映画「フライト」感想
映画「フライト」観に行ってきました。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズの製作を手掛けたロバート・ゼメキス監督と、「ザ・ウォーカー」「アンストッパブル」「デンジャラス・ラン」のデンゼル・ワシントンがタッグを組み、飛行機墜落事件の当事者である機長を巡って繰り広げられる人間ドラマ作品です。
今作では、冒頭で情事後の朝を迎えた女性がスッポンポンで部屋を動き回るシーンの他、酒やドラッグをキメる描写などがあったりするため、PG-12指定されています。
今作の主人公ウィップ・ウィトカーは、長年旅客機の機長を務めるベテランパイロット。
しかしその一方で、彼は離婚した妻と子供の問題から重度のアルコール依存症を患っており、さらにドラッグにも手を出すほどの素行の悪さを密かに抱え込んでいました。
その日もウィップは、愛人らしいカテリーナ・トリーナ・マルケス(映画の中では「トリーナ」と表記)と徹夜でパーティに老け込んだ挙句に情事後の朝を迎えており、酒とドラッグをかっくらった後で、フロリダ州オーランド発ジョージア州アトランタ行のサウスジェット航空227便の飛行機に機長として乗り込むのでした。
飛行機出発時のオーランドは悪天候に見舞われており、強風と大雨が降りしきる中、飛行機は空へ飛び立っていきました。
当然、乗客も副操縦士ケン・エヴァンスも不安に駆られるのですが、ウィップは常識破りの操縦で雲の間をすり抜け、安定飛行に移ることに成功します。
ウィップは自らマイクで安全圏に入ったとスピーチを行い、乗客達を安心させる中、ひそかにオレンジジュースにウォッカを入れて飲酒行為をやらかします。
そしてウィップは、ケン・エヴァンスに操縦を任せ、自分はうたた寝を始めてしまうのでした。
ところが、飛行を初めて26分が経過し、アトランタへの着陸準備に入り始めた頃、突然機体が制御不能に陥り、急激に高度を落とし始めるという緊急事態が発生します。
ウィップは何とか機体を制御しようとするのですが、機体は全くコントロールを受け付けようとしません。
そして、真っ逆さまに落ちていく機体の向かう先には、人口が密集しているとおぼしき住宅地が広がっており、そのまま墜落すれば乗客はむろんのこと、地上でも大惨事が発生するのは必至の情勢でした。
機体そのものに問題が発生したと判断したウィップは、操縦を手動に切り替えると、機体を180度回転させ、上下逆になった背面飛行状態を作り出すことで機体の水平飛行を維持するという究極の荒業を披露することになります。
住宅地を抜け、広大な広場を見出したウィップは、機体を元に戻し、グライダーのような滑空状態で胴体着陸を敢行。
そして、胴体着陸時の衝撃で、ウィップは意識を失ってしまうのでした。
次にウィップが目を覚ましたのは、アトランタの病院の一室でした。
そこには、ちょうどウィップを見舞いに来ていたサウスジェット航空の幹部で旧友でもあるチャーリー・アンダーソンがおり、彼はウィップの奇跡的な操縦で乗員乗客102名中96名が生還できたと賞賛します。
死亡した6名の内訳は、乗員2名に乗客4名。
しかしその乗客2名の中には、ウィップが物語冒頭で情事にしけこみ、将来の妻と考えてさえいたトリーナが含まれていたのでした。
事故を調査する国家運輸安全委員会の形式的な質問を経て、ひとりになったウィップは、トリーナの死にすすり泣くのでした。
一方、ウィップの様態は脳震盪以外は大したことがなく、3日もあれば問題なく退院できるとのこと。
しかし、マスコミが飛行機事故の真相について騒ぎ立て、事故の調査が進んでいく中で、ウィップに対する飲酒問題が浮上してくることになるのです。
映画「フライト」の主人公は、明らかに人格が破綻している上、特に物語後半では自滅願望の類でもあるのではないかとしか思えない言動に終始していて、あまり好感の抱きようがなかったですね。
ウィップの周囲の人間は、どちらかと言えばウィップに好意的で、明らかにウィップにとって有利な証言に終始し、チャーリー・アンダーソンや黒人弁護士のヒュー・ラングもウィップの無罪獲得にアレだけ奔走していたというのに、ウィップはほとんど自分から進んで破滅への道を邁進する始末だったのですから。
確かにウィップには元々アルコール依存症の気はあったのでしょうが、物語終盤のアレはどう見ても自滅することを理解していた上でそれを自分から積極的に望んでいたようにすら見えましたし。
ウィップにしてみれば、自分が懇意にしていた女性達に死なれたり愛想を尽かされて逃げられたりで自暴自棄になっていた側面もあったのかもしれませんし、何よりも「死んだ人間に飲酒の冤罪を擦り付けることになる」という構図に耐え難いものがあったという事情も働いていたのでしょう。
せっかく国家運輸安全委員会の事故調査でも、機体のメンテナンス不良が事故の原因だったという結論で固まろうとしていたというのに、傍目から見た分には何ともバツが悪い自滅以外の何物でもなかったですね。
しかし、物語終盤におけるウィップの告白は、ウィップの精神的な満足が得られた以外は、むしろ社会的には害悪しか与えていないのではないでしょうか?
特に、ウィップの自滅願望に付き合わされた挙句、巨額の賠償責任までひっかぶる羽目になったであろうサウスジェット航空の面々にとっては。
彼らは、ウィップが飲酒の問題を認めた時点で、最低でもアルコール依存症の人間をパイロットとして雇っていたという「会社としての任命・監督責任」を免れることができなくなってしまったのですし。
しかもあの場におけるあの告白の仕方では、下手をすればさらに機体のメンテナンスの責任までもがウィップとサウスジェット航空に擦り付けられ、場合によっては死亡した乗客4人への賠償責任までもが会社に覆いかぶさってくる事態すらも充分にありえます。
そうなれば、サウスジェット航空は会社として損失を被るばかりか信用までも失い、賠償問題も重なって経営は破綻、従業員・幹部一同は会社ごと職を失うレベルの危機に直面することになるわけです。
そして、そういう事態を回避したいからこそ、サウスジェット航空の面々はウィップの無罪獲得に必死になっていたはずなのです。
何しろ、死亡した乗客4人へ賠償金を支払うことになれば航空会社が維持できなくなると、作中でもはっきりと明示されていたわけですし。
自分のあの告白からそういう事態が発生した際の責任まで、ウィップは自分で背負う覚悟が果たしてあったのでしょうか?
あのラストの展開では、ウィップの行為によって職を失ったり損害を被ったりした人間が確実に出てくることになるのですし、刑務所に収監されたウィップの描写を見る限り、とてもそこまでの責任をウィップが自覚し、背負っていたようには全く見えなかったのですが……。
さらに言えば、あの場におけるウィップの飲酒容認発言は、飛行機を製造・メンテナンスを担う会社側に一定の免罪符を与える事態をも招くことにもなりかねません。
彼らにしてみれば、ウィップの発言は自分達の責任を擦り付ける格好の口実として間違いなく使えるのですから、「機体のメンテナンスは大した問題ではなく、事故は機長のアルコール飲酒が主原因で起こったものだ」くらいのことは当然主張してくるでしょう。
当の本人が自分から積極的に認めたという事実も相まって、最悪、肝心要の機体の問題が完全無視されてしまった挙句、機長のアルコール依存症のみが、世間・マスコミ・国家運輸安全委員会などで大々的に取り上げられる、などという事態にすらもなりかねません。
「堕ちた英雄」なんてネタは、さぞかし世間一般の受けも良いでしょうからねぇ(苦笑)。
そして、批判の矛先が摩り替えられたことによって、欠陥飛行機を製造した会社は結果的に世間から大々的に取り上げられることがなくなってしまい、結果として本来あるべき事故の真相や責任の追及が歪められてしまう可能性も否定できないのです。
他ならぬウィップ自身、事故の責任は機体の故障にあって自分の操縦には問題ない、それどころか自分の操縦こそが多くの乗員乗客の生命を救ったのだと自認していましたし、周囲もそれは声を大にして認めていたではありませんか。
その責任の追及が歪められたり曖昧な決着で終わったり、最悪はその責任をもウィップ自身が背負わされる羽目になったりするケースも、あの告白の後では充分に想定されるべき事態であると言えるのですが、そんなことにウィップは耐えられるとでもいうのでしょうか?
日本でさえそういう事態は普通にありえそうですし、ましてや訴訟大国たるアメリカであればなおのこと、安易な責任認定は無用な冤罪や真犯人の免罪を招きかねないのではないのかと。
作中におけるウィップの飲酒責任の告白は、単に自分個人の問題だけで終わるものでは全くないはずなのですけどねぇ。
航空機事故およびそれに伴う責任問題を扱っている割には、どうにも主人公およびその周囲限定の葛藤や問題のみにスポットが当てられている感が否めなかった作品でしたね。
主人公自身も、最後の告白をも含めてひたすら「自分個人の都合と論理」だけで動いていましたし。
その辺りの行動原理をどのように解釈するのかで、今作の評価はかなり違ったものになりそうではありますね。