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テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」 第8話感想

全10話放送予定のTBS系列の金曜ドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」。
いよいよ残り3回となり、ラストも見えてきた今回は2012年11月30日放映分の第8話感想です。
前回第7話の視聴率は、これまでの放映分では最低記録となる7.1%。
内容的には「動物の死」や陰惨なイジメなどは特に描かれていないのですし、必ずしも悪いものではなかったはずなのですが、一体何が災いしていたのでしょうか?
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちらとなります↓

前作映画「大奥」について
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

原作版「大奥」の問題点
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
コミック版「大奥」検証考察9 【大奥システム的にありえない江島生島事件】
コミック版「大奥」検証考察10 【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】
コミック版「大奥」検証考察11 【排除の論理が蠢く職業的男性差別の非合理】

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」
第1話感想  第2話感想  第3話感想  第4話感想  第5話感想  第6話感想  第7話感想

第8話は、原作3巻P197から4巻P11までのストーリーとなります。
お楽の方が死亡後、春日局が危篤状態に陥り死ぬシーンから、公の場における女版家光のお披露目までが描かれています。
ただ一方で、これまでの話ではスルーされていたエピソードが順番を入れ替える形で出てきていたりもしますね。
今話のオリジナル要素は以下の通り↓

・春日局の看病について「何故!?」と問い質しにきた玉栄と、それに答える有功。
・有功に触れることを嫌がる矢島。
・有功に自分の過去を話す春日局(内容は原作3巻P44~P47のエピソード)。
・稲葉正則の死で、妹の「のの」が代わりに稲葉正則に成り替わる。
・「自分を恨んでいるであろう?」と有功に返答を求め、かつ「平和のために手段を問わなかった」と告白する春日局。
・その春日局に対し、自身の心境を語る有功。
・春日局の死の間際に回想シーン(内容は原作3巻P51~P52のエピソード)、および女版家光との会話。
・春日局の死で稲葉正勝が号泣するシーン。

いよいよ男女逆転が公然と歴史の表舞台に出てくることなった今回のストーリー展開で、しかし多大なまでの違和感を覚えざるをえないのは、男性が減って女性が圧倒的多数になって社会的な実権を掌握していく過程が原作と比較して圧倒的に少なく、登場人物の説明だけで強引に片づけているために、その必然性や切実感が今ひとつ弱い感が否めないことですね。
原作だとこれは、神原家のエピソードでそれなりなレベルで語られることではあるのですが、神原家はテレビドラマ版には全く出てきていないのですし。
代わりに出してきたのが稲葉正勝の一家ということになるのでしょうが、作中に出てくる赤面疱瘡の脅威と社会的な男女逆転の変遷を示す描写が少ない上に規模が小さすぎることもあって、見様によっては「単にお家存続の危機にある個々の武家が、お家取潰しの沙汰が下ることを避けるための自己保身的な手段として女性を男性に見せかけているだけ」でしかないようにも解釈できたりしてしまいます。
作中の赤面疱瘡は、全身が赤くなる不治の奇病としての部分ばかりが強調されていて、その驚異的な感染力や人口激減などについては全く何も描かれていません。
本当に赤面疱瘡の脅威を描くのであれば、映画の「アウトブレイク」や「感染列島」のごとく、人から人へ次々と集団感染していく様をきっちり描き、若い男性が次から次へと大量にバタバタ死んでいく描写でも織り交ぜないと説得力など出しようがないでしょうに。
まあその点については原作でも甘い描写に終始してはいるのですが、その原作と比較してさえも、登場人物の説明にその大部分を依存している赤面疱瘡の脅威の描かれ方は、個人的な嘆きとしてはともかく、社会的な切実感や緊迫感といったものがまるで伝わってこないシロモノにしかなっていないのですが。
作中の赤面疱瘡は、江戸時代の四大飢饉(寛永・享保・天明・天保)の犠牲者数の総計をさらに2~3倍しただけの数の人口を減らしているというのに。
「大奥」世界の世界観にも関わってくるであろうその辺りの事情を、登場人物の説明や解説だけで終わらせてしまうというのは正直どうなのかと。
身も蓋もないことを言えば、番組制作の予算がないからそんな描写に終始しているのでしょうけど、もう少し何とかならなかったのでしょうかねぇ。

今話は全体的に、原作ストーリーの引き伸ばしとオリジナル要素を織り交ぜて時間稼ぎでもしているかのような構成でしたね。
原作を知っているからというのもあるかもしれないのですが、どうにも退屈な展開が延々と続いているような印象が拭えなかったです。
個人的には今まで一番面白くなかったエピソード回でしたね、今話は。
残りはあと2話で、次回は有功が大奥総取締に就任するまでの話となるようなのですが、今回のような「引き伸ばし感」満載なストーリーは勘弁願いたいものです。

映画「カラスの親指」感想

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映画「カラスの親指」観に行ってきました。
道尾秀介の同名小説を実写化した、阿部寛と村上ショージが主演を担う人間ドラマ作品。

物語最初の舞台は競馬場。
競馬場の馬券売り場で、あからさまに初心者な風体の長身な男がひとり、何の馬券を買うべきか迷う様子を見せていました。
そんな男に近づき声をかける、こちらは小柄な男。
彼は自己紹介の後、「この馬券を買うといいよ」ととある馬券を勧め、その場を後にします。
そんな2人の様子を後ろから眺めていた、ユースケ・サンタマリアが扮する優男。
競馬場のレース結果はどうやら小柄な男の忠告通りの内容になったらしく、競馬場の客席で喜ぶ長身の男の前に、優男は注意を呼び掛けます。
実は先の小柄な男の言動は詐欺の一環であり、このまま換金所へ行けばさっきの男がやってきて分け前を求めてくることになると。
その優男によれば、小柄な男の詐欺の手法は、あらかじめ全ての馬券を複数の人間にひとつずつ教え、当たった人間をターゲットにしてカネをせびるというものなのだそうで。
そんなことになっては面倒だから、その当たり馬券は俺が買おうと優男は申し出てきます。
もちろん、そんな優男の親切ぶりには当然のごとく理由がありました。
優男は、長身の男が持っていた馬券が実は配当金400倍以上もの当たり馬券であることを知っており、長身の男の無知ぶりに乗じて、本来の配当金の10分の1以下の金額でその馬券を買おうとしていたわけです。
最初は渋っていた長身の男でしたが、何やら急いでいるらしい男は電話でせっつかれていたようで、優男の言うがままに馬券を売ってしまい、その場を後にします。
優男はしてやったりと言わんばかりにさっさと換金所へと向かい、馬券の両替を行なおうとします。
ところが換金所のATM?は、優男の馬券に対して「この馬券は換金できません」という応答を返すばかり。
不審に思った優男が馬券をよくよく調べてみると、何と馬券の表面はシールによる二重構造になっており、シールをめくったら全く違う馬券が出てきたのでした。
長身の男を騙したつもりで、本当に騙されたのは実は優男の方だったのです(苦笑)。
優男を騙した一連の詐欺は、長身の男と、長身の男に最初に話しかけてきた小柄な男が共謀したものだったというわけですね。

今作の主人公で阿部寛が演じる長身の男の名は武沢竹夫といい、小柄な男からは「タケ」と呼ばれていました。
一方、村上ショージが扮する小柄な男の方は入川鉄巳といい、タケからは「テツ」という愛称をつけられていました。
2人はコンビを組んでおり、冒頭の競馬場での一件のように詐欺行為に手を染めることで生計を立てていました。
基本的にはタケの方がベテランの本職詐欺師で、テツはオタオタしながらその手伝いをする素人な相棒といった感じです。
競馬場の詐欺で大金を手にし、近くのタンメン屋?でささやかな祝杯を上げていた2人は、しかしその最中で、自分達が借りているアパートの一室が火事になっているのを目撃します。
するとタケは顔を青ざめさせ、テツの手を引っ張ってその場を後にし、火事になったアパートへ戻ることなく公園の遊具の下で野宿をするのでした。
そしてタケは、自分が詐欺師になった経緯をテツに語り始めます。
元々は普通のサラリーマンだったタケは、しかし会社の同僚がこしらえた借金の連帯保証人になってしまい、闇金から借金の返済を迫られた過去がありました。
そして闇金を牛耳るヒグチという男の手下として借金の取り立て役を任され、借金の返済を迫った先の女性を自殺にまで追い込んでしまったのです。
その行為にウンザリしたタケは、ヒグチの事務所から金貸しのリストを密かにちょろまかし、それを警察に持って行ってヒグチもろとも闇金組織を壊滅させることに成功。
しかしその直後、タケの家が火事に見舞われ、その際に彼の唯一の肉親だった娘が他界することとなってしまいます。
そこにヒグチの影を見出さざるをえなかったタケはただひとり逃亡、その後はまともな職に就くこともなくいつの間にか詐欺師になったとのことでした。

その後、別の場所で新たな一軒家を拠点として確保し、心機一転と言わんばかりに詐欺稼業を再開したタケとテツの2人は、詐欺のターゲットを物色している最中、目星をつけていたターゲットにスリを働いた少女を目撃します。
とっさに2人は助けに入り、少女を逃がすことに成功。
ひとまず落ち着いたところで2人が事情を聞くと、今いるアパートの家賃が払えず、近いうちに追い出される公算が高いことから、一発逆転的にスリに走ったとのこと。
その少女に何か感じるものがあったのか、タケは少女に対し、アパートを追い出されたら新たに確保した自分の拠点に来るよう少女に促すのでした。
これが、タケにとっても少女にとっても大きな転換点となるのですが……。

映画「カラスの親指」は、ラスト30分の思わぬ展開と伏線の回収ぶりが光る作品ですね。
それまでの映画の世界観が根底から覆る衝撃の展開でしたし、そこに至るまでの伏線の積み重ねがまた丁寧かつ大量に行われています。
これほどまでの大逆転ぶりは、今年観賞した邦画作品の中でもダントツの凄さで、観客として見てさえ思わず「これは騙された!」と唸らざるをえないほどに秀逸な出来です。
洋画も含めた映画全体で見ても、今作に匹敵するだけの大逆転をこなしてみせた作品は「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」くらいなものでしたし。
映画の評価はラスト30分の展開でその大部分が決まる、というのが私の持論なのですが、今作はその定義に見事に当てはまった構成ですね。
人間ドラマ的な面白さ以上に、ミステリー的な要素も少なくない作品と言えるのではないかと。

逆に今作で一番悲惨な役どころを演じる羽目になったのは、物語中盤で主人公達の平和な生活を乱したと見做され、詐欺のターゲットとして狙われることになるヒグチ一派でしょうね。
物語ラストで披露される真相から見れば、彼らは一方的に冤罪をかぶせられ危険視された挙句に先制攻撃を受ける羽目になっていたわけなのですから。
もちろん、彼らもそれなりに非道なことをやらかしまくっていた前歴があるのですし、作中でも言われていたように本当にタケ達を襲撃する可能性も決してなくはなかったのですが。
ここでさらに笑えたのは、ヤクザの一員が主人公達の素性に探りを入れた際に■■を指さしてやり返した台詞「私は○○○○の△△△なんです」でしたね。
あれを言われた時、黒幕の人は内心大爆笑していたのではないですかねぇ。
良くも悪くも、確かに凄く良い思い出になったのではないかと思えてならないのですが(苦笑)。

今作では「阿部寛主演」というのが映画広報の際の売り文句のひとつとなっていましたが、作中ではどちらかと言えば村上ショージのキャラクターぶりの方が光っていた感じではありましたね。
何でも村上ショージは、今作が初めて本格的な俳優としてデビューした映画となるのだそうで。
あの最後まで飄々としていたキャラクターぶりは、私は嫌いではないですね。
今作の雰囲気にも良く合っていましたし。
両者のファンと人間ドラマ&ミステリー好きな方は、今作を見る価値があるのではないかと。

映画「人生の特等席」感想

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映画「人生の特等席」観に行ってきました。
アメリカ大リーグの卵となる選手をスカウトする仕事を長年にわたって続けてきたプロでありながら「失明の兆候」を発症するという致命的な問題を抱えている老齢の男と、彼の娘で弁護士としての出世を夢見るキャリアウーマンの家族としての軌跡を描いた、クリント・イーストウッド主演作品。

物語の冒頭では、クリント・イーストウッドが演じる今作の主人公であるガス・ロベルが、老齢のためもあってか視力が衰え、排尿すらも不自由な体を晒すシーンが展開されます。
彼はアメリカ大リーグで活躍する名だたるプロの選手を次々とスカウトしてきた「その筋のプロ」なのですが、近年は老齢のためか新規の選手をまるで発掘できずにいました。
彼が所属するアトランタ・ブレーブスでも、パソコンを駆使して選手の見極めを行っているフィリップ・サンダーソンを中心に、ガスの手腕を疑問視する声が上がっている始末。
さらに彼は、妻には先立たれ、唯一の肉親である娘のミッキー・ロベルとは不仲もいいところで、せっかく一緒に外食をした際にもたちまちのうちに喧嘩別れするような関係にありました。
そんな中、アトランタ・ブレーブスでは、ノースカロライナ州の高校の野球チームで主力を担っているボー・ジェントリーという選手に注目していました。
アトランタ・ブレーブスは、ボー・ジェントリーの実力を確認し、彼がスカウトに値する選手であるかを見極めるべく、ガスにノースカロライナ州へ向かうよう指示。
出発の直前、ガスは亡き妻の墓参りへと向かい、娘が弁護士の資格を持妻でに至ったことを誇らしげに報告すると共に、娘との関係が上手くいっていないことを自虐混じりにことぼくのでした。

一方、ガスの長年の友人で同じアトランタ・ブレーブスの同僚でもあるピート・クラインは、ガスの娘のミッキーに対し、最近のガスの様子がおかしいことを報告すると共に、ガスと一緒にノースカロライナの試合会場を回って欲しいと頼み込むのでした。
当初、弁護士であるミッキーは、ちょうど自身の出世がかかっている重要な仕事の真っただ中にあったこともあり、取りつく島もなくこれを断ります。
しかし、ガスのことを診療していた医者にガスの容態を聞き、視力に異常があり早急な検査と手術が必要な体であるという情報を強引に聞きつけ、さらには出世の競争相手であるトッドに家族のことで嫌味を言われたこともあって、彼女は強引に数日間の休みを取得して父親の後を追うことになります。
かくして、ノースカロライナ州で再会し、ボー・ジェントリーのチームの試合を観覧して回ることになるガスとミッキーの2人。
ノースカロライナ州での旅は、2人の関係にどんな影響を与えることになるのでしょうか?

映画「人生の特等席」は、前半と後半で流れが大きく変わるストーリー構成ですね。
物語前半では、クリント・イーストウッドが演じるガス・ロベルの老衰ぶりと頑固親父ぶりがとにかく前面に出ていて、あまり未来に希望を感じさせない暗い展開が続きます。
逆に物語後半、特にガスがボー・ジェントリーの実力を見極めた辺りからは、明らかにロベル親子の風向きが変わったかのような雰囲気すらありました。
アレがガスの実力の本領発揮であることと、娘のミッキーが父親を見直す端緒となったのですから当然のことではあるのですが。
ただ、前半の暗い展開と流が結構長い時間続くことから、人によっては前半で評価を落とすリスクも否めないところではありますね。
前半の主人公は、色々な悩みや葛藤なども描かれてはいるにせよ、まるで良いところがないですし。

個人的に少々驚いたのは、前半で明らかに父親に隔意を抱いている様子を隠そうともしていなかったミッキーが、実はかなりの野球通であったことですね。
彼女は、物語中盤頃に出会うこととなるジョニー・フラナガンと、大リーグ絡みのトリビア話で相当なまでに盛り上がっていたのですから。
元来父親が嫌いだったはずのミッキーが、ああまで野球のことに詳しく、かつ楽しげに語っていたりするというのは少々意外な話ではあったのですが。
彼女、弁護士ではなく父親と同じスカウトの道を歩いていた方が、自分の趣味を生かせる天職でもあったでしょうし本人のためにも良かったのではなかったのかと。
実際、物語終盤では、全く無名のリゴ・サンチェスを見出すという、父親以上とすら言えるレベルのスカウトまでやってのけていたりするのですし。
弁護士としてもそれなりに有能ではあったようですし、そちらはそちらで彼女にとってはやりがいのある仕事ではあったのでしょうけど。
一方のジョニー・フラナガンも、かつてはガスに見出されて野球選手として活躍していたという経緯もあってか、大リーグ野球に関するこだわりはこちらも相当なものが感じられましたね。
大リーグ野球についてロクに知識もない私としては、次々と繰り出されるトリビアネタに、ただただ「凄いなぁ」と見ているしかなかったのですが(苦笑)。
この一種の「野球オタク」ぶりは、ジャンルは違えど映画「僕達急行 A列車で行こう」に登場する「鉄ちゃん」達にも通じるものがありますね。
ああいう「趣味の一致」で意気投合し親しくなっていくのは自然な流れではありますし、あの2人は友人にせよ恋人にせよ、なかなかに良好な人間関係を構築できそうな感じでした。
ああいう出会いと人間関係って、傍から見ていても羨ましいと感じられるものがありますねぇ。

物語終盤でミッキーがスカウトとしてその素質を見出していたリゴ・サンチェスは、一見すると唐突に出てきたような印象があるのですが、実は彼はその前に伏線としてチラリと登場してはいたんですよね。
ミッキーかガスがノースカロライナのモーテルでチェックインして部屋の鍵を受け取っていた際に、リゴ・サンチェスとその弟?の2人が野球だかキャッチボールだかをしに出かけようとしている描写があったのですから。
最初にリゴ・サンチェスが出てきた際には、「何故何の脈絡もなくいきなり出てくるの?」と一瞬訝しんだものの、すぐにあんなチラッとした描写が伏線だったと気づいて愕然とせざるをえませんでしたよ、私は。
この伏線の張り方は結構上手いものがあるのではないかと思いました。

これまで数々のアクション映画や人間ドラマ作品を提供してきたクリント・イーストウッドなだけあって、その「老練」な役者ぶりは確かなものがありますね。
彼のファンか、あるいは家族の絆をテーマとする作品が好きなのであれば必見の映画と言えそうです。

映画「ぼくが処刑される未来」感想

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映画「ぼくが処刑される未来」観に行ってきました。
「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」シリーズで活躍してきた若手俳優達にスポットを当てる映画シリーズ「TOEI HERO NEXT」の第二弾。
この「TOEI HERO NEXT」シリーズというのは、まだ今年になって発足したばかりのシリーズということもあって、劇場での公開も全国でわずか20箇所程度の映画館でしか行っていないみたいですね。
熊本ではたまたま1箇所だけ該当の映画館があったので私は観賞することができたのですが、全国20箇所では全く上映されない都道府県の方がむしろ多いわけなのですからねぇ。
この映画の地域間格差、いい加減どうにかして欲しいものなのですが(T_T)。
なお今作で、私の2012年映画観賞総本数は90本の大台に到達しています。

今作の主人公である浅尾幸雄は、世の中のことも他人についても、それどころか自分自身のことについてさえも無関心な体を為している若者。
その日の夜も、飯屋?の親父の注文ミスについてちょっと凄まれただけで何も言い返すことも出来ず、路上で負傷して寝ている酔っ払いサラリーマンを見て見ぬふりをして通り過ぎようとしたりと、その無関心かつ事なかれ主義ぶりが露わになっていました。
しかし酔っ払いサラリーマンを避けて通ろうとしたその時、突如頭上から眩しい光が浅尾幸雄に降りかかり、次に気づいた時、彼は薄暗い取調室の椅子に座らされていたのでした。
突然のことに混乱する浅尾幸雄を尻目に、取調室にいた取調官は「お前は人を5人も殺したんだ!」などとをのたまい、強圧的に浅尾幸雄に罪を認めさせようとします。
もちろん、浅尾幸雄に5人もの人間を殺した経歴など全くなく、彼はますます混乱を余儀なくされていくことに。
結局、必死の弁明も空しく、彼は独房に収監される羽目に。
ただ、浅尾幸雄には一応弁護士が付けられるということで、彼はその弁護士の面談を通じて事情を聞こうとします。
しかし、女性弁護士である紗和子は、無常にも「あなたの有罪は既に決定している」と通告。
それと共に彼女の口から語られたのは、驚くべき事実でした。
何と、浅尾幸雄が今いるのは、彼が元いた現代日本から25年も経った世界であり、殺人事件を犯した(とされる)のは25年後の彼だったというのです。

25年後の日本では死刑が廃止されており、犯罪者本人を死刑に処すことができないこと。
そしてその代わりに、「未来犯罪者消去法」という法律が施行されており、過去の犯罪者をタイムワープさせてきて見せしめに公開処刑をするという行為が公然と行われること。
過去の犯罪者をタイムワープさせた時点で、現在の時間軸とは全く異なる並行世界が作られるので、今の歴史が変えられたりする等のタイムパラドックスの問題は全く発生しないこと。
そして、浅尾幸雄を25年後の日本にワープさせたのは、日本の空に浮遊している巨大な量子コンピュータ「アマテラス」であり、日本の裁判は「アマテラス」の演算処理に基づいて行われていること。
これらの事情を聞かされた上、後日行われる裁判の場で遺族に謝罪してくださいと、浅尾幸雄は紗和子から一方的に告げられることになるのでした。
彼女は浅尾幸雄の弁護をするつもりなど欠片もなかったのです。

そして後日、裁判が行われることになったのですが、裁判と言ってもその実態は「最初から決まりきった結論を宣告するためのデモンストレーション&パフォーマンス」的なものでしかなく、殺害された遺族と観客たる国民が被告を罵るために存在するようなものでしかありませんでした。
判決は当然のごとく有罪&死刑。
ところが裁判後、何故か浅尾幸雄に面談が許されたことから、さらに事態は大きく変転することになります。
浅尾幸雄はその面談で、5人の人間の殺人を犯したとされる25年後の自分と会うことになっていたのですが、そこで姿を現したのは、彼と同姓同名でありながら実は全く別の人間だったのです。
「キングアーサー」と名乗るその人物は、浅尾幸雄が幼少時の頃の虐めっ子で、当時の浅尾幸雄に「奴隷の証」として焼印を押し付けるような残虐な人格の持ち主でもありました。
そのことに気づき、自分の無罪を何とかして証明しようとした彼は、さらに独房の中で思いもよらぬ声をかけられることになります。
刑務所のシステムを一時的にハッキングして浅尾幸雄に声を届けたその人物は「ライズマン」と名乗り、刑務所のシステムを操作して浅尾幸雄を脱獄させるのでした。
公開処刑の執行まであと3日という時間を残した中で、浅尾幸雄は何とか自分の無罪を証明すべく奔走を始めることとなるのですが……。

映画「ぼくが処刑される未来」で主要な舞台となる25年後の日本は、実に歪な法体系が現出していると言えますね。
25年後の日本で死刑が廃止されたのは、無実の人間を殺人罪で死刑にしてしまった後に真犯人が見つかったという事件があったことが問題となり、その再発防止の観点から成立したというのが背景にありました。
そして「未来犯罪者消去法」が誕生したのは、犯罪者を死刑にできない遺族の心情に配慮し、その復讐心を満たして心の平穏を回復させることにその主眼が置かれていました。
そして、量子コンピュータ「アマテラス」が裁判を担うようになったのは、かつて紗和子が弁護を担当した殺人事件の被告が無罪を勝ち取った後、別の殺人事件を起こして逮捕されたことがマスコミなどで大々的に報じられた結果、人間による誤認を伴う裁判制度に多くの人が疑問を抱くようになったため。
前述のように、タイムワープしてきた人間を殺しても「その人間がいない並行世界」が出現するだけで歴史改変等の問題は全く発生することがなく、またタイムワープした人間は「この世界の人間ではなく、この世界における日本の法律適用対象外となる」ため、公開処刑も問題なく行える、ということになっているようです。
一見すると、なかなかによく練られた設定と論理であるかのように思われます。
ただ、よくよくその実態を眺めてみると、すぐさま色々なツッコミどころが見つかってしまったもするんですよね(苦笑)。
一番の問題は、「未来犯罪者消去法」で公開処刑をするための人間を選定するに際して、何故わざわざ25年も前の存在を引っ張ってこなければならないのか、という点です。
25年も前の人間を引っ張ってきて「現在の」罪を認めさせ土下座などを強要したところで、作中の浅尾幸雄がそうであるように普通はわけも分からず戸惑うだけでしかありません。
また、「自分がやってもいないことを無理矢理認めさせる」などという構図は、まず相手の人権および法の権利を無視しているという点で論外もいいところですし、そんな構図に必死になって抵抗しようとする人間も決して少なくはないでしょう。
全く身に覚えのないことで有罪を宣されることほど、人間にとって不当極まりない事象はないのですから。
作中の浅尾幸雄はまさに事実関係においてさえも冤罪を着せられていたわけですが、たとえそうでなかったとしても、あるかどうかも分からないし、まだ自分がやってもいない25年後の未来の行為について自己責任を感じ懺悔までする人間なんてそうそういるものではありません。
人間は過去と現在の行為にはともかく、未来の行為に対する責任なんて持ちようがないわけですし、仮にそんなことをする人間がいたとしたら、そいつはよほどの聖人か偽善者の類でしかないでしょう。
こんなことをやったところで、遺族の復讐心的な感情など満たしようがないばかりか、むしろ遺族を「不当な殺人者」と同等以下の存在にまで貶めてしまう危険性すら否めません。
そんなことをするよりは、殺人事件を犯す直前の犯罪者をタイムワープさせて前非を悔いさせでもした方が、まだ遺族の復讐心を満足させるという観点から言ってさえもはるかに有効なのではないのかと。
タイムワープさせてきた人間を殺しても、並行世界が生じるだけで時間軸に全く何の影響もないであればなおのことです。
何故「アマテラス」がわざわざ25年も前の犯罪者をタイムワープさせてくるようなシステムになってしまっているのか、理解に苦しむと言わざるをえないところなのですが。
しかも「アマテラス」は、同姓同名や双子などといったケースを全く区別することができず、犯罪者とは全く無関係な人間をタイムワープさせたりしているのですから、その滑稽かつ悲惨な惨状は目を覆わんばかりなものなのですし。
もう少し安全確実かつ実効性のあるシステム体系というものを、「アマテラス」にせよそれを作り出した人間にせよ構築することができなかったのですかねぇ。

また、いくら人間社会で誤審を伴う裁判制度に懐疑的な目が向けられていたとはいえ、量子コンピュータの判決についてあそこまで絶対的かつ宗教的なまでの信奉っぷりはさすがにありえないでしょう。
人間の恣意性が多大な影響を及ぼす裁判や法律という分野は、演算能力と「型にはめたプログラム運用」を売りとするコンピュータが最も苦手とするものなのですから。
裁判や法律の世界では、下手に型にはまった運用などしようものならば却って社会的な混乱を招きかねません。
著作権や表現規制の問題などは、まさに機械的に型にはめた運用を行って歪な形になってしまった典型例ですし。
現代でさえ、コンピュータはセキュリティや管理運用の面で毎日毎日色々な問題を引き起こし続けているのですし、作中の「アマテラス」も簡単にハッキングされたりしている辺り、セキュリティ面の問題は相当なものがあると言わざるをえないところです。
いくら「アマテラス」が高性能かつ多機能であるとは言え、よくまあこんな不安だらけなシステムに人の命運をも左右する裁判などを任せることができるなぁ、と逆の意味で感心するしかなかったですね。
というか、本当に裁判面で「アマテラス」を活用したかったのであれば、犯行が行われた現場と時間に監視カメラをタイムワープさせる等の「サポート役」として使用していた方が、裁判の誤審を防ぐという本来の主旨にもはるかに合致したのではないのかと。
この辺りの方向性は、その管理運用に全面的な信頼が置かれていたAIが暴走し、AIの主観的には人類社会のためを思って行動していることが逆に人類社会の脅威となっていく「アイ,ロボット」や「イーグルアイ」を髣髴とさせるものがあります。
まあ作中の「アマテラス」はそこまで自律的な行動をする存在ではなく、ただ判断能力などの性能面でバグを頻出させていた、ある種の「欠陥品」でしかなかったのですが。

かくのごとく、ストーリー面では色々とツッコミどころのある作品ですが、粗削りな中にも光るところはあり、将来的な期待は持てそうな感じの映画ではありますね。
着眼点や展開自体は決して悪いものではなかったですし。
「TOEI HERO NEXT」シリーズの3作目は2013年2月に公開されるとのことですが、この調子でどんどんシリーズを積み重ねていって欲しいものですね。

映画「ロックアウト」感想

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映画「ロックアウト」観に行ってきました。
映画「トランスポーター」シリーズや「アデル/ファラオと復活の秘薬」「コロンビアーナ」などの製作を手掛けたリュック・ベッソン監督による、近未来を舞台としたSF作品。
何でも、リュック・ベッソンが近未来を舞台としたSF映画を製作するのは、ブルース・ウィリス主演の1997年公開映画「フィフス・エレメント」以来15年ぶりのことなのだとか。

2079年の近未来アメリカ。
映画冒頭では、今作の主人公であるCIAエージェントのスノーが、殴られながらの尋問を受けている様子が映し出されています。
彼は、宇宙開発計画の重要機密を漏洩させた犯人を追っていた捜査官フランク・アームストロングを殺害した容疑で、NSA(国家安全保障局)の長官スコット・ラングラルからその罪と情報について厳しく尋問されていたのでした。
しかし、相手がNSA長官であるにもかかわらず、スノーは相手をバカにしきった不遜な態度で応対しており、尋問ははかばかしい成果が挙げられていませんでした。
このままでは埒が明かないと尋問役が交代し、スノーの諜報員仲間だったCIA調査官ハリー・ショウがスノーから情報を聞き出そうとします。
スノーは相変わらずな態度を披露して煙に巻いているかのように見せかけつつ、机の上で「MACE」という文字を描きます。
そのメースなる男は、一連の事件の真相が収められているアタッシュケースを持つ男であり、またそれは同時にスノーの無実を証明してくれる存在でもありました。
そのことを瞬時に察したハリーは、表面上は「これ以上話しても無駄だ」と席を立ちつつ、メースの行方を捜しに向かうのでした。

その頃、時のアメリカ大統領ワーノックの娘エミリーが、「MS-1」と呼ばれる刑務所を訪問していました。
「MS-1」は、地球外の宇宙空間上に存在する巨大な人工衛星で、「静止」と呼ばれるコールドスリープで囚人達を管理する上、ソーラーシステムで半永久的に稼働する設備と重火器を備えた、最新鋭の宇宙刑務所です。
その地理的条件と完璧な管理方法によって「脱獄成功率0%」を謳われる、完全無欠の刑務所であると言われていました。
現在は約500名(正確には497名)の囚人達がコールドスリープされており、将来的には50万人もの囚人達を収容する計画まであるのだとか。
しかし、「MS-1」で行われているコールドスリープが実は人体に少なからぬ悪影響を与えている可能性が人道活動団体によって指摘されており、エミリーはその真偽を確認すべく「MS-1」を訪れたのでした。
彼女は早速、囚人達に刑務所の実態を訪ねるべく、ハイデルという名の囚人とガラス越しでの面接を企図します。
ところが、エミリーの護衛のひとりが、本来武器の携帯を禁じられているはずの面会室に、ひそかに銃を隠し持って中に入っていたことが大きな仇となってしまいます。
ハイデルは護衛の一瞬の隙を突き、護衛の武器を奪取して発砲を開始。
そのまま刑務所の制御室へと向かい、その場にいた管理官を脅して全ての囚人達をコールドスリープから解き放たせてしまいます。
囚人達はその数と、何よりもハイデルの兄であるアレックスによって一部が統率されたことから、刑務所内を完全に制圧することに成功。
さらに刑務所内にいた職員やエミリーを人質として捕えてしまいます。
容易ならざる事態が発生し、しかも人質の中に大統領の娘がいることを知って驚愕・動揺せざるをえなかったアメリカ首脳部達。
しかしここで、先述のCIA捜査官ハリーが、元々「MS-1」へ囚人として送り込む予定だったスノーに、エミリー救出の任務を与えることを提案します。
上層部の面々はハリーの提案を即座に受け入れ、最初は拒絶していたスノーも「メースが捕えられてMS-1に送られた」とハリーに教えられたことから、しぶしぶながら依頼を承諾することに。
かくして、難攻不落の要塞と化した「MS-1」への潜入作戦が始められることになったのですが……。

映画「ロックアウト」は、「難攻不落」を謳われる要塞が実はいかに脆いシロモノでしかないのかを如実に示す作品であると言えますね。
「脱獄成功率0%」を謳われ、実際に限りなく不可能としか言いようのない設備と地理的条件を有していながら、しかし作中では一瞬の隙を突かれていともあっさりと囚人達に制圧されてしまっているのですから。
どんなに優れたシステムであっても、それを管理運用する人間に問題があれば簡単に潰されるばかりか逆に利用すらされてしまう、ということを極彩色に表現しています。
ちょっとしたアクシデントから崩れ去るのがあまりにも早かったですし。
もっとも、それは実のところ脱獄した囚人達にも言えることで、特にハイデルという「無能な働き者」が盛大に足を引っ張っていたが故に、彼らは半ば自滅したようなものだったのですが。
せっかくアレックスという、智謀も統率力にも優れた指揮官を見出すことができたというのに、ハイデルは彼が確保しようとしていたせっかくの優位を積極的に突き崩してばかりいる始末でしたからねぇ。
挙句の果てには、当のアレックス自身すらもハイデルに殺されてしまったのですし。
いくらハイデルがアレックスの実の弟だったからとはいえ、周囲の進言に従ってさっさと殺しておけば良かったのに、とは誰もが思わずにはいられなかったことでしょうね(T_T)。
駆け引きの要素もあったとはいえ、あれほどまでに思慮深く冷静さと残虐さを使い分けられるアレックスともあろう者が、たかだか「実の弟」というだけであそこまでハイデルにデカいツラをさせることを許すというのも、はなはだ理解に苦しむものがありましたねぇ。
まあ、あの弟も実は本来マトモな頭をしていたのが、コールドスリープの悪影響ですっかり狂ってしまっていたのかもしれないのですけど。

あと、主人公が救出するターゲットと目されていた大統領の娘エミリー・ワーノックも、最初は「大丈夫か?」と言いたくなるレベルで奇行が目立っていましたね。
1人乗りの脱出艇で悠々と刑務所を脱出することもできたはずなのに、「自分ひとりだけ助かることなんてできない、人質を全員助ける」などと笑えるレベルの綺麗事を主張して結局自ら残留していたり、にもかかわらず人質はハイデルによって皆殺しにされてしまっていたりと、序盤はとにかく「主人公の足を引っ張るための存在」でしかなかったのですから。
エミリーの真価は、脱獄犯達に囚われの身となり銃を突き付けられた状態から、大統領である自分の父親に向かって「刑務所を爆破して」と言い切ってみせた辺りから発揮され始めます。
ここからは逆に、今までのアマちゃんかつ足手纏いな部分がウソであるかのように主人公を助けるようになっていきます。
「MS-1」から脱出して以降なんて、逆に主人公は何もしていないに等しいのですし(苦笑)。
願わくば、その冷静な状況判断能力が序盤から発揮されていれば……とは考えずにいられませんでしたけど(^_^;;)。

全体的には、「MS-1」内におけるバトルよりも、主人公とCIAとNSAの間で繰り広げられる政治的駆け引きの方が見所はある作品ではありましたね。
アクション部分よりもミステリー的なストーリーにスポットを当てるべき映画と言えるのではないかと。

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」 第7話感想

全10話放送予定のTBS系列の金曜ドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」。
今回は2012年11月23日放映分の第7話感想です。
前回第6話の視聴率は9.0%。
前回は諸般の事情でいつもより1時間遅い23時からの放映となっていたはずなのですが、その割にはやや前進したと言える視聴率ではありましたね。
放映が遅くなったことが逆に幸いした要素でもあったりしたのでしょうか?
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちらとなります↓

前作映画「大奥」について
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

原作版「大奥」の問題点
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
コミック版「大奥」検証考察9 【大奥システム的にありえない江島生島事件】
コミック版「大奥」検証考察10 【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】
コミック版「大奥」検証考察11 【排除の論理が蠢く職業的男性差別の非合理】

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」
第1話感想  第2話感想  第3話感想  第4話感想  第5話感想  第6話感想

第7話のストーリーは、原作3巻のP128~P196までの内容を担っています。
女版家光がお忍びで江戸城の外を見回る女版家光の描写から始まり、春日局が病で倒れ江戸城内に赤面疱瘡が蔓延したとの村瀬正資の報告を受けて有功がテキパキと指示を出すまでの物語となります。
今話のオリジナルエピソードは以下の通り↓

・玉栄が前髪を落とされるシーン。
・女版家光と寝る直前に「有功との今後の関係」を心配する玉栄と、その心配はないと諭す女版家光。
・お夏の方の悪罵に対し、正面切って言い返す有功(原作では5巻P115における桂昌院の回想シーン、有功は何も言い返さず「ええのや」と受け入れただけ)。
・「玉栄は私の分身」と主張し、「(玉栄が天下人の父親になるという隆光の言について)そうなった方が良いのか?」という女版家光の問いに対し「はい」と答える有功(原作では何も返答しない)。
・八朔の儀に臨んだ後、赤面疱瘡の初期症状を見せる稲葉正則(ラストシーンで完全な赤面疱瘡に)。
・世継問題で「武士の頂点に立つ将軍が女でも構わぬと言うのか!」と激怒する春日局に対し、正面から女版家光を擁護する稲葉正勝。
・春日局の薬断ちの理由が「家光の赤面疱瘡」になっている(原作では「家光の疱瘡」)。
・春日局に関する女版家光と有功との会話。

稲葉正則については、息子か嫁の雪と対立した春日局が冷酷に放った刺客によって一族郎党皆殺しにされるか、赤面疱瘡で死ぬかのいずれかの末路を辿ることになるだろうと当初から予想していたのですが、どうやら後者の線で落ち着いたみたいですね。
作中の稲葉正則には妹がいたので、その死後は妹が稲葉正則を名乗るか、あるいは全く別の男名を名乗るかして、稲葉家を相続するというシナリオになりそうではありますが。

また、春日局の薬断ちの理由が「家光の赤面疱瘡」というのは少々無理がありますね。
ここは原作では「家光の疱瘡」になっていて、原作の2巻で「家光様は以前に疱瘡を患った際には快癒された。疱瘡は一度かかったら二度とかからぬのに、何故赤面疱瘡にかかるのだ!」とお匙を問い詰めるシーンがあったりします。
疱瘡の回復祈願が効いたからこそ薬断ちの誓いを守り続けている、ということになるわけです。
しかし、春日局の願掛け対象が「家光の赤面疱瘡」ということになると、そもそも春日局の願掛けは全く効を奏していなかったことになるのですから、春日局が誓いを守るべき理由自体がそもそも全く成立しえないことになってしまうのですが。
テレビドラマ版では、原作にあったお匙と春日局のやり取りがないため、疱瘡を赤面疱瘡に変更したのでしょうが、全く報われていない願掛けに固執する意味なんて、春日局の主観的に見てさえも果たして存在しえたのかと。

それと、今回個人的に注目していた「ハーレム否定」と「女系相続肯定論の高まり」については、あえて原作のような詳細な説明を避けた感がありありでしたね。
原作では「家の相続のため」「婚姻で大名家の勢力が拡大する」などとモノローグでのたまいまくったのが災いして、武家諸法度などを根拠に盛大なツッコミを私は入れていたりしたものだったのですが(苦笑)。
今回の話では、後継者問題に悩んでいた6人衆の面々達が、短絡的な自己&自家保身目的に女系相続を主張していたような描写になっていて、こちらは意外な説得力を醸し出していました。
何しろ、ひそかに娘に男名を名乗らせて江戸城内に参内させていることがあの時点で露見しようものならば、彼らが打ち首になるのはもちろんのこと、お家断絶の沙汰が当然のごとく下るのは避けられないわけですからねぇ。
かかっているのは自分の生命と自家の命運なのですから、そりゃ春日局の反対を押し切ってでも女系相続の正当性を訴えようとするでしょうね、彼らの立場的には。
もちろん、実際には春日局の発言の方に明確な理と利があるのであって、彼らの判断が目先に固執した浅ましく愚劣な発想であることに変わりはないのですが、彼らがそういう判断を下した背景自体は、愚かであるなりに理解はできるものとなっています。
武家や大名達個人の自己保身が、ああまで愚劣極まりない世界を作り出していったのか、現代も江戸時代も、責任追及を回避したがる人間がやることに何も変わりはないのだなぁ、と。
この辺りの展開は、現代にも通じる「事なかれ主義」「官僚的な自己保身」を想起させるものがあって、別の意味で笑えてくるものがありましたね。
ただまあ、たかだか自己保身程度の発想から、あそこまで大々的な、それも将来に多大な禍根を残しかねない欠陥だらけの社会システムの大変革を遂げさせるというのは、「赤面疱瘡には、人間の思考回路を著しく低下させ、しかもそれを自覚させない症状でも別にあったりするのか?」と皮肉のひとつも言いたくなるところではあったのですが。

あと、前話まではやたらと強気で無意味なまでにサディスティックな悪役ぶりを披露していたはずの春日局で、今作では何故かえらく弱気な惨状を呈していましたね。
特に、菊見の準備をしていたことを咎められた有功が堂々と反論してきたのに返答に窮したシーンでは、原作もそうだったとはいえ違和感を覚えずにはいられないところでした。
今までのサディスティックな春日局であれば、有功の反論に対し「殺りや!」の一言で返し、澤村伝右衛門辺りにその場で有功を始末させてお終いだったのではなかったのかと。
そもそも、有功を「種なし」と見做して女版家光との離縁まで迫っていた春日局が、わざわざ有功を生かしておかなければならない理由自体がないに等しいでしょう。
元々強制的に拉致した身でもあったのですし、用無しになれば即座に殺されるというのは政治の世界では常識なのですから。
有功を殺しておけば、女版家光に対しても「お前の命運は私の手に握られている」「これ以上私に逆らったらどうなるか、分かっているな?」という警告ないしは抑止にも使用できたのですからなおのこと。
にもかかわらず、女版家光をあそこまで自由にさせ、有功に至っては決して少なくない俸給まで与えていたというのですから驚きです。
一面では「目的のためには手段を選ばないマキャベリスト」的に描かれているかと思えば、別の場面では変に自由を許して造反されてしまったりと、どうにも中途半端な人格を持たされてしまっている感が多々ありますね、春日局は。
元々原作でもその傾向はあったのですが、テレビドラマ版ではなまじサディスティックな面が強調されているために、さらにそんなチグハグなイメージが強くなってしまっているのではないかと。

来週の第8話でいよいよ春日局は死ぬことになるようなのですが、春日局に纏わるこれらの矛盾は果たして整合されることになるのでしょうかねぇ。
あと、稲葉正則の死後における稲葉家がその後どうなるのか、そして原作とは大幅に異なる設定を持つ稲葉正勝の動向についてもいささか気になるところです。

コミック版「大奥」検証考察11 【排除の論理が蠢く職業的男性差別の非合理】

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コミック版「大奥」検証考察11回目。
今回のテーマは【排除の論理が蠢く職業的男性差別の非合理】です。
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちらとなります↓

前作映画「大奥」について
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

原作版「大奥」の問題点
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
コミック版「大奥」検証考察9 【大奥システム的にありえない江島生島事件】
コミック版「大奥」検証考察10 【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」
第1話感想  第2話感想  第3話感想  第4話感想  第5話感想  第6話感想

コミック版「大奥」では、時代が下るのに比例する形で、男性差別の度合いが苛烈さを増していきます。
徳川9代将軍家重の時代になると、男性はもはや「日陰者」として生きていかざるをえない存在にまで落ちぶれ果てているようです。
8巻では、ただ単に「男だから」という理由だけで客からも同僚の女性達からも忌避された挙句、料亭「かね清」をクビにされてしまう善次郎(後に大奥へ入った際には芳三と名乗る)のエピソードが描かれています。
「赤面疱瘡」が原因で男性人口が激減したのと、女性が労働の主要な担い手となったことで、女性の発言権が増大し重要な社会的地位をも占めるようになったこと自体は、作中でも少なからず描かれているように別に不思議でも何でもないでしょう。
しかし、女性の発言権増大や権利伸長だけでは、労働の場から男性を排除すべき理由などには到底なりえませんし、ましてや男性差別が跳梁跋扈する理由にもならないのです。
にもかかわらず、時代が下るにしたがって「大奥」世界における男性差別が悪化の一途を辿っているのは一体何故なのでしょうか?

コミック版「大奥」における作中の描写を見ても、「大奥」世界で男性差別が発生しえる発端になったと「かろうじてレベル」でも解釈しえる事件やエピソードは、実のところ「慶安の変」と「元禄赤穂事件」の2つしか存在しません。
しかもこの2つでは、どちらも「血生臭く乱暴者な気風の象徴」として男性が忌避されているわけです。
ところが、8巻で描かれている「享保の大飢饉」では、女性達の手による米問屋の打ち壊しなどが全国規模で大々的かつ公然と行われていたりします。
また、家光時代に発生した「寛永の大飢饉」でも、男女人口比率が1:5にまで落ち込もうという最中に一揆の気運が高まろうとしていたという描写もあります。
江戸城の面々が心の底から忌避していたであろう「血生臭く乱暴者な気風」とやらは、女性側も普通に持ち合わせている、という厳然たる事実の存在がこれで証明されてしまっているわけで、何とも滑稽な話であるとしか言いようがないのですけどね(苦笑)。
さらに言えば、「大奥」世界における「元禄赤穂事件」で吉良家討ち入りを敢行した赤穂浪士47名の中には、女性も5人は含まれていたことが作中でも明示されている(「大奥」5巻P193)わけで、その事実を無視・黙殺して「男性の気質」だけに全ての責を負わせている綱吉の裁断は、現実を直視しない不当かつ愚劣極まるシロモノでしかなかったのですし。
そして何よりも問題なのは、「慶安の変」にしても「元禄赤穂事件」にしても、それはあくまでも武士階級の人間が起こしたものであり、その裁断の範囲もまた武士階級に限定されるものでしかない、ということです。
江戸時代は士農工商に代表される身分制度が幅を利かせていたのであり、武士・農民・商人でそれぞれ別個の規範が適用されるのが一般的でした。
武家を統制するための規範だった「武家諸法度」が農民の行動規範を拘束などするわけもなく、逆に農民統制を目的とする「慶安御触書」が武士に対して適用されるケースがあるわけもなかったのですから。
つまり、士農工商における「士」以外の階級で男性差別が横行しなければならない理由と経緯については、作中では全く描かれていないということになってしまうわけです。
こんな状態で「大奥」世界の社会において男性差別が横行している様子が描かれても、読者側としてはひたすら「?」マークを浮かべ続けなければならないことになってしまうのですが。

さて、「大奥」世界における男性差別がいかに歪なシロモノであるのかについて、8巻に登場していた料亭「かね清」絡みのエピソードを見てみることにしましょう。
実のところ、料亭で板前の男性が排除されるというただその一事だけでも、「大奥」世界の男性差別があまりにも非合理かつ無理筋なシロモノであることを証明して余りあります。
料亭における板前というのは、基本的に「同じ味と形の料理を常に変わることなく提供し続けることが可能であること」を必須とする職種です。
ところが女性の場合、生理の影響で体温が一定ではなく、また味覚も力加減も不安定に変化することから、「同じ味と形の料理を常に変わることなく提供し続ける」という用途には、男性と比較しても到底適しているとは言えません。
また、昔の板前というのは当然のごとく現代のような機械化された便利な環境があるわけでもないので、料理の素材の調達・運搬・下ごしらえに至るまでとにかく重労働をこなさなければならず、その点においても女性にはあまり向いていません。
男女平等&労働環境の利便化が進んだ現代においてさえも、すし屋や料亭の板前には女性よりも男性の方がはるかに多いのはそのためなのです。
身体的な問題が大きく影響しているのですから、男性が女性よりも数が少なくなったからと言って、男性排除の論理を働かせて良いものなどでは、板前という職種は全くありえないわけです。
ところが「大奥」世界では、そのありえないはずの男性排除の論理が大手を振ってまかり通っているなどという、何とも奇妙奇天烈な珍現象が現出しているのです。
しかもその理由がまた振るっていて、「男がいること自体がダメ」とか「(女性の)月のもの等の話がやりにくい」などといった、板前としての職のあり方や料理の味などとは全く何の関係もない、現代で言えば「一国の首相のカップラーメン値段当てクイズ」のごとくどうでも良いシロモノでしかないときています。
この「かね清」という料亭って、もし創業100年以上の伝統を誇っている店だったのであれば、赤面疱瘡で男女逆転が起こった際に、一体どんな珍論を駆使して男女の身体的な格差および板前の伝統と慣習を覆していったのか、つくづく疑問に思えてならなかったですね。
その際に「かね清」の料理の質は、間違いなくガタ落ちもいいところなレベルまで落ちたのではないかと思えてならないのですが(苦笑)。
これが史実の江戸時代であれば、元来男性の方が身体的・技術的にも向いている上に男性オンリーに近い板前の世界で、女性が台頭するのは至難を極める上に伝統・慣習的にも受け入れ難いものがあるからということで他の男性板前達の反感を買う、という構図が簡単に成立しえるのですけどね。
こういうのって、男女の人口比が変わったからと言って単純に逆転しえるものではないですし、ましてや、男性排除の論理を働かせなければならない必然性もないに等しいはずなのですけどねぇ(-_-;;)。

上記の板前の事例のごとく、人口・権力的な男女逆転が発生したからと言って、単純に連動させて逆転できるものではない伝統・慣習といったものは他にも色々あります。
女人禁制の伝統がある相撲などはその典型ですね。
そもそも、相撲が女人禁制となったのには、主に2つの理由があると言われています。
ひとつは神道における「穢れ」思想の影響によるもので、女性の生理や出産時における出血が不浄のものであるとされ、「神事」とされる相撲がそれによって穢されると考えられていたこと。
もうひとつは、「神事」で祭られている神が実は女性の神であり、同性である女性がその領域に近づくと女神の嫉妬や怒りを招くと考えられていたこと。
相撲に限らず、日本における女人禁制のほとんどが、上記2つの理由で軒並み説明可能だったりします。
江戸時代以前には、比叡山や大峰山などといった特殊な山が女人禁制とされていましたが、これには「山はそれ自体が女神である」と考えられていたことから後者の理由が当てはまるのですし。
で、こういった女人禁制などの伝統や慣習などは、男女逆転が発生したからと言ってそうそう変えられるものでもなければ、簡単に変えて良いシロモノなどでもありえないはずなんですよね。
現代でさえ、女人禁制を伝統や慣習として堅持しているところがあったりするのですし。
こういうのって、「大奥」世界においては一体どのような扱いになっているのでしょうかねぇ。
7巻P170~171で徳川8代将軍吉宗が男性力士と相撲を取った回想シーンがあるところを見ると、どうやら相撲については女人禁制がそれなりに機能していたようではあるようなのですが……。

どうにも「大奥」世界というのは、男女逆転に伴う伝統や慣習への影響や変革というものをあまりにも軽く考え過ぎているきらいが多々ありますね。
板前と相撲の事例のごとく、一方では男女逆転を安易に適用していたかと思えば、他方では何故か都合良く男性メインの形態が続いていたりと、チグハグな社会システムが出現するありさまですし。
結局、コミック版「大奥」という作品は、史実における伝統や慣習などといった社会システムのあり方や、それが出来るに至る経緯や必然性といったものについて寸毫たりとも考えることなく、ただ「男女逆転が起これば全ての慣習が自動的に逆さまになる」などというありえない前提で作中の世界を描こうとするから、世界設定のことごとくがおかしなシロモノとなり果ててしまうのでしょう。
男性差別に至っては、それがあの世界で出てくる理由も必然性も全くないに等しいのですし。
そういったものを出すなら出すで、作中のごときコジツケな屁理屈などではなく、もう少しマトモな理論と必然性といったものを捻出して欲しかったところなのですが。

次回の考察は、2012年12月3日に刊行されるらしいコミック版「大奥」9巻を購入して以降に披露してみたいと思います。

映画「任侠ヘルパー」感想

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映画「任侠ヘルパー」観に行ってきました。
諸々の事情からヤクザが介護ヘルパーとして働くという奇抜な設定が話題となった、2009年にフジテレビ系列で放映された草彅剛主演の同名テレビドラマの映画化作品。
テレビドラマ版については、映画館での宣伝からその存在自体を知ったくらいなので当然のことながら全く未視聴。
ただ、設定自体はテレビドラマ版と一応の繋がりはあるものの、ストーリー自体はテレビドラマ版とは別個になっているので、作品単独でも充分に観賞可能な映画ではありますね。

かつては指定暴力団「隼会」に所属していた、草彅剛が扮する今作の主人公・翼彦一は、映画の冒頭では組織を抜けて堅気となり、とあるコンビニで働きながら細々と生活していました。
客商売にはおよそ向かないレベルの愛想のなさっぷりを披露していたため、客からも同じバイト仲間?からも見下されバカにされる日々ではあったのですが。
しかしその日常は、コンビニにヘルメットをかぶった強盗が押し入り、バイト仲間にナイフを突きつけてカネを要求されたことから終わりを告げることになります。
ヤクザ時代に培ってきた修羅場での経験を生かし、いともあっさりと強盗を返り討ちにしてヘルメットを奪い取る翼彦一。
しかし、そこにあったのは老人の顔で、明らかに食い詰めて犯行に及んだことが丸分かりな風体でした。
そんな老人に翼彦一は何か同情するものでも見出したのか、自分から老人のバックをかすめ取ってコンビニのカネを入れ、老人に手渡してこの場を去るよう促すのでした。
しかし、そんな一連の出来事は全てコンビニに設置されていた監視カメラに録画されており、翼彦一はコンビニをクビになった上で警察に逮捕されることとなります。
一度は警察に従順に従うそぶりを見せていた翼彦一は、警官達の一瞬の隙を突いて逃亡し、警察に追われながらトンネルを走る描写が展開されます。
まあ、その直後には刑務所の中で囚人として過ごす翼彦一が映し出されていたので、直後にまた捕まったであろうことは想像に難くないのですが(苦笑)。

刑期を過ごしていた刑務所の中で、翼彦一は冒頭のコンビニで強盗に押し入っていた老人と再会することになります。
その老人の名は蔦井雄三といい、刺青もしっかり彫り込んでいる元極道者。
彼は翼彦一からもらったカネを競馬で全部スッてしまった挙句、別件で逮捕され刑務所へ収監されたのだとか。
蔦井雄三は自分と同じ「元極道」という境遇に共感でもしたのか、翼彦一に将棋の駒を渡し、自分が元いた大海市を牛耳っている「極鵬会」という組を訪ねるよう促します。
そして後日、蔦井雄三は老齢に加えて病を患っていたことから死去。
翼彦一が出所するその日、彼の遺体は棺に入れられ火葬場なり墓場なりへ運ばれていったのでした。

刑期を終えて出所した翼彦一は、しかしその直後、冒頭のコンビニで自分と共に仕事をしていた山際成次という若者と出くわし、「男気に惚れたから舎弟にしてくれ」と懇願されることになります。
最初は拒絶していた翼彦一でしたが、あまりにもしつこい上に、その直後に蔦井雄三の娘にして遺族でもある蔦井葉子から形式的な挨拶を受けたこともあり、なし崩し的に舎弟として扱っていくことに。
そして、自身と蔦井雄三の事例から、元極道として堅気で生きていくが困難であると思い知らされた翼彦一は、今は亡き蔦井雄三の勧めに従い、大海市へと向かうことになるのですが……。

映画「任侠ヘルパー」では、まさにゴミ溜めのごとき施設に老人達を隔離し、生活保護のカネだけをふんたくって私腹を肥やす暴力団が登場します。
それどころか、一応は法的に何の問題もない高級老人介護施設でさえも、老人達を半ば機械的に扱い、薬を使って黙らせたりする傾向があることが普通に描かれていたりします。
人をモノとしてしか見ていない凄まじく非人道的な話ではあるのですが、しかし実際問題として、こういったことは現実の介護施設の現場で本当に行われていることのように思えてならないですね。
実際、生活保護の支給は暴力団や悪質なNPO法人の資金源になっているとされ問題にもなっており、作中で展開された「介護や借金を餌にした貧困ビジネス」も普通に横行しているのだとか。
介護ヘルパーによる老人イジメなども一時期話題となりましたが、それも老人を人間ではなく「金のなる木」と見做す風潮が原因でしょうし、根は同じところにあるような感が多々あります。
日本のみならず世界各国の主要国全てで、高齢化社会は誰にとっても避けて通れない深刻な問題となりつつありますし、今後似たようなケースはいくらでも出てくるでしょう。
もちろん、作中における翼彦一のごとく、老人のことを親身に考え老人のためになる介護を真剣に行っている良識的な施設もあることはあるでしょうけど。
出演者の顔ぶれに加え、どう見ても軽いノリの舎弟っぷりを披露している山際成次や正真正銘軽い頭な持ち主の仙道茜などのキャラクターがいることから、一見するとギャグ調な作品っぽく見えるのですが、作品のテーマには意外に重いものがあり、良い意味で予想を裏切る内容ではありましたね。

ただ、個人的に少々疑問に思ったのは、物語終盤における「極鵬会」の面々達の行動ですね。
貧困ビジネスの一環として自分に与えられた「うみねこの家」を焼かれたことから、翼彦一は介護施設建設の入札?会場で「極鵬会」に対して大々的に喧嘩を打ってビジネスを壊してしまった翼彦一は、「極鵬会」の総力を挙げて追われる存在となってしまいます。
そして、放火された「うみねこの家」で老人達が戻ってきた光景を目の当たりにした翼彦一は、老人達が「極鵬会」の目に留められ襲撃されることのないよう、自分の身を「極鵬会」に晒しその身を犠牲にすることを決断します。
果たして彼は「極鵬会」の組員達によって集団リンチに遭い、今まさにどこかへ連れ去られ殺されようとしていたのですが、そこへ異変を察知した八代照夫と蔦井葉子の2人が駆けつけ、八代照夫が「極鵬会」に向かって啖呵を切ることになります。
そしてそれに恐れを抱いたのか、「極鵬会」の面々達はそれ以上の危害を誰にも加えることなく、捨て台詞を吐きながら退散することになるのですが……。
しかし「極鵬会」の面々にしてみれば、たかだか八代照夫の啖呵程度のことで撤退する必要など、実はどこにもなかったりします。
その時の八代照夫は既に大海市の議員を辞職していることを宣言していましたし、その理由が彼自身の女性問題であることも、彼自身の口から既に公のものとなっていました。
となれば、あの場における八代照夫はただの一介の弁護士であるに過ぎず、「極鵬会」にしてみればその場で殺してしまっても何ら問題のない存在でしかない、ということになります。
むしろ「極鵬会」としては、翼彦一に集団リンチを加えていた現場を八代照夫と蔦井葉子に目撃されていることになるわけですから、2人を見逃すと後々厄介な問題にも発展しかねない局面でさえあるわけです。
既に「極鵬会」は、翼彦一を殺すためにどこかへ連れて行く段階に入っていたのですし、あの場には2人以外に目撃者もいなかったのですから、殺すべき対象をひとりから3人に増やしたところで何の支障もなかったはずでしょう。
口封じを目的にした殺人行為なんて、仮にもヤクザや暴力団を名乗っている面々ともあろう者達であれば常日頃から行っているビジネスでしかないのですし。
もちろん、2人を殺す際にはそれなりに合理的な理由で自分達の犯行がバレないような細工をする必要もあるでしょうが、そんなものは後からいくらでもでっち上げることも容易なことでしかないでしょう。
さし当たっては、八代照夫と蔦井葉子の関係を利用して心中に見せかけて殺すとか、何ならコンクリ詰めなり死体を処分するなりして「行方不明」にしても良かったでしょうし。
映画「悪の教典」の蓮実聖司辺りならば簡単に実行してのけそうなものなのですが、仮にも非合法行為を生業とする暴力団の面々が、その程度のことすらも実行どころか思いつきさえしないとは驚きです。
あの場は弁護士である八代照夫が得意とする法律など何も機能しておらず、完全無欠な「極鵬会」のテリトリー下にあったのですから、既にひとりの人間の殺害を実行しようとしていた「極鵬会」が2人を追加で抹殺するなど、赤子の手をひねるよりもはるかに容易なことだったようにしか思えないのですが。
あれでは「極鵬会」は、極道にあるまじき「アマちゃん&事なかれ主義の集団」でしかないではありませんか。
あの場で3人が助かるシナリオにするならするで、もう少し「極鵬会」側がそうせざるをえないような「物理的な力の明示(八代照夫の背後から警察が大挙して出現しようとしていたとか)」の類の演出が必要だったのではないかと。

テレビドラマ版か草彅剛のファンであればもちろん、介護問題について考えたい方であれば必見の映画ではないかと思います。

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」 第6話感想

全10話放送予定のTBS系列の金曜ドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」。
今回の記事は、2012年11月16日放映分の第6話感想となります。
前回第5話の視聴率は8.9%。
今まで続いていた視聴率最低記録の更新は回避され、今まで右肩下がりだった視聴率がようやく持ち直した感じではありますね。
とはいっても、初回および2回目放映分の視聴率までは回復しきれておらず、またここからさらに回復するのか、再度反転して落ちていくのかは正直不透明な情勢ではあるのですが。
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちらとなります↓

前作映画「大奥」について
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

原作版「大奥」の問題点
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
コミック版「大奥」検証考察9 【大奥システム的にありえない江島生島事件】
コミック版「大奥」検証考察10 【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」
第1話感想  第2話感想  第3話感想  第4話感想  第5話感想

第6話が担当している原作のページ範囲は、コミック版「大奥」3巻のP94~P127まで。
女版家光と捨蔵改めお楽の方の間に女児が生まれてから、有功が玉栄に女版家光と子を為してくれるよう依頼するシーンまでのストーリーが展開されます。
今回は女版家光と有功絡みの本筋のストーリーについては特にオリジナル要素がなかったのですが、その分、稲葉正勝絡みのオリジナルストーリーがかなり前面に出ていた感がありましたね。
今回の話におけるテレビドラマ版オリジナルエピソードは以下の通り↓

・女版家光の出産後、春日局が捨蔵改めお楽の方に「お腹様」であることを告げ、次こそ男児を産むよう促す。
・有頂天になって柿を取ろうとしたお楽の方が、頭を打って半身不随に(原作では柿は話に絡んでこない)。
・お楽の方の半身不随後、女版家光と有功の逢瀬を許した春日局に対し、稲葉正勝がその意図について問い質す。
・家光に扮する稲葉正勝と、元服の儀のために江戸城へ参内した息子の稲葉正則の対面、さらに無難に儀式が終わろうとした際、息子を自分に近づけさせアドリブで語りかける稲葉正勝。
・対面が終わった後、母親に報告を行う稲葉正則と、春日局から「二度と同じことをするな」と警告される稲葉正勝。

話が進む度に思うのですけど、このテレビドラマ版「大奥」では、春日局のサディスティックな悪役ぶりが無意味なまでに前面に出まくっているような感が多々ありますね。
女版家光と有功の逢瀬を許した意図を稲葉正勝に問われているシーンでは、わざわざ自分から他者の憎しみを買うかのごとき振る舞いを稲葉正勝相手に披露していたりしていますし。
春日局に破滅願望でもあるのでなければ、アレって単に稲葉正勝をイビっていただけでしかないのですが。
原作の春日局も相当なまでの悪党ではありましたが、原作の方はあくまでも「必要に応じて手段を選ばない」だったのに対して、テレビドラマ版の方ではそうでない局面においてさえも残虐性が浮き彫りになっています。
よほどにストレスでも溜まっていたのか、それとも老い先短い自分の寿命に苛立ってでもいたのか、はたまた息子をイビることで自分が権力者であることの再確認でもしたかったのかは知りませんが、傍目には実に無意味なことをしているよなぁ、と。
原作と違って春日局の思想的背景が、現時点では全く語られていないため、なおのことサディスティックな一面だけがクローズアップされてしまっていますし。
稲葉正則の元服の儀で、稲葉正勝が春日局の言いつけに背いてアドリブな言動を披露していたのも、息子に対する愛着もさることながら、間違いなく春日局に対する反発も一役買っていたことでしょう。
あの2人、だんだんと反感と対立を深めつつあるようなのですけど、稲葉家の面々共々、今後一体どうなっていくのでしょうかねぇ。
何となく、自分に逆らう息子に対する制裁を目的に、稲葉家に呪いをかけたり殲滅を命じたりする春日局、という構図が思い浮かばずにはいられないのですが(苦笑)。

あと、玉栄に女版家光の側に上がるよう依頼してきた有功の表情が、明らかに腹に一物あるかのごときシロモノだったのが印象に残りました。
前回の話で玉栄に対して「お前はええ子や」と発言していた際の表情と言い、有功って玉栄に対して実は凄まじいまでの悪意や負の感情を抱いているのではないか、とすら解釈せざるをえないところだったのですけど。
有功を演じている堺雅人の表情の作り方は結構上手いものがありますが、自分のことを心から慕ってくれている第一の忠臣である玉栄に対して、わざわざそんな不気味な表情や声色をすることもなかろうに、とは考えずにいられなかったですね。
そして当の玉栄の方では、そんな有功の不気味さに果たして気づけているのでしょうか?
まあ、あの忠臣ぶりを見るにつけ、「まさか有功様が自分に悪意など抱くはずがないだろう」と頭から決めてかかっていそうではあるのですけど(苦笑)。
有功絡み以外になると、玉栄も春日局ばりに手段を選ばぬ悪党ぶりを披露しているものなのですが、主である有功の前では純粋無垢な赤子同前でしかない、ということになるのでしょうかねぇ。

次回第7話で、いよいよ原作でも支離滅裂な論理の塊だった「一夫多妻の否定」「女性に家の後を継がせる」の話が出てくるみたいですね。
春日局も次話で倒れることになるようですし。
正直、あの場面で披露されることになる男女逆転の政治的・論理的正当性については、原作以上のものを出すことはできそうにもありませんが、どんな形で盛り上げていくことになるのでしょうかねぇ。

映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」感想

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映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」観に行ってきました。
映画「タイタニック」「アバター」のジェームズ・キャメロン監督が製作を手掛けた、世界最高峰のパフォーマンス集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」による人間の限界を超えたパフォーマンスショーと音楽を売りにする作品です。

映画の物語としては、一応は主人公となるらしいミアという女性が、田舎で開催されていた移動サーカス「マーヴェラス」へと足を踏み入れたところからスタートします。
ちなみにこの「ミア」という名前自体、作中で判明するのは物語も後半に入ってからのことだったりします。
彼女はサーカス会場を見物していく中で、ひとりのピエロからチラシを強引に押し付けられます。
そのチラシに掲載されていたのは、エアリアリストという名の空中ブランコショーの芸人。
ミアは彼の空中ブランコショーを観覧すべく、ショーが行われている会場へ足を踏み入れます。
エアリアリストの空中ブランコショーは途中までは順調に推移していたのですが、ショーを観覧しているミアと目が合い、微笑みかけたことから一瞬の隙ができてしまい、彼はブランコをハシゴすることに失敗、セーフティネットも張られていない砂の舞台へ真っ逆さまに転落してしまいます。
ところが、エアリアリストが砂に叩きつけられたその瞬間、突如砂がアリジゴクのごとくさらに下へと落下しはじめ、エアリアリストもそれに巻き込まれて姿を消してしまいます。
観客席にいたミアは思わず立ち上がり、エアリアリストの後を追って同じく砂の舞台の下へと落下することに。
そして、意識を失ったミアが目を覚ました時、そこは別世界としか思えない広大な大地が広がっていました。
ミアが辺りを見渡してみると、すぐ近くにサーカスのテントを連想させる、しかしその規模は相当なまでに大きな建造物が存在していました。
その中へ入っていったミアは、ピエロにもらったチラシを元にエアリアリストの行方を探し始めるのですが……。

映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」では、上映時間の大半が「シルク・ドゥ・ソレイユ」によるパフォーマンスショーに費やされており、登場人物達も作中ではほとんど何もしゃべることがありません。
作中で登場人物達がしゃべっているセリフは数えられる程度しかなく、しかもそれ自体、「助けて」とかいった類のちょっとした単語を口にしている程度でしかありません。
一応軸となるストーリー自体は「サーカスだけで構成されているような世界で、ミアがエアリアリストを探し出す」的な内容となっているのですが、その進行のほとんどをパフォーマンスショーのみで表現しています。
ミアがエアリアリストを探してあちこち回っている先々で、「シルク・ドゥ・ソレイユ」の団員達?が様々なパフォーマンスショーを披露していくという按配です。
パフォーマンスショーの中には、エアリアリストを捕縛したり刺客達と戦いを演じたりするものなどもありますが、物語進行とは全く何の関係のないものもあります。
一般的な映画とは楽しみ方がまるで異なっており、良くも悪くも「パフォーマンスショーと音楽のための映画」ですね。
登場人物による駆け引きや心理描写やストーリーの謎を追うなどといったコンセプトは全く見出しようがないのですし。

今作を観賞する際には、映画というよりもサーカスでも観覧しに行く的なスタンスで臨んだ方が良いでしょうね。

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