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カテゴリー「洋画感想」の検索結果は以下のとおりです。

映画「アジャストメント」感想

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映画「アジャストメント」観に行ってきました。
フィリップ・K・ディックの短編小説「調整班(Adjustment Team)」を原作とする、マット・デイモン主演のSF恋愛サスペンス作品。
2011年に入ってから観賞したマット・デイモン主演の映画は、「ヒアアフター」「トゥルー・グリット」に続きこれで3作目になります。

物語は、元バスケットボール選手でアメリカ上院議員候補として選挙を戦っていたデヴィッド・ノリス(マット・デイモン)が、選挙戦を有利に進めていながら、本番となる選挙の直前に酒場で下半身露出というスキャンダルをやらかし、結果落選の憂き目を見る羽目になるところから始まります。
敗北に直面したデヴィッド・ノリスは、敗北宣言を行う際の演説の内容をひとりで考えるため、男子トイレに入ります。
「誰か入っていますか?」という確認に返答がなかったのでしばらく演説のシミュレーションを展開するデヴィッド・ノリスですが、イマイチながらも一通り考えがまとまりかけたところで、トイレの中から突然女性の声がかけられます。
その女性エリースとの会話から何らかの天啓でも受けたのか、デヴィッド・ノリスは敗北宣言で当初考えていた演説の内容を変更し、結果として民衆に好印象を与える演説を行うことに成功します。
しかし、実はこの2人の出会いは、作中にチラチラ登場するシルクハット帽子をかぶった謎の男達によって意図的に演出されたものだったのです。
そして、彼らの当初の考えでは、2人はここで二度と会うことはなかったはずでした。

選挙の敗北宣言後、デヴィッド・ノリスは、彼の幼馴染で選挙参謀でもあったチャーリーが勤務しているとあるベンチャー企業に役員として招かれ就任します。
役員就任後のある日の朝、デヴィッド・ノリスはチャーリーからの電話で、太陽光発電などの環境系に資金援助を行うよう提言しますが、チャーリーはコストがかかることを理由に難色を示します。
適当なところで電話を切り、朝起きた際に入れたコーヒーを片手に持ったまま、デヴィッド・ノリスは会社に出社します。
ここで再び登場する謎の男2人。
そのひとりリチャードソンは、もうひとりの男ハリーに対し、デヴィッド・ノリスが片手に持っていたコーヒーを、7時5分にこぼすよう指示します。
ハリーは公園で待ち伏せして指示を実行するつもりだったのですが、デヴィッド・ノリスを待っている間にうたた寝してしまったハリーは、予定の7時5分になっても起きることがなく、デヴィッド・ノリスは予定時刻にコーヒーをこぼすことなくバスに乗り込んでしまいます。
このハリーのミスが全ての元凶となり、事態は思わぬ方向へ進展することになります。
まず、本来二度と出会うはずがなかったデヴィッド・ノリスとエリースが、乗り合わせたバスの中で再会してしまいます。
バスを必死になって追いかけるハリーは、遠隔操作のような能力を駆使してバスの中にいるデヴィッド・ノリスのコーヒーを何とかこぼしますが、既に手遅れでまるで意味のない行動でした。
そしてさらに、謎の男達の予定よりも早く会社に到着したデヴィッド・ノリスは、そこで時が止められたような状態で固まっている会社員達と、正体不明の機器を使って彼らをなで繰りまわしている謎の男達の集団を目撃することになります。
異様な雰囲気に驚いたデヴィッド・ノリスはただちにその場から逃走を図りますが、何故か行く先々で謎の男達にことごとく先回りされてしまい、デヴィッド・ノリスは多勢に無勢で押さえつけられ眠らされてしまいます。

次にデヴィッド・ノリスが目覚めると、そこはだだっ広い倉庫だか駐車場のような場所。
彼を拉致し、周囲を取り囲んでいる謎の男達は、自分達のことを「運命調整局(アジャストメント・ビューロー)」と名乗り、超常的な能力を披露します。
そしてデヴィッド・ノリスに対し、自分達のことを一言半句も他人にしゃべらないこと、そしてエリースに二度と会わないよう強要します。
「何故彼女に会ってはいけないのだ?」というデヴィッド・ノリスの質問にも「秘密だ」以外の回答が返ってくることはなく、バスで出会った際にもらった、デヴィッド・ノリスとエリースの唯一の繋がりだった彼女の電話番号が記されたメモも燃やされてしまいます。
しかも解放された後に行われた会社の会議では、朝の電話の会話で太陽光発電の投資を渋っていたはずのチャーリーが、全く正反対の賛成の立場に転じており、「調整(アジャストメント)」の恐ろしさがデヴィッド・ノリスの眼前で展開されるのです。
これでデヴィッド・ノリスとエリースの恋も終わったかに思われたのですが、しかしデヴィッド・ノリスは想像以上にしぶとい人間でした。
彼は何と3年以上もかけて同じバスに乗って通勤し続けることで、ついに彼女を探し当て、3度目の再開を果たすことに成功するのです。
この異常事態を当然のごとく察知して2人の仲を引き裂かんとアレコレ工作を始める「運命調整局」の面々。
かくして、デヴィッド・ノリスの運命を巡る「運命調整局」との戦いが繰り広げられることになるのです。

映画「アジャストメント」は、今作と同じくマット・デイモンが主人公(のひとり)を演じている映画「ヒアアフター」と同様、哲学的な要素が極めて強い作品です。
「ヒアアフター」のテーマが「死後の世界」ならば、「アジャストメント」のそれは「運命の重み」「運命に逆らうことの難しさ」といったところでしょうか。
面白いのは、他人の運命を左右する「運命調整局」の面々は、決して悪意からデヴィッド・ノリスに干渉しているのではないという点です。
むしろ彼らは「人類にとって最悪の未来を回避すること」を目的に、つまりある種の「善意」に基づいて他者の「運命」を調整しているわけです。
作中でも、「ハンマー」の異名を持つ「運命調整局」所属のトンプソンなる存在が、人間の運命を人間自身に委ねるとロクでも事態が起こるということを、ヨーロッパ中世の暗黒時代と2度の世界大戦&冷戦を例にデヴィッド・ノリスに説明している描写があります。
彼の説明によれば、デヴィッド・ノリスは将来、上院議員四選の末にアメリカ大統領までのし上がる「運命」の人物であり、それが「最悪」を回避できるものであるが故に彼に干渉しているのだとのこと。
個人の我欲で動いているわけではないが故に、「運命」の重みというものが感じられる描写でしたね。

主演のマット・デイモンも、かつては「ボーン・アイデンティティー」「ボーン・スプレマシー」「ボーン・アルティメイタム」の3部作シリーズや「オーシャンズ11~13」シリーズなどといった「アクション物」をメインにこなしていたので、アクション俳優としての印象が強かったのですが、最近の作品はどちらかと言えばアクションシーンが控えめですね。
「ヒアアフター」は完全にアクションがありませんでしたし、「アジャストメント」も全体的にはアクションが少なく、ストーリー性や作品テーマで勝負しているような感じです。
まあ過去作自体、ボーンシリーズや「グリーン・ゾーン」などのように「アメリカの暗部」を炙り出しているようなところがありますから、ストーリー&作品テーマ重視の方針は昔から一環していたのかもしれませんが。
マット・デイモン的にはそういう作品の方がやはり好みなのでしょうかね?

あと、作中に出てくる「運命調整局」のアイテムや異能がこれまた面白いですね。
機械の設計図のような幾何学模様の中を、FXチャートのような軌跡を残しながら走り続ける青い光点と、明らかにヤバそうな雰囲気をかもし出している赤い光点が描かれ続ける「運命の書」。
光点が一体何を意味するのか、その原理は作中で全く何にも説明されておらず、「接触点」云々の専門用語まで出てくるのに、雰囲気自体は何となく分かるというシロモノ。
ラストで幾何学模様が消えていった真っ白な右半分を青い光点が走っていくシーンは、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」の終盤近くのシーンを想起させるものがありました。

ドアを開けると何故か全く別の場所に繋がる「どこでもドア」的な能力。
こちらもやっぱり原理は何も説明されないものの(帽子があれば誰でも使えるらしいのですが)、映画の中における描写としては上手いものがありましたね。
特に物語終盤は、「ただドアを開けていくだけ」のシーンをアレだけテンポ良くかつ格好良く描いているわけですから。
ああいう観せ方もあるのか、とここは結構感心したところだったりします。

全体的な構成としては、「哲学的な要素を大量に盛り込んだ恋愛映画」といったところになるでしょうか。
アレだけ主人公に(表面的に見れば)ソデにされまくり、最初はそのことに怒りまくるのに、それでも最終的には主人公についていく女性エリース・セラスには「何とも忍耐強い女性だなぁ」という感想を抱かずにはいられませんでしたが(苦笑)。
まあその部分も「運命的な結びつきの強さ」というものを表現するためのものではあるのでしょうけどね。

映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命(いのち)の泉」感想

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映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命(いのち)の泉」観に行ってきました。
ジョニー・デップが演じるキャプテン・ジャック・スパロウを主人公とする海賊冒険作品。
実はこのシリーズの作品、過去の3部作は映画館どころかテレビでさえも一度も観たことがなく、4作目となる今作が初めてのシリーズ観賞ということになりました(^^;;)。
この映画は3D版でも公開されていますが、私が観に行ったのは2D版となります。
3Dっていちいち専用の赤青メガネをかけなければならないし、作品によっては2Dとほとんど見た目が変わらないこともあり、カネが余計にかかるだけでどの辺りに魅力があるのかイマイチ分からないんですよね。

物語の始まりは、スペインのとある漁師達が引き上げたゾンビが、「生命の泉」のことが記されている200年前の伝説の海賊であるポンセ・デ・レオンの航海日誌を手に入れ、スペインが国として「生命の泉」探索を決定することが発端となります。
一方その頃、イギリスのロンドンでは、牢獄に囚われの身となっていたキャプテン・ジャック・スパロウの公開処刑が行われようとしていました。
ところが、いざ裁判の場に連行され、顔を隠していた覆面が外された時、そこにいたのはジャック・スパロウではなく、彼の相棒だったギブス。
「俺はジャック・スパロウではない!」と主張するギブスの前に現れたのは、何と裁判長に擬態したジャック・スパロウその人でした。
裁判長ジャック・スパロウは、いかにも投げやりに裁判過程をすっ飛ばした挙句、「ジャック・スパロウ」扱いされているギブスに対し終身刑を言い渡、娯楽としての公開処刑を望む民衆からの罵倒を受けつつとっととその場を後にします。
その後ジャック・スパロウは、再び牢獄に連行されていくギブスの馬車に一緒に搭乗。
馬車を引く御者をも買収し、ギブスと一緒にロンドンから逃亡する算段を立てていました。
その際ジャック・スパロウは、自分の名を騙る人間が「生命の泉」を目指すために船の乗組員を募集しているという噂話をギブスから聞かされます。
どこで手に入れたのか「生命の泉」にまつわる地図を所持していたジャック・スパロウは、その話に怪訝な顔をするのですが、その最中、予定よりも早く馬車が停止します。
しかし馬車を降りたジャック・スパロウを待っていたのは、バッキンガム宮殿の広場のど真ん中で自分達に銃剣を突きつける衛兵達。
再び囚われの身となってしまったジャック・スパロウは、時のイギリス国王ジョージ2世の前に引き据えられ、「生命の泉」に関する情報を出せと迫られます。
処刑をも示唆されて脅迫されたジャック・スパロウは、ここから一大脱出劇を敢行。
ここからしばらく、17~18世紀当時のロンドンの街を舞台にしたアクションシーンが繰り広げられます。

紆余曲折の末、からくも衛兵達の追撃から逃れたジャック・スパロウは、たまたまそこで偽物の自分が乗組員募集を行っているという酒場に鉢合わせします。
そこで自分の名を騙っていたのは、かつて修道院?でジャック・スパロウが愛の告白をした女海賊アンジェリカ。
彼女はジャック・スパロウに対し「生命の泉」を一緒に探そうと誘いをかけるのですが、「生命の泉」にあまり興味がないジャック・スパロウは当然のごとく拒否。
ここでもすったもんだのゴタゴタの末、結局ジャック・スパロウはアンジェリカの部下に眠らされた挙句、彼女の船に強制連行され、その後「父親」である黒ひげの脅迫もあって「生命の泉」探索に無理矢理協力させられることになってしまいます。
一方、ジャック・スパロウに逃げられたイギリス側では、海賊なのにイギリス海軍に取り入った、過去3部作におけるジャック・スパロウの宿敵バルボッサ。
彼は「生命の泉」に興味を持ち、かつライバル国でもあるスペインに対抗する気満々のジョージ2世からの命で、イギリス海軍の船1隻を率いて「生命の泉」探索へと向かうことになります。
かくして、永遠の生命が与えられるとされる「生命の泉」を巡り、イギリス軍・スペイン軍・海賊達の三つ巴の戦いが展開されるわけです。

今作を観てまず驚いたのは、やはり何と言ってもジョニー・デップの好演ですね。
コメディタッチな演技とアクションシーンは、私が初めて観賞したジョニー・デップ主演映画「ツーリスト」からは到底想像もつかない高レベルなものでした。
もちろん、ジョニー・デップおよび彼のファン的には「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズにおけるアクション演技が本来の姿であり、「ツーリスト」のあのショボ過ぎるアクションシーンの方が論外なシロモノだったのでしょう。
しかし、「ツーリスト」で初めてジョニー・デップを観た私としては、そちらの印象が強かったこともあって驚かざるをえなかったわけです。
こんなことなら過去作もきちんと観ておけば良かったか、とつくづく思わずにはいられませんでしたね。

また、作中では微妙に影が薄いスペイン軍の目的が「国としては」およそ支離滅裂に満ち満ちたシロモノだったのも個人的にはかなり衝撃的でしたね。
せっかく「生命の泉」を手に入れる好都合なチャンスが自分のところに巡ってきたにも関わらず、彼らがやったことはと言えば「永遠とは神に対する信仰によってのみもたらされるべきものである」という理由から「生命の泉」を破壊するというものでした。
「生命の泉」を破壊するためだけのために軍艦3隻と多くの兵士達を派遣するスペインは、今回の遠征に一体どんな国益や見返りを求めていたのか、はなはだ理解に苦しむものがあります。
「生命の泉」がもたらす利益を求めたイギリス国王ジョージ2世や、「生命の泉」の領土宣言を行おうとしてスペイン軍に撃ち殺されたイギリス軍将兵の方が、国の方針としてははるかにマトモに見えます。
海賊であるバルボッサを利用して「生命の泉」を探させたのも、イギリス的には自国の国益のための一環であったわけですし。
スペインの目的は「生命の泉」がもたらす利益や国益を目指したものではなく「国を挙げての十字軍的な狂信」に基づいたシロモノでしかなかったわけで、こういうのは個人としてはともかく「国としては」絶対にやってはいけないことだったのではないかと思えてならないのですけどね。
略奪による利益すらも全く上げられなかったわけですから、現場のスペイン軍にとっても「骨折り損のくたびれ儲け」以外の何物でもなかったでしょうに。
3つ巴の構図自体は結構面白かったのですが、スペイン軍については「一体何しにやってきたんだよ」とツッコミを入れずにはいられなかった次第です。

物語の最後は明らかに続編が作られるような終わり方をしており、またスタッフロールが終わった後にも、アンジェリカがある「強力な武器」を手に入れるエピソードが挿入されています。
実際にあと2本続編が作られることも既に決まっているのだそうで、今後も期待されるであろうシリーズ作品と言えるでしょうね。

映画「エンジェルウォーズ」感想

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映画「エンジェルウォーズ」観に行ってきました。
精神病院に収容された少女が、幻想的な世界で自由に手にするため戦っていくアクション・ファンタジー作品。
「エンジェルウォーズ」というのは日本の映画配給会社が名付けた邦題で、原題は「Sucker Punch(サッカーパンチ:予想外の殴打)」というのだそうです。

この映画は、主人公である少女の母親が死に、遺産相続を巡って義父との間で家庭内トラブルが発生するところから始まります。
「自分の遺産は全て2人の娘に与える」という遺言書の内容に激怒した継父は、主人公を部屋に閉じ込め、妹であるもうひとりの黒髪の少女をその手でくびり殺してしまいます。
さらに継父は主人公に妹殺しの濡れ衣を着せてレノックス精神病院に隔離し、病院の用務員であるブルーという男にカネを渡し、ロボトミー手術を施すよう依頼します。
ブルーは当初1400ドルのカネを提示されるものの、秘密が漏れる可能性を示唆して金額を2000ドルにつり上げ継父に無理矢理承諾させると、5日後に医者を来させて手術を行わせると約束します。
そしてロボトミー手術が行われ、医者に銀製の杭を頭に打ち込まれるまさにその寸前、突如世界が変貌します。
舞台となっているはずの精神病院は、訳有りの女性ダンサー達が売春婦として客を取る秘密クラブとなり、ブルーはその秘密クラブのオーナーということになってしまうのです。
何故そのような変貌が起こったのかは物語終盤でおぼろげながら見えてくるのですが、全般通じて作中では具体的な説明がなく、その場面だけでは何が何だか全く分からぬまま物語は進行していきます。
とにかく、この秘密クラブに連れてこられた(という設定に変わっているらしい)主人公の少女は、クラブ内における「源氏名」としてベイビードールという名前が与えられ、以後、作中ではこの名前で主人公は呼ばれていくことになります。

ベイビードールはダンサー達のまとめ役的な存在であるベラ・ゴルスキーに、皆が集まっているダンスルームでダンスを踊るよう指示されます。
最初は全く動けないでいるベイビードールですが、ベラ・ゴルスキーの奇妙な語りかけによってやる気になり、再び流れてきた音楽に合わせてダンスを踊り始めます。
するとその瞬間、目の前の光景が日本の寺院のような場所に変わり、ベイビードール自身もまたヘソ出しのセーラー服を纏った姿となります。
寺院の中に入っていくと、そこには日本刀を磨いているひとりの男の姿が。
その男ワイズマンに「何を求める?」と問いかけられたベイビードールは「自由を手にしたい」と回答。
するとワイズマンは、ベイビードールに必要となる5つのアイテムを教えると共に日本刀を手渡し、「この刀を手にした時、戦いが始まる」と告げます。
5つのアイテムの内容は、地図・火・ナイフ・鍵、そして最後のひとつは謎で、その答えは自分で見つけなければならないとされています。
そして、日本刀を手にすると同時に背後から現れる3つの巨大鎧武者。
マトリックス的なアクションシーンがひとしきり繰り広げられ、ベイビードールが勝利を収めた後、またも世界が変転し、最初に踊っていたダンスが終わった直後の状態でベイビードールは佇んでいます。
周囲からは「素晴らしいダンスだ」と拍手と賞賛の嵐が起こり、どうやらダンスを踊っている間、架空の世界で戦いが繰り広げられるらしいことが明示されます。
ベイビードールはワイズマンが挙げた5つのアイテムを獲得し自由を得るために、自分と同じ境遇を持つスイートピー・ロケット・ブロンディ・アンバーという4人の少女達と共に、秘密クラブ内ではダンスを踊りつつ、その最中に展開される幻想の世界で戦いを遂行していくことになるのです。

映画「エンジェルウォーズ」の世界は3重構造となっています。
その世界の構成は以下の通り↓

第1層:現実世界(レノックス精神病院)
↓↑
第2層:現実世界で主人公が空想している世界(ダンサー達の秘密クラブ)
↓↑
第3層:ベイビードールがダンスを踊っている最中に展開される戦いの幻想世界

第2層と第3層の往来は、ベイビードールのダンスが始動キーになっていることもあり結構分かりやすいのですが、第1層と第2層の変わり目が非常に分かりにくいんですよね。
しかも第1層と第2層の行動はカブっている部分があるみたいですし。
物語終盤に主人公はロボトミー手術が施された状態で再び第1層に戻ってくるのですが、その直前に第2層で起こしていた破壊活動の痕跡が第1層の精神病院にも残っていたりします。
また、第2層で秘密クラブからの逃亡に成功したスイートピーは、第1層でも逃亡生活を送っています。
これから考えると、第2層は第1層で実際に起こった事件および各キャラクターの言動を元にして主人公の頭の中で構築された世界である、という仮説が成り立つのではないでしょうか。
第1層で具体的に何が起こったのかについては作中で全く語られないため、そう推察するしかないのですが。
ただ、第3層で主に登場していたはずのワイズマンは、物語の最後にスイートピーの逃亡を手助けするバスの運転手として第1層でも登場しており、この辺が何とも微妙な謎を残すところではあります。

第3層で繰り広げられるアクションシーンでは、日本のマンガやアニメが元ネタと思しき兵器や敵が多数登場しています。
主人公が手にする日本刀や最初の戦いの巨大鎧武者もその類ですし、前面に日本語が書かれているロボットのような兵器も登場します。
敵もナチス・ドイツもどきのゾンビ兵団だったりドラゴンだったりターミネーターもどきだったり、FFシリーズに登場するような未来都市や列車も出てきたりと、もう何でもありの世界です。

作中のストーリーは最初から最後までかなり暗い部類に入ります。
冒頭部分からして母の死・妹殺しの冤罪・精神病院収容・ロボトミー手術と暗い要素が目白押しですし、その第1層を元に作られた第2層もまた、残虐非道なブルーによって仲間達が殺されていったりしています。
延々と殺し合いが続いているはずの第3層が、主人公含むヒロイン達が一番生き生きしているように見えるのも何だか皮肉ですね。
これで結末が明るければまだ救いもあるのですが、その結末もやっぱり暗いの一言ですし。
5人のうち生きているのは2人だけで、しかも主人公はロボトミー手術で廃人状態、スイートピーもひたすら逃亡生活を続ける羽目になる、というラストは、結局「自己満足」以外の何の救いがあったというのでしょうか?

アクションシーンは良く出来ていると思うのですが、基本的にバッドエンド嫌いの私としては評価が低くならざるをえない作品と言えますね。

映画「ガリバー旅行記」感想

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映画「ガリバー旅行記」観に行ってきました。
アイルランドの風刺作家ジョナサン・スウィフト原作「ガリバー旅行記」を現代に合わせてアレンジした、コメディ系のファンタジー・アドベンチャー作品です。
この映画は3D版も公開されているのですが、私が観に行ったのは2D版になります。

この映画の主人公ガリバーは、アメリカ・ニューヨークの新聞社で郵便仕分けの仕事に従事する、虚言癖のあるチキンな人物として描かれています。
彼には新聞記者になる夢を抱いていたり、ダーシーという女性に5年も片思いをしていたりするのですが、チキンな性格が災いして夢を諦めてしまい、結果として郵便仕分けの仕事に10年近くも甘んじていたのでした。
新しく郵便仕分け係に赴任した部下がたったの1日で昇進し自分の上司となってしまった挙句、「君はこれ以上成長できない」的なことを言われていたのには、正直哀れみを誘うものがありましたね。
しかし、そんなガリバーにも、ふとしたことからチャンスが訪れます。
ダーシーに告白だかデートの約束だかをこぎつけようとした際に口から出たウソから、彼はダーシーから旅行記者としての仕事を手に入れる機会に恵まれるのです。
その際、明日までに旅行記者としてのレポートをまとめて提出するよう言われるのですが、当然文才もなければ知識もないガリバーにそんなことができるわけもありません。
そこでガリバーは、ネット上に掲載されている旅行記事の文章をいくつかコピペし自分のレポートとしてでっち上げるという、どこかの唐○俊一のP&Gのごとき神業を駆使してレポートを作成し提出。
結果、(後日にバレるものの)その場では見事にダーシーをダマくらかすことに成功し、バミューダ・トライアングル取材の仕事を勝ち取ることに成功するのです。
しかし、いざ自動操縦の船に乗り込んでバミューダ・トライアングルの海域へと向かったガリバーは、目的地近くの海域で突如大嵐に見舞われた挙句、巨大な竜巻に船ごと飲み込まれ意識を失ってしまいます。
そして次にガリバーが目覚めた時、そこには浜辺で小人達に囲まれ、がんじがらめにされて横たわっている自分の姿があるのでした。
小人の国リリパットにおけるガリバーの旅行記がここから始まるのです。

映画「ガリバー旅行記」一番のセールスポイントは、やはり何と言っても主人公ガリバーを演じ製作総指揮も担っていたジャック・ブラックですね。
ジャック・ブラックが出演している映画の中で私が観た作品としては、1995年公開映画「ウォーターワールド」と2005年公開映画「キング・コング」があります。
特に映画「キング・コング」でジャック・ブラックが演じた映画監督カール・デナムは、他の登場人物達を差し置いて「濃い」キャラクター性を存分に発揮していて強く印象に残ったものでした。
今作でもその演技は健在で、ガリバーの「濃い」キャラクター性と、最初はチキンだった性格から次第に成長を遂げていく様を存分に魅せてくれます。
それ以外の登場人物達は、全体的に「私はこういう役を演じています」というのが誰の目にも一目瞭然な「わざとらしい」雰囲気を前面に出している言動に終始していて、あえてやっていた一面もあるのでしょうけど「良くも悪くも子供向けな演出」という印象を受けましたね。

また作中では、作中では「スターウォーズ」「タイタニック」「アバター」などといった映画のパロディネタが披露されています。
「スターウォーズ」は物語冒頭でいきなりガリバーが「スターウォーズ」のキャラクターフィギュア相手にひとりで声の吹替芝居を始めますし、リリパット王国でガリバーのために作られた舞台でも上演されています。
「タイタニック」も「スターウォーズ」と同じくリリパット王国の舞台で上演され観客達の涙を誘い、またリリパット王国の街中には「アバター」ならぬ「ガバター」の宣伝用看板が掲げられていたりします。
一連の作品は、リリパット王国では全て「ガリバーがこれまで送ってきた人生のエピソード」として語られており、その流れをまとめると、
「悪の父親と直接対決を行い(スターウォーズ)、恋人を助けて海の藻屑と消え(タイタニック)、ガバターとして復活し(アバター)、そしてリリパット王国に流れ着く(今作)」
ということになっているようです。
よくもまあそんなヨタ話をガリバーは作れたものだと、そのホラ吹きぶりには逆に感心すらしてしまいましたね(苦笑)。

ガリバーが訪れたリリパット王国、およびリリパット王国と敵対関係にあるブレフスキュ国は、原作のそれと同じく「中世ヨーロッパ」的な雰囲気と文化を持つ国となっているはずなのですが、作中の描写を見る限り、恐るべき技術力と順応力を持っていることが分かります。
ガリバーのために現代風の家を建てたり、実用性のあるコーヒーメーカーやサッカーゲームを作ったり、ニューヨークの街並みを再現した上に電気まで引いてきたりと、短期間のうちに凄まじい変貌を遂げる順応性とそれを支える技術力が披露されています。
さらに物語後半になると、ガリバーがリリパット王国に持ち込んだ科学雑誌を元に、ブレフスキュ国で製造されたパワードスーツまでもが登場します。
このパワードスーツは、巨人であるはずのガリバーをはるかに凌駕する身長と腕力を誇り、「スターウォーズ」のR2D2モドキな姿から人型形態へトランスフォームできる能力まで持つという、現代世界でさえ達成できていないのではないかというレベルの技術が結集されています。
ガリバーが現代の文化を持ち込んだだけでは、ここまで飛躍的な発展を、しかも短期間でできるわけがないので、リリパット王国とブレフスキュ国は元々かなり高い文明水準を持っていたと考えるのが妥当なところでしょうか。

ストーリー的には、チキンな性格だったガリバーが成長していく過程、およびリリパット王国の王女メアリーとホレイショの恋愛話をメインに進行しており、良くも悪くも王道路線で分かりやすい構成になっている感じです。
ただ、物語終盤で展開されていた「戦争反対ミュージカル」だけは少々理解に苦しむものがありましたが(-_-;;)。
日本語吹替版で映画を観賞したこともあったのかもしれないのですが、踊りのリズムと日本語吹替による歌がまるで合っていなかったんですよね。
字幕版で観賞したらもう少し印象が変わってくるかもしれないのですが……。

子供向けおよびコメディ系のエンターテイメント作品が好きという方にはオススメできる映画ですね。

映画「トゥルー・グリット」感想

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映画「トゥルー・グリット」観に行ってきました。
アメリカ西部開拓時代を舞台に、14歳の少女が2人の男と共に父親の仇を追う復讐劇を描いた、1969年公開の西部劇映画「勇気ある追跡」のリメイク作品です。
映画「ヒアアフター」と同じく、スティーブン・スピルバーグが製作総指揮を、マット・デイモンが主演のひとりを演じています。
作中に指を切断するシーンや、片手を切断している女性の描写があったりするためか、この作品はPG-12指定されています。

物語はアメリカのオクラホマ州境にあるフォートスミスで、ひとりの資産家が殺されたから始まります。
殺人犯であるトム・チェイニーは、殺害した資産家から金貨2枚を奪い、インディアンの居留地へ逃亡します。
その後、父親の亡骸を確認に来た娘のマティ・ロスは、父親の形見となった銃を譲り受け、父親を殺害したトム・チェイニーをその手で殺しに行くことを決意。
付き人の弁護士?の静止を振り切り、復讐の軍資金を得るべく、生前の父親が馬を預けていたというストーンヒルという小屋に入り、そこの主人からカネをふんたくるための交渉を開始します。
14歳の少女とは思えないほどの法理論と弁術を駆使し、さらには訴訟恫喝まで交えた交渉術に、ストーンヒルの老主人もついに根を上げ、300ドル以上のカネの供与と馬の提供を約束させられてしまいます。
さらにマティ・ロスは、「真の勇者(トゥルー・グリット)」の異名を持つ保安官ルースター・コクバーンに犯人追跡の依頼を行います。
最初は「何だこの小娘は?」と言わんばかりに胡散臭げな対応しかしなかったルースター・コクバーンも、執拗に依頼を行うマティ・ロスと提示された報酬の魅力にこれまた根負けし、依頼を引き受けることを明言します。
そこへさらに、別件容疑でトム・チェイニーを追い、はるばるテキサスからフォートスミスにやってきた、マット・デイモン演じるレンジャーのラビーフも加わり、犯人追跡の苛酷な旅が始まることになるのですが……。

映画「トゥルー・グリット」は、良くも悪くもアメリカ西部劇を忠実に再現した1960年代臭漂う古風な作品、というイメージがありますね。
リメイク元の作品がそうなのですから当然なのでしょうが、作中で展開されるストーリーもアクションシーンも、CGを駆使したド派手な演出を見慣れた観客としての視点から見るとかなり地味な印象を受けます。
ハリウッド映画でありがちな「マシンガンの乱射をヒュンヒュンかわしていく主人公」的な描写は一切ありませんし、作中の悪役もスケールが小さいし。
同じ1960年代の作品をリメイクした邦画の「十三人の刺客」と比較しても登場人物が少なく、西部劇な描写が展開されるシーンも相当なまでに地味としか言いようがなかったですね。
まあ、そういう雰囲気を演出するのが製作者の意図でもあったのでしょうけど。

この作品の真骨頂は、どちらかと言えば主演3人が繰り広げる人間ドラマ的なものでしょうね。
ルースター・コクバーンとラビーフは、物語終盤近くに差し掛かるまで相当なまでに仲が悪く、特にラビーフは別行動を取ることもしばしば。
特に中盤付近でルースター・コクバーンが敵を待ち伏せしてスナイパー奇襲を仕掛ける際には、偶然その場に居合わせてしまったラビーフが邪魔になり、奇襲が失敗するという結果を迎えてしまったりします。
しかも合流すればしたで、今度は子供の喧嘩じみた言い合いから銃と乾パンを使った的当て合戦をはじめ、互いに貴重な弾丸と食糧を無駄に浪費する始末。
2人を傍観していたマティ・ロスでなくても「大丈夫かこいつら?」という感想を抱かざるをえなかったところですね。

また旅の途中では、ルースター・コクバーンとラビーフそれぞれの過去について語られます。
ルースター・コクバーンは1対多数の局面で単騎突撃を敢行し、多勢の敵を蹴散らした戦訓。
ラビーフは一度トム・チェイニーを300メートル先の眼前に捉えながらも、狙撃に失敗してしまった苦い過去。
これがそのまま、終盤の描写の伏線にもなっています。

結果的にマティ・ロスの復讐は成就され、仇を討つことには成功するのですが、その代償として彼女は左腕を毒蛇に噛まれてしまい、二の腕から下を切断することになってしまいます。
復讐の成就から25年後、彼女はメンフィスにいるというルースター・コクバーンの元を訪れるのですが、そこで待っていたのは「彼は3日前に病気で死去した」という報せ。
一方、ラビーフは生死も行方も不明で、生きていれば80歳近くになるというナレーションのみ。
マティ・ロスがルースター・コクバーンの亡骸を引き取り、新しく埋葬された墓に祈った後、墓から立ち去るシーンで物語は終了します。

古き良きアメリカ西部劇作品が好きな方には100%オススメですが、派手なアクションシーンが好みという人にとっては少々微妙な作品かもしれません。

映画「ツーリスト」感想

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映画「ツーリスト」観に行ってきました。
ハリウッドのトップスターである、ジョニー・デップとアンジェリーナ・ジョリーが初共演するということで話題を集めた、2005年公開のフランス映画「アントニー・ジマー」のリメイク作品です。

この作品序盤の舞台はフランスのパリ。
アンジェリーナ・ジョリー扮する謎の美女エリーズ・クリフトン・ワードと、彼女の動向を密かに監視するイギリス警察との駆け引きから物語は始まります。
イギリス警察はとある組織から大量のカネを盗み、かつ7億4400万ポンドもの脱税行為を働いたアレクサンダー・ピアースという男の行方を追っていました。
エリーズはアレクサンダー・ピアースの恋人と目されており、彼女を通じてアレクサンダー・ピアースの行方を探る目的から、彼女が警察からマークされていたわけです。
そんなある日、彼女は朝食を取っていたレストランで、配達人からアレクサンダー・ピアースからの手紙を受け取ります。
そこには、8時22分のリヨン駅発イタリア・ヴェニス(ヴェネツィア)のサンタルチア駅行の列車に乗り、自分と良く似た体格の人間を探し自分の身代わりにしろとの指示が書かれていました。
手紙を燃やして監視の目を何とか撒いて問題の列車に乗ったエリーズは、そこでジョニー・デップが演じるアメリカ人教師でイタリア旅行の途上にあったフランク・トゥーペロと出会い、声をかけることになります。
エリーズとフランスは列車内の食堂室?の中で楽しく会話を交わしますが、その様子を、手紙の燃えカスを回収・分析し先回りしていた警察によって携帯画像に収められ、フランクは「アレクサンダー・ピアースではないか?」という疑いの目を向けられることになります。
列車から降りたところを取り押さえるべく、終点のサンタルチア駅ですぐさま非常線を張るイギリス警察。
しかしその後、警察本部が採取されたフランクの画像を照合していった結果、フランクの身元が確認されたため、2人が駅に着く直前になって非常線は解除されます。

しかし、この一時的な嫌疑を真に受けた警察内部のスパイが、「フランクはアレクサンダー・ピアースである」と外部に連絡したことが、物語をさらに進展させていくことになります。
スパイから連絡を受けたのは、アレクサンダー・ピアースによってカネを奪われた組織のボスであるレジナルド・ショー。
彼が率いる組織は、早速エリーズとフランクが宿泊するホテルの監視を始め、エリーズがフランクにキスした場面を目撃したことから、勘違いが事実であると確信するようになります。
そして翌日の朝、エリーズがいなくなったホテルの部屋で、フランクは組織からの襲撃を受けることになるのですが……。

映画「ツーリスト」は、主人公をも含めた登場人物達に謎があり、それを暴いていく過程を楽しむことをメインとしている点で、今作と同じくアンジェリーナ・ジョリーが主役を演じた映画「ソルト」を想起させるものがありますね。
ただ「ソルト」と異なり、「ツーリスト」ではアクションシーンが作中でほとんど展開されず、終始ミステリー的な頭脳戦や駆け引きをメインにストーリーは進行していきます。
フランクがホテルから逃げるシーンと、ヴェニスの街を舞台に繰り広げられた水上ボートの逃走劇が、作中で展開されたアクションシーンと言えるものではありましたが、時間が短い上にハリウッドお得意な迫力とスピード感はゼロに近いシロモノでしたし。
私がアンジェリーナ・ジョリー主演作品で観賞したことのある作品と言えば、「ソルト」以外にも「トゥームレイダー1&2」「Mr.&Mrs.スミス」「ウォンテッド」といったものがあるのですが、全部アクションシーンがバリバリに出てくる作品ですし、そういう作品をメインに活動している女優というイメージがあったので、かなり意外な感は禁じえなかったところですね。
一方で、ジョニー・デップ主演作品の方は今まで1作も観ていなかったので、こちらはそういう印象などそもそも抱きようがありませんでした(^^;;)。

ミステリーの醍醐味とも言える物語終盤には驚愕の真相が待ち構えています。
その真相が分かるための伏線は一応物語後半に用意されていたのですが、私の場合、映画観賞時はその伏線に注意を払っていなかったこともあって、突然の急展開に一瞬話についていけなかったクチだったりします(^^;;)。
映画観賞終了後に内容を思い返し、「ああ、あそこにああいう伏線があったなぁ」とようやく合点が行き、話の全体像が見えてくるというありさま。
アレクサンダー・ピアースを追っていたジョン・アチソン警部が、ことの真相を知って茫然自失しつつ空を眺めているシーンは、私もついつい共感せずにはいられませんでしたね(T_T)。

映画「ツーリスト」はアメリカ本国では興行的に失敗しているとのことで、また第68回ゴールデングローブ賞では何故かミュージカル・コメディ部門にノミネートされて批判を受けるなど、何かと醜聞が付き纏う映画だったようです。
作品を見る限り、確かにアメリカ人受けはしないような内容でしたが、果たして日本ではどのような評価を受けることになるでしょうか?

映画「ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島(3D版)」感想

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映画「ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島(3D版)」観に行ってきました。
イギリス人作家のC・S・ルイス原作小説「ナルニア国ものがたり」の3作目「朝びらき丸 東の海へ」の実写映画版。

映画「ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島」の前身となる「第1章:ライオンと魔女」「第2章:カスピアン王子の角笛」でナルニア国に召喚され、ナルニアの危機に立ち向かい活躍したイギリスのペペンシー4兄弟。
しかし今作では、そのうちの上2人・長男ピーターと長女スーザンがアメリカに行っているという設定になっているため、ナルニアには召喚されません。
代わりに、ペペンシー4兄弟の下2人である次男エドマンドと次女ルーシー、そして彼らが一時的に預けられていたスクラブ家のユースチスが主人公として活躍することになります。
今作初登場でペペンシー4兄弟の従兄弟に当たるユースチス・スクラブは、とにかく頭でっかちでワガママな「良家のお坊ちゃん」として描かれており、特に序盤における非協調かつ現実を認めない発言を乱発するサマは、周囲にも観客にも悪印象を植え付けるに充分な態度でした。
物語中盤では、金銀財宝に目が眩んだ強欲さによってドラゴンに変化する呪いをかけられてしまいますし。
しかしこのユースチスが、主にしゃべるネズミのリーピチープとの会話を通じて次第に周囲との理解が深まり、終盤では戦いの帰趨を決する役割を担うまでに至ります。

また、前作・前々作と長男ピーターに活躍の場を奪われていた感があったばかりか、特に1作目では白い魔女の誘惑に物語終盤直前まで囚われていた次男エドマンドが、今作ではようやく汚名返上できる活躍の場が与えられています。
エドマンドはやはり1作目の白い魔女のことをずっと気にしていたのか、作中で登場する「人を誘惑する緑の霧」にも白い魔女を形作られ何度も誘惑されることになります。
エドマンドも最終的には見事に誘惑を断ち切り、白い魔女(を形作った緑の霧)は断末魔の声を上げて消えることになります。
そして、次女のルーシーもまた、長女スーザンの美貌にコンプレックスを持っていることが作中で明らかになるのですが、この辺りの描写は幼女だった1作目辺りでは考えられなかったことで、彼女が思春期の少女に成長していることを示すものと言えます。
エドマンド、ルーシー、ユースチス、3者3様でそれぞれ描かれる成長物語が、今作の魅力のひとつと言えるのではないでしょうか。

映画「ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島」のストーリーは、スクラブ家の一室にあった海の絵から突然溢れ出てきた大量の海水に巻き込まれ、エドマンド&ルーシー&ユースチスの3人がナルニアの海に放り出されるところから始まります。
放り出された目の前には、前作でも王子として登場しその後王位についたカスピアンが指揮する帆船「朝びらき丸」があり、3人は「朝びらき丸」に救助されることになります。
カスピアンは、亡き父親の友人だった7人の貴族(7卿)を探す旅の途中で、成り行きから3人はカスピアンの航海に同行することになります。
行く先々の島では、人売りに捕まったり、透明な化け物に襲われたり、黄金に魅入られたりと様々な事件に巻き込まれ、航海でも嵐の遭遇と糧食の問題に悩まされつつ、7卿を探す旅は進んでいくのですが……。

同じファンタジー作品系列になるであろう映画「ハリー・ポッター」シリーズが特にそうなのですけど、「ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島」もまた、ストーリー展開がやたらと速すぎる感が否めませんね。
7卿(と彼らが持っている7つの剣)を探す旅では、3人が1箇所でまとめて見つかったりしていますし、本来のストーリーをかなり端折っている感があります。
やはり「ハリー・ポッター」と同じで、1冊のストーリーを2時間あるかどうかの映画にまとめるのは物理的に無理があるのでしょうけどね。
シリーズ作品の宿命的な欠陥なのでしょうが、シリーズを重ねれば重ねるほど内容の理解が難しくなっていくこの問題、どうにかならないものなのでしょうか?

ところで「ナルニア国物語」と言えば、我らが田中芳樹御大がかつてこんなことを述べていたことがあります↓

薬師寺シリーズ7巻「霧の訪問者」 講談社ノベルズ版P27上段~下段
<原理主義というと、すぐイスラム教の過激派を想いおこすが、キリスト教にだって排他的な原理主義者はいる。じつはアメリカという国は、その種の連中の巣窟だし、意外なところでそういったものに出くわすこともあるのだ。
『ナルニア国物語』というイギリスの有名なファンタジー小説があって、映画にもなった。この作品はかなり保守的なキリスト教的世界観にもとづいて書かれたもので、あきらかにイスラム教を敵視したり女性に対して偏見を持った記述がある。その点に対する批判が欧米社会にはあるのだが、日本ではまったく問題にされなかった。日本は宗教に対して、よくいえば鷹揚だし、悪くいえば鈍感なので、『ナルニア国物語』も単なる異世界ファンタジーとして受容されたのだ。『指輪物語』の作者トールキンが『ナルニア国物語』をきらっていたとか、アメリカのキリスト教右派がこの本を政治的に利用したとかいう事実は、日本人には関係ないことだった。まあ実際、物語としてはおもしろいから、単にそれだけですませておくほうがオトナな態度かもしれない。>

で、私は一応「ナルニア国物語」の実写映画版は全て観賞しているのですが、あいにくと今作も含めて「あきらかにイスラム教を敵視したり女性に対して偏見を持った」に該当する描写というものを一度も観たことがないんですよね。
田中芳樹は「【アメリカ】にはキリスト教の排他的な原理主義者がいる」という論の根拠として【イギリス】の有名なファンタジー小説である「ナルニア国物語」を持ち出しています。
しかし、作者の出自はイギリス、原作小説の舞台もイギリスと架空の国ナルニアであり、アメリカとの関連性は全くありません。
そんな状態で「ナルニア国物語」からアメリカ批判に繋げようとするのであれば、アメリカで作られた実写映画版の「ナルニア国物語」シリーズにそういう描写がないと話がおかしくなってくるのではないかと思うのですけどね(苦笑)。
アメリカのキリスト教右派とやらが「ナルニア国物語」を政治的に利用しようがどうしようが、そんなものは作品にも(原作者含む)製作者にも、ましてやイギリスにも全く何の関係もない話でしかないのですし。
もちろん、7作あるとされる原作小説には、田中芳樹が問題視する「あきらかにイスラム教を敵視したり女性に対して偏見を持った記述がある」のかもしれません。
しかしそれならば、実写映画化に際してそういう描写を取り除いたハリウッド(アメリカ)の映画制作スタンスは、田中芳樹的にはむしろ賞賛すらされて然るべきではないのかと(爆)。
全く何の関係もないのに田中芳樹のアメリカ批判の「ヤクザの言いがかり」的なダシにされてしまった「ナルニア国物語」、特に実写映画版には、私は心からの同情の念を禁じえませんね(T_T)。

映画「ヒアアフター」感想

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映画「ヒアアフター」観に行ってきました。
クリント・イーストウッドが監督を、スティーブン・スピルバーグが製作総指揮をそれぞれ担っている、マット・デイモン主演作品です。

映画「ヒアアフター」では、人の死と死後の世界をテーマに、それぞれ3人の人物にスポットを当てたストーリーが展開されます。

1.インドネシアで彼氏と旅行中、大津波に巻き込まれて臨死体験をし、死後の世界のヴィジョンを垣間見たフランス人女性のマリー・ルノ
2.幼少時の臨死体験がきっかけで、他人を霊視することできる能力に覚醒したアメリカ人男性のジョージ(マット・デイモン演じる主人公)
3.ドラッグ中毒の母親を抱えながらも一緒に生活していた双子の兄ジェイソンを、突然の交通事故で亡くしてしまったイギリス人少年のマーカス

この3人はそれぞれ全く面識がなく、3つのストーリーは何の関連性も絡みもない状態からスタートすることになります。
ストーリーの核となる3人の登場人物は、それぞれ生活面で問題を抱え込んでいます。
フランスのテレビ局でアナウンサーとして出世し、恋人もいながら、大津波に襲われて以後は長い休養が続き、結果アナウンサーとして干された上に恋人にも浮気され別れる羽目になったマリー・ルノ。
かつては他人を霊視する能力を使ったビジネスで荒稼ぎをしていたものの、能力に振り回されて疲れきって引退してしまい、通常の生活を送れずに苦しむ中、霊視ビジネスの旨味が忘れられない兄から何度も復帰を促されるジョージ。
依存していた兄を失い、ドラッグ中毒の母親から引き離されて里親に引き取られるも、兄のことが忘れられず、「死者との会話」を夢見て里親のカネを持ち出し自称霊能力者に会うための旅に出てしまうマーカス。
個人的には、せっかく料理教室で知り合った女性と良い雰囲気になっていたにもかかわらず、兄からの電話で能力のことが知られてしまい、彼女の実の父と母のことをズバリ言い当ててドン引きされ、そのまま別れる羽目になってしまったジョージが哀れでならなかったですね。
ジョージもあの場で「適当なウソをついてその場を誤魔化す」的な選択肢を取れなかったのだろうか、とは思わずにはいられませんでしたが。

それぞれ独立していた3つのストーリーを1つに収束することになったきっかけは、マリー・ルノが自身の臨死体験と独自調査から執筆した1冊の本にあります。
その本の名前は、映画のタイトルにもなっている「ヒアアフター(来世)」。
元々「ミッテラン大統領のことについて書け」と言われていたにもかかわらず全く違う本を書いてしまったマリー・ルノは、上司から変人扱いを受けてしまうのですが、その本の内容に興味を持った出版社がマリー・ルノに打診。
結果、めでたく「ヒアアフター(来世)」は出版されることになり、それを記念して、マリー・ルノはイギリスのロンドンで開催されるブックフェアで講演&サイン会を行って欲しいと依頼されます。
そこに、元からイギリス在住だったマーカス、傷心旅行?でイギリスに来ていたジョージが足を運び、かくして3人は1つの場所に集うことになるわけです。

映画「ヒアアフター」は、ハリウッド映画にありがちな派手なアクションシーン的なものは微塵もなく、ただひたすら登場人物達の心の内面を描くことに徹しています。
また、実際にあった事件も作中で絡めており、冒頭で出てくるインドネシアの大津波の他に、ロンドンの地下鉄爆破テロ事件も登場します。
3人の登場人物達が抱える問題点が前面に出てくるため、序盤から終盤近くまで作品の雰囲気はとにかく暗いのですが、それでも最後はハッピーエンド的な結末がきちんと用意されています。
あれで結末まで悲惨な内容だったら「勘弁してくれ」と言いたくなるところではあったので、ラストシーンではついホッとしたものでした。
この辺りはやはり、製作総指揮を担ったスピルバーグの意向によるものなのでしょうか?

作品のテーマがかなり重く、ストーリーも単純な構成ではないだけに、映画「ヒアアフター」は今作と同じくスピルバーグが製作した映画「A.I.」ばりに哲学的な作品と言えます。
その点では映画「A.I.」と同じように、この作品もまたアメリカ人ではなく日本人向けと言えるのかもしれませんね。

映画「ザ・タウン」感想

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映画「ザ・タウン」観に行ってきました。
年間300件以上もの銀行強盗事件が発生するマサチューセッツ州ボストンのチャールズタウン(略称「タウン」)を舞台に繰り広げられるクライム・アクションドラマ。
作中では暴力が振るわれたり銃撃で頭を貫かれたりする描写やセックスシーンがあるためか、この作品はPG-12指定されています。

映画「ザ・タウン」の主人公で俳優ベン・アフレックが演じるダグは、人を殺さず、人質も取らないことを信条とする銀行強盗団のリーダー格。
物語冒頭、ダグが率いる4人組がとある銀行を襲撃します。
万全な下準備の下、襲撃手順も完璧にこなし、見事金庫の中の現金をせしめる強盗団達。
しかし、いざ現場から引き揚げようとしたその時、ダグの幼馴染ジェムの不手際により、女性支店長のクレアを人質に取ったことで、彼らの運命の歯車が狂い始めます。
殺しを良しとしないダグの判断により人質を無傷で解放した後、取り上げた免許証から、彼女が同じ街に住んでいる人間であることが判明。
短気なジェムが女の始末を主張しますが、ダグはそれを抑え、自らの目で問題があるか否かを確認すべく、彼女に接近することを決意します。
しかし彼女を追跡する中、コインランドリーでクレアがダグに話しかけることをきっかけに、2人は意気投合することになります。
その後もクレアと会い続け、互いに身の上話を交わしたり、ついにはセックスをしたりする仲にまで至ってしまうダグ。
その過程でダグは、自分の仕事である銀行強盗という行為に疑問を抱くようになり、犯罪稼業から足を洗うことを考えるようになります。
しかし、ジェムをはじめとするダグの銀行強盗仲間や、強盗稼業の元締め的存在である花屋のファーギーは、自分達が警察に売られる懸念もあって、ダグが仲間から抜けることを承諾しません。
犯罪稼業から抜け出そうにも抜け出せないまま、ダグはさらに犯罪行為を重ねていくことになるのですが……。

映画「ザ・タウン」では、銀行強盗・輸送車襲撃・野球スタジアムの収益金強奪と総計3回の犯罪が行われます。
ダグが率いる銀行強盗団は、犯行の際は入念に下調べを行ったり、髑髏やシスターに扮したマスクを着用して顔を隠したり、漂白剤を使ってDNAの痕跡をも消してしまったりと、FBIをも唸らせるほどに手際の良いプロ集団として描かれています。
2つの銀行と6台の現金輸送車を襲撃したという犯罪歴がありながら捕まっていないという点からも、彼らの実力が伺えます。
ただそれでも、ほとんど時間を置くことなく次々と襲撃が実施されていくのには、「いくら何でも急ぎ過ぎ&危な過ぎないか?」とさすがに思わずにはいられませんでしたね。
冒頭の銀行強盗だけでもかなりの金額を稼ぐことに成功しているでしょうに、数年くらい時間を置いてほとぼりを醒ます、的な選択肢は取れなかったのでしょうか?
性急過ぎる襲撃依頼のために、2回目以降は準備不足な状態で襲撃が実施されていたようでしたし、警察側の待ち伏せまで受けてしまう始末でしたからねぇ。

あと、ダグとクレアの間で交わされた身の上話のひとつが、物語終盤で重要な伏線として活用されることになります。
これは映画を観賞してのお楽しみということで。

それと、この映画で花屋のファーギー役を演じていたピート・ポスルスウェイトが、2011年1月2日にお亡くなりになったのだそうです。
最近では映画「タイタンの戦い」および「インセプション」にも出演していたとのこと。
謹んでご冥福をお祈り致します。

映画「ウォール・ストリート」感想

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映画「ウォール・ストリート」観に行ってきました。
1987年公開映画「ウォール街」の続編作品。
新エネルギーを開発するベンチャー企業を支援しようと奮闘するシャイア・ラブーフ演じる若き証券マンのジェイコブ・ムーアと、8年の服役ですっかり過去の人となった、前作でも活躍したマイケル・ダグラス扮するゴードン・ゲッコーの2人が織り成すマネーゲームを描いた人間ドラマです。

物語は2001年、インサイダー取引の罪で収監されていたゴードン・ゲッコーが、8年の服役を終えて出所するところから始まります。
ほとんど無一文状態で出所したゴードン・ゲッコーは、自分と同じように出所しながら、迎えに来た家族?と一緒に帰っていく黒人を尻目に見ながら刑務所を後にします。
その後ゴードン・ゲッコーは、金融関係の本を書いて一定のファンを獲得するまでの著名人となっていきます。
舞台は変わってその7年後の2008年。
ニューヨークで投資銀行ケラー・ゼイペル社に勤めていたジェイコブ・ムーアは、次世代クリーン・エネルギーの開発支援に情熱を傾ける若き証券マン。
また私生活面でも、ゴードン・ゲッコーの娘であるウィニー・ゲッコーと結婚を前提とした付き合いをしており、順風満帆な人生を送っていました。
ところが、勤め先のケラー・ゼイペル社が急激な株価の大暴落に見舞われ破綻。
さらには、自身が恩師として慕っていた経営者のルー・ゼイペルが地下鉄で飛び降り自殺するにまで至り、失意のどん底に突き落とされてしまいます。
そんな中ジェイコブ・ムーアは、とある大学で開催されたゴードン・ゲッコーの講演会に出席。
講演会終了後、ジェイコブ・ムーアはゴードン・ゲッコーに「娘さんと結婚します」と告げ、彼に「取引」を持ちかけます。
その内容は、ゴードン・ゲッコーと娘との仲を取り持つ代わりに、ケラー・ゼイペル社を1株3ドルという破格の安値で買い叩き、恩師を自殺に追いやった黒幕であるブレトン・ジェームスに対する復讐のサポートをしてもらうこと。
「取引」を成立させたジェイコブ・ムーアは、「風説の流布」を駆使した株価操作で、ブレトンの会社に打撃を与える作戦に打って出ることになります。

映画「ウォール・ストリート」は、前半が金融や株がらみのマネーゲーム、後半が人間ドラマを中心にした物語構成となっています。
前半はやたらと金融関係の用語が飛び交っており、金融絡みの駆け引きなども展開され、また2008年10月に世界を震撼させたリーマン・ショックのネタも出てきます。
それに対し、後半から終盤にかけては金融や株などといった要素が薄くなり、どちらかと言えば「情に訴える」展開ばかりになってきます。
ジェイコブ・ムーアが最終的に復讐を達成する手段も、結局金融絡みの罠というよりは「スキャンダル報道による信用の失墜」に近いものがありましたし、ジェイコブ・ムーアがゴードン・ゲッコーと対立した際に持ち出された取引材料は、金融絡みのネタではなく「孫の存在」だったりします。
最初から最後まで金融用語だらけのマネーゲームが展開されるとばかり考えていただけに、後半の展開は少々意表を突かれた感がありますね。
ラストシーンも、「金融界に君臨した男も、家族の情を無視することはできませんでした」的な展開でしたし。

私は前作映画「ウォール街」を観ることなく今作を観に行ったのですが、前作映画からの繋がりを示す描写もいくつかあるそうで。
余裕があるなら、予め「ウォール街」を観てから今作は観た方が良いかもしれませんね。

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