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カテゴリー「洋画感想」の検索結果は以下のとおりです。

映画「ハングリー・ラビット」感想(DVD観賞)

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映画「ハングリー・ラビット」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2012年6月に劇場公開されたアメリカ映画で、ニコラス・ケイジ主演のサスペンス・アクション作品です。
例によって例のごとく、熊本では一度として見かけたことすらない作品ですね(T_T)。
ニコラス・ケイジ主演作品は、熊本では軒並み避けられている傾向が多々ありますし(-_-;;)。
この映画の地域間格差、いい加減どうにかならないものなのかと。

物語の舞台はアメリカ・ルイジアナ州ニューオリンズ。
冒頭では、何者かがビデオカメラで録画撮影をしている中、撮影されている男が「空腹の兎が飛ぶ(ハングリー・ラビット・ジャンプ)」という謎の言葉の意味について尋ねられています。
男はとにかく怯えている様子で、一刻も早くその場を離れたがっていました。
男がしゃべった内容については物語後半で判明するのですが、それはさておき、話が終わったらしい男は周囲を警戒しながら、立体駐車場の屋上に停めていた自分の車に向かっていました。
そして男が車を発進させその場を離れようとしていたその時、突如大型のランドクルーザー?に側面からぶつけられます。
男は恐怖に震えながら逃げようとするのですが叶わず、車ごと屋上のフェンスに追い込まれ、ランドクルーザーに追突される形で屋上から死のダイブを強要されることになってしまいます。
男の車は下の車を巻き込む形で落下・大破させられ、当然のごとく男の生命もそこで尽きることとなるのでした。

舞台は変わり、カーニバル?のような祭りが繰り広げられているニューオリンズのラフィット・ホテルのバーで、今作の主人公であるウィル・ジェラードとその妻ローラ・ジェラードは、結婚記念日を祝い乾杯をしていました。
祭りで踊り明かしたり、親友に出会いのきっかけを話したりして、ローラと共に楽しんでいだウィルは、その日の夜、ローラにルビーのネックレスをプレゼントし、ローラを喜ばせます。
ウィルは地元の高校の教師、ローラは交響楽団の演奏家の職にあり、子供はいないながらも夫婦円満かつ幸せな生活を営んでいたのでした。
しかしそんな生活は、ある日ローラが銃を持った暴漢に襲われ乱暴を受けた上、ルビーのネックレスを奪われてしまったことから一変します。
妻が襲われたという知らせを聞いてすぐさま病院に駆けつけたウィルが見たものは、暴行を受け顔が腫れあがり、病室で寝かされている妻ローラの姿でした。
妻が襲われたことに当然のごとく深い悲しみと苛立ちを覚えるウィル。
しかし、そんなウィルの前に、ひとりの見知らぬ男が話しかけてきます。
サイモンと名乗るその男は、妻を襲った犯人のことを詳細に知っているようでした。
そして、犯人が捕まってもDNA鑑定や裁判で時間がかかる上、11ヶ月の服役程度で簡単に出所できてしまうということも。
その上でサイモンはウィルに対し、「自分達の組織で犯人を代わりに始末しよう」と提案してくるのでした。
金はいらないが、後日手伝ってもらうことがある、という条件を提示して。
最初は胡散臭く思い、サイモンの一度は断るウィルでしたが、直後に妻のことが脳裏に浮かんだウィルは考え直してサイモンを呼び止めます。
サイモンは謎めいた行動を取るようウィルに指示を出し、ウィルはその指示の通りの行動を行います。
果たして後日、ローラを襲った犯人は、別の男によって自宅を襲撃され、自殺を装って殺されてしまうのでした。
犯人を殺した男は、事を済ませると携帯で葬儀社に電話し、こう言うのでした。
「空腹の兎が飛ぶ(ハングリー・ラビット・ジャンプ)」と。

映画「ハングリー・ラビット」は、先が読めないサスペンス調な展開が良いですね。
個人的にはニコラス・ケイジが主演ということから、単純明快なアクションメインの作品とばかり考えていたのですが(苦笑)、これは良い意味で予想を裏切られました。
「空腹の兎が飛ぶ(ハングリー・ラビット・ジャンプ)」の意味とはどういうものなのか、サイモンの組織の実態とはどのようなものなのかなど、謎を追っていく展開が面白かったですし、ラストのオチもなかなかに底知れぬ恐ろしさを感じさせてくれるものではありました。
ああいう組織って、実態が分からないからこそ恐怖感が煽られるのであって、どれだけ巨大だろうが実態が把握できてしまえば大したことはなくなってしまうわけですが、ようやくサイモンの組織の実態が分かったかと思ったらあのラストだったわけなのですからねぇ。
この展開はかなり上手いと言えるものだったのではないかと。
また、「法に頼らない正義の組織」が暴走すると如何に恐ろしいものになるのか、というテーマも今作では内包されていて、サイモンはまさにその担い手と言えるものでした。
序盤でウィル相手に「法の無力さ」を披露していたサイモンは、主観的にはまさに「正義」を実現するつもりで、次第に組織の主旨とは異なる暴走を開始していったのでしょう。
作中のサイモンは、あくまでも「組織の邪魔になる人間」を消していっただけであって、私利私欲のために人を殺していたわけではないようでしたし。
もっとも、サイモンより上の組織の人間達も、組織の自己防衛にはそれなりの手練手管を駆使してはいるようなのですが。
警察やマスコミの上層部にまで食い込めてしまう辺り、組織の全貌ってどれくらいの規模&秘密を抱え込んでいるのでしょうかねぇ。

今作でニコラス・ケイジが演じる主人公ウィル・ジェラードは、一介の高校教師ということもあってか、それほど派手なアクションを演じて敵を爽快感溢れる倒し方で圧倒するわけではありません。
また敵との駆け引きも、観客が不安にならざるをえないような直截的かつ危なっかしい要素が多分に含まれるような稚拙なやり取りに終始していたりします。
サイモンの言いなりになることに反発を感じて半ば条件反射的に逆らったかと思えば、その後の制裁や急展開について予想外と言わんばかりな反応を示していたり、妻に組織のことを秘密にして却って猜疑心を買ってしまったりと、良くも悪くも「凡人」な言動ばかりが披露されています。
アクション映画であればまず間違いなく失格条項となるであろうこれらの描写は、しかし緊迫感溢れるサスペンスがメインである今作では却って作品の世界観に上手くマッチしていると言えるものではあります。
凡人を相手にしているからこそ、サイモンのような組織は成り立つわけですし。
その意味で今作は、アクションヒーローのような「非現実なフィクション作品」ではなく、「誰の上にも起こりえる一般人の思考・言動を元にした【現実的な】フィクション映画」と言えるのかもしれません。

ミステリー的な謎解きやサスペンスな展開が好みな方にはオススメの作品ですね。

映画「レッド・サイクロン」感想(DVD観賞)

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映画「レッド・サイクロン」をレンタルDVDで観賞しました。
2011年にカナダで製作されたSFディザスターパニック映画。
やっぱりこれも、日本での劇場公開なしにDVDのみで日本上陸を果たした作品とのこと。

物語は、ガソリンスタンド?の車庫で何やら車の整備をしている父親と、自転車に乗ってきた息子とのやり取りから始まります。
息子の方はどこかに行かなければならない用事があるらしく、父親に外出の許可を得ようと働きかけるのですが、当の父親の方は全く意に介することなく、息子に自分の仕事の手伝いをさせようとしていました。
そこへ突然、ガソリンスタンドが大きな揺れに見舞われます。
何事かと思って2人が車庫の外に出ると、突如落雷がガソリンスタンドの看板をなぎ倒します。
あまりにも突発的の出来事に呆然とする息子と、「大丈夫か!」と駆け寄る父親でしたが、その2人の周囲では明らかに異常な放電現象が発生していました。
クルマを真っぷたつに切り裂く雷、ガソリンスタンドを駆け巡る静電気?などで、その場を逃げようとしていた2人は動きを封じられてしまいます。
そして空では赤い雲が竜巻状なものに変化し、地面に転がっていた2人を巻き込んでしまうのでした。

場面はかわって、今度はエンストしたオンボロなクルマの修理に当たっている母子のシーンが映し出されます。
息子のウィルは、自分が通っているハートフィールド高校で行われる「遅刻の罰登校」へ向かう途中で、罰登校に遅刻することを気にしていました。
息子の将来を案じて大学進学を熱心に勧める母親アンドレアとウィルの仲はお世辞にも良いものとは言えず、2人は学校の前で離れることになります。
ウィルの罰登校の担当教師はウィルの父親ジェイソンで、ウィル以外には、ウィルの恋人?メーガン、バスケ部の選手ローソン、報道記者志望のスーザン、そして冒頭のガソリンスタンドのシーンで出てきたルークの4人が罰登校を受講する予定でした。
一方、罰登校による補習が行われている最中、アンドレアはジェイソンに対し、ウィルに大学の願書提出について話を勧めさせるよう携帯で電話をかけます。
しかし2人が会話をしている途中、突然携帯が不調をきたして連絡が取れなくなってしまいます。
さらに街中では街灯が突然破裂するなど、明らかな異変が既に始まっていました。
一方、ウィルとメーガンはローソンと口論になり、仲介したジェイソンによって校舎の外で荷卸しをするよう言い渡されてしまうのでした。
そして、2人が意味あり気な会話を交わしながら作業を続けていたところ、冒頭のガソリンスタンドと全く同じ揺れが2人を襲います。
異常を感じた2人が外に出てみると、そこでは……。

映画「レッド・サイクロン」は、元来地球上にはなく木星にあるという破壊粒子・エクスポゾンによって構成された雲ないし竜巻が、地上のありとあらゆる個体物質を気体に変えていきつつ拡大を続けるという設定です。
周囲を破壊しながら自然増殖・拡大を続ける脅威と言い、(カナダの映画なのに)アメリカの片田舎が舞台な点と言い、どことなく映画「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」とも共通する部分が多々ありますね。
被害については、ワシントンDCやニューヨークなどのアメリカ東海岸が軒並み壊滅したこちらの方がはるかに規模がデカいのですが、具体的な映像が出てくるわけではなくただニュースの一節として流れるだけですから、作中における演出という点では両者共にあまり変わりがないですね(^_^;;)。
世界的な危機を扱っている割には舞台が小さい上に登場人物も少なめなので、こじんまりとしている感はどうにも否めないところではあるのですが。
ウィルが実は超天才的な才能を持っていて、それがレッド・サイクロンを自壊させることになるというストーリーは、ハリウッド映画をもしのぐ御都合主義的要素が多大にあるとはいえ、一般受けしやすいものではあるでしょうね。
逆に、いっぱしの科学者だったであろう男女2人の登場人物が、如何にも思わせぶりに登場していながら、男性は飛行機不時着の際にあっさり死亡、もう片方の女性もガソリンスタンドでの凡ミスの類で爆死してしまい、ロクな活躍の場すらもなかったというのは、正直どうかと思わなくもなかったのですけど。
登場シーンから見て、当初はウィルと手を組んでサポート役として後半に活躍するとばかり考えていただけに、あの末路は悪い意味で予想を裏切るものではありました。
作中における2人の役割って、単なる伝言係でしかなかったですからねぇ、アレでは。

それと、ウィルの超がつくだけの天才的な才能を全く見抜くことができず、上から目線で小言ばかり繰り出していた両親2人は、どんな事情があるにせよ、あまりにも息子のことを見て無さ過ぎですね。
本来、子供の才能を認め伸ばすように努めるのが親の役割であるはずなのに、息子の彼女の父親の発言でようやく息子の才能に気付かされるって……。
ウィルの両親は、作中の描写を鑑みても、普段から息子を見下している感がありありでしたし、最も身近なはずの自分の息子を、ある意味この世で一番信用していなかったのではないですかねぇ。
また当の息子ウィルもまた、両親のそんな態度が鼻についたから自分の才能をひた隠しにしていたのではないかと。
ああいう親の場合、自分の子供に意外な才能があることに仮に気づいたとしても、そのことを正当に評価するどころか、むしろ自分の意に沿わないことをしているとして、却って子供を虐待したりする事例も少なくなかったりしますからねぇ。
あのレッド・サイクロンの事件がなかったら、2人はいつまで経っても息子の才能に気付くことなく、息子を無能と嘆きながら生涯を終えてしまっていたのではないでしょうか?
作中のあの親子は最終的に和解してめでたしめでたしな結末ではありましたが、親が選べないというのは子供にとって論外な話だよなぁ、とつくづく考えずにはいられなかったですね。

暇潰しの余興としてDVDでレンタル観賞する分には、まあまあの出来とは言えるのではないかと。

映画「パニック・スカイ フライト411 絶対絶命」感想(DVD観賞)

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映画「パニック・スカイ フライト411 絶対絶命」をレンタルDVDで観賞しました。
2012年に製作されたアメリカ映画で、パニックアクション的な要素を交えつつも、宗教的な色彩の強い作品です。
これも「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」と同じく、日本での劇場公開なしにDVDのみで日本上陸を果たした映画のようです。
こういう海外映画って、意外に多そうですね。

「竜は海辺に立ち、獣を呼び出す。あらゆる人類を支配する権限を得た獣は、聖なる者をも征服した」 ― 黙示録13章

今作の物語は黙示録13章を読み上げるところから始まった直後、タイのバンコクにあるコンテナ集積所?にあるコンテナのひとつで、周囲を銃で武装した護衛に囲まれる中、とある手術が行われようとしているシーンに場面が移ります。
コンテナを警護している護衛のひとりであるチャド・ターナーは、雇い主に不満そうながらもしぶしぶと警護の任についています。
ところがそんな中、突如コンテナを謎の武将集団が奇襲を仕掛けます。
チャドは善戦するものの、護衛の多くは撃ち倒され、コンテナの手術室にも銃弾が浴びせられてしまいます。
チャドは襲撃者を打ち倒しつつ、警護対象たるコンテナに近づき、その安否を確かめようとします。
少なからぬ銃弾が撃ち込まれたコンテナには、チャドの上司?も手術対象の人間も既に死んでおり、かろうじて生きていたのは瀕死の重傷を追ったひとりの医者だけでした。
チャドが医者に駆け寄ると、その医者は「お前だけが頼りだ」とチャドの腕に何かを打ち込み、そのまま息絶えてしまいます。
そして、何かを打ち込まれたチャドもまた、注射?の打ち込まれた後遺症によるものなのか、そのまま意識を失ってしまうのでした。

次にチャドが目を覚ますと、彼はチャドの様子を観察していた人物と共に、とある一室に寝かされていました。
同じ一室にいた人物は、自分のことをアヴァンティ社のクーパーと名乗り、チャドの腕の中に「チップ」と呼ばれる物が埋め込まれた結果、チャドが会社にとっての重要人物になったことを彼に告げます。
そしてクーパーは、ドイツのベルリンで開かれるG20の会議の場へ行くようチャドに指示を出すのでした。
二日後にバンコク国際空港からベルリンへと飛び立つ飛行機に乗り、かつ旅行者に紛れ込む形で。
またもやキナ臭い任務な感がありありだったものの、チャドに選択の余地もなく、彼はその指示に従うことになります。

一方、アヴァンティ社のライバル企業?とおぼしきターク産業のグローバル本社では、企業のトップと思しき人物とプロの仕事人?の2人が何やら密談を繰り広げていました。
ターク産業のトップの人物は、アヴァンティ社が開発したチップを欲しがっており、大金を積んで買うと申し出ながら断られたことから、プロの仕事人にチップを奪うよう依頼するのでした。
そしてプロの仕事人は、バンコク発ベルリン行の飛行機に搭乗するチャドを捕縛すべく、同じ飛行機に搭乗し蠢動することになるのですが……。

映画「パニック・スカイ フライト411 絶対絶命」は単独では全く完結しておらず、まるまる1本使ってプロローグ的なストーリーを展開しているような感がある作品ですね。
今作では、チャド・ターナーに埋め込まれた「チップ」と呼ばれる存在が、物語の重要なカギを握っているのですが、実のところ、この「チップ」なるものが具体的にどんな力を持っているのかについては、物語のラストに至るまで謎に包まれたままです。
作中における「チップ」の具体的な能力の発動例としては、物語中盤で飛行機の乗客の半分近い数が突然着用していた服を残して忽然と消えてしまったという事例があるにはあるのですが、これにしても「何故、どのような理由でそんな現象が発生したのか?」については全く何も言及されていません。
作中における「チップ」は、リーマンショック後の混沌とした世界を変えられる救世主的な役割を担えるだけの力を持つとされているのですが、作中で披露された「突然人が服を残したまま消える」というだけでは、それがどんな形で救世主的なツールたりえるのか不明もいいところです。
結局、「チップ」の謎は最後まで明かされることなく、ラストは主人公がヒロインと共に低空飛行に入った飛行機からパラシュートで脱出するという結末を迎えただけでしかありませんでしたし。
ハイジャックをやらかしたプロの仕事人も結局死ぬことなく終わっていましたし、作品単独としてはあらゆる点で不完全燃焼が否めないのではないかと。
かといって続編に期待しようにも、続編ができるほどの人気を博しているとは到底思えない出来なことは、日本で劇場公開されることがなかったというその一事だけを見ても一目瞭然なのですしねぇ。
この辺り、アメリカ映画にもピンキリ色々とあるのだなぁ、という当たり前の事実をつくづく感じさせてくれる作品ではありますね。

あと、いくらリーマンショック等の経済危機で世界が混乱をきたしているとはいえ、救世主的な力でもってその状況を改善するというのは正直無理があるのではないかと思わなくはもなかったですね。
黒幕であるターク産業のトップが画策していたのは、作中の描写を見る限りでは「ひとりのリーダーによる超強力な中央集権体制の確立でもって世界を統合しよう」という話のようです。
しかし、通貨を統合しようとしたEUの悲惨なまでの政治的妥協や危機的状況を鑑みるだけでも、それが非現実な行為でしかないことは素人目にも明らかなのではないかと。
超常的かつ絶対的な力や奇跡を行使しさえすれば成し遂げられる、というものではないのですからねぇ、その手の政治的統合というものは。
各国がそれぞれ抱え込んでいるナショナリズムの問題や伝統・慣習・文化・言語の違いなど、単純な力業だけで押し通せない問題はいくらでもあるのですし。
宗教や文化で多くの共通項が存在するはずのヨーロッパの経済的統合ですら失敗するのですから、ましてやひとりの強大なリーダーによる政治的統合など、まだ当面は夢物語もいいところでしかないでしょう。
また仮にそんなものが実現しえたとして、それが大多数の人間および人類社会にとっての利益になるという保証もありはしません。
0.1%の人間だけが利益を享受し、残り全てが圧政と弾圧で苦しめられるなどという未来だって起こりえるのですから。
経済的・政治的な格差が拡大するようなものであれば、一時的に状況が改善されたとしても、長期的には動乱の種を植え付けることにもなりかねないのではないかと。
ヨーロッパやアメリカ、それに中国などで貧富の格差が拡大したことが大きな社会問題となっているように。
ターク産業のトップが、そこまで考えた上で救世主を志向しているとはとても見えないのが何ともねぇ(-_-;;)。

今作は続編ありきが前提のストーリーのため、作品単独では正直評価のしようがないですね。
続編が出た後でまとめて観賞する方が、あらゆる意味でスッキリしそうな映画ではあります。

映画「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」感想(DVD観賞)

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映画「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」をレンタルDVDで観賞しました。
2011年にカナダで製作されたパニックSF作品。
日本での劇場公開はなく、DVDのみでの日本上陸となるみたいですね。
Wikipediaやシネマトゥデイの映画検索にも引っかからないですし。

物語冒頭では、「アラムート計画」と称する研究を行っている男達が、植物を相手に空気浄化の実験をしている様子が映し出されています。
ビデオカメラで撮影されている男がタバコの煙を植物に吹きかけた瞬間、その植物は煙を吸い込み浄化してしまいました。
直後の測定で、植物の周囲にはタバコ特有の一酸化炭素や二酸化窒素などの有害物質が全く検出されなくなっていたことが判明。
「素晴らしい植物だ!」と絶賛する男の下で、不気味なまでの速度で根を生やす植物が映し出された直後、舞台は全く別の場所へと移ります。

次の舞台は、アメリカ・ネバダ州ラブロックにあるケンブル鉱山。
そこでは一組の男女2人が、有害ゴミの不法投棄を行っている人間の様子をビデオカメラに収めるべく、忍耐強く監視を続けていました。
やがて2人の前に、不審な白いバンが現れます。
不法投棄が行われる様子が行われるのかと緊張し、ビデオカメラを取り出して撮影を始める2人でしたが、バンから降りた男は手ぶらで歩いており、不法投棄を行う様子など全くありません。
代わりに男は、周囲を警戒しつつ、スーツ姿を来た男と対面するのでした。
スーツ姿の男はアタッシュケースから大金を見せつけ、バンの男と何か取引をしようとしているようでした。
それに対し、バンの男はおもむろにナイフを取り出して自分の手を切った後、同じく取り出した葉っぱを手に当てます。
手に当てた葉っぱを男が剥がすと、そこには最初に手を切った際にできたはずの傷はどこにもなくなっていました。
バンの男は大金と引き換えに何かの種子をスーツ姿の男に渡す手筈となっているようで、バンの男は車から種子を持って来ようとします。
しかし、スーツ姿の男にはもうひとり、遠距離から狙撃中で監視しているスナイパーがついていました。
そのスナイパーの男が2人の男女の姿に気づいた時、事態は急激に動き出します。
スーツ姿の男は、バンの男が罠にはめたのではないかと早合点し、スナイパーの男はバンの男を銃で狙撃。
負傷したバンの男は、ちょうどバンから取り出そうとしていた種子を地面に落としてしまい、種子を保管していた容器が割れてしまいます。
そして、種子が地面に落ちてしばらく経った時、それは突然起こりました。
何と、地面から突如巨大な植物の根が生えてきて鉱山を覆いつくしてしまったのです。
スーツ姿の男も、急激に成長する根に巻き込まれる形であっさりとフェードアウト。
遠距離だったために無事だった2人の男女は、クルマに乗ってその場から逃走。
しかし巨大な植物の根は、その後も凄まじい勢いで成長を続け、やがてネバダ州を覆い尽くさんとするのでした……。

映画「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」は、上映時間が91分と短いこともありとにかく展開が速いです。
今作で脅威として描かれる巨大植物は早々に出現しますし、その成長速度も早ければ、人間達がその脅威を認識するのも何の問題もなく達成されます。
目の前ではにわかに現実とは思えない光景が次から次に繰り広げられていくにもかかわらず。
まあ、たとえどんなに非常識かつ理解不能な光景であっても、それが危険であることは誰の目にも一目瞭然だったわけなのですから、「こんなことが科学的&常識的にありえるはずがない!」などと手をこまねいて現実を否定していたら、生命がいくつあっても足りないのですが。
ただ、作中の巨大植物は、図体の大きさと破壊力という点では申し分なかったものの、対人間についてはどのような脅威になるのかがやや不透明な感が多々ありますね。
植物が人間に直接襲い掛かって殺すシーンというのは作中になく、作中の人間達の死は、植物が作った亀裂に落っこちたり、人が乗った車がいいように弄ばれるという形で、間接的に明示されるに留まっていましたし。
この映画、人の死を直截的に描かないということにこだわりを持ってでもいたのでしょうか?
その割には、ヘリが撃墜された際にパイロットが撃たれて死ぬ様はモロに描いていたりするのですが……。

個人的に疑問だったのは、植物の研究を行っていたマッドサイエンティストの老科学者が、ただ単に「研究を邪魔されたくない」という理由だけで侵入者を抹殺しろと命じたことですね。
自分の研究結果を独占して利益を得るという意図でもあるのならば抹殺命令も納得がいくのですが、単に「研究を邪魔されたくない」って、それが他者を殺さなければならない理由になるのかと。
そのためにわざわざプロの傭兵?を4人も雇っているのも理解に苦しみますし。
ただ「邪魔をされるのを防ぐ」というだけであれば、銃を突きつけて脅して追い払うという形を取った方が、持ち場を離れなくて良い分安全確実なのではないのでしょうか?
プロの傭兵4人も、わざわざ無駄に走らされた挙句に結局は侵入者の侵入と研究妨害を許してしまっているのですし。
殺すことにこだわったがために、却って本来の目的からしても本末転倒な結果をわざわざ自分から招いていたとしか思えないのですけどね、あの老科学者は。
まあ彼にとっての研究とは何物にも代えがたい至宝の存在であったことは、物語終盤に「植物の増殖を止める」ことで合意が成立していたにもかかわらず、植物の根を見て「素晴らしい研究素材だ」とあっさり前言を翻して裏切ったシーンを見ても明らかなのですが。

全体的にイマイチ盛り上がりが欠けていて、いかにもB級映画的なテイストで製作された雰囲気が多大なまでに漂う作品ですね。
作りから考えても低予算な映画なのでしょうし、仕方ない部分もあるのでしょうけど。

映画「007 スカイフォール」感想

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映画「007 スカイフォール」観に行ってきました。
「007」のコードネームを持つイギリスMI6の老練なスパイのジェームズ・ボンドの活躍を描いた、人気スパイアクションシリーズ第23作目。
映画「カウボーイ&エイリアン」「ドラゴン・タトゥーの女」等で主演を担っているダニエル・クレイグが、6代目ジェームズ・ボンドを演じています。

今作で登場する舞台は、トルコのイスタンブール・中国の上海・そしてイギリス(ロンドンとスコットランド)となります。
物語冒頭は、トルコのイスタンブールでMI6の工作員が何者かによって殺害され、テロ組織に潜伏している全NATO諸国に属する工作員達のリストが入っているハードディスクが奪われたところから始まります。
これまでのシリーズと同様に今作でも当然のごとく主人公であるジェームズ・ボンドは、今回の仕事でコンビを組んでいたイヴ・マネーペニーと共に犯人の追跡を開始。
かくして映画始まって早々に、イスタンブールの街中を舞台としたカーチェイス等の追跡劇が展開されます。
しかし、成り行きで乗った列車の屋根の上でジェームズ・ボンドが犯人と格闘している最中、MI6の責任者であるMの命令で狙撃してきたイヴの銃弾で、ジェームズ・ボンドは列車が渡っていた橋の上から断崖の下にあった川へと落下してしまいます。
しかも、犯人は当然のごとく逃がしてしまうという最悪の結果に。
その後、ジェームズ・ボンドの身柄は捜索にもかかわらず見つかることなく、MI6の公式記録上では「ジェームズ・ボンド殉死」と記されることになるのでした。

それからしばらく経ち、MI6はハードディスクが奪われた責任を追及されており、組織の改編とMの交代が議会で議論されていました。
そんな中、Mが議会からMI6の本部へ帰ろうとする途上で、MI6のサーバがハッキングを受けた上、MI6の本部も爆破されてしまうという事件が発生します。
犯行に及んだのは言うまでもなく、冒頭でハードディスクを奪った一味です。
MI6のサーバがハッキングされたことで、ハードディスクの中身も解読されてしまい、犯人グループは1週間毎にリストの中から5人を選んで名前をサイト上で公表すると宣言します。
一方、橋から落ちたもののやはり無事だったジェームズ・ボンドは、南国のリゾートっぽい場所でバカンスを楽しんでいました。
しかし、MI6の本部が爆破されたというニュースを聞きつけるにおよび、彼はMI6の復帰を決意。
Mの自宅で忽然と姿を現し、Mに対して自身の復帰を高らかに宣言するのでした。
Mは復帰するためには再テストを受ける必要があると言い、本部が爆破されたことで別の場所に移されたMI6の新たな本拠地へジェームズ・ボンドを案内することになります。
そこでジェームズ・ボンドは再テストを受け、自身に浴びせられた銃弾を元にハードディスク強奪犯を割り出し、その強奪犯が現れるとされる中国の上海へと赴くことになるのですが……。

映画「007」シリーズは、1962年に映画版第1作目が公開されて以降、「スカイフォール」で23作目を数えるという、相当なまでの長期にわたるシリーズとなっています。
しかし、いくらこれまで総計6人がジェームズ・ボンド役を代替わりしてこなしてきたとはいえ、他ならぬ作中のジェームズ・ボンド自身がかなりの高齢な設定となってしまっています。
作中でも、「あなた方のやり方は古い」的な批判をジェームズ・ボンドやMI6は散々受けてきたわけですし。
このままの設定で行くと、作中のジェームズ・ボンドはどんどん年を重ねていくことになりますし、それでもシリーズを継続させた場合、下手すると齢100歳を超えたジェームズ・ボンドが現役で活躍を続けるなどという滑稽な事態にもなりかねないでしょう。
そうなると、ジェームズ・ボンドの存在そのものが「不死」という秘密を抱えることになってしまいますから、それを狙って世界各国の諜報機関やマフィア系組織がジェームズ・ボンドの身柄を手に入れるべく蠢動を始める、などというオカルティックな展開にも発展しかねないのではないかと(苦笑)。
生年月日をずらせばこの問題は解消できるかもしれませんが、ただそれをやると、老齢のジェームズ・ボンドが今度は若返ったり、ハッカー的なジェームズ・ボンドが誕生したりと、これまでのストーリーとの整合性がない変な方向へ行ってしまう可能性もなきにしもあらず。
下手をすれば、それが「007」シリーズのイメージを破壊することにもなりかねないわけですし、シリーズ継続もだんだんと難しいものになっていっているのではないですかねぇ。

今作では、「007」シリーズの特色でもあった「秘密兵器」と「ボンドガール」の占める割合がかなり低いものとなっていますね。
作中に登場した「秘密兵器」と言えば、指紋認証でジェームズ・ボンド以外の人間には使用できず、かつ自身の居場所を伝える送信機能を持つ銃だけ。
それでも活躍していたと言えば言えるのですが、奇抜な「秘密兵器」が活躍していたこれまでのシリーズ作品と比較すると、いかにも「地味」なイメージが拭えないところです。
ベレニス・マーロウが扮した「ボンドガール」のセヴリンに至っては、物語中盤でようやく登場してジェームズ・ボンドとバスルームセックスにしけこんだかと思いきや、さしたる活躍もないままに敵方のラウル・シルヴァに撃ち殺されるという末路を辿るというだけの出番しかありませんでした。
今までの「ボンドガール」って、ジェームズ・ボンドと一緒に最後まで行動を共にし、場合によっては一緒にアクションを演じたりして活躍するパターンも少なくなかったと思うのですけどねぇ。
むしろ、ラウル・シルヴァやジェームズ・ボンドと深い関わりのあるMの方が作中での露出度ははるかに高く、「彼女こそが今作における真のボンドガールなのでは?」とすら考えたくらいでしたし。
作品全体の雰囲気やテーマでも「過去と向き合う」的な要素が強い作品ですし、その点では既存のシリーズ作品とはやや異なる赴きがあるかもしれません。

あと、今作のラスボスであるラウル・シルヴァは、やっていることが世界的なレベルで大掛かりな割には、その動機や目的があまりにも小さすぎるという感が否めないですね。
MI6本部を爆破したり、イギリス議会に殴り込みをかけるなどといった大胆な犯行を重ねていたその真の理由が「かつて自分を見捨てたMに対する復讐」でしかないって……。
最初にそれが明示された物語中盤頃は、「それは真の目的を隠すためのダミーなのではないか?」と考えていたのですが、結局彼は最後まで「Mへの復讐」に固執し続けていましたし。
ラストなんて、当の本人の精神面以外には何ら物理的な利益をもたらすことがなかったであろう「ジェームズ・ボンドの実家であるスカイフォールへの襲撃」まで実行するありさまでした。
ラウル・シルヴァが単に「Mの死」を望むのであれば、より少ない犠牲で確実に実現しえる手段など他にいくらでも存在しえたはずなのに、一番犠牲が大きく不確実な手段の選択肢をわざわざ選んでいるとしか思えなかったですからねぇ、アレは。
ラウル・シルヴァにしてみれば、そこまでの犠牲を払ってでもMを自分の手で直接殺害することを望んでいた、ということになるのでしょうけど。
しかも、結果的にスカイフォールの戦いでMが流れ弾?に当たって死んでしまったことを鑑みると、ラウル・シルヴァは(自分が一番望んだ形ではなかったにせよ)結果的に自らの復讐を見事に成就したことになってしまいます。
その点でジェームズ・ボンドは、ラウル・シルヴァを殺すことには成功したものの、Mを守り彼の復讐を妨げるという目的を達成できていないわけで、爽快感が売りのスパイアクション映画的には何ともすっきりしない結末と言わざるをえないところです。
「ダイ・ハード」や「ダイ・ハード3」のように「復讐や政治的テロに見せかけて実は……」的なワンクッションでもあった方が、ここでは却って良かったのではないかと思えてならないのですけどね。

作中で繰り広げられるアクションシーンについては、さすが「007」シリーズというだけのことはあり、それなりに見応えはあるものとなっています。
冒頭からいきなりカーチェイスが始まることもあって退屈はしないですし。
これまでのシリーズのファンがアクション映画が好みの方にはオススメの作品ですね。

映画「人生の特等席」感想

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映画「人生の特等席」観に行ってきました。
アメリカ大リーグの卵となる選手をスカウトする仕事を長年にわたって続けてきたプロでありながら「失明の兆候」を発症するという致命的な問題を抱えている老齢の男と、彼の娘で弁護士としての出世を夢見るキャリアウーマンの家族としての軌跡を描いた、クリント・イーストウッド主演作品。

物語の冒頭では、クリント・イーストウッドが演じる今作の主人公であるガス・ロベルが、老齢のためもあってか視力が衰え、排尿すらも不自由な体を晒すシーンが展開されます。
彼はアメリカ大リーグで活躍する名だたるプロの選手を次々とスカウトしてきた「その筋のプロ」なのですが、近年は老齢のためか新規の選手をまるで発掘できずにいました。
彼が所属するアトランタ・ブレーブスでも、パソコンを駆使して選手の見極めを行っているフィリップ・サンダーソンを中心に、ガスの手腕を疑問視する声が上がっている始末。
さらに彼は、妻には先立たれ、唯一の肉親である娘のミッキー・ロベルとは不仲もいいところで、せっかく一緒に外食をした際にもたちまちのうちに喧嘩別れするような関係にありました。
そんな中、アトランタ・ブレーブスでは、ノースカロライナ州の高校の野球チームで主力を担っているボー・ジェントリーという選手に注目していました。
アトランタ・ブレーブスは、ボー・ジェントリーの実力を確認し、彼がスカウトに値する選手であるかを見極めるべく、ガスにノースカロライナ州へ向かうよう指示。
出発の直前、ガスは亡き妻の墓参りへと向かい、娘が弁護士の資格を持妻でに至ったことを誇らしげに報告すると共に、娘との関係が上手くいっていないことを自虐混じりにことぼくのでした。

一方、ガスの長年の友人で同じアトランタ・ブレーブスの同僚でもあるピート・クラインは、ガスの娘のミッキーに対し、最近のガスの様子がおかしいことを報告すると共に、ガスと一緒にノースカロライナの試合会場を回って欲しいと頼み込むのでした。
当初、弁護士であるミッキーは、ちょうど自身の出世がかかっている重要な仕事の真っただ中にあったこともあり、取りつく島もなくこれを断ります。
しかし、ガスのことを診療していた医者にガスの容態を聞き、視力に異常があり早急な検査と手術が必要な体であるという情報を強引に聞きつけ、さらには出世の競争相手であるトッドに家族のことで嫌味を言われたこともあって、彼女は強引に数日間の休みを取得して父親の後を追うことになります。
かくして、ノースカロライナ州で再会し、ボー・ジェントリーのチームの試合を観覧して回ることになるガスとミッキーの2人。
ノースカロライナ州での旅は、2人の関係にどんな影響を与えることになるのでしょうか?

映画「人生の特等席」は、前半と後半で流れが大きく変わるストーリー構成ですね。
物語前半では、クリント・イーストウッドが演じるガス・ロベルの老衰ぶりと頑固親父ぶりがとにかく前面に出ていて、あまり未来に希望を感じさせない暗い展開が続きます。
逆に物語後半、特にガスがボー・ジェントリーの実力を見極めた辺りからは、明らかにロベル親子の風向きが変わったかのような雰囲気すらありました。
アレがガスの実力の本領発揮であることと、娘のミッキーが父親を見直す端緒となったのですから当然のことではあるのですが。
ただ、前半の暗い展開と流が結構長い時間続くことから、人によっては前半で評価を落とすリスクも否めないところではありますね。
前半の主人公は、色々な悩みや葛藤なども描かれてはいるにせよ、まるで良いところがないですし。

個人的に少々驚いたのは、前半で明らかに父親に隔意を抱いている様子を隠そうともしていなかったミッキーが、実はかなりの野球通であったことですね。
彼女は、物語中盤頃に出会うこととなるジョニー・フラナガンと、大リーグ絡みのトリビア話で相当なまでに盛り上がっていたのですから。
元来父親が嫌いだったはずのミッキーが、ああまで野球のことに詳しく、かつ楽しげに語っていたりするというのは少々意外な話ではあったのですが。
彼女、弁護士ではなく父親と同じスカウトの道を歩いていた方が、自分の趣味を生かせる天職でもあったでしょうし本人のためにも良かったのではなかったのかと。
実際、物語終盤では、全く無名のリゴ・サンチェスを見出すという、父親以上とすら言えるレベルのスカウトまでやってのけていたりするのですし。
弁護士としてもそれなりに有能ではあったようですし、そちらはそちらで彼女にとってはやりがいのある仕事ではあったのでしょうけど。
一方のジョニー・フラナガンも、かつてはガスに見出されて野球選手として活躍していたという経緯もあってか、大リーグ野球に関するこだわりはこちらも相当なものが感じられましたね。
大リーグ野球についてロクに知識もない私としては、次々と繰り出されるトリビアネタに、ただただ「凄いなぁ」と見ているしかなかったのですが(苦笑)。
この一種の「野球オタク」ぶりは、ジャンルは違えど映画「僕達急行 A列車で行こう」に登場する「鉄ちゃん」達にも通じるものがありますね。
ああいう「趣味の一致」で意気投合し親しくなっていくのは自然な流れではありますし、あの2人は友人にせよ恋人にせよ、なかなかに良好な人間関係を構築できそうな感じでした。
ああいう出会いと人間関係って、傍から見ていても羨ましいと感じられるものがありますねぇ。

物語終盤でミッキーがスカウトとしてその素質を見出していたリゴ・サンチェスは、一見すると唐突に出てきたような印象があるのですが、実は彼はその前に伏線としてチラリと登場してはいたんですよね。
ミッキーかガスがノースカロライナのモーテルでチェックインして部屋の鍵を受け取っていた際に、リゴ・サンチェスとその弟?の2人が野球だかキャッチボールだかをしに出かけようとしている描写があったのですから。
最初にリゴ・サンチェスが出てきた際には、「何故何の脈絡もなくいきなり出てくるの?」と一瞬訝しんだものの、すぐにあんなチラッとした描写が伏線だったと気づいて愕然とせざるをえませんでしたよ、私は。
この伏線の張り方は結構上手いものがあるのではないかと思いました。

これまで数々のアクション映画や人間ドラマ作品を提供してきたクリント・イーストウッドなだけあって、その「老練」な役者ぶりは確かなものがありますね。
彼のファンか、あるいは家族の絆をテーマとする作品が好きなのであれば必見の映画と言えそうです。

映画「ロックアウト」感想

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映画「ロックアウト」観に行ってきました。
映画「トランスポーター」シリーズや「アデル/ファラオと復活の秘薬」「コロンビアーナ」などの製作を手掛けたリュック・ベッソン監督による、近未来を舞台としたSF作品。
何でも、リュック・ベッソンが近未来を舞台としたSF映画を製作するのは、ブルース・ウィリス主演の1997年公開映画「フィフス・エレメント」以来15年ぶりのことなのだとか。

2079年の近未来アメリカ。
映画冒頭では、今作の主人公であるCIAエージェントのスノーが、殴られながらの尋問を受けている様子が映し出されています。
彼は、宇宙開発計画の重要機密を漏洩させた犯人を追っていた捜査官フランク・アームストロングを殺害した容疑で、NSA(国家安全保障局)の長官スコット・ラングラルからその罪と情報について厳しく尋問されていたのでした。
しかし、相手がNSA長官であるにもかかわらず、スノーは相手をバカにしきった不遜な態度で応対しており、尋問ははかばかしい成果が挙げられていませんでした。
このままでは埒が明かないと尋問役が交代し、スノーの諜報員仲間だったCIA調査官ハリー・ショウがスノーから情報を聞き出そうとします。
スノーは相変わらずな態度を披露して煙に巻いているかのように見せかけつつ、机の上で「MACE」という文字を描きます。
そのメースなる男は、一連の事件の真相が収められているアタッシュケースを持つ男であり、またそれは同時にスノーの無実を証明してくれる存在でもありました。
そのことを瞬時に察したハリーは、表面上は「これ以上話しても無駄だ」と席を立ちつつ、メースの行方を捜しに向かうのでした。

その頃、時のアメリカ大統領ワーノックの娘エミリーが、「MS-1」と呼ばれる刑務所を訪問していました。
「MS-1」は、地球外の宇宙空間上に存在する巨大な人工衛星で、「静止」と呼ばれるコールドスリープで囚人達を管理する上、ソーラーシステムで半永久的に稼働する設備と重火器を備えた、最新鋭の宇宙刑務所です。
その地理的条件と完璧な管理方法によって「脱獄成功率0%」を謳われる、完全無欠の刑務所であると言われていました。
現在は約500名(正確には497名)の囚人達がコールドスリープされており、将来的には50万人もの囚人達を収容する計画まであるのだとか。
しかし、「MS-1」で行われているコールドスリープが実は人体に少なからぬ悪影響を与えている可能性が人道活動団体によって指摘されており、エミリーはその真偽を確認すべく「MS-1」を訪れたのでした。
彼女は早速、囚人達に刑務所の実態を訪ねるべく、ハイデルという名の囚人とガラス越しでの面接を企図します。
ところが、エミリーの護衛のひとりが、本来武器の携帯を禁じられているはずの面会室に、ひそかに銃を隠し持って中に入っていたことが大きな仇となってしまいます。
ハイデルは護衛の一瞬の隙を突き、護衛の武器を奪取して発砲を開始。
そのまま刑務所の制御室へと向かい、その場にいた管理官を脅して全ての囚人達をコールドスリープから解き放たせてしまいます。
囚人達はその数と、何よりもハイデルの兄であるアレックスによって一部が統率されたことから、刑務所内を完全に制圧することに成功。
さらに刑務所内にいた職員やエミリーを人質として捕えてしまいます。
容易ならざる事態が発生し、しかも人質の中に大統領の娘がいることを知って驚愕・動揺せざるをえなかったアメリカ首脳部達。
しかしここで、先述のCIA捜査官ハリーが、元々「MS-1」へ囚人として送り込む予定だったスノーに、エミリー救出の任務を与えることを提案します。
上層部の面々はハリーの提案を即座に受け入れ、最初は拒絶していたスノーも「メースが捕えられてMS-1に送られた」とハリーに教えられたことから、しぶしぶながら依頼を承諾することに。
かくして、難攻不落の要塞と化した「MS-1」への潜入作戦が始められることになったのですが……。

映画「ロックアウト」は、「難攻不落」を謳われる要塞が実はいかに脆いシロモノでしかないのかを如実に示す作品であると言えますね。
「脱獄成功率0%」を謳われ、実際に限りなく不可能としか言いようのない設備と地理的条件を有していながら、しかし作中では一瞬の隙を突かれていともあっさりと囚人達に制圧されてしまっているのですから。
どんなに優れたシステムであっても、それを管理運用する人間に問題があれば簡単に潰されるばかりか逆に利用すらされてしまう、ということを極彩色に表現しています。
ちょっとしたアクシデントから崩れ去るのがあまりにも早かったですし。
もっとも、それは実のところ脱獄した囚人達にも言えることで、特にハイデルという「無能な働き者」が盛大に足を引っ張っていたが故に、彼らは半ば自滅したようなものだったのですが。
せっかくアレックスという、智謀も統率力にも優れた指揮官を見出すことができたというのに、ハイデルは彼が確保しようとしていたせっかくの優位を積極的に突き崩してばかりいる始末でしたからねぇ。
挙句の果てには、当のアレックス自身すらもハイデルに殺されてしまったのですし。
いくらハイデルがアレックスの実の弟だったからとはいえ、周囲の進言に従ってさっさと殺しておけば良かったのに、とは誰もが思わずにはいられなかったことでしょうね(T_T)。
駆け引きの要素もあったとはいえ、あれほどまでに思慮深く冷静さと残虐さを使い分けられるアレックスともあろう者が、たかだか「実の弟」というだけであそこまでハイデルにデカいツラをさせることを許すというのも、はなはだ理解に苦しむものがありましたねぇ。
まあ、あの弟も実は本来マトモな頭をしていたのが、コールドスリープの悪影響ですっかり狂ってしまっていたのかもしれないのですけど。

あと、主人公が救出するターゲットと目されていた大統領の娘エミリー・ワーノックも、最初は「大丈夫か?」と言いたくなるレベルで奇行が目立っていましたね。
1人乗りの脱出艇で悠々と刑務所を脱出することもできたはずなのに、「自分ひとりだけ助かることなんてできない、人質を全員助ける」などと笑えるレベルの綺麗事を主張して結局自ら残留していたり、にもかかわらず人質はハイデルによって皆殺しにされてしまっていたりと、序盤はとにかく「主人公の足を引っ張るための存在」でしかなかったのですから。
エミリーの真価は、脱獄犯達に囚われの身となり銃を突き付けられた状態から、大統領である自分の父親に向かって「刑務所を爆破して」と言い切ってみせた辺りから発揮され始めます。
ここからは逆に、今までのアマちゃんかつ足手纏いな部分がウソであるかのように主人公を助けるようになっていきます。
「MS-1」から脱出して以降なんて、逆に主人公は何もしていないに等しいのですし(苦笑)。
願わくば、その冷静な状況判断能力が序盤から発揮されていれば……とは考えずにいられませんでしたけど(^_^;;)。

全体的には、「MS-1」内におけるバトルよりも、主人公とCIAとNSAの間で繰り広げられる政治的駆け引きの方が見所はある作品ではありましたね。
アクション部分よりもミステリー的なストーリーにスポットを当てるべき映画と言えるのではないかと。

映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」感想

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映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」観に行ってきました。
映画「タイタニック」「アバター」のジェームズ・キャメロン監督が製作を手掛けた、世界最高峰のパフォーマンス集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」による人間の限界を超えたパフォーマンスショーと音楽を売りにする作品です。

映画の物語としては、一応は主人公となるらしいミアという女性が、田舎で開催されていた移動サーカス「マーヴェラス」へと足を踏み入れたところからスタートします。
ちなみにこの「ミア」という名前自体、作中で判明するのは物語も後半に入ってからのことだったりします。
彼女はサーカス会場を見物していく中で、ひとりのピエロからチラシを強引に押し付けられます。
そのチラシに掲載されていたのは、エアリアリストという名の空中ブランコショーの芸人。
ミアは彼の空中ブランコショーを観覧すべく、ショーが行われている会場へ足を踏み入れます。
エアリアリストの空中ブランコショーは途中までは順調に推移していたのですが、ショーを観覧しているミアと目が合い、微笑みかけたことから一瞬の隙ができてしまい、彼はブランコをハシゴすることに失敗、セーフティネットも張られていない砂の舞台へ真っ逆さまに転落してしまいます。
ところが、エアリアリストが砂に叩きつけられたその瞬間、突如砂がアリジゴクのごとくさらに下へと落下しはじめ、エアリアリストもそれに巻き込まれて姿を消してしまいます。
観客席にいたミアは思わず立ち上がり、エアリアリストの後を追って同じく砂の舞台の下へと落下することに。
そして、意識を失ったミアが目を覚ました時、そこは別世界としか思えない広大な大地が広がっていました。
ミアが辺りを見渡してみると、すぐ近くにサーカスのテントを連想させる、しかしその規模は相当なまでに大きな建造物が存在していました。
その中へ入っていったミアは、ピエロにもらったチラシを元にエアリアリストの行方を探し始めるのですが……。

映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」では、上映時間の大半が「シルク・ドゥ・ソレイユ」によるパフォーマンスショーに費やされており、登場人物達も作中ではほとんど何もしゃべることがありません。
作中で登場人物達がしゃべっているセリフは数えられる程度しかなく、しかもそれ自体、「助けて」とかいった類のちょっとした単語を口にしている程度でしかありません。
一応軸となるストーリー自体は「サーカスだけで構成されているような世界で、ミアがエアリアリストを探し出す」的な内容となっているのですが、その進行のほとんどをパフォーマンスショーのみで表現しています。
ミアがエアリアリストを探してあちこち回っている先々で、「シルク・ドゥ・ソレイユ」の団員達?が様々なパフォーマンスショーを披露していくという按配です。
パフォーマンスショーの中には、エアリアリストを捕縛したり刺客達と戦いを演じたりするものなどもありますが、物語進行とは全く何の関係のないものもあります。
一般的な映画とは楽しみ方がまるで異なっており、良くも悪くも「パフォーマンスショーと音楽のための映画」ですね。
登場人物による駆け引きや心理描写やストーリーの謎を追うなどといったコンセプトは全く見出しようがないのですし。

今作を観賞する際には、映画というよりもサーカスでも観覧しに行く的なスタンスで臨んだ方が良いでしょうね。

映画「リンカーン/秘密の書(3D版)」感想

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映画「リンカーン/秘密の書」観に行ってきました。
映画「ダーク・シャドウ」のティム・バートンが製作を、2008年公開のアクション映画「ウォンテッド」のティムール・ベクマンベトフが監督をそれぞれ手掛けた作品。
「リンカーン/秘密の書」というのは邦題で、原題は「Abraham Lincoln, Vampire Hunter(エイブラハム・リンカーン ヴァンパイアハンター)」。
その名の通り、奴隷解放宣言で有名なアメリカ第16代大統領エイブラハム・リンカーンが実はヴァンパイアハンターだった、という設定の下で、リンカーンとヴァンパイアの間で戦いが繰り広げられていくアクション映画です。
今回は料金格安のファーストディ狙いで2012年11月1日の公開初日での観賞となったのですが、3D版しか観賞可能な時間帯がなかったこともあって、結局格安分は3D料金で相殺されてしまった感じですね(T_T)。
そして肝心の3D映像は、相も変わらず「カネが高いだけのボッタクリ」以外の何物でもないシロモノでしかなく、「いいかげん3Dは止めて欲しいものだ」と改めて考えずにはいられませんでした(-_-;;)。
なお今作は、銃弾が目の中にめり込んでいたり、血まみれの殺戮シーンがあったりすることなどから、PG-12指定されています。

物語の冒頭は、1865年のエイブラハム・リンカーンが、ヘンリーという名の人物宛てに日記を書いているところから始まります。
いきなりネタばらしになるのですが、今作の邦題である「リンカーン/秘密の書」というのは、このエイブラハム・リンカーンが記している日記のことを指しています。
公に公開されることなく、特定の人間宛ての「秘密の日記」なので「秘密の書」という邦題の元となったわけです。
決して、世界の命運を決する内容なり秘密なりが記されている書物か何かを意味するわけでもなければ、それを巡っての奪い合いが繰り広げられるわけでもありません。
その点では、邦題よりも原題の方が今作の内容を忠実に表現してはいるのですけどね。
この辺りの詳細な事情はラストシーンで明らかとなるわけですが、ここでは日記を綴っているエイブラハム・リンカーンが9歳の頃の回想シーンへと移っていくことになります。

エイブラハム・リンカーンが9歳だった1818年。
当時彼は、父親であるトーマス・リンカーン、母親のナンシー・リンカーンと共に、ジャック・バーツという実業家の下で暮らしていました。
ある日エイブラハム・リンカーンは、ジャック・バーツの部下にウィル・ジョンソンという黒人が鞭で打たれ、奴隷でもないのに奴隷として連行されようとしている様を目撃します。
虐げられているウィル・ジョンソンをかばい、一緒に鞭打たれる羽目になってしまうエイブラハム・リンカーンでしたが、父親が助けに入り、鞭を打っていた男は湖に放り込まれます。
しかし、そのことがリンカーン一家はジャック・バーツの不興を買うことになり、彼の仕事場を追われることになってしまうのでした。
さらにその夜、ジャック・バーツはリンカーン一家へ密かに侵入し、母親のナンシー・リンカーンに病原菌?を注入して不治の病を患わせてしまい、彼女を死に追いやってしまいます。
たまたまその様子を目撃していたエイブラハム・リンカーンは、ジャック・バーツへの復讐を誓うようになるのですが、それを諌めていた父親の存命時は復讐を実行に移せずにいました。

母親の死から9年後、父親が他界したことで復讐を掣肘する者がいなくなったエイブラハム・リンカーンは、待ってましたとばかりに復讐を実行に移すことを決意。
殺意を高ぶらせるために酒場で酒を一気飲みしていたエイブラハム・リンカーンは、しかし隣にいた男にその意図を喝破され、彼は図星を指されて落としてしまった短銃を拾って足早に酒場を去ります。
そして、いざジャック・バーツを見つけ背後から銃撃しようとするのですが、湖に長時間潜伏していたのが災いして銃が水で使い物にならなくなっており、奇襲に失敗してしまいます。
失敗を悟ったエイブラハム・リンカーンはその場から逃亡し、小屋へ立てこもり体制を立て直そうとします。
嗜虐的に勝ち誇るジャック・バーツは、ナンシー・リンカーンは自分が殺したのだとほのめかしながら小屋の扉を強引に破り、エイブラハム・リンカーンをもその手にかけようとします。
しかし、小屋の扉を破った直後、ジャック・バーツは銃に弾を込め直したエイブラハム・リンカーンによって右の眼球を打ち抜かれその場に倒れることになります。
殺害の証拠隠滅のために銃を湖に捨てるエイブラハム・リンカーンでしたが、その直後、彼は驚くべきものを見ることになります。
何と、右眼球を打ち抜かれたはずのジャック・バーツの死体が、彼の後ろへ移動して襲い掛かってきたのです。
不意打ち同然に襲い掛かられ窮地に陥ったエイブラハム・リンカーンを助けたのは、酒場で彼の隣の席にいた男でした。
男はヘンリー・スタージスと名乗り、ジャック・バーツがヴァンパイアであり、通常の手段では殺すことができないことをエイブラハム・リンカーンに教えます。
エイブラハム・リンカーンはヘンリー・スタージスに対ヴァンパイアの戦い方を教えてくれるよう懇願し、ヴァンパイアを狩る戦いへ身を投じていくことになるのですが……。

映画「リンカーン/秘密の書」に登場するヴァンパイア達には、致命的な弱点らしい弱点というものが全くと言って良いほどに皆無と言って良いチート設定な存在ですね。
作中の描写を見る限り、彼らは昼間も日の光を全く気にすることなく通常通りに行動できるようですし、通常の武器も全く通用しません。
ジャック・バーツの事例のごとく、眼球を短銃で撃ち抜かれてさえも平気で動いていたりするのですし。
のみならず、常人よりもはるかに強い膂力やスピードを誇り、さらには短時間ながら姿を消したり、他人に病気を発症させる等の特殊能力まで持ち合わせているときています。
彼らを殺すには、何らかの形で銀が施された物体を使って相手に致命傷を与えるしかありません。
しかし銀製の武器を使ったところで、別にそれだけで彼らヴァンパイアが弱体化するなどということは全くなく、彼らの強みである膂力やスピードその他特殊能力は健在のまま。
能力に圧倒的な格差があり過ぎ、また人間側に有利な要素が無さ過ぎで、逆に「何故ヴァンパイアは人間の頂点に君臨していないのだ?」とすら考えてしまったほどです。
個体数は人間に比べれば数万と少ないようなのですが、人間の首筋を噛んで血を吸うことで人間をヴァンパイアにする能力は健在なわけですし、あれだけの不死性と特殊能力があれば、ヴァンパイアが人間社会の頂点に君臨することくらい簡単に出来そうな気もするのですけど。
銀というのは確かに彼らにとっては致死性の武器となりえるものではあるのでしょうが、逆に言えばその程度の脅威しかなく、彼らの圧倒的優位を覆すものではないわけですし。
作中におけるエイブラハム・リンカーンやヘンリー・スタージスのようなヴァンパイアハンターもほとんど数がいないようですし、あれでヴァンパイア達が人間社会を支配する野心を今まで抱かなかったことの方が奇異な話に見えてしまいますね。

作中のヴァンパイア達は、その圧倒的な不死性や特殊能力の割には、戦い方がおよそ考えられないほどに稚拙な上、何をしても死なない描写と、いともあっさり人間達にやられていく描写という、あまりにも両極端な描かれ方をしています。
特にその稚拙なあり方と両極端ぶりが前面に出ているのは、史実のアメリカ南北戦争における転換点であり最大の激戦が繰り広げられたゲティスバーグの戦いです。
今作におけるゲティスバーグの戦いでは、数的劣勢にある南軍が事態を打開するためにヴァンパイアのリーダーであるアダムに依頼し、最前線の兵士を不死のヴァンパイアで固めさせています。
ゲティスバーグの序盤戦では、ヴァンパイアがその不死性と特殊能力を如何なく発揮し、北軍の防衛陣をやすやすと突破するんですよね。
特に、突然姿を消して敵の後方に現れて虐殺を繰り広げていたのがかなり効いていました。
ところがラストの戦いでは、いくら北軍に銀の武器が届けられ、ヴァンパイアのリーダーであるアランがエイブラハム・リンカーンに殺されたとはいえ、ヴァンパイアは北軍に対して為すすべもなく簡単に討ち取られ壊滅を余儀なくされているのです。
しかし、確かに銀の武器があればヴァンパイアを殺すことは可能にはなったでしょうが、前述のように膂力やスピードや姿を消す等の特殊能力までは無効化できないのですから、その力を駆使すればまだまだ充分に強力な戦力たりえたのではないかと思えてならなかったのですけどね。
ヴァンパイアは「前線の盾兼突破戦力」などにするよりも、むしろ後方攪乱や遊撃戦などに活用して北軍を翻弄させた方がはるかに使い勝手が良かったのではないのかと。
特に姿を一時的に隠せる能力なんて、奇襲やゲリラ戦にはもってこいの武器となりえるのですし。
アランが銀を輸送してきた(と偽装していた)リンカーン達を襲撃するやり方も、燃やす予定の橋の付近に戦力を集中して待ち伏せるというものではなく、そこに至るまでの道程でヴァンパイアを逐次投入して不確実に襲撃するなどという稚拙極まりないシロモノでしたし。
おかげで各個撃破の好餌となったヴァンパイア達は、それまでの不死性がまるで嘘であるかのように、次々とリンカーン達のヴァンパイア無双の前に一方的に殺されていくありさま。
南軍にとって貴重な戦力であったはずのヴァンパイア達は、全く無意味な戦いで無駄に死んでいった以外の何物でもなく、南軍およびアランは、切り札であるはずのヴァンパイアの活用方法がヘタクソもいいところだったとしか評しようがなかったですね。
彼らがヴァンパイアの能力を正しく理解し、その有効な活用方法をきちんと模索さえしていれば、作中におけるアメリカ南北戦争の勝利は南軍のものだったかもしれないのに、つくづく自ら勝機を放棄するバカなことをしたものですよ、全く。

ラストシーンにおける、劇場へ赴く直前のエイブラハム・リンカーンとヘンリー・スタージスの会話は、史実を知り得る人間の視点から見るとなかなかに切ないものがありましたね。
何しろ、あのラストシーンの後にエイブラハム・リンカーンは、妻と共に赴いた劇場でジョン・ウィルクス・ブースに背後から撃たれ暗殺されてしまうのですから。
作中におけるエイブラハム・リンカーンも、まさかあの直後に自分が死ぬことになるとは夢にも思ってもいなかったのでしょうけどね。
もしあそこでエイブラハム・リンカーンがヘンリー・スタージスの勧めに従ってヴァンパイアになっていたらアメリカの歴史がどうなっていたのか、少々興味をそそられますね。
もっとも、それだと敵方のヴァンパイアリーダー・アランが推進しようとしていた「アメリカをヴァンパイアの国にする」という野望が、全く異なる形でありながら達成されることにもなってしまうのでしょうけど。

史実のエイブラハム・リンカーンの足跡をなぞってはいるものの、基本的にはあくまでもフィクションなアクション映画として評価すべき作品ですね。

映画「アルゴ」感想

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映画「アルゴ」観に行ってきました。
1979年に勃発したイランのアメリカ大使館人質事件で実際にあった話を題材とした、映画「ザ・タウン」のベン・アフレックが監督&制作&主演を担うサスペンス作品。
今作は、絞首刑になった人間がクレーンに吊るされているシーンが再現されている等のの残虐シーンが作中に存在するため、PG-12指定を受けています。

1979年11月4日。
同年1月にイランで革命を引き起こした、ルーホッラー・ホメイニ師を首班とする反米イラン政権が、イスラム法学校の学生達を煽動し、同国にあるアメリカ大使館を武力制圧させるという事件が勃発しました。
彼らの目的は、革命の際に国外へ逃亡後、「癌の手術」を名目にアメリカへ入国し受け入れられた、前政権のモハンマド・レザー・パーレビ元国王の身柄引渡にありました。
暴徒と化した学生達の大使館突入に対し、しかし当のアメリカ大使館側は「こちらが銃を撃って人を殺せば皆殺しにされる上に開戦の口実にされてしまう」などと著しく及び腰であり、目と鼻の先に暴徒が迫っても大使館内の書類を処分するための時間稼ぎのみに終始するありさま。
その上、その書類の処分すらまだ完全に終わらないうちにアメリカ大使館は完全に制圧されてしまい、大使館の職員や海兵隊員など52名のアメリカ人が暴徒達の人質とされてしまったのでした。
しかしこの時、来るべき大使館制圧の事態をいち早く察知し、暴徒突入のゴタゴタに乗じて大使館を脱出した6名の男女が存在していました。
彼らは在イランのカナダ大使の私邸へと逃げ込み、自身の身の危険も顧みずに匿ってくれた大使の取り計らいにより、とりあえず一命を取り留めることに成功します。
しかし、イラン側はアメリカ大使館でシュレッダーにかけられた大使館員の名簿を復元したり、各国の大使館に対しても容赦のないしらみ潰しな捜索を行ったりしていることから、彼らが見つかるのは時間の問題と言えました。
この事態を受けたアメリカ本国では、当然のごとく救出のための作戦が検討されることになります。

こういった史実をなぞった流れが最初の20分くらいを使って延々と続き、ようやくベン・アフレック扮する今作の主人公トニー・メンデスが登場することになります。
彼はCIA所属の人間で、人質奪還のプロとしてその実力を評価されている人物です。
ただその一方で、妻とは離婚こそしていないものの子供と共に別居しており、私生活面では少なからぬ問題を抱え込んでいた人物でもあったのですが。
さて、CIAを介してアメリカの国務省から人質救出作戦のアドバイザーとして呼ばれたトニー・メンデスは、6人の大使館員を救出するための作戦会議に参加することになります。
しかしそこで彼は、会議中に出された作戦案に対して次々にミソをつけていき、かつ「では何か良い方法はあるのか?」と尋ねられると、にべもなく「ない」と断言するありさま。
別に彼は6人を救出する気がさらさらなかったのではなく、本当に良案がなかっただけではあったのですが。
その夜、トニー・メンデスは別居中の息子の動向を確認すべく、息子の元へ電話をかけます。
息子は当時アメリカでテレビ放映されていたらしい映画「最後の猿の惑星」を見ていたといい、トニー・メンデスも同じ番組を観賞すべくテレビのチャンネルを合わせます。
しかし、その「最後の猿の惑星」の映像を見ていたトニー・メンデスは、そこから誰もが思いもよらないアイデアを考えついたのでした。
それは何と、架空の映画を作ると称してイランへ渡った後、6人の大使館員をカナダ出身の映画スタッフ要員として国外へ退去させるというもの。
再び行われた作戦会議の席上でトニー・メンデスは自身の作戦案を提示し、その下準備を進めていくことになるのですが……。

映画「アルゴ」では、主人公がアクションシーンを披露するどころか、そもそも自身では銃を一発たりとも発砲することすらありません。
予告編でもアクションシーンらしきものは全く出てきていませんでしたし、その方面について期待すると痛い目に遭うこと必至の作品と言えます。
また、物語の前半はとにかく作戦のための下準備に主人公達が忙殺される描写ばかりが延々と続いている上、「偽映画の製作」というテーマなこともあってややコメディ調なノリも交じっていたりします。
この辺りはやや退屈な描写でもあり、見る人によってはこの時点で「期待外れ」と思わせる要素もあるかもしれません。
しかしこの映画の真骨頂は、作戦の道筋があらかた整って主人公トニー・メンデスがイラン入りする後半以降にあります。
ここから先のストーリーは「イラン側に正体が露見したら一巻の終わり」な緊迫した状態に置かれることになるため、一発の銃弾も飛び交わないながら手に汗握る展開が続くことになります。
アクションシーンやカーチェイスなどといった派手な描写なしに、頭脳戦や心理的駆け引きだけであれだけの緊張感を生み出せる構成は、なかなかに上手いものがありました。

ただ、トニー・メンデスにとっての最大の敵というのは、実はイランではなくアメリカ政府の上層部だったりするんですよね。
アメリカ政府の上層部は、既に発動しているトニー・メンデスが現地で地道に進めていた偽映画作戦を、「軍による大使館人質救出作戦が決まったから」という理由で突然中止を決定した挙句、トニー・メンデスに対して「6人を見捨てて帰国しろ」と命じてくる始末だったんですよね。
さらには、せっかく手配していた航空券の予約を破棄した上に、作戦のために作った架空の映画会社にも閉鎖を命じ、作戦遂行自体を不可能にしてしまうありさま。
アメリカ政府の上層部がこんな決定を下した背景には、間もなく始まる大統領選挙を有利に進めるためという事情が介在していたようなのですが、一度発動している作戦にそんな形で横槍を入れられるのでは、現場としてはたまったものではなかったでしょうね。
しかも、実際にアメリカ政府主導で軍を派遣して実施された人質救出のための「イーグルクロー作戦」は、使用されたヘリで故障が頻発し作戦遂行自体が不可能となってしまった上、撤収時でもヘリがC-130輸送機に激突して死者を出してしまうなど、ほとんど自滅に近い形で失敗に終わってしまい、アメリカ軍史上最悪の作戦のひとつにまで数えられてしまう始末です。
ベトナム戦争辺りから1980年の大統領選挙でレーガン大統領が出てくるまでのアメリカ軍というのは、政治の過剰な軍事作戦への介入のために、悲惨なまでの敗北を何度も強いられる状態にありましたからねぇ(T_T)。
軍事作戦の根幹どころか細部に至るまで政治が決定していたことによる過剰なまでの「文民統制」が、却って健全な軍事運用を妨げた好例と言えるシロモノだったのですが。
作中のごとく、一度決めて動き出した方針を二転三転させるというのも、必敗の法則の最たるものだったりするのですけどねぇ。

頭脳戦や駆け引きが好きという方には、今作はオススメな佳作と言えるのではないかと。

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