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カテゴリー「2011年」の検索結果は以下のとおりです。

映画「アイ・アム・ナンバー4」感想

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映画「アイ・アム・ナンバー4」観に行ってきました。
侵略者モガドリアンに滅ぼされた惑星ロリアンの選ばれし生き残り達が、覚醒した特殊能力を駆使して戦うアクション物。
ジェームズ・フライとジョビー・ヒューズによる同名のSF小説を原作としている作品です。
なお、今回初めて映画のフリーパスポートなるものを獲得し、これから1ヶ月間、映画が無料で観覧できるようになりました(^^)。
予定では今作も含めて総計6本の新作映画を無料で観賞する予定です。

物語は、ケニアの奥地にある山小屋で自然に溶け込むかのようにひっそりと生活していたナンバー3とその守護者(ガーディアン)が、深夜に突如モガドリアン一派に襲撃され殺されてしまうところから始まります。
ナンバー3を殺害したモガドリアン達は、ナンバー3が所持していたペンダントのようなものを奪い取り、いかにも目的を達成したかのごとき笑いを浮かべます。
ちょうどその頃、アメリカのフロリダ州マイアミにある海岸で友人達とのパーティーに参加していたナンバー4は、突如足に激痛を覚え、ナンバー3が殺される幻影を見ることになります。
それと共に、激痛の元である足には光と共に謎の紋様が浮かび上がり、その様子をパーティーに集っていた人々に目撃されることになります。
後で判明したことですが、その様子はしっかり動画が撮られており、さらにその動画はご丁寧にもYouTubeにアップデートまでされていました。
ナンバー4の守護者で同時に保護者でもあるヘンリーは身の危険を感じ、家の中にある自分達の身分を証明するものを一切合財処分した後、ナンバー4と共にオハイオ州のパラダイスという町に移り住みます。
その後、ナンバー4がいたマイアミの家は謎の女(後でナンバー6と判明)に焼き払われ、やや遅れてモガドリアン達にも物色されていたので、ヘンリーの判断は間違っていなかったわけです。
しかしそうとは知らず、度重なる逃亡生活にいいかげん忍耐の限界に来ていたナンバー4は、息を潜めた生活を命じるヘンリーに反発し、地元の学校に通う手続きを独断で行ってしまいます。

通い始めた学校でジョン・スミスという偽名を名乗り始めたナンバー4は、カメラを愛する美少女サラ・ハートと、彼女の元カレで学校の競技選手であるマーク・ジェームズに陰湿なイジメを受けている科学&UFOオタクのサム・グッドに出会います。
次第に2人と打ち解け、友好的な関係を構築していくナンバー4ですが、そんなある日、授業を受けている最中、奇妙な幻影と共に突如両手が熱く光り出す事態が発生します。
異変を察知したヘンリーから、それが自分の持つ遺産(レガシー)こと特殊能力の覚醒であることを知らされるナンバー4。
能力が制御できるようになるまで休校するようにヘンリーから命令されるナンバー4ですが、ナンバー4は特殊能力を駆使して家を脱走。
町に繰り出したナンバー4は、そこで偶然サラ・ハートと出会い、彼女の自宅に招かれ、そこで身の上話をしている内に彼女に惹かれるようになります。
しかし、元カレでサラ・ハートをストーカーのごとく付け狙っているマーク・ジェームズが、彼女の家から出て行くナンバー4を目撃。
彼は翌日からナンバー4に対するイジメを始めるようになり、さらにはパラダイスの春の祭典であるカーニバルでサラ・ハートとデートをしていたナンバー4に集団で襲い掛かります。
しかし彼らは能力に覚醒したナンバー4の敵ではなく、あっさりと逆襲された挙句、マーク・ジェームズは右手を折られかけます。
結果として警察沙汰にまでなり、さらには前述のマイアミでの動画がYouTubeにアップデートされた事実までもが発覚するに及んで、ヘンリーは再び町を捨てて逃亡することをナンバー4に勧めます。
しかし、ナンバー4はサラ・ハートに恋をしていることを告げ、その提案を拒否。
そういうしている内に、ついにナンバー4の居所を特定したモガドリアン達がパラダイスに到着し、陰で蠢動し始めることになるのですが…。

映画「アイ・アム・ナンバー4」は、全体的に見ると明らかに「シリーズ作品の第1作目」的な構成になっていますね。
冒頭に出てきたペンダントや、物語後半に登場する謎の箱については、一体何なのかすら最後まで全く明らかになっていませんし、最後のシーンも「殺された3人とナンバー4&6以外の残り4人の仲間達を探す旅に出る」描写で終わっています。
そもそも、モガドリアン達は惑星ロリアンを滅ぼした前歴もあるわけですし、地球についても破壊する意思を明らかにしているのですから、チマチマと9人のナンバーズ達を殺していかずとも、地球を丸ごと破壊するなり全世界に絨毯爆撃を敢行するなりして地球もろともナンバーズ達を始末してしまった方が、はるかに効率も良いのではないかとすら考えてしまったのですが。
もっとも、モガドリアン達はナンバーズ達が持っているペンダントに何故か固執しているようでしたし、物語終盤でナンバー4を追い詰めた際にも、ペンダントを握り締めながら「これでこの星を破壊できる」的な発言を行っていましたから、ペンダントに本来の力を封じられているみたいな設定でもあるのかもしれないのですが。
全く何の説明もなかったこの辺りの謎の数々は、続編によって明らかにされていくことになるのではないかと。

作中におけるナンバー4と、後半に正体が明らかになるナンバー6は、それぞれの特殊能力を駆使してモガドリアン達とバトルを繰り広げていきます。
ただ、ナンバー6の特殊能力は超加速タイプのテレポートと耐火能力がメインで比較的分かりやすいのに対し、主人公ナンバー4のそれにはやたらと多機能性が付加されていて能力の方向性がまるで特定できないですね。
敵の光線銃を弾くシールドの役割をしたかと思えば、熱を持ったレーザービームのような使い方ができたり、さらにはナンバー6の体力を回復するヒーリング的な能力まで披露されたりしていました。
屋根から地表に落下するサラ・ハートを空中で止めるというサイコキネシス的な描写もありましたし、一体どれだけ使用用途が広いのかと。
今後続編が出た際には、さらに別の能力が追加付与される可能性もありえますね。

また、モガドリアン達が黒いトラックに引き連れていた怪物と、ナンバー4がパラダイスの町に引っ越してきた際に拾った犬に化けていた守護獣のキマイラとの戦いはかなり笑わせてもらいました。
学校内を舞台に繰り広げられたこの両者の対決は、破壊されたトイレだかシャワールームだかで決着を迎えることになるのですが、この手の映画のお約束よろしく、最初はモガドリアンの怪物の方がキマイラを圧倒するんですよね。
そしてキマイラに重傷を負わせて壁に叩き付け、さあいよいよトドメとばかりに怪物がキマイラに向けて突撃を敢行したその直後、何と怪物は水で濡れたタイルに足を滑らせてすっ転んでしまい、キマイラの眼前で仰向け状態になってしまうのです。
当然キマイラ側がこんなチャンスを逃すわけもなく、怪物は仰向けで晒された喉元を噛み砕かれてあっさり死亡。
私も色々なハリウッド映画を観てきましたが、こんな「自滅」「自爆」以外の何物でもない爆笑ものの退場を余儀なくされたモンスターはあまり記憶にありませんね。
私はてっきり、どこかから援軍が来るか、キマイラが起死回生の奇策でもって何らかのカウンターを繰り出してくるという、これまたお決まりのパターンばかり考えていたので、良くも悪くも意表を突いた描写になりました。
いかにも「凄まじく凶暴であるが故に強そうなモンスター」として描写されていただけに、その無様な死に様はあまりにも滑稽としか言いようがなかったですね。

あと、ナンバー4とサム・グッドに対するイジメや嫌がらせに躍起になっていたマーク・ジェームズが、物語の最後に元気な姿で再登場していたのには少々驚かされました。
彼って、物語後半でモガドリアン達に捕まった挙句、モガドリアン一派のひとりにブン投げられて学校校舎2階?の窓に叩きつけられる描写があるんですよね。
この手の小人にハリウッド映画は躊躇なく「死」という末路をあてがうのが常ですし、「ああ、あいつは死んだね」とすっかり思い込んでいたのですが。
最後では隔意があったはずのナンバー4達にいつのまにか協力的になっていましたし、マーク・ジェームズに一体何があったのかと、この辺りは少々疑問に思ったものでした。

アクションシーンはスピーディーで迫力もあり、またストーリーもある意味「安心して観れる」作品と言えます。
ただ前述のように、作中の設定には最後まで全く明らかにならない謎の部分が結構多いので、作品単独ではなく「シリーズ物1作目」と割り切って観た方が良いでしょうね。

映画「マイティ・ソー(3D版)」感想

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映画「マイティ・ソー(3D版)」観に行ってきました。
アメリカのマーベルコミックの中でも特に人気が高いヒーローのひとりであるマイティ・ソーが活躍するアクション大作。
私が観に行った映画館では3D版しか公開されていなかったので、余計なカネがかかることを承知で泣く泣く3D版を観ることに。
案の定、どこら辺が3Dの見所だったのか理解に苦しむばかりで、「確かに迫力はあるが、2Dと見た目がほとんど変わらないじゃないか」「何故こんなことにカネを使わなければならないんだ?」と自問する羽目になりましたが(T_T)。
いいかげん、3Dメガネを使用しなければならない映画は止めて欲しいものなのですけどね。

物語は、アメリカのニューメキシコ州で天体観測を行っていた天文学者ジェーン・フォスター一行の前に、突如隕石らしき物体が落下したことから始まります。
周囲が静止するのも構わず、ジェーンは落下地点に車を走らせるのですが、落下の衝撃で濛々たる煙が上がる中、突如姿を現したひとりの男性を跳ね飛ばしてしまいます。
跳ね飛ばしたことに責任を感じたことと、それ以上にクレーターと共に現れた男性の存在に興味を抱いたジェーンは、彼を病院へ連れて行くことになります。

彼の名前はソー。
北欧神話の神々が住まう世界・アスガルドを含めた9つの世界を統べる王として君臨するオーディンの息子です。
ソーは自身にとって「栄光の日」となるはずだった戴冠の儀を、氷の世界・ヨトゥンヘイムからやって来た刺客達に邪魔されてしまいます。
その腹いせに、ソーはヨトゥンヘイムへ侵攻を行い、制圧することを父親に主張しますが、争いを好まないオーディンはその提案を退け、専守防衛方針を命じます。
しかし、オーディンの方針に納得がいかないソーは、自分の弟であるロキと、シフとウォリアーズ・スリーという自分に忠実な戦士達と共に、オーディンに内密でヨトゥンヘイムへ調査に赴くことを決意します。
アスガルドと、ヨトゥンヘイムを含めた他の世界を行き来するためには、ヘイルダムという見張り番の神が常に監視している虹の橋(ビフレスト)を通らなければなりません。
ヘイルダムを説得して一行はヨトゥンヘイムへ。
そこで一行は、ヨトゥンヘイムの王である巨人ラウフェイと出会い、ラウフェイの挑発に乗る形で大々的な戦闘が行われることになります。
腕に覚えがある歴戦の戦士なこともあり、一行も最初は善戦するのですが、敵の本拠地ということもあり相手は多勢に無勢。
しかもラウフェイはさらに巨大な氷の獣をも呼び起こして戦闘に参戦させ、ソー一行はもはや逃げるしかない状況に追い込まれます。
最強の武器であるムジョルニアを駆使するソーの獅子奮迅な活躍で何とか危機を凌いでいた一行ですが、それでも背水の陣状態で進退窮まったその時、ソーの独断専行を知ったオーディンがヨトゥンヘイムに降臨。
ラウフェイと交渉を行い、両者は事実上の戦争状態になってしまったものの、ソー達を連れてアスガルドへ戻ります。
独断専行したソーに失望したオーディンは、ソーとの口論の末、ソーの力を奪いミッドガルド(地球)へ追放する決断を下し、かくしてそれが冒頭の描写に繋がることになるわけです。

ソーが追放された際、彼の武器ムジョルニアもまた、ソーが落下した地点から少し離れたところに落下。
地元住民の格好の見世物になった挙句、調査にやって来た謎の組織シールドによって現場を接収されてしまいます。
そして、ソーを病院に送り届けて自分の家に戻ったジェーンもまた、同じくシールドによって自分の研究成果を全部強引に奪われてしまったのでした。
ムジョルニアを自分の手に取り戻したいソーと、自身の研究成果を取り戻したいジェーンの利害が一致し、2人はシールドが野営をしているムジョルニア落下地点へと向かうことに。
そして一方、アスガルドではソーの弟ロキとオーディンの間で諍いが発生した挙句、オーディンが突然の昏睡状態に陥ってしまいます。
それに乗じてロキは、王の代理と言わんばかり権勢を振るいまくった挙句、邪魔者を亡き者にしようと様々な画策を行うのですが…。

映画「マイティ・ソー」は、同じマーベルコミック系列作品の映画「アイアンマン」シリーズとも明確な繋がりがあります。
たとえば、作中でデストロイヤーという鉄の巨人が地球に現れた際には、作中に登場する謎の組織シールドの関係者達が「スタークから聞いているか?」と発言するシーンがあります。
これはもちろん、「アイアンマン」シリーズの主人公であるトニー・スタークのことを指しているわけです。
また、映画開始と同時に存在が明示されているエンドロール後の特典映像では、同じく映画「アイアンマン」1作目のエンドロール後と2作目のラストで登場した人物が、今作でも全く同じ姿形と役柄で登場しています。
調べてみたら、「アイアンマン」と「マイティ・ソー」は「アベンジャーズ」というヒーローチームにおけるビッグ3のうちの2つみたいなんですよね。
「アイアンマン」でも「アベンジャーズ」の名前がやたらと強調されていましたし、アメコミにあまり詳しくない私的には「一体何なのだろうか、これ?」とずっと疑問に思っていたのですが(^^;;)。
そして、残る最後のビッグ3である「キャプテン・アメリカ」もまた、日本では今年の10月に劇場公開され、さらに「アベンジャーズ」自体も来年に映画としての公開が予定されているのだそうです。
当然、最低でも3つの作品の融合体となるであろう「アベンジャーズ」は、3作品のストーリーや設定を全て融合させることになるのでしょうが(特に「マイティ・ソー」の続きは「アベンジャーズ」に繋がっているようですし)、一体どういう形になるのか気になるところではあります。

映画のストーリーとしては、作中でソーの敵として描かれているロキの行動がいささか支離滅裂な感が否めませんでしたね。
要所要所では「いかにも悪役」と言わんばかりの策動を披露しているロキですが、ロキが最終的に何がやりたかったのかがまるで見えてこないんですよね。
物語序盤では、自らの出生の秘密を知ってオーディンに食って掛かるロキ。
中盤ではソーに対する嫉妬心をむき出しにしつつ、ラウフェイ相手にオーディン暗殺をそそのかし、王位を手に入れることをほのめかすロキ。
しかし、いざ首尾良くラウフェイがオーディン暗殺を達成しようとするまさにその寸前に自らそれを阻止し、ついでにラウフェイを葬ってしまうロキ。
ここまでならばまだ何とか理解可能な範疇だったのですが、物語終盤、ヨトゥンヘイムを滅ぼそうとした自分の行為をオーディンに否定されるや否や自分から死を選んだロキと、そのくせ実は生きていてまた性懲りもなく地球で蠢動していたラストシーンは全く理解不能です。
ロキの行動原理で終始一貫しているのはソーに対する嫉妬心だけで、父親であるオーディンに対する態度はブレまくっていますし、王位が目的にしてはおかしな行動が多すぎます。
父親を憎んでいたか、あるいはアスガルドの王位が欲しかったのであれば、ラウフェイにオーディンを殺害させた直後に「仇討ち」としてラウフェイを葬ってしまえば良かったはずですし、それが一番「自分が英雄と讃えられつつ」王位を手に入れる最善の方法でもあったでしょう。
実は父親に自分のことを認めてもらいたかっただけなのか、とも考えたのですが、それもラストシーンの描写で全て御破算になってしまいましたし。
結局、ロキが意図していた真の目的とは一体何だったのでしょうか?

映像や演出は良くも悪くもハリウッドスタンダードで、その手の描写が好きという方には文句なくオススメできる作品です。

映画「SUPER 8/スーパーエイト」感想

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映画「SUPER 8/スーパーエイト」観に行ってきました。
スティーブン・スピルバーグが製作を、J・J・エイブラムスが監督を担当したSF映画。1979年に実際に起こった事件を下地にした、映画撮影に情熱を燃やす少年少女達の活躍を描いた作品です。
なお、映画のタイトルにもなっている「SUPER 8」というのは、元々はコダック社が出した8ミリフィルムの名称なのだとか。

この物語の舞台は1979年。
物語序盤で、1979年にアメリカで実際に発生したスリーマイル島原発事故についての状況を報じているテレビニュース番組が流れていることから、それが誰でも一目瞭然に分かる構成になっています。
これが今現在における日本の日常風景の一部にまでなってしまっていることは何とも皮肉としか言いようがないのですが、それはさておき。
物語は、主人公ジョー・ラムの母親が事故で亡くなり、葬儀が行われている場面からスタートします。
葬儀の中、自分達が製作している映画の内容がゾンビを扱う作品であることから「撮影は中止だな」と嘆いているジョー・ラムの友人達。
当のジョー・ラムは葬儀が行われている家の外にあるブランコでひとり呆然と佇んでいたのですが、そこへ黄色い車が停車し、ひとりの風体悪そうな男が降りてきます。
彼は主人公の家に入っていくのですが、何故か家の中で騒動になった挙句、ジョー・ラムの父親で保安官でもあるジャック・ラムに引き立てられた挙句、パトカーに乗せられて連行されてしまいます。
これが物語後半である重要な伏線として生きてくるのですが、序盤はとりあえず意味ありげな描写に留まったまま話が進みます。

それから4ヶ月後のある日、ジョー・ラムの親友&映画撮影仲間のリーダー格で小太りの少年チャールズ・カズニックが、アリス・デイナードに映画撮影の協力を取り付けることに成功します。
誰にも邪魔されない無人の環境で撮影を行わなければならないことから、真夜中にこっそり家を抜け出して待ち合わせをすることになったジョー・ラムと映画撮影仲間達。
真夜中、集まった仲間達の下に、親の車を無断で拝借した上無免許運転でやってきたアリス・デイナード。
保安官の息子であるジョー・ラムが撮影仲間にいることに、アリス・デイナードは「親に告げ口されるのではないか?」という懸念から一旦は撮影協力を降りようとしますが、ジョー・ラムが「親には黙っている」と約束。
渋々ながらも了承したアリス・デイナードは、映画撮影仲間達を連れ、撮影現場となる無人駅へと向かうのでした。
撮影準備を進める最中、アリス・デイナードは劇中の登場人物としての演技を行うのですが、演技前はやる気なさげだったアリス・デイナードのかなり堂に入った演技ぶりに、一同からは感嘆の声が上がります。
この時ジョー・ラムがいかにも一目惚れしたような描写が挿入されているのはお約束ですね(苦笑)。
さらに本番撮影の準備を進める一同ですが、そこへ真夜中だというのに駅めがけて数十もの車輌を牽引する貨物列車が走ってきます。
迫力ある場面を撮影する千載一遇のチャンスと踏んだチャールズ・カズニックは、すぐさま撮影に入ることを決断し仲間達に指示、準備不足ながらも早速撮影が始まります。
駅を通過していく貨物列車を背景に順調に撮影は進んでいき、ご機嫌なチャールズ・カズニックをはじめとする仲間達ですが、ジョー・ラムはそこで、貨物列車の先頭車輌めがけて走ってくる1台の車を目撃します。
車は線路で90度ターンすると、線路の上を先頭車輌目指して走り始め、結果両者は見事に正面衝突することになります。
当然列車は脱線、さらに後続車輌が次々と玉突き事故を起こし、車輌が宙を舞うわ駅舎に直撃するわ、ついには危険物を満載していた車輌が爆発までするわの地獄絵図が現出し、主人公一同ももはや撮影どころではなく、我が身の安全を優先にただひたすら逃げるしかなくなります。
そんな中、横倒しになったとある車輌の中で「何か」が暴れ出し、叩きつけるような轟音と共に厚い鉄製の扉を吹き飛ばす描写がジョー・ラムの眼前で展開されます。
「あれは何なのだろう?」と疑問に思いつつも、何とか事態が一段落したこともあり集まってきた主人公一同は、事故の発端となった車を探し出します。
あれだけの事故だったにもかかわらず、車に乗っていた黒人男性は重傷を負いつつもちゃんと生きていて、しかも意識まではっきりとしていて、あまつさえ主人公一同に「このことは誰にも言うな」と警告する余裕までありました。
その警告に呼応するかのように事故現場へ殺到する謎の集団。
主人公一同はさっさとアリス・デイナードの車に乗り込みその場からさっさと逃走するのでした。
しかしその後、頻発する不可解な出来事に行方不明者の続出、さらにはいかにも秘密を抱えて現地で動き回る軍の存在など、小さな田舎町は次第に不穏な空気に包まれていきます。
様々な謎を抱えつつ、物語はさらに佳境へ入っていくことになるのですが…。

映画「SUPER 8/スーパーエイト」のハイライトは、やはり何と言っても、真夜中にこっそりと映画撮影をしている主人公達の眼前で発生する貨物列車事故ですね。
重量感溢れる貨物列車が次々と玉突き衝突して宙を舞い、轟音と共に周囲を破壊していく様はまさに圧巻で、これだけでも充分に映画を観る価値があります。
実はこの貨物列車事故はモデルとなっている実在の事件があるのだそうで、奇しくも同じ1979年にオハイオ州で発生した貨物列車事故をベースにしているのだとか。
元ネタはこれ↓

http://ow.ly/5pMvm

この列車事故には不可解なところがあり、事故処理にかかる費用が当時の相場で5万ドルだったのに対し、何と200万~1000万ドルもかかっていると当時の新聞では報じられたのだそうです。
この列車事故の不可解さと、宇宙人絡みの話として有名なエリア51関係の都市伝説的なエピソードの数々を組み合わせて、映画「SUPER 8/スーパーエイト」のストーリーが構築されているわけですね。

映画「SUPER 8/スーパーエイト」に登場する宇宙人は、人を襲う宇宙人として描かれながらも、元々は「たまたま地球に不時着して帰りたかっただけなのに、人間の実験台にされて敵意を抱くようになった被害者」としての一面も併せて描写されています。
例の貨物列車事故を起こした黒人男性も、彼の心情に共感して実験台にすることに反対し、それが元で軍を追放され、それでも宇宙人を助けようとして事に及んだのだそうです。
この辺りは「宇宙人=絶対悪の侵略者」として描かれがちなスタンダードなハリウッド映画とは一線を画していますね。
まあ元々、「人間と宇宙人との心の交流」を描いた映画「E.T.」を製作した経歴を持つスティーブン・スピルバーグが今作でも製作を担っているわけですし、その系統の流れを汲んでいるだけではあるのでしょうけど。
物語終盤にも、まさに「E.T.」そのものの「主人公と宇宙人による心の交流」的なやり取りもありましたし。
「E.T.」のストーリーを少しでも知っていたら、「ああ、やっぱりこういう描写があるのか」と思わず頷いてしまうこと請け合いですね(笑)。

映画「SUPER 8/スーパーエイト」のラストを飾るエンドロールでは、主人公をはじめとする映画撮影チームが製作した手作り映画が披露されています。
作中でもしばしば撮影シーンが描写されていましたが、「ここであのシーンが使われているのか」と楽しく観賞できます。
なので、エンドロールが始まっても、席を立たずにそのまま映画を観賞し続けることをオススメしておきます。

映画「スカイライン-征服-」感想

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映画「スカイライン-征服-」観に行ってきました。
エイリアン達の地球侵略を、戦う術を持たないごく普通の一般人の視点から描くSFディザスター・ムービー。
この作品、私の地元熊本では熊本市中心部にある熊本シネプレックスでしか上映されていなかったので、久々に中心部まで出向いての映画観賞になりました。
なお、頭をもぎ取って脳を取り出すという描写があるためか、この作品はPG-12指定されています。

この映画の舞台はアメリカのロサンゼルス。
主人公ジャロッドと彼女であるエレインは、ロサンゼルスで仕事に成功し高級マンションのペントハウス(屋上階)に住居を構える親友のテリーに会うため、ロサンゼルスへやってきます。
その夜、テリーのペントハウスでどんちゃん騒ぎなパーティーが行われるのですが、その最中、気分を悪くしたエレインから、ジャロッドは彼女が妊娠していることを聞かされます。
「何故黙っていた?」「パーティーの邪魔をしたくなかったからよ」と口論になり、半ば気まずくなりつつも、その日はとにかく皆眠りにつきます。
そして夜も更けた午前4時27分、突如それは始まるのです。
ロサンゼルスの各所に落下する青白い光。
それを見た人間は、顔から全身に黒い血管のようなものが浮かび上がり、目も白濁状態となって魅入られた後、光に吸い込まれて忽然と姿を消してしまうのです。
ペントハウスで宿泊していた男性のひとりがそうやって青白い光に魅入られ、姿を消してしまいました。
ジャロッドも同様の症状を発症して吸い込まれそうになりますが、間一髪のところで周囲が止めに入り、何とか窮地を脱します。
一定時間同じ場所に留まり続けた後、やがて飛び去っていく青白い光。
しかしそれは、3日間続くことになるエイリアン達の絶望的な侵略の始まりに過ぎなかったのです。

映画「スカイライン-征服-」では、圧倒的な武力を誇るエイリアン達の前に、人間達が如何に無力であるかが描写されています。
ペントハウスから脱出して海に向かい、クルーザーで逃げようと画策するも、ロサンゼルスの街を闊歩するエイリアン達の妨害に遭い、脱出ができない主人公達。
ロサンゼルスの異常事態に緊急出動した軍隊も、エイリアン達の攻撃の前に多大な犠牲を出してしまいます。
多くの戦闘機と爆撃機を送り込み、司令塔となっているであろう大型宇宙船に核ミサイルを撃ち込むという作戦も実施されたのですが、エイリアン達の怒りを刺激した挙句、肝心の宇宙船自体、わずか1日で自然回復し再浮上してしまうありさま。
エイリアン達は人間の脳が好みのようで、人間の頭をもいで脳を取り出す描写が複数あります。
2日目が人間達の反撃のクライマックスだったようで、3日目にはもう反撃が止まっているような感じでした。

何故エイリアン達が地球に侵略してきたのかについては、最後まで全く言及されておりません。
あくまでも「突然の異常事態に右往左往する人間達の様子」を描くのがメインの作品であり、結末も「劇的に人類が救われる」ようなものではなく、かなり暗い未来が暗示されています。
過去に私が観に行ったことのある映画でいうと、2005年公開映画「宇宙戦争」と2008年公開映画「クローバーフィールド/HAKAISHA」を足し合わせたような作品となるでしょうか。

映画「スカイライン-征服-」は、同じようにエイリアンからの侵略を描いている映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」との関連性を想起せずにはいられませんね。
舞台が同じロサンゼルスなのに加え、両作品共に同じ「ハイドラックス」という会社がVFXの製作を手掛けています。
この件では、「世界侵略:ロサンゼルス決戦」の製作を「ハイドラックス」に依頼していたソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント社が、「ハイドラックス」に対して告訴も辞さない構えを見せ、騒ぎにもなっています。
結局、この騒ぎは双方和解で決着したようではあるのですが↓

http://twitter.com/skyline_seihuku/status/81724431193473024
<ハーイ!スキルとマネーを持った永遠のティーン、グレッグ・ストラウスだよ。ボクタチガKUFU(工夫)シテ撮ったエイガガアスコウカイだ。「LA決戦」トの訴訟ハ和解ズミさ。SONYとも今後もシゴトするシネ。6.18 明日、人類の明日を目撃セヨ>

ただあまりに似ている構成の両作品、色々な「大人の事情」についての想像力を刺激される関係ではありますね。
まあ、今作と「世界侵略:ロサンゼルス決戦」の予告編を見る限りでは、作中で描かれているエイリアン達の描写はかなり違うようではあるのですが。
すくなくとも「世界侵略:ロサンゼルス決戦」の方には、エイリアン達が青白い光を発したり人間を吸い上げたり脳を取り出したりといった描写はないようですし。
設定的にも物語的にも繋がっていたりしたら却って面白いのではないかと思うのですけどね(苦笑)。

有名なハリウッドスターが出ているわけでもなく、また結末もすっきりしないこともあって、お世辞にも大ヒットするようなタイプの作品とは言い難いですね。
エイリアン関連の描写については確かに良く出来ていましたけど。

映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」感想

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映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」観に行ってきました。
アメリカのマーベル・コミックのアメコミ「X-MEN」シリーズのスピンオフ作品。
歴史上の事件であるキューバ危機を舞台に「X-MEN」に登場するプロフェッサーXとマグニートーの若き日の活躍を描いた物語となります。
ただ私の場合、過去の「X-MEN」シリーズの映画版は、同じくスピンオフ作品で2009年公開の「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」しか観たことがなく、本編3部作は全く観ていなかったりします(^^;;)。

全ての始まりは1944年まで遡ります。
ユダヤ人で後のマグニートーとなるエリック・レーンシャーは、ナチス・ドイツのホロコーストに巻き込まれ、母親から引き離されてしまいます。
その際、周囲の兵士達の制止を引き摺って強大な力を行使したエリックを、当時ナチス党に所属しシュミットと名乗っていたセバスチャン・ショウが目をつけます。
セバスチャン・ショウはエリックの目の前で母親を殺すことでその力を引き出させることに成功し、その代償としてエリックから多大なまでの憎しみを買います。
エリックはその後、ナチス狩りに精を出しつつ、セバスチャン・ショウの行方を追うことになります。
一方、後のプロフェッサーXとなるチャールズ・エグゼビアは、同じ1944年に食糧を盗むため自分の家に侵入してきたミスティークと出会います。
チャールズは自身の異能である読心能力でミスティークの正体を見破ると共に彼女を受け入れ、以後ミスティークはチャールズの義妹として成長していくことになります。
ミスティークは最初チャールズのことが好きだったようで、チャールズと恋人関係になるモイラ・マクタガートに嫉妬心を露にしていたりします。
ちなみにミスティークは多情な女性なのか、作中ではチャールズ→ハンク→エリックと、とっかえひっかえ的に男に惹かれていた感がありましたね(苦笑)。

プロフェッサーXとなるチャールズと、マグニートーことエリックの2人が出会ったのは1962年。
そのきっかけは、エリックが目の仇にしているセバスチャン・ショウの陰謀にありました。
彼は当時の米ソ冷戦を煽って第三次世界大戦を勃発させ、両者が共倒れした世界で自分が全人類の支配者になることを目的に、当時の米ソの政軍関係者を裏から操っていたのでした。
セバスチャン・ショウはまず、ラスベガスでアメリカの軍関係者と接触し、彼を通じて対ソ核ミサイルをトルコに配備させ、ソ連を刺激することに成功します。
しかしその際、CIAエージェントであるモイラ・マクタガートが偶然一部始終を目撃。
テレポートや身体をダイヤモンドに変異させるミュータント能力に驚いたモイラ・マクタガートは、エリックに協力を求めることになります。
一方、首尾良く計画の第一段階が上手く行ったセバスチャン・ショウは、滞在していたクルーザーで仇として狙っていたエリックからの襲撃を受けます。
エリックはクルーザーをズタズタに破壊したものの、肝心のセバスチャン・ショウには仲間のミュータント共々クルーザーに格納されていた潜水艦で逃げられてしまいます。
この時、生命の危険も顧みず海に潜っていく潜水艦を追わんとするエリックと、テレパス能力を駆使してセバスチャン・ショウの居場所を突き止め近くでマークしていたチャールズが、ここで初めて邂逅するのです。
最初は隔意ありげに接していたエリックもやがてチャールズと打ち解け合い、2人は無二の親友関係になっていきます。
そして、セバスチャン・ショウとそのミュータント仲間の力に対抗するため、2人は世界各地に散らばっているミュータント達を集め始めます。
その際、前作である「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」の主人公であるローガンに2人が声をかけ、「おととい来い」と返されてあっさりと去っていくサービスシーンが挿入されています。
この辺りはシリーズ物ならではのお約束と言ったところでしょうか。

一方、セバスチャン・ショウの画策はさらに進み、ソ連の高官を操ってついにキューバに核ミサイルに配備させる決断を下させることに成功。
これが歴史上の事件でもあるキューバ危機に繋がり、そしてこのキューバ危機を舞台にチャールズ・エリックとセバスチャン・ショウがそれぞれ率いるミュータント同士の戦いが繰り広げられることになるわけです。

映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」は、CGを駆使したSFXな描写もさることながら、キャラクター毎の人間ドラマなエピソードにも力が入っていますね。
プロフェッサーXが何故いつも車椅子に乗っているのか?
マグニートーが何故いつもヘルメットを被っているのか?
その他、「X-MEN」シリーズに纏わる様々な謎や設定が今作で分かるようになっています。
また、ミュータントであるが故にそれぞれの登場人物達が抱え込んでいる葛藤や決断なども上手く描写されており、ある意味SFXな描写以上に見所のひとつですね。
ただ、物語終盤で自分達の主人をエリックに殺されたセバスチャン・ショウの旧部下達が、いともあっさりとエリックに乗り換えたのには少々疑問を覚えずにはいられませんでした。
比較的新参で飛行能力を持つエンジェルはともかく、テレポート能力を駆使する赤悪魔風のアザゼルと、竜巻を繰り出すリップタイドは「いかにも忠臣」的なスタンスだったというのに。
母親を殺されたエリックのごとく主人の仇を討とうとは考えなかったのでしょうか、彼らは。
もっとも、彼らがセバスチャン・ショウにどれくらい忠誠を誓っていたのかについては議論の余地もあるでしょうし、彼らにしてみれば「自分達の目的が達成できるのであれば上司は誰でも良い」的な心境だったのかもしれませんが。
セバスチャン・ショウもエリックも、「母親殺し」というただ1点において対立していただけで、ミュータントと人間に対する認識と目的はどちらも同じでしたからねぇ。

あと同じく終盤、あそこまで対立が決定的になったのですから、どうしてエリックは自分にとって将来的な脅威となるであろうチャールズを、下半身不随状態になったのに乗じてチャッチャと殺しておかなかったのかと、物語の整合性を損ないかねない疑問も覚えてしまったものでした。
あの状態だったら赤子の手を捻るよりも簡単だったはずなのですけどね、後のプロフェッサーXことチャールズの殺害は。
もちろん、本当にそんなことをしてしまったら、その後の「X-MEN」シリーズのストーリーは全部消えて無くなってしまうのですから、シリーズ作品的には当然のごとく不可能な話だったでしょう。
しかし作品論的に見れば、マグニートーことエリックにとって、プロフェッサーXことチャールズとの今後の対立はあの時点で充分に予測できるものだったはずですし、作中でも無辜の米ソ兵士達を無差別虐殺する決断を躊躇なく下していたはずのエリックが、変なところで甘いなぁとは思わずにいられませんでしたね。
ここで虫の息だったチャールズを殺しておかなかったばかりに、エリックは後々余計な苦労をする羽目になったと思うのですが。

映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」の製作会社である20世紀フォックス社は、今作を「新三部作の1作目」として位置づけているのだそうで、シリーズ構想自体が中止に追い込まれなければ続編があと2つは製作されることになります。
ストーリー的にも演出的にもまずまずの出来な今作を見る限り、続編も充分に期待できそうではありますね。

映画「アジャストメント」感想

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映画「アジャストメント」観に行ってきました。
フィリップ・K・ディックの短編小説「調整班(Adjustment Team)」を原作とする、マット・デイモン主演のSF恋愛サスペンス作品。
2011年に入ってから観賞したマット・デイモン主演の映画は、「ヒアアフター」「トゥルー・グリット」に続きこれで3作目になります。

物語は、元バスケットボール選手でアメリカ上院議員候補として選挙を戦っていたデヴィッド・ノリス(マット・デイモン)が、選挙戦を有利に進めていながら、本番となる選挙の直前に酒場で下半身露出というスキャンダルをやらかし、結果落選の憂き目を見る羽目になるところから始まります。
敗北に直面したデヴィッド・ノリスは、敗北宣言を行う際の演説の内容をひとりで考えるため、男子トイレに入ります。
「誰か入っていますか?」という確認に返答がなかったのでしばらく演説のシミュレーションを展開するデヴィッド・ノリスですが、イマイチながらも一通り考えがまとまりかけたところで、トイレの中から突然女性の声がかけられます。
その女性エリースとの会話から何らかの天啓でも受けたのか、デヴィッド・ノリスは敗北宣言で当初考えていた演説の内容を変更し、結果として民衆に好印象を与える演説を行うことに成功します。
しかし、実はこの2人の出会いは、作中にチラチラ登場するシルクハット帽子をかぶった謎の男達によって意図的に演出されたものだったのです。
そして、彼らの当初の考えでは、2人はここで二度と会うことはなかったはずでした。

選挙の敗北宣言後、デヴィッド・ノリスは、彼の幼馴染で選挙参謀でもあったチャーリーが勤務しているとあるベンチャー企業に役員として招かれ就任します。
役員就任後のある日の朝、デヴィッド・ノリスはチャーリーからの電話で、太陽光発電などの環境系に資金援助を行うよう提言しますが、チャーリーはコストがかかることを理由に難色を示します。
適当なところで電話を切り、朝起きた際に入れたコーヒーを片手に持ったまま、デヴィッド・ノリスは会社に出社します。
ここで再び登場する謎の男2人。
そのひとりリチャードソンは、もうひとりの男ハリーに対し、デヴィッド・ノリスが片手に持っていたコーヒーを、7時5分にこぼすよう指示します。
ハリーは公園で待ち伏せして指示を実行するつもりだったのですが、デヴィッド・ノリスを待っている間にうたた寝してしまったハリーは、予定の7時5分になっても起きることがなく、デヴィッド・ノリスは予定時刻にコーヒーをこぼすことなくバスに乗り込んでしまいます。
このハリーのミスが全ての元凶となり、事態は思わぬ方向へ進展することになります。
まず、本来二度と出会うはずがなかったデヴィッド・ノリスとエリースが、乗り合わせたバスの中で再会してしまいます。
バスを必死になって追いかけるハリーは、遠隔操作のような能力を駆使してバスの中にいるデヴィッド・ノリスのコーヒーを何とかこぼしますが、既に手遅れでまるで意味のない行動でした。
そしてさらに、謎の男達の予定よりも早く会社に到着したデヴィッド・ノリスは、そこで時が止められたような状態で固まっている会社員達と、正体不明の機器を使って彼らをなで繰りまわしている謎の男達の集団を目撃することになります。
異様な雰囲気に驚いたデヴィッド・ノリスはただちにその場から逃走を図りますが、何故か行く先々で謎の男達にことごとく先回りされてしまい、デヴィッド・ノリスは多勢に無勢で押さえつけられ眠らされてしまいます。

次にデヴィッド・ノリスが目覚めると、そこはだだっ広い倉庫だか駐車場のような場所。
彼を拉致し、周囲を取り囲んでいる謎の男達は、自分達のことを「運命調整局(アジャストメント・ビューロー)」と名乗り、超常的な能力を披露します。
そしてデヴィッド・ノリスに対し、自分達のことを一言半句も他人にしゃべらないこと、そしてエリースに二度と会わないよう強要します。
「何故彼女に会ってはいけないのだ?」というデヴィッド・ノリスの質問にも「秘密だ」以外の回答が返ってくることはなく、バスで出会った際にもらった、デヴィッド・ノリスとエリースの唯一の繋がりだった彼女の電話番号が記されたメモも燃やされてしまいます。
しかも解放された後に行われた会社の会議では、朝の電話の会話で太陽光発電の投資を渋っていたはずのチャーリーが、全く正反対の賛成の立場に転じており、「調整(アジャストメント)」の恐ろしさがデヴィッド・ノリスの眼前で展開されるのです。
これでデヴィッド・ノリスとエリースの恋も終わったかに思われたのですが、しかしデヴィッド・ノリスは想像以上にしぶとい人間でした。
彼は何と3年以上もかけて同じバスに乗って通勤し続けることで、ついに彼女を探し当て、3度目の再開を果たすことに成功するのです。
この異常事態を当然のごとく察知して2人の仲を引き裂かんとアレコレ工作を始める「運命調整局」の面々。
かくして、デヴィッド・ノリスの運命を巡る「運命調整局」との戦いが繰り広げられることになるのです。

映画「アジャストメント」は、今作と同じくマット・デイモンが主人公(のひとり)を演じている映画「ヒアアフター」と同様、哲学的な要素が極めて強い作品です。
「ヒアアフター」のテーマが「死後の世界」ならば、「アジャストメント」のそれは「運命の重み」「運命に逆らうことの難しさ」といったところでしょうか。
面白いのは、他人の運命を左右する「運命調整局」の面々は、決して悪意からデヴィッド・ノリスに干渉しているのではないという点です。
むしろ彼らは「人類にとって最悪の未来を回避すること」を目的に、つまりある種の「善意」に基づいて他者の「運命」を調整しているわけです。
作中でも、「ハンマー」の異名を持つ「運命調整局」所属のトンプソンなる存在が、人間の運命を人間自身に委ねるとロクでも事態が起こるということを、ヨーロッパ中世の暗黒時代と2度の世界大戦&冷戦を例にデヴィッド・ノリスに説明している描写があります。
彼の説明によれば、デヴィッド・ノリスは将来、上院議員四選の末にアメリカ大統領までのし上がる「運命」の人物であり、それが「最悪」を回避できるものであるが故に彼に干渉しているのだとのこと。
個人の我欲で動いているわけではないが故に、「運命」の重みというものが感じられる描写でしたね。

主演のマット・デイモンも、かつては「ボーン・アイデンティティー」「ボーン・スプレマシー」「ボーン・アルティメイタム」の3部作シリーズや「オーシャンズ11~13」シリーズなどといった「アクション物」をメインにこなしていたので、アクション俳優としての印象が強かったのですが、最近の作品はどちらかと言えばアクションシーンが控えめですね。
「ヒアアフター」は完全にアクションがありませんでしたし、「アジャストメント」も全体的にはアクションが少なく、ストーリー性や作品テーマで勝負しているような感じです。
まあ過去作自体、ボーンシリーズや「グリーン・ゾーン」などのように「アメリカの暗部」を炙り出しているようなところがありますから、ストーリー&作品テーマ重視の方針は昔から一環していたのかもしれませんが。
マット・デイモン的にはそういう作品の方がやはり好みなのでしょうかね?

あと、作中に出てくる「運命調整局」のアイテムや異能がこれまた面白いですね。
機械の設計図のような幾何学模様の中を、FXチャートのような軌跡を残しながら走り続ける青い光点と、明らかにヤバそうな雰囲気をかもし出している赤い光点が描かれ続ける「運命の書」。
光点が一体何を意味するのか、その原理は作中で全く何にも説明されておらず、「接触点」云々の専門用語まで出てくるのに、雰囲気自体は何となく分かるというシロモノ。
ラストで幾何学模様が消えていった真っ白な右半分を青い光点が走っていくシーンは、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」の終盤近くのシーンを想起させるものがありました。

ドアを開けると何故か全く別の場所に繋がる「どこでもドア」的な能力。
こちらもやっぱり原理は何も説明されないものの(帽子があれば誰でも使えるらしいのですが)、映画の中における描写としては上手いものがありましたね。
特に物語終盤は、「ただドアを開けていくだけ」のシーンをアレだけテンポ良くかつ格好良く描いているわけですから。
ああいう観せ方もあるのか、とここは結構感心したところだったりします。

全体的な構成としては、「哲学的な要素を大量に盛り込んだ恋愛映画」といったところになるでしょうか。
アレだけ主人公に(表面的に見れば)ソデにされまくり、最初はそのことに怒りまくるのに、それでも最終的には主人公についていく女性エリース・セラスには「何とも忍耐強い女性だなぁ」という感想を抱かずにはいられませんでしたが(苦笑)。
まあその部分も「運命的な結びつきの強さ」というものを表現するためのものではあるのでしょうけどね。

映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命(いのち)の泉」感想

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映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命(いのち)の泉」観に行ってきました。
ジョニー・デップが演じるキャプテン・ジャック・スパロウを主人公とする海賊冒険作品。
実はこのシリーズの作品、過去の3部作は映画館どころかテレビでさえも一度も観たことがなく、4作目となる今作が初めてのシリーズ観賞ということになりました(^^;;)。
この映画は3D版でも公開されていますが、私が観に行ったのは2D版となります。
3Dっていちいち専用の赤青メガネをかけなければならないし、作品によっては2Dとほとんど見た目が変わらないこともあり、カネが余計にかかるだけでどの辺りに魅力があるのかイマイチ分からないんですよね。

物語の始まりは、スペインのとある漁師達が引き上げたゾンビが、「生命の泉」のことが記されている200年前の伝説の海賊であるポンセ・デ・レオンの航海日誌を手に入れ、スペインが国として「生命の泉」探索を決定することが発端となります。
一方その頃、イギリスのロンドンでは、牢獄に囚われの身となっていたキャプテン・ジャック・スパロウの公開処刑が行われようとしていました。
ところが、いざ裁判の場に連行され、顔を隠していた覆面が外された時、そこにいたのはジャック・スパロウではなく、彼の相棒だったギブス。
「俺はジャック・スパロウではない!」と主張するギブスの前に現れたのは、何と裁判長に擬態したジャック・スパロウその人でした。
裁判長ジャック・スパロウは、いかにも投げやりに裁判過程をすっ飛ばした挙句、「ジャック・スパロウ」扱いされているギブスに対し終身刑を言い渡、娯楽としての公開処刑を望む民衆からの罵倒を受けつつとっととその場を後にします。
その後ジャック・スパロウは、再び牢獄に連行されていくギブスの馬車に一緒に搭乗。
馬車を引く御者をも買収し、ギブスと一緒にロンドンから逃亡する算段を立てていました。
その際ジャック・スパロウは、自分の名を騙る人間が「生命の泉」を目指すために船の乗組員を募集しているという噂話をギブスから聞かされます。
どこで手に入れたのか「生命の泉」にまつわる地図を所持していたジャック・スパロウは、その話に怪訝な顔をするのですが、その最中、予定よりも早く馬車が停止します。
しかし馬車を降りたジャック・スパロウを待っていたのは、バッキンガム宮殿の広場のど真ん中で自分達に銃剣を突きつける衛兵達。
再び囚われの身となってしまったジャック・スパロウは、時のイギリス国王ジョージ2世の前に引き据えられ、「生命の泉」に関する情報を出せと迫られます。
処刑をも示唆されて脅迫されたジャック・スパロウは、ここから一大脱出劇を敢行。
ここからしばらく、17~18世紀当時のロンドンの街を舞台にしたアクションシーンが繰り広げられます。

紆余曲折の末、からくも衛兵達の追撃から逃れたジャック・スパロウは、たまたまそこで偽物の自分が乗組員募集を行っているという酒場に鉢合わせします。
そこで自分の名を騙っていたのは、かつて修道院?でジャック・スパロウが愛の告白をした女海賊アンジェリカ。
彼女はジャック・スパロウに対し「生命の泉」を一緒に探そうと誘いをかけるのですが、「生命の泉」にあまり興味がないジャック・スパロウは当然のごとく拒否。
ここでもすったもんだのゴタゴタの末、結局ジャック・スパロウはアンジェリカの部下に眠らされた挙句、彼女の船に強制連行され、その後「父親」である黒ひげの脅迫もあって「生命の泉」探索に無理矢理協力させられることになってしまいます。
一方、ジャック・スパロウに逃げられたイギリス側では、海賊なのにイギリス海軍に取り入った、過去3部作におけるジャック・スパロウの宿敵バルボッサ。
彼は「生命の泉」に興味を持ち、かつライバル国でもあるスペインに対抗する気満々のジョージ2世からの命で、イギリス海軍の船1隻を率いて「生命の泉」探索へと向かうことになります。
かくして、永遠の生命が与えられるとされる「生命の泉」を巡り、イギリス軍・スペイン軍・海賊達の三つ巴の戦いが展開されるわけです。

今作を観てまず驚いたのは、やはり何と言ってもジョニー・デップの好演ですね。
コメディタッチな演技とアクションシーンは、私が初めて観賞したジョニー・デップ主演映画「ツーリスト」からは到底想像もつかない高レベルなものでした。
もちろん、ジョニー・デップおよび彼のファン的には「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズにおけるアクション演技が本来の姿であり、「ツーリスト」のあのショボ過ぎるアクションシーンの方が論外なシロモノだったのでしょう。
しかし、「ツーリスト」で初めてジョニー・デップを観た私としては、そちらの印象が強かったこともあって驚かざるをえなかったわけです。
こんなことなら過去作もきちんと観ておけば良かったか、とつくづく思わずにはいられませんでしたね。

また、作中では微妙に影が薄いスペイン軍の目的が「国としては」およそ支離滅裂に満ち満ちたシロモノだったのも個人的にはかなり衝撃的でしたね。
せっかく「生命の泉」を手に入れる好都合なチャンスが自分のところに巡ってきたにも関わらず、彼らがやったことはと言えば「永遠とは神に対する信仰によってのみもたらされるべきものである」という理由から「生命の泉」を破壊するというものでした。
「生命の泉」を破壊するためだけのために軍艦3隻と多くの兵士達を派遣するスペインは、今回の遠征に一体どんな国益や見返りを求めていたのか、はなはだ理解に苦しむものがあります。
「生命の泉」がもたらす利益を求めたイギリス国王ジョージ2世や、「生命の泉」の領土宣言を行おうとしてスペイン軍に撃ち殺されたイギリス軍将兵の方が、国の方針としてははるかにマトモに見えます。
海賊であるバルボッサを利用して「生命の泉」を探させたのも、イギリス的には自国の国益のための一環であったわけですし。
スペインの目的は「生命の泉」がもたらす利益や国益を目指したものではなく「国を挙げての十字軍的な狂信」に基づいたシロモノでしかなかったわけで、こういうのは個人としてはともかく「国としては」絶対にやってはいけないことだったのではないかと思えてならないのですけどね。
略奪による利益すらも全く上げられなかったわけですから、現場のスペイン軍にとっても「骨折り損のくたびれ儲け」以外の何物でもなかったでしょうに。
3つ巴の構図自体は結構面白かったのですが、スペイン軍については「一体何しにやってきたんだよ」とツッコミを入れずにはいられなかった次第です。

物語の最後は明らかに続編が作られるような終わり方をしており、またスタッフロールが終わった後にも、アンジェリカがある「強力な武器」を手に入れるエピソードが挿入されています。
実際にあと2本続編が作られることも既に決まっているのだそうで、今後も期待されるであろうシリーズ作品と言えるでしょうね。

映画「エンジェルウォーズ」感想

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映画「エンジェルウォーズ」観に行ってきました。
精神病院に収容された少女が、幻想的な世界で自由に手にするため戦っていくアクション・ファンタジー作品。
「エンジェルウォーズ」というのは日本の映画配給会社が名付けた邦題で、原題は「Sucker Punch(サッカーパンチ:予想外の殴打)」というのだそうです。

この映画は、主人公である少女の母親が死に、遺産相続を巡って義父との間で家庭内トラブルが発生するところから始まります。
「自分の遺産は全て2人の娘に与える」という遺言書の内容に激怒した継父は、主人公を部屋に閉じ込め、妹であるもうひとりの黒髪の少女をその手でくびり殺してしまいます。
さらに継父は主人公に妹殺しの濡れ衣を着せてレノックス精神病院に隔離し、病院の用務員であるブルーという男にカネを渡し、ロボトミー手術を施すよう依頼します。
ブルーは当初1400ドルのカネを提示されるものの、秘密が漏れる可能性を示唆して金額を2000ドルにつり上げ継父に無理矢理承諾させると、5日後に医者を来させて手術を行わせると約束します。
そしてロボトミー手術が行われ、医者に銀製の杭を頭に打ち込まれるまさにその寸前、突如世界が変貌します。
舞台となっているはずの精神病院は、訳有りの女性ダンサー達が売春婦として客を取る秘密クラブとなり、ブルーはその秘密クラブのオーナーということになってしまうのです。
何故そのような変貌が起こったのかは物語終盤でおぼろげながら見えてくるのですが、全般通じて作中では具体的な説明がなく、その場面だけでは何が何だか全く分からぬまま物語は進行していきます。
とにかく、この秘密クラブに連れてこられた(という設定に変わっているらしい)主人公の少女は、クラブ内における「源氏名」としてベイビードールという名前が与えられ、以後、作中ではこの名前で主人公は呼ばれていくことになります。

ベイビードールはダンサー達のまとめ役的な存在であるベラ・ゴルスキーに、皆が集まっているダンスルームでダンスを踊るよう指示されます。
最初は全く動けないでいるベイビードールですが、ベラ・ゴルスキーの奇妙な語りかけによってやる気になり、再び流れてきた音楽に合わせてダンスを踊り始めます。
するとその瞬間、目の前の光景が日本の寺院のような場所に変わり、ベイビードール自身もまたヘソ出しのセーラー服を纏った姿となります。
寺院の中に入っていくと、そこには日本刀を磨いているひとりの男の姿が。
その男ワイズマンに「何を求める?」と問いかけられたベイビードールは「自由を手にしたい」と回答。
するとワイズマンは、ベイビードールに必要となる5つのアイテムを教えると共に日本刀を手渡し、「この刀を手にした時、戦いが始まる」と告げます。
5つのアイテムの内容は、地図・火・ナイフ・鍵、そして最後のひとつは謎で、その答えは自分で見つけなければならないとされています。
そして、日本刀を手にすると同時に背後から現れる3つの巨大鎧武者。
マトリックス的なアクションシーンがひとしきり繰り広げられ、ベイビードールが勝利を収めた後、またも世界が変転し、最初に踊っていたダンスが終わった直後の状態でベイビードールは佇んでいます。
周囲からは「素晴らしいダンスだ」と拍手と賞賛の嵐が起こり、どうやらダンスを踊っている間、架空の世界で戦いが繰り広げられるらしいことが明示されます。
ベイビードールはワイズマンが挙げた5つのアイテムを獲得し自由を得るために、自分と同じ境遇を持つスイートピー・ロケット・ブロンディ・アンバーという4人の少女達と共に、秘密クラブ内ではダンスを踊りつつ、その最中に展開される幻想の世界で戦いを遂行していくことになるのです。

映画「エンジェルウォーズ」の世界は3重構造となっています。
その世界の構成は以下の通り↓

第1層:現実世界(レノックス精神病院)
↓↑
第2層:現実世界で主人公が空想している世界(ダンサー達の秘密クラブ)
↓↑
第3層:ベイビードールがダンスを踊っている最中に展開される戦いの幻想世界

第2層と第3層の往来は、ベイビードールのダンスが始動キーになっていることもあり結構分かりやすいのですが、第1層と第2層の変わり目が非常に分かりにくいんですよね。
しかも第1層と第2層の行動はカブっている部分があるみたいですし。
物語終盤に主人公はロボトミー手術が施された状態で再び第1層に戻ってくるのですが、その直前に第2層で起こしていた破壊活動の痕跡が第1層の精神病院にも残っていたりします。
また、第2層で秘密クラブからの逃亡に成功したスイートピーは、第1層でも逃亡生活を送っています。
これから考えると、第2層は第1層で実際に起こった事件および各キャラクターの言動を元にして主人公の頭の中で構築された世界である、という仮説が成り立つのではないでしょうか。
第1層で具体的に何が起こったのかについては作中で全く語られないため、そう推察するしかないのですが。
ただ、第3層で主に登場していたはずのワイズマンは、物語の最後にスイートピーの逃亡を手助けするバスの運転手として第1層でも登場しており、この辺が何とも微妙な謎を残すところではあります。

第3層で繰り広げられるアクションシーンでは、日本のマンガやアニメが元ネタと思しき兵器や敵が多数登場しています。
主人公が手にする日本刀や最初の戦いの巨大鎧武者もその類ですし、前面に日本語が書かれているロボットのような兵器も登場します。
敵もナチス・ドイツもどきのゾンビ兵団だったりドラゴンだったりターミネーターもどきだったり、FFシリーズに登場するような未来都市や列車も出てきたりと、もう何でもありの世界です。

作中のストーリーは最初から最後までかなり暗い部類に入ります。
冒頭部分からして母の死・妹殺しの冤罪・精神病院収容・ロボトミー手術と暗い要素が目白押しですし、その第1層を元に作られた第2層もまた、残虐非道なブルーによって仲間達が殺されていったりしています。
延々と殺し合いが続いているはずの第3層が、主人公含むヒロイン達が一番生き生きしているように見えるのも何だか皮肉ですね。
これで結末が明るければまだ救いもあるのですが、その結末もやっぱり暗いの一言ですし。
5人のうち生きているのは2人だけで、しかも主人公はロボトミー手術で廃人状態、スイートピーもひたすら逃亡生活を続ける羽目になる、というラストは、結局「自己満足」以外の何の救いがあったというのでしょうか?

アクションシーンは良く出来ていると思うのですが、基本的にバッドエンド嫌いの私としては評価が低くならざるをえない作品と言えますね。

映画「ガリバー旅行記」感想

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映画「ガリバー旅行記」観に行ってきました。
アイルランドの風刺作家ジョナサン・スウィフト原作「ガリバー旅行記」を現代に合わせてアレンジした、コメディ系のファンタジー・アドベンチャー作品です。
この映画は3D版も公開されているのですが、私が観に行ったのは2D版になります。

この映画の主人公ガリバーは、アメリカ・ニューヨークの新聞社で郵便仕分けの仕事に従事する、虚言癖のあるチキンな人物として描かれています。
彼には新聞記者になる夢を抱いていたり、ダーシーという女性に5年も片思いをしていたりするのですが、チキンな性格が災いして夢を諦めてしまい、結果として郵便仕分けの仕事に10年近くも甘んじていたのでした。
新しく郵便仕分け係に赴任した部下がたったの1日で昇進し自分の上司となってしまった挙句、「君はこれ以上成長できない」的なことを言われていたのには、正直哀れみを誘うものがありましたね。
しかし、そんなガリバーにも、ふとしたことからチャンスが訪れます。
ダーシーに告白だかデートの約束だかをこぎつけようとした際に口から出たウソから、彼はダーシーから旅行記者としての仕事を手に入れる機会に恵まれるのです。
その際、明日までに旅行記者としてのレポートをまとめて提出するよう言われるのですが、当然文才もなければ知識もないガリバーにそんなことができるわけもありません。
そこでガリバーは、ネット上に掲載されている旅行記事の文章をいくつかコピペし自分のレポートとしてでっち上げるという、どこかの唐○俊一のP&Gのごとき神業を駆使してレポートを作成し提出。
結果、(後日にバレるものの)その場では見事にダーシーをダマくらかすことに成功し、バミューダ・トライアングル取材の仕事を勝ち取ることに成功するのです。
しかし、いざ自動操縦の船に乗り込んでバミューダ・トライアングルの海域へと向かったガリバーは、目的地近くの海域で突如大嵐に見舞われた挙句、巨大な竜巻に船ごと飲み込まれ意識を失ってしまいます。
そして次にガリバーが目覚めた時、そこには浜辺で小人達に囲まれ、がんじがらめにされて横たわっている自分の姿があるのでした。
小人の国リリパットにおけるガリバーの旅行記がここから始まるのです。

映画「ガリバー旅行記」一番のセールスポイントは、やはり何と言っても主人公ガリバーを演じ製作総指揮も担っていたジャック・ブラックですね。
ジャック・ブラックが出演している映画の中で私が観た作品としては、1995年公開映画「ウォーターワールド」と2005年公開映画「キング・コング」があります。
特に映画「キング・コング」でジャック・ブラックが演じた映画監督カール・デナムは、他の登場人物達を差し置いて「濃い」キャラクター性を存分に発揮していて強く印象に残ったものでした。
今作でもその演技は健在で、ガリバーの「濃い」キャラクター性と、最初はチキンだった性格から次第に成長を遂げていく様を存分に魅せてくれます。
それ以外の登場人物達は、全体的に「私はこういう役を演じています」というのが誰の目にも一目瞭然な「わざとらしい」雰囲気を前面に出している言動に終始していて、あえてやっていた一面もあるのでしょうけど「良くも悪くも子供向けな演出」という印象を受けましたね。

また作中では、作中では「スターウォーズ」「タイタニック」「アバター」などといった映画のパロディネタが披露されています。
「スターウォーズ」は物語冒頭でいきなりガリバーが「スターウォーズ」のキャラクターフィギュア相手にひとりで声の吹替芝居を始めますし、リリパット王国でガリバーのために作られた舞台でも上演されています。
「タイタニック」も「スターウォーズ」と同じくリリパット王国の舞台で上演され観客達の涙を誘い、またリリパット王国の街中には「アバター」ならぬ「ガバター」の宣伝用看板が掲げられていたりします。
一連の作品は、リリパット王国では全て「ガリバーがこれまで送ってきた人生のエピソード」として語られており、その流れをまとめると、
「悪の父親と直接対決を行い(スターウォーズ)、恋人を助けて海の藻屑と消え(タイタニック)、ガバターとして復活し(アバター)、そしてリリパット王国に流れ着く(今作)」
ということになっているようです。
よくもまあそんなヨタ話をガリバーは作れたものだと、そのホラ吹きぶりには逆に感心すらしてしまいましたね(苦笑)。

ガリバーが訪れたリリパット王国、およびリリパット王国と敵対関係にあるブレフスキュ国は、原作のそれと同じく「中世ヨーロッパ」的な雰囲気と文化を持つ国となっているはずなのですが、作中の描写を見る限り、恐るべき技術力と順応力を持っていることが分かります。
ガリバーのために現代風の家を建てたり、実用性のあるコーヒーメーカーやサッカーゲームを作ったり、ニューヨークの街並みを再現した上に電気まで引いてきたりと、短期間のうちに凄まじい変貌を遂げる順応性とそれを支える技術力が披露されています。
さらに物語後半になると、ガリバーがリリパット王国に持ち込んだ科学雑誌を元に、ブレフスキュ国で製造されたパワードスーツまでもが登場します。
このパワードスーツは、巨人であるはずのガリバーをはるかに凌駕する身長と腕力を誇り、「スターウォーズ」のR2D2モドキな姿から人型形態へトランスフォームできる能力まで持つという、現代世界でさえ達成できていないのではないかというレベルの技術が結集されています。
ガリバーが現代の文化を持ち込んだだけでは、ここまで飛躍的な発展を、しかも短期間でできるわけがないので、リリパット王国とブレフスキュ国は元々かなり高い文明水準を持っていたと考えるのが妥当なところでしょうか。

ストーリー的には、チキンな性格だったガリバーが成長していく過程、およびリリパット王国の王女メアリーとホレイショの恋愛話をメインに進行しており、良くも悪くも王道路線で分かりやすい構成になっている感じです。
ただ、物語終盤で展開されていた「戦争反対ミュージカル」だけは少々理解に苦しむものがありましたが(-_-;;)。
日本語吹替版で映画を観賞したこともあったのかもしれないのですが、踊りのリズムと日本語吹替による歌がまるで合っていなかったんですよね。
字幕版で観賞したらもう少し印象が変わってくるかもしれないのですが……。

子供向けおよびコメディ系のエンターテイメント作品が好きという方にはオススメできる映画ですね。

映画「トゥルー・グリット」感想

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映画「トゥルー・グリット」観に行ってきました。
アメリカ西部開拓時代を舞台に、14歳の少女が2人の男と共に父親の仇を追う復讐劇を描いた、1969年公開の西部劇映画「勇気ある追跡」のリメイク作品です。
映画「ヒアアフター」と同じく、スティーブン・スピルバーグが製作総指揮を、マット・デイモンが主演のひとりを演じています。
作中に指を切断するシーンや、片手を切断している女性の描写があったりするためか、この作品はPG-12指定されています。

物語はアメリカのオクラホマ州境にあるフォートスミスで、ひとりの資産家が殺されたから始まります。
殺人犯であるトム・チェイニーは、殺害した資産家から金貨2枚を奪い、インディアンの居留地へ逃亡します。
その後、父親の亡骸を確認に来た娘のマティ・ロスは、父親の形見となった銃を譲り受け、父親を殺害したトム・チェイニーをその手で殺しに行くことを決意。
付き人の弁護士?の静止を振り切り、復讐の軍資金を得るべく、生前の父親が馬を預けていたというストーンヒルという小屋に入り、そこの主人からカネをふんたくるための交渉を開始します。
14歳の少女とは思えないほどの法理論と弁術を駆使し、さらには訴訟恫喝まで交えた交渉術に、ストーンヒルの老主人もついに根を上げ、300ドル以上のカネの供与と馬の提供を約束させられてしまいます。
さらにマティ・ロスは、「真の勇者(トゥルー・グリット)」の異名を持つ保安官ルースター・コクバーンに犯人追跡の依頼を行います。
最初は「何だこの小娘は?」と言わんばかりに胡散臭げな対応しかしなかったルースター・コクバーンも、執拗に依頼を行うマティ・ロスと提示された報酬の魅力にこれまた根負けし、依頼を引き受けることを明言します。
そこへさらに、別件容疑でトム・チェイニーを追い、はるばるテキサスからフォートスミスにやってきた、マット・デイモン演じるレンジャーのラビーフも加わり、犯人追跡の苛酷な旅が始まることになるのですが……。

映画「トゥルー・グリット」は、良くも悪くもアメリカ西部劇を忠実に再現した1960年代臭漂う古風な作品、というイメージがありますね。
リメイク元の作品がそうなのですから当然なのでしょうが、作中で展開されるストーリーもアクションシーンも、CGを駆使したド派手な演出を見慣れた観客としての視点から見るとかなり地味な印象を受けます。
ハリウッド映画でありがちな「マシンガンの乱射をヒュンヒュンかわしていく主人公」的な描写は一切ありませんし、作中の悪役もスケールが小さいし。
同じ1960年代の作品をリメイクした邦画の「十三人の刺客」と比較しても登場人物が少なく、西部劇な描写が展開されるシーンも相当なまでに地味としか言いようがなかったですね。
まあ、そういう雰囲気を演出するのが製作者の意図でもあったのでしょうけど。

この作品の真骨頂は、どちらかと言えば主演3人が繰り広げる人間ドラマ的なものでしょうね。
ルースター・コクバーンとラビーフは、物語終盤近くに差し掛かるまで相当なまでに仲が悪く、特にラビーフは別行動を取ることもしばしば。
特に中盤付近でルースター・コクバーンが敵を待ち伏せしてスナイパー奇襲を仕掛ける際には、偶然その場に居合わせてしまったラビーフが邪魔になり、奇襲が失敗するという結果を迎えてしまったりします。
しかも合流すればしたで、今度は子供の喧嘩じみた言い合いから銃と乾パンを使った的当て合戦をはじめ、互いに貴重な弾丸と食糧を無駄に浪費する始末。
2人を傍観していたマティ・ロスでなくても「大丈夫かこいつら?」という感想を抱かざるをえなかったところですね。

また旅の途中では、ルースター・コクバーンとラビーフそれぞれの過去について語られます。
ルースター・コクバーンは1対多数の局面で単騎突撃を敢行し、多勢の敵を蹴散らした戦訓。
ラビーフは一度トム・チェイニーを300メートル先の眼前に捉えながらも、狙撃に失敗してしまった苦い過去。
これがそのまま、終盤の描写の伏線にもなっています。

結果的にマティ・ロスの復讐は成就され、仇を討つことには成功するのですが、その代償として彼女は左腕を毒蛇に噛まれてしまい、二の腕から下を切断することになってしまいます。
復讐の成就から25年後、彼女はメンフィスにいるというルースター・コクバーンの元を訪れるのですが、そこで待っていたのは「彼は3日前に病気で死去した」という報せ。
一方、ラビーフは生死も行方も不明で、生きていれば80歳近くになるというナレーションのみ。
マティ・ロスがルースター・コクバーンの亡骸を引き取り、新しく埋葬された墓に祈った後、墓から立ち去るシーンで物語は終了します。

古き良きアメリカ西部劇作品が好きな方には100%オススメですが、派手なアクションシーンが好みという人にとっては少々微妙な作品かもしれません。

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