設者で、天才肌ながら奇矯な人物として描かれているマーク・ザッカーバーグと、彼の親友だったエドゥアルド・サベリンの2人を軸に展開する、ノンフィクションの人間ドラマ作品です。
作中では男女が絡み合ったり、女性が服を脱ぐシーンが含まれていたりするためか、この作品はPG-12指定されています。

映画「ソーシャル・ネットワーク」は、天才であるが故に反社会的な振る舞いが目立つ主人公に凡人が振り回され、そこから亀裂が生まれて訴訟にまで至る、という構図で物語が展開していきます。
この映画のストーリーは、作中でも展開されている裁判の当事者となっているエドゥアルド・サベリンの視点に基づいた証言を元に構築されているとのこと。
作中におけるエドゥアルド・サベリンは、マーク・ザッカーバーグの早口かつ奇矯な言動と、自分に無断で進められる会社運営の数々に振り回されるわ、タチの悪い女には引っかかるわと、見ていて思わず同情したくなってしまう不幸っぷりで描かれています。
その一方で、主人公たるマーク・ザッカーバーグは、物語冒頭ではエリカという女性に早口で奇矯な言動を披露してフラれ、その腹いせに彼女の悪口雑言をブログに書き殴った挙句、ハーバード大の女性の顔を格付けするサイト「フェイスマッシュ」を即興で作成・公開し、大学から処分を受けるなど、序盤から「天才とバカは紙一重」を地で行く人物として描写されています。
ちなみにマーク・ザッカーバーグをこっぴどくフッたエリカ・オルブライトは、物語の最後でFacebookにアカウント登録していることが明らかになるのですが、誰がFacebookを創設したのか当然知っているでしょうに、そこに自分の個人情報を載せるなんて凄く豪胆な女性だなぁ、というのが感想でしたね(苦笑)。

マーク・ザッカーバーグとエドゥアルド・サベリンの関係は当初良好だったのですが、音楽無料配信サービス「ナップスター」の創設者であるショーン・パーカーが2人に接近し、Facebookの運営に関与するようになってから仲が急激に悪化します。
天才肌同士で意気投合し、Facebookを飛躍的に拡大していくマーク・ザッカーバーグとショーン・パーカー。
それに対し、地道な努力が全く報われず、プライベートではヒステリー女の口撃に晒されるエドゥアルド・サベリン。
ショーン・パーカーに敵意を抱き、マーク・ザッカーバーグに対しても不信感を抱いたエドゥアルド・サベリンは、2人に無断で会社の口座を凍結させてしまい、さらにそのことで所持していた株の大部分を剥奪されるという報復を受けた結果、訴訟にまでもつれ込むことになります。
ただ、作中におけるエドゥアルド・サベリンの行動は、個人的には「理解や同情はできても共感や賛同はできない」というのが本音だったりします。
動機が「会社の悪事を暴く」的なものですらないばかりか、彼の勝手な行動が創業期のFacebookの活動に少なからぬ障害を与えかねないものだったことは事実なのですし。
常識的な行動に終始しすぎて努力が空回りしていた、という側面が否めないですね。

この親友2人を当事者とする訴訟とは別に、「ソーシャル・ネットワーク」ではもう1件、「Facebookは自分達のサイトを盗作して製作した」とする「ConnectU論争」と呼ばれる訴訟が取り上げられています。
知名度的にはこちらの方が有名な話のようなのですが、映画の中では扱いが比較的小さい上、原告であるウィンクルボス兄弟&ディヴィヤ・ナレンドラの主張に対し、被告たるマーク・ザッカーバーグは「聞く耳持たない」的な態度に終始していました。
原告側の人物描写も「姑息」「権威主義」といった類の言葉で全てが表現できるような言動ばかり披露される始末で、こちらについては同情すらもできませんでしたね。
こちらの裁判は結局、Facebook側が原告に対し6500万ドルの和解金を支払うことで終息したとのこと。

マーク・ザッカーバーグがほとんど無茶苦茶かつ好感度ゼロな人物として描かれているにもかかわらず、微妙に観客を惹きつけるキャラクターになっていたのは面白かったですね。
映画のモデルにされた「本物」のマーク・ザッカーバーグも、映画制作の際の取材は拒否したものの、完成した映画は映画館を借り切ってFacebook社員全員と観賞したのだとか。
本人談によれば、映画の中で描かれている自身の言動や動機に関して異を唱えているものの、作中に登場する衣装や俳優の演技などについては高く評価しているのだそうです。

2011年1月現在、Facebookは未だ日本SNS最大手の一角すら担えていない惨状を呈しているのですが、映画「ソーシャル・ネットワーク」は果たして日本SNS市場におけるFacebookの起爆剤となりえるのでしょうか?

映画「アンストッパブル」感想

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2011年映画観賞のトップバッターを飾る最初の映画は「アンストッパブル」。
新米機関士扮するクリス・パインと勤続29年のベテラン機関士役であるデンゼル・ワシントンが主役を演じる、トニー・スコット監督作品です。

映画「アンストッパブル」のストーリーは、2001年5月15日にアメリカのオハイオ州で実際に起こったCSX8888号暴走事故をベースに進行していきます。
CSX8888号暴走事故とは、47両編成の貨物列車が、操車場から約2時間、最高51マイル(約82km)ものスピードで暴走した事件のことを指します。
貨車の中に有毒で燃えやすい溶解フェノールを満載している車両があり、脱線した際には大惨事が予測されたため、州警察と鉄道会社による大規模な停車作戦を展開されたわけです。
映画「アンストッパブル」で777号という機関車が牽引する39両もの貨物列車が暴走するに至った経緯はCSX8888号暴走事故とほぼ同じ。
また、作中で州警察と鉄道会社が行い、失敗に終わっている暴走列車の停止作戦のいくつかは、CSX8888号暴走事故でも実際に用いられていたものです。
実際の事件を元にしたエンターテイメント作品、という点では、以前に紹介した映画「パーフェクト・ストーム」に通じるものがあります。

ただ、ひたすら実際の事件に忠実に作り過ぎてエンターテイメントしては却って失敗した感のある「パーフェクト・ストーム」と異なり、「アンストッパブル」では映画ならではの人物描写や演出が随所に追加されています。
CSX8888号ならぬ777号の暴走速度は優に70マイル(約112km)を超えていましたし、また最大の見せ場としてペンシルバニア州スタントン郊外にあるという90度の方向に曲がる急カーブ(序盤から存在が明示されている)が用意されています。
また架空の列車停止作戦として、別の機関車を暴走列車の前方に回り込ませて追突させ、減速させつつヘリコプターから人を乗り込ませるという、無謀な上に無残に失敗した挙句重傷者まで出た作戦(実際のCSX8888号暴走事故では、列車を暴走させた機関士が軽傷を負った以外には死者も負傷者も出ていない)も展開されていました。
無能な上司が悪戯に事態を悪化させていき、ラストで無様な扱いを受けるというのもハリウッド(に限らず)映画ならではのお約束ですね。

暴走列車および無残に失敗していく停車作戦の迫力満点な描写、および主人公2人の機関士の掛け合いエピソードやアクションシーンの数々は、ハリウッド映画としては充分に見応えのある出来と言えます。
今年最初の映画としてはまずまずのスタートですね。

コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】

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よしながふみ原作のコミック版「大奥」検証考察。
3回目の検証テーマは【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】となります。
過去の「大奥」に関する記事はこちら↓

映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】

コミック版「大奥」の2巻および3巻では、キリシタンの排除と江戸幕府の交易独占を大義名分に、実際には「赤面疱瘡」の大流行とそれに伴う男性人口の激減を諸外国の目から隠すという意図の下、国を閉ざす、いわゆる「鎖国」体制が構築されていくことになります。
2巻では春日局が、3巻では家光(女性)が、諸外国に日本の現状を悟られないようにすることを主目的に、それぞれ「国を閉ざす」政策について言及しており、周囲の人間が「素晴らしい政策です」「何と優れた女傑か」とその「英断」を絶賛している様子が描かれています。
しかしこれ、隠蔽手段として本当に正しく機能しえるものだったのでしょうか?

そもそも「鎖国」という言葉と概念自体、17世紀当時は全く存在しないシロモノだったりします。
実は「鎖国」という言葉は、徳川5代将軍綱吉の時代に来日したドイツ人エンゲルベルト・ケンペルが著した「日本誌」の章のひとつ「日本国において自国人の出国、外国人の入国を禁じ、又此国の世界諸国との交通を禁止するにきわめて当然なる理」を、1801年に当時の蘭学者・志筑忠雄が翻訳してまとめた際に作った新造語を起源としており、その著書「鎖国論」が初出とされています。
19世紀に生まれた造語が17世紀当時に使われているわけがなく、実際、江戸幕府が「鎖国令」なる名前の命令を出したことはただの一度たりともありません。
一般に「鎖国令」と呼ばれているものは、

・ 奉書船以外の海外渡航および海外移住5年以上の日本人の帰国を禁止(1633年)
・ 長崎に出島を築造(1634年)
・ 日本人の海外渡航および帰国を全面的に禁止(1635年)
・ ポルトガル人を出島に集める(1636年)
・ ポルトガル船の来航禁止(1639年)

の5つの命令を、後世の人間が後付で命名した俗称に過ぎないのです。
しかも「鎖国」体制下では別に長崎の出島「だけ」で対外貿易が行われていたわけではなく、他にも3箇所、幕府から特例として認められていた外国貿易の窓口が存在します。
具体的には以下の通り↓

蝦夷口――松前藩による蝦夷地アイヌとの貿易
対馬口――対馬藩による李氏朝鮮との貿易
薩摩口――薩摩藩による琉球王国との貿易

琉球王国は1609年に薩摩藩の侵攻を受けて以降は薩摩藩の支配下に入り、薩摩藩への貢納や江戸幕府への使節派遣を行う一方、支那に君臨していた明王朝およびそれに取って代わった清王朝に対しても朝貢を続けていました。
そして、この琉球王国の微妙な立場を利用して、薩摩藩は琉球王国を中継点とした対支那貿易をも行っていたわけです。
さらに史実を紐解いてみれば、長崎の出島および3つの特例貿易窓口以外にも、貿易の巨利に目が眩んだ大商人による密貿易もまた後を絶たず、さらには財政難を理由に藩ぐるみで密貿易に乗り出し多くの関係者が処分された事例(竹島事件)も存在します。
もちろん、貿易の利益を独占したい幕府は、しばしば禁令を出して密貿易の取締りを行っていますし、特例で認めた3藩についても、渡航船の数や貿易の規模について一定の制限を課してはいました。
しかし、それでも巨万の利益が得られる密貿易は後を絶たず、ついに幕末まで完全に根絶することはなかったわけです。
いわゆる「鎖国」というのは、一般に思われているほどに「閉ざされた」体制ではなく、抜け穴がいくつもあるシロモノだった、ということですね。

さて、ここでコミック版「大奥」に話を戻しますが、上記の「鎖国」事情を鑑みれば、作中で語られている「国を閉ざして日本の国情を外国に知られないようにする」がいかに荒唐無稽な構想でしかないことがお分かり頂けるでしょう。
対外貿易を「公に」行っているのが長崎の出島1箇所ではないという時点ですでに「国を閉ざして情報封鎖」構想は瓦解しているのですが、さらに密貿易の存在がそれに追い討ちをかけているわけです。
密貿易すら根絶できないというのに、他国との貿易に際して「赤面疱瘡」絡みの情報統制を完璧に行うなど土台無理な話です。
しかも、「赤面疱瘡」の存在も、それによって日本の男女比率が著しく変わっているという事実も、「大奥」世界の日本人ならば誰でも知っている「当たり前の常識」でしかありません。
「機密を守る一番の方法は、機密の存在そのものを隠蔽し少人数のみで情報を独占すること」という鉄則から考えれば、「赤面疱瘡」絡みの情報ほど機密に向かない情報もないでしょう。
ただでさえ非合法的な密貿易の中で「赤面疱瘡」絡みの情報統制が万全に行われるなど夢物語もいいところで、密貿易が実施されるどこかの過程で確実に「赤面疱瘡」関連の情報は外国の人間に漏れてしまうのは必至というものです。
密貿易の取締以上に至難の業である「赤面疱瘡」絡みの情報統制が完璧に行えると豪語し、それを絶賛する作中の登場人物達が、私にはどうにも滑稽に思えてならないのですけどね。

また、他国との貿易を介して「赤面疱瘡」絡みの情報どころか「赤面疱瘡」そのものが海外に流出し、日本のみならず世界中に広がり猛威を振るう可能性というのはないのでしょうか?
山村の片隅で発生した「赤面疱瘡」が10年ほどで関東一円を、さらに10年で日本全土に蔓延したという作中事実から考えれば、たとえ長崎の出島限定の貿易でさえ「赤面疱瘡」が海外に進出しても何らおかしなことではありません。
ましてや、出島以外にも対外的な貿易口があり、さらには密貿易まで横行している「鎖国」体制では、むしろ「赤面疱瘡」が外国に拡散しない方が変というものです。
「赤面疱瘡」が治療どころか防疫すら困難を極める病気であることは、作中で江戸城内にあるはずの「大奥」内部で「赤面疱瘡」が発生し死者まで出ていることからも明らかです。
まあ「赤面疱瘡」が世界中に伝播して世界各国が壊滅的な大ダメージを被れば、実はそれ自体はむしろ日本の国益および安全保障にかなうことではあるのですが、そうならないのは全くもって不思議な話としか言いようがありませんね。

あと、「鎖国」体制の問題を考える過程でふと思いついたことなのですけど、他国との貿易を行うに際して「20歳以上の男性を輸入する」という選択肢は考えられなかったのでしょうか?
「大奥」世界における男性は「赤面疱瘡」の大流行により激減しており、その貴重な人材の確保は大都市である江戸でさえ汲々としている惨状を呈しています。
しかし海外に目を向ければ、そこには当然のように男性が数多く存在する現実があるわけです。
となれば、海外から男性を輸入し、子種の供給や労働の道具としてこき使い一攫千金を狙う、という人間がひとりくらいいても不思議ではないでしょう。
20歳以上の男性であれば「赤面疱瘡」の脅威からも(稀に感染することはあるにせよ)かなりの確率で回避することもできるわけですし、大量輸入すれば男女人口比率の改善及び人口増大にも寄与します。
しかも17世紀~18世紀中頃までは奴隷貿易が世界的に幅を利かせていた時代でもありますから、対外的な大義名分も充分に成り立ちます。
まあ対外貿易の結果、「赤面疱瘡」が外国でも蔓延するようになってしまったらこの手は早晩使えなくなってしまうわけですが、男性不足に悩んでいた「大奥」世界の日本であれば、商人や藩どころか幕府自身が男性輸入政策に積極的に乗り出しても不思議ではないと思うのですけどね。

次の検証テーマは、「大奥」世界における大奥の子作りシステムについて論じてみたいと思います。

コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】

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コミック版「大奥」検証考察シリーズ2回目。
今回の検証テーマは【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】です。
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちら↓

映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】

コミック版「大奥」2巻では、男女逆転の発端となる徳川3代将軍家光(男性)の死、およびそれに伴う春日局の策動が描かれています。
慶長9年7月17日(1604年8月12日)生まれで史実では慶安4年4月20日(1651年6月8日)・数え年換算で48歳まで生きるはずだった徳川家光(男性)は、「大奥」の世界では「赤面疱瘡」を患ったため、寛永9年(1632年)に31歳で病没します。
当時の家光には世継ぎがおらず、そのことに「徳川家の終焉」「戦国乱世の再来」と危機感を抱いた春日局は、家光の死の事実を隠蔽し、家光が20歳の時に江戸の町娘・お彩をレイプして産ませた娘・千恵を、4代将軍となる男児を産むまでの替え玉とすることを思いつきます。
作中ではこの春日局の決断を「さすが戦国の世を生きた女傑よ」と言わんばかりの高い評価を下しているのですが……。

しかし、大して考える必要もなく、これには大きな疑問が出てきます。
それは「家光の死が直ちに徳川家のお家断絶に繋がるわけではない」という点です。
徳川家には、江戸幕府の開祖である徳川家康の9男・10男・11男によってそれぞれ興された、後に「御三家」と呼ばれることになる徳川分家が存在します。
そして後年、徳川7代将軍家継が死去し、家光直系の血筋が途絶えた際には、御三家のひとつである紀州藩の紀州徳川家の当主だった徳川吉宗が8代将軍として迎えられています。
1632年の時点ではまだ水戸徳川家が興されていませんでしたが(水戸徳川家の勃興は1636年)、それでも家光の後釜に据えられる徳川一族の男子は立派に存在することになるわけです。
しかも、その中で最年少たる11男の徳川頼房でさえ家光より1歳年長なわけですから、若年層の男子を主な対象とする「赤面疱瘡」の脅威にもかなりの高確率で無縁でいることができます。
男子相続にこだわるのであれば、出自も怪しい家光の隠し子、それも女児などを替え玉にするよりも、分家筋の成人男性に将軍位を継がせる方が、当時の社会常識や慣習から言ってもはるかに現実的な選択というものではありませんか。
それを無視してわざわざ千恵姫を家光の替え玉とした春日局の決定は、あまりにも非常識かつ愚劣極まりないシロモノであったと言わざるをえないところです。

もちろん、史実から考えれば、8代将軍吉宗の代まで徳川分家の人間が江戸幕府の将軍になった例はないわけですから、春日局は「神の采配」に無理矢理操られる形で件の決断をさせられるに至ったのでしょう。
当の春日局は、徳川家というよりも、自身が可愛がっていた家光個人の血筋を維持するということに固執していたようですが、たかだか将軍個人の乳母風情がよくもまあここまで桁外れな越権行為をやらかしたものです。

春日局の横暴はとどまるところを知らず、家光死後から6年後の寛永15年(1638年)には、継目御礼のために江戸城に登城した公家出身の慶光院院主を城内に拉致監禁した挙句、脅迫同然のやり方で強引に大奥入りさせていたりします。
慶光院院主が容姿端麗&出自の高い身分であることを考慮したとはいえ、わざわざ寺社&公家勢力に公然とケンカを売る多大な政治的リスクを犯してまでやるべきことだったのでしょうか?
しかも、そこまでして手に入れた慶光院院主改め「お万の方」と家光(女性)の間に子供ができないと知るや、今度は一転して身を引くよう「お万の方」に命じる始末ですし。
徳川5代将軍綱吉の代に、同じ公家出身の右衛門佐(えもんのすけ)が自発的に大奥入りしていることを鑑みると、春日局のやり方は「平地に乱を起こす」極めて危険な手法と言わざるをえないですね。
後に春日局は、自身の行動について「戦の無い平和な世を守るため」などと自己弁護していますが、よくもまああんなことをして戦争が起こらなかったものだと私は逆に感心すらしてしまったくらいです。
「大奥」世界における春日局は、江戸幕府における「奸臣」「傾国の悪女」の第一号として歴史に記録されるべき人物と言えるのではないでしょうか?

次回は、「大奥」世界における「鎖国」体制について検証したいと思います。

コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】

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2010年の年末に、よしながふみ原作のコミック版「大奥」2巻~6巻、および公式ガイドブックを入手しました。
すでに購入済みの1巻も含め、これで当面の「大奥」シリーズの既刊本が全て揃ったことになります。
「大奥」については、映画版の劇場公開が宣伝されていた頃から「如何なる経緯から男女逆転という社会システムの変遷が実現したのか?」という疑問が気になって仕方がなかったんですよね。
そのため、以前から「大奥」の刊行本を検証しようと考えていたのですが、ようやくそれが可能な体制が整ったわけです。
そんなわけで、今回からいくつかのテーマに分けて、コミック版「大奥」の設定および問題点についての検証考察を行っていきたいと思います。

記念すべき第1回目を飾ることになる今回の検証テーマは【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちら↓

映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

コミック版「大奥」では、徳川3代将軍家光の時代に、12~17歳までの若い男性(ごく稀にそれ以降の年齢の男性も罹ることあり)に発症する「赤面疱瘡」なる謎の奇病が大流行して男性人口が激減した結果、男女逆転の世界が実現したとされています。
「赤面疱瘡」の致死率は80%と極めて高く、1巻で農民のひとりが発症から4日後に死んでいること、また3巻では、春日局が病で倒れた9月10日から死に至る9月14日までの間に、家光(女性)の側室である「お楽の方」とその部屋子が「赤面疱瘡」を発症し死に至っていることなどから、発症から死に至るまでの時間は最大でも数日程度と考えられます。
映画版「大奥」では、吉宗のお忍びの際に「赤面疱瘡」に罹った人間のシーンがいくつか出てくるのですが、アレは発症から死に至るまである程度の時間的余裕があるかのような描写だったんですよね。
これから考えると、「赤面疱瘡」は(男性限定ながら)ペスト以上の感染力と致死率を誇る病気、ということになります。

では、「赤面疱瘡」というのは実際にどれくらいの人間が感染し、日本の人口を具体的にどの程度減少させたのでしょうか?
実はコミック版「大奥」では、具体的な人口激減数について全く触れられていません。
作中の人口激減は「男子の人口は女子のおよそ4分の1で安定」「日本の男子の人口は女子の半数まで減少」といった「男女の人口比率」的なものでしか表現されておらず、肝心要の「実数」が全く書かれていないのです。
史実の江戸時代初期における日本の人口については、当時まだ全国的な統計が行われていなかったこともあり諸説あるのですが、だいたい最小1200万人から最大2000万人までの範囲にほとんどの説が収まっています。
その中間を取って当時の日本の人口を1600万人と仮定すると、「赤面疱瘡」流行前の男性人口は男女比率1:1で約800万人。
そこから「男子の人口は女子のおよそ4分の1で安定」というところまで減少するとなると、単純計算で約600万人以上もの男性が「赤面疱瘡」で死んでいるということになります。
実際には「赤面疱瘡」が大流行している間にも新たに出生してくる男児もいる状況で人口激減が発生しているわけですから、「赤面疱瘡」の病死者は男児の出生者数をさらに加算した数値になることは確実です。
「赤面疱瘡」は男性人口を著しく減らしているというだけでなく、日本の人口そのものをも大きく激減させている。
至極当然の話なのですが、コミック版「大奥」の問題を語るには、この基本中の基本的な事実をまずは踏まえておく必要があります。

さて、ここで問題となってくるのが、史実における江戸時代中期の日本の人口です。
徳川第8代将軍吉宗の時代、享保の改革のひとつとして全国的な人口調査が行われるようになりました。
これは1721年に行われたものが最初で、1726年以降は6年毎に改籍され、これによって日本の人口がある程度公式の文書から分かるようになったわけです。
その一番最初の調査によると、1721年当時における日本の人口は2606万5425人。
前述の江戸時代初期の推定人口と照らし合わせると、江戸時代の最初の100年ほどは明らかに人口が、それも飛躍的に増えているのが分かります。
しかもこの江戸時代の人口調査では、武士や公家を中心に調査の対象外となった人間が少なからずいることや、調査方法が地域毎に異なっていたことなどから、調査結果は実際の人口より400万人~500万人ほど少なくなっていると推察されています。
つまり、実質的な江戸時代中期の人口は約3000万人~3100万人。
ただでさえ「赤面疱瘡」が猛威を振るい、数百万単位の男性人口を消滅させている「大奥」世界の日本は、一体どのようなマジックを駆使すれば、約3000万人以上の人口を、それも史実の江戸時代中期頃に達成することができるというのでしょうか?
本来人口が右肩上がりになるはずの時期に人口が激減するというのは、それ自体が史実に反しているばかりか、大きな歴史改変要素にまでなってしまう、というわけです。

江戸時代前期に人口増大が発生した大きな原因としては、大規模な新田の開発が盛んに行われたことによる農業生産量の増大が挙げられます。
また、江戸を中心とする都市が商工業で発展し、人口が集中するようになった事情も見逃せません。
農村の出生率が増大し過剰になった人口を都市が吸収する、という、高度経済成長期にも見られた図式で、史実の江戸時代前期は人口が飛躍的に増えていったわけです。
ところが、「赤面疱瘡」の蔓延による人口激減という事態に直面している「大奥」世界の江戸時代では、農業生産量の増大どころか農村の維持すらも危ういというありさま。
当然、新たな新田の開発をやっている余裕などあるわけもなく、また人口が大幅に減ることで都市は拡大が不可能となり、さらには商工業も衰退を余儀なくされるという悪循環に陥るわけです。
「大奥」世界における日本の人口は、江戸時代中期になっても増大どころか現状維持さえも難しいと言わざるをえないところで、もうこれだけでも歴史に与える影響って少なくないと思うのですけどね。

「赤面疱瘡」による男性人口激減による男女逆転を織り交ぜつつ、政治や歴史的事件については史実の江戸時代と同じ流れで構成されている「大奥」の世界。
しかし「赤面疱瘡」は本来、それ自体が史実とは全く異なる流れの歴史を構築するだけの大きな改変要素であるにもかかわらず、それを無視して史実と同じ流れを無理矢理にでも辿らせようとする「神の采配」が、「大奥」の世界に大きな歪みと問題点を生み出してしまっているわけですね。
次回以降も、特定の検証テーマで「大奥」の問題点を取り上げていく予定です。

2010年映画観賞総括

2010年もあとわずかとなりましたが、今回はこの1年における映画観賞総括を行いたいと思います。

私が今年映画館に行って観賞した映画は総計35本。
これは年間の映画観賞本数としては過去最大の数値となります(今までの最高記録は2008年の24本)。
今年の映画観賞作品は以下の通り↓

 1.サロゲート
 2.ゴールデンスランバー
 3.パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々
 4.シャッターアイランド
 5.第9地区
 6.タイタンの戦い(3D版)
 7.ウルフマン
 8.グリーン・ゾーン
 9.パリより愛をこめて
10.プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂
11.アイアンマン2
12.ザ・ウォーカー
13.踊る大捜査線 The Movie3 ヤツらを解放せよ!
14.アデル/ファラオと復活の秘薬
15.プレデターズ
16.エアベンダー
17.インセプション
18.ソルト
19.魔法使いの弟子
20.特攻野郎Aチーム The Movie
21.バイオハザードⅣ アフターライフ(3D版)
22.-ザ・ラストメッセージ- 海猿
23.十三人の刺客
24.大奥
25.ナイト&デイ
26.エクスペンダブルズ
27.桜田門外ノ変
28.SP THE MOTION PICTURE 野望篇
29.ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1
30.SPACE BATTLESHIP ヤマト
31.キス&キル
32.ロビン・フッド
33.トロン:レガシー(3D版)
34.最後の忠臣蔵
35.相棒-劇場版Ⅱ- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜

今年はアクションを中心とした洋画もさることながら、邦画にも良作が多かったのが大きな特徴と言えますね。
邦画は観賞本数的には35本中10本と洋画には及ばなかったものの、純粋な本数としてはこちらも過去最高の数値を達成していたりします(これまでの邦画の最大観賞数は2006年と2009年の6本)。
1990年代の「邦画=駄作の代名詞」の評価が確立していた時代から考えると、ここ数年の邦画の隆盛は隔世の感があります。
特に「SPACE BATTLESHIP ヤマト」は、原作&SFファンとしての観点ではともかく、日本映画としては駄作的な評価に満ちていた前評を良い意味で裏切り、また苦手分野と言われていたSFX系の描写でもここまで出来るのだということを示してくれました。
邦画部門は、ストーリーが暗い上に盛り上がりに欠け冗長感もあった「桜田門外ノ変」以外は概ね高評価で、このまま発展し続けてくれれば、いずれはハリウッドをも凌ぐ大作だって作れるかもしれないという期待を抱きたくなりましたね。

一方の洋画は、今年一番の良作が「インセプション」、駄作が「シャッターアイランド」といったところですね。
実はこの2作品、どちらもレオナルド・ディカプリオ主演作品で、かつ「妻や子供を巡る問題」を扱っているという点でも共通点があるのですが、この両者の評価を大きく分けたのは結末部分です。
「インセプション」のラストが基本的にハッピーエンドに見えつつ、「回り続けるコマ」からバッドエンドな夢オチにも解釈しえる余地を残す意味深な結末で物語を締めているのに対し、「シャッターアイランド」はどう見ても「主人公の誇大妄想&精神障害が全ての元凶」と言わんばかりのバッドエンドで締めくくっています。
いかにもミステリーっぽい作品で謎解きを売りにしているような作品だったのに、あの何の捻りも身も蓋もないラストはいくら何でもあんまりだろう、と思わずにはいられませんでしたからねぇ>「シャッターアイランド」。
ハリウッド映画ならではの痛快なアクション物を楽しみたいのであれば「パリより愛をこめて」「ソルト」「エクスペンダブルズ」「ロビン・フッド」辺りがイチオシになるでしょうか。

記録的な「大豊作」に恵まれた2010年映画観賞。
今年の「大豊作」に感謝すると共に、来年は更なる多くの映画と出会える年になることを祈りたいものですね。

映画「相棒-劇場版Ⅱ- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜」感想

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映画「相棒-劇場版Ⅱ- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜」観に行ってきました。
警視庁の窓際部署である「特命係」の係長である杉下右京を主人公とするテレビ朝日系列放送の刑事ドラマ「相棒」の劇場公開映画第2弾。
なお、今作が私の今年最後となる映画観賞作品となります。

物語は、公安が中国系マフィアのアジトである船舶に強行突入するシーンから始まります。
強行突入は、マフィア側が自爆を敢行したことにより、マフィアの人間3人と公安の警察官1名の死という結末で表面的には決着し、これが本編で発生する警視庁占拠事件の発端となります。
それから7年後、警視庁の11階にある第11会議室では各部署のお偉方による定例の部長会議が行われていたのですが、その最中、警視庁内の12~14階で火災騒ぎが発生。
その混乱に乗じて、ひとりの男が拳銃を持って第11会議室に乱入。
定例部長会議に出席していた12名の幹部達を人質に立てこもる篭城事件が発生してしまいます。
警視庁内で特に担当する事件もなく暇をもてあましていた杉下右京と、その相棒でたまたま拳銃を持った犯人の姿を目撃していた神戸尊は、いち早く事件に対応。
杉下右京は、足にロープを繋いでビルの外壁を降下していき、会議室の外からデジタルカメラを使い、防弾ガラス越しに犯人の写真を撮ることに成功します。
その写真画像の分析から、篭城犯は元組織犯罪対策課の刑事だった八重樫哲也という人物であることが判明。
篭城犯がひとりであることが分かった警察上層部は、杉下右京が唱える慎重論を排して強行突入を決断。
一方、会議室に篭城し人質を取っているにもかかわらず、外に対して何故か何も要求することなく、人質達を問い詰めていく犯人。
そんな中、人質のひとりだった通信部長がおもむろに苦しみ倒れこみ、篭城犯がそれに駆け寄った一瞬の隙を突いて他の部長が一斉に篭城犯に襲い掛かり会議室内はもみ合いに。
ほぼ同時に強行突入も行われ、何とか人質は全員無事に確保されるのですが、混乱の中で篭城犯の八重樫哲也は自らの拳銃の弾に被弾して即死という結末に。
犯人の動機が一切不明、事件後の事情聴取でも人質となっていた幹部達は曖昧な証言しかしないなど不審な点が多いこの事件を、「相棒」の主人公である杉下右京と神戸尊が調査に乗り出す、という形でその後のストーリーは進行していきます。

残念ながら私はこれまでのTVドラマシリーズ「相棒」や劇場版1作目の映画はほとんど観ていないのですが、今作の「相棒-劇場版Ⅱ-」では警察組織の闇がテーマになっていますね。
警察を改革するために陰謀や謀殺に手を染めるという犯人側のスタンスは、同じく警察組織の問題点を扱っているTVドラマ&映画版「SP 警視庁警備部警護課第四係」シリーズともかぶるところがあります。
ただ、「SP」シリーズがアクションや危機感知等の超能力を駆使して犯人の意図を挫くのがメインの作品なら、「相棒」はひたすら冷静な推理と調査で犯人を追い詰めていくのが醍醐味といったところでしょうか。
一端捜査が行き詰まりを見せても、主人公である杉下右京はすぐさま次の手を考えて捜査を進展させてしまいます。
ストーリーのテンポは結構速いと言って良いですね。

物語のラスト付近では意外かつ突発的な大どんでん返しがあります。
全ての黒幕と言わんばかりの雰囲気をかもし出していた警察庁の大物と主人公が言い合いになり、いかにもこれから「見えない戦争」の開幕的なシーンで、それは誰も予想できない唐突な形で終わりを告げるのです。
その伏線自体は事前にきちんと張られていただけに、アレには全く良い意味で意表を突かれてしまいましたね。
あの展開は全くの「一見さん」である私でさえ驚いたくらいですから、古くからの「相棒」ファンは驚愕も良いところだったのではないでしょうか。
また、その結末も含めて、この映画は「次回に続く」的な終わり方をしています。

長年続いているシリーズ物作品の映画版ということもあり、作品の出来は問題ない水準と言って良いレベルかと。

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