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カテゴリー「洋画感想」の検索結果は以下のとおりです。

映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」感想

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映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」観に行ってきました。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件で亡くなった父親が残した鍵の謎を追い、ニューヨーク中を駆け巡る息子オスカーと彼に関わる人々を描いた感動の物語。
原作は、2005年にアメリカ人作家ジョナサン・サフラン・フォアが出した小説「Extremely Loud and Incredibly Close(この日本語訳が今作のタイトル)」とのこと。

2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件。
物語は、同事件のワールド・トレード・センター(WTC)への飛行機特攻テロに巻き込まれ犠牲となった、今作の主人公オスカー・シェルの父親で宝石商だったトーマス・シェルの葬儀の場面から始まります。
WTCの倒壊により遺体の回収すらもできなかったトーマスの葬儀は、当然のことながら空の棺で行われることになったのですが、父親を尊敬し親子関係として以上に慕っていたオスカーは、そのような葬儀を行った母親リンダ・シェルに対し「そんなことをして何の意味があるんだ!」と怒りをぶつけまくります。
トーマスはオスカーの繊細で人見知りな性格を是正させることをひとつの目的に、「調査探検」と呼ばれるゲームを行わせていました。
それは、ニューヨークにかつて存在したという第6区がどこにあるのか探すというもの。
オスカーがこのゲームを遂行するためには、街の見知らぬ人達に聞き込みなどを行わなければならず、父親はそれで人見知りの性格が是正できると考えたわけです。
しかし、その「調査探検」の最中、父親は仕事の取引でたまたま居合わせていたWTCで同時多発テロ事件に巻き込まれ、帰らぬ人となってしまいます。
事件から月日が経ってもなお、父親の死を素直に受け入れられないオスカーは、ある日、テロ事件以来入ることが出来なかった父親の部屋へ入り、父親との思い出の品がないか探し始めます。
そしてクローゼットを調べていた際、クローゼットの上に置かれていた青い花瓶を落として割ってしまいます。
ところが、粉々に割れてしまった青い花瓶の中から古い封筒が出てきたのです。
封筒の中にはひとつの鍵が入っており、これは「調査探検」における父親からの何かのメッセージなのではないかとオスカーは考えます。
鍵屋で件の鍵について調べてもらったところ、鍵は貸金庫などで使われていた、20~30年近くも前のものであることが判明。
鍵の調査結果を知り、店から去ろうとするオスカーでしたが、店主はオスカーを呼び止め、封筒の左上に「black」の5文字があることを指摘します。
改めて店主に礼を述べ、今度こそ自宅へと帰ったオスカーは、「black」が人名であろうと考え、ニューヨーク市中のブラック姓の人をしらみ潰しに探し出すことを決意します。
ニューヨーク市内でブラック姓を持つ人は、総計実に472人。
オスカーはその全員と会い、父親と鍵のことについて尋ね回る計画を考え、実行に移すこととなるのですが……。

アメリカの同時多発テロ事件を扱った映画作品としては、2004年公開映画「華氏911」、2006年公開映画「ユナイテッド93」「ワールド・トレード・センター」などが挙げられます。
「華氏911」は事件における当時のブッシュ政権に対する批判的な内容で、「ユナイテッド93」はハイジャックされたユナイテッド航空93便を、「ワールド・トレード・センター」はWTCの現場における救助隊の視点で、それぞれ構成されている作品です。
この中で私が観賞した映画は「ワールド・トレード・センター」ですね。
物語序盤でWTC崩落に巻き込まれ、瓦礫の中に閉じ込められた主人公含めた救助隊員達が、一部は生命を落としつつも、終盤に助けられるまで互いに励ましあいながら苦難を乗り切るという話でしたが、ドラマ性よりもむしろそのあまりにも地味な構成で逆に印象に残った作品でした。
そして、同じ事件を扱った作品としてこれらの映画と肩を並べることになる今作「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」は、テロ事件で犠牲となった被害者の家族にスポットを当てているわけです。
過去の3作品が全て実話を元に製作されたノンフィクションであるのに対し、今作は実在の事件をベースにしつつも、物語そのものはあくまでもフィクション上のエピソードで構成されています。
実話を元にしているが故に実話に束縛されざるをえなかった過去作ではなかなか取り入れられなかった「フィクションならではの人間ドラマ性」を積極的に活用しているという点では、今作がダントツのトップではあるでしょうね。

映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」では、実の親として以上の尊敬の念を父親トーマスに対して抱いていた息子オスカーが、父親の残滓を追い、記憶に残すために奔走する様が描かれています。
オスカーがそのような方向へと突き進む理由としては、父親が自分に残してくれた謎なりメッセージなりを見たいという好奇心も当然あったでしょうが、それ以上に「好きだった父親のことを忘れてしまうことに対する恐怖心」があることが、オスカー自身のモノローグで語られています。
しかし物語が進んでくると、オスカー曰く「最悪の日」こと同時多発テロ勃発の日におけるオスカー自身の行動が「父親に対する原罪的な負い目」になっており、それが彼を「調査探検」にのめりこませていることが分かってきます。
あの日、オスカーの自宅には、WTCの106階にいたらしい父親から総計6回の電話がかかっており、自宅には誰もおらず5回までは自動的に留守電となってしまいます。
しかし最後の午前10時27分着信となる6回目は、テロ事件の影響で授業が全て中止となり学校から早退させられ帰宅していたオスカーが電話を取ることが充分に可能だったにもかかわらず、彼は恐怖心のためか、その電話を取ることができませんでした。
結果、父親は再び留守電に切り替わった電話に最後のメッセージを入れ、その直後にWTCが崩壊してしまったんですね。
つまり、オスカーは父親の最期の瞬間に電話越しで立ち会っていながら、父親と最期の会話を交わすチャンスを自分から永遠に捨て去ってしまったわけです。
これがただでさえ繊細な上に父親のことを誰よりも慕っていたであろう少年にとって、相当なまでの精神的ショックとなったであろうことは想像に難くありません。
オスカーが「調査探検」に必死になっていたのは、父親に対する彼なりの贖罪意識と後悔も多大にあったのではないかと。

そして一方、空の棺で父親の葬儀を行った母親リンダに対しては少なからぬ反感と隔意を抱いており、特に物語序盤では母親に当り散らしたり、母親を邪険にする態度がとにかく前面に出ていたりします。
リンダも母親として息子のことを案じてはいるのですが、オスカーはそのような母親の言動に不快感を覚え衝突するばかりで、挙句の果てには本人の目の前で「ママがあのビルの中にいれば良かったのに!」とまで言い放つ始末。
この辺りの描写は、息子がそう言いたくなった心情および言った後に後悔する心理も、そう言われた母親のショックも、どちらも目に見えて分かるようになっているだけに、どうにもやるせないものがありましたね。
しかも「間借り人」と呼ばれる謎の老人が登場して以降になると、ただでさえ無気力感に満ちている母親はますます影が薄い存在となってしまいますし。
しかし、序盤から中盤におけるこの手の母子のギスギスしたやり取りや演出は、実はラストに向けての大いなる伏線でもあったりします。
このラストにおける一種の大どんでん返しは、ただそれだけでこの作品を傑作たらしめると言っても過言ではないくらいの威力を誇っています。
現実にも充分に起こりえることで、それでいて間違いなく子供が親の愛情を感じ取ることが出来るエピソード。
これこそが、この作品が観客に声を大にして訴えたかったことなのであろう、とすらついつい考えてしまったものでした。

今作はテーマがテーマということもあり、アクション映画のような派手さや爽快感などは皆無ですが、人間ドラマとしては充分に見応えのある作品です。
主要登場人物全てに何らかの感情移入をすることが可能な構成にもなっていますし、特にラストの演出は多くの人が感動するであろう秀逸な出来に仕上がっています。
老若男女を問わず、多くの人に是非観てもらいたい映画ですね。

映画「ドラゴン・タトゥーの女」感想

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映画「ドラゴン・タトゥーの女」観に行ってきました。
スウェーデンの作家スティーグ・ラーソンによるベストセラー小説「ミレニアム」三部作のうち、同名タイトルの第一部を実写映画化したハリウッド版リメイク作品。
この映画、SM強姦やレイプにフェラチオ、アナルセックスなど、15禁どころか18禁指定すらされてもおかしくないレベルのセックス描写がしばしば登場する上、ネコの惨殺体などというグロ映像まで飛び出してくる念の入れようで、当然のことながらR-15に指定されています。
すくなくとも一般向けに公開されているはずの映画で、間接的に性行為を匂わせる濡れ場シーンならともかく、モザイクまでかけられるレベルの露骨なセックス描写なんて、私は今までお目にかかったことがなかったのですけどね。
もちろん、それらは作中のストーリーを構成する重要なパーツではあるのでしょうが、それにしても大胆な描写をしているなぁ、と(^_^;;)。
ちなみに私は、原作は全て未読で、またスウェーデンで先に実写化されたという映画も未視聴の状態で今作に臨んでいます (^^;;)。

物語は、謎の老人の元に、年1回必ず送られてくるという謎の郵送物?に対し、呪詛に満ちた呟きをこぼすところから始まります。
そこから物語は一旦中断し、今時の映画では珍しいオープニングテーマに入るのですが、予告編でも流れていたものでありながら、改めて聴いてもこの音楽はなかなか良いものでしたね。
オープニングテーマが終了した後、物語のスポットは、今作の主人公のひとりであるミカエル・ブルムクヴィストに当てられます。
彼は、月刊誌「ミレニアム」の敏腕ジャーナリスト兼発行責任者兼共同経営者で、スウェーデンの大物実業家のハンス=エリック・ヴェンネルストレムの不正を暴露する記事を書いたものの、そのことで逆に名誉毀損で訴えられた挙句、裁判で有罪判決を受けてしまい、それまでの貯蓄全てを失うレベルの賠償金の支払いまで課せられるという事態に陥っていました。
彼の敗訴と、不正を書かれたヴェンネルストレムによる報復的な圧力によって、月刊誌「
ミレニアム」は大きな危機に直面していました。
敗訴のショックもあり、また「ミレニアム」に負担をかけないようにする配慮も手伝って、雑誌の編集長であるエリカ・ベルジェに一線を引くことを告げるミカエル。
ここで2人は妙に親しげかつ肉体的な接触も含めたスキンシップ行為を行い、この2人がただならぬ関係にあることが観客に明示されます。
そんな彼の元に、冒頭に登場した老人、大財閥ヴァンゲル・グループの前会長ヘンリック・ヴァンゲルと、ヘンリックの顧問弁護士であるディルク・フルーデから、スウェーデンのヘーデスタまで来て欲しいとの連絡を受けます。
不審に思いながらもヘーデスタへとやって来たミカエルは、そこで表向きはヘンリックの評伝を書くという名分で、40年前に起こった親族のハリエット・ヴァンデルの失踪事件について調査して欲しいと依頼されることになります。
初めは嫌な顔をするミカエルですが、ヘンリックはミカエルに対し「ミレニアム」にいた当時の給与の2倍の金を毎月支給する、成功すれば4倍出すという金銭的な優遇条件を提示し、さらにミカエルを失墜させる元凶となったヴェンネルストレムの不正の証拠をも提供すると持ちかけます。
ここまで言われてはミカエルもさすがに承諾せざるを得ず、かくしてミカエルの事件捜査が始まるのでした。

一方、ヘンリックはミカエルに失踪事件の洗い直しを依頼するのに先立ち、ミカエルの身辺調査をミルトン・セキュリティーに依頼していました。
それに応じてミカエルの身辺調査を実地で行い、彼の秘密の何から何まで把握し尽した人物が、今作のもうひとりの主人公であるリスベット・サランデル。
彼女は、鼻と眉にピアスを付け、左の肩から腰にかけてドラゴンのタトゥーを彫りこんでいる非常に変わった女性で、過去の経歴が理由で責任能力が認められない精神的不適応という診断を受けた挙句に後見者をつけられていたりします。
ある日、彼女が自身につけられた後見人であるホルゲル・パルムグレンの元へ帰ってみると、彼が自宅の部屋で倒れているのを発見。
彼はすぐさま病院に収容されるのですが、脳出血で半ば廃人同然の状態となってしまい、リスベットの後見人から外されてしまいます。
そして、新しくリスベットの後見人となったニルス・エリック・ビュルマンは、リスベットを精神異常者だと決めつけ、自身の権限にものを言わせて彼女の財産を全て自分で管理すると宣言します。
これに反発するリスベットでしたが、後見人であるビュルマンに逆らうことはできません。
そしてビュルマンは、その地位とカネを餌にしてリスベットに性的な要求まで行うようになるのですが……。

映画「ドラゴン・タトゥーの女」は、ストーリーのジャンル的には一応推理系ミステリーに属するはずなのですが、原作はともかく、すくなくとも今回の実写映画版ではその部分があまりにも描かれていない感じがありますね。
物語の中核を構成しているハリエットの失踪事件には当然容疑者がおり、重要人物であるはずの彼らは序盤で一通り紹介されてはいくのですが、しかし彼らは物語全体を通じて、真犯人を除きほとんど主人公2人と接点がないんですよね。
名前だけ紹介されたものの、初登場するのがようやく物語中盤頃、という人物までいましたし。
40年前の事件を扱っていることもあり、また既に故人となっている人物もいることから、事件当時の資料漁りがメインになっているという事情もあるにせよ、ロクに描写がないために容疑者の名前をマトモに覚えることすら困難を極めるありさまでした。
物語後半で判明した真犯人ですら、正体が分かるまでほとんど印象に残っていなかったくらいでしたし。
しかも序盤から中盤にかけては、どちらかと言えば主人公2人の軌跡を追っていくストーリーがメインで展開されていた上、2人が邂逅を果たすまでかなりの時間がかかることもあって、さらに容疑者達の存在はストーリーの流れから置き去りにされてしまっています。
真犯人が判明する後半になるとさすがに事件の全体像はおぼろげながらも見えてくるのですが、あまりにも真犯人以外の容疑者達の存在感も印象もなさ過ぎるというか……。
何と言うか、原作小説を予め読んでいるのが最初から前提の上でストーリーが展開されているようにすら見えますね、この映画って。
同じ原作未読のミステリーでも、映画「白夜行」「麒麟の翼」などは、事件関係者達の存在感も相互関係も素直に理解できたものなのですけどねぇ……(-_-;;)。

一方で、主人公2人を取り巻く人間関係については、メインと言って良いくらい濃密に描かれていることもあって、かなり分かりやすい上にインパクトも多々ありますね。
中でも凶悪なまでに印象に残ったのは、リスベットに最初にカネを請求してきた際にはフェラチオを要求し、2度目はベットに縛り付けてアナルセックスまでやってのけ、当然のごとく逆襲されて惨めな敗残者にまで落ちぶれ果てたビュルマンですね。
彼は自業自得とはいえ、リスベットに強姦現場の動画をネタに脅迫された上、「私は強姦魔の豚野郎です」という刺青まで彫られてしまいましたし。
リスベットのみならず、映倫にまで挑戦状を叩きつけるかのごとき彼の「勇猛果敢な行為」は、ただそれだけで歴史に名を残せるものがあります(苦笑)。
まあリスベットの方も、ミカエル相手に騎乗位セックスを作中2度にわたって繰り広げ、しかもその内1回はモザイク付という、なかなかどうしてビュルマンと互角以上に渡り合えるだけの「戦歴」の持ち主ではあるのですが(爆)。
というかリスベットにヤられたミカエルも、エリカという別の女性と既に関係が深いのに、強引に押し倒された1回目以降も何故リスベットと肉体関係を持ち続けているのか、正直理解に苦しむところではあるのですが。
そのミカエルとエリカの関係も、世間一般では「不倫」と呼ばれる行為に該当する(エリカは既婚者で夫が生存している)わけで、この作品の登場人物は揃いも揃って、良くも悪くも倫理観という言葉とは全く無縁ですね。
今作は三部作の第一部とのことですから、当然人気と予算が許す範囲において第二部以降の続編も製作されることになるのでしょうが、この倫理観の崩壊っぷりもより強烈に反映され続けることになるのでしょうかねぇ。

R-15指定ですら裸足で逃げ出したくなるレベルのセックス&残虐描写が延々と続くので、その手の描写が嫌いな方にはとてもオススメできる作品ではないですね。
また前述のように、原作を何も知らない状態で今作を観賞する場合、特に失踪事件絡みの容疑者達の人間関係を理解するのにかなりの困難が伴います。
その点では「原作ファンのための作品」というのが妥当な評価ということになるでしょうか。

映画「ペントハウス」感想

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映画「ペントハウス」観に行ってきました。
「ナイトミュージアム」シリーズのベン・スティラーと「ビバリーヒルズ・コップ」シリーズのエディ・マーフィという、アメリカの著名なコメディ俳優2人が初めて共演を果たした、これまたコメディタッチなノリのクライム・アクション作品。

ニューヨーク・マンハッタンの一等地にそびえ立つ、全米一の超高級マンション「ザ・タワー」。
一戸当たりの平均物件価格数百万ドル以上、65階建ての高層ビルから眺望できる景観と最新鋭のセキュリティシステム、さらには居住者の生活をサポートする専属のスタッフによる最上のサービスが受けられるという、まさに金持ちのためにあるようなマンションです。
今作の主人公ジョシュ・コヴァックスは、その「ザ・タワー」の専属スタッフをまとめ、「ザ・タワー」に居住する人々からの要望や苦情を的確に処理することを生業とする管理マネージャー。
「ザ・タワー」居住者の誕生日や好み、性格などに至るまで把握し尽くしているジョシュは、居住者達からも専属スタッフからも頼られる存在でした。
なかでも、「ザ・タワー」の最上階(ペントハウス)に居住し、屋上のプールをも独占的に使用している大富豪アーサー・ショウは、自身の趣味であるチェスの相手をさせるほどにジョシュを信用し、「君を引き抜いてホテルの支配人にしたい」と高く評価していました。
ジョシュもまた自分に目をかけてくれるアーサー・ショウを尊敬しており、2人はまさに理想的な人間関係を具現化しているかのように思われました。
……ショウの正体が判明するまでは。

ある日、ジョシュがいつものように住人からの要望や苦情を処理している中、スタッフのひとりから不審な黒ずくめの車が2日前から「ザ・タワー」の前に駐車されているという報告を受けます。
ジョシュが問題の車を玄関先で確認すると、その車からこれまた怪しい人物が4人、車から降りて「ザ・タワー」の方へと向かってきます。
ジョシュはただちに正面玄関にカギをかけるようスタッフに指示すると、自身は警備室へと向かいます。
そこでは何と、ペントハウス在住のショウが裏口に停められていた別の車に乗せられ、その場から離れる場面が捉えられていました。
これを要人誘拐だと判断したジョシュは、一大事とばかりに警備室を飛び出し、走って車の追跡にかかります。
人と車では最初から勝負になどなりようもないはずでしたが、地の利を熟知していたジョシュは、車が通れない道を使って先回りすることで何とか車を捕捉できていました。
ところがその追跡劇の最中、通りがかりの女性からラリアット?を食らい沈没してしまうジョシュ。
それとほぼ同時に、逃走していた車もまた曲がり角を曲がりきれず横転、そこへ先ほど見かけた黒ずくめの車が停止、逃走車を確保するのでした。
実は黒ずくめの車はFBIのもので、ショウは証券詐欺の容疑をかけられ逃走を図ろうとしていたのです。
のみならず、ショウはジョシュを介して「ザ・タワー」の従業員達全員の年金運用を請け負っていたにもかかわらず、その資金を全て私的流用してしまっていたのでした。
「ザ・タワー」の仕事を辞めて年金生活をするはずだったスタッフのひとり・レスターは、長年働いて稼いだはずの7万ドル以上の積立金をショウに預けたことで全てパーになったことを知ってショックを受け、地下鉄に飛び込もうと自殺未遂に走り、病院に運ばれてしまいます。
ショウを信頼して年金運用を任せてしまった責任もあり、ジョシュは保釈金1000万ドルを支払って保釈されたショウの下へ、従業員達から巻き上げたカネを返すよう直談判へ赴きます。
ところがショウは自責の念を感じるどころか、「投資に失敗はつきもの」と開き直る始末。
この発言に怒りを爆発させたジョシュは、その場でショウがリビングに大事に飾っていた旧型のフェラーリをゴルフクラブで叩き壊してしまいます。
当然のごとく、ジョシュはその日のうちに「ザ・タワー」の総支配人にクビを言い渡されてしまうのでした。
しかし、そんなジョシュの言動に何か感じ入るものでもあったのか、FBIの女性捜査官であるクレアは、酒場でジョシュと顔を合わせ、ショウが逃走資金として用意していたはずの2000万ドルが見つからないという情報を提供します。
使用人としての知識と経験から、ジョシュはショウの部屋が改装された際にも手付かずの状態で残された壁が怪しいと睨むと共に、そのカネを奪取して失われた年金の補填に当てる計画を考えつくのでした。
計画を実行せんと、早速ジョシュは計画遂行のための仲間を集め始めるのですが……。

映画「ペントハウス」でショウの隠し資金を奪取すべく一大作戦を繰り広げる主人公とその仲間達は、しかしジョシュの幼馴染で収監されていたスライド以外は元々が「ザ・タワー」の使用人ということもあり、盗みのノウハウなど最初から全く持ち合わせてもいないズブのド素人集団です。
それどころか、基本的なチームワークすらも皆無に近く、作戦を練っている段階から勝手に離反したり、作戦にない単独行動に出たりする人間が続出した挙句、互いにいがみ合いを始めたりする始末。
さらには、大事なフェラーリを叩き壊されたことに腹を立てたショウが、週末にはジョシュを告訴し、逮捕拘禁させる旨まで明言しており、入念な準備を行うための時間的余裕すらもないという状況だったりします。
そんな彼らの唯一の武器は、「ザ・タワー」の構造や警備体制などといった、元使用人であるが故に身についた経験と知識のみ。
あまりにも悲惨な条件から考えれば、成功するのがいっそ不思議なくらいの奪取作戦ではありましたが、しかしいざ計画が実行されると、決行日がちょうど感謝祭で「ザ・タワー」周辺がお祭り騒ぎになっていたことも手伝ってか、序盤は意外と順調に推移していたりします。
監視カメラが侵入者の姿をバッチリ捕らえているのに、肝心の警備員達は監視映像の方を見ることすらなく雑誌に夢中になる始末でしたし。
順調に行き過ぎて、逆に「これって警備体制の方に重大な問題があるのでは……」などと考えてしまったくらいです。
まあ、凶事が来るかどうかも分からず、そもそも何事もない平穏な日々が長く続いている状況下で、しかもお祭り騒ぎで世間が沸いている時期に、四六時中緊張感を保ち続ける方が無理な相談ではあるのかもしれませんが。

また、ジョシュ達はショウの隠し資金を探し出す過程で、序盤でジョシュが叩き壊したフェラーリの中から、ひとつの元帳を発見します。
それはショウがこれまで行ってきた不正取引の全記録を綴ったもので、それは証拠不十分で無罪になろうとしていたショウを有罪にするだけの動かぬ証拠でもありました。
そして物語終盤、ジョシュはその元帳を使ってFBIに交渉を持ちかけ、元帳を提供する代わりに自分達を無罪放免にしてくれと、一種の「司法取引」を申し出るんですよね。
しかも、ショウを証券詐欺で立件したいFBIはこれに応じて、計画の首謀者であるジョシュを除く全員を無罪放免にしてしまうんですよね(ジョシュは懲役2年)。
この辺りは「司法取引」が当たり前であるアメリカならではの光景ですね。
仮に日本で同じようなケースがあった場合、警察は当然のごとくそのような取引には応じることなく、計画の首謀者にも共犯者達にも刑法通りの重罰を裁判で求刑するでしょうし、また元帳は問答無用で接収された挙句、下手すればその証拠能力が裁判で認められない事態すらも充分に起こりえるのです。
元帳は合法的な手続きに基づいて入手した証拠物品ではないから裁判の場で提出することすら認められない、そういう話になってしまうわけです。
法理論的な観点だけから言えば、むしろ日本のような行政・司法のあり方こそが正しくはあるわけなのですが、現場は当然のことながら理論だけで動いているわけではありません。
日本のような(すくなくとも表面的には)コチコチの法理論最優先の行政・司法形態が望ましいのか、それともアメリカなどのようにある程度の柔軟性があるものが良いのかについては正直微妙な話ではありますね。
もっとも、司法取引が法制化・マニュアル化されていない日本では、警察が一種の誘導尋問を意図して「釈放」「この案件については不起訴にする」などを餌に司法取引モドキなことを容疑者相手にやらかした挙句、裁判の場で堂々と取引内容を覆して被告と新たな紛糾の種になる、といった事例も多々あったりするのですが。

コメディ俳優としての有名どころ2人が共演しているだけあって、作中ではしばしばコメディ的なやり取りがかわされる場面もあったりしますが、基本的には「オーシャンズ11」シリーズばりのシリアスな展開がメインですね。
「オーシャンズ11」シリーズのような「盗みの頭脳戦」が好きという方にはオススメできる作品ですね。

映画「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」感想

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映画「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」観に行ってきました。
「Mr.ビーン」で有名なイギリスのローワン・アトキンソンが主演を担う、スパイアクションコメディシリーズの2作目。
ちなみに前作「ジョニー・イングリッシュ」は未観賞です(^^;;)。
作品の邦題タイトル自体が、イギリスで2008年(日本では2009年)に劇場公開された映画「007 慰めの報酬」をもじったものであることからも分かるように、今作は「007」シリーズのパロディ物的な要素が強いですね。
「007」ばりの秘密兵器やボンドガールもどきも出てきますし。

前作の活躍?で、一時はイギリスの秘密諜報組織MI7で一番のエースにまでのし上がっていた主人公ジョニー・イングリッシュ。
しかし彼は、5年前にモザンビークで要人警護に失敗し、要人を暗殺されてしまうという大失態を犯してしまい、MI7からクビを言い渡され、チベットの僧院で修行に明け暮れる日々を送っていたのでした。
このモザンビークでの失態の詳細については物語中盤で明らかになるのですが、どう見ても「イングリッシュでなければやらないであろう失態」でしたね。
イングリッシュにとってもこの失態は相当なまでに堪えているようで、作中でも他人にモザンビークの件について触れられる度に右瞼が震えまくるという形で表情に出てきます。
後半ではすっかり開き直ったのか、「アレは俺の失敗ではない、今回追っている連中が関わっていたんだ」などと言い訳がましいタワゴトをのたまいまくっていましたが(苦笑)。
それはさておき、チベットの僧院で金的攻撃に対する耐性を身につけるための修行をしていたらしいイングリッシュの元に、MI7の復帰要請が届けられます。
チベットの僧院に何故か存在していた、全く似つかわしくないパソコン端末から復帰要請を受けたイングリッシュは、チベットから一路イギリスへ。

イングリッシュがいなくなっていた5年の間に、MI7はすっかり様変わりしていました。
何故か日本企業である東芝の傘下に入り、しかも自らがスパイ組織であることを大々的に公示するかのような垂れ幕を1F正面ロビーに堂々と掲げているMI7。
東芝と言えば、映画「ニューイヤーズ・イブ」でも「TOSHIBA」の文字が作中のあちこちにやたらと出てきていましたが、そういう宣伝戦略でも東芝はやっているのでしょうかね?
さらに中へ入っていき、これまたすっかり様変わりしたMI7の局長パメラ・ソーントン、通称「ペガサス」と対面。
「ペガサス」はイングリッシュに説明を始めるのですが、イングリッシュは話を聞いていないばかりか、部屋のソファーに座っていたネコをビルから落としてしまったり(ネコはイングリッシュにとって最悪のタイミングで戻ってきます)、同じく部屋の中にあったバランスボールに座ろうとして転倒したりと、ここでもドジを振りまきまくります。
その後でイングリッシュは、映画「007」シリーズでもおなじみとなっている、秘密兵器を開発している部署へと案内され、そこで秘密兵器の紹介と使い方の説明が行われるのですが、その最中でも兵器を誤作動させたり、変声キャンディを無断で食べたりと、やはりお笑いネタをばら撒いていきます。
そんなイングリッシュに与えられた任務は、英中首脳会議に出席する予定となっている中国の首相の暗殺を阻止すると共に、暗殺を企んでいる組織についての情報収集を行うこと。
イングリッシュは、その情報を提供したフィッシャーという人物に会うため、MI7から相棒として自分と共に行動することになった諜報員タッカーと共に香港へと向かうのですが……。

映画「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」では、主人公ジョニー・イングリッシュがとにかくドジを繰り返します。
敵を追い詰めている最中に余所見をしてその隙に相手に逃げられたり、何とか手に入れた重要アイテムの扱いが諜報員とは思えないほどに雑で簡単に敵に奪われたり、せっかくヘリが操縦できるのに道が分からないからと超低空飛行(地上からたった50cm浮いているだけ)&クルマ以下の速度で道路上を滑空していたり。
老婆なのに恐ろしく俊敏でイングリッシュをつけ狙ってくる殺し屋クリーナー相手には、全くの別人の後ろ姿をクリーナーと勘違いして襲撃した挙句、頭を押さえつけてトレイでバンバン叩くという失態を二回も繰り返していますし。
「可能を不可能にする男」のキャッチフレーズを裏切らない活躍(?)を次から次に演じてくれます。
一番笑えたのは、英中首脳会議に臨むイギリス首相も交えたMI7の事前ミーティングの場面でしたね。
イギリス首相の顔も知らないで首相の隣の席に座り、「首相はまだ来ないのか?」などとのたまうイングリッシュ。
イングリッシュが座った椅子には、取っ手部分に座高を調整する電動機能が搭載されていたのですが、イングリッシュその取っ手を適当に弄り回した挙句に壊してしまいます。
その結果、イングリッシュの椅子の座高は限界まで下がったり、逆に上がったりを繰り返すことに。
ただ座っているだけのイングリッシュが上がったり下がったりを繰り返しているのに、当のイングリッシュはひたすら無表情で取り繕っていますし、周囲も明らかに奇異な目で見ていながら全くツッコミを入れないしで、単純ながらも滑稽なその構図は大ウケで、スクリーン内でも笑いの小声があちこちから上がっていました。
アレは共演者達も、さぞかし笑いを堪えるのに大変だったことでしょうね。

また、映画終了時に流れるスタッフロールでも、イングリッシュのお笑い劇場は続きます。
そこではイングリッシュが料理をする場面が出てくるのですが、イングリッシュの調理方法がとにかく「雑」のひとこと。
音楽をかけながら素材を切っていくのは良いのですが、切った際に素材がまな板から飛び散っていく上、散らばった素材をキッチンの引き出しの中に隠蔽するイングリッシュ。
最後は無造作に切断しまくった素材をかき集めてレンジにぶち込むところで終わるのですが、何がやりたかったのかすらもロクに分からないところも含めてここでも笑えましたね。
そんなわけで、今作を観賞する際には、スタッフロールが終わるまで席を立たないことをオススメしておきます。

映画「ニューイヤーズ・イブ」感想

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映画「ニューイヤーズ・イブ」観に行ってきました。
大晦日(ニューイヤーズ・イブ)である2011年12月31日のアメリカ・ニューヨークを舞台に、複数の男女カップルの間で繰り広げられる様々な出会い・悩み・エピソードが繰り広げられ交叉する物語。
なお、この作品は映画「ワイルド7」と同日に2本連続で観賞しています。

毎年のニューイヤーズ・イブに、ニューヨークのタイムズスクエアで行われているカウントダウンセレモニーとして行われるポール・ドロップ。
このポール・ドロップの完遂をラストのメインイベントに据える形で、映画「ニューイヤーズ・イブ」の各エピソードは語られていきます。
各エピソードのコアとなる登場人物およびカップルは以下の通り。

1.タイムズスクエア協会の副会長として、ポール・ドロップのイベントを進行していく責任者であるクレア。
2.妹の結婚式に出席した後、去年のニューイヤーズ・イブで一緒に過ごした女性と約束した「1年後の再会」を果たすためにニューヨークへと向かうサム。
3.パーティーやイベントなどに出張し、客の要望に応じて料理を提供する「ケータリング」の仕事を担っているローラと、ニューイヤーズ・イブでライブを行う有名ロックスターのジェンセン。
4.25年以上勤めてきた会社に辞表を叩きつけたイングリッドと、パーティー券をネタに彼女の夢の達成を手伝うバイク便のポール。
5.新年を迎える際にファーストキスをしようと憧れの男子同級生と約束したものの、母親キムの強固な反対で外出を禁止されてしまう15歳のヘイリー。
6.新年最初に生まれた赤ちゃんには賞金が与えられると、互いに敵愾心を燃やして年明け早々の出産を狙うバーン夫妻とシュワブ夫妻。
7.その同じ病院で余命僅かと宣告されている老人スタンと、ニューイヤーズ・イブの真っ只中に彼を見守り続ける看護師エイミー。
8.大晦日を嫌い、アパートに飾られた新年祝いの飾りを片っ端から剥ぎ取るランディと、彼とたまたまエレベーターに乗り合わせたエリーズ。

また、「1」のクレアと「2」のサムにも相方となる男女がそれぞれ存在するのですが、それは終盤で明らかになります。

序盤は大量の登場人物が、それも短い時間の間に顔見せとばかりに一斉に出てくるため、結構混乱するところがありますね。
情報が出揃って何とか登場人物達の相関関係などが理解できたのは、物語中盤も半ばになってからのことでしたし。
ひとつの映画で複数の登場人物主導の複数ストーリーが展開されるというパターンは、過去に私が観賞した作品でも「ヒアアフター」と2008年公開映画「バンテージ・ポイント」がありますが、今作はこの2作品を融合した感じですね。
ひとつのイベントを個々8人の人間の視点から描く、という点は「バンテージ・ポイント」に近いのですが、ひとつのエピソードから別のエピソードにザッピングする手法は「ヒアアフター」のそれを採用しています。
最初はバラバラに見えるストーリーが揃うことで、作品の全体像が見えてくるというのは同じでしたし。
「4」のエピソードに登場するポールが、「5」のエピソードにおける母親キムと家族関係にあったり、「8」のランディと親友でしばしば電話をかけたりするのも、この手のザッピング作品ならではの光景ですね。

各エピソードは全体的にラブコメディ的な要素がかなり強いですね。
「2」のエピソードでは、音声認識カーナビの支離滅裂な反応に四苦八苦するサムの姿が描かれていますし、「4」と「6」では登場人物達による漫才的な掛け合いがしばしば行われます。
各エピソードの内容自体は、現実でも普通にありそうな悩みや思いを抱えた人々の物語ではありましたが。

逆に、日本では考えられないものの、アメリカではいかにも「らしい」話だなぁ、と考えてしまったのは「8」のエピソードですね。
このエピソードでは、全く面識がなかった2人の男女がたまたま乗り合わせたエレベーターが故障してしまい、2人が閉じ込められるところから語らいが始まるのですが、2人がエレベーター内に閉じ込められた時間が実に数時間にも及ぶんですよね。
しかもエレベーター内では外部と全く連絡が取れず、携帯も通じないというありさま。
にもかかわらず、数時間後にアパートの管理人がエレベーターを再起動させ2人を解放した際には、「言ったろ、8時間以内には直るって」などと言い放つ始末だったんですよね。
いや、エレベーターが停止&中に人が閉じ込められてから問題解決までそこまで時間がかかったら日本では全国ニュースレベルな上にアパートの管理人は住人から総スカンを食らうのが当たり前だろ、などとツッコミを入れずにはいられなかったのですが。
エレベーター事故自体は日本でもあるでしょうが、問題解決にそこまで時間がかかるケースは震災などの大規模災害時くらいなものでしょうし。
この辺りはむしろ、時間にあそこまでキチキチな日本の方が世界標準からすれば異常なのでしょうが、それでも日本人的視点から見たら「いかにもアメリカらしい適当さだよなぁ」とついつい考えてしまいますね(苦笑)。

内容的には、女性または男女カップルで観賞するには最適な映画、といったところでしょうか。

映画「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」感想

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映画「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」観に行ってきました。
トム・クルーズ主演のイーサン・ハントが様々なミッションに挑む人気のスパイアクションシリーズ第4弾。

物語の冒頭はハンガリーのブダペストから。
とある建物の屋上に出てきた1人の男が、2人の追跡者に追われているところが画面に映し出されます。
追われていた男は屋上から飛び降りつつも反撃し、瞬間的に膨らんだクッションによってほとんど無傷で降り立ち追跡者から逃れることに成功しますが、その直後に通りがかりの女性に扮した暗殺者サビーヌ・モローによって殺されてしまいます。
そこから舞台は、ロシアの刑務所に囚われの身となっている主人公イーサン・ハントへと移ります。
何故彼がそんなところにいるのかについては物語後半および終盤で明らかになるのですが、この伏線の張り方もなかなかに上手いですね。
それはさておき、そんな彼を救うべく、イーサン・ハントが所属するアメリカの秘密組織IMF(Impossible Mission Force:不可能作戦班)によって派遣された2人のエージェントが、イーサン・ハントの脱出の手引きをし、彼を救出することに成功します。
2人のエージェントに対し、自分が救出されたということは何か重要な任務があってのことだろうと問い質すイーサン・ハント。
実は2人のエージェント、ジェーン・カーターとベンジー・ダンは、冒頭で殺されてしまったもうひとりのエージェントであるトレヴァー・ハナウェイと共に「コバルト」というコードネームを持つ人物と協力する密使を追っており、彼から核ミサイル発射コードを奪取するのですが、その直後にサビーヌ・モローによってコードを奪われてしまったのでした。
そしてIMFからは、「コバルト」についての情報が保管されているモスクワのクレムリンに侵入し、情報が消される前に手に入れるよう命じられるのでした。

ロシア軍の高官に変装し、幾分かのアクシデントがありつつも何とか保管庫への侵入に成功するイーサン・ハントとベンジー・ダンの2人。
しかし時既に遅く、肝心の「コバルト」に関する情報は消されてしまった後でした。
この時点でミッション失敗が確定してしまい愕然とするイーサン・ハントですが、そこへ追い討ちをかけるかのように、IMFの周波数を使ったクレムリンの爆破通信がどこからともなく流れてきます。
身の危険を感じ、ただちにクレムリンからの逃走を図る2人でしたが、クレムリンの爆破テロがあまりにも大規模すぎて結局巻き込まれてしまい、イーサン・ハントは意識を失ってしまいます。
次にイーサン・ハントが目覚めたのは、爆破テロに巻き込まれた人達でごった返しているロシアの病院。
そこにはロシア側の諜報員であるアナトリー・シディロフが、イーサン・ハントをクレムリン爆破事件の犯人として事情聴取する姿勢を見せつけていました。
何しろ、爆破前にIMF周波数による爆破通信が流れていたのですから、これ以上の有力な証拠はないわけです。
しかし、当然のことながら全く無実のイーサン・ハントは病院を脱出し、IMFと連絡を取り、たまたまロシアに滞在していたIMFの長官および分析官であるウィリアム・ブラントと合流します。
IMF長官はイーサン・ハントに対し、彼にクレムリンの爆破テロ事件の容疑がかかっていること、そしてロシアとの核戦争を避けるためにアメリカ政府が「ゴースト・プロトコル」を発動し、IMFが解散になった事実を伝えます。
その上でIMF長官は、イーサン・ハントに引き続き任務を続けさせ、IMFの汚名を返上させるために、彼を逃がそうとするのでした。
ところがそこへ、アナトリー・シディロフ率いる狙撃隊が襲撃。
乗っていた車は川に転落してしまい、IMF長官も殺されてしまったのでした。
運良く初撃を逃れたイーサン・ハントとウィリアム・ブラントは、何とかその場を脱出し、「コバルト」の行方を追うのですが……。

映画「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」では、ミッションを遂行する際にとにかくアクシデントが頻発します。
一番その手のアクシデントが頻発しているのは、ドバイの最高峰828メートルの高さを誇るビルであるブルジュ・ハリファでのミッション時。
変装に必要不可欠であるはずのマスク製造装置が故障してしまったり、エレベータなどの操作にビルの外側からサーバルームに侵入しなければならないことが現地で判明したりと、登場人物ならずとも「おいおい大丈夫か」と言いたくなるほどにトラブルが頻発し、その都度イーサン・ハントが無茶苦茶なアクションと決断で尻拭いをしなければなりませんでした。
映画の予告でよく喧伝された、トム・クルーズ本人がノースタントで演じたという「ブルジュ・ハリファ外壁のロッククライミングシーン」も、そういう過程を経てやる羽目になったシロモノだったりします。
突発的かつ準備不足なままに制限時間も厳しいギリギリの状態でミッションに挑むのですから、色々と不測の事態が起こってしまうのもある意味当然のことではあるのですが、子の辺りは見ている方も終始ひたすらハラハラさせられましたね。

また今作では、最新技術を駆使したであろう様々な小道具も見所のひとつです。
冒頭のシーンでも、ポケットに入る程度の大きさから起爆と共に巨大なクッションとなる小道具が登場していましたし、2回の瞬きと共に写真が取れるコンタクトレンズや、東京モーターショー2011にも出展されたというBMW-i8も出てきます。
本格的な実用化はまだ先のことではあるでしょうが、いずれは作中に登場していた小道具も一般的になる日が来るのでしょうねぇ。

作中の舞台は、ブダペスト(ハンガリー)・モスクワ(ロシア)・ドバイ(アラブ首長国連邦)・ムンバイ(インド)と、まさに世界のメジャーどころを転戦しています。
ストーリーも「自分達に着せられた冤罪を晴らす」と「核戦争の阻止」がセットになっている、久々にハリウッドらしい単純明快な勧善懲悪物になっています。
それでいて、一種の人間ドラマ的な要素もふんだんに盛り込み、特にウィリアム・ブラント絡みのエピソードはラストで大どんでん返しがあったりしますし。
ただ、この辺りのエピソードについては前作のストーリー設定なども絡んできますので、予め前作を復習しておいた方が良いかも知れません。

トム・クルーズのファンという方はもちろんのこと、アクション物&スケールのでかい作品が好みという方にも文句なしにオススメできる一品ですね。

映画「リアル・スティール」感想

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映画「リアル・スティール」観に行ってきました。
人間に変わり、ロボットがボクシングの試合を担うようになった近未来を舞台に、1体のロボットとの出会いから変わっていく父と子の絆を描く作品。
なお、今作で今年度における私の映画観賞本数はちょうど60本目となります。

物語の舞台は2020年。
かつてはボクシングのプロボクサーとしてそれなりの実力と名声を誇っていた主人公チャーリー・ケントンは、しかし2020年の世界では各地のイベント興行をドサ回りして小金を稼ぐ日々を送っていました。
ロボット技術の発達と実用化により、2020年におけるボクシングは人間ではなくロボットが担うようになり、プロボクサーだったチャーリーは夢を奪われ天職を失ってしまったのです。
チャーリーは過去の経験を生かして格闘用ロボットを遠隔操作するプロモーターになることで何とか生計を立ててはいるものの、資金不足から性能が劣る中古ロボットしか購入できない上、対戦相手にも運にも恵まれず片っ端からスクラップにされていくありさま。
その日も、とある遊園地のイベント興行で暴れ牛と戦う役を依頼されたのですが、チャーリーが操作していた「アンブッシュ」という名の中古ロボットは、先制攻撃でダメージを与えたものの、油断していたところで痛撃を食らいあえなくスクラップに(T_T)。
「アンブッシュ」が勝つか否かで興行主?と2万ドルの賭けをしていてチャーリーは、しかし金を払うことなくその場からの逃走を図ります。
そんな中、2人の男がチャーリーに近づき、彼の元妻が亡くなり、ひとり息子であるマックスの親権を巡る調停を裁判所で行うから来て欲しいとの要請を行ってきます。
しぶしぶ裁判所へと向かうチャーリーですが、赤子の頃以来会っていない息子の面倒を見る気などチャーリーには全くなく、それどころか、マックスの親権を引き取りたがっている母方の義妹夫妻から、自ら親権を手放すことをネタにカネをふんたくろうなどと画策する始末です。
義妹夫妻が外国旅行へ行って帰ってくるまでの間だけ息子を引き取ることと引き換えに、前金5万ドル・後金5万ドルを受け取る秘密交渉を夫との間で成立させるチャーリー。
しかし、当のマックスはチャーリーの金策を見透かしており、父親に対し深刻な不信感を抱いてしまうのでした。

義妹の夫から受け取った5万ドルを資金源に、チャーリーは新たな格闘用ロボット「ノイジー・ボーイ」を購入します。
この「ノイジー・ボーイ」というロボット、ボディに「超悪男子」という日本の漢字が書かれ、音声認識機能の命令言語も最初は日本語で登録されているという、日本人であれば思わずニヤリとしてしまうシロモノだったりします。
最初は「ポンコツをつかまされた」と落胆するチャーリーですが、息子であるマックスが問題を解消、「ノイジー・ボーイ」は何とか動くようになります。
その「ノイジー・ボーイ」と半ば強引についてきたマックスを伴い、チャーリーは闇のギャンブル格闘場へと赴き、一攫千金を狙っていきなりメインの格闘試合へと挑みます。
まずは前座で戦うべきだと息子からも興行主からも忠告されていたにもかかわらず。
かくして、物語最初のロボット同士の対戦となる格闘試合が行われることになるのですが、如何せん「ノイジー・ボーイ」は確かに高性能だったものの、操縦主のチャーリーが「ノイジー・ボーイ」のことをロクに知らないまま試合に臨んだこともあり、チャーリーの操作ミスとパニックで「ノイジー・ボーイ」は「アンブッシュ」に続きスクラップの末路を辿る羽目となってしまうのでした。
あまりにもあっさりと頼みのロボットが敗北してしまったこと、それ以上にロボットがスクラップにされたことに意気消沈してしまうチャーリー。
それでも何とか新しいロボットを調達するため、チャーリーは自分の手で新しいロボットを作るため、まだ使える部品を探し出すべくロボット廃処理場へとクルマを走らせます。
雨が降る夜中のロボット廃処理場へ不法侵入し、廃棄ロボットがいるという奥へと進むチャーリーとマックス。
しかし、興味津々のマックスが廃処理場にある大穴の縁に立った時、雨で地盤が緩んでいたことから地滑りが発生し、マックスは大穴へと滑り落ちてしまいます。
その時、地中から突き出ていたアームにたまたま引っかかったことでマックスは大穴の底に叩きつけられる惨事を免れることができたのですが、このアームの元を辿っていくと、そこにあったのは廃棄されたまるまる1体のロボット。
「そいつは旧式のスパーリング用ロボットだから使えない」と否定的なチャーリーを尻目に、マックスは「生命の恩人」であるそのロボット「アトム」をひとりで掘り出し、ロボット格闘試合に出そうとするのですが……。

映画「リアル・スティール」に登場する父子2人は、まさに「親は子に似る」という格言を体現した、似た者同士な性格と言えますね。
どちらも「より安全確実な選択肢を跳ね除け、一攫千金の賭けに強気で挑む」というスタンスを披露していますし。
最初のロボット格闘対戦では、父親であるチャーリーが息子マックスの制止を振り切って試合に臨んだ挙句、案の定な惨敗を喫していましたが、「アトム」を見つけ出して以降は逆にマックスがチャーリーの慎重論を無視し、興行主に啖呵を切ったり試合継続を宣言したりとひたすら強気一辺倒で相手を攻めまくっています。
物語後半でマックスは「僕のために戦って欲しかった」と父親のチャーリーに告白したりしていますし、意図的に父親の真似をしていたのかもしれないのですけどね。

作中では様々な格闘用ロボットが登場するのですが、前述の「ノイジー・ボーイ」のデザインに象徴されるがごとく、妙に日本のそれを意識している様子が伺えますね。
「アトム」という名前自体も、往年の日本アニメ「鉄腕アトム」からそのまま取ってきたとしか思えない設定ですし。
今作の製作総指揮には「あの」スティーブン・スピルバーグも参加しているのですが、彼は以前にも「母親と子供の愛情」をテーマに描いた映画「A.I.」を製作していますし、そこでも「鉄腕アトム」絡みのネタがありましたから、今作もやっぱり意識はされていたのだろうなぁと。

「アトム」を手に入れて以降、それまでの惨敗がウソであるかのように連戦連勝していくチャーリー&マックスの前に最後に立ちはだかるのは、プロのロボット格闘試合「リアル・スティール」でチャンピオンの座を維持している格闘用ロボット「ゼウス」。
ロボット開発では名を轟かせているらしいタク・マシドが開発し、大富豪のファラ・レンコヴァが所有する「ゼウス」は、ほとんどのロボット格闘対戦で1ラウンドKOを飾ってきた実績を持つ名実共に最強のロボット。
ファラ・レンコヴァは物語中盤でチャーリー&マックスに対し「アトム」を「ゼウス」のスパーリング用ロボットとして20万ドルで買い取りたいと打診しており、それに対して露骨な反発を見せていたマックスが、公衆の面前で「ゼウス」に宣戦布告するというマイクパフォーマンスを演じた経緯もあったりします。
そしてその後紆余曲折を経て始まる「ゼウス」との最終決戦ですが、ただその戦いを見ても、「ゼウス」のどこら辺が「強さ」の源泉となっているのかが今ひとつ分かり難かったですね。
一応、パワーと巨体では「アトム」を圧倒している「ゼウス」ですが、それは「アトム」の対戦相手のほぼ全てに当てはまるものでしかありませんし。
その前に「リアル・スティール」の前座として行われた、2つの頭を持つ格闘用ロボット「ツインシティーズ」との戦いでも、やはりパワーと巨体で圧倒する戦い方でしたから、両者との比較で見てもその戦い方には特に大差があるようには見えないというか……。
作中で強調されていた「ゼウスの強さ」としては、1ラウンド開始早々に「アトム」を一撃でダウンさせたところと、「ツインシティーズ」にはあった構造的な欠陥が「ゼウス」にはない点でしょうか。
ただ、「ゼウス」を開発したタク・マシドは、物語序盤に披露されていたインタビューで「ゼウスの強さは状況に応じてプログラムを自ら書き換え、戦いの中で進化するところにある」みたいなことを述べていたにもかかわらず、作中の戦いではそんな描写は全く垣間見られなかったので「?」と考えてしまったものでして。
むしろ、それを実際にやってラウンドが進む度に強くなっていたのは「アトム」の方ですし。
それまでのロボット格闘とは一線を画する、「ゼウス」がチャンピオンの地位を維持している源泉としての「オリジナルないしは特殊な強さ」というものが何かあっても良かったのではないか、というのが、あの最終決戦に対する私の率直な感想ですね。

派手なアクションを売りにするハリウッド映画としても、親子の絆をテーマにした物語としてもまずまずの出来で、観に行って損はしない作品ではありますね。

映画「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」感想

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映画「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」観に行ってきました。
ベルギーの漫画家エルジェ原作の同名マンガを3Dアニメーションで映像化した、少年新聞記者タンタンとホワイト・フォックステリア犬のスノーウィ、そして伝説のユニコーン号の船長の子孫であるハドック船長がコミカルに活躍する、スティーブン・スピルバーグ監督製作の冒険ファンタジー作品です
この映画は3D版と2D版が公開されていますが、料金が高いだけの3D版は何とか回避に成功。
また今回は12月1日の「正式な映画の日」での観賞となったため、いつもより格安で映画を観賞することができました(^^)。

物語は、主人公タンタンがノミの市に掘り出し物として出されていた模型帆船を見つけ、出店の主人と交渉して購入するところから始まります。
タンタンが模型帆船を購入したのとほとんどタッチの差で、2人の男が同じ模型帆船を買い付けにやってきます。
最初の男はタンタンに対し「それを手放さないと危険な目に遭うから」と警告し、2人目の金持ち風な男は「言い値で買い取るから売ってくれ」とタンタンに譲渡を迫りますが、タンタンはどちらの申し出も無視して模型帆船を持ち帰ります。
タンタンが自宅であるアパートの一室で模型帆船を居間の机?の上に置いた直後、窓から侵入したネコと愛犬であるスノーウィが追いかけっこを始めてしまい、その騒動に巻き込まれる形で模型帆船はマストの部分が壊れ机の上から落下してしまいます。
その際偶然、マストの部分に隠されていた小さな筒が模型帆船から抜け落ち、机の裏側に紛れ込んでしまいます。
床に落ちて壊れてしまった模型帆船を、落胆しつつも再び机の上に戻したタンタンは、模型帆船のモデルとなった船について図書館で調べるため、タンタンは模型帆船を家に置いて外出。
しかし、図書館で模型帆船のモデルであるユニコーン号のことについて調べたタンタンが家に帰ってみると、机の上に設置したはずの模型帆船がなくなっていたのです。
留守中に空き巣に狙われたことは確実で、また模型帆船の際のゴタゴタもあって「警戒しておくべきだった!」と後悔するタンタンですが後の祭り。
タンタンは模型帆船を取り戻すべく、模型帆船購入の際に言い値で売るよう迫った2人目の男の住所を割り出し、模型帆船を奪取しようとします。
そこはかつてのユニコーン号の船長が住んでいたとされるムーランサール城で、2人目の男ことサッカリンによって買収された地でもあるのでした。

タンタンは愛犬スノーウィの助けもあって首尾よく城の中に不法侵入を果たし、模型帆船を発見することには成功します。
しかし直後に城の執事?と思しき人物によって昏倒させられた上、見つけた模型帆船も自分が盗まれたものとは別物であることを確認(ムーランサール城の模型帆船は壊れていなかった)して落胆する羽目に。
他人の住居に不法侵入したのに何故か警察に突き出されることもなく解放されたタンタン(まあ捕らえた側にしてみれば「あえて泳がせていた」のでしょうけど)は、城から追い出される際に城の執事から「模型帆船の部品を探せ」とアドバイスされたことから、冒頭の犬猫騒動で模型帆船から零れ落ちた部品があったことを思い出し、急ぎ自宅に戻ります。
そして、タンタンは無事に模型帆船の部品を見つけることができ、さらにその部品の中に隠されていた羊皮紙をも手に入れることができたのでした。
ところがその喜びを噛み締める間もなく、タンタンは模型帆船購入の際に出合った最初の男の訪問を受けます。
彼はしつこくタンタンに警告を続けるのですが、その最中に何者かによる銃撃を背後から受け、「カラブジャン」というダイイング・メッセージを残して死亡。
自身への襲撃や空き巣を警戒したタンタンは、件の羊皮紙を財布に入れて持ち歩くことにしたのですが、その財布もスリによって盗まれてしまう始末。
さらにタンタン自身も最後には拉致されてしまい、最初の男が残したダイイング・メッセージである「カラブジャン」という名の大型船の一室に収監されてしまったのでした。
またしても愛犬スノーウィの助けで自由を得たタンタンは、何とか脱出の道はないかと模索し始めるのですが……。

映画「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」は3Dアニメーションとのことですが、作中に出てくる街の風景や海・砂漠・建物などといった背景も、登場人物達の造形もほとんど実写そのもの。
パッと見たくらいでは実写なのか3Dアニメなのか区別がつかないほどです。
過去に私が観賞したことのある3Dアニメーション作品としては、DVDで観賞した「塔の上のラプンツェル」があるのですが、アレは「3Dアニメ造形」と明確に分かる造形でしたし、その比較でも今作における映像技術の凄さは折り紙付きですね。
むしろ逆に、異様に鼻のでかい登場人物が何人も出てくるなど、完全に実写に近づけないようあえてアニメ的な造形を作り出しているようなフシすらあるくらいです。
子供向け作品としてのアピール、という側面もあったのでしょうが、主人公タンタンなどは実写として紹介されても違和感が無いような顔立ちでしたし、完全に実写的な表現をしようと思えば出来ないこともなかったのではないかと。

また作中では、どう見ても人間並みの知能を持っているとしか思えないホワイト・フォックステリア犬のスノーウィが大活躍しています。
前述の「塔の上のラプンツェル」でも人間以上に動物達の活躍が顕著でしたが、3Dアニメだと実写の動物では到底できない様々な動きや演出も自由自在に描けるわけで、この辺は3Dアニメならではの強みと言えるでしょうね。
映画「わさお」などが典型ですが、実写で動物を扱うとなると、ごく普通の動きであっても現場ではかなりの手間と時間がかかったりするみたいですからねぇ(-_-)。

作中のストーリーは、アクションやシリアスシーンを交えつつも、全体的にはややコメディタッチなノリで進行していきます。
特に大型船カラブジャン号からの脱出の際に仲間になるハドック船長など、最初は酒にこだわりまくってタンタンの足を引っ張りまくる天然コメディアン以外の何物でもなかったですからねぇ(苦笑)。
一応はユニコーン号の財宝に至るキーパーソンだったとは言え、タンタンも何故こんな奴を救うのかと最初は疑問に思えてならなかったくらいでしたし。
これと個人的に印象に残ったコメディ系の演出としては、モロッコの君主が持っているという3つ目の模型帆船を守っている「ワレナーイ」社製の強化ガラスと、それを打ち破る「ミラノのナイチンゲール」ことオペラ歌手カスタフィオーレ夫人の「ジャイアンの歌」でも想起させるような甲高い歌声ですね。
カスタフィオーレ夫人は、3つ目の模型帆船を奪取せんとするサッカリンがわざわざ連れてきた人物で、彼の意図通りに模型帆船の守りは崩壊したわけですが、この辺りはまさにギャグそのものの展開でした。
もう少しマトモな方法で目的を達成するだろうと考えていただけに、アレには一瞬唖然とさせられたものでしたが。

ストーリーは分かりやすく単純そのものですし、3Dアニメも実写に近いので、その手の3Dアニメが嫌いという方でも違和感なく入れる作品と言えるのではないかと。
大人・子供を問わず、幅広い層で共通して楽しめる作品ですね。

映画「インモータルズ -神々の戦い-」感想

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映画「インモータルズ -神々の戦い-」観に行ってきました。
紀元前1200年頃のギリシャを舞台に、闇の神々タイタン族を復活させようとするイラクリオンの王ハイペリオンと、若き青年テセウスとの戦いを描いた作品。
作中では、首を掻き切られるシーンや振り回された武器で身体が炸裂するシーン他、流血&残虐描写が随所に盛り込まれており、当然のごとくR-15指定を受けています。

はるか昔、神々達の間で大きな戦いが起こりました。
戦いはゼウスを主神とする光の神々の勝利し、敗れた闇の神タイタン族はタルタロス山の地底深くに封印されました。
それから長い時が過ぎた、紀元前1200年頃の古代ギリシャの時代。
光の神々に敵意を抱き、その存在を滅ぼさんとするイラクリオンの王ハイペリオンが、領土の拡大と、タイタン族の封印を解くべく、軍勢を率いてギリシャ各地に侵攻を始めます。
タイタン族の封印を解くためには、はるか昔の神々の戦いで失われたとされる伝説の武器「エピロスの弓」が必要とされ、ハイペリオンはそれを探し出すためにギリシャ各地の神殿を襲撃していました。
その侵攻はやがて、半島の崖をくり貫いて作られている小さな村にも押し寄せ、村側は身分の高い者から順に安全な場所まで避難する決定を下します。

その小さな村に、神を信じず自分の武器のみを頼みに武芸に励むひとりの青年がいました。
彼の名はテセウス。
信心深い母親と共に生計を立てていたテセウスは、母親の身分が低くかつ村人のレイプによって産まれた子供という出生事情も相まって、他の村人達から蔑みの目で見られる日々を送っていました。
ハイペリオンの侵攻で村から避難することが決定された直後に、彼は自身の出生をバカにしてきた兵士のひとりと諍いを起こし、結果テセウスと母親はハイペリオンの軍勢が侵攻してくるであろう日に村からの避難を開始するよう命じられてしまいます。
そしてハイペリオンが村に侵攻してきたその日、テセウスは軍勢を相手に奮闘するものの、ハイペリオン自らの手によって母親を殺されてしまい、自身も多勢に無勢で囚われ奴隷の身とされてしまうのでした。
しかし、母親を失い無気力になって奴隷労働に従事していたテセウスの前に、4人組の巫女が連行されてきます。
彼女らは未来を予知する能力を持つ巫女で、その能力故にハイペリオンの軍勢に囚われの身となっていたのでした。
4人組の中で未来予知能力を持つ「本物」の巫女はただひとりで、あとの3人は「本物」を特定させないための一種の影武者という設定です。
「本物」の巫女であるパイドラは、テセウスの前を通りがかった際、彼が「エピロスの弓」を手に入れる未来を垣間見ます。
テセウスの未来に微かな希望を見出したパイドラは、テセウスと共に奴隷労働の現場から脱走を図ることを決断するのですが……。

映画「インモータルズ -神々の戦い-」で主人公となっているテセウスは、ギリシャ神話ではクレタ島の迷宮に幽閉されていた牛頭人身の怪物ミノタウロスを倒した英雄として有名を馳せている人物です。
その縁からなのか、今作の物語中盤でも当然のごとくミノタウロスと迷宮もどきが登場しており、ミノタウロス相手にテセウスが奮闘するアクションシーンが挿入されています。
今作におけるミノタウロスは、ハイペリオンの命令によってテセウスを殺しパイドラを拉致するために差し向けられた刺客、という役柄になっていました。
ただ作中のテセウスは、武芸に優れてはいるものの超人ではないので、1対1や1対数人程度の戦いならば奮闘もできるのですが、多勢に無勢という局面では数に押し切られるか、文字通りの「困った時の神頼み」で危機を脱出するかのどちらかに終始しています。
ただ、その「困った時の神頼み」の局面が実は意外に多かったりするのが、作品構成的には少々困り者ではあるのですが(-_-;;)。

また基本的なストーリー進行は、良くも悪くも単純明快で王道路線的な勧善懲悪物といったところですね。
ハイペリオンは問答無用で悪逆非道の王として描かれており、作中ではその残虐さを表現するために、母親の首を直接掻き切ったり、任務に失敗した部下を惨たらしく殺害したりするシーンなどが盛り込まれています。
個人的に印象に残ったのは、序盤でテセウスと諍いを起こし喧嘩両成敗で処分を受けたことに不満を持ち、ギリシャを裏切って自分の元に降ってきた兵士に対し、「裏切り者は信用できない」と言いながら、部下に命じて裏切り者の男性器をハンマーで潰させたシーンです。
映画の中で堂々と「去勢」の描写を展開するという事例はあまりお目にかけないものだったので、「いくらR-15とは言えそこまでやるか」というのが私の感想でしたね。

しかしこの王様、あれだけの大軍勢を率いていた割には、物語終盤で「エピロスの弓」を使いタイタン族の封印を解く際には、自分が指揮すべき軍と別行動を取り、しかもただのひとりの護衛を連れて行くことすらもなく、単身で現場に向かっていたりするんですよね。
タルタロス山の戦いにおけるイラクリオン軍は、タルタロス山の大壁で篭城するギリシャ軍を何十倍もの兵力で圧倒していたわけですし、ハイペリオンの立場であれば、その中から自分の護衛の百や二百くらい捻出することも充分に可能だったはずなのですが。
やたらと猜疑心の強い王のようでしたし、自分の護衛すらも信用していなかったのかもしれませんが、ちゃんと護衛を連れて行っていればテセウス一派の襲撃も簡単にあしらえたでしょうに。
ギリシャ軍だってどんな奇策を駆使してくるか分からないわけですし、神々の戦争介入や解放するはずのタイタン族が自分達に牙をむいて襲い掛かってくるケースも考えられるのですから、ハイペリオンは必要最低限どころか軍を二分するレベルの護衛を連れて行っても良かったのではないのかと。

ちなみに、ハイペリオンによって「去勢」されてしまった裏切り者の兵士は、ハイペリオンにテセウスに関する情報を提供する役割を担った以外は全くと言って良いほどに見せ場がなく、物語終盤のタルタロス山の戦いでも、「雑兵のひとり」同然の扱いでテセウスに瞬殺されてしまう始末。
一騎打ちに持ち込むことすらできなかったのですから哀れとしか言いようがありませんでしたね(T_T)。
序盤でテセウスと因縁もあったわけですから、最後くらい何か見せ場があるのではないかと期待していたのですが。

R-15系の残虐描写が嫌いという方にはあまりオススメできる映画ではなく、逆に血どころか肉片が飛び散るようなスプラッタ系アクションシーンが好みという方には必見の映画、と言えるでしょうか。

映画「コンテイジョン」感想

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映画「コンテイジョン」観に行ってきました。
ひとりの感染者を発端に全世界へ拡大していく致死性ウィルスの恐怖と社会的混乱を描いたサスペンス大作。

物語は、最初の感染者がウィルスに感染した「2日目」から始まります。
「1日目」で何が発生していたのかについてはラストで明らかになるのですが、序盤はその部分を省いたままストーリーが進行してきます。
アメリカ人では最初のウィルス感染者となるベス・エムホフは、空港の喫茶店?で発着が遅れている飛行機を待ちながら、かつての恋人ジョン・ニールと電話で会話をしていました。
既にウィルスに感染していた彼女は、咳き込んだりあちこちにベタベタ触ったりして、自分で自覚することのないままに感染源を片っ端から構築していきます。
同じ日には、中国・香港でカジノのウェイターが、イギリスのロンドンでウクライナ人モデルの女性が、日本の東京ではビジネスマンが、それぞれ人が密集する中で苦しげに咳き込んでいる様子が描かれています。
そして2日後、家族が待つ家に出張から帰ってきたベスは、夫であるミッチ・エムホフの目の前で突如痙攣を起こして意識を失い、すぐさま救急車で病院に運ばれたものの、間もなく死亡してしまうのでした。
あまりにも突然の事態に茫然自失状態になるミッチですが、そこへさらに追い討ちをかけるかのごとく、今度はベスの連れ子であるクラークが自宅で容態急変。
急報を受けてすぐに帰宅するミッチでしたが、自宅に着いた時には既にクラークの呼吸は止まった状態でした。
あまりにも不可解なベスの症状について報告を受けた世界保健機構(WHO)は、ベスの遺体解剖と、出張中におけるベスの足跡についての調査を開始。
症状が脳炎に近いということから頭を解剖した医師は、その結果について危機感を覚え「全方面に通報しろ」と助手に命じるのでした。
しかしそれからわずか1週間ほどで、ウィルスは一挙にアメリカ全土どころか全世界へと拡大していき……。

映画「コンテイジョン」に登場するような感染性の高い致死性の病気(ウィルス)の爆発的拡大と脅威、いわゆる「パンデミック」を扱った作品は、ここ10数年で結構多く見かけるようになりました。
この手の作品で私が初めて観た映画は、1995年公開のアメリカ映画「アウトブレイク」。
エボラ出血熱の突然変異種が空気感染するようになり、ワクチンを見つけるべく奮闘する軍医と、感染拡大を防ぎ病原菌に纏わる秘密をも闇に葬ろうとする軍上層部との緊迫した駆け引きが描かれていました。
最近だと、ミツバチが大量に失踪する事件を元ネタに、感染者が何らかの方法で自殺を図ってしまうという2008年公開映画「ハプニング」や、感染者が突然盲目になってしまう病気が蔓延し社会が荒廃してしまった同年公開映画「ブラインドネス」があります。
単純に「ウィルスの拡大による社会の崩壊」を描いたものならば「バイオハザード」シリーズもありますし、この間公開されていた映画「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」のラストでも、致死性ウィルス拡大による人類の暗い未来が暗示されていました。
日本でも2009年公開映画「感染列島」がパンデミックの恐怖を扱っており、また2010年公開映画「大奥」でも、男性人口激減の設定として「赤面疱瘡」という架空の病気のパンデミックが使われていました。
「感染列島」や「大奥」におけるパンデミックの設定は、何故か感染範囲が日本国内に限定されてしまっているのが何とも不可解な話ではありましたが。
新旧の「猿の惑星」の変遷に象徴されるがごとく、ソ連崩壊によって現実味がなくなってしまった全面核戦争などよりも、いつ起こるか分からず、またいつ起こっても不思議ではないパンデミックの方が「社会的な恐怖」として受け入れられるようになってきたわけで、これも時代の流れというものなのでしょうか。

さて、映画「コンテイジョン」に話を戻すと、この映画の構成としては、2009年公開の日本映画「感染列島」に結構近いところがありますね。
パンデミックが拡大を始めるところから物語がスタートし、感染の原因が終盤に判明する構図や、ウィルスそのものの脅威よりも、ウィルスの脅威に対する人間社会の反応にスポットを当てた点などは、まさに「感染列島」を想起させるものがありました。
ただ、ウィルスに対する恐怖の反動として、商店の焼き打ちや略奪などといった暴動が発生したり、ワクチン目当ての誘拐事件などが発生したりする辺りは、さすがアメリカナイズされているといったところではあるのですが(苦笑)。
というよりも、日本以外の国ではそれが普通なのであって、むしろ東日本大震災直後ですら暴動や略奪の類がほとんど発生しなかった日本の方が世界的に見ても異常なのでしょうし、だからこそ全世界が賞賛もしたのでしょうけど。
ブログで「正しい治療薬」なるものを提示し「政府は有効な治療薬を隠している」などといった陰謀論を主張したりする詐欺師が出てきて、かつそのブログの閲覧者が1200万人も出たりする(もちろん「批判的・懐疑的に観ている」という人もその中にはいるでしょうが)という描写は、日本でも普通にありそうな話ではあるのですが。
他にも、TwitterやFacebookなども作中に名前が登場したりしていて、この辺りにも何となく時代の変化を感じさせるものがありましたね。

あと、今作にはマット・デイモンが主役のひとり(ミッチ・エムホフ役)として登場しているのですが、今作における彼はこれといった活躍の描写が全くと言って良いほどありませんでしたね。
「最初の感染者の夫」という役柄でスポットが当てられた一般人以外の何物でもなく、その行動もその他大勢の一般人と何ら変わるところがありません。
物語序盤でこそ、彼は感染の疑いから隔離されるのですが、その後あっさりと解放されてウィルスの研究やワクチン開発などには全く関与することがなかったですし。
あえて彼の特異なところを挙げるとすれば、最初の感染者である妻と彼も少なからず接触や会話をしていて、かつ連れ子はきっちりウィルスに感染して死んでいるにもかかわらず、彼と彼の実娘?だけは最後まで病気が発症しなかった点でしょうか。
この辺りは、周囲がひとり残らず盲目になっていく中、ただひとりだけ盲目になることなく普通に目が見えていた映画「ブラインドネス」の女主人公を想起させるものがありましたが。

作中で発生している社会的な情勢や個人の対応などは、「もしこんなパンデミックが発生したら実際に起こりそう」的な内容で説得力も多々あります。
扱っているテーマがテーマなので全体的に暗い話ではあるのですが、サスペンス物が好きな方にはオススメな作品なのではないかと思います。

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