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カテゴリー「映画観賞関連」の検索結果は以下のとおりです。

映画「妖怪人間ベム」感想

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映画「妖怪人間ベム」観に行ってきました。
1960年代に放映された同名テレビアニメを実写化し、2011年に日本テレビ系列で放映されたテレビドラマ番組終了後の後日談にあたる作品。
今作のストーリーは、テレビドラマ版と密接な関連性があり、テレビドラマ版を視聴していないと登場人物達の人間関係が分かりにくいところがありますので、今作を観賞する際には事前にテレビドラマ版を視聴することをオススメします。
かく言う私自身、テレビドラマ版はたまたま最終回だけ再放送で途切れ途切れながら観賞する機会があった以外は未視聴で、特に物語中盤に登場したベム・ベラ・ベロの知り合い的な登場人物達については「こいつら一体誰だよ?」と疑問に思わざるをえませんでしたし。

物語は、大金のバックを抱えながら多くの乗客が乗っているバスジャックした3人組の覆面男が、雷雨の中、バスの運転手に銃を突きつけ警察の検問を突破したところから始まります。
バスは検問が死守していた建設途上?の無人のトンネル内に突入するのですが、そこで突然、バスが停止し動けなくなってしまうという事態が発生します。
バスジャック犯がいきり立って周囲を怒鳴りつけつつ外の様子を確認しようとしますが、バスの外に出るや否や、彼らは何者かによって悲鳴と共に姿を消してしまいます。
3人のバスジャック犯達は次々と消されていき、乗客の子供をひとり人質として連れ去ろうとした最後のひとりも、悲鳴と銃声を残していなくなってしまうのでした。
バスジャック犯がいなくなり、子供の安否を確認しようと我先にバスから降りた乗客達は、最後のバスジャック犯が逃走した先で、ただひとり呆然と座っている子供を発見し胸をなでおろすのでした。
しかし、バスジャック犯に一体何が起こったのか?
自分達も安全であることを確認できた後で、当然のごとくその疑問に駆られた彼らは、ふとトンネルの出口方面に目を向けます。
ちょうどその時、稲光と共に浮かび上がる3体の異形の存在。
明らかに人間ではないその異形の存在にパニック状態となったバスの乗客達は、悲鳴を上げながら我先に反対側のトンネルの出口へと殺到していきます。
そして一方、3体の異形の存在もまた、驚異的な身体能力を駆使してその場を後にするのでした。

乗客達が目撃した3体の異形の正体。
それは、人間になることを目的とし、人間のために戦うことを自らに課している妖怪人間ベム・ベラ・ベロの3人でした。
彼らは、バスの乗客達に姿を見られてしまったことから、新たな場所へ「引っ越し」をする必要に迫られることになります。
船に密航?し、新たな場所へと移動することになる3人。
しかし、船で辿り着いた新たな場所では、MPL製薬という巨大企業の重役が何者かに襲撃・殺害されるという事件が頻発していました。
船から上陸早々、そのMPL製薬の重役がクレーンの真下で重傷を負っている事態になっていることをベムは突き止めます。
3人が重役の男を発見直後、クレーンのワイヤーが何者かによって切断され落下してくるのですが、間一髪で3人はクレーンを交わし、巨大な落下音を聞きつけた人間達に後の処理を任せその場を後にします。
またもや騒動に巻き込まれそうな気配が濃厚な中、3人はただひとり寂しそうに佇む少女の姿を発見することになるのですが……。

映画「妖怪人間ベム」のストーリーは、原作のテレビアニメ版で見られた「妖怪同士の戦い」などよりも人間ドラマ的な物語に重点が置かれており、醜い容姿をしているために人間社会に溶け込めないことや、不老不死であるが故の葛藤などがメインテーマとなってます。
敵方の妖怪も全く出てこないというわけではないようなのですが、それらの存在との戦いはあくまでも「メインテーマの添え物」的な扱いです。
巷に溢れる「妖怪もの」と言えば「妖怪VS妖怪」という図式がメインで繰り広げられる構図が常に存在するだけに、人間ドラマに重点を置いた妖怪ものというのはある意味新機軸ではあったでしょうね。
まあ、それでヒットしたのかどうかはまた別問題ですが。
また、テレビアニメ版の「妖怪人間ベム」と言えば、肝心のベムの露出が控えめで実質的な主人公がベロだったのに対し、テレビドラマ版&映画版のそれは名実ともにベムが主人公となっています。
タイトル名もさることながら、実写でベロが主役ということになると、ベロ役を担う子供にかかる負担が半端なものではなくなるという「大人の事情」も絡んだ上での変更なのでしょうね、これは。

ただ今作では、テレビドラマ版で終始悪役として君臨していたらしい「名前のない男」がいなくなってしまったこともあってか、これといった存在感を放つ「ラスボス」が不在だったことから、どことなく消化試合的な雰囲気がどうにも否めなかったですね。
強大な力を保有する主人公達に対し、物理的なものではなく社会的・政治的なテーマやアンチテーゼなどで対抗しえる「敵」の存在が不在なんですよね、今作は。
副作用のある薬を隠蔽するMPL製薬や、妖怪人間達に銃を向けてくる警察組織等を「悪の組織」的な存在にするとか、その手の「敵」を作る方法はいくらでもあったのではないかと思えてならないのですが。
映画ならではの演出としてラストに登場させたのであろう巨大植物妖怪?も、ただ「物理的に強い」というだけで、絶対的な悪でもなければ非道な敵というわけでもなかったですし。
作中における「絶対悪」を挙げるとすれば、MPL製薬の代表取締役?の加賀美正輝がそれではあるのでしょうが、しかし彼にしてもその主張に比してあまりにも物理的に弱すぎて、主人公の対抗軸になど到底なりえていません。
加賀美正輝は、彼なりに筋の通った「悪の信念」に基づいて悪行を為してはいたのでしょうが、物理的にほとんど無力な彼は、結局妖怪人間達にいいように振り回される人間のひとりでしかなかったのですから。
彼の信念そのものは決して悪いものではなかったのですが、如何せん「自分の手を汚す」ということにこだわり過ぎるあまり、汚れ役のプロやボディーガードをそれなりの数だけ雇うでもなく、単独で殺人その他の悪行を重ねていたのには笑うしかありませんでしたし。
一応は巨大企業の支配者でもあるのですし、その程度のカネくらい動かせる力は充分に備えているでしょうに(苦笑)。
加賀美正輝を悪役として登場させるのであれば、彼が自ら望んで巨大妖怪に変化して主人公と戦うとか、警察を裏から操って邪魔者を情け容赦なく殺すよう指示させるとかいった演出でもやってくれた方が、主人公の対立軸にもなって良かったのではないのかと。
エンターテイメント作品における「悪役の使い方」というものが、どうにもヘタクソに思えてなりませんでしたね、今作は。
いくら今作が人間ドラマ重視の作品だったにしても、もう少しやりようはあったのではないかと、つくづく思えてならなかったのですが。

あと、作中の演出で思わず内心笑ってしまったのは、いくらベム・ベラ・ベロの3体の妖怪人間が怖かったからとはいえ、その場の状況も考えることなく銃を乱射しまくる警官達の行為ですね。
作中の警官達は、明らかに警察上層部から発砲許可を取ることなく銃を乱射していましたし、そもそも妖怪人間達の後方には民間人たる子供がいたりしていたのですが。
特に、妖怪相手に撃ちまくった銃弾の流れ弾が後方の人間に当たろうものならば、後日警察がその横暴ぶりと責任を社会的に問われ、窮地に追いやられることになるのは確実なのですし。
映画「ロボット」におけるインド警察じゃあるまいし、コチコチの官僚機構たる日本の警察がそんなことをやって良いものなのかと(苦笑)。
あそこまで日本の警察がはっちゃけることが可能なのであれば、様々な作品で問題として取り上げられてきた「事なかれ主義な官僚機構の硬直性」などとは、永遠に無縁でいることができるはずなのですが。

テレビドラマ版のファンであれば、今作を観賞する価値はあるでしょう。
ただ、テレビアニメ版のイメージでもって「派手な妖怪の戦い」を期待し今作を観賞しようとすると、大きく肩透かしを食らうことになるかもしれません。

映画「ホビット 思いがけない冒険(3D版)」感想

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映画「ホビット 思いがけない冒険」観に行ってきました。
映画「ロード・オブ・ザ・リング」3部作の時代から遡ること60年前を舞台とする、ピーター・ジャクソン監督製作によるファンタジー・アクション大作。
今作は3D版メインの上映であり、2D版はほとんど上映されていなかったため、やむなく3D版での観賞となりました(T_T)。
まあ3Dの出来自体はそれなりのものはあると言えるレベルではあったのですが、3Dのために無駄金を使いたくない私としてはあまり慰めにならないというか(-_-;;)。
現行の料金体系では、3D映画はただそれだけで高くなるという理不尽な問題が常に付きまとうことになるのですし、いい加減何らかの改善が必要なのではないかと思えてならないのですけどね。

今作は、映画「ロード・オブ・ザ・リング」の1作目が開始される直前の時間軸で、年老いたビルボ・バギンズが「ロード・オブ・ザ・リング」の主人公であるフロド・バギンズをあしらいつつ、過去を回想するという形で語られることになります。
今作の冒険が行われることになったそもそものきっかけは、中つ国の東に位置する「はなれ山(エレボール)」に存在し繁栄を極めていたドワーフの王国が、ある日突然ドラゴン・スマウグの襲撃に遭い壊滅的な被害を被り滅亡したことにありました。
生き残りのドワーフ一族は、スマウグの襲撃時にドワーフ王国の王子の立場にあったトーリン・オーケンシールドによってかろうじてまとめられ、その日暮らしの生計を立てつつ、「はなれ山」に居座るスマウグを討ち取り国を再興すべく準備を進めていたのでした。
トーリンの古くからの友人であった灰色の魔法使い・ガンダルフもまた、トーリンの旅に同行することになるのですが、その際ガンダルフは、ホビット庄に住むホビットのビルボ・バギンズを推挙し、トーリンと12名のドワーフ達と共に旅に同行させることを提言します。
当初は「招かれざる客」同然に強引に自分の家に押し入ってきた上、家に備蓄されていた食糧を食い漁ってしまったドワーフ達とガンダルフに対してまるで好意的でなく、旅の同行にも難色を示していたビルボ・バギンズ。
またドワーフ側も、ロクな体力も戦闘力もないホビットを自分達の仲間として迎えることに積極的ではなく、むしろ反対の声すら上がる始末。
当の本人も周囲もそろって懸念と反対の声を上げる中、ガンダルフただひとりがビルボ・バギンズの有用性を強引に主張するという構図になっていました。
翌日、目を覚ましたビルボ・バギンズは、アレだけどんちゃん騒ぎを繰り出しまくっていたドワーフ達とガンダルフが既に出払ってしまったことを知ります。
彼らが出払った後の家には、仲間になる際の契約書だけが残されていました。
その契約書を握りしめたビルボ・バギンズは、昨日までの消極的な態度はどこへやら、ドワーフ達の後を追い、彼らの旅の参加を表明するのでした。
かくして、ビルボ・バギンズの長い長い旅が始まることとなるのですが……。

映画「ホビット 思いがけない冒険」は、「ロード・オブ・ザ・リング」3部作の前日譚ということもあり、同シリーズでラスボスだったり死んでいったりした懐かしい顔ぶれが作中に登場しています。
「ロード・オブ・ザ・リング」2作目でラスボスとして振る舞っていたサルマンも、今作ではまだ悪に染まっていないものの頭が固く融通が利かない人物として登場していたりしますし、同じく2作目から登場し「愛しいしと」という口癖が有名なゴラムも登場しています。
ただ、個人的に一番驚きなのは、「ロード・オブ・ザ・リング」から60年前の世界が舞台のはずなのに、今作ではその「ロード・オブ・ザ・リング」の時よりもむしろ老け込んだ感すらあるガンダルフですね。
普通、時系列が過去となる前日譚を扱った話で同じ登場人物が出てくる場合、その登場人物は「未来」の作品よりも若々しい姿で登場するものではないのでしょうか?
現に作中のビルボ・バギンズは、冒頭で年を取っている容貌と60年前の若々しい姿の差が誰の目にも分かるように描写されていたのですし。
作中の描写を素直に信じると、ガンダルフは60年の歳月を経て逆に若返っていることになってしまうわけで、「一体どういう年の取り方をしているんだ?」とは疑問に思わずにはいられなかったですね(苦笑)。
今作や「ロード・オブ・ザ・リング」の設定によれば、ガンダルフは人間ではなく「イスカリ」と呼ばれる魔法使いとのことで、この世界における魔法使いというのは「職種」ではなく「種族」として位置づけられる特殊な存在のようです。
その寿命は人間よりもはるかに長く老化もゆっくり進行するもののようで、道理で60年もの歳月の差がある割には容姿がほとんど変化していなかったわけですね。
ただ、エルフみたいに桁外れな長命で死や老いとは無縁そうな種族であっても、「若返り」まではさすがに無理なわけですし、この辺りは作中時間ではなく「現実世界の時間の流れ」というものを感じずにはいられないですね。
何しろ、ガンダルフが映画で初登場した「ロード・オブ・ザ・リング」1作目の公開から、2012年の時点で既に10年以上もの歳月が経過してしまっているのですし、配役の人も一貫して同じ人が担っているのですから。
前日譚なのに、時系列的には後であるはずの作品よりも登場人物が年を取って見える、というのは現実の時間が流れている以上は避けられない問題なのでしょうが、作中におけるビルボ・バギンズの事例のごとき「配役の変更」とか「容貌のCG加工」で何とか凌ぐ方法はなかったのかなぁ、と。

映画「ホビット 思いがけない冒険」は、「ロード・オブ・ザ・リング」と同じく3部作構成の中の1作品であり、残り2作は2013年~2014年にかけて公開される予定となっています。
次回作の2作目は「ホビット スマウグの荒らし場」、完結となる3作目が「ホビット ゆきて帰りし物語」というタイトルに、それぞれなるのだそうで。
3部作の導入部となる今作では、ビルボ・バギンズが冒険に参加してから、様々な襲撃やアクシデントを経て、はるか遠方にボンヤリと見えている「はなれ山」を一望するまでのストーリーが描かれています。
本質的に戦いに向いておらず、中盤頃までは仲間の足を引っ張っていた感のあるビルボ・バギンズでしたが、終盤ではオークに追い詰められ首を刎ねられようとしていたトーリンの絶体絶命の危機を助けるという大金星を挙げ、トーリンをはじめとするドワーフ達にその実力を認められるようになります。
その点では、終始指輪の誘惑にしばしば魅了された挙句、最後には一時的にせよ誘惑に屈してしまった「ロード・オブ・ザ・リング」のフロド・バギンズよりもはるかに主人公らしいキャラクターではありますね(苦笑)。
「ロード・オブ・ザ・リング」では、フロド・バギンズよりもその従者だったサムの方が、人格面で言っても活躍度から見てもはるかに主人公の風格があったくらいでしたし(爆)。
「ロード・オブ・ザ・リング」と言えば、今作でビルボ・バギンズが拾うことになった指輪が、「ホビット」3部作の中でどのような役割を果たすことになるのかも要注目ですね。
あの指輪、「世界を支配する力がある」とか御大層なことを言われている割には、作中における実際の描写では「身体が透明になれる」程度くらいしか「持ち主の役に立つ能力」というものがなく、それ以外は敵の標的になるとか死霊に追われるとかいったマイナスの効用しかなく、「何故こんなシロモノに誰もが魅了されるのか?」とつくづく疑問に思えてならないところですし。
「ホビット」3部作で指輪の所持が問題化することはないと思われるのですが、指輪は果たしてどんな活躍をすることになるのやら。

「ロード・オブ・ザ・リング」のファンであれば充分に楽しめる映画ではあります。
ただ前日譚とは言え、「ロード・オブ・ザ・リング」の登場人物も少なからず登場していることなどを鑑みると、ある程度「ロード・オブ・ザ・リング」の予習をしてから今作に臨んだ方が「より」楽しめるかもしれませんね。

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」 最終話感想

全10話で構成されるTBS系列の金曜ドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」。
いよいよ最終回となる今回は、2012年12月14日放映分である第10話の感想となります。
前回第9話の視聴率は、最低記録を更新した前々回第8話と同じ7.0%。
結局、視聴率的には下から数えた方が早い低調な番組ということになりそうですね、今回のテレビドラマ版「大奥」は。
もっとも、一連の「大奥」シリーズは元来映画こそが本命なのでしょうから、「映画の番宣」としてはそれなりのものはあったかもしれないのですが。
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちらとなります↓

前作映画「大奥」について
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

原作版「大奥」の問題点
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
コミック版「大奥」検証考察9 【大奥システム的にありえない江島生島事件】
コミック版「大奥」検証考察10 【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】
コミック版「大奥」検証考察11 【排除の論理が蠢く職業的男性差別の非合理】

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」
第1話感想  第2話感想  第3話感想  第4話感想  第5話感想  第6話感想  第7話感想  第8話感想  第9話感想

最終話は、原作4巻P34~P57までのエピソードで構成されています。
女版家光が死ぬまでのストーリーであり、また同時に次作映画「大奥 ~永遠~ 右衛門佐・綱吉篇」の布石ともなる話でもあります。
この区間は、テレビドラマ版には全く登場しない神原家のエピソードが少なからぬページが割かれているいるため、今話における原作ストーリーは実質ほとんど存在せず、当然のごとく今回もテレビドラマ版オリジナルエピソードが中心となっています。
今回のオリジナルエピソードは以下の通り↓

・女版家光の出産の朗報に接し、姫であることを最初は嘆くが、報告者の発言で考え直し喜ぶ玉栄。
・玉栄に出産祝いを述べつつも、どこか突き放したかのような態度を取る有功。
・徳子姫(後の徳川5代将軍綱吉)を相手に子煩悩ぶりを発揮し可愛がる玉栄。
・「有功との間に子供が生まれていたら……」という仮定の話をする女版家光。
・長女の千代姫(後の徳川4代将軍家綱)と次女長子姫(後の徳川綱重)が学問を学んでいるシーン。
・千代姫の教育を女版家光から依頼される有功。
・澤村伝右衛門と共に静かに酒を酌み交わすシーンで、「出家しろと言われたのに何故大奥に留まったのか?」と質問される稲葉正勝。
・徳子姫と戯れている最中に突如病に倒れる女版家光。
・女版家光の「わしは死ぬのか?」という問いに対し、自分の娘をダシにするお夏の方と玉栄、そしてただ小さく頷く有功。
・後継者問題について「長幼の序」を説く有功。
・大奥の男達を吉原に送り込んだ政策の結果を報告する有功。
・徳子姫が次代の将軍に選ばれなかったことを嘆き悲しみ、有功に八つ当たりする玉栄。
・女版家光への殉死後、息子の亡霊と会話を交わす稲葉正勝の亡霊。
・亡き稲葉正勝の手紙を稲葉家に届ける澤村伝右衛門。
・出家して桂昌院となった玉栄との別れの際、礼を述べる有功。
・自身の死に際、「共に死のう」という以前の約束を破棄して有功に千代姫の後見を依頼する女版家光。

原作ではほとんど「やっつけ仕事」だったかのごとく駆け足かつ省略し過ぎな女版家光の晩年でしたが、テレビドラマ版は相当程度のエピソードを追加していますね。
何しろ原作では、たったの1ページで女版家光は唐突に病死してしまっていましたし(苦笑)。
物語的な必然性がどうとかいう以前に、単なる史実との辻褄合わせのために死んだとしか思えない描写でしたからねぇ、原作における女版家光の死は。
その点テレビドラマ版は、女版家光が死に至るまでの過程をきちんと描いていて、原作の補完としてはそれなりのものがありはしますね。
女版家光死後の後継問題も「いつの間にか決まっていた」的な扱いでしたが、こちらでは有功の助言で女版家光が決断するという形で描かれていましたし。
ただ、結果として玉栄の意を踏みにじる形となった有功を、よくまあ玉栄は恨むことすらなく別れの挨拶ができたものだよなぁ、とは思わずにいられなかったですね。
玉栄は、アレだけ徳子姫を将軍にすることを熱望し、お夏の方への対抗意識に満ち満ちていたわけなのですから、その道を阻んだ有功に対して殺意すら抱いてもおかしくなかったのではないかと思えてならなかったのですが。
徳子姫が後に5代目の将軍になれる未来なんて、あの当時の玉栄に分かるはずもないのですし。
徳子姫の存在があってさえ、とことん有功を尊崇してやまないのですねぇ、玉栄は。

それと、前話で有功と女版家光の双方から「死ぬな」と言われていたにもかかわらず、稲葉正勝は結局原作同様に殉死してしまっていましたね。
稲葉家というオリジナルな存在も登場していたのですし、テレビドラマ版では実家に戻って余生を過ごすシナリオでもあるかと当初は予測したりもしていたのですが。
澤村伝右衛門と酒を酌み交わしたシーンでのやり取りが、そのまま稲葉正勝の死亡フラグとなっていました。
原作にもあった、殉死後の稲葉正勝に対する有功の発言「あなたも…上様に恋した男の一人だったのでしょうか…」は、テレビドラマ版では愛情ではなく忠誠心という形で発露されており、この落としどころは上手いものがあるのではないかと思いました。
原作では何を意図していたのかも不明な台詞でしたし。
原作補完という点から言えば、テレビドラマ版「大奥」はまずまずの出来であると言えるでしょう。

しかし、女版家光の死の間際における玉栄とお夏の方との張り合いぶりは、正直笑わずにいられないものがありましたね。
両者共、女版家光ではなく自身および娘の今後の権勢にばかり目が向いていることが誰の目にも分かる対応ぶりでしたし。
まあアレがあったからこそ、ただひとり淡々と女版家光のことを思いやる有功の言動が光もするわけですが。

今回でテレビドラマ版「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」は完結を迎え、次の舞台はいよいよ2012年12月22日公開映画「大奥 ~永遠~ 右衛門佐・綱吉篇」へと向かうことになります。
全体的に暗い話が続いていたテレビドラマ版とはまた違った面白さがあちらにはありそうではありますが、さて肝心の出来は一体どうなることやら。
当然私も、次作映画は観賞する予定です。

映画「ハングリー・ラビット」感想(DVD観賞)

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映画「ハングリー・ラビット」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2012年6月に劇場公開されたアメリカ映画で、ニコラス・ケイジ主演のサスペンス・アクション作品です。
例によって例のごとく、熊本では一度として見かけたことすらない作品ですね(T_T)。
ニコラス・ケイジ主演作品は、熊本では軒並み避けられている傾向が多々ありますし(-_-;;)。
この映画の地域間格差、いい加減どうにかならないものなのかと。

物語の舞台はアメリカ・ルイジアナ州ニューオリンズ。
冒頭では、何者かがビデオカメラで録画撮影をしている中、撮影されている男が「空腹の兎が飛ぶ(ハングリー・ラビット・ジャンプ)」という謎の言葉の意味について尋ねられています。
男はとにかく怯えている様子で、一刻も早くその場を離れたがっていました。
男がしゃべった内容については物語後半で判明するのですが、それはさておき、話が終わったらしい男は周囲を警戒しながら、立体駐車場の屋上に停めていた自分の車に向かっていました。
そして男が車を発進させその場を離れようとしていたその時、突如大型のランドクルーザー?に側面からぶつけられます。
男は恐怖に震えながら逃げようとするのですが叶わず、車ごと屋上のフェンスに追い込まれ、ランドクルーザーに追突される形で屋上から死のダイブを強要されることになってしまいます。
男の車は下の車を巻き込む形で落下・大破させられ、当然のごとく男の生命もそこで尽きることとなるのでした。

舞台は変わり、カーニバル?のような祭りが繰り広げられているニューオリンズのラフィット・ホテルのバーで、今作の主人公であるウィル・ジェラードとその妻ローラ・ジェラードは、結婚記念日を祝い乾杯をしていました。
祭りで踊り明かしたり、親友に出会いのきっかけを話したりして、ローラと共に楽しんでいだウィルは、その日の夜、ローラにルビーのネックレスをプレゼントし、ローラを喜ばせます。
ウィルは地元の高校の教師、ローラは交響楽団の演奏家の職にあり、子供はいないながらも夫婦円満かつ幸せな生活を営んでいたのでした。
しかしそんな生活は、ある日ローラが銃を持った暴漢に襲われ乱暴を受けた上、ルビーのネックレスを奪われてしまったことから一変します。
妻が襲われたという知らせを聞いてすぐさま病院に駆けつけたウィルが見たものは、暴行を受け顔が腫れあがり、病室で寝かされている妻ローラの姿でした。
妻が襲われたことに当然のごとく深い悲しみと苛立ちを覚えるウィル。
しかし、そんなウィルの前に、ひとりの見知らぬ男が話しかけてきます。
サイモンと名乗るその男は、妻を襲った犯人のことを詳細に知っているようでした。
そして、犯人が捕まってもDNA鑑定や裁判で時間がかかる上、11ヶ月の服役程度で簡単に出所できてしまうということも。
その上でサイモンはウィルに対し、「自分達の組織で犯人を代わりに始末しよう」と提案してくるのでした。
金はいらないが、後日手伝ってもらうことがある、という条件を提示して。
最初は胡散臭く思い、サイモンの一度は断るウィルでしたが、直後に妻のことが脳裏に浮かんだウィルは考え直してサイモンを呼び止めます。
サイモンは謎めいた行動を取るようウィルに指示を出し、ウィルはその指示の通りの行動を行います。
果たして後日、ローラを襲った犯人は、別の男によって自宅を襲撃され、自殺を装って殺されてしまうのでした。
犯人を殺した男は、事を済ませると携帯で葬儀社に電話し、こう言うのでした。
「空腹の兎が飛ぶ(ハングリー・ラビット・ジャンプ)」と。

映画「ハングリー・ラビット」は、先が読めないサスペンス調な展開が良いですね。
個人的にはニコラス・ケイジが主演ということから、単純明快なアクションメインの作品とばかり考えていたのですが(苦笑)、これは良い意味で予想を裏切られました。
「空腹の兎が飛ぶ(ハングリー・ラビット・ジャンプ)」の意味とはどういうものなのか、サイモンの組織の実態とはどのようなものなのかなど、謎を追っていく展開が面白かったですし、ラストのオチもなかなかに底知れぬ恐ろしさを感じさせてくれるものではありました。
ああいう組織って、実態が分からないからこそ恐怖感が煽られるのであって、どれだけ巨大だろうが実態が把握できてしまえば大したことはなくなってしまうわけですが、ようやくサイモンの組織の実態が分かったかと思ったらあのラストだったわけなのですからねぇ。
この展開はかなり上手いと言えるものだったのではないかと。
また、「法に頼らない正義の組織」が暴走すると如何に恐ろしいものになるのか、というテーマも今作では内包されていて、サイモンはまさにその担い手と言えるものでした。
序盤でウィル相手に「法の無力さ」を披露していたサイモンは、主観的にはまさに「正義」を実現するつもりで、次第に組織の主旨とは異なる暴走を開始していったのでしょう。
作中のサイモンは、あくまでも「組織の邪魔になる人間」を消していっただけであって、私利私欲のために人を殺していたわけではないようでしたし。
もっとも、サイモンより上の組織の人間達も、組織の自己防衛にはそれなりの手練手管を駆使してはいるようなのですが。
警察やマスコミの上層部にまで食い込めてしまう辺り、組織の全貌ってどれくらいの規模&秘密を抱え込んでいるのでしょうかねぇ。

今作でニコラス・ケイジが演じる主人公ウィル・ジェラードは、一介の高校教師ということもあってか、それほど派手なアクションを演じて敵を爽快感溢れる倒し方で圧倒するわけではありません。
また敵との駆け引きも、観客が不安にならざるをえないような直截的かつ危なっかしい要素が多分に含まれるような稚拙なやり取りに終始していたりします。
サイモンの言いなりになることに反発を感じて半ば条件反射的に逆らったかと思えば、その後の制裁や急展開について予想外と言わんばかりな反応を示していたり、妻に組織のことを秘密にして却って猜疑心を買ってしまったりと、良くも悪くも「凡人」な言動ばかりが披露されています。
アクション映画であればまず間違いなく失格条項となるであろうこれらの描写は、しかし緊迫感溢れるサスペンスがメインである今作では却って作品の世界観に上手くマッチしていると言えるものではあります。
凡人を相手にしているからこそ、サイモンのような組織は成り立つわけですし。
その意味で今作は、アクションヒーローのような「非現実なフィクション作品」ではなく、「誰の上にも起こりえる一般人の思考・言動を元にした【現実的な】フィクション映画」と言えるのかもしれません。

ミステリー的な謎解きやサスペンスな展開が好みな方にはオススメの作品ですね。

映画「レッド・サイクロン」感想(DVD観賞)

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映画「レッド・サイクロン」をレンタルDVDで観賞しました。
2011年にカナダで製作されたSFディザスターパニック映画。
やっぱりこれも、日本での劇場公開なしにDVDのみで日本上陸を果たした作品とのこと。

物語は、ガソリンスタンド?の車庫で何やら車の整備をしている父親と、自転車に乗ってきた息子とのやり取りから始まります。
息子の方はどこかに行かなければならない用事があるらしく、父親に外出の許可を得ようと働きかけるのですが、当の父親の方は全く意に介することなく、息子に自分の仕事の手伝いをさせようとしていました。
そこへ突然、ガソリンスタンドが大きな揺れに見舞われます。
何事かと思って2人が車庫の外に出ると、突如落雷がガソリンスタンドの看板をなぎ倒します。
あまりにも突発的の出来事に呆然とする息子と、「大丈夫か!」と駆け寄る父親でしたが、その2人の周囲では明らかに異常な放電現象が発生していました。
クルマを真っぷたつに切り裂く雷、ガソリンスタンドを駆け巡る静電気?などで、その場を逃げようとしていた2人は動きを封じられてしまいます。
そして空では赤い雲が竜巻状なものに変化し、地面に転がっていた2人を巻き込んでしまうのでした。

場面はかわって、今度はエンストしたオンボロなクルマの修理に当たっている母子のシーンが映し出されます。
息子のウィルは、自分が通っているハートフィールド高校で行われる「遅刻の罰登校」へ向かう途中で、罰登校に遅刻することを気にしていました。
息子の将来を案じて大学進学を熱心に勧める母親アンドレアとウィルの仲はお世辞にも良いものとは言えず、2人は学校の前で離れることになります。
ウィルの罰登校の担当教師はウィルの父親ジェイソンで、ウィル以外には、ウィルの恋人?メーガン、バスケ部の選手ローソン、報道記者志望のスーザン、そして冒頭のガソリンスタンドのシーンで出てきたルークの4人が罰登校を受講する予定でした。
一方、罰登校による補習が行われている最中、アンドレアはジェイソンに対し、ウィルに大学の願書提出について話を勧めさせるよう携帯で電話をかけます。
しかし2人が会話をしている途中、突然携帯が不調をきたして連絡が取れなくなってしまいます。
さらに街中では街灯が突然破裂するなど、明らかな異変が既に始まっていました。
一方、ウィルとメーガンはローソンと口論になり、仲介したジェイソンによって校舎の外で荷卸しをするよう言い渡されてしまうのでした。
そして、2人が意味あり気な会話を交わしながら作業を続けていたところ、冒頭のガソリンスタンドと全く同じ揺れが2人を襲います。
異常を感じた2人が外に出てみると、そこでは……。

映画「レッド・サイクロン」は、元来地球上にはなく木星にあるという破壊粒子・エクスポゾンによって構成された雲ないし竜巻が、地上のありとあらゆる個体物質を気体に変えていきつつ拡大を続けるという設定です。
周囲を破壊しながら自然増殖・拡大を続ける脅威と言い、(カナダの映画なのに)アメリカの片田舎が舞台な点と言い、どことなく映画「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」とも共通する部分が多々ありますね。
被害については、ワシントンDCやニューヨークなどのアメリカ東海岸が軒並み壊滅したこちらの方がはるかに規模がデカいのですが、具体的な映像が出てくるわけではなくただニュースの一節として流れるだけですから、作中における演出という点では両者共にあまり変わりがないですね(^_^;;)。
世界的な危機を扱っている割には舞台が小さい上に登場人物も少なめなので、こじんまりとしている感はどうにも否めないところではあるのですが。
ウィルが実は超天才的な才能を持っていて、それがレッド・サイクロンを自壊させることになるというストーリーは、ハリウッド映画をもしのぐ御都合主義的要素が多大にあるとはいえ、一般受けしやすいものではあるでしょうね。
逆に、いっぱしの科学者だったであろう男女2人の登場人物が、如何にも思わせぶりに登場していながら、男性は飛行機不時着の際にあっさり死亡、もう片方の女性もガソリンスタンドでの凡ミスの類で爆死してしまい、ロクな活躍の場すらもなかったというのは、正直どうかと思わなくもなかったのですけど。
登場シーンから見て、当初はウィルと手を組んでサポート役として後半に活躍するとばかり考えていただけに、あの末路は悪い意味で予想を裏切るものではありました。
作中における2人の役割って、単なる伝言係でしかなかったですからねぇ、アレでは。

それと、ウィルの超がつくだけの天才的な才能を全く見抜くことができず、上から目線で小言ばかり繰り出していた両親2人は、どんな事情があるにせよ、あまりにも息子のことを見て無さ過ぎですね。
本来、子供の才能を認め伸ばすように努めるのが親の役割であるはずなのに、息子の彼女の父親の発言でようやく息子の才能に気付かされるって……。
ウィルの両親は、作中の描写を鑑みても、普段から息子を見下している感がありありでしたし、最も身近なはずの自分の息子を、ある意味この世で一番信用していなかったのではないですかねぇ。
また当の息子ウィルもまた、両親のそんな態度が鼻についたから自分の才能をひた隠しにしていたのではないかと。
ああいう親の場合、自分の子供に意外な才能があることに仮に気づいたとしても、そのことを正当に評価するどころか、むしろ自分の意に沿わないことをしているとして、却って子供を虐待したりする事例も少なくなかったりしますからねぇ。
あのレッド・サイクロンの事件がなかったら、2人はいつまで経っても息子の才能に気付くことなく、息子を無能と嘆きながら生涯を終えてしまっていたのではないでしょうか?
作中のあの親子は最終的に和解してめでたしめでたしな結末ではありましたが、親が選べないというのは子供にとって論外な話だよなぁ、とつくづく考えずにはいられなかったですね。

暇潰しの余興としてDVDでレンタル観賞する分には、まあまあの出来とは言えるのではないかと。

映画「パニック・スカイ フライト411 絶対絶命」感想(DVD観賞)

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映画「パニック・スカイ フライト411 絶対絶命」をレンタルDVDで観賞しました。
2012年に製作されたアメリカ映画で、パニックアクション的な要素を交えつつも、宗教的な色彩の強い作品です。
これも「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」と同じく、日本での劇場公開なしにDVDのみで日本上陸を果たした映画のようです。
こういう海外映画って、意外に多そうですね。

「竜は海辺に立ち、獣を呼び出す。あらゆる人類を支配する権限を得た獣は、聖なる者をも征服した」 ― 黙示録13章

今作の物語は黙示録13章を読み上げるところから始まった直後、タイのバンコクにあるコンテナ集積所?にあるコンテナのひとつで、周囲を銃で武装した護衛に囲まれる中、とある手術が行われようとしているシーンに場面が移ります。
コンテナを警護している護衛のひとりであるチャド・ターナーは、雇い主に不満そうながらもしぶしぶと警護の任についています。
ところがそんな中、突如コンテナを謎の武将集団が奇襲を仕掛けます。
チャドは善戦するものの、護衛の多くは撃ち倒され、コンテナの手術室にも銃弾が浴びせられてしまいます。
チャドは襲撃者を打ち倒しつつ、警護対象たるコンテナに近づき、その安否を確かめようとします。
少なからぬ銃弾が撃ち込まれたコンテナには、チャドの上司?も手術対象の人間も既に死んでおり、かろうじて生きていたのは瀕死の重傷を追ったひとりの医者だけでした。
チャドが医者に駆け寄ると、その医者は「お前だけが頼りだ」とチャドの腕に何かを打ち込み、そのまま息絶えてしまいます。
そして、何かを打ち込まれたチャドもまた、注射?の打ち込まれた後遺症によるものなのか、そのまま意識を失ってしまうのでした。

次にチャドが目を覚ますと、彼はチャドの様子を観察していた人物と共に、とある一室に寝かされていました。
同じ一室にいた人物は、自分のことをアヴァンティ社のクーパーと名乗り、チャドの腕の中に「チップ」と呼ばれる物が埋め込まれた結果、チャドが会社にとっての重要人物になったことを彼に告げます。
そしてクーパーは、ドイツのベルリンで開かれるG20の会議の場へ行くようチャドに指示を出すのでした。
二日後にバンコク国際空港からベルリンへと飛び立つ飛行機に乗り、かつ旅行者に紛れ込む形で。
またもやキナ臭い任務な感がありありだったものの、チャドに選択の余地もなく、彼はその指示に従うことになります。

一方、アヴァンティ社のライバル企業?とおぼしきターク産業のグローバル本社では、企業のトップと思しき人物とプロの仕事人?の2人が何やら密談を繰り広げていました。
ターク産業のトップの人物は、アヴァンティ社が開発したチップを欲しがっており、大金を積んで買うと申し出ながら断られたことから、プロの仕事人にチップを奪うよう依頼するのでした。
そしてプロの仕事人は、バンコク発ベルリン行の飛行機に搭乗するチャドを捕縛すべく、同じ飛行機に搭乗し蠢動することになるのですが……。

映画「パニック・スカイ フライト411 絶対絶命」は単独では全く完結しておらず、まるまる1本使ってプロローグ的なストーリーを展開しているような感がある作品ですね。
今作では、チャド・ターナーに埋め込まれた「チップ」と呼ばれる存在が、物語の重要なカギを握っているのですが、実のところ、この「チップ」なるものが具体的にどんな力を持っているのかについては、物語のラストに至るまで謎に包まれたままです。
作中における「チップ」の具体的な能力の発動例としては、物語中盤で飛行機の乗客の半分近い数が突然着用していた服を残して忽然と消えてしまったという事例があるにはあるのですが、これにしても「何故、どのような理由でそんな現象が発生したのか?」については全く何も言及されていません。
作中における「チップ」は、リーマンショック後の混沌とした世界を変えられる救世主的な役割を担えるだけの力を持つとされているのですが、作中で披露された「突然人が服を残したまま消える」というだけでは、それがどんな形で救世主的なツールたりえるのか不明もいいところです。
結局、「チップ」の謎は最後まで明かされることなく、ラストは主人公がヒロインと共に低空飛行に入った飛行機からパラシュートで脱出するという結末を迎えただけでしかありませんでしたし。
ハイジャックをやらかしたプロの仕事人も結局死ぬことなく終わっていましたし、作品単独としてはあらゆる点で不完全燃焼が否めないのではないかと。
かといって続編に期待しようにも、続編ができるほどの人気を博しているとは到底思えない出来なことは、日本で劇場公開されることがなかったというその一事だけを見ても一目瞭然なのですしねぇ。
この辺り、アメリカ映画にもピンキリ色々とあるのだなぁ、という当たり前の事実をつくづく感じさせてくれる作品ではありますね。

あと、いくらリーマンショック等の経済危機で世界が混乱をきたしているとはいえ、救世主的な力でもってその状況を改善するというのは正直無理があるのではないかと思わなくはもなかったですね。
黒幕であるターク産業のトップが画策していたのは、作中の描写を見る限りでは「ひとりのリーダーによる超強力な中央集権体制の確立でもって世界を統合しよう」という話のようです。
しかし、通貨を統合しようとしたEUの悲惨なまでの政治的妥協や危機的状況を鑑みるだけでも、それが非現実な行為でしかないことは素人目にも明らかなのではないかと。
超常的かつ絶対的な力や奇跡を行使しさえすれば成し遂げられる、というものではないのですからねぇ、その手の政治的統合というものは。
各国がそれぞれ抱え込んでいるナショナリズムの問題や伝統・慣習・文化・言語の違いなど、単純な力業だけで押し通せない問題はいくらでもあるのですし。
宗教や文化で多くの共通項が存在するはずのヨーロッパの経済的統合ですら失敗するのですから、ましてやひとりの強大なリーダーによる政治的統合など、まだ当面は夢物語もいいところでしかないでしょう。
また仮にそんなものが実現しえたとして、それが大多数の人間および人類社会にとっての利益になるという保証もありはしません。
0.1%の人間だけが利益を享受し、残り全てが圧政と弾圧で苦しめられるなどという未来だって起こりえるのですから。
経済的・政治的な格差が拡大するようなものであれば、一時的に状況が改善されたとしても、長期的には動乱の種を植え付けることにもなりかねないのではないかと。
ヨーロッパやアメリカ、それに中国などで貧富の格差が拡大したことが大きな社会問題となっているように。
ターク産業のトップが、そこまで考えた上で救世主を志向しているとはとても見えないのが何ともねぇ(-_-;;)。

今作は続編ありきが前提のストーリーのため、作品単独では正直評価のしようがないですね。
続編が出た後でまとめて観賞する方が、あらゆる意味でスッキリしそうな映画ではあります。

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」 第9話感想

全10話放送予定のTBS系列の金曜ドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」。
残り2話となった今回は、2012年12月7日放映分の第9話感想です。
前回第8話の視聴率は、前々回最低記録を更新した第7話をさらに下回る7.0%。
正直、ここまで視聴率が上がらないというのは、もう番組の出来がどうとかいう以前にテレビの集客力自体が衰退しているとしか評しようがないですね。
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちらとなります↓

前作映画「大奥」について
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

原作版「大奥」の問題点
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
コミック版「大奥」検証考察9 【大奥システム的にありえない江島生島事件】
コミック版「大奥」検証考察10 【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】
コミック版「大奥」検証考察11 【排除の論理が蠢く職業的男性差別の非合理】

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」
第1話感想  第2話感想  第3話感想  第4話感想  第5話感想  第6話感想  第7話感想  第8話感想

第9話は、ほぼ全編にわたってオリジナルストーリーが展開されています。
原作的には4巻P12~P33までの管轄となるのですが、この区間にはテレビドラマ版には全く登場しない神原家のエピソードも存在するため、原作ストーリーの観点から見るとほとんど進んでいなかったりするんですよね。
今回のオリジナルエピソードは以下の通り↓

・女版家光の公表後における稲葉正勝と有功との会話。
・稲葉正勝と澤村伝右衛門の酒盛りと昔の回想、さらに有功からの伝言が稲葉正勝に伝えられる。
・女版稲葉正則の動向。
・「御内証の方」ができた理由についての女版家光の(原作よりはもっともらしい)解説。
・女版家光に夜伽の相手に指名されるも、女版家光の懐妊により夜伽がお流れになる。
・お夏の方と玉栄の確執。
・「今度こそ(女版家光に)子供を産ませてみせる」と意気込む玉栄と、どこか達観している感のある有功。
・有功のお褥辞退願いの後、稲葉正勝に話しかけ、「そなたは死ぬことなく僧になって息子の菩提を弔え」と述べる女版家光。

前作映画「大奥」ではおよそ意味不明な概念として登場していた「御内証の方」がここでやっと出てきましたが、この導入に関する説明は原作よりはまだ「理性的に見える」シロモノではありましたね。
まあ原作では、どう見ても女版家光のヒステリックな癇癪とヤクザの言いがかり的な動機から生まれたものでしかなかったのですから、少しばかり理論武装らしきことをのたまうだけで大抵はマトモなように見えてしまうものではあるのですが(苦笑)。
とはいえ、テレビドラマ版のそれも、少し考えればすぐさまボロを晒すようなシロモノでしかないのですけどね。
何しろ、「一瞬たりとも何者かが将軍の上に立つことは許さぬ」「ひいては将軍の、徳川の威光を守ることにもなろう」などという女版家光の言が事実なのであれば、そもそも「叛逆者」の類にすら該当する「御内証の方」は、御白洲裁判にでもかけて打ち首獄門の上、その死と晒し首を公衆の面前で知らしめる必要が当然のごとく発生するはずでしょう。
もちろん、当時の法体系から言えば「御内証の方」本人だけでなくその親類縁者も同罪とならざるをえないので、当然それらの人々も同じ目に遭わせなければなりません。
女将軍の初体験が「将軍の身体に傷をつける」と定義され、それが叛逆罪なり将軍暗殺未遂罪なりに匹敵する大罪と見做されるのであれば、「何者かが将軍の上に立つこと」を許さず「将軍の、徳川の威光を守る」ためにも当然そこまでやらなければならないわけです。
将軍側に何ら後ろ暗いところがなく「御内証の方」を悪として断罪するのであれば、「御内証の方」は世間一般にその存在を晒して家族もろとも公然と処刑すべきなのです。
それをせずに「内々に死罪にする」などと文字通り女々しいタワゴトをのたまっている時点で、それを執り行うべき女将軍側に後ろ暗い事情があることを自分から白状しているも同然ではありませんか。
むろん、「御内証の方」を叛逆罪として公然と処刑などしようものならば、そもそも大奥に入ろうとするものなど誰もいなくなってしまうでしょう。
自分のみならず、家族や親戚までもが処刑に巻き込まれ御家断絶の事態にまで発展しかねず、さらには自身や家の名誉までもが汚され後世に至るまで断罪され続けることにもなるのですからなおのこと。
まあ女版家光も、そのような現実と後ろ暗さをある程度自覚しているからこそ、「御内証の方」は【内々に】死罪にしろとのたまっているのでしょうけどね。
そもそも、「御内証の方」の実態が世間一般に知れわたろうものならば、将軍家そのものが笑い物にされて、それこそ「将軍の、徳川の威光」を多大なまでに損壊することにもなりかねないのですし(爆)。
女版家光個人のレイプな初体験はいざ知らず、女版家光が言うところの「初体験」自体は女性であれば誰もが通る道でしょうに、そんなものにわざわざ死を与えるなんて、如何なる社会常識で考えてさえ頭の具合を疑われても仕方のない話でしかないのですから。
それとも「大奥」世界の女将軍とやらは、世間一般の女性達全てに対しても「自分の処女を奪った男は殺せ!」ということを社会通念として推奨しているとでもいうのでしょうかねぇ(苦笑)。

テレビドラマ版「大奥」も、残すはいよいよ最終話のみ。
予告編を見る限り、テレビドラマ版「大奥」は女版家光の死とその後日談が若干展開されることでもって完結し、次作の映画版「大奥 ~永遠~ 右衛門佐・綱吉篇」へと繋がっていくことになりそうですね。
徳川4代将軍家綱のエピソード、特に「明暦の大火」辺りの話は完全にすっ飛ばすつもりのようで。
今話の終盤で有功と女版家光がそれぞれ「死ぬな」と稲葉正勝相手に明言していた効果は、果たして「女版家光の死に際して追い腹を切った稲葉正勝」という原作の流れを改変することができるのでしょうか?

映画「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」感想(DVD観賞)

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映画「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」をレンタルDVDで観賞しました。
2011年にカナダで製作されたパニックSF作品。
日本での劇場公開はなく、DVDのみでの日本上陸となるみたいですね。
Wikipediaやシネマトゥデイの映画検索にも引っかからないですし。

物語冒頭では、「アラムート計画」と称する研究を行っている男達が、植物を相手に空気浄化の実験をしている様子が映し出されています。
ビデオカメラで撮影されている男がタバコの煙を植物に吹きかけた瞬間、その植物は煙を吸い込み浄化してしまいました。
直後の測定で、植物の周囲にはタバコ特有の一酸化炭素や二酸化窒素などの有害物質が全く検出されなくなっていたことが判明。
「素晴らしい植物だ!」と絶賛する男の下で、不気味なまでの速度で根を生やす植物が映し出された直後、舞台は全く別の場所へと移ります。

次の舞台は、アメリカ・ネバダ州ラブロックにあるケンブル鉱山。
そこでは一組の男女2人が、有害ゴミの不法投棄を行っている人間の様子をビデオカメラに収めるべく、忍耐強く監視を続けていました。
やがて2人の前に、不審な白いバンが現れます。
不法投棄が行われる様子が行われるのかと緊張し、ビデオカメラを取り出して撮影を始める2人でしたが、バンから降りた男は手ぶらで歩いており、不法投棄を行う様子など全くありません。
代わりに男は、周囲を警戒しつつ、スーツ姿を来た男と対面するのでした。
スーツ姿の男はアタッシュケースから大金を見せつけ、バンの男と何か取引をしようとしているようでした。
それに対し、バンの男はおもむろにナイフを取り出して自分の手を切った後、同じく取り出した葉っぱを手に当てます。
手に当てた葉っぱを男が剥がすと、そこには最初に手を切った際にできたはずの傷はどこにもなくなっていました。
バンの男は大金と引き換えに何かの種子をスーツ姿の男に渡す手筈となっているようで、バンの男は車から種子を持って来ようとします。
しかし、スーツ姿の男にはもうひとり、遠距離から狙撃中で監視しているスナイパーがついていました。
そのスナイパーの男が2人の男女の姿に気づいた時、事態は急激に動き出します。
スーツ姿の男は、バンの男が罠にはめたのではないかと早合点し、スナイパーの男はバンの男を銃で狙撃。
負傷したバンの男は、ちょうどバンから取り出そうとしていた種子を地面に落としてしまい、種子を保管していた容器が割れてしまいます。
そして、種子が地面に落ちてしばらく経った時、それは突然起こりました。
何と、地面から突如巨大な植物の根が生えてきて鉱山を覆いつくしてしまったのです。
スーツ姿の男も、急激に成長する根に巻き込まれる形であっさりとフェードアウト。
遠距離だったために無事だった2人の男女は、クルマに乗ってその場から逃走。
しかし巨大な植物の根は、その後も凄まじい勢いで成長を続け、やがてネバダ州を覆い尽くさんとするのでした……。

映画「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」は、上映時間が91分と短いこともありとにかく展開が速いです。
今作で脅威として描かれる巨大植物は早々に出現しますし、その成長速度も早ければ、人間達がその脅威を認識するのも何の問題もなく達成されます。
目の前ではにわかに現実とは思えない光景が次から次に繰り広げられていくにもかかわらず。
まあ、たとえどんなに非常識かつ理解不能な光景であっても、それが危険であることは誰の目にも一目瞭然だったわけなのですから、「こんなことが科学的&常識的にありえるはずがない!」などと手をこまねいて現実を否定していたら、生命がいくつあっても足りないのですが。
ただ、作中の巨大植物は、図体の大きさと破壊力という点では申し分なかったものの、対人間についてはどのような脅威になるのかがやや不透明な感が多々ありますね。
植物が人間に直接襲い掛かって殺すシーンというのは作中になく、作中の人間達の死は、植物が作った亀裂に落っこちたり、人が乗った車がいいように弄ばれるという形で、間接的に明示されるに留まっていましたし。
この映画、人の死を直截的に描かないということにこだわりを持ってでもいたのでしょうか?
その割には、ヘリが撃墜された際にパイロットが撃たれて死ぬ様はモロに描いていたりするのですが……。

個人的に疑問だったのは、植物の研究を行っていたマッドサイエンティストの老科学者が、ただ単に「研究を邪魔されたくない」という理由だけで侵入者を抹殺しろと命じたことですね。
自分の研究結果を独占して利益を得るという意図でもあるのならば抹殺命令も納得がいくのですが、単に「研究を邪魔されたくない」って、それが他者を殺さなければならない理由になるのかと。
そのためにわざわざプロの傭兵?を4人も雇っているのも理解に苦しみますし。
ただ「邪魔をされるのを防ぐ」というだけであれば、銃を突きつけて脅して追い払うという形を取った方が、持ち場を離れなくて良い分安全確実なのではないのでしょうか?
プロの傭兵4人も、わざわざ無駄に走らされた挙句に結局は侵入者の侵入と研究妨害を許してしまっているのですし。
殺すことにこだわったがために、却って本来の目的からしても本末転倒な結果をわざわざ自分から招いていたとしか思えないのですけどね、あの老科学者は。
まあ彼にとっての研究とは何物にも代えがたい至宝の存在であったことは、物語終盤に「植物の増殖を止める」ことで合意が成立していたにもかかわらず、植物の根を見て「素晴らしい研究素材だ」とあっさり前言を翻して裏切ったシーンを見ても明らかなのですが。

全体的にイマイチ盛り上がりが欠けていて、いかにもB級映画的なテイストで製作された雰囲気が多大なまでに漂う作品ですね。
作りから考えても低予算な映画なのでしょうし、仕方ない部分もあるのでしょうけど。

映画「ロボット」感想(DVD観賞)

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映画「ロボット」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2012年5月に公開されたインド・ボリウッド映画で、世界最高の頭脳と能力を持つ人造人間が暴れ回る、ラジニカーント主演のSFアクション作品です。
今作では劇場公開時に熊本では全く上映されておらず、今回そのリベンジを果たす形での観賞となりました。
ちなみに、私がインド・ボリウッド映画を観賞するのは、実は今回が初めてとなります。
インド・ボリウッド映画って、「あの」ハリウッドすらも超える数の映画を製作しているという割には、日本ではあまり劇場公開されておらず、どうにもマイナーなイメージが拭えないところなんですよね。
もう少し劇場公開されても良さそうな気はするのですが……。

今作の主人公であるバシーガランは、実に10年にもおよぶ歳月をかけて、1体のロボットを製作していました。
製作は順調に進み、製作の時点で既に自立歩行はもちろんのこと、格闘技まで問題なくこなし、さらには会話の方法を学んだり歌を歌ったりすることまでできるという高性能ぶりを披露しています。
恋人であるサナですら門前払いをして研究に没頭したために怒りを買って別れ話を切り出されるにまで至ってしまうという副作用はあったものの、ロボットはめでたく完成の日を迎えます。
スピード:1テラヘルツ・メモリー:1ゼタバイト(ゼタはテラの10億倍)という、スペックからして凄まじい能力を誇るそのロボットは、バシーガランの母親によって「チッティ」と名付けられることになります。
最初は、間からの指示を字面通りに解釈し融通の利かない様を見せたり、電話帳の中身を丸暗記して驚異の記憶力を見せつけたりと、いかにもロボットらしい言動を披露するチッティ。
そしてバシーガランは、ロボット工学の要人達?を集めた発表会で、チッティの存在を世に知らしめるのでした。
しかし、発表会の場でそれを面白くなさそうに眺めるひとりの男がいました。
AIRD(人工知能開発局)の局長であるボラ教授です。
彼もまた人工知能を持つロボットの製作を生業としていたのですが、バシーガランと異なり開発がまるで上手く行っておらず、自身が為し得ない成功を達成したバシーガランを妬んでいたのでした。
彼は、男の嫉妬丸出しで、バシーガランに一泡吹かせることを決意するのでした。

そんな中、チッティの桁外れな高性能ぶりに目をつけたサナは、大学?の試験対策のための家庭教師としてチッティを使うことを思いつき、バシーガランに頼み込んで2日ばかりチッティを借りることに成功します。
しかしサナは、大学で好き放題やりまくっているチンピラ学生達と対立し、チッティは彼女を守るべくチートな奮闘を展開しまくることに。
その後、チッティの調整を終えたバシーガランは、AIRDからチッティの承認をもらうべく、AIRDの審査会に臨むこととなるのですが……。

映画「ロボット」は、全体構成の3分の2近くを「チッティの能力披露と変遷の過程」に注ぎ込んでいますね。
序盤は基本的な性能の披露から始まり、中盤にかけてはチンピラとの格闘、火災現場における人助けと、ロボットの性能とそれ故のイザコザに関する描写に終始しています。
個人的に少々疑問を持ったのは、火災現場で風呂に入っていたセルビという女性をチッティが助けた際、衆人環視の前で裸を晒す羽目となった彼女が、報道陣から逃げ出した挙句にタンクローリーに轢かれて死亡した責任がチッティの責任にされてしまったことですね。
あれってどう見ても、チッティではなく裸の女性にカメラを突きつけたマスコミの方に問題があったのではないかと思えてならなかったのですが。
日本やアメリカであればまず真っ先に人権問題に発展しかねない報道だったのですが、ああいうパパラッチ以下レベルでしかない報道手法がインドでは許されるとでも言うのですかねぇ(苦笑)。
今作特有の描写で言えば、チッティがサナを誘拐して逃亡していた際に、サナという人質がいることが分かっていながら、そんなことお構いなしに銃を乱射しまくっていた警官達の描写もなかなかにクるものがありました。
クルマの真横という至近距離からマシンガンをぶっ放しまくるという描写までありましたし。
あれだけ銃を乱射しまくってサナが死亡どころか負傷すらもしなかったのは、単なる奇跡かご都合主義以外の何物でもなかったでしょう。
いくらあの時点ではチッティの驚異的な性能が周知だったとは言え、人質もろとも殺してしまえとあっさり突き抜けてしまえる作中におけるインドの警察機構は、日本やアメリカとはまた違った組織であることをまざまざと見せつけてくれます(爆)。
日本やアメリカの映画で同じような場面に遭遇した際には、必要以上に人質に対する配慮を示して行動を束縛されたり、そこを犯人側に付け込まれて好き勝手されたりする描写が展開されるのが常だったりするのですが。
特に日本なんて、硬直しきった警察機構や官僚組織のあり方が、しばしば映画のみならずエンタメ作品のテーマとして取り上げられたりするくらいなのですからねぇ。
そんな苦悩とは全く無縁な作中におけるインドの警察機構は、日本人から見たらある意味羨望に値するものですらあるのかもしれません。

あと、せっかくチッティをバシーガランから離反させて自分の意のままに操れるチャンスを得たにも関わらず、結果的にチッティに惨たらしく殺されてしまうボラ教授が、あまりにもマヌケに見えてならなかったですね。
彼は、チッティのプログラムを書き換えて好き勝手に暴れ回るよう仕向けた際に、自分にだけは絶対に逆らわない&逆らえないようにするためのセーフティプログラムを全く組み込んでいなかったんですよね。
プログラムの中に主人に対する絶対服従を仕込み、自分達に逆らおうとした際には強制的な措置でもってその行動を抑止するという手法は、映画だと「ロボコップ」辺りで既に描かれている、誰でも考えるべき手垢の付いたシロモノでしかないはずなのに。
チッティを助けたのだから自分は大丈夫だろうと、何の根拠もなく信じ込んでいたのですかねぇ、ボラ教授は。
そんなものは何の安全保障にもならないと、彼ならば他ならぬ自分自身の経験から理解できたはずでしょうに。
あれだけのことをやって黒幕的な雰囲気を醸し出しておきながら、その末路がセーフティネットの張りそこないによる自業自得な自滅というのは、いささか竜頭蛇尾もいいところだったのではないのかと。

しかし今作の真骨頂は、物語後半50分ほどで展開されるアクションシーンにあります。
逃走するチッティとそれを追う警察との戦いと、チッティによって製作された大量の「チッティ軍団」の暴走ぶりは、確かにハリウッド映画も顔負けな要素がふんだんに盛り込まれています。
確かにあんなアクションシーンは、日本映画どころかアクション映画の本場ハリウッドでさえもなかなか思いつけるものではないでしょう。
というか、一体どうやったらあんな超高度な組体操モドキなアクションシーンを考えつくものなのかと(苦笑)。
当然のごとく警察は全くの無力で、チッティ軍団に対抗しえるのは、バシーガランの知略とコンピュータワームを駆使したIT戦術のみというありさま。
圧倒的な力を誇るチッティ軍団と、それを相手に頭脳戦を挑むバシーガランの熾烈な頭脳戦は、製作費37億円もかけているというだけあってなかなかの出来ではあります。
これがしかし日本ではマイナーな映画でしかないという辺りに、インド・ボリウッド映画に対する日本での評価というのが垣間見えて、何とも泣けてくる話ではありますね(T_T)。
もう少し洗練されれば、インド・ボリウッド映画はすくなくとも韓流映画や中国映画などよりは日本のみならず世界にも通じるものになりそうな気がしてならないのですが。

インド・ボリウッド映画の魅力を知りたい方にはオススメの一品と言えるでしょうか。

映画「007 スカイフォール」感想

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映画「007 スカイフォール」観に行ってきました。
「007」のコードネームを持つイギリスMI6の老練なスパイのジェームズ・ボンドの活躍を描いた、人気スパイアクションシリーズ第23作目。
映画「カウボーイ&エイリアン」「ドラゴン・タトゥーの女」等で主演を担っているダニエル・クレイグが、6代目ジェームズ・ボンドを演じています。

今作で登場する舞台は、トルコのイスタンブール・中国の上海・そしてイギリス(ロンドンとスコットランド)となります。
物語冒頭は、トルコのイスタンブールでMI6の工作員が何者かによって殺害され、テロ組織に潜伏している全NATO諸国に属する工作員達のリストが入っているハードディスクが奪われたところから始まります。
これまでのシリーズと同様に今作でも当然のごとく主人公であるジェームズ・ボンドは、今回の仕事でコンビを組んでいたイヴ・マネーペニーと共に犯人の追跡を開始。
かくして映画始まって早々に、イスタンブールの街中を舞台としたカーチェイス等の追跡劇が展開されます。
しかし、成り行きで乗った列車の屋根の上でジェームズ・ボンドが犯人と格闘している最中、MI6の責任者であるMの命令で狙撃してきたイヴの銃弾で、ジェームズ・ボンドは列車が渡っていた橋の上から断崖の下にあった川へと落下してしまいます。
しかも、犯人は当然のごとく逃がしてしまうという最悪の結果に。
その後、ジェームズ・ボンドの身柄は捜索にもかかわらず見つかることなく、MI6の公式記録上では「ジェームズ・ボンド殉死」と記されることになるのでした。

それからしばらく経ち、MI6はハードディスクが奪われた責任を追及されており、組織の改編とMの交代が議会で議論されていました。
そんな中、Mが議会からMI6の本部へ帰ろうとする途上で、MI6のサーバがハッキングを受けた上、MI6の本部も爆破されてしまうという事件が発生します。
犯行に及んだのは言うまでもなく、冒頭でハードディスクを奪った一味です。
MI6のサーバがハッキングされたことで、ハードディスクの中身も解読されてしまい、犯人グループは1週間毎にリストの中から5人を選んで名前をサイト上で公表すると宣言します。
一方、橋から落ちたもののやはり無事だったジェームズ・ボンドは、南国のリゾートっぽい場所でバカンスを楽しんでいました。
しかし、MI6の本部が爆破されたというニュースを聞きつけるにおよび、彼はMI6の復帰を決意。
Mの自宅で忽然と姿を現し、Mに対して自身の復帰を高らかに宣言するのでした。
Mは復帰するためには再テストを受ける必要があると言い、本部が爆破されたことで別の場所に移されたMI6の新たな本拠地へジェームズ・ボンドを案内することになります。
そこでジェームズ・ボンドは再テストを受け、自身に浴びせられた銃弾を元にハードディスク強奪犯を割り出し、その強奪犯が現れるとされる中国の上海へと赴くことになるのですが……。

映画「007」シリーズは、1962年に映画版第1作目が公開されて以降、「スカイフォール」で23作目を数えるという、相当なまでの長期にわたるシリーズとなっています。
しかし、いくらこれまで総計6人がジェームズ・ボンド役を代替わりしてこなしてきたとはいえ、他ならぬ作中のジェームズ・ボンド自身がかなりの高齢な設定となってしまっています。
作中でも、「あなた方のやり方は古い」的な批判をジェームズ・ボンドやMI6は散々受けてきたわけですし。
このままの設定で行くと、作中のジェームズ・ボンドはどんどん年を重ねていくことになりますし、それでもシリーズを継続させた場合、下手すると齢100歳を超えたジェームズ・ボンドが現役で活躍を続けるなどという滑稽な事態にもなりかねないでしょう。
そうなると、ジェームズ・ボンドの存在そのものが「不死」という秘密を抱えることになってしまいますから、それを狙って世界各国の諜報機関やマフィア系組織がジェームズ・ボンドの身柄を手に入れるべく蠢動を始める、などというオカルティックな展開にも発展しかねないのではないかと(苦笑)。
生年月日をずらせばこの問題は解消できるかもしれませんが、ただそれをやると、老齢のジェームズ・ボンドが今度は若返ったり、ハッカー的なジェームズ・ボンドが誕生したりと、これまでのストーリーとの整合性がない変な方向へ行ってしまう可能性もなきにしもあらず。
下手をすれば、それが「007」シリーズのイメージを破壊することにもなりかねないわけですし、シリーズ継続もだんだんと難しいものになっていっているのではないですかねぇ。

今作では、「007」シリーズの特色でもあった「秘密兵器」と「ボンドガール」の占める割合がかなり低いものとなっていますね。
作中に登場した「秘密兵器」と言えば、指紋認証でジェームズ・ボンド以外の人間には使用できず、かつ自身の居場所を伝える送信機能を持つ銃だけ。
それでも活躍していたと言えば言えるのですが、奇抜な「秘密兵器」が活躍していたこれまでのシリーズ作品と比較すると、いかにも「地味」なイメージが拭えないところです。
ベレニス・マーロウが扮した「ボンドガール」のセヴリンに至っては、物語中盤でようやく登場してジェームズ・ボンドとバスルームセックスにしけこんだかと思いきや、さしたる活躍もないままに敵方のラウル・シルヴァに撃ち殺されるという末路を辿るというだけの出番しかありませんでした。
今までの「ボンドガール」って、ジェームズ・ボンドと一緒に最後まで行動を共にし、場合によっては一緒にアクションを演じたりして活躍するパターンも少なくなかったと思うのですけどねぇ。
むしろ、ラウル・シルヴァやジェームズ・ボンドと深い関わりのあるMの方が作中での露出度ははるかに高く、「彼女こそが今作における真のボンドガールなのでは?」とすら考えたくらいでしたし。
作品全体の雰囲気やテーマでも「過去と向き合う」的な要素が強い作品ですし、その点では既存のシリーズ作品とはやや異なる赴きがあるかもしれません。

あと、今作のラスボスであるラウル・シルヴァは、やっていることが世界的なレベルで大掛かりな割には、その動機や目的があまりにも小さすぎるという感が否めないですね。
MI6本部を爆破したり、イギリス議会に殴り込みをかけるなどといった大胆な犯行を重ねていたその真の理由が「かつて自分を見捨てたMに対する復讐」でしかないって……。
最初にそれが明示された物語中盤頃は、「それは真の目的を隠すためのダミーなのではないか?」と考えていたのですが、結局彼は最後まで「Mへの復讐」に固執し続けていましたし。
ラストなんて、当の本人の精神面以外には何ら物理的な利益をもたらすことがなかったであろう「ジェームズ・ボンドの実家であるスカイフォールへの襲撃」まで実行するありさまでした。
ラウル・シルヴァが単に「Mの死」を望むのであれば、より少ない犠牲で確実に実現しえる手段など他にいくらでも存在しえたはずなのに、一番犠牲が大きく不確実な手段の選択肢をわざわざ選んでいるとしか思えなかったですからねぇ、アレは。
ラウル・シルヴァにしてみれば、そこまでの犠牲を払ってでもMを自分の手で直接殺害することを望んでいた、ということになるのでしょうけど。
しかも、結果的にスカイフォールの戦いでMが流れ弾?に当たって死んでしまったことを鑑みると、ラウル・シルヴァは(自分が一番望んだ形ではなかったにせよ)結果的に自らの復讐を見事に成就したことになってしまいます。
その点でジェームズ・ボンドは、ラウル・シルヴァを殺すことには成功したものの、Mを守り彼の復讐を妨げるという目的を達成できていないわけで、爽快感が売りのスパイアクション映画的には何ともすっきりしない結末と言わざるをえないところです。
「ダイ・ハード」や「ダイ・ハード3」のように「復讐や政治的テロに見せかけて実は……」的なワンクッションでもあった方が、ここでは却って良かったのではないかと思えてならないのですけどね。

作中で繰り広げられるアクションシーンについては、さすが「007」シリーズというだけのことはあり、それなりに見応えはあるものとなっています。
冒頭からいきなりカーチェイスが始まることもあって退屈はしないですし。
これまでのシリーズのファンがアクション映画が好みの方にはオススメの作品ですね。

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