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映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」感想

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映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」観に行ってきました。
カナダ人小説家のヤン・マーテル著「パイの物語」を原作とする冒険映画。
第85回アカデミー賞に11部門ノミネートを果たしている作品でもあります。
今作はあの忌まわしき3D映像が駆使された映画でもあったのですが、2D版も公開されていたので、スケジュール調整を行った末に、何とか3D版を回避することに成功しました(^^)。
映画料金節減の観点から言っても、無駄な労力を省きたいという視点から見ても、やはり可能な限り3D版は回避したいものですからねぇ(苦笑)。

今作は、映画の原作「パイの物語」の作者であるカナダ人作家ヤン・マーテル本人が、小説のネタを求め、インド人のパイ・パテルの元を訪れ、2人で会話を交わしているシーンから始まります。
このパイ・パテルが今作の主人公ということになるのですが、今作のストーリーは、パイ・パテルがヤン・マーテルに過去の自伝を語っていくという形式で進んでいくことになります。
パイ・パテルの語りは、そもそもの自分の名前の由来にまで遡ります。
パイ・パテルの本名はピシン・モリトール・パテルといい、これはパイと家族ぐるみで親交のあるママジという人物がよく通っていたフランス・パリのプールの名前から付けられたものなのだそうです。
しかし、彼が在住するインドでは、「ピシン」という単語に「尿」という意味が含まれているため、彼は名前が原因で幼少時からイジメを受けることとなります。
そのことに嫌気がさした彼は、11歳の頃、名前を現在のパイに改め、そのことを周囲に周知させるべく奔走することになります。
学校の授業毎に自分の名前の由来が円周率の「π(パイ)」であることを強調し、さらに円周率の数字を延々と黒板に書き綴っていく荒業まで見せたりしています。
そんな地道な努力が功を奏したのか、パイ・パデルの名は次第に周囲に認められていくのでした。

またパイ・パデルは、様々な宗教についても多大なまでの関心を持っていました。
元来信仰していた宗教のヒンドゥー教はもちろんのこと、キリスト教もイスラム教も一緒に信仰するという、ある意味節操のなさっぷりを発揮していたりします。
パイ・パデルの父親は「全ての宗教を信じることは、何も信じていないのと同じことだ」などとのたまっていましたが。
そんなある日、市から土地を借りて動物園を営んでいたパデル家は、市から援助を打ち切られ経営状態が悪化。
家の主であるパイ・パデルの父親は、動物をカナダに売り払い、新しい生活を始めることを決意し、結果、パデル家は動物達も含めた一家総出で日本船籍の船に乗り込むことになります。
パイ・パデルには当時、学校で知り合ったアナンディという恋人がいたのですが、結局彼女とは別れる羽目になり、彼は悲しみを抱いたまま、日本船籍の貨物船ツィムツァム号に乗り込むこととなります。
ところが、船が日本の南にあるマリアナ海溝へさしかかった時、巨大な嵐が船を襲います。
ちょうど深夜だったこともあり寝静まっていた船は、原因不明な理由でそのまま沈没してしまいます。
船の乗員乗客どころか動物達をも含めて生き残ったのは、人間のパイ・パデルと、同じ救命ボートに何かの偶然で乗り合わせていたシマウマ・オランウータン・ハイエナ、そしてベンガルドラの4匹のみ。
そしてここから、あしかけ227日間にも及ぶ、パイ・パデルの漂流生活が始まることとなるのです。

映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」は、人間だけでなく動物もまた、自身の生存のためならば他者を平気で殺す存在であるという、ごくごく当たり前の事実を再確認させてくれる作品ですね。
パイ・パデルを除く動物4匹のうち、シマウマは足の負傷に加えて飢えと乾きに苦しめられて早々に死亡。
するとハイエナが早々にシマウマの死骸を食べようと蠢動し始め、それに反応してオランウータンがキーキー喚き出すと、ハイエナはオランウータンを半殺しにしてしまいます。
そしてその直後、勝利の雄叫び?を上げたハイエナにベンガルトラが襲い掛かり、一瞬にしてハイエナの息の根を止めてしまったのでした。
こういう光景を見ると、よく環境保護団体辺りが主張する「動物は人間に比べれば理性のある知的な生き物なのです」などというスローガンも、完全に空しいものにしかなりえないですね。
今作を観ると、生物の中ではむしろ人間の方が知恵と理性がある分、他の動物よりもはるかに道徳的な存在なのかもしれない、という感慨すら抱きたくなってくるくらいです。
人間であるパイ・パデルなんて、自身の生命の危機すら招いている感すらあったベンガルトラを作中で何度も助けていましたし。
にもかかわらずベンガルトラは、飢えの苦しみからパイ・パデルを何度も襲撃してきましたし、ようやくメキシコの海岸に漂着して自由の身になった途端、パイ・パデルに目もくれずにさっさと森の中に消えてしまう始末。
アレだけ助け合ったのにと号泣していたパイ・パデルは少々お人良し過ぎる部類に入るのかもしれませんが、動物の無情ぶりをあれほど正面から突き付けられた描写というのはなかなか見れるものではなかったですね。
まあ、アレはあのベンガルトラ個体がそうだったというよりは、ベンガルトラがネコ科の動物で、かつ人にあまり懐かない部類の動物だったという事情もあるのかもしれませんが。

作中の映像は、さすがアカデミー賞にノミネートされるだけのことはあり、かなり綺麗かつ自然の美しさと脅威の双方を上手く表現するものではありましたね。
主人公が漂流しているという事実がなかったら、「ライフ -いのちをつなぐ物語-」辺りにでも普通に出てきてそうな自然風景が展開されていたりもしましたし。
ただ一方で、アレだけ嵐に遭遇する場面やトラとのにらみ合い等のシーンがありながら、アクション&SFX系映画で見られる爽快感をもたらす描写の類はまるでないので、その辺は余計な期待をしない方が良いかと。

全体的な構成としては、自然の雄大さと人間の無力さが前面に出ていて、かつ宗教的な要素が少なくないストーリーが展開されるので、観る人をかなり選びそうな作品ではありますね。
まあ、最終的に主人公は助かっているわけですし、自業自得的な結末で終わってしまった「パーフェスト・ストーム」などよりはまだマシな展開ではあるのですけど。

映画「テッド」感想

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映画「テッド」観に行ってきました。
2000年公開映画「パーフェスト・ストーム」、および2008年公開映画「ハプニング」のマーク・ウォールバーグ主演のドタバタ異色コメディー作品。
作中では、麻薬の隠語である「ハッパ」を吸引したり、デリヘル嬢を招いてスカトロプレイをやらしたりするシーンの他、様々な下ネタが満載のため、今作は当然のごとくR-15指定されているのですが、その中では記録的ともいえる大ヒットを達成したのだとか。
アメリカ版におけるテディベアのテッド役の声役は、今作の監督であるセス・マクファーレン自らが担当したのだそうです。
作品の雰囲気的には、日本では2011年公開の映画「デュー・デート ~出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断~」に近いものがありますね。

1985年のアメリカ。
ボストン郊外に住んでいた当時8歳の少年ジョン・ベネットは、同年輩の少年達から仲間外れにされ、友人もおらず孤独な日々を送っていました。
その年のクリスマス、ジョンは両親からテディベアのぬいぐるみをプレゼントされます。
幼いジョンはぬいぐるみに「テディ」と名付け、「君と話が出来たら良いのに」と願いながら、ベッドで「テディ」を抱いて眠りにつきます。
すると、気まぐれな神がその願いを聞き入れでもしたのか、翌日の朝、眠りから覚めたジョンは、自立歩行して歩く「テディ」に挨拶をされます。
ジョンは仰天しながらも大いに喜び、互いに唯一無二の友達となることを誓い合います。
そしてジョンは、「テディ」のことを両親に報告・紹介します。
両親はジョン以上にヒステリックに驚きまくりますが、ジョンと「テディ」が仲睦まじく語り合っている様子を見て和やかな表情に変わっていくのでした。
その後、「テディ」は名前をさらに短縮して「テッド」と呼ばれるようになり、その物珍しさからマスコミに引っ張りだこにされ、一躍大人気となっていきます。
しかし、そんなテッドは少年ジョンのことを常に忘れることなく、テッドは雷を怖がるジョンに「雷兄弟」として一緒に添い寝するなど、ジョンとの間にひとかたならぬ友情と絆を結んでいくのでした。

それから27年後の2012年。
一時は一種の「セレブ」として人気を博したテッドも、今ではすっかり落ちぶれ果て、「ハッパ」を吸引しながら下ネタを乱発しまくる中年オヤジへと変貌を遂げていました。
ちなみに「ハッパ」吸引絡みでは逮捕歴もあるようで(苦笑)。
一方、35歳の中年になったジョンは、ボストン南部のアパートでそんなテッドと相変わらず一緒に暮らしつつ、レンタカー会社へ惰性で勤めに行く日々を送っていました。
そんなジョンではありましたが、彼は4年ほど前からバリバリのキャリアウーマンであるロリー・コリンズという女性と交際を続けており、そのまま結婚を前提とした付き合いをするかどうかで悩んでいました。
交際相手たるロリーもまた、自分よりもテッドを優先しているかのごときジョンに苛立ちを募らせており、彼女はジョンに対してテッドと別れるよう要望し始めるようになります。
そんな2人が交際を初めてからちょうど4年目を迎えた記念の日、何となく良い雰囲気になったデートを終えたジョンとロリーがジョンの家に入ると、そこでは留守番をしていたテッドが4人のデリヘル嬢を呼び、酒池肉林の乱痴気騒ぎをやらかしまくっていました。
しかもテッドとデリヘル嬢達はスカトロプレイでもやっていたらしく、部屋の中にはデリヘル嬢のひとりがひり出したらしいウンコが転がっている始末。
かねてからテッドの存在にイラついていたロリーはついに堪忍袋の緒が切れ、テッドを家から叩き出すようジョンに強く促すのでした。
その後、ジョンと共に水族館を訪れたテッドは、ロリーの要望に動かされたジョンから家を出ていくよう言われてしまうのでした。
テッドもロリーも大事だから2人とも別れたくないというジョンの意向を尊重し、テッドはジョンと別居することを承諾するのですが……。

映画「テッド」では、中年テディベアのテッドが繰り出しまくる下ネタ騒動ばかりでなく、昔の映画ネタや「本人役」として出演する俳優達の登場も大きな魅力のひとつです。
作中で特に扱いが大きかったのは、1980年代に公開された「フラッシュ・ゴードン」というアメリカ映画と、その映画で主演を担っていたサム・J・ジョーンズ(本人役)という俳優との出会いですね。
ジョンは明らかにサム・J・ジョーンズに憧れを抱いている様が伺えましたし、出会った後もノリノリに意気投合していましたからねぇ(苦笑)。
まあ、それが原因でロリーには三行半を突き付けられて破局の危機を迎える羽目になってしまうのですが(-_-;;)。
またその後には、グラミー賞受賞歴を持つ歌手のノラ・ジョーンズがこれまた本人役で登場し、テッドの説得でジョンに舞台を明け渡すというシーンが出てきます。
何でもテッドとノラ・ジョーンズは10年前からの知り合いで、疑似セックスまでヤりあった仲なのだそうで(笑)。
テッドは過去に多くのメディアに出演して人気を博していた過去があったので、そのツテから芸能界への人脈があったという事情もありはしたのでしょうが、テッドも色々な方面で顔が広いなぁ、とつくづく考えてしまったものでした。
他にも、携帯の着信音で「ナイトライダー」のオープニングテーマが流れたり、2011年公開の映画「グリーン・ランタン」がネタにされた上に同作で主演を担ったライアン・レイノルズがゲイ役で友情出演していたりと、往年のアメリカTVドラマや映画を知る人達にとっては思わずニヤリとするネタが満載でしたね。
そして何よりのサプライズネタとしては、ジョンとテッドがホテルで口ゲンカを繰り広げている中で、ジョンが「お前なんかより『くまモン』の方がマシだ」などと発言するシーンが挙げられます。
こんなところでまさか「くまモン」が出てくるとは夢にも思っていなかったので、さすがにここは私の方が仰天せざるをえなかったですね。
そりゃまあ確かに、テッドとくまモンには「クマ系のキャラクター」という共通項がありはするわけですが、くまモンって「テッド」がアメリカ公開された2012年時点では、まだ本格的に海外進出してはいないはずだったのではないのかと。
ハリウッド映画で「くまモン」が言及されたのって、実は今回が初めてなのではないですかねぇ(^^;;)。
まあここでは日本語翻訳の際に、元来映画にはなかった「くまモン」が挿入された可能性もあったりするのですが、やはり熊本県民としてはこれが一番のサプライズではありましたね。

ストーリー内容に目を向けてみると、今作におけるジョンとテッドは、映画「僕達急行 A列車で行こう」に登場した2人の鉄道オタクの友人関係を髣髴とさせるものがありましたね。
他人には到底理解しがたいマイナーな映画ネタでアレだけ盛り上がれる雰囲気というのは、まさに件の鉄道オタク達と同じく「同じ趣味を持つ者同士」にしか分からないものが多々ありましたし。
そして一方で、その2人の友情や趣味について全く理解を示さず、序盤から中盤にかけてただひたすらテッドの排除を主張していたロリーについては、正直「ジョンとはむしろ別れた方が良くないか?」という疑問すら抱かざるをえなかったくらいでした。
前述の「僕達急行 A列車で行こう」で、主人公の「鉄っちゃん」趣味に全く理解を示そうともせず、結局破局に至ってしまった女性達と全く同じ運命を、ロリーもまた辿りそうな気がしてなりませんでしたし。
そりゃまあ、「ハッパ」吸引やスカトロプレイに理解を示すのはさすがに無理があるにしても、映画絡みの趣味や憧れの俳優との邂逅について事情を察することくらいは、彼女の立場から言っても決して不可能なことではなかったはずでしょう。
にもかかわらず、パーティを抜け出したジョンに癇癪を爆発させ、問答無用とばかりに別離宣言を行ったロリーの言動は、「こりゃ一緒になるのは無理だろう」という感想を抱かずにはいられませんでした。
ロリーは元々ジョンと結婚して一緒になるつもりだったのでしょうし、将来伴侶となるべき相手の趣味は理解し許容できるくらいでないと、結婚後の生活が大いに危ぶまれることが容易に予想できるはずなのですが。
まあ彼女の場合、ジョンの趣味への無理解というよりは「ジョンが肩入れするテッドに対する反感や嫉妬」という側面が少なくなかったのかもしれませんが。
ロリーのテッドに対する反感というのも、個人的にはイマイチ理解し難いところがあるんですよね。
別にジョンはテッドを「性の対象として」「伴侶として」愛しているというわけではなく、またジョンのロリーに対する愛情にも嘘偽りがないことを、当のロリーだって全く理解できていないわけではなかったでしょうに。
相手に対し悪戯に完璧さを求める完全主義者的な要素でも影響していたりするのでしょうかね、これって。

コメディ映画が好きな方はもちろん、往年のアメリカTVドラマや映画が好きという方にも文句なしにオススメできる一品ですね。

映画「LOOPER/ルーパー」感想

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映画「LOOPER/ルーパー」観に行ってきました。
タイムトラベルが可能になった近未来の世界を描く、「ダイ・ハード」シリーズのブルース・ウィリス、および「インセプション」「ダークナイト・ライジング」のジョゼフ・ゴードン・レヴィットが、同一人物の主人公としてそれぞれ主演を担うSFアクション作品。
今作では女性が上半身スッポンポンで描写されている箇所や残虐シーンなどがあるため、PG-12指定されています。

時代は2044年。
この時代、アメリカ?の経済は破綻、一般的な国民生活も古い住居とクルマを使い続けるような水準にまで低下し、犯罪組織が我が世の春を謳歌するような社会となっていました。
そんな中、とある犯罪組織では、「ルーパー」と呼ばれる殺し屋を多数抱え込んでいました。
「ルーパー」は、今から30年後に実用化されたものの即座に非合法化されたタイムマシンを使い、30年後の世界の犯罪組織で邪魔となった人物を始末することを目的とする殺し屋のことを指します。
30年後の世界では追跡技術が飛躍的に進歩したため、人知れず人間を始末し死体を処理するということが不可能となっていました。
そのため、邪魔な人間は過去の世界へと送り込み、そこで死体を処理させるという、いわば「タイムマシンを使った産廃処理場」的なことをやらせているわけです。
抹殺対象となった人間には銀の延べ棒が身体にくくりつけられており、それが「ルーパー」および犯罪組織にとっての報酬となるのでした。
「ルーパー」の具体的な仕事内容は、指定された場所に突然現れた「顔を隠された抹殺対象」を、射程は15メートルと短いものの威力と殺傷性が高い「ラッパ銃」で即座に殺し、死体を処理するというもの。
しかし、「ルーパー」はその高額な報酬を代償に、さらなる闇のペナルティが課せられていました。
それは未来の犯罪組織が「ルーパー」との契約を終わらせる際、当の「ルーパー」自身が抹殺対象とされ、それまでのターゲットと同様に過去へ送り込まれて「過去の自分自身」に射殺されることになるというもの。
その処理に当たっては、他ならぬ「過去の自分自身」に未来の自分の抹殺任務が与えられる上、抹殺対象にくくりつけられる報酬には銀ではなく金の延べ棒が使われることになっていて、自分が殺されたということが否応なく分かるようになっています。
この未来からの契約解消および未来の自分の処刑を、「ルーパー」達は「ループが閉じる」と呼んでいます。
そして、今作の主人公ジョー・シモンズもまた、来る日も来る日も未来からの抹殺対象にラッパ銃を撃ち続ける「ルーパー」のひとりでした。

ある日、ジョーは自分の家に押しかけてきた同業者で親友のセス・リチャーズから「未来の自分を逃がしてしまった、匿って欲しい」と必死の形相で懇願されます。
「ルーパー」では未来の抹殺対象を殺すことに失敗すると、組織によって処刑されることになっており、そのことに対する恐怖からジョーに助けを求めてきたのでした。
セスは未来の自分から未来に関する説明を受けていました。
それによれば、未来では「レインメーカー」と呼ばれる犯罪組織の大物が、全ての「ルーパー」の「ループを閉じる」ことを決定したとのこと。
ジョーはとりあえず、自宅の床にある地下金庫にセスを匿い、追手からの追及を誤魔化そうとします。
しかし、犯罪組織のボスで未来の犯罪組織から送り込まれてきた人間でもあるエイブから脅しを受け、ジョーはエイブにセスを売ってしまうのでした。
一方、未来のセスは逃亡を続けていたのですが、突如自分の右腕に文字の傷が刻み込まれ、指定された場所へ15分以内に行くよう促されます。
目的地へと向かう最中、未来のセスからは身体の部位が次々と失われていき、目的地にたどり着いた頃には両手両足を失った状態となった挙句、犯罪組織の精鋭部隊・ガットマンの一員のひとりであるキッド・ブルーによって殺されてしまうのでした。
何でも、現在の人間に傷をつけると、その傷が未来の自分にもそのまま反映されるのだそうで、現在のセスはその身を一方的に切り刻まれたのでしょうね。
そして、そのセスを売り渡したジョーにも「ループが閉じられる」時が迫っていたのでした……。

映画「LOOPER/ルーパー」は、ブルース・ウィリスが主演という割にはアクションシーンが少なく、どうにもパッとしない感が否めないですね。
特に物語中盤はアクションシーン皆無で、登場人物達の暗い雰囲気なサイドストーリーが延々と展開されていますし。
未来の歴史を改変すべく行動している未来のジョーも、その内容はと言えば「年端もいかない少年を探し出して撃ち殺す」などという、「未来からの対抗馬なきターミネーター」的な後ろ暗いシロモノでしかなかったのですからねぇ(-_-;;)。
未来のジョーにしてみれば、自分の妻を殺す結果をもたらすことになったレインメーカーへの復讐と、妻が殺された事実を消すために必死ではあったのでしょうけど。
物語終盤で、囚われの身から逆襲して犯罪組織をひとりで壊滅させてしまった未来のジョーのチート級な無双ぶりは、それを演じていたブルース・ウィリスならではのアクションではありましたが、逆に言えば、作中で「映えた」アクションシーンはこれくらいしかないんですよね。
ブルース・ウィリス主演ということで派手なアクションシーンを期待する方は、今作は観賞しない方が無難かもしれません。
今作に限らず、アクションシーンがメインではないブルース・ウィリスの映画というのは、どうにもパッとしないイメージが拭えないところなんですよね。
2010年に日本で公開されたブルース・ウィリス主演の映画「サロゲート」なども、やはりラストの展開も全体的な出来も今ひとつでしたし。
一見斬新なSF的アイデアを作中に盛り込みつつ、実はアクションメインではないという点でも、今作は「サロゲート」と同じ共通項を持っていると言えます。
今年の映画でブルース・ウィリスのアクションシーンに期待がかけられるのは、日本では2013年2月公開予定の「ダイ・ハード/ラスト・デイ」ということになるのでしょうね、やっぱり。

今作のストーリーを追っていくと、もう序盤からして大幅に歴史が改変されていることがまる分かりですね。
その最初のものは、犯罪組織のボスであるエイブが、実は困窮していた過去のジョーに銃を与えて組織に従事させていたというエピソードです。
実はエイブは「ルーパー」達の動向を監視させるという目的から、唯一「抹殺対象」としてではない形で未来から送り込まれてきたという設定の人物です。
つまり、未来からやってきたエイブは、過去である2044年で何かをしただけでも、未来の歴史が色々と変わってしまうという要素を持つことになるわけです。
彼がジョーを見出して銃を与えることがなければ、そもそもエイブに助けられることがない「本来の歴史」におけるジョーはその時点で死んでいたか、全く違う道を歩むことになっていたでしょうし、当然、エイブおよび彼の犯罪組織が未来のジョーによって殺されるという結末もなかったはずなのです。
未来でタイムトラベルが法律で禁止された上、その方を破っている犯罪組織からしてタイムトラベルを「産廃処理場」「処刑場」的な使い方しかしていないのは、歴史改変がもたらす多大な影響が恐れられていることにあるのでしょうに、そのタブーを堂々と破って平然としているエイブは、なかなかの大物であると言わざるをえないところですね(苦笑)。
というか、そんなタブーを犯しているエイブ自身が、未来の犯罪組織から生命を狙われてもおかしくないのではないのかと(爆)。
また、幼少のレインメーカーを殺すために「本来死ぬはずのない」人間を大量に殺し回っている未来のジョーも、相当なまでに歴史を改変しているよなぁ、と。
そしてトドメは、そこまで動き回った未来のジョーの更なる凶行を止めるために、ラッパ銃で自殺してしまった現在のジョーの行動です。
あそこでジョーが死んだことで、あのラスト後の2074年の世界って、時系列的にはもうありえないほどにグチャグチャな世界になってしまっているのではないでしょうかねぇ(苦笑)。
現在のジョーが死んだことで、未来のジョーによってもたらされた諸々の事件・事象も全て消失することにもなりかねず、しかもそれは現在のジョーが死んだ事実にまで及んでしまっているわけなのですから。
原因と結果が複雑に絡まり過ぎていて、一体どうなっているのか理解を絶しているタイムパラドックスが現出しそうな話ではありますね。

アクションシーンはあまり大したものがなく、SF設定的にも結構なツッコミどころがあったりするので、それ系の期待をする方にはあまりオススメできない作品ということになるでしょうか。

映画「96時間/リベンジ」感想

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映画「96時間/リベンジ」観に行ってきました。
リュック・ベッソン製作&リーアム・ニーソン主演のアクション・スリラー映画「96時間」の続編作品です。
原題は「TAKEN 2」。
「96時間」の原題も「TAKEN」でしたから、まんま続編ということになるわけですね。
前作は劇場では未観賞だったのですが、この間レンタルDVDで事前に復習していたので、物語の設定や全体像などは問題なく把握することができました(^^)。
実際、今回の敵がブライアン一家に関わるに至る動機や経緯については、前作のエピソードを予め知っていることが前提となっているので、今作を観賞する際には前作の復習が必要不可欠だったりします。
もし前作を知らないで今作に臨んでいたら、わけが分からない展開で面白さ半減は否めなかったでしょうね。

前作「96時間」のキム誘拐事件から1年後。
アルバニアの山中では、数体の遺体を葬るための葬儀が密かに行われていました。
それらの遺体は、前作「96時間」で主人公ブライアン・ミルズが娘のキムを救出する際に犠牲となった、人身売買組織の構成員達でした。
特に人身売買組織のボスで息子でもあったマルコを殺害された父親のムラドは、息子を殺した仇への復讐(リベンジ)を誓い、その行方を追い始めるのでした。

同じ頃のアメリカ・ロサンゼルス。
今作でもやはり主人公のブライアン・ミルズは、いつものごとく大富豪スチュアートと再婚した妻レノーアともども別居中の娘のキムに会いに来ていました。
キムは1年前の事件で負った精神的ショックを克服しつつあり、またブライアンからクルマの運転を習い、運転免許を取得しようとしている最中にありました。
しかし、せっかく訪れた豪邸にキムの姿はなく、家にいたレノーアは「娘は彼氏のところにいる」とブライアンに告げるのでした。
彼氏のことをブライアンに黙っていた理由は、それを教えるとブライアンが彼氏の身辺調査を始めてしまうからとのこと。
実際、ブライアンは前作でも、キムが人身売買組織に誘拐された際、大富豪スチュアートの事業内容やトラブルなどを詳細に至るまで徹底的に調べ上げていたことを披露してもいたのですし。
しかもその後、ブライアンは携帯電話のGPSからキムの居場所を割り出し、彼氏の家に直接乗り込んでキムを激怒させてしまうのでした。
そんなある日、いつものごとくキムの運転を見るためにやってきた豪邸にやってきたブライアンは、レノーアの怒鳴り声が響き渡る中、豪邸の主であるスチュアートがクルマで出ていく光景を目撃することになります。
ブライアンがレノーアに事情を聞くと、どうも前作と今作との間の1年間でレノーアとスチュアートはすっかり不仲になってしまったそうで。
その仲直りのきっかけを作るべく、レノーアは家族で中国旅行をすることを計画していたのですが、スチュアートが仕事の都合か何かでその計画を全てキャンセルしてしまったため、スチュアートの仲がほぼ絶望的なものになってしまったとレノーアは悲嘆に暮れる羽目に。
そんな様子を見たブライアンは、ちょうど自分が近く仕事で行く予定のトルコ・イスタンブールへレノーアとキムを誘うことを思いつきます。
これを機会に、レノーアとキムとの関係が修復できるかもしれないという希望を抱いて。
ダメ元で2人を誘ってみたブライアンでしたが、トルコで要人護衛の仕事を終えたブライアンは、そこでレノーアとキムのサプライズな再会を果たすことになるのでした。
しかしこれが、イスタンブールを舞台にした一大騒動に発展することになるのです。

映画「96時間/リベンジ」は、前作同様に主人公ブライアン・ミルズの情け容赦ないアクションシーンが光っていますね。
敵に遭遇すると同時に即戦闘モード&殺しにかかるブライアンの冷酷非情ぶりは今作でも健在で、緊迫感と爽快感溢れるアクションシーンを存分に披露してくれます。
アクションシーン以外でも、頭から袋を被せられているにもかかわらず、聴覚や振動などから得られる情報を元に自分の居場所を漠然としたものでありながらも把握してのける特殊スキルなども開陳されていましたし。
前作でもそうでしたが、この辺りはさすが元CIA工作員という設定なだけのことはあります。
前作との大きな違いと言えば、前作の敵があくまでも偶発的にキムを拉致してブライアンを呼び込んでしまったのに対し、今作の敵は最初からブライアンとその関係者をターゲットにしている点ですね。
今作は映画のタイトルにもあるように「リベンジ」がテーマなのですから、当然の話ではあるのですが。
ただ、前作の敵がわけも分からず奇襲を食らって壊滅したのに比べれば、今作の敵は明確な目的があってブライアンに先制攻撃を敢行し、自分達がおかれた状況をきちんと理解している分、幾分かはマシな死に方をしていると言えるのではないでしょうか(苦笑)。
彼らは、敵がひとりで組織を壊滅させるほどの凄腕の持ち主であることを充分に承知の上で、それでも戦いを挑んできているわけなのですし。
単純な利益の観点から言えば、ブライアンなんて放置して人身売買にでも精を出していた方が彼ら自身のためでもあったはずなのですが。
息子の復讐のためとはいえ、ムラドの個人的な感情に付き合わされる羽目になった組織の人間にしてみれば、ブライアンとムラドの感情的な抗争に巻き込まれた被害者としての側面も多分にあったことでしょうね。

そういえば、今作のラスボスであるムラドは、ある意味ではブライアンと非常に似た者同士な人間ではありますね。
ムラドは実の息子に対する復讐のために、何の利益にもならないブライアン一家の一網打尽を画策していたのですし、あらゆる犠牲を払ってでも彼はブライアンに最悪の死を与えようと必死になっていました。
その点では、娘と妻のためには手段を選ばず、ありとあらゆる手段で障害物を排除しまくるブライアンと、根底の部分では同じものがあるのではないでしょうか?
ブライアン自身、前作で娘のキムと友人のアマンダを誘拐した人身売買組織に対し「娘を返さないならば、お前らを必ず探し出しこの手で殺す」と明言していたわけですし。
それと全く同じことを、ムラドは逆にブライアン自身に対して、しかもその過程で暴力に訴えたり人を殺したりすることも辞さない形で実行に移しているわけです。
個人的技能を駆使するブライアンと組織力に物を言わせるムラドでは、「目的のための手段を遂行するための道具」に違いはあるものの、我が身を犠牲にしてでも家族のことを何よりも大事に考えているという信条については全く同じものを持っているのです。
前作の事件に際しても、もしブライアンがキムを失ってしまっていたら、逆に彼こそがムラドに復讐の刃を向けていたかもしれないのです。
それから考えると、ムラドというのは「ブライアンのもうひとつのあるべき姿」だったのではないかと、今作におけるムラドの言動を見ているとつくづく感じずにはいられなかったですね。
そして、家族の復讐に邁進するムラドの言動に自分と全く同じものを見出さずにはいられなかったからこそ、ブライアンは物語のラストで、ムラドに情けをかけて助けるかのごとき言動を披露していたのではないでしょうか?
正直、アレだけ情け容赦のないアクションシーンで敵を屠りまくっていた中でのあの選択の提示は、正直ブライアンの性格的には「らしくない」ものがありましたからねぇ。
もちろん、そんな状況でもブライアンは全く油断することなんてなかったわけなのですが。
あるいはブライアンは、ムラドを最初から殺すことを前提に、彼が激発することを最初から期待していたか、油断して去るフリをしてムラドを殺すための算段を練っていたとかいった策でも弄していたのかもしれませんが。

前作を観賞している人であれば、今作も文句なしにオススメできる映画ですね。

映画「だれもがクジラを愛してる。」感想(DVD観賞)

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映画「だれもがクジラを愛してる。」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2012年に劇場公開されたアメリカ映画で、トム・ローズの同名ノンフィクション小説を原作とする、1988年10月に実際に起こったアメリカ・アラスカ州のクジラ救出作戦を扱った作品です。
例によって熊本ではまるで公開されていなかった映画で、レンタルDVDでようやく観賞できるようになる始末でした(T_T)。
まあ今作では「あの」グリーンピースが善玉的な役柄で登場していますし、日本では受けが悪そうな作品ではあるのですけどね。

物語の舞台は1988年10月、アメリカの最北端に位置するアラスカ州の小都市バロー。
市外へと通じる陸路が存在しないこの街は、市内にある飛行場を発着する4機の飛行機によってかろうじて外界と繋がっている、まさに「陸の孤島」と呼ぶにふさわしい立地にありました。
今作の主人公にしてアラスカ州の州都アンカレッジにある地方テレビ局のリポーターであるアダム・カールソンは、この小都市バローで密着取材を行なっていました。
一通り取材を終え、近いうちにバローを発つことになっていたアダム・カールソンは、地元民から歓呼の声で祝福されます。
そんな中アダム・カールソンは、地元民でイヌピアック族の少年ネイサンに、かねてから約束していた従兄のスノーモービルの技の取材を行なって欲しいと懇願されます。
最初は忙しいことを理由に拒否していたアダム・カールソンでしたが、ネイサンの食いつきに根負けする形でしぶしぶ取材をすることになります。
やたらと興奮して大声で従兄に指示を出すネイサンに対し、どこか消極的な態度でテレビカメラを抱え撮影するアダム・カールソン。
しかしその最中、アダム・カールソンは一面銀景色の風景から、どこか波のような音がするのを感知するのでした。

同じ頃、アラスカ州の州都アンカレッジでは、アラスカ州の南にあるブリストル湾の石油採掘権の入札結果が発表されていました。
採掘権を獲得したのは、石油採掘会社のひとつであるアラスカ石油社長のJ・W・マグローで、彼は喜びと満足気な表情を露わにします。
ところが、それに冷や水を浴びせるがごとく、拡声器を持ったひとりの女性が、入札会場の責任者に対し、環境保護団体グリーンピースの入札額を公表するよう迫り始めます。
周囲が止めるのも聞かずに自己主張を繰り返しまくるこの女性レイチェル・クレイマーは、J・W・マグローの指示で入札会場からつまみ出されてしまうのでした。

さらに舞台は再びアダム・カールソンへ。
前述の奇妙な波のような音から、彼はネイサンとその従兄と共に、氷上に空いたひとつの穴を発見します。
その穴からは、3頭のコククジラが定期的に顔を出し、呼吸を繰り返していたのでした。
知らせを聞いて現場に駆け付けた、ネイサンの祖父でイヌピアック族の族長であるマリクともうひとりの男は、寒さで穴がふさがればクジラは呼吸ができなくなり命運は尽きると明言します。
しかし、これは良いスクープになると考えたアダム・カールソンは、アンカレッジのテレビ局にクジラの映像を送信。
上層部もその映像を気に入ったのか、アダム・カールソンの映像はニュースとして大々的に報じられることになったのでした。
これが、アメリカどころか当時のソ連をも巻き込む一大クジラ救出劇の始まりとなったのです。

映画「だれもがクジラを愛してる。」で個人的につい笑ってしまったのは、今作のヒロインであるレイチェル・クレイマーですね。
過激な環境保護(テロ)団体として世界にその名を轟かせているグリーンピースの一員にふさわしい【クレーマー】な言動の数々を、彼女は作中で何度も披露しています。
そして彼女は、他の登場人物達からも「クレーマー女史」「ミス・クレーマー」などと名指しで呼ばれているシーンがあったりするんですよね。
あれらのシーンを最初に見た時、アレは毒舌なマシンガントークを恐れられたことから名付けられた仇名か異名かとばかり思っていたので、本名だと知った時はさすがに驚愕せずにはいられませんでしたよ(笑)。
グリーンピースの手先という事実もさることながら、彼女は名前からして「クレイマー」、さらには周囲の人間に戦闘的なマシンガントークで挑みかかるという、まさに文字通りの【クレーマー】な言動に終始しているわけです。
これほどまでに「名は体を表す」を地で行く人生を送っている人も非常に珍しいのではないでしょうか(苦笑)。
原作はノンフィクション小説とはいうものの、実在の人物の名前をそのままなぞっているのかまではさすがに分からないのですが、もしこれが実在の人物名そのままなのであれば、「世の中には無意識の皮肉という概念が確かに存在するのだなぁ」というのが私の感想ですね(爆)。
まあ「クレーム」や「クレーマー」というのは実は「日本に帰化した和製英語」とのことで、その定義が「=苦情・不平不満を並べ立てる」となっているのは日本国内のみのようなのですが(ちなみに本来の意味は「損害賠償請求」とのこと)、それを考慮してもこの名前は「意図せざる皮肉」に満ちたものになっていると言わざるをえないですね。

映画のタイトルだけを見ると「グリーンピース万歳!」な作品であるかのごとき印象を受けるのですが、中身を見た限りでは色々な人達の立場を比較的淡々と描写するよう努力している様は伺えますね。
一番強い印象を受けたのは、クジラを助けようとするどの人間および組織も、100%の善意に基づいて動いたのではなく、それぞれの利害と打算のソロバンを弾いていたことがきちんと描写されていたことです。
アラスカ石油は環境保護をアピールしてグリーンピースその他世間一般からの批判をかわすという意図から協力を申し出ていますし、当時のレーガン大統領のブレーン達も選挙対策と人気取りの観点から軍にクジラ救出を命令させたりしています。
そもそも、クジラの窮地を最初に報じたアダム・カールソンにしてからが、その根底にあった動機はテレビリポーターとしての立身出世だったりするのですし。
そして、俗世の欲を動機としてこれらの面々が動くからこそ、ひたすらクジラの生命を救うという目的のためにのみ動く(ように見える)グリーンピースおよび組織を代表する「クレーマー女史」の言動があまりにも異常かつ狂信的にも見えてしまうんですよね。
「ミス・クレーマー」の言動には、ある種の異端審問のごとき宗教的原理主義の片鱗すら感じさせるものがありましたし。
まあ、そのグリーンピースにしたところで、その実態は人気取りと寄付金が目当てで、今回の騒動でも大いに儲かっていることを作中でも指摘されていたりするので、その点では企業や大統領と同じ穴の貉でしかないのですが(爆)。
それに対する「ミス・クレーマー」の反論も、「自分達は儲かっているわけじゃないわ、環境保護を無視した現政権の政策と闘うための資金よ」などという鼻持ちならない厚顔無恥なシロモノでしかありませんでしたし。
後年、旧東ドイツのソ連将校から核弾頭を購入しようとしたり、原発を実力行使で一時占拠したりした実績を持つグリーンピースの所業の数々を見ると、「クレーマー女史」の宗教的な言動にも鼻白んでしまおうというものです。
「ミス・クレーマー」のクジラを想う感情が本物だったとしても、あまりにも独善的かつ厚かましすぎる彼女にはほとんど感情移入などできなかったですね。
そりゃアダム・カールソンだって過去に彼女と別れもしようというものです(苦笑)。
彼の未来にとっては、物語中盤でバローにやってきて意気投合した女性リポーターのジル・ジェラード辺りと素直に恋仲にでもなっていた方が、本人のためにも良かったのではないかと思えてならなかったのですが。
個人的な好みという事情はあるにせよ、アダム・カールソンも一体何をトチ狂って「クレーマー女史」を選んだのか、あまりにも理解に苦しむものがありましたね。
あの性格では自分や(子作りしたならば)子供が苦労させられることになるって、過去の経験からも既に分かりきっていたでしょうに。

アクションシーン等の派手な描写は皆無ながらも、人間ドラマを描いた作品としては意外な面白さがあり、オススメの一品と言えます。

映画「ゴーストライダー」感想(DVD観賞)

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映画「ゴーストライダー」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2007年に公開されたアメリカ映画で、マーベル・コミックの同名マンガを原作とする、ニコラス・ケイジ主演のホラー・アクション作品です。
2013年2月8日には続編「ゴーストライダー2」が日本でも劇場公開される予定で、映画「96時間」と同じく今作もまたこれまで全くの未観賞していなかったため、事前の予習も兼ねて今回の観賞ということになりました。
映画「ゴーストライダー2」は熊本でも劇場公開されるとのことで、私も当然のごとく映画館にて観賞する予定です。

物語は、ゴーストライダーのそもそもの成り立ちから語られます。
ゴーストライダーは地上をさまよう呪われた存在で、悪魔と契約を結び、その悪魔の命令に基づいて悪人達の魂を駆逐することを生業としていました。
しかし、今から150年ほど前、悪魔との契約に基づいて1000人分もの邪悪な魂を捕えるべく、ひとりのゴーストライダーがサン・ヴェンガンザという村に向かった際に異変が発生します。
そのゴーストライダーは契約通りに1000人分の邪悪な魂を捕えたものの、契約主である悪魔にその魂を渡すことなく、悪魔の元から逃げ去り、何処かへ姿を消してしまったのでした。

舞台は切り替わり、アメリカの移動遊園地?が映し出されます。
その一角ではサーカスが開催されており、モーターサイクルスタントショーが好評を博していました。
今作の主人公で当時17歳だったジョニー・ブレイズは、父親のバートンと共にそのモーターサイクルショーの一翼を担っていました。
彼は、同じ年のロクサーヌ・シンプソンと恋仲の関係にあったのですが、彼女が両親の干渉で別の街に引っ越さなければならなくなったことを知り、自分の家族も生活も捨てて駆け落ちしようと言い出します。
ロクサーヌもそれを受け入れ、明日の正午に落ち合うことを約束するのでした。
その日の夜、父親との最後の別れのつもりで父親の部屋に入ったジョニーは、ふとしたきっかけから、以前から体調が思わしくなかった父親のバートンが末期癌にあることを知ることになります。
そのことにショックを受けつつも黙々とバイクの整備に明け暮れるジョニーの前に、一人の怪しげな男が姿を現します。
男は何故か父親バートンの容態のことを知っており、ジョニーに対し「彼を治すことが出来たら私と契約をしないか?」と申し出てきます。
その申し出を受けたジョニーが、男が差し出した契約書に誤って血を垂らしてしまうと、男は満足気に頷くのでした。
翌日の朝、男の言う通りに末期癌から完全な健康体となったバートン。
ところがバートンは、その日のモーターサイクルショーで事故に遭い、そのまま帰らぬ人となってしまったのでした。
バートンは明らかに謎の男によって殺されたのですが、男は「癌は直してやったぞ」とジョニーに契約を迫ります。
そして男は、ジョニーに「お前が必要になったら連れに来る」と言い放つと、ジョニーの身体に触れて何かを埋め込み、「お前は私のものだ」という言葉と共にその場を後にするのでした。
一方、昨日のジョニーとの約束を守るべく待ち合わせの場所にいたロクサーヌ。
しかし、父親の死と謎の男の言葉によってボロボロにされたジョニーは、待ち合わせの場所には来たものの、ロクサーヌを一瞥しただけですぐにその場を後にしてしまうのでした。

それから13年後。
ジョニー・ブレイズは、バイクを使った危険なスタントショーに挑んでいました。
車が一列に並んでいる中をバイクでジャンプするスタントショーを披露し、車の列を飛び越えることには成功するものの、彼は着地に失敗して頭を強打してしまいます。
普通ならば間違いなく死んでいるはずの衝撃だったはずですが、しかし悪魔と契約を交わしたジョニーは普通に会話すらできるほどにピンピンしていました。
仕事仲間達はジョニーの不死身ぶりに当然のごとく不審を抱くのですが、ジョニーは曖昧に誤魔化す日々を送っていたのでした。
そんな中、ジョニーの次なる仕事場であるテキサスの大地に、火の雨と共に白い顔の男が降り立つのでした。
白い顔の男は近くの酒場へと向かい、そこで殺戮の限りを尽くすのですが……。

映画「ゴーストライダー」に登場するダークヒーロー・ゴーストライダーは、その不死性が一番の武器と言えますね。
何しろ、序盤のスタントショーで即死級の事故で頭を強打してもピンピンしていたり、銃弾を大量に浴びせられたり、水の中で長時間潜らされたりしても平然としていたりするのですから。
逆に本当の意味での「武器」、特にゴーストライダー最強の武器とされる「贖罪の目(ペナンス・ステア)」については、その強さがどうにも見た目的に分かりにくいところがあります。
「贖罪の目(ペナンス・ステア)」は、ターゲットに自分の目を見つめさせることで、ターゲットが犯した罪と他人に与えた苦痛をターゲット自身に返すというものなのですが、対悪魔戦ではまるで効果がない上、作中でも「相手を死に至らしめる」以外の効果がまるで垣間見られないときているのですから。
ラスボス戦では確かに「贖罪の目」が最終的な決め技になってはいるものの、ラスボスがサン・ヴェンガンザの契約書を使って人間の魂をその体内に取り込むという行為をやらなければ、全く使い物にならなかったのですし。
あのラスボス、対ゴーストライダー戦を想定するのであれば、むしろサン・ヴェンガンザの契約書なんて使わない方が良かったのではないでしょうかねぇ(苦笑)。
使った後の方が却って弱体化しているようにすら見えましたし(爆)。

ゴーストライダーの武器としては、「贖罪の目」よりも「地獄の炎(ヘルファイア)」の方が見た目的にも効果が分かりやすく、また対悪魔戦でも有効な分、「贖罪の目」よりも使い勝手が良いようにすら見えるくらいです。
この辺り、ゴーストライダーは武器の強さの設定が根底からミスっているようにしか見えないところなのですが(^_^;;)。

また一方で、ジョニー・ブレイズがゴーストライダーとして活動できるのが「日の光に当たらない場所」だけしかない、というのは大きな弱点ですね。
ゴーストライダーが日の光に当たってしまうと、彼は人間に戻ってしまい、ゴーストライダーが使える全ての武器が使えなくなってしまいます。
これは「ゴーストライダー」という作品内でならともかく、映画「アベンジャーズ」の続編作品辺りにでも出演し、他のヒーロー達と共に巨大な悪を打ち倒すという展開に際しては、致命傷としか言いようのない弱点となってしまうのではないでしょうか?
彼も一応は「アベンジャーズ」の面々と同じくマーベル・コミック・ヒーローの一員なのですし、今作では出ていなかったものの、続編映画で「S.H.I.E.L.D.」の面々とご対面などという展開だって全くありえないわけではないでしょうから。
まあ、Wikipediaで見る限りでは、ゴーストライダーは「アベンジャーズ」には参加していないようではあるのですが。
ただ、これについては「アベンジャーズ」の続編が如何なる設定と展開になるのかにもよるでしょうし、映画の製作・配給会社の都合による「大人の事情」が左右もするのではないかと。
興行的な理由から原作の設定を変更し、ゴーストライダーが「アベンジャーズ」に参加するという可能性も全くないわけではないでしょうし。
スパイダーマンが映画製作会社の権利問題などから「アベンジャーズ」に出演できないなどの問題もありますから、映画会社の権利関係も大いに絡む問題ではあるのでしょうけど。
まあこの辺については、続編映画を見れば分かることではありますね。

あと、物語終盤でジョニー・ブレイズに「ゴーストライダーの呪い」をかけたメフィストが「お前は任務を果たしたから呪いを解く」と明言した際、それを拒否したジョニー・ブレイズの行動は正直疑問な点が多いですね。
彼は「ゴーストライダーの呪い」がひとりにしかかけられないという前提でメフィストの意思に逆らったわけなのですが、実はメフィストがゴーストライダーを複数人作れるであろう事実が作中ではっきりと明示されているんですよね。
かつてサン・ヴェンガンザの村を襲撃し、メフィストに初めて逆らったカーター・スレイドとジョニー・ブレイズの2人が、共にゴーストライダーとなって2人一緒に荒野を疾走する描写があるのですから。
これから分かるのは、別にメフィストはひとりしかゴーストライダーが作れないわけではない、という事実です。
さすがに何百人単位では無理があるにしても、複数人程度であれば充分に作れるし、ひとりいればメフィストの手駒としては充分に働かせられるわけです。
つまり、メフィストが他者に「ゴーストライダーの呪い」をかけるのを防ぐ目的からジョニー・ブレイズがゴーストライダーに留まり続けるという行動は、実は無意味もいいところだということです。
もちろん、ゴーストライダーとしての力自体は、対メフィスト用の決戦兵器としてはそれなりに有効に機能もするのでしょうけど。
あの場面におけるジョニー・ブレイズの選択肢としては、普通に「ゴーストライダーの呪い」を解除されてロクサーヌと幸せに生活する、という展開でも問題はなさそうに思えてならなかったのですけどね。
まあジョニー・ブレイズ的には、メフィストは父親を殺した仇でもあるわけですから、そこで妥協することなど到底できなかったのかもしれないのですが。

作品の雰囲気としては、同じニコラス・ケイジ主演の映画「ドライブ・アングリー」に近いものがありますね。
アレも地獄が登場したり主人公が不死身だったりと、複数の共通項が色々とあったりしますし。
続編の「ゴーストライダー2」もニコラス・ケイジ主演のようで、今から続編映画が楽しみな限りではありますね。

映画「96時間」感想(DVD観賞)

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映画「96時間」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2009年に公開されたフランス映画で、リュック・ベッソン製作のアクション・スリラー作品です。
2013年1月11日には続編「96時間/リベンジ」が日本で公開される予定となっており、本作がこれまで全くタッチしていなかったこともあって、事前の予習も兼ねて今回の観賞と相成りました。
当然、続編たる「96時間/リベンジ」も、日本で公開され次第劇場で観賞する予定です。

今作の主人公であるブライアン・ミルズは、元CIA工作員として凄腕を有する実力者でありながら、娘のキム・ミルズのためにアメリカ・カリフォルニア州で隠居生活を送っていました。
妻のレノーアとはとうの昔に離婚しており、娘のキムはレノーアが再婚した大富豪のスチュアートと一緒に生活していました。
それでもブライアンは、キムの誕生日の折には自らプレゼントを持参して駆けつけるなど、娘のことを他の何よりも考え、娘もまた、そんな父親のことを慕っているのでした。
その日の夜、ブライアンはかつてのCIAの元同僚達と共にささやかなバーベキューパーティを行います。
パーティの中でも、ブライアンの娘想い絡みのエピソードが酒の肴として語られていたりします。
パーティが終わり、元同僚達がブライアン宅から帰宅の途につこうとする中、元同僚達のひとりがブライアンに仕事を持ちかけてきます。
コンサート会場へ赴く歌手の護衛を兼ねた送り迎えを4時間遂行するだけで2500ドル、という仕事を持ちかけられたブライアンは、場所が地元でかつ死人が出ない仕事であることから2つ返事で引き受けます。
コンサート会場で楽屋の護衛を任されたブライアンは、娘が歌手志望だったことを思い出し、護衛対象である歌手のシーラに娘への助言を求めます。
それに対するシーラの返答は「他の仕事を探せ」というそっけないものでしたが。
コンサート終了後、シーラは運営側のミスで解放されてしまったゲートから押し寄せるファンから逃走する最中、ナイフを持った男に奇襲されます。
しかし、それをいとも簡単に払いのけて男を取り押さえるブライアン。
ブライアンは暗殺者の存在に動揺するシーラと共に車に乗り、コンサート会場を後にするのでした。
シーラはそのお礼として、ボイストレーナーの紹介とレッスン料の引き受けを申し出、娘のキムが歌手としてやっていけるよう便宜を図ってくれることを約束してくれたのでした。

翌日の昼食時。
コンサートの最中に娘のキムから電話をもらっていたブライアンは、娘の誘いに応じて2人きりのランチを楽しむべく、とあるレストランで娘が来るのを待っていました。
しかし、レストランに現れたキムは、母親のレノーアも一緒に連れてきていました。
娘との2人きりでのランチを楽しみにしていたブライアンはやや落胆した様子でしたが、気を取り直して彼はキムの要件について問い質します。
キムが言うには、親友のアマンダと一緒にフランスのパリへ行こうと誘われたが、キムは17歳の未成年者のために親の同意が必要とのことで、その許可が欲しいとブライアンに頼み込んできたのでした。
しかしブライアンは、「17歳でひとり旅は危険だ」という理由から許可証へのサインを拒み、結果、キムはヒステリックになってその場を立ち去ってしまいます。
そのことがショックだったのと、レノーアからボロクソに言われたことが効いたのか、結局ブライアンは条件付きながらもキムの海外旅行の許可証にサインしてキムに手渡すのでした。
そして、ブライアンに空港まで見送られつつ、キムはアマンダと共にフランスのパリへと向かうことになるのですが……。

映画「96時間」は、娘を人身売買組織に誘拐された父親の奮闘が描かれています。
父親のブライアンは、娘であるキムの安否を心配するあまり、過剰なまでにガチガチな規則でもって娘の行動を束縛・把握しようとします。
結果的に見れば、確かにそのおかげで娘の消息および誘拐犯達の手がかりをわずかながらに把握することができたのですから、一見するとその対応こそがベストだったように思われます。
しかしそれはあくまでも結果論であり、しかもブライアンが提示していた防衛策は、ブライアンでなければ事実上対処ができないというほどに微弱な足跡を残すに過ぎないシロモノでしかありませんでした。
また、キムとアマンダを誘拐した犯人にしても、別に「彼女らを何が何でも狙わなければならなかった」理由があったわけではなく、いつもの人身売買の仕事絡みで、半ば作業的に彼女らを攫ったに過ぎなかったわけです。
何か少しでもツキがあったり手順が違ったりしていたら、彼女らは全く誰にも狙われることなく、無事に旅行を終えていた公算が極めて高かったのです。
つまりキムとアマンダは、一言で言えば「運が非常に悪かった」とでもいうべき境遇にあったのであって、100%確実に生命を付け狙われているわけではなかったことになります。
第三世界とか格別に治安の悪い場所へ行くとかいうのであればまだしも、シャルル・ド・ゴール空港からパリにあるアマンダの従姉の家までであれば、そこまで警戒する場所ではないわけですし。
そんな状況下で、しかも観光旅行気分でパリの街にやってきた2人が周囲を相手に完全警戒態勢で臨むのは、未来を見通す予知能力でも駆使するか、ブライアン並に裏社会の実態を知り抜いているかしていなければ、さすがに難しいものがあったと言わざるをえないでしょう。
まあ、「パリならば安全だろう」という思い込みが逆に盲点ないし間隙となることは大いにあるわけで、誘拐犯達もその辺りの心理を利用することで人身売買業をこなしてきてはいたのでしょうけど。

しかし、桁外れの運の悪さで誘拐犯達に攫われたキムとアマンダも不運の極みではありましたが、今作の場合、それは同時に彼女らを誘拐した当の誘拐犯達にも言えることではありますね。
彼らにしてみれば、いつも通りの仕事をこなしていたはずなのに、元CIA工作員などという危険極まりない猛獣を呼び込んでしまい、わけも分からずに組織もろとも死んでいく羽目となったのですから。
誘拐犯達も、まさかあの時電話で話した父親が元CIA工作員で、アレだけの行動力でもって自分達を追い詰めていき、それによって自分達の生命が奪われることになるとは夢にも思わなかったことでしょうねぇ(^_^;;)。
そんな悲惨な末路な未来を事前に知っていたならば、彼らもあの2人を攫うなどという命知らずなことは、破滅願望でも抱いていない限りは何が何でも避けようとしたでしょうに(苦笑)。
理不尽な非常識に直面する羽目になったのは、もしかしなくても誘拐犯達の方だったでしょうね。
彼らは死の瞬間、あまりにも理不尽な現実と神の気まぐれに呪いの言葉でも吐きたい気分に駆られたかもしれません。

一方、今作で大活躍を演じることになるブライアンは、とにかく冷酷非情な殺人マシーンとしての側面を存分に見せつけてくれます。
彼は敵に対して情け容赦がありませんし、捕えた敵を拷問にかけて情報を引き出した挙句そのまま殺してしまったりもしています。
ブライアンに殺されていく悪党達自身、他者に対してはまさにブライアンと同じように情け容赦なく酷虐に扱ったり殺したりしていったのでしょうし、実際作中にもそういう描写があるわけですから、その点では同情する余地など最初からどこにもないわけではあるのですが。
躊躇なく敵を殺しまくるブライアンのアクションシーンは、個人的には結構爽快なものがあります。
何しろ最近は、映画のみならずエンタメ作品全般で「るろうに剣心」のごとき「不殺の精神」とやらが流行でもしているのか、敵に対して妙に寛大な態度を取ったり、殺すべき敵を殺さなかったりといった描写が幅を利かせすぎている感が多々ありますし。
変に偽善的・温情的な主張をすることなく、「自分達に降りかかる火の粉は払う」を徹底して実行していますからねぇ、ブライアンは。
その筋の通った行動と「強さ」こそが、今作が観客を魅了する最大の要素と言えるものなのかもしれません。

今作の続編たる「96時間/リベンジ」は、今作で壊滅した人身売買組織を統括していた息子を殺された親玉が、ブライアンに対する復讐(リベンジ)を画策することから始まるストーリーのようですね。
アクションシーンを見たいだけならば続編単独でも楽しめないことはないでしょうが、ストーリー的な繋がりを楽しみたいのであれば、やはり今作の事前復習は必須なのではないかと。

映画「レ・ミゼラブル」感想

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映画「レ・ミゼラブル」観に行ってきました。
世界各国の舞台で長年ミュージカル公演が行われてきた、ヴィクトル・ユーゴー原作の同名小説の実写映画化作品。
なお、今作が2012年における私の最後の新作映画観賞となります。

今作の舞台はフランスで、最初に登場する年代は1815年となります。
当時、ワーテルローの戦いでナポレオン・ボナパルトが敗北し、フランスでは王政が復活していました。
そんな世相の中、今作の主人公ジャン・バルジャンは、パンを1つ盗んだことが発端となり、実に19年もの長きにわたって続いていた囚人生活に終止符を打とうとしていました。
パンを盗んだ罪に対する罰自体は5年程度だったのですが、ジャン・バルジャンは何度も脱獄を繰り返したためにそこまでの懲役期間になったのだとか。
彼は名前ではなく「24601号」という記号で呼ばれ、奴隷労働に従事させられていたのですが、生涯にわたり1ヶ月に一度指定の警察署?に出頭することを条件に仮釈放が認められます。
しかし、長きにわたる牢獄生活のために行き場を失い、生活の糧もなく困り果てたジャン・バルジャンは、とある教会の門を叩きます。
そこで一宿一飯にありつけたジャン・バルジャンは、夜中にこっそり起き出し、教会内にあった銀の食器をあらかた盗み出し逃走してしまいます。
後日、当然のごとく憲兵に捕縛されてしまい、教会に連行されてきたジャン・バルジャンでしたが、この期に及んで彼は「これらの物品は教会からもらったものだ」などと誰の目にも嘘八百な言い訳を披露し始めます。
ところがそれを聞いた教会の司教は、何と「彼の言っていることは事実である」と肯定してジャン・バルジャンを解放させ、さらに2つの銀の燭台をもジャン・バルジャンに差し出してすらみせたのです。
この司教の態度に心を打たれたジャン・バルジャンは、仮釈放の許可証を破り捨て、改心して新たな人生をやり直すことを神に誓うのでした。

それから8年後の1823年。
ジャン・バルジャンは「マドレーヌ」と名を変え、とある街で事業を起こして成功を収め、さらには市長に任命される程の善良かつ人望のある人物として慕われるようになっていました。
しかしこの年、彼が運営している工場で雇われていたファンティーヌという女性工員が、他の女性工員と諍いを起こしてしまい、ジャン・バルジャンの部下だった工場長からクビを言い渡されるという事件が発生します。
ファンティーヌは8歳になるひとり娘のコゼットをテナルディエという一家に預け、多額の養育費を支払い続けていました。
ところがテナルディエ一家はファンティーヌに対して不当なまでに高い養育費を要求していたため、彼女は多額の借金を抱える身となっていました。
そこへ追い打ちをかけるようにして工員としての働き口を失ってしまった彼女は、とうとう売春婦としてカネを稼ぎ、身体を壊してしまうことになるのでした。
同じ頃、ジャン・バルジャンは自分の行方を追っていたジャベール警部から、自分とは全くの別人がジャン・バルジャンとして逮捕されたことを告げられます。
自分が名乗り出て別人を助けるか否か迷っていたジャン・バルジャンは、ふとしたきっかけから客と諍いを起こしていたファンティーヌのことを知ることになります。
ここでジャン・バルジャンは、自分の人生を左右する決断を迫られることになるのですが……。

映画「レ・ミゼラブル」では、1815年~1833年までのジャン・バルジャンの生涯が描かれています。
作中で描かれる大きなターニングポイントは、1815年・1823年・1832年の実質3年になるのですが。
今作はミュージカルの影響を色濃く受けているためか、作中で複数の歌が登場人物によって歌われるのはもちろんのこと、普通のセリフに至るまで歌のリズムに合わせるような口調でしゃべられていたりします。
私が観賞したのは字幕版なのですが、字幕版でさえ何らかのリズムに合わせて台詞が語られているのが一目で分かるほどのミュージカルぶりでした(苦笑)。
元々「レ・ミゼラブル」はミュージカル舞台として親しまれてきた経緯があるために、映画もファンを取り込むことを目的に、舞台と同じミュージカル調な展開にすることを優先したのでしょう。
さすがに戦闘シーンなどについてはミュージカル調ではありませんでしたが(苦笑)。
ただ、わざわざミュージカル調な展開にしたことで、物語全体が無駄に冗長なものになってしまっている感はどうにも否めなかったですね。
今作は上映時間158分にも及んでいるのですが、そのうちの40分ほどがミュージカルな展開に費やされていたのではないかと。
要所要所のみに歌や踊りのミュージカルを挿入するのであればともかく、今作はほぼ全編、それも登場人物達の会話まで含めて95%以上がミュージカル調だったのですし。
今回の「レ・ミゼラブル」はミュージカル舞台ではなく映画なのですから、畑違いの分野でわざわざミュージカル調な展開を持ち込まなくても良かったのではないかとは思わなくもなかったのですけどね。

個人的に少し疑問だったのは、1823年に市長の地位にあったはずのジャン・バルジャンが、ジャベール警部の追跡に対して何の圧力もかけていない点ですね。
仮にも市長の座にあったジャン・バルジャンなのですから、警察に圧力をかけて自分への追跡を止めさせることくらい普通に出来たのではないかと思えてならなかったのですが。
ある種のカタブツなジャベール警部自身に直接の賄賂や圧力などは通じなかったにしても、彼の上の人間は必ずしもそうとは限らないのですし、警察内部にジャベール警部を敵視する人間がいたとしても何ら不思議なことではないでしょう。
作中で示されているような性格では、むしろ敵を作らない方がおかしいのではないかとすら思われるくらいなのですし。
その手の人間に圧力なり賄賂攻勢なり誘導工作なりを展開することで、ジャベール警部を異動させたり失脚させたりすれば、自分に対する追跡を止めさせることも普通に出来たのではないのかと。

また、ジャン・バルジャンと誤認されて逮捕された男を救いたかったからといって、別に「自分こそがジャン・バルジャンである」などと名乗り出る必要もこれまたなかったはずでしょう。
近代裁判の論理で言えば、その男がジャン・バルジャンであるという証明を否定することさえできれば、「疑わしきは罰せず&被告人の利益に」という推定無罪の原則で彼の無罪は充分に証明されるわけです。
その男がジャン・バルジャンではないことを誰よりも知悉しているジャン・バルジャンにしてみれば、彼の嫌疑を再調査・精査させるだけでも相当程度の効果が見込めるのは確実なのですが。
元々全くの別人をジャン・バルジャンと誤認している時点で、捜査自体が相当なまでに荒くかつ穴だらけなシロモノであろうことが容易に推察されるのですし。
場合によっては、警察が手柄を立てるだけのために全く無実の人間の冤罪をでっち上げた、などという事態も考えられるわけで。
そういった観点から警察を攻めていけば、ジャン・バルジャンは自分の正体をバラすことなく冤罪をかけられた人物の無罪を勝ち取るという、「一挙両得」な成果を上げることも充分に可能だったのではないかと。
もしそれでも冤罪にかけられた人物が有罪になった場合は、市長の名で減刑嘆願を出したり保釈金等の金銭的な援助を自ら行って冤罪者を助けるということも、当時のジャン・バルジャンの立場であれば可能だったでしょう。
ジャン・バルジャンはジャベール警部に対して「俺は逃げはしないから猶予をくれ」的なことを口ではのたまっていても、実際には逃げる気満々だったわけなのですから、手段を問わず自己保身に邁進しても別に不思議なことではなかったのではないかと思えてならないのですけどねぇ。
その手の政治的権力や経済的支援などをもっと活用した保身術を駆使すれば、自分も他人もより幸福になることもできたかもしれないのに。

ミュージカル舞台版の「レ・ミゼラブル」が好きな方には、それなりにオススメできる作品と言えるでしょう。
ただ、そのミュージカル要素の挿入による冗長な展開は、「レ・ミゼラブル」の話を全く知らない一見さんには少々厳しいものがあるかもしれません。

映画「エアポート2012」感想(DVD観賞)

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映画「エアポート2012」をレンタルDVDで観賞しました。
2012年にアメリカで製作された映画で、日本では劇場未公開の作品となります。
タイトルの末尾に「2012」とあるところを見ると、一応シリーズもの作品ではあるようなのですが、にもかかわらず劇場公開されない辺り、日本ではマイナーもいいところの映画であることが一目瞭然ですね(苦笑)。
ちなみに「エアポート」と銘打たれているタイトル名ではありますが、空港は何の関係もありません(爆)。

航空管制のミスが頻発したことから、アメリカでは人為的なミスを回避するための衛星ネットワークシステムが開発されていました。
その名はACATシステム。
軍用機で既に運用されているその衛星システムは、やがてスペースシャトルで2機目が打ち上げられ、民間機にも導入され、空の旅をこれまでよりもはるかに安全なものにするはずでした。
ところが、民間機での運用が開始されたその日のうちに、早くもACATはトラブルを引き起こしてしまいます。
宇宙空間で電気的なショート?を繰り返し、やがて衝撃波と共に衛星は破損。
破損によって発生した衛星の欠片が、次々と地球の引力に引き寄せられていきます。
それらの欠片群はアメリカ各地に落下、まずは地上での被害を拡大させていくのでした。

それより少し前、ACATが導入されたアメリカ東部クリーブランドの航空管制センターでは、かねてよりACATの導入に反対していたボブが、ACATと通信が取れなくなったことから懸念を抱き、中央の空域管理センターに対し、現在空を飛んでいる全ての航空機の着陸許可を求めていました。
しかし空域管理センターからは、「ただ今調査中、こちらで対処する」という官僚答弁的な返答をするのみで、ボブの意見を全く取り合おうとしません。
それどころか空域管制センターは、大統領一家を乗せた大統領専用機エアフォースワンを離陸させろとボブに命じてきたのでした。
当然ボブは「リスクが大きすぎる」と反対するのですが、その意見はまたも却下され、やむなくボブはエアフォースワンの着陸許可を出さざるをえなくなってしまいます。
デトロイトへと向かう予定のエアフォースワンの航路上には、同じくデトロイト行きの民間航空機アメリカーナブルー23便が飛行していました。
ボブはエアフォースワンとアメリカーナブルー23便と連絡を取ろうとするのですが、両者共に交信不能の状態。
事態の重大性を理解していたボブは、通常ならばまず考えられない非常手段を用いて両者との交信を試みようと画策を始めるのでした。
地上でそんな事態が発生しているとも知らず、つかの間の空の平和な旅を楽しむエアフォースワンとアメリカーナブルー23便の搭乗者達。
しかしそんな中、破損を続けつつもかろうじて稼働していたACATが、ついに破滅的な段階を迎えてしまい、システムが完全に狂ってしまうのでした。
狂ったACATは、エアフォースワンとアメリカーナブルー23便をコントロール不能にしてしまい、事態は悪化の一途を辿ることになります。
クリーブランド航空管制センターのボブ、エアフォースワンとアメリカーナブルー23便のパイロット達は、最悪の事態を回避すべく、それぞれの立場で動き回ることになるのですが……。

映画「エアポート2012」は、航空機で次から次に発生していく非常事態の数々と、それにパニックを引き起こしながらも対応していく人々の姿が描かれています。
パニックに襲われている当事者達は必死になって最悪の事態を回避しようとしているのですが、物語中盤は全く無為無力か、却って事態を悪化させているのが実情だったりします。
個人的に笑ってしまったのは、狂ったACATシステムによってエアフォースワンからミサイルを撃ち込まれたアメリカーナブルー23便の乗客達が、落雷の影響で機体に突っ込みながらも爆発しなかったミサイルを機外へ出すシーンですね。
機体から落下していった不発のミサイルが、地上のガソリンスタンドを直撃して爆発炎上した直後、ただただ目先の危機を回避した乗客達が安堵する姿が映し出される様は滑稽もいいところでした。
そりゃ彼らが立たされている状況的では、とにかく自分達が助かるためにもそうするしかなかったのでしょうが、地上では彼らの行為によって大変なことになってしまっているわけで(苦笑)。
また、飛行中の航空機に空中給油の要領で接続し大統領を救出する「サムフォックス作戦」の実行時には、大統領夫妻が揃いも揃って感情的かつヒステリックな対応に終始しているのはさすがにどうなのかと。
「サムフォックス作戦」は大統領を最優先で救出する作戦のはずなのに、それを自身の強権発動で強引に捻じ曲げ妻を先に機外へ出すよう指示する大統領とか、ただひたすら娘の安否ばかり心配して夫に食ってかかるファーストレディとか、自分達の立場や状況が本当に理解できているのかすら疑問視せざるをえない対応ばかりやらかす始末でしたし。
結果的にはその態度によって、元々失敗率が高かった「サムフォックス作戦」の失敗による犠牲を回避することができたとはいえ、それはあくまでも結果論でしかないわけで。
仮にも一国の、それも他国にまで多大なまでの影響力を及ぼす最高権力者として振る舞わなければならないアメリカの大統領一家がそれではちょっと……。
個人としては自己を犠牲にして他人を思いやる優れた人格と言えるのかもしれませんが、一国の最高権力者としては鼎の軽重を問われても文句は言えないでしょうに。
まあ、もしあの大統領が、実は「サムフォックス作戦」の成功率の低さを鑑みて、まずは自分の妻をある種の実験台として送り込んだ上でその成否を確かめるつもりだったというのであれば、その冷徹な判断ぶりは逆に賞賛に値するかもしれないのですが。
ただ、作中の描写を見る限りでは、件の大統領にそんな意図は全くなかったとしか言いようがなかったのですけどね。

ただこれ、全体的に見れば、航空機の中で生じた被害・犠牲者よりも、衛星破片の落下物によるそれの方が、数においても質においてもはるかに深刻な規模になっていると言わざるをえないでしょう。
アメリカーナブルー23便が地上の建造物等に与えた損害も、決して無視できるものではないのですし。
物理的なダメージだけでなく、ビルが立ち並ぶ街中を超低空飛行で飛んでいく様は、それを目撃したアメリカ国民の間で「911の再来」的な心理的恐怖まで与えていたのではないのかと(-_-;;)。
ラストはハッピーエンド的な結末で終わっていますが、事件後の後始末はさぞかし大変なものがあるでしょうねぇ、アレでは。
まずさし当たっては、欠陥だらけなACATシステムを導入した人間が責を問われ、場合によっては社会的に吊るし上げられることになるのでしょうけど。

航空機を扱ったパニック・ムービーや、緊迫感溢れるストーリー展開が観たいという方には、普通にオススメできる出来の作品ではあります。
ツッコミどころは色々とありそうなB級映画ではあるのですが(苦笑)。

映画「ホビット 思いがけない冒険(3D版)」感想

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映画「ホビット 思いがけない冒険」観に行ってきました。
映画「ロード・オブ・ザ・リング」3部作の時代から遡ること60年前を舞台とする、ピーター・ジャクソン監督製作によるファンタジー・アクション大作。
今作は3D版メインの上映であり、2D版はほとんど上映されていなかったため、やむなく3D版での観賞となりました(T_T)。
まあ3Dの出来自体はそれなりのものはあると言えるレベルではあったのですが、3Dのために無駄金を使いたくない私としてはあまり慰めにならないというか(-_-;;)。
現行の料金体系では、3D映画はただそれだけで高くなるという理不尽な問題が常に付きまとうことになるのですし、いい加減何らかの改善が必要なのではないかと思えてならないのですけどね。

今作は、映画「ロード・オブ・ザ・リング」の1作目が開始される直前の時間軸で、年老いたビルボ・バギンズが「ロード・オブ・ザ・リング」の主人公であるフロド・バギンズをあしらいつつ、過去を回想するという形で語られることになります。
今作の冒険が行われることになったそもそものきっかけは、中つ国の東に位置する「はなれ山(エレボール)」に存在し繁栄を極めていたドワーフの王国が、ある日突然ドラゴン・スマウグの襲撃に遭い壊滅的な被害を被り滅亡したことにありました。
生き残りのドワーフ一族は、スマウグの襲撃時にドワーフ王国の王子の立場にあったトーリン・オーケンシールドによってかろうじてまとめられ、その日暮らしの生計を立てつつ、「はなれ山」に居座るスマウグを討ち取り国を再興すべく準備を進めていたのでした。
トーリンの古くからの友人であった灰色の魔法使い・ガンダルフもまた、トーリンの旅に同行することになるのですが、その際ガンダルフは、ホビット庄に住むホビットのビルボ・バギンズを推挙し、トーリンと12名のドワーフ達と共に旅に同行させることを提言します。
当初は「招かれざる客」同然に強引に自分の家に押し入ってきた上、家に備蓄されていた食糧を食い漁ってしまったドワーフ達とガンダルフに対してまるで好意的でなく、旅の同行にも難色を示していたビルボ・バギンズ。
またドワーフ側も、ロクな体力も戦闘力もないホビットを自分達の仲間として迎えることに積極的ではなく、むしろ反対の声すら上がる始末。
当の本人も周囲もそろって懸念と反対の声を上げる中、ガンダルフただひとりがビルボ・バギンズの有用性を強引に主張するという構図になっていました。
翌日、目を覚ましたビルボ・バギンズは、アレだけどんちゃん騒ぎを繰り出しまくっていたドワーフ達とガンダルフが既に出払ってしまったことを知ります。
彼らが出払った後の家には、仲間になる際の契約書だけが残されていました。
その契約書を握りしめたビルボ・バギンズは、昨日までの消極的な態度はどこへやら、ドワーフ達の後を追い、彼らの旅の参加を表明するのでした。
かくして、ビルボ・バギンズの長い長い旅が始まることとなるのですが……。

映画「ホビット 思いがけない冒険」は、「ロード・オブ・ザ・リング」3部作の前日譚ということもあり、同シリーズでラスボスだったり死んでいったりした懐かしい顔ぶれが作中に登場しています。
「ロード・オブ・ザ・リング」2作目でラスボスとして振る舞っていたサルマンも、今作ではまだ悪に染まっていないものの頭が固く融通が利かない人物として登場していたりしますし、同じく2作目から登場し「愛しいしと」という口癖が有名なゴラムも登場しています。
ただ、個人的に一番驚きなのは、「ロード・オブ・ザ・リング」から60年前の世界が舞台のはずなのに、今作ではその「ロード・オブ・ザ・リング」の時よりもむしろ老け込んだ感すらあるガンダルフですね。
普通、時系列が過去となる前日譚を扱った話で同じ登場人物が出てくる場合、その登場人物は「未来」の作品よりも若々しい姿で登場するものではないのでしょうか?
現に作中のビルボ・バギンズは、冒頭で年を取っている容貌と60年前の若々しい姿の差が誰の目にも分かるように描写されていたのですし。
作中の描写を素直に信じると、ガンダルフは60年の歳月を経て逆に若返っていることになってしまうわけで、「一体どういう年の取り方をしているんだ?」とは疑問に思わずにはいられなかったですね(苦笑)。
今作や「ロード・オブ・ザ・リング」の設定によれば、ガンダルフは人間ではなく「イスカリ」と呼ばれる魔法使いとのことで、この世界における魔法使いというのは「職種」ではなく「種族」として位置づけられる特殊な存在のようです。
その寿命は人間よりもはるかに長く老化もゆっくり進行するもののようで、道理で60年もの歳月の差がある割には容姿がほとんど変化していなかったわけですね。
ただ、エルフみたいに桁外れな長命で死や老いとは無縁そうな種族であっても、「若返り」まではさすがに無理なわけですし、この辺りは作中時間ではなく「現実世界の時間の流れ」というものを感じずにはいられないですね。
何しろ、ガンダルフが映画で初登場した「ロード・オブ・ザ・リング」1作目の公開から、2012年の時点で既に10年以上もの歳月が経過してしまっているのですし、配役の人も一貫して同じ人が担っているのですから。
前日譚なのに、時系列的には後であるはずの作品よりも登場人物が年を取って見える、というのは現実の時間が流れている以上は避けられない問題なのでしょうが、作中におけるビルボ・バギンズの事例のごとき「配役の変更」とか「容貌のCG加工」で何とか凌ぐ方法はなかったのかなぁ、と。

映画「ホビット 思いがけない冒険」は、「ロード・オブ・ザ・リング」と同じく3部作構成の中の1作品であり、残り2作は2013年~2014年にかけて公開される予定となっています。
次回作の2作目は「ホビット スマウグの荒らし場」、完結となる3作目が「ホビット ゆきて帰りし物語」というタイトルに、それぞれなるのだそうで。
3部作の導入部となる今作では、ビルボ・バギンズが冒険に参加してから、様々な襲撃やアクシデントを経て、はるか遠方にボンヤリと見えている「はなれ山」を一望するまでのストーリーが描かれています。
本質的に戦いに向いておらず、中盤頃までは仲間の足を引っ張っていた感のあるビルボ・バギンズでしたが、終盤ではオークに追い詰められ首を刎ねられようとしていたトーリンの絶体絶命の危機を助けるという大金星を挙げ、トーリンをはじめとするドワーフ達にその実力を認められるようになります。
その点では、終始指輪の誘惑にしばしば魅了された挙句、最後には一時的にせよ誘惑に屈してしまった「ロード・オブ・ザ・リング」のフロド・バギンズよりもはるかに主人公らしいキャラクターではありますね(苦笑)。
「ロード・オブ・ザ・リング」では、フロド・バギンズよりもその従者だったサムの方が、人格面で言っても活躍度から見てもはるかに主人公の風格があったくらいでしたし(爆)。
「ロード・オブ・ザ・リング」と言えば、今作でビルボ・バギンズが拾うことになった指輪が、「ホビット」3部作の中でどのような役割を果たすことになるのかも要注目ですね。
あの指輪、「世界を支配する力がある」とか御大層なことを言われている割には、作中における実際の描写では「身体が透明になれる」程度くらいしか「持ち主の役に立つ能力」というものがなく、それ以外は敵の標的になるとか死霊に追われるとかいったマイナスの効用しかなく、「何故こんなシロモノに誰もが魅了されるのか?」とつくづく疑問に思えてならないところですし。
「ホビット」3部作で指輪の所持が問題化することはないと思われるのですが、指輪は果たしてどんな活躍をすることになるのやら。

「ロード・オブ・ザ・リング」のファンであれば充分に楽しめる映画ではあります。
ただ前日譚とは言え、「ロード・オブ・ザ・リング」の登場人物も少なからず登場していることなどを鑑みると、ある程度「ロード・オブ・ザ・リング」の予習をしてから今作に臨んだ方が「より」楽しめるかもしれませんね。

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