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映画「メリダとおそろしの森」感想

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映画「メリダとおそろしの森」観に行ってきました。
数々の3Dアニメーション映画を手掛けてきた、ディズニー&ピクサーのタッグによる冒険ファンタジー。
この映画は3Dメガネが必要なバージョンも公開されていますが、私が観賞したのは2Dの日本語吹替版となります。
なお、今作は映画「おおかみこどもの雨と雪」との2本立てで同日観賞しています。

今作では、物語本編が始まる前に、ディズニー&ピクサー映画のキャラクターを使ったと思しき前座的な短編映画が2作品上映されます。
何の予告もなく突然始まったこともあって、本編と全く関係のない内容の短編映画が上映され始めた際には、「まさか、本来『メリダとおそろしの森』が上映されているスクリーンとは全く別の場所に間違って入ってしまったのか?」と、一瞬ながらもついつい考えてしまったものでした(^^;;)。
もちろんそんなことはなく、2作品が上映し終わった後に物語本編はきちんと開始されたのですが。

今作の舞台は10世紀頃のスコットランド。
そのスコットランドにある王国の第一王女にして今作の主人公のメリダは、幼少時に誕生日を迎えた際、父親にして国王でもあるファーガス王から弓をプレゼントしてもらいました。
得意気に弓を射る父親の真似をして、メリダは生まれて初めて弓を射ることになるのですが、初めて放った矢は的に当たるどころか、明後日の方向へと飛んでおそろしの森の奥深くに入り込んでしまいます。
メリダは森の奥の木に突き刺さっていた矢を見つけて戻ってくるのですが、その際に「モルデュ」と呼ばれる巨大な熊に目をつけられてしまいます。
メリダの後を追い、メリダを仕留めんとする巨大熊モルデュ。
そのメリダの前に、父王であるファーガスが武器を持って立ちはだかり、モルデュに単身挑みかかるのでした。

それから数年後。
父王ファーガスと王妃エリノアとの間には、長女メリダに加えて、さらにヒューバート・ヘイミッシュ・ハリス3つ子の兄弟が誕生していました。
ファーガスは数年前のモルデュ襲来と撃退、および際に失った左足を自らが誇る武勇伝として自慢の種にしていました。
そして、元来自由奔放かつお転婆な性格のメリダは、母親である王妃エリノアの伝統至上主義かつ花嫁修業的な教育方針に反発する日々を送っていたのでした。
元々親子としての仲は決して悪くなかった2人ではあったのですが、年を追うにつれてその擦れ違いはどんどん深まるばかり。
そんな中、エリノアは王国の有力貴族であるディングウォール・マクガフィン・マッキントッシュ3家の子息の中から、メリダの婚約相手を選抜すべく画策します。
当然メリダはこれに反発。
婚約相手を選ぶ儀式をメチャクチャにしてしまい、そのまま馬に乗って城から脱走し、冒頭にも登場したおそろしの森の奥深くへと入り込んでしまうのでした。
母親の束縛からなんとしても逃れたいと考えるメリダは、気が付くとストーンサークルが林立する場に出てきていました。
そこで、突如メリダの前に現れ、まるでメリダをどこかへ導こうとするかのようにひとつの道筋を作り出していく鬼火。
鬼火の光跡を辿っていったメリダは、その終着点でひとりの怪しげな老婆と出合うことになるのですが……。

映画「メリダとおそろしの森」は、出自が王家であることを除けば、世界中どこにでもありそうな母親と子供の関係が描かれています。
子供のことを考えるが故に自分の主張を子供にゴリ押しする母親と、それに反発する子供という図式です。
作中でも問題になっているこの図式は、実際に親子間で自己修復ないし解消できた事例は限りなく少ないものだったりします。
これはどちらかと言えば、子供以上に親の問題の方が大きいんですよね。
子供に対する躾と自分のエゴイズムとの区別が全くつかず、自分の考えを無条件に押しつけることが子供への躾であると勘違いする親は、はるか昔から後を絶つことがありません。
当の親自身も、それが間違っていることであるとは露にも思わず、それどころか「子供のためになる」と信じて疑っていないケースが一般的ですらあるのですし。
作中で何かと伝統云々を持ち出してメリダに礼儀作法やら何やらを強要しまくっていた王妃エレノアも、別にメリダに悪意を持って接していたわけではなく、むしろ逆に「それがメリダのためになる」と信じて疑っていなかったわけです。
こういう親って、最初から確信犯で子供を虐待している親と同じかそれ以上にタチが悪かったりするんですよね。
むしろ、なまじ親の善意が分かっているだけに、親を裏切るような後ろめたさや罪悪感を子供側が覚えずにはいられないという問題が発生する分、問題解決が却って厄介になったりするのですし。
また、子供を圧迫している親側は親側で「これは子供を育てるのに必要な愛のムチ」と心の底から信じ込んでいたりするため、話し合いで相互理解に到達する余地自体がほとんどなく、反省や自浄作用を求めることも限りなく不可能に近いときています。
それに加えて、人間が持つ母性本能には「子供をいつまでも自分の手元で保護したい」という欲求が組み込まれているため、その欲求に逆らおうとする子供の成長や自立心を、母親が自ら踏み潰そうとすることも決して珍しい話ではありません。
成長した子供が自分の元から離れていくことを嫌がり、「ひとりにすると不安だから」的な理屈をこねてとにかく自分の指図に従うよう強要する母親などは、まさにその典型ですし。
エレノアがメリダの自立心を拒絶し、あくまでも自分が敷いたレールの上を無理矢理歩かせようとしたのも、そういう本能的な欲求がどこかで働いていたからに他ならないのでしてね。
メリダとエレノアが物語のラストで結果的に和解できたのも、皮肉なことにエレノアが魔女の魔法にかかってしまい、2人が苦難を共にしたことが発端になっていたのであって、それがなかったら2人の仲は時間と共に悪化の一途を辿るだけだったでしょう。
その点では、作中では疑問の余地なく「悪い魔女」扱いされているであろうあの老婆も、結果的にはメリダの願いを最も理想的な形で叶えていた、と評価することもできるのではないかと。
まあ、当の老婆にそんなつもりは全くなかったのでしょうけど(^^;;)。

作中のストーリーはとにかくメリダとエレノアを中心に回っていて、その他の登場人物は軒並み脇役的な役柄に終始していますね。
父親であるファーガス王や3貴族達はひたすら「脳筋」としてのみ描かれていますし、メリダの弟の3つ子達は単なるマスコットキャラクターでしかありません。
特に、3つ子達がエレノアを熊に変えてしまったパンケーキ?をつまみ食いしてしまい、エレノア同様に熊に変化してしまった事象は、王家としては本来ならば王妃エレノアが熊に変わってしまったこと以上に問題となるべき事件であるはずです。
王妃エレノアには王位継承権がない可能性が濃厚なのに対し、3つ子達は王家の直系男子で王位継承権が間違いなく存在しているのであり、その3つ子が熊に変わってしまったということは、下手すれば王位継承の問題にも直結しかねない国の一大事となりえるのですから。
しかしその割には、作中における3つ子達の扱いは「王妃エレノアのついで」的なものでしかなく、メインの扱いには全然なっていないんですよね。
普通の流れで行けば、将来の王国の国王には3つ子達の誰かが即位することになるのですから、王妃エレノア以上に3つ子達の動向の方が本来重要事項であったはずなのですけどね。

ストーリー的には映画「おおかみこどもの雨と雪」と同じく「親子関係」をメインテーマに据えた作品ですが、中心となる視点が前半と後半で変化していった「おおかみこどもの雨と雪」に対し、今作は終始メリダの視点のみで描かれています。
その点では、こちらの方が子供向け作品であると言えるのではないかと。
なお、今作ではエンドロール後に特典映像が存在しますので、最後まで席を立たずに映画を観賞することをオススメしておきます。

映画「スリーデイズ」感想(DVD観賞)

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映画「スリーデイズ」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2011年9月に劇場公開されたアメリカ映画で、2008年公開のフランス映画「すべて彼女のために」のハリウッド版リメイク作品です。

どこにでもいる、ごく普通の両親と息子の3人家族であるブレナン一家。
いつものように朝の食事をとっていたブレナン一家を、突如複数の警官達が包囲し、妻のララ・ブレナンが殺人容疑の罪で逮捕されてしまったことから物語は始まります。
ララの夫で今作の主人公であるジョン・ブレナンは、妻の無罪を信じ3年にもわたり法廷闘争を繰り広げるのですが、1審はむろんのこと2審の裁判でも、ララの無罪を勝ち取ることは叶いませんでした。
ララの弁護人は、日本の最高裁に当たるアメリカの連邦最高裁では30年以上にわたって殺人事件を扱っていないことを理由に、判決を受け入れるよう進言します。
しかし、妻の無実を信じているジョンは当然のごとくそれを受け入れません。
しかし、もう裁判で逆転の目が全くないことは、如何にジョンと言えども覆すことのできない事実でした。
法の正義というものをまるで信じられなくなったジョンは、ここに至ってついに妻を刑務所から脱獄させ、逃亡生活を送ることを決意します。

ジョンは脱獄計画を成功させるため、過去に7回にわたって刑務所からの脱獄に成功した実績を持つデイモン・ペニントンに接触します。
彼はジョンに対し、「逃亡生活を続けることに比べれば、刑務所を脱獄すること自体は容易なことだ」と述べ、刑務所を脱獄するための極意をいくつか教えるのでした。
税関を通過できる新しい社会保障番号と偽造パスポートを揃え、逃亡のための資金を用意すること。
刑務所の官吏達は日常の業務を惰性的に行っていることから、非常時の際には隙が生まれやすいので、刑務所の様子をよく観察した上でその隙を突くこと。
逃亡の際にはアメリカと仲の良くない国に高飛びしてしまうこと。
そして何よりも、手段を問わず脱獄を成し遂げるという覚悟を持つこと。
ジョンはそれらのアドバイスを全て実行に移すべく、まずは社会保障番号と偽造パスポートを得るべく内々の活動を始めます。
最初のうちは、その手の裏稼業の人間にいくら金を積んでも、ただ金を奪われた挙句に暴力を振るわれるだけの結果に終わるのみで、なかなか目的のブツを手に入れることができません。
しかしそれでも、相場の2倍近い金をかけた末に、何とか家族全員が逃亡するのに必要な3つの社会保障番号と偽造パスポートを揃えることに成功します。
ただ、そのための代償は決して少ないものではなく、なけなしの資金も底を尽きることになってしまいます。
さらには、有罪が確定したララが、3日以内にこれまでの刑務所とは全く別の遠い場所にある刑務所へ移送されるとの情報が、面会したララからもたらされるのでした。
窮地に追い込まれたジョンは、ついに強硬手段を取ることを決意するのですが……。

映画「スリーデイズ」の最も皮肉で面白いところは、無実の妻ララを救うために有罪確実の犯罪を重ねていかなければならないという夫ジョンの立場ですね。
彼は妻を助けるために脱獄の準備を進め実行するのはもちろんのこと、資金難から麻薬密売組織のアジトを襲撃し、その構成員を2人も殺害して札束を奪ってしまいます。
必要に迫られ、また相手が麻薬密売グループとはいえ、立派な強盗殺人ですし、無実の妻を助けるために自分が罪を重ねるというのは本末転倒ではないか、とは思わなくもなかったですね。
もちろん、ジョンにしてみれば、2審でも有罪判決な上に再審の道も断たれたことで妻を助ける方法が他になくなってしまったわけですし、アメリカの社会システムそのものに絶望を抱いていたというのが正直なところではあったのでしょうが、それでも自ら強盗殺人を犯すというのは、当人にとっても「ルビコン川を渡る」的な心境ではあったのではないかと。
ジョン自身、強盗殺人を犯したことで「もう引き返せない」「ここで手をこまねいていたら何もしなくても全てを失う」という覚悟を抱かざるをえなかったでしょうし。
妻を見捨てて息子と2人だけで人生をやり直す、という選択肢も、ジョンにとっては論外なシロモノだったでしょうからね。
この「覚悟の描き方」というのは結構上手い部類に入るのではないかと思います。

制限時間が課せられ、一刻の猶予もない脱獄作戦は、全体的に紙一重的に警察の包囲網を掻い潜りつつ、時間が経てば経つほどに敵を罠に嵌める余裕が出てくるというパターンで進行していきます。
ジョンやララにとっての一番の難所は、一番包囲網が厚く隙を見出しにくい監視下の病院だったということになるのでしょう。
ある程度距離を離しての心理戦であれば、ある程度頭を使えば何とかすることもできるわけですが、警察を直接相手取っての逃亡劇となると、「逃げ方をどうするか?」以外の智恵など活用のしようがないわけです。
ジョンもララも別に武芸の達人というわけではなかったのですから、警察に捕まったらその場で一巻の終わりだったのですし。
この辺り、主人公が超人やスパイアクション系の凄腕工作員でないのがよく出ていますね。

個人的に少し御都合主義的に思えたのは、片道20分以上もかかる動物園に息子が行ってしまった件で、迎えに行くかどうかであれだけド派手に揉めたにもかかわらず、そのことで他者から警察へ通報が行くでもなく、またいともあっさりと息子を迎えにいくことが出来てしまった点でしょうか。
高速道路?とおぼしき場所でアレだけ危険運転でスピンしまくっていたら、他の通行人に対して目立ちまくり&大迷惑かけまくりなわけですし、通報が行かないほうが変だと思うのですが。
また、警察も「2人は子供の場所へ向かうだろう」と目星をつけていた割には、時間をかけまくって揉めにもめていたジョンとララ相手に後れを取ってしまい、結局3人を逃がす羽目になっていましたし。
個人的には、あの揉めていた時間は充分に致命傷たりえましたし、警察が先回りする時間くらいのロスは普通にあったのではないかと思えてならないのですが。
デイモン・ペニントンの「脱獄の心得」を見事に無視した上での行動でしたし、アレで助かるというのは少々御都合主義的な感が否めないところですね。

アクションはやや地味ながらも、手に汗握るサスペンス的な面白さはなかなかのものではないかと思います。

映画「崖っぷちの男」感想

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映画「崖っぷちの男」観に行ってきました。
「アバター」「タイタンの戦い」「タイタンの逆襲」に出演しハリウッドスターの仲間入りを果たしたサム・ワーシントン主演のアクション・サスペンス作品。

アメリカ・ニューヨークにあるルーズヴェルト・ホテル。
ある日、ウォーカーなる男がそのホテルの21階にある「眺めの良い一室」にチェックインの手続きを行いました。
部屋までの案内を行ったルームサービスを遠ざけ、朝食を済ませた男は、開閉式の窓枠を越え、わずか30㎝の縁に立ち、そこから飛び降りる素振りを見せます。
下の路上を歩いていた通行人が男の存在に気づき、ただちに警察に通報。
周囲はたちまちのうちに野次馬と警察がごった返すこととなり、ニューヨークの街は騒然となります。
何故男はこのような公開投身自殺みたいな騒動を引き起こしたのか?
その原因は、事件から遡ること1ヶ月前にありました……。

ホテルにチェックインする際に名乗った「ウォーカー」という名前は実は偽名で、今作の主人公である彼の正体は、ニック・キャシディという名のニューヨーク市警の元警察官。
彼は、デイヴィット・イングライダーという実業家兼ダイヤモンド王から、時価4000万ドルにも上るダイヤモンドを盗んだ罪で逮捕され、懲役25年の実刑判決を受けて投獄されていたのでした。
しかし彼は、自身の罪が全くの濡れ衣であり、自分の無実を晴らすことを決意します。
おりしも、彼の父親フランク・キャシディの寿命がもう長くないとの連絡が刑務所にもたらされ、ニックはかつての警官時代の相棒だったマイク・アッカーマンの好意によって、監視付きながら葬儀の出席を許可されます。
そしてニックは父親の葬儀の席上、突如弟ジョーイ・キャシディと殴り合いの喧嘩をやらかしたかと思うと、制止に入った警官のひとりから拳銃を奪い、自身にかけられた手錠を外させて車を奪い、その場から逃走を始めたのです。
警察側も慌てて追っ手を差し向けるのですが、ニックの方が一枚上手だったようで、ニックは列車を利用して追跡者の手から逃れ行方を晦まします。
そして彼は、プレハブ?のアジトらしき場所で荷物をまとめ、ルーズヴェルト・ホテルへと向かったのでした……。

ニックの自殺と、それに伴う通行人の犠牲者が出ることを避けるために、ニューヨーク市警が周囲の道路を封鎖する中、ニューヨーク市警の交渉人ジャック・ドハーティがニックの自殺を思い止まらせるべく交渉に当たります。
ところがニックはそれに対し、リディア・マーサーという名の女性交渉人としか話すつもりはない、30分以内に彼女を呼んでこなければここから飛び降りると明言します。
リディアは1ヶ月前、ニューヨークにあるブルックリン橋から投身自殺をしようとする警官との交渉に当たったものの、説得に失敗して警官の生命を救うことができなかったことに深い傷を負っていました。
しかし、今更選択の余地のないニューヨーク市警は、眠りこけていたリディアを電話で叩き起こし、ただちにルーズヴェルト・ホテルの現場へ急行し交渉の任に当たるよう指示することになります。
新たな交渉人としての任を受けたリディアは、ニックを相手に丁々発止の駆け引きじみた交渉を開始することになるのですが……。

映画「崖っぷちの男」は、上映時間102分の最初から最後まで緊迫したシーンが続きます。
作中で展開される主人公達の言動全てに伏線や意味が含まれており、また最初は何も分からない主人公達の目的や意図が、ストーリーが進むにしたがって少しずつ解明されていく過程の描写はなかなかの面白さです。
実はニックは、自身の冤罪を晴らすために、デイヴィット・イングライダーから盗んだとされるダイヤモンドを必要としていました。
デイヴィット・イングライダーは「ニックからダイヤモンドを盗まれた」と主張しており、そのダイヤが見つからないことから、ダイヤの時価総額である4000万ドルの保険金を保険会社から受け取っていたのです。
しかし、そのダイヤがデイヴィット・イングライダーの元から見つかったとなれば、デイヴィット・イングライダーの主張は覆され、ニックにかけられた冤罪を晴らすことができるのです。
そして、デイヴィット・イングライダーが所持すると思われるダイヤモンドは、ルーズヴェルト・ホテルのちょうど向かいに位置するビルの中にありました。
そのためニックは、一方では投身自殺を装い衆人環視の目をルーズヴェルト・ホテルに向けさせる一方、弟のジョーイ・キャシディと弟の恋人であるアンジーの2人をビルに潜入させ、ダイヤを奪いその所在を明示することで自らの潔白を証明しようとしていたのでした。
この中で一番負担の重い役割を担っていたのは、やはり何といってもニックだったでしょうね。
何しろニックは、一方ではリディアをはじめとする警察達への対応に追われる一方、他方ではジョーイとアンジーのダイヤ奪取のサポートまで行わなければならなかったのですから。
これほどまでの難行を見事にこなしてのけるニックは、一介の警察官にしておくには惜しい人材であると言えます。
すくなくとも、CIAの特殊工作員の類くらいなら充分にやっていけるだけの手腕は確実にあるでしょうね。

個人的にサプライズだったのは、一連のサスペンス劇が実はルーズヴェルト・ホテルにニックが入った時から文字通り始まっていたことがラストに判明することですね。
ニックがホテルの21階の部屋に案内されていた時のルームサービスが何とニックの仲間のひとりであることが物語後半に判明します。
しかもその人物は、序盤で葬儀まで行われていたはずのニックの父親フランク・キャシディであることがラストで明らかにされるのです。
ということは、ニックが脱獄を果たすきっかけとなったあの葬儀の場面からして、実は最初から仕組まれていたことになるわけです。
ニックの無実を晴らすためとは言え、どれだけ遠大な計画を立てていたというのでしょうかね、キャシディ一家は。

サスペンス物が好きな方はもちろんのこと、アクションもある程度は盛り込まれていますので、そちらの方面が好みという方にもオススメできる一品です。

映画「ドライブ・アングリー」感想(DVD観賞)

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映画「ドライブ・アングリー」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2011年8月に劇場公開されたアメリカ映画で、ニコラス・ケイジおよび映画「ラム・ダイアリー」にも出演したアンバー・ハードの2人が主演を担うカーアクション物。
劇場公開当時は映画タイトルの後に「3D」の文字がつくほどに3Dメインの作品だったようですが、DVD観賞では何の意味もないですね(苦笑)。
作中にはセックスシーンや血が飛び散る残虐シーンがあることから、映画館ではR-15指定を受けていました。

物語の冒頭では、3人組の男が何者かの影に怯えながら車で逃げている様子が描かれています。
後ろを振り向いて追手がないことにようやく安堵した3人の前に、まるで嘲笑うかのように出現し道路をふさぐ1台の車。
道をふさがれた3人組の車は吹き飛ばされ、3人組は道をふさいだ車から降りてきた謎の男にとあるカルト教団の教祖ヨナ・キングの所在について尋問された後、情け容赦なく殺されてしまうのでした。
ここで舞台はとあるレストランの日常風景に変わります。
そのレストランでパート?のウェイトレスとして働いていたパイパーは、ニート状態で働きに出ない夫との関係に悩む、気性の激しい女性。
そして物語は、いつものように働いていたパイパーのレストランで冒頭の男が入店したことから動き始めます。
レストランにおける2人の会話は、男がパイパーの車について尋ねたこと以外では特にこれといった要素もなく、あくまでも客とウェイトレスとしての接触に終わります。
しかし、レストランのコック?がセクハラ行為を働いたことに腹を立て逆襲したパイパーは、コックの解雇をちらつかせた脅迫にブチ切れてしまい、その場で「今日限りで辞める」と宣言し店を出て行ってしまいます。
結果として、いつもよりも早く自宅に帰ることになったパイパーは、パイパーが留守であることをいいことに知らない女と不倫セックスに勤しむ夫の姿を目撃することになります。
当然ここでもブチ切れ、夫と不倫女に当たり散らすパイパーでしたが、夫は夫でパイパーの態度に逆ギレ。
ウザいパイパーを半殺しにすべく、物理的なドメスティックバイオレンスを振るいまくります。
そこに現れたのは、レストランでパイパーの車について尋ねてきた冒頭の男でした。
夫を逆に半殺しにした男と、職を失くし夫にも愛想を尽かしたパイパーは、パイパーの車でその場を後にするのでした。
男の名はジョン・ミルトンといい、自分の娘を殺し、娘が生んだ赤子を生贄に捧げんとするカルト教団に復讐をすべく行動しているのだとか。
パイパーは、ジョン・ミルトンに纏わる様々なトラブルに巻き込まれつつ、彼と共に共にカルト教団を追っていくことになるのですが……。

映画「ドライブ・アングリー」は、タイトルを見ても分かるようにカーアクションをメインに物語が展開されていきます。
冒頭のシーンからラストまで車が少なからず登場し、追撃戦や奇襲などで大活躍することになります。
カーアクションのための映画、と言っても過言ではないですね。
また、敵がカルト教団だからというわけではないのでしょうが、主人公も含めた作中の登場人物達にはオカルティックな現象がしばしば発生しています。
たとえば主人公ジョン・ミルトンは、カルト教団のアジトに押し入った際に銃で左目を至近距離で撃たれているにもかかわらず、死ぬことなく意識を取り戻して信者達に逆襲していますし、彼を追う監察官も、橋の上から車もろとも転落しているにもかかわらず、大破した車から平気な顔で出てきたりしています。
この謎については物語の終盤近くで出てくるのですが、実はジョン・ミルトンは既に故人で、死後の世界の地獄にある牢獄から脱獄してわざわざ現世にやってきているんですよね。
そしてFBIに化けている監察官の正体は、彼を地獄へ連れ戻しにきた番人ということになります。
既に死んでいるからこそ、いくら身体に傷を負っても死ぬことができないわけです。
何でもジョン・ミルトンは、地獄で自分の身が痛めつけられることよりも、自分の娘が拷問され殺されていく光景を見ることの方が我慢ならなかったのだとか。
またジョン・ミルトンは、脱獄する際に地獄から「神殺しの銃」を奪い取っており、これがカルト教団の教祖ヨナ・キングを滅ぼすのに必須のアイテムとなります。
本人の主張するところによれば、ヨナ・キングは悪魔と契約していて、生者では彼を殺すことができないのだそうで。
この辺りは、同じニコラス・ケイジ主演の映画「デビルクエスト」にも通じるところがありますね。

少し疑問だったのは、物語の序盤ではジョン・ミルトンを捕まえるために人を操ったり自ら追跡したりして行動を妨害ばかりしていた監察官が、後半になると逆に影ながら間接的に支援する協力者になっている点ですね。
橋の上で「神殺しの銃」を突き付けられてそれまでの考えが変わった、というところなのかもしれませんが、妨害者から協力者になっていく過程が描写されていないため、初めて観た時は「何故?」と戸惑わざるをえなかったところでして。
監察官自身、自分のことについて語るようなタイプの人物(?)ではありませんでしたし。
監察官にしてみれば、どんな手段を使ってでもジョン・ミルトンを捕縛できさえすればそれで良かったのでしょうが、ならば序盤における彼の行動は一体何だったのかと。
警察官達を操ってジョン・ミルトンを襲撃したところで、警察官達の武器ではジョン・ミルトンを殺せないことを、彼は最初から知っていたはずなのですが。
序盤の彼の行動は、結果的にジョン・ミルトンと何の関係もない人間を無駄に死に追いやっただけでしかなかったのではないのかと。

カーアクションと爽快感が得られるストーリーが好きな方には、イチオシの作品となるでしょうか。

映画「ラム・ダイアリー」感想

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映画「ラム・ダイアリー」観に行ってきました。
故ハンター・S・トンプソンによる同名の自伝小説を原作とし、親友のジョニー・デップが故人のために企画・製作・主演の全てを担った伝記ドラマ。
作中ではセックス描写があることから、映画館ではR-15指定されています。

舞台は1960年。
アメリカ・ニューヨークの喧騒に疲れ果てた今作の主人公ポール・ケンプは、カリブ海に浮かぶ南アメリカ・プエルトリコの新聞社サンフアン・スターで記事を書くために移住してきたジャーナリスト。
神経過敏気味の社長兼編集長のロッターマンとの面談で履歴に偽りがあることを指摘されるものの、とりあえずは採用が決定します。
ポールは、ロッターマンからボブ・サーラという社員を紹介され、彼から仕事について色々教えてもらうよう指示されると共に、新聞の紙面を埋める占い記事執筆の仕事を任されることになります。
ボブ・サーラはサンフアン・スター社の将来に悲観的で、ポールと共に飲んでいる酒場?で、あの会社は間もなく潰れるだろうという不吉な予言を開陳したりするのでした。
そんなある日、ロッターマンから暫定的にあてがわれていたホテルのプールでポールが泳ごうとしたところ、ホテルの従業員に制止されてしまいます。
何事かとポールが問い質したところ、ホテルのプールでは、最近プエルトリコに進出してきたらしいユニオンカーバイドという会社が貸し切りでパーティをしているとのこと。
プールで泳ぐ当てが外れてしまったポールは、仕方なく足漕ぎボートを出してひとり寂しく夜の海辺に出て行きます。
そこでポールは、夜の海を素っ裸で泳ぐひとりの金髪の女性と運命の出会い?を果たすことになります。
その時は、名前を教えてくれというポールの要求を拒否して女性はその場を後にしています。
さらにその後、今度はマイアミに出張して市長?のインタビューを取って来いと指示され、プエルトリコの空港へと向かうことに。
しかし、空港で飛行機便を待っている間、ポールは非専属の不動産業者サンダーソンと出会い、飛行機便がキャンセルされてしまったことを告げられます。
その告知通りに搭乗予定の飛行機便がキャンセルになったことを確認すると、ポールはサンダーソンと一緒にサンダーソンが所有する海辺の別荘?へと向かうことに。
そこで彼は、ホテルの海辺で出会い、サンダーソンの婚約者となっている女性シュノーと再会することになるのでした。
サンダーソンはポールに対し、現在は演習地として使われているアメリカ軍の賃貸契約が間もなく切れる島の開発計画で新聞記事を使い協力するよう依頼してきます。
ポールはその後のゴタゴタもあって、なし崩し的にサンダーソンの協力者となりつつ、シュノーとの交流を重ねていくことになるのですが……。

映画「ラム・ダイアリー」は、どうにも全体的にあまりパッとしないイメージが拭えないですね。
主人公ポールがラム酒を手放せないアルコール中毒の新聞記者、というのはまだしも、物語中盤まではその場その場の雰囲気に何となく流されているだけの意志薄弱な様相を呈しています。
そして物語も終盤に差し掛かり始めたところでようやく自立行動し始めたかと思えば、今度はその努力が全て空回って何ら成功に結びつくことすらなく、最後はサンダーソンの船を盗んでアメリカに戻るだけという、あまりにも盛り上がりに欠ける展開が延々と続いていたりするんですよね。
ヒロインであるシュノーはシュノーで、サンダーソンとセックスを繰り広げたかと思えば、ポールを誘惑したり、地元のクラブで筋肉隆々の男達と一緒にストリップダンスを踊ったりと、あまりにも浮気性な実態を晒しまくっています。
挙句、当然のごとくサンダーソンに捨てられ、ポールの元に転がり込んできて一緒になったかと思えば、ポールを置いてひとりだけプエルトリコを出国してアメリカに向かってしまい、しかもその後作中では全く登場することなくモノローグだけで結末が語られるという始末。
主人公はやることなすこと全部グダグダかつ結果すらも出せず、ヒロインは主人公と一緒になって互いに支え合うでもなく自己中心的に活動していただけと、まるで良いところが見出せないのですが。
ストーリー的にも、延々と谷間が続いているだけで全く山場がない状態ですし。
ポールが作中で明確に出したといえる成果が、サンダーソンの船一隻奪っただけというのは正直どうなのかと。
今作で企画・製作・主演を担っているジョニー・デップは、ヒロイン役のアンバー・ハードと熱愛関係にあると報じられているようですが↓

http://megalodon.jp/2012-0630-2109-04/news.mynavi.jp/news/2012/06/30/007/
> アンバー・ハードが、長年のパートナーと破局したことが報じられている。
>
>
アンバーは、ジョニー・デップと急接近していることが理由で、アーティストで写真家のガールフレンド、ターシャ ・ヴァン・ リーと数カ月前に別れたという。ある関係者はイン・タッチ・ウィークリー誌に「もう2人は付き合っていません」と明かしている。
>
> バイセクシャルのアンバーは、2008年からターシャと交際しており、先日ロサンゼルスで開催されたゲイ・レズビアンの団体「GLAAD」の25周年記念パーティーに2人で出席していた。先の関係者によれば、2人は破局後も友人同士であり、ターシャはハリウッドのバー・マーモントで再度の独身生活をエンジョイしているという。先の関係者もこう続けている。「(ターシャは)何人かの綺麗な女性たちと笑っておしゃべりを楽しんでいましたね」
>
> 一方のジョニーは、14年越しのパートナーであるヴァネッサ・パラディとの破局を先日公表したばかりだが、半年前から別れたのではないかという噂はあった。その間
ジョニーは、2013年公開予定の最新作『ザ・ローン・レンジャー』を撮影しており、アンバーに馬をプレゼントし、一緒に乗馬を楽しんだと報道されていた。
>
> ジョニーとアンバーが共演した新作『ラム・ダイアリー』は6月30日(土)から日本公開予定だ。

こういう話を見ると、ジョニー・デップ個人が好き勝手にすることを目的にこの映画は作られたのではないか、という勘ぐりすらどうにも抱かざるをえないところですね。
いや、それならそれでまだ映画としての出来が良いのであれば文句のつけようもないのですが、如何せんあのストーリー仕立てでそれは無理というもので……(-_-;;)。

この映画は、根っからのジョニー・デップのファンな方々か、1960年代当時のアメリカやプエルトリコの雰囲気を堪能したいという人以外には、全くオススメのしようがありませんね。
すくなくとも、ハリウッドスタンダードなストーリーを期待して観に行ったら、痛い目に遭うこと間違いなしです。

映画「アメイジング・スパイダーマン(3D版)」感想

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映画「アメイジング・スパイダーマン」観に行ってきました。
アメコミの人気コミックの同名作品をリブートしたアクション超大作。
「スパイダーマン」自体は以前にも3部作で実写映画化されており、当初は3作目以降の続編がさらに製作されることになっていました。
しかし、その予定が製作会社の意向によってキャンセルされた結果、一部同じようなエピソードを踏襲しつつも基本的には全く別の映画として生まれ変わっています。
今作は本来、日本では2012年6月30日に劇場公開される予定の映画ですが、今回は6月23日と24日で先行上映が行われており、それに便乗する形での観賞となりました。
ただ、先行上映では3D版しか上映されていなかったため、泣く泣く3D版を観賞する羽目となってしまったのですが(T_T)。
先行上映だと、映画前売券もポイント観賞も使えなかったりしますし。
6月30日は観賞予定の映画が今作を含めて3作あったため、元来1本しか観賞予定がなかった今週にその分を持ってきたかったので、選り好みができなかったのが辛いところではありました(-_-;;)。
まあ3D効果については、「全体的に低めな傾向にある平均点から見れば、若干は良く演出できている方なのでは?」というものではありましたけど。

原作および映画版の「スパイダーマン」と同様に、映画「アメイジング・スパイダーマン」でも主人公となっているピーター・パーカーは、少年時代に両親が失踪(後になって「飛行機事故で死んだ」というネット上の情報が出てくる描写あり)した際に伯父夫婦に預けられた過去を持つ青年。
伯父夫婦はピーターを実の息子のように可愛がって育ててくれていたのですが、ピーターにとって両親の件は一種のトラウマないしは心残りにもなっていたようで、今でもどことなく両親の影を追っているような日々を過ごしていました。
そんなある日、彼は自宅で、かつて両親が持っていたという古びたバッグを発見します。
バッグの中を調べてみると、そこには若き日の父親と、父親の横に立っているひとりの人物が写っている一枚の写真が出てきます。
伯父夫婦にその写真の人物について尋ねて見たところ、彼は父親の友人で現在は巨大企業オズコープ社で研究員として働いているカート・コナーズ博士であることが判明。
ピーターはオズコープ社で募集されていたオズコープ社内の研究所の見学?に別人を装って割り込み参加し、社内にある秘密の研究所を発見してそこへ忍び込みます。
そこで彼は、密かに培養されているらしい大量の蜘蛛が保存されている部屋に迷い込んでしまいます。
ピーターが蜘蛛の糸?らしきものに触れると、それに触発されたのか大量の蜘蛛がバタバタとピーターの周囲に落っこちてきます。
蜘蛛を叩き落とすピーターでしたが、その中の一匹が払い落とす手を逃れ、ピーターの首筋を刺してしまいます。
蜘蛛の毒?の影響なのか、帰り道の列車の中で半ばウトウトして眠り込んでしまうピーター。
すると、たまたまその場に居合わせていた周囲のチンピラ達が、ピーターの額に酒瓶?を置く悪戯を始めてしまいます。
しかし、その酒瓶の表面に浮かんでいた水滴が一滴がピーターの額に落ちた瞬間、ピーターは瞬時に覚醒。
その場で飛躍的にパワーアップした跳躍力や吸着性、超人的な腕力やスピーディな反射神経などを見せつけ、チンピラ達を叩きのめしてしまいます。
これが、ピーター・パーカーが「スパイダーマン」として目覚めた瞬間でした。

一方、カート・コナーズ博士は、社長から委託を受けているらしい研究が行き詰まっており、研究打ち切りの危機に直面していました。
そこへ、「スパイダーマン」としての蜘蛛の力に覚醒したピーターが、カート・コナーズ博士の自宅を訪ねてきます。
オズコープ社では偽っていた自身の本当の身分を明かしたピーターは、カート・コナーズ博士にひとつの数式を提示します。
それは、彼の父親が生前に研究していた成果のひとつでもあり、何よりもカート・コナーズ博士の研究を大きく前進させるものでもありました。
カート・コナーズ博士に請われたこともあり、研究に協力するピーターでしたが、家族に連絡も入れず帰りが遅くなったピーターに対し、伯父夫婦はピーターを詰問する勢いで問い質します。
1回目は何とか誤魔化したピーターでしたが、それが何度も繰り返されたことでとうとうキレてしまったピーターは、売り言葉に買い言葉で伯父のベン・パーカーに当り散らし、そのまま家を飛び出してしまいます。
責任を感じずにいられなかったベン・パーカーは、ピーターを探し出すべく、制止する妻を振り切ってその後を追うことになるのですが……。

映画「アメイジング・スパイダーマン」における序盤のストーリーは、以前に実写映画化された「スパイダーマン」と同じエピソードが組み込まれています。
特殊なクモに刺されて超人的な力を得たり、それで有頂天になっている中で育ての親である伯父のベン・パーカーを亡くしたりといった描写は、まんま映画「スパイダーマン」の1作目でも展開されたシロモノだったりします。
特に伯父のベン・パーカーについては、作中に登場した瞬間から「ああ、この人確かこの後死ぬはずだよね」と反射的に考えてしまったくらいで、その結果も案の定な感が多々ありました(苦笑)。
ただ、以前の映画における「ベン・パーカーの死」は、それまで超人的な力を得て慢心していたピーターが改心していく発端となったのですが、今作の場合、ピーターが暴走していくのはむしろここからだったりします。
伯父の復讐のために、警察の人相書きや特徴のある人物を探し出すべく、街中にいるチンピラ達に片っ端から喧嘩を売っていき、警察からマークされていく存在と化していったのですから。
今作では、このスパイダーマンと警察との対立がメインテーマのひとつにもなっていますね。
ピーターの恋人となるグウェン・ステイシーの父親でニューヨーク市警の指揮官的な役割を担うキャプテン・ステイシーが、「覆面男(スパイダーマン)に制圧されていくのはフダ付きの悪党だから何の問題もないのでは?」という部下の発言に対して反論する描写がありますし、またピーターとキャプテンが初対面で食事を共にした際にも2人はスパイダーマンを巡って口論にまでなっていましたから。
ただ、一見するとガチガチの法律&警察至上主義的な言動を披露していたキャプテンが、スパイダーマンの正体を知った後に主旨換えでもしたかのごとくあっさりとスパイダーマンの味方になってしまった辺り、意外に情で動く人間であったような気はしないでもないですね。
それまで本人が主張していた論理からすれば、スパイダーマンの正体が何であれ、彼はスパイダーマンことピーターと敵対を続けなければならなかったはずなのですから。

しかし、キャプテンがスパイダーマンと共闘してその危機を助けた上、今作のラスボスであるリザードとの戦いで瀕死の重傷を負ってしまい、今際の際にスパイダーマンことピーターに対して「娘を巻き込むな」と約束させるのは正直どうかとは思わなくもなかったですね。
彼はあの時点で、娘のグウェンとピーターが恋仲にあることを充分に察知できていたはずなのですが。
もちろん、父親としては娘の安否が何よりも大事であるという心情は理解できなくもないのですが、当の娘にとってそれは余計なお世話もいいところだったでしょうね。
実際、ピーターがグウェンに別れを告げた際、グウェンは「父さんに約束させられたのね」と恨みがましく発言していましたし。
アレで、グウェンの父親に対する感情は間違いなく悪化してしまったのではなかったかと。
ラストで父親との約束を反故にするかのごとき発言をピーターが行っていましたが、それでグウェンとの関係が今後どうなっていくのかは、続編のストーリーに委ねられるところですね。

ベン・パーカーを殺した人間が未だ見つかっていないことや、ピーターの両親の死に何らかの暗い秘密があることが明示されているのに今作では何も解明されていないことなどから、最初から続編ありきで作られている作品と言えますね。
事実、既に続編の製作は決定していて、アメリカでは2014年5月に公開が予定されているのだとか。
アクション映画としては充分な出来ではありますので、その手のスタンダードなハリウッド映画が好みの方にはオススメの作品です。

映画「スノーホワイト」感想

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映画「スノーホワイト」観に行ってきました。
グリム童話の名作「白雪姫」をベースにしつつ、中世騎士道物語的な冒険ファンタジーとアクション要素を取り入れ大幅にアレンジされたアドベンチャー作品。
主人公のスノーホワイト(白雪姫)にクリステン・スチュワート、悪玉の女王役にシャーリーズ・セロンを迎え、その他の役にもそれなりに名の知れたハリウッド俳優を出演させています。
もっとも、個人的にはこれまでの観賞映画であまり見かけたことのない俳優さんばかりで、唯一記憶にあった俳優さんは映画「マイティ・ソー」で主演を担っていたクリス・ヘムズワースくらいしかいなかったのですが(^^;;)。
予告編では、結構その辺りのことが強調されていたのですけどね。

物語は、当然のごとく今作の主人公である白雪姫ことスノーホワイトが生まれた王家の事情が語られていきます。
とある王家に生を受けたスノーホワイトを産んだ実母のエレノア王妃は、スノーホワイトが幼い頃に国を襲った厳冬に耐えられず死去。
王妃が亡くなったことで悲嘆に暮れるマグナス王ですが、それから間もなく、王は領土内に異形の軍隊がどこからともなく出現したとの報を受け、それを討伐すべく兵を率いて出陣します。
異形の軍隊は、剣で斬りつけると何故かガラス細工のごとく砕け散る不可解な兵士達で構成されていましたが、戦いそのものはマグナス王が率いる王国軍の勝利に終わります。
しかし、その戦場で異形の軍隊の囚われの身?となっていたひとりの女性をマグナス王が助けたことが、その後の王国の運命を激変させてしまうことになります。
その女性ラヴェンナの美しさに一目惚れしたマグナス王は、王妃が亡くなっていたこともあって再婚を決意、程なく2人は盛大な結婚式を挙げ結ばれることになります。
ところがその夜、マグナス王と共に初夜におよんだラヴェンナは、魔術で王の自由を束縛した後、隠し持っていて短剣でマグナス王を殺害してしまったのです。
そして、外に待機していた軍隊を城内に招きいれ、城と城下町を完全に制圧してしまいます。
この事態に、マグナス王の側近のひとりだったハモンド公爵は、スノーホワイトの許婚で息子でもあるウィリアムと共に、王の忘れ形見であるスノーホワイトを連れ城から脱出しようとしますが、スノーホワイトは乗っていた馬の騎手を討たれてために逃げ遅れてしまい、ラヴェンナの弟フィンに捕らえられてしまうのでした。
以後、スノーホワイトは城にある塔の監獄に幽閉され、そこで何年も過ごすこととなります。

それから7年後。
軍隊の力を背景に女王として即位したラヴェンナの美貌と魔力を保持するための代償から、王国は大地が不毛の地と化し、また若い女性が定期的に捕らえられ生気を吸い尽くされていくなど、衰退と荒廃の一途を辿っていました。
今や王国の民は、女王ラヴェンナの暴政によってその日暮らしにすら困窮を極めるありさまであり、女王に対する怨嗟の声は高まるばかりになっていました。
そんなある日、女王ラヴェンナはいつもの日課になっているらしい鏡に対する問いかけを行っていました。
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」
すると鏡はこう答えます。
「もちろん、女王様でございます」
ここまではいつものやり取りだったのですが、しかしその日の鏡は、そこから女王が全く予想だにしない言葉を続け始めたのです。
「しかし、それも今日まで。スノーホワイトが女王様よりも美しくなる上、その純粋な心は女王様をいずれ破滅へと追いやります。ただ、彼女は同時に女王様の救いにもなります。スノーホワイトの心臓を食べれば、女王様は永遠の美貌と若さを手に入れ、不死身となることでしょう」
と。
ラヴェンナはただちにスノーホワイトの心臓を食べるべく、弟のフィンを呼び出し、スノーホワイトをここに呼んでくるよう命じます。
ところがフィンは、ラヴェンナの下へ連れて行く前にスノーホワイトをレイプしようとした挙句、スノーホワイトの逆襲を食らって脱獄を許してしまうという失態を演じてしまいます。
さらにスノーホワイトは城内にある下水道から海に出、城からの脱出にも成功。
激怒したラヴェンナによってすぐさま追跡部隊が編成され、スノーホワイトの追撃が開始されました。
しかしスノーホワイトは、「入ったら生きて出られない」とまで言われ恐れられている「闇の森」へと入っていってしまい、それ以上の追跡が不可能となってしまいます。
ラヴェンナはスノーホワイトを捕まえるため、「闇の森」に入って生きながらえた経験を持つ猟師のエリックを探し出し、彼に「闇の森」の案内をするよう命令します。
最初は拒絶していたエリックでしたが、「死んだ妻を生き返らせてやる」というラヴェンナの報酬内容に心を動かされ、彼は追跡部隊と共に「闇の森」へと入っていくのでした。
そしてやがて、エリックと追跡部隊はスノーホワイトを見つけ出すことに成功するのですが……。

映画「スノーホワイト」では、上記のストーリー紹介にも出ている「世界で一番美しいのは誰?」という問いに回答する鏡の他、白雪姫を昏倒させてしまう毒リンゴや7人の小人などといった、原作「白雪姫」に登場する要素が少なからず登場しています。
作中に登場する小人は実は当初8人なのですが、1人がスノーホワイト目掛けて放たれた矢から身を呈してスノーホワイトを守って死ぬことで7人になるわけですね。
残りの7人はそのまま物語終盤の攻城戦でも活躍し、そのまま生き残ることになります。
原作では「物語の要」になっているであろう毒リンゴのエピソードは、弟のフィンが率いていた追跡部隊が壊滅し、スノーホワイトの一行が「闇の森」から出てきた後、城から魔法転移してきたラヴェンナが、許婚のウィリアムに化けてスノーホワイトに毒リンゴを食べさせるという形で展開しています。
スノーホワイトの元にラヴェンナ自ら魔法転移が出来るのならば最初からそうしておけば良かったのに、とは最初思わなくもなかったのですが、ただ「闇の森」の中ではラヴェンナの魔力も無力化すると作中で明言されていた上、魔力の発動自体にもかなりの消耗を強いられるらしいので(城に再転移した後のラヴェンナは著しく衰弱していた上、魔力を回復するために何人もの人間の生気を吸い出していました)、最初は魔力の出し惜しみをしていたのでしょうね。
それが、弟のフィンが死んだことにショックを受け、仇討ちも兼ねて半ば感情的に出張ってきた、といったところになるでしょうか。
そもそも、スノーホワイトが「闇の森」の中で死んでしまい、遺体すら回収不能になってしまう可能性も最初は濃厚だったわけですし。
また、ラヴェンナひとりしか転移できないのでは、スノーホワイトを奇襲しようにもかなりの制約と限界もあったでしょう。

一方で、スノーホワイトにラヴェンナが食べさせたあの毒リンゴには、実は致死性の毒的なものは最初から含まれていなかったのではないか、という疑問がありますね。
そもそもラヴェンナにしてみれば、スノーホワイトを生きたまま捕縛し心臓を取り出さなければ、自身の目的を達成することができないわけですから、原作と違ってあの場でスノーホワイトをわざわざ毒殺しなければならない理由自体がありません。
現にスノーホワイトが毒リンゴを食べて動けなくなった後、ラヴェンナはスノーホワイトの心臓を取り出そうとしていたわけですし。
あの毒リンゴの毒というのは、実は「死」ではなく「麻痺」「仮死状態」をもたらすものであり、スノーホワイトが生き返ったのも単にその毒の効果が切れたからであって、原作のごとき「王子様のキス」によるものではなかったのではないか?
作中における「王子様のキス」自体、許婚のウィリアムと猟師のエリック2人がそれぞれ別に行っていましたし、作中で構築されていた「スノーホワイトを巡る一種の【三角関係】」的なものがその後のストーリーでも全く解消されていないことを鑑みても、どうにもそんな感想を抱かざるをえなかったところです。
物語のラストはスノーホワイトの女王即位で幕を閉じていて、ウィリアムとエリックのどちらと結ばれたのかについても全く描かれていませんでしたし、その辺りの「恋物語」については消化不良の感は否めなかったかな、と。

ただ、映画制作者達の話によれば、今作は実は3部作の1作目という位置付けで製作されているとのことで、スノーホワイトを巡る三角関係も今後出してくる予定の続編で解消するつもりなのかもしれませんね。
まあ、映画の原題「Snow White & the Huntsman(白雪姫と狩人)」や「エリックのキスの直後にスノーホワイトが毒リンゴの呪いから目覚めた」という展開などから考えれば、今作におけるスノーホワイトの恋人はエリックで確定してしまうのですが(苦笑)。
個人的には「許婚」で「幼馴染」かつ「身分的にも釣り合いが取れている」という王道路線を地で行くウィリアムの方が、死んだ妻のことを未だ愛している上に放浪者のエリックよりもスノーホワイトの恋人役にふさわしいのではないかと思わなくもないのですが。
スノーホワイトの心がどちらを向いているのかも作中ではほとんど描かれていなかったので、今後のウィリアムの逆転に期待したいところではあります。
エリックがスノーホワイトの恋人役に確定してしまうと、続編のウィリアムは間違いなく悪役かピエロなやられ役かの二者択一を迫られることになるでしょうし(爆)。
人気が出なかったとか予算の都合とかいった「大人の事情」でも介在しない限りは、続編製作は確実に行われることになるでしょうから、この「三角関係」がどのような結末に至るのかは注目ですね。

原作の「白雪姫」と異なり、今作はキスシーンはあるものの、恋愛的な要素はほとんど介在しておりません。
「ロード・オブ・ザ・リング」のような冒険ファンタジーや中世時代の軍隊同士の戦いが好きな方にオススメの作品ですね。

映画「君への誓い」感想

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映画「君への誓い」観に行ってきました。
実在する1組の夫婦の実話を元にした恋愛ドラマ作品。
今作は劇場公開日がちょうど1日のファーストディだったこともあり、金曜日レイトショーでの観賞となりました。

物語の舞台はアメリカ・イリノイ州の大都市シカゴ。
そのシカゴで大雪が降ったある日、一組の仲睦ましい夫婦がクルマに乗り、帰宅の途につこうとしていました。
今作の主人公でもある夫は、録音スタジオを経営しているレオ・コリンズ。
その妻は、個人のアトリエを持つ彫刻家のペイジ・コリンズ。
とある交差点でストップしたクルマの中で、2人は「子供を授かりたい」という妻の要望からシートベルトを外しカーセックスに及ぼうとするのですが、そこへ、雪のためにブレーキが利かずほとんど全速力状態でスリップしてきたトラックが後方から追突してきます。
トラックによって押し出されたクルマは、そのまま前方にある電柱だか街灯だかに激突してしまい大破。
しかも運の悪いことに、一足先にシートベルトを外していた妻ペイジが、トラックと電柱OR街灯の衝突によるショックでフロントガラスを突き破って外に放り出されてしまい、頭を強打してしまうのでした。

2人はそのまま病院へと運ばれ、やがてペイジに比べればまだ軽傷だった夫レオが先に意識を取り戻します。
ここからペイジが意識を取り戻すまでは、レオの回想という形で、レオとペイジ2人の馴れ初めから結婚までのエピソードが語られることとなります。
それによれば、2人が最初に出会ったのは4年前とのこと。
その他、シカゴのミレニアム・パークで2人がキスをしたり、施設?の無断使用で親友達と結婚式モドキなことをして警備員?に追いかけられたりといった光景が走馬灯のごとく思い返されていきます。
ちなみに、ミレニアム・パークで主人公カップルがキスを交わすという描写は、映画「ミッション:8ミニッツ」のラストにも全く同じものがあったのですが、シカゴのミレニアム・パークってそういう名所として評判な場所だったりするのでしょうかね?
さて、そんな回想が進んでいくうちに、夫よりも重傷だった妻の方も意識を取り戻す時がやってきました。
ペイジの意識が戻ったことに喜ぶレオでしたが、その喜びはすぐに雲散霧消してしまいました。
何とペイジは、夫であるはずのレオのことを「自分の担当医」と認識しており、その存在自体を完全に忘れ去っていることが判明してしまったのです。
ペインの本当の担当医に「普段通りの夫婦生活を営むことが、記憶を取り戻す可能性が最も高い最善の方法」との対処療法を聞いたレオは、ペイジの記憶を取り戻すべく奔走することとなります。
しかし、ペイジが記憶を無くしたことを聞きつけたペイジの家族や元婚約者などが現れたことで、レオとペイジの関係はギクシャクすることとなってしまい……。

映画「君への誓い」の大きな特徴は、ある人物が記憶を無くしたことによって利益を得る者もいる、という事象が描かれている点ですね。
冒頭の交通事故でペイジは、事故から遡ること4~5年ほど前からの記憶が完全に欠落していました。
その中には夫であるレオとの出会いから始まる一連の記憶全てが含まれていたことはもちろんなのですが、彼女は過去に自分の家族や元婚約者との間でトラブルが発生していた過去があり、その記憶も完全に消えて無くなっていたのでした。
そのため、元々ペイジとヨリを戻したがっていた家族と婚約者は、ペイジの記憶喪失を逆に千載一遇の好機と見做し、ペイジに対し干渉を始めてきたのです。
またペイジにしてみれば、出会った記憶すらも消し飛んでしまった夫のレオは全く見知らぬ人間でしかなく、逆にトラブルの記憶が無くなっている家族や元婚約者は「気心も知れ頼れる人々」として映っています。
その家族や元婚約者にしてみれば、現行のペイジの夫であるレオの存在はむしろ邪魔な存在であり、とにかくレオからペイジを引き離そうとすら画策し始めるようになります。
レオ側の家族は既に死んでいることもあり、ペイジの記憶を取り戻そうとするレオは孤軍奮闘を余儀なくされてしまうわけですね。
特定の人物の記憶喪失が、別の人間にとっては僥倖だったりすることもあるのだなぁ、とこの辺の構図は結構興味深く見ていたところでもありました。
トラブルの記憶が片方の当事者から消えてしまえばやり直しが効く、というのは確かに一面の真実ではあるのですから。

物語後半で判明するのですが、ペイジが自分の家族と決別した最大の理由は、ペイジの父親であるビル・ソーントンの不倫でした。
しかも父親の不倫相手は、よりによってペイジのかつての親友であった女性だったのです。
そりゃペイジが激怒して家を飛び出すのも、当然と言えば当然の話でしょう。
そんな過去がありながら、ペイジの父親ビルは、物語中盤で行われたペイジの姉グウェン・ソーントンの結婚式の席上で、レオに対して「ペイジは自分達が引き取るから離婚しろ」などと話していたりするんですよね。
彼および家族のペイジに対する愛情が相当なものであったことを考えても、ペイジの記憶喪失に便乗したこの厚顔無恥ぶりはなかなかにスバラシイものがありました(苦笑)。
言われたレオの方も、記憶を失う前のペイジから事の顛末を聞いて全てを知っていたのですから、さすがに父親に対して殺意のひとつくらい沸いたのではないですかねぇ。
実際、あの場でもレオは父親のことを「卑怯者」「臆病者」と罵っていたりしますし。
一方、ペイジと家族の関係を充分に知っていたはずのレオがそのことをペイジに告げなかったのは、ペイジに家族を二度も捨てさせたくなかったからなのだそうで、なおのこと父親の身勝手な態度とは著しく対照的ですね。
自分から離れ家族の元に帰ろうとするペイジを何が何でもレオが繋ぎとめたかったのであれば、最初に家族の問題をペイジに告げれば良かっただけのことだったのですから。
しかもレオがペイジの家族の問題をあえて告げなかったせいで、レオは愛していたはずのペイジとの離婚届に署名する羽目にまでなっていたわけですし。
自分のことを犠牲にしてまでペイジの幸せについて考えるレオのペイジに対する愛情は、確かに本物であったことは疑いの余地がないでしょう。
こういうのって、なかなか出来ることではないですからね。

ペイジの父親の不倫に関しては、記憶を失う前のペイジやレオはもちろんのこと、ペイジの家族は全員がその事実を知っていました。
作中でも、父親の不倫の事実を知ったペイジが母親であるリタ・ソーントンを問い詰めるシーンがあり、母親も一度は離婚を真剣に考えていたことを告白しています。
しかし母親は、自分よりも子供達のことを考え、結果的に離婚を思い止まったのだそうで。
実際、離婚というのは夫婦それぞれにも多大なショックを与えるものですが、子供が受ける心の傷や悪影響はそれ以上のものがあるのですから。
この母親の「強さ」も結構印象に残るものではありましたね。

ただ、ペイジの元婚約者だったジェレミーについては、レオに直接「寝取る」宣言的なことをやらかしてレオに殴られた件を差し引いても、正直「ペイジに振り回されていただけ」なイメージが拭えないところですね。
彼自身は別にペイジに対して害意を働いたわけではなく、ストーリー全体を見ても、ペイジの気まぐれか父親の不倫のトバッチリを受けたことが、ペイジにこっぴどく振られた原因であるとしか読み取りようがありませんでしたし。
物語のラストでも、彼はそれまで付き合っていた恋人と別れてまでペイジとヨリを戻そうとしていたのに、それでもペイジは(レオとの関係が修復しつつあったからとは言え)情け容赦なく決別する始末でしたからねぇ。
ジェレミーも何とも間の悪い人間ではありますが、ペイジにそこまでされなければならない理由がジェレミー本人に何かあったというのでしょうか?
レオも一歩間違えればジェレミーと同じ役回りを演じる羽目になったのではないかと思うと、さすがに少しは同情もせざるをえないところでして(T_T)。

正直、映画としてはあまり一般受けしなさそうな内容の話ではありますが、「昼ドラみたいな人間模様を描いた話が好き」という方には、それなりに観れる作品とは言えるでしょうか。

映画「MIB3/メン・イン・ブラック3」感想

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映画「MIB3/メン・イン・ブラック3」観に行ってきました。
ウィル・スミスとトミー・リー・ジョーンズのコンビが主演を担うSFアクションコメディシリーズ第3弾。
1作目が1997年、2作目が2002年公開ですから、ずいぶんとまあ息の長いシリーズですね(^^;;)。
人気シリーズということもあり、私も1作目・2作目共に観賞済みです(^^)。
なお、今作はシリーズ初となる3D公開映画でもありますが、私が観賞したのは2D版となります。

物語は、月面に作られた宇宙人専用の刑務所から、ひとりのエイリアンが脱獄するところから始まります。
そのエイリアン・ボリスは、MIBシリーズの主役のひとりであるエージェントKにかつて左腕を奪われ捕縛されてしまった過去がありました。
またボリスは、地球侵略の尖兵的な役割をも担っていたのですが、エージェントKが設置したシステムによって永遠に侵略ができなくなってしまっていました。
そのためボリスは、自分が捕らえられた過去へと戻ってエージェントKを殺害することで、復讐と地球侵略を同時に達成することを考えつくのでした。
ちなみにボリスは、「アニマル・ボリス」と呼ばれることをやたらと毛嫌いする傾向を作中で露わにしていたりします。

一方、シリーズでお馴染みのエージェントJおよびエージェントKのコンビは、1作目と2作目で登場していたものの今作ではいつのまにか死んでいたらしいエージェントZの葬儀に参列していました。
とても追悼の言葉とは思えない死者に対する弔辞?を(一応その死を悲しんではいたようですが)淡々とのたまったエージェントKは、エージェントJを引き連れ中国料理店?のガサ入れを行います。
食材に宇宙生物を使っていたらしいその店を取り締まる中、2人は店内でエイリアン達の襲撃を受けることになります。
エイリアン達を撃退し、騒ぎを聞きつけ集まった周辺住民達にニューラライザーを「ピカッ」とかざして記憶を消去&上書きするという、シリーズお馴染みの光景が展開される中、エージェントKは中国料理店の屋上で月面から脱獄したボリスと対面することとなります。
2人の対決は、途中で割って入ったエージェントJによって、ボリスはエージェントKを殺害できず、エージェント達はボリスの捕縛に失敗するという痛み分けの結果に。
エージェントKの行動に不審を抱いたエージェントJはエージェントKを問い詰めるのですが、エージェントKは機密を盾に情報を教えようとしません。
しかたなくエージェントJは、MIB本部で情報を検索し、屋上で会ったボリスに関する情報を入手するのでした。
さらに情報を得ようとするエージェントJでしたが、やはりそこでも「機密」を理由に途中で情報が入手できなくなってしまい、さらにエージェントOからこれ以上踏み込むことなく帰宅するよう告げられます。
その夜、携帯ゲームに熱中していたエージェントJは、エージェントKから不可解な電話を受けることとなります。
そのことが気になったエージェントJは、エージェントKがひとりで住んでいるビルの「5K」という部屋を訪ねるのですが、何とそこにはエージェントKとは何の関係もない家族がいつのまにか住み着いていたのでした。
MIB本部に行けば何か分かると考えたエージェントJは、MIB本部でエージェントKを探しますが、そこでエージェントOから衝撃的な事実を聞かされることとなります。
何と、エージェントKは40年前にボリスを追跡中に死んだことになっており、さらにはボリスもその時捕縛されることなく逃げおおせていることになっていたのでした。
さらには、エージェントKが本来設置するはずだったシステムが設置されなかったことにより、地球はボリスと同じ異星人であるボグダイト星人達の侵略を受ける事態に発展してしまったのです。
エージェントJの言動を分析したエージェントOから、タイムトラベルによる歴史改変が行われたことを知ったエージェントJは、エージェントKが殺された1969年7月16日の1日前にタイムスリップし、改変させられた歴史を修正するべく奔走することとなるのですが……。

「MIB/メン・イン・ブラック」シリーズでお馴染みとなっている要素は、今作でも全て登場しています。
やたらと饒舌でマシンガントークを繰り出しまくるエージェントJと、逆に寡黙かつ無愛想で淡々と受け流しまくるエージェントKの掛け合い漫才は健在ですし、ニューラライザーに代表される超ハイテク機器やエイリアン達のユニークな造形も相変わらずだったりします。
また今作は1969年が物語中盤以降で舞台になるのですが、いかにも「発展途上」と言わんばかりの巨大なニューラライザーや携帯電話などが登場していたりします。
この辺りはまさに時代の流れを感じさせるものではありましたね。
また1969年7月16日は、奇しくもアポロ11号がNASAのケネディ宇宙センターから発射された当日でもあり、そのアポロ11号が発射される直前のロケット発射場を舞台に、エイリアン・ボリスとの最終決戦が行われることになります。
個人的には、ちょうど近作かつ同じ月面へ向かうロケット発射の描写があり、かつアポロ11号の搭乗者だったバズ・オルドリンが友情出演していた映画「宇宙兄弟」をついつい思い出していましたね。
まあ、今作と「宇宙兄弟」でロケット発射描写がカブったのは単なる偶然ではあったのでしょうけど。
そして、そのアポロ11号発射基地の警備責任者が、何とエージェントJの父親だったという設定は正直かなり驚きではありましたね。
彼が実はエージェントJの父親だったというオチはラストで判明するのですが、彼の死と、幼き日のエージェントJがエージェントKに父親の所在を尋ねるエピソードは、エージェントKのあの性格の起源としてはなかなかに上手い話の持っていき方でした。
いつものお笑いアクションコメディにこの人間ドラマの挿入は、かなり良い意味でも意外感があるのではないでしょうか?

ただ少し疑問だったのは、ボリスとの最終決戦でエージェントJが行ったようなタイムトラベルの手法が使えるのであれば、あそこで死んだエージェントJの父親も救うことができたのではないか、という点ですね。
エージェントJは、ロケット発射台で未来からやってきたボリスと渡り合った際、ボリスの攻撃パターンを記憶した上でボリス共々ロケット発射台から飛び降りを敢行し、ボリスが自分を攻撃する直前にタイムスリップを行いボリスの攻撃を凌ぐという荒業を披露していました。
しかし、あのような荒業が可能ということは、1969年と現代の往復以外でもタイムスリップが可能であるということを意味します。
となるとエージェントJは、父親が死ぬ直前まで再度タイムスリップを行い、死ぬはずだった父親を助けることも充分に可能だったわけです。
何なら、1969年から一旦現代に戻った直後に再度ビルから飛び降り、1969年のあの場所にまた戻ることだってできたでしょうし。
歴史の改変が実は可能であることは、他ならぬエージェントJ自身が追跡していたボリスが実地で証明してもいたわけですしね。
そもそも、本来の史実では月面の牢獄に閉じ込められる予定だったはずの(1969年当時の)ボリスが、父親が殺害された直後にあの場でエージェントKに殺害されていて、それだけでも完全に歴史が変わってしまっていましたし。
作中で登場していた「未来の可能性を観る能力」を持つグリフィンは、その死がまるで避けられない運命であるかのごとき発言を行っていましたが、タイムトラベラーによって歴史が変えられる現実が作中で明示されている中で、それはあまりに説得力がなかったのではないかと。
この辺りは、タイムトラベルをエンターテイメント作品で扱うことの難しさを示すものでもありますね。
タイムトラベルは、その万能性故に何でもできることで「色々な見せ方ができる」という利点があるのと同時に、「こういう使い方もできるのに何故そうしないの?」というツッコミどころも多々生まれるという欠点をも併せ持っているのですから。

「MIB」シリーズのファンという方ならば、まず観に行って損はしない映画ではないかと。

映画「ファミリー・ツリー」感想

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映画「ファミリー・ツリー」観に行ってきました。
ハワイ諸島を舞台に繰り広げられる、ジョージ・クルーニー主演の人間ドラマ作品。
今作で主演を演じていたジョージ・クルーニーは、第84回アカデミー賞で主演男優賞にノミネートされており(ただし受賞はならず)、今作自体も同賞で脚色賞をこちらは受賞しています。

物語の冒頭は、ハワイのオアフ島沖の海を疾走するモーターボートに楽しそうに乗っているひとりの女性が映し出されます。
この女性がその直後に事故に巻き込まれ、意識が戻らず容態も悪化していく植物状態と化してしまったことが、今作における物語の始まりとなります。
その女性エリザベス・キング、およびエリザベスの夫にして今作の主人公であるマット・キングとの間には、2人の娘がいました。
ひとりは17歳で現在はハワイ島にある全寮制の高校で離れて生活している長女のアレクサンドラ・キング(作中では「アレックス」と呼ばれている)。
もうひとりは地元の小学校に通っている10歳の次女スコッティ・キング。
ところがスコッティは、母親が事故を起こしたショックから外で問題を起こすようになってしまい、スコッティの友人の母親から苦情の電話がかかってきて対応に追われる始末。
マットは、それまで仕事一筋で家族をほとんど顧みてこなかった典型的な仕事人間であり、家の問題は全て妻であるエリザベスが見ていました。
そのため、エリザベスが事故で動かなくなって以降は、それまで妻が見ていた子供の面倒を自分が担わなくてはならなくなってしまい、何をすれば良いのか分からず途方に暮れる日々を過ごす羽目に。
さらにマットには、家庭の事情とは別にもうひとつの問題を抱え込んでいました。
先祖代々受け継いでいたカウアイ島のキプ・ランチにある広大な土地の信託期限があと7年で切れてしまうことから、土地の売却を迫られていたのでした。
妻のありがたみを今更のように理解したマットは、妻の容態が回復し退院したら、土地を売り払った金で妻と娘に裕福な生活をさせてやろうと、前向きな決意を新たにするのでした。
ところが、その決意に反して、エリザベスの容態は日を追う毎にむしろ悪化していくばかり。
ついには、「可能な限りの手は尽くしましたが、奥さんに回復の見込みはありません」とまで医者から告げられてしまい、本人が事前に表明していた意向により「尊厳死」の道を選択するよう言われるのでした。

かすかな希望すらも粉砕されてしまい、いよいよ絶望的な事態を否応なく直視せざるをえなくなったマットは、長女のアレックスを連れ戻すべくハワイ島へと向かいます。
自分ひとりでは次女の面倒を見きれないという事情もありましたし、何よりも家族の一員として母親の容態に関する情報を共有する必要があったためです。
寮から抜け出してボーイフレンドのシドと夜遊びをしていた中でマットとスコッティに対面する羽目となったアレックスは、当然のごとくバツが悪い上に不満タラタラ。
しかし、自宅のプールでエリザベスの容態について知らされたアレックスは激しく動揺せざるをえませんでした。
ただその動揺は、単に母親の死に直面したから、というだけではなかったのです。
動揺を続けるアレックスをマットが問い詰めると、何とアレックスはエリザベスが浮気をしていたという事実をマットに対して告白したのです。
あまりにも想像の斜め上を行っていた事態に驚愕したマットは、すぐさま自宅を飛び出して親友夫妻の自宅へと文字通り走っていき、エリザベスの浮気について問い質すのでした。
さらにマットは、浮気について問い詰めた親友夫妻から、妻が自分と離婚する気であったことまで知る羽目となってしまいます。
親友夫妻の夫から、「ブライアン・スピアー」という妻の浮気相手の名前を知ることができたマットは、妻とブライアン・スピアーに怒り狂いながらも、死期が近いエリザベスの最期を看取らせるために、ブライアン・スピアーの居場所を探し始めるのでした。

映画「ファミリー・ツリー」では、家族を顧みることなく仕事一筋に集中しすぎた男の悲哀が描かれています。
妻であるエリザベスの不倫や遊び、それに子供の問題が発生していた原因を突き詰めると、結局全てがそこに行き着いてしまうわけで。
仕事人間であるマットにしてみれば、別に家族のことをないがしろにしていたわけではなく、むしろ「【家族のために】汗水流して働いていた」というのが偽らざる心情ではあったのでしょう。
しかし、それは結果として家族、特に妻との間が疎遠になることに繋がってしまい、それが結果的に妻の不倫や子供との意思疎通不足という事態に直結してしまったわけです。
こういうのってアメリカ以上に日本の方が大量に転がっていそうな話ではあるのですが、仕事人間側から見れば自分の努力が全く報われていないわけで、たまったものではなかったでしょうね。
もちろん、仕事人間の夫が家族を顧みないからといって、それは妻の浮気という背徳行為の責任を何ら軽減も免罪もするものではありえないのですが。

しかも、エリザベスの浮気相手であるブライアン・スピアーは、物語後半で判明するのですが妻と2人の子供がいる既婚者だったりするのですからねぇ。
マット達がブライアン・スピアーの所在を見つけ出した際は幸福な家庭だったはずのスピアー家が、夫の不倫発覚後にボロボロになってしまい、その怒りと恨みをブライアン・スピアーの奥さんが動かないエリザベスに激昂しながら叩きつける様は、観客として観ている側としても充分に共感できるものがありました。
夫の不倫に直面する羽目になった奥さんと子供達は100%の被害者であり何も悪くなどないのですから。
アレを見ていたら、キング一家には申し訳ないですが「ちょうど良いタイミングで奥さんが死ぬことになって良かったじゃないか」とすら思えてしまったほどです(-_-;;)。
もっとも、エリザベスの不倫の相方であるブライアン・スピアーにとっては、エリザベスの死は災厄以外の何物でもなかったでしょうけどね。
奥さんの分も含めて、自分とマットの家族双方に賠償等の問題が確実に降りかかってくることになるのですし、自分の境遇や心情を共有できる相手さえもいなくなってしまったわけなのですから。
まあ、これは自業自得として諦めてもらうしかないのですけど。

崩壊寸前の家族問題や不倫問題、それに土地売却の問題など、作品的にはなかなかに重いテーマが目白押しですが、全体的にのんびりとしたハワイアンな音楽や雰囲気がそれを和らげている感じですね。
ハワイ諸島の各所が映し出されていく中、のんびりと観光しながらストーリーが進んでいくような感すらありましたし。
ストーリー自体はお世辞にも明るいとは言い難いものがありますから、製作側としてはそういった「雰囲気作り」で暗さを払拭していく意図があったのでしょう。
実際、これで音楽や雰囲気までセカセカしていたら、それこそ何の面白みもない鬱々とした展開にしかならなかったでしょうし。
また、物語後半のブライアン・スピアー探しの際、何故か一緒になって付いてきた長女アレックスのボーイフレンドであるシドの存在も良い緩衝材となっていました。
最初の方では不謹慎発言を連発しまくって周囲から顰蹙を買っていたシドは、しかし物語が進むにつれてアレックスのみならずマットの良き理解者へと変わっていきました。
彼自身、つい最近に父親を事故で亡くしたという経緯もあったとのことで、キング家に共感もしやすかったのでしょう。
最初は「何故こんなのにアレックスは惚れたんだよ」と考えていたくらいでしたが、なるほど、これならば惚れる理由も理解はできるなと。
こういった「小道具」の使い方はかなり上手い部類に入るのではなかったかと。

ジョージ・クルーニーのファンな方々と族系の人間ドラマ好みな方にはイチオシの作品であると言えそうです。

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