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カテゴリー「2011年」の検索結果は以下のとおりです。

映画「ツーリスト」感想

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映画「ツーリスト」観に行ってきました。
ハリウッドのトップスターである、ジョニー・デップとアンジェリーナ・ジョリーが初共演するということで話題を集めた、2005年公開のフランス映画「アントニー・ジマー」のリメイク作品です。

この作品序盤の舞台はフランスのパリ。
アンジェリーナ・ジョリー扮する謎の美女エリーズ・クリフトン・ワードと、彼女の動向を密かに監視するイギリス警察との駆け引きから物語は始まります。
イギリス警察はとある組織から大量のカネを盗み、かつ7億4400万ポンドもの脱税行為を働いたアレクサンダー・ピアースという男の行方を追っていました。
エリーズはアレクサンダー・ピアースの恋人と目されており、彼女を通じてアレクサンダー・ピアースの行方を探る目的から、彼女が警察からマークされていたわけです。
そんなある日、彼女は朝食を取っていたレストランで、配達人からアレクサンダー・ピアースからの手紙を受け取ります。
そこには、8時22分のリヨン駅発イタリア・ヴェニス(ヴェネツィア)のサンタルチア駅行の列車に乗り、自分と良く似た体格の人間を探し自分の身代わりにしろとの指示が書かれていました。
手紙を燃やして監視の目を何とか撒いて問題の列車に乗ったエリーズは、そこでジョニー・デップが演じるアメリカ人教師でイタリア旅行の途上にあったフランク・トゥーペロと出会い、声をかけることになります。
エリーズとフランスは列車内の食堂室?の中で楽しく会話を交わしますが、その様子を、手紙の燃えカスを回収・分析し先回りしていた警察によって携帯画像に収められ、フランクは「アレクサンダー・ピアースではないか?」という疑いの目を向けられることになります。
列車から降りたところを取り押さえるべく、終点のサンタルチア駅ですぐさま非常線を張るイギリス警察。
しかしその後、警察本部が採取されたフランクの画像を照合していった結果、フランクの身元が確認されたため、2人が駅に着く直前になって非常線は解除されます。

しかし、この一時的な嫌疑を真に受けた警察内部のスパイが、「フランクはアレクサンダー・ピアースである」と外部に連絡したことが、物語をさらに進展させていくことになります。
スパイから連絡を受けたのは、アレクサンダー・ピアースによってカネを奪われた組織のボスであるレジナルド・ショー。
彼が率いる組織は、早速エリーズとフランクが宿泊するホテルの監視を始め、エリーズがフランクにキスした場面を目撃したことから、勘違いが事実であると確信するようになります。
そして翌日の朝、エリーズがいなくなったホテルの部屋で、フランクは組織からの襲撃を受けることになるのですが……。

映画「ツーリスト」は、主人公をも含めた登場人物達に謎があり、それを暴いていく過程を楽しむことをメインとしている点で、今作と同じくアンジェリーナ・ジョリーが主役を演じた映画「ソルト」を想起させるものがありますね。
ただ「ソルト」と異なり、「ツーリスト」ではアクションシーンが作中でほとんど展開されず、終始ミステリー的な頭脳戦や駆け引きをメインにストーリーは進行していきます。
フランクがホテルから逃げるシーンと、ヴェニスの街を舞台に繰り広げられた水上ボートの逃走劇が、作中で展開されたアクションシーンと言えるものではありましたが、時間が短い上にハリウッドお得意な迫力とスピード感はゼロに近いシロモノでしたし。
私がアンジェリーナ・ジョリー主演作品で観賞したことのある作品と言えば、「ソルト」以外にも「トゥームレイダー1&2」「Mr.&Mrs.スミス」「ウォンテッド」といったものがあるのですが、全部アクションシーンがバリバリに出てくる作品ですし、そういう作品をメインに活動している女優というイメージがあったので、かなり意外な感は禁じえなかったところですね。
一方で、ジョニー・デップ主演作品の方は今まで1作も観ていなかったので、こちらはそういう印象などそもそも抱きようがありませんでした(^^;;)。

ミステリーの醍醐味とも言える物語終盤には驚愕の真相が待ち構えています。
その真相が分かるための伏線は一応物語後半に用意されていたのですが、私の場合、映画観賞時はその伏線に注意を払っていなかったこともあって、突然の急展開に一瞬話についていけなかったクチだったりします(^^;;)。
映画観賞終了後に内容を思い返し、「ああ、あそこにああいう伏線があったなぁ」とようやく合点が行き、話の全体像が見えてくるというありさま。
アレクサンダー・ピアースを追っていたジョン・アチソン警部が、ことの真相を知って茫然自失しつつ空を眺めているシーンは、私もついつい共感せずにはいられませんでしたね(T_T)。

映画「ツーリスト」はアメリカ本国では興行的に失敗しているとのことで、また第68回ゴールデングローブ賞では何故かミュージカル・コメディ部門にノミネートされて批判を受けるなど、何かと醜聞が付き纏う映画だったようです。
作品を見る限り、確かにアメリカ人受けはしないような内容でしたが、果たして日本ではどのような評価を受けることになるでしょうか?

映画「ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島(3D版)」感想

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映画「ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島(3D版)」観に行ってきました。
イギリス人作家のC・S・ルイス原作小説「ナルニア国ものがたり」の3作目「朝びらき丸 東の海へ」の実写映画版。

映画「ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島」の前身となる「第1章:ライオンと魔女」「第2章:カスピアン王子の角笛」でナルニア国に召喚され、ナルニアの危機に立ち向かい活躍したイギリスのペペンシー4兄弟。
しかし今作では、そのうちの上2人・長男ピーターと長女スーザンがアメリカに行っているという設定になっているため、ナルニアには召喚されません。
代わりに、ペペンシー4兄弟の下2人である次男エドマンドと次女ルーシー、そして彼らが一時的に預けられていたスクラブ家のユースチスが主人公として活躍することになります。
今作初登場でペペンシー4兄弟の従兄弟に当たるユースチス・スクラブは、とにかく頭でっかちでワガママな「良家のお坊ちゃん」として描かれており、特に序盤における非協調かつ現実を認めない発言を乱発するサマは、周囲にも観客にも悪印象を植え付けるに充分な態度でした。
物語中盤では、金銀財宝に目が眩んだ強欲さによってドラゴンに変化する呪いをかけられてしまいますし。
しかしこのユースチスが、主にしゃべるネズミのリーピチープとの会話を通じて次第に周囲との理解が深まり、終盤では戦いの帰趨を決する役割を担うまでに至ります。

また、前作・前々作と長男ピーターに活躍の場を奪われていた感があったばかりか、特に1作目では白い魔女の誘惑に物語終盤直前まで囚われていた次男エドマンドが、今作ではようやく汚名返上できる活躍の場が与えられています。
エドマンドはやはり1作目の白い魔女のことをずっと気にしていたのか、作中で登場する「人を誘惑する緑の霧」にも白い魔女を形作られ何度も誘惑されることになります。
エドマンドも最終的には見事に誘惑を断ち切り、白い魔女(を形作った緑の霧)は断末魔の声を上げて消えることになります。
そして、次女のルーシーもまた、長女スーザンの美貌にコンプレックスを持っていることが作中で明らかになるのですが、この辺りの描写は幼女だった1作目辺りでは考えられなかったことで、彼女が思春期の少女に成長していることを示すものと言えます。
エドマンド、ルーシー、ユースチス、3者3様でそれぞれ描かれる成長物語が、今作の魅力のひとつと言えるのではないでしょうか。

映画「ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島」のストーリーは、スクラブ家の一室にあった海の絵から突然溢れ出てきた大量の海水に巻き込まれ、エドマンド&ルーシー&ユースチスの3人がナルニアの海に放り出されるところから始まります。
放り出された目の前には、前作でも王子として登場しその後王位についたカスピアンが指揮する帆船「朝びらき丸」があり、3人は「朝びらき丸」に救助されることになります。
カスピアンは、亡き父親の友人だった7人の貴族(7卿)を探す旅の途中で、成り行きから3人はカスピアンの航海に同行することになります。
行く先々の島では、人売りに捕まったり、透明な化け物に襲われたり、黄金に魅入られたりと様々な事件に巻き込まれ、航海でも嵐の遭遇と糧食の問題に悩まされつつ、7卿を探す旅は進んでいくのですが……。

同じファンタジー作品系列になるであろう映画「ハリー・ポッター」シリーズが特にそうなのですけど、「ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島」もまた、ストーリー展開がやたらと速すぎる感が否めませんね。
7卿(と彼らが持っている7つの剣)を探す旅では、3人が1箇所でまとめて見つかったりしていますし、本来のストーリーをかなり端折っている感があります。
やはり「ハリー・ポッター」と同じで、1冊のストーリーを2時間あるかどうかの映画にまとめるのは物理的に無理があるのでしょうけどね。
シリーズ作品の宿命的な欠陥なのでしょうが、シリーズを重ねれば重ねるほど内容の理解が難しくなっていくこの問題、どうにかならないものなのでしょうか?

ところで「ナルニア国物語」と言えば、我らが田中芳樹御大がかつてこんなことを述べていたことがあります↓

薬師寺シリーズ7巻「霧の訪問者」 講談社ノベルズ版P27上段~下段
<原理主義というと、すぐイスラム教の過激派を想いおこすが、キリスト教にだって排他的な原理主義者はいる。じつはアメリカという国は、その種の連中の巣窟だし、意外なところでそういったものに出くわすこともあるのだ。
『ナルニア国物語』というイギリスの有名なファンタジー小説があって、映画にもなった。この作品はかなり保守的なキリスト教的世界観にもとづいて書かれたもので、あきらかにイスラム教を敵視したり女性に対して偏見を持った記述がある。その点に対する批判が欧米社会にはあるのだが、日本ではまったく問題にされなかった。日本は宗教に対して、よくいえば鷹揚だし、悪くいえば鈍感なので、『ナルニア国物語』も単なる異世界ファンタジーとして受容されたのだ。『指輪物語』の作者トールキンが『ナルニア国物語』をきらっていたとか、アメリカのキリスト教右派がこの本を政治的に利用したとかいう事実は、日本人には関係ないことだった。まあ実際、物語としてはおもしろいから、単にそれだけですませておくほうがオトナな態度かもしれない。>

で、私は一応「ナルニア国物語」の実写映画版は全て観賞しているのですが、あいにくと今作も含めて「あきらかにイスラム教を敵視したり女性に対して偏見を持った」に該当する描写というものを一度も観たことがないんですよね。
田中芳樹は「【アメリカ】にはキリスト教の排他的な原理主義者がいる」という論の根拠として【イギリス】の有名なファンタジー小説である「ナルニア国物語」を持ち出しています。
しかし、作者の出自はイギリス、原作小説の舞台もイギリスと架空の国ナルニアであり、アメリカとの関連性は全くありません。
そんな状態で「ナルニア国物語」からアメリカ批判に繋げようとするのであれば、アメリカで作られた実写映画版の「ナルニア国物語」シリーズにそういう描写がないと話がおかしくなってくるのではないかと思うのですけどね(苦笑)。
アメリカのキリスト教右派とやらが「ナルニア国物語」を政治的に利用しようがどうしようが、そんなものは作品にも(原作者含む)製作者にも、ましてやイギリスにも全く何の関係もない話でしかないのですし。
もちろん、7作あるとされる原作小説には、田中芳樹が問題視する「あきらかにイスラム教を敵視したり女性に対して偏見を持った記述がある」のかもしれません。
しかしそれならば、実写映画化に際してそういう描写を取り除いたハリウッド(アメリカ)の映画制作スタンスは、田中芳樹的にはむしろ賞賛すらされて然るべきではないのかと(爆)。
全く何の関係もないのに田中芳樹のアメリカ批判の「ヤクザの言いがかり」的なダシにされてしまった「ナルニア国物語」、特に実写映画版には、私は心からの同情の念を禁じえませんね(T_T)。

映画「ヒアアフター」感想

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映画「ヒアアフター」観に行ってきました。
クリント・イーストウッドが監督を、スティーブン・スピルバーグが製作総指揮をそれぞれ担っている、マット・デイモン主演作品です。

映画「ヒアアフター」では、人の死と死後の世界をテーマに、それぞれ3人の人物にスポットを当てたストーリーが展開されます。

1.インドネシアで彼氏と旅行中、大津波に巻き込まれて臨死体験をし、死後の世界のヴィジョンを垣間見たフランス人女性のマリー・ルノ
2.幼少時の臨死体験がきっかけで、他人を霊視することできる能力に覚醒したアメリカ人男性のジョージ(マット・デイモン演じる主人公)
3.ドラッグ中毒の母親を抱えながらも一緒に生活していた双子の兄ジェイソンを、突然の交通事故で亡くしてしまったイギリス人少年のマーカス

この3人はそれぞれ全く面識がなく、3つのストーリーは何の関連性も絡みもない状態からスタートすることになります。
ストーリーの核となる3人の登場人物は、それぞれ生活面で問題を抱え込んでいます。
フランスのテレビ局でアナウンサーとして出世し、恋人もいながら、大津波に襲われて以後は長い休養が続き、結果アナウンサーとして干された上に恋人にも浮気され別れる羽目になったマリー・ルノ。
かつては他人を霊視する能力を使ったビジネスで荒稼ぎをしていたものの、能力に振り回されて疲れきって引退してしまい、通常の生活を送れずに苦しむ中、霊視ビジネスの旨味が忘れられない兄から何度も復帰を促されるジョージ。
依存していた兄を失い、ドラッグ中毒の母親から引き離されて里親に引き取られるも、兄のことが忘れられず、「死者との会話」を夢見て里親のカネを持ち出し自称霊能力者に会うための旅に出てしまうマーカス。
個人的には、せっかく料理教室で知り合った女性と良い雰囲気になっていたにもかかわらず、兄からの電話で能力のことが知られてしまい、彼女の実の父と母のことをズバリ言い当ててドン引きされ、そのまま別れる羽目になってしまったジョージが哀れでならなかったですね。
ジョージもあの場で「適当なウソをついてその場を誤魔化す」的な選択肢を取れなかったのだろうか、とは思わずにはいられませんでしたが。

それぞれ独立していた3つのストーリーを1つに収束することになったきっかけは、マリー・ルノが自身の臨死体験と独自調査から執筆した1冊の本にあります。
その本の名前は、映画のタイトルにもなっている「ヒアアフター(来世)」。
元々「ミッテラン大統領のことについて書け」と言われていたにもかかわらず全く違う本を書いてしまったマリー・ルノは、上司から変人扱いを受けてしまうのですが、その本の内容に興味を持った出版社がマリー・ルノに打診。
結果、めでたく「ヒアアフター(来世)」は出版されることになり、それを記念して、マリー・ルノはイギリスのロンドンで開催されるブックフェアで講演&サイン会を行って欲しいと依頼されます。
そこに、元からイギリス在住だったマーカス、傷心旅行?でイギリスに来ていたジョージが足を運び、かくして3人は1つの場所に集うことになるわけです。

映画「ヒアアフター」は、ハリウッド映画にありがちな派手なアクションシーン的なものは微塵もなく、ただひたすら登場人物達の心の内面を描くことに徹しています。
また、実際にあった事件も作中で絡めており、冒頭で出てくるインドネシアの大津波の他に、ロンドンの地下鉄爆破テロ事件も登場します。
3人の登場人物達が抱える問題点が前面に出てくるため、序盤から終盤近くまで作品の雰囲気はとにかく暗いのですが、それでも最後はハッピーエンド的な結末がきちんと用意されています。
あれで結末まで悲惨な内容だったら「勘弁してくれ」と言いたくなるところではあったので、ラストシーンではついホッとしたものでした。
この辺りはやはり、製作総指揮を担ったスピルバーグの意向によるものなのでしょうか?

作品のテーマがかなり重く、ストーリーも単純な構成ではないだけに、映画「ヒアアフター」は今作と同じくスピルバーグが製作した映画「A.I.」ばりに哲学的な作品と言えます。
その点では映画「A.I.」と同じように、この作品もまたアメリカ人ではなく日本人向けと言えるのかもしれませんね。

映画「ザ・タウン」感想

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映画「ザ・タウン」観に行ってきました。
年間300件以上もの銀行強盗事件が発生するマサチューセッツ州ボストンのチャールズタウン(略称「タウン」)を舞台に繰り広げられるクライム・アクションドラマ。
作中では暴力が振るわれたり銃撃で頭を貫かれたりする描写やセックスシーンがあるためか、この作品はPG-12指定されています。

映画「ザ・タウン」の主人公で俳優ベン・アフレックが演じるダグは、人を殺さず、人質も取らないことを信条とする銀行強盗団のリーダー格。
物語冒頭、ダグが率いる4人組がとある銀行を襲撃します。
万全な下準備の下、襲撃手順も完璧にこなし、見事金庫の中の現金をせしめる強盗団達。
しかし、いざ現場から引き揚げようとしたその時、ダグの幼馴染ジェムの不手際により、女性支店長のクレアを人質に取ったことで、彼らの運命の歯車が狂い始めます。
殺しを良しとしないダグの判断により人質を無傷で解放した後、取り上げた免許証から、彼女が同じ街に住んでいる人間であることが判明。
短気なジェムが女の始末を主張しますが、ダグはそれを抑え、自らの目で問題があるか否かを確認すべく、彼女に接近することを決意します。
しかし彼女を追跡する中、コインランドリーでクレアがダグに話しかけることをきっかけに、2人は意気投合することになります。
その後もクレアと会い続け、互いに身の上話を交わしたり、ついにはセックスをしたりする仲にまで至ってしまうダグ。
その過程でダグは、自分の仕事である銀行強盗という行為に疑問を抱くようになり、犯罪稼業から足を洗うことを考えるようになります。
しかし、ジェムをはじめとするダグの銀行強盗仲間や、強盗稼業の元締め的存在である花屋のファーギーは、自分達が警察に売られる懸念もあって、ダグが仲間から抜けることを承諾しません。
犯罪稼業から抜け出そうにも抜け出せないまま、ダグはさらに犯罪行為を重ねていくことになるのですが……。

映画「ザ・タウン」では、銀行強盗・輸送車襲撃・野球スタジアムの収益金強奪と総計3回の犯罪が行われます。
ダグが率いる銀行強盗団は、犯行の際は入念に下調べを行ったり、髑髏やシスターに扮したマスクを着用して顔を隠したり、漂白剤を使ってDNAの痕跡をも消してしまったりと、FBIをも唸らせるほどに手際の良いプロ集団として描かれています。
2つの銀行と6台の現金輸送車を襲撃したという犯罪歴がありながら捕まっていないという点からも、彼らの実力が伺えます。
ただそれでも、ほとんど時間を置くことなく次々と襲撃が実施されていくのには、「いくら何でも急ぎ過ぎ&危な過ぎないか?」とさすがに思わずにはいられませんでしたね。
冒頭の銀行強盗だけでもかなりの金額を稼ぐことに成功しているでしょうに、数年くらい時間を置いてほとぼりを醒ます、的な選択肢は取れなかったのでしょうか?
性急過ぎる襲撃依頼のために、2回目以降は準備不足な状態で襲撃が実施されていたようでしたし、警察側の待ち伏せまで受けてしまう始末でしたからねぇ。

あと、ダグとクレアの間で交わされた身の上話のひとつが、物語終盤で重要な伏線として活用されることになります。
これは映画を観賞してのお楽しみということで。

それと、この映画で花屋のファーギー役を演じていたピート・ポスルスウェイトが、2011年1月2日にお亡くなりになったのだそうです。
最近では映画「タイタンの戦い」および「インセプション」にも出演していたとのこと。
謹んでご冥福をお祈り致します。

映画「ウォール・ストリート」感想

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映画「ウォール・ストリート」観に行ってきました。
1987年公開映画「ウォール街」の続編作品。
新エネルギーを開発するベンチャー企業を支援しようと奮闘するシャイア・ラブーフ演じる若き証券マンのジェイコブ・ムーアと、8年の服役ですっかり過去の人となった、前作でも活躍したマイケル・ダグラス扮するゴードン・ゲッコーの2人が織り成すマネーゲームを描いた人間ドラマです。

物語は2001年、インサイダー取引の罪で収監されていたゴードン・ゲッコーが、8年の服役を終えて出所するところから始まります。
ほとんど無一文状態で出所したゴードン・ゲッコーは、自分と同じように出所しながら、迎えに来た家族?と一緒に帰っていく黒人を尻目に見ながら刑務所を後にします。
その後ゴードン・ゲッコーは、金融関係の本を書いて一定のファンを獲得するまでの著名人となっていきます。
舞台は変わってその7年後の2008年。
ニューヨークで投資銀行ケラー・ゼイペル社に勤めていたジェイコブ・ムーアは、次世代クリーン・エネルギーの開発支援に情熱を傾ける若き証券マン。
また私生活面でも、ゴードン・ゲッコーの娘であるウィニー・ゲッコーと結婚を前提とした付き合いをしており、順風満帆な人生を送っていました。
ところが、勤め先のケラー・ゼイペル社が急激な株価の大暴落に見舞われ破綻。
さらには、自身が恩師として慕っていた経営者のルー・ゼイペルが地下鉄で飛び降り自殺するにまで至り、失意のどん底に突き落とされてしまいます。
そんな中ジェイコブ・ムーアは、とある大学で開催されたゴードン・ゲッコーの講演会に出席。
講演会終了後、ジェイコブ・ムーアはゴードン・ゲッコーに「娘さんと結婚します」と告げ、彼に「取引」を持ちかけます。
その内容は、ゴードン・ゲッコーと娘との仲を取り持つ代わりに、ケラー・ゼイペル社を1株3ドルという破格の安値で買い叩き、恩師を自殺に追いやった黒幕であるブレトン・ジェームスに対する復讐のサポートをしてもらうこと。
「取引」を成立させたジェイコブ・ムーアは、「風説の流布」を駆使した株価操作で、ブレトンの会社に打撃を与える作戦に打って出ることになります。

映画「ウォール・ストリート」は、前半が金融や株がらみのマネーゲーム、後半が人間ドラマを中心にした物語構成となっています。
前半はやたらと金融関係の用語が飛び交っており、金融絡みの駆け引きなども展開され、また2008年10月に世界を震撼させたリーマン・ショックのネタも出てきます。
それに対し、後半から終盤にかけては金融や株などといった要素が薄くなり、どちらかと言えば「情に訴える」展開ばかりになってきます。
ジェイコブ・ムーアが最終的に復讐を達成する手段も、結局金融絡みの罠というよりは「スキャンダル報道による信用の失墜」に近いものがありましたし、ジェイコブ・ムーアがゴードン・ゲッコーと対立した際に持ち出された取引材料は、金融絡みのネタではなく「孫の存在」だったりします。
最初から最後まで金融用語だらけのマネーゲームが展開されるとばかり考えていただけに、後半の展開は少々意表を突かれた感がありますね。
ラストシーンも、「金融界に君臨した男も、家族の情を無視することはできませんでした」的な展開でしたし。

私は前作映画「ウォール街」を観ることなく今作を観に行ったのですが、前作映画からの繋がりを示す描写もいくつかあるそうで。
余裕があるなら、予め「ウォール街」を観てから今作は観た方が良いかもしれませんね。

映画「RED/レッド」感想

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映画「RED/レッド」観に行ってきました。
ブルース・ウィリス主演のアクション物。
「Retired Extremely Dangerous(引退した超危険人物)」を略して「RED」と呼ばれる、老齢となったかつてCIA凄腕スパイ達が活躍する作品です。

ブルース・ウィリス扮する主人公のフランク・モーゼズは、年金課で働いているサラ・ロスと電話で会話することを唯一の楽しみにしているオハイオ州クリーブランドの年金生活者。
彼女と会話をする口実のために、自分宛に届けられた年金の小切手をわざわざ破いて「年金が届いていない」などと苦情を述べていたりします。
そんなある日の深夜、フランク・モーゼズの自宅に最新火器で武装した数人の集団が来襲します。
まずは3人が自宅内に侵入してフランク・モーゼズを仕留めようとしますが、自宅の地の利を生かして後方から接近したフランク・モーゼズに逆に奇襲されあっさり全滅。
しかし敵方もさるもので、初動の奇襲失敗を悟ると、今度は外に予め待機していた第二陣が主人公の自宅に大量の銃弾を浴びせまくります。
家をメチャクチャにした後に死体を確認すべく接近した第二陣を、再びフランク・モーゼズが奇襲で危なげなく各個撃破。
襲撃者達を撃退したものの、サラ・ロスにかけた電話が盗聴されている可能性に気づいたフランク・モーゼズは、彼女が住んでいるミズーリ州カンザスシティへと向かうことになります。
あくまでも一般人であるサラ・ロスは、突然自分の自宅に不法侵入した上、「君は狙われている」などと主張するフランク・モーゼズを当然のように信じず口論に。
そこへお約束のように襲撃者達が襲い掛かり、フランク・モーゼズは仕方なくサラ・ロスを拉致って裏口から脱出。
追跡をかわしつつ事件の真相を探るべく、フランク・モーゼズはかつての自分の上司で現在は介護施設にいるジョー・マシスンを頼るべく、ルイジアナ州ニューオリンズまで車を走らせます。
ここから、「RED」達を訪ね歩く旅が始まるわけです。

映画「RED/レッド」は、老人が活躍する作品だけあって、スピーディーに溢れたアクションシーンはさすがにあまり多くありません。
どちらかと言えば、頭を使った作戦で機転を利かせたり、相手の不意を突く奇襲で敵を一撃で倒したりといった類の描写がメインだったりします。
この辺りは映画「エクスペンダブルズ」もそうだったのですが、老齢になるとどうしても体力や瞬発力が衰えて機敏な動きができなくなるため、そういう戦い方をせざるをえなくなってくるんですよね。
アラバマ州モビールの空港で主人公達の前にバズーカ砲とロケットランチャーを携えて立ちはだかった中年の小太りオバサンも肌ツヤツヤでしたし、メインの敵役である若きCIAエージェントのウィリアム・クーパーをはじめとする主要なCIA要員達も、一部を除き軒並み若い面々で固められています。
ただそれでも、数々のアクション物で主役を演じてきたブルース・ウィリスだけあって、要所要所のアクションシーンや奇襲は上手いの一言に尽きます。
中盤付近までのメインな敵役である若きCIAエージェントのウィリアム・クーパーとも格闘戦を演じていたりしますし。
今作の前に私が観たブルース・ウィリス主演作品が、日本では2010年1月に公開された映画「サロゲート」で、この時は本人のアクションシーンがほとんど披露されなかっただけに、今作はスタンダードに楽しむことができましたね。
ブルース・ウィリスで連想するものはと問われれば、やはり「ダイ・ハード」シリーズに代表されるアクションシーンなわけですから。

「RED」の面々は、身体的な衰えはあっても過去の実戦含めた経験が豊富なためか、駆け引きや臨機応変な決断力については敵方から危険視されるに充分な要素を持ち合わせていますね。
作戦も緻密ならば、副大統領を襲撃することに何の抵抗感も覚えていないし、仲間が危機に陥って助けられないと判断したら躊躇なくその場から撤退していたりします。
逆に、物語中盤までは敵方の中心的な人物として登場するウィリアム・クーパーなどは、私生活で大事にしているらしい妻と2人の子供の身柄をネタに脅迫された際に動揺した様子を見せていますし。
この辺りの描写の違いは、有能さや素質といったものだけでは埋められない「経験の差」といったところでしょうか。

映画「RED/レッド」は続編も計画されているのだそうで、製作会社であるサミット・エンターテインメントが、今作で脚本を担当したジョン・ホーバー&エリック・ホーバーの兄弟に再び脚本製作を依頼しているのだとか。
続編が公開されるとしたら、またブルース・ウィリス主演で製作して欲しいところですけどね。

映画「デュー・デート ~出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断~」感想

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映画「デュー・デート ~出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断~」(以下「デュー・デート」)観に行ってきました。
妻の出産を5日後に控えた「誰よりもキレやすい男」と、ハリウッドに向かう俳優志望の「呼吸するだけでトラブルを呼ぶ男」のコンビが、アトランタからロサンゼルスまで3200キロを横断するコメディ作品。
作中では「車中でオナニー」などという身も蓋もない18禁な描写があったり、麻薬を吸引するシーンがあったりするため、この映画は当然のごとくR-15指定されています。

アトランタで建築家としての仕事を終え、妊娠中の妻が待つ自宅のロサンゼルスに飛行機で帰る予定の日の朝、主人公であるピーター・ハイマンはある夢を見ます。
その夢の内容は、妻の出産に際して自分は全く動くことができず、何故か自分の隣にいた毛むくじゃらのクマが臍の緒を噛み切るというもの。
いかにも意味ありげに語られるこの夢は当然のごとく物語終盤の伏線となるのですが、それはさておき、飛行機で帰るために空港へと向かったピーター・ハイマンは、フレンチブルドックを連れてハリウッドへ向かう途中だったイーサンに、乗車していた車のドアを吹き飛ばされてしまいます。
この鮮烈な出会いがピーター・ハイマンにとっては不幸の始まりで、搭乗した飛行機でもたまたま席が前後で隣り合った2人は、イーサンが何の脈絡もなくテロの話を始めてしまったために、空港関係者から2人共々テロリスト扱いされ、搭乗拒否リストにまで載せられてしまいます。
しかもこの過程でピーター・ハイマンは身分証も財布も失ってしまい、移動手段を失って途方にくれることに。
そこへ、自分を今の苦境に追いやった元凶であるイーサンが、ピーター・ハイマンの前にレンタカーに乗って現れ、一緒に大陸横断をしようと持ちかけてきます。
「お前のせいで俺は…!」と怒りを抱きつつも、他に方法もなかったピーター・ハイマンは、怒りを抑えてしぶしぶながらも助手席に乗り込み、かくして3200㎞の珍道中が始まるわけです。

物語序盤を見ただけでも分かるように、映画「デュー・デート」は、マトモなビジネスマンである主人公が奇矯な男の言動に振り回される、というスタイルでストーリーが進行していきます。
主人公を常に不幸のどん底に追いやるイーサンは、フレンチブルドックのサニーと父親の遺灰が入ったコーヒー缶を常に持ち歩く小太りで髭もじゃな中年男で、その風貌からして不潔さとセンスの無さが滲み出ています。
その言動は好感度ゼロの風貌以上に最悪で、自分の年齢を23歳と自称したり、麻薬をキメていたり、主人公も同乗しているはずのクルマの中で「就寝前のオナニー」にふけっていたりと、間違ってもお近づきにはなりたくないキャラクターとして描かれています。
こんな男と一緒に3200㎞の旅に出るわけですから、当然その道中が何事もなく進むわけがありません。
麻薬を買うためにわざわざ寄り道したり、そのために貴重な資金を200ドルも浪費して旅費が欠乏してしまったり、挙句の果てには居眠り運転でクルマごと橋から転落してピーター・ハイマンに骨折の重傷を負わせたりと、イーサンはとにかくトラブルメーカーとして大活躍しています。
物語後半でも、道を間違えて何故かメキシコ国境に入ってしまったり、国境の検問所で分捕ったクルマにあった拳銃をピーター・ハイマンに向けて発砲してまたも怪我を負わせたりと、イーサンはとにかく疫病神としか言いようがないほどにトラブルを持ち込んできます。

ただそれでも、大陸横断を進めていく過程で次第に両者の間には友情のような感情が芽生えていく、というのはこの手の作品のお約束というものですね。
メキシコ国境でのゴタゴタ後に立ち寄ったグランドキャニオンで、2人の友情は頂点に達します。
……そこでのイーサンの衝撃的なトンデモ告白によって、2人の仲は再びギクシャクしたものに戻ってしまうのですが(苦笑)。

「アイアンマン」シリーズで主役を演じ、今作でも主役に抜擢されたピーター・ハイマン役のロバート・ダウニー・Jrと、イーサン役のザック・ガリフィアナキスは、見た目だけでも対比が分かりやすい組み合わせでしたね。
男っ気溢れるコメディ映画を観たいという方にはオススメの作品かもしれません。

映画「グリーン・ホーネット(3D版)」感想

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映画「グリーン・ホーネット(3D版)」観に行ってきました。
1936年~1952年にかけてアメリカで放送されたラジオ番組を原作とする同名作品の現代版実写映画。

物語は主人公であるブリット・リードと、その父親で新聞社デイリーセンチネル社の社長であるジェームズ・リードの20年前の会話から始まります。
ここでは「家庭内暴君」として振る舞う父親に対し、主人公が反発する様が描かれています。
そのせいで性格が捻じ曲がったブリット・リードは、20年後も父親に呆れられるほどの自堕落な生活を送っていたのですが、その父親が突然ハチに刺されて急死し、急遽父親の後を継いでデイリーセンチネル社の社長に就任することになります。
急なことだった上に父親に対する反発もあってか、ブリット・リードは会社運営について全くやる気がありません。
社長就任後のある日、朝に飲んだコーヒーに不満を持ったブリット・リードは「今日のコーヒーをいれたのは誰だ!」と家の中で怒鳴りまくります。
それに対し、家の中にいたメイドが「今までのは昨日あなたが解雇した運転手兼整備士のカトーが入れていた」と証言。
その発言を聞いてブリット・リードが早速カトーを呼び戻し、「整備士のお前が何故美味いコーヒーを入れているんだ?」と問い詰めます。
するとカトーは、キッチンにあった隠し戸棚から高性能なコーヒーメイトを披露し、あっさりとブリット・リードお気に入りのコーヒーを再現してのけます。
発明家としてのカトーの才能に感心し、さらに父親に対する評価が自分と同じだったことも相まって意気投合したブリット・リードは、カトーを相棒に「悪人として正義の活動をする」ことを思いつきます。
ここから、「緑のススメバチ」ことグリーン・ホーネットの活躍が始まるわけです。

作中に登場するグリーン・ホーネットの自動車「ブラック・ビューティ」は、その外見といい性能といい、とにかく「昔のアメリカ」的なセンスが滲み出ていますね。
車の型からして、思わず「古っ」とツッコミをいれたくなるようなシロモノでしたし、室内で音楽を鳴らす際には何故か昔懐かしいレコードプレーヤーが出てきたりします。
また「ブラック・ビューティ」はまるで戦争でもするために作られたような自動車で、ゴルフクラブで力一杯殴っても銃で撃ってもボディには傷ひとつつかない上、当然のように重武装が施されています。
セオリーに忠実すぎるくらいに忠実に作られたアメリカンなクルマ、というのが感想ですね。

あと、映画「グリーン・ホーネット」では、ラスボスであるベンジャミン・チュドノフスキーも良い味出していましたね。
敵味方問わず、躊躇無く人を殺せる極悪非道な悪役として描かれているはずなのですが、自分の外見がよほど気になるのか、「俺は怖く見えないのか」的な発言を何度も繰り返しています。
挙句の果てには、グリーン・ホーネットへの対抗心からか、自らの衣装を赤一色で固め「ブラッドノフスキー」と称し、敵を追い詰める際の長々とした前口上まで作り出し、部下にすら「これほどバカな提案は初めてです」とまで言われてしまう始末(その部下は直後に殺されてしまいましたが)。
しかもバカ正直なことに、チュドノフスキー改め「ブラッドノフスキー」は、グリーン・ホーネットを追い詰める際にもわざわざ前口上を最初から御丁寧にしゃべろうとして、グリーン・ホーネット側にその隙を突かれて反撃されてしまうという失態を2回も演じていたりします。
あの惨状を見ていて「格好つけるよりも前に目の前の敵をさっさと殺せよ」「そんなに威圧感のない外見にコンプレックスを抱いているのか」と考えずにはいられませんでしたね。

ストーリーといい設定といい、良くも悪くも典型的と言えるアメコミチックな作品ですね。
アメコミが好きという方には是非ご観賞を。

映画「ソーシャル・ネットワーク」感想

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映画「ソーシャル・ネットワーク」観に行ってきました。
世界最大のSNSに成長したFacebook(フェイスブック)の創設者で、天才肌ながら奇矯な人物として描かれているマーク・ザッカーバーグと、彼の親友だったエドゥアルド・サベリンの2人を軸に展開する、ノンフィクションの人間ドラマ作品です。
作中では男女が絡み合ったり、女性が服を脱ぐシーンが含まれていたりするためか、この作品はPG-12指定されています。

映画「ソーシャル・ネットワーク」は、天才であるが故に反社会的な振る舞いが目立つ主人公に凡人が振り回され、そこから亀裂が生まれて訴訟にまで至る、という構図で物語が展開していきます。
この映画のストーリーは、作中でも展開されている裁判の当事者となっているエドゥアルド・サベリンの視点に基づいた証言を元に構築されているとのこと。
作中におけるエドゥアルド・サベリンは、マーク・ザッカーバーグの早口かつ奇矯な言動と、自分に無断で進められる会社運営の数々に振り回されるわ、タチの悪い女には引っかかるわと、見ていて思わず同情したくなってしまう不幸っぷりで描かれています。
その一方で、主人公たるマーク・ザッカーバーグは、物語冒頭ではエリカという女性に早口で奇矯な言動を披露してフラれ、その腹いせに彼女の悪口雑言をブログに書き殴った挙句、ハーバード大の女性の顔を格付けするサイト「フェイスマッシュ」を即興で作成・公開し、大学から処分を受けるなど、序盤から「天才とバカは紙一重」を地で行く人物として描写されています。
ちなみにマーク・ザッカーバーグをこっぴどくフッたエリカ・オルブライトは、物語の最後でFacebookにアカウント登録していることが明らかになるのですが、誰がFacebookを創設したのか当然知っているでしょうに、そこに自分の個人情報を載せるなんて凄く豪胆な女性だなぁ、というのが感想でしたね(苦笑)。

マーク・ザッカーバーグとエドゥアルド・サベリンの関係は当初良好だったのですが、音楽無料配信サービス「ナップスター」の創設者であるショーン・パーカーが2人に接近し、Facebookの運営に関与するようになってから仲が急激に悪化します。
天才肌同士で意気投合し、Facebookを飛躍的に拡大していくマーク・ザッカーバーグとショーン・パーカー。
それに対し、地道な努力が全く報われず、プライベートではヒステリー女の口撃に晒されるエドゥアルド・サベリン。
ショーン・パーカーに敵意を抱き、マーク・ザッカーバーグに対しても不信感を抱いたエドゥアルド・サベリンは、2人に無断で会社の口座を凍結させてしまい、さらにそのことで所持していた株の大部分を剥奪されるという報復を受けた結果、訴訟にまでもつれ込むことになります。
ただ、作中におけるエドゥアルド・サベリンの行動は、個人的には「理解や同情はできても共感や賛同はできない」というのが本音だったりします。
動機が「会社の悪事を暴く」的なものですらないばかりか、彼の勝手な行動が創業期のFacebookの活動に少なからぬ障害を与えかねないものだったことは事実なのですし。
常識的な行動に終始しすぎて努力が空回りしていた、という側面が否めないですね。

この親友2人を当事者とする訴訟とは別に、「ソーシャル・ネットワーク」ではもう1件、「Facebookは自分達のサイトを盗作して製作した」とする「ConnectU論争」と呼ばれる訴訟が取り上げられています。
知名度的にはこちらの方が有名な話のようなのですが、映画の中では扱いが比較的小さい上、原告であるウィンクルボス兄弟&ディヴィヤ・ナレンドラの主張に対し、被告たるマーク・ザッカーバーグは「聞く耳持たない」的な態度に終始していました。
原告側の人物描写も「姑息」「権威主義」といった類の言葉で全てが表現できるような言動ばかり披露される始末で、こちらについては同情すらもできませんでしたね。
こちらの裁判は結局、Facebook側が原告に対し6500万ドルの和解金を支払うことで終息したとのこと。

マーク・ザッカーバーグがほとんど無茶苦茶かつ好感度ゼロな人物として描かれているにもかかわらず、微妙に観客を惹きつけるキャラクターになっていたのは面白かったですね。
映画のモデルにされた「本物」のマーク・ザッカーバーグも、映画制作の際の取材は拒否したものの、完成した映画は映画館を借り切ってFacebook社員全員と観賞したのだとか。
本人談によれば、映画の中で描かれている自身の言動や動機に関して異を唱えているものの、作中に登場する衣装や俳優の演技などについては高く評価しているのだそうです。

2011年1月現在、Facebookは未だ日本SNS最大手の一角すら担えていない惨状を呈しているのですが、映画「ソーシャル・ネットワーク」は果たして日本SNS市場におけるFacebookの起爆剤となりえるのでしょうか?

映画「アンストッパブル」感想

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2011年映画観賞のトップバッターを飾る最初の映画は「アンストッパブル」。
新米機関士扮するクリス・パインと勤続29年のベテラン機関士役であるデンゼル・ワシントンが主役を演じる、トニー・スコット監督作品です。

映画「アンストッパブル」のストーリーは、2001年5月15日にアメリカのオハイオ州で実際に起こったCSX8888号暴走事故をベースに進行していきます。
CSX8888号暴走事故とは、47両編成の貨物列車が、操車場から約2時間、最高51マイル(約82km)ものスピードで暴走した事件のことを指します。
貨車の中に有毒で燃えやすい溶解フェノールを満載している車両があり、脱線した際には大惨事が予測されたため、州警察と鉄道会社による大規模な停車作戦を展開されたわけです。
映画「アンストッパブル」で777号という機関車が牽引する39両もの貨物列車が暴走するに至った経緯はCSX8888号暴走事故とほぼ同じ。
また、作中で州警察と鉄道会社が行い、失敗に終わっている暴走列車の停止作戦のいくつかは、CSX8888号暴走事故でも実際に用いられていたものです。
実際の事件を元にしたエンターテイメント作品、という点では、以前に紹介した映画「パーフェクト・ストーム」に通じるものがあります。

ただ、ひたすら実際の事件に忠実に作り過ぎてエンターテイメントしては却って失敗した感のある「パーフェクト・ストーム」と異なり、「アンストッパブル」では映画ならではの人物描写や演出が随所に追加されています。
CSX8888号ならぬ777号の暴走速度は優に70マイル(約112km)を超えていましたし、また最大の見せ場としてペンシルバニア州スタントン郊外にあるという90度の方向に曲がる急カーブ(序盤から存在が明示されている)が用意されています。
また架空の列車停止作戦として、別の機関車を暴走列車の前方に回り込ませて追突させ、減速させつつヘリコプターから人を乗り込ませるという、無謀な上に無残に失敗した挙句重傷者まで出た作戦(実際のCSX8888号暴走事故では、列車を暴走させた機関士が軽傷を負った以外には死者も負傷者も出ていない)も展開されていました。
無能な上司が悪戯に事態を悪化させていき、ラストで無様な扱いを受けるというのもハリウッド(に限らず)映画ならではのお約束ですね。

暴走列車および無残に失敗していく停車作戦の迫力満点な描写、および主人公2人の機関士の掛け合いエピソードやアクションシーンの数々は、ハリウッド映画としては充分に見応えのある出来と言えます。
今年最初の映画としてはまずまずのスタートですね。

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