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映画「ダーク・シャドウ」感想

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映画「ダーク・シャドウ」観に行ってきました。
ジョニー・デップとティム・バートン監督が8度目のタッグを組んだ、一風変わったヴァンパイアホラー作品。
作中では下ネタな会話と血を吸うことによる流血シーン、さらには何とも微妙なセックス描写(?)が展開されていることもあってか、この映画はPG-12指定されています。

1760年に新天地を求めてイギリスのリバプールからアメリカへと渡ったコリンズ家。
当時はまだイギリスの植民地だったアメリカのメイン州で水産業を立ち上げ、たちまちのうちに財を成し地方の名士としての地位と立場を確立します。
コリンズ一家は自らの権勢の象徴として、自分達が住んでいる町に、家名を冠した「コリンズポート」という名を与え、さらに「コリンウッド」と呼ばれる巨大な屋敷を建造します。
今作の主人公でもあるバーナバス・コリンズは、そのコリンズ家のひとり息子で一家の跡取りでもあり、両親にも恵まれ町一番の大富豪として幸せな日々を送っていました。
ところが、彼がアンジェリーク・ブシャールという名の女性と一時的に付き合ってしまったことから、彼の不幸が始まってしまいます。
バーナバスはアンジェリークをフッてしまい、ジョゼット・デュプレという別の女性と恋仲になるのですが、どうしてもバーナバスのことが諦められないアンジェリークは、いかがわしい黒魔術に手を染め、バーナバスのみならずコリンズ一家を不幸に陥れることを決意します。
まずはバーナバスの両親達の頭上に建物に飾られている彫像を落下させて殺害。
さらには、バーナバスの恋人になっていたジョゼットに催眠術?のようなものをかけ、自殺の名所のような岬に導き身を投げさせて殺してしまうのでした。
ジョゼットの死に間に合わなかったバーナバスは、自身も後を追うように岬からフリーフォールして自殺しようとします。
果たしてバーナバスは崖下の地面に叩きつけられるのですが、何とバーナバスは全く無傷で起き上がってしまいます。
そしてバーナバスは、自分の身体がヴァンパイアのそれに変えられてしまったことに気づいて愕然とするのでした。
まんまとバーナバスを不幸のどん底に突き落とすことに成功したアンジェリークは、トドメとばかりに「あいつはヴァンパイアだ」と民衆を扇動し、バーナバスを生きたまま棺の中に閉じ込めてしまい、鎖をかけて地面の中に埋めてしまうのでした。

時は流れて1972年。
コリンズポートの町へと向かう列車の中に、冒頭で岬に身を投げて死んだジョゼットと瓜ふたつの女性が乗車していました。
彼女は、今ではすっかり没落してしまったコリンズ家で家庭教師の職に就くため、コリンズポートへと向かっていたのでした。
彼女は面接の練習の際、列車の中にあったウィンタースポーツ?のポスターを見て、自分のことを「ヴィクトリア・ウィンターズ」と名乗ります。
その直前に「マギー……」と言いかけていたことから、別に本名があることがどことなく伺えるのですが……。
ヒッチハイクを経て何とかコリンウッド邸に辿り着いたヴィクトリアは、当代のコリンズ一族の家長であるエリザベス・コリンズ・ストッダードと面接を行い、とりあえず住み込みで家庭教師をすることを許可されます。
さらにヴィクトリアは家の者達を紹介されるのですが、どいつもこいつも退嬰的だったり奇矯な人格をしていたりとロクなものではありませんでした。
そしてその夜、ヴィクトリアは冒頭で死んだはずのジョゼットの幽霊と出会い、「彼が戻ってくる」という謎のメッセージと、彼女が後ろ向きに落下していくイメージ像を見せられることとなります。

同時刻、森の中で工事を行っていたらしい一団が、工事の最中に鎖に縛り付けられた棺を発見します。
工事の一団は、作業の邪魔になることから棺を地中から掘り出し、棺の鎖を外してその蓋を開けてしまいます。
すると、たちまちのうちに中から現れた存在によって次々と殺されていく工事現場の作業員達。
その場にいた作業員11人全員の血を吸い尽くしたのが、冒頭で棺に閉じ込められていたバーナバス・コリンズその人だったのです。
長きにわたる眠りから目覚めたバーナバスは、その足でかつての自分の住居であるコリンウッド邸へと向かうこととなるのですが……。

映画「ダーク・シャドウ」の主人公バーナバス・コリンズは、当の本人も含めて「200年の時を経て目覚めた」と主張しているのですが、彼を捕縛させた魔女アンジェリークの発言によれば、実際に眠っていた期間は196年とのことなのだそうです。
バーナバスが目覚めた年は1972年で確定しているわけですから、バーナバスが魔女アンジェリークによって棺の中に閉じ込められたのは1776年ということになります。
1776年当時のアメリカと言えば、7月4日のアメリカ独立宣言に象徴されるようにイギリスを相手取った独立戦争の真っ只中にあり、当時のメイン州は独立した州ではなく、独立宣言に署名した13州のひとつマサチューセッツ州の飛び地という位置付けでした。
当時の情勢から考えると、コリンズ家のみならずメイン州全体が否応無くアメリカ独立戦争の渦中にある可能性が高かったはずで、そんな緊急事態の最中に、町の指導的立場にあったはずのバーナバスを魔女狩りで葬ったりしている余裕なんてありえなかったはずなのですけどねぇ(苦笑)。
またバーナバスは、1972年に目覚めた際、アメリカのことを当然のように「国」として認識しており、イギリスに対する帰属意識すらも全く見せておりません。
1776年当時のアメリカは、まだ他国によって承認された国ではなく、イギリスを支持する「王党派」という存在も少なくなかったにもかかわらずです。
コリンズ家はアメリカ独立を推進する「独立派」の立場にあったのかもしれませんが、それならばアメリカがイギリスから独立し大国となっていることに何らかの感慨くらいあっても良さそうなものですし、逆に「王党派」であってもそれはそれで嘆き悲しむ等の何らかの反応があって然るべきだったのではないのかと。
どちらにも属さない中立の立場というのは、どちらかに属する以上に至難を極める難しい選択を迫られることになるでしょうし。
こういうのって「歴史が浅い国」ならではの話ではあるのでしょうけど、「200年ぶりに蘇って時代の流れについていけていないバーナバス」という描写をしたかったのであれば、この「国」の問題は避けて通れなかったのではないかと思えてならないのですけどね。

作中の描写を見ていくと、今作は全体的にジョニー・デップが演じるバーナバス・コリンズと、魔女アンジェリーク・ブシャールの2人を主軸に据えている感が多々ありましたね。
ヴィクトリアなどは、作品の位置付け的には「バーナバスの恋人役」というメインヒロイン的なものを担っているはずなのですが、それにしては出番が少なく存在感も今ひとつだったりします。
序盤から思わせぶりに出てきた割には、バーナバスが棺から覚醒して以降はしばらくの間作中に登場すらしなかったくらいでしたし。
むしろ、当代の家長だったエリザベスの方が、バーナバスとの駆け引きなどもあって出番が多かったくらいですからねぇ。
ラストの対アンジェリーク戦でさえロクに活躍することもなく、冒頭の自殺と全く同じシチュエーションでようやく出てくるありさまでした。
正規のメインヒロインのはずなのに何この扱いは、と思わず嘆かざるをえなかったところですね。
彼女はラストでバーナバスによってヴァンパイアにされていましたが、これって次回作で活躍する伏線だったりするのでしょうか?

作中において本当にヒロイン的な存在感があったのは、ヴィクトリアではなくエリザベスとアンジェリークの方でしたね。
エリザベスは家長という立場もあったのでしょうが、バーナバスと対等にわたり合っていましたし、最終決戦でも映画「ターミネーター2」のサラ・コナーを髣髴とさせるようなショットガン乱射を繰り広げていました。
今作における「戦うヒロイン」的な役柄は、間違いなく彼女に冠されるべきものだったでしょう。
またアンジェリークの方は、全体を通じてとにかく出番が多い上にバーナバスに次ぐ存在感があり、ヤンデレ的なストーカー悪役ぶりを如何なく発揮しておりました。
特に物語中盤で展開されたバーナバスとの「お互いを壁に叩きつけ部屋を破壊しまくりながら繰り広げられるセックス描写?」は、笑いを取りに行っているのかエロスを表現しているのか何とも判断に苦しむものがあって、それ故逆に強い印象が残ったものでした(苦笑)。
アンジェリークはネタキャラとして見る分にはなかなかに楽しめる人物ではありますが、男性的に見て確かに間違っても恋人にしてはならないキャラクターですね。

個人的に少し疑問に思ったのは、対アンジェリーク戦の最終局面で、デヴィッド・コリンズの母親の幽霊が発した音響攻撃?によってアンジェリークが致命傷を被るという描写ですね。
正直、私はあれでアンジェリークが死ぬとは全く思っていなかったので、「あれ?これで終わり?」と疑問を持ってしまったものでした。
何しろ、その少し前には、アンジェリークがバーナバスによって1階から2階の床を突き破って天井に叩きつけられるという描写が展開されていて、しかもそれでさえアンジェリークは平気で立ち上がっていたのですから。
バーナバスと幽霊の攻撃によるダメージって、どちらも同じか、むしろバーナバスの方が大きかったようにすら見えるのですが。
音響攻撃でシャンデリアにぶつかった際、シャンデリアの突起物で身体を貫かれていた、というのであればまだ理解もできたのですが、そういう風にも全く見えなかったですし。
それまでのダメージが蓄積していてアレがトドメになったという可能性もありますが、それにしてもアレで死ぬというのは見た目的にちょっと納得がいかなかったですね。

ラストは明らかに続編を匂わせるような終わり方をしているのですが、果たして続編は製作されるのでしょうかねぇ。

映画「幸せへのキセキ」感想

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映画「幸せへのキセキ」観に行ってきました。
イギリスの新聞コラムニストであるベンジャミン・ミーの回顧録を元に製作された、マット・デイモン主演の人間ドラマ作品。
回顧録という性格上、名前も改変されることなく原作者がそのまま今作の主人公となっています。
今作は2012年6月8日に日本で劇場公開される予定の映画なのですが、今年5本目となる試写会上映に当選し、今回も劇場公開に先行する形での観賞となりました。

スズメバチ?の大群の只中に飛び込んだり、ハリケーンの中に突っ込む飛行機内でのリポートを敢行したりといった実績で、それなりに名が知られている新聞記者のベンジャミン・ミー。
彼は半年前に最愛の妻を亡くし、そのショックから未だに立ち直れずにいました。
会計士の職にある兄のダンカン・ミーからもしきりに再婚を勧められますが、ベンジャミンは「この街にいるとどうしても亡き妻のことを思い出してしまう」とあまり乗り気になれないでいました。
また、自分と同じく傷心を抱え込んでいる、妻との間に出来た子供である14歳の息子ディランと7歳の娘ロージーにも、どのように接していけば良いのか悩む日々が続いていました。
特にディランは、母親が亡くなって以降は心が荒むばかりで、父親に反抗的で学校でもたびたび問題を起こすようになるありさま。
そんなある日、ベンジャミンは自分の企画をボツにし、お情けレベルの仕事を与えて飼い殺しにしようとする会社の方針と反発し、上司に「会社を辞める」と宣言して会社を飛び出してしまいます。
さらにそれと合わせるかのように、息子ディランもまた、校則違反を重ね続けたことが災いして退学処分に。
生活基盤がボロボロになってしまったベンジャミンは、これを機会に新しい家を購入してそこへ引っ越し、新しい生活を始めることを決意するに至るのでした。

これが初仕事という新米不動産業者の案内の下、ベンジャミンとロージーの2人は候補となる家を物色しにかかるのですが、2人の希望と合致した家はなかなか見つかりません。
とうとう紹介される最後の物件となった家に2人は到着するのですが、そこは敷地面積が他の物件と比べても恐ろしくデカい家でした。
家の状況も決して悪いものではなく、2人はここを気に入りベンジャミンも家を購入する気になったのですが、新米不動産業者はそこで何故か難色を示します。
新米不動産業者にベンジャミンが説明を求めた時、突如獣の咆哮が辺りにこだまします。
そして新米不動産業者は、ここが実は動物園の一部であることをベンジャミンに話すのでした。
ローズムーア動物公園と呼ばれるその動物園は、かつてのオーナーが死んで以降は閉鎖を余儀なくされており、今では元オーナーの遺言と遺産でかろうじて維持されている状況にあるとのこと。
そして、閉鎖された動物園を維持・管理し続けることが、家を購入する際の必須条件であるとされていたのでした。
それまでの人生で動物の管理などとは全く無縁だったこともあり、ベンジャミンも最初は当然のごとく家を買うべきか否か逡巡します。
しかし、ロージーが楽しそうに動物と戯れている光景を見て、子供達のために家を購入することをベンジャミンは決断するのでした。
そして数日後、前の家を引き払って引っ越してきたベンジャミン・ミーの一家は、ローズムーア動物公園で動物達の飼育に当たっていた飼育員達と共に、動物園の再建に乗り出すこととなります。
ベンジャミンの一家を物色していたのは2月であり、役所による動物園の審査が行われるのは6月30日。
この6月30日に審査をパスすれば、7月7日に動物園をオープンさせることができるのです。
しかし動物園の再建には、当然のごとく多くの問題が立ちはだかっていたのでした……。

映画「幸せへのキセキ」の作中で2人の子供の父親役を演じているマット・デイモンは、実生活でも4人の子供の父親であるのだとか。
そのためなのか、作中では母親を亡くして子供達への対応に悪戦苦闘を余儀なくされつつ、それでも子供達の幸せを願う無器用な父親像を存分に演じていました。
物語中盤頃までは「息子への当たりと娘贔屓が酷すぎないか?」という部分もありましたが、そういう態度を取っている理由や葛藤なども父親ならではのものはありましたし。
マット・デイモンは、映画「ヒアアフター」以降、アクションシーンが少ない、もしくは皆無な映画にばかり出演していますが、本人的にはそちらの方が本望だったりするのでしょうかね?

まあ息子にしてみれば、「暗い目が死んだ母親に似ていることがイライラするから」などという理由で自分に当たられてはたまったものではないのですが、まあ父親がああいう感情を持つこと自体は(良くはないにしても)ありえることではあるのではないかと。
ただ、そこから端を発する息子と父親の対立が、スパーという老齢のベンガルドラを看取るシーンを介してとは言え、やや唐突に終わってしまった感は否めなかったところですね。
ただでさえあの息子は、物語序盤から父親に対して反発ばかり見せていたのですからなおのこと。
まあ、息子の父親に対する反発自体は、あの年齢相応の「思春期」「反抗期」という部分も多分にあったのでしょうけど、あの父親の告白はそれでも結構大きな精神的ダメージにもなったでしょうし、普通に考えたら親子関係はむしろ悪化すらしてしまうものではなかったのかと。
息子が父親に対し激発するところから、どのような心情と過程を経てあの和解のシーンへと至っていたのかについて、もう少し詳細に描写しても良かったのではないかと思うのですが。

今作は映画「幸せの教室」と同じく、これと言った悪役が全くいない映画と言えますね。
一応、飼育員達が動物園の審査を行うウォルター・フェリスという役人を酷評したり悪態をついたりする描写はあるのですが、彼にしても別に不正な手段でわざと失格にするような審査を行ったり動物園に嫌がらせをしたりするわけでもありません。
審査自体は至って公正なもので、むしろ動物園側の方が、動物園の各所で発生するアクシデントや不具合を急場凌ぎで取り繕うべく奔走している感すら否めなかったところですし。
この審査の流れは、2006年公開映画「県庁の星」の終盤で行われたスーパーマーケットの営業差し止め検査の行程に近いものがありましたね。
国は違えど、どこでもああいうことはするのだなぁ、と妙に感心してしまったところでした(^^;;)。

どことなくほんわかできる映画を観たい、という方にはオススメの作品ですね。

映画「キラー・エリート」感想

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映画「キラー・エリート」観に行ってきました。
元SAS(Special Air Service、イギリス陸軍特殊部隊)のラヌルフ・ファインズの実話を元にした冒険小説「The Fether Men」を原作とするアクション・サスペンス作品。
「トランスポーター」シリーズのジェイソン・ステイサムやロバート・デ・ニーロなど、豪華俳優が多数出演しています。
今作は熊本では熊本シネプレックス1箇所だけでしか上映されておらず、そこまで足を運んでの観賞となりました。
作中では水着を脱がされてスッポンポンになる女性やセックスを匂わせる描写・流血シーンなどがあるため、PG-12指定されています。

最初の舞台は1980年のメキシコ。
今作の主人公で傭兵兼暗殺者稼業を営むダニー・ブライスは、長年の相棒であるハンターと共に、要人を暗殺する機会を伺っていました。
彼らが考えた作戦は、2台のリムジンが通るルートを割り出して待ち伏せ、奇襲を仕掛けて一挙にことを成し遂げるというものでした。
果たして作戦は見事に成功し、2台のリムジンのうち1台は爆破され、残り1台もダニーに道を塞がれた挙句銃撃を浴びせられていきます。
護衛と運転手はダニーの手によって片付けられ、リムジンの中にいたターゲットも車の中で銃弾を浴び殺されてしまいます。
ところが、その要人が乗っていたリムジンには、たまたま10歳の少年も一緒に乗り合わせており、ダニーはその少年を見て凍りついてしまいます。
プロの暗殺者としては、目撃者となるであろうその10歳の少年も当然撃ち殺すべきだったのですが、ダニーは銃の引き金を引くことがどうしてもできずにいました。
時間にして1分もなかったでしょうが、ダニーはその隙を突かれて現地の警官に撃たれ負傷してしまい、仲間の援護を受けつつその場を後にすることとなります。
少年を前に冷徹になれない自分に限界を感じ、また少年を殺すことを要求される暗殺稼業に嫌気も差したダニーは、暗殺現場から離脱していく車の中で、今の仕事から足を洗うことを決意するのでした。

それから1年後。
オーストラリアの農場で静かに暮らしていたダニーの元に、1年前の暗殺でコンビを組んでいた相棒ハンターのポラロイド写真が届けられます。
彼はオマーン族の元族長で現在は亡命生活を強いられているシーク・ハルムから仕事の依頼を受けていたものの、途中で任務を放棄して囚われの身になってしまったとのこと。
ポラロイド写真の送り主で、ハンターに仕事を斡旋したエージェントの案内で、ダニーはシーク・ハルムと対面し、ハンターを釈放することと引き換えに、ハンターが途中放棄した仕事を遂行するよう命じられます。
その仕事の内容は、シーク・ハルムの3人の息子を殺したSASの隊員達を、殺害を自白する様子をビデオテープに録画した上で事故死に見せかけ殺してしまうこと。
しかも、シーク・ハルムは既に死病を患い余命半年と宣告されており、それまでに決着をつけなければならないとのこと。
成功報酬は600万ドルとのことでしたが、世界最強の特殊部隊とすら言われているSASを相手にするのはあまりにも無謀極まりない仕事と言えました。
ちなみにハンターは、成功報酬に目が眩んで依頼内容も聞かずに仕事を請け負っていたとのこと。
仕事の達成が困難極まりないと判断したダニーは、まずはハンターとの面会を求めた後、彼と共に脱走する道を選びますが、シーク・ハルムの四男であるバクハイトによってその意図を頓挫させられてしまいます。
イヤでも仕事を引き受けざるをえなくなったダニーは、成功報酬600万ドルを山分けすることを条件にしてかつての仕事仲間達を集め、シーク・ハルムの息子達を殺したSAS隊員の割り出しと殺害方法について検討することとなるのですが……。

映画「キラー・エリート」は、とにかく最初から最後までひたすら暗殺の話をメインに進行していきます。
冒頭のシーンからそうでしたし、SASのメンバーを事故死に見せかけて殺していく過程も暗殺で、さらにはラストでもやっぱり暗殺が発生しています。
3人の息子を殺したとされるSASメンバーは、だいたい以下のような手順で殺されていきます。

1人目:ハリス
ハリスの自宅にある風呂のタイルと同じ素材のハンマーを用意し、風呂で足を滑らせ転んだショックで首の骨を折るか後頭部を強打したかのように見せかけて殺害。

2人目:クレッグ
事前に低体温の薬を飲ませ、SASの雪山での訓練中に遭難したかのように見せかけて殺害。

3人目:マッケラン
タンクローリーを遠隔操作できるよう細工し、外出していたマッケランの車の前で暴走させ正面衝突事故を演出して殺害。

こういう手法をよく考えつくよなぁ、と感心しながら見ていましたが、当然SAS側もただ指をくわえて事態を傍観していたわけではありません。
ダニー達の仕事は、比較的初期の情報収集が行われていた段階で、映画の原作小説の名でもある「フェザーメン」という名の組織にある程度の情報がもたらされていました。
「フェザーメン」とは、退役した元SAS隊員を中心に構成される、現SAS隊員を過去に関わった組織や人間の報復やテロなどから守ることを目的に作られた秘密結社です。
この「フェザーメン」を構成するメンバーのひとりであるスパイク・ローガンが、ダニー達の仕事の前に立ちはだかることになります。
「現」ではなく「元」ではあってもSAS隊員としての技能を持っていることは間違いないわけで、だからこそ「世界最強の特殊部隊 VS 世界最高の暗殺者」という映画のキャッチフレーズが生きてくるわけですね。
作中で繰り広げられるアクションシーンは、さすがハリウッド映画のアクションスターであるジェイソン・ステイサムならではのものがありました。

作中のダニーの言動を見ていると、彼は殺しを遂行するに際しても、一定の美学なり矜持なりを律儀に守っている感が多々ありましたね。
冒頭の少年を見て殺害を躊躇したこともそうですし、また1人目のハリスを暗殺するに際しては、「ハリスの愛人は既婚者なのだから2人共殺して旦那に罪を着せよう」という仲間の意見を「関係のない人間を巻き込むな」と却下しています。
そんな美学や矜持を持つダニーにとって、暗殺者という稼業は技術的にはともかく、心情的には必ずしも向いたものではなかったでしょうね。
暗殺稼業において殺しを躊躇するなど論外もいいところでしょうし、利用できるものは何でも利用しなければ逆に自分達の方がやられかねないのですから。
ダニーが暗殺者としての自分に限界を感じたのも、その点では当然のことだったといえるのではないでしょうか。

暗殺話がメインということもあり、全体的に話がやや暗い感がありますが、ジェイソン・ステイサムのアクションシーンが観たいという方にはオススメの映画と言えるでしょう。

映画「幸せの教室」感想

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映画「幸せの教室」観に行ってきました。
トム・ハンクスが監督・脚本・主演を務め、ジュリア・ロバーツと共演している、アメリカのコメディドラマ作品。

トム・ハンクスが演じる今作の主人公ラリー・クラウンは、かつて軍艦でコックの仕事をしていた元軍人で離婚歴があり、コックを辞めてからはUマートというスーパーマーケットで働く40代半ば~50代前半?頃の中年男性。
そんな彼が、ある日突然上層部から呼び出され、会社のリストラの一環としてクビを言い渡されてしまうところから物語は始まります。
ラリーがクビにされるに至った決定的な理由は、彼の学歴が大卒ではなく、出世が見込めないからというもの。
彼は過去に何度も会社から表彰されている優秀な社員だったにもかかわらずです。
しかし事情はどうであれ、Uマートを叩き出され失業してしまったラリーは、当然再就職のためにあちこちの会社や事業所などを渡り歩くのですが、この不況時に年齢・学歴の事情もあり、再就職は難航します。
さらに収入がなくなったために住宅ローンの支払いも滞ってしまい、住宅差し押さえの危機にまで直面してしまうありさま。
そこで、まずは自宅にあるいらない物を売り払ってしまうべく、庭先に物を並べ始めるのですが、ご近所でジャンク屋を営んでいる黒人のラマーに「俺の商売の邪魔をするな!」と勘違いされ怒鳴りこまれてしまいます。
ラマーに対してラリーが事情を説明すると、ラマーは2年制のイーストバレー短期大学(コミュニティ・カレッジ)の冊子を見せ、そこで学歴を身につけることをラリーに勧めます。
リストラの直接的な原因が学歴であったこともあり、ラリーは就職活動を継続しつつ、イーストバレー短期大学に足を運ぶことを決意するのでした。

最終学歴が大卒ではないラリーにとって、大学は全く未知の場所。
そこでラリーは、大学の入り口近くにいた教職の人?に、どんなカリキュラムを受ければ良いか訪ねるのですが、そこで提示されたのは「スピーチ217」というもの。
ラリーはその「スピーチ217」と経済学をメインに受講することを決め、まずは「スピーチ217」の講義が行われている教室を探し始めるのでした。
その「スピーチ217」の講義を行っているのは、ニートな夫と不仲な関係にあり、自身の仕事にも全くやる気が見出せないでいる女性メルセデス・テイノー。
彼女は、自分の講義を受講する人間が10人に達していないと「採算が取れないから」という理由で講義を平然とキャンセルしてしまう女性だったりします。
アレって学則とかではなくて、彼女がサボりの口実として勝手に決めたマイルールの類でしかないようにしか見えないのが何とも言えないところですね(苦笑)。
その日も、自分が受け持つ教室には9人しかおらず、これ幸いにと講義中止を宣言しその場から去ろうとするメルセデス。
しかしそこに、「スピーチ217」が行われる教室を探していたラリーが入ってきて、メルセデスはやむなく講義を遂行せざるをえなくなってしまうのでした。
ラリーが年齢も立場も異なる学友達と新しい生活を営んでいく中、メルセデスの生活環境もその影響を受けることとなるのですが……。

映画「幸せの教室」を観賞していてまず驚いたのは、アメリカにも学歴差別が存在するという事実ですね。
科挙を行ってきた歴史を持つ中国や韓国の学歴差別が熾烈を極めるというエピソードは私もしばしば耳にしていましたが、アメリカもそうであるという話はほとんど聞かないものでしたし。
学歴差別自体は日本にもありますが、日本ではそれに対する批判が行われる際に「アメリカの自由主義的な教育制度」がしばしば引き合いに出されていたことが少なからずあったため、てっきりアメリカには学歴差別なんてないものとばかり思っていたのですが。
気になって調べてみたら、何とアメリカの方こそが日本以上の学歴至上主義的な社会であるのだそうで、何故こんな国の教育制度が日本の学歴差別批判の題材として使われていたのか、はなはだ理解に苦しむものがあります。
そうでなくてもアメリカには、映画「ヘルプ ~心がつなぐストーリー~」の時代に比べれば幾分マシになったとはいえ、今なお人種差別の類が跳梁跋扈している現実もあるというのに。
ただ、よくよく考えてみれば、日本の教育水準を低下させた元凶と言われている「ゆとり教育」なども元々はアメリカからの直輸入だったわけなのですから、アメリカの教育システムに重大な欠陥があること自体は何ら不思議な話ではなかったのですが。
今ではアメリカの方こそが、かつての日本の「詰め込み教育」を積極的に導入していたりもするのだそうで、こと教育分野に関してアメリカの制度を礼賛するのは危険極まりないことなのではないのかと、今作を観ていて改めて考えざるをえなかったですね。
作中でメルセデスがサボりの口実として使っていた「受講者が10人に達しない場合は講義中止」のルールも、「それだと採算が取れないから」などという、受講者を置き去りにした理由付けがなされていましたし。
教育現場に採算効率的な市場原理を持ち込んで良いのかとか、そもそも学費は年単位の一括払いではないのかとか、色々とツッコミどころが多いのですが。
アメリカの学費は日本に比べて安いなどとよく言われますが、なるほど、そのカラクリと代償はこんなところにあったのかと、その点でも納得してしまったものでした。
安ければ安いほど良い、というあり方も考えものではありますね、特に教育については。

また作中では、主人公ラリー・クラウンが「自動車よりも燃費が良いから」と購入したスクーターが大活躍しています。
通学はもちろんのこと、スクーター絡みの縁で交友関係も出来ていましたし、バス亭?でひとり佇んでいたメルセデスをラリーが家まで送っていった際もスクーターが使われていました。
日本だとスクーター(50㏄以下の原動機付自転車こと原付バイク)の2人乗りは道交法で原則禁止とされているのですが、アメリカだとOKなのですね。
作中で交通取締を行っている警官達の目の前を2人乗りスクーターが堂々と通っていても、何ら咎められることすらありませんでしたし。
また、スクーターがまるで暴走族のごとく集団で、しかも真っ昼間に堂々と走行している光景も、日本ではまず見られないものですね。
スクーターに限らず、自転車やオートバイも含めた二輪車全体が、マスコミによる「走行者のマナーがなっていない」「事故が増えている」的なバッシングを次々に浴びせられまくって冷遇の一途を辿っていますし。
作中でも描写されていたように燃費は良いのですし小回りも効くのですから、もう少し普及しても良さそうな気はするのですけどね。

これら教育システムの実態やスクーター絡みの件などは、日本ではまず見られないものばかりで、その点では良くも悪くも「現在のアメリカ社会の実態」や「他国とのカルチャーショック」を表現しているものではありますね、今作は。
製作者であるトム・ハンクスも、そんなものを描写するつもりは全くなかったのでしょうけど。

ただ一方で、ラリーが作中で置かれていた境遇や「教育を受ける中高年者」という図式については、逆に日本でも充分にありえるストーリーではあります。
「リストラでクビ」なんて話は日本では10年以上も昔から盛んに言われていてもはや珍しくもない風景ですし、ハローワークなどでは資格を得るための諸々の訓練などが紹介されていたりもするわけですからね。
大学入学なども、ことさら一流大学を選ぶのでなければ比較的簡単に入学することも出来るようになっていますし、短大や専門学校などであればさらに容易です。
失業の憂き目に遭ってラリーのような選択をした人も少なからずいたでしょうし、そこから再起できた人も決してゼロではないのではないかと。
失業をきっかけに新しい世界に踏み出し、新しい知識と友人に恵まれたラリーは、確かに充実した学習をすることができたと言えるのではないでしょうか。
……まあ、あの年齢で「人生の伴侶」まで再び得られた、というのはさすがに稀ではないかとは思うのですが(苦笑)。

アクションシーンなどは皆無で、そればかりか「悪役」的な登場人物も出てこないので、すくなくとも不快になることはない作品ですね。
恋愛描写が全体的に淡白な感がありますし、時間の経過具合がイマイチ分かりにくい部分もあるのですが、人間ドラマ作品として観る分には「可もなく不可もなく」といったところなのではないかと思います。

映画「Black & White/ブラック&ホワイト」感想

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映画「Black & White/ブラック&ホワイト」観に行ってきました。
仲の良いCIAエージェントの2人が、ひとりの女性を巡ってスパイ能力とハイテク兵器の限りを駆使して恋の争いを演じるアクションコメディ作品。

物語はまず、今作の主人公となるCIAエージェントの2人、FDR(フランクリン・デラノ・ルーズベルト)・フォスターとタック・ヘンソンの仕事ぶりが披露されていきます。
2人は、カール・ハインリッヒという国際指名手配が大量破壊兵器を入手するのを阻止すると共に、彼を隠密裏に捕獲または殺害するという任務に従事していました。
大量破壊兵器の取引が行われる予定となっている香港の高層ビルに先回りして潜入し、その最上階で開催されていたパーティーの会場で女性を口説きつつ様子を伺う2人。
やがて予定通り、部下兼護衛および弟を引き連れてハインリッヒはやってくるのですが、ハインリッヒは取引相手を射殺しその場から逃走を図ります。
ここでFDRとタックは、ハインリッヒを逃がしてはならじと衆人環視の中でハインリッヒ一派に発砲を開始。
結果、ハインリッヒの部下と弟を殺すことには成功するものの、肝心のハインリッヒにはビルから飛び降りられパラシュートで逃げられてしまい、結局任務は失敗に終わってしまいます。
彼らの上司に当たる黒人女性CIA長官のコリンズは、任務に失敗したばかりか衆人環視で目立つアクションに走りマスコミの注目の的となった事実に激怒し、2人に対し謹慎処分を下すこととなります。

CIAエージェントとしての仕事が一時的にできなくなってしまった2人は、しかし良い機会だからとプライベートな生活を満喫することに。
タックは職業柄、CIAエージェントとしての自分の正体を隠し「旅行代理店の会社員」と身分を偽っているのですが、それが祟って子供も作ったはずの奥さんと離婚する羽目になった経歴を持っています。
今回の謹慎処分で時間を得た彼は、良い機会だからと、日本の柔道?を学んでいる子供の様子を観に行っていました。
しかし、父親の目の前で、相手の子供にボコボコにやられてしまうタックの息子。
タックが息子に話しかけても、息子は父親に隔意あり気な反応しか返すことがなく、そこへ息子を迎えに来た元奥さんと鉢合わせることに。
タックの元奥さんは、「これから別の男性とデートなの」とタックに言うと、息子を連れてその場から去ってしまうのでした。
自分の居場所がないことを思い知らされたタックは、FDRと相談した末、新しい恋に生きるべく、たまたまTVで宣伝されていた出会い系サイトに自分の名前を登録するのでした。

そのタックの出会い系サイトの登録に反応したのは、キッチン用の調理器具や電化製品などを取り扱う会社の重役を担っているローレン・スコット。
正確には、ローレンの女友達であるトリッシュが、ローレンに無断でローレンの名前を出会い系サイトに登録していたのがたまたまヒットしてしまい、最初はトリッシュに激怒したローレンが、タックを見て「この人カッコいい」とあっさりやる気になっただけなのですが(苦笑)。
ローレンは、かつて何もかも捨ててまで付き合っていた元カレに振られた挙句、新しい彼女まで紹介されてしまったことにショックを受け、その傷を癒している最中でした。
そこへ来てのタックの登場は、ローレンにとってもまさに「渡りに船」だったのでしょう。
彼女はすぐさまタックとデートすることを決意するに至ります。

一方、めでたくローレンと会うことになったタックは、親友のよしみでそのことをFDRに報告。
FDRはタックを支援するためにデートの様子を見張っていようかと提案しますが、さすがに「プライベートの侵害だから」とタックの方が拒否します。
その代わり、デートの現場に程近い場所でひそかに待機しておくことFDRは考えつきます。
しかし、このFDRの余計な気の回しがその後の騒動の元凶になるとは、この時一体誰が考えたでしょうか(笑)。
タックとローレンの初めてとなる出会いデート(喫茶店での会話だけ)そのものは特にトラブルもなく、むしろ互いに好感触を得るというベストな形で終了します。
しかし、タックと分かれたローレンがレンタルビデオショップに立ち寄った際、たまたまそこで張っていたFDRにナンパされてしまうのです。
ローレンは「軽薄なナンパ男」としてしかFDRを評価せず、すげなくあしらってその場を去ってしまうのですが、逆に興味を惹かれたFDRは、彼女の個人情報を調べて職場にまで押し寄せることに。
あまりにもしつこいFDRにキレかかるローレンでしたが、間の悪いことにそこへ新彼女を連れたローレンの元カレと鉢合わせしてしまいます。
変に見栄を張ろうとした彼女は、何とその場でFDRと濃厚なキスを交わしてしまい、元カレに「自分の新しい彼氏」としてFDRを紹介してしまうのでした。
そして、それがきっかけとなって、ローレンとFDRの関係も一転して良好なものとなっていきます。
しかし、互いに親友の間柄名上に共に同じ女性と仲良くなっているタックとFDRが、意中の相手がカブっている事実に気づくのにさしたる時間がかかるわけもありません。
2人はたちまちのうちに自分こそが相手を獲得すべく、CIA所属の諜報員やハイテク兵器を駆使した全面戦争に突入してしまうのでした。

映画「Black & White/ブラック&ホワイト」は、どちらかと言えばアクションよりも、下ネタ満載の会話と掛け合い漫才によるコメディタッチな部分に重点を置いている映画であると言えます。
ローレンとトリッシュの会話では、「FDRは手が小さい」「タックは英国人だから」などという、セックス的な問題を表すらしい陰語が登場しますし、トリッシュは「2人と寝て男性器の大きさや快楽の度合いを比較しろ」などとローレンを煽り立てる始末。
ローレンはローレンで、トリッシュの恋愛相談モドキな言動をいちいち真に受けて実行していたりしますし(苦笑)。
ちなみに、「手が小さい」の意味は作中でも説明されていて、「男性器(ペニス)が小さい」ということを婉曲に表現した陰語なのだとか。
一方で「英国人だから」については具体的な説明がなかったのですが、少し調べてみたらこんな記事が引っかかりました↓

イギリス人は遅漏、セックス耐久時間調査で明らかに。最短は6秒
http://digimaga.net/2009/10/british-men-have-more-stamina-in-bed
>  オランダ、ホラント州の研究者たちの調査によると、イギリス人男性はほかの国の男性と比べてセックスの耐久時間が長いことが分かりました。
>
>  この調査は5ヶ国、500人の男性に対して行われたもので、イギリス人男性は平均して10分間保てることが分かり、これが第1位。第2位はアメリカ人男性で、コチラは8分。三番手にはオランダ人男性の6分30秒が続きます。
>
>  そして4番手はスペイン人男性の4分54秒。最後はトルコ人男性で4分24秒とこれが最短でした。なお、調査に協力したユトレヒト大学では最短で6秒という結果の男性もいました。残念ながらこの男性の国籍は分かっていません。最長は52分間頑張れたそうです。
>
>  スポークスマンは、イギリスの大衆紙ザ・サンに対して「研究ではイギリス人男性が最も長いことが分かりました。コンドームの有無やサイズの大小による違いはありませんが、アルコールを飲んだ男性は通常よりも長く頑張れる傾向にあるようです」と語っています。
>
>  性医学ジャーナルで発表されたこの研究は、早漏のことを調べていました。早漏は、医学的には1分以上持続できない状態のことと定義されています。
およそ40%のイギリス人男性が早漏に苦しんでいるそうですが、この結果を見るにほかの国の男性はもっと苦しんでいることでしょう。ぜひ日本人男性も調査して欲しいところです。

この場合における「英国人」が指している意味合いというのは、FDRの件との整合性を考えると大体こんなところに落ち着くのではないかと。
念願叶って(?)FDRとセックスした際も、ローレンはわざわざトリッシュに感想を報告したりしていますし、それを受けたトリッシュはさらに煽り立てるしで、この辺りは本当に女性ならでは赤裸々かつ生々しい会話のオンパレードでしたね。
こんな少年少女の教育に悪影響を与えそうな会話が延々と繰り広げられている今作が、よくもまあPG-12指定にすらされなかったよなぁと、笑いと同時に奇妙なところで感心すらしてしまったほどです(苦笑)。

そして、それ以上に笑えたのは、FDRとタックに率いられたCIA下っ端諜報員達の活躍ですね。
たとえば作中では、絵画が趣味のひとつであるローレンを相手に、FDRが絵画のウンチク話を始めるシーンがあるのですが、そのウンチク内容はFDRの下っ端諜報員達が読み上げている文章を、FDRが通信機を介して聞き取ってしゃべると言う形で進行していました。
ところがそこで、タックに属する諜報員達が通信を乗っ取ってしまい、絵画についてデタラメな話を並べ立て始めてしまいます。
その内容がまたぶっ飛んでいて、「筆を使わず手で直接絵を描く」とか「手が塞がっている時はペニスで絵を描く」とか、ほとんど笑いを取りに行っているとしか思えないことをFDRにしゃべらせようとするんですね。
ローレンとFDRがセックス行為に及んでいる際には、その光景を興味津々で眺めていた上に(これは仕事だからですが)その全容をしっかりDVDに収めていたみたいですし。
FDRとタックは、下っ端諜報員達にローレン獲得のための作戦に従事させる際、動機と目的については「最高機密」を盾に口を濁しているのですが、下っ端諜報員達は早々に2人の対立構図に気づいていたみたいですからねぇ。
作中における下っ端諜報員達の描写を見ても、何もかも分かっていた上での確信犯で楽しんでいた感がありありでしたし。
FDRとタックの「当事者達は至って真剣なお笑い喜劇」以上に、彼らのコメディチックな活動にも笑えるものがありましたね。

今作は、過去作で言えば、映画「Mr.&Mrs.スミス」「ナイト&デイ」「キス&キル」などに相当する「コメディ重視のアクション作品」であろうと観賞前から当然のように考えていたので、その結果も案の定といったところでしたね。
全部、タイトル名に「&」がついている点も共通していますし(笑)。
逆に、恋愛やアクションメインで見ようとすると、今作は少々厳しいものがあるのではないかと。
その点では、映画「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」の路線に近い作品であるとも言えるのかもしれません。
全体的な評価としては、コメディ作品が好きな人にオススメ、といったところになるでしょうか。

映画「タイタンの逆襲」感想

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映画「タイタンの逆襲」観に行ってきました。
前作「タイタンの戦い」の続編で、ギリシャ神話の主神ゼウス・ポセイドン・ハデス3兄弟の父親で残虐な神クロノスとの戦いを描いた作品。
今作は2D版と3D版で同時上映されていますが、私が観たのは2D版となります。
前作の続編であるため、作中では前作を観ていないと分からない部分も少なからず出てきますが、基本的にアクション重視&単純なストーリー構成なので、前作を観ていなくてもそれなりには楽しむことができます。

前作「タイタンの戦い」で海の大怪獣クラーケンが倒されてから10年。
前作から引き続き主人公として活躍する、人間と神の間に生まれた半神半人(デミゴッド)であるペルセウスは、妻となったイオには先立たれたものの、彼女との間に生まれたひとり息子であるヘレイオスと共に、人間としての生活を営む日々を送っていました。
そんな彼の元にある日、彼の父親であるゼウスがやってきます。
何でも、前作の一件より人間が神々に祈りを捧げなくなってしまったことから、神々の力が著しく衰えてしまい、その結果、かつて冥界の奥に封印したゼウスの父親にしてタイタン族の巨神クロノスが覚醒しつつあるとのこと。
ゼウスは、クロノスが完全に復活すれば地上は地獄と化し、神々も人間も全て滅び去ってしまうため、それを阻止すべく手を貸して欲しいとペルセウスに依頼します。
しかし、ゼウスとは前作の一件で怨恨があるのに加え、息子を溺愛するペルセウスは「息子の傍を離れたくない」とこれを拒否。
しかたなくゼウスは、海神ポセイドンと、自身のもうひとりの息子である軍神アレスと共に、冥界の主であるハデスに協力を依頼すべく、地底へと向かうのでした。
ところが、既にハデスはゼウスに対する恨みからクロノスと手を組んでしまっており、そればかりかアレスまでもがゼウスを裏切りクロノスに加担する始末。
ただでさえ力が弱っていた上に奇襲的に裏切られたゼウスがこれに対抗する術はなく、ポセイドンは重傷を負わされ、ゼウスはあえなく虜囚の身となってしまうのでした。

一方、地上では、巨神クロノスが復活し始めた影響で、キメラがペルセウスのいる村を襲うという事件が発生。
息子を避難させつつ、何とかキメラを殺すことに成功したペルセウスは、そこで生命からがら地底から逃げてきたポセイドンから、地底で何が起こったのかを知らされることになります。
そしてポセイドンは、前作では王女として登場し、今では王位を継いで女王になっているらしいアンドロメダの下にいるという、ペルセウスと同じ半神半人であるポセイドンの息子と共に「堕ちた神」を探すよう告げ、自分の武器を授けた後に石化し崩れ落ちてしまうのでした。
彼は父親であるゼウスを助けるため、および人類、特に息子の破滅を回避するため、村の人達にヘレイオスのことを任せ、アンドロメダの元へと旅立つこととなるのですが……。

映画「タイタンの逆襲」は、上映時間が98分と前作106分より短めなためもあってか、ストーリー展開がとにかく早いですね。
序盤からすぐさま魔物との戦闘が始まりますし、アクションシーンも含めて目まぐるしく場面が変わります。
特に迷宮のシーンでは、迷宮自体が随時稼動し続けることも相まって、どこからどこへ移動しているのかも把握し難いものがあって、観客の視点では「気がついたら目的地に到達していた」というのが実態に近かったですし。

前作との違いで言えば、前作では煌びやかかつ力強さのあった神々の陣容が、今作では力の衰えを象徴するものなのか、全体的に弱々しい感じになっていた点が挙げられるでしょうか。
特に、聖闘士星矢の黄金聖衣を想起させる鎧を身に纏っていた前作のゼウスは、今作では終盤以外は鎧すらつけておらず、村の一般人よりはマシという程度の服装と風貌でしかありませんでしたし。
ポセイドンも序盤であっさり死んでしまいましたし、人間相手に圧倒的な強さを見せつけていたアレス以外はどうにもパッとしない感がありました。
こんなことになるのなら、前作で人間と対立なんかしなければ良かったのに、とついつい考えてしまいましたね(T_T)。

あと、今作のラスボスであるクロノスは、溶岩を纏った山よりも大きい巨大な巨人として描かれています。
しかし、一応はゼウス・ポセイドン・ハデスよりも格上の神であるにもかかわらず、作中ではただその巨大な図体にものを言わせて周囲に破壊を撒き散らすだけで、その点では前作のラスボスだったクラーケンと何ら変わるところがないんですよね。
戦場が海上&港町から荒地に変わっただけで、やっていることは全く同じでしたし。
一応は神、それも最上位に位置するであろう神なのですから、ただ溶岩を撒き散らすだけでなく、ゼウス達と同じような魔法攻撃や、神としての知性や威厳などを持ち合わせても良さそうなものなのですが。
台詞もあるにはあるのですが、その全てが「相手の名前をどことなく恨みがましく呼びかけるだけ」というシロモノでしかありませんでしたし。
作中の描写だけでは、単に図体と力がデカいだけのモンスターでしかなく、あれから何故ゼウス・ポセイドン・ハデスなどの神々が生まれたのかすらも理解に苦しむものがあります。
単なる魔物やクラーケンなどと一線を画する格別の存在であることを示すには、図体の大きさとは別の何がが、クロノスには必要だったのではないでしょうか?

ストーリー自体も単純明快ですし、あくまでも「アクションシーンを楽しむための作品」といったところでしょうか。
前作と同様に「可もなく不可もなく」な出来で、剣と魔法のファンタジー系なアクションが観たいという方であれば、とりあえず観ても損はない映画ですね。

映画「バトルシップ」感想

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映画「バトルシップ」観に行ってきました。
アメリカのハワイおよびその周辺海域を舞台に、地球外から総計5隻の宇宙船でやって来た侵略者達との戦いを描いた、ユニバーサル映画100周年記念作品。
通常、アメリカ映画は本家アメリカでの公開より数ヶ月遅れて日本では劇場公開されることが多いのですが、今作は逆にアメリカよりも1ヶ月早い日本公開となっています。
やはり今作では、内容自体が日米の共同軍事作戦をベースにしていることと、日本人俳優である浅野忠信が「マイティ・ソー」に次ぐ2作目のハリウッド映画出演ということで、興行収益が見込めると判断したアメリカ側がリップサービスをしてくれたという「大人の事情」でも背景にあるのでしょうけどね。
「マイティ・ソー」ではあまり目立たない脇役だった浅野忠信も、今作では準主役的なポジションにありますし。

物語の始まりは、地球外生命体が地球へやってくる2012年から遡ること7年前の2005年。
この年、アメリカでは、太陽系外にあるという地球型惑星と交信を試みる計画「ビーコン・プロジェクト」が立ち上げられ、衆人環視の中、ハワイのオアフ島に設置されたNASAの送信施設より目標の地球型惑星に向けて通信が発射されていました。
「ビーコン・プロジェクト」がTVニュースで流される中、とある酒場?では、一組の兄弟が今後のことについて何やら会話を交わしていました。
アメリカ海軍で現役エリート軍人として出世しつつある兄のストーン・ホッパーに対して、無職のトラブルメーカーで周囲からは鼻つまみ者扱いされている弟のアレックス・ホッパー。
2人の会話は、カウンター席に座ったひとりの女性を、今作の主人公であるアレックス・ホッパーが目に留めたところで中断します。
その女性サマンサ・シェーンに一目惚れしたアレックスは、早速サマンサに声をかけるのですが、最初は当然のごとく無視されます。
しかし、サマンサが店のマスターにチキン・ブリトーを注文したところ、売り切れで出せないという返答が返ってきたことにアレックスは食いつきます。
彼は「5分待ってくれればチキン・ブリトーを持ってくる」とサマンサに告げ、店を出て行くのでした。
彼はすぐさま近くのコンビニにまで足を運ぶのですが、そのコンビニは24時間営業ではないらしく、一足遅く営業時間を終えてシャッターを下したところでした。
「シャッターを開けてくれ」という懇願を無視されたアレックスは、何と裏口と天井裏?から店内に侵入してチキン・ブリトーを奪取。
しかし店内から脱出しようと入ってきた天井裏に戻ろうとして何度も失敗した挙句、店内をメチャクチャに破壊してしまい、警察当局に追われることに。
それでも警官に捕まる直前、アレックスは「何事か」と外に出ていたサマンサにチキン・ブリトーを渡すことに成功。
このことがきっかけとなり、サマンサとアレックスは付き合い始めるようになります。
しかし、一連のバカ騒ぎにアレックスの兄であるストーンは激怒、その精神を叩き直すべく、アレックスに対し問答無用で海軍に入ることを命令するのでした。

それから7年がたった2012年。
アメリカのハワイ・オアフ島では、記念艦となっている戦艦ミズーリの艦上で、リムパック(環太平洋合同軍事演習)を始めるにあたっての式典が行われていました。
演習が始まる前に、リムパック参加国の軍人同士によるサッカー杯が行われ、決勝はアメリカと日本で争われていました。
試合終盤、日本が1点のリードを守り続けている中、日本側の選手がボールではなくアレックスの顔面を蹴ってしまったことから、アメリカチームにペナルティキックのチャンスが舞い込んできます。
顔面を蹴られたことから脳震盪を起こした疑いがもたれたアレックスは、選手の交代を周囲から勧められますが、アレックスはこれを拒否して自分がシュートすることに固執します。
しかし、アレックスのシュートは高らかに舞い上がってゴールを飛び越え、この瞬間に日本の優勝が確定してしまいます。
試合の敗北にショックを受けるアレックスは、さらにその後、日本の海上自衛隊に所属している護衛艦「みょうこう」の艦長ユウジ・ナガタ一等海佐(アメリカでは大佐に相当)と殴り合い?の喧嘩沙汰を起こしてしまいます。
そのことが軍の上層部で問題になった結果、アレックスはリムパックが終了して帰港するのと同時に軍をクビにされることが決定してしまうのでした。

さすがに意気消沈し、無気力になってしまったアレックスでしたが、その頃、世界ではとんでもないことが発生していました。
何と、宇宙から正体不明の謎の飛行物体が5つ、編隊を組んで地球に接近してきたのです。
5つの飛行物体の中のひとつは、地球を周回している衛星に激突して空中分解して一部が中国の香港に落下、ビルが倒壊したりして大惨事となってしまいます。
そして残り4つは、今まさにリムパックが行われているハワイ沖に着水。
そのため、すぐ近くにいるリムパックの艦隊に謎の飛行物体を探索するよう、アメリカ本国から指示が来ることになります。
この指示を受け、飛行物体が着水した海域に3隻の艦艇が向かうことになりました。
そしてこれが、世界の命運を賭けることとなる戦いの始まりとなるのです。

映画「バトルシップ」では、実在する軍艦が作中で活躍しています。

リムパックの際の総旗艦となった空母ロナルド・レーガン
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飛行物体の調査に向かった3隻の中の1隻、USSサンプソン
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同じく3隻の中の1隻で、日本の海上自衛隊所属の護衛艦みょうこう
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そして主人公アレックス・ホッパーが搭乗している、USSジョン・ポール・ジョーンズ(以下「JPJ」)
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さらに序盤に記念艦として登場した戦艦ミズーリ
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当然、これ以外にも演習に参加していた軍艦はあるわけですが、実際には敵の宇宙船がハワイ沖を中心とした半径90㎞の海域に電磁バリアを張ってしまったために外部からの進入が一切不可能となったことから、たまたま飛行物体の調査でその海域内にいた3隻だけで宇宙船の相手をすることになってしまいます。
しかも3隻のうち、USSサンプソンと護衛艦みょうこうは敵の攻撃で早々に完全破壊されてしまったので、物語が終盤に近づく頃までは主人公が搭乗するJPJ「だけ」で敵の宇宙船と戦っていくこととなるのです。
世界各国の軍艦を集めたリムパックが舞台となっているのに、実質的にメインの戦いを繰り広げるのは駆逐艦1隻と敵宇宙船4隻だけという、何ともこじんまりとした展開なわけですね。
大規模な艦隊同士による大決戦的なものを考えていると、少々拍子抜けすることになるかもしれません。

ただ、規模はこじんまりとしたものであっても、それは戦闘シーンの迫力や手に汗握る演出を何ら軽減するものではありません。
序盤で披露される敵宇宙船の圧倒的な強さ。
レーダーの類を全て無効にされた状態で、完全破壊された護衛艦みょうこうから救助され指揮権を譲られたナガタの指揮の下、津波ブイを使った敵の追跡・捕捉・攻撃を行い孤軍奮闘するJPJ。
そして敵の宇宙船を3船まで破壊するも敵に逆襲され潰されてしまったJPJに代わり、一際巨大で電磁バリアを張っている元凶でも最後の敵宇宙船に戦いを挑む戦艦ミズーリ。
今作のタイトルでもある「バトルシップ」は、「戦う船」という比喩的な概念を意味するだけでなく、文字通りの「戦艦」、つまりミズーリのことをも指しているものでもあったわけですね。
この名前の繋げ方はなかなかに上手い落としどころなのではないかと思いました。
まあ、長年記念艦であった戦艦ミズーリに、すぐさま戦闘行動を可能にするだけの燃料や弾薬が満載されているなど本来ありえることではなく、その非現実性にツッコミどころの大穴があったのは少々苦しいところではあるのですが。
記念艦として停泊させておくだけのミズーリに常時燃料を入れておかなければならない理由がありませんし、使わない弾薬をミズーリにそのまま搭載したままにしておくなど、火薬管理の面から言っても危険極まりないのですから。
戦艦ミズーリを操れる老練の退役軍人達がアレだけいたのは、合同軍事演習の際の式典に列席するためという名目があったので、それで何とか説明も可能なのでしょうけど。
ただし、動かす過程が非現実的ではあっても、ああいう展開自体は結構燃えるものがありますし、戦艦ミズーリの活躍も演出もJPJのそれに決して劣るものではなかったので、映画としては大成功の部類に入るエピソードなのでしょうね。

映画「バトルシップ」では、エンドロール後にも続編を匂わせるようなエピソード映像が披露されています。
序盤で5隻の宇宙船のひとつが空中分解した際の脱出艇?がスコットランドに墜落しており、地元住民が興味本位でそのドアをこじ開けてしまい、中から宇宙人の手が出てきたところで終了、というものです。
今作は「ユニバーサル映画100周年記念作品」ということで作品内で話は完結しているだろうと考えていたので、まさかそんな映像があるとは思ってもみなかったのですが。
これってやはり「人気が出るなら続編を作ろう」みたいな意図でもあって入れている映像なのでしょうねぇ。
ただそれにしても、今作もエンドロールの途中で退席してしまい、結果としてその後の映像を見逃していた人が意外に多かったので、「やはり映画は最後まで観ないといけないなぁ」と改めて痛感せざるを得なかった次第です。
かくいう私も、以前はエンドロールの途中で席を立ってスクリーンから去っていた人間でしたし、実は今作でも「続きはないだろう」という考えから少しばかりそういう誘惑に駆られていたりしたのですが(^^;;)。
こういうのって、いいかげん何らかの対策を行う必要があるのではないかとは思わずにいられませんね。
映画料金を払いながら、エンドロール後の特典映像を見逃すのって結構な損失だと思いますし、しかし一方では「エンドロールなんて観る必要などない」と考える人が厳然として存在するわけで。
しかしだからと言って、「エンドロール後に特典映像が……」というアナウンスを事前に流すというのもサプライズな演出効果が薄れしまうという問題がありますし、微妙に難しい対処を迫られる課題ではあるのでしょうけどね。

ハリウッド映画が持つ迫力ある映像や演出、および単純明快な分かりやすいストーリー展開がお好みの方には、文句なしにオススメできる一品です。

映画「ジョン・カーター(3D版)」感想

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映画「ジョン・カーター(3D版)」観に行ってきました。
ジョージ・ルーカス監督の「スターウォーズ」シリーズや、ジェームズ・キャメロン監督の「アバター」の原点になったとされる、エドガー・ライス・バローズの小説「火星」シリーズの最初の作品「火星のプリンセス」を映画化したファンタジー・アドベンチャー大作。
ウォルト・ディズニー生誕110周年を記念して製作された映画でもあります。
今作は3D版しか上映されていなかったので、しかたなく3D版での観賞となりましたが、例によって例のごとく「あるのかないのか注意して見ないと分からない申し訳程度の3D映像」が披露されていただけでした(T_T)。
わざわざ観客から余分にカネを取っておきながらそういう映像ばかり見せつけるから、3D映画は多くの観客から愛想を尽かされてしまうことになるのですけどねぇ(-_-;;)。

物語は、地球とは異なる惑星バルスームで、とある飛行船が襲撃されているシーンから始まります。
飛行船の持ち主は、惑星バルスームの国のひとつであるゾダンガ王国の皇帝サブ・サン。
襲撃に際して勇猛果敢に戦う彼でしたが、突如圧倒的な力によって配下の兵達が襲撃者もろとも壊滅。
呆然とするサブ・サンの前に、その圧倒的な力を見せつけたサーン族の教皇マタイ・シャンが、どこからかワープでもしてきたかのごとくその姿を現します。
マタイ・シャンはサブ・サンに対し、自分達が駆使した驚異的な力を誇る破壊兵器を提供し、サブ・サンに惑星バルスームの支配者となるよう促すのでした。

ところは変わって、1881年のアメリカ・ニューヨークでは、ジョン・カーターという名の大富豪が亡くなったとの報が駆け巡っていました。
ジョン・カーターは「死」の直前、自身の甥で原作小説の原作者と同名(本人?)でもあるエドガー・ライス・バローズを呼び出し、全財産を譲り渡すよう弁護士に依頼していました。
呼び出されたエドガー・ライス・バローズは、弁護士からジョン・カーターから「エドガー・ライス・バローズ以外の人間には誰にも読ませないように」と指示されて預かったという日記を提示されます。
その日記を読み始めたエドガー・ライス・バローズの前に、ジョン・カーターが体験したとされる想像を絶する冒険譚が開陳されていくことになります。

その発端となる最初のエピソードは、ジョン・カーターが死んだとされる今現在から13年前に遡ります。
今作の主人公であるジョン・カーターは、アメリカのヴァージニア州出身でかつては戦争で勇名を誇った元兵士でしたが、今ではただひとり孤独に生き、黄金の洞穴を探しているらしい一匹狼。
酒場兼質屋?で問題を起こした彼は、現地の騎兵隊にその名声を見込まれてスカウトされるのですが、ジョン・カーターは暴力を行使して拒絶し、彼は牢獄に繋がれることになります。
しかし、ジョン・カーターは自力で見張りを倒し、騎兵隊の隊長パウエルの馬を奪いその場を逃走。
騎兵隊はただちにジョン・カーターの追撃を開始しますが、追撃の最中、ジョン・カーターがアパッチ族と接触。
ジョン・カーターとアパッチ族との間で話し合いが行われましたが、交渉の最中に騎兵隊の1人がアパッチ族に向けて銃を発砲。
この事態に怒り狂ったアパッチ族と騎兵隊の間で戦闘が始まってしまい、パウエルはアパッチ族が撃ち放った銃弾で脇腹を負傷。
混戦に紛れてそのまま逃げても良さそうなものだったのですが、ジョン・カーターは何故か負傷したパウエルを見捨てることなく彼を抱え一緒に逃走を開始します。
逃走した2人は、追跡してきたアパッチ族から逃れるため、逃走途上で発見した洞穴へ身を隠すことになります。
何とかアパッチ族をやり過ごした2人でしたが、洞穴の奥から人の気配がしたため、ジョン・カーターが調べてみることに。
そこで待ち受けていたのは、法衣のようなものを纏ったひとりのスキンヘッド男でした。
スキンヘッド男は後ろから不意打ちを仕掛けてきました、ジョン・カーターは運良く難を逃れスキンヘッド男を返り討ちにします。
銃弾を受けて倒れたスキンヘッド男は、右手に光るメダルのようなものを持って何かを唱えていました。
ジョン・カーターがそれを奪い取ると、彼は光に包まれ、次に気づいた時には見たこともない砂漠のど真ん中に倒れこんでいたのでした。
体を起こして歩いてみた途端、ジョン・カーターの身体は自分の意図に反して大きく浮き上がってしまいました。
戸惑いを覚えつつ試しにジャンプしてみると、本来考えられないほどに大きく飛翔できてしまうではありませんか。
しばらく調子に乗ってジャンプを繰り返しつつ、ジョン・カーターは砂漠の只中にあるひとつの山に辿り着きます。
そこでは奇妙な卵から、これまで見たこともなかった生物が飛び出してくる光景が展開されていました。
驚いたジョン・カーターがしかしその余韻に浸っている暇もなく、彼にまるで狙いを定めるかのごとく、これまた見たこともない生物の集団が突如砂漠の向こうから急速に接近してきて……。

映画「ジョン・カーター(3D版)」は、ジェームズ・キャメロン監督製作の映画「アバター」の原点になったというだけあって、話の構成も「アバター」とよく似ていますね。
「アバター」に登場した異種族ナヴィと似て体格が大きな「サーク族」という種族が登場しますし、そのサーク族の支配権を獲得してラスボスに挑む構成が全く同じだったりします。
主人公が軍人出身で、かつ異世界の先でヒロインと出会い彼女のために戦う構図も同じですし。
まあ、元々は「アバター」の方が今作の原作小説をヒントに作られたとのことですから、構成が似ているのもある意味当然なのかもしれないのですが。
一方「スターウォーズ」は、作中に登場していた「光で動く飛行船」と「銃と剣が戦闘の中で入り混じった世界観」辺りをモチーフにしていたのではないかと。
ストーリー展開が「アバター」そっくりで、使用している小道具が「スターウォーズ」とカブるとなれば、作品独自のオリジナリティという点ではややパッとしない部分がありますね。
製作費だけで2億5000万ドルもかけているだけあって、迫力あるSFX映像や演出はさすがに良く出来ていますし、決して見劣りするわけではありません。
ただ今作は、そこまで製作費をかけたのが災いしたのか、超大作の割には興行収益がイマイチ伸びていないことから、最終的には2億ドルもの赤字を抱え込む可能性すら囁かれているのだそうで↓

http://megalodon.jp/2012-0414-2102-14/jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPTYE82L02D20120322
> [ロサンゼルス 20日 ロイター] ウォルト・ディズニー生誕110周年記念の超大作「ジョン・カーター」が、映画史上最も興行赤字の大きい作品になる可能性が出てきた。
>
米ウォルト・ディズニー(DIS.N: 株価, 企業情報, レポート)は19日、同作品が約2億ドル(約166億円)の赤字になるとの見通しを示したが、それが現実になれば、ギネスブックに「最も興行赤字の大きい映画」として登録されている1995年の「カットスロート・アイランド」を超える赤字作となる。ウィキペディアによると、「カットスロート・アイランド」の赤字額は1億4700万ドル。
>
> 過去の不発作品としては、エディ・マーフィ主演の「プルート・ナッシュ」や、ペネロペ・クルスとマシュー・マコノヒーが出演した「サハラ 死の砂漠を脱出せよ」、ロバート・ゼメキス監督の「少年マイロの火星冒険記」などがあるが、ウィキペディアの情報を基にすると、いずれも赤字額は1億4000万ドルを超えている。
>
> ただ、ハリウッド映画の赤字額については、不明瞭な部分が多いのも事実。映画情報サイトIMDbの編集長キース・シマントン氏は「ハリウッドはあまり数字をオープンにしないので、これらの作品の本当の予算を知ることはできない」と述べた。
>
> 複数の業界筋は、「ジョン・カーター」には制作費と販促費で3億5000万ドル以上がつぎ込まれていると指摘。調査会社ハリウッド・ドット・コムのポール・ダーガラベディアン氏は、
同作品が収支を合わせるには、世界興行収入6億ドル以上が必要だとしている。

過去のハリウッド映画では、アメリカでは不振であっても日本の興行収益だけで製作費を楽々回収した事例もありますから、今作が本当に史上最高額の赤字を抱えるのか否かは今後にかかっているのですが、状況的には結構厳しいものがありますね。
「ジョン・カーター」は今作も含めて3部作構成とのことなのですが、1作目時点で多額の赤字を抱えてしまうとなると、続編が本当に製作されるのか、はなはだ心許ない限りとしか評しようがないですし。
作中ではまだ第9光線や遺跡の機能、サーン族についてなど、まだ未解明の謎が少なからず残っているのですから、個人的には続編を作ってもらいたいところではあるのですけど……。

作中で意外に「なごむ」存在だったのは、物語後半で実は火星であることが判明した惑星バルスームの犬(キャロット)であるウーラですね。
このウーラ、外見上は「巨大なカエル」みたいな容貌をしているのに超高速で素早く動き回り、主人公達の危機の際には大きな助けにもなってくれる頼もしい動物です。
惑星バルスームでは「ジャスーム」と呼ばれている地球上の犬のごとく、「飼い主」に懐き甘えてすらくる愛嬌のある一面も見せていたりします。
一見不気味な外見なのに、物語が進むにつれて可愛らしくすら思えてくるのですから、何とも不思議なキャラクターです。
日本で言うところの「ゆるキャラ」的なものを意図して作ったのでしょうかね、これって。

ところで少し疑問だったのは、物語終盤、何故マタイ・シャンは自身の目論見を打ち砕いたジョン・カーターを、わざわざ地球に送り返すだけに留めてしまったのか、という点ですね。
あれだけの変装能力を持ち不意打ち同然に接近できるのであれば、地球に送り返すよりもジョン・カーターをその場で殺害してしまった方が、今後のことも考えると後腐れがなくて良かったのではないかと思えてならなかったのですが。
何しろジョン・カーターは、マタイ・シャンとサーン族のことを知る(あの世界では)数少ない人間のひとりだったわけですし、下手に生かしておけば今後の自分達にとって邪魔になるであろうことも最初から目に見えています。
地球に送り返して以降も、ジョン・カーターにはマタイ・シャンの手の者と思われる監視がついていたみたいですし、そんな手間暇などをかけるくらいなら最初から殺しておいた方が面倒もなくて良かったでしょうに。
あの変装能力や、序盤で見せつけていたテレポート能力があれば、たとえあの場でジョン・カーターを殺したとしても悠々と姿をくらますことだって簡単にできたでしょうし。
マタイ・シャンには何かジョン・カーターを殺せない理由でもあったのでしょうか?
地球にいた手下のひとりは、序盤で普通にジョン・カーターを殺そうとして返り討ちに遭っていましたから、そんな理由があるようにはとても思えなかったのですが……。
今後続編が製作されることがあれば、この辺の謎についても解答が与えられるかもしれないのですけどねぇ。

映画の内容だけを見れば普通に良作ではないかと思うのですが、それで赤字の危機に直面せざるをえないとは何とも不幸な作品ですね。
個人的には、もう少し評価が高くても良いのではないかと思えてならないのですが。

映画「センター・オブ・ジ・アース2 神秘の島(3D版)」感想

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映画「センター・オブ・ジ・アース2 神秘の島(3D版)」観に行ってきました。
2008年に公開され、日本初となる実写フル3D映画公開ということで話題となった前作「センター・オブ・ジ・アース」の続編で、ジュール・ヴェルヌの「地底旅行」をベースに繰り広げられる冒険アドベンチャー作品。
ちなみに前作「センター・オブ・ジ・アース」は、劇場公開当時に映画館で観賞しました(^^)。
今回はちょうど「映画の日」ことファーストディである1日が日曜日だったこともあり、安い映画料金で観賞することができたのですが、3D料金がその割引分をほとんど埋めてしまった感がありました(-_-;;)。
今作は熊本の映画館では「熊本シネプレックス」1箇所のみ、しかも3D日本語吹替版でしか上映されていなかったので、最初から選択の余地が全くなかったのですが(T_T)。
まあ3D映像については「意外に良く出来ている」と一応評価できる部類に入ってはいたので、それがせめてもの救いではありましたが。
3D映画はただでさえ余計に料金が徴収されますし、これまで散々なまでに裏切られ続けてきた経緯もありますから、たとえ3D映像の出来が良くても出来る限りは避けたい、というのが正直なところではあったりするのですけどね。

前作「センター・オブ・ジ・アース」での冒険から4年。
前作から成長したショーン・アンダーソンが、しかし何故か警察からオートバイを駆使して逃走中のところから物語は始まります。
警察の追っ手を掻い潜って逃走を続けるショーンでしたが、その最中にオートバイごと他人の家のプールに突っ込んでしまい、あえなく御用に。
そこへ、ショーンの義理の父親で建設会社の社長?であるハンク・パーソンズが警察に口添えし、そのおかげでショーンは警察のお世話になることなく無罪放免となります。
ハンクは当然のことながらショーンに理由を問い質すのですが、ショーンはハンクに反発を示して部屋に閉じこもってしまいます。
そしてショーンは、文字でびっしりと埋められたメモを取り出し、何やら作業を始めるのでした。
一方、義理の息子と何とか上手くやっていきたいハンクは、ショーンに直談判すべくショーンの部屋へと入ってきます。
そしてハンクは、ショーンが微弱な暗号電波をキャッチしたこと、その解読を行うために人口衛星研究センターに不法侵入し、その罪で警察に追われていた事実を知ることになります。
元軍人であり、暗号解読でもそれなりの実力があったらしいハンクは、ショーンが入手した暗号の解読に協力し、あっさりと暗号の全容を明らかにすることに成功します。
暗号の内容は、伝説とされている「神秘の島」の存在と座標を示しており、ショーンはここに自分の祖父がいるのではないかと確信し、すぐにでも「神秘の島」に向かおうとします。
そんな義理の息子に一度は反対したハンクでしたが、すぐに自分も保護者として同行しショーンとの関係を改善するきっかけに出来ればと考え直し、ハンクは自分も一緒に行くことを条件にショーンの旅を承諾するのでした。

暗号で指定された座標は海にあり、当然海を渡れる何らかの移動手段を調達する必要がありました。
ショーンとハンクは座標に程近い港町へと赴き、指定された座標へ船を出してくれるよう船頭に依頼するのですが、指定された座標の近辺では嵐が多い上に座礁しやすい地形であることもあり、けんもほろろに断られてしまう始末。
ところが「依頼を受けたら(アメリカドルで)1000ドル出す」という声に釣られ、声をかけてきた中年の男がひとり存在しました。
その人物ガバチョは、あまりにも年季が入りすぎている、マトモに飛ぶかどうかすらも保証の限りではないオンボロヘリを使って2人を目的地まで案内しようと申し出てきます。
あまりにもヘリがオンボロであることから、むしろ2人の方が難色を示してしまうのですが、そこで登場したガバチョの娘カイラニ。
カイラニに一目惚れしてしまったショーンはガバチョのヘリに乗り込むことを決断し、4人は一路目的の座標へと向かうことになります。
ところがそこでは竜巻が荒れ狂っており、ヘリはコントロールを失い竜巻に巻き込まれてしまうことに。
そして4人は、どことも知れない見知らぬ島で目を覚ますこととなるのですが……。

映画「センター・オブ・ジ・アース2 神秘の島」に登場する「神秘の島」には、以下のような特徴があります。

1.動物の一般的な大きさが全て逆になっている
2.火山が金でできている
3.一定の周期(70年~140年)で浮上したり沈没したりを繰り返している

「1」の実例としては、やたらと大きなトカゲや人間2人が乗れるスズメバチなどが出てくる一方、象が人間の手で抱えられたり、サメが小魚程度の大きさしかないほどに小さかったりします。
象やサメは一見普通の大きさであるかのような登場の仕方をするので、実際の大きさが分かると結構拍子抜けになったりします。
まあ、トカゲやスズメバチなどは人間が乗れたり追いかけられたりと一目で分かりますから、その対比としてのインパクトを与える必要があったのでしょうけど。
しかし、島が「3」の要素で浮いたり沈んだりを繰り返しているのに、海はまだしも、陸上の動物達は一体どうやって生き延び、かつ生態系をどのようにして維持しているのか、その辺は何とも不思議なところではありますね。
エンドロールで象が海の中を普通に歩き泳ぎしているシーンがあるので、彼ら(?)って実は水陸両用生物(??)だったりするのでしょうか?
両生類とはちょっと性質が異なるように思いますし、そもそも島が沈んでいる時期は陸地が全くないわけですからねぇ(苦笑)。

あと、この手の上映映画館数の少ない作品というのは、ストーリーが一般受けしなかったりR-15指定だったりするなど特殊な場合が多いのですが、今作を観た限りでは特に観客層を限定することのないオーソドックスな物語でしたね。
人が死ぬこともなければ、登場人物の設定もストーリーも子供が観て何の問題も起きないであろう要素だけで構成されていましたし。
一応2作目でもあるのですし、そんなに人気がない作品というわけでもなさそうなのに、何故ここまで上映映画館数が少ないのか、そこが少し疑問に思えてならなかったところです。
3D映像も、昨今の3D映画の中では上の方に数えても良い出来ではあったわけですし。
一体どんな「大人の事情」が介在しているのかは分かりませんが、もう少し評価されても良い映画なのではないですかねぇ。

ラストはさらにジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」をベースにしたストーリーが展開されそうな引きで終わっているのですが、これの続編って実際に出てくるのでしょうかねぇ。
2作目までは製作されたのですから、3作目が出来ても不思議ではないのですが、まあこれは興行成績次第、といったところになるでしょうか。

映画「ヘルプ ~心がつなぐストーリー~」感想

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映画「ヘルプ ~心がつなぐストーリー~」観に行ってきました。
1960年代におけるアメリカの田舎町を舞台に、白人家庭で仕事をする黒人メイド達の実態を暴いた、実在する同名の本が出版されるまでの経緯を描いたヒューマン・ドラマ作品。
今作はアカデミー賞3部門にノミネートされ、オクタヴィア・スペンサーが助演女優賞を受賞しています。

物語の舞台は1960年代、アメリカ南部のミシシッピ州にあるジャクソンの町。
今作の主人公ユージニア・スキーター・フェラン(以下「スキーター」)は、黒人メイドであるエイビリーン・クラークを取材していました。
エイビリーンから黒人メイドの実態について聞き、それを「THE HELP」という著書にまとめるためです。
ここから物語中盤頃までは「エイビリーンの回想」という形で物語が進行していきます。

エイビリーンは、白人の家庭で家事や子育てをこなしつつ生計を立てる黒人メイド。
彼女によって育てられた子供は実に17人にも及び、その筋のプロであることは疑いの余地がありませんでした。
当時の彼女はヒリー・ホルブロックエリザベス・リーフルトという女性の家で仕事をしており、出産後に産後鬱を起こして事実上育児放棄をしてしまったヒリーエリザベスの娘の子育てを代わりに行う日々を送っていました。
そんなある日、ヒリーエリザベスは自宅で友人達を招いて開いたパーティで、彼女の友人であるスキーターと再会することになります。
既に結婚して子供がいる他の女性達と異なり、大学へ進学し、ニューヨークの出版社で作家としてデビューする夢を叶えるべく、地元の新聞社に就職して経験を積むべく奔走するスキーター。
新聞社で面接したスキーターは、女性だからという理由で家事コラムの代筆を任され、コラムの穴埋めをするために友人達に協力を依頼。
結果、スキーターはエイビリーンを紹介され、コラム欄を埋めるためのツテを手にすることとなるのでした。

エイビリーンと接触を続けていく中で、スキーターは友人達の黒人メイド達に対する仕打ちに不快感を抱くようになってきます。
特に友人のひとりであるヒリー・ホルブロックは、「黒人メイドが自分の家にあるトイレを使うと病気に罹ってしまう」などという迷信から、黒人メイド専用のトイレを別に作り、あまつさえそれを法案としてミシシッピの州知事?に採用させようと働きかけたりするありさま。
一方、スキーターの実家では、自分を親代わりに育ててくれたコンスタンツェンが何故か大学在学中にいなくなっており、スキーターはそのことについても不信感を覚えるようになります。
それらのことから、やがてスキーターは、黒人メイドの実態をまとめた本を出版することを考えるようになり、エイビリーンに情報提供を依頼します。
当時のアメリカ南部州には「人種分離法(ジム・クロウ法)」と呼ばれる人種差別を正当化する法律があり、スキーターの依頼内容がその法律に抵触しかねないものであったことから、最初はエイビリーンも協力に難色を示します。
しかし、ヒリーの人種差別と潔癖症のない混ざった狂気の反応と、自身が育てた白人の子供達が成長すると結局親と同じになってしまうという苦い経験から、やがてエイビリーンはスキーターに協力するようになるのでした。
さらにエイビリーンの友人&同業者で、ヒリーの自宅内のトイレを使ったためにヒリーからクビにされたミニー・ジャクソンも加わり、「THE HELP」を構成する黒人メイド達の赤裸々な実話が語られていくことになるのですが……。

映画「ヘルプ ~心がつなぐストーリー~」では、登場人物の大部分が女性のみで占められています。
男性も全く登場しないわけではないのですが、出番はほんのわずかであり、しかもほとんど「女性の引き立て役」的な役割しか与えられていません。
その上で今作は、1960年代におけるアメリカの女性差別と黒人差別、そして女性だけの世界ならではの人間模様が大きくクローズアップされています。
女性差別については当時のアメリカのみならず日本でも、いや世界各国全てで似たような光景が繰り広げられていたのでしょうが、黒人差別の実態についてはアメリカならではの「差別伝統」に基づいた偏見と悪意の産物ではありました。
当時のアメリカで公民権運動が盛んだったのも当然の帰結ではあったのでしょうね。
今作で面白いのは、その女性差別・黒人差別を、あくまでも女性の視点のみからスポットを当て、ともすれば暗い雰囲気に陥りがちなテーマを、可能な限り明るくコミカルに描写したところにあります。
この手の話って、これまでの作品で語られたにしても、男性オンリーか男性&女性の視点が半々ずつというのがほとんどでしたし、その点では結構斬新な視点であると言えるのではないでしょうか。

たた、個人的に一番印象に残ったのは女性差別でも黒人差別でもなく、女性同士で繰り広げられる陰湿なやり取りの数々でしたね。
外で嵐が荒れ狂い外に出られない中、自分達が使うのと同じトイレで用を足したという理由から黒人メイドのミニーにクビを宣告した挙句、再就職すらできないように他の白人家庭に手を回すヒリー。
そのヒリーに対し報復すべく、自分の糞便を混ぜ込んだチョコパイをヒリーに食べさせてしまうミニー。
さらに、まんまとウンコ入りチョコパイを食わされてしまった自分を嘲笑ったという理由で、母親ミセス・ウォルターズを老人ホームにぶち込んでしまうヒリー。
女性の報復手段は陰湿極まりないシロモノだという事例をこれでもかとばかりに披露していったこの描写は、女性に対するある種の幻想を木っ端微塵に破壊してくれるだけの要素はありましたね。
ヒリーは他にも、元恋人を取られたなどという個人的な理由で、シーリアという女性を村八分状態にしてしまうというイジメな行為にも及んでいたりしますし。
女性って怖いわ、と改めて感じさせてくれる一幕でした。

しかし、ヒリーやエリザベスはアレだけ黒人をほとんどバイ菌扱いしているにもかかわらず、その黒人メイドに自身の娘の子育てをほとんど一切合財委ねてしまうというのは一体どういう感覚をしているのか、その辺は少々疑問ではありましたね。
普通、ああまで黒人に対する差別意識を持ち、かつおかしな迷信まで信じてしまうような人間であれば、むしろ自分が差別している黒人を子供には近寄せまいとするのではないのでしょうか?
にもかかわらず、ヒリーやエリザベスは自分達の娘がアレだけ黒人メイドに触られたり抱き締めあったりしても何ら反応してすらいませんでしたし。
作中でもヒリーエリザベスは「産後鬱にかかって以降はほとんど子育てを放棄して気難しくなっている」という説明がありましたが、立派なネグレクトをやらかして平然としていた辺り、自分の子供を少しも愛してはいなかったのだろうなぁ、とは考えずにいられませんでしたね。
物語のラストでエイビリーンをクビにした際、娘が別れを嫌がって泣き叫んでいたのでさえも、ヒリーや母親であるはずのヒリーエリザベスは完全に無視していましたし。
黒人差別以上に悪質な犯罪も同然のことを、ヒリーやエリザベスはよりにもよって年端もいかない子供に対して行っているように思えてならなかったのですが。

アクションもサスペンスもSFX的な描写の類も一切ないため、一般受けは結構難しいものがある作品ですね。
アメリカでは安い制作費ながらも口コミで大ヒットを記録したとの話なのですが、さて日本ではどういう結果になるのでしょうか?

※取消線と青字部分は間違いとの指摘を受けましたので修正しております。

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