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カテゴリー「2012年」の検索結果は以下のとおりです。

映画「アンダーワールド 覚醒」感想

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映画「アンダーワールド 覚醒」観に行ってきました。
吸血鬼(ヴァンパイア)と狼男(ライカン)との長きにわたる戦いを描いた、人気アクションホラー作品「アンダーワールド」シリーズの第4弾。
上映時間が88分とかなり短いためか、最初から最後までアクションシーンが目白押しですが、その過程でやたらと流血シーンが続くことからR-15指定されています。

今作のストーリーは、これまでのシリーズ作品の流れをそのまま受け継いだものであり、過去のシリーズ作品を予め観賞していることが前提となっています。
そのため、シリーズ作品について何も知らないまま今作を観賞しても、作品の世界観も登場人物達の相互関係や設定なども、理解するのにかなりの苦労を強いられることになるのではないでしょうか。
これまでのシリーズ作品におけるストーリーの流れとしては、以下のようなものとなっています。

ヴァンパイア VS ライカンの抗争の始まりを描いた
アンダーワールド ビギンズ(シリーズ3作目)

主人公セリーンの活躍によって両陣営の親玉が倒れた
アンダーワールド(シリーズ1作目)

セリーンの逃避行とヴァンパイア&ライカンの誕生秘話が語られる
アンダーワールド エボリューション(シリーズ2作目)

さらにヴァンパイア&ライカンの双方を殲滅せんとする人間が戦いに加わる
アンダーワールド 覚醒(シリーズ4作目にして今作)

そして今作は、人間達による魔女狩りのごときヴァンパイア&ライカンの殲滅作戦に巻き込まれた主人公セリーンが、共に逃げようとして彼女の恋人であるヴァンパイアとライカンの混血種であるマイケルと離れ離れになり、囚われの身となるところから始まることになります。

人間達の追撃から逃れるために、重症を負ったマイケルと共に海に飛び込んだものの、手榴弾?によってマイケルから強引に引き離され意識を失ってしまったセリーン。
そして次に彼女が意識を取り戻す直前、意味ありげな物音と騒ぎ声が聞こえてきます。
セリーンは間低温冷凍化されて「被検体2」としてアンティジェンという会社で実験台にされていたのですが、何者かの手によって覚醒させられることになるのでした。
アンティジェン社側も直ちに異変に気づき、セリーンを制圧しようとするのですが、覚醒したばかりのセリーンによってたちまちのうちに返り討ちにされてしまいます。
そしてセリーンがビルの窓を割って外へと逃走する寸前、「被検体1と合流するだろうから泳がせろ」と社員に指示する人間の声が聞こえてきます。
逃走後、セリーンは最初に襲撃された埠頭へと向かうのですが、そこにいた警備員?の人から、自分とマイケルが人間に襲撃されたあの日から実に12年もの歳月が経過していることが判明します。
セリーンは、脱出の際に聞こえた指示にあった「被検体1」がマイケルのことなのではないかと考え、件の人物を探し出して締め上げ「被検体1」についての情報を引き出そうとしますが、結局分かったのは「被検体1」がアンティジェン社から逃げたという事実だけ。
そんな中、セリーンの視界に突然、自分以外の何者かの視点による幻覚的な光景が映し出されるという現象が発生します。
その幻覚を自分に見せた者がマイケルなのではないかと考えたセリーンは、幻覚で見えていたのと同じ場所へと赴き、幻覚の情報に基づいて地下へと向かいます。
そこでセリーンは、ライカン族とおぼしき人狼から逃走していたヴァンパイアのデビッドと出会います。
そこでさらにセリーンは、先ほどと同じ幻覚現象に再び襲われ、幻覚の主がライカン族に追われている事実を知ることになります。
当然のごとく幻覚の情報に基づき、ライカン族を片っ端から殲滅にかかるセリーン。
そして、あらかたライカン族を片付けたところでセリーンが見つけ出したのは、しかしマイケルではなくひとりの少女なのでした……。

今作でちょっと残念だったのは、「ヴァンパイアとライカンの抗争に人間が加わった」というせっかくのコンセプトが充分に生かしきれていないという点ですね。
確かに序盤はアンティジェン社の人間がセリーンの敵として立ちはだかるのですが、実は物語の後半で、アンティジェン社の主要幹部達が「人間になりすましたライカン族」であることが判明するんですよね。
彼らは「ライカン族は殲滅された」という偽りの報告を政府機関などに対して行い、ライカン族の仲間達を陰から助けていた一方、自分達の弱点である銀を克服し、従来のライカンをはるかに強力にする薬品の研究開発を行っていたのでした。
ところがこの設定があるために、作中の人間達は「三つ巴の争いを繰り広げる三勢力の一翼」ではなく「ライカン族に利用されているだけの主体性なき勢力」でしかなくなってしまっており、結局これまでのシリーズ作品と同じ「ヴァンパイア VS ライカン」という構図が形を変えて繰り返されているだけでしかないんですよね。
映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命(いのち)の泉」におけるイギリス軍・スペイン軍・海賊が繰り広げていたような「三つ巴の争い」を楽しみにしていた私としては、少々期待外れな感が否めなかったところです。
まあ今作は「マイケルの行方」などいくつかの謎を残したまま終わっていますし、続編があることを前提に「今後の戦いのプロローグ」的な位置付けで製作されていることが結末部分を見ると一目瞭然ですから、今後の続編で本当の「三つ巴の争い」が展開されることを期待したいところではあります。
主人公セリーンのアクションシーンはカッコ良く見所もあり、88分の上映作品としては比較的まとまってはいましたけどね。

ハリウッド映画定番のアクションシーンが好きな方には垂涎の作品ではありますが、過去作について知らない方は、予めそちらを先に観賞してから今作に臨むことを強くオススメしておきます。

映画「ヒューゴの不思議な発明(3D版)」感想

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映画「ヒューゴの不思議な発明」観に行ってきました。
ブライアン・ セルズニックの小説「ユゴーの不思議な発明」を原作とする、マーティン・スコセッシ監督の冒険ファンタジー作品。
「ヒューゴ」は「ユゴー」の英語読みで、今作の主人公ヒューゴ・カブレのフランス読みでの正式名はユゴー・キャブレなのだとか。

今作は本来、2012年3月1日に日本で封切られるはずの映画で、当初は映画料金1000円のファーストディ(映画の日)でもあるその日を狙って観賞する予定でした。
ところが今回、以前にたまたま気まぐれで応募していた試写会に当選するという幸運に恵まれ、予定よりも早い観賞となったのです。
正直、過去にTV局が主催していた試写会に何度か応募した際には全く音沙汰がなかったこともあり、今回まさか当選するとは思ってもいなかっただけに、全く望外の幸運でした(^^)。
今回は3D日本語吹替版での観賞となりましたが、試写会当選ということで3D料金も当然無料化されており、お得感はさらにひとしお(^^)。
しかも今作の3D版は、昨今の3D映画としては非常に珍しいことに、物語全般を通して立体感のある映像が展開されており、3D料金そのものの問題を除外すれば、ひとまず観ても損はしない程度の出来には仕上がっております。
3D映像の撮影では、2009年公開映画「アバター」と同じ3D-フュージョン・カメラ・システムを採用しているとのことで、それだけに3D映像的には、その「アバター」以来のヒットとすら言えるものなのではないかと。
……まあこんな評価をしなければならないこと自体、「詐欺同然のボッタクリ商売」とすら評しても言い過ぎではない昨今の3D映画の惨状を物語ってはいるのですけどね(-_-;;)。

物語の舞台は、1930年代のフランス。
首都パリのリヨン駅にある時計台でただひとり隠れて暮らしている主人公ヒューゴ・カブレは、駅の各所にある時計のネジを巻きながら、駅で売られている商品を盗むことで生活を成り立たせている少年。
ある日、ヒューゴは駅内にあるおもちゃ屋で、ネジを巻くと走行するネズミ型のオモチャに目をつけます。
店番の老人が眠っているのを確認し、隙を見計らってネズミ型オモチャを奪取……できるはずだったのですが、老人は眠っているフリをしていただけで、ネズミ型オモチャに手を伸ばしたヒューゴの腕をあっさり掴んでしまいます。
盗みの現行犯を捕らえた老人は、ここぞとばかりに他に余罪がないかを確認すべく、ヒューゴの所持品検査を始めます。
「鉄道公安官を呼ぶぞ」と脅しつつ、ヒューゴのポケットから次々に所持品を出させて確認していく老人でしたが、ヒューゴが所持していた手帳の中身を確認したところで顔色が変わります。
ヒューゴはヒューゴで、他の物品には大した関心も持たなかったのに、その手帳だけは執拗に「返してくれ」と老人に迫ります。
ところが老人は、「この手帳はもう私の物だから私がどうしようと勝手だ、家に帰って燃やす」とヒューゴを追い払い、そのまま自宅への帰途についてしまいます。
手帳を諦められないヒューゴは老人を自宅まで追跡し、老人の同行を監視するのですが、そこでヒューゴは老人の関係者とおぼしきひとりの少女と出会います。
老人のことを「パパ・ジョルジュ」と呼ぶその少女は、手帳に執着するヒューゴを見て「パパ・ジョルジュと正面から粘り強く交渉すれば手帳は返してくれるはず」と忠告し、その場は「手帳は燃やされないように私が見張っておくから」とヒューゴを退散させるのでした。

ヒューゴがパパ・ジョルジュに奪われた手帳に固執するのには理由がありました。
件の手帳は、かつて時計店を営んでいたヒューゴの亡き父親が、とある博物館から手に入れた機械人形と共にヒューゴに残した形見だったのです。
ヒューゴの父親は、仕事をしていた博物館で火事に巻き込まれ帰らぬ人となり、その後ヒューゴは、親戚に当たるクロードおじさんに、自分に代わってリヨン駅の時計を管理するよう命じられ、現在に至るのでした。
そのクロードおじさんも今では行方知れずとなり、今や身よりもなく天涯孤独の身となってしまったヒューゴ。
そんなヒューゴにとって、父親が残してくれた機械人形と手帳は、父親の形見であると同時に心の拠りどころでもあるのでした。
手帳には、ヒューゴの父親が残した機械人形のことについて記されており、それがなくては機械人形の修理や起動に支障をきたしてしまうのです。
とはいっても起動については、手帳とは別にハート型の鍵が必要であることが既に判明していたりするのですが。
ともあれ翌日、ヒューゴは再びパパ・ジョルジュの店に姿を現し、手帳を返すよう再度頼み込むことになります。
ところがそれに対してパパ・ジョルジュがヒューゴに提示したのは、ハンカチに包まれた一握りの灰でした。
手帳が燃やされたと考えたヒューゴは、絶望のあまりその場から走り出してしまいます。
しかし、曲がり角を曲がろうとしたところでヒューゴは、昨日出会った少女と再び遭遇することになります。
少女は手帳が燃やされていないことをヒューゴに告げると、彼を図書館へと連れて行きます。
以後、ヒューゴはパパ・ジョルジュの養女でイザベルと名乗るその少女と共に、機械人形の謎と、手帳の奪取に奔走することとなるのですが……。

映画「ヒューゴの不思議な発明」は、内容的には「大人よりも子供向けに製作された作品」というイメージが強いですね。
主人公が10代前半の少年少女ということもさることながら、ストーリー的にも残虐描写などが一切なく、常に子供視点で描かれ、かつ童話的な雰囲気に溢れた世界観が披露されていましたし。
作品そのものの方向性としては、去年観賞した映画「SUPER 8/スーパーエイト」をさらに低年齢向けにした感じ、といったところでしょうか。
もっとも、作中の設定や謎には特にSF的・オカルト的な要素が存在するわけではなく、作中で展開されるアクション的かつ派手な描写も、鉄道公安官とヒューゴの追いかけっこと、就寝しているヒューゴの脳裏で展開されている悪夢くらいなものなのですが。
親子連れなどで観賞するには最適の作品と言えるかもしれませんが、正直「大人だけで観に行く」という主旨にはあまり向いていない映画なのではないかと。

物語の序盤でヒューゴから手帳を奪い対立した「パパ・ジョルジュ」と呼ばれている老人には実は別に本名があったりします。
ヒューゴの父親が残した機械人形とイザベルの証言から分かるのですが、老人の本名はジョルジュ・メリエス。
実はこのジョルジュ・メリエスというのは架空の存在ではなく、かつて本当に実在していた人物で、映画の創世記に「世界最初の職業映画監督」として活躍した人物だったりするんですよね。
機械人形が作中で描いていた「月の右目に弾丸が直撃している絵」も、ジョルジュ・メリエスが製作した映画の代表作「月世界旅行」の有名な描写だったりしますし。
作中では、これらの事実からジョルジュ・メリエスの「挫折した過去の記憶」が披露され、そこから立ち直る過程が描かれることになります。
ただ、今作が予告編などで紹介されていた際、「世界を修理する」といった類の宣伝文句を何度も聞かされていたこともあって、「その謎の真相がこれなの?」と少々肩透かしを食らった気分にはさせられました。
あの宣伝内容を聞く限りでは、件の機械人形には文字通りの世界の趨勢に何らかの影響を与えるかのような巨大な秘密が隠されており、最終的にはとてつもなくスケールの大きな物語にまで発展していくのではないか、と期待させるものがありましたからねぇ(-_-;;)。
確かに、ジョルジュ・メリエスやヒューゴ、および彼ら2人の周囲の人間にとっては極めて重要な「世界」であり、かつ自分達の心の傷を「修復」していくものではあったのでしょうが、同時に映画を観賞している観客的には「だから何?」としか言いようのない「世界」でもあったりしてしまうわけで。
過去のショックや心の傷から立ち直っていく、という主旨ならば、この間観賞した映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」の方が、演出も構成もはるかに上手く共感もしやすかったですし。
正直、映画の宣伝があまりにも明後日の方向を向いた誇大広告に過ぎたのではないかとすら、ついつい考えざるをえなかったところです。

冒頭でも述べたように、3D映像は近来稀に見る秀逸な出来ですし、ストーリーも余計な先入観を抜きにして観賞するならば普通に見れるものではあるでしょう。
ただ、「映像が綺麗で良く出来ている」ことと「映画が面白い」というのは本質的に全く別のカテゴリーに属する話なのだなぁ、とは、この映画を観るとつくづく痛感せざるをえなかったところですね(T_T)。

映画「TIME/タイム」感想&疑問

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映画「TIME/タイム」観に行ってきました。
全ての人間の成長が25歳でストップし、時間が通貨として運用されている近未来の世界を舞台にしたアクション・サスペンス作品。

体内時間を通貨として運用することを可能にした「ボディ・クロック」という技術の確立により、人類社会全体が老化現象を克服することに成功した近未来。
「ボディ・クロック」は全ての人間の左腕に設置されており、自分の余命となる体内時間を常に確認することができると共に、それを通貨として他人に支払ったり、分け与えたり、奪ったりすることも可能となっています。
しかし、体内時計を通貨として運用するようになった結果、時間を持つ者と持たざる者とで経済的(?)な格差が増大することになりました。
裕福な者は数百年単位もの時間を所持し、事実上の永遠の若さと不死の状態を維持し続けられるのに対し、貧しい者の余命は平均23時間程度しか保証されず、たった数時間~1日程度の時間を得るために毎日働き続けなければなりません。
そして、時間の所持による格差は一種の身分制度的なものまで生み出し、時間を大量に所持する富裕層は「ニュー・グリニッジ(富裕ゾーン)」と呼ばれる居住区域で、貧しい者は「スラムゾーン」と言われる地区で生活するようになり、両者の間には複数の「タイムゾーン」という境界線が構築されるにまで至りました。
「タイムゾーン」を跨いだ「ニュー・グリニッジ」と「スラムゾーン」間の移動自体は禁じられていないのですが、タイムゾーンのいわゆる「通行税」は片道だけで実に1年以上という高額なものであり、その日暮らしだけで手一杯な「スラムゾーン」の人間が「ニュー・グリニッジ」へと移動するのは事実上不可能となっています。
そして今作の主人公であるウィル・サラスは、母親のレイチェル・サラスと共にその日暮らしの生活を細々と営む「スラムゾーン」の人間でした。

物語は、主人公ウィル・サラスと母親レイチェル・サラスの日常的な朝の風景から始まります。
ウィルとレイチェルは親子関係にあるのですから当然年の差は歴然たるものがあるはずなのですが、この世界の人類は全て25歳で老化が止まることから、レイチェルは実年齢に反して息子ウィルと同年齢かと見紛うかのごとき若々しさを保っています。
彼女は「ボディ・クロック」に刻一刻と刻まれ続けているウィルの体内時間を確認し、息子にランチを取らせるために自分の体内時間から30分をウィルに与えるのでした。
その後、日雇い作業員的な仕事をやっているらしいウィルが、1日の仕事を終えて日給を「通貨となる時間で」貰う場面が出てきます。
ここ最近、ウィルが在住している「スラムゾーン」では、コーヒー1杯の価格が3分から4分に値上がりするなどといった物価の上昇が発生していました。
それに伴い、ウィルが勤めていた会社も、1日当たりの作業ノルマレベルを引き上げてしまいます。
結果、それまでの1日のノルマをきちんとこなしていたにもかかわらず、満足のいかない時間しか貰うことができず不満タラタラなウィル。

それでも仕事の終わりに一杯と、ウィルは友人であるボレルと共に酒場へ立ち寄るのですが、そこで「スラムゾーン」に全く似つかわしくないひとりの男が、周囲の女性を口説いている姿を目撃することになります。
その男の「ボディ・クロック」には、何と116年以上もの時間が刻まれており、彼が「スラムゾーン」の人間でないことは誰の目にも明らかでした。
「スラムゾーン」では、たった数日~1週間程度の時間をめぐって強盗や殺し合いが発生したりすることも珍しくありません。
「ニュー・グリニッジ」からやって来たと思しきその富裕の男の身を案じたウィルは、彼に対して一刻も早く酒場から出て行くよう忠告します。
しかしその忠告の最中、富豪の噂を聞きつけた「スラムゾーン」のギャング一団を束ねるフォーティスが、富裕の男を確保するため、仲間を引き連れて酒場へと乗り込んできたのでした。
ウィルは「関わるな」というボレルの制止も振り切って富裕の男を助けにかかり、ギャング達の油断を突いて彼を逃がそうとします。
そのことに気づいたギャング達の追跡を何とか振り切り、とある廃工場の中に隠れたウィルと富裕の男。
一息ついたところで、富裕の男は自分のことについて話し始めます。
彼はヘンリー・ハミルトンという実年齢106歳の人間で、長寿を得たはずの自分の人生に絶望してしまい、半ば自殺願望的に「スラムゾーン」へやって来たということでした。
そしてウィルに対し、「100年の寿命があったら何をする?」と尋ねてきます。
それに対しウィルは「自分は決して時間を無駄にしない」と返答。
その後2人はそのまま眠ってしまうのですが、その後ウィルよりも一足早く起きたハミルトンは、ウィルに対して何か感じるものがあったのか、自分の「ボディ・クロック」に刻まれていた時間を5分だけ残し、残り全てをウィルに分け与えてしまいます。
しばらくして起きたウィルは、自身の「ボディ・クロック」に突然116年以上もの時間があることに気づいて当然のごとく驚愕。
そして窓には、まるで遺言であるかのように「俺の時間を無駄にするな」という文字が。
ハミルトンが橋に座っているのを発見したウィルはただちにハミルトンの元へと向かうのですが、時既に遅く、ハミルトンはタイムアウトで死に、そのまま橋から川へと落下してしまいます。
あとには、寿命116年以上という時間を手にしたウィルだけが残されたのでした。

思いがけず破格な時間を得たウィルは、その時間を利用して、母親レイチェルを連れて「ニュー・グリニッジ」へと向かうことを決意。
116年以上もの時間があればタイムゾーンを越えることも容易ですし、何よりこのまま「スラムゾーン」にいれば、死んだハミルトンのごとく自身の時間どころか生命まで狙われるのは必至です。
その決意を友人のボレルにのみ告げ、彼に10年の時間を分け与えた後、彼は母親がいつも仕事のために乗降しているバスの停留所で母親を待つことになります。
ところがその母親は、家のローンを支払っていざバスに乗ろうとしたところ、それまで1時間だったバスの乗車料金が2時間に跳ね上がったという事実に直面することになります。
彼女の「ボディ・クロック」に残された時間はわずか1時間30分程度しかなく、しかも仕事場から家までは歩いて2時間以上もかかる距離にあるのです。
全く思いもよらぬ形で突然死の危機に直面する羽目になった母親は、必死になって家へと向かって走り始めます。
そして一方、バス停で母親を待っていたウィルも、母親が乗車しているはずのバスに母親が乗っていないことに気づき、母親の仕事場へと一目散に走り始めます。
そして2人は互いの姿を確認することになり、互いの元へと更に全力で走り寄るのですが、僅か1秒の差で母親はタイムアウトを迎えてしまい、そのまま帰らぬ人となってしまうのでした。
母親の理不尽な死に怒りを覚えずにいられなかったウィルは、母親を殺した時間システムそのものを作った富裕層に復讐すべく、単身で「ニュー・グリニッジ」へと向かうのですが……。

映画「TIME/タイム」は、全人類の不老が常態化し、かつ時間を通貨とする斬新な設定を導入しているのですが、他ならぬ映画の製作者達自身がこの斬新な設定に不慣れなためなのか、作品設定および作中描写の各所でツッコミどころが頻発していますね。
たとえば作中では、コーヒー1杯が3分から4分に、バスの運賃が1時間から2時間に、それぞれ上昇しているという描写があります。
実はこういった作中で明示されている物価から、日本円に換算した作中世界の物価基準というのものが推測可能だったりするんですよね。
コーヒー1杯の値段を基準にして考えると、現代日本のドトールコーヒーやスターバックスで売られている一番安いコーヒーがだいたい200~300円で、マクドナルドのコーヒーになると100円で購入できたりもしますよね。
これから考えると、作中世界における時間1分は、日本円に換算するとだいたい25円~100円の間、といったところになります。
これをバスの運賃に適用すると、料金1時間の場合は1500~6000円、2時間の場合は3000~1万2000円の間となるのです。
コーヒー1杯とバスの運賃でこれほどまでの価格差が発生する、などということが果たしてありえるのでしょうか?
しかも、作中で提示されたバスの運賃はあくまでも「片道」だけのものでしかない上、母親がいつも乗降しているバス停の区間は人間の足で2時間程度の距離であることが明示されていることから、せいぜい8~10km程度しか離れていないことが分かります。
高速バスでもない普通一般のバス利用でこの料金設定って、あまりにもボッタクリ過ぎなのではないかと。
ちなみに、他に作中や公式サイトなどで明らかになっている「スラムゾーン」における料金設定としては、1ヶ月の家賃が36時間(5万4000~21万6000円)、1ヶ月の電気代が8時間(1万2000~4万8000円)、公衆電話の利用料が1分(25~100円)となっています。
作中では「物価が上がり続けている」という設定が幅を利かせていますから、その影響で全体的に費用や物価が割高になっている部分もあるのでしょうが、それを考慮してさえもバスの運賃はあまりにも突出し過ぎています。
第一、こんなにバスの利用料金が高いと、そもそも「バスを利用して移動時間を短縮する」という意味自体がなくなってしまいますし、「時間が通貨の代わりになる」という作品世界のルールを考えれば、それはなおのこと大きな問題とならざるをえないでしょう。
市内の移動レベル程度であれば、バスよりも自転車を使った方が却って時間(兼カネ)もかからない、ということにもなりかねないのですから。
母親を殺すだけのために作り出したバランスを欠いた料金設定、としか評しようがないですね、これは。

また、ハミルトンから116年以上の時間を貰ったウィルは、そのことで時間監視局(タイムキーパー)にハミルトン殺害容疑をかけられ逮捕されてしまいます。
これに対しウィルは、時間監視局員であるレオンに対し「これはハミルトンから貰ったもので、彼は自殺したがっていた」と事実に基づいた釈明をしているのですが、レオンは「そんなことあるわけないだろ」と全く信じることなく、彼から時間を奪い部下に連行するよう命じていました。
これから分かるのは、「ボディ・クロック」のタイムアウトで死んだ人間の「本当の死因」を調べる術が作中の世界では全く確立されていない、という事実です。
つまり、タイムアウトで死んだ人間は、自身の持ち時間がなくなり自然に死んだケースと、他人から時間を奪われ殺されたケースの2種類が考えられるのに、そのどちらであるのかを第三者が正確に判断するための方法がない、ということです。
これは非常に恐ろしいことで、たとえば「スラムゾーン」では、タイムアウトになって路上で死んでいる人間の描写がしばしば映し出されているのですが、作中における「スラムゾーン」の人達のそういった死は全て「自然死」扱いされていました。
しかしひょっとすると、実は彼らは自然に亡くなったのではなく「誰かに時間を奪われて殺されその辺に転がされていた」可能性だってありえるわけです。
作中でも、ギャングがひとりの人間の時間を全て奪って殺してしまった描写が展開されていましたし。
他人の時間を奪って人を殺したとしても、それが殺人事件として扱われることがない。
これでは「時間強盗&殺人やり放題」の世界が現出することにもなりかねません。
凶器を全く使うことなく殺人が可能、というだけでも一般人にとっては脅威そのものなのですし、犯罪捜査も難航を極めるのは必至というものです。
特に「スラムゾーン」なんて【平均余命23時間】が当たり前の世界な上、ギャングが大手を振ってのさばっているところや時間監視局員に対する住民の態度を見ても、一般的な警察機構すら満足に機能していないことが一目瞭然なのですから。
そして一方、116年以上もの時間を所持していたハミルトンは、真相は自殺だったにもかかわらず「殺害された」と一方的に決め付けられ、ウィルは不当逮捕される羽目になったわけです。
治安維持という観点から言えば、「ボディ・クロック」のシステムには【完全犯罪を誰でも可能にしてしまう】という致命的な欠陥があり、またタイムアウト問題に対する調査能力が皆無に等しく勝手な判断で捜査を行っている時間監視局は、役立たずどころか有害な存在ですらあると言っても過言ではありません。
この辺りの問題を改善しないと、いつタイムアウトを利用されて完全犯罪的に殺されるやら知れたものではない「ボディ・クロック」なんて、権力者や富裕層ですらも危なっかしくてとても使用できたものではないと思うのですが。

あと、「スラムゾーン」の人間と似たり寄ったりな水準の時間割り当てを、時間監視局の構成員にまで同じように適用するのは正直どうかと思わずにはいられませんでした。
一応作中では「時間を奪おうとする人間を失望させるため」と説明されていましたが、時間に余裕がない構成員達は、当然のごとく常に時間に追い立てられるような現場捜査や犯人追跡などといった苛酷な仕事を強要されることにもなりかねないのですが。
ただでさえ有害無益な上に「スラムゾーン」の住民から反感を買われている時間監視局の構成員達を、さらに崖っぷちに追いやるような待遇にして一体どうしようというのでしょうか?
いつどこでどんな事件やアクシデントに遭遇するかも分からない彼らには、むしろ常に余分に時間を持たせるようにしておかないと、作中のレオンのように「犯人を追い詰めている最中にタイムアウトで死亡」などという自爆的な結末を迎えてしまうことにもなりかねないでしょうに。
まあ同じことは主人公ウィルにも言えることで、銀行を何度も襲って時間を奪い義賊的に時間を民衆にバラ撒くのは良いとして、何故自分(とヒロインのシルビア)の残り時間にもう少し余裕を持たせないのか、とツッコミを入れずにいられなかったところです。
どんな不測の事態が起こるのか分からないのですし、「自分は1日しか時間を残しておかないんだ」などという変なプライドを固持していないで3日~1週間程度の時間を常に自分達の手元に残しておくだけでも、あれだけ切羽詰まった局面は回避できたというのに。

作品的にはアクションやSF的な描写を売りにしているのでしょうし、純粋にアクション映画として観るのであれば観客的にはそれなりに楽しめるのではないかと。
ただ、公式サイトを見た限りでは「斬新な設定」を売りにし「時間の価値」を観客に問いかけたいなどと語っているらしい映画制作者達としては、上記のような設定問題についてどう考えているのかなぁ、と。

映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」感想

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映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」観に行ってきました。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件で亡くなった父親が残した鍵の謎を追い、ニューヨーク中を駆け巡る息子オスカーと彼に関わる人々を描いた感動の物語。
原作は、2005年にアメリカ人作家ジョナサン・サフラン・フォアが出した小説「Extremely Loud and Incredibly Close(この日本語訳が今作のタイトル)」とのこと。

2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件。
物語は、同事件のワールド・トレード・センター(WTC)への飛行機特攻テロに巻き込まれ犠牲となった、今作の主人公オスカー・シェルの父親で宝石商だったトーマス・シェルの葬儀の場面から始まります。
WTCの倒壊により遺体の回収すらもできなかったトーマスの葬儀は、当然のことながら空の棺で行われることになったのですが、父親を尊敬し親子関係として以上に慕っていたオスカーは、そのような葬儀を行った母親リンダ・シェルに対し「そんなことをして何の意味があるんだ!」と怒りをぶつけまくります。
トーマスはオスカーの繊細で人見知りな性格を是正させることをひとつの目的に、「調査探検」と呼ばれるゲームを行わせていました。
それは、ニューヨークにかつて存在したという第6区がどこにあるのか探すというもの。
オスカーがこのゲームを遂行するためには、街の見知らぬ人達に聞き込みなどを行わなければならず、父親はそれで人見知りの性格が是正できると考えたわけです。
しかし、その「調査探検」の最中、父親は仕事の取引でたまたま居合わせていたWTCで同時多発テロ事件に巻き込まれ、帰らぬ人となってしまいます。
事件から月日が経ってもなお、父親の死を素直に受け入れられないオスカーは、ある日、テロ事件以来入ることが出来なかった父親の部屋へ入り、父親との思い出の品がないか探し始めます。
そしてクローゼットを調べていた際、クローゼットの上に置かれていた青い花瓶を落として割ってしまいます。
ところが、粉々に割れてしまった青い花瓶の中から古い封筒が出てきたのです。
封筒の中にはひとつの鍵が入っており、これは「調査探検」における父親からの何かのメッセージなのではないかとオスカーは考えます。
鍵屋で件の鍵について調べてもらったところ、鍵は貸金庫などで使われていた、20~30年近くも前のものであることが判明。
鍵の調査結果を知り、店から去ろうとするオスカーでしたが、店主はオスカーを呼び止め、封筒の左上に「black」の5文字があることを指摘します。
改めて店主に礼を述べ、今度こそ自宅へと帰ったオスカーは、「black」が人名であろうと考え、ニューヨーク市中のブラック姓の人をしらみ潰しに探し出すことを決意します。
ニューヨーク市内でブラック姓を持つ人は、総計実に472人。
オスカーはその全員と会い、父親と鍵のことについて尋ね回る計画を考え、実行に移すこととなるのですが……。

アメリカの同時多発テロ事件を扱った映画作品としては、2004年公開映画「華氏911」、2006年公開映画「ユナイテッド93」「ワールド・トレード・センター」などが挙げられます。
「華氏911」は事件における当時のブッシュ政権に対する批判的な内容で、「ユナイテッド93」はハイジャックされたユナイテッド航空93便を、「ワールド・トレード・センター」はWTCの現場における救助隊の視点で、それぞれ構成されている作品です。
この中で私が観賞した映画は「ワールド・トレード・センター」ですね。
物語序盤でWTC崩落に巻き込まれ、瓦礫の中に閉じ込められた主人公含めた救助隊員達が、一部は生命を落としつつも、終盤に助けられるまで互いに励ましあいながら苦難を乗り切るという話でしたが、ドラマ性よりもむしろそのあまりにも地味な構成で逆に印象に残った作品でした。
そして、同じ事件を扱った作品としてこれらの映画と肩を並べることになる今作「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」は、テロ事件で犠牲となった被害者の家族にスポットを当てているわけです。
過去の3作品が全て実話を元に製作されたノンフィクションであるのに対し、今作は実在の事件をベースにしつつも、物語そのものはあくまでもフィクション上のエピソードで構成されています。
実話を元にしているが故に実話に束縛されざるをえなかった過去作ではなかなか取り入れられなかった「フィクションならではの人間ドラマ性」を積極的に活用しているという点では、今作がダントツのトップではあるでしょうね。

映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」では、実の親として以上の尊敬の念を父親トーマスに対して抱いていた息子オスカーが、父親の残滓を追い、記憶に残すために奔走する様が描かれています。
オスカーがそのような方向へと突き進む理由としては、父親が自分に残してくれた謎なりメッセージなりを見たいという好奇心も当然あったでしょうが、それ以上に「好きだった父親のことを忘れてしまうことに対する恐怖心」があることが、オスカー自身のモノローグで語られています。
しかし物語が進んでくると、オスカー曰く「最悪の日」こと同時多発テロ勃発の日におけるオスカー自身の行動が「父親に対する原罪的な負い目」になっており、それが彼を「調査探検」にのめりこませていることが分かってきます。
あの日、オスカーの自宅には、WTCの106階にいたらしい父親から総計6回の電話がかかっており、自宅には誰もおらず5回までは自動的に留守電となってしまいます。
しかし最後の午前10時27分着信となる6回目は、テロ事件の影響で授業が全て中止となり学校から早退させられ帰宅していたオスカーが電話を取ることが充分に可能だったにもかかわらず、彼は恐怖心のためか、その電話を取ることができませんでした。
結果、父親は再び留守電に切り替わった電話に最後のメッセージを入れ、その直後にWTCが崩壊してしまったんですね。
つまり、オスカーは父親の最期の瞬間に電話越しで立ち会っていながら、父親と最期の会話を交わすチャンスを自分から永遠に捨て去ってしまったわけです。
これがただでさえ繊細な上に父親のことを誰よりも慕っていたであろう少年にとって、相当なまでの精神的ショックとなったであろうことは想像に難くありません。
オスカーが「調査探検」に必死になっていたのは、父親に対する彼なりの贖罪意識と後悔も多大にあったのではないかと。

そして一方、空の棺で父親の葬儀を行った母親リンダに対しては少なからぬ反感と隔意を抱いており、特に物語序盤では母親に当り散らしたり、母親を邪険にする態度がとにかく前面に出ていたりします。
リンダも母親として息子のことを案じてはいるのですが、オスカーはそのような母親の言動に不快感を覚え衝突するばかりで、挙句の果てには本人の目の前で「ママがあのビルの中にいれば良かったのに!」とまで言い放つ始末。
この辺りの描写は、息子がそう言いたくなった心情および言った後に後悔する心理も、そう言われた母親のショックも、どちらも目に見えて分かるようになっているだけに、どうにもやるせないものがありましたね。
しかも「間借り人」と呼ばれる謎の老人が登場して以降になると、ただでさえ無気力感に満ちている母親はますます影が薄い存在となってしまいますし。
しかし、序盤から中盤におけるこの手の母子のギスギスしたやり取りや演出は、実はラストに向けての大いなる伏線でもあったりします。
このラストにおける一種の大どんでん返しは、ただそれだけでこの作品を傑作たらしめると言っても過言ではないくらいの威力を誇っています。
現実にも充分に起こりえることで、それでいて間違いなく子供が親の愛情を感じ取ることが出来るエピソード。
これこそが、この作品が観客に声を大にして訴えたかったことなのであろう、とすらついつい考えてしまったものでした。

今作はテーマがテーマということもあり、アクション映画のような派手さや爽快感などは皆無ですが、人間ドラマとしては充分に見応えのある作品です。
主要登場人物全てに何らかの感情移入をすることが可能な構成にもなっていますし、特にラストの演出は多くの人が感動するであろう秀逸な出来に仕上がっています。
老若男女を問わず、多くの人に是非観てもらいたい映画ですね。

映画「ドラゴン・タトゥーの女」感想

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映画「ドラゴン・タトゥーの女」観に行ってきました。
スウェーデンの作家スティーグ・ラーソンによるベストセラー小説「ミレニアム」三部作のうち、同名タイトルの第一部を実写映画化したハリウッド版リメイク作品。
この映画、SM強姦やレイプにフェラチオ、アナルセックスなど、15禁どころか18禁指定すらされてもおかしくないレベルのセックス描写がしばしば登場する上、ネコの惨殺体などというグロ映像まで飛び出してくる念の入れようで、当然のことながらR-15に指定されています。
すくなくとも一般向けに公開されているはずの映画で、間接的に性行為を匂わせる濡れ場シーンならともかく、モザイクまでかけられるレベルの露骨なセックス描写なんて、私は今までお目にかかったことがなかったのですけどね。
もちろん、それらは作中のストーリーを構成する重要なパーツではあるのでしょうが、それにしても大胆な描写をしているなぁ、と(^_^;;)。
ちなみに私は、原作は全て未読で、またスウェーデンで先に実写化されたという映画も未視聴の状態で今作に臨んでいます (^^;;)。

物語は、謎の老人の元に、年1回必ず送られてくるという謎の郵送物?に対し、呪詛に満ちた呟きをこぼすところから始まります。
そこから物語は一旦中断し、今時の映画では珍しいオープニングテーマに入るのですが、予告編でも流れていたものでありながら、改めて聴いてもこの音楽はなかなか良いものでしたね。
オープニングテーマが終了した後、物語のスポットは、今作の主人公のひとりであるミカエル・ブルムクヴィストに当てられます。
彼は、月刊誌「ミレニアム」の敏腕ジャーナリスト兼発行責任者兼共同経営者で、スウェーデンの大物実業家のハンス=エリック・ヴェンネルストレムの不正を暴露する記事を書いたものの、そのことで逆に名誉毀損で訴えられた挙句、裁判で有罪判決を受けてしまい、それまでの貯蓄全てを失うレベルの賠償金の支払いまで課せられるという事態に陥っていました。
彼の敗訴と、不正を書かれたヴェンネルストレムによる報復的な圧力によって、月刊誌「
ミレニアム」は大きな危機に直面していました。
敗訴のショックもあり、また「ミレニアム」に負担をかけないようにする配慮も手伝って、雑誌の編集長であるエリカ・ベルジェに一線を引くことを告げるミカエル。
ここで2人は妙に親しげかつ肉体的な接触も含めたスキンシップ行為を行い、この2人がただならぬ関係にあることが観客に明示されます。
そんな彼の元に、冒頭に登場した老人、大財閥ヴァンゲル・グループの前会長ヘンリック・ヴァンゲルと、ヘンリックの顧問弁護士であるディルク・フルーデから、スウェーデンのヘーデスタまで来て欲しいとの連絡を受けます。
不審に思いながらもヘーデスタへとやって来たミカエルは、そこで表向きはヘンリックの評伝を書くという名分で、40年前に起こった親族のハリエット・ヴァンデルの失踪事件について調査して欲しいと依頼されることになります。
初めは嫌な顔をするミカエルですが、ヘンリックはミカエルに対し「ミレニアム」にいた当時の給与の2倍の金を毎月支給する、成功すれば4倍出すという金銭的な優遇条件を提示し、さらにミカエルを失墜させる元凶となったヴェンネルストレムの不正の証拠をも提供すると持ちかけます。
ここまで言われてはミカエルもさすがに承諾せざるを得ず、かくしてミカエルの事件捜査が始まるのでした。

一方、ヘンリックはミカエルに失踪事件の洗い直しを依頼するのに先立ち、ミカエルの身辺調査をミルトン・セキュリティーに依頼していました。
それに応じてミカエルの身辺調査を実地で行い、彼の秘密の何から何まで把握し尽した人物が、今作のもうひとりの主人公であるリスベット・サランデル。
彼女は、鼻と眉にピアスを付け、左の肩から腰にかけてドラゴンのタトゥーを彫りこんでいる非常に変わった女性で、過去の経歴が理由で責任能力が認められない精神的不適応という診断を受けた挙句に後見者をつけられていたりします。
ある日、彼女が自身につけられた後見人であるホルゲル・パルムグレンの元へ帰ってみると、彼が自宅の部屋で倒れているのを発見。
彼はすぐさま病院に収容されるのですが、脳出血で半ば廃人同然の状態となってしまい、リスベットの後見人から外されてしまいます。
そして、新しくリスベットの後見人となったニルス・エリック・ビュルマンは、リスベットを精神異常者だと決めつけ、自身の権限にものを言わせて彼女の財産を全て自分で管理すると宣言します。
これに反発するリスベットでしたが、後見人であるビュルマンに逆らうことはできません。
そしてビュルマンは、その地位とカネを餌にしてリスベットに性的な要求まで行うようになるのですが……。

映画「ドラゴン・タトゥーの女」は、ストーリーのジャンル的には一応推理系ミステリーに属するはずなのですが、原作はともかく、すくなくとも今回の実写映画版ではその部分があまりにも描かれていない感じがありますね。
物語の中核を構成しているハリエットの失踪事件には当然容疑者がおり、重要人物であるはずの彼らは序盤で一通り紹介されてはいくのですが、しかし彼らは物語全体を通じて、真犯人を除きほとんど主人公2人と接点がないんですよね。
名前だけ紹介されたものの、初登場するのがようやく物語中盤頃、という人物までいましたし。
40年前の事件を扱っていることもあり、また既に故人となっている人物もいることから、事件当時の資料漁りがメインになっているという事情もあるにせよ、ロクに描写がないために容疑者の名前をマトモに覚えることすら困難を極めるありさまでした。
物語後半で判明した真犯人ですら、正体が分かるまでほとんど印象に残っていなかったくらいでしたし。
しかも序盤から中盤にかけては、どちらかと言えば主人公2人の軌跡を追っていくストーリーがメインで展開されていた上、2人が邂逅を果たすまでかなりの時間がかかることもあって、さらに容疑者達の存在はストーリーの流れから置き去りにされてしまっています。
真犯人が判明する後半になるとさすがに事件の全体像はおぼろげながらも見えてくるのですが、あまりにも真犯人以外の容疑者達の存在感も印象もなさ過ぎるというか……。
何と言うか、原作小説を予め読んでいるのが最初から前提の上でストーリーが展開されているようにすら見えますね、この映画って。
同じ原作未読のミステリーでも、映画「白夜行」「麒麟の翼」などは、事件関係者達の存在感も相互関係も素直に理解できたものなのですけどねぇ……(-_-;;)。

一方で、主人公2人を取り巻く人間関係については、メインと言って良いくらい濃密に描かれていることもあって、かなり分かりやすい上にインパクトも多々ありますね。
中でも凶悪なまでに印象に残ったのは、リスベットに最初にカネを請求してきた際にはフェラチオを要求し、2度目はベットに縛り付けてアナルセックスまでやってのけ、当然のごとく逆襲されて惨めな敗残者にまで落ちぶれ果てたビュルマンですね。
彼は自業自得とはいえ、リスベットに強姦現場の動画をネタに脅迫された上、「私は強姦魔の豚野郎です」という刺青まで彫られてしまいましたし。
リスベットのみならず、映倫にまで挑戦状を叩きつけるかのごとき彼の「勇猛果敢な行為」は、ただそれだけで歴史に名を残せるものがあります(苦笑)。
まあリスベットの方も、ミカエル相手に騎乗位セックスを作中2度にわたって繰り広げ、しかもその内1回はモザイク付という、なかなかどうしてビュルマンと互角以上に渡り合えるだけの「戦歴」の持ち主ではあるのですが(爆)。
というかリスベットにヤられたミカエルも、エリカという別の女性と既に関係が深いのに、強引に押し倒された1回目以降も何故リスベットと肉体関係を持ち続けているのか、正直理解に苦しむところではあるのですが。
そのミカエルとエリカの関係も、世間一般では「不倫」と呼ばれる行為に該当する(エリカは既婚者で夫が生存している)わけで、この作品の登場人物は揃いも揃って、良くも悪くも倫理観という言葉とは全く無縁ですね。
今作は三部作の第一部とのことですから、当然人気と予算が許す範囲において第二部以降の続編も製作されることになるのでしょうが、この倫理観の崩壊っぷりもより強烈に反映され続けることになるのでしょうかねぇ。

R-15指定ですら裸足で逃げ出したくなるレベルのセックス&残虐描写が延々と続くので、その手の描写が嫌いな方にはとてもオススメできる作品ではないですね。
また前述のように、原作を何も知らない状態で今作を観賞する場合、特に失踪事件絡みの容疑者達の人間関係を理解するのにかなりの困難が伴います。
その点では「原作ファンのための作品」というのが妥当な評価ということになるでしょうか。

映画「ペントハウス」感想

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映画「ペントハウス」観に行ってきました。
「ナイトミュージアム」シリーズのベン・スティラーと「ビバリーヒルズ・コップ」シリーズのエディ・マーフィという、アメリカの著名なコメディ俳優2人が初めて共演を果たした、これまたコメディタッチなノリのクライム・アクション作品。

ニューヨーク・マンハッタンの一等地にそびえ立つ、全米一の超高級マンション「ザ・タワー」。
一戸当たりの平均物件価格数百万ドル以上、65階建ての高層ビルから眺望できる景観と最新鋭のセキュリティシステム、さらには居住者の生活をサポートする専属のスタッフによる最上のサービスが受けられるという、まさに金持ちのためにあるようなマンションです。
今作の主人公ジョシュ・コヴァックスは、その「ザ・タワー」の専属スタッフをまとめ、「ザ・タワー」に居住する人々からの要望や苦情を的確に処理することを生業とする管理マネージャー。
「ザ・タワー」居住者の誕生日や好み、性格などに至るまで把握し尽くしているジョシュは、居住者達からも専属スタッフからも頼られる存在でした。
なかでも、「ザ・タワー」の最上階(ペントハウス)に居住し、屋上のプールをも独占的に使用している大富豪アーサー・ショウは、自身の趣味であるチェスの相手をさせるほどにジョシュを信用し、「君を引き抜いてホテルの支配人にしたい」と高く評価していました。
ジョシュもまた自分に目をかけてくれるアーサー・ショウを尊敬しており、2人はまさに理想的な人間関係を具現化しているかのように思われました。
……ショウの正体が判明するまでは。

ある日、ジョシュがいつものように住人からの要望や苦情を処理している中、スタッフのひとりから不審な黒ずくめの車が2日前から「ザ・タワー」の前に駐車されているという報告を受けます。
ジョシュが問題の車を玄関先で確認すると、その車からこれまた怪しい人物が4人、車から降りて「ザ・タワー」の方へと向かってきます。
ジョシュはただちに正面玄関にカギをかけるようスタッフに指示すると、自身は警備室へと向かいます。
そこでは何と、ペントハウス在住のショウが裏口に停められていた別の車に乗せられ、その場から離れる場面が捉えられていました。
これを要人誘拐だと判断したジョシュは、一大事とばかりに警備室を飛び出し、走って車の追跡にかかります。
人と車では最初から勝負になどなりようもないはずでしたが、地の利を熟知していたジョシュは、車が通れない道を使って先回りすることで何とか車を捕捉できていました。
ところがその追跡劇の最中、通りがかりの女性からラリアット?を食らい沈没してしまうジョシュ。
それとほぼ同時に、逃走していた車もまた曲がり角を曲がりきれず横転、そこへ先ほど見かけた黒ずくめの車が停止、逃走車を確保するのでした。
実は黒ずくめの車はFBIのもので、ショウは証券詐欺の容疑をかけられ逃走を図ろうとしていたのです。
のみならず、ショウはジョシュを介して「ザ・タワー」の従業員達全員の年金運用を請け負っていたにもかかわらず、その資金を全て私的流用してしまっていたのでした。
「ザ・タワー」の仕事を辞めて年金生活をするはずだったスタッフのひとり・レスターは、長年働いて稼いだはずの7万ドル以上の積立金をショウに預けたことで全てパーになったことを知ってショックを受け、地下鉄に飛び込もうと自殺未遂に走り、病院に運ばれてしまいます。
ショウを信頼して年金運用を任せてしまった責任もあり、ジョシュは保釈金1000万ドルを支払って保釈されたショウの下へ、従業員達から巻き上げたカネを返すよう直談判へ赴きます。
ところがショウは自責の念を感じるどころか、「投資に失敗はつきもの」と開き直る始末。
この発言に怒りを爆発させたジョシュは、その場でショウがリビングに大事に飾っていた旧型のフェラーリをゴルフクラブで叩き壊してしまいます。
当然のごとく、ジョシュはその日のうちに「ザ・タワー」の総支配人にクビを言い渡されてしまうのでした。
しかし、そんなジョシュの言動に何か感じ入るものでもあったのか、FBIの女性捜査官であるクレアは、酒場でジョシュと顔を合わせ、ショウが逃走資金として用意していたはずの2000万ドルが見つからないという情報を提供します。
使用人としての知識と経験から、ジョシュはショウの部屋が改装された際にも手付かずの状態で残された壁が怪しいと睨むと共に、そのカネを奪取して失われた年金の補填に当てる計画を考えつくのでした。
計画を実行せんと、早速ジョシュは計画遂行のための仲間を集め始めるのですが……。

映画「ペントハウス」でショウの隠し資金を奪取すべく一大作戦を繰り広げる主人公とその仲間達は、しかしジョシュの幼馴染で収監されていたスライド以外は元々が「ザ・タワー」の使用人ということもあり、盗みのノウハウなど最初から全く持ち合わせてもいないズブのド素人集団です。
それどころか、基本的なチームワークすらも皆無に近く、作戦を練っている段階から勝手に離反したり、作戦にない単独行動に出たりする人間が続出した挙句、互いにいがみ合いを始めたりする始末。
さらには、大事なフェラーリを叩き壊されたことに腹を立てたショウが、週末にはジョシュを告訴し、逮捕拘禁させる旨まで明言しており、入念な準備を行うための時間的余裕すらもないという状況だったりします。
そんな彼らの唯一の武器は、「ザ・タワー」の構造や警備体制などといった、元使用人であるが故に身についた経験と知識のみ。
あまりにも悲惨な条件から考えれば、成功するのがいっそ不思議なくらいの奪取作戦ではありましたが、しかしいざ計画が実行されると、決行日がちょうど感謝祭で「ザ・タワー」周辺がお祭り騒ぎになっていたことも手伝ってか、序盤は意外と順調に推移していたりします。
監視カメラが侵入者の姿をバッチリ捕らえているのに、肝心の警備員達は監視映像の方を見ることすらなく雑誌に夢中になる始末でしたし。
順調に行き過ぎて、逆に「これって警備体制の方に重大な問題があるのでは……」などと考えてしまったくらいです。
まあ、凶事が来るかどうかも分からず、そもそも何事もない平穏な日々が長く続いている状況下で、しかもお祭り騒ぎで世間が沸いている時期に、四六時中緊張感を保ち続ける方が無理な相談ではあるのかもしれませんが。

また、ジョシュ達はショウの隠し資金を探し出す過程で、序盤でジョシュが叩き壊したフェラーリの中から、ひとつの元帳を発見します。
それはショウがこれまで行ってきた不正取引の全記録を綴ったもので、それは証拠不十分で無罪になろうとしていたショウを有罪にするだけの動かぬ証拠でもありました。
そして物語終盤、ジョシュはその元帳を使ってFBIに交渉を持ちかけ、元帳を提供する代わりに自分達を無罪放免にしてくれと、一種の「司法取引」を申し出るんですよね。
しかも、ショウを証券詐欺で立件したいFBIはこれに応じて、計画の首謀者であるジョシュを除く全員を無罪放免にしてしまうんですよね(ジョシュは懲役2年)。
この辺りは「司法取引」が当たり前であるアメリカならではの光景ですね。
仮に日本で同じようなケースがあった場合、警察は当然のごとくそのような取引には応じることなく、計画の首謀者にも共犯者達にも刑法通りの重罰を裁判で求刑するでしょうし、また元帳は問答無用で接収された挙句、下手すればその証拠能力が裁判で認められない事態すらも充分に起こりえるのです。
元帳は合法的な手続きに基づいて入手した証拠物品ではないから裁判の場で提出することすら認められない、そういう話になってしまうわけです。
法理論的な観点だけから言えば、むしろ日本のような行政・司法のあり方こそが正しくはあるわけなのですが、現場は当然のことながら理論だけで動いているわけではありません。
日本のような(すくなくとも表面的には)コチコチの法理論最優先の行政・司法形態が望ましいのか、それともアメリカなどのようにある程度の柔軟性があるものが良いのかについては正直微妙な話ではありますね。
もっとも、司法取引が法制化・マニュアル化されていない日本では、警察が一種の誘導尋問を意図して「釈放」「この案件については不起訴にする」などを餌に司法取引モドキなことを容疑者相手にやらかした挙句、裁判の場で堂々と取引内容を覆して被告と新たな紛糾の種になる、といった事例も多々あったりするのですが。

コメディ俳優としての有名どころ2人が共演しているだけあって、作中ではしばしばコメディ的なやり取りがかわされる場面もあったりしますが、基本的には「オーシャンズ11」シリーズばりのシリアスな展開がメインですね。
「オーシャンズ11」シリーズのような「盗みの頭脳戦」が好きという方にはオススメできる作品ですね。

映画「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」感想

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映画「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」観に行ってきました。
「Mr.ビーン」で有名なイギリスのローワン・アトキンソンが主演を担う、スパイアクションコメディシリーズの2作目。
ちなみに前作「ジョニー・イングリッシュ」は未観賞です(^^;;)。
作品の邦題タイトル自体が、イギリスで2008年(日本では2009年)に劇場公開された映画「007 慰めの報酬」をもじったものであることからも分かるように、今作は「007」シリーズのパロディ物的な要素が強いですね。
「007」ばりの秘密兵器やボンドガールもどきも出てきますし。

前作の活躍?で、一時はイギリスの秘密諜報組織MI7で一番のエースにまでのし上がっていた主人公ジョニー・イングリッシュ。
しかし彼は、5年前にモザンビークで要人警護に失敗し、要人を暗殺されてしまうという大失態を犯してしまい、MI7からクビを言い渡され、チベットの僧院で修行に明け暮れる日々を送っていたのでした。
このモザンビークでの失態の詳細については物語中盤で明らかになるのですが、どう見ても「イングリッシュでなければやらないであろう失態」でしたね。
イングリッシュにとってもこの失態は相当なまでに堪えているようで、作中でも他人にモザンビークの件について触れられる度に右瞼が震えまくるという形で表情に出てきます。
後半ではすっかり開き直ったのか、「アレは俺の失敗ではない、今回追っている連中が関わっていたんだ」などと言い訳がましいタワゴトをのたまいまくっていましたが(苦笑)。
それはさておき、チベットの僧院で金的攻撃に対する耐性を身につけるための修行をしていたらしいイングリッシュの元に、MI7の復帰要請が届けられます。
チベットの僧院に何故か存在していた、全く似つかわしくないパソコン端末から復帰要請を受けたイングリッシュは、チベットから一路イギリスへ。

イングリッシュがいなくなっていた5年の間に、MI7はすっかり様変わりしていました。
何故か日本企業である東芝の傘下に入り、しかも自らがスパイ組織であることを大々的に公示するかのような垂れ幕を1F正面ロビーに堂々と掲げているMI7。
東芝と言えば、映画「ニューイヤーズ・イブ」でも「TOSHIBA」の文字が作中のあちこちにやたらと出てきていましたが、そういう宣伝戦略でも東芝はやっているのでしょうかね?
さらに中へ入っていき、これまたすっかり様変わりしたMI7の局長パメラ・ソーントン、通称「ペガサス」と対面。
「ペガサス」はイングリッシュに説明を始めるのですが、イングリッシュは話を聞いていないばかりか、部屋のソファーに座っていたネコをビルから落としてしまったり(ネコはイングリッシュにとって最悪のタイミングで戻ってきます)、同じく部屋の中にあったバランスボールに座ろうとして転倒したりと、ここでもドジを振りまきまくります。
その後でイングリッシュは、映画「007」シリーズでもおなじみとなっている、秘密兵器を開発している部署へと案内され、そこで秘密兵器の紹介と使い方の説明が行われるのですが、その最中でも兵器を誤作動させたり、変声キャンディを無断で食べたりと、やはりお笑いネタをばら撒いていきます。
そんなイングリッシュに与えられた任務は、英中首脳会議に出席する予定となっている中国の首相の暗殺を阻止すると共に、暗殺を企んでいる組織についての情報収集を行うこと。
イングリッシュは、その情報を提供したフィッシャーという人物に会うため、MI7から相棒として自分と共に行動することになった諜報員タッカーと共に香港へと向かうのですが……。

映画「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」では、主人公ジョニー・イングリッシュがとにかくドジを繰り返します。
敵を追い詰めている最中に余所見をしてその隙に相手に逃げられたり、何とか手に入れた重要アイテムの扱いが諜報員とは思えないほどに雑で簡単に敵に奪われたり、せっかくヘリが操縦できるのに道が分からないからと超低空飛行(地上からたった50cm浮いているだけ)&クルマ以下の速度で道路上を滑空していたり。
老婆なのに恐ろしく俊敏でイングリッシュをつけ狙ってくる殺し屋クリーナー相手には、全くの別人の後ろ姿をクリーナーと勘違いして襲撃した挙句、頭を押さえつけてトレイでバンバン叩くという失態を二回も繰り返していますし。
「可能を不可能にする男」のキャッチフレーズを裏切らない活躍(?)を次から次に演じてくれます。
一番笑えたのは、英中首脳会議に臨むイギリス首相も交えたMI7の事前ミーティングの場面でしたね。
イギリス首相の顔も知らないで首相の隣の席に座り、「首相はまだ来ないのか?」などとのたまうイングリッシュ。
イングリッシュが座った椅子には、取っ手部分に座高を調整する電動機能が搭載されていたのですが、イングリッシュその取っ手を適当に弄り回した挙句に壊してしまいます。
その結果、イングリッシュの椅子の座高は限界まで下がったり、逆に上がったりを繰り返すことに。
ただ座っているだけのイングリッシュが上がったり下がったりを繰り返しているのに、当のイングリッシュはひたすら無表情で取り繕っていますし、周囲も明らかに奇異な目で見ていながら全くツッコミを入れないしで、単純ながらも滑稽なその構図は大ウケで、スクリーン内でも笑いの小声があちこちから上がっていました。
アレは共演者達も、さぞかし笑いを堪えるのに大変だったことでしょうね。

また、映画終了時に流れるスタッフロールでも、イングリッシュのお笑い劇場は続きます。
そこではイングリッシュが料理をする場面が出てくるのですが、イングリッシュの調理方法がとにかく「雑」のひとこと。
音楽をかけながら素材を切っていくのは良いのですが、切った際に素材がまな板から飛び散っていく上、散らばった素材をキッチンの引き出しの中に隠蔽するイングリッシュ。
最後は無造作に切断しまくった素材をかき集めてレンジにぶち込むところで終わるのですが、何がやりたかったのかすらもロクに分からないところも含めてここでも笑えましたね。
そんなわけで、今作を観賞する際には、スタッフロールが終わるまで席を立たないことをオススメしておきます。

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