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カテゴリー「映画観賞関連」の検索結果は以下のとおりです。

実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

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2010年10月に公開された映画「大奥」の原作となるコミック版「大奥」の1巻を購読しました。
男性人口の激減による男女逆転の江戸時代を描いた「大奥」の世界観には、宣伝を聞いただけでも疑問が多く、映画版を観てもその謎と疑問は解消されるどころか逆に増大する一方だったので、原作も当たってみることにしたわけですね。
今回は、映画版のストーリーの大部分を担っているコミック版「大奥」1巻との比較検証も兼ねて論じてみたいと思います。

コミック版「大奥」1巻だけを読んだ限りでは、映画版「大奥」はコミック版1巻のストーリーをほぼ忠実に再現している、というのが第一の感想ですね。
「赤面疱瘡」に関する説明から、水野佑之進の記録上の死→進吉に名を変えてヒロインと結ばれるという結末までの流れはほぼ同じ。
映画版で由来に関する説明が全くなかった「ご内証の方は大罪人として死ななければならない」という設定についても、1巻では「家光の時代に春日局が決めた」という以外の説明がなく、こちらもやはり説明不足の感は否定できません。
その由来は2巻以降で説明されているのでしょうが、映画版はこの説明不足な部分までそっくり忠実に移植しているわけです。
これから考えると、「大奥」は2巻以降の話も実写化される可能性があるのではないかという予測を立てたくもなってしまいますね。
1巻と同じく映画公開されるのか、TVドラマ形式になるのかは微妙なところですが。

その一方で、映画版「大奥」における徳川8代将軍吉宗に関するエピソードは、原作よりも大幅に強化されていたことが判明。
緑の草原を疾走する初登場の乗馬シーンと、家来1人を連れて江戸の町をお忍びで散策するシーンという、時代劇TVドラマ「暴れん坊将軍」を彷彿とさせる描写は原作には存在しません。
私はてっきり「原作にもそういう描写があった」とばかり考えていたのですけど、アレって映画制作スタッフのオリジナルシーンだったわけですね。
「露骨に狙っているなぁ」とは映画観賞当時から思っていましたが(笑)。

他にも、作中で水野佑之進が出世するきっかけとなった「鶴岡との一騎打ち」後のエピソード「鶴岡が水野佑之進を闇討ちした挙句に切腹する」シーンが映画版のみに存在したり、逆に大奥の「呉服の間」でなくなった針を探す原作のエピソードが映画版では省略されていたりと、ところどころで細かい部分での改変はありますね。
本筋の流れにはあまり関わらない部分ですが。

それと、原作・映画版共に「大奥には将軍護衛の役目もある」という設定があるようなのですが、どちらにも台詞やモノローグ以外でそれを裏付ける描写というものが全くと言って良いほどないですね。
そもそも、史実の江戸幕府には「書院番」という将軍の身を守る現代のSPのような役職が立派に存在していますし、江戸城および要地を警護する「大番」という役職も存在します。
他の役職と仕事が重複する、という一事だけでも、男性版「大奥」は非効率もいいところで全く存在価値が見出せません。
また作中でも、将軍護衛の役割を担っているはずの「大奥」の人間が、常に将軍に付きっきりで護衛しているような描写が全くありません。
将軍暗殺の刺客なんていつどこで襲い掛かるか知れたものではないのですし、護衛ならば「寝所」のみならずありとあらゆるところで付きっきりの護衛をやらないとマズいのではないかと思うのですけどね。
8代将軍吉宗の周囲にいる人間も基本的に女性ばかりですし、こんな状態で「大奥」の人間が将軍の護衛なんてできるわけがないでしょう。
これならば、男性の多くを「書院番」や「大番」に回し、訓練を重ねさせて錬度を高めた上で「専業の護衛」として任に当たらせた方がはるかに効率的です。
後宮システムとして全く機能しない男性版「大奥」が存続していること自体、壮大な無駄としか言いようがないのですが。

男性版「大奥」が将軍護衛の役割も担っている、という話を聞いた時に私が真っ先に連想したのは、神聖ローマ帝国(現在のドイツ)の領邦国家のひとつであるプロイセン王国の君主だった「兵隊王」フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(在位1713年~1740年)が創設した「巨人連隊(ポツダム巨人軍)」だったりします。
「巨人連隊」はとにかく「背が高い」男性ばかりを身分も出自も問わず集めて編成された連隊で、その構成員には莫大な契約金や給与・待遇などが保証され、閲兵などの訓練が徹底して施されました。
長身の男性を集める際にはカネを駆使した取引だけでなく、拉致誘拐などの強引な手段まで使われた上、知的障害者などまでもが問答無用で徴兵されたりしたため、その戦闘能力および費用対効果については多くの疑問が持たれていました。
何しろこの「巨人連隊」、実戦に参加したことはただの一度としてなく、兵達も隙あらば脱走しようと常に目を光らせていたばかりか、王の暗殺に動いたことすらあるというのですから、多額の維持費に対してのその「使えなさ」ぶりは想像を絶するものがあります。
軍隊としての機能性という観点から見ればこれほどまでに「無駄」としか言いようのない連隊もなく、実際、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世個人の道楽とまで酷評されていた「巨人連隊」は、その息子であるフリードリヒ大王(在位1740年~1786年)の代になって廃止されています。
その「巨人連隊」をさらに上回る「無駄」を、男性版「大奥」は多大にやらかしているようにしか思えないんですよね。
後宮システムとしても将軍護衛としても全く使えない男性版「大奥」の存在意義って一体何なのか、ますます疑問に駆られてしまうところです。

「大奥」の世界観には他にもまだ多くの疑問があるのですが、果たして2巻以降には私が納得できるだけの解答が用意されているのでしょうか?

映画「最後の忠臣蔵」感想

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映画「最後の忠臣蔵」観に行ってきました。
「忠臣蔵」として有名な元禄赤穂事件で生き残った赤穂浪士達の後日譚を描いた、佐藤浩市および役所広司主演の時代劇作品。

物語は、元禄赤穂事件で赤穂浪士四十七士が悲願を達成し泉岳寺に到着した後、大石内蔵助が寺坂吉右衛門(てらさかきちえもん)を呼び出し、事件の真実を後世に伝えることと、赤穂浪士の遺族に対する援助を行うよう密命を出したところから始まります。
その密命を受け寺坂吉右衛門が赤穂浪士から離脱してから16年後、最後の遺族を何とか探し当てて小判3枚を渡し終えたことで、寺坂吉右衛門は密命を無事達成します。
その後、寺坂吉右衛門は自分を庇護してくれている進藤長保(しんどうながやす)への密命終了の報告と、赤穂浪士の十七回忌法要のために京へ向かうことになるのですが、その途上、彼は討ち入り前に脱走したとされるかつての盟友・瀬尾孫左衛門(せおまござえもん)の姿を目撃します。
映画「最後の忠臣蔵」は、元禄赤穂事件の生き残りとなるこの2人を軸に話が進行していきます。

瀬尾孫左衛門は可音(かね)という16歳の女性と一緒に生活しており、執事か召使いのごとく彼女の世話をしています。
実はこの可音という人物は、大石内蔵助とその妾である可留(かる)との間に生まれた娘だったりします。
瀬尾孫左衛門は討ち入り直前になって、大石内蔵助から可留と生まれてくる子供(その時点ではまだ妊娠中だった)を密かに守り育て、どこかの家へ輿入れさせるよう命じられた結果、討ち入り直前に脱走することになったわけです。
物語序盤、可音は育ての親として自分を世話していた瀬尾孫左衛門を慕っているような発言を繰り返しますが、瀬尾孫左衛門は「自分は武士だから」という理由でその想いを拒否し続けます。
そんな折、心中事件を扱った人形浄瑠璃の小舞台場で、豪商である茶屋四郎次郎の息子である修一郎が、たまたま舞台を観に来ていた可音に一目惚れします。
父親である茶屋四郎次郎は、骨董の取引を通じて知り合いになった瀬尾孫左衛門に可音を自分のところに輿入れして欲しいと嘆願。
紆余曲折の末、可音は茶屋修一郎との婚儀と茶屋への輿入れを受け入れることになるのですが……。

映画「最後の忠臣蔵」は「武士としての忠義のあり方」というものについて考えさせられる作品ですね。
「最後の忠臣蔵」の主人公である瀬尾孫左衛門は「武士の忠義」というものを何よりも優先する男として描かれており、自分を慕ってくれる女性を振り切ってまでもそれに殉じようとします。
瀬尾孫左衛門の生涯は全て「武士の忠義」に捧げられており、その心は最後の最後まで自分の主筋であった大石内蔵助と共にあったわけです。
そのため、彼は大石内蔵助の密命を果たした後は「追い腹を切る」殉死の方針を最初から決めていたようです。
物語終盤では、可音を母親代わりに育ててくれた「ゆう」という女性から「お慕い申しております」「16年もお待ちしておりました」的な告白を受けていたにもかかわらず、瀬尾孫左衛門はそれを拒否して殉死するんですよね。
現代的な価値観からすればあまりにも理不尽な最期ですし、その後残されることになるであろう可音と「ゆう」の悲しみが理解できないのかと糾弾したかったくらいだったのですが、ただそれ故に「主人公の主人である大石内蔵助への忠義」の厚さが苛烈なまでに表現できているわけで。
この人、本当は元禄赤穂事件の際に大石内蔵助と行動を共にして一緒に死にたかったのだろうなぁ、というのがひしひしと伝わる最期でしたね。

理不尽といえば、そもそも瀬尾孫左衛門に自分の隠し子を託してその意に反する使命を与えた大石内蔵助もまた、理不尽としか言いようがないですね。
託す子供が、家もろとも叩き潰され存在すら許されなくなった自分達全ての主君であるところの浅野内匠頭またはその一族の隠し子、とでもいうのならばまだ話は分かるのですが、実際には大石内蔵助個人の、それも妾との間に「できちゃった」的に生まれた庶子でしかありません。
しかも大石内蔵助は、将来吉良家に討ち入りすることをすでに決定していたにもかかわらず、自分が面倒を見ることができない子供を作ってしまった上、わざわざ討ち入り要員を直前になって減らすというリスクを抱えてまで、討ち入り予定の部下を自分達から離脱させ後事を託しているわけです。
大石内蔵助の言動は無責任かつ公私混同もはなはだしいですし、またそんな私的な理由によって瀬尾孫左衛門の人生およびその評価を不当に歪めてしまってもいるわけです。
実際、作中では瀬尾孫左衛門が旧赤穂の家臣達に「裏切り者!」「臆病者!」と罵られ暴力を振るわれる描写もあったりします。
瀬尾孫左衛門にとっての主君は大石内蔵助だったようなので、瀬尾孫左衛門個人の忠義としては問題ないわけなのですが、肝心要の大石内蔵助による密命の動機が極めて個人的なものでしかない、というのはちょっとねぇ……。

作品としては極めて悲劇的に描かれていて、爽快感とはおよそ無縁なのですが、それ故に日本人的な情に訴える感動的な物語に仕上がっています。
「忠臣蔵」が好きな人なら観て損はない映画だと思います。

映画「トロン:レガシー(3D版)」感想

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映画「トロン:レガシー(3D版)」観に行ってきました。
アメリカ・台湾合作による1982年公開映画「トロン」の続編。
前作「トロン」で主人公だったケヴィン・フリンと、その息子で今作の主人公となるサム・フリンが活躍する作品となります。
ちなみに私は、前作「トロン」は全く観ないまま今作を観に行っています。

ストーリーは、一言で言えば「プログラムの叛乱」がテーマですね。
エンコム社の重役で前作の登場人物でもあるアラン・ブラッドリーの連絡で、これまた前作の主人公ケヴィン・フリンが運営していたゲームセンター跡に隠されていた秘密部屋の端末を動かしたことにより、コンピュータ世界・グリッドへ転送されてしまいます。
そこは父親の補佐役として作られた「クルー」というプログラムによる独裁体制が行われている世界。
グリッドに到着早々、主人公はグリッドの治安当局?に拉致されてしまい、グリッド・ゲームという生死を賭けたトーナメント方式の勝ち抜き戦を強いられる主人公。
その最中、グリッド・ゲームの会場に乱入し、主人公を救出する謎の女性クオラ。
クオラに連れられていった先で父親と再会することができた主人公は、元の世界に戻るべく活動を開始することになります。

作中に登場するライト・サイクルやライト・ジェットなどの乗り物については、前作「トロン」でも登場したものがほぼそのまま使われているとのこと。
28年前の当時は凄く新鮮かつ斬新なアイデアだったのでしょうが、CGが発達し、ああいう乗り物が映画やゲームの世界でも普通に見られるようになった今となっては、CGや演出についてはともかく、アイデアについては感動のしようがないというのが何とも言えないところです。
まあ3D描写を駆使したアクションシーンや演出そのものは良くできていたので、それを最優先目的として観る映画としてならオススメではあるのですけどね。

ストーリーや設定・世界観は、28年前の前作映画をそのまま引き継いでいる上、作中でも明確な説明がほとんどないため、全体的に分かりにくいところが多々ありましたね。
序盤に登場するゲームセンターの存在や、「行方不明の父親から連絡があった」と主人公を導くアランという登場人物は、前作を観ていなければ全く意味不明なエピソードでしかありませんし。
数年前にヒットしたシリーズの前作作品でさえ、予め復習しなければストーリーや設定を忘れやすいことを考えれば、ましてや28年も前の前作映画など、ストーリーや設定どころか存在すら知らない、という人がほとんどなのではないでしょうか。
しかも前作「トロン」自体、すくなくとも日本ではそれほど知名度の高い映画というわけでもない上、興行的にも失敗しているときているのですから。
前作から続く人間関係や世界観の繋がりといった「分かりやすさ」という点では課題が残る映画と言えそうです。

映画「ロビン・フッド」感想

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映画「ロビン・フッド」観に行ってきました。
12世紀末のイギリスを舞台に伝説上の無法者(アウトロー)にして弓の名手とされるロビン・フッドの活躍を描いた作品。

物語は、十字軍で有名なイングランドのリチャード獅子心王が、フランスのシャールース城を攻撃しているところから始まります。
主人公であるロビン・フッドことロビン・ロングストライドは、リチャード獅子心王の下で十字軍遠征にも従軍しており、シャールース城への攻撃で弓の名手としての実力を如何なく発揮します。
ただ、ロビン自身は十字軍遠征について肯定的ではなかったようで、軍内で喧嘩騒動を起こしてリチャード獅子心王直々の検分を受けていた際には、王の面前でアッコンの捕虜虐殺を批判していたりします。
リチャード獅子心王はロビンに感心しながらも拘束し、処罰を後回しにしてシャールース攻城戦を続けるのですが、その最中に矢を肩に受けあえなく戦死。
王の死でイングランド軍が混乱する中、ロビンは仲間によって救出され、イングランド軍から離脱します。

一方、フランスでは時の君主フィリップ尊厳王が、リチャード獅子心王の暗殺と、その死後を見越した対イングランドの策謀を巡らします。
ここで登場するのが、リチャード獅子心王の弟ジョンの親友であるゴドフリー。
ゴドフリーは、少人数の護衛のみで駆け抜けてくるであろうリチャード獅子心王を、森の中で暗殺する計画を立てます。
ただ、その計画が発動した時はすでにリチャード獅子心王は戦死した後で、結果的には王の遺品となる王冠を携えてイングランドへ帰還する途上の騎士ロバート・ロクスリー率いる部隊を襲撃することになります。
襲撃後にリチャード獅子心王の死を知ったゴドフリーは、王冠を奪って引き上げる方針に切り替えるのですが、そこにイングランド軍から離脱したロビン達が偶然にも遭遇。
戦闘の後、ゴドフリーから王冠を奪取することに成功したロビンは、事切れる寸前のロバート・ロクスリーの遺言を聞き、彼の剣を彼の父親に返すべく、イングランドのノッティンガムへと向かうことになります。
これが序盤のストーリーですね。

映画「ロビン・フッド」では、主人公が「弓の名手」ということもあってか、作中の戦闘では一騎打ちよりも矢戦に重点が置かれており、また要所要所でも弓矢を使った描写が多く盛り込まれています。
序盤のシャールース攻城戦やゴドフリーとの戦いも、ほとんど矢戦がメインの展開でしたし、その後の戦いやクライマックスな場面でも矢戦や弓矢が積極的に活用されています。
騎士の全軍突撃や一騎打ちの描写もないわけではないのですが、メインとはとても言い難い扱いだったりします。
矢戦をメインに据えた映画、といっても良いでしょうね。

また、リチャード獅子心王の死後、イングランドは弟のジョンが王位に就くのですが、これがまた凄まじいまでの暗君として描かれています。
イングランドのジョン王は「欠地王」とも呼ばれており、日本ではマグナ・カルタ(大憲章)とセットで語られることが多いのですが、ジョン王自身は別にマグナ・カルタを積極的に肯定していたわけではなく、相次ぐ失政と対外戦争の惨敗、それに伴う重税の数々で諸侯達から叛乱を起こされ、それにすら負けそうになって渋々ながら認めざるをえなかった、というのが実態だったりするんですよね。
そんなジョン王は、華々しい活躍をした先代のリチャード獅子心王と対比されることもあり、イングランド史上最悪の暗君とまで評されている始末です。
映画「ロビン・フッド」におけるジョン王もまた、最初はフランスのスパイである親友のゴドフリーの進言である税の強制徴収策を愚かにも採用し、ゴドフリーの意図通りに圧政の象徴として諸侯達から叛乱を起こされています。
ジョン王は最後の場面でも、諸侯達に認めると約束していたはずのマグナ・カルタを「神に選ばれた自分を制約するとは何事だ!」として破棄していたり、対フランス戦で活躍したロビン・フッドに嫉妬した挙句に「奴に対しては何をしても罪に問わない」という無法者(アウトロー)認定をしたりと、ロクでもないことを平気でやっていたりします。
対フランス戦で自ら率先して先頭に立ってイングランド軍の指揮に当たったシーンでは少々見直しもしたのですが、最後の場面で全てが台無しになりましたね、作中におけるジョン王の評価は。

あと、映画「ロビン・フッド」におけるマグナ・カルタは、石工だったロビンの父親が作ったということになっていたりします。
この辺りはフィクションならではの設定、といったところでしょうか。

映画「キス&キル」感想

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映画「キス&キル」観に行ってきました。
元CIAの凄腕スパイと、過保護な両親に育てられたお嬢様によるアクションラブコメディ。

この作品の最初の舞台は南フランスのニース。
それまで付き合っていた男にフラれたか何かで失意に中にあった(らしい)女主人公のジェンは、裕福な両親に連れられ、ニースへ旅行にやってきます。
そこで、たまたま現地で「敵」を始末する仕事をこなしていたCIAのスパイであるスペンサーと「運命の出会い」を果たし、2人は恋に落ちます。
スペンサーは、ジェンと結婚するためにCIAに辞職を叩き付け、上司の「お前は辞められんぞ」という声も無視してその場を後にします。
その後、スペンサーは自身の素性を隠したまま、ジェンの両親を説得し結婚。2人は家庭と新たな仕事を持つことになります。

それから3年後、アメリカの郊外で順調な結婚生活を送っていたスペンサーに、かつての職場であったCIAの元上司から、指定の場所に今日中に来るようにとの連絡がもたらされます。
奇しくもその日はスペンサーの誕生日で、自宅でパーティが行われることになっていたため、スペンサーは連絡を無視してパーティに出席。
その翌日、パーティの中で眠りこけてそのままスペンサーの自宅で一晩を過ごしていたスペンサーの仕事の同僚が、突然スペンサーを殺すべく戦闘用ナイフを振り回し襲い掛かってきます。
同僚の話すところによると、スペンサーには懸賞金2000万ドルがかけられたとのこと。
自宅をぶち壊しながら派手なアクションが繰り広げられる中、タイミング悪くその場に居合わせ、否応なくトラブルに巻き込まれていくヒロインのジェン。
ここまでで、ストーリー全体の3分の1くらいは占めているでしょうか。

映画の予告を見ていた時点で分かっていたことではありましたが、「キス&キル」のストーリー内容は、今年の10月に日本で公開された映画「ナイト&デイ」と相当なまでにカブっていますね。
運命の出会い、男が組織のエージェント、トラブルに巻き込まれるヒロイン、コメディタッチなアクション展開と、両者には多くの共通点があります。
しかも「キス&キル」も「ナイト&デイ」も、アメリカでは共に2010年6月に劇場公開されているんですよね(「キス&キル」が6月4日、「ナイト&デイ」が6月25日)。
ただ、「ナイト&デイ」のカップルはあくまでも「通りすがり」の段階からゴタゴタが始まって最後も「恋人同士」のレベルで終わっていたのに対し、「キス&キル」は結婚して家庭を築き、さらには作中で「おめでた」のエピソードまであるところが、違うと言えば違うところでしょうか。

「キス&キル」で2000万ドルの懸賞金目的からスペンサーを狙ってくる敵は、仕事の同僚だのご近所付き合いのあるオバサンだの宅配人だのといった「主人公達の身近にいる人達」ばかり。
彼らはご丁寧にも、3年もの間スペンサー一家を監視していたのだそうで、何ともご苦労様な話ではあります(苦笑)。
そして物語終盤、彼らを操る真の黒幕として、全く意外な人物が登場することになります。
その正体は、映画を観てのお楽しみということで。

「キス&キル」は、アメリカでは興行的にあまりふるわなかったのだそうで、この辺りもまた、トム・クルーズ主演のアクション映画としては過去20年の中で最低の興行収益だったと言われる「ナイト&デイ」と全く同じですね。
アメリカでは、アクションラブコメディの類ってあまり大衆受けしないのでしょうか?

映画「SPACE BATTLESHIP ヤマト」感想

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映画「SPACE BATTLESHIP ヤマト」観に行ってきました。
言わずと知れた、キムタクこと木村拓哉主演による、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の実写映画版。
ちょうど映画の日の初日だったこともあってか、スクリーンは満席とは言わないまでも結構客で埋まっていました。
ちなみにこの映画が、私が今年映画館で観た映画としてはちょうど30本目となります。

ストーリーの冒頭は、ガミラス艦隊の前に地球側の戦力が為すすべなく一方的に叩き潰されていく中、主人公である古代進の兄・古代守が、味方の撤退を援護すべく、艦隊司令沖田十三の命令に背く形でガミラス艦隊に特攻をかけていく話となります。
原作では生きて捕虜にされる(らしい)古代守ですが、実写映画版ではガミラス艦隊に一方的に乗艦を攻撃され続け、そのまま帰らぬ人となってしまいます。
一方その頃、主人公の古代進はというと、かつて所属していた軍を退役し、ガミラスによる遊星爆弾によって放射能で溢れ返った地上で防護服を着ながらレアメタルを探索する仕事に従事していたりします。
その仕事の最中、突如空からイスカンダルのメッセージを乗せたカプセルが至近距離に落下。
衝突の衝撃で防護服が吹き飛び、地上の致死量を超える放射能に晒される古代進ですが、何故か死ぬこともなくピンピンしていたりします。
実はこれが物語後半の伏線となるのですが、自身に何が起こったのか呆然として空を見上げる古代進の視界に、ガミラス艦隊に破れつつも唯一帰還してきた、艦隊司令沖田十三の艦が下りてきます。
こんな感じで物語は進行していきます。

映画「SPACE BATTLESHIP ヤマト」における登場人物達の設定は、上記で説明した古代兄弟の事例を見ても分かる通り、原作のそれをかなり改変しています。
たとえば、古代兄弟の両親がガミラスの遊星爆弾が原因で死んだ、という設定自体は同じなのですが、原作はそのままストレートに遊星爆弾の直撃が原因となっているのに対し、「SPACE BATTLESHIP ヤマト」では、遊星爆弾が地球に落下するのを防ぐために軌道を逸らす攻撃を古代進率いる部隊が行った結果、逸れた先にあった宇宙ステーションに遊星爆弾が直撃し、そこにいた古代兄弟の両親が死んだ、ということになっています。
このことが、物語序盤で古代進が軍を退役していた理由にもなっていて、劇中の古代進はやや陰があるキャラクターとして描かれています。
その一方で、兄を見殺しにして帰還した沖田十三に怒鳴り込みに行ったり、命令違反を犯してまでヒロインの森雪を救助に向かったりと、猪突猛進的な性格も健在だったりするのですけどね。

ただ、一番原作の設定から遠くかけ離れた存在となっているのは、やはり何と言ってもガミラスとイスカンダルですね。
ガミラスは原作ではデスラー総統を国家元首とする帝国ですが、「SPACE BATTLESHIP ヤマト」におけるガミラスは、それ自体がひとつの生命体的な存在で、作中のガミラス軍もその生命体の一部として描かれ、デスラーというのは「ガミラスの頭脳的精神体の呼称」だったりします。
かなりマイナーなたとえになるのですが、ゲームの「マブラヴ オルタネイティヴ」に登場するBETAに近い存在、というのが実態でしょうか。
デスラーは精神体のため、ヤマトの艦内に2回ほど直接出現し、主人公達に敵対的なメッセージを残していきます。
一方のイスカンダルも、ガミラスと表裏一体を為す精神体の呼称で、滅びゆく惑星と運命を共にしたくないガミラスの暴走から人類を救うため、地球にメッセージを届けたという設定です。
原作の「形を変えた国家間紛争」的な要素は全くないと言って良いですね。

作中で進行しているストーリーは、どちらかと言えば主人公を取り巻く登場人物達の人間ドラマを重視した展開がメインでしたね。
SFX系の描写も「日本映画としては」「ハリウッドと比較しても」迫力があって良く出来ている部類には入ると思います。
ただ、すくなくとも物語中盤までのSFX的な描写は比較的あっさり風味な感じで時間も少ないような印象を受けました。
ハリウッド映画でよく見られるような、とにかく手に汗握るギリギリのシーンを目一杯引っ張って観客を引き込む、みたいな描写がなく、本来ギリギリなシーンがあっさり終わってしまっている感じです。
物語後半におけるSFX的な戦闘シーンでも、「ここは俺が食い止めるからお前は早く行け!」的な描写で彩られていますし、特に終盤はヤマト最後の特攻絡みでこれまたお涙頂戴シーンに多くの時間が費やされていますからねぇ。
また、ヤマト最後の特攻シーンは、キムタクと同じSMAP仲間の草彅剛が主役を演じた2006年公開映画「日本沈没」のラストとかぶるものがありました。

沖田十三が名台詞「地球か……何もかも皆懐かしい」を一字一句正確に呟いた後に力尽きるなど、原作ファン向けのサービスも少なからず盛り込まれています。
ただ、前述のように作中の設定についてはかなりの改変が行われていますので、原作至上主義の方にはあまり相容れない映画ではあるかもしれません。
それでも、SFX的な描写も含め、日本映画としては決して悪い出来な作品ではないので、原作ファンもそうでない方も、機会があれば是非観に行かれることをオススメしておきます。

劇場公開映画の地域格差について

よく「都会と地方には格差がある」と言われますが、実は映画館の劇場公開映画にも立派な地域格差というものが存在します。
地方の映画館で上映されている映画は全体のごく一部でしかなく、特定の映画館でしか公開されていない映画や、地方によっては全く公開されない映画の存在も決して珍しいことではありません。

映画情報サイトの「シネマトゥデイ」で公開されている映画情報を確認すると、全国公開されている有名どころだけでなく、地方によっては全く上映されていないマイナーな映画の名前も数多く存在していることが分かります。

http://www.cinematoday.jp/

これらの映画は地方ではちょっとした宣伝広告さえ全く流されることがないため、映画館やTVのCMなどからでは存在すらも全く知ることができないのです。

2010年11月27日から全国の映画館で、ヴァンパイアが世界を支配する近未来世界を描いた「デイブレイカー」という作品が公開されています。
映画「デイブレイカー」の情報についてはこちら↓

http://www.daybreakers-movie.jp/

この映画、私は「シネマトゥデイ」でその存在を知ったのですが、あらすじを読む限りでは好みのジャンルだったので観に行こうかと上映映画館を確認したところ、何と熊本では劇場公開予定すら全くないことが判明。
全国47都道府県のうち、「デイブレイカー」が上映されているのはわずか17都道府県のみ。
九州では福岡・大分・鹿児島の3県だけ、中国地方では1県のみ、東北・四国に至っては上映する映画館自体なしと、映画を観賞できない地域の方がはるかに多いのです。

せめて県内1箇所だけでも上映されていれば、そこまで足を運んで観に行くこともできたのですけどね。
実際、2008年公開映画「ゲット・スマート」や、今年公開された映画「第9地区」「パリより愛をこめて」などは、行きつけの映画館では上映されていなかったので、いつもとは違う映画館までわざわざ足を運んで観に行った作品だったりします。
最低でも1都道府県内で1箇所だけでも上映されていれば、映画公開の地域格差もかなり是正されるはずなのですが(まあ北海道や離島などではそれでも厳しいでしょうけど)。

かくのごとき映画公開の地域格差が存在するのは、「上映しても利益が見込めないから」という映画館側の事情に拠るところが大きいでしょう。
特にPG-12やR-15作品などは、観客を限定することもあってか、内容が面白くても上映予定から外されやすい傾向にあります。
最近はシネコンの隆盛で、地方でも観賞できる映画は昔よりも増えているのですが、それでも限りがあるスクリーン数で全ての映画を一斉に公開するのは不可能なのですし、映画館側にしてみれば、できるだけ人気がある映画を優先的に上映し観客動員数と収益を増やさなければならないところですからねぇ。

ただ、そういう映画館側の事情を勘案しても、地方の一映画ファンとしては、やはり可能な限り全ての公開映画をフォローして欲しいところではあります。
特に私の場合、レンタルDVDやTVなどではほとんど映画を観ることがありませんし、「映画は映画館で観る」というこだわりがあるのでなおさらそう思わざるをえませんね。
劇場映画公開の地域格差も、市街地中心部にしか映画館がなかった時代に比べれば大幅に是正されてはいるのでしょうが、今後も更なる改善を進めて欲しいものです。

映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1」感想

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映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1」観に行ってきました。
「ハリー・ポッター」シリーズ最終章2部作前編。
この映画、元々は3Dと2D同時公開で、劇場用のCMでもそのようにアピールされていたのですが、「3D品質で完成させることができなかった」という製作側の事情により、2Dのみの劇場公開となっています。
真のシリーズ最終作品となるであろう後編のPART2では、3Dと2D同時公開となるようですが。

今作品は、ラスボスであるヴォルデモードの追っ手からひたすら逃げつつ、ヴォルデモードの死命を制する分霊箱のひとつを探し破壊するのがメインのストーリーとなります。
前作「ハリー・ポッターと謎のプリンス」でホグワーツ魔法学院の校長だったダンブルドアが殺害されたことにより、ヴォルデモードの勢力は飛躍的に増大。
ホグワーツ魔法学院はもちろんのこと、その上の魔法省までもがヴォルデモードの勢力によって乗っ取られ、ハリー・ポッターは指名手配犯として追われることになります。
全体的にこれといって派手なアクション描写はこれと言ってなく、また予告編にあった描写も今作品にはあまりありませんでしたね。
ラストは、ラスボスであるヴォルデモードが、前作で死んだダンブルドアの墓から、「死の秘宝」のひとつにして「最強の魔法の杖」であるニワトコの杖を取り出し、天に向かって雷を打ち放つところで終了。
全面戦争的な描写は後編に持ち越し、というところですね。

「ハリー・ポッター」シリーズは小説が原作な上、限られた時間内に話を無理矢理詰め込んでいるような急展開や唐突な新設定の登場などが多いため、映画版だけではストーリーや設定が追いにくい部分が多々あるんですよね。
映画版自体、シリーズ1作目の公開からすでに9年以上も経過しているわけですし、最初から観直さないと繋がりが理解しにくいのではないでしょうか。
私自身、映画版「ハリー・ポッター」シリーズは4作目(ハリー・ポッターと炎のゴブレット)と5作目(ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団)を観ていないこともあるのですが、主要登場人物はともかく、脇役や魔法アイテムの設定などで今ひとつ分からなかったところが少なくありませんでしたし。
この映画を観る際には、原作小説か既存の映画版でこれまでの話や設定を予め復習しておいた方が良いかと思われます。

テレビドラマ版「SP 警視庁警備部警護課第四係」エピソード3&4感想

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前回に引き続き、テレビドラマ版「SP 警視庁警備部警護課第四係」のエピソード3&4をDVDで観賞しました。

エピソード3は要人ではなく、証券取引法違反事件における重要参考人を警護するストーリー。
この重要参考人は色々と裏の事情を知り過ぎているため、逮捕して身柄を保護し証拠を自供させることは政治的な圧力がかけられており不可能。
かといって野放しにすれば、ここぞとばかりに「消される」恐れがあり、事件の立件もできなくなるためそれも論外。
かくして警視庁警備部警護課第四係に警護命令が下り、主人公達は警護の任につくことになるのですが、精神的に追い詰められていることもあってか、警護対象が何かとワガママをこねたりトラブルを起こしたりします。
それでも主人公の活躍もあり、何とか警護の任をこなしていく第四係の面々。
立て続けに襲撃されたこともあり、主人公の上司である尾形総一郎は警察上層部に対し警備体制の強化を訴えますが、あっさり却下されてしまいます。
しかも最後は、これまた政治的な都合により、殺害される危険性が全く消えていないにもかかわらず、突然重要参考人警護の任が解かれて終了。
どう見ても殺される結末が目に見えて分かってしまう重要参考人の哀れな命乞いが哀愁を誘いましたね。

エピソード4は主人公と尾形総一郎の因縁話、そして映画版ストーリーへの序曲となります。
必要最低限しかない人数と装備で苛酷な警護の任に当たっている現場の環境を改善することを目的に、尾形総一郎は警備部の改革案を提示するのですが、「予算が出ない」「目に見える危険がない」といういかにも官僚的な理由からあっさり却下されます。
これまでのSPシリーズの作中だけでも何度も要人襲撃事件が頻発しているのですが、警察上層部はよほどに事なかれ主義なのか、事件の存在そのものを全て「なかったこと」にしている始末でしたからね。
前の感想でも述べたように、物理的に隠すのは不可能なのではないかという事件でさえ、作中の警察は記録を強引に書き換えていましたし。

テレビドラマ版の最後を飾る話ということもあり、エピソード4は主人公と少なからぬ因縁を持つ人間が主要人物として登場します。
20年前の事件で主人公の両親を殺した山西。
その事件を裏で画策して政治家としての人気取りを行い、現職の総理大臣に就任している麻田総理。
事件当時に少年だった主人公は、主人公を庇いながら「私が事件を仕組んだのです」と言わんばかりにほくそ笑んでいた麻田を殺したいほどに憎んでおり、作中では自分が直接麻田を殺害する妄想シーンまで挿入されます。
しかしそれでも、その麻田総理を警護するという任務を、復讐心から殺害せんとする山西の前に「動く壁」として立ちふさがり、あくまで仕事を遂行する主人公。
映画版エピソード5の前半(野望篇)で、「麻田総理が主人公のことを気に入っている」という会話があったのですが、それってここから来ているわけですね。

事件解決後、警察内部の情報を流していた西島理事官なる警察上層部の人間を公安部が逮捕に動くのですが、公安が踏み込む前に被疑者は自殺に見せかけて殺害されていました。
この人物、実は尾形総一郎の卒業大学の先輩に当たる人物で、最後のシーンではその死について尋ねられた尾形が「仕方ないだろ……大儀のためだ」という謎の言葉を呟きます。
そして、たまたまその言葉を聞いていた主人公と尾形総一郎が一対一で対峙するシーンで、ドラマは終了します。
テレビドラマだけ観ていたら「本当の戦いはこれからだ!」的消化不良な終わり方(まあ「つづく」という文字は出ていましたけど)ですが、これがそのまま映画版のエピソード5へと続いていくわけです。

エピソード3&4では、主人公の過去話や尾形総一郎が警察の問題点として改革したがっている問題他、様々な伏線が色々な形でクローズアップされていて、映画「SP 野望篇」でも言及されています。
映画版のSPシリーズを観るのであれば必須で抑えておかなければならない箇所ですね。
伏線については前編である映画「SP 野望篇」でもほとんど説明されていないので、後編となる「SP 革命篇」で収束していくことになるのでしょう。
テレビドラマから連綿と続いているSPシリーズがどのようなクライマックスを迎えることになるのか、来年3月予定とされる劇場公開が楽しみですね。

テレビドラマ版「SP 警視庁警備部警護課第四係」エピソード1&2感想

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この間観に行った映画「SP 野望篇」のテレビドラマ版「SP 警視庁警備部警護課第四係」のエピソード1&2をDVDで観賞しました。
映画版が「エピソード5」としてテレビドラマ版の延長線上でストーリーが展開されている上、映画版ではそれまでのあらすじや作中設定などについての説明が全くなかったため、そちらも確認してみることにしたわけですね。
何せ、私は映画版で初めてテレビドラマの存在を知ったクチでしたし(-_-;;)。

さすがに映画版には劣るものの、テレビドラマ版でも主人公である井上薫の派手なアクションは健在で、こちらもなかなか面白かったですね。
エピソード2で主人公の能力についての「科学的な」説明があり、作中における主人公の能力の発動源が判明します。
また、映画版では冷戦状態だった主人公と上司・尾形総一郎は、この時点では理想的とすら言えるほどの相互信頼関係を構築していましたね。

ただひとつ、事件解決後に、警察が事件の存在そのものを「なかったこと」にして殊更真相を隠そうとするのについては、正直疑問に思わずにはいられませんでしたね。
何故そんなことをするのかもさることながら、「そもそも物理的に不可能なのではないか?」と思える点も少なくありませんでしたし。
事件についての緘口令などを布いたところで、事件の目撃者の誰か一人でも真相を告白したりすれば、いとも簡単に事件は表沙汰になります。
事件が大規模になればなるほど、目撃者が増えれば増えるほど、緘口令の実行は困難さを増してくるのです。

事件が密室の中、それも数十人程度の政治家やマスコミ関係者の中で起こったエピソード1であれば、ある程度統制も効きやすいですから、それなりに緘口令も有効に機能しえるかもしれません。
しかし、事件に巻き込まれた上、テロリスト達の病院占拠宣言まで直接聞いている人間だけでも百人以上、しかも病院関係者のみならず、一般の患者や見舞い客なども被害者に多く含まれているであろうエピソード2では、そもそも事件の真相を隠蔽するのは不可能でしょう。
さらに病院の外では「何が起こったのか」と病院を取り巻いている野次馬までいたわけですし。
警察上層部では「ガス爆発」として事件の事後処理を行う方針だったようですが、すくなくとも病院の中にいてテロリスト達の病院占拠宣言を聞いた上に拳銃を突きつけられての強制移動を余儀なくされた人達がそれで納得するわけがありません。
しかも今はインターネット時代。
個人であっても事件の真相をブログや掲示板、SNSなどでいくらでも拡散することができるのです。
一般の患者や見舞い客に緘口令を命じる権限が警察にあるわけもありませんし、統制しようのないことを無理矢理統制しようとすれば、今度はその反発から緘口令を逸脱しようとする人間が出てきてしまうでしょう。

警察がそのような隠蔽工作にひた走るのは、事件の存在が世間一般に流布されることで混乱が発生するのを避けるため、といった類の治安維持の理由でもあるのでしょうが、病院テロのような一般人が巻き込まれた大規模な事件までそれで押し通そうとするのはさすがに無理筋なのではないかと。
そのような警察の事後処理対応に苦言を呈していた尾形総一郎も、「そんなことがそもそも可能なのか?」ということについてこそ、まずはツッコミを入れるべきではなかったのかと。

また機会があったらエピソード3&4、それといくつかあるらしい番外編も観てみたいものですね。

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