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カテゴリー「2012年」の検索結果は以下のとおりです。

映画「ハンガー・ゲーム」感想

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映画「ハンガー・ゲーム」観に行ってきました。
アメリカで大ベストセラーとなった、スーザン・コリンズの同名小説を原作とするサバイバル・スリラー作品。
今作ではストーリー構成上、血みどろの殺し合いや死体の描写が少なくないことから、PG-12指定されいます。

現在のアメリカ合衆国?の崩壊後に誕生したらしい、近未来の独裁国家パネム。
パネムは首都であるキャピトル、および周囲を取り巻く複数の地区によって成立しており、キャピトルに居住する少数の富裕層が、周囲の地区の労働者達を奴隷同然に酷使するという支配体制を築き上げていました。
そんな不平等な支配体制を、支配される側であるキャピトル周囲の地区が不満に思わないわけもなく、彼らはキャピトルおよび中央政府に対してしばしば暴動や反乱が引き起こされていました。
中でも、75年以上前に勃発した13地区の一斉蜂起は、第13地区の完全崩壊および多数の犠牲者を出すという結果にまで至っていました。
この反乱の鎮圧後、パネムの中央政府は、壊滅した第13地区以外の12の地区に対する懲罰的な措置と、自分達自身の娯楽を満たすことを目的とする「ハンガー・ゲーム」という名のビッグイベントを開催することを思いつきます。
「ハンガー・ゲーム」とは、件の反乱に参加していた残り12の地区から、12~18歳までの若い男女2人ずつを選出させ、総計24名の男女を最後のひとりになるまで戦わせるという、一種のサバイバルゲームです。
生存確率は24分の1、ただし勝者には一生遊んで暮らせるだけの富貴と名誉が与えられる「ハンガー・ゲーム」は、以後、年1回のペースで実に73年にわたって開催され続けてきました。
そして映画の冒頭では、新たに開催される予定の第74回「ハンガー・ゲーム」に向けての男女選出が行われようとしている渦中にありました……。

炭鉱が盛んな第12地区で貧しい生活を営んでいる、今作の主人公カットニス・エバディーン。
炭鉱夫だった父親を亡くした過去を持つ彼女は、幼い妹のプリムローズ・エバディーンを何かと気にかけつつ、生計の足しにすべく弓矢を使って狩猟をする生活を送っていました。
しかし、第74回「ハンガー・ゲーム」は、そんなささやかな生活を送っていたカットニスの人生をも一変させてしまうことになります。
第12地区における第74回「ハンガー・ゲーム」のくじ引き選考で、彼女の妹であるプリムローズがゲームの女性出場者として選出されてしまったのです。
問答無用で連れ去られようとしたプリムローズを助けるべく、カットニスは無我夢中で自分が第74回「ハンガー・ゲーム」に出場すると宣言します。
何でも「ハンガー・ゲーム」への出場に自分から志願するケースは、すくなくとも第12地区では初めてだったらしく、カットニスの志願はあっさりと受け入れられます。
一方、第12地区における第74回「ハンガー・ゲーム」の男性出場者は、カットニスの級友で、かつてカットニスが生活苦で飢えていた際にパンを恵んでくれたピータ・メラークが選出されました。
母親および妹に「必ず帰ってくる」と告げ、カットニスは第74回「ハンガー・ゲーム」に参加すべく、ピータと共にパネムの取得キャピトルへと向かうことになるのですが……。

映画「ハンガー・ゲーム」の原作小説は、その設定の相似性から日本の小説「バトル・ロワイアル」との関連が以前から指摘されています。
何しろ両作品には、

1.舞台が近未来の独裁国家で、強権的な支配体制が構築されている。
2.ある程度まとまった数の10代男女の未成年者達が、最後のひとりになるまで殺し合いに狂奔するサバイバルゲームを主軸にしている。
3.ゲームフィールドは広大だが限定された空間で、かつゲーム主催者による監視が常にありとあらゆる手段を駆使して行われている。

などといった共通項があるのですから。
かくいう私自身、映画の予告編を見た際には「これってアメリカ版バトル・ロワイアル?」という感想を抱いたくらいですし(^^;;)。
もっとも、原作者であるスーザン・コリンズ自身は「原作のハンガー・ゲームを出版するまで、バトル・ロワイアルの存在自体知らなかった」と述べてはいるのですが。
ただこういうのって、実際には参考にしていたとしても「これは俺のオリジナルだ!」と言い張ることが珍しくもないですし、作中の設定やストーリー展開に少なからぬ共通点や類似性が多いことからも、やはり何らかの関連性は疑わざるをえないものがあります。
まあ真実は原作者のみ知るところではあるのですが、果たして真相は如何なるものなのやら。

かくのごとく「バトル・ロワイアル」が何かと引き合いに出される映画「ハンガー・ゲーム」なのですが、ただ実際に映画を観る限りでは「確かに設定面における共通項は少なくないが、ストーリー展開では明確な違いも存在する」というのが正直なところではありましたね。
たとえば、「バトル・ロワイアル」で生徒達に支給されていた武器には銃火器や爆弾の類も少なくなく、アクション映画ばりの銃撃戦が行われることすらあったのに対し、「ハンガー・ゲーム」のゲームフィールドで提供される武器はナイフや弓矢など原始的なものばかりです。
作中の「ハンガー・ゲーム」では地雷は登場していたのですが、銃火器はとうとう一度も出てくることはなく、各出場者達は最後までナイフや弓矢などの武器を使った戦いに終始していました。
また、「バトル・ロワイアル」と比べてゲームの開催期間が長く、単純な戦闘能力だけでなく原始的な生活能力までもが試される場となっており、出場者同士による戦いだけでなく、猛毒の木の実などを食べて出場者が死んだりするケースなども披露されていたりします。
「バトル・ロワイアル」では時間が経つにつれて、入ったら即首輪が爆発して死ぬ「侵入禁止エリア」が増えていき、行動範囲が狭められていくというルールがあったのですが、「ハンガー・ゲーム」にそのようなルールは特にありません。
ただその代わりとして、安全圏に居座ろうとする出場者を、ゲーム主催者側が仮想空間のゲームフィールドをいじって強引に叩き出すという行為を行ってはいましたが。
何よりも一番違うところは、「バトル・ロワイアル」の参加者達がある日突然、それも必要最小限の説明だけで問答無用でさっさと戦場に放り込まれるのに対し、「ハンガー・ゲーム」の出場者達は充分な準備期間を置いてゲームが始められる、という点ですね。
「バトル・ロワイアル」では「今自分達がどのような状況に置かれているのか」ということすら理解しえずに殺されていった参加者達が、特に序盤では少なくなかったですし、理解しても甘い認識のまま殺される参加者が後を絶たなかったものでしたが、「ハンガー・ゲーム」にはそのような出場者は最初からおらず、ゲーム開始直後から誰もが覚悟を決めて殺し合いなり逃亡なりを初めていましたから。

個人的には、「ハンガー・ゲーム」よりも「バトル・ロワイアル」の方が、生死を争うサバイバルゲームとしては合理的に出来ているように見えましたね。
「バトル・ロワイアル」はゲームシステム的に参加者同士による殺し合いが自動的に発生せざるをえないようになっているのに対し、「ハンガー・ゲーム」はゲーム主催者が事あるごとにいちいち介入しないと、参加者同士の遭遇および戦闘がなかなか発生しないルールになってしまっているのですから。
そもそも、原則非公開の「バトル・ロワイアル」と違い、「ハンガー・ゲーム」は全国民に生中継される一種の「国民的イベント」でもあるのですから、ゲーム主催者による介入が常に目に見える形で行われるというのは、エンターテイメント的な観点で見てさえもマイナスにしかならないのではないかと思うのですけどね。
作中では自分達の都合から、「勝者はひとりのみ」というルールそれ自体を勝手に変更したり、かと思えば撤回したりまた復活させたりと、二転三転なルール改竄が平気で横行していましたし。
あのシステムでは、「ゲーム主催者による八百長」が疑われても仕方のない要素が少なくありませんし、エンターテイメントや掛け試合としても成立し難い一面が否定できないのではないかと。

あと、ゲームの勝者として生き残れる者は一人しかいないにも関わらず、勝つために徒党を組む者達の間で心理的な駆け引きがないなど、やや不自然な設定が少なくないですね。
生き残る確率を上げるために、さし当たっては徒党を組んで多数で少数を圧倒する、という行為自体は、「バトル・ロワイアル」でも「ハンガー・ゲーム」でも共通して見られた現象です。
しかし、ゲームのルール上「勝者(生存できる者)はひとり」でしかない以上、徒党を組んだ者達の間では、「自分はいずれ裏切られるのではないか?」「ならば先手を打ってこちらから裏切るべきではないのか?」といった深刻な不信感が芽生えてもおかしくはないんですよね。
徒党を組んだメンバーで他の勢力を圧倒した後は、徒党を組んだメンバー同士で戦いが始まるのは誰の目にも最初から明らかなのですから。
「勝者(生存できる者)はひとり」というルールの中で徒党を組むという行為は、戦闘力で他者を圧倒しえる反面、自分がいつ寝首をかかれるか、逆に自分が仲間達を殺す機会を常に伺うなどという二律背反的な状況およびそれに伴う葛藤を招くことになるわけです。
しかし「ハンガー・ゲーム」では、その手の葛藤が全くと言って良いほど描かれていなかったりするんですよね。
「ハンガー・ゲーム」で徒党を組んでいた面々は、ただその戦闘力に物を言わせて殺戮を楽しんでいただけでしたし、仲間達を疑うようなピリピリした雰囲気すら全くないありさま。
それは主人公であるカットニスにも言えることで、成り行きで彼女が第11地区出身の少女ルーと手を組んだ際、彼女もルーも「2人が最終的に生き残ったら2人で殺し合いをしなければならない」という可能性を全く考慮していないとしか思えない言動に終始していました。
ルーと同じく第11地区出身の黒人男性などは、殺されたルーの仇を討ち、あまつさえ「ルーが世話になったから一度だけだ」とカットニスをわざわざ逃がす行動に走ってさえいましたし。
参加者全員が顔見知りである「バトル・ロワイアル」と違い、「ハンガー・ゲーム」で顔見知りと言えるのは、よほどの偶然でもない限りは同じ地区の出場者だけなのですから、もう少し感情を排した打算的な殺し合いが展開される方が、むしろストーリー展開としては却って自然なのではないかと思えてならなかったのですが。
この点においても、「バトル・ロワイアル」の方が「ハンガー・ゲーム」よりも構成が上手いのではないかと。
ただ、あまりにもエグい描写や設定が目白押しの「バトル・ロワイアル」をある意味【ぬるく】したような「ハンガー・ゲーム」は、それ故に一般受けしやすいものにはなっていると思います。
かくいう私も、途中からは結構「安心して観賞できた」クチでしたし(^^;;)。

映画「ハンガー・ゲーム」は、既に続編の製作と日本公開が決定しているとの情報が、映画のエンドロール直前にて披露されています。
その点から言えば、今作は「シリーズ1作目」として観賞するのも良いかもしれません。

映画「白雪姫と鏡の女王」感想

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映画「白雪姫と鏡の女王」観に行ってきました。
グリム童話「白雪姫」を原作に、ジュリア・ロバーツが邪悪の女王役を演じるコメディタッチなファンタジー作品。
2012年6月に日本で公開された映画「スノーホワイト」とはまた別の白雪姫物語となります。
なお、個人的に2回目となる1ヶ月フリーパスポート使用による映画無料観賞は今作で終了です。
最終的には総計13本の新作映画を無料観賞したことになりますが、去年の2倍以上の本数を叩き出すことはできましたし、まあ上出来な結果ではあるでしょうね。

映画の冒頭は、すっかりお馴染みとなった原作における白雪姫の誕生から18歳になるまでの生い立ちが語られることになります。
ただ、そのナレーションがジュリア・ロバーツ扮する女王の口から語られ、原作のプロローグを語った直後にいちいちツッコミを入れていく辺りは、露骨なまでのコメディな流れを感じさせてくれるものではありました(苦笑)。
映画「スノーホワイト」との違いは、国王が女王と結婚した直後に森の中で行方不明となったことくらいでしょうか。
白雪姫が18歳まで城の中で幽閉されること、女王が魔法の使い手で、かつその魔法の影響と圧政で国民が塗炭の苦しみを味わっているという点は、両者共に共通しています。
今作の女王はとにかく暴虐かつワガママな性格をしていて、人間を駒に見立てた実物大のチェスをしていたり、とある男爵からの求愛を罵りまくりながら拒絶したりとやりたい放題。
城内のメイド達からも全く好かれてなどいないようで、彼女らは国王の忘れ形見である白雪姫に期待を寄せるのでした。
彼女らは白雪姫が18歳の誕生日を迎えたその日、城の外へ出て外で何が起きているのかを白雪姫に見てくるよう促し、そのためのお膳立てを整えるのでした。

一方、城からそう遠くない森の中では、冒険の旅の途上にあるらしい隣国の王子と従者の姿がありました。
彼らはその森で、足に竹馬とホッピングを足し合わせたような機器を装着し巨人のように見せかけた7人の小人の盗賊団に襲われ、カネと身ぐるみをはぎ取られた挙句に逆さ吊りにされてしまうのでした。
そこへたまたま通りかかった白雪姫。
彼女は逆さ吊りになっていた王子と従者を解放し、その場ではすぐに王子と別れて反対側の道へと進んでいくのでした。
白雪姫は王国が治めている村へと向かい、かつて父親である国王と共に訪問した際は豊かだった村が、女王の魔法と暴政の影響で今やすっかり窮乏している事実を目の当たりにすることとなります。
白雪姫は、王国の窮状を救うためにも、女王を権力の座から引きずり下ろして王位を奪取することを決意するのでした。
一方、王子は城へと向かい女王と対面。
女王は王子が若いことと、出自が豊かな隣国で自国の財政難を解消できるとの打算から、年の差も考慮せずに王子と結婚することを画策します。
そんな中、城内で催された舞踏会で、王子と、ひそかに舞踏会に参加していた白雪姫が再会することになるのですが……。

映画「白雪姫と鏡の女王」に登場する白雪姫は、その美しさ云々よりも「色濃い眉毛の太さ」の方がはるかに印象に残るキャラクターですね(笑)。
何らかのデフォルメでも意図しているのかとすら考えてしまったほどに、太い眉毛が目立っています。
女王は「自分が若い」と思い込んでいる典型的なオバハン的な雰囲気がありありでしたし、わざとブサイクにしたとしか思えない配役のチョイスぶりは、美男美女で固めた感のある映画「スノーホワイト」とはまた対照的なものではあります。
あちらは女王からしてシャーリーズ・セロンが演じていて、若さ以外の全ての分野で白雪姫を圧倒していたものでしたが。
ただ、ジュリア・ロバーツが演じていた今作の女王も、「存在感」という点ではやはり白雪姫を圧倒していた感は多々ありますね。
変にツッコミを入れたり、家臣達に暴言を吐きまくったり、王子を自分になびかせるために惚れ薬(ただし子犬用)を使ったりと、色々とやりたい放題。
「財政難の解消」という政略的な要素もあったにせよ、若い王子と結婚しようとするオバハンな女王というのも、現実の政治の世界であればともかく、おとぎ話の世界ではなかなかに斬新かつ独創的なキャラクターですからねぇ(苦笑)。
一方の白雪姫も、特に序盤は従順さ丸出しで眉毛以外の存在感が薄かったですし、彼女が独自に動くようになるのは、7人の小人に出会って武術全般を身に付けて以降のことでしたし。
「スノーホワイト」といい今作といい、女王の方が白雪姫よりも目立つ存在になってしまうというのはお約束だったりするのでしょうかね?

原作の「白雪姫」と言えば、毒リンゴによる昏睡と王子様のキスによる覚醒が定番ですが、今作におけるそれは、どちらも取ってつけたかのような扱いになっている感が否めなかったですね。
そもそも今作における毒リンゴは、物語のラストでようやく登場するありさまだった上、それを食したのは白雪姫ではなく、白雪姫に食べさせようとしていた女王自身だったりします。
白雪姫自身には、「毒で倒れる」的な描写すらも全くありません。
むしろ、作中でそれに近い状況に陥っていたのは、本来は白雪姫を助けるはずの王子の方だったりするんですよね。
彼は女王から「子犬用惚れ薬」を飲まされたショックで頭がおかしくなった状態で、女王と王子の結婚式を妨害すべく乗り込んできた白雪姫と7人の小人の盗賊団と鉢合わせることになります。
そして、「子犬用惚れ薬」の魔法を解除するためには「真実の愛」によるキスが必要と7人の小人から言われた白雪姫が、王子にキスすることで王子を正気に戻す、というわけです。
王子様のキスで白雪姫が覚醒する、というエピソードは見事にどこかへ行ってしまっていますね(笑)。
これは「スノーホワイト」にも言えることなのですが、原作「白雪姫」の毒リンゴ絡みのエピソードを、「邪悪な女王と戦う白雪姫」の中に入れてしまうのがそもそも間違っているのではないでしょうか?
元々「白雪姫」という話には、「自分のために戦ってくれる王子様を待つ」というコンセプトがあり、それを補強する道具として毒リンゴのエピソードがあるわけです。
しかし「邪悪な女王と戦う白雪姫」という別のコンセプトでは、一時的にせよ白雪姫が倒れ、助けが来るのをただじっと待つだけの身となってしまう毒リンゴ絡みのエピソードは、コンセプトと合致しないミスマッチもいいところになってしまうんですよね。
「スノーホワイト」にせよ今作にせよ、毒リンゴ絡みのエピソードの扱いに製作者達が相当なまでに困り切っている実態が丸分かりで、「むしろ入れない方が良かったんじゃないの、このエピソードは」とすら考えてしまうくらいなんですよね。
それでも毒リンゴ絡みのエピソードが作中に挿入されるのは、そうしないと「白雪姫」の話では全くなくなってしまうからではあるのでしょうけど。
白雪姫をイビる継母の女王、世界で一番美しい女性を告げる鏡、そして毒リンゴの3つが揃って初めて、「白雪姫」という物語は「白雪姫」たりえるわけですからね。
ただその構図では、2作品の売りであるはずの「邪悪な女王と戦う白雪姫」というコンセプトこそがむしろ邪魔なシロモノである、ということにもなりかねないのではないかと思えてならないのですが。

今作にはアクションシーンも若干あるものの、基本的にはコメディがメインと言えるストーリー構成となっています。
オバハンな女王の毒舌と、事あるごとに身ぐるみ剥がされる王子の狂態、そして眉毛が目立つ白雪姫の成り上がり物語が見たいという方にはオススメの作品かもしれません(爆)。

映画「バイオハザードⅤ:リトリビューション」感想

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映画「バイオハザードⅤ:リトリビューション」観に行ってきました。
前作「バイオハザードⅣ アフターライフ」からの続きとなる、ミラ・ジョヴォヴィッチ主演の「バイオハザード」シリーズ5作目。
今作は3D/2D版が同時に上映されていますが、私が観賞したのは2Dの日本語吹替版となります。
また、相変わらず血みどろの戦いが作中で展開されていることから、前作同様にPG-12指定されています。

今作の物語は、前作後半における戦いの舞台となったアルカディア号の船上で、ジル・バレンタイン率いるV-22オスプレイ群の襲撃を受けたラストシーンの直後から物語が始まります。
前作で救出した囚われの人々が次々とやられていく中、ミラ・ジョヴォヴィッチ扮する主人公アリスは、V-22オスプレイの大群相手に孤軍奮闘するのですが、パイロットを仕留めたオスプレイの墜落に巻き込まれ、海に放り出されてしまいます。

ここで突然場面は切り替わり、アリスは突然、夫と娘がいる家庭の一員として目覚めることになります。
手話が必要な娘ベッキーと、妻と娘を思いやる夫トッドに囲まれ、平和な朝を迎えるアリス。
しかしそこへ突如、ゾンビの大群が家の中へ押し寄せ、夫のトッドは真っ先に襲いかかってきたゾンビの犠牲となってしまいます。
アリスはベッキーと共にゾンビの大群から逃げ惑うのですが、娘を隠匿するために自分を囮にして目立つように逃げている中で、ゾンビと化したトッドに襲われそこで意識がなくなってしまうのでした。

さらにまた舞台は切り替わり、今度のアリスはアンブレラ社が抱える秘密基地の一室で囚われの身となっている状態で覚醒します。
胸の中央に赤い光を放つ虫型の機械に操られているような状態で出てきたジル・バレンタインに、尋問と音波攻撃のごとき拷問を受けることになるアリス。
しばしば拷問を受け、無気力な状態となっていたアリスでしたが、そこへ突然、アンブレラ社のセキュリティシステムが何者かの操作で2分間停止するという事態が発生します。
その間に戦闘服に着替えて武装も整え、牢から出ることに成功したアリスは、セキュリティシステムの回復と共にアリスを捕縛ないし殺害せんと動き出した追手から逃げることになります。
しかし、逃げた先では何故かとうの昔に壊滅していたはずの東京の街並みが無傷のまま存在していました。
戸惑いながらも、追手やゾンビの大群から逃亡を続けるアリスでしたが……。

映画「バイオハザードⅤ:リトリビューション」は、前作までのシリーズ作品を観賞していることが前提となっている作品であり、今作単体だけでは何のことやら分からない展開が延々と続きます。
前作や前々作はまだある程度(作中内での)時間を置いた上で物語が始まっていましたが、今作は前作ラストの直後からスタートな上、前作までのキャラクターも多数登場することもあってか、前作までのシリーズ作品との関連性がかなり強かったりするんですよね。
今作を観賞する際には、これまでのシリーズ作品を予め復習してから臨むのが賢明ではないかと。

今作では、前作でラスボスとしてアリスに殺されたはずのアルバート・ウェスカーが何故か生きており、しかも囚われの身となったアリスをわざわざ助けるべく動いていたりします。
理由はウェスカー本人があっさり白状するのですが、現在アンブレラ社を牛耳っているレッド・クイーンと対立した結果、反旗を翻して離反していたとのこと。
今作のラストでは、ホワイトハウス周辺にいる人類をまとめる立場にある上、一度は自らT-ウィルスの中和剤を投与して超能力を奪ったアリスに対して、再度T-ウィルスを注射して超人的な能力を再度付与させたりしています。
限りなく黒幕に近い立場にありながら、アンブレラ社と決別してなお指導者的地位に居座れてしまう辺り、相当なまでの保身術と政治的手腕を伺わせるものがありますね。
まあ、残された人間側も、ゾンビとアンブレラ社に対抗できるウェスカーの知識が必要だった、という事情もありはしたのでしょうけど。
今作では、とりあえずの当面の敵がレッド・クイーンであることが判明します。
レッド・クイーンが人類の絶滅を目標にしていることも明らかになりますし、次回作となるであろう映画版の「バイオハザードⅥ」では「レッド・クイーンの打倒」が目的となるのでしょう。
しかしこのシリーズ、いくらハリウッド映画としては非常に珍しい「日本のエンターテイメント作品の実写映画化の成功作品」であるとは言え、一体いつまで続編を作り続けるつもりなのでしょうかね。
足かけ10年にもわたるシリーズの積み重ねで、さすがに前作までの流れを思い出すのも結構手間暇がかかるようになってきていますし、そろそろ完結の方向へ動いてほしいものなのですが。

これまでのシリーズや、映画「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」で多く見られたミラ・ジョヴォヴィッチの派手なアクションシーンは今作でも健在。
また、映画としては比較的短い部類に入る96分という上映時間で、終始アクションシーンが繰り広げられる構成となっています。
その点では、ハリウッド作品として「手堅い」出来であると言えるでしょうか。
映画版「バイオハザード」シリーズ作品、およびミラ・ジョヴォヴィッチのファンには必見の映画と言えるでしょうね。

映画「デンジャラス・ラン」感想

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映画「デンジャラス・ラン」観に行ってきました。
デンゼル・ワシントンが主演と製作総指揮を兼ねる、派手なカーアクションあり・格闘ありの典型的なハリウッドアクション作品。
今作では拷問等のバイオレンス系な表現が作中の複数個所で展開されているため、PG-12指定されています。

物語の舞台は南アフリカ共和国。
元CIAの工作員で、人間の心理を操作する手腕に長けていたことで半ば伝説的な存在となりつつも、現在は組織を裏切り世界36ヶ国で国際指名手配されているトビン・フロストは、とある店で同じくイギリスの諜報部を裏切ったアレック・ウェイドと対面します。
アレック・ウェイドは、「ファイル」と呼ばれているメモリチップをトビン・フロストに引き渡します。
しかしその直後、2人が入った店に傭兵バルガスをリーダーとする集団が潜入、トビン・フロストの生命を狙ってきます。
トビン・フロストはからくも店を脱出したものの、バルガスはよほど周到に計画を練っていたのか、道をことごとくバルガスの部下に封鎖されてしまい、進退窮まる事態に陥ってしまいます。
何とか逃げ道を探し出すべくトビン・フロストが周囲を見渡すと、南アフリカのアメリカ総領事館の建物が目に飛び込んできました。
前述のようにトビン・フロストはアメリカのCIAを裏切っている身なのですが、彼は自身のその状況を逆に利用し、アメリカ総領事館へ駆け込み庇護を求めるという大胆な方策に出ます。
当然のごとく、彼に駆け込まれたアメリカ総領事館、さらには報告を受けたCIAでは衝撃が走ります。
CIAはただちに、ダニエル・キーファーをリーダーとする9名の工作員達を南アフリカへ派遣し、トビン・フロストを尋問する決定を下すのでした。

トビン・フロストの尋問はアメリカ総領事館ではなく、CIAが南アフリカ国内のケープタウンで密かに保有している隠れ家のひとつで行われることになりました。
トビン・フロストの所在が明らかになることで、国内外に動揺が走ることを防ぐためで、当然、トビン・フロストの所在も尋問の事実も機密事項に。
その隠れ家を管理する「接客係」として任務に当たっているのは、CIA工作員としての出世と栄転を夢見るCIA下級エージェントのマット・ウェストン。
CIA本部から「予約」の連絡を受けたマット・ウェストンは、事前に予定していた恋人であるキャサリン・リンクレイターとの逢瀬をキャンセルし、隠れ家の提供という仕事に従事するのでした。
連行してきたトビン・フロストに水責めの拷問を加え、今回の事情を何が何でも吐かせようとする工作員達の光景を、マット・ウェストンは尋問室のマジックミラー?ごしに目撃することになります。
ところがその最中、隠れ家は突如バルガス率いる武装集団の襲撃を受けることになります。
機密になっているはずの隠れ家を襲撃されるはずがないという思い込みに奇襲効果が加わったこともあり、キーファーら9名の工作員達は奮戦虚しく全滅。
ただひとり、下っ端であるが故に戦闘に参加することなく、トビン・フロストの監視を任されたマット・ウェストンは、工作員達の全滅を目の当たりにしたこととトビン・フロストの心理的な揺さぶりもあり、トビン・フロストを連れてその場から逃走することを決断します。
からくも包囲を逃れ、追手からの追撃をもかわしたマット・ウェストンは、CIA本部の指示を仰ぎ行動することになるのですが……。

映画「デンジャラス・ラン」のストーリーには、「予測不可能な展開」というものは特になかったですね。
CIAという組織の内部を知り尽くしている初老の元工作員と、CIAでの出世を夢見る下っ端の若い接客係というコンビは対照的でしたが、それもハリウッド映画では何度か見かけた覚えがあったりします。
同じくデンゼル・ワシントンが主演を演じていた映画「アンストッパブル」でも、鉄道が舞台という違いはあるものの、基本的には「経験豊富な初老のベテランと若い新米」という全く同じ構図が披露されていました。
トビン・フロストの居場所を襲撃者達に教えている内通者がCIAの内部にいて、最終的にはそれを倒すことが目的になるというのもよくあるパターンでしたし、これまで見られてきたハリウッド映画のスタンダードな手法を正しい手順で踏襲している映画、という感は多々ありますね。
逆に、今作ならではのオリジナリティとしては「トビン・フロストが人間心理操作の達人」という設定にあるでしょうか。
作中でも、CIA幹部がマット・ウェストンに対して発言するであろう内容を正確に言い当て、「その際はお前に責任を擦り付けようとしている」と揺さぶり?をかけることでマット・ウェストンの動揺を誘っていたりします。
ただ、せっかくのこの設定も、作中では上手く機能していなかった感じは否めなかったところですね。
元々「人間に対する心理操作」というものを有効に機能させるためには、相手が自分のことをある程度信用していて、活自分の言葉に耳を傾けてくれるという前提が必要不可欠です。
相手の心理を操作しようにも、まずは相手が自分の言葉を聞いてくれないことには何も働きかけることができないのですから。
しかし今作の場合、トビン・フロストはCIAの裏切り者かつお尋ね者であり、周囲への信用など最初から勝ち得ない立場にあり、彼はまず心理操作が行えるための前提条件から作らなくてはならない状況でした。
しかも、マット・ウェストン以外の人間は、トビン・フロストを問答無用で拷問にかけるか殺そうとするかのどちらかで、相手に対する心理操作が行える余地など最初からどこにもありませんでしたし。
誘拐犯と交渉を行う交渉人(ネゴシエーター)といった設定や、謀略や頭脳戦が全面に出てくるようなストーリー構成でもないと、「心理操作の達人」なんて設定はあまり生かしようがないのではないかと。
作中の描写を見る限り、今作はアクションがメインの作品ではあるのでしょうが、せっかく出してきた「心理操作の達人」という設定が半ば使えない状態になっているというのは、少々残念な気がしないでもありませんね。

アクション映画としてはそれなりの出来なので、その手のハリウッド作品が好きな方にはオススメです。

映画「コロンビアーナ」感想

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映画「コロンビアーナ」観に行ってきました。
「ニキータ」「レオン」などの映画製作を手掛けたリュック・ベッソン監督が世に送るクライムアクションドラマ。
作中には血を出して死んでいる人間の描写やセックスを匂わせるシーンがあることから、当然のごとくPG-12指定されています。

最初の舞台は1992年、南アメリカの北東部に位置するコロンビア共和国。
当時、コロンビアの有力なマフィアのボスであるドン・ルイスは、部下のマルコに対し、組織から足を洗おうとしていた同じマフィアの幹部を殺害するよう命じます。
ターゲットにされた幹部の方も、すぐさまその気配を察知し逃げる準備を始めるのですが、時既に遅く、幹部の自宅はマルコの部下達によって包囲されてしまいます。
進退窮まったことを悟った幹部の男は、コロンビアの国花「カトレア」と名付けた当時9歳の娘に小さなチップと名刺を渡し、自分達に万が一のことがあれば名刺に書いてある住所まで自力で向かい、そのチップを渡した後、叔父のエミリオを頼るよう告げるのでした。
ほどなく強引に自宅へ押し入ってきたマルコ率いる男達によって、カトレアの両親はあっさりと殺されてしまいます。
そして勝利を確信し、自宅のテーブルにじっと座っていたカトレアと対座したマルコは、父親から渡されたであろうチップを渡せば欲しいものをやるとカトレアに迫ります。
それまで大人しく、また従順するフリをしていたカトレアは、そこで「ドン・ルイスの命!」という叫びと共に、隠し持っていたナイフをマルコの手に突き刺し、その一瞬の隙を突いて窓から脱出を果たすのでした。
コロンビアの複雑な地形を利用して追手の手から逃れ、名刺に書かれていた住所へと向かったカトレアが辿り着いたのは何とアメリカ大使館。
カトレアが予め口の中に入れていたチップを吐き出し、アメリカ大使館の人間に渡すと、よほどに重要なデータでも入っていたのか、アメリカ大使館の人間は驚愕の表情を浮かべます。
結果、アメリカへの入国が認められたカトレアは、しかしアメリカ入国直後にトイレに入った後、監視の目がないのを良いことに窓から逃亡。
そのままシカゴへと向かい、そこで裏の稼業を営んでいた叔父のエミリオと対面することに。
エミリオはカトレアを自分の保護下に置き、彼なりに守っていくことを決意することになります。
しかしカトレアは、自分の目の前で殺された両親のことが忘れられず、ドン・ルイスとマルコに復讐を遂げるべく、殺し屋になることを考えつき、エミリオにも協力するよう要求するのでした。

それから15年後。
平常の勤務で雑談をしていた警官2人が乗っていた車輛に、突然赤い車が猛スピードで体当たりしてくるという事件が発生。
車にはひとりの女性が乗っていたのですが、女性には自身の身元を証明するものは何も持っておらず(名前が書かれた図書館カードが一枚あっただけ)、また酷く酔っているのか呂律も回らない状態。
その様子を見た警官達は、とりあえず一晩牢にぶち込み、翌日釈放するということで決着をつけます。
奇しくもその時は、同じ牢に凶悪犯罪者を収監する予定が入っており、警官達は事なかれ主義的に処理を済まそうとしていたのでした。
ところが牢に放り込まれた女性は、監視の目がなくなるや否や、娼婦のような露出の高い服から隠し持っていたタイツスーツに着替え、不穏な行動を開始するのでした。
彼女こそ、15年前にエミリオに保護されたカトレアその人だったのです。
カトレアの目的は、収監された凶悪犯罪者をその手で抹殺すること。
様々なテクニックを駆使した末、彼女は首尾良くターゲットの殺害に成功するのですが……。

映画「コロンビアーナ」では、実の両親の仇を討つためにのみ生きる女が、それ故に全てを失っていく様が描かれています。
両親を殺した仇を討つために殺し屋になったカトレアは、闇稼業に精を出すエミリオが請け負った殺しの依頼を受けるという形で、殺し屋稼業に従事していました。
ところが彼女は、両親の復讐を優先するあまり、自分が殺した凶悪犯罪者達の死体にコロンビア国花であるカトレアの花の紋様をわざわざ残していっているんですよね。
カトレア的には、そうすることで自分が生きていることを仇のマフィア達にメッセージとして伝え、自分の下へおびき寄せることで仇を討とうという意図がありました。
しかしそれは、自分の正体に繋がる手がかりを残しながら殺しを続けるという行為に他ならず、警察の捜査から逃れることが困難になるばかりか、マフィア達からも再び生命を狙われかねないという二重の危険を背負うものでもありました。
さらに、死体にカトレアの花を残すという所業はエミリオの指示ではなく、あくまでもカトレアが独断でやっていたものでしかなかったのです。
殺しの依頼を取ってきていたエミリオにしてみれば、自分はおろか、実の娘同然に扱っているカトレアにまで危害が及ぶという事態は到底認められるものではなく、そんなことは止めるようカトレアに命令します。
しかし、復讐が全てに優先するカトレアにとって、仇をおびき出すという手段は決して放棄できるものではなく、通算で23件目となる殺し屋稼業でも彼女は結局同じことを繰り返すのでした。
結果、カトレアはエミリオと縁を切られてしまったばかりか、例の紋様からカトレアを追跡してきたマルコ一派によってエミリオ夫婦叔父と祖母を殺害されるという憂き目まで見ることになってしまいます。
ところが、それでも彼女は復讐を諦めることがないんですね。
殺されたエミリオ夫婦叔父エミリオも、殺された息子の復讐に精を出していた経験から、復讐が不毛なものであることを悟り、死んだ息子の分もカトレアに幸せになってもらいたいと公言されていたにもかかわらず。
また、カトレアの両親が殺されたのはカトレアに責任があるものではありませんが、エミリオ夫婦叔父と祖母の死はまぎれもなくカトレアの行為が原因です。
彼女は結果的に、自身の復讐のために自分の叔父夫婦叔父と祖母を巻き込んでしまっているわけなのですから。
そこまでして、彼女にとっての復讐は何が何でも達成されなければならないものだったのでしょうか?
結果的にカトレアはドン・ルイスとマルコ一派に復讐を果たすことに成功するわけですが、そのために払った代償はあまりに大きなものであると言わざるをえないでしょう。
叔父夫婦叔父と祖母の死、自分の正体が露見し全国指名手配、さらには仕事の基盤をも失い、恋人とも別れて街を出ていかざるをえなくなると、散々な状態に追い込まれたのですから。
彼女にとって「両親に対する復讐」というのは、自分の生涯をかけた「生きる目標」であり、それがなくては彼女は生きていけなかったのか、とすら思えてならなかったです。
自身の復讐のために新たな悲劇を生みながら、それでも復讐に固執せざるをえない彼女の生き様は、ある意味哀れなものがありましたね。

ただそうなると、その「生きる目標」である復讐を果たした後、彼女は一体どうなってしまうのでしょうか?
カトレアには、復讐をどうやって達成するかについてはいくらでも考えていたでしょうが、復讐を達成した後のことについては全く何も考えていなかったように見えます。
「生きる目標」を失い、しかもそれに代わる目標も立たないというのは、精神的に死んだも同然の状態にもなりかねないものがありますし。
また、親しかった人間と強制的に決別させられ、(殺し屋としての)生活基盤をも失った上、正体が割れて全国指名手配までされた彼女の未来は、あまり明るいものとは言い難いものがあるでしょう。
最低でもアメリカからの国外逃亡は余儀なくされるでしょうし、それ以前に「自分が生きる理由」というもの自体が果たして見出しえるのかどうか……。
状況的に見れば、ラストシーンの後に「死んだ両親とエミリオ夫婦に会いに行く」として自殺に走っても何ら不思議なことではないのですしね。
エミリオ夫婦がカトレアに望んだ「死んだ息子の分まで幸せになってほしい」という願いは、残念ながら達成されそうにもないのが何とも言えないところで(T_T)。
後日談的なエピソードがあるのならどういうストーリーが展開されることになるのか、少々興味をそそられはしますね。

アクションシーンはそれなりのものがありますので、アクション映画が好きという方にはオススメの映画と言えるでしょうか。

映画「プロメテウス」感想

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映画「プロメテウス」観に行ってきました。
リドリー・スコット監督が制作を手掛けた、人類の起源をテーマとするSF作品。
今作は3D/2D同時上映で劇場公開されていますが、私が観賞したのは2D版となります。
しかし、今作は本来2012年8月24日から公開のはずなのですが、私の行きつけの映画館では土日だけとはいえ、8月4日から延々3週間も先行上映をやっていたりするんですよね。
8月4日は1回上映限定だったにしても、実質的には8月11日からの劇場公開といっても過言ではない状況でしたし。
お盆休みの時期を狙ってのものではあったのでしょうが、それならば最初から8月11日公開にすれば良いのにと、ついつい考えてしまいましたね。
なお作中では、女性の腹から子宮を摘出するなどのスプラッタな描写が披露されていることもあってか、この映画はPG-12指定されています。

映画の冒頭、全体的に白く、かつ毛髪の類が全くないものの、限りなく人間に近い容姿のエイリアンが、黒い液体を飲んで身体に異変をきたしながら大河?へ飛び込み、その身体がDNA単位で分解されていく光景が展開されます。
一旦は破壊された彼のDNAが、水の中で再度DNAとして構築されていき、これが生物(人間?)の起源になったらしきことが描写されています。
しかし、物語全体を通して、この行為に何の意味があったのか、また「何故彼がこのようなことをしたのか?」という理由については全く解明されることなく終わっています。
まあ前者については、「これが人類の起源だったのだ!」的なことが言いたかったのではあるのでしょうが、具体的な明示は全くなされておらず、しかも理由が分からないのでは意味不明な描写もいいところですし。
制作側としては、人類起源の謎を断片的に提示しつつ、次回作に繋げたいという意図でもあったのかもしれませんが、そのため今作単独ではいささか消化不良の感が否めないところではありますね。
そもそも、「今作は本当にシリーズ化するのか?」ということすら現時点では不明なのですし。

そこから時代は現代からさらに進むこと2089年。
考古学者のエリザベス・ショウとチャーリー・ホロウェイの2人は、イギリスのスコットランドにある古代遺跡の壁画を目の当たりにしていました。
そこで描かれている壁画には、これまで見てきた他の古代遺跡と共通する星座が描かれています。
しかし、星座が描かれていた古代遺跡の間には全く交流の記録も形跡も確認されていません。
各古代遺跡の壁画に描かれた星座は、人類の起源の謎を解くカギなのではないかと考えられ、ウェイランド・コーポレーションという巨大企業の下、星座に描かれている星に人類を派遣して探索するという壮大なプロジェクトが始動されました。
未知の惑星へ赴くための宇宙船は「プロメテウス」と名付けられ、エリザベス・ショウとチャーリー・ホロウェイを含む総計17名で構成される調査チームが構成されることになりました。
そして年単位に及ぶ低温睡眠状態の宇宙航行を経て、2093年、彼らは人類の起源とされる星座上の惑星に降り立つことになります。

惑星の大気圏へ降下後、惑星の大気圏内を飛び回りつつ、惑星の調査を進めるプロメテウス号。
惑星上の大気成分は、窒素が7割台後半・酸素が21%と地球のそれにほど近い内容だったものの、一方で毒性の強い気体が3%弱程度あることから、外での活動には防護服&ヘルメットの着用が必須とのこと。
さらに惑星の地表へ近付いていくプロメテウス号は、やがて明らかに人工的に作られた直線の道路と思しき形跡と、ドーム状に見える山を発見します。
ドーム状に見える山は、プロメテウスの分析結果から、内部が空洞であることが判明。
そこに人類の起源の謎を解くカギがあると誰もが判断する中、数人の調査隊がドーム状の山へと向かい、ドームの内部を探索することになるのでした。
それが、誰もが思いもよらぬ結果をもたらすとは知らずに……。

映画「プロメテウス」は、元々1979年に初めて劇場公開された「エイリアン」シリーズの前日譚として制作が進められており、途中で路線変更したという経緯を辿っています。
路線変更した後も「エイリアン」シリーズの影響は色濃く残っており、調査チームがドームに入って以降は、「エイリアン」を髣髴とさせる存在が調査チーム達を次々と殺していきます。
この辺りは、元がホラー系作品であるが故の描写でしょうね。
ただ、変にホラー要素を前面に出し過ぎた結果、「人類の起源の謎を解く」という映画のキャッチフレーズに象徴される、ミステリーとSF冒険アドベンチャー的な要素は大きく損なわれてしまった感が否めないところなのですが。
物語後半なんて、もう「人類の起源」云々は脇に追いやられ、生物兵器という正体が判明した化け物達と、「エンジニア」と呼ばれる人類の元となった存在の悪意に対処するのがすっかりメインになってしまっていましたし。
「人類の起源」について作中で明らかになったのは、

DNA的に見て人類と同じ種と見られる「エンジニア」と呼ばれるひとりの宇宙人が、原始時代の地球に降り立ち、自身の身と引き換えにDNAを地球に放出することで人類を作りだした(何故人類を作りだしたのかについての理由は一切不明)。
しかしその後、今度は地球上の人類を滅ぼそうと生物兵器を作り上げた(ドーム状の山はその生物兵器を保管・散布するための宇宙船の一部。また「何故地球の人類を滅ぼそうと考えたのか?」についても全く不明)
生物兵器を満載した宇宙船は、地球へ向けて出発しようとした際、何らかのトラブルが発生し、「エンジニア」達は作中で覚醒した低温睡眠状態のひとりを除き全て全滅した。

しかし、仮にも「人類の起源」というのであれば、「人類を作った」「人類を滅ぼそうとした」如何なる理由があったのか、ということについても明らかにならないと、正直不完全燃焼もいいところなのではないでしょうかねぇ。
結局、「人類の起源」云々の話は相変わらず謎のヴェールに包まれたままで、17人の調査チームの中でただひとり生き残ったエリザベス・ショウが、「エンジニア」達が残した別の宇宙船を使って再び探求の旅に出る、という形で終わってしまいましたし。
映画「プロメテウス」は既に続編制作が決定しているとのことで、最初から続編制作を前提に制作されてはいたのでしょうが、正直、この出来とこの内容では、続編が待望され実際の制作にGOサインが下りるだけの興行的な成功が収められるのかどうか……。
この映画、当初の予定通りに「エイリアン」シリーズの起源作品として素直に売り込んでいた方が、却って内容的にも合致し面白いものになったのではないかと。

「人類の起源」云々以外で一番印象に残ったのは、たった1日のセックスで妊娠3ヶ月と判明するや否や、プロメテウス号に搭載されていた手術マシーンを使い、自分の腹から胎児の摘出手術を実行してのけたエリザベス・ショウの描写ですね。
いくら麻酔が効いているとは言え、意識のある中で自分の腹がレーザーで切り開かれていき、化け物の胎児が摘出される一部始終を全てその目で直接目の当たりにしていながら、よくまあエリザベス・ショウは発狂しなかったものだと。
アレだけの手術を敢行していながら、その後も全く支障なく動き回れるというのも凄いですが。
手術の際の出血も(現代のそれと比べれば)問題にならないほどの少量だったようですし、この辺りはさすが未来技術、といったところになるでしょうか。

未来技術ならではの小道具については、構造物の中を赤外線?を放ちながら自動で巡回しつつ、プロメテウス号にデータを送信して地図を作り上げていくシステムや3Dホログラフィー的な映像投影技術など、作中でも色々と描写されていました。
その中でも最たる未来技術の結晶は、やはり何と言っても外見上は人間と全く区別がつかないデヴィッドになるでしょうか。
記憶能力はもちろんのこと、自分でものを考えて動くことができ、かつ首がもげても会話を続けることができるデヴィッドは、まさに未来ロボットの鏡と言えるものがありました。
ただ、一方でデヴィッドは、チャーリー・ホロウェイの飲み水に、エリザベス・ショウが妊娠すると共にチャーリー・ホロウェイの死因にもなった、生物兵器の毒を混入させるという行為を行っているのですが、正直これは一体何がしたかったのか理解不能ですね。
人間としての感情がないが故に、そこらの人間を使って人体実験をするつもりだったのかもしれませんが、これをデヴィッドは他の誰かに報告するでもなく自分の独断で行っていますし。
そうかと思えば、物語終盤ではエリザベス・ショウに対して積極的なサポートを行ったりしていますし。
どうにも作中におけるデヴィッドの行動には行き当たりばったりな要素が拭えないのですが、彼は一体、最終的に何がやりたかったのでしょうか?

続編制作が既に決定しているということから考えても、今作は「続編の出来と関連性を見て初めてその真価を発揮する作品」と言えるのではないかと。
逆に今作単独だけで見ても、分からない謎と分かりにくい展開だらけで、正直あまりエンターテイメント的に楽しめる映画とは言い難いですね。

映画「アベンジャーズ(3D版)」感想

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映画「アベンジャーズ(3D版)」観に行ってきました。
過去のマーベルコミック作品で実写映画化した「インクレディブル・ハルク」「アイアンマン」「マイティ・ソー」「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」の主人公達が一堂に会するアクション映画。
今作に纏わるマーベルヒーロー4作品は全て観賞済みです。
なお、今回より2回目となる1ヶ月フリーパスポートを発動し、これから1ヶ月間、映画が無料で観覧できるようになりました(^^)。
……とは言っても、今作は時間の都合から3D版で観賞せざるをえなかったため、3D料金だけは普通に徴収されてしまったのですが(T_T)。
一応、今回は1ヶ月間で10作品以上の映画を観賞できる時期を狙っての発動となったのですが、果たしてどうなることやら。

映画「アベンジャーズ」のストーリーは、マーベルヒーローの実写映画4作品を全て観賞していることを前提に展開します。
たとえば、作中に登場するロキのエピソードは、映画「マイティ・ソー」で行われた戦いの後日談という形で語られていますし、キャプテン・アメリカも「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」からのストーリーの延長線で登場しています。
4作品全て観賞しないと、作中で展開されるエピソードの意味や繋がりが分からないようになっているんですよね。
まあ、あくまでもアクションがメインの作品なので、先述の4作品を閲覧していなくても今作を楽しむこと自体は充分に可能ではあるでしょうが、作中のエピソードを完全に理解するためには、やはり4作品全てを観賞した上で今作に臨んだ方が良いかと。
ちなみに、作品の時系列は以下のようになっています。

キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー(終盤以外、1940年代が舞台)

インクレディブル・ハルク

アイアンマン

アイアンマン2

マイティ・ソー(劇中、「スタークから聞いているか?」のセリフ有り)

キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー(終盤部分、冷凍睡眠から覚醒)

また、今作に登場する女スパイのブラック・ウィドウことナターシャ・ロマノフは「アイアンマン2」で、弓矢使いのホークアイことクリント・バートンは「マイティ・ソー」で、それぞれ初登場しています。
そして、アベンジャーズ計画の立案者にして秘密組織「S.H.I.E.L.D.」の総指揮官ニック・フューリーも、「アイアンマン」1作目から要所要所で存在感を醸し出しています。
これらの積み重ねを経た上で、今作のストーリーが展開されるわけですね。

物語は、正体不明の地球外生命体が地球への侵攻を臭わせる発言を披露した後、「S.H.I.E.L.D.」のアジトで密かに研究が行われた四次元キューブを、「マイティ・ソー」のラスボスだったロキの襲撃で強奪されてしまうところから始まります。
この四次元キューブというのは、超強力なエネルギー体という共通項から「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」で登場していたコズミック・キューブと同一のものであると考えられるのですが、名前が違うので少々混乱させられますね。
ロキは襲撃の際、ホークアイを自分の傀儡にしており、四次元キューブと共に彼も引き連れて逃走しています。
四次元キューブを奪われた「S.H.I.E.L.D.」では、当然のごとく容易ならざる事態が発生したことを認識、総指揮官ニック・フューリーは、以前に凍結されていた禁断の計画「アベンジャーズ計画」の発動を宣言します。
「アベンジャーズ計画」とは、過去4作品に登場していたヒーロー達を結集し、チームを組ませて強大な敵に対処させるというもの。
ニック・フューリーの命を受け、まずは元ロシア人の女性スパイであるブラック・ウィドウが、カルカッタに潜伏しているハルクことブルース・バナー博士を、次にフィル・コーンソンがアイアンマンことトニー・スタークを、それぞれ「S.H.I.E.L.D.」に連れ出すことに成功します。
一方、キャプテン・アメリカことスティーヴ・ロジャースは、「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」のラストの段階で既に「S.H.I.E.L.D.」の保護下に置かれていたのであっさり勧誘終了。
「マイティ・ソー」のラストで遠いアスガルドの地へ帰ってしまったソーについては、「S.H.I.E.L.D.」では勧誘のしようがないため、当面はこの3ヒーローとブラック・ウィドウでロキの行方を追うことになります。

調査の末、「S.H.I.E.L.D.」の面々は、ロキがドイツのシュツットガルドに存在することを確認。
現場へ急行したキャプテン・アメリカとブラック・ウィドウ、そして援軍として到来したアイアンマンの活躍により、ロキはあっさりと捕縛されます。
形勢不利と見るやあっさりと縛についたロキの態度に不審を抱きながらも、一行はブラック・ウィドウが操縦する戦闘機?で「S.H.I.E.L.D.」の空の要塞である空中空母「ヘリキャリア」へと向かうことになります。
ところがその道中、突如稲妻と共に「マイティ・ソー」の主人公ソーが戦闘機の上に出現。
ソーは、危険な四次元キューブの奪取と、何よりも所在が判明したロキをアスガルドの地へ連れ帰るべく、再び地球へと姿を現したのでした。
戦闘機内に侵入したソーは、ロキの身柄を確保するや、その場で戦闘機から落下し姿を消してしまいます。
慌てて2人を追うアイアンマンとキャプテン・アメリカ。
そして、ロキを説得してアスガルドに連れ帰ろうとするソーと、挑発的な性格のトニー・スターク扮するアイアンマンの両名が、まずは対峙することになるのですが……。

映画「アベンジャーズ」に登場するヒーロー達は個性派揃いで、それ故にチームを組んで戦うという手法を苦手としています。
そのため、序盤は全くと言って良いほどに足並みが揃わず、しばしば仲間割れすら起こす始末。
特にトニー・スタークとソーは、元々の出会い方が最悪だった上、互いに好戦的な性格であることも災いして全くそりが合いません。
序盤の両者の対決も、キャプテン・アメリカが止めに入らなかったら、どちらかが死ぬまで延々と勝負し続けていたのではないかと。
あの2人を見ていると、「同族嫌悪」とか「近親憎悪」とか言った言葉がついつい浮かんできてしまったくらいでしたし(苦笑)。
かくのごとく、チームワークというものを全く持たないヒーロー達を戦場で束ねる役は、キャプテン・アメリカが担うことになりました。
彼は元々アメリカ軍に所属していて友軍を支援していた実績もありますし、今時珍しい自己犠牲精神と誠実な性格の持ち主でもありましたし、リーダーとしては誰よりも適役者だったでしょう。
この辺りは、「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」の感想記事で予想した通りの展開ではありましたね。
ちなみに、映画「アベンジャーズ」に登場する各ヒーロー達の強さは以下の通りとなります↓

ハルク(ブルース・バナー)
攻撃力:◎ = 全ヒーロー中最強(ロキを一方的にぶちのめす)
防御力:◎ = 全ヒーロー中最強(高度1万メートルから落下しても無傷、敵の集中攻撃にも耐えられるなど)
スピード:◎
遠距離攻撃能力:なし
飛行能力:なし
その他:人間時はそれなりの研究者で理性的だが、ハルク変身時は狂気と衝動のままに行動する。

アイアンマン(トニー・スターク)
攻撃力:○
防御力:○
スピード:◎
遠距離攻撃能力:あり(小型ミサイル、掌から発射されるレーザービームなど)
飛行能力:あり
その他:エネルギー切れの問題があるものの、一番万能で使い勝手の良いヒーロー。

ソー
攻撃力:◎
防御力:○
スピード:○
遠距離攻撃能力:あり(雷を呼ぶ)
飛行能力:あり
その他:体力面ではハルクと同等。遠距離攻撃にエネルギー切れの心配なし、ただし一定の溜めが必要?

キャプテン・アメリカ(スティーヴ・ロジャース)
攻撃力:○
防御力:○(ただし特殊シールドのみ ◎ )
スピード:△
遠距離攻撃能力:あり(シールドを投げる)
飛行能力:なし
その他:筋力が超人的であることとシールド以外はこれといった特徴がなく、他のヒーロー達と比較すると弱い感は否めない。

ブラック・ウィドウ(ナターシャ・ロマノフ)
ホークアイ(クリント・バートン)
攻撃力:△
防御力:△
スピード:△
遠距離攻撃能力:あり(銃や弓矢)
飛行能力:なし(ただしブラック・ウィドウが飛行機を操縦可能)
その他:人間としての身体能力は優れているが、作中では基本的にサポート担当。キャプテン・アメリカと一緒に行動していることが多い。

戦闘能力的には一番であろうハルクが基本的にバーサーカー状態で扱いづらく、一方で一番弱いであろうキャプテン・アメリカがリーダーには最も適していることを考えると、まともなチームワークが確立さえすればバランスが取れたチームと言える組み合わせではありますね。

一方、敵陣営の方を見てみると、今作では地球侵略の尖兵的な役割を担っているロキが実質的なラスボスと言って良く、ロキの背後にいる真の敵はまだ前面に出てきておらず正体も完全には明かされていないという感が多々ありますね。
そもそも、ロキが率いていた地球侵略のための兵達も特にこれといった特筆すべき力があったというわけでもなく、ロキの知略による奇襲や数に任せた物量作戦で押し切る的なものが目立っていましたし。
予告編でも登場していた巨大な怪物も、ヒーロー達の攻撃の前に簡単に撃退されてしまっていて見かけ倒しもいいところでした。
四次元キューブの力で開けられたホールから仰々しく出てきた割には、破壊の規模が妙に小規模な感が否めませんでしたし。
あれならば、アメリカ軍が空軍と陸軍を大量投入すればまだ何とか対抗できないこともなかったのではないか、とは思わずにいられなかったですね。
というか、作中ではヒーロー達以外だと警察が拳銃で飛行体と応戦している程度で、軍はいきなり核ミサイルを発射した1機の飛行機以外は全く参戦してすらいませんでしたし。
作中のアメリカ軍は、敵と直接に交戦して壊滅したような様子すらありませんでしたし、彼らはヒーロー達に戦いを丸投げして一体何をしていたというのでしょうか?
あそこでアメリカ軍がヒーロー達と一緒に戦っていれば、ヒーロー達ももっと楽にかつ優位に戦局を進めることもできたはずでしょうに。
ニューヨークというアメリカの一大都市が敵の攻撃を受けているというのに、結果的に戦いすらもしなかったアメリカ軍は、ヒーロー達が賞賛・恐怖されるのに反比例する形で大いに糾弾されて然るべきだったのではないかと思えてならないのですが。

「アベンジャーズ」のエンドロールの最中に出てくる映像を見る限りでは、明らかに続編があることが示唆されていますし、実際、既に続編の制作も決定しているのだとか。
続編たる「アベンジャーズ2」は2015年5月にアメリカで公開予定だそうで、日本の公開も2015年~2016年になりそうな雰囲気です。
さらにその間に「アイアンマン」「マイティ・ソー」「キャプテン・アメリカ」単独の続編作品や、マーベルコミック系の新規ヒーロー作品も出てくるようなので、続編はさらに盛り上がることになりそうですね。

あと、今作のエンドロールの最後には、黒幕の描写とはまた別の特典映像がありますので、映画が完全に終わるまで席は立たないでおくことをオススメしておきます。

映画「トータル・リコール」感想

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映画「トータル・リコール」観に行ってきました。
1990年にアーノルド・シュワルツェネッガー主演で劇場公開された、同名アメリカ映画のリメイク作品。
今作ではコリン・ファレルが主人公を担っています。

リメイク版「トータル・リコール」では、旧作のそれとは世界設定が大きく異なっています。
旧作「トータル・リコール」では、人類が火星に進出し、火星のエネルギーを採取し火星を牛耳っているエネルギー会社との戦いが繰り広げられるのですが、リメイク版の舞台はあくまでも地球。
作中の地球は、21世紀末に勃発した世界大戦で大量の化学兵器が使用された結果、大気中に致死性の猛毒が充満したことでほとんどの地域が居住不能となってしまい、人類はわずか2箇所の居住可能区域に集中して生活するようになっています。
現在のイギリスにあるブリテン諸島を中心に、限られた富裕層が居住するブリテン連邦。
貧民層がひしめき合いながら居住するオーストラリア大陸のコロニー。
この両者を繋ぐ唯一のルートは、地球の内部をくり抜き、核を通して地球の表と裏を繋ぐ「フォール」と呼ばれる地中エレベーター。
この「フォール」は数万単位の人間やロボットすらも運搬できる能力を有しています。
「フォール」の地球の表から裏まで移動する際にかかる所要時間は、だいたい30分~1時間といったところになるでしょうか。
コロニーの労働者の中には、「フォール」に乗ってブリテン連邦まで移動し、そこで単純労働に勤しむ者も数多く存在しました。
今作の主人公であるダグラス・クエイドもまた、すくなくとも作中の序盤ではそんな労働者のひとりとして働いている人間のひとりでした。

ここ最近、ダグラス・クエイドは毎晩おかしな夢を見ることに悩まされていました。
その夢の内容とは、どこかの施設と思しき場所で、全く知らない女性と逃亡する中、追手に撃たれて女性と離れ離れになってしまい、自身は追手達に捕縛されてしまうというもの。
夢から覚めたダグラス・クエイドは、彼の身を案じた妻のローリーとセックスに及ぼうとするものの、直後にローリーが電話で呼び出されてしまい、結局何もすることがないまま、単身「フォール」へと向かうのでした。
ダグラス・クエイドは、シンセティックという治安維持目的のロボット大量生産の仕事に携わっており、真面目な勤務で昇進のチャンスを掴んでいました。
しかし、貧民層のコロニー出身という出自が仇となってしまい、彼の昇進はブリテン連邦出身の対立候補によって見送られてしまうのでした。
やるせない気分になったダグラス・クエイドは、ふと街中で見たリコール社の宣伝を思い出します。
リコール社は、客の都合に応じた都合の良い記憶を植え付けることで、客に疑似体験を楽しませることを生業とする企業。
ダグラス・クエイドの友人兼勤務会社での同僚であるハリーの反対を押し切り、彼はリコール社を訪問。
そしてスタッフに対し、「諜報員として活躍する」という記憶を植え付けることを依頼するのでした。

しかし、いざ記憶を植え付ける作業へ入ろうとした時、突如機械がアラートを発し、スタッフ達は作業を中断。
さらにその直後、今度は大勢の武装警官達がリコール社内へとなだれ込み、リコール社のスタッフ達を撃ち殺してダグラス・クエイドに銃を突きつけてくるではありませんか。
自分が何故銃を突き付けられなければならないのか、混乱に陥るダグラス・クエイドでしたが、今度はその彼自身の身の上に異変が起こります。
なんと彼は、類稀なる戦闘技術を発揮し、複数の武装警官達をその手で壊滅させてしまうのです。
当然、そんな戦闘技術を身につけた覚えもないダグラス・クエイドは、リコール社の惨劇がニュースで大々的に報じられる中、身を隠すように自宅へと戻ることに。
混乱しながらも帰宅したダグラス・クエイドは、妻のローリーに事情を説明。
半信半疑ながらも、とりあえずダグラス・クエイドと抱擁するローリー。
ところが、ここでローリーは突如、ダグラス・クエイドを絞め殺そうとし、2人はそのまま戦闘に突入してしまいます。
そしてローリーは、驚くべきことをダグラス・クエイドに告げるのでした。
自分はダグラス・クエイドの妻ではなく監視役であり、彼の名前も偽名、経歴も全て偽の記録と記憶によってでっち上げられたものであると。
衝撃を受けざるをえなかったダグラス・クエイドは、すっかり恐怖の存在となりおおせてしまったローリーの魔の手から脱出、逃避行を余儀なくされることになるのですが……。

映画「トータル・リコール」では、主人公の妻であるローリー役を、映画「アンダーワールド」シリーズの主演として有名なケイト・ベッキンセールが演じています。
疑問の余地なくその影響なのでしょけど、作中におけるローリーは、ほとんどまんま「アンダーワールド」シリーズの主人公にして女性ヴァンパイアのセリーンそのものです。
アクションシーンはもちろんのこと、黒ずくめの服装を終始身に纏っているところも全く同じで、他の治安部隊達と比べても明らかに浮いていましたし。
明らかに「アンダーワールド」を意識して造形されているのが丸分かりなキャラクターでしたね(苦笑)。
1990年版「トータル・リコール」と異なり、彼女は終盤まで生き残り続けて最後まで主人公達の脅威であり続けます。
ただ、あのラストのダグラス・クエイド襲撃は、正直何がやりたかったのかよく分からないところはありましたね。
あの時点では、ローリーの上司でコロニー侵略の総指揮を担っていたコーヘイゲンは既に死んでいた上、「フォール」も破壊されて侵略の勝敗の帰趨も決していたのですから、彼女がダグラス・クエイドを殺す意味なんて何もなかったも同然だったのですが。
ローリーにとって、コーヘイゲンの命令は、命令権者が死んで状況が激変してさえも何が何でも遂行しなければならないものだったのでしょうか?
ラスボスたるコーヘイゲンが生きていた中で死んだ1990年版のローリーの方については、そんな疑問を抱く必要もなかったのですが……。

また、コーヘイゲンがオーストラリアのコロニーを侵略する意思をアレだけ明確に表明した上、「フォール」を使った侵略経路まで最初から判明していたにもかかわらず、ダグラス・クエイド以外に「フォール」の破壊を意図した人間がコロニー側にいなかったのも少々疑問ではありました。
ブリテン連邦とコロニーを繋ぐ唯一の道である「フォール」を破壊すれば、敵側の侵攻意図を挫き、少なくとも一定の時間を稼ぐことは充分に可能なことは誰の目にも明らかなのですから。
現地のブリテン連邦の治安維持部隊が「フォール」を死守していたような感じもまるでなく、コロニーの住民達はただただパニックに陥って逃げ惑っていただけでしかありませんでしたし。
それ以前に、既に実質的な従属という形でコロニーを支配下に置いているブリテン連邦が、わざわざ数万の大兵力を派遣してコロニー相手に侵略と殺戮を行わなければならない必然性がまるでなかったりするんですよね。
ブリテン連邦が必要としている「コロニーの労働力」にしても、既に「フォール」を介して大量に送られているような状態なのですし、単純労働者が必要なのであれば、それ専用のロボットを大量増産するという方法だって使えるはずでしょう。
あの世界では、治安維持目的のロボットが普通に作れるだけの技術力が既に確立されているのですからなおのこと。
また、ブリテン連邦の土地が少ないからコロニーの土地獲得を目的としているのであれば、元々ブリテン連邦側はあそこまで強権力が行使できるのですから、合法的な経済活動と権力の行使で「フォール」を中心に自分達の居住区域を少しずつ広げていく方が却って効率が良さそうなものなのですが。
ダグラス・クエイドを使ってレジスタンスの壊滅にも成功した後であればなおのこと、彼らに悪のレッテル貼りをすることで、コロニーの住民達に「ブリテン連邦こそが正義」と信じさせることも可能なわけなのですし。
あの時点で、ブリテン連邦がコロニーを、それも力づくで侵略などしなくてはならない理由は何もないはずなのですが。

アクションシーンや演出などでは1990年版に勝りますが、ストーリー設定や説得力などは1990年版の方に軍配が上がる、といったところになるでしょうか。
個人的には、1990年版「トータル・リコール」に「アンダーワールド」的な要素をミックスした作品として楽しんでいましたね、今作は。

映画「ダークナイト ライジング」感想

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映画「ダークナイト ライジング」観に行ってきました。
映画「インセプション」のクリストファー・ノーラン監督が製作を手掛ける「バットマン」シリーズ3作目にして完結編のアクション大作。
今作のストーリーは、これまでのシリーズの集大成ということもあり、前2作「バットマン ビギンズ」「ダークナイト」の設定を踏まえた上で展開されています。
前2作を知らないと分からない設定やエピソードも多数含まれていますので、前2作を知らない方は、今作を観賞する前に予め前2作を先に観賞することをオススメしておきます。

前作「ダークナイト」から8年が経過したゴッサム・シティ。
前作で恋人を殺され、復讐者トゥーフェイスとして犯罪を犯し死んだハービー・デントを記念して制定されたデント法により、ゴッサム・シティの犯罪は個人・組織を問わずことごとく封殺されていました。
そのハービー・デントが犯した罪を一身に背負い、街からその姿を消したバットマンの存在と汚名を代償にして。
しかし、ハービー・デントの死の真相を隠蔽することは、バットマンに扮するブルース・ウェインと、隠蔽の共謀者であるゴッサム・シティ警察の市警本部長ジェームズ・ゴードンに大きな傷を残していました。
その良心の呵責に耐えかねたのか、ジェームズ・ゴードンはデント法の祝典パーティーの場でその事実を公表しようとしますが、市民の衝撃や糾弾から、一度はスピーチ用に書き上げた真相告白のための原稿を引っ込めてしまいます。
同じ頃、ブルース・ウェインは、自宅に侵入し、真珠のネックレスを身に付けたキャットウーマンと対面していました。
キャットウーマンは、足が不自由になっているブルース・ウェインに一撃を浴びせると、窓から飛び降り姿を消します。
ウェイン邸に侵入した彼女の目的は真珠のネックレスではなく、金庫に貼り付いていたブルース・ウェインの指紋であることが判明します。
キャットウーマンはブルース・ウェインが会長を務めるウェイン財閥の乗っ取りを企むジョン・ダゲットという人物から、ブルース・ウェインの指紋を取るよう依頼されていたのでした。
この騒動がきっかけとなって、ブルース・ウェインことバットマンはキャットウーマンと知己を得ることになるのですが……。

一方、ゴッサム・シティ市警は、凶悪テロリストとして恐れられているベインの行方を追っていました。
熱血捜査官のジョン・ブレイクの聞き込みからもたらされた情報で、ベインはゴッサム・シティの地下に拠点を作っていることが判明。
自ら指揮を取ったジェームズ・ゴードンは、ゴッサム・シティのマンホールからアジトに潜入するものの、護衛を全部倒された挙句、逆にベインの手の者達に囚われの身となってしまいます。
何とか隙を突き、脱出することには成功するものの、ジェームズ・ゴードンは瀕死の重傷を負い入院を余儀なくされてしまいます。
ジェームズ・ゴードンは、巡査だったジョン・ブレイクを刑事に昇格させ、自分の右腕として事件を捜査させ自分に直接報告を行うよう指示します。
ジョン・ブレイクはブルース・ウェインの邸宅を訪れ、8年前の事件以来すっかり引き籠りな生活を送っているブルース・ウェインに対し、8年前の事件に関する捜査令状を発動すると脅して半ば強引に対面を強要。
明らかに彼の正体を知っていると言わんばかりの言辞を繰り出し、バットマンの再来を希望するのでした。
折りしも、市内にある証券取引所に対して、ベイン率いる集団が強襲をかけるという事件が発生。
ブルース・ウェインは、ウェイン家に長年仕えるアルフレッド・ペニーワースの制止も聞かず、バットマンとして復帰し事件に対処することを決意するのですが……。

映画「ダークナイト ライジング」では、総計164分の長い上映時間の中で、重厚な人間ドラマが敵味方を問わず繰り広げられています。
アクションシーンなどもそれなりにはあるのですが、どちらかと言えば人間ドラマがメインで描かれている感がありますね。
その中でも特に重点的に描かれているのは、前作で幼馴染の恋人を亡くし、生きる希望を失ってしまったバットマンことブルース・ウェインの懊悩と、彼が立ち直っていく過程でしょうか。
実はその前作で死んだ当の恋人は、死の直前にブルース・ウェインに対して決別の意思を示した手紙を出しており、その手紙は執事アルフレッド・ペニーワースの手によって隠匿されていたのですが、そうとは知らずに恋人のことを想い続けるブルース・ウェインの姿は、なかなかに滑稽なものがあります。
今作では、この隠蔽劇についての一定の決着を見ることになります。
ただ、バットマンの道へ戻ることに反対するアルフレッド・ペニーワースから、恋人の手紙の真相を知らされたはずのブルース・ウェインは、しかしその割にはあまり衝撃を受けたようには見えなかったですね。
恋人が死んでから8年も経過していて記憶も想いも薄れている、という事情もあったのでしょうが、ブルース・ウェイン的にも、前作の恋人の態度に何か予感を抱かせるものでもあったのではないかなぁ、とは思わずにいられなかったところです。
また、アルフレッド・ペニーワースにしてみれば、事の真相を暴露することでブルース・ウェインのやる気を喪失させるという狙いも多分にあったのではないかと思われるのですが、結局ブルース・ウェインを止めることは叶わなかったわけで「当てが外れた」的な部分はあったでしょうね。
何やかや言っても、彼は誰よりもブルース・ウェインのことを考えて行動していましたし。

今作のメインとなる敵陣営のボスキャラ(ただしラスボスではない)となるであろうベインは、物理的な力においてバットマンと互角以上に渡り合えた稀有な存在ですね。
序盤はバットマン側のコンディションが思わしくなかったとは言え、完全に力で圧倒し牢獄にぶち込むところまでいっていましたし。
彼の失敗は、「死にたがっているお前を殺しても罰にならない」などという、ある意味潔癖症じみたことを主張して、あそこでバットマンをさっさと殺しておかなかったことだったでしょう。
物語終盤近くで自身が復活したバットマンに逆に追い詰められた時、彼は間違いなく自身のその言動を後悔したことでしょう。
だからこそ、ラスボスがバットマンにナイフを突き立ててその場を立ち去った後、彼はそれまでの生温い対応を投げ捨てて、躊躇なくその場でバットマンを殺す選択に打って出ざるをえなかったのでしょう。
その余裕のなさっぷりは、圧倒的な存在感を示していた序盤とは著しく対象的と言えるものでした。
その直後に、キャットウーマンが乗車していたバイクの砲撃で吹っ飛ばされてあっさり絶命してしまった結末は少々意外ではありましたが。
ベインはバットマンとのタイマン勝負で死ぬのだろうと、予告編を見ていた頃からずっと考えていたくらいでしたし。
この辺り、ベインの「悪役としての凋落ぶり」を感じさせるものではありましたね。

バットマン・キャットウーマンとくれば、あとはバットマンの相棒であるロビンも出てくるものなのですが、彼は作中の最後にその存在が明らかとなります。
ジェームズ・ゴードンの部下として、またバットマンの協力者として作中でも活躍するジョン・ブレイクが、警察と法の理不尽なあり方に憤って警察を辞職した後、「ロビン」という偽名を名乗ると共に、無人となったバットマンの秘密基地へと侵入するシーンがあるんですよね。
クリストファー・ノーラン監督より以前の映画「バットマン」シリーズでは、バットマンと共に敵と戦っていたロビンでしたが、あの世界における「ロビン」は、バットマンの存在なしでひとりで戦っていくことにでもなるのでしょうか?
最後の最後で「ロビン」を出してくる辺りは、ファンサービスが上手いなぁと思わずにいられなかったところでしたが(^_^;;)。

アクション物というよりは人間ドラマ重視の作品であり、どちらの視点で見てもそれなりの出来と面白さを兼ね備えた映画とは言えますね。

映画「スターシップ・トゥルーパーズ インベイジョン」感想

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映画「スターシップ・トゥルーパーズ インベイジョン」観に行ってきました。
1997年に実写映画化(日本では1998年公開)された「スターシップ・トゥルーパーズ」のシリーズ誕生15周年を記念して製作されたCGアニメーション。
今作は一応洋画に分類されるのですが、監督は何故か日本人の荒牧伸志が担当しています。
「スターシップ・トゥルーパーズ」自体はアメリカよりも日本の方が大ヒットしているので、それにあやかりでもしたのでしょうかねぇ。
ちなみに、実写映画版「スターシップ・トゥルーパーズ」はこれまで3作公開されているのですが、私が観賞したことのある作品は1作目だけですね。
というか、「スターシップ・トゥルーパーズ」の2作目と3作目って、製作費といい知名度といい、1作目の足元にも及ばないほどにマイナー過ぎるのですが(^^;;)。

今作では、実写版映画「スターシップ・トゥルーパーズ」の1作目から、最低でも数年~10数年の時間が経過した世界が舞台となります。
物語は、小惑星上に建造された地球連邦軍の要塞フォート・ケイシーが、連星クレンダスの惑星に住む昆虫型生物アラクニド・バグスの集団に占領されてしまったことから始まります。
地球連邦軍はただちにフォート・ケイシーを奪還すべく、複数の艦艇を派遣。
しかし、先行して要塞内へと突入した機動歩兵隊の報告により、フォート・ケイシーは既にバグの大群がひしめき合い、奪還は困難な情勢であることが判明します。
そこで現地軍は方針を転換し、要塞内の生き残りを救出しつつ、小惑星ごと要塞を爆破してバグ達を殲滅する作戦を展開することになります。
そんな中、フォート・ケイシーにいた超能力戦略担当大臣カール・ジェンキンスが、その権限を濫用し、要塞奪還のために来援していた戦艦ジョン・A・ウォーデン(以下「JAW」)号を自らの指揮下に置き、一足先に戦場を離脱し重要な物資を輸送することを宣言します。
これに怒ったのは、JAW号の艦長でカール・ジェンキンスの旧友でもあるカルメン・イバネス。
しかし、大臣という要職にあるカール・ジェンキンスに対し、所詮は一戦艦の艦長にすぎないカルメン・イバネスの抗議はあっさり一蹴され、彼女は同じく来援していた機動歩兵隊用の強襲艦アレジア号への移乗を余儀なくされるのでした。
一方、要塞内で生き残りを探していた機動歩兵隊は、フォート・ケイシーの守備を担っていたK-12機動歩兵隊の生き残り達と合流。
巨大な図体と数に任せて攻め込んでくるバグ達に犠牲を強いられながらも、彼らは要塞爆破の任務を見事遂行し、アレジア号でフォート・ケイシーを後にするのでした。

生き残ったK-12機動歩兵隊では、隊長として部隊を率い、「ヒーロー」の愛称で呼ばれているヘンリー・ヴァロ大佐が、反逆罪を犯したとして逮捕され、地球への帰還の途についたアレジア号の一室に監禁されていました。
何でも彼は、超能力戦略担当大臣カール・ジェンキンスの命令に背いたということから反逆者と見做されたとのこと。
ただ、彼の部下であるK-12機動歩兵隊の隊員達は今でもヘンリーを敬愛しており、彼の命令違反には何らかの理由があることが推察されました。
ヘンリーの件が引っかかるものの、直近の戦闘が終結したことと、地球へ帰還すれば休暇が与えられることから、それぞれ艦内で思い思いにリラックスする兵士達。
しかしそこへ、地球連邦軍の司令部から緊急通信が舞い込んできます。
通信用のスクリーンに出てきたのは、地球連邦軍の将官で、カール・ジェンキンスとカルメン・イバネスの旧友でもあるジョニー・リコ。
彼は、先のフォート・ケイシーでの戦いの際、一足先に戦場を離脱したカール・ジェンキンスとJAW号が行方不明になったことを告げ、その捜索と調査をアレジア号の全乗員に命じます。
しかし、カール・ジェンキンスのために自分達の隊長が汚名を被せられることになってしまったK-12機動歩兵隊の面々は、当然のごとく調査に乗り気ではありません。
しかし、だからと言って軍人として命令に逆らうわけにもいかない彼らは、任務を遂行するための条件として、元隊長のヘンリー・ヴァロを指揮官として復隊させて欲しいと嘆願。
元々自身も機動歩兵隊出身であるジョニー・リコは、兵士達の気持ちを理解しその嘆願を承諾、どんなに活躍しても裁判で情状の材料になることはないという条件付でヘンリー・ヴァロを復隊させます。
そしてアレジア号は、消息を絶ったJAW号の捜索へと乗り出すことになるのですが……。

映画「スターシップ・トゥルーパーズ インベイジョン」に登場する、ジョニー・リコ、カール・ジェンキンス、カルメン・イバネスの3名は、実写版映画「スターシップ・トゥルーパーズ」の主要登場人物でもあります。
ジョニー・リコが機動歩兵隊所属の主人公、カルメン・イバネスが彼のガールフレンド、カール・ジェンキンスがジョニー・リコの親友という間柄です。
当時はまだ軍に入ったばかりの一兵士や下士官でしかなかったあの面々が、今作ではそれぞれ要職に就いているのですから、その辺りにも時間の経過を感じさせるものがあるわけで。
この辺りは、往年の「スターシップ・トゥルーパーズ」ファンに対するサービス的な一面も多々あるのではないかと。
ただ、今作における彼らは、物語終盤におけるジョニー・リコ以外はこれと言った見せ場がなく、むしろ要人として守られる立場に終始しているのが実情ではあるのですが。
今作で活躍するのは、アレジア号に乗船している機動歩兵隊とK-12の面々ですね。
一応、元々アレジア号に乗船していた機動歩兵隊の指揮官とヘンリー・ヴァロが指揮官ということにはなっていますが、ただ、こちらは誰が主人公なのか分かりにくい構図がありますね。
作中の描写は、全ての登場人物を均等に扱っているような感があって、特定の誰かに集中的なスポットを当てる、という形は取られていないんですよね。
その中ではかなり活躍した部類には入るであろうヘンリー・ヴァロも、序盤はあまり出番がないですし、そもそも彼はジョニー・リコが来援したタイミングでバグ達を巻き添えに自爆して死んでしまうのですから。
「主人公が不在」というか「皆が主人公」的なスタンスで描かれていますね、この映画は。

また「スターシップ・トゥルーパーズ」と言えば、男女の混合集団によるシャワーシーンがごく自然な形で描写されるという、男女平等のグロテスクさを具現化するかのような衝撃的な映像で一世を風靡した1作目に象徴されるがごとく、男女の性の奔放っぷりが特に印象に残るシリーズでもあります。
今作でもそれは健在で、むさくるしい男達の真っ只中に、わざわざ「襲ってください」と言わんばかりの、上半身にタオルをかけただけのトップレスな姿で登場する女性軍人が描かれていたりします。
他にも、一応はまだ任務中の最中に、黒いボディスーツ?を身に纏った女性と一室でシケこんだりするカップルの様子が描写されていたりもしますし。
1作目もそうでしたけど、あの世界における男女の性の問題って一体どうなっているのかと、改めて疑問に思わずに入られなかったですね(苦笑)。
ただ、同じく1作目の物語の合間合間にしばしば挿入されていた、地球連邦のプロパガンダCMやニュースの類は今作では全く確認することができず、その点では少々「惜しい」部分もあったと言えるでしょうか。
まあ、アレは「スターシップ・トゥルーパーズ」というよりは、1作目を製作したポール・バーホーベン監督の持ち味ではあったのでしょうけど。

あと、あの世界における地球連邦軍の対バグ装備は、まだまだ改善の余地が大いにあるのではないでしょうか?
航空援護や戦車などの援護もなしに、ただひたすら軽火器で銃剣突撃をやっていただけな感が多々あった1作目に比べれば、今作の機動歩兵隊はパワードスーツを身に纏いつつ、やたらとゴツい重火器でバグ達と応戦しており、その点では兵装面で大きな進化が見られました。
ただ、物語終盤にジョニー・リコが搭乗していた、映画「アバター」辺りにも出てきていたような巨大なパワードスーツを標準装備化していれば、対バグ戦はもっと楽に戦うことが可能なのではないでしょうか?
何しろ、ジョニー・リコが操縦する1体の巨大パワードスーツだけで、今作のラスボスである女王バグを除いたバグの集団は一方的な殺戮の的にされていたのですから。
今までの機動歩兵隊の苦戦は一体何だったのかとすら思えるほどの圧倒ぶりで、「そんな便利な兵器があるのならば、何故前線の機動歩兵隊に大量に配備してやらないんだ?」という疑問すら浮かんできたくらいだったのですが(^^;;)。
まあ、その手の巨大パワードスーツは高価なものである、という事情はありそうなのですが、あの世界における前線の兵士達の戦死・損耗率が半端じゃないであろうことを考えれば、巨大パワードスーツを必須で配備する方がむしろ安上がりなのではないかとすら思えてならならないのですけどね。
アレを前線に大量配備すれば、各戦線でバグ達を圧倒し完全勝利することも難しくはなさそうにも見えますし。

作中のCG映像は、実写のそれと比較しても遜色がないくらいに良く出来たものではあります。
往年の「スターシップ・トゥルーパーズ」ファンはもちろんのこと、戦争映画やアクション物としても充分に見れる作品に仕上がっているのではないかと。

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