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カテゴリー「2011年」の検索結果は以下のとおりです。

映画「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」感想

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映画「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」観に行ってきました。
往年のSF映画「猿の惑星」の全く新しいシリーズとして位置付けられる、「猿の惑星」誕生のエピソードを扱った作品。
今作の監督を務めたルパート・ワイアットによれば、「他の映画との関連はなく、オリジナル・ストーリーである」とのことだそうで、2001年公開のリメイク映画「PLANET OF THE APES/猿の惑星」とも無関係っぽいですね。
アレのラストと今作のエピソードは繋がるかなぁ、と考えていたりしていたのですが。
ちなみに「猿の惑星」シリーズで私が観賞したことのある作品は、1968年版「猿の惑星」と1970年公開映画「続・猿の惑星」、および前述の「PLANET OF THE APES/猿の惑星」の3作品になります。

物語は、サンフランシスコの製薬会社ジェネシスの研究所に勤める主人公ウィル・ロッドマンが、アルツハイマー病に効果のある新薬「ALZ112」の開発に成功したところから始まります。
ウィルがその「ALZ112」を1匹のメスのチンパンジーで臨床試験を行ったところ、人間レベルのパズルを解いてしまうなど、飛躍的な知能の発達が見られ、これに自信を得たウィルは、上司であるスティーブン・ジェイコブスを説き伏せ、更なる研究開発費を捻出するための株主総会だか役員会だかで研究についての演説を行います。
ところがその最中、件のチンパンジーが研究所内で突如暴れ出し、警備員に射殺されてしまうのです。
当然、話は全てご破算となってしまい、さらに研究所内のチンパンジーは全て殺処分されてしまうことになってしまいます。
実は暴走したメスのチンパンジーはひそかに赤子を身篭っており、子供が傷つくことを恐れての暴走だったのでした。
会社の規則によれば、当然この赤子も殺さなければならなかったのですが、ウィルの同僚であるロバート・フランクリンは、既に12匹もの猿を殺処分していたこともあり殺害を拒否。
結果、ウィルが密かに赤子の猿を自宅に持ち帰り、ウィルの父親でアルツハイマーを患っているチャールズ・ロッドマンが猿に好意を示したこともあり、「シーザー」と名付けて面倒を見ることにしたのでした。
ちなみに、ウィルが対アルツハイマーの新薬開発に勤しんでいる最大の理由は、この父親の存在にあったりします。

それから3年後。
家の中を所狭しと駆けずり回るほどに成長したシーザーは、新薬の臨床実験が施された母親の遺伝子を受け継いだためか、20通り以上の手話が理解できるなど、猿としては類稀な知性を発揮し始めていました。
そんなシーザーの様子を見て新薬の効果に確信を持ったウィルは、会社から密かに「ALZ112」を持ち帰り、アルツハイマーが悪化して隣人とトラブルを引き起こして家庭不和の要因にもなっていた父親に投薬します。
すると、父親の症状は劇的な改善を遂げたばかりか、知能の向上まで見られるほどの回復を示したのでした。
しかし、「ALZ112」は永続的な効果をもたらすものでなく、5年後、父親のアルツハイマー症は再び悪化の一途を辿り始めます。
そして父親は、隣人の車に無断で乗り込んで動かし始め、前後の車にぶつけまくる行為をやらかし、再び隣人とトラブルを引き起こしてしまいます。
それを助けようと家を飛び出し、隣人に襲い掛かるシーザー。
結果、シーザーは裁判所の命令により、類人猿保護施設に収容されることとなり、育ての親であったウィルと離れ離れになってしまうのでした。
ウィルはシーザーを取り戻すべく奔走しつつ、父親のアルツハイマー病を完全に治癒できるさらに強力な新薬「ALZ113」の開発に着手するのですが……。

映画「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」では、ウィルが開発している新薬が物語的に重要な役割を担っています。
猿の知能を飛躍的に向上させるというだけでなく、人間に対してはペストレベルの伝染性病原菌ウィルスとして機能することにより、人間が衰退する一助をも担ってしまう、という設定だったりします。
物語序盤に登場する新薬「ALZ112」にはそこまでの毒性はないのですが、「ALZ112」の効果を無効にしてしまう人間の抗体を抑えつけることを目的に新たに開発された「ALZ113」は、猿には副作用なしでプラスになるものなのに、人間は数日で死に至らしめる毒にしかならないわけです。
ラストで「ALZ113」のウィルスに感染したと思しき隣人の男が空港で1滴の血を流し、かつ発着予定の航空便に「ニューヨーク行き」の文字が出てきたところは、「猿の惑星」1作目を彷彿させると共に暗い未来を暗示するものではありましたね。
この世界で猿が人間に取って代われるであろう最大の要素は、猿の知能が高まったこともさることながら、「ALZ113」の(人間にとっての)致死性が大きな役割を果たすであろうことはまず間違いないでしょうね。
作中でサンフランシスコの街を我が物顔で走り回り、ゴールデンゲートブリッジを封鎖していた警官隊を潰したとはいえ、それでも人間社会がマトモに機能していれば、近代的な兵器を有する人間相手に猿達が最終的に勝利できるわけもないのですから。
往年の「猿の惑星」シリーズでネタにされていた全面核戦争なんて、当時の米ソ冷戦時代ならともかく、現代ではあまり現実味がないですからねぇ。

それにしても、新薬の開発に邁進するウィルを、まるである種のタブーに触れるかのごとく何度も諌めようとするキャロライン・アランハの描写は、良くも悪くもキリスト教的な価値観を微妙に引き摺っているような感がありましたね。
猿の知能を飛躍的に向上させる新薬の存在が「神の怒りに触れる」と畏れていたのか、猿が高度な知能を持つことそれ自体を脅威と感じたのかは作中からは読み取れないのですが、欧米人がロボットを敵視する感情と何となく共通する要素を感じたものでした。
ただ、ウィルはそれでも「ALZ113」は人体にどんな影響があるか不明だから慎重に実験を繰り返すべしとのスタンスを示していただけ、「ALZ113」の効果に狂喜乱舞した挙句に暴走しまくっていたジェネシス社のスティーブン・ジェイコブスよりはまだマシではあったのですが。
良かれと思って作った自分の新薬が人類社会に最悪の打撃を与えることになるとウィルが知った時、彼は一体どんな絶望的な顔をするのでしょうね。

「大人の事情」で製作中止、という事態にでもならない限り、続編は間違いなく製作されることになるのでしょうが、一体どんな悲惨な未来が人類社会に襲い掛かることになるのでしょうか。
往年の「猿の惑星」もやたらとショッキングなストーリーでしたし、続編がとても気になる作品ではありますね。

映画「ワイルド・スピード MEGA MAX」感想

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映画「ワイルド・スピード MEGA MAX」観に行ってきました。
高級車を惜しげもなく投入した、派手でスピード感溢れるカーアクションが売りの「ワイルド・スピード」シリーズ第5弾。
日本におけるこの映画の正式な劇場公開日は2011年10月1日なのですが、9月23日~25日の連休3日間は先行上映期間となっており、今回は一足先に映画観賞することとなりました。
なお私の場合、「ワイルド・スピード」シリーズで観賞したことがあるのは前作「ワイルド・スピード MAX」のみで、他の過去作品は未観賞だったりします。

物語冒頭は、前作のラストで主人公ドミニク・トレットが懲役25年の実刑判決を受け、刑務所へ収監するため護送される途上にあった大型バスを、ドミニクの妹ミア・トレットと元FBI捜査官ブライアン・オコナーらで構成される仲間達が襲撃して脱獄させるシーンから始まります。
首尾良くドミニクの脱獄を成功させたミアとブライアンは、ブラジルのリオデジャネイロへ逃亡、昔の仲間だったヴィンスの元で匿われることになります。
逃亡生活のための資金を欲していたブライアンは、ヴィンスから「簡単な仕事がある」と誘われ、麻薬取締官によって応酬され、疾走する列車に格納されている自動車2台を盗むミッションに、暫定的な仕事仲間となる窃盗団と共に挑むことになります。
そのミッションの途中でブライアンとミアは、脱獄後一旦別行動をとっていたドミニクと再合流します。
窃盗作業の方は順調に進み、まずは1台目の押収車が列車から脱出、次いでミアが押収車の片割れであるGT40に乗り込んで列車からの離脱を果たし、これでミッションは危なげなく終了するかに思われました。
ところがその直後、それまで手を組んでいた窃盗団が突如ドミニクとブライアンに襲いかかり、両者の間で同士討ちが始まってしまいます。
さらにその騒動に気づいた、押収した自動車を護送していた麻薬取締官が加わり、3つ巴の大混戦状態に。
何とか危機を脱して川に飛び込んだドミニクとブライアンですが、そこへ、まるで待ちかまえていたかのように現れた別働隊によって彼らは拉致されてしまいます。
囚われの身となった彼らの前に現れたのは、リオデジャネイロを表と裏の両面で牛耳っている実業家レイエス。
レイエスはドミニクとブライアンに対し、車のありかを教えるよう脅迫するのですが、2人は当然のごとく要求を拒否し、監視者達をあっさり制圧して脱出してしまいます。
脱出後にGT40を調べてみたところ、レイエスの闇金の流れを記録したマイクロチップが隠されていたことが判明します。

一方、ドミニクに脱獄されてしまったアメリカでは、一連の騒動でドミニク達がリオデジャネイロ内に潜伏している事実を掌握、彼らを捕縛するためのFBI捜査官チームをブラジルへ派遣することを決定します。
リオデジャネイロに派遣されたのは、海外での捜査活動で高い評価を持つルーク・ホブス率いるFBI捜査チーム。
リオデジャネイロ到着後、現地の警察署をまるで信用していないルーク・ホブスは、過去の経歴から「誰にも買収されない」と目した女性警察官であるエレナ・ニベスを助手につけると、すぐさまドミニクとブライアン達の隠れ家を強襲し捕縛しようとします。
しかし、そこでは一足早く、GT40のマイクロチップを強奪せんとするレイエス一派が襲撃を開始しており、リオデジャネイロのスラム街を舞台にまたもや3つ巴の戦いが始まることになります。
大混戦の末、辛くもその場を離脱したトレット兄妹とブライアンの3人ですが、リオデジャネイロの大ボスとアメリカFBIという2つの大組織から追われる身となった彼らは、自分達の前途に不安を覚えるようになります。
ここでさらに、ミアがブライアンの子供を妊娠していることが男2人に告げられ、「家族が増えるな」というドミニクの声と共に喜びを噛み締め抱き合う3人。
そして彼らは、奪取したマイクロチップの情報を元に、レイエスがこれまで蓄財していた現金1億ドルを全て奪取し、そのカネを元に永遠の自由を手にすることを決意します。
かくして目的を達成すべく、気心の知れた仲間達を集めてドリームチームを結成し、常識破りの作戦を駆使したカーアクションと頭脳戦が始まることになるのです。

ブラジルのリオデジャネイロを舞台に繰り広げられる映画「ワイルド・スピード MEGA MAX」のアクションシーンは、とにかく「ド派手」の一言に尽きます。
その中でも一番のハイライトは、やはり何と言っても予告編でも明示されていた「スペック的にも桁外れに頑丈な金庫を破壊の武器として利用するカーアクション」ですね。
建物も車もその他ありとあらゆる障害物も次から次に薙ぎ払っていくあの金庫の凄まじい破壊力と爽快な描写だけでも、この映画を観賞する価値は十二分にあるのではないかと。
ラストの「オーシャンズ11」ばりの大どんでん返しと、そこに繋げるための伏線も良く出来ており、カーアクションのみならず頭脳戦系のストーリーとしても秀逸と言える構成です。

ただ、予告編では「最後の仕事」だの「ファイナルラップ」だのといった言葉が飛び交い、今作がいかにも「シリーズ完結作」と言わんばかりの雰囲気を作り出していたにもかかわらず、事実は全くそうなっていないんですよね。
スタッフロールまではまさにそういう雰囲気で終わるかに見えましたし、「ああ、これでこのシリーズも完結か」と私もつい考えていたのですが、スタッフロール後に出てくるルーク・ホブス絡みの描写でそれは完全に消え去ってしまいました。
新たに発生した襲撃事件が、前作で死んだはずのドミニクの関係者によって引き起こされたことが明らかになるんですよね。
どう見ても続編を作る気満々なようにしか見えませんし、今作は既にシリーズ最大の興行収益をアメリカその他の国々で収めているようですから、すくなくとも人気&予算不足で製作打ち切りということにはまずならないでしょう。
シリーズ開始から今年で10年、既に5作目を数えるほど作品としては長丁場になっているのですが、いつになったら本当に完結するのでしょうか、「ワイルド・スピード」シリーズは。
映画ファンとしては、シリーズがまだ続くことに嬉しくなるのか、「ここで終わらせておけば良いのに」と考えるのか、微妙なところではあるのですけどね。

カーアクションが好きという方、またハリウッド映画のド派手で爽快な描写が好きという方にはイチオシの映画ですね。

映画「グリーン・ランタン(3D版)」感想

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映画「グリーン・ランタン(3D版)」観に行ってきました。
宇宙の平和を守る「グリーン・ランタン」に選ばれた地球人ハル・ジョーダンを主人公とする、アメリカDCコミック原作のアクション作品。
この作品は3D版のみの上映だったため、余計な3D料金を支払って泣く泣く3Dでの観賞となりました(T_T)。

惑星オアを中心に、全宇宙を3600のセクターに分け、各セクターに1人の選ばれた隊員を配備して宇宙の平和の維持に当たらせている宇宙警察機構「グリーン・ランタン」。
その「グリーン・ランタン」における伝説の戦士アビン・サーによって、かつて無人の惑星に封印されていた最も危険な敵・パララックスが、惑星調査に訪れた「グリーン・ランタン」の隊員達の力を吸収し、封印を破って逃走してしまったところから物語は始まります。
パララックスは、自分を倒し封印したアビン・サーの居場所を突き止めて奇襲を仕掛け、アビン・サーは致命傷を負わされ、半死半生の態でかろうじて逃れ、地球に不時着します。
自らの死期が近いことを悟ったアビン・サーは、自分に代わる新しい「グリーン・ランタン」の隊員を新規に選出すべく、自分が持つパワーリングに素質を持つ地球人を探索させるのでした。
一方、今作の主人公ハル・ジョーダンは、過去に戦闘機乗りだった父親を事故で亡くしたことにトラウマを抱いている、父親と同じ戦闘機乗りのパイロット。
彼は自動制御機能を持つ無人戦闘機のテストパイロットに選出され、逆に無人戦闘機の弱点を突いて撃墜するという戦果を挙げることに成功するのですが、その際、過去のトラウマが原因で自機を墜落・大破させるというミスを犯してしまいます。
周囲から散々責任を問われつつも、トラウマが失敗の原因という事実を否定するハル・ジョーダン。
しかし、そんな彼をアビン・サーのパワーリングは選出し、瀕死の状態にあるアビン・サーの元へ強制転移させるのでした。
死に逝くアビン・サーに「グリーン・ランタン」としての資格と力の源であるパワーリングを託されるハル・ジョーダン。
当然のことながら、当のハル・ジョーダンは最初は何が何だか分からず混乱を来たすわけですが、ふとしたきっかけから突如パワーリングの力が発動し、彼はそのまま「グリーン・ランタン」の本拠地である惑星オアへ飛ばされることになります。
彼はそこで、「グリーン・ランタン」の歴史と使命について知ることになるのですが……。

主人公含めた「グリーン・ランタン」には、スーパーマンのような肉体的超人能力と共に、自らの意思で擬似的に物を生成する特殊能力が備わっています。
後者は、たとえば剣やガトリングガンなどの武器を生成して戦いに使用したり、壁やシールドを使って敵からの攻撃を防御したり、鎖で敵を縛ったりするなどの用途が作中で披露されています。
使い勝手は意外に良さげな能力ですね。
もっとも、生成した物体は持続時間がかなり限られているようですから、基本的には「使い捨て」にしかできないのですけど。

映画「グリーン・ランタン」は、「恐怖を克服する主人公」を描くことに大きなウェイトが置かれているためか、アクションが比較的あっさりしているような印象がありますね。
最強の敵にしてラスボスでもあるパララックスの描写が全体的にあっさり気味ですし、長年封印まで施されていた存在にしては、ラストは太陽に誘い込んで滅ぼすというあっけない最期を遂げていたりします。
太陽なんて広大な宇宙にはそれこそ星の数ほど存在するわけですし、また宇宙空間における行動も容易に行える「グリーン・ランタン」であれば、あの程度の作戦など造作もないことでしかなかったのではないかと。
「グリーン・ランタン」になり立ての新人でしかなかったハル・ジョーダンにすら実行しえた作戦が、組織としての「グリーン・ランタン」にとって至難だったとは思えませんし。
アレのどこが「【グリーン・ランタンにとっての】最大の脅威」と言えるシロモノだったのか、正直疑問に思えて仕方がありませんでした。
にもかかわらず、ただひたすら芸のない正面決戦を挑んでは簡単に返り討ちにされてしまう「グリーン・ランタン」の面々が、何とも歯痒くてならなかったですね。
パララックスは、地球人にとっては確かに何の対抗手段もないかもしれませんが、「グリーン・ランタン」にとっては頭を使えばいくらでも対抗手段を見出せる存在にしか見えないのですが。

あと、スタッフロールが始まった後に出てくる描写を見る限り、明らかに続編があるような終わり方をしていますね。
実際に続編が出るのかどうかは分かりませんが。

映画「サンクタム(3D版)」感想

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映画「サンクタム(3D版)」観に行ってきました。
「タイタニック」「アバター」のジェームズ・キャメロン製作総指揮のアドベンチャームービー。
この作品は私の行きつけの映画館では3D版しか上映されておらず、当然のごとく3D版での観賞となりました。
圧倒的大多数の3D映画と同じく、3D特有の演出や描写は相変わらず皆無と言っても良いレベルでしかないので、もし2D版を選択できるのであればそちらを観賞することをオススメしておきます。

物語の舞台は、パプアニューギニアの密林地帯の真っ只中にぽっかりと空いた大穴のような外形を持つ巨大洞窟エスペリト・エサーラ。
そこでは、青年実業家カールの援助の下、ベテランの洞窟探検家として名を馳せているフランクをリーダーとする数人の調査隊が大掛かりな機材を持ち込み、地下水路のダイビング調査を行っていました。
物語は、カールが恋人のヴィクトリアを連れ、フランクの息子であるジョシュの案内で洞窟にやって来たところから始まります。
しかし、彼らが着て早々に、フランクはジュードという女性と一緒に地下水路へと潜り、大空洞を発見することに成功するのですが、その直後にジュードの酸素ボンベに異変が生じ、ジュードはそのまま窒息死という末路を辿ってしまいます。
一挙に暗い雰囲気に包まれてしまう調査隊一同。
しかもそこへ追い討ちをかけるがごとく、エスペリト・エサーラ周辺にサイクロンが襲来。
大雨による鉄砲水に、洞窟唯一の出口を塞がれてしまい、さらに調査隊メンバーのひとりが鉄砲水の犠牲となってしまいます。
生き残った調査隊のメンバー達は、地下水路が海に繋がっているのではないかというフランクの意見に従い、洞窟から脱出すべく、先刻発見した大空洞のさらに奥へと向かっていくことになるのですが……。

映画「サンクタム」の登場人物達は、状況判断の甘さから災難を招いているところが多々あります。
サイクロンが近づいていると事前に警告されていたにもかかわらず、「まだ数日は大丈夫」と早期退去の決断を下さず事なかれ主義に徹するフランク。
洞窟に閉じ込められるという非常事態にもかかわらず、「死人が着用していた潜水用スーツなど着たくない」とワガママばかり主張し、物語中盤でもフランクからの忠告を無視して結局死んでしまうヴィクトリア。
彼らに降りかかった災難には、自業自得的な要素もかなりあったのではないかと思えてなりませんでした。
特にフランクは、過去の洞窟探検でも「自動車のサイドブレーキをかけ忘れる」という「うっかりミス」をやらかして窮地に陥っていたというエピソードが語られていましたし、こいつがもっとしっかりしていたらそもそも調査隊が危機に陥ること自体が避けられたのではなかったのかと。
まあ今作のストーリーは、ジェームズ・キャメロンの仕事仲間で洞窟探検家でもあるアンドリュー・ワイトの「洞窟に閉じ込められた体験談」を元に作られたそうなので、良くも悪くも「現実的」ではあるのでしょうけど。

また、映画「サンクタム」は、日本では本来2011年4月22日に劇場公開となるはずだったのですが、映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」と同じく、東日本大震災に伴う「自粛」という名の人災によって5ヶ月近くもの延期を余儀なくされています。
今回の場合は、予告の内容からして「水難事故」や「水にまつわる死」というものが描写されるであろうことが事前に予測できたわけで、「世界侵略:ロサンゼルス決戦」の時と違って理由自体は最初から明確だったのですが。
実際、作中ではしばしば水死体が出てきますし、致命傷を負い手の施しようもなく苦しんでいる仲間を楽にするために【あえて】窒息死させるという場面も2回ほどあったりします。
今作が「自粛」のターゲットにされたのは、そういった描写が嫌気されてのことだったのは想像に難くないでしょう。
ただ、それでも私的には、そんなある意味「キツい」描写を盛り込んでいながら作品自体がPG-12やR-15指定されなかったことに疑問を感じることはあっても、やはり「自粛」まですべきではなかったと思えてならないのですが。

今作は、ジェームズ・キャメロン製作作品の中ではかなり暗い部類に入る映画と言えるのではないかと。
「タイタニック」「アバター」のような恋愛要素も全くありませんし。
ただ、洞窟の脱出劇自体は手に汗握る展開が続くので、アドベンチャー的な冒険活劇が好みという方にはオススメですね。

映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」感想

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映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」観に行ってきました。
エイリアン達による地球侵略に立ち向かうアメリカ海兵隊員達の戦いを描いたSFアクション作品。
人が血を流して死ぬ描写や、宇宙人を解体するシーンなどが作中に存在するため、この作品はPG-12指定されています。

この作品は本来、日本では2011年4月1日に劇場公開となる予定だったのですが、東日本大震災における「震災自粛」という名の人災の煽りを食らって劇場公開が延期となってしまい、9月になってようやく公開の運びとなりました。
何故この映画が「震災自粛」の対象にされたのか、当時から私は疑問に思っていたのですが、今回映画を観賞してその理由があっさり分かりました。
物語の序盤で、エイリアン達が地球に隕石?を落下させて地上を攻撃するシーンが続くのですが、その隕石落下の際に発生した津波に民間人が巻き込まれる描写が存在するんですよね。
時間にして僅か10秒あるかどうかの描写で、メインの描写とは到底言い難いシロモノだったのですが、「ああ、これが震災自粛のターゲットにされた最大の理由か」と納得せずにはいられませんでしたね。
何しろ、「スマトラ沖地震の大津波が作中で描写されている」というだけで公開が中止になった、映画「ヒアアフター」という前例がすでにあるわけですから。
また、同じロサンゼルスが舞台で、かつエイリアンの地球侵略を描いている映画「スカイライン-征服-」には津波の描写がなく、同じ6月公開で「自粛」させられた映画もある中で「自粛」の対象になっていなかったわけなのですから、これが理由だったのは確実でしょうね。
つまり映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」は、作中僅か10秒あるかどうかの津波描写【だけ】のために、実に5ヶ月以上にわたる劇場公開の「自粛」を余儀なくされてしまったわけです。
典型的なまでの「言葉狩り」としか言いようのない、山本弘のダブスタ作品論ばりにバカげた理由の「自粛」としか言いようがないではありませんか。
それで被災者達が救われたのかと言えば、当然のごとくそんなことは全くなかったわけですし、映画ファンとしては何とも傍迷惑な話としか言いようがないですね(>_<)。
そんな「自粛」の類など、当の被災者達ですら望んでいたとは到底思えないのですが。

物語冒頭は、エイリアン達に侵略されたロサンゼルスに海兵隊員達が軍用ヘリで接近するシーンから始まり、それから24時間前に遡って各海兵隊員達のエピソードが語られていきます。
予告編では1942年2月25日に発見された未確認飛行物体にアメリカ軍が応戦した「ロサンゼルスの戦い」や、その後各都市に現れたUFOの目撃譚などが語られていたはずなのですが、映画本編にはそれらを想起させるような描写は全くありませんでした。
主人公となるのは、かつて出征で部隊を率いながら、4人の部下を死なせてしまった過去を持つ初老の海兵隊員マイケル・ナンツ二等軍曹。
彼はエイリアン侵攻直前に、老齢であることと過去の負い目から退役届けを上層部に提示しており、そのことを理解している上司によって受理されています。
しかしその頃、世界は地球接近4時間前になって突然発見された隕石群の存在に騒然となっていました。
世界各地に落下していく隕石群。
しかしそれらの隕石は、落下直前に謎の減速をすることと、全てが同一規格的な形体をしていたことから、アメリカ軍はこれを侵略行為であると喝破し、軍が召集されます。
当然、マイケル・ナンツ二等軍曹が所属するロサンゼルス近郊に駐屯している海兵隊にも出撃命令が下され、退役間近の彼もまた、士官学校を首席卒業してこれが初陣というウィリアム・マルティネス少尉が指揮する海兵隊2-5部隊の副隊長的なポジションで出陣することになります。
海兵隊2-5部隊の任務は、ロサンゼルス西警察署に今なお取り残されている民間人の救出。
しかしそこは同時に、ロサンゼルスを制圧したエイリアン達の勢力圏内でもあり、当然のごとく激しい戦いが予想されるわけです。
かくして、全世界でエイリアン達による総攻撃が行われる中、ロサンゼルスの街を舞台に民間人達の避難誘導を任務とする海兵隊員達の活躍が描かれることになります。

映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」では、似たようなコンセプトで先行して上映された映画「スカイライン-征服-」が明らかに元ネタにしているであろう描写が複数箇所に存在します。
助けを求めてやって来た軍用ヘリが、主人公達の眼前でエイリアンに撃墜されてしまうシーンと、エイリアン達の司令塔的な存在とおぼしき宇宙母艦?にミサイルが飛んでいくシーンなどはまさにその典型で、「確かにこれは酷似しているなぁ」と思わずにはいられませんでしたね。
まあ、両作品共に同じ「ハイドラックス」という会社がVFXの製作を手掛けているわけですから、似たり寄ったりな描写になるのも当然と言えば当然なのかもしれないのですが。
今作を配給しているコロンビア映画の親会社であるソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント社が「ハイドラックス」を非難したのもむべなるかな、といったところでしたね。
ただ、エイリアン達の強さという点では、今作よりも「スカイライン-征服-」のエイリアン達の方が圧倒的な強さを誇っていますね。
あちらは司令塔の宇宙母艦に核ミサイルが炸裂してさえも1日程度で回復していたのに対し、今作では通常の弾道ミサイル?が当たれば簡単に無効化できるのですから。
また、「スカイライン-征服-」のエイリアンは自身が特殊能力を身につけており、自分で空を飛んだりするのに対し、「世界侵略:ロサンゼルス決戦」の方は肉体的に人類より強靭な部分もあるものの弱点も存在しますし、また自動歩行する小型の戦車モドキや無人飛行体に侵略のサポートをさせていたりします。
この辺りの違いは、エイリアン達の圧倒的な強さと人類の無力さを描くのがメインであろう「スカイライン-征服-」と異なり、海兵隊が最終的にエイリアンを倒さなければならないところから来ているのでしょうけどね。

良くも悪くも、アメリカ海兵隊にメインスポットを当てた作品、と言えるでしょうか。
ただ、作中の映像は「カメラマン自身も走りながら撮影している」的なものが多いため、ややブレが多く少々観辛いところがあるかもしれません。

映画「ライフ -いのちをつなぐ物語-」感想

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映画「ライフ -いのちをつなぐ物語-」観に行ってきました。
イギリスのBBCが製作したドキュメンタリー映画作品。

この映画は、世界各国で生息している様々な動物の変わった生態を、案内人によるナレーションでひたすら紹介していく形式で進んでいきます。
ストーリー性は皆無と言って良く、代わりに「生命の強さ」というものが作品の根幹を支えるテーマとなっています。
紹介される動物は以下の通り↓

南極       ウェッデルアザラシ
日本       ニホンザル
ケニア      アフリカゾウ
コスタリカ    イチゴヤドクガエル
コンゴ      ニシローランドゴリラ
アルゼンチン   ハキリアリ
ブラジル     フサオマキザル
ケニア      ハネジネズミ
イスラエル    アイベックス
エチオピア    ヒゲワシ
ベリーズ     バシリスク
ベネズエラ    オリオフリネラ
アメリカ     ハエジゴク
マダガスカル   カメレオン
インドネシア   コモドオオトカゲ
ケニア      チーター
アメリカ     バンドウイルカ
メキシコ沖    トビウオ
メキシコ沖    バショウカジキ
リトル・ドバゴ島 アカハシネッタイチョウ
アメリカ     カイツブリ
チリ       チリクワガタ
カナダ      ミズダコ
トンガ      ザトウクジラ

紹介内容は動物によって様々。
天敵はいないが苛酷な環境で動物を産み育てる動物。
独特のやり方で獲物を捕らえたり餌を調達したりする動物。
逆に天敵から身を守るために特殊な技能を発揮する動物。
いずれも方法は千差万別ですが、「生きる」ために様々な進化を経ていった動物達が観察できます。
個人的には、高度な農耕社会モドキな社会システムを構築していたハキリアリと、断崖絶壁を巧みに駆け上がったり下りたりしていたアイベックスが印象的でした。
それ以外の動物達も「一体これどうやって撮ったの?」と言いたくなるほど、まさに「動物目線」な映像でしたね。

世界18ヶ国24箇所で70人以上ものカメラマンが3000日以上かけて撮影を行ったというだけあって、映像はなかなか綺麗で、ドキュメンタリーとしては充分に見応えのある出来です。
動物もののドキュメンタリーが好きという方には必見でしょうか。

映画「シャンハイ」感想

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映画「シャンハイ」観に行ってきました。
1941年10月~12月の大東亜戦争(太平洋戦争)勃発前夜の上海(シャンハイ)を舞台に繰り広げられる、アメリカ・中国合作のサスペンス作品。
ハリウッド映画でしばしば登場する日本人俳優・渡辺謙が主演している映画でもあります。
渡辺謙が出演している映画を私が観るのは、映画「インセプション」以来になりますね。

物語の冒頭は、何故か拷問を受けている主人公の描写から始まります。
拷問を受けた主人公が部屋に呼び出され、女の所在を尋ねる日本軍情報部の軍人であるタナカ大佐の描写が、観客には何のことか分からぬまま映し出されます。
そしてその直後に物語は2ヶ月前の始まりのシーンまで巻き戻されることになります。
この辺りの構成は、実は冒頭の描写が終盤のそれと繋がることになる映画「インセプション」と全く同じ構図だったりするんですよね。
やはり同じ渡辺謙出演作品ということで意識されでもしたのでしょうか?

冒頭の描写に繋がる事件の発端は、1941年10月頃に、主人公ポール・ソームズが上海のアメリカ諜報員として赴任してきたことから始まります。
ポールは、同じ諜報員にして親友でもあるコナーと、カジノで落ち合う約束をしていました。
ところが肝心のコナーは、スミコという女性を逃がすための車に乗り込もうとした際に何者かによって殺害されてしまい、当然のごとくカジノに来ることはできなかったのです。
代わりにポールの元に現れたのは、ひとりの中国人女性。
ポールはその女性とポーカー勝負を行うことになるのですが、ポールの掛け金がコイン50枚だったのに対し、女性は10倍の500枚を提示します。
それを挑発と受け取り、持ち金全部を掛け金にしたポールはスリーカードの9で勝負をするのですが、女性の持ち札はスリーカードのクィーン、結局見事に惨敗してしまいます。
しかし女性はその1勝負をしただけであっさりと席を立ち、その場を去っていくのでした。
その後、アメリカ領事館からの迎えでポールは海軍諜報部へと向かうことになるのですが、そこで待っていたのは殺された友人コナーの変わり果てた姿でした。
上司であるリチャード・アスター大佐から、コナーは上海の日本租界で殺害されたこと、そしてコナーが上海三合会のボスであるアンソニー・ランティンの調査をしていたこと、そしてアンソニー・ランティンが日本軍と深い関係にあることを知らされるポール。
上海ヘラルドという新聞の記者としての偽りの身分を得、ポールはアンソニー・ランティンが出席するドイツ領事館のパーティに潜入することになります。
そして首尾良くアンソニー・ランティンと直接会話する機会を得ることに成功したポールは、アンソニー・ランティンから2人の人物を紹介されます。
ひとりはアンソニー・ランティンの友人である日本軍情報部のタナカ大佐。
そしてもうひとりはアンソニー・ランティンの妻で、何よりもカジノでポールとポーカー勝負を行い敗北させたアンナ。
この4人を中心に、以後の物語は動いていくことになります。

映画「シャンハイ」は、舞台がちょうど大東亜戦争(太平洋戦争)勃発前夜ということもあり、「あの」真珠湾攻撃絡みのネタも出てきます。
作中では、殺害されたアメリカ諜報員であるコナーが、上海の港に停泊していた空母「加賀」についても調べており、またポールが上海沖にいる日本艦隊の様子を観察し、「加賀」をはじめとする9隻の船がいなくなっているという事実を確認するシーンもあります。
空母「加賀」は1941年12月の真珠湾攻撃に参加しており、この攻撃の準備のために上海沖から秘密裏に姿を消していた、という筋書きに作中ではなっているわけですね。
ただ、これにはひとつ問題があって、実はポールが「加賀」がいないことを確認した際、同時に空母「赤城」がいることも一緒に確認しているんですよね。
実は「赤城」も「加賀」と同じく真珠湾攻撃に参加しているので、真珠湾攻撃が目的だったのであれば、上海から「加賀」だけがいなくなって「赤城」は健在、ということは本来ありえないのです。
何故こんなチグハグなことが起こっているのか、という方がむしろ私的には疑問でしたね。
もっとも、ポールが上海沖の日本艦隊を確認した時、艦隊の周囲には濃い霧がかかっていましたし、遠目からの観察とならざるをえなかったことから艦種を間違っていた、また日本側も偽装工作として遠目からは艦隊に見えるような工作を施していた、という可能性もなくはないのですが……。

映画「シャンハイ」を観ていて思ったのは「作中の男性達は皆女性に恵まれてないなぁ」でしたね。
主人公ポールは奥さんと別れた経歴を持っていますし、タナカ大佐も上海赴任直前に奥さんが男を作った挙句に駆け落ちで逃げられたと告白するシーンがあります。
そして、妻帯者であるはずのアンソニー・ランティンは、妻アンナのことを(少々ストーカーじみたところはあったにせよ)熱烈に愛し、かつそのために何でもするような献身的な人物であったにもかかわらず、肝心の妻には全く愛されておらず、それどころかポールと抱擁するシーンが披露されたりする始末。
妻の安全を優先するあまり、それまで良好な関係を築いてきたはずの日本軍に牙を向いたりしていたのに、そこまでやってもアンナの愛はアンソニーに向けられることはなかったのですから、正直哀れみを誘うものがありましたねぇ。
アンナにとって、アンソニーは自分の安全と利害を守るための道具でしかなかったと言わんばかりでしたし。
アンソニーはアンナに愛されていないという自覚は当然あったでしょうし、だからこそ「(アンナに)近づく男は殺す」みたいなことをやっていたのでしょうね。
カネもあれば愛人だって囲っていたりしているのに、アンソニーはアンナのどこがそんなに気に入っていたのでしょうか?

サスペンスがメインストーリーということもあってか、アクションシーンは控えめの映画ですね。
内容はかなり複雑で政治的要素も濃いので、良くも悪くも大人向けの作品と言えるでしょうね。

映画「ツリー・オブ・ライフ」感想

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映画「ツリー・オブ・ライフ」観に行ってきました。
……しかしいきなりで何なのですが、この映画、製作者達が一体何をテーマにしたかったのかすらも意味不明な作品構成です。
一応公式サイト等の紹介によれば、1950年代のとある家族にスポットを当てた物語とのことなのですが、作中では何故か数十億年前の地球&生物の誕生、および進化の過程や恐竜などが描かれていたりします。
作中の登場人物がしゃべるセリフも非常に少なく、モノローグによる進行がメインだったりします。

この映画のストーリーはとにかく支離滅裂。
作中の冒頭は「(主人公の弟で)家族の次男が(不慮の事故か何かで)死んだ」という話から始まり、そこからしばらくは次男のものと思しき部屋や悲嘆に暮れる両親のシーンが描かれます。
そして、同じく悲報に接した壮年の男性ジャックが、高層ビルのエレベータに乗りながら昔を回想し始め、幼き日の思い出が映し出される……はずだったのですが、そこから始まったのは、この記事の冒頭で言及した数十億年前の地球&生物の誕生、および進化の過程や恐竜などだったりするわけです。
弟の死と地球創生に一体何の関係があるのかと目を皿のようにして注意深く映画を観賞していたのですが、その関連性は最後まで全く明らかになりませんでした。
もちろん、あれらの地球創生絡みの描写が、この後にメインで描写されることになる家族の話の伏線だったりキーワードだったりすることもありません。
この意味不明な描写の数々は物語終盤にも大量に盛り込まれていて、正直「何故こんな描写を入れなければならないのか?」と考えずにはいられませんでしたね。
作中では何度も聖書の文言がモノローグとして語られていましたし、おそらくはキリスト教絡みの神性を強調する意図でもあったのかとは思うのですが、それにしても抽象的かつ物語的な意味が無さ過ぎます。

しかも、その意味不明の描写を経てようやく始まった家族話自体、「次男の死」から始まっているにもかかわらず、肝心の次男についてのエピソードが圧倒的に少なく、メインの扱いには全然なっていないんですよね。
今では使用が禁止されている農薬・DDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)の屋外散布が象徴している1950年代のテキサス州を舞台に繰り広げられる家族話は、長男である主人公が生まれてから、父親の都合で他所へ引っ越すまでのエピソードが描かれているのですが、メインとなっているのは「何かと子供達に厳しく当たる父親との確執」だったりします。
しかも最後を締めるエピソードも「父親が子供達に厳しく接した理由の告白」と「父親との和解」みたいなシロモノでしたし。
これでは次男の死から回想を始めなければならない必然性自体がないとすら言えます。
冒頭の描写は、次男ではなく父親が死んだということにしていた方が、回想エピソードとの整合性が取れたのではないでしょうか?
しかも、物語を構成する各エピソードがあまりにも飛び飛び過ぎて、物語の全体像というものが非常に把握しにくい構成になっています。
まあ製作者的には「子供に厳しい父親」「それに耐える子供達」という構図を表現することを至上命題としていたのでしょうが、起承転結というものがまるでなっていないというか……。
ブラッド・ピットをはじめとする俳優さん達の演技そのものは決して悪いものではなかったのですが、意味不明な演出の数々とストーリーの支離滅裂ぶりは評価のしようがありませんね。

映画「ツリー・オブ・ライフ」は、カンヌ国際映画祭で最高の賞となるパルム・ドール賞を受賞しているとのことです。
しかし、作品としてのストーリーが全く成り立っていない感すらあったあの作品構成の一体どこに賞に値するものがあったというのか、個人的にははなはだ疑問に思わざるをえませんでしたね。
国際的な映画の評価基準というのは一体何をベースにしているのか、そもそもそういう評価自体本当に信用に値するものなのか、とすら考えてしまいましたし。

久々に「盛大にハズレている」映画を観てしまった、というのが率直な感想ですね。
私的に他人にオススメできる映画とは到底言えたものではありません。
今年観賞する映画どころか、これまでの映画観賞歴の中でもワーストクラスに数えられるであろう駄作とすら言えますね。

映画「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」感想

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映画「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」観に行ってきました。
スティーブン・スピルバーグ製作総指揮、マイケル・ベイ監督のタッグで描く、シャイア・ラブーフ主演のSFアクション超大作「トランスフォーマー」シリーズ最終章。
この作品は3D版も公開されていますが、私が観てきたのは2D&日本語吹替版になります。
なお、私は「トランスフォーマー」シリーズの前作・前々作共に映画館で観賞済みです。

物語の発端は1961年。
この年、月面の裏側(ダークサイド・ムーン)に、1隻の宇宙船が墜落します。
月面を観測していた地球は直ちにこの事実をキャッチし、調査の必要性が極秘裏に検討されるのですが、人類が初の月面着陸を実現するまでにはそれから8年もの歳月がかかることになります。
そして1969年7月20日、アポロ11号による人類初の月面着陸が達成され、アメリカ国民が歓呼の声に沸き返る中、アポロ11号の乗員達は、地上側が意図的に公開通信を途絶させた中で、宇宙船が墜落したとされるダークサイド・ムーンへと向かいます。
そこではっきりと未知の宇宙船を目撃することになった乗員達。
このことは政府の中でもトップシークレット扱いとなり、公には全く公開されないまま月日は流れます。

そして現代。
「トランスフォーマー」全シリーズ通じて主人公であるサム・ウィトウィッキー(シャイア・ラブーフ)は、大学を卒業したものの就職が決まらず無色のプータロー状態。
前作までのヒロインとは別れており、これまでの対ディセプティコン戦絡みの活躍により、ワシントンでオバマ大統領から勲章をもらった際に知り合ったカーリー・スペンサーと同棲していたりします。
トランスフォーマー絡みの戦いで彼の活躍は一応知れ渡っているはずなのですが、それが就職活動に何らプラスになっていない辺りの描写は、昨今のアメリカ(だけではないですが)の経済不況を表してでもいたのでしょうか(苦笑)。
サムが面接に行った会社の中には「お前はオバマ大統領から勲章をもらったようだが、俺は共和党支持だ」などという理由で採用を断ったところもありましたし。
はかばかしい成果が上がらない就職活動でしたが、アキュレッタ・システムズ社のブルース・ブラゾスという面接官相手に面接したところ、あからさまに好意を抱かれていないやり取りが展開されたにもかかわらず、サムは何故かメール係として社員採用されることになります。
採用に喜ぶサムでしたが、カーリーにそのことを報告しに言った際、それがカーリーが勤めている会社の社長であるディラン・グールドの推薦によるものだったことが判明。
成金趣味を見せつける上にカーリーとも仲良さ気な様子を見せつけるディランに、サムは反発を抱くのですが……。

一方その頃、前作の戦いでその存在が公のものとなったオプティマス・プライム率いるオートボット、およびウィリアム・レノックスを指揮官とする対ディセプティコン特殊部隊であるNESTは、チェルノブイリでの捜索活動中、冒頭の宇宙船に搭載されていたエンジンを発見します。
そのことから冒頭の宇宙船のことについて初めて知ることになったオプティマス・プライムは、早速宇宙船の回収に乗り出します。
ダークサイド・ムーンで放置されている宇宙船の格納庫には、オートボットの前リーダーでオプティマス・プライムの師匠的な存在でもあるセンチネル・プライムが眠りについていました。
センチネル・プライムは、惑星サイバトロンにおけるオートボットとディセプティコンとの戦い末期、ある重要な装置を持ち出して惑星サイバトロンからの脱出を図るものの、撃墜されて月面に不時着していたのでした。
センチネル・プライムが持ち出したのは、あらゆる物体を瞬時に転送してくることを可能にするテレポート装置で、かつセンチネル・プライム以外には扱うことができません。
オプティマス・プライムによって復活したセンチネル・プライムとテレポート装置を守るべく、オートボット達は奮闘するのですが、そのセンチネル・プライム自身が突如暴走を開始。
アメリカ軍によって押収されていたテレポート装置を奪取し、ディセプティコンと合流してオートボットの地球外退去を迫ります。
実はセンチネル・プライムは、敵であるはずのディセプティコンと密かに手を組み、テレポート装置を使い惑星サイバトロンそのものを呼び寄せた上で、地球の「資源」を利用して復興すべく画策していたのでした。
センチネル・プライムとディセプティコンの脅迫にあっさり屈したアメリカ政府の意向により、地球外退去を余儀なくされるオートボット達。
そしてオートボット達が乗った宇宙船を撃墜し、脅威がなくなったと確信したセンチネル・プライムとディセプティコンは、アメリカのイリノイ州シカゴを占拠し、野望実現のためにテレポート装置を動かし始めるのでした。
かくして、高層ビルが立ち並ぶシカゴを舞台に、人類と地球外金属生命体との戦いが繰り広げられることになるわけです。

映画「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」は、上映時間が実に157分もあります。
普通の映画の標準的な上映時間がだいたい104~110分の間であることを考えると、映画としてはかなり長時間上映される部類に入る作品であると言えるでしょう。
そこまで長い時間があるにもかかわらず、特に物語前半に色々と詰め込みすぎて展開がとにかく早く、話についていくのに結構苦労したんですよね。
作品のメインイベントはシカゴの最終決戦ですから、できるだけ早くそこに持っていきたかったのでしょうが、もうちょっとスロー展開できなかったのかなぁと。

またこれまでの「トランスフォーマー」シリーズでは、基本的にはオートボットとディセプティコンの金属生命体同士の戦いがメインだったのですが、今作ではそれ以上に主人公含めた人間達の活躍にスポットが当てられています。
ディセプティコンの圧倒的な戦力にほとんど無力同然に翻弄されながらも、最初は囚われの身となっていたカーリーを助けるため、その後はテレポート装置を破壊するため、シカゴに乗り込む主人公サムとその仲間達。
最初はただただディセプティコン側の圧倒的な戦力に翻弄されていたものの、終盤では前作でも前々作でも五体満足で逃走していたディセプティコンNo.2のスタースクリームを仕留めたり、ディセプティコン側に奇襲を仕掛けたりするなど、なかなかの健闘ぶりを見せています。
「トランスフォーマー」シリーズはあくまでの人間達の物語である、ということを見せたかったのでしょうか。

あと、今作ではディセプティコンのリーダー格であるはずのメガトロンがかなり哀れな位置付けでしたね。
前作でも前々作でも最強の風格を見せつけていたのに、今作では前作で受けた傷がほとんど癒えておらず、終盤まで戦闘面ではほとんど戦力外同然で出番なし。
ラスボスの座もセンチネル・プライムに奪われていた上に、部下達も軒並みそちらの指揮下に入っていたかのような感までありました。
挙句の果てにはカーリーの安っぽい挑発にあっさり乗ってしまい、オプティマス・プライムとセンチネル・プライムの師弟対決の場面に介入して、結果的には宿敵であるはずのオプティマス・プライムを助ける形になってしまった上、仕切り直しでオプティマス・プライムとの決着をつける戦いが始まったかと思えば、手負いのオプティマス・プライムに一瞬でやられてしまう始末。
あと15~30秒くらい介入が遅かったら漁夫の利を得ることもできたでしょうに、そのほんのちょっとの差でメガトロン的にはまさに最悪の介入となってしまっていました。
悪役としても凋落の感が否めませんでしたねぇ、アレは。

スティーブン・スピルバーグにマイケル・ベイという有名どころ2人が製作に当たっているだけあって、アクションシーンやSFX的な描写はさすが良く出来ています。
ハリウッドのそれ系な映画が好きという方には文句なしにイチ押しの作品ですね。

映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2(3D版)」感想

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映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」観に行ってきました。
「ハリー・ポッター」シリーズ最終章2部作後編。
ハリー・ポッター一行とラスボスであるヴォルデモードとの最終決戦が、「ハリー・ポッター」シリーズの原点であるホグワーツ魔法魔術学院を舞台に繰り広げられます。
この作品は3Dと2D版が同時公開されており、個人的には2D版を観たかったのですが、不幸にも2D版の上映スクリーンが満席だったため、泣く泣く3D版を観る羽目に(T_T)。
1ヶ月無料のフリーパスポートも、3D版の追加料金については適用されないんですよね~(-_-;;)。

今作も前作「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1」に引き続き、ラスボスであるヴォルデモードの死命を制する分霊箱の探索および破壊がメインとなります。
物語序盤では、ゴブリン達が運営する魔法界唯一の銀行グリンゴッツの金庫に保管されていたハッフルパフの金のカップが目標となります。
様々な罠や裏切りまで発生する中、何とか首尾良くカップを奪取することに成功したハリー・ポッター一行。
そして、次にハリー達が探す目標として選んだ分霊箱は、同じくホグワーツ魔法魔術学院内に隠匿されているレイブンクローの髪飾り。
そのホグワーツ魔法魔術学院は、前々作「ハリー・ポッターと謎のプリンス」で校長ダンブルドアを殺害したセブルス・スネイプが新校長として支配する恐怖政治が行われており、またハリー・ポッターも当然のごとく指名手配犯的な扱いを受けていました。
秘密の通路を辿ってホグワーツ魔法魔術学院に潜入したハリー・ポッターは、生徒・教師を一同に集めてハリー・ポッターの情報提供を強要するスネイプの前に現れ糾弾を開始。
セブルス・スネイプはハリーを倒そうとしますが、そこに立ちはだかったミネルバ・マクゴナガルが炎の魔法を連発してスネイプを圧倒、スネイプは校長の地位を追われ逃走する羽目になります。
そして、自分の弱点でもある分霊箱が次々と壊されていく事態にようやく気づいたヴォルデモードが、これ以上の分霊箱破壊を阻止すべく、大軍を率いてホグワーツ魔法魔術学院へ侵攻を開始するのです。
分霊箱が破壊されるまでの時間稼ぎを目的に、ホグワーツ魔法魔術学院側もマクゴナガルの指揮の下、防戦態勢を整えることになるのですが……。

映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」でひとつ疑問なのは、「死の秘宝」のひとつで前作「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1」のラストにおいてヴォルデモードがダンブルドアの墓から掘り出したニワトコの杖の所有権についてですね。
このニワトコの杖の所有権というのがなかなか面白いもので、所有者が変わると古い持ち主を捨てて新しい持ち主に忠誠を近い、新しい持ち主に所持されている場合にのみ最強の力を発揮するというものです。
作中では、この杖の忠誠心をヴォルデモードが獲得した場合、ハリー・ポッター達の敗北は確実であるとまで言われていました。
シリーズにおけるニワトコの杖の所有権は、前々作「ハリー・ポッターと謎のプリンス」の終盤近くまではダンブルドアが保持していたのですが、ダンブルドアは物語終盤でドラコ・マルフォイの不意打ちを受けた際に所有権を失い、ドラコ・マルフォイに所有権が移動します。
その直後にダンブルドアはセブルス・スネイプに殺害されたため、ヴォルデモードはスネイプを殺害してニワトコの杖の忠誠心を得ようとするのですが、スネイプは当然のことながら杖の所有権者ではなかったので目論見は失敗します。
その一方で、何も知らずニワトコの杖の所有権者になっていたドラコ・マルフォイは、前作「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1」でハリー・ポッターと戦った際に杖を奪われてしまい、その際にニワトコの杖の所有権をもハリーに渡してしまうのです。
さて、そんな状態でハリー・ポッターとヴォルデモードには、今作の物語後半、森の中で1対1で対峙する局面が発生します。
そんな事態が発生した理由は、ハリー・ポッターがヴォルデモードすらも知らないうちにヴォルデモードの分霊箱になってしまったという出生の秘密を知ったことにあるのですが、それはさておき、ここでハリー・ポッターを葬る絶好の好機と見たヴォルデモードは、ハリー・ポッターに呪文を叩きつけて倒してしまいます。
この時、たとえ一時的であるにせよ、ヴォルデモードはハリー・ポッターに勝利したことになるわけですから、この時点でニワトコの杖の所有権移動は発生しないのか、という疑問を私は抱かざるをえませんでした。
何しろ、ドラコ・マルフォイの場合は、直接相手を倒すのではなく武装解除させただけで所有権の移動が成立したわけなのですから。
ましてや「所有権者を倒した」となればハリー・ポッターからヴォルデモードへの所有権移動は当然起こりえるのではないのかと。

Twitterでの返答ツイートやwikipediaで調べてみた限りでは、ニワトコの杖の所有権は「計画された死」では移動することがなく、またあの場面におけるハリー・ポッターは実際には死んでいなかったとのことで、杖の所有権が移動する条件を満たさなかったというのが真相だったとか。
しかしそういった設定は、映画を観ていた限りでは全く説明らしいものがなく、ハリー・ポッターの復活も唐突に行われていた感が否めなかったというのが正直なところでしたね。
ヴォルデモードがドラコ・マルフォイの母親にハリー・ポッターの死を確認するよう命じ、母親は「死んでいます」と報告してもいましたし、対決の直前には「死の秘宝」のひとつである「蘇りの石」をハリー・ポッターが取り出す描写があったので、てっきりそれの効果で復活でもしたのかと最初は考えていたものでした。
せっかく原作をわざわざ二部作構成にしたのですから、この辺りはもう少し説明が欲しかったところではあります。
ただヴォルデモードについても、死の確認方法が甘すぎるとしか言いようがないところではあるのですけどね。
わざわざ他人に確認させないで、自身の魔法を使ってハリー・ポッターの身体を粉砕するとか両手両足ないしは首を切り落とすなどといった方法で、ハリー・ポッターの生死を実地で確認すれば良かったのに(苦笑)。
これなら万が一生きていたとしても戦闘能力を削ぐことができますし。

あと、ヴォルデモードを倒した後、ニワトコの杖を手に入れたハリー・ポッターは、ニワトコの杖をへし折って谷底に捨ててしまうのですが、そんな程度のことでニワトコの杖って無効化できるようなシロモノだったのでしょうか?
ニワトコの杖の処遇についてダンブルドアはかなり苦労していたようでしたし、そんなに簡単にケリがつけられるのならば最初からやっておけば良かったのに、としか言いようがなかったのですが。

しかしこの「ハリー・ポッター」シリーズって、小説でも映画でもやはり全作品通して観覧しないと人物関係や作品相互の関連性が非常に分かりにくいですね。
すくなくとも単独で楽しめる映画作品では全くありえません。
原作を通読するなり過去の映画作品のDVDを借りるなりして、全作品を観ることによって初めて全体像が分かる作品であると言えそうです。

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