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カテゴリー「洋画感想」の検索結果は以下のとおりです。

映画「エクスペンダブルズ2」感想

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映画「エクスペンダブルズ2」観に行ってきました。
シルヴェスター・スタローンを筆頭に、往年のハリウッド人気アクションスターが一堂に会した前作「エクスペンダブルズ」の続編。
今作も前作同様に序盤から血が飛び散りまくるアクションシーンがひたすら披露されているのですが、今回は前作のR-15指定から何故か一段階下がったPG-12指定となっています。
描写的なレベルは前作のそれとほとんど変わりなんてないはずなのですが、この辺りの規制は相変わらず何を基準にしているのかよく分からないですね。

物語冒頭の舞台は、ネパール北東部シンドゥパルチョーク地区。
その地区を牛耳っているらしい武装集団のアジトの工場内で、顔を隠され囚われの身となっている男が拷問まがいの尋問を受けていました。
正体不明の囚われの男は何もしゃべっていないらしく、業を煮やした尋問役が殺害を示唆します。
そこへ、突如としてやってきた3台の曰くありげな重武装の車輛。
その中の1台に搭乗しているのは、前作から消耗品軍団(エクスペンダブルズ)のリーダーを担っていたバーニー・ロス(シルヴェスター・スタローン)と相棒のリー・クリスマス(ジェイソン・ステイサム)。
3台の車輌は、厳重な門と武装した兵士によって守られていたアジトをあっさりと突破し、周囲に銃を乱射して死を撒き散らしつつアジトの奥へと突き進みます。
そして、アジトの奥にあった工場へ車輌を突っ込ませ、冒頭の男がいる部屋までなだれ込み、中にいた兵士達を全員打ち倒して制圧を完了する消耗品軍団の面々達。
そして彼らは、囚われの身となっていた男の顔を覆っていた布を取って正体を確認。
するとそこにいたのは、前作でもチラリと出演していたアーノルド・シュワルツェネッガーが扮する消耗品軍団のライバル傭兵会社のリーダー・トレンチだったのです。
思わぬ形で再会することになったバーニー・ロスとトレンチでしたが、しかしバーニー・ロスが救出の目的としていたのはトレンチではなく、彼と一緒に囚われの身として縛られていた中国人の富豪でした。
トレンチも同じ人物を救出する依頼を受けていたとのことで、彼にしてみれば仕事の成果が挙げられなかった上にバーニー・ロスに助けられてしまった形です。
「借りを作ってしまったな」とボヤくトレンチは、解放されて消耗品軍団の面々からゴツい武器をもらった後、待機しているという自分のチームのところへ戻るべく別行動を取ることになります。
その後も消耗品軍団の面々は相変わらずの強さを見せつけ、ターゲットの中国人富豪と一緒にアジトを脱出。
そして、今回からの新参で予め脱出ルートで待機していた狙撃手のビリー“ザ・キッド”ティモンズのサポートもあり、やや危ない局面がありながらも何とか脱出に成功するのでした。

一仕事を終え、アメリカ・ニューオリンズにある消耗品軍団の本拠地で、バーニー・ロスは新参のビリー“ザ・キッド”ティモンズから、恋人ソフィアのために今月一杯を目途に消耗品軍団から足を洗いたいと相談されます。
バーニー・ロスはそれを了承し、彼に飲み直してくるよう諭し、自らはバイクに乗り、アジトの脱出の際に使用された水上飛行機へと向かいます。
無人の飛行機の中でひとり考えに耽ろうとするバーニー・ロスでしたが、無人のはずの飛行機の中には先客が潜んでいました。
それは、前作でバーニー・ロスとトレンチに仕事の依頼を持ちかけた、ブルース・ウィリスが演じるCIAの上級職員のチャーチだったのです。
彼は、前作で消耗品軍団が暴れ回った上に、黒幕だったCIA元職員のジェームズ・モンローが死んだことで莫大な利益を失ったことについての責任を問い、バーニー・ロスに一つの仕事を脅し交じりに押し付けてきます。
その仕事の内容は、バルカン半島アルバニア共和国内にあるガザック山脈に墜落した中国機の中にある金庫から、とあるデータボックスを回収してくるというもの。
金庫は120秒ごとに解除用パスワードが変更されるという特別製であるため、チャーチはパスワード解除要員として、マギーという女性エージェントを一緒に連れて行くよう命令します。
「ベビーシッターは得意じゃない」とボヤきつつも、バーニー・ロスは彼女を引き連れ、他の消耗品軍団の面々と共にバルカン半島の墜落現場へと向かうことになるのですが……。

映画「エクスペンダブルズ2」は、前作もそうでしたがとにかく出演者の顔ぶれが「豪華」の一言に尽きますね。
シルヴェスター・スタローン、ジェイソン・ステイサムなどの前作からの主演メンバーはむろんのこと、前作では顔見せ程度の出番しかなかったブルース・ウィリスとアーノルド・シュワルツェネッガーも、今回は消耗品軍団と共にアクションシーンを披露しています。
特に物語終盤で展開された、シルヴェスター・スタローンとブルース・ウィリスとアーノルド・シュワルツェネッガーの3者が一堂に並び、敵に銃を乱射しながらゆっくりと前進していくシーンは「壮観」の一言に尽きます。
ハリウッドアクション映画のファンならば、あのシーンを見るためだけのために今作を観賞しても良いほどに感涙もののワンショットです。
特にアーノルド・シュワルツェネッガーは、今回が実に9年ぶりとなるアクションシーンの披露とのことですし、「いよいよ本格的に復活したのだなぁ」と感慨もひとしお。
アーノルド・シュワルツェネッガーは、既に2013年の日本公開が決定している映画「ラストスタンド」で主演を担い、アクションスターとして本格的に復活する予定となっていますが、今作はその前準備といったところになるでしょうか。
また、この両巨頭以外でも、チャック・ノリスとジャン=クロード・ヴァン・ダムという人気アクションスターが新たに参戦し、前者は消耗品軍団を助ける凄腕の一匹狼ブッカー、後者は犯罪武装集団「サング」を束ねるリーダー&ラスボスのヴィランと、それぞれ重要な役割を作中で演じています。
残念ながら私は、チャック・ノリスとジャン=クロード・ヴァン・ダムの出演作品は1作も観賞したことがないのですが、こちらはこちらで往年のファンにとっては興奮ものの内容でしょうね。
前作でも大いに話題となった「豪華アクションスターの競演によるファン垂涎のアクション映画」というコンセプトは、今作でも健在といったところになるでしょうか。

ただ今回、あえて問題点を指摘するとすれば、それは今回のラスボスであるヴィランと消耗品軍団との初対面のシーンですね。
あの場面では、ヴィランが消耗品軍団のひとりで今月一杯の引退を表明していたビリー“ザ・キッド”ティモンズを人質に取ることで、消耗品軍団の面々を武装解除させた上に目的のブツを手にするのですが、その際ヴィランは人質ひとりを殺害するだけでさっさとその場を後にしてしまいます。
このことに怒ったバーニー・ロスをはじめとする消耗品軍団は、ヴィランに対する復讐を決意することになるわけですが、しかし何故ヴィランはあの時、他の消耗品軍団の面々もついでに皆殺しにしなかったのでしょうか?
あの場面の中でさえ、人質を助けるために武装解除しようとするバーニー・ロスに対し、リー・クリスマスが「そんなことをしたら俺達も皆殺しになるぞ」と警告していましたし、その後のヴィランの「無慈悲な支配者」としての描写を見ても、彼が消耗品軍団の面々に対して殺害を決断してはならない理由自体がありません。
消耗品軍団を放置していたら、彼らが仕事と復讐のために自分達に牙を剥いてくるであろうことなど、彼らの立場から見れば最初から分かり切っていることであるはずなのですから。
ひょっとするとヴィランは、消耗品軍団の面々達の実力を実は高く評価していて、将来的に彼らを自分の下へスカウトするつもりだったのかもしれませんが、それだと今度は、わざわざ消耗品軍団の眼前で人質をこれみよがしに殺害した理由の方が理解不能となってしまいます。
ヴィランは旧ソ連が隠したプルトニウムを掘り出して大儲けする予定だったようですから、消耗品軍団をわざわざ怒らせることで自分を殺害させようなどという自滅願望があったわけでも当然ないでしょうし。
あの時のヴィランには、「消耗品軍団を放置していたら危険である」ということが全く理解できていなかったのでしょうか?
いくら何でも、相手がそこそこに腕の立つ裏稼業の人間達であることくらいのことは彼にも理解できていたでしょうに、何故あんな中途半端な措置で将来の禍根を残し自らの破滅を招いてしまうのかと。
作品的に見れば、この辺りの描写は主人公の怒りと悲しみによる復讐心を惹起させると共に、悪役が絶対に許せない存在であることを観客に明示するためのものではあるのでしょうが、それならば「作中におけるヴィランとしての立場から見ても妥当な行動と理由の必然性」も一緒に示して欲しかったところではあります。

「エクスペンダブルズ」シリーズは3部作ということで、既に3作目制作の準備が進められているようですね。
予定では2012年秋から撮影に入るとの情報もありますし↓

http://www.cinematoday.jp/page/N0040614
>  [シネマトゥデイ映画ニュース] 映画『エクスペンダブルズ2』は全米では8月公開の予定だが、すでに『エクスペンダブルズ3』が秋から撮影されるという。
>
>  これは、映画『エクスペンダブルズ』でセラピーを受けている繊細なトール・ロードに扮したランディ・クートゥアのインタビューで確認されたものだ。
>
>  というのも
シルヴェスター・スタローンは最初からこの作品を3部作ととらえており、当然のスケジュールなのだという。
>
>  このシリーズは自ら消耗品「エクスペンダブルズ」と名乗る軍用銃のエキスパートであるバーニー・ロス率いる少数精鋭の命知らずの最強無敵の傭兵軍団がどこの国も合法的に手が出せないやっかいな事件を怒濤の超絶アクション満載で解決するというもの。
>
>  先日、スタローンはインタビューで『エクスペンダブルズ2』のレイティングが「R指定」(=17歳以下の観賞は保護者の同伴が必要)を受けるだろうと語っている。彼の考えは、それによってファンが期待している暴力シーンやFワードなど前作『エクスペンダブルズ』でファンが楽しんだ成人向け要素がすべて盛り込まれていることをファンに知らせたかったのではないか?
>
>  まだまだあいつらは大暴れをしそうだ。(後藤ゆかり)

また、次回作では既に「ナショナル・トレジャー」シリーズや「デビルクエスト」「ドライブ・アングリー」で主演を務めたニコラス・ケイジの出演が取り付けられている他、クリント・イーストウッドやハリソン・フォードなどといった大物ハリウッド俳優とも交渉が進められているとのこと。
ニコラス・ケイジはジョン・トラポルタと共に、今作制作の際にも出演交渉が進められていたものの、どちらもスケジュールの都合で出演できなかったとのことで、「エクスペンダブルズ3」で晴れてその雄姿が見られることになるわけですね。
3作目がいつ、どのような内容と出来と豪華キャストで劇場公開されるのかはまだ分かりませんが、今から楽しみな話ではあります。

ハリウッドアクション映画のファンならば必見、映画で爽快感を覚えたいという方にもオススメな一品です。

映画「推理作家ポー 最期の5日間」感想

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映画「推理作家ポー 最期の5日間」観に行ってきました。
19世紀前半のアメリカで推理小説を執筆し有名になったエドガー・アラン・ポーの、その死に至るまでの最後の5日間に何が起こったのかについて描いたサスペンス・スリラー作品。
今作は猟奇的な殺人および死体の描写が満載のため、R-15指定されています。

1849年10月のアメリカ・メリーランド州ボルティモア。
闇夜の中で、女性のけたたましい悲鳴が響き渡る中、複数の警官達が悲鳴の発生源と見られるアパートへとなだれ込みます。
しかし、警官達が階段を駆け上がっていく途中、女性の悲鳴は途絶え、また現場と思しきアパートの一室からは、ドアの鍵がかけられる音が部屋の内側から鳴り響きました。
警官達がドアを破って強行突破すると、そこにあったのは母娘とおぼしき女性2人の遺体。
母親は絞殺された後に首を掻き切られ、娘は暖炉の煙突の中に逆さ吊りされた状態で発見されました。
警官達は部屋の中をくまなく調べ始めましたが、部屋の中には誰もおらず、またドア以外で唯一外へ出られる窓には釘が打ち込まれていて全く開けられない状態。
何ら成果なく一旦引き揚げた警官達によって報告された、この不可解な事件を担当することになったエメット・フィールズ刑事は、釘が打ち込まれている窓がバネ仕掛けで動くというトリックがあることを見つけ出します。
そしてフィールズ刑事は、殺人の手口とトリックが、当代の推理小説家エドガー・アラン・ポーの小説に出てくる内容と酷似していることに気づくのでした。

一方、同時期にたまたまボルティモアへやってきていた当のエドガー・アラン・ポー。
しかし彼は事件が発生した同時刻、酒場でマスターと口論になった上、他の客と揉め事を引き起こして店から叩き出されていたのでした。
彼はまた、ボルティモアの名士?であるチャールズ・ハミルトン大尉の娘で恋人のエミリー・ハミルトンと接触を図りますが、チャールズはエドガー・アラン・ポーを毛嫌いしており、彼に銃を突き付けて追い返してしまいます。
さらには、カネを無心するために自分が文芸評論を寄稿している新聞社パトリオットでは、「売れない文芸評論よりも売れる小説を書け!」と言ってきたマドックス編集長と口論になってしまう始末。
当時でもそれなりには売れている作家だったはずなのに、やたらと困窮している上にかくのごとく周囲から鼻つまみ者的な扱いを受けているエドガー・アラン・ポー。
彼がアメリカ社会で「アメリカを代表する作家」として認められるようになるのは、エドガー・アラン・ポーの死後から実に1世紀近くも経過して以降のことであり、当時は作風がアメリカ社会と馴染まなかったことや、作家の地位そのものが低かったことも手伝って、貧困な生活を余儀なくされていたわけです。
そんな中でも、エミリー・ハミルトンは彼のことを真剣に想っていたらしく、来るべき仮面舞踏会で自分にプロポーズしてほしいとエドガー・アラン・ポーに懇願するのでした。
その想いに気を良くしたエドガー・アラン・ポーは、翌日、富裕者層の中高年女性達を相手に詩を朗読する仕事をこなしていました。
しかしその現場へ、突如警官達が多数押しかけ、エドガー・アラン・ポーは冒頭の事件絡みで重要参考人として連行されることになってしまいます。
彼はエメット・フィールズ刑事との尋問の中で、自分の小説を利用した殺人が行われていることを知ることになるのですが……。

映画「推理作家ポー 最期の5日間」で勃発する連続殺人事件は、エドガー・アラン・ポーの小説で開陳されているトリックや固有名詞等を流用して行われています。
最初の殺人事件が「モルグ街の殺人」、次の殺人が「落とし穴と振り子」、その次の仮面舞踏会では「赤き死の仮面」、それぞれの作中で描かれているトリックや殺人が用いられています。
その忠実度は、当のエドガー・アラン・ポーですら驚くほど(苦笑)。
しかし、具体的にどの著書のどの内容が現実のトリックや殺人の手法と合致しているのかについては、実際にポーの小説を読んだ人でないと理解できるものではなく、何も知らない人間から見たらあまり楽しめるものではないのではないか、とは思わなくもなかったですね。
そもそも、最初の事件でエドガー・アラン・ポーの小説との関連性を見破ったエメット・フィールズ刑事でさえ、それ以降はエドガー・アラン・ポーの知識に頼りきりになっていた感が否めなかったくらいですし。
この辺りは、映画製作者も承知の上で、エドガー・アラン・ポーの作品を知らない人向けに演出したものではあるのでしょうけどね。
知っている人から見たら小説との関連性が完全に理解できて面白さもまた違ってくるのだろうなぁ、とエドガー・アラン・ポーの作品は一部の小説タイトル名くらいしか知らない私などはついつい考えてしまうのですが(^^;;)。

ただ、ラストで明らかになった真犯人は、最初からエドガー・アラン・ポーを主要ターゲットにするつもりで犯行をやらかしたとは正直思えないところが少なくないですね。
そもそも、警察が殺人内容とエドガー・アラン・ポーの小説との関連性に全く気付くことなく捜査を行っていたりしたら、当然エドガー・アラン・ポーに捜査要請などすることすらなく、またエドガー・アラン・ポー側も事件の存在すら認知することもなく、その時点でいともあっさりと計画が頓挫してしまいます。
実際、警察もエメット・フィールズ刑事がたまたま気づいたからエドガー・アラン・ポーに目星をつけられたようなものだったのですし。
また、警察が小説との関連性【だけ】でもってエドガー・アラン・ポーを犯人と決め付け、そのまま不当逮捕して裁判にかけてしまう、という事態も全くなかったわけではないでしょう。
それまでのエドガー・アラン・ポーは素行不良が目立っていてあちこちでゴタゴタを巻き起こしていたのですし、警察が思い込みだけで彼を犯人扱いして逮捕を決断するというシナリオも全くありえないわけではなかったのですが。
真犯人の目的はあくまでもエドガー・アラン・ポーにこそあったのですから、ここで警察が無能ぶりを発揮した捜査を行うと、彼の目的は全く達成できなくなる可能性が濃厚だったのではないかと。
その点で真犯人は、見事にエドガー・アラン・ポーと事件の関連性に気付いて彼に捜査の協力をさせたエメット・フィールズ刑事に感謝しなくてはならないかもしれませんね。
……もっとも、ラストで彼に不意を突かれ撃ち殺される羽目になった真犯人にしてみれば、「何故俺が奴に感謝などしなければならないんだ!」とあの世で恨み言のひとつも言いたいところではあるのかもしれませんが(笑)。

個人的には、物語終盤でエドガー・アラン・ポーが真犯人と対峙した際、いくらエミリー・ハミルトンが人質に取られているからとはいえ、真犯人が強要するままに毒を飲んだのが少々疑問ではありましたね。
あの場面で彼は、丸腰の真犯人に対して銃を所持していたのですし、一度は真犯人の直近で発砲して脅しをかけてもいたわけでしょう。
ならばそれをさらに延長させて、真犯人の手なり足なりでも撃って拷問同然にエミリーの居場所を聞き出す、といった行動に出れば、あるいは彼女ばかりか自分自身さえも無傷で助かったのではないのかと。
自分が相手の要求を文字通り飲んだからと言って、真犯人が素直に口を割るとは限らないことくらい、仮にも周囲の人間関係に悩まされ続けてきたエドガー・アラン・ポーの立場であれば理解できないはずもなかったでしょうに。
結局彼は、真犯人の口ではなく自身の推理によってエミリー・ハミルトンを助けていたりするのですし。
彼が毒を飲んだのは全く無意味な行為かつ無駄死にとしか言いようがなかったのですが、この辺り、エドガー・アラン・ポーは相当なまでに「人を疑うことを知らない【いいひと】的な人間」として描かれていますね。
40年も、それも困窮な生活を強いられ風当たりの強い世の中を生きていてそれはどうなのよ、としか評しようがないところなのですけど。

作中にはやたらと猟奇的な殺人描写や、血を流して苦悶の表情を浮かべている死体が映し出されたりするので、その手の描写が嫌いな方にはあまりオススメできるものではないですね。
ミステリー好きか、エドガー・アラン・ポーの作品が好きという方向けの映画、といったところになるでしょうか。

映画「SAFE/セイフ」感想

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映画「SAFE/セイフ」観に行ってきました。
「トランスポーター」シリーズや「エクスペンダブルズ」シリーズ、直近では映画「キラー・エリート」で活躍しているジェイソン・ステイサム主演のアクション・サスペンス作品。
今作では最初から最後までとにかくバイオレンスな展開、特に序盤は拷問に近い虐待シーンが延々と続くためか、R-15指定されています。
また今作は、熊本県では毎度おなじみの熊本シネプレックス1箇所限定での上映だったため、いつものごとく熊本市中心部まで足を運んでの観賞となりました。
……これでも「上映されるだけまだマシ」と言わざるをえないところに、熊本の泣けてくる映画事情があったりするのですが(T_T)。

ジェイソン・ステイサムが主演ということもあり、当然のごとくアクションシーンを売りにしている映画である今作ではあるのですが、しかし最初の20分ほどはとにかく鬱々な展開が延々と続きます。
何しろ冒頭のシーンからして、地下鉄で投身自殺を図ろうとする男と、マフィアから心細い逃亡を続けている少女の姿が描かれているのですから。
そのすぐ後から、1年前まで遡って2人がどのような経緯でそうなったのかについて描写されていくことになるのですが、それがまた暗くかつバイオレンスに満ち溢れたエピソードの羅列ときています。
警察をクビにされ、マイナーな総合格闘技のファイターにまで落ちぶれた挙句、本来自分が負けなければならないはずの八百長試合で誤って相手をKOしてしまったことで大損害を被ったロシアン・マフィアに自分の妻を殺されてしまう、今作の主人公ルーク・ライト。
さらに彼は、ロシアン・マフィアの若頭に「今後お前と親しくした人間は容赦なく殺す」とまで脅されてしまい、ホームレスとして生きていく羽目となってしまいます。
さらに彼は、過去に警察でも何か揉め事があったらしく、たまたま再会した警官達に一方的な殴る蹴るの暴行まで受けてしまいます。
一方、中国の南京で平穏に生活していたにもかかわらず、その驚異的な記憶力で逆に学校から厄介払いされてしまった上、チャイニーズ・マフィアに人攫い同然に拉致されアメリカまで連れてこられてしまった少女メイ。
年端も行かない少女であるはずのメイに対し、まるで見せしめと言わんばかりに脅しや虐待・殺人行為まで披露してのけるチャイニーズ・マフィア達の所業は、ルーク・ライト絡みの暗いエピソードにまつわる鬱々なイメージをさらに増幅させる効果がありましたし。
作品の意図としては、序盤でこれでもかと言わんばかりにマフィアや警官達を「絶対的な悪」として描いた上で、それらを徹底的になぎ倒すことで観客に爽快感を抱かせようという意図でもあったのでしょう。
しかし、あれらの描写のせいでR-15指定された上に、観客的にも結構鬱々な気分にさせられてしまうあれらの描写は、それを見る側に少なからぬ忍耐を要求させるものでもあるため、見る人によっては結構賛否が分かれるところではあるでしょうね。

過去の経緯が明らかになり、舞台が再び地下鉄に戻ってきたところで、いよいよ今作の本当の「売り」が披露されることになります。
謎の暗号を記憶している少女メイと、捕縛すべく動いたロシアン・マフィアの一味を目撃したルーク・ライトは、それまで実行しようとしていた投身自殺を止め、メイを助けるべく動き始めるのです。
彼が何故メイを気に留めたのかは作中でも理由が語られていないのですが、ルーク・ライトの最初の目的は、どちらかと言えば自分の妻を殺したロシアン・マフィアへの復讐の方だったのでしょうね。
メイの存在もさることながら、彼女に気を取られて後ろがおろそかになっているロシアン・マフィアのメンバー達は、ルーク・ライトにとっては格好のターゲットでもあったでしょうし。
それまでの無抵抗&無気力感を完全に帳消しにするかのごとく、ルーク・ライトは一方的に敵を叩き潰しまくります。
それまでマフィアや警察の横暴の前に、ただひたすら黙って耐えていただけのルーク・ライトのあまりにも突然の変貌ぶりには、「今までのアレは何だったんだ!」という感想を抱くのに充分なものがありましたが(苦笑)。
まあ、序盤におけるあんな鬱々な展開を最後まで続けられてもそれはそれで論外なのですし、ここから映画としては面白くなるので良しとはしているのですが。

映画「SAFE/セイフ」の面白さは、ジェイソン・ステイサムが演じる主人公のアクションやカーチェイスもさることながら、チャイニーズ&ロシアンの2大マフィアと汚職警官達による三つ巴の構図にあります。
3勢力は、メイが記憶している数字の暗号を他の2勢力に先んじて自分達で手中に収めるために、主人公のみならず他の2勢力に対しても積極的に攻撃を仕掛けてきます。
1勢力がルーク・ライトとメイを追っている際、彼らは目先の2人のみならず他の2勢力とも抗争していたり攻撃されたりしているんですよね。
そのため、彼らは2人の捕獲に集中することができず、結果として2人を逃がすという行為をしばしば繰り返すことになります。
2人を追跡している2大マフィアの幹部達は「もしメイが敵の手に落ちたら……分かっているな?」的な脅しを上層部から受けていますし、警察は警察で市長の意向もあり少なからぬ利権が絡んでいるため、メイの捕獲に躍起になっているありさま。
ルーク・ライトひとりと1勢力だけであれば、さしものルーク・ライトも勝てなかったでしょうにねぇ。
実際、ルーク・ライトとメイが泊まった高級ホテルを中国マフィアが奇襲をかけようとした際には、ホテルの警備員と警官達が中国マフィアに攻撃を仕掛けたりしなければ、ルーク・ライトの油断もあってミッション・コンプリートが達成できていたのではないかと考えられるものがありましたし。
この複雑な三つ巴にルーク・ライトが介入して圧倒的な暴力で敵を倒していく様は、まさに爽快の一言に尽きます。
またルーク・ライト自身、3勢力の均衡と対立構造を利用した立ち振る舞うのが上手かったですね。
獲得した情報を使って駆け引きを行ったり、かつての仇敵達とすら一時的かつ利害関係絡みとは言え平然と手を組んでいたりしますし。
もちろん、双方に全く信用はなく「用が済んだらこいつは殺す」と互いに裏切りの好機を模索する上での共闘ではあったのですが。
ラストの決着のつけ方も全く意外な展開ではありましたが、これも良い意味で意表を突かれた感じでした。

アクション映画好きか、ジェイソン・ステイサムのファンな方であれば、まず観に行って損をすることはない作品と言えるのではないかと。

映画「ロラックスおじさんの秘密の種」感想

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映画「ロラックスおじさんの秘密の種」観に行ってきました。
児童文学作家ドクター・スースが著した1971年の児童書「The Lorax」を原作とする、イルミネーション・エンターテイメント社制作の3DCGアニメ作品。
今作は3D版も同時上映されていますが、私が観賞したのは2Dの日本語吹替版になります。
今作の日本語吹替版は、ロラックスおじさんを「あの」志村けんが演じているということで話題になっていたりします。
というより、今作最大の売りは、この「志村けんが声優をやっている」という一事に尽きるのではないのかと(苦笑)。

物語の舞台は、全ての建造物はもちろんのこと、元来は自然のものであるはずの植物に至るまで全てが人工物でできている街。
その街は、オヘアという名の資産家が営む同名の大企業によって整備され、空気もきれいで環境も清潔に保たれていたものの、一歩街の外に出れば、よどんだ空気に不毛な大地がひたすら世界が広がっています。
オヘアは街を取り囲む巨大な外壁を作り、街の外に人が出ていくことのないよう、常に監視の目を光らせていました。
その街に住む今作の主人公である少年テッドは、オードリーというやや年上?の女の子が好きで、彼女の家に足しげく通う日々を送っていました。
ある日、ラジコン飛行機が家の中に落ちたという口実でオードリーの家を訪ねたテッドは、オードリーに自然の木が林立している絵を見せられます。
そしてオードリーは、「本物の木が見たい、それを見せてくれたらキスしてあげる」とまで言い切るのでした。
このオードリーの言葉に心を動かされたテッドは、テッド以上に変わり者の家族に本物の木のことについて尋ねます。
すると、テッドのおばあちゃんがそれに応え、街の外に住んでいるワンスラーという名の人物が本物の木のことについて知っていると教えてくれます。
翌日、テッドは街の外壁を越え、不毛の荒野と化している外の世界へバイク?を飛ばし、ワンスラーの元へと向かうのでした。
ワンスラーは前衛芸術のごとき建物に住んでいて、最初はテッドのことを邪険に追い払おうとします。
しかし、テッドの熱意に半ば負ける形で、やがて彼はかつて緑豊かだった昔の話を始めるのでした……。

映画「ロラックスおじさんの秘密の種」は、上映時間が86分と短い上、主人公のテッドがほとんど関わることのない、ワンスラーの昔話のエピソードが前半から中盤頃までのストーリーのほとんどを占めています。
ワンスラーの昔話から、何故今の完全人工物な街が出来上がったのかが分かるようになっているわけです。
しかしその代償は決して小さなものではなく、肝心のテッドが作中で活躍するのが物語も後半に入ってからのことになってしまっており、普通の映画と比較してもかなり薄味なストーリー感が否めないところなんですよね。
実質的なプロローグ部分が映画全体の半分近くも占めている、というのは正直どうなのかと。
また、今作のタイトルにもなっているロラックスおじさんは、ラストでワンスラーの元でちょっとだけ登場した以外は、全てワンスラーの昔話の中にしか存在しておらず、今作の主人公であるはずのテッドとは何の接触も関わりもなかったりします。
登場頻度もテッドが表に出てくるようになってからはラスト以外出番なしでしたし、もう少し主役級の活躍をするとばかり思っていたのですけどねぇ、ロラックスおじさんは。

ところで作中の物語は、街を牛耳る大企業のボスであるオヘアを諸悪の根源のごとく見立てて、それを打倒するという単純明快な勧善懲悪の形を取ってストーリーを進行させているのですが、ワンスラーの昔話を見る限り、そもそもこの構成自体に疑問を抱かざるをえないところですね。
そもそも、例の完全人工物の街ができ、かつその外の世界が不毛の大地と化してしまった最大の原因は、スニードという商品を売るために見境なく木を切り倒させまくったワンスラー自身が全ての元凶です。
彼はロラックスおじさんの警告を無視してまで森林伐採を続けていたのですし。
しかも、スニードの原料となる木が根こそぎなくなってしまったらスニードが製造できなくなってしまうことくらい、木を伐りつくす前に簡単に予測できそうなものなのですが。
ワンスラーは目先の利益にこだわるあまり、継続的に利益を上げ続けるという企業経営者としての視点が皆無と言って良く、その点では無能のそしりを免れないでしょう。
むしろ、森林が復活したら自社の空気販売ビジネスが成り立たなくなってしまうという危機感を抱いていたオヘアの方が、企業経営者としてははるかにマトモです。
せめて、スニード製造用の木がなくなる前に植林をするとか、木を切り倒さずにスニードの原料を効率良く集められる技術を開発するとか、そういったことを考えることすらできなかったのですかね、ワンスラーは。
そうすれば、ロラックスおじさんの要求とスニードの製造の双方を満たすことも可能だったというのに。
ラストのワンスラーとロラックスおじさんとの再度の(作品的には)感動的に描いているはずの邂逅も、不毛の大地を生み出し自然の動植物に多大なダメージを与えたワンスラーの責任を不問にしていますし、到底納得のいくものではなかったですね。
ロラックスおじさんはワンスラーに対して「よくやった」などと声をかけていますが、当のワンスラーはテッドに種をやっただけであり、街の真ん中に種を植えるという偉業を成し遂げたのはテッドではありませんか。
「ロラックスおじさんの秘密の種」はあくまでもテッドが主人公かつ彼の物語なのであり、間違ってもワンスラーの物語などではありえないのですが。
物語構成における主人公の配分を間違っているのではないかとすら、考えずにはいられなかったですね。

あと、ワンスラーの昔話に登場していたワンスラーの家族、特に母親はワンスラーのことをひたすらバカにしていたのですが、ワンスラーはその家族に対して終始全く頭が上がらない態度を取っているんですよね。
あの家族はワンスラーのことを寸毫たりとも愛してなどおらず、のみならずワンスラーのことを利用するだけ利用して最後は投げ捨てるかのごとく夜逃げをしていったのですが、ワンスラーもこんな家族のことなんて気にかけなければ良かったのに、とはついつい考えずにいられなかったですね。
むしろ、ある程度財を築いた時点で、財力に物を言わせて追い詰めるなり、暗殺者を雇うなりして、あの家族をこの世から社会的・物理的に抹殺すらしても良かったくらいだったのではないのかと。
人手不足だからって別に家族など呼ばなくても、スニード製造がカネになることは最初から分かり切っているのですから、現地住民をカネで雇うなり、あるいは最初はロラックスおじさんと森の動物達に手伝ってもらうところから始めるなりした方が、却って森林を保全したまま事業を拡大するというやり方も可能だったのではないのかと。
視野が狭く自分のことしか考えない利己主義な家族を切り捨てることができなかったことも、ワンスラーの致命的な誤りのひとつだったと断定しえるでしょう。

映画「ロラックスおじさんの秘密の種」は、上映時間が短いこと、特に後半の展開が単純明快な図式であることから、完全に低年齢層を対象とした映画ですね。
子供だけで行くか、あるいは親子連れで楽しむための作品と言えそうです。

映画「最強のふたり」感想

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映画「最強のふたり」観に行ってきました。
頸髄損傷による首から下の全身麻痺のために不自由な生活を余儀なくされている大富豪が、スラム街の黒人青年を介護士として雇ったことから始まる、フランスのヒューマンコメディドラマ作品。
今作は本来、日本では2012年9月1日から全国公開されているのですが、熊本ではどういうわけか10月6日が解禁日となっており、実に1ヶ月以上遅れての映画観賞となりました。
2012年9月は、他ならぬ私自身が1ヶ月フリーパスポートを使ったほどに映画館での上映開始作品が特に集中していたので、上映のためのスクリーンが埋め尽くされていたことによる皺寄せでもきていたのでしょうが、こんなところにも地域間格差というものはあるのかと、改めて思い知らされた気分です(T_T)。
しかも、この映画はPG-12指定されているのですが、作中の最初から最後まで見ても、直截的なバイオレンス&セックス描写といったものがこれといって特に見られなかったんですよね。
おそらくは、「障害者の性生活の実態」という生々しい下ネタ話が作中に出ていたことから規制に引っ掛かった、といったところなのでしょうが、映画「Black & White/ブラック&ホワイト」などのように、作中に下ネタ話がいくら出てもPG-12指定されなかった作品も過去にはあったりしたのですけどねぇ。
この手の規制って、一体何を基準にしているのだろうなぁと。

物語は、黒い高級車を乗り回す2人の男が、スピード違反をやらかし警察に追われるところから始まります。
高級車は警察から逃げ続けますが、1台のパトカーに前方へ回り込まれ、前後から挟み撃ちの形であえなく御用に。
しかし、運転手に乗っていた黒人男性がとっさに機転をきかし、助手席に乗っていた男性が警官達に対し「障害者で一刻を争うから病院に向かっていた」と証言します。
高級車の後部に車椅子が乗っていること、そして何よりも助手席の男が発作を起こしている様相を見せることで、警官達もさすがに緊急を要すると判断せざるをえなくなります。
そして2人に対し、自分達が病院まで先導するとまで申し出てきたのでした。
実は助手席の男の発作は演技もいいところで、警察の車に先導されていた間、2人は音楽を車内で音楽をならして歌っていたりするのですが(笑)。
そして、警察の先導で病院に到着し、警察車両が去っていくのを見計らった上で、2人は病院のスタッフが駆け寄るのを尻目にさっさと車をどこかへ発進させてしまうのでした。

ここで場面は切り替わり、いよいよ2人の関係について描かれることになります。
物語冒頭で高級車を運転していた黒人男性の名はドリス。
彼は、同じ高級車の助手席に乗っていた、頸髄損傷で首から下の感覚が完全に麻痺してしまっている大富豪のフィリップの介護士となるための面接に臨んでいました。
給与も期待できるであろう大富豪の介護士ということもあり、フィリップの元にはドリスを含め多くの介護士志望者が面接に訪れていました。
彼らは口々に自分の介護の資格や実績・経験などを語り、表面的には文句のつけようもない美辞麗句の数々で自分をアピールしていました。
ところがドリスはというと、彼は別に介護士になるつもりなど最初からさらさらなく、不採用の証明書にサインをもらうことで失業手当をゲットすることが目的という、何とも下心丸出しの動機から面接を申し込んでいたのでした。
そして、面接の場で当のフィリップと面接官と相対した際も、そのことを隠しもせずに自分の目的を最初から堂々と開陳して「不採用証明書へのサイン」を迫るドリス。
かくのごとくふてぶてしい態度を披露するドリスに対し、面接官は当然のごとく呆れ顔でしたが、介護される立場のフィリップはしかし、ドリスに興味を持ったかのように自ら話しかけ始めます。
他の志望者達に対しては自ら発言することなく、終始面接官に対応を任せ切っていたフィリップが、です。
そして一方、ドリスが要求している「不採用証明書へのサイン」については「すぐには決められないので、明日の9時にもう一度来てくれ」と返答を返します。
言質を取ったことで、ドリスはさっさとフィリップの元を辞してしまいます。
しかしその夜、久しぶりに実家へ戻ったドリスを、家の主である(これは後で判明するのですが)伯母が勘当を言い渡し、彼は実家から追い出されてしまうのでした。
翌日、早朝から出てきたドリスに対し、フィリップは2週間の試用期間を設けて雇うことをドリスに告げるのでした。
実家を勘当されてしまったこともあり、ドリスはフィリップの屋敷で住み込みで働くことを承諾するのですが……。

映画「最強のふたり」では、大富豪のフィリップとスラム街出身のドリスが、互いに良きコンビとなっていく様子が描かれています。
ドリスは「雇い主かつ障害者」という、ある意味非常に逆らい難い無敵の組み合わせであるはずのフィリップに対して全く遠慮というものがなく、ズケズケと本音を語り情け容赦もない言動に終始しています。
しかし、それが他者から同情されることにウンザリしていたフィリップにとっては最高の対応でもあったわけなのですから、その点では何とも皮肉な話ではありますね。
物語後半でドリスは一度クビになり、後任の介護士が新たに雇い入れられるのですが、その人物は明らかにフィリップに遠慮があり、腫物でも触るかのような対応ばかりするありさまでしたし。
フィリップに雇われた介護士達は、ドリスが来るまでは1週間持たずに辞めているケースがほとんどだったそうですが、なるほど、アレではさもありなんと納得せざるをえないところです。
一方で、秘書のマガリや家政婦?のイヴォンヌなどといったフィリップの周囲の女性達がフィリップとそれなりに上手くやっていたらしいことを考えると、フィリップの介護にはドリス以外だと男性ではなく女性でも雇った方が却って良かったのではないか、これまたついつい考えずにはいられなかったですね。
自分に遠慮する介護士達に厳しく当たっていたフィリップも、女性が相手の場合だとさすがにそういう態度に出るのも難しくなるでしょうし。
まあ、着替えやシモの世話などに至るまで介護しなければならないという条件下では、素直に雇われてくれる女性は少ないかもしれませんが、病院の女性看護師とかであればそういう仕事も日常茶飯事でしょうし、高給で釣ればその点も何とかなったのではないかと思えてならなかったのですが。
フィリップも別に、ドリスが来るまでは「介護士と友人になりたい」という動機から男性介護士を雇っていたわけではなかったのでしょうから、男性にこだわらなければならない理由なんて特になかったのではないのかと。

この作品で意外に興味深かったのは、「障害者の性処理問題」についても言及されていたことですね。
フィリップは首から下の感覚が完全に麻痺してしまっていることから、健康体の男性が通常行っている性処理を行うことができません。
では彼は何を以て性処理を行っていたかというと、耳を性感帯にして「感じる」ことで代替手段としていたというんですよね。
ドリスの質問に対して、フィリップ本人がそのように回答していて、実際、2人でその手の施設に行ってフィリップが耳たぶを女性のマッサージ師?に触られている描写が作中で描かれていたりします。
「障害者の性処理問題」というのは意外に重要なテーマでありながら、巷ではほとんど言及されることがない事項だったりするので、それについて正面から向かい合っているこの作品は新鮮ではありましたね。
ドリスの性格もそうですが、この手の「全く飾り立てることのない本音の吐露」が今作最大の魅力である、と言えるでしょうか。

熊本のような上映開始が遅れている地方以外だと、もうとっくに上映終了しているであろう今作ではありますが、人間ドラマとして見る分には、さすが2011年度のフランスで最大の観客動員数を記録しただけの出来ではあります。
その手のドラマ好きな方にはオススメの映画と評価できるのではないかと。

映画「ボーン・レガシー」感想

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映画「ボーン・レガシー」観に行ってきました。
マッド・デイモンが演じるジェイソン・ボーンが活躍する「ボーン」シリーズ3部作の裏で同時進行していた、CIAの計画を巡る戦いを描いた作品。
今作ではジェイソン・ボーンは顔写真と名前のみの登場となっており、代わりにジェレミー・レナーが扮するアーロン・クロスが主人公を担っています。
なお、今作は映画「エージェント・マロリー」との2本立てで同日観賞しています。

物語の冒頭では、酷寒のアラスカの山岳地帯で過酷な訓練に従事しているアーロン・クロスの姿が映し出されています。
彼は定期的にブルーとグリーンの薬らしきものを服用しながら、川潜りや登山に精を出しています。
一方その頃、CIAは、組織の極秘プログラムである「トレッドストーン計画」および「ブラックブライアー計画」を暴露する記事をイギリスの新聞に掲載しようとしていたサイモン・ロスという記者の抹殺に動き出します。
そして、狙撃手の遠隔狙撃でサイモン・ロスを即死させてしまうCIA。
このサイモン・ロスの死は「ボーン」シリーズ3作目の「ボーン・アルティメイタム」でも描写されており、ここから「ボーン」シリーズと同時進行していることが判明するわけですね。
さらにCIAは、これ以上自分達の極秘プログラムの情報が外部へ流出するのを防ぐべく、暴露された2計画と並行して推進されていた「アウトカム計画」を抹消することを決定します。
「アウトカム計画」とは、薬を使って人間の肉体強化と人格改造を行う一方、相手を薬漬けにすることで裏切りを抑止する兵士だか暗殺者だかを作り出すという内容の極秘プログラムです。
CIA本部は、「アウトカム計画」に関わった全ての人間を抹殺することで、「アウトカム計画」の存在そのものを闇に葬り去ることを画策するのでした。
抹殺の対象は、「アウトカム計画」で肉体強化を施された数人の被験者と、「アウトカム計画」に必要なブルーとグリーンの薬を製造している薬品会社の研究員達。
そして、冒頭に登場していたアーロン・クロスもまた、「アウトカム計画」によって肉体強化が施された、コードナンバー5と呼ばれる存在なのでした……。

アラスカの雪山で登山を続けていたアーロン・クロスは、「アウトカム計画」の要となるブルーとグリーンの薬を密かに隠蔽しつつ、自分の同じ雪山で小屋を構えていたアウトカム計画のコードナンバー3と接触し、薬を分けてもらおうとします。
ところが、既に2人はCIA本部によって抹殺の対象とされていたのでした。
雪山の小屋には無人航空機MQ-9リーパーが派遣され、そのミサイル攻撃によってコードナンバー3は小屋諸共に爆砕されてしまいます。
たまたま運良く難を逃れることができたアーロン・クロスは森の中へと逃れ、MQ-9リーパーを狙撃銃で撃墜。
さらに、自分の腹の中に埋められていたカプセル型の超小型発信機をナイフで取り出し、森の中に自分に襲い掛かってきたオオカミの口の中へ放り込みます。
最初の機体の撃墜を受けて新たに派遣されてきた2機面のMQ-9リーパーは、発信機を抱えているオオカミに照準を合わせてミサイルを発射し、CIA本部ではその発信音が途絶えたことでターゲット殺害に成功したと確信するのでした。
MQ-9リーパーの脅威から脱することに成功したアーロン・クロスは、薬を調達すべく、「アウトカム計画」に必要な薬を製造した薬品会社の関係者の元へと向かうことになるのですが……。

映画「ボーン・レガシー」は、これまでの「ボーン」シリーズ三部作を全て観賞していることを前提とした作品であり、作品単独では意味が分からない用語も少なからず登場します。
冒頭にも出ていた「トレッドストーン計画」および「ブラックブライアー計画」は、「ボーン」シリーズの2作目と3作目でその存在が明らかとなっており、その詳細もそちらで説明されているのですが、今作の中ではただ存在が明示されているだけで復習的な内容の解説もなし。
もちろん、「ボーン」シリーズで主役を張ってきたジェイソン・ボーンについても同様です。
これから考えると、今作は既存の「ボーン」シリーズ三作品「ボーン・アイデンティティー」「ボーン・スプレマシー」「ボーン・アルティメイタム」を全て観賞し、その内容を完全に把握していることが前提の作品であると言えます。
サイモン・ロスの件と併せて考えても、今作がまさに「ボーン」シリーズ本編と同時並行して進行していることが明示されていますし。
「ボーン・レガシー」を観賞するのであれば、過去作を復習してから臨むことをまずはオススメしておきます。

今作のストーリーは、どことなく「ボーン」シリーズ1作目「ボーン・アイデンティティー」に近いものが結構ありましたね。
主人公が逃避行の中で出会った、薬品会社の女性研究員マルタ・シェアリングがヒロインで、かつ2人一緒に戦いつつ恋仲になっていき、最後はアメリカ国外の町(フィリピンの漁村?)でひっそりと生活を始めるという流れは、「ボーン・アイデンティティー」のジェイソン・ボーンとヒロインであるマリー・クルーツの関係を髣髴とさせるものがあります。
また、アーロン・クロスは元々イラク戦争で戦死したことになっていたアメリカ軍兵士で、CIAによって新たな身分が与えられたという設定も、ジェイソン・ボーンのそれとカブるものがありました。
もっとも、こちらはCIAの計画自体が似たり寄ったりなシロモノばかりだったという事情も影響しているでしょうし、アーロン・クロスの場合はジェイソン・ボーンと違って「過去の記憶」まで失われてはいなかったのですが。
ちなみに「ボーン・アイデンティティー」のマリー・クルーツは、2作目の「ボーン・スプレマシー」の序盤であっさりと殺害されてしまうのですが、それから考えると、今作のヒロインであろうマルタ・シェアリングも、次回作早々に死んでしまうことになったりするのでしょうかねぇ。
「ボーン」シリーズはまだまだ続きがあるみたいですし、今後ジェイソン・ボーンが再登板する可能性もどうやらあるようですので。

今作のアクションシーンについては、さすが「ボーン」シリーズと言えるだけのものはあり、シリーズお馴染みの奇抜なアクションが作中の随所で繰り広げられています。
特にラストのオートバイを使ったアクションシーンは、これだけでも必見の価値があります。
アーロン・クロスとマルタ・シェアリングが、結果的に2人で共同戦線を張ってCIAの刺客を倒すという構図も良かったですし。
実際、今作におけるラスボスとなったCIAからの凄腕暗殺者を最終的に倒したのも、暗殺者からの銃撃を受けて負傷してしまったアーロン・クロスではなく、マルタ・シェアリングの蹴りだったりしますからねぇ。
この辺りは、昨今流行の「戦うヒロイン」の面目躍如ではなかったかと。

アクション映画好きと「ボーン」シリーズのファンの方にはオススメな映画と言えますね。

映画「エージェント・マロリー」感想

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映画「エージェント・マロリー」観に行ってきました。
アメリカ女子総合格闘技界の人気者で、スタントを一切使わずに本作に挑んだジーナ・カラーノが主演を担う、スティーヴン・ソダーバーグ監督のアクション作品。

民間のスパイ業界でも凄腕の実力を誇る、元海兵隊出身でフリーの女性スパイであるマロリー・ケイン。
物語の冒頭、彼女はアメリカ・ニューヨーク北部にある田舎町ダイナーのレストラン?で、誰かと会うために席に座っていました。
しかし、やがてレストランに姿を現した人物を見て、マロリーは舌打ちします。
それは彼女が待っていた人物ではなく、彼女の同業者のアーロンだったのです。
アーロンはマロリーと話し合うフリをして突如彼女に対し奇襲攻撃を仕掛け、両者は格闘戦を演じることになります。
この際、たまたまレストランで食事をしていたスコットという地元の若者が、先に攻撃されたマロリーを助けるべく、マロリーを羽交い絞めにしていたアーロンに後ろからのしかかります。
スコットの攻撃そのものは相手に全くダメージらしきものは与えられなかったものの、アーロンがスコットに対処した隙を突いてマロリーは窮地を脱し、アーロンを返り討ちにすることに成功。
マロリーはそのままスコットを促して車を出させ、その場を後にするのでした。
マロリーの運転で車でどこかへ向かう途上、当然スコットは、何故マロリーがあの場で襲われたのかについて説明を求めます。
それに対し、マロリーは回想を交えつつ、何故あの場面に至ったのかについての経緯を解説していくのでした……。

事の始まりは1週間前のスペイン・バルセロナ。
マロリーは、アメリカ政府とスペイン政府の関係者による共同依頼に基づき、3人の男性工作員と共に、とあるアパートに監禁&人質にされていた、ジャンという東洋系ジャーナリストの救出の任務に当たっていました。
紆余曲折あったものの、無事に任務を遂行することに成功してサンティエゴの自宅へ戻ってきたマロリーは、その直後に今度はかつての恋人で現在は民間軍事企業のトップとなっているケネスに「バカンスのような楽な仕事」としてアイルランドのダブリンへ飛び、男性同業者のポールと共に偽装夫婦を演じてほしいと依頼されます。
言われた通りに偽装夫婦の妻役を演じていたマロリーでしたが、ミッションの内容に不審を抱いたマロリーは、ポールの隙を突いてモバイル端末から情報を盗み出し、またポールと共に参加したパーティの会場を抜け出して周辺の建物を探索したりします。
その結果、彼女はつい数日前に自身がバルセロナで救出した東洋人ジャーナリストのジャンが、眉間を打ち抜かれて死んでいる姿を発見。
しかも殺されたジャンの手には、マロリーが身に着けていたブローチが握られていたのでした。
直後にマロリーは、偽装夫婦の夫役を演じていたポールに襲撃され、かろうじてこれを撃退。
しかし、ジャン殺しの罪を着せられ、追われる身となってしまったマロリーは、自身に追われる身となりながら逃避行を続けつつ、仕事を依頼してきたケネスとの接触を図り、冒頭の田舎町へと向かったのでした……。

映画「エージェント・マロリー」は、一応スパイアクション物というカテゴリーに属する作品なのですが、作中で展開されるアクションは、基本的に殴ったり蹴ったり羽交い絞めにしたりの格闘戦が大部分を占めていますね。
銃撃シーンやカーチェイスも全くないわけではないのですが、時間的にも短く作中における扱いもあっさりしすぎな感が否めないところで。
今作で主人公マロリー・ケインを演じたジーナ・カラーノは、アメリカ女子総合格闘技界の人気者で、スタントを一切使わず、作中のアクションシーンを全て自身で演じていたのだそうで、その辺りの事情が何か関係してはいるのでしょうけど。
銃を携行して散歩していたケネスを相手にしたラスト対決では、相手もマロリー自身も銃を用意できる立場にあったにもかかわらず、それでも銃を一切使うことなく格闘戦に終始していたので、さすがに苦笑するしかなかったのですが。
そこまで格闘戦にこだわるのか、と。

しかし、今作は「結果が出てからそこに至るまでの過程を説明する」という描写を二度にわたって繰り広げているのですが、正直そのためにストーリーの流れが今ひとつ掴みづらい構図になっている感が多々ありますね。
名探偵が事件の推理を披露した後で真相を明らかにするミステリーの手法でも採用していたのでしょうが、別に名探偵がいるわけでもなく、主人公による推理が繰り広げられるわけでもないストーリー展開で、格闘戦で相手を圧倒した後で真相を公開する、という形にする意味なんて果たしてあったのかと。
序盤で観客を惹きつけるためにそういう手法を取るのはまだしも、全ての真相が明らかになる終盤でも相変わらず同じようなことを繰り返すのも、二番煎じかつ話の流れを阻害しているようにしか思えませんでしたし。
元々映画の上映時間自体が93分しかないのですし、変に真相を凝ったものにするよりも単純にアクションを楽しむだけの展開にした方が、却って観客的に分かりやすい構成になったのではないでしょうか?

今作は、ストーリーを理解しようとするよりも、ジーナ・カラーノの格闘アクションを見せるための映画、と単純に割り切った方が素直に楽しめるかもしれないですね。

映画「ハンガー・ゲーム」感想

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映画「ハンガー・ゲーム」観に行ってきました。
アメリカで大ベストセラーとなった、スーザン・コリンズの同名小説を原作とするサバイバル・スリラー作品。
今作ではストーリー構成上、血みどろの殺し合いや死体の描写が少なくないことから、PG-12指定されいます。

現在のアメリカ合衆国?の崩壊後に誕生したらしい、近未来の独裁国家パネム。
パネムは首都であるキャピトル、および周囲を取り巻く複数の地区によって成立しており、キャピトルに居住する少数の富裕層が、周囲の地区の労働者達を奴隷同然に酷使するという支配体制を築き上げていました。
そんな不平等な支配体制を、支配される側であるキャピトル周囲の地区が不満に思わないわけもなく、彼らはキャピトルおよび中央政府に対してしばしば暴動や反乱が引き起こされていました。
中でも、75年以上前に勃発した13地区の一斉蜂起は、第13地区の完全崩壊および多数の犠牲者を出すという結果にまで至っていました。
この反乱の鎮圧後、パネムの中央政府は、壊滅した第13地区以外の12の地区に対する懲罰的な措置と、自分達自身の娯楽を満たすことを目的とする「ハンガー・ゲーム」という名のビッグイベントを開催することを思いつきます。
「ハンガー・ゲーム」とは、件の反乱に参加していた残り12の地区から、12~18歳までの若い男女2人ずつを選出させ、総計24名の男女を最後のひとりになるまで戦わせるという、一種のサバイバルゲームです。
生存確率は24分の1、ただし勝者には一生遊んで暮らせるだけの富貴と名誉が与えられる「ハンガー・ゲーム」は、以後、年1回のペースで実に73年にわたって開催され続けてきました。
そして映画の冒頭では、新たに開催される予定の第74回「ハンガー・ゲーム」に向けての男女選出が行われようとしている渦中にありました……。

炭鉱が盛んな第12地区で貧しい生活を営んでいる、今作の主人公カットニス・エバディーン。
炭鉱夫だった父親を亡くした過去を持つ彼女は、幼い妹のプリムローズ・エバディーンを何かと気にかけつつ、生計の足しにすべく弓矢を使って狩猟をする生活を送っていました。
しかし、第74回「ハンガー・ゲーム」は、そんなささやかな生活を送っていたカットニスの人生をも一変させてしまうことになります。
第12地区における第74回「ハンガー・ゲーム」のくじ引き選考で、彼女の妹であるプリムローズがゲームの女性出場者として選出されてしまったのです。
問答無用で連れ去られようとしたプリムローズを助けるべく、カットニスは無我夢中で自分が第74回「ハンガー・ゲーム」に出場すると宣言します。
何でも「ハンガー・ゲーム」への出場に自分から志願するケースは、すくなくとも第12地区では初めてだったらしく、カットニスの志願はあっさりと受け入れられます。
一方、第12地区における第74回「ハンガー・ゲーム」の男性出場者は、カットニスの級友で、かつてカットニスが生活苦で飢えていた際にパンを恵んでくれたピータ・メラークが選出されました。
母親および妹に「必ず帰ってくる」と告げ、カットニスは第74回「ハンガー・ゲーム」に参加すべく、ピータと共にパネムの取得キャピトルへと向かうことになるのですが……。

映画「ハンガー・ゲーム」の原作小説は、その設定の相似性から日本の小説「バトル・ロワイアル」との関連が以前から指摘されています。
何しろ両作品には、

1.舞台が近未来の独裁国家で、強権的な支配体制が構築されている。
2.ある程度まとまった数の10代男女の未成年者達が、最後のひとりになるまで殺し合いに狂奔するサバイバルゲームを主軸にしている。
3.ゲームフィールドは広大だが限定された空間で、かつゲーム主催者による監視が常にありとあらゆる手段を駆使して行われている。

などといった共通項があるのですから。
かくいう私自身、映画の予告編を見た際には「これってアメリカ版バトル・ロワイアル?」という感想を抱いたくらいですし(^^;;)。
もっとも、原作者であるスーザン・コリンズ自身は「原作のハンガー・ゲームを出版するまで、バトル・ロワイアルの存在自体知らなかった」と述べてはいるのですが。
ただこういうのって、実際には参考にしていたとしても「これは俺のオリジナルだ!」と言い張ることが珍しくもないですし、作中の設定やストーリー展開に少なからぬ共通点や類似性が多いことからも、やはり何らかの関連性は疑わざるをえないものがあります。
まあ真実は原作者のみ知るところではあるのですが、果たして真相は如何なるものなのやら。

かくのごとく「バトル・ロワイアル」が何かと引き合いに出される映画「ハンガー・ゲーム」なのですが、ただ実際に映画を観る限りでは「確かに設定面における共通項は少なくないが、ストーリー展開では明確な違いも存在する」というのが正直なところではありましたね。
たとえば、「バトル・ロワイアル」で生徒達に支給されていた武器には銃火器や爆弾の類も少なくなく、アクション映画ばりの銃撃戦が行われることすらあったのに対し、「ハンガー・ゲーム」のゲームフィールドで提供される武器はナイフや弓矢など原始的なものばかりです。
作中の「ハンガー・ゲーム」では地雷は登場していたのですが、銃火器はとうとう一度も出てくることはなく、各出場者達は最後までナイフや弓矢などの武器を使った戦いに終始していました。
また、「バトル・ロワイアル」と比べてゲームの開催期間が長く、単純な戦闘能力だけでなく原始的な生活能力までもが試される場となっており、出場者同士による戦いだけでなく、猛毒の木の実などを食べて出場者が死んだりするケースなども披露されていたりします。
「バトル・ロワイアル」では時間が経つにつれて、入ったら即首輪が爆発して死ぬ「侵入禁止エリア」が増えていき、行動範囲が狭められていくというルールがあったのですが、「ハンガー・ゲーム」にそのようなルールは特にありません。
ただその代わりとして、安全圏に居座ろうとする出場者を、ゲーム主催者側が仮想空間のゲームフィールドをいじって強引に叩き出すという行為を行ってはいましたが。
何よりも一番違うところは、「バトル・ロワイアル」の参加者達がある日突然、それも必要最小限の説明だけで問答無用でさっさと戦場に放り込まれるのに対し、「ハンガー・ゲーム」の出場者達は充分な準備期間を置いてゲームが始められる、という点ですね。
「バトル・ロワイアル」では「今自分達がどのような状況に置かれているのか」ということすら理解しえずに殺されていった参加者達が、特に序盤では少なくなかったですし、理解しても甘い認識のまま殺される参加者が後を絶たなかったものでしたが、「ハンガー・ゲーム」にはそのような出場者は最初からおらず、ゲーム開始直後から誰もが覚悟を決めて殺し合いなり逃亡なりを初めていましたから。

個人的には、「ハンガー・ゲーム」よりも「バトル・ロワイアル」の方が、生死を争うサバイバルゲームとしては合理的に出来ているように見えましたね。
「バトル・ロワイアル」はゲームシステム的に参加者同士による殺し合いが自動的に発生せざるをえないようになっているのに対し、「ハンガー・ゲーム」はゲーム主催者が事あるごとにいちいち介入しないと、参加者同士の遭遇および戦闘がなかなか発生しないルールになってしまっているのですから。
そもそも、原則非公開の「バトル・ロワイアル」と違い、「ハンガー・ゲーム」は全国民に生中継される一種の「国民的イベント」でもあるのですから、ゲーム主催者による介入が常に目に見える形で行われるというのは、エンターテイメント的な観点で見てさえもマイナスにしかならないのではないかと思うのですけどね。
作中では自分達の都合から、「勝者はひとりのみ」というルールそれ自体を勝手に変更したり、かと思えば撤回したりまた復活させたりと、二転三転なルール改竄が平気で横行していましたし。
あのシステムでは、「ゲーム主催者による八百長」が疑われても仕方のない要素が少なくありませんし、エンターテイメントや掛け試合としても成立し難い一面が否定できないのではないかと。

あと、ゲームの勝者として生き残れる者は一人しかいないにも関わらず、勝つために徒党を組む者達の間で心理的な駆け引きがないなど、やや不自然な設定が少なくないですね。
生き残る確率を上げるために、さし当たっては徒党を組んで多数で少数を圧倒する、という行為自体は、「バトル・ロワイアル」でも「ハンガー・ゲーム」でも共通して見られた現象です。
しかし、ゲームのルール上「勝者(生存できる者)はひとり」でしかない以上、徒党を組んだ者達の間では、「自分はいずれ裏切られるのではないか?」「ならば先手を打ってこちらから裏切るべきではないのか?」といった深刻な不信感が芽生えてもおかしくはないんですよね。
徒党を組んだメンバーで他の勢力を圧倒した後は、徒党を組んだメンバー同士で戦いが始まるのは誰の目にも最初から明らかなのですから。
「勝者(生存できる者)はひとり」というルールの中で徒党を組むという行為は、戦闘力で他者を圧倒しえる反面、自分がいつ寝首をかかれるか、逆に自分が仲間達を殺す機会を常に伺うなどという二律背反的な状況およびそれに伴う葛藤を招くことになるわけです。
しかし「ハンガー・ゲーム」では、その手の葛藤が全くと言って良いほど描かれていなかったりするんですよね。
「ハンガー・ゲーム」で徒党を組んでいた面々は、ただその戦闘力に物を言わせて殺戮を楽しんでいただけでしたし、仲間達を疑うようなピリピリした雰囲気すら全くないありさま。
それは主人公であるカットニスにも言えることで、成り行きで彼女が第11地区出身の少女ルーと手を組んだ際、彼女もルーも「2人が最終的に生き残ったら2人で殺し合いをしなければならない」という可能性を全く考慮していないとしか思えない言動に終始していました。
ルーと同じく第11地区出身の黒人男性などは、殺されたルーの仇を討ち、あまつさえ「ルーが世話になったから一度だけだ」とカットニスをわざわざ逃がす行動に走ってさえいましたし。
参加者全員が顔見知りである「バトル・ロワイアル」と違い、「ハンガー・ゲーム」で顔見知りと言えるのは、よほどの偶然でもない限りは同じ地区の出場者だけなのですから、もう少し感情を排した打算的な殺し合いが展開される方が、むしろストーリー展開としては却って自然なのではないかと思えてならなかったのですが。
この点においても、「バトル・ロワイアル」の方が「ハンガー・ゲーム」よりも構成が上手いのではないかと。
ただ、あまりにもエグい描写や設定が目白押しの「バトル・ロワイアル」をある意味【ぬるく】したような「ハンガー・ゲーム」は、それ故に一般受けしやすいものにはなっていると思います。
かくいう私も、途中からは結構「安心して観賞できた」クチでしたし(^^;;)。

映画「ハンガー・ゲーム」は、既に続編の製作と日本公開が決定しているとの情報が、映画のエンドロール直前にて披露されています。
その点から言えば、今作は「シリーズ1作目」として観賞するのも良いかもしれません。

映画「白雪姫と鏡の女王」感想

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映画「白雪姫と鏡の女王」観に行ってきました。
グリム童話「白雪姫」を原作に、ジュリア・ロバーツが邪悪の女王役を演じるコメディタッチなファンタジー作品。
2012年6月に日本で公開された映画「スノーホワイト」とはまた別の白雪姫物語となります。
なお、個人的に2回目となる1ヶ月フリーパスポート使用による映画無料観賞は今作で終了です。
最終的には総計13本の新作映画を無料観賞したことになりますが、去年の2倍以上の本数を叩き出すことはできましたし、まあ上出来な結果ではあるでしょうね。

映画の冒頭は、すっかりお馴染みとなった原作における白雪姫の誕生から18歳になるまでの生い立ちが語られることになります。
ただ、そのナレーションがジュリア・ロバーツ扮する女王の口から語られ、原作のプロローグを語った直後にいちいちツッコミを入れていく辺りは、露骨なまでのコメディな流れを感じさせてくれるものではありました(苦笑)。
映画「スノーホワイト」との違いは、国王が女王と結婚した直後に森の中で行方不明となったことくらいでしょうか。
白雪姫が18歳まで城の中で幽閉されること、女王が魔法の使い手で、かつその魔法の影響と圧政で国民が塗炭の苦しみを味わっているという点は、両者共に共通しています。
今作の女王はとにかく暴虐かつワガママな性格をしていて、人間を駒に見立てた実物大のチェスをしていたり、とある男爵からの求愛を罵りまくりながら拒絶したりとやりたい放題。
城内のメイド達からも全く好かれてなどいないようで、彼女らは国王の忘れ形見である白雪姫に期待を寄せるのでした。
彼女らは白雪姫が18歳の誕生日を迎えたその日、城の外へ出て外で何が起きているのかを白雪姫に見てくるよう促し、そのためのお膳立てを整えるのでした。

一方、城からそう遠くない森の中では、冒険の旅の途上にあるらしい隣国の王子と従者の姿がありました。
彼らはその森で、足に竹馬とホッピングを足し合わせたような機器を装着し巨人のように見せかけた7人の小人の盗賊団に襲われ、カネと身ぐるみをはぎ取られた挙句に逆さ吊りにされてしまうのでした。
そこへたまたま通りかかった白雪姫。
彼女は逆さ吊りになっていた王子と従者を解放し、その場ではすぐに王子と別れて反対側の道へと進んでいくのでした。
白雪姫は王国が治めている村へと向かい、かつて父親である国王と共に訪問した際は豊かだった村が、女王の魔法と暴政の影響で今やすっかり窮乏している事実を目の当たりにすることとなります。
白雪姫は、王国の窮状を救うためにも、女王を権力の座から引きずり下ろして王位を奪取することを決意するのでした。
一方、王子は城へと向かい女王と対面。
女王は王子が若いことと、出自が豊かな隣国で自国の財政難を解消できるとの打算から、年の差も考慮せずに王子と結婚することを画策します。
そんな中、城内で催された舞踏会で、王子と、ひそかに舞踏会に参加していた白雪姫が再会することになるのですが……。

映画「白雪姫と鏡の女王」に登場する白雪姫は、その美しさ云々よりも「色濃い眉毛の太さ」の方がはるかに印象に残るキャラクターですね(笑)。
何らかのデフォルメでも意図しているのかとすら考えてしまったほどに、太い眉毛が目立っています。
女王は「自分が若い」と思い込んでいる典型的なオバハン的な雰囲気がありありでしたし、わざとブサイクにしたとしか思えない配役のチョイスぶりは、美男美女で固めた感のある映画「スノーホワイト」とはまた対照的なものではあります。
あちらは女王からしてシャーリーズ・セロンが演じていて、若さ以外の全ての分野で白雪姫を圧倒していたものでしたが。
ただ、ジュリア・ロバーツが演じていた今作の女王も、「存在感」という点ではやはり白雪姫を圧倒していた感は多々ありますね。
変にツッコミを入れたり、家臣達に暴言を吐きまくったり、王子を自分になびかせるために惚れ薬(ただし子犬用)を使ったりと、色々とやりたい放題。
「財政難の解消」という政略的な要素もあったにせよ、若い王子と結婚しようとするオバハンな女王というのも、現実の政治の世界であればともかく、おとぎ話の世界ではなかなかに斬新かつ独創的なキャラクターですからねぇ(苦笑)。
一方の白雪姫も、特に序盤は従順さ丸出しで眉毛以外の存在感が薄かったですし、彼女が独自に動くようになるのは、7人の小人に出会って武術全般を身に付けて以降のことでしたし。
「スノーホワイト」といい今作といい、女王の方が白雪姫よりも目立つ存在になってしまうというのはお約束だったりするのでしょうかね?

原作の「白雪姫」と言えば、毒リンゴによる昏睡と王子様のキスによる覚醒が定番ですが、今作におけるそれは、どちらも取ってつけたかのような扱いになっている感が否めなかったですね。
そもそも今作における毒リンゴは、物語のラストでようやく登場するありさまだった上、それを食したのは白雪姫ではなく、白雪姫に食べさせようとしていた女王自身だったりします。
白雪姫自身には、「毒で倒れる」的な描写すらも全くありません。
むしろ、作中でそれに近い状況に陥っていたのは、本来は白雪姫を助けるはずの王子の方だったりするんですよね。
彼は女王から「子犬用惚れ薬」を飲まされたショックで頭がおかしくなった状態で、女王と王子の結婚式を妨害すべく乗り込んできた白雪姫と7人の小人の盗賊団と鉢合わせることになります。
そして、「子犬用惚れ薬」の魔法を解除するためには「真実の愛」によるキスが必要と7人の小人から言われた白雪姫が、王子にキスすることで王子を正気に戻す、というわけです。
王子様のキスで白雪姫が覚醒する、というエピソードは見事にどこかへ行ってしまっていますね(笑)。
これは「スノーホワイト」にも言えることなのですが、原作「白雪姫」の毒リンゴ絡みのエピソードを、「邪悪な女王と戦う白雪姫」の中に入れてしまうのがそもそも間違っているのではないでしょうか?
元々「白雪姫」という話には、「自分のために戦ってくれる王子様を待つ」というコンセプトがあり、それを補強する道具として毒リンゴのエピソードがあるわけです。
しかし「邪悪な女王と戦う白雪姫」という別のコンセプトでは、一時的にせよ白雪姫が倒れ、助けが来るのをただじっと待つだけの身となってしまう毒リンゴ絡みのエピソードは、コンセプトと合致しないミスマッチもいいところになってしまうんですよね。
「スノーホワイト」にせよ今作にせよ、毒リンゴ絡みのエピソードの扱いに製作者達が相当なまでに困り切っている実態が丸分かりで、「むしろ入れない方が良かったんじゃないの、このエピソードは」とすら考えてしまうくらいなんですよね。
それでも毒リンゴ絡みのエピソードが作中に挿入されるのは、そうしないと「白雪姫」の話では全くなくなってしまうからではあるのでしょうけど。
白雪姫をイビる継母の女王、世界で一番美しい女性を告げる鏡、そして毒リンゴの3つが揃って初めて、「白雪姫」という物語は「白雪姫」たりえるわけですからね。
ただその構図では、2作品の売りであるはずの「邪悪な女王と戦う白雪姫」というコンセプトこそがむしろ邪魔なシロモノである、ということにもなりかねないのではないかと思えてならないのですが。

今作にはアクションシーンも若干あるものの、基本的にはコメディがメインと言えるストーリー構成となっています。
オバハンな女王の毒舌と、事あるごとに身ぐるみ剥がされる王子の狂態、そして眉毛が目立つ白雪姫の成り上がり物語が見たいという方にはオススメの作品かもしれません(爆)。

映画「バイオハザードⅤ:リトリビューション」感想

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映画「バイオハザードⅤ:リトリビューション」観に行ってきました。
前作「バイオハザードⅣ アフターライフ」からの続きとなる、ミラ・ジョヴォヴィッチ主演の「バイオハザード」シリーズ5作目。
今作は3D/2D版が同時に上映されていますが、私が観賞したのは2Dの日本語吹替版となります。
また、相変わらず血みどろの戦いが作中で展開されていることから、前作同様にPG-12指定されています。

今作の物語は、前作後半における戦いの舞台となったアルカディア号の船上で、ジル・バレンタイン率いるV-22オスプレイ群の襲撃を受けたラストシーンの直後から物語が始まります。
前作で救出した囚われの人々が次々とやられていく中、ミラ・ジョヴォヴィッチ扮する主人公アリスは、V-22オスプレイの大群相手に孤軍奮闘するのですが、パイロットを仕留めたオスプレイの墜落に巻き込まれ、海に放り出されてしまいます。

ここで突然場面は切り替わり、アリスは突然、夫と娘がいる家庭の一員として目覚めることになります。
手話が必要な娘ベッキーと、妻と娘を思いやる夫トッドに囲まれ、平和な朝を迎えるアリス。
しかしそこへ突如、ゾンビの大群が家の中へ押し寄せ、夫のトッドは真っ先に襲いかかってきたゾンビの犠牲となってしまいます。
アリスはベッキーと共にゾンビの大群から逃げ惑うのですが、娘を隠匿するために自分を囮にして目立つように逃げている中で、ゾンビと化したトッドに襲われそこで意識がなくなってしまうのでした。

さらにまた舞台は切り替わり、今度のアリスはアンブレラ社が抱える秘密基地の一室で囚われの身となっている状態で覚醒します。
胸の中央に赤い光を放つ虫型の機械に操られているような状態で出てきたジル・バレンタインに、尋問と音波攻撃のごとき拷問を受けることになるアリス。
しばしば拷問を受け、無気力な状態となっていたアリスでしたが、そこへ突然、アンブレラ社のセキュリティシステムが何者かの操作で2分間停止するという事態が発生します。
その間に戦闘服に着替えて武装も整え、牢から出ることに成功したアリスは、セキュリティシステムの回復と共にアリスを捕縛ないし殺害せんと動き出した追手から逃げることになります。
しかし、逃げた先では何故かとうの昔に壊滅していたはずの東京の街並みが無傷のまま存在していました。
戸惑いながらも、追手やゾンビの大群から逃亡を続けるアリスでしたが……。

映画「バイオハザードⅤ:リトリビューション」は、前作までのシリーズ作品を観賞していることが前提となっている作品であり、今作単体だけでは何のことやら分からない展開が延々と続きます。
前作や前々作はまだある程度(作中内での)時間を置いた上で物語が始まっていましたが、今作は前作ラストの直後からスタートな上、前作までのキャラクターも多数登場することもあってか、前作までのシリーズ作品との関連性がかなり強かったりするんですよね。
今作を観賞する際には、これまでのシリーズ作品を予め復習してから臨むのが賢明ではないかと。

今作では、前作でラスボスとしてアリスに殺されたはずのアルバート・ウェスカーが何故か生きており、しかも囚われの身となったアリスをわざわざ助けるべく動いていたりします。
理由はウェスカー本人があっさり白状するのですが、現在アンブレラ社を牛耳っているレッド・クイーンと対立した結果、反旗を翻して離反していたとのこと。
今作のラストでは、ホワイトハウス周辺にいる人類をまとめる立場にある上、一度は自らT-ウィルスの中和剤を投与して超能力を奪ったアリスに対して、再度T-ウィルスを注射して超人的な能力を再度付与させたりしています。
限りなく黒幕に近い立場にありながら、アンブレラ社と決別してなお指導者的地位に居座れてしまう辺り、相当なまでの保身術と政治的手腕を伺わせるものがありますね。
まあ、残された人間側も、ゾンビとアンブレラ社に対抗できるウェスカーの知識が必要だった、という事情もありはしたのでしょうけど。
今作では、とりあえずの当面の敵がレッド・クイーンであることが判明します。
レッド・クイーンが人類の絶滅を目標にしていることも明らかになりますし、次回作となるであろう映画版の「バイオハザードⅥ」では「レッド・クイーンの打倒」が目的となるのでしょう。
しかしこのシリーズ、いくらハリウッド映画としては非常に珍しい「日本のエンターテイメント作品の実写映画化の成功作品」であるとは言え、一体いつまで続編を作り続けるつもりなのでしょうかね。
足かけ10年にもわたるシリーズの積み重ねで、さすがに前作までの流れを思い出すのも結構手間暇がかかるようになってきていますし、そろそろ完結の方向へ動いてほしいものなのですが。

これまでのシリーズや、映画「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」で多く見られたミラ・ジョヴォヴィッチの派手なアクションシーンは今作でも健在。
また、映画としては比較的短い部類に入る96分という上映時間で、終始アクションシーンが繰り広げられる構成となっています。
その点では、ハリウッド作品として「手堅い」出来であると言えるでしょうか。
映画版「バイオハザード」シリーズ作品、およびミラ・ジョヴォヴィッチのファンには必見の映画と言えるでしょうね。

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