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カテゴリー「洋画感想」の検索結果は以下のとおりです。

映画「デンジャラス・ラン」感想

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映画「デンジャラス・ラン」観に行ってきました。
デンゼル・ワシントンが主演と製作総指揮を兼ねる、派手なカーアクションあり・格闘ありの典型的なハリウッドアクション作品。
今作では拷問等のバイオレンス系な表現が作中の複数個所で展開されているため、PG-12指定されています。

物語の舞台は南アフリカ共和国。
元CIAの工作員で、人間の心理を操作する手腕に長けていたことで半ば伝説的な存在となりつつも、現在は組織を裏切り世界36ヶ国で国際指名手配されているトビン・フロストは、とある店で同じくイギリスの諜報部を裏切ったアレック・ウェイドと対面します。
アレック・ウェイドは、「ファイル」と呼ばれているメモリチップをトビン・フロストに引き渡します。
しかしその直後、2人が入った店に傭兵バルガスをリーダーとする集団が潜入、トビン・フロストの生命を狙ってきます。
トビン・フロストはからくも店を脱出したものの、バルガスはよほど周到に計画を練っていたのか、道をことごとくバルガスの部下に封鎖されてしまい、進退窮まる事態に陥ってしまいます。
何とか逃げ道を探し出すべくトビン・フロストが周囲を見渡すと、南アフリカのアメリカ総領事館の建物が目に飛び込んできました。
前述のようにトビン・フロストはアメリカのCIAを裏切っている身なのですが、彼は自身のその状況を逆に利用し、アメリカ総領事館へ駆け込み庇護を求めるという大胆な方策に出ます。
当然のごとく、彼に駆け込まれたアメリカ総領事館、さらには報告を受けたCIAでは衝撃が走ります。
CIAはただちに、ダニエル・キーファーをリーダーとする9名の工作員達を南アフリカへ派遣し、トビン・フロストを尋問する決定を下すのでした。

トビン・フロストの尋問はアメリカ総領事館ではなく、CIAが南アフリカ国内のケープタウンで密かに保有している隠れ家のひとつで行われることになりました。
トビン・フロストの所在が明らかになることで、国内外に動揺が走ることを防ぐためで、当然、トビン・フロストの所在も尋問の事実も機密事項に。
その隠れ家を管理する「接客係」として任務に当たっているのは、CIA工作員としての出世と栄転を夢見るCIA下級エージェントのマット・ウェストン。
CIA本部から「予約」の連絡を受けたマット・ウェストンは、事前に予定していた恋人であるキャサリン・リンクレイターとの逢瀬をキャンセルし、隠れ家の提供という仕事に従事するのでした。
連行してきたトビン・フロストに水責めの拷問を加え、今回の事情を何が何でも吐かせようとする工作員達の光景を、マット・ウェストンは尋問室のマジックミラー?ごしに目撃することになります。
ところがその最中、隠れ家は突如バルガス率いる武装集団の襲撃を受けることになります。
機密になっているはずの隠れ家を襲撃されるはずがないという思い込みに奇襲効果が加わったこともあり、キーファーら9名の工作員達は奮戦虚しく全滅。
ただひとり、下っ端であるが故に戦闘に参加することなく、トビン・フロストの監視を任されたマット・ウェストンは、工作員達の全滅を目の当たりにしたこととトビン・フロストの心理的な揺さぶりもあり、トビン・フロストを連れてその場から逃走することを決断します。
からくも包囲を逃れ、追手からの追撃をもかわしたマット・ウェストンは、CIA本部の指示を仰ぎ行動することになるのですが……。

映画「デンジャラス・ラン」のストーリーには、「予測不可能な展開」というものは特になかったですね。
CIAという組織の内部を知り尽くしている初老の元工作員と、CIAでの出世を夢見る下っ端の若い接客係というコンビは対照的でしたが、それもハリウッド映画では何度か見かけた覚えがあったりします。
同じくデンゼル・ワシントンが主演を演じていた映画「アンストッパブル」でも、鉄道が舞台という違いはあるものの、基本的には「経験豊富な初老のベテランと若い新米」という全く同じ構図が披露されていました。
トビン・フロストの居場所を襲撃者達に教えている内通者がCIAの内部にいて、最終的にはそれを倒すことが目的になるというのもよくあるパターンでしたし、これまで見られてきたハリウッド映画のスタンダードな手法を正しい手順で踏襲している映画、という感は多々ありますね。
逆に、今作ならではのオリジナリティとしては「トビン・フロストが人間心理操作の達人」という設定にあるでしょうか。
作中でも、CIA幹部がマット・ウェストンに対して発言するであろう内容を正確に言い当て、「その際はお前に責任を擦り付けようとしている」と揺さぶり?をかけることでマット・ウェストンの動揺を誘っていたりします。
ただ、せっかくのこの設定も、作中では上手く機能していなかった感じは否めなかったところですね。
元々「人間に対する心理操作」というものを有効に機能させるためには、相手が自分のことをある程度信用していて、活自分の言葉に耳を傾けてくれるという前提が必要不可欠です。
相手の心理を操作しようにも、まずは相手が自分の言葉を聞いてくれないことには何も働きかけることができないのですから。
しかし今作の場合、トビン・フロストはCIAの裏切り者かつお尋ね者であり、周囲への信用など最初から勝ち得ない立場にあり、彼はまず心理操作が行えるための前提条件から作らなくてはならない状況でした。
しかも、マット・ウェストン以外の人間は、トビン・フロストを問答無用で拷問にかけるか殺そうとするかのどちらかで、相手に対する心理操作が行える余地など最初からどこにもありませんでしたし。
誘拐犯と交渉を行う交渉人(ネゴシエーター)といった設定や、謀略や頭脳戦が全面に出てくるようなストーリー構成でもないと、「心理操作の達人」なんて設定はあまり生かしようがないのではないかと。
作中の描写を見る限り、今作はアクションがメインの作品ではあるのでしょうが、せっかく出してきた「心理操作の達人」という設定が半ば使えない状態になっているというのは、少々残念な気がしないでもありませんね。

アクション映画としてはそれなりの出来なので、その手のハリウッド作品が好きな方にはオススメです。

映画「コロンビアーナ」感想

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映画「コロンビアーナ」観に行ってきました。
「ニキータ」「レオン」などの映画製作を手掛けたリュック・ベッソン監督が世に送るクライムアクションドラマ。
作中には血を出して死んでいる人間の描写やセックスを匂わせるシーンがあることから、当然のごとくPG-12指定されています。

最初の舞台は1992年、南アメリカの北東部に位置するコロンビア共和国。
当時、コロンビアの有力なマフィアのボスであるドン・ルイスは、部下のマルコに対し、組織から足を洗おうとしていた同じマフィアの幹部を殺害するよう命じます。
ターゲットにされた幹部の方も、すぐさまその気配を察知し逃げる準備を始めるのですが、時既に遅く、幹部の自宅はマルコの部下達によって包囲されてしまいます。
進退窮まったことを悟った幹部の男は、コロンビアの国花「カトレア」と名付けた当時9歳の娘に小さなチップと名刺を渡し、自分達に万が一のことがあれば名刺に書いてある住所まで自力で向かい、そのチップを渡した後、叔父のエミリオを頼るよう告げるのでした。
ほどなく強引に自宅へ押し入ってきたマルコ率いる男達によって、カトレアの両親はあっさりと殺されてしまいます。
そして勝利を確信し、自宅のテーブルにじっと座っていたカトレアと対座したマルコは、父親から渡されたであろうチップを渡せば欲しいものをやるとカトレアに迫ります。
それまで大人しく、また従順するフリをしていたカトレアは、そこで「ドン・ルイスの命!」という叫びと共に、隠し持っていたナイフをマルコの手に突き刺し、その一瞬の隙を突いて窓から脱出を果たすのでした。
コロンビアの複雑な地形を利用して追手の手から逃れ、名刺に書かれていた住所へと向かったカトレアが辿り着いたのは何とアメリカ大使館。
カトレアが予め口の中に入れていたチップを吐き出し、アメリカ大使館の人間に渡すと、よほどに重要なデータでも入っていたのか、アメリカ大使館の人間は驚愕の表情を浮かべます。
結果、アメリカへの入国が認められたカトレアは、しかしアメリカ入国直後にトイレに入った後、監視の目がないのを良いことに窓から逃亡。
そのままシカゴへと向かい、そこで裏の稼業を営んでいた叔父のエミリオと対面することに。
エミリオはカトレアを自分の保護下に置き、彼なりに守っていくことを決意することになります。
しかしカトレアは、自分の目の前で殺された両親のことが忘れられず、ドン・ルイスとマルコに復讐を遂げるべく、殺し屋になることを考えつき、エミリオにも協力するよう要求するのでした。

それから15年後。
平常の勤務で雑談をしていた警官2人が乗っていた車輛に、突然赤い車が猛スピードで体当たりしてくるという事件が発生。
車にはひとりの女性が乗っていたのですが、女性には自身の身元を証明するものは何も持っておらず(名前が書かれた図書館カードが一枚あっただけ)、また酷く酔っているのか呂律も回らない状態。
その様子を見た警官達は、とりあえず一晩牢にぶち込み、翌日釈放するということで決着をつけます。
奇しくもその時は、同じ牢に凶悪犯罪者を収監する予定が入っており、警官達は事なかれ主義的に処理を済まそうとしていたのでした。
ところが牢に放り込まれた女性は、監視の目がなくなるや否や、娼婦のような露出の高い服から隠し持っていたタイツスーツに着替え、不穏な行動を開始するのでした。
彼女こそ、15年前にエミリオに保護されたカトレアその人だったのです。
カトレアの目的は、収監された凶悪犯罪者をその手で抹殺すること。
様々なテクニックを駆使した末、彼女は首尾良くターゲットの殺害に成功するのですが……。

映画「コロンビアーナ」では、実の両親の仇を討つためにのみ生きる女が、それ故に全てを失っていく様が描かれています。
両親を殺した仇を討つために殺し屋になったカトレアは、闇稼業に精を出すエミリオが請け負った殺しの依頼を受けるという形で、殺し屋稼業に従事していました。
ところが彼女は、両親の復讐を優先するあまり、自分が殺した凶悪犯罪者達の死体にコロンビア国花であるカトレアの花の紋様をわざわざ残していっているんですよね。
カトレア的には、そうすることで自分が生きていることを仇のマフィア達にメッセージとして伝え、自分の下へおびき寄せることで仇を討とうという意図がありました。
しかしそれは、自分の正体に繋がる手がかりを残しながら殺しを続けるという行為に他ならず、警察の捜査から逃れることが困難になるばかりか、マフィア達からも再び生命を狙われかねないという二重の危険を背負うものでもありました。
さらに、死体にカトレアの花を残すという所業はエミリオの指示ではなく、あくまでもカトレアが独断でやっていたものでしかなかったのです。
殺しの依頼を取ってきていたエミリオにしてみれば、自分はおろか、実の娘同然に扱っているカトレアにまで危害が及ぶという事態は到底認められるものではなく、そんなことは止めるようカトレアに命令します。
しかし、復讐が全てに優先するカトレアにとって、仇をおびき出すという手段は決して放棄できるものではなく、通算で23件目となる殺し屋稼業でも彼女は結局同じことを繰り返すのでした。
結果、カトレアはエミリオと縁を切られてしまったばかりか、例の紋様からカトレアを追跡してきたマルコ一派によってエミリオ夫婦叔父と祖母を殺害されるという憂き目まで見ることになってしまいます。
ところが、それでも彼女は復讐を諦めることがないんですね。
殺されたエミリオ夫婦叔父エミリオも、殺された息子の復讐に精を出していた経験から、復讐が不毛なものであることを悟り、死んだ息子の分もカトレアに幸せになってもらいたいと公言されていたにもかかわらず。
また、カトレアの両親が殺されたのはカトレアに責任があるものではありませんが、エミリオ夫婦叔父と祖母の死はまぎれもなくカトレアの行為が原因です。
彼女は結果的に、自身の復讐のために自分の叔父夫婦叔父と祖母を巻き込んでしまっているわけなのですから。
そこまでして、彼女にとっての復讐は何が何でも達成されなければならないものだったのでしょうか?
結果的にカトレアはドン・ルイスとマルコ一派に復讐を果たすことに成功するわけですが、そのために払った代償はあまりに大きなものであると言わざるをえないでしょう。
叔父夫婦叔父と祖母の死、自分の正体が露見し全国指名手配、さらには仕事の基盤をも失い、恋人とも別れて街を出ていかざるをえなくなると、散々な状態に追い込まれたのですから。
彼女にとって「両親に対する復讐」というのは、自分の生涯をかけた「生きる目標」であり、それがなくては彼女は生きていけなかったのか、とすら思えてならなかったです。
自身の復讐のために新たな悲劇を生みながら、それでも復讐に固執せざるをえない彼女の生き様は、ある意味哀れなものがありましたね。

ただそうなると、その「生きる目標」である復讐を果たした後、彼女は一体どうなってしまうのでしょうか?
カトレアには、復讐をどうやって達成するかについてはいくらでも考えていたでしょうが、復讐を達成した後のことについては全く何も考えていなかったように見えます。
「生きる目標」を失い、しかもそれに代わる目標も立たないというのは、精神的に死んだも同然の状態にもなりかねないものがありますし。
また、親しかった人間と強制的に決別させられ、(殺し屋としての)生活基盤をも失った上、正体が割れて全国指名手配までされた彼女の未来は、あまり明るいものとは言い難いものがあるでしょう。
最低でもアメリカからの国外逃亡は余儀なくされるでしょうし、それ以前に「自分が生きる理由」というもの自体が果たして見出しえるのかどうか……。
状況的に見れば、ラストシーンの後に「死んだ両親とエミリオ夫婦に会いに行く」として自殺に走っても何ら不思議なことではないのですしね。
エミリオ夫婦がカトレアに望んだ「死んだ息子の分まで幸せになってほしい」という願いは、残念ながら達成されそうにもないのが何とも言えないところで(T_T)。
後日談的なエピソードがあるのならどういうストーリーが展開されることになるのか、少々興味をそそられはしますね。

アクションシーンはそれなりのものがありますので、アクション映画が好きという方にはオススメの映画と言えるでしょうか。

映画「プロメテウス」感想

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映画「プロメテウス」観に行ってきました。
リドリー・スコット監督が制作を手掛けた、人類の起源をテーマとするSF作品。
今作は3D/2D同時上映で劇場公開されていますが、私が観賞したのは2D版となります。
しかし、今作は本来2012年8月24日から公開のはずなのですが、私の行きつけの映画館では土日だけとはいえ、8月4日から延々3週間も先行上映をやっていたりするんですよね。
8月4日は1回上映限定だったにしても、実質的には8月11日からの劇場公開といっても過言ではない状況でしたし。
お盆休みの時期を狙ってのものではあったのでしょうが、それならば最初から8月11日公開にすれば良いのにと、ついつい考えてしまいましたね。
なお作中では、女性の腹から子宮を摘出するなどのスプラッタな描写が披露されていることもあってか、この映画はPG-12指定されています。

映画の冒頭、全体的に白く、かつ毛髪の類が全くないものの、限りなく人間に近い容姿のエイリアンが、黒い液体を飲んで身体に異変をきたしながら大河?へ飛び込み、その身体がDNA単位で分解されていく光景が展開されます。
一旦は破壊された彼のDNAが、水の中で再度DNAとして構築されていき、これが生物(人間?)の起源になったらしきことが描写されています。
しかし、物語全体を通して、この行為に何の意味があったのか、また「何故彼がこのようなことをしたのか?」という理由については全く解明されることなく終わっています。
まあ前者については、「これが人類の起源だったのだ!」的なことが言いたかったのではあるのでしょうが、具体的な明示は全くなされておらず、しかも理由が分からないのでは意味不明な描写もいいところですし。
制作側としては、人類起源の謎を断片的に提示しつつ、次回作に繋げたいという意図でもあったのかもしれませんが、そのため今作単独ではいささか消化不良の感が否めないところではありますね。
そもそも、「今作は本当にシリーズ化するのか?」ということすら現時点では不明なのですし。

そこから時代は現代からさらに進むこと2089年。
考古学者のエリザベス・ショウとチャーリー・ホロウェイの2人は、イギリスのスコットランドにある古代遺跡の壁画を目の当たりにしていました。
そこで描かれている壁画には、これまで見てきた他の古代遺跡と共通する星座が描かれています。
しかし、星座が描かれていた古代遺跡の間には全く交流の記録も形跡も確認されていません。
各古代遺跡の壁画に描かれた星座は、人類の起源の謎を解くカギなのではないかと考えられ、ウェイランド・コーポレーションという巨大企業の下、星座に描かれている星に人類を派遣して探索するという壮大なプロジェクトが始動されました。
未知の惑星へ赴くための宇宙船は「プロメテウス」と名付けられ、エリザベス・ショウとチャーリー・ホロウェイを含む総計17名で構成される調査チームが構成されることになりました。
そして年単位に及ぶ低温睡眠状態の宇宙航行を経て、2093年、彼らは人類の起源とされる星座上の惑星に降り立つことになります。

惑星の大気圏へ降下後、惑星の大気圏内を飛び回りつつ、惑星の調査を進めるプロメテウス号。
惑星上の大気成分は、窒素が7割台後半・酸素が21%と地球のそれにほど近い内容だったものの、一方で毒性の強い気体が3%弱程度あることから、外での活動には防護服&ヘルメットの着用が必須とのこと。
さらに惑星の地表へ近付いていくプロメテウス号は、やがて明らかに人工的に作られた直線の道路と思しき形跡と、ドーム状に見える山を発見します。
ドーム状に見える山は、プロメテウスの分析結果から、内部が空洞であることが判明。
そこに人類の起源の謎を解くカギがあると誰もが判断する中、数人の調査隊がドーム状の山へと向かい、ドームの内部を探索することになるのでした。
それが、誰もが思いもよらぬ結果をもたらすとは知らずに……。

映画「プロメテウス」は、元々1979年に初めて劇場公開された「エイリアン」シリーズの前日譚として制作が進められており、途中で路線変更したという経緯を辿っています。
路線変更した後も「エイリアン」シリーズの影響は色濃く残っており、調査チームがドームに入って以降は、「エイリアン」を髣髴とさせる存在が調査チーム達を次々と殺していきます。
この辺りは、元がホラー系作品であるが故の描写でしょうね。
ただ、変にホラー要素を前面に出し過ぎた結果、「人類の起源の謎を解く」という映画のキャッチフレーズに象徴される、ミステリーとSF冒険アドベンチャー的な要素は大きく損なわれてしまった感が否めないところなのですが。
物語後半なんて、もう「人類の起源」云々は脇に追いやられ、生物兵器という正体が判明した化け物達と、「エンジニア」と呼ばれる人類の元となった存在の悪意に対処するのがすっかりメインになってしまっていましたし。
「人類の起源」について作中で明らかになったのは、

DNA的に見て人類と同じ種と見られる「エンジニア」と呼ばれるひとりの宇宙人が、原始時代の地球に降り立ち、自身の身と引き換えにDNAを地球に放出することで人類を作りだした(何故人類を作りだしたのかについての理由は一切不明)。
しかしその後、今度は地球上の人類を滅ぼそうと生物兵器を作り上げた(ドーム状の山はその生物兵器を保管・散布するための宇宙船の一部。また「何故地球の人類を滅ぼそうと考えたのか?」についても全く不明)
生物兵器を満載した宇宙船は、地球へ向けて出発しようとした際、何らかのトラブルが発生し、「エンジニア」達は作中で覚醒した低温睡眠状態のひとりを除き全て全滅した。

しかし、仮にも「人類の起源」というのであれば、「人類を作った」「人類を滅ぼそうとした」如何なる理由があったのか、ということについても明らかにならないと、正直不完全燃焼もいいところなのではないでしょうかねぇ。
結局、「人類の起源」云々の話は相変わらず謎のヴェールに包まれたままで、17人の調査チームの中でただひとり生き残ったエリザベス・ショウが、「エンジニア」達が残した別の宇宙船を使って再び探求の旅に出る、という形で終わってしまいましたし。
映画「プロメテウス」は既に続編制作が決定しているとのことで、最初から続編制作を前提に制作されてはいたのでしょうが、正直、この出来とこの内容では、続編が待望され実際の制作にGOサインが下りるだけの興行的な成功が収められるのかどうか……。
この映画、当初の予定通りに「エイリアン」シリーズの起源作品として素直に売り込んでいた方が、却って内容的にも合致し面白いものになったのではないかと。

「人類の起源」云々以外で一番印象に残ったのは、たった1日のセックスで妊娠3ヶ月と判明するや否や、プロメテウス号に搭載されていた手術マシーンを使い、自分の腹から胎児の摘出手術を実行してのけたエリザベス・ショウの描写ですね。
いくら麻酔が効いているとは言え、意識のある中で自分の腹がレーザーで切り開かれていき、化け物の胎児が摘出される一部始終を全てその目で直接目の当たりにしていながら、よくまあエリザベス・ショウは発狂しなかったものだと。
アレだけの手術を敢行していながら、その後も全く支障なく動き回れるというのも凄いですが。
手術の際の出血も(現代のそれと比べれば)問題にならないほどの少量だったようですし、この辺りはさすが未来技術、といったところになるでしょうか。

未来技術ならではの小道具については、構造物の中を赤外線?を放ちながら自動で巡回しつつ、プロメテウス号にデータを送信して地図を作り上げていくシステムや3Dホログラフィー的な映像投影技術など、作中でも色々と描写されていました。
その中でも最たる未来技術の結晶は、やはり何と言っても外見上は人間と全く区別がつかないデヴィッドになるでしょうか。
記憶能力はもちろんのこと、自分でものを考えて動くことができ、かつ首がもげても会話を続けることができるデヴィッドは、まさに未来ロボットの鏡と言えるものがありました。
ただ、一方でデヴィッドは、チャーリー・ホロウェイの飲み水に、エリザベス・ショウが妊娠すると共にチャーリー・ホロウェイの死因にもなった、生物兵器の毒を混入させるという行為を行っているのですが、正直これは一体何がしたかったのか理解不能ですね。
人間としての感情がないが故に、そこらの人間を使って人体実験をするつもりだったのかもしれませんが、これをデヴィッドは他の誰かに報告するでもなく自分の独断で行っていますし。
そうかと思えば、物語終盤ではエリザベス・ショウに対して積極的なサポートを行ったりしていますし。
どうにも作中におけるデヴィッドの行動には行き当たりばったりな要素が拭えないのですが、彼は一体、最終的に何がやりたかったのでしょうか?

続編制作が既に決定しているということから考えても、今作は「続編の出来と関連性を見て初めてその真価を発揮する作品」と言えるのではないかと。
逆に今作単独だけで見ても、分からない謎と分かりにくい展開だらけで、正直あまりエンターテイメント的に楽しめる映画とは言い難いですね。

映画「アベンジャーズ(3D版)」感想

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映画「アベンジャーズ(3D版)」観に行ってきました。
過去のマーベルコミック作品で実写映画化した「インクレディブル・ハルク」「アイアンマン」「マイティ・ソー」「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」の主人公達が一堂に会するアクション映画。
今作に纏わるマーベルヒーロー4作品は全て観賞済みです。
なお、今回より2回目となる1ヶ月フリーパスポートを発動し、これから1ヶ月間、映画が無料で観覧できるようになりました(^^)。
……とは言っても、今作は時間の都合から3D版で観賞せざるをえなかったため、3D料金だけは普通に徴収されてしまったのですが(T_T)。
一応、今回は1ヶ月間で10作品以上の映画を観賞できる時期を狙っての発動となったのですが、果たしてどうなることやら。

映画「アベンジャーズ」のストーリーは、マーベルヒーローの実写映画4作品を全て観賞していることを前提に展開します。
たとえば、作中に登場するロキのエピソードは、映画「マイティ・ソー」で行われた戦いの後日談という形で語られていますし、キャプテン・アメリカも「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」からのストーリーの延長線で登場しています。
4作品全て観賞しないと、作中で展開されるエピソードの意味や繋がりが分からないようになっているんですよね。
まあ、あくまでもアクションがメインの作品なので、先述の4作品を閲覧していなくても今作を楽しむこと自体は充分に可能ではあるでしょうが、作中のエピソードを完全に理解するためには、やはり4作品全てを観賞した上で今作に臨んだ方が良いかと。
ちなみに、作品の時系列は以下のようになっています。

キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー(終盤以外、1940年代が舞台)

インクレディブル・ハルク

アイアンマン

アイアンマン2

マイティ・ソー(劇中、「スタークから聞いているか?」のセリフ有り)

キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー(終盤部分、冷凍睡眠から覚醒)

また、今作に登場する女スパイのブラック・ウィドウことナターシャ・ロマノフは「アイアンマン2」で、弓矢使いのホークアイことクリント・バートンは「マイティ・ソー」で、それぞれ初登場しています。
そして、アベンジャーズ計画の立案者にして秘密組織「S.H.I.E.L.D.」の総指揮官ニック・フューリーも、「アイアンマン」1作目から要所要所で存在感を醸し出しています。
これらの積み重ねを経た上で、今作のストーリーが展開されるわけですね。

物語は、正体不明の地球外生命体が地球への侵攻を臭わせる発言を披露した後、「S.H.I.E.L.D.」のアジトで密かに研究が行われた四次元キューブを、「マイティ・ソー」のラスボスだったロキの襲撃で強奪されてしまうところから始まります。
この四次元キューブというのは、超強力なエネルギー体という共通項から「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」で登場していたコズミック・キューブと同一のものであると考えられるのですが、名前が違うので少々混乱させられますね。
ロキは襲撃の際、ホークアイを自分の傀儡にしており、四次元キューブと共に彼も引き連れて逃走しています。
四次元キューブを奪われた「S.H.I.E.L.D.」では、当然のごとく容易ならざる事態が発生したことを認識、総指揮官ニック・フューリーは、以前に凍結されていた禁断の計画「アベンジャーズ計画」の発動を宣言します。
「アベンジャーズ計画」とは、過去4作品に登場していたヒーロー達を結集し、チームを組ませて強大な敵に対処させるというもの。
ニック・フューリーの命を受け、まずは元ロシア人の女性スパイであるブラック・ウィドウが、カルカッタに潜伏しているハルクことブルース・バナー博士を、次にフィル・コーンソンがアイアンマンことトニー・スタークを、それぞれ「S.H.I.E.L.D.」に連れ出すことに成功します。
一方、キャプテン・アメリカことスティーヴ・ロジャースは、「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」のラストの段階で既に「S.H.I.E.L.D.」の保護下に置かれていたのであっさり勧誘終了。
「マイティ・ソー」のラストで遠いアスガルドの地へ帰ってしまったソーについては、「S.H.I.E.L.D.」では勧誘のしようがないため、当面はこの3ヒーローとブラック・ウィドウでロキの行方を追うことになります。

調査の末、「S.H.I.E.L.D.」の面々は、ロキがドイツのシュツットガルドに存在することを確認。
現場へ急行したキャプテン・アメリカとブラック・ウィドウ、そして援軍として到来したアイアンマンの活躍により、ロキはあっさりと捕縛されます。
形勢不利と見るやあっさりと縛についたロキの態度に不審を抱きながらも、一行はブラック・ウィドウが操縦する戦闘機?で「S.H.I.E.L.D.」の空の要塞である空中空母「ヘリキャリア」へと向かうことになります。
ところがその道中、突如稲妻と共に「マイティ・ソー」の主人公ソーが戦闘機の上に出現。
ソーは、危険な四次元キューブの奪取と、何よりも所在が判明したロキをアスガルドの地へ連れ帰るべく、再び地球へと姿を現したのでした。
戦闘機内に侵入したソーは、ロキの身柄を確保するや、その場で戦闘機から落下し姿を消してしまいます。
慌てて2人を追うアイアンマンとキャプテン・アメリカ。
そして、ロキを説得してアスガルドに連れ帰ろうとするソーと、挑発的な性格のトニー・スターク扮するアイアンマンの両名が、まずは対峙することになるのですが……。

映画「アベンジャーズ」に登場するヒーロー達は個性派揃いで、それ故にチームを組んで戦うという手法を苦手としています。
そのため、序盤は全くと言って良いほどに足並みが揃わず、しばしば仲間割れすら起こす始末。
特にトニー・スタークとソーは、元々の出会い方が最悪だった上、互いに好戦的な性格であることも災いして全くそりが合いません。
序盤の両者の対決も、キャプテン・アメリカが止めに入らなかったら、どちらかが死ぬまで延々と勝負し続けていたのではないかと。
あの2人を見ていると、「同族嫌悪」とか「近親憎悪」とか言った言葉がついつい浮かんできてしまったくらいでしたし(苦笑)。
かくのごとく、チームワークというものを全く持たないヒーロー達を戦場で束ねる役は、キャプテン・アメリカが担うことになりました。
彼は元々アメリカ軍に所属していて友軍を支援していた実績もありますし、今時珍しい自己犠牲精神と誠実な性格の持ち主でもありましたし、リーダーとしては誰よりも適役者だったでしょう。
この辺りは、「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」の感想記事で予想した通りの展開ではありましたね。
ちなみに、映画「アベンジャーズ」に登場する各ヒーロー達の強さは以下の通りとなります↓

ハルク(ブルース・バナー)
攻撃力:◎ = 全ヒーロー中最強(ロキを一方的にぶちのめす)
防御力:◎ = 全ヒーロー中最強(高度1万メートルから落下しても無傷、敵の集中攻撃にも耐えられるなど)
スピード:◎
遠距離攻撃能力:なし
飛行能力:なし
その他:人間時はそれなりの研究者で理性的だが、ハルク変身時は狂気と衝動のままに行動する。

アイアンマン(トニー・スターク)
攻撃力:○
防御力:○
スピード:◎
遠距離攻撃能力:あり(小型ミサイル、掌から発射されるレーザービームなど)
飛行能力:あり
その他:エネルギー切れの問題があるものの、一番万能で使い勝手の良いヒーロー。

ソー
攻撃力:◎
防御力:○
スピード:○
遠距離攻撃能力:あり(雷を呼ぶ)
飛行能力:あり
その他:体力面ではハルクと同等。遠距離攻撃にエネルギー切れの心配なし、ただし一定の溜めが必要?

キャプテン・アメリカ(スティーヴ・ロジャース)
攻撃力:○
防御力:○(ただし特殊シールドのみ ◎ )
スピード:△
遠距離攻撃能力:あり(シールドを投げる)
飛行能力:なし
その他:筋力が超人的であることとシールド以外はこれといった特徴がなく、他のヒーロー達と比較すると弱い感は否めない。

ブラック・ウィドウ(ナターシャ・ロマノフ)
ホークアイ(クリント・バートン)
攻撃力:△
防御力:△
スピード:△
遠距離攻撃能力:あり(銃や弓矢)
飛行能力:なし(ただしブラック・ウィドウが飛行機を操縦可能)
その他:人間としての身体能力は優れているが、作中では基本的にサポート担当。キャプテン・アメリカと一緒に行動していることが多い。

戦闘能力的には一番であろうハルクが基本的にバーサーカー状態で扱いづらく、一方で一番弱いであろうキャプテン・アメリカがリーダーには最も適していることを考えると、まともなチームワークが確立さえすればバランスが取れたチームと言える組み合わせではありますね。

一方、敵陣営の方を見てみると、今作では地球侵略の尖兵的な役割を担っているロキが実質的なラスボスと言って良く、ロキの背後にいる真の敵はまだ前面に出てきておらず正体も完全には明かされていないという感が多々ありますね。
そもそも、ロキが率いていた地球侵略のための兵達も特にこれといった特筆すべき力があったというわけでもなく、ロキの知略による奇襲や数に任せた物量作戦で押し切る的なものが目立っていましたし。
予告編でも登場していた巨大な怪物も、ヒーロー達の攻撃の前に簡単に撃退されてしまっていて見かけ倒しもいいところでした。
四次元キューブの力で開けられたホールから仰々しく出てきた割には、破壊の規模が妙に小規模な感が否めませんでしたし。
あれならば、アメリカ軍が空軍と陸軍を大量投入すればまだ何とか対抗できないこともなかったのではないか、とは思わずにいられなかったですね。
というか、作中ではヒーロー達以外だと警察が拳銃で飛行体と応戦している程度で、軍はいきなり核ミサイルを発射した1機の飛行機以外は全く参戦してすらいませんでしたし。
作中のアメリカ軍は、敵と直接に交戦して壊滅したような様子すらありませんでしたし、彼らはヒーロー達に戦いを丸投げして一体何をしていたというのでしょうか?
あそこでアメリカ軍がヒーロー達と一緒に戦っていれば、ヒーロー達ももっと楽にかつ優位に戦局を進めることもできたはずでしょうに。
ニューヨークというアメリカの一大都市が敵の攻撃を受けているというのに、結果的に戦いすらもしなかったアメリカ軍は、ヒーロー達が賞賛・恐怖されるのに反比例する形で大いに糾弾されて然るべきだったのではないかと思えてならないのですが。

「アベンジャーズ」のエンドロールの最中に出てくる映像を見る限りでは、明らかに続編があることが示唆されていますし、実際、既に続編の制作も決定しているのだとか。
続編たる「アベンジャーズ2」は2015年5月にアメリカで公開予定だそうで、日本の公開も2015年~2016年になりそうな雰囲気です。
さらにその間に「アイアンマン」「マイティ・ソー」「キャプテン・アメリカ」単独の続編作品や、マーベルコミック系の新規ヒーロー作品も出てくるようなので、続編はさらに盛り上がることになりそうですね。

あと、今作のエンドロールの最後には、黒幕の描写とはまた別の特典映像がありますので、映画が完全に終わるまで席は立たないでおくことをオススメしておきます。

映画「トータル・リコール」感想

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映画「トータル・リコール」観に行ってきました。
1990年にアーノルド・シュワルツェネッガー主演で劇場公開された、同名アメリカ映画のリメイク作品。
今作ではコリン・ファレルが主人公を担っています。

リメイク版「トータル・リコール」では、旧作のそれとは世界設定が大きく異なっています。
旧作「トータル・リコール」では、人類が火星に進出し、火星のエネルギーを採取し火星を牛耳っているエネルギー会社との戦いが繰り広げられるのですが、リメイク版の舞台はあくまでも地球。
作中の地球は、21世紀末に勃発した世界大戦で大量の化学兵器が使用された結果、大気中に致死性の猛毒が充満したことでほとんどの地域が居住不能となってしまい、人類はわずか2箇所の居住可能区域に集中して生活するようになっています。
現在のイギリスにあるブリテン諸島を中心に、限られた富裕層が居住するブリテン連邦。
貧民層がひしめき合いながら居住するオーストラリア大陸のコロニー。
この両者を繋ぐ唯一のルートは、地球の内部をくり抜き、核を通して地球の表と裏を繋ぐ「フォール」と呼ばれる地中エレベーター。
この「フォール」は数万単位の人間やロボットすらも運搬できる能力を有しています。
「フォール」の地球の表から裏まで移動する際にかかる所要時間は、だいたい30分~1時間といったところになるでしょうか。
コロニーの労働者の中には、「フォール」に乗ってブリテン連邦まで移動し、そこで単純労働に勤しむ者も数多く存在しました。
今作の主人公であるダグラス・クエイドもまた、すくなくとも作中の序盤ではそんな労働者のひとりとして働いている人間のひとりでした。

ここ最近、ダグラス・クエイドは毎晩おかしな夢を見ることに悩まされていました。
その夢の内容とは、どこかの施設と思しき場所で、全く知らない女性と逃亡する中、追手に撃たれて女性と離れ離れになってしまい、自身は追手達に捕縛されてしまうというもの。
夢から覚めたダグラス・クエイドは、彼の身を案じた妻のローリーとセックスに及ぼうとするものの、直後にローリーが電話で呼び出されてしまい、結局何もすることがないまま、単身「フォール」へと向かうのでした。
ダグラス・クエイドは、シンセティックという治安維持目的のロボット大量生産の仕事に携わっており、真面目な勤務で昇進のチャンスを掴んでいました。
しかし、貧民層のコロニー出身という出自が仇となってしまい、彼の昇進はブリテン連邦出身の対立候補によって見送られてしまうのでした。
やるせない気分になったダグラス・クエイドは、ふと街中で見たリコール社の宣伝を思い出します。
リコール社は、客の都合に応じた都合の良い記憶を植え付けることで、客に疑似体験を楽しませることを生業とする企業。
ダグラス・クエイドの友人兼勤務会社での同僚であるハリーの反対を押し切り、彼はリコール社を訪問。
そしてスタッフに対し、「諜報員として活躍する」という記憶を植え付けることを依頼するのでした。

しかし、いざ記憶を植え付ける作業へ入ろうとした時、突如機械がアラートを発し、スタッフ達は作業を中断。
さらにその直後、今度は大勢の武装警官達がリコール社内へとなだれ込み、リコール社のスタッフ達を撃ち殺してダグラス・クエイドに銃を突きつけてくるではありませんか。
自分が何故銃を突き付けられなければならないのか、混乱に陥るダグラス・クエイドでしたが、今度はその彼自身の身の上に異変が起こります。
なんと彼は、類稀なる戦闘技術を発揮し、複数の武装警官達をその手で壊滅させてしまうのです。
当然、そんな戦闘技術を身につけた覚えもないダグラス・クエイドは、リコール社の惨劇がニュースで大々的に報じられる中、身を隠すように自宅へと戻ることに。
混乱しながらも帰宅したダグラス・クエイドは、妻のローリーに事情を説明。
半信半疑ながらも、とりあえずダグラス・クエイドと抱擁するローリー。
ところが、ここでローリーは突如、ダグラス・クエイドを絞め殺そうとし、2人はそのまま戦闘に突入してしまいます。
そしてローリーは、驚くべきことをダグラス・クエイドに告げるのでした。
自分はダグラス・クエイドの妻ではなく監視役であり、彼の名前も偽名、経歴も全て偽の記録と記憶によってでっち上げられたものであると。
衝撃を受けざるをえなかったダグラス・クエイドは、すっかり恐怖の存在となりおおせてしまったローリーの魔の手から脱出、逃避行を余儀なくされることになるのですが……。

映画「トータル・リコール」では、主人公の妻であるローリー役を、映画「アンダーワールド」シリーズの主演として有名なケイト・ベッキンセールが演じています。
疑問の余地なくその影響なのでしょけど、作中におけるローリーは、ほとんどまんま「アンダーワールド」シリーズの主人公にして女性ヴァンパイアのセリーンそのものです。
アクションシーンはもちろんのこと、黒ずくめの服装を終始身に纏っているところも全く同じで、他の治安部隊達と比べても明らかに浮いていましたし。
明らかに「アンダーワールド」を意識して造形されているのが丸分かりなキャラクターでしたね(苦笑)。
1990年版「トータル・リコール」と異なり、彼女は終盤まで生き残り続けて最後まで主人公達の脅威であり続けます。
ただ、あのラストのダグラス・クエイド襲撃は、正直何がやりたかったのかよく分からないところはありましたね。
あの時点では、ローリーの上司でコロニー侵略の総指揮を担っていたコーヘイゲンは既に死んでいた上、「フォール」も破壊されて侵略の勝敗の帰趨も決していたのですから、彼女がダグラス・クエイドを殺す意味なんて何もなかったも同然だったのですが。
ローリーにとって、コーヘイゲンの命令は、命令権者が死んで状況が激変してさえも何が何でも遂行しなければならないものだったのでしょうか?
ラスボスたるコーヘイゲンが生きていた中で死んだ1990年版のローリーの方については、そんな疑問を抱く必要もなかったのですが……。

また、コーヘイゲンがオーストラリアのコロニーを侵略する意思をアレだけ明確に表明した上、「フォール」を使った侵略経路まで最初から判明していたにもかかわらず、ダグラス・クエイド以外に「フォール」の破壊を意図した人間がコロニー側にいなかったのも少々疑問ではありました。
ブリテン連邦とコロニーを繋ぐ唯一の道である「フォール」を破壊すれば、敵側の侵攻意図を挫き、少なくとも一定の時間を稼ぐことは充分に可能なことは誰の目にも明らかなのですから。
現地のブリテン連邦の治安維持部隊が「フォール」を死守していたような感じもまるでなく、コロニーの住民達はただただパニックに陥って逃げ惑っていただけでしかありませんでしたし。
それ以前に、既に実質的な従属という形でコロニーを支配下に置いているブリテン連邦が、わざわざ数万の大兵力を派遣してコロニー相手に侵略と殺戮を行わなければならない必然性がまるでなかったりするんですよね。
ブリテン連邦が必要としている「コロニーの労働力」にしても、既に「フォール」を介して大量に送られているような状態なのですし、単純労働者が必要なのであれば、それ専用のロボットを大量増産するという方法だって使えるはずでしょう。
あの世界では、治安維持目的のロボットが普通に作れるだけの技術力が既に確立されているのですからなおのこと。
また、ブリテン連邦の土地が少ないからコロニーの土地獲得を目的としているのであれば、元々ブリテン連邦側はあそこまで強権力が行使できるのですから、合法的な経済活動と権力の行使で「フォール」を中心に自分達の居住区域を少しずつ広げていく方が却って効率が良さそうなものなのですが。
ダグラス・クエイドを使ってレジスタンスの壊滅にも成功した後であればなおのこと、彼らに悪のレッテル貼りをすることで、コロニーの住民達に「ブリテン連邦こそが正義」と信じさせることも可能なわけなのですし。
あの時点で、ブリテン連邦がコロニーを、それも力づくで侵略などしなくてはならない理由は何もないはずなのですが。

アクションシーンや演出などでは1990年版に勝りますが、ストーリー設定や説得力などは1990年版の方に軍配が上がる、といったところになるでしょうか。
個人的には、1990年版「トータル・リコール」に「アンダーワールド」的な要素をミックスした作品として楽しんでいましたね、今作は。

映画「ダークナイト ライジング」感想

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映画「ダークナイト ライジング」観に行ってきました。
映画「インセプション」のクリストファー・ノーラン監督が製作を手掛ける「バットマン」シリーズ3作目にして完結編のアクション大作。
今作のストーリーは、これまでのシリーズの集大成ということもあり、前2作「バットマン ビギンズ」「ダークナイト」の設定を踏まえた上で展開されています。
前2作を知らないと分からない設定やエピソードも多数含まれていますので、前2作を知らない方は、今作を観賞する前に予め前2作を先に観賞することをオススメしておきます。

前作「ダークナイト」から8年が経過したゴッサム・シティ。
前作で恋人を殺され、復讐者トゥーフェイスとして犯罪を犯し死んだハービー・デントを記念して制定されたデント法により、ゴッサム・シティの犯罪は個人・組織を問わずことごとく封殺されていました。
そのハービー・デントが犯した罪を一身に背負い、街からその姿を消したバットマンの存在と汚名を代償にして。
しかし、ハービー・デントの死の真相を隠蔽することは、バットマンに扮するブルース・ウェインと、隠蔽の共謀者であるゴッサム・シティ警察の市警本部長ジェームズ・ゴードンに大きな傷を残していました。
その良心の呵責に耐えかねたのか、ジェームズ・ゴードンはデント法の祝典パーティーの場でその事実を公表しようとしますが、市民の衝撃や糾弾から、一度はスピーチ用に書き上げた真相告白のための原稿を引っ込めてしまいます。
同じ頃、ブルース・ウェインは、自宅に侵入し、真珠のネックレスを身に付けたキャットウーマンと対面していました。
キャットウーマンは、足が不自由になっているブルース・ウェインに一撃を浴びせると、窓から飛び降り姿を消します。
ウェイン邸に侵入した彼女の目的は真珠のネックレスではなく、金庫に貼り付いていたブルース・ウェインの指紋であることが判明します。
キャットウーマンはブルース・ウェインが会長を務めるウェイン財閥の乗っ取りを企むジョン・ダゲットという人物から、ブルース・ウェインの指紋を取るよう依頼されていたのでした。
この騒動がきっかけとなって、ブルース・ウェインことバットマンはキャットウーマンと知己を得ることになるのですが……。

一方、ゴッサム・シティ市警は、凶悪テロリストとして恐れられているベインの行方を追っていました。
熱血捜査官のジョン・ブレイクの聞き込みからもたらされた情報で、ベインはゴッサム・シティの地下に拠点を作っていることが判明。
自ら指揮を取ったジェームズ・ゴードンは、ゴッサム・シティのマンホールからアジトに潜入するものの、護衛を全部倒された挙句、逆にベインの手の者達に囚われの身となってしまいます。
何とか隙を突き、脱出することには成功するものの、ジェームズ・ゴードンは瀕死の重傷を負い入院を余儀なくされてしまいます。
ジェームズ・ゴードンは、巡査だったジョン・ブレイクを刑事に昇格させ、自分の右腕として事件を捜査させ自分に直接報告を行うよう指示します。
ジョン・ブレイクはブルース・ウェインの邸宅を訪れ、8年前の事件以来すっかり引き籠りな生活を送っているブルース・ウェインに対し、8年前の事件に関する捜査令状を発動すると脅して半ば強引に対面を強要。
明らかに彼の正体を知っていると言わんばかりの言辞を繰り出し、バットマンの再来を希望するのでした。
折りしも、市内にある証券取引所に対して、ベイン率いる集団が強襲をかけるという事件が発生。
ブルース・ウェインは、ウェイン家に長年仕えるアルフレッド・ペニーワースの制止も聞かず、バットマンとして復帰し事件に対処することを決意するのですが……。

映画「ダークナイト ライジング」では、総計164分の長い上映時間の中で、重厚な人間ドラマが敵味方を問わず繰り広げられています。
アクションシーンなどもそれなりにはあるのですが、どちらかと言えば人間ドラマがメインで描かれている感がありますね。
その中でも特に重点的に描かれているのは、前作で幼馴染の恋人を亡くし、生きる希望を失ってしまったバットマンことブルース・ウェインの懊悩と、彼が立ち直っていく過程でしょうか。
実はその前作で死んだ当の恋人は、死の直前にブルース・ウェインに対して決別の意思を示した手紙を出しており、その手紙は執事アルフレッド・ペニーワースの手によって隠匿されていたのですが、そうとは知らずに恋人のことを想い続けるブルース・ウェインの姿は、なかなかに滑稽なものがあります。
今作では、この隠蔽劇についての一定の決着を見ることになります。
ただ、バットマンの道へ戻ることに反対するアルフレッド・ペニーワースから、恋人の手紙の真相を知らされたはずのブルース・ウェインは、しかしその割にはあまり衝撃を受けたようには見えなかったですね。
恋人が死んでから8年も経過していて記憶も想いも薄れている、という事情もあったのでしょうが、ブルース・ウェイン的にも、前作の恋人の態度に何か予感を抱かせるものでもあったのではないかなぁ、とは思わずにいられなかったところです。
また、アルフレッド・ペニーワースにしてみれば、事の真相を暴露することでブルース・ウェインのやる気を喪失させるという狙いも多分にあったのではないかと思われるのですが、結局ブルース・ウェインを止めることは叶わなかったわけで「当てが外れた」的な部分はあったでしょうね。
何やかや言っても、彼は誰よりもブルース・ウェインのことを考えて行動していましたし。

今作のメインとなる敵陣営のボスキャラ(ただしラスボスではない)となるであろうベインは、物理的な力においてバットマンと互角以上に渡り合えた稀有な存在ですね。
序盤はバットマン側のコンディションが思わしくなかったとは言え、完全に力で圧倒し牢獄にぶち込むところまでいっていましたし。
彼の失敗は、「死にたがっているお前を殺しても罰にならない」などという、ある意味潔癖症じみたことを主張して、あそこでバットマンをさっさと殺しておかなかったことだったでしょう。
物語終盤近くで自身が復活したバットマンに逆に追い詰められた時、彼は間違いなく自身のその言動を後悔したことでしょう。
だからこそ、ラスボスがバットマンにナイフを突き立ててその場を立ち去った後、彼はそれまでの生温い対応を投げ捨てて、躊躇なくその場でバットマンを殺す選択に打って出ざるをえなかったのでしょう。
その余裕のなさっぷりは、圧倒的な存在感を示していた序盤とは著しく対象的と言えるものでした。
その直後に、キャットウーマンが乗車していたバイクの砲撃で吹っ飛ばされてあっさり絶命してしまった結末は少々意外ではありましたが。
ベインはバットマンとのタイマン勝負で死ぬのだろうと、予告編を見ていた頃からずっと考えていたくらいでしたし。
この辺り、ベインの「悪役としての凋落ぶり」を感じさせるものではありましたね。

バットマン・キャットウーマンとくれば、あとはバットマンの相棒であるロビンも出てくるものなのですが、彼は作中の最後にその存在が明らかとなります。
ジェームズ・ゴードンの部下として、またバットマンの協力者として作中でも活躍するジョン・ブレイクが、警察と法の理不尽なあり方に憤って警察を辞職した後、「ロビン」という偽名を名乗ると共に、無人となったバットマンの秘密基地へと侵入するシーンがあるんですよね。
クリストファー・ノーラン監督より以前の映画「バットマン」シリーズでは、バットマンと共に敵と戦っていたロビンでしたが、あの世界における「ロビン」は、バットマンの存在なしでひとりで戦っていくことにでもなるのでしょうか?
最後の最後で「ロビン」を出してくる辺りは、ファンサービスが上手いなぁと思わずにいられなかったところでしたが(^_^;;)。

アクション物というよりは人間ドラマ重視の作品であり、どちらの視点で見てもそれなりの出来と面白さを兼ね備えた映画とは言えますね。

映画「スターシップ・トゥルーパーズ インベイジョン」感想

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映画「スターシップ・トゥルーパーズ インベイジョン」観に行ってきました。
1997年に実写映画化(日本では1998年公開)された「スターシップ・トゥルーパーズ」のシリーズ誕生15周年を記念して製作されたCGアニメーション。
今作は一応洋画に分類されるのですが、監督は何故か日本人の荒牧伸志が担当しています。
「スターシップ・トゥルーパーズ」自体はアメリカよりも日本の方が大ヒットしているので、それにあやかりでもしたのでしょうかねぇ。
ちなみに、実写映画版「スターシップ・トゥルーパーズ」はこれまで3作公開されているのですが、私が観賞したことのある作品は1作目だけですね。
というか、「スターシップ・トゥルーパーズ」の2作目と3作目って、製作費といい知名度といい、1作目の足元にも及ばないほどにマイナー過ぎるのですが(^^;;)。

今作では、実写版映画「スターシップ・トゥルーパーズ」の1作目から、最低でも数年~10数年の時間が経過した世界が舞台となります。
物語は、小惑星上に建造された地球連邦軍の要塞フォート・ケイシーが、連星クレンダスの惑星に住む昆虫型生物アラクニド・バグスの集団に占領されてしまったことから始まります。
地球連邦軍はただちにフォート・ケイシーを奪還すべく、複数の艦艇を派遣。
しかし、先行して要塞内へと突入した機動歩兵隊の報告により、フォート・ケイシーは既にバグの大群がひしめき合い、奪還は困難な情勢であることが判明します。
そこで現地軍は方針を転換し、要塞内の生き残りを救出しつつ、小惑星ごと要塞を爆破してバグ達を殲滅する作戦を展開することになります。
そんな中、フォート・ケイシーにいた超能力戦略担当大臣カール・ジェンキンスが、その権限を濫用し、要塞奪還のために来援していた戦艦ジョン・A・ウォーデン(以下「JAW」)号を自らの指揮下に置き、一足先に戦場を離脱し重要な物資を輸送することを宣言します。
これに怒ったのは、JAW号の艦長でカール・ジェンキンスの旧友でもあるカルメン・イバネス。
しかし、大臣という要職にあるカール・ジェンキンスに対し、所詮は一戦艦の艦長にすぎないカルメン・イバネスの抗議はあっさり一蹴され、彼女は同じく来援していた機動歩兵隊用の強襲艦アレジア号への移乗を余儀なくされるのでした。
一方、要塞内で生き残りを探していた機動歩兵隊は、フォート・ケイシーの守備を担っていたK-12機動歩兵隊の生き残り達と合流。
巨大な図体と数に任せて攻め込んでくるバグ達に犠牲を強いられながらも、彼らは要塞爆破の任務を見事遂行し、アレジア号でフォート・ケイシーを後にするのでした。

生き残ったK-12機動歩兵隊では、隊長として部隊を率い、「ヒーロー」の愛称で呼ばれているヘンリー・ヴァロ大佐が、反逆罪を犯したとして逮捕され、地球への帰還の途についたアレジア号の一室に監禁されていました。
何でも彼は、超能力戦略担当大臣カール・ジェンキンスの命令に背いたということから反逆者と見做されたとのこと。
ただ、彼の部下であるK-12機動歩兵隊の隊員達は今でもヘンリーを敬愛しており、彼の命令違反には何らかの理由があることが推察されました。
ヘンリーの件が引っかかるものの、直近の戦闘が終結したことと、地球へ帰還すれば休暇が与えられることから、それぞれ艦内で思い思いにリラックスする兵士達。
しかしそこへ、地球連邦軍の司令部から緊急通信が舞い込んできます。
通信用のスクリーンに出てきたのは、地球連邦軍の将官で、カール・ジェンキンスとカルメン・イバネスの旧友でもあるジョニー・リコ。
彼は、先のフォート・ケイシーでの戦いの際、一足先に戦場を離脱したカール・ジェンキンスとJAW号が行方不明になったことを告げ、その捜索と調査をアレジア号の全乗員に命じます。
しかし、カール・ジェンキンスのために自分達の隊長が汚名を被せられることになってしまったK-12機動歩兵隊の面々は、当然のごとく調査に乗り気ではありません。
しかし、だからと言って軍人として命令に逆らうわけにもいかない彼らは、任務を遂行するための条件として、元隊長のヘンリー・ヴァロを指揮官として復隊させて欲しいと嘆願。
元々自身も機動歩兵隊出身であるジョニー・リコは、兵士達の気持ちを理解しその嘆願を承諾、どんなに活躍しても裁判で情状の材料になることはないという条件付でヘンリー・ヴァロを復隊させます。
そしてアレジア号は、消息を絶ったJAW号の捜索へと乗り出すことになるのですが……。

映画「スターシップ・トゥルーパーズ インベイジョン」に登場する、ジョニー・リコ、カール・ジェンキンス、カルメン・イバネスの3名は、実写版映画「スターシップ・トゥルーパーズ」の主要登場人物でもあります。
ジョニー・リコが機動歩兵隊所属の主人公、カルメン・イバネスが彼のガールフレンド、カール・ジェンキンスがジョニー・リコの親友という間柄です。
当時はまだ軍に入ったばかりの一兵士や下士官でしかなかったあの面々が、今作ではそれぞれ要職に就いているのですから、その辺りにも時間の経過を感じさせるものがあるわけで。
この辺りは、往年の「スターシップ・トゥルーパーズ」ファンに対するサービス的な一面も多々あるのではないかと。
ただ、今作における彼らは、物語終盤におけるジョニー・リコ以外はこれと言った見せ場がなく、むしろ要人として守られる立場に終始しているのが実情ではあるのですが。
今作で活躍するのは、アレジア号に乗船している機動歩兵隊とK-12の面々ですね。
一応、元々アレジア号に乗船していた機動歩兵隊の指揮官とヘンリー・ヴァロが指揮官ということにはなっていますが、ただ、こちらは誰が主人公なのか分かりにくい構図がありますね。
作中の描写は、全ての登場人物を均等に扱っているような感があって、特定の誰かに集中的なスポットを当てる、という形は取られていないんですよね。
その中ではかなり活躍した部類には入るであろうヘンリー・ヴァロも、序盤はあまり出番がないですし、そもそも彼はジョニー・リコが来援したタイミングでバグ達を巻き添えに自爆して死んでしまうのですから。
「主人公が不在」というか「皆が主人公」的なスタンスで描かれていますね、この映画は。

また「スターシップ・トゥルーパーズ」と言えば、男女の混合集団によるシャワーシーンがごく自然な形で描写されるという、男女平等のグロテスクさを具現化するかのような衝撃的な映像で一世を風靡した1作目に象徴されるがごとく、男女の性の奔放っぷりが特に印象に残るシリーズでもあります。
今作でもそれは健在で、むさくるしい男達の真っ只中に、わざわざ「襲ってください」と言わんばかりの、上半身にタオルをかけただけのトップレスな姿で登場する女性軍人が描かれていたりします。
他にも、一応はまだ任務中の最中に、黒いボディスーツ?を身に纏った女性と一室でシケこんだりするカップルの様子が描写されていたりもしますし。
1作目もそうでしたけど、あの世界における男女の性の問題って一体どうなっているのかと、改めて疑問に思わずに入られなかったですね(苦笑)。
ただ、同じく1作目の物語の合間合間にしばしば挿入されていた、地球連邦のプロパガンダCMやニュースの類は今作では全く確認することができず、その点では少々「惜しい」部分もあったと言えるでしょうか。
まあ、アレは「スターシップ・トゥルーパーズ」というよりは、1作目を製作したポール・バーホーベン監督の持ち味ではあったのでしょうけど。

あと、あの世界における地球連邦軍の対バグ装備は、まだまだ改善の余地が大いにあるのではないでしょうか?
航空援護や戦車などの援護もなしに、ただひたすら軽火器で銃剣突撃をやっていただけな感が多々あった1作目に比べれば、今作の機動歩兵隊はパワードスーツを身に纏いつつ、やたらとゴツい重火器でバグ達と応戦しており、その点では兵装面で大きな進化が見られました。
ただ、物語終盤にジョニー・リコが搭乗していた、映画「アバター」辺りにも出てきていたような巨大なパワードスーツを標準装備化していれば、対バグ戦はもっと楽に戦うことが可能なのではないでしょうか?
何しろ、ジョニー・リコが操縦する1体の巨大パワードスーツだけで、今作のラスボスである女王バグを除いたバグの集団は一方的な殺戮の的にされていたのですから。
今までの機動歩兵隊の苦戦は一体何だったのかとすら思えるほどの圧倒ぶりで、「そんな便利な兵器があるのならば、何故前線の機動歩兵隊に大量に配備してやらないんだ?」という疑問すら浮かんできたくらいだったのですが(^^;;)。
まあ、その手の巨大パワードスーツは高価なものである、という事情はありそうなのですが、あの世界における前線の兵士達の戦死・損耗率が半端じゃないであろうことを考えれば、巨大パワードスーツを必須で配備する方がむしろ安上がりなのではないかとすら思えてならならないのですけどね。
アレを前線に大量配備すれば、各戦線でバグ達を圧倒し完全勝利することも難しくはなさそうにも見えますし。

作中のCG映像は、実写のそれと比較しても遜色がないくらいに良く出来たものではあります。
往年の「スターシップ・トゥルーパーズ」ファンはもちろんのこと、戦争映画やアクション物としても充分に見れる作品に仕上がっているのではないかと。

映画「メリダとおそろしの森」感想

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映画「メリダとおそろしの森」観に行ってきました。
数々の3Dアニメーション映画を手掛けてきた、ディズニー&ピクサーのタッグによる冒険ファンタジー。
この映画は3Dメガネが必要なバージョンも公開されていますが、私が観賞したのは2Dの日本語吹替版となります。
なお、今作は映画「おおかみこどもの雨と雪」との2本立てで同日観賞しています。

今作では、物語本編が始まる前に、ディズニー&ピクサー映画のキャラクターを使ったと思しき前座的な短編映画が2作品上映されます。
何の予告もなく突然始まったこともあって、本編と全く関係のない内容の短編映画が上映され始めた際には、「まさか、本来『メリダとおそろしの森』が上映されているスクリーンとは全く別の場所に間違って入ってしまったのか?」と、一瞬ながらもついつい考えてしまったものでした(^^;;)。
もちろんそんなことはなく、2作品が上映し終わった後に物語本編はきちんと開始されたのですが。

今作の舞台は10世紀頃のスコットランド。
そのスコットランドにある王国の第一王女にして今作の主人公のメリダは、幼少時に誕生日を迎えた際、父親にして国王でもあるファーガス王から弓をプレゼントしてもらいました。
得意気に弓を射る父親の真似をして、メリダは生まれて初めて弓を射ることになるのですが、初めて放った矢は的に当たるどころか、明後日の方向へと飛んでおそろしの森の奥深くに入り込んでしまいます。
メリダは森の奥の木に突き刺さっていた矢を見つけて戻ってくるのですが、その際に「モルデュ」と呼ばれる巨大な熊に目をつけられてしまいます。
メリダの後を追い、メリダを仕留めんとする巨大熊モルデュ。
そのメリダの前に、父王であるファーガスが武器を持って立ちはだかり、モルデュに単身挑みかかるのでした。

それから数年後。
父王ファーガスと王妃エリノアとの間には、長女メリダに加えて、さらにヒューバート・ヘイミッシュ・ハリス3つ子の兄弟が誕生していました。
ファーガスは数年前のモルデュ襲来と撃退、および際に失った左足を自らが誇る武勇伝として自慢の種にしていました。
そして、元来自由奔放かつお転婆な性格のメリダは、母親である王妃エリノアの伝統至上主義かつ花嫁修業的な教育方針に反発する日々を送っていたのでした。
元々親子としての仲は決して悪くなかった2人ではあったのですが、年を追うにつれてその擦れ違いはどんどん深まるばかり。
そんな中、エリノアは王国の有力貴族であるディングウォール・マクガフィン・マッキントッシュ3家の子息の中から、メリダの婚約相手を選抜すべく画策します。
当然メリダはこれに反発。
婚約相手を選ぶ儀式をメチャクチャにしてしまい、そのまま馬に乗って城から脱走し、冒頭にも登場したおそろしの森の奥深くへと入り込んでしまうのでした。
母親の束縛からなんとしても逃れたいと考えるメリダは、気が付くとストーンサークルが林立する場に出てきていました。
そこで、突如メリダの前に現れ、まるでメリダをどこかへ導こうとするかのようにひとつの道筋を作り出していく鬼火。
鬼火の光跡を辿っていったメリダは、その終着点でひとりの怪しげな老婆と出合うことになるのですが……。

映画「メリダとおそろしの森」は、出自が王家であることを除けば、世界中どこにでもありそうな母親と子供の関係が描かれています。
子供のことを考えるが故に自分の主張を子供にゴリ押しする母親と、それに反発する子供という図式です。
作中でも問題になっているこの図式は、実際に親子間で自己修復ないし解消できた事例は限りなく少ないものだったりします。
これはどちらかと言えば、子供以上に親の問題の方が大きいんですよね。
子供に対する躾と自分のエゴイズムとの区別が全くつかず、自分の考えを無条件に押しつけることが子供への躾であると勘違いする親は、はるか昔から後を絶つことがありません。
当の親自身も、それが間違っていることであるとは露にも思わず、それどころか「子供のためになる」と信じて疑っていないケースが一般的ですらあるのですし。
作中で何かと伝統云々を持ち出してメリダに礼儀作法やら何やらを強要しまくっていた王妃エレノアも、別にメリダに悪意を持って接していたわけではなく、むしろ逆に「それがメリダのためになる」と信じて疑っていなかったわけです。
こういう親って、最初から確信犯で子供を虐待している親と同じかそれ以上にタチが悪かったりするんですよね。
むしろ、なまじ親の善意が分かっているだけに、親を裏切るような後ろめたさや罪悪感を子供側が覚えずにはいられないという問題が発生する分、問題解決が却って厄介になったりするのですし。
また、子供を圧迫している親側は親側で「これは子供を育てるのに必要な愛のムチ」と心の底から信じ込んでいたりするため、話し合いで相互理解に到達する余地自体がほとんどなく、反省や自浄作用を求めることも限りなく不可能に近いときています。
それに加えて、人間が持つ母性本能には「子供をいつまでも自分の手元で保護したい」という欲求が組み込まれているため、その欲求に逆らおうとする子供の成長や自立心を、母親が自ら踏み潰そうとすることも決して珍しい話ではありません。
成長した子供が自分の元から離れていくことを嫌がり、「ひとりにすると不安だから」的な理屈をこねてとにかく自分の指図に従うよう強要する母親などは、まさにその典型ですし。
エレノアがメリダの自立心を拒絶し、あくまでも自分が敷いたレールの上を無理矢理歩かせようとしたのも、そういう本能的な欲求がどこかで働いていたからに他ならないのでしてね。
メリダとエレノアが物語のラストで結果的に和解できたのも、皮肉なことにエレノアが魔女の魔法にかかってしまい、2人が苦難を共にしたことが発端になっていたのであって、それがなかったら2人の仲は時間と共に悪化の一途を辿るだけだったでしょう。
その点では、作中では疑問の余地なく「悪い魔女」扱いされているであろうあの老婆も、結果的にはメリダの願いを最も理想的な形で叶えていた、と評価することもできるのではないかと。
まあ、当の老婆にそんなつもりは全くなかったのでしょうけど(^^;;)。

作中のストーリーはとにかくメリダとエレノアを中心に回っていて、その他の登場人物は軒並み脇役的な役柄に終始していますね。
父親であるファーガス王や3貴族達はひたすら「脳筋」としてのみ描かれていますし、メリダの弟の3つ子達は単なるマスコットキャラクターでしかありません。
特に、3つ子達がエレノアを熊に変えてしまったパンケーキ?をつまみ食いしてしまい、エレノア同様に熊に変化してしまった事象は、王家としては本来ならば王妃エレノアが熊に変わってしまったこと以上に問題となるべき事件であるはずです。
王妃エレノアには王位継承権がない可能性が濃厚なのに対し、3つ子達は王家の直系男子で王位継承権が間違いなく存在しているのであり、その3つ子が熊に変わってしまったということは、下手すれば王位継承の問題にも直結しかねない国の一大事となりえるのですから。
しかしその割には、作中における3つ子達の扱いは「王妃エレノアのついで」的なものでしかなく、メインの扱いには全然なっていないんですよね。
普通の流れで行けば、将来の王国の国王には3つ子達の誰かが即位することになるのですから、王妃エレノア以上に3つ子達の動向の方が本来重要事項であったはずなのですけどね。

ストーリー的には映画「おおかみこどもの雨と雪」と同じく「親子関係」をメインテーマに据えた作品ですが、中心となる視点が前半と後半で変化していった「おおかみこどもの雨と雪」に対し、今作は終始メリダの視点のみで描かれています。
その点では、こちらの方が子供向け作品であると言えるのではないかと。
なお、今作ではエンドロール後に特典映像が存在しますので、最後まで席を立たずに映画を観賞することをオススメしておきます。

映画「スリーデイズ」感想(DVD観賞)

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映画「スリーデイズ」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2011年9月に劇場公開されたアメリカ映画で、2008年公開のフランス映画「すべて彼女のために」のハリウッド版リメイク作品です。

どこにでもいる、ごく普通の両親と息子の3人家族であるブレナン一家。
いつものように朝の食事をとっていたブレナン一家を、突如複数の警官達が包囲し、妻のララ・ブレナンが殺人容疑の罪で逮捕されてしまったことから物語は始まります。
ララの夫で今作の主人公であるジョン・ブレナンは、妻の無罪を信じ3年にもわたり法廷闘争を繰り広げるのですが、1審はむろんのこと2審の裁判でも、ララの無罪を勝ち取ることは叶いませんでした。
ララの弁護人は、日本の最高裁に当たるアメリカの連邦最高裁では30年以上にわたって殺人事件を扱っていないことを理由に、判決を受け入れるよう進言します。
しかし、妻の無実を信じているジョンは当然のごとくそれを受け入れません。
しかし、もう裁判で逆転の目が全くないことは、如何にジョンと言えども覆すことのできない事実でした。
法の正義というものをまるで信じられなくなったジョンは、ここに至ってついに妻を刑務所から脱獄させ、逃亡生活を送ることを決意します。

ジョンは脱獄計画を成功させるため、過去に7回にわたって刑務所からの脱獄に成功した実績を持つデイモン・ペニントンに接触します。
彼はジョンに対し、「逃亡生活を続けることに比べれば、刑務所を脱獄すること自体は容易なことだ」と述べ、刑務所を脱獄するための極意をいくつか教えるのでした。
税関を通過できる新しい社会保障番号と偽造パスポートを揃え、逃亡のための資金を用意すること。
刑務所の官吏達は日常の業務を惰性的に行っていることから、非常時の際には隙が生まれやすいので、刑務所の様子をよく観察した上でその隙を突くこと。
逃亡の際にはアメリカと仲の良くない国に高飛びしてしまうこと。
そして何よりも、手段を問わず脱獄を成し遂げるという覚悟を持つこと。
ジョンはそれらのアドバイスを全て実行に移すべく、まずは社会保障番号と偽造パスポートを得るべく内々の活動を始めます。
最初のうちは、その手の裏稼業の人間にいくら金を積んでも、ただ金を奪われた挙句に暴力を振るわれるだけの結果に終わるのみで、なかなか目的のブツを手に入れることができません。
しかしそれでも、相場の2倍近い金をかけた末に、何とか家族全員が逃亡するのに必要な3つの社会保障番号と偽造パスポートを揃えることに成功します。
ただ、そのための代償は決して少ないものではなく、なけなしの資金も底を尽きることになってしまいます。
さらには、有罪が確定したララが、3日以内にこれまでの刑務所とは全く別の遠い場所にある刑務所へ移送されるとの情報が、面会したララからもたらされるのでした。
窮地に追い込まれたジョンは、ついに強硬手段を取ることを決意するのですが……。

映画「スリーデイズ」の最も皮肉で面白いところは、無実の妻ララを救うために有罪確実の犯罪を重ねていかなければならないという夫ジョンの立場ですね。
彼は妻を助けるために脱獄の準備を進め実行するのはもちろんのこと、資金難から麻薬密売組織のアジトを襲撃し、その構成員を2人も殺害して札束を奪ってしまいます。
必要に迫られ、また相手が麻薬密売グループとはいえ、立派な強盗殺人ですし、無実の妻を助けるために自分が罪を重ねるというのは本末転倒ではないか、とは思わなくもなかったですね。
もちろん、ジョンにしてみれば、2審でも有罪判決な上に再審の道も断たれたことで妻を助ける方法が他になくなってしまったわけですし、アメリカの社会システムそのものに絶望を抱いていたというのが正直なところではあったのでしょうが、それでも自ら強盗殺人を犯すというのは、当人にとっても「ルビコン川を渡る」的な心境ではあったのではないかと。
ジョン自身、強盗殺人を犯したことで「もう引き返せない」「ここで手をこまねいていたら何もしなくても全てを失う」という覚悟を抱かざるをえなかったでしょうし。
妻を見捨てて息子と2人だけで人生をやり直す、という選択肢も、ジョンにとっては論外なシロモノだったでしょうからね。
この「覚悟の描き方」というのは結構上手い部類に入るのではないかと思います。

制限時間が課せられ、一刻の猶予もない脱獄作戦は、全体的に紙一重的に警察の包囲網を掻い潜りつつ、時間が経てば経つほどに敵を罠に嵌める余裕が出てくるというパターンで進行していきます。
ジョンやララにとっての一番の難所は、一番包囲網が厚く隙を見出しにくい監視下の病院だったということになるのでしょう。
ある程度距離を離しての心理戦であれば、ある程度頭を使えば何とかすることもできるわけですが、警察を直接相手取っての逃亡劇となると、「逃げ方をどうするか?」以外の智恵など活用のしようがないわけです。
ジョンもララも別に武芸の達人というわけではなかったのですから、警察に捕まったらその場で一巻の終わりだったのですし。
この辺り、主人公が超人やスパイアクション系の凄腕工作員でないのがよく出ていますね。

個人的に少し御都合主義的に思えたのは、片道20分以上もかかる動物園に息子が行ってしまった件で、迎えに行くかどうかであれだけド派手に揉めたにもかかわらず、そのことで他者から警察へ通報が行くでもなく、またいともあっさりと息子を迎えにいくことが出来てしまった点でしょうか。
高速道路?とおぼしき場所でアレだけ危険運転でスピンしまくっていたら、他の通行人に対して目立ちまくり&大迷惑かけまくりなわけですし、通報が行かないほうが変だと思うのですが。
また、警察も「2人は子供の場所へ向かうだろう」と目星をつけていた割には、時間をかけまくって揉めにもめていたジョンとララ相手に後れを取ってしまい、結局3人を逃がす羽目になっていましたし。
個人的には、あの揉めていた時間は充分に致命傷たりえましたし、警察が先回りする時間くらいのロスは普通にあったのではないかと思えてならないのですが。
デイモン・ペニントンの「脱獄の心得」を見事に無視した上での行動でしたし、アレで助かるというのは少々御都合主義的な感が否めないところですね。

アクションはやや地味ながらも、手に汗握るサスペンス的な面白さはなかなかのものではないかと思います。

映画「崖っぷちの男」感想

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映画「崖っぷちの男」観に行ってきました。
「アバター」「タイタンの戦い」「タイタンの逆襲」に出演しハリウッドスターの仲間入りを果たしたサム・ワーシントン主演のアクション・サスペンス作品。

アメリカ・ニューヨークにあるルーズヴェルト・ホテル。
ある日、ウォーカーなる男がそのホテルの21階にある「眺めの良い一室」にチェックインの手続きを行いました。
部屋までの案内を行ったルームサービスを遠ざけ、朝食を済ませた男は、開閉式の窓枠を越え、わずか30㎝の縁に立ち、そこから飛び降りる素振りを見せます。
下の路上を歩いていた通行人が男の存在に気づき、ただちに警察に通報。
周囲はたちまちのうちに野次馬と警察がごった返すこととなり、ニューヨークの街は騒然となります。
何故男はこのような公開投身自殺みたいな騒動を引き起こしたのか?
その原因は、事件から遡ること1ヶ月前にありました……。

ホテルにチェックインする際に名乗った「ウォーカー」という名前は実は偽名で、今作の主人公である彼の正体は、ニック・キャシディという名のニューヨーク市警の元警察官。
彼は、デイヴィット・イングライダーという実業家兼ダイヤモンド王から、時価4000万ドルにも上るダイヤモンドを盗んだ罪で逮捕され、懲役25年の実刑判決を受けて投獄されていたのでした。
しかし彼は、自身の罪が全くの濡れ衣であり、自分の無実を晴らすことを決意します。
おりしも、彼の父親フランク・キャシディの寿命がもう長くないとの連絡が刑務所にもたらされ、ニックはかつての警官時代の相棒だったマイク・アッカーマンの好意によって、監視付きながら葬儀の出席を許可されます。
そしてニックは父親の葬儀の席上、突如弟ジョーイ・キャシディと殴り合いの喧嘩をやらかしたかと思うと、制止に入った警官のひとりから拳銃を奪い、自身にかけられた手錠を外させて車を奪い、その場から逃走を始めたのです。
警察側も慌てて追っ手を差し向けるのですが、ニックの方が一枚上手だったようで、ニックは列車を利用して追跡者の手から逃れ行方を晦まします。
そして彼は、プレハブ?のアジトらしき場所で荷物をまとめ、ルーズヴェルト・ホテルへと向かったのでした……。

ニックの自殺と、それに伴う通行人の犠牲者が出ることを避けるために、ニューヨーク市警が周囲の道路を封鎖する中、ニューヨーク市警の交渉人ジャック・ドハーティがニックの自殺を思い止まらせるべく交渉に当たります。
ところがニックはそれに対し、リディア・マーサーという名の女性交渉人としか話すつもりはない、30分以内に彼女を呼んでこなければここから飛び降りると明言します。
リディアは1ヶ月前、ニューヨークにあるブルックリン橋から投身自殺をしようとする警官との交渉に当たったものの、説得に失敗して警官の生命を救うことができなかったことに深い傷を負っていました。
しかし、今更選択の余地のないニューヨーク市警は、眠りこけていたリディアを電話で叩き起こし、ただちにルーズヴェルト・ホテルの現場へ急行し交渉の任に当たるよう指示することになります。
新たな交渉人としての任を受けたリディアは、ニックを相手に丁々発止の駆け引きじみた交渉を開始することになるのですが……。

映画「崖っぷちの男」は、上映時間102分の最初から最後まで緊迫したシーンが続きます。
作中で展開される主人公達の言動全てに伏線や意味が含まれており、また最初は何も分からない主人公達の目的や意図が、ストーリーが進むにしたがって少しずつ解明されていく過程の描写はなかなかの面白さです。
実はニックは、自身の冤罪を晴らすために、デイヴィット・イングライダーから盗んだとされるダイヤモンドを必要としていました。
デイヴィット・イングライダーは「ニックからダイヤモンドを盗まれた」と主張しており、そのダイヤが見つからないことから、ダイヤの時価総額である4000万ドルの保険金を保険会社から受け取っていたのです。
しかし、そのダイヤがデイヴィット・イングライダーの元から見つかったとなれば、デイヴィット・イングライダーの主張は覆され、ニックにかけられた冤罪を晴らすことができるのです。
そして、デイヴィット・イングライダーが所持すると思われるダイヤモンドは、ルーズヴェルト・ホテルのちょうど向かいに位置するビルの中にありました。
そのためニックは、一方では投身自殺を装い衆人環視の目をルーズヴェルト・ホテルに向けさせる一方、弟のジョーイ・キャシディと弟の恋人であるアンジーの2人をビルに潜入させ、ダイヤを奪いその所在を明示することで自らの潔白を証明しようとしていたのでした。
この中で一番負担の重い役割を担っていたのは、やはり何といってもニックだったでしょうね。
何しろニックは、一方ではリディアをはじめとする警察達への対応に追われる一方、他方ではジョーイとアンジーのダイヤ奪取のサポートまで行わなければならなかったのですから。
これほどまでの難行を見事にこなしてのけるニックは、一介の警察官にしておくには惜しい人材であると言えます。
すくなくとも、CIAの特殊工作員の類くらいなら充分にやっていけるだけの手腕は確実にあるでしょうね。

個人的にサプライズだったのは、一連のサスペンス劇が実はルーズヴェルト・ホテルにニックが入った時から文字通り始まっていたことがラストに判明することですね。
ニックがホテルの21階の部屋に案内されていた時のルームサービスが何とニックの仲間のひとりであることが物語後半に判明します。
しかもその人物は、序盤で葬儀まで行われていたはずのニックの父親フランク・キャシディであることがラストで明らかにされるのです。
ということは、ニックが脱獄を果たすきっかけとなったあの葬儀の場面からして、実は最初から仕組まれていたことになるわけです。
ニックの無実を晴らすためとは言え、どれだけ遠大な計画を立てていたというのでしょうかね、キャシディ一家は。

サスペンス物が好きな方はもちろんのこと、アクションもある程度は盛り込まれていますので、そちらの方面が好みという方にもオススメできる一品です。

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