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カテゴリー「洋画感想」の検索結果は以下のとおりです。

映画「シャンハイ」感想

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映画「シャンハイ」観に行ってきました。
1941年10月~12月の大東亜戦争(太平洋戦争)勃発前夜の上海(シャンハイ)を舞台に繰り広げられる、アメリカ・中国合作のサスペンス作品。
ハリウッド映画でしばしば登場する日本人俳優・渡辺謙が主演している映画でもあります。
渡辺謙が出演している映画を私が観るのは、映画「インセプション」以来になりますね。

物語の冒頭は、何故か拷問を受けている主人公の描写から始まります。
拷問を受けた主人公が部屋に呼び出され、女の所在を尋ねる日本軍情報部の軍人であるタナカ大佐の描写が、観客には何のことか分からぬまま映し出されます。
そしてその直後に物語は2ヶ月前の始まりのシーンまで巻き戻されることになります。
この辺りの構成は、実は冒頭の描写が終盤のそれと繋がることになる映画「インセプション」と全く同じ構図だったりするんですよね。
やはり同じ渡辺謙出演作品ということで意識されでもしたのでしょうか?

冒頭の描写に繋がる事件の発端は、1941年10月頃に、主人公ポール・ソームズが上海のアメリカ諜報員として赴任してきたことから始まります。
ポールは、同じ諜報員にして親友でもあるコナーと、カジノで落ち合う約束をしていました。
ところが肝心のコナーは、スミコという女性を逃がすための車に乗り込もうとした際に何者かによって殺害されてしまい、当然のごとくカジノに来ることはできなかったのです。
代わりにポールの元に現れたのは、ひとりの中国人女性。
ポールはその女性とポーカー勝負を行うことになるのですが、ポールの掛け金がコイン50枚だったのに対し、女性は10倍の500枚を提示します。
それを挑発と受け取り、持ち金全部を掛け金にしたポールはスリーカードの9で勝負をするのですが、女性の持ち札はスリーカードのクィーン、結局見事に惨敗してしまいます。
しかし女性はその1勝負をしただけであっさりと席を立ち、その場を去っていくのでした。
その後、アメリカ領事館からの迎えでポールは海軍諜報部へと向かうことになるのですが、そこで待っていたのは殺された友人コナーの変わり果てた姿でした。
上司であるリチャード・アスター大佐から、コナーは上海の日本租界で殺害されたこと、そしてコナーが上海三合会のボスであるアンソニー・ランティンの調査をしていたこと、そしてアンソニー・ランティンが日本軍と深い関係にあることを知らされるポール。
上海ヘラルドという新聞の記者としての偽りの身分を得、ポールはアンソニー・ランティンが出席するドイツ領事館のパーティに潜入することになります。
そして首尾良くアンソニー・ランティンと直接会話する機会を得ることに成功したポールは、アンソニー・ランティンから2人の人物を紹介されます。
ひとりはアンソニー・ランティンの友人である日本軍情報部のタナカ大佐。
そしてもうひとりはアンソニー・ランティンの妻で、何よりもカジノでポールとポーカー勝負を行い敗北させたアンナ。
この4人を中心に、以後の物語は動いていくことになります。

映画「シャンハイ」は、舞台がちょうど大東亜戦争(太平洋戦争)勃発前夜ということもあり、「あの」真珠湾攻撃絡みのネタも出てきます。
作中では、殺害されたアメリカ諜報員であるコナーが、上海の港に停泊していた空母「加賀」についても調べており、またポールが上海沖にいる日本艦隊の様子を観察し、「加賀」をはじめとする9隻の船がいなくなっているという事実を確認するシーンもあります。
空母「加賀」は1941年12月の真珠湾攻撃に参加しており、この攻撃の準備のために上海沖から秘密裏に姿を消していた、という筋書きに作中ではなっているわけですね。
ただ、これにはひとつ問題があって、実はポールが「加賀」がいないことを確認した際、同時に空母「赤城」がいることも一緒に確認しているんですよね。
実は「赤城」も「加賀」と同じく真珠湾攻撃に参加しているので、真珠湾攻撃が目的だったのであれば、上海から「加賀」だけがいなくなって「赤城」は健在、ということは本来ありえないのです。
何故こんなチグハグなことが起こっているのか、という方がむしろ私的には疑問でしたね。
もっとも、ポールが上海沖の日本艦隊を確認した時、艦隊の周囲には濃い霧がかかっていましたし、遠目からの観察とならざるをえなかったことから艦種を間違っていた、また日本側も偽装工作として遠目からは艦隊に見えるような工作を施していた、という可能性もなくはないのですが……。

映画「シャンハイ」を観ていて思ったのは「作中の男性達は皆女性に恵まれてないなぁ」でしたね。
主人公ポールは奥さんと別れた経歴を持っていますし、タナカ大佐も上海赴任直前に奥さんが男を作った挙句に駆け落ちで逃げられたと告白するシーンがあります。
そして、妻帯者であるはずのアンソニー・ランティンは、妻アンナのことを(少々ストーカーじみたところはあったにせよ)熱烈に愛し、かつそのために何でもするような献身的な人物であったにもかかわらず、肝心の妻には全く愛されておらず、それどころかポールと抱擁するシーンが披露されたりする始末。
妻の安全を優先するあまり、それまで良好な関係を築いてきたはずの日本軍に牙を向いたりしていたのに、そこまでやってもアンナの愛はアンソニーに向けられることはなかったのですから、正直哀れみを誘うものがありましたねぇ。
アンナにとって、アンソニーは自分の安全と利害を守るための道具でしかなかったと言わんばかりでしたし。
アンソニーはアンナに愛されていないという自覚は当然あったでしょうし、だからこそ「(アンナに)近づく男は殺す」みたいなことをやっていたのでしょうね。
カネもあれば愛人だって囲っていたりしているのに、アンソニーはアンナのどこがそんなに気に入っていたのでしょうか?

サスペンスがメインストーリーということもあってか、アクションシーンは控えめの映画ですね。
内容はかなり複雑で政治的要素も濃いので、良くも悪くも大人向けの作品と言えるでしょうね。

観賞自体が困難な映画「クローバーフィールド/HAKAISHA」

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「ツリー・オブ・ライフ」などという近年稀に見る駄作を観賞した縁から、今回は未だ紹介していない他の駄作映画について少し。

実は私、映画については作中のストーリーや設定について疑問を呈することはあっても、映画そのものをクソミソに酷評するということは滅多にないんですよね。
「ツリー・オブ・ライフ」レベルまで酷評した作品というのは、私の長い映画観賞歴を振り返っても、これまでに2つしかありません。
ひとつは、1995年公開映画「きけ、わだつみの声 Last Friends」
そしてもうひとつが、今回紹介する2008年公開映画「クローバーフィールド/HAKAISHA」です。

映画「クローバーフィールド/HAKAISHA」のストーリーは、ニューヨークで突如謎の巨大怪獣が暴れる様子を、一市民の視点からリアルタイム的に描くというもの。
作中は全て撮影者が持つ「カムコーダ」というハンディタイプのビデオカメラから見た視点で描かれています。
疑問の余地なくそのせいなのですが、作中における映像は、撮影者が歩いたり走ったりするのに応じて上下左右に激しく揺れるというスバラシイ特徴があり、しかもそれがエンドロールを除く上映時間の全てにわたって展開されます。
人によっては「車酔い」のような症状に襲われることもあり、実際、海外の劇場では酔いに注意するよう観客に注意を促すところもあったのだとか。
私も酔いこそしませんでしたが、長時間にわたるブレブレの映像を見せられたこともあって最後の方では不快な気分にさせられましたね。
普通に映画を観賞することにすら多大な支障をきたす、という時点ですでにダメダメです。

そして作品を構成するストーリーもとにかく「暗い」の一言に尽きます。
PG-12指定ということもあってか、作中では無為無用に残虐描写が盛り込まれている上、最後は謎の巨大生物に主要な登場人物が全員殺されて終了というバッドエンドな展開で終わってしまいます。
作中で展開された様々な謎(たとえば「怪物が何故出てきたのか?」等)も作中のストーリーでは全く解明されていませんし、ラストが全員死亡という結末では一体何が言いたかったのかも理解不能としか言いようがありません。
ただでさえ上下左右ブレブレの見辛い映像を85分も観賞されられた挙句がこれではねぇ…。

何とか映画「クローバーフィールド/HAKAISHA」を観終わった際の感想は、
「最初から最後まで評価できるところは全くなし」
「時間とカネを無駄にした」
以外は出てきようもありませんでした。
当時「きけ、わだつみの声 Last Friends」しかなかった駄作認定作品のリストにこれを追加することにも何ら躊躇はなかったですね。
「ツリー・オブ・ライフ」もそうなのですが、駄作認定的な評価を叩きつけたくなるような映画には、できればあまり出会いたくないものではあるのですけどねぇ…。

映画「ツリー・オブ・ライフ」感想

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映画「ツリー・オブ・ライフ」観に行ってきました。
……しかしいきなりで何なのですが、この映画、製作者達が一体何をテーマにしたかったのかすらも意味不明な作品構成です。
一応公式サイト等の紹介によれば、1950年代のとある家族にスポットを当てた物語とのことなのですが、作中では何故か数十億年前の地球&生物の誕生、および進化の過程や恐竜などが描かれていたりします。
作中の登場人物がしゃべるセリフも非常に少なく、モノローグによる進行がメインだったりします。

この映画のストーリーはとにかく支離滅裂。
作中の冒頭は「(主人公の弟で)家族の次男が(不慮の事故か何かで)死んだ」という話から始まり、そこからしばらくは次男のものと思しき部屋や悲嘆に暮れる両親のシーンが描かれます。
そして、同じく悲報に接した壮年の男性ジャックが、高層ビルのエレベータに乗りながら昔を回想し始め、幼き日の思い出が映し出される……はずだったのですが、そこから始まったのは、この記事の冒頭で言及した数十億年前の地球&生物の誕生、および進化の過程や恐竜などだったりするわけです。
弟の死と地球創生に一体何の関係があるのかと目を皿のようにして注意深く映画を観賞していたのですが、その関連性は最後まで全く明らかになりませんでした。
もちろん、あれらの地球創生絡みの描写が、この後にメインで描写されることになる家族の話の伏線だったりキーワードだったりすることもありません。
この意味不明な描写の数々は物語終盤にも大量に盛り込まれていて、正直「何故こんな描写を入れなければならないのか?」と考えずにはいられませんでしたね。
作中では何度も聖書の文言がモノローグとして語られていましたし、おそらくはキリスト教絡みの神性を強調する意図でもあったのかとは思うのですが、それにしても抽象的かつ物語的な意味が無さ過ぎます。

しかも、その意味不明の描写を経てようやく始まった家族話自体、「次男の死」から始まっているにもかかわらず、肝心の次男についてのエピソードが圧倒的に少なく、メインの扱いには全然なっていないんですよね。
今では使用が禁止されている農薬・DDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)の屋外散布が象徴している1950年代のテキサス州を舞台に繰り広げられる家族話は、長男である主人公が生まれてから、父親の都合で他所へ引っ越すまでのエピソードが描かれているのですが、メインとなっているのは「何かと子供達に厳しく当たる父親との確執」だったりします。
しかも最後を締めるエピソードも「父親が子供達に厳しく接した理由の告白」と「父親との和解」みたいなシロモノでしたし。
これでは次男の死から回想を始めなければならない必然性自体がないとすら言えます。
冒頭の描写は、次男ではなく父親が死んだということにしていた方が、回想エピソードとの整合性が取れたのではないでしょうか?
しかも、物語を構成する各エピソードがあまりにも飛び飛び過ぎて、物語の全体像というものが非常に把握しにくい構成になっています。
まあ製作者的には「子供に厳しい父親」「それに耐える子供達」という構図を表現することを至上命題としていたのでしょうが、起承転結というものがまるでなっていないというか……。
ブラッド・ピットをはじめとする俳優さん達の演技そのものは決して悪いものではなかったのですが、意味不明な演出の数々とストーリーの支離滅裂ぶりは評価のしようがありませんね。

映画「ツリー・オブ・ライフ」は、カンヌ国際映画祭で最高の賞となるパルム・ドール賞を受賞しているとのことです。
しかし、作品としてのストーリーが全く成り立っていない感すらあったあの作品構成の一体どこに賞に値するものがあったというのか、個人的にははなはだ疑問に思わざるをえませんでしたね。
国際的な映画の評価基準というのは一体何をベースにしているのか、そもそもそういう評価自体本当に信用に値するものなのか、とすら考えてしまいましたし。

久々に「盛大にハズレている」映画を観てしまった、というのが率直な感想ですね。
私的に他人にオススメできる映画とは到底言えたものではありません。
今年観賞する映画どころか、これまでの映画観賞歴の中でもワーストクラスに数えられるであろう駄作とすら言えますね。

映画「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」感想

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映画「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」観に行ってきました。
スティーブン・スピルバーグ製作総指揮、マイケル・ベイ監督のタッグで描く、シャイア・ラブーフ主演のSFアクション超大作「トランスフォーマー」シリーズ最終章。
この作品は3D版も公開されていますが、私が観てきたのは2D&日本語吹替版になります。
なお、私は「トランスフォーマー」シリーズの前作・前々作共に映画館で観賞済みです。

物語の発端は1961年。
この年、月面の裏側(ダークサイド・ムーン)に、1隻の宇宙船が墜落します。
月面を観測していた地球は直ちにこの事実をキャッチし、調査の必要性が極秘裏に検討されるのですが、人類が初の月面着陸を実現するまでにはそれから8年もの歳月がかかることになります。
そして1969年7月20日、アポロ11号による人類初の月面着陸が達成され、アメリカ国民が歓呼の声に沸き返る中、アポロ11号の乗員達は、地上側が意図的に公開通信を途絶させた中で、宇宙船が墜落したとされるダークサイド・ムーンへと向かいます。
そこではっきりと未知の宇宙船を目撃することになった乗員達。
このことは政府の中でもトップシークレット扱いとなり、公には全く公開されないまま月日は流れます。

そして現代。
「トランスフォーマー」全シリーズ通じて主人公であるサム・ウィトウィッキー(シャイア・ラブーフ)は、大学を卒業したものの就職が決まらず無色のプータロー状態。
前作までのヒロインとは別れており、これまでの対ディセプティコン戦絡みの活躍により、ワシントンでオバマ大統領から勲章をもらった際に知り合ったカーリー・スペンサーと同棲していたりします。
トランスフォーマー絡みの戦いで彼の活躍は一応知れ渡っているはずなのですが、それが就職活動に何らプラスになっていない辺りの描写は、昨今のアメリカ(だけではないですが)の経済不況を表してでもいたのでしょうか(苦笑)。
サムが面接に行った会社の中には「お前はオバマ大統領から勲章をもらったようだが、俺は共和党支持だ」などという理由で採用を断ったところもありましたし。
はかばかしい成果が上がらない就職活動でしたが、アキュレッタ・システムズ社のブルース・ブラゾスという面接官相手に面接したところ、あからさまに好意を抱かれていないやり取りが展開されたにもかかわらず、サムは何故かメール係として社員採用されることになります。
採用に喜ぶサムでしたが、カーリーにそのことを報告しに言った際、それがカーリーが勤めている会社の社長であるディラン・グールドの推薦によるものだったことが判明。
成金趣味を見せつける上にカーリーとも仲良さ気な様子を見せつけるディランに、サムは反発を抱くのですが……。

一方その頃、前作の戦いでその存在が公のものとなったオプティマス・プライム率いるオートボット、およびウィリアム・レノックスを指揮官とする対ディセプティコン特殊部隊であるNESTは、チェルノブイリでの捜索活動中、冒頭の宇宙船に搭載されていたエンジンを発見します。
そのことから冒頭の宇宙船のことについて初めて知ることになったオプティマス・プライムは、早速宇宙船の回収に乗り出します。
ダークサイド・ムーンで放置されている宇宙船の格納庫には、オートボットの前リーダーでオプティマス・プライムの師匠的な存在でもあるセンチネル・プライムが眠りについていました。
センチネル・プライムは、惑星サイバトロンにおけるオートボットとディセプティコンとの戦い末期、ある重要な装置を持ち出して惑星サイバトロンからの脱出を図るものの、撃墜されて月面に不時着していたのでした。
センチネル・プライムが持ち出したのは、あらゆる物体を瞬時に転送してくることを可能にするテレポート装置で、かつセンチネル・プライム以外には扱うことができません。
オプティマス・プライムによって復活したセンチネル・プライムとテレポート装置を守るべく、オートボット達は奮闘するのですが、そのセンチネル・プライム自身が突如暴走を開始。
アメリカ軍によって押収されていたテレポート装置を奪取し、ディセプティコンと合流してオートボットの地球外退去を迫ります。
実はセンチネル・プライムは、敵であるはずのディセプティコンと密かに手を組み、テレポート装置を使い惑星サイバトロンそのものを呼び寄せた上で、地球の「資源」を利用して復興すべく画策していたのでした。
センチネル・プライムとディセプティコンの脅迫にあっさり屈したアメリカ政府の意向により、地球外退去を余儀なくされるオートボット達。
そしてオートボット達が乗った宇宙船を撃墜し、脅威がなくなったと確信したセンチネル・プライムとディセプティコンは、アメリカのイリノイ州シカゴを占拠し、野望実現のためにテレポート装置を動かし始めるのでした。
かくして、高層ビルが立ち並ぶシカゴを舞台に、人類と地球外金属生命体との戦いが繰り広げられることになるわけです。

映画「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」は、上映時間が実に157分もあります。
普通の映画の標準的な上映時間がだいたい104~110分の間であることを考えると、映画としてはかなり長時間上映される部類に入る作品であると言えるでしょう。
そこまで長い時間があるにもかかわらず、特に物語前半に色々と詰め込みすぎて展開がとにかく早く、話についていくのに結構苦労したんですよね。
作品のメインイベントはシカゴの最終決戦ですから、できるだけ早くそこに持っていきたかったのでしょうが、もうちょっとスロー展開できなかったのかなぁと。

またこれまでの「トランスフォーマー」シリーズでは、基本的にはオートボットとディセプティコンの金属生命体同士の戦いがメインだったのですが、今作ではそれ以上に主人公含めた人間達の活躍にスポットが当てられています。
ディセプティコンの圧倒的な戦力にほとんど無力同然に翻弄されながらも、最初は囚われの身となっていたカーリーを助けるため、その後はテレポート装置を破壊するため、シカゴに乗り込む主人公サムとその仲間達。
最初はただただディセプティコン側の圧倒的な戦力に翻弄されていたものの、終盤では前作でも前々作でも五体満足で逃走していたディセプティコンNo.2のスタースクリームを仕留めたり、ディセプティコン側に奇襲を仕掛けたりするなど、なかなかの健闘ぶりを見せています。
「トランスフォーマー」シリーズはあくまでの人間達の物語である、ということを見せたかったのでしょうか。

あと、今作ではディセプティコンのリーダー格であるはずのメガトロンがかなり哀れな位置付けでしたね。
前作でも前々作でも最強の風格を見せつけていたのに、今作では前作で受けた傷がほとんど癒えておらず、終盤まで戦闘面ではほとんど戦力外同然で出番なし。
ラスボスの座もセンチネル・プライムに奪われていた上に、部下達も軒並みそちらの指揮下に入っていたかのような感までありました。
挙句の果てにはカーリーの安っぽい挑発にあっさり乗ってしまい、オプティマス・プライムとセンチネル・プライムの師弟対決の場面に介入して、結果的には宿敵であるはずのオプティマス・プライムを助ける形になってしまった上、仕切り直しでオプティマス・プライムとの決着をつける戦いが始まったかと思えば、手負いのオプティマス・プライムに一瞬でやられてしまう始末。
あと15~30秒くらい介入が遅かったら漁夫の利を得ることもできたでしょうに、そのほんのちょっとの差でメガトロン的にはまさに最悪の介入となってしまっていました。
悪役としても凋落の感が否めませんでしたねぇ、アレは。

スティーブン・スピルバーグにマイケル・ベイという有名どころ2人が製作に当たっているだけあって、アクションシーンやSFX的な描写はさすが良く出来ています。
ハリウッドのそれ系な映画が好きという方には文句なしにイチ押しの作品ですね。

映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2(3D版)」感想

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映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」観に行ってきました。
「ハリー・ポッター」シリーズ最終章2部作後編。
ハリー・ポッター一行とラスボスであるヴォルデモードとの最終決戦が、「ハリー・ポッター」シリーズの原点であるホグワーツ魔法魔術学院を舞台に繰り広げられます。
この作品は3Dと2D版が同時公開されており、個人的には2D版を観たかったのですが、不幸にも2D版の上映スクリーンが満席だったため、泣く泣く3D版を観る羽目に(T_T)。
1ヶ月無料のフリーパスポートも、3D版の追加料金については適用されないんですよね~(-_-;;)。

今作も前作「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1」に引き続き、ラスボスであるヴォルデモードの死命を制する分霊箱の探索および破壊がメインとなります。
物語序盤では、ゴブリン達が運営する魔法界唯一の銀行グリンゴッツの金庫に保管されていたハッフルパフの金のカップが目標となります。
様々な罠や裏切りまで発生する中、何とか首尾良くカップを奪取することに成功したハリー・ポッター一行。
そして、次にハリー達が探す目標として選んだ分霊箱は、同じくホグワーツ魔法魔術学院内に隠匿されているレイブンクローの髪飾り。
そのホグワーツ魔法魔術学院は、前々作「ハリー・ポッターと謎のプリンス」で校長ダンブルドアを殺害したセブルス・スネイプが新校長として支配する恐怖政治が行われており、またハリー・ポッターも当然のごとく指名手配犯的な扱いを受けていました。
秘密の通路を辿ってホグワーツ魔法魔術学院に潜入したハリー・ポッターは、生徒・教師を一同に集めてハリー・ポッターの情報提供を強要するスネイプの前に現れ糾弾を開始。
セブルス・スネイプはハリーを倒そうとしますが、そこに立ちはだかったミネルバ・マクゴナガルが炎の魔法を連発してスネイプを圧倒、スネイプは校長の地位を追われ逃走する羽目になります。
そして、自分の弱点でもある分霊箱が次々と壊されていく事態にようやく気づいたヴォルデモードが、これ以上の分霊箱破壊を阻止すべく、大軍を率いてホグワーツ魔法魔術学院へ侵攻を開始するのです。
分霊箱が破壊されるまでの時間稼ぎを目的に、ホグワーツ魔法魔術学院側もマクゴナガルの指揮の下、防戦態勢を整えることになるのですが……。

映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」でひとつ疑問なのは、「死の秘宝」のひとつで前作「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1」のラストにおいてヴォルデモードがダンブルドアの墓から掘り出したニワトコの杖の所有権についてですね。
このニワトコの杖の所有権というのがなかなか面白いもので、所有者が変わると古い持ち主を捨てて新しい持ち主に忠誠を近い、新しい持ち主に所持されている場合にのみ最強の力を発揮するというものです。
作中では、この杖の忠誠心をヴォルデモードが獲得した場合、ハリー・ポッター達の敗北は確実であるとまで言われていました。
シリーズにおけるニワトコの杖の所有権は、前々作「ハリー・ポッターと謎のプリンス」の終盤近くまではダンブルドアが保持していたのですが、ダンブルドアは物語終盤でドラコ・マルフォイの不意打ちを受けた際に所有権を失い、ドラコ・マルフォイに所有権が移動します。
その直後にダンブルドアはセブルス・スネイプに殺害されたため、ヴォルデモードはスネイプを殺害してニワトコの杖の忠誠心を得ようとするのですが、スネイプは当然のことながら杖の所有権者ではなかったので目論見は失敗します。
その一方で、何も知らずニワトコの杖の所有権者になっていたドラコ・マルフォイは、前作「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1」でハリー・ポッターと戦った際に杖を奪われてしまい、その際にニワトコの杖の所有権をもハリーに渡してしまうのです。
さて、そんな状態でハリー・ポッターとヴォルデモードには、今作の物語後半、森の中で1対1で対峙する局面が発生します。
そんな事態が発生した理由は、ハリー・ポッターがヴォルデモードすらも知らないうちにヴォルデモードの分霊箱になってしまったという出生の秘密を知ったことにあるのですが、それはさておき、ここでハリー・ポッターを葬る絶好の好機と見たヴォルデモードは、ハリー・ポッターに呪文を叩きつけて倒してしまいます。
この時、たとえ一時的であるにせよ、ヴォルデモードはハリー・ポッターに勝利したことになるわけですから、この時点でニワトコの杖の所有権移動は発生しないのか、という疑問を私は抱かざるをえませんでした。
何しろ、ドラコ・マルフォイの場合は、直接相手を倒すのではなく武装解除させただけで所有権の移動が成立したわけなのですから。
ましてや「所有権者を倒した」となればハリー・ポッターからヴォルデモードへの所有権移動は当然起こりえるのではないのかと。

Twitterでの返答ツイートやwikipediaで調べてみた限りでは、ニワトコの杖の所有権は「計画された死」では移動することがなく、またあの場面におけるハリー・ポッターは実際には死んでいなかったとのことで、杖の所有権が移動する条件を満たさなかったというのが真相だったとか。
しかしそういった設定は、映画を観ていた限りでは全く説明らしいものがなく、ハリー・ポッターの復活も唐突に行われていた感が否めなかったというのが正直なところでしたね。
ヴォルデモードがドラコ・マルフォイの母親にハリー・ポッターの死を確認するよう命じ、母親は「死んでいます」と報告してもいましたし、対決の直前には「死の秘宝」のひとつである「蘇りの石」をハリー・ポッターが取り出す描写があったので、てっきりそれの効果で復活でもしたのかと最初は考えていたものでした。
せっかく原作をわざわざ二部作構成にしたのですから、この辺りはもう少し説明が欲しかったところではあります。
ただヴォルデモードについても、死の確認方法が甘すぎるとしか言いようがないところではあるのですけどね。
わざわざ他人に確認させないで、自身の魔法を使ってハリー・ポッターの身体を粉砕するとか両手両足ないしは首を切り落とすなどといった方法で、ハリー・ポッターの生死を実地で確認すれば良かったのに(苦笑)。
これなら万が一生きていたとしても戦闘能力を削ぐことができますし。

あと、ヴォルデモードを倒した後、ニワトコの杖を手に入れたハリー・ポッターは、ニワトコの杖をへし折って谷底に捨ててしまうのですが、そんな程度のことでニワトコの杖って無効化できるようなシロモノだったのでしょうか?
ニワトコの杖の処遇についてダンブルドアはかなり苦労していたようでしたし、そんなに簡単にケリがつけられるのならば最初からやっておけば良かったのに、としか言いようがなかったのですが。

しかしこの「ハリー・ポッター」シリーズって、小説でも映画でもやはり全作品通して観覧しないと人物関係や作品相互の関連性が非常に分かりにくいですね。
すくなくとも単独で楽しめる映画作品では全くありえません。
原作を通読するなり過去の映画作品のDVDを借りるなりして、全作品を観ることによって初めて全体像が分かる作品であると言えそうです。

映画「アイ・アム・ナンバー4」感想

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映画「アイ・アム・ナンバー4」観に行ってきました。
侵略者モガドリアンに滅ぼされた惑星ロリアンの選ばれし生き残り達が、覚醒した特殊能力を駆使して戦うアクション物。
ジェームズ・フライとジョビー・ヒューズによる同名のSF小説を原作としている作品です。
なお、今回初めて映画のフリーパスポートなるものを獲得し、これから1ヶ月間、映画が無料で観覧できるようになりました(^^)。
予定では今作も含めて総計6本の新作映画を無料で観賞する予定です。

物語は、ケニアの奥地にある山小屋で自然に溶け込むかのようにひっそりと生活していたナンバー3とその守護者(ガーディアン)が、深夜に突如モガドリアン一派に襲撃され殺されてしまうところから始まります。
ナンバー3を殺害したモガドリアン達は、ナンバー3が所持していたペンダントのようなものを奪い取り、いかにも目的を達成したかのごとき笑いを浮かべます。
ちょうどその頃、アメリカのフロリダ州マイアミにある海岸で友人達とのパーティーに参加していたナンバー4は、突如足に激痛を覚え、ナンバー3が殺される幻影を見ることになります。
それと共に、激痛の元である足には光と共に謎の紋様が浮かび上がり、その様子をパーティーに集っていた人々に目撃されることになります。
後で判明したことですが、その様子はしっかり動画が撮られており、さらにその動画はご丁寧にもYouTubeにアップデートまでされていました。
ナンバー4の守護者で同時に保護者でもあるヘンリーは身の危険を感じ、家の中にある自分達の身分を証明するものを一切合財処分した後、ナンバー4と共にオハイオ州のパラダイスという町に移り住みます。
その後、ナンバー4がいたマイアミの家は謎の女(後でナンバー6と判明)に焼き払われ、やや遅れてモガドリアン達にも物色されていたので、ヘンリーの判断は間違っていなかったわけです。
しかしそうとは知らず、度重なる逃亡生活にいいかげん忍耐の限界に来ていたナンバー4は、息を潜めた生活を命じるヘンリーに反発し、地元の学校に通う手続きを独断で行ってしまいます。

通い始めた学校でジョン・スミスという偽名を名乗り始めたナンバー4は、カメラを愛する美少女サラ・ハートと、彼女の元カレで学校の競技選手であるマーク・ジェームズに陰湿なイジメを受けている科学&UFOオタクのサム・グッドに出会います。
次第に2人と打ち解け、友好的な関係を構築していくナンバー4ですが、そんなある日、授業を受けている最中、奇妙な幻影と共に突如両手が熱く光り出す事態が発生します。
異変を察知したヘンリーから、それが自分の持つ遺産(レガシー)こと特殊能力の覚醒であることを知らされるナンバー4。
能力が制御できるようになるまで休校するようにヘンリーから命令されるナンバー4ですが、ナンバー4は特殊能力を駆使して家を脱走。
町に繰り出したナンバー4は、そこで偶然サラ・ハートと出会い、彼女の自宅に招かれ、そこで身の上話をしている内に彼女に惹かれるようになります。
しかし、元カレでサラ・ハートをストーカーのごとく付け狙っているマーク・ジェームズが、彼女の家から出て行くナンバー4を目撃。
彼は翌日からナンバー4に対するイジメを始めるようになり、さらにはパラダイスの春の祭典であるカーニバルでサラ・ハートとデートをしていたナンバー4に集団で襲い掛かります。
しかし彼らは能力に覚醒したナンバー4の敵ではなく、あっさりと逆襲された挙句、マーク・ジェームズは右手を折られかけます。
結果として警察沙汰にまでなり、さらには前述のマイアミでの動画がYouTubeにアップデートされた事実までもが発覚するに及んで、ヘンリーは再び町を捨てて逃亡することをナンバー4に勧めます。
しかし、ナンバー4はサラ・ハートに恋をしていることを告げ、その提案を拒否。
そういうしている内に、ついにナンバー4の居所を特定したモガドリアン達がパラダイスに到着し、陰で蠢動し始めることになるのですが…。

映画「アイ・アム・ナンバー4」は、全体的に見ると明らかに「シリーズ作品の第1作目」的な構成になっていますね。
冒頭に出てきたペンダントや、物語後半に登場する謎の箱については、一体何なのかすら最後まで全く明らかになっていませんし、最後のシーンも「殺された3人とナンバー4&6以外の残り4人の仲間達を探す旅に出る」描写で終わっています。
そもそも、モガドリアン達は惑星ロリアンを滅ぼした前歴もあるわけですし、地球についても破壊する意思を明らかにしているのですから、チマチマと9人のナンバーズ達を殺していかずとも、地球を丸ごと破壊するなり全世界に絨毯爆撃を敢行するなりして地球もろともナンバーズ達を始末してしまった方が、はるかに効率も良いのではないかとすら考えてしまったのですが。
もっとも、モガドリアン達はナンバーズ達が持っているペンダントに何故か固執しているようでしたし、物語終盤でナンバー4を追い詰めた際にも、ペンダントを握り締めながら「これでこの星を破壊できる」的な発言を行っていましたから、ペンダントに本来の力を封じられているみたいな設定でもあるのかもしれないのですが。
全く何の説明もなかったこの辺りの謎の数々は、続編によって明らかにされていくことになるのではないかと。

作中におけるナンバー4と、後半に正体が明らかになるナンバー6は、それぞれの特殊能力を駆使してモガドリアン達とバトルを繰り広げていきます。
ただ、ナンバー6の特殊能力は超加速タイプのテレポートと耐火能力がメインで比較的分かりやすいのに対し、主人公ナンバー4のそれにはやたらと多機能性が付加されていて能力の方向性がまるで特定できないですね。
敵の光線銃を弾くシールドの役割をしたかと思えば、熱を持ったレーザービームのような使い方ができたり、さらにはナンバー6の体力を回復するヒーリング的な能力まで披露されたりしていました。
屋根から地表に落下するサラ・ハートを空中で止めるというサイコキネシス的な描写もありましたし、一体どれだけ使用用途が広いのかと。
今後続編が出た際には、さらに別の能力が追加付与される可能性もありえますね。

また、モガドリアン達が黒いトラックに引き連れていた怪物と、ナンバー4がパラダイスの町に引っ越してきた際に拾った犬に化けていた守護獣のキマイラとの戦いはかなり笑わせてもらいました。
学校内を舞台に繰り広げられたこの両者の対決は、破壊されたトイレだかシャワールームだかで決着を迎えることになるのですが、この手の映画のお約束よろしく、最初はモガドリアンの怪物の方がキマイラを圧倒するんですよね。
そしてキマイラに重傷を負わせて壁に叩き付け、さあいよいよトドメとばかりに怪物がキマイラに向けて突撃を敢行したその直後、何と怪物は水で濡れたタイルに足を滑らせてすっ転んでしまい、キマイラの眼前で仰向け状態になってしまうのです。
当然キマイラ側がこんなチャンスを逃すわけもなく、怪物は仰向けで晒された喉元を噛み砕かれてあっさり死亡。
私も色々なハリウッド映画を観てきましたが、こんな「自滅」「自爆」以外の何物でもない爆笑ものの退場を余儀なくされたモンスターはあまり記憶にありませんね。
私はてっきり、どこかから援軍が来るか、キマイラが起死回生の奇策でもって何らかのカウンターを繰り出してくるという、これまたお決まりのパターンばかり考えていたので、良くも悪くも意表を突いた描写になりました。
いかにも「凄まじく凶暴であるが故に強そうなモンスター」として描写されていただけに、その無様な死に様はあまりにも滑稽としか言いようがなかったですね。

あと、ナンバー4とサム・グッドに対するイジメや嫌がらせに躍起になっていたマーク・ジェームズが、物語の最後に元気な姿で再登場していたのには少々驚かされました。
彼って、物語後半でモガドリアン達に捕まった挙句、モガドリアン一派のひとりにブン投げられて学校校舎2階?の窓に叩きつけられる描写があるんですよね。
この手の小人にハリウッド映画は躊躇なく「死」という末路をあてがうのが常ですし、「ああ、あいつは死んだね」とすっかり思い込んでいたのですが。
最後では隔意があったはずのナンバー4達にいつのまにか協力的になっていましたし、マーク・ジェームズに一体何があったのかと、この辺りは少々疑問に思ったものでした。

アクションシーンはスピーディーで迫力もあり、またストーリーもある意味「安心して観れる」作品と言えます。
ただ前述のように、作中の設定には最後まで全く明らかにならない謎の部分が結構多いので、作品単独ではなく「シリーズ物1作目」と割り切って観た方が良いでしょうね。

映画「マイティ・ソー(3D版)」感想

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映画「マイティ・ソー(3D版)」観に行ってきました。
アメリカのマーベルコミックの中でも特に人気が高いヒーローのひとりであるマイティ・ソーが活躍するアクション大作。
私が観に行った映画館では3D版しか公開されていなかったので、余計なカネがかかることを承知で泣く泣く3D版を観ることに。
案の定、どこら辺が3Dの見所だったのか理解に苦しむばかりで、「確かに迫力はあるが、2Dと見た目がほとんど変わらないじゃないか」「何故こんなことにカネを使わなければならないんだ?」と自問する羽目になりましたが(T_T)。
いいかげん、3Dメガネを使用しなければならない映画は止めて欲しいものなのですけどね。

物語は、アメリカのニューメキシコ州で天体観測を行っていた天文学者ジェーン・フォスター一行の前に、突如隕石らしき物体が落下したことから始まります。
周囲が静止するのも構わず、ジェーンは落下地点に車を走らせるのですが、落下の衝撃で濛々たる煙が上がる中、突如姿を現したひとりの男性を跳ね飛ばしてしまいます。
跳ね飛ばしたことに責任を感じたことと、それ以上にクレーターと共に現れた男性の存在に興味を抱いたジェーンは、彼を病院へ連れて行くことになります。

彼の名前はソー。
北欧神話の神々が住まう世界・アスガルドを含めた9つの世界を統べる王として君臨するオーディンの息子です。
ソーは自身にとって「栄光の日」となるはずだった戴冠の儀を、氷の世界・ヨトゥンヘイムからやって来た刺客達に邪魔されてしまいます。
その腹いせに、ソーはヨトゥンヘイムへ侵攻を行い、制圧することを父親に主張しますが、争いを好まないオーディンはその提案を退け、専守防衛方針を命じます。
しかし、オーディンの方針に納得がいかないソーは、自分の弟であるロキと、シフとウォリアーズ・スリーという自分に忠実な戦士達と共に、オーディンに内密でヨトゥンヘイムへ調査に赴くことを決意します。
アスガルドと、ヨトゥンヘイムを含めた他の世界を行き来するためには、ヘイルダムという見張り番の神が常に監視している虹の橋(ビフレスト)を通らなければなりません。
ヘイルダムを説得して一行はヨトゥンヘイムへ。
そこで一行は、ヨトゥンヘイムの王である巨人ラウフェイと出会い、ラウフェイの挑発に乗る形で大々的な戦闘が行われることになります。
腕に覚えがある歴戦の戦士なこともあり、一行も最初は善戦するのですが、敵の本拠地ということもあり相手は多勢に無勢。
しかもラウフェイはさらに巨大な氷の獣をも呼び起こして戦闘に参戦させ、ソー一行はもはや逃げるしかない状況に追い込まれます。
最強の武器であるムジョルニアを駆使するソーの獅子奮迅な活躍で何とか危機を凌いでいた一行ですが、それでも背水の陣状態で進退窮まったその時、ソーの独断専行を知ったオーディンがヨトゥンヘイムに降臨。
ラウフェイと交渉を行い、両者は事実上の戦争状態になってしまったものの、ソー達を連れてアスガルドへ戻ります。
独断専行したソーに失望したオーディンは、ソーとの口論の末、ソーの力を奪いミッドガルド(地球)へ追放する決断を下し、かくしてそれが冒頭の描写に繋がることになるわけです。

ソーが追放された際、彼の武器ムジョルニアもまた、ソーが落下した地点から少し離れたところに落下。
地元住民の格好の見世物になった挙句、調査にやって来た謎の組織シールドによって現場を接収されてしまいます。
そして、ソーを病院に送り届けて自分の家に戻ったジェーンもまた、同じくシールドによって自分の研究成果を全部強引に奪われてしまったのでした。
ムジョルニアを自分の手に取り戻したいソーと、自身の研究成果を取り戻したいジェーンの利害が一致し、2人はシールドが野営をしているムジョルニア落下地点へと向かうことに。
そして一方、アスガルドではソーの弟ロキとオーディンの間で諍いが発生した挙句、オーディンが突然の昏睡状態に陥ってしまいます。
それに乗じてロキは、王の代理と言わんばかり権勢を振るいまくった挙句、邪魔者を亡き者にしようと様々な画策を行うのですが…。

映画「マイティ・ソー」は、同じマーベルコミック系列作品の映画「アイアンマン」シリーズとも明確な繋がりがあります。
たとえば、作中でデストロイヤーという鉄の巨人が地球に現れた際には、作中に登場する謎の組織シールドの関係者達が「スタークから聞いているか?」と発言するシーンがあります。
これはもちろん、「アイアンマン」シリーズの主人公であるトニー・スタークのことを指しているわけです。
また、映画開始と同時に存在が明示されているエンドロール後の特典映像では、同じく映画「アイアンマン」1作目のエンドロール後と2作目のラストで登場した人物が、今作でも全く同じ姿形と役柄で登場しています。
調べてみたら、「アイアンマン」と「マイティ・ソー」は「アベンジャーズ」というヒーローチームにおけるビッグ3のうちの2つみたいなんですよね。
「アイアンマン」でも「アベンジャーズ」の名前がやたらと強調されていましたし、アメコミにあまり詳しくない私的には「一体何なのだろうか、これ?」とずっと疑問に思っていたのですが(^^;;)。
そして、残る最後のビッグ3である「キャプテン・アメリカ」もまた、日本では今年の10月に劇場公開され、さらに「アベンジャーズ」自体も来年に映画としての公開が予定されているのだそうです。
当然、最低でも3つの作品の融合体となるであろう「アベンジャーズ」は、3作品のストーリーや設定を全て融合させることになるのでしょうが(特に「マイティ・ソー」の続きは「アベンジャーズ」に繋がっているようですし)、一体どういう形になるのか気になるところではあります。

映画のストーリーとしては、作中でソーの敵として描かれているロキの行動がいささか支離滅裂な感が否めませんでしたね。
要所要所では「いかにも悪役」と言わんばかりの策動を披露しているロキですが、ロキが最終的に何がやりたかったのかがまるで見えてこないんですよね。
物語序盤では、自らの出生の秘密を知ってオーディンに食って掛かるロキ。
中盤ではソーに対する嫉妬心をむき出しにしつつ、ラウフェイ相手にオーディン暗殺をそそのかし、王位を手に入れることをほのめかすロキ。
しかし、いざ首尾良くラウフェイがオーディン暗殺を達成しようとするまさにその寸前に自らそれを阻止し、ついでにラウフェイを葬ってしまうロキ。
ここまでならばまだ何とか理解可能な範疇だったのですが、物語終盤、ヨトゥンヘイムを滅ぼそうとした自分の行為をオーディンに否定されるや否や自分から死を選んだロキと、そのくせ実は生きていてまた性懲りもなく地球で蠢動していたラストシーンは全く理解不能です。
ロキの行動原理で終始一貫しているのはソーに対する嫉妬心だけで、父親であるオーディンに対する態度はブレまくっていますし、王位が目的にしてはおかしな行動が多すぎます。
父親を憎んでいたか、あるいはアスガルドの王位が欲しかったのであれば、ラウフェイにオーディンを殺害させた直後に「仇討ち」としてラウフェイを葬ってしまえば良かったはずですし、それが一番「自分が英雄と讃えられつつ」王位を手に入れる最善の方法でもあったでしょう。
実は父親に自分のことを認めてもらいたかっただけなのか、とも考えたのですが、それもラストシーンの描写で全て御破算になってしまいましたし。
結局、ロキが意図していた真の目的とは一体何だったのでしょうか?

映像や演出は良くも悪くもハリウッドスタンダードで、その手の描写が好きという方には文句なくオススメできる作品です。

映画「SUPER 8/スーパーエイト」感想

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映画「SUPER 8/スーパーエイト」観に行ってきました。
スティーブン・スピルバーグが製作を、J・J・エイブラムスが監督を担当したSF映画。1979年に実際に起こった事件を下地にした、映画撮影に情熱を燃やす少年少女達の活躍を描いた作品です。
なお、映画のタイトルにもなっている「SUPER 8」というのは、元々はコダック社が出した8ミリフィルムの名称なのだとか。

この物語の舞台は1979年。
物語序盤で、1979年にアメリカで実際に発生したスリーマイル島原発事故についての状況を報じているテレビニュース番組が流れていることから、それが誰でも一目瞭然に分かる構成になっています。
これが今現在における日本の日常風景の一部にまでなってしまっていることは何とも皮肉としか言いようがないのですが、それはさておき。
物語は、主人公ジョー・ラムの母親が事故で亡くなり、葬儀が行われている場面からスタートします。
葬儀の中、自分達が製作している映画の内容がゾンビを扱う作品であることから「撮影は中止だな」と嘆いているジョー・ラムの友人達。
当のジョー・ラムは葬儀が行われている家の外にあるブランコでひとり呆然と佇んでいたのですが、そこへ黄色い車が停車し、ひとりの風体悪そうな男が降りてきます。
彼は主人公の家に入っていくのですが、何故か家の中で騒動になった挙句、ジョー・ラムの父親で保安官でもあるジャック・ラムに引き立てられた挙句、パトカーに乗せられて連行されてしまいます。
これが物語後半である重要な伏線として生きてくるのですが、序盤はとりあえず意味ありげな描写に留まったまま話が進みます。

それから4ヶ月後のある日、ジョー・ラムの親友&映画撮影仲間のリーダー格で小太りの少年チャールズ・カズニックが、アリス・デイナードに映画撮影の協力を取り付けることに成功します。
誰にも邪魔されない無人の環境で撮影を行わなければならないことから、真夜中にこっそり家を抜け出して待ち合わせをすることになったジョー・ラムと映画撮影仲間達。
真夜中、集まった仲間達の下に、親の車を無断で拝借した上無免許運転でやってきたアリス・デイナード。
保安官の息子であるジョー・ラムが撮影仲間にいることに、アリス・デイナードは「親に告げ口されるのではないか?」という懸念から一旦は撮影協力を降りようとしますが、ジョー・ラムが「親には黙っている」と約束。
渋々ながらも了承したアリス・デイナードは、映画撮影仲間達を連れ、撮影現場となる無人駅へと向かうのでした。
撮影準備を進める最中、アリス・デイナードは劇中の登場人物としての演技を行うのですが、演技前はやる気なさげだったアリス・デイナードのかなり堂に入った演技ぶりに、一同からは感嘆の声が上がります。
この時ジョー・ラムがいかにも一目惚れしたような描写が挿入されているのはお約束ですね(苦笑)。
さらに本番撮影の準備を進める一同ですが、そこへ真夜中だというのに駅めがけて数十もの車輌を牽引する貨物列車が走ってきます。
迫力ある場面を撮影する千載一遇のチャンスと踏んだチャールズ・カズニックは、すぐさま撮影に入ることを決断し仲間達に指示、準備不足ながらも早速撮影が始まります。
駅を通過していく貨物列車を背景に順調に撮影は進んでいき、ご機嫌なチャールズ・カズニックをはじめとする仲間達ですが、ジョー・ラムはそこで、貨物列車の先頭車輌めがけて走ってくる1台の車を目撃します。
車は線路で90度ターンすると、線路の上を先頭車輌目指して走り始め、結果両者は見事に正面衝突することになります。
当然列車は脱線、さらに後続車輌が次々と玉突き事故を起こし、車輌が宙を舞うわ駅舎に直撃するわ、ついには危険物を満載していた車輌が爆発までするわの地獄絵図が現出し、主人公一同ももはや撮影どころではなく、我が身の安全を優先にただひたすら逃げるしかなくなります。
そんな中、横倒しになったとある車輌の中で「何か」が暴れ出し、叩きつけるような轟音と共に厚い鉄製の扉を吹き飛ばす描写がジョー・ラムの眼前で展開されます。
「あれは何なのだろう?」と疑問に思いつつも、何とか事態が一段落したこともあり集まってきた主人公一同は、事故の発端となった車を探し出します。
あれだけの事故だったにもかかわらず、車に乗っていた黒人男性は重傷を負いつつもちゃんと生きていて、しかも意識まではっきりとしていて、あまつさえ主人公一同に「このことは誰にも言うな」と警告する余裕までありました。
その警告に呼応するかのように事故現場へ殺到する謎の集団。
主人公一同はさっさとアリス・デイナードの車に乗り込みその場からさっさと逃走するのでした。
しかしその後、頻発する不可解な出来事に行方不明者の続出、さらにはいかにも秘密を抱えて現地で動き回る軍の存在など、小さな田舎町は次第に不穏な空気に包まれていきます。
様々な謎を抱えつつ、物語はさらに佳境へ入っていくことになるのですが…。

映画「SUPER 8/スーパーエイト」のハイライトは、やはり何と言っても、真夜中にこっそりと映画撮影をしている主人公達の眼前で発生する貨物列車事故ですね。
重量感溢れる貨物列車が次々と玉突き衝突して宙を舞い、轟音と共に周囲を破壊していく様はまさに圧巻で、これだけでも充分に映画を観る価値があります。
実はこの貨物列車事故はモデルとなっている実在の事件があるのだそうで、奇しくも同じ1979年にオハイオ州で発生した貨物列車事故をベースにしているのだとか。
元ネタはこれ↓

http://ow.ly/5pMvm

この列車事故には不可解なところがあり、事故処理にかかる費用が当時の相場で5万ドルだったのに対し、何と200万~1000万ドルもかかっていると当時の新聞では報じられたのだそうです。
この列車事故の不可解さと、宇宙人絡みの話として有名なエリア51関係の都市伝説的なエピソードの数々を組み合わせて、映画「SUPER 8/スーパーエイト」のストーリーが構築されているわけですね。

映画「SUPER 8/スーパーエイト」に登場する宇宙人は、人を襲う宇宙人として描かれながらも、元々は「たまたま地球に不時着して帰りたかっただけなのに、人間の実験台にされて敵意を抱くようになった被害者」としての一面も併せて描写されています。
例の貨物列車事故を起こした黒人男性も、彼の心情に共感して実験台にすることに反対し、それが元で軍を追放され、それでも宇宙人を助けようとして事に及んだのだそうです。
この辺りは「宇宙人=絶対悪の侵略者」として描かれがちなスタンダードなハリウッド映画とは一線を画していますね。
まあ元々、「人間と宇宙人との心の交流」を描いた映画「E.T.」を製作した経歴を持つスティーブン・スピルバーグが今作でも製作を担っているわけですし、その系統の流れを汲んでいるだけではあるのでしょうけど。
物語終盤にも、まさに「E.T.」そのものの「主人公と宇宙人による心の交流」的なやり取りもありましたし。
「E.T.」のストーリーを少しでも知っていたら、「ああ、やっぱりこういう描写があるのか」と思わず頷いてしまうこと請け合いですね(笑)。

映画「SUPER 8/スーパーエイト」のラストを飾るエンドロールでは、主人公をはじめとする映画撮影チームが製作した手作り映画が披露されています。
作中でもしばしば撮影シーンが描写されていましたが、「ここであのシーンが使われているのか」と楽しく観賞できます。
なので、エンドロールが始まっても、席を立たずにそのまま映画を観賞し続けることをオススメしておきます。

映画「スカイライン-征服-」感想

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映画「スカイライン-征服-」観に行ってきました。
エイリアン達の地球侵略を、戦う術を持たないごく普通の一般人の視点から描くSFディザスター・ムービー。
この作品、私の地元熊本では熊本市中心部にある熊本シネプレックスでしか上映されていなかったので、久々に中心部まで出向いての映画観賞になりました。
なお、頭をもぎ取って脳を取り出すという描写があるためか、この作品はPG-12指定されています。

この映画の舞台はアメリカのロサンゼルス。
主人公ジャロッドと彼女であるエレインは、ロサンゼルスで仕事に成功し高級マンションのペントハウス(屋上階)に住居を構える親友のテリーに会うため、ロサンゼルスへやってきます。
その夜、テリーのペントハウスでどんちゃん騒ぎなパーティーが行われるのですが、その最中、気分を悪くしたエレインから、ジャロッドは彼女が妊娠していることを聞かされます。
「何故黙っていた?」「パーティーの邪魔をしたくなかったからよ」と口論になり、半ば気まずくなりつつも、その日はとにかく皆眠りにつきます。
そして夜も更けた午前4時27分、突如それは始まるのです。
ロサンゼルスの各所に落下する青白い光。
それを見た人間は、顔から全身に黒い血管のようなものが浮かび上がり、目も白濁状態となって魅入られた後、光に吸い込まれて忽然と姿を消してしまうのです。
ペントハウスで宿泊していた男性のひとりがそうやって青白い光に魅入られ、姿を消してしまいました。
ジャロッドも同様の症状を発症して吸い込まれそうになりますが、間一髪のところで周囲が止めに入り、何とか窮地を脱します。
一定時間同じ場所に留まり続けた後、やがて飛び去っていく青白い光。
しかしそれは、3日間続くことになるエイリアン達の絶望的な侵略の始まりに過ぎなかったのです。

映画「スカイライン-征服-」では、圧倒的な武力を誇るエイリアン達の前に、人間達が如何に無力であるかが描写されています。
ペントハウスから脱出して海に向かい、クルーザーで逃げようと画策するも、ロサンゼルスの街を闊歩するエイリアン達の妨害に遭い、脱出ができない主人公達。
ロサンゼルスの異常事態に緊急出動した軍隊も、エイリアン達の攻撃の前に多大な犠牲を出してしまいます。
多くの戦闘機と爆撃機を送り込み、司令塔となっているであろう大型宇宙船に核ミサイルを撃ち込むという作戦も実施されたのですが、エイリアン達の怒りを刺激した挙句、肝心の宇宙船自体、わずか1日で自然回復し再浮上してしまうありさま。
エイリアン達は人間の脳が好みのようで、人間の頭をもいで脳を取り出す描写が複数あります。
2日目が人間達の反撃のクライマックスだったようで、3日目にはもう反撃が止まっているような感じでした。

何故エイリアン達が地球に侵略してきたのかについては、最後まで全く言及されておりません。
あくまでも「突然の異常事態に右往左往する人間達の様子」を描くのがメインの作品であり、結末も「劇的に人類が救われる」ようなものではなく、かなり暗い未来が暗示されています。
過去に私が観に行ったことのある映画でいうと、2005年公開映画「宇宙戦争」と2008年公開映画「クローバーフィールド/HAKAISHA」を足し合わせたような作品となるでしょうか。

映画「スカイライン-征服-」は、同じようにエイリアンからの侵略を描いている映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」との関連性を想起せずにはいられませんね。
舞台が同じロサンゼルスなのに加え、両作品共に同じ「ハイドラックス」という会社がVFXの製作を手掛けています。
この件では、「世界侵略:ロサンゼルス決戦」の製作を「ハイドラックス」に依頼していたソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント社が、「ハイドラックス」に対して告訴も辞さない構えを見せ、騒ぎにもなっています。
結局、この騒ぎは双方和解で決着したようではあるのですが↓

http://twitter.com/skyline_seihuku/status/81724431193473024
<ハーイ!スキルとマネーを持った永遠のティーン、グレッグ・ストラウスだよ。ボクタチガKUFU(工夫)シテ撮ったエイガガアスコウカイだ。「LA決戦」トの訴訟ハ和解ズミさ。SONYとも今後もシゴトするシネ。6.18 明日、人類の明日を目撃セヨ>

ただあまりに似ている構成の両作品、色々な「大人の事情」についての想像力を刺激される関係ではありますね。
まあ、今作と「世界侵略:ロサンゼルス決戦」の予告編を見る限りでは、作中で描かれているエイリアン達の描写はかなり違うようではあるのですが。
すくなくとも「世界侵略:ロサンゼルス決戦」の方には、エイリアン達が青白い光を発したり人間を吸い上げたり脳を取り出したりといった描写はないようですし。
設定的にも物語的にも繋がっていたりしたら却って面白いのではないかと思うのですけどね(苦笑)。

有名なハリウッドスターが出ているわけでもなく、また結末もすっきりしないこともあって、お世辞にも大ヒットするようなタイプの作品とは言い難いですね。
エイリアン関連の描写については確かに良く出来ていましたけど。

映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」感想

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映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」観に行ってきました。
アメリカのマーベル・コミックのアメコミ「X-MEN」シリーズのスピンオフ作品。
歴史上の事件であるキューバ危機を舞台に「X-MEN」に登場するプロフェッサーXとマグニートーの若き日の活躍を描いた物語となります。
ただ私の場合、過去の「X-MEN」シリーズの映画版は、同じくスピンオフ作品で2009年公開の「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」しか観たことがなく、本編3部作は全く観ていなかったりします(^^;;)。

全ての始まりは1944年まで遡ります。
ユダヤ人で後のマグニートーとなるエリック・レーンシャーは、ナチス・ドイツのホロコーストに巻き込まれ、母親から引き離されてしまいます。
その際、周囲の兵士達の制止を引き摺って強大な力を行使したエリックを、当時ナチス党に所属しシュミットと名乗っていたセバスチャン・ショウが目をつけます。
セバスチャン・ショウはエリックの目の前で母親を殺すことでその力を引き出させることに成功し、その代償としてエリックから多大なまでの憎しみを買います。
エリックはその後、ナチス狩りに精を出しつつ、セバスチャン・ショウの行方を追うことになります。
一方、後のプロフェッサーXとなるチャールズ・エグゼビアは、同じ1944年に食糧を盗むため自分の家に侵入してきたミスティークと出会います。
チャールズは自身の異能である読心能力でミスティークの正体を見破ると共に彼女を受け入れ、以後ミスティークはチャールズの義妹として成長していくことになります。
ミスティークは最初チャールズのことが好きだったようで、チャールズと恋人関係になるモイラ・マクタガートに嫉妬心を露にしていたりします。
ちなみにミスティークは多情な女性なのか、作中ではチャールズ→ハンク→エリックと、とっかえひっかえ的に男に惹かれていた感がありましたね(苦笑)。

プロフェッサーXとなるチャールズと、マグニートーことエリックの2人が出会ったのは1962年。
そのきっかけは、エリックが目の仇にしているセバスチャン・ショウの陰謀にありました。
彼は当時の米ソ冷戦を煽って第三次世界大戦を勃発させ、両者が共倒れした世界で自分が全人類の支配者になることを目的に、当時の米ソの政軍関係者を裏から操っていたのでした。
セバスチャン・ショウはまず、ラスベガスでアメリカの軍関係者と接触し、彼を通じて対ソ核ミサイルをトルコに配備させ、ソ連を刺激することに成功します。
しかしその際、CIAエージェントであるモイラ・マクタガートが偶然一部始終を目撃。
テレポートや身体をダイヤモンドに変異させるミュータント能力に驚いたモイラ・マクタガートは、エリックに協力を求めることになります。
一方、首尾良く計画の第一段階が上手く行ったセバスチャン・ショウは、滞在していたクルーザーで仇として狙っていたエリックからの襲撃を受けます。
エリックはクルーザーをズタズタに破壊したものの、肝心のセバスチャン・ショウには仲間のミュータント共々クルーザーに格納されていた潜水艦で逃げられてしまいます。
この時、生命の危険も顧みず海に潜っていく潜水艦を追わんとするエリックと、テレパス能力を駆使してセバスチャン・ショウの居場所を突き止め近くでマークしていたチャールズが、ここで初めて邂逅するのです。
最初は隔意ありげに接していたエリックもやがてチャールズと打ち解け合い、2人は無二の親友関係になっていきます。
そして、セバスチャン・ショウとそのミュータント仲間の力に対抗するため、2人は世界各地に散らばっているミュータント達を集め始めます。
その際、前作である「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」の主人公であるローガンに2人が声をかけ、「おととい来い」と返されてあっさりと去っていくサービスシーンが挿入されています。
この辺りはシリーズ物ならではのお約束と言ったところでしょうか。

一方、セバスチャン・ショウの画策はさらに進み、ソ連の高官を操ってついにキューバに核ミサイルに配備させる決断を下させることに成功。
これが歴史上の事件でもあるキューバ危機に繋がり、そしてこのキューバ危機を舞台にチャールズ・エリックとセバスチャン・ショウがそれぞれ率いるミュータント同士の戦いが繰り広げられることになるわけです。

映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」は、CGを駆使したSFXな描写もさることながら、キャラクター毎の人間ドラマなエピソードにも力が入っていますね。
プロフェッサーXが何故いつも車椅子に乗っているのか?
マグニートーが何故いつもヘルメットを被っているのか?
その他、「X-MEN」シリーズに纏わる様々な謎や設定が今作で分かるようになっています。
また、ミュータントであるが故にそれぞれの登場人物達が抱え込んでいる葛藤や決断なども上手く描写されており、ある意味SFXな描写以上に見所のひとつですね。
ただ、物語終盤で自分達の主人をエリックに殺されたセバスチャン・ショウの旧部下達が、いともあっさりとエリックに乗り換えたのには少々疑問を覚えずにはいられませんでした。
比較的新参で飛行能力を持つエンジェルはともかく、テレポート能力を駆使する赤悪魔風のアザゼルと、竜巻を繰り出すリップタイドは「いかにも忠臣」的なスタンスだったというのに。
母親を殺されたエリックのごとく主人の仇を討とうとは考えなかったのでしょうか、彼らは。
もっとも、彼らがセバスチャン・ショウにどれくらい忠誠を誓っていたのかについては議論の余地もあるでしょうし、彼らにしてみれば「自分達の目的が達成できるのであれば上司は誰でも良い」的な心境だったのかもしれませんが。
セバスチャン・ショウもエリックも、「母親殺し」というただ1点において対立していただけで、ミュータントと人間に対する認識と目的はどちらも同じでしたからねぇ。

あと同じく終盤、あそこまで対立が決定的になったのですから、どうしてエリックは自分にとって将来的な脅威となるであろうチャールズを、下半身不随状態になったのに乗じてチャッチャと殺しておかなかったのかと、物語の整合性を損ないかねない疑問も覚えてしまったものでした。
あの状態だったら赤子の手を捻るよりも簡単だったはずなのですけどね、後のプロフェッサーXことチャールズの殺害は。
もちろん、本当にそんなことをしてしまったら、その後の「X-MEN」シリーズのストーリーは全部消えて無くなってしまうのですから、シリーズ作品的には当然のごとく不可能な話だったでしょう。
しかし作品論的に見れば、マグニートーことエリックにとって、プロフェッサーXことチャールズとの今後の対立はあの時点で充分に予測できるものだったはずですし、作中でも無辜の米ソ兵士達を無差別虐殺する決断を躊躇なく下していたはずのエリックが、変なところで甘いなぁとは思わずにいられませんでしたね。
ここで虫の息だったチャールズを殺しておかなかったばかりに、エリックは後々余計な苦労をする羽目になったと思うのですが。

映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」の製作会社である20世紀フォックス社は、今作を「新三部作の1作目」として位置づけているのだそうで、シリーズ構想自体が中止に追い込まれなければ続編があと2つは製作されることになります。
ストーリー的にも演出的にもまずまずの出来な今作を見る限り、続編も充分に期待できそうではありますね。

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