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カテゴリー「映画観賞関連」の検索結果は以下のとおりです。

親子愛をテーマにしたハリウッドらしからぬ映画「A.I.」

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スティーブン・スピルバーグ監督が製作を手がけた2001年公開映画「A.I.」。
日本でも有名なスピルバーグ監督は、大衆娯楽映画を多く製作する傾向にあります。
しかし、映画「A.I.」は元々、1999年に亡くなった故スタンリー・キューブリック監督の企画を受け継いだ作品であったためか、親子愛がテーマの非常に哲学的な内容となっています。

映画「A.I.」は、自分達の御都合主義でロボットを好き勝手に使役したり敵視したりする人間達のエゴイズムと、「感情」をプログラミングされた少年ロボットが「母親の愛」を求める姿が描かれています。
前者は「ターミネーター」シリーズを筆頭にハリウッド映画ではさして珍しいものではありませんが、後者は極めて稀有なパターンです。

この映画のストーリーは、一言で表現するならば「近未来版ピノキオ」。
母親に「子供としての愛情」を抱くようプログラムされた、主人公である少年ロボット・ディビットが、諸事情あって母親に捨てられた後も母親から愛されることを望み続け、ロボットから人間になる方法を探すべく、時間的にも物理的にも長い旅に出るのです。

その旅の結末は、ある意味では主人公の願いを叶えるものであり、別の見方では単に主人公にとって都合の良い幻想を見せただけのシロモノと、個人によって「哀しいハッピーエンド」とも「単純なバッドエンド」とも解釈しえる非常に意味深なもので、映画ファンの間でも賛否が分かれています。
その哲学的なラストシーンはハリウッド映画の中でもかなり異色です。

そのため、映画「A.I.」はアメリカではあまりヒットしなかったものの、日本では逆に大ヒットして制作費を楽々と回収したのだとか。
確かにこの映画はハリウッド映画の長所にして魅力でもある「単純明快な面白さ」といったものがありませんし、どちらかと言えば日本人向けの映画と言えるでしょうね。

好みは分かれるかもしれませんが、「ハリウッド映画らしからぬハリウッド映画」を求める方には、映画「A.I.」は是非ともオススメしたい一品です。

映画「バイオハザードⅣ アフターライフ(3D版)」感想

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映画「バイオハザードⅣ アフターライフ(3D版)」を観に行ってきました。
カプコンの人気ゲーム実写映画化シリーズ第4弾。
正式の劇場公開は9月10日で、今回は先行上映となります。
内容が内容なので、当然のことながらPG-12指定作品です。

物語は東京都渋谷の日常風景、および地下にあるアンブレラ東京本部から始まり、しばらくは東京本部の構成員による日本語による会話が延々と展開されます。
その東京本部を、前作「バイオハザードⅢ」で製造されていた大量のクローン達を引き連れた主人公アリスが襲撃。
襲撃の最中、東京本部の首領格であるウェスカーは、脱出用の飛行機(V-22オスプレイのような機体)を使って逃亡し、その際に東京本部を爆破。
本部もろともアリス集団を葬り去ったかに見えましたが、飛行機内にすでに潜り込んでいた(らしい)アリスの一人がウェスカーを襲撃。
2人の揉み合いの末、飛行機は山岳に墜落し、アリスは脱出、ウェスカーは行方不明となります。
序盤は大体こんな流れです。

作中に登場する敵は、ゲーム版「バイオハザード4&5」に登場する敵キャラクターがベースとなっています。

過去の「バイオハザード」映画シリーズの全てでそうでしたが、今作も女優ミラ・ジョヴォヴィッチが演じる主人公アリスの超人的な強さは健在ですね。
アリスの強さは、映画「マトリックス」シリーズを想起させるスローモーションなアクションシーンで随所に披露されています。
彼女に限定すれば非常に安心して観賞できる作品と言えますね。

ただ、ミラ・ジョヴォヴィッチは今後の「バイオハザード」映画シリーズには出演しないとのことで、今後の続編がどうなるのかは気になるところです。
今作も、「新たな敵の出現」直後にエンドロールという、明らかに続編があるかのような終わり方をしていたので、続編自体は製作されるのではないかと思うのですが……。

……とWikipediaの情報を元に文章を書いていたら、最新のニュース記事では、ミラ・ジョヴォヴィッチ本人がこんなことを述べていたとのことでした↓

http://npn.co.jp/article/detail/37827122/
<そんなミラは「最初の小さなホラー映画がここまで大人気シリーズになるとは思っていなかったの。次があるなら、絶対にやるわ。だって8年も演じているのよ(笑)」と今後の更なるシリーズ化にも言及し、「何本もの良質な続編を作るには、キャスト・スタッフたちの情熱と愛情が必要。このシリーズの素晴らしいところは、スタジオシステムに則るのではなく、監督のインスピレーションによって作られているところね」とその人気を支える作り手たちの姿を明かしていた。>

どうやら続編製作についての問題は現時点では解消されているようですね。

ハリウッド映画は「アメリカ万歳」ばかりなのか?

ハリウッド映画について述べられる際、「アレはアメリカ万歳映画ばかり」的な評価がよく聞かれます。
確かに1996年公開映画「インディペンデンス・ディ」や1998年公開映画「アルマゲドン」、2001年公開映画「パール・ハーバー」など、その手の作品がハリウッド映画の中に存在し、かつ興行的には大ヒットして大きな成功を収めているのは事実です。

しかし、実際のハリウッド映画は、巷でよく言われているほどに「アメリカ万歳映画」で溢れかえっているのでしょうか?
私は色々なハリウッド映画を観てきましたが、ハリウッド映画の中には逆にアメリカの政府や社会を批判する意図で製作されたものも少なからず存在します。
たとえば、1980年代に映画公開された「ランボー」「ランボー 怒りの脱出」は、ベトナム戦争から帰還した兵士達の視点から、自分達を冷遇したり罵倒を浴びせたりするアメリカ社会に対する批判が、主人公ランボーによって展開されています。
初期の「ランボー」シリーズには「アメリカ万歳」的な雰囲気は微塵もなく、むしろアメリカ社会は一種の「敵」として描かれてすらいるのです。

また、映画「ロボコップ」シリーズでは、近未来のアメリカ社会のあり方をブラックユーモア的な暗さで描いていますし、「ロボコップ」1作目の監督を担っていたポール・バーホーベンは、1997年にアメリカ帝国主義を皮肉ることを目的にした映画「スターシップ・トゥルーパーズ」を製作しています。
「ロボコップ」で描かれているあの荒廃した犯罪都市デトロイトの描写のどこをどう見たら「アメリカ万歳」的な解釈ができるというのでしょうか?

アメリカが国家組織の総力を挙げて一個人を陥れていく恐ろしさを描いた1998年公開映画「エネミー・オブ・アメリカ」という作品もあります。
この映画では、犯罪とテロの撲滅を目的に、政府による全国民に対するプライバシーの侵害を合法化する「通信の保安とプライバシー法」という法案の成立をめぐり、NSA(アメリカ国家安全保障局)が暗殺・盗聴・冤罪のなすりつけ等のありとあらゆる手段を使って一個人の人生を破滅させるストーリーが描かれており、悪役にされたNSAにしてみればこれほど不愉快な映画もないでしょう。
また、アメリカでは同時多発テロ事件後に「アメリカ愛国者法」という法律が成立しているのですが、この法律は作中に登場する「通信の保安とプライバシー法」と主旨が同じだったりします。

21世紀に入ってからも、アメリカCIAの暗部を描いた「ボーン・アイデンティティー」「ボーン・スプレマシー」「ボーン・アルティメイタム」の3部作映画が大ヒットを記録していますし、イラク戦争開戦の発端である大量破壊兵器問題を批判的に扱っている映画「グリーン・ゾーン」も公開されています。
特に「グリーン・ゾーン」は実際の歴史的事件を映画の舞台にしているだけに、政治イデオロギー的な要素がかなり強い作品です。

繰り返しになりますが、確かにハリウッド映画には「アメリカ万歳」的な映画「も」ありますし、それが興行的に大きな成功を収めていることも事実でしょう。
しかし、ハリウッド映画にはそれと同じくらいにアメリカの政府や社会に対する懐疑的・批判的な作品も少なからず存在しますし、またそれ以前にアメリカ社会のあり方とは何の関係もない純粋な娯楽作品も多いのです。
色々な主旨の映画があって、結果的にバランスが取れている。その懐の広さこそがハリウッド映画の大きな魅力であると言えるのではないでしょうか。
にもかかわらず、何故ごく一部の映画のみをクローズアップして「ハリウッド映画はアメリカ万歳ばかり」などと評価されなければならないのか、私はそこが以前から疑問に思えてならないんですよね。
巷のハリウッド映画評にはおかしな予断と偏見でも入っているのではないか、そう思えてならないのですが。

映画「特攻野郎Aチーム THE MOVIE」感想

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映画「特攻野郎Aチーム THE MOVIE」観に行ってきました。
アメリカの超有名TVドラマのリメイク作品。

今回の映画は、部下のフェイスを救うために単独でメキシコに潜入したコマンド部隊を指揮するハンニバル・スミス大佐が、B.A.バラカスとマードックに出会い、四人からなるAチームが結成されるエピソードから始まります。
もうこの時点で明白なのですけど、この映画、過去の「特攻野郎Aチーム」とは何の因果関係もないため、過去作品との繋がりを気にすることなく単独で充分に楽しむことができます。

数年後、イラクでアメリカ紙幣の原版を持って逃亡しようとしていたゲリラから原版を奪還するようモリソン将軍から命令されたAチームは、ハンニバルの作戦で見事任務を達成するものの、直後にモリソン将軍が爆死。
現場に駆けつけたアメリカ軍により、Aチームは濡れ衣を着せられ、軍法会議で10年間の懲役を言い渡され、4人バラバラにされて別々の刑務所に収監されてしまいます。
この辺りのストーリーは、ベトナム戦争を背景に繰り広げられていた原作のエピソードを現代版に置き換えたもののようで、いかにもリメイク作品という感じですね。

ハンニバルをはじめとするAチームの一行が次から次に奇策と巧みな駆け引きでミッションを遂行し黒幕を追い込んでいくストーリーは、アクション映画が好きなら普通に楽しめますね。
また、以前放送されていたTVドラマのAチームを知る人であれば、作中エピソードの元ネタを探してみる、というのも良いかもしれません。
ちなみにこの作品、エンドロール後にワンシーンが存在しますので、興味がある方はスクリーンが明るくなるまで席を立たないことをオススメしておきます。

映画を身近なものにしたシネコンの功績と今後の課題

21世紀に入ってからの映画の発展を語る際にシネマコンプレックス、通称「シネコン」の存在を外すことはできないでしょう。
シネコンとは、同一の施設に複数のスクリーンがある映画館のことで、日本ではワーナー・マイカル・シネマズ、TOHOシネマズ、シネプレックスなどが主な代表格です。

往時は2億5000万人を数えた日本の映画人口は、テレビやレンタルビデオなどの普及およびそれに伴う映画産業自体の衰退などにより、1990年代には半分以下の1億2000万人にまで落ち込んでいました。
ところがシネコンは、それまで「高嶺の花」だった映画をより身近でかつ手軽に観賞できる娯楽に昇華させると共に映画人口を1億6000万人にまで回復させ、映画の衰退と映画人口の減少に歯止めをかける存在となりました。

特に市街地郊外にショッピングモールと並んで併設されるシネコンには、移動の手間と交通費の負担が軽くなるという大きな利点があります。
市街地中心にある映画館の場合、移動だけでも少なからぬ時間と手間がかかる上に駐車代等の交通費が無視できず、これが客離れを起こす大きな原因となっていました。
それに対し郊外型シネコンは、市街地中心に比べて手軽に行ける距離にあり、また駐車代に至っては無料で済ませられるところも少なからず存在します。
都市圏と異なり、周囲に映画館というものがない上に鉄道網があまり発展していない車社会の地方において、このメリットは非常に大きなものがあり、それまで映画に興味がなかった人をも映画に引き込めるようになったわけです。

またシネコンの大きな特徴として、売店の存在は無視できません。
従来の映画館にあった売店は、映画グッズとスナック菓子が適当に置かれただけの、規模が小さい上に品揃えも品質もお粗末なシロモノでしかありませんでした。
そのため、以前は映画館に入る前にわざわざコンビニに入って買い物をし映画館に入る、などということすら行っていたほどです。
しかしシネコンの売店は映画グッズも飲食類も品揃えがはるかに豊富。
特に映画観賞の際の定番となるポップコーンに至っては、それ単品の店を作っても充分に儲かるのではないかとすら思えるほどの一品だったりします。
個人的にはワーナー・マイカル・シネマズで売られていたポップコーンが一番美味しかったですね。

映画を「より」身近で手軽に観に行けるものへと進化させ、売店をも充実させることで相乗効果的な売上アップと集客を行う。
この点においてシネコンは既存に映画館を大きく引き離しており、都市部に集中していた既存の映画館がシネコンに取って代わられてしまったのも必然かつ時代の流れというものだったでしょう。

一方でシネコンの今後の課題としては、その便利さと集客性故にあちこちに乱立され過剰競争が発生している問題についてどのように対処するか、ということがまず挙げられますね。
若干微増しているとはいえ、最盛期に比べればやはり少ない映画人口に対して、映画観賞が行えるスクリーン数はその最盛期と同等以上にまで増えている状態。
結果、映画館同士で客を取るための過剰競争が発生した挙句、1スクリーン辺りの利益が減ってしまい、採算割れを起こす危険性が懸念されるわけです。

熊本でも、2004年に熊本市の東隣にある菊池郡菊陽町にTOHOシネマズ光の森、熊本市ダイエー熊本店横にシネプレックス熊本がオープンしたのを皮切りに、2005年、2006年にも郊外型シネコンが立て続けに開館し乱立状態に。
熊本はシネコンの激戦地と言われており、シネコン同士が互いにシノギを削る一方、市街地にあった従来の映画館はシネコン群に客層を食われ、衰退傾向にあります。

シネコンが映画の発展に大きく寄与する存在であると共に、消費者にとっても便利なものであることはまず間違いありません。
シネコンには集客や採算性の問題をクリアしてもらった上で、今後も少なからぬ映画ファン達に数多くの映画を提供し続けてもらいたいものですね。

映画「魔法使いの弟子」感想

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映画「魔法使いの弟子」観に行ってきました。
封印された邪悪な魔法使いモルガナ一派と、魔法使いの指導者マーリンの弟子との数百年もの長きにわたる戦いの物語。

はるか昔、魔法使いの指導者マーリンと3人の弟子は、邪悪な魔法使いモルガナを後一歩のところまで追い詰めていました。
ところがその時、マーリンの弟子のひとりであったホルヴァードがマーリンを裏切り、逆にモルガナがマーリンを殺してしまいます。
死に瀕したマーリンは、その場に居合わせた弟子のひとり・バルサザールに対し、自分の後継者以外にモルガンを滅ぼすことが出来ないことを告げ、後継者を探すよう指示して息絶えます。
その後、バルサザールはモルガナと対峙し、最後の弟子であるヴェロニカと融合させた後、ひょうたんっぽい壷の中に封印。
さらに裏切った弟子であるホルヴァードも封印し、バルサザールはマーリンの後継者を探すべく、長い時間を旅することになります。
そして現代のニューヨークで、バルサザールはついにマーリンの後継者を発見。
ここから本編が始まることになります。

さて、バルサザールが長い旅の末ついに見出したマーリンの後継者である主人公ですが、これがとにかく凄まじいまでにヘタレな上に意志薄弱な存在。
バルサザールが注意したにもかかわらず、部屋の中を勝手に荒らしまくった挙句にホルヴァードの封印を解いてしまい、余計な危機的状況を自ら率先して招いている主人公。
その場はバルサザールが自分ごとホルヴァードを壷の中に10年間再封印することで何とか難を逃れる主人公。
しかし、10年後に封印が解かれ、再びバルサザールと出会って以降も、相変わらず主人公のヘタレ&意志薄弱ぶりは健在。
ホルヴァードやモルガナに対抗するためにバルサザールから魔法を学んでいる際も、バルサザールからの忠告や警告を無視して片思いの女の子にうつつを抜かした挙句、またもや自業自得的な危機的状況を自ら率先して招く主人公。
「魔法使いにとって恋は邪魔」的なことをいうバルサザールに対し、「この10年間、僕がどんな思いで生きてきたか分かる?」などという主旨の主張をかましたシーンに至っては、あまりのカッコ悪さとヘタレ節全開ぶりに逆に反感すら抱いてしまったほどです。
「我慢」というものが全くできない意志薄弱ぶりも少なからず披露していたことも相まって、全く主人公には感情移入ができませんでした。
まあさすがに、主人公も終盤付近では「物理オタク」的な智恵を駆使してホルヴァード&モルガナを圧倒していくのですが、それまでのヘタレ&意志薄弱ぶりがあまりにもひど過ぎ、名誉挽回にはまるで至っていないですね。

映画全体の雰囲気的には、今年の2月に公開された映画「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」に近いところがありますね。
……主人公が桁外れなまでに「無能な働き者」であることを除けば。
ニコラス・ケイジが演じるバルサザールの方が主人公などよりもはるかに風格があって格好良い上に見せ場も少なからずありましたし、この映画、主人公をバルサザールにした方が良かったのではないでしょうか?

ちなみに、序盤で主人公が封印を解いてしまった裏切者ホルヴァードは、最後の場面で主人公に手傷を負わされたものの、結局打倒はされることなく逃亡してしまっており、続編が作れる構図で映画自体が終わっています。
果たして続編は出るのでしょうかね、この作品は。
さすがに、続編でもあの主人公のヘタレぶりが健在、というのは勘弁して欲しいところですが。

バッドエンドが全てを台無しにした映画「パーフェクト・ストーム」

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世の中には色々な映画があるもので、作中の設定や映像処理が良く出来ているにもかかわらず、ストーリー的には「一体何が言いたかったのか?」と何度も首をひねってしまう映画というものが存在します。
2000年公開映画「パーフェクト・ストーム」などは、まさにその典型と言える作品です。

映画「パーフェクト・ストーム」は、1991年にアメリカ東部の北大西洋沖で実際に発生した史上最大の大嵐(3つの嵐が折り重なって発生した「パーフェクト・ストーム」)と、その大嵐に自ら突っ込んで乗員も船も丸ごと行方不明となったアンドレア・ゲイル号という漁船のエピソードを元に製作された作品です。
映画の宣伝では、30メートル以上の大津波が船を襲う画像がよく使われていました。

この映画、主に各主要キャラクターを取り巻く人間ドラマに力を注いでいる前半から、大嵐を相手に七転八倒の苦闘を演じる中盤の終わり頃までの出来はそれほど悪くありません。
そこまでは多くのハリウッド映画でもよく見られるパターンですし、先の展開を期待させるものが充分にありました。

問題はその結末部分。
まさに映画の宣伝でも使われていた「パーフェクト・ストーム」による大津波に襲われ転覆したアンドレア・ゲイル号およびその乗員達は、それまでの奮戦の甲斐もなくそのまま海の藻屑と消えてしまいます。
誰一人として助かることなく、残された遺族達が悲しむシーンで終わるのです。

ノンフィクションとしてのアンドレア・ゲイル号はまさに船ごと行方不明となり、生存者は一切確認できていないわけですから、史実を忠実になぞるためにそのような結末が用意されたのでしょう。
しかし映画のストーリーとして見ると、その結末は「一攫千金に目が眩んだ漁船が勝手に大嵐に自ら突っ込んで乗組員全員が死んだ自業自得な話」にしかなっておらず、観客の共感が呼べるだけの物語性も悲劇性もおよそ皆無。
しかもアンドレア・ゲイル号は、何も知らないまま大嵐に巻き込まれたわけではなく、大嵐の存在を事前に察知しその危険性を充分に承知していた上、別の漁船から警告まで受けていながら件の行動に出ていたわけですし、その行動によって救助隊が出動する事態にまで発展しているのですから、実のところ同情の余地すらも全くなかったりします。
それでも、せめてひとりでも生存者がいれば、大自然の恐ろしさとそれを乗り越えた人間の強さ、そして何よりも自分達の無謀な航行に対する反省といった色々な描写や表現もできたでしょうし、悲劇性の中にも「生きていて良かった」的な明るさを演出することもできたはずなのに、肝心の結末がアレではねぇ…(-_-;;)。

せっかく丁寧に作りこんでいたにもかかわらず、最後の最後で全てが台無しになってしまった作品として、映画「パーフェクト・ストーム」は悪い意味でその名を歴史に残してしまった作品と言えるでしょう。
なまじ人間ドラマや大嵐との戦いの演出が良く作りこまれていただけに、支離滅裂なバッドエンドの悪さが余計に際立つ、非常に残念な作品です。

映画「ソルト」感想

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映画「ソルト」観に行ってきました。
アンジェリーナ・ジョリー主演のアクション物。
今日は映画の日で、しかも昼過ぎ頃に映画を観に行ったこともあり、スクリーン内は完全に満席状態。
ネットでチケットを購入していなかったら席が取れなかったところでしたね。

物語は、北朝鮮でスパイの疑いをかけられた経歴を持つCIAエージェントであるイヴリン・ソルトが、ロシアの諜報員オルロフによって「ロシア(正確には旧ソ連時代から)のスパイ」という疑惑をかけられ、恋人の安否を確認するため逃亡を図るところから始まります。
序盤から中盤にかけては、イヴリン・ソルトが本当に疑惑通りのロシアのスパイか否かがあえて分からないようにしているストーリー進行で、CIAの追撃から智恵とアクションを駆使して逃亡するシーンをメインに話が展開されます。
オルロフの証言によれば、潜入スパイの目的は「アメリカ副大統領の葬儀に出席するために来米するロシア大統領」の暗殺。
CIAからの追撃から逃げ切ったイヴリン・ソルトは、まるで当然であるかのごとくアメリカ副大統領の葬儀が行われる場所へと向かうのですが、彼女の目的は一体何なのか、そして彼女の真の正体とは!?

映画の観客から見たイヴリン・ソルトの立ち位置は中盤付近で二転三転します。
「これが正体か!」と観客に思わせたところで、突然「その立場からは」全く辻褄の合わない行動に出たりしますし。
彼女の真の正体と目的は物語終盤で明らかとなるのですが、この辺り、単純なアクション映画というだけでなく、一種のミステリー的な要素も多々あります。
ちなみに、物語終盤の彼女の言動は「次なるストーリー」へのプロローグにもなっていて、実際この映画、明らかに「次回に続く」と言わんばかりの終わり方をしています。

それにしても、アメリカの中枢および社会に浸透し、何十年も潜み続けるスパイの恐ろしさというものを、これ以上ないほどリアルに表現している作品と言えますね、映画「ソルト」は。
現実にも、少し前にアメリカで物議を醸していた「アンナ・チャップマン摘発事件」というニュースがありましたし。

http://sankei.jp.msn.com/world/america/100629/amr1006291918008-n1.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%9E%E3%83%B3

かのアメリカでさえこういうことが実際に起こりえるわけですし、ましてや「スパイ天国」とさえ呼ばれる日本の惨状は如何ばかりか、少々ぞっとするものがあります。
その上、マスコミや政治中枢に潜むスパイ達にとって都合の悪いこの手の映画は、日本では18禁エロ映画などよりもはるかに作りにくい空気がありますしねぇ(T_T)。

映画「インセプション」感想

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映画「インセプション」観に行ってきました。
レオナルド・ディカプリオ主演のSFアクション作品。

この映画の冒頭はいきなりわけの分からないストーリー進行から始まります。
実は冒頭部分の話の繋がりは物語終盤付近で明らかとなるのですが、序盤はあえて観客に何も分からせないまま、次のシーンへと向かいます。
そこでいよいよ主人公コブが生業としている、人が見る夢(潜在意識)の奥深くに入り込んでアイディアを盗む、一種の産業スパイまがいの駆け引きと抗争が展開されます。
この場面が、映画の宣伝などでもよく使われていた部分なのですが、実はこの一連のシーン、映画全体から見たら5分の1程度もあるかどうかの長さしかないんですよね。
しかもそのミッションにしてからが、渡辺謙が扮する依頼主サイトーが主人公に課した試験のようなもので、試験に合格した後にやってくる次の依頼こそが本当の目的となるわけです。

サイトーの真の依頼内容。
それは、サイトーのライバル企業の御曹司ロバートに「自分で父親の会社を潰す」というアイディアを植えつけること。
この「植えつける」という行為が作中では「インセプション」と呼ばれており、これが映画のタイトルにもなっているわけです。
映画の宣伝を素直に信じて映画を観ると、ここで早くも「おや?」「おお!」となってしまうところですね。

依頼内容が「アイディアを盗む」よりもはるかに至難の業であることから、主人公は様々な特技を持つ仲間を集め始めるのですが、その過程で主人公の前にしばしば現れ、仕事を妨害する主人公の妻モルの問題が浮上します。
実は主人公の本当の妻はとある理由ですでに死んでおり、夢の中に出てくるモルは、妻の死に深刻な罪悪感を抱いた主人公が生み出した偽りの存在だったりします。
何故主人公が妻の死に対して罪悪感を抱いているのか?
これも物語終盤で明らかとなるのですが、これを見ていく過程も真相もなかなか面白かったですね。
ちなみに、主人公が妻と子供を愛し、かつ妻の死について葛藤と罪悪感を抱くというパターンは、「インセプション」と同じくレオナルド・ディカプリオが主演していた映画「シャッターアイランド」にも全く同じものが存在します。
その葛藤と罪悪感の内容と真相は当然ながら全く異なるのですが、この「妻と子供を巡る主人公の葛藤」って、最近のレオナルド・ディカプリオ作品があえて狙っているテーマなのでしょうか?

この映画、CGメインで頭脳戦ばかり強調していたような宣伝に反して、ハリウッド映画のスタンダードである派手なアクションシーンも少なからず存在しますし、ミステリー的な謎の解明と手に汗握る緊張感も相まって、なかなか秀逸な出来に仕上がっています。
映画「タイタニック」以降、レオナルド・ディカプリオ作品は「泣かず飛ばず」「どうもパッとしない」的な印象が多々ありましたし、私が以前に観た「ワールド・オブ・ライズ」「シャッターアイランド」も今ひとつな出来というのが感想だったのですが、「インセプション」はそのネガティブなイメージと評価を見事に覆した作品と言えるのではないでしょうか。
映画「インセプション」は、洋画部門における今年度最優秀候補作品として数えられることになりそうですね。

男女平等をグロテスクに表現した映画「スターシップ・トゥルーパーズ」

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1997年(日本では1998年)公開映画「スターシップ・トゥルーパーズ」。
「ロボコップ」「トータル・リコール」などの製作で知られるポール・バーホーベン監督が手がけたこの作品は、地球に侵略してきた昆虫型宇宙生物(アラクニド・バグズ)と戦う全体主義政権下の人類社会が皮肉たっぷりに描かれています。

この作品の大きな特徴のひとつとして、作中のあちこちで何度も展開されるニュース・CM等のTV番組の存在が挙げられます。
これは、作品世界内で起こった事件や出来事が作中世界のマスメディアでどのように報じられているかを表現するもので、作品内の世界観や未来世界のあり方をブラックユーモアも交えて解説する手法として、特に近未来世界が舞台となるポール・バーホーベン監督作品ではよく多用されています。
ところが、この作品のそれは全体主義的な軍事政権が人類社会を支配しているためか、やたらと過激でプロパガンダ的だったりするんですよね。
地球が襲撃されたことで国民の怒りを煽り、戦争に駆り立てていく報道などはまだ大人しい部類。
昆虫そのものに対する敵愾心を植えつけるためなのか、学生が学校の授業で砂カブトムシの解剖実習をするシーンが放映されたり、ラストでは勝利のプロパガンダとして、捕獲したアラクニド・バグズのボスキャラ的存在のバグにドリルを突っ込んで解剖するニュース報道が流されたりと、まあとにかくやりたい放題。

また、どう見ても重装甲で固められているとしか言いようのない見た目のバグ達に対し、ほとんど軽機関銃だけを武器に第二次世界大戦レベルの銃剣突撃を、しかも空(宇宙)からの支援もなしに敢行する、あまりにも非合理的な地球連邦軍の兵士達。
案の定、敵のバグ達に兵士達は次々と簡単にやられていくのですが、バグに兵士達が血祭りにされていくシーンはとにかく悲惨で残虐の一言。

作品製作側としては、あえてそういう手法を用いることで、全体主義、とくに「アメリカ帝国主義」に対する皮肉と風刺を意図していたとのこと。
そのためなのか「スターシップ・トゥルーパーズ」は、製作されたアメリカよりも日本の方が大ヒットしていたのだそうです。
実際、確信犯的に描かれたその手の報道描写や戦争描写のバカっぷりは、下手な反戦映画よりもはるかに「戦争の愚劣さ」というものを上手く痛烈に表現していますね。

ところで、この作品で地球を支配している政権下の社会では、完全な男女平等が実現されているという設定があります。
完全な能力主義が採用されており、女性であっても能力があれば高い地位に上れるし、そうでなければ男性でも最前線の平隊員。
実際、作中でも軍のトップは女性ですし、機動歩兵である男性主人公よりも、艦隊アカデミーに配属されたヒロインの方が軍内では地位が高かったりします。

しかし、この作品はそれでも男女平等を上手く表現できないと考えたのか、更なる「男女平等」を描写していきます。
男女の身体格差など無視して同一プログラムの軍事訓練が、しかも男女混合で行われる。
軍内の寝食も男女の区別は一切設けられず全て共同。
挙句の果てには複数の男女が「一緒かつ同室で」シャワーを浴びているシーンが、男女共に恥らう様子もなく当然のように描写される徹底ぶり。
特に男女同室のシャワーシーンは、作中で皮肉交じりに描かれている滑稽なプロパガンダ報道などよりも、「そこにある事実」と言わんばかりに否定も肯定もなく淡々と描写されているため、却って奇妙な迫真性が加わって衝撃的でしたね。

何でも監督であるポール・バーホーベンは、件のシャワーシーンを撮影するにあたり、裸になるのを嫌がる俳優達の前で自ら服を脱いでスッポンポンになり、俳優達に喝を入れたのだとか。
監督が何を意図していたかはともかく、「男女平等」という概念が抱える負の側面を最もグロテスクに表現するという点で、あのシャワーシーンは他に並ぶものがない秀逸な描写であると言えます。
私はあのシャワーシーンから、「男女平等」というものに対してこれ以上ないほどの気持ち悪さを覚えましたし、「ひょっとするこんな未来が本当に実現してしまうかもしれない」という奇妙なリアリティまで感じてしまったほどです。

何しろ日本には、「男女性差全否定」を掲げるジェンダーフリーなる過激で愚劣な思想を持つ勢力が、しかもよりによって小中高校の教育現場に実在し辣腕を振るっているわけですからね。
連中は男女混合名簿をはじめとする「男女性差全否定」を実施したり、また身体測定を男女混同で行ったり、体育の授業などの際に男女同室で着替えをやらせたりするなど、まさに「スターシップ・トゥルーパーズ」のシャワーシーンの実現が最終目的としか思えない教育指導を「実際に」行っています。
ジェンダーフリー教育がこのまま推進されれば、最終的には「スターシップ・トゥルーパーズ」におけるシャワーシーンが本当に日常生活の一部として現出する未来が実際にありえるわけです。
全く、あのシャワーシーンを「今後もありえない架空の絵空事」として一笑できるものならどんなに良かったか…。

かくのごとく、作中のあちこちに散りばめられたブラックユーモア&グロテスクな描写と、純粋な戦争アクションシーンの迫力を売りにして大ヒットした映画「スターシップ・トゥルーパーズ」。
この作品、一応続編も作られてはいるのですが、製作予算の規模が1に比べてあまりにも小さく、これといった話題にもなっていません。
1は色々と面白かっただけに、続編にも力を入れて欲しかったところです。

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