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カテゴリー「邦画感想」の検索結果は以下のとおりです。

映画「SPEC~天~」感想

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映画「SPEC~天~」観に行ってきました。
特殊能力を題材にした独特の世界観で人気を集めたTBS系列のテレビドラマ「SPEC(スペック) ~警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿」の続編作品です。

今作は、テレビドラマ版のラストからそのまま続くストーリーな上、テレビドラマ版の設定が分かっていないと意味不明なエピソード話がかなりの数出てきます。
冒頭からして、主人公である当麻紗綾(とうまさや)が左手を三角巾で吊るしているという特殊な光景が当たり前のように描かれていますし、主人公の性格設定や周囲の人間関係についても当然のごとく何の説明もありません。
また作中では、「津田助広(つだすけひろ)」と名乗る人物の本物が出現するというエピソードが出てくるのですが、これも初見の人間には一体何のことやら不明なシロモノです。
よって、テレビドラマ版について知らない方は、事前にテレビドラマ版の予習をしておくことが確実に求められる作品であると言えるでしょう。
間違っても、今作単独で楽しめる映画などではありえません。
かくいう私自身も、テレビドラマ版「SPEC」は全く視聴していなかったこともあり、あえて予備知識も入れることなく白紙の状態で今作を観賞してみたのですが、そもそも冒頭15分の時点で「今どんな状況で、何故そんな事態が発生しているのか?」からして全く分からなくなってくるという惨状を呈するありさまでした。
過去のシリーズも全部観ないと話そのものが全く理解できないという点では、映画「SP」シリーズ2部作に近いものがあります。
「海猿」シリーズ「麒麟の翼」などは、同じテレビドラマ版からの続きものであっても映画単独で充分に楽しめるストーリー構成だっただけに、今作でも同じように楽しめることを期待していたのですけどねぇ(-_-;;)。

映画の冒頭では、2014年11月3日の海辺?に佇むひとりの女性が手紙を読み始める描写が映し出された後、「ファティマの預言」なるものの説明が行われます。
「ファティマの預言」というのは、1917年にポルトガルのファティマに聖母マリアが突如出現して残したという3つの預言のことを指すそうです。
第一の預言は当時繰り広げられていた、当時は欧州大戦という名で呼ばれていた第一次世界大戦の終焉を、第二の預言は第二次世界大戦の勃発についてそれぞれ語られており、最後となる第三の預言はバチカン教皇庁によって厳重に管理されているとのこと。
第三の預言は「1981年に教皇が暗殺されることを示したものだった」と発表されましたが、過去の預言との文脈から言っても辻褄が合わないという疑問で説明は締めくくられていました。
この、いかにもおどろおどろしく出てきた預言の解説が終わり、海に浮かぶクルーザーが突如氷結する描写が繰り広げられた後、舞台は当麻紗綾と瀬文焚流(せぶみたける)が属する警視庁公安部公安第五課の未詳事件特別対策係、通称「未詳(ミショウ)」の一室で自分達の趣味にそれぞれ没頭している様子が描かれます。
瀬文焚流は机の上に○分の1ジオラマか何かを置いて桶狭間の戦い?を再現しようと躍起になっており、当麻紗綾は自身の好物らしい餃子の模型を作っている最中といったところ。
やがて2人は、互いの行為にブチキレて体を張った殴り合いを演じることになるのですが、そんな2人の元に、何故か警視庁のお偉方が2人やってきました。
「未詳」が担当しているSPEC(特殊能力)持つ人間「スペックホルダー(SPEC HOLDER)」について話があるとのことで、その場にいる人間が2人に注目します。
2人が話そうとしていたのは、「ファティマの預言」の話の後に出てきたクルーザーの氷結事件についてでした。
ところが説明を受けている最中に2人が突然狂い出し、外部のスペックホルダーのSPECに操られているかのごとき様相を呈し始めます。
ひとしきりその状態が続き、好き勝手にしゃべくり倒した後に2人は元の状態に戻るのですが、操られていた間のことは何も覚えていないありさま。
新たなスペックホルダー達の蠢動を感じざるをえなかった当麻紗綾と瀬文焚流の2人は、問題となったクルーザーの調査へと向かうのですが……。

映画「SPEC~天~」の宣伝では、「真実を疑え」「未来を掴め」「人気シリーズ完全映画化! 最強の敵。仲間の死。そして全ての謎に終止符が打たれる」などといったキャッチフレーズが使われています。
ところが実際に映画を観てみると、「SPEC」シリーズは全然終わっていないどころか、今後も続ける気満々であることがはっきりと明示されているんですよね。
特にエンドロール開始以降はその手のネタが次々と頻出するありさま。
作中最大の敵だった一十一(にのまえじゅういち)のクローンが実は1体ではなく複数あったことが明示され、4体のクローンが登場したかと思いきや、その場にいた白いタキシード?の謎の男が片手を振っただけであっさり消し飛んでしまったり、何故か国会議事堂が砂に埋もれて廃墟と化している未来?が明示されていたりと、「全ての謎に終止符が打たれる」どころが、逆に「新たな謎」が出てきてしまう始末。
トドメは、当麻紗綾と瀬文焚流が並んで立っている場面で、「この物語における起承転【けつ】の最後の文字は『結』ではなく『欠』」などと主張して、続編があることを問答無用に示唆してしまっていました。
冒頭に出てきた「ファティマ第三の預言」とやらも、結局作中では内容がある程度明らかになっただけで、結局預言が具現化していたような描写もなかったですし。
宣伝文句に偽りがあり過ぎますし、ただでさえ意味不明な展開が多すぎた中でこれではちょっとねぇ……。
観客を舐めまくっているとしか思えなかったですね、あのエンドロールは。

当麻紗綾と瀬文焚流が作中で繰り広げまくっていたドツキ漫才なギャグの連発はむしろ清涼剤的な効果もあったと思うのですが、肝心の話の内容がここまで分かりにくいというのは予想外もいいところでした。
「SPEC」と同じくテレビドラマ版視聴前提だった「SP」シリーズでさえ、すくなくとも作中で繰り広げられたミッション内容程度くらいは理解でき、かつ「テレビドラマ版も面白そうだからそちらも観賞してみようか」と関心を持たせてくれるだけの構成ではあったのですが……。
しょっちゅうテレビドラマ版とリンクしたエピソードが繰り広げられたことも、初見者である私にとっては分かりにくさに拍車をかけるシロモノでしかありませんでしたし。
テレビドラマ版からのファンであればそれでも問題なく楽しめるのかもしれませんが、そうでない人達については、すくなくとも予備知識なしにイキナリ今作を観賞することのないよう、これは強く忠告しておきます。

映画「ももへの手紙」感想

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映画「ももへの手紙」観に行ってきました。
沖浦啓之監督が7年の製作期間をかけて完成させた、120分長編アニメーション作品。
今作は本来、2012年4月21日に劇場公開される映画なのですが、今回無差別に応募していた試写会のひとつに当選し、劇場公開日より先行しての観賞となりました。
作画監督&キャラクターデザインの安藤雅司がスタジオジブリ出身と言うこともあってか、今作はスタジオジブリ作品ではないにも関わらず、微妙にスタジオジブリ的な雰囲気がありますね。

調査船の父親が死んだことから、母親の宮浦いく子と共に、母方の実家がある瀬戸内海の汐島(しおじま)に引っ越すことになった、今作の主人公である宮浦もも。
広島県三原市から出港したフェリーで汐島へと向かう途中、船外に出て晴れた空を眺めていたももは、懐からおもむろに1通の手紙を取り出します。
そこにはただ「ももへ」の3文字だけ書かれて終わっている手紙がありました。
手紙を見て「お父さんは何を言いたかったのだろう」と考えるももの頭に、頭上には雲ひとつなかったにもかかわらず何故か3粒の水滴が落ちてきます。
当然ももは不審に思い、周囲をキョロキョロするのですが、ほぼ同時に母親のいく子が「島が見えてきた」とももに話しかけてきたため、詮索は曖昧なままに終わるのでした。
ももに落ちてきた3粒の水滴?は、しかし地面に落ちた後も何故かその形状を崩すことなく、まるで見張るかのようにももの後を追っていくのでした。

今作の主要舞台となる瀬戸内海の汐島(しおじま)は、広島県呉市にある大崎下島の豊町を中心とした、本州と四国を結ぶ3つの交通ルートのひとつ「しまなみ海道」より西にある島々の風景を取り入れた架空の島。
フェリーで汐島に降り立ったももは、島内にある母親の実家へと向かうことになります。
もちろん、ももの頭に落ちてきた謎の3粒の水滴も。
母親の実家には、ももの大おじと大おばが住んでおり、ももといく子の宮浦母子は、今は使われていないらしい住居を借りて住まうこととなるのでした。
しかし、母親いく子がやたらと元気な様子を見せるのと対照的に、ももはとにかく無口で、大おじと大おばから話しかけられても必要最小限の受け応えしかしない状態にありました。
ももは元々人見知りな性格で、実家の大おじと大おばに会ったのも、すくなくとも物心ついてからは初めてだったようで、それが打ち解けない原因のひとつだったようです。
しかし、ももにはそれとは別に、心に残っていたしこりのようなものがありました。
ももは父親が死ぬ直前、親子3人で父親が好きだったらしいウィーン少年合唱団?の公演を観に行く計画を立てていたのに、急な仕事が入り予定をキャンセルした挙句調査船への長期出張に向かうべく準備し始めた父親に腹を立て、「お父さんなんかもう帰ってこなくていい!」と啖呵を切ってしまったのです。
ところがその後、父親は調査船の事故で本当に「帰らぬ人」となってしてしまい、ももは父親と和解するチャンスを永遠に失ってしまったのでした。
そんな理由でどこか沈みがちなももは、新しい住居を大おじと大おばに案内される中、2人に「空」と呼ばれている屋根裏部屋でひとつの箱を発見します。
箱の中には地元伝来とおぼしき奇妙な風体の妖怪の絵が描かれた本が一冊あり、何故かももはその本のことが気になりました。
そして、ももが屋根裏部屋から去った後、ももを追跡してきたあの3粒の水滴が、意味ありげに本の中へと入っていったのでした。
そしてその夜、ももは寝静まったはずの家の中で、屋根裏部屋から聞こえてくる正体不明の音に悩まされることとなります。
母親にそのことを訴え、「東京に帰りたい」と嘆くももですが、母親はそんなももの嘆願を一蹴。
そればかりか、本土で行われるらしい介護ヘルパーの講習を受けるべく、快速船で島から離れてしまうのでした。
ところが、快速船まで母親を見送りに来ていたももは、船でももに向かって手を振る母親の真横で、モヤモヤした人型の影を目撃することになります。
最初から目の錯覚か何かではないかと考えたももは、腑に落ちないまま実家へ戻るのですが、不可解な現象はその後もさらに続き……。

映画「ももへの手紙」では、イワ・カワ・マメという3人(?)の妖怪モドキが出現します。
彼らは普通の人間にはその姿すらも全く見えず、主人公である宮浦ももと、汐島の住人である5歳の幼女・海美だけがその目で見ることができるという特性を持っています。
妖怪モドキの姿は、ももが見つけた箱に入っていた妖怪の姿を借りたものに過ぎず、その正体は物語冒頭でももの頭に落ちてきた3粒の水滴です。
彼らの主張によれば、元々は名のある妖怪だったものが、何か悪さをしたとかで呪いのようなものをかけられ、今のような下っ端的な立場にまで落ちてしまったとのことでしたが。
姿が見えないのを良いことに、畑を荒らしたり家の中のものを食い散らかしたりと好き勝手に振る舞うのですが、どこか憎めないところがあるコミカルなキャラクターでしたね。
最初は怯えていたももも次第に大胆になっていき、気がつけば打ち解ける人間がいなかった汐島で最初の友人的なポジションに納まっていましたし。
父親の死で鬱屈としていたももにとっても、彼らの存在はある意味「癒し」「心の慰め」的なものになっていたのではないでしょうか。

ストーリーを総合的に見てみると、映画「ももへの手紙」は、洋画の「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」「ヒューゴの不思議な発明」などと同じく「家族愛」をテーマとした作品ですね。
父親が不慮の事故で突然死んでしまう点と、父親の死を引き摺っている子供の独りよがりな性格が3作品全てで共通していますし、夫を亡くした悲しみを押し隠す母親の描写は「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」と同じですね。
ただ、洋画の2作品の父親が基本的に子供から尊敬の念を受けていたのに対し、今作は子供の方から喧嘩別れになったまま永遠の別離になってしまった点が、違うと言えば違うところですが。
夫の死を引き摺りつつも、娘の前ではそのことをひた隠しにしつつ、悲しみを忘れるために娘を顧みず介護ヘルパーの勉強にひたすら打ち込む母親いく子も、映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」に登場したサンドラ・ブロック演じる母親と大いにカブるものがありました。
しかしこちらも、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」の母親が息子の行動を全て承知の上で密かに暖かく見守っていたラストのインパクトが強烈だったのに比べれば、どこかテンプレートかつありがちな現代の母親像ではあったのですけど。

あの母親で正直疑問だったのは、物語後半で「妖怪が畑を荒らして果実を奪ってきた」というももの主張を信じず頬を引っ叩いた母親が、ラストで一体いつの間に「藁船に乗っていた手紙を『死んだ父親からのものだ』と信じられる」ほどにまでなったのか? という点ですね。
確かに母親とももは、一時険悪になったものが母親の喘息がきっかけで和解することになったわけですが、しかし一方で、母親がももの主張を信じるべき理由は相変わらず何もなかったわけですし、母親がももの主張を受け入れていく描写も特に何もなかったので、「それはそれ、これはこれ」で母親が相変わらずもものことを疑うのがむしろ当然な態度にすら見えてしまうのですが。
あえて好意的に解釈すれば、母親いく子の幼馴染である幸市が、台風の中で物の怪達による怪奇現象を目の当たりにしているので、そこから話を聞いて信じる気になったのかもしれませんが、ただそれだと「じゃあ何故娘の話は全く信じないんだよ」ということにもなりかねないわけで。
ラストの母親のスタンスが、微妙に「取って付けた」ような形になってしまっているのが、ちょっとした減点ポイントになるでしょうか。
ひょっとすると、あの時の母親は、いかにも絵空事じみたことを主張しているももにただ調子を合わせていただけで、心の中では「そんなことあるわけないだろ」と密かに考えていたのかもしれませんが。

今作はアニメーション作品ではありますが、対象年齢層はどちらかと言えばやや高めの部類に入るのではないかと。
大人でもそれなりに楽しめる構成になっている一方、小学校低学年層には正直難易度の高そうな話ですし。
子供を持つ母親と、小学校中高学年層以上の子供向けの作品と言えるのかもしれません。

映画「僕達急行 A列車で行こう」感想

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映画「僕達急行 A列車で行こう」観に行ってきました。
松山ケンイチと瑛太が演じる鉄道マニアの2人が、ふとしたきっかけから出会い意気投合し、仕事に恋愛に精一杯生きる様を描いたコメディ・ドラマ作品。
作品タイトルを見て、アートディンクの鉄道経営シミュレーションゲーム「A列車で行こう」シリーズを真っ先に連想したのは、多分私だけではないのではないかと(^^;;)。
かくいう私自身、最初に作品名を知った際には、ゲーム版「A列車で行こう」の実写映画化作品に違いないとついつい考えてしまったクチでしたし(^_^;;)。

この映画では、九州北部と東京近郊他を走る総計20路線80モデルもの列車が作中で登場します。
その最初のトップバッターを飾る鉄道は「わたらせ渓谷鐡道」。
その路線を走行している列車「わ89-315号」の車内で、一組の男女のカップルが向き合って座っていました。
列車の外の景色を見ながらイヤホンで音楽を聴くのに熱中している男性と、何かに耐えるようにじっとしている女性。
女性は男性に対し「座席のシートが硬い」と訴えるのですが、男性は全く聞こえていないのかイヤホンを外すことすらなく外の景色に夢中になっています。
そんな男性の態度に耐えかねたのか女性は怒り出してしまい、「次の駅で降りる」と席を立ちその場を離れてしまいます。
後を追うに追えない男性は、そこで黒人?2人と一緒にいた優男風の男性と目が合い、互いに何か感じるものがあったのか、2人はアイキャッチだけの会釈を交わします。
女性にフラれた男性は、鉄道風景を見ながら音楽を聴くことを趣味とする小町圭(松山ケンイチ)。
黒人と一緒にいた男性は、やや堅物で鉄道の列車そのものを好む小玉健太(瑛太)
同じ「鉄道オタク」でもその中身は若干異なる2人の、これが最初の出会いでした。

小町圭は、東京に本社を持つ大手不動産会社「のぞみ地所株式会社」に勤めるサラリーマン。
どちらかと言えば「イケメン」の部類に入る彼は、女性達にも相応に注目されていたりする人物です。
ある日、彼が居住していたマンションで水道管の構造的な問題が発覚し、全面的な立替工事が行われることが決定され、小町圭はマンションから退去を余儀なくされてしまいます。
しかたなく小町圭は新しい住居を探し始めるのですが、なかなか気に入った住居が見つかりません。
しかしそんな最中、彼は冒頭の「わたらせ渓谷鐡道」で会釈を交わした小玉健太と偶然にも再会することになります。
小玉健太は、町工場レベルの規模しかない有限会社コダマ鉄工所の2代目跡取りで、社長である父親・小玉哲夫と共に会社を切り盛りしていました。
同じ「鉄道オタク」ということで小玉健太と意気投合した小町圭は、コダマ鉄工所の寮を借りることとなったのです。
趣味が合うもの同士で鉄道絡みの会話を楽しみながら日々の生活を送る2人。
ところが小町圭は、会社の会議の中で「都心に高層ビルを建設し、都心を見下ろせる景観を客に提供する」という会社の方針に対し反対の声を上げたことから、会社の女性社長に目をつけられてしまいます。
「彼はどちらかと言えばベンチャー向きね」という、褒めているのか貶しているのか微妙な女性社長の評価と決定により、小町圭は福岡にある九州支社への転勤(という名の一般的には左遷)を命じられることになってしまうのでした。
とはいえ、元来が「鉄道オタク」である小町圭は、「九州の鉄道巡りができる」とむしろそのことを喜んですらいたのですが(苦笑)。
福岡のシーサイドももちの一角にある高層ビルの住居が与えられた小町圭は、九州支社の社員達と仲良くやりつつ、「鉄道オタク」としての鉄道めぐりを満喫することになるのですが……。

映画「僕達急行 A列車で行こう」に登場する名前は全て鉄道の特急の名称がつけられています。
主人公2人の苗字である小町・小玉、および会社名である「のぞみ地所」の「のぞみ」は明らかに新幹線のそれですし、他の登場人物もまた、苗字と名前のいずれかに全国各地の特急の名称が冠せられています。
物語後半に登場する九州地元企業「ソニックフーズ」も、元ネタは福岡-大分間を結ぶ日豊本線を走る特急の名称「ソニックにちりん」だったりしますし。
また作中では、いかにも「鉄道オタク」的な会話が盛んに繰り広げられています。
主人公2人がコダマ鉄工所で働く外国人とキャッチボールをしている場面では、ボールを投げながら列車の速度についてのウンチクが披露されていたりしていますし、物語後半では、後でソニックフーズの社長・筑後雅也と判明する鉄道オタクな人物が、どう見ても鉄道に興味なさげな付き人の女性2人に「スイッチバック」についての解説を行っている描写があったりします。
久大本線の豊後森駅にある「豊後森機関庫」では、主人公2人が筑後雅也と出会い意気投合する様が描かれていたりしますし。
作中の描写のあちこちでも様々な列車が風景の一部として走っていてその存在をアピールしまくっており、「鉄道オタク」の方々にとってはこれだけでも一見の価値があるのではないかと。

ちなみに私は生まれてこの方一貫して九州在住なので、作中で走っていた九州北部の列車には見覚えのあるものが多数ありましたし、いくつかの列車には実際に乗ったこともあったりします。
作中に登場しているもので私が実際に乗ったことのある路線は鹿児島本線・日豊本線・福北ゆたか線の3つで、列車はソニック(日豊本線)・813系100番台(福北ゆたか線)ですね。
鹿児島本線の列車で作中に登場したものについては、見たこと自体は何度もあるのですが、不思議と乗ったことは一度もなかったですね。
一方で、元々熊本出身の人間としては、熊本-大分別府間を結ぶ豊肥本線が出てこなかったのが少々惜しいところではありました。
作中でも言及され説明が行われていた「スイッチバック」が存在する全国的にも珍しい路線なので、ひょっとすると出てくるのではないかと期待していたのですが。

物語に目を向けてみると、主人公2人が「鉄道オタク」という趣味を持っていることが、仕事と恋愛で見事に正反対の結果をもたらしているような感がありましたね。
仕事面では、「のぞみ地所」の九州支社が長年懸案として抱え込んでいたソニックフーズとの交渉が、主人公2人とソニックフーズ社長が同じ趣味で意気投合したことにより前進を見せ、結果的に懸案を解消することに成功しました。
ところが恋愛面では、主人公2人が鉄道にばかり熱中する様を相方の女性が戸惑う様が描かれていますし、特に小町圭の場合はそれが原因で相方の女性にフラれたようなものでした。
ああいうのを見ていると、恋愛や夫婦生活などでは「相手の趣味を理解し許容する」という要素は結構重要なものなのだなぁ、とついつい考えさせられてしまいますね。
ちなみにこのエピソードを見ていて、私はかつて2chの生活板でネタにされていたという以下の話を思い出していました↓

【ストレス】家族が「物を捨てられない病」3【ジレンマ】
ttp://life7.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1128500852/802-
> 802 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2006/03/10(金) 17:32:24 ID:s2RHsW2o
> 上にコレクションについての話がありましたけど
>
私は夫のコレクションを捨ててしまって後悔した立場でした
>
鉄道模型でしたけど
>
> かなり古い模型がまさに大量(線路も敷いてて一部屋使っていた)という感じでした
> 結婚2年目ぐらいから
「こんなにあるんだから売り払ってよ」と夫に言い続けたのですが
>
毎回全然行動してくれずに言葉を濁す夫にキレてしまい
>
留守中に業者を呼んで引き取ってもらえるものは引き取ってもらいました
>
> 帰ってきた夫は「売り払ったお金は好きにしていい」「今まで迷惑かけててごめん」と謝ってくれました
> 残っていた模型も全部処分してくれたのですごく嬉しかったです
>
> でも
その後夫は蔵書をはじめ自分のもの全てを捨て始めてしまいました
> 会社で着るスーツとワイシャツや下着以外は服すらまともに持たなくなり
> 今では夫のものは全部含めても衣装ケース二つに納まるだけになってしまって
>
> あまりにも行きすぎていて心配になり色々なものを買っていいと言うのですが
>
夫は服などの消耗品以外絶対に買わなくなってしまい
>
かえって私が苦しくなってしまいました
>
> これだけ夫のものがないと夫がふらっといなくなってしまいそうですごく恐いのです
> こういう場合ってどうしたらいいんでしょう

> 828 名前:802 投稿日:2006/03/11(土) 12:21:02 ID:ImOgEUVz
> 皆さんありがとうございます
>
> 今朝出勤前の夫と話をしました
> 謝ろうとしたのですが
> 「君の気持ちに気づけなかった僕が悪いんだから」
> という答えしか返ってこなく謝らせてもらえませんでした
>
> 取り戻すか新しいのを買おうとも言ったのですが
> 「もういいんだ」を繰り返すばかり
>
> 考えてみれば
夫のコレクションは結婚以来ほとんど増えてません
> 昔からのものばかりだったのでしょう
> 夫の部屋の中だけでしたし掃除もしていました
> (共働きのため家の掃除は殆ど夫がしています)
>
> ただ
新婚の家に既に夫のコレクションが沢山あったので
>
私は結構苛ついていたんだと思います
> 別に部屋に籠っているというわけでもなく
> 二人で映画を見たりご飯を作ったりしている時間の方が遥かに長かったのに
> なぜか私は苛ついていました
>
> 本も読まなくなってしまいました
> 私が見ているテレビを後ろからボーと見ているだけ
>
> 謝らせてもくれないぐらい傷つけてしまったんだと思います

夫と妻との間でそれぞれの趣味に対する理解というものがないと、こういう惨劇が実際に起きかねないわけで、こういうのを見ていると、作中の小町圭も「今の時点で別れることになって却って良かったじゃないの」という感想すら出てきたりもするんですよね(苦笑)。
あの女性はまさに、小町圭の「鉄道オタク」な趣味を理解するどころか反発すらしていたわけですし。
あの主人公2人の場合、「自身も鉄道オタクである」という女性を選んだ方が後々のことを考えると良いのではないか、とついつい考えてしまいましたね(^^;;)。

物語の雰囲気は全体的にほのぼのとしていて、御都合主義的な展開はあるものの安心して楽しめる構成となっています。
鉄道オタクな方々や、ほのぼの系のストーリーを楽しみたい方向けの作品と言えるでしょうね。

映画「ライアーゲーム -再生(REBORN)-」感想

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映画「ライアーゲーム -再生(REBORN)-」観に行ってきました。
甲斐谷忍の同名人気漫画「ライアーゲーム」を原作とするシリーズの続編。
時系列的にはテレビドラマ版「ライアーゲーム」を経た前作映画「ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ」より後の話となります。
今作は一連の「ライアーゲーム」シリーズの続編ではありますが、登場人物の大半が一新されている上、前作までのエピソードもほとんど絡んでこないため、これまでのシリーズ作品を全く知らない人でも問題なく楽しむことができます。
かくいう私自身、「ライアーゲーム」シリーズは原作漫画もテレビドラマ版も前作映画も全て未観賞で、今作が初の観賞作品だったりしますし(^_^;;)。

物語の冒頭では、前作で壊滅状態となったライアーゲーム事務局が謎の復活を遂げ、とある一室で2人の人物が何かのゲームをしている様子が描かれます。
ゲームの当事者のひとりである福永ユウジは、もうひとりの当事者であるヨコヤノリヒコに対し、ゲームで優勢にでも立ったのか、勇ましく勝ち誇った台詞を吐き散らしまくっていました。
ところが、審判によるゲームの判定はヨコヤノリヒコに軍配を上げ、福永ユウジは愕然となり結果が認められない発言を連発します。
結果としてあまりにも無様な敗北者となってしまった福永ユウジは、ライアーゲーム事務局の言いなりになるしかなくなってしまったのでした。

ここで舞台は切り替わり、帝都大学における卒業式のシーンが映し出されます。
今作の主人公のひとりである篠宮優は、帝都大学卒業生代表として答辞を語っていました。
問題なく卒業式も終わり、友人と語らい篠宮優が自宅に帰ってくると、そこには1通の招待状とアタッシュケースが置かれていました。
不審に思ってアタッシュケースを開けてみると、そこには何と現金1億円もの大金が。
さらに招待状にあったDVD映像?には、

「あなたをライアーゲームに招待します。なお、一度招待状を開封した後に拒否した場合は、1億円を返済の上さらに1億円を支払って頂きます」

とのメッセージが。
不気味に思った篠宮優がおそらくは警察に行くために外へ出ようとすると、途端に子供の声で「どこへ行くのですか?」と話しかけられます。
篠宮優の部屋には篠宮優以外誰もいないはずなのに。
驚愕して振り返ると、そこにはすくなくとも外見上は小さな女の子の姿が。
ライアーゲーム事務局に所属しているらしいその子供(公式サイトによると「アリス」という名前らしい)は、淡々とした口調で映像と同じ注意事項を繰り返すとその場を去って行きます。
あまりでオカルティックな事態が連発した上、相手は1億円もの現金を手軽に用意できる組織。
半ば恐慌状態に陥った篠宮優は、そこで帝都大学で心理学を教えていた教授の存在に思い当たり、彼の元を尋ねに卒業した帝都大学へと向かうのでした。
そしてほどなく篠宮優は、帝都大学で生徒達に講義を行っていたその教授に出会うことができたのでした。
その教授の名は秋山深一。
テレビドラマ版および前作映画で活躍し、ライアーゲーム事務局を壊滅に追いやった張本人であり、また今作におけるもうひとりの主人公なのでした。

篠宮優は秋山深一にライアーゲームでの協力を依頼しますが、秋山深一はにべもなく拒絶し、結局彼女はひとりで帝都大学を出ることに。
ひとりで歩いている篠宮優は、やがて目の前に突如現れたトラックに拉致されてしまい、そのままライアーゲームの会場まで連行されてしまうのでした。
一方、篠宮優を拒絶した秋山深一の元にも、冒頭のゲームで事務局の手先となった福永ユウジによって、ライアーゲームの招待状が届けられていました。
篠宮優のことをどこで知ったのか、福永ユウジは彼女をネタに「お前がゲームに参加しないと彼女は負けるぞ」と言い募ります。
秋山深一は全く関心なさ気にその場を去りますが、アリスに成果を問われた福永ユウジは、彼は絶対ゲームに参加するであろうと自信に満ちて返答をするのでした。
果たして秋山深一は、福永ユウジの言う通りにライアーゲームの会場に姿を現すこととなるのでした。
かくして、篠宮優と秋山深一を含めた総計20人による、新たなライアーゲームが始められることとなるのですが……。

今作で行われるライアーゲームの主題は「イス取りゲーム」。
そのルールは、以下のような内容で構成されています↓

・ 参加者20名に対し、イスの数は15。
・ 参加者はまず、ゲーム会場となっている15のイスを探し出す。
・ 制限時間以内にイスを見つけられなかった参加者、およびイスに座っていなかった参加者は失格となる。
・ 回を追う毎にイスの数を減らしていき、最後に残ったイスに座っていた1人が勝者となる。
・ 各イスにはそれぞれ1~15までの番号が割り振られており、どのイスを減らすかは、その回毎に投票で選ばれた親が決めることができる。
・ 回毎の親を決める投票は失格となったプレイヤーも参加することができる。
・ 投票でトップが同点で2人以上いた場合、親決め投票は無効となり、イスを減らすことなく次の回へと進む。
・ 同じイスに2回連続で座ることはできない。ただし、2回連続でなければ同じイスに何度座っても構わない。
・ ゲームの最中に暴力行為を働いた参加者はその場で失格となる。
・ 既に失格した者が暴力行為を働いた場合はマイナス1億円のペナルティーが科せられる。

そして、ゲーム全体の流れとしては以下のようになります↓

1.まずは30分の作戦タイム。この間はイス探しの他、暴力行為以外は自由に何をしても良い。

2.作戦タイム終了後、イスに座った参加者は10分以内に親を決めるための投票を行う場に戻る。

3.10分以内に戻らなかった場合は投票権没収(失格にはならない)。

4.投票所へ集合後、5分間の投票タイムで親を決める投票を行い、参加者の中から親を決定する。

5.投票で選ばれた親がイスの番号を指定し、その番号のイスを減らす。

6.以上の流れを最後の一人になるまで繰り返す。

さらに賞金については以下の通り↓

・ 賞金は総額で20億円。
・ 各参加者には、それぞれの名前が刻んであるメダルが予め20枚配られている。
・ ゲーム終了後、勝ち残った参加者の名前が刻んであるメダル1枚につき1億円で換金される。
優勝者でなくても、優勝者のメダルを持っていれば、それを換金し賞金を受け取ることが可能。

作中でも明示されていますが、このゲームはルール上、ひとりで勝つことはまず不可能です。
同じイスに2回連続で座ることはできないのですし、またイス減らしを決める投票では参加者の数がものを言います。
仮に1人で複数のイスを取得していたとしても、投票で決定した親によってそのイスが消されてしまったら元も子もありません。
そのためこのゲームでは、参加者同士が徒党を組み、互いのイスを交換し合ったり、組織票で親の権利を取得したりするなど、相互連携して行動する必要が出てくるのです。
また親決め投票では失格者も参加することができることから、失格者を自分達の陣営に取り込むことも求められることになります。
失格者を取り込む際にはメダルがものを言います。
つまり、失格者にメダルをあげ、優勝すれば賞金を分け合うという形で失格者を買収することが可能なわけです。
ただ、ここで注意しなければならないのは、優勝者はあくまでもひとりだけであり、その人間の名前が刻まれたメダル以外は全く価値がないので、失格になるであろう人間のメダルをいくら持っていても意味がないということ。
よって、買収される失格者は失格者で、誰が優勝するのか、また誰のメダルが真の価値を持つことになるのかについて見極めなければならないのです。
かくのごとく複雑極まりないルールと環境の下、メダルを使った買収を巡る駆け引きや騙し合いを展開し親決め投票を制することで、参加者は初めて勝利を獲得することができるのです。

作中では、このイス取りゲームの本質に気づいた3人の人物により、それぞれ3つの「国」が作られることになります。
カルト教団の教祖・張本タカシをリーダーとする「張本国」(初期は5人で構成)。
前回のライアーゲームの優勝者である秋山深一を一方的にライバル視している桐生ノブテル率いる「桐生国」(初期は3人で構成)。
そして秋山深一を中心に集まった「秋山国」(初期は4人で構成)。
これに失格となった参加者達も加わり、かくして自陣営のイスを死守する一方、他の2国のイスを減らさんとする3国による3つ巴の知略戦が熾烈を極めることになるわけです。

映画「ライアーゲーム -再生(REBORN)-」は、これまで私が観賞した作品で言うと、映画「デスノート」2部作および映画「カイジ2~人生奪回ゲーム~」などに近いものがありますね。
基本的には人間同士の騙し合いや心理戦が延々と続くことになるわけですし。
上記作品と異なるのは、「2勢力が互いにシノギを削って争っている中で1勢力が様子見をしている」的な3つ巴の構図ならではの展開があることですね。
この間観賞した映画「アンダーワールド 覚醒」では、映画の宣伝から期待していた3つ巴の戦いがほとんど出てこなくてガッカリした経緯があっただけに、今作で展開された3つ巴の戦いは個人的にも嬉しいものがありました(^^)。
主人公格の秋山深一だけでなく、他の2国を率いていた張本タカシと桐生ノブテルによるそれぞれの知略戦も見応えがありましたし。
逆に、最初は全く頼りにならないどころか「邪魔」な様相すら呈していたのは、秋山深一と同格以上の主人公であるはずの篠宮優ですね。
素直に戦いを主導している秋山深一に任せておけば良いのに、自分で自分を勝手に追い込んだ挙句、張本タカシの姦計にハマって「無能な働き者」のごときピエロな愚行をやらかし、結果として自分も含めた「秋山国」の面々を窮地に追い込んでいたのですから。
まあ彼女も後半では秋山深一と共に見事な逆転劇を演じていましたし、その愚行と挫折は同時に彼女を成長させるための原動力にもなったのでしょうけど。
ラストは若干御都合主義的かなと思わなくもありませんでしたが、各参加者毎の人間模様や知略戦は、確かに人気作品になるだけの面白さがありましたね。

ただ、ひとつ疑問だったのは、今回開催されたライアーゲームって、前作でライアーゲーム事務局を壊滅に追い込んだ秋山深一に対する復讐が目的だったらしいんですよね。
作中でも、秋山深一に招待状を渡していた福永ユウジがそんなことを述べていましたし、公式サイトのストーリー紹介でも同様のことが書かれています。
しかし、秋山深一をライアーゲームに参加させると、一体どのようなメカニズムでもって「復讐が達成される」ということになるのか、それがそもそも全く見えてこないんですよね。
一応ライアーゲーム事務局側としては、秋山深一をライアーゲームで敗北させれば復讐は達成されると考えていたようなのですが、ただ「秋山深一を敗北させる」ことを実現するだけであれば、ライアーゲーム事務局にとって方法なんていくらでもあります。
たとえば、イス取りゲームのルールの中に「各参加者は秋山深一とだけは絶対に手を組んではならない。手を組んだ者はその場で失格」みたいな条項を追加するだけでも、秋山深一に挽回不可能なレベルの多大なハンディキャップを背負わせることが可能となります。
また、イス取りゲームのルールが適用されるのはゲームの参加者だけなのですから、ライアーゲーム事務局が外部の人間を使って秋山深一を拘束したりする、といった行為をやっても何の問題もないことになります。
あくまでもライアーゲームのルールを全く変えず、また外部の人間も使わないというのであれば、いっそ秋山深一以外の参加者全員を自分達の息がかかった手駒だけで固めてしまったり金銭を渡したりするなどして、組織的な連携プレイで問答無用に秋山深一ひとりを叩き潰す、みたいな方法を取ることだって可能です。
ゲームの参加者を選定する権利は、あくまでもライアーゲーム事務局にあるのですから簡単なことでしかありません。
もちろん、こんなことを本当にやろうものならゲーム自体が全く成り立たなくなってしまうわけですが、しかしライアーゲームの中におけるライアーゲーム事務局はある種の「神」のごとき絶対的な存在なわけですし、本当に「秋山深一への復讐」が最優先目標なのであれば、こういう選択肢を取らない方がむしろおかしいと言わざるをえないのです。
秋山深一を文字通り殺してしまえば復讐は成就される、というわけでもなさそうですし、自分達が独自に動いてなりふり構わず敗北させる手段に打って出るわけでもない。
作中のようなやり方では、ライアーゲーム事務局の復讐が達成できるか否かはかなり「運任せ」な要素が強いものとならざるをえませんし、確実に勝てる方法を捨ててわざわざ「分の悪い賭け」をしなければならない理由がライアーゲーム事務局にあったのでしょうか?
「個人への復讐」などという利害無視の行為を正当化すらしかねない要素など前面に出さないで、普通に金儲け目的のライアーゲーム開催、という形にした方がまだ良かったのではないかと思うのですけどね。

知略戦や3つ巴の戦いを観たいという方には文句なしにオススメできる作品です。

映画「逆転裁判」感想

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映画「逆転裁判」観に行ってきました。
2001年に発売されて以降シリーズを重ね、累計で400万本以上の売上を記録し、以後の法廷・弁護士ドラマにも影響を与えたと言われる、カプコンから発売された同名の法廷バトルゲームの実写化作品。
ちなみに原作ゲームは全て未プレイです(^^;;)。
Wikipediaで調べたところによると、映画のストーリーは原作ゲームの「1」をベースにしているみたいですね。

物語は何故か、霊媒師と思しき女性が、おどろおどろしく祈祷をしている場面から始まります。
自身に霊?を乗り移らせ、何かをしゃべらせようとするところで、舞台は急に切り替わり、主人公の新米弁護士・成歩堂龍一(なるほどうりゅういち)が弁護をしている法廷の場へと移ります。
成歩堂龍一は、とある殺人事件で自身の幼馴染である矢張政志(やはりまさし)にかけられた殺人容疑を晴らすべく、序審裁判で検事とのバトルを繰り広げていました。
序審裁判とは、起訴された被告が「有罪なのか無罪なのか」についてのみを、検事と弁護士による最長でも3日以内の直接対決で結審する序審と、有罪の場合のみ量刑などについての審議を行う本審に裁判過程を分ける制度を指し、原作ゲームおよび今作特有のオリジナルとなるシステムです。
何でも、増加する犯罪に対して迅速に対応できることを目的とした制度なのだとか。
その序審裁判で矢張政志の弁護を続ける成歩堂龍一は、しかし検事側の反撃で返答に窮してしまい、まさにギブアップ寸前にまで至ろうとしていました。
そこへ颯爽と登場し、被告の無罪を100%証明するだけの証拠を突きつけ、裁判の流れを逆転させたのは、成歩堂龍一の上司で良き理解者でもある綾里千尋(あやさとちひろ)でした。
結果、矢張政志は裁判官から見事に無罪を獲得することに成功します。

晴れて法廷から出てきた矢張政志は、無罪判決を獲得したお礼にと、綾里千尋に自作の「考える人」を模した時計型置物をプレゼントします。
この置物は頭の部分がスイッチになっており、スイッチを押すことで時刻を教えてくれるというシロモノでした。
困惑しながらも置物を受け取った綾里千尋はその後、どこかの資料室で資料を漁っている姿が映し出され、目的のブツらしきものを見つけて走り出しながら、「近いうちに大きな裁判をやることになるから明日の夜に来て欲しい」と成歩堂龍一に連絡します。
翌日、その呼び出しに応じて綾里千尋の事務所を訪ねた成歩堂龍一は、しかしそこで頭から血を流して死んでいる綾里千尋の撲殺体を発見することになってしまうのでした。
しばらく呆然としている中、まるでタイミングを図ったかのように事務所へやってきて成歩堂龍一に拳銃を向ける警官達。
成歩堂龍一はうろたえながらも「俺は犯人じゃない」と主張しますが、拳銃を突きつけている刑事は「お前が目的じゃない」と視線を別のところへと向けます。
そこで初めて成歩堂龍一は、遺体の近くでへたり込んでいた女性の存在に気づくのでした。
撲殺された綾里千尋は、手に持っていた紙に「マヨイ」という3文字のカタカナをダイイングメッセージとして残しており、かつへたり込んでいた女性の名前は綾里真宵(あやさとまよい)。
当然、彼女は事件の第一容疑者として警察に逮捕されてしまいます。
しかし成歩堂龍一は、無実を主張する綾里真宵の言を信じ、序審裁判での彼女の弁護を引き受けるのでした。
ところが、いざ法廷へと向かう成歩堂龍一は、自分と対決することになる検事を見て驚きの声を上げます。
それは矢張政志と同じ幼馴染で、かつては弁護士になるという将来の夢を語り合っていた御剣怜侍(みつるぎれいじ)だったのです。
御剣怜侍は、被告を有罪にするためならば手段を問わない、若いながらも敏腕検事としてその名を轟かせていました。
何故彼は、弁護士とは全くの正反対の検事になったのか?
疑問が尽きないまま、成歩堂龍一は綾里真宵の無罪を勝ち取るため、かつての幼馴染との直接対決の舞台に立つこととなるのですが……。

映画「逆転裁判」では、どう見てもギャグコメディを意図して製作されているとしか思えない演出が多々ありますね。
そもそも髪型と各主要登場人物の名前からしてギャグそのものですし(笑)。
主人公格である成歩堂(なるほどう)と矢張(やはり)以外にも、糸鋸(いとのこぎり)、大沢木(おおさわぎ)、狩魔(かるま)、生倉(なまくら)など、当て字以外の何物でもない苗字が続々と登場しますし。
髪型も静電気でも浴びているかのように横に突っ張っていたり、結い上げ過ぎて頭が伸びていたり、銀髪だったりと、とにかくあらゆる意味で特徴的なシロモノだったりします。
他にも、主人公が素っ頓狂な言動をカマしたり、それを受けて被告・検事・傍聴席の人間が一斉にズッこけるシーンがあったりと、コメディっぽい描写が満載です。
ただ、これらの描写は原作からの延長でもあるでしょうし、かつ原作では大いにウケたのでしょうけど、実写化されたものを観た限りでは、笑いよりもむしろ「寒い」と感じずにはいられなかったところですね。
笑いという点では、この間観賞した映画「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」の方がはるかに上手かったですし。
原作キャラクターの造形や描写を忠実に再現すること自体は悪いものではないでしょうが、映画「逆転裁判」の場合、それが実写化に合致したものだったのかはかなり微妙なところですね。

また、主人公が被告の無罪を立証するのに際し、検事から反論されると言葉に詰まったり返答に窮したりする描写が結構あるんですよね。
主人公は「新人の弁護士」という設定ですから、まだ弁護慣れしていないという事情もあるのでしょうけど、あまりにも頼りないイメージが前面に出ていました。
逆に決定的な証拠を突きつけて無罪を立証する場面では、ほとんどノリノリで弁術を繰り広げており、素晴らしく頼りになる弁護士であるかのように見えるんですよね。
この2つのギャップがなかなかに面白かったです。
しかし物語後半、検事側の反撃に窮するあまり、オウムのサユリさんを証人?として証言台に立たせた(設置した?)シーンなどは、さすがに「正気か?」と疑わざるをえないところでした。
証人どころか、そもそも「人」ですらないですし(爆)。
検事側も「証人としての適性を欠いている、というか適当すぎるだろ!」と吠えていましたが、思わず頷いてしまったものでした (^^;;)。
というか、よくオウムを証人(証鳥?)にすることを裁判官が認めましたね。
結果的には、そのオウムの囀りから事件のカギとなる意外かつ重要な事実が出てきたのですが、「結果良ければ全て良し」で片付く問題じゃないだろう、と。

ストーリー構成的に気になったところでは、作中で弁護側が被告の無罪を立証する際、「現状では被告が有罪なのか無罪なのか分からない」「被告には無罪の余地がある」という段階になってもなお、必死になって無罪を立証しようとしていたことですね。
実は実際の刑事裁判では、そういった段階にまで到達できれば、それは100%の「被告&弁護士の勝利」となります。
何故なら、裁判というのは本来「被告が有罪か無罪かを判断する場」でなければ「被告を有罪にしたり量刑を考えたりする場」でもなく「被告の有罪を立証しようとしている検察を裁く場」だからです。
検察が挙げている証拠が合法的に採取されたものなのか、検察が被告を有罪とする論拠は確かなものなのか、検察が出してきた証人は果たして本当のことを述べているのか……。
裁判とは、検察側が掲げる様々な証拠や証人の数々について上記のように審議する場なのであり、検察が被告の有罪を立証するためには、自分達の主張が100%全て正しいものであることを証明しなければならないのです。
裁判では「疑わしきは被告人の利益に」という言葉もあり、すくなくとも理念上では「被告が無罪になる余地は全くない」という状況にならないと被告は有罪になりません。
たとえ、検察側の主張が99.999…%と「限りなく100%に近い確率で正しい」ものであったとしても、それは「100%そのもの」ではないので、検察の主張には0.000…1%の穴があるということになり、それでは「検察は被告が100%有罪であることを立証できない」ことになってしまうのです。
当然、被告は裁判では無罪になります。
裁判がそのようなシステムになっているのは、検事が行政に属しており、裁判官は司法の一員としてのチェックを担うことでその暴走を防ぐという三権分立の理念に基づいているためで、そのため裁判官は公正ではあるべきだが中立であってはならず、あくまでも「被告の味方」でなければならないとされています。
よって、「現状では被告が有罪なのか無罪なのか分からない」という状況では、検察の主張には(無罪の余地があるだけでもダメなのに)50%もの大穴があることになり、弁護側はこの時点で被告の無罪を獲得することが可能となるのです。
この状況では、必死にならなければならないのはむしろ検事側でなければならないはずなのですが、作中ではむしろ検事側の方が余裕な態度を見せ、弁護側が追い詰められているような表情を見せているんですよね。
それは話が逆だろ、とは思わずにいられなかったのですが。

裁判で扱っている事件そのものはシリアスなもので、事件の真相もミステリー的な手法で解明されていくのですが、原作に似せようとする努力が一種のコメディっぽくなっているため、シリアス要素とコメディ要素の一体どちらを重視して映画を製作したのか、いささか判断に迷うところですね。
原作ゲームは2012年2月時点で4作目+αまで製作されているようですし、映画の興行次第では続編もありそうなのですが、果たしてどうなることやら。

映画「はやぶさ 遥かなる帰還」感想

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映画「はやぶさ 遥かなる帰還(以下「遥かなる帰還」)」観に行ってきました。
2003年5月9日に打ち上げられ、2010年6月13日にサンプルを地球に投下して消滅した、小惑星探査機「はやぶさ」とその開発・運用に関わった人々の実話を元に製作されたドラマ作品。

小惑星探査機「はやぶさ」に関する行程やトラブル発生などは、同じ「はやぶさ」をテーマに製作され、去年劇場公開された映画「はやぶさ/HAYABUSA(以下「HAYABUSA」)」とほぼ同じです。
ただ登場人物については、モデルとなった実在の人物はいるものの、「HAYABUSA」も「遥かなる帰還」も全く異なる架空の名前が使われているため、名前で登場人物の役割を照合しようとすると混乱を来たすかもしれません(^^;;)。
私も最初、「HAYABUSA」の人物設定をそのまま「遥かなる帰還」にも当てはめようとしてしまい、「アレ? こんな名前の人いたっけ?」と一瞬戸惑う羽目に(-_-;;)。
幸い、役職名の方はどちらもほぼそのままだったので、「ああ、この人物はあの役職を務めているのか」という形で、登場人物達が担っている立場や役割はすぐに頭の中に入ってきましたが。
ちなみに「HAYABUSA」および「遥かなる帰還」に共通で登場する、モデル元とおぼしき実在の人物および配役を演じたキャストは、私が調べた限りではだいたい以下のようになっているようですね↓

実在のモデル:川口淳一郎(「はやぶさ」のプロジェクトマネージャー)
HAYABUSA:川渕幸一(キャスト:佐野史郎)
遥かなる帰還:山口駿一郎(キャスト:渡辺謙)物語の主人公

実在のモデル:西山和孝(「はやぶさ」のイオンエンジン担当&運用スーパーバイザー)
HAYABUSA:平山孝行(キャスト:甲本雅裕)
遥かなる帰還:藤中仁志(キャスト:江口洋介)

実在のモデル:國中均(「はやぶさ」のイオンエンジン担当)
HAYABUSA:喜多修(キャスト:鶴見辰吾)
遥かなる帰還:藤中仁志(キャスト:江口洋介)

実在のモデル:堀内康夫(「はやぶさ」のイオンエンジン担当NEC)
遥かなる帰還:森内安夫(キャスト:吉岡秀隆)

実在のモデル:山田哲哉(「はやぶさ」のカプセル担当)
HAYABUSA:福本哲也(キャスト:マギー)
遥かなる帰還:鎌田悦也(キャスト:小澤征悦)

実在のモデル:的川秦宣(「はやぶさ」の広報担当)
HAYABUSA:的場秦弘(キャスト:西田敏行)
遥かなる帰還:丸川靖信(キャスト:藤竜也)

※取消線と青字部分は間違いとの指摘を受けましたので修正しております。

そして人間ドラマに関しては、当然のことながら「HAYABUSA」と「遥かなる帰還」でその見せ方も大きく異なっていますね。
女性平スタッフの視点および「はやぶさ君の冒険日誌」を用いることで、「子供にも理解させること」に重点を置いたストーリー進行だった「HAYABUSA」。
それに対して「遥かなる帰還」は、どちらかと言えば「大人が楽しむこと」を目的としたストーリー構成となっています。
小さな町工場を運営し、「はやぶさ」の試作品を製作した実績を持ちつつも、不況による経営悪化のために従業員が自主的に辞めていった東出機械の社長絡みのエピソードなんて、どう見ても子供向けではありませんし。
一方、人間ドラマ絡みでどちらにも共通して存在したエピソードとしては、「はやぶさ」のプロジェクトマネージャーが神社で「はやぶさの帰還」を祈願し、「はやぶさ」の管制室にお守りだかお札だかを祭るシーンですね。
このエピソードにある神社のモデルは岡山県の中和神社なのだそうで、「はやぶさ」のプロジェクトマネージャーだった川口淳一郎が2009年11月にこの神社を参拝していたことが、地元の地方紙である山陽新聞で報じられていたのだとか。
2012年3月に公開予定の、これまた「はやぶさ」をテーマとして扱っている映画「おかえり、はやぶさ」にも、このエピソードは普通に入っていそうですね(苦笑)。

今作のハイライトとしては、やはり主人公である山口駿一郎を演じた渡辺謙の演技が挙げられますね。
登場する場面の数々でやたらと貫禄がある演技を披露していましたし、「はやぶさ」が行方不明であることを理由に協力を打ち切ろうとしたアメリカのNASAに対して、流暢な英語で「貴国がそのような態度に出るならば、我が国も(はやぶさが持ち帰るであろう)サンプルの提供を拒否する」と堂々と反撃していた様は見事の一言に尽きました。
この辺りはやはり、ハリウッドでも活躍してきた渡辺謙ならではの演技だったでしょうね。
渡辺謙のファンであれば、今作を観に行く価値はあるのではないかと。

ただ個人的には、既に観賞済みだった「HAYABUSA」と「はやぶさ」絡みの描写で重複している部分が多々あったこともあり、楽しめる部分が半減していたのは惜しい部分ではありました。
「遥かなる帰還」自体が問題なのではなく、あまり期間を置かないうちに同じ主旨の映画を立て続けに観に行った私個人の事情ではあるのでしょうけど。
来月にはさらに3本目の「おかえり、はやぶさ」が出てきますし、全く同じ主旨の作品を複数、しかも立て続けに制作・公開するのは興行的にもどうかとは思わずにいられないですね。
最初からネタとして楽しむか、あえて3つ全て観賞してその違いを楽しむといった類の嗜好でも持っているのでなければ、映画を観るのは3本のうちの1本だけで充分なのではないかと。

映画「日本列島 いきものたちの物語」感想

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映画「日本列島 いきものたちの物語」観に行ってきました。
カメラマン達の実に2年半にも及ぶ動物達の観察と記録を元に製作されたドキュメンタリー映画。

映画「日本列島 いきものたちの物語」の内容は、イギリスのBBCが製作し、日本では去年公開された映画「ライフ -いのちをつなぐ物語-」の日本国内限定版、といったところですね。
ただ、「ライフ -いのちをつなぐ物語-」が、世界各国に生息する様々な動物10数種類およびその特徴をひたすら紹介していく進行だったのに対し、今作では主要なスポットが当てられる動物は以下の6種に限定されます。

北海道 知床半島 ヒグマ(双子の兄弟)
北海道 釧路湿原 キタキツネ
北海道 襟裳岬  アザラシ
青森県 下北半島 ニホンザル(人を除く霊長類で世界最北端に生息)
兵庫県 六甲山地 イノシシ
鹿児島県 屋久島 ヤクシマザル(ニホンザルの亜種)

これら以外にも紹介されている動物や海洋生物は一応いることはいるのですが、それらの生物達は上記6種の動物紹介の幕間に、ほんの一場面を紹介される程度の内容しか紹介されていないんですよね。
メインはあくまで上記6種で、彼らは冬の終わり頃から翌年の春頃までの生態の様子が紹介されています。
子育て関係は「ライフ -いのちをつなぐ物語-」でも描かれた部分ですが、親から離れて独立していく過程は今作オリジナルですね。

見ていて対照的だったのは、台風に耐えられず死んでしまった自分の子供を、まるで生きているかのように毛繕いをし続けた挙句、死んだ子供の後を追うように死んでいった屋久島ヤクシマザルの母ザルと、子育て5ヶ月で子供に噛み付いて自分のところから叩き出した釧路湿原キタキツネの母キツネですね。
一見正反対に見える母親としての行動ですが、これはどちらも立派な母性本能の産物なのです。
単独で生きていくことが不可能な子供の時期は、もちろん親として子供を外敵から守り育てていく。
そして子供が一人前に育ち、自立できる時期になると、子供を自立させるために自分の子供をあえて攻撃し自分から引き離す。
どちらも、生き抜くために必要不可欠となる動物的な母性本能の為せる業であるわけです。
母キツネの元から追い出された子ギツネは、同じように追い出された異性のキツネを探して子作りを行い、産まれた子供に対してまた同じことを繰り返すわけですね。
キタキツネの子供追い出し行動は奇異なものに映るかもしれませんが、動物一般における母性本能としてはこちらの方が普通なのです。
むしろ、人間のように「子供が成長してもなお子供を保護し続けようとする心理」が母性本能に備わっているような生物の方が極めて稀だったりします。
これは、人間が他の動物に比べて子育ての期間を長く必要とすることが影響しているのでしょうね。
人やサルなどの霊長類系は寿命が長いこともあってか子育ての期間も長いのですが、キタキツネは一般的な寿命が5~6年で子育て期間5ヶ月、イノシシやヒグマなども子育て期間は半年程度と作中でも明示されていましたし。

今作は映画「ライフ -いのちをつなぐ物語-」と同じく、動物をドキュメンタリー的に見せるのがメインの作品なので、物語としての面白さやハリウッド系のような迫力ある演出などとは全く縁がありません。
動物がとにかく好きという方や、誰かに動物を見せたいという人には必見の価値もあるのでしょうが、一般受けする映画とはやはり言い難いですね。

映画「ドットハック セカイの向こうに(3D版)」感想

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映画「ドットハック セカイの向こうに(3D版)」観に行ってきました。
2002年から始まり、マンガ・アニメ・ゲームその他多彩にメディアミックス展開されてきた「.hack(ドットハック)」シリーズの3Dアニメ映画。
当初、今作は私の映画観賞予定リストには含まれていなかったのですが、たまたま休みとなった2月1日がちょうど「映画の日」で映画料金が割安だったこともあり、急遽映画館へ足を運ぶことになりました。
3D版しか上映されていなかったので泣く泣く3D料金での観賞となりましたが、相変わらず2Dとどこら辺が異なるのかよく分からない映像で、その点については「何故こんなことに余計なカネを使わなければならないのか?」といつものことながら嘆かざるをえなかったですね(T_T)。

物語は2024年、何故か数匹のクジラとそれを取り囲んでいる数隻の船の様子が描かれている有明海の描写がひとしきり映し出された後、とある中学校で行われている学力テストの風景から始まります。
作中における2024年の学校では、机に固定されている?iPadの発展型のような端末を使って授業やテストが行われているらしく、また黒板もチョークで書き込むものではなく「黒板型電光掲示板」のようなシロモノに変えられています。
また、テストが終わったら後ろの席から解答用紙を集めていくのではなく、教師の端末に答案内容を送信するという形になっています。
ただ、この一見「未来」を感じさせるハイテクの数々にも問題がないわけではなく、テストの問題を解くのに難儀していたらしい今作の主人公・有城そらの席では、端末の調子が悪いのか教師の下へなかなかデータが送信されないといった不具合が発生したりもしていました。
ああいうのって意外に大きな問題になりそうな気もするのですが、それはさておき、テストが終わったクラスでは、冒頭に出てきた有明海に流れ着いたというクジラの話題で持ちきりになっていました。
ちなみにクジラの描写は、今後の物語で何らかの伏線として機能するのではないかと思ったのですが、結局序盤でクラスメイト達に話題を提供した以上の役割はありませんでした(T_T)。
話題となっている有明海が中学校からほど近いこともあり、友人達から一緒にクジラを観に行こうと誘われる有城そらですが、有城そらは迷った末にこれを断り、そのまま自宅への帰路に着きます。
その帰り道、有城そらは街の水路にあるベンチに座り込んでいる熱中しているクラスメイト・田中翔に出会います。
彼は「FMD」と呼ばれている特殊なメガネをかけ、携帯でも出来るオンラインゲーム「THE WORLD」に没頭していたのでした。

実は有城そらのクラスでは「THE WORLD」が流行しているらしく、「THE WORLD」をプレイしたことがないのは有城そらひとりだけという状況でした。
有城そらは頑固一徹の祖父の影響もあり、その手のゲームに全く近づこうとはしなかったのです。
他のクラスメイトとの会話でもしばしば「THE WORLD」の話が持ち出され、ひとり全くゲームをプレイしていない有城そらは、どこか話題から取り残されたような感覚を覚えるようになっていました。
幼馴染の岡野智彦および田中翔と一緒に福岡市の天神へ遊びに行った際も、「THE WORLD」絡みで新型「FMD」を購入するため家電ショップへ向かう友人達と途中で別れてしまうことに。
ところがその家電ショップで岡野智彦と田中翔は、ちょうど買い物を済ませて店から出てこうとする有城そらの祖父・有城武生を発見。
近くのマクドナルド?で問い詰めた結果、有城武生もまた「THE WORLD」にハマっていることを告白したのでした。
有城武生と出会ってすぐに再度合流するよう携帯で連絡を受けた有城そらもこの事実を知るところとなり、これが有城そらが「THE WORLD」の世界に踏み込むひとつの大きなきっかけとなります。
そんな中、ホームサーバー情報収集ロボ「まことさん」から「THE WORLD」のお試しが届いたという連絡を受け、さらに田中翔から「FMD」を貸してもらったことなども手伝い、有城そらは「THE WORLD」の世界へ足を踏み入れることになるのですが……。

この映画では、オンラインゲーム「THE WORLD」と、福岡県柳川市を主要舞台に物語が展開されます。
「THE WORLD」はあくまでも架空の存在ですが、作中に登場する現実世界の施設などは、現実にあるものがそのまま使われています。
たとえば、主人公達が通っている中学校のモデルは柳川市立柳城中学校で、体育館や校舎といった外観もそっくりに描写されています。
また、主人公達が福岡市の天神へ遊びに行く際に使用していた鉄道は、作中で走行している列車内にある電光掲示板に「福岡(天神)行き 次は花畑」と表示されていたことから、福岡市天神から福岡県南端の大牟田市までを結ぶ西鉄天神大牟田線であると簡単に特定できます。
福岡(天神)駅も花畑駅も共に西鉄天神大牟田線にある駅であり、特に西鉄久留米駅の南隣に位置する花畑駅は西鉄天神大牟田線にしか存在しないのですからね。
これが西鉄天神大牟田線の駅一覧↓

http://www.nishitetsu.co.jp/train/rosen/o.htm

さらに、天神で主人公達が街を歩いていた際に描写されていた大通りや建物などといった諸々の風景も、実際に天神で見られるそれをそのままベースにしていますし、作中に出てくる家電ショップでは、九州大手の家電量販店「ベスト電器」オリジナルの店内放送BGMが流れていたりします。
アレを聞いた時は、映画「ニューイヤーズ・イブ」および映画「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」で、「TOSHIBA」という実在の企業名がしばしば登場していた事例をついつい思い出してしまったものでした(苦笑)。
物語後半に登場する病院に至っては、そのものズバリ「長田病院」という固有名詞がデカデカと描写されていましたし、その外観もまた、福岡県柳川市に実在している長田病院そのものだったりします。

柳川市の内科専門病院:清和会長田病院(ながたびょういん)
http://www.seiwakai.info/nagata/index.html

公式サイトのプロダクションノートによれば、今作の映画制作者達は、作中に登場している店や施設のほとんどから実際に許可を取って描写していたのだそうです。
西鉄天神大牟田線と福岡天神は個人的に馴染み深いものだったこともあり、風景などはよく覚えているだけに「ああ、ここは見覚えがあるな、あそこら辺だろう」とあちこちで何度も感慨を抱いたものでした。
現地を知っている九州の人間としてそう感じるわけですから、その作りこみぶりは相当なまでに気合が入っているものなのではないかと。
ただ、肝心の柳川市はロクに行ったことがないので、柳川市のシンボルにして観光名所にもなっているはずの水路と川下りは、すぐには「柳川のことか!」と連想することができなかったのですが(^^;;)。
一応知識としては柳川にもそういう名所があることを知ってはいたのですけど、個人的に「川下り」と言ったら、一度も行ったことのない柳川の川下りよりも、過去に実際に乗ったことのある球磨川のそれの方が先に結びつくものだったりしますからねぇ(苦笑)。

九州ローカルネタ以外で印象に残ったことと言えば、2012年時点の水準から見ればとてつもなく高性能なのに、作中の基準的には2世代前の旧型らしいホームサーバーの「まことさん」の存在ですね。
IT絡みについては何も知らない主人公を完璧にサポートできる機能がある上に、主人公の命令や質問に対しても受け答えができるという高性能なAI機能が搭載されているときています。
今から僅か12年後でああいうのが一般化するというのはまさに夢のような世界ではありますね。
ただ、いずれはAI機能が実用化されるにしても、今から僅か12年で、それも一般家庭でも普通に購入できるというところまで発展できるのかと言われれば、かなり疑問と言わざるをえないところではあるのですが。
「ナイトライダー」シリーズを観ていた頃からああいうのは好きではあるのですけど、いつになったら作中のようなAI機能が一般的な商用実用化のレベルにまで到達するのかなぁ、と。

映画「ドットハック セカイの向こうに」は、良くも悪くも「オンラインゲームについて知っている人向けの内容」で構成されていますね。
一応主人公を「オンラインゲーム初心者」に設定した上で、何も知らない人間の視点からオンラインゲームにハマっていく過程を描いてはいますが、オンラインゲームのことを知らなかったり、偏見を抱いていたりする層に受けるような作品ではないのではないかと。
客層をかなり限定しそうなので、大ヒットは難しいと言わざるをえない映画ですね。

映画「麒麟の翼 ~劇場版・新参者~」感想

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映画「麒麟の翼 ~劇場版・新参者~」観に行ってきました。
東野圭吾原作のミステリー小説「加賀恭一郎シリーズ」の「新参者」を基に、阿部寛主演で放送されたテレビドラマの劇場版。
「加賀恭一郎シリーズ」は、第1弾「新参者」が2010年4月~7月にテレビドラマシリーズとして、第2弾「赤い指」が2011年1月3日に新春ドラマスペシャルとして、それぞれTBS系列で放映されており、今作はその流れの続きという形になります。
公式サイトによると、今作は「新参者」から1年後の設定なのだとか。
残念ながら私は原作&テレビドラマシリーズについては未読&未観賞だったのですが、一部主人公の人物関係で不明な点はあったものの、主要な設定などについて問題があるということもなく、前作を知らなくても充分に楽しむことができました。
もちろん、予め原作&テレビドラマ版を知っておいた方が「より」楽しめるであろうことは確かでしょうけど。

6月13日午後8時58分、東京都中央区にある日本橋の中央にある麒麟の像まで歩いてきた男性が倒れる事件が発生。
現場にいた警官がすぐさま所轄の警察本部と連絡を取り、男性はただちに救急車で搬送されたものの、病院で死亡が確認されました。
男性の腹部には刃渡り8cmのナイフが突き刺さっており、殺人事件であることは誰の目にも明らかでした。
一方その頃、今作の主人公である加賀恭一郎は、現場からそう遠くないとある喫茶店だかレストランだかで、亡くなった自身の父親の三回忌に出席するよう、父親の最後を看取った看護師・金森登紀子に詰め寄られていました。
加賀は父親との約束を持ち出して頑なに三回忌出席の確約を拒否しようとしますが、金森は何故かしつこく加賀恭一郎に出席を迫り続けます。
彼女が何故そのような態度を取るのかは物語中盤の終わり頃に明らかとなるのですが、そんなやり取りの最中、加賀の携帯に先述の殺人事件発生の連絡が入りやり取りは中断、加賀はただちに現場に赴くこととなります。
殺害された男性はカネセキ金属という企業で製造本部長を務めていた青柳武明という人物で、日本橋の麒麟の像から(負傷の身では歩いて8分近くもかかる)離れた地下道で血痕が残っていたことから、そこで刺されたという事実が判明。
何故彼は刺された場所から麒麟像まで、瀕死の身で歩いてきたのか?

また事件現場から程近い別の場所では、青柳武明のカバンを抱えて草むらに隠れているひとりの男性の姿がありました。
その男性・八島冬樹は、同居中の恋人・中原香織に携帯で電話をかけ「俺、大変なことをやってしまった」というメッセージを残した後、巡視中の警官に職務質問されて逃走中、トラックに撥ねられて意識不明の重態に。
あまりにも怪しすぎる状況から、警察の対策本部では八島冬樹が事件の犯人ではないかと睨んで捜査を開始します。
すると、一見何の関係もないかのように見えた被害者と容疑者の間に「カネセキ金属」という共通項があることが判明。
八島冬樹は、かつて青柳武明が製造本部長を担っていた「カネセキ金属」の派遣労働者として働いていたことがあり、契約期限前に解雇された経歴があることから、その恨みで犯行に及んだのではないかと推察されたわけです。
一刻も早く事件を解決済みとしたい警察の対策本部は、八島冬樹の容態が回復する気配がないこともあり、容疑者死亡のまま送検すること目的にマスコミに情報を流し、その推察を既成事実化して記者会見で公式発表しようとします。
しかし、八島冬樹が「カネセキ金属」から解雇されてから半年もの時間が経過していることや、殺害に使われたナイフが八島冬樹の物であることが立証できないことなどから、加賀は上層部に記者会見を思いとどまらせ、独自の捜査を進めていきます。
やがて、その捜査から、被害者が殺された真の経緯と事件の真相が浮かび上がってくるのですが……。

映画「麒麟の翼 ~劇場版・新参者~」を観ていて個人的に強く印象に残ったのは、殺人事件の容疑者として警察が最初にクローズアップされた八島冬樹を巡る各人の反応ですね。
彼が「カネセキ金属」から契約期間前に解雇されたのは、工場で稼動させているベルトコンベアーを非常時の際に緊急停止させる「インターロック」を起動させていなかったことによる労災事故が原因だったのですが、「カネセキ金属」の現場工場長はこの事実を上司である青柳武明に報告しなかった上、彼の死後にそれが明るみに出た途端、今度は「死人に口なし」とばかりに青柳武明にその全責任を押し付けているんですよね。
結果、殺された被害者の遺族達は「殺されて当然だ」と言わんばかりの非難を浴び、さらには被疑者の長女が自殺未遂を図るなどという事態にまで発展してしまいました。
また、「八島冬樹犯人説」がワイドショーなどで盛んに報道された結果、恋人兼同居人だった中原香織は、「自分の店について悪い噂が流れると困るから」という理由で肉屋のバイト先からクビを言い渡されてしまいます。
このいかにも「事なかれ主義」的な営利企業の自己保身な言動の類は、現実にも普通に起こりえることなのでしょうが、風説の流布によってそういう目に遭わされる側にしてみればたまったものではないでしょうね。
物語の終盤で、それらの風説は事件の真相と共に事実とは全く異なることが判明するのですが、名誉を回復されたはずの関係者達は、しかし当面の間は引き続き白眼視され続ける環境に置かれ続けることになるのが目に見えています。
一度毀損された名誉はそうそう簡単に回復するものではありませんし、虚偽の風説を信じて解雇などの権限を発動した企業や人間が、その自身の責任を認めて被害者に謝意を表する事例なんてほとんどないのですから。
「そんな報道を流すマスコミが悪い」か「そんな報道を流された被害者にも責任がある」かのどちらかの主張を展開した挙句、最後の結末は「自分は悪くない」で締めくくるわけで。
いや、後者はともかく前者は必ずしも間違っているわけではないのですが、それを含めて考えても「その間違った報道を信じて行動に移した自分」の責任は免れないのですから、本来は何の言い訳にもならないはずなのですけどね。
しかも、それでも「事実関係が間違っていた」ことを認めるのであればまだマシな方で、それすらも認めなかったり後者の理由を振り回したりした挙句、相変わらず被害者を罵りまくるという、救いようのないほどに最悪な連中もいるのが現実です。
これも「間違った情報を元に間違ったことをやらかした事実を認めたくない」「そのことに対する責任を取らされたくない」という自己保身の産物なのでしょうが、作中における被害者の遺族は、これからも一度流された風説に苦しめられ続ける日々が続くことになるのではないかと。

それと、これはテレビドラマ版の延長線上にあるのでしょうが、主人公の加賀恭一郎ってやたらと顔が広いですね。
現場に程近い店々の店員達の多くと顔見知り&かなり親しげな様子でしたし、彼ら彼女らから被害者や容疑者に対する多くの情報を引き出すことにも成功しています。
実際の警察の捜査でも、一般人の協力から事件解明や犯人調査に纏わる重要な情報が得られることが少なくないそうなので、ああいうのって結構な「強み」になるでしょうね。

あと、今作では銀英伝舞台版第一章でラインハルト役を演じた松坂桃李が「殺害された青柳武明の長男役」で出演しています。
「父親に隔意ありげな息子」という役柄を存分に演じきっていました。
映画観賞中は全く気づくことがなく、観賞後に公式サイトで作品情報や登場人物名を調べていた際にその事実を知って「意外な縁があったなぁ」と少々驚いた次第で(^^;;)。
個人的には、銀英伝舞台版第一章絡み以外で彼の名前を見かけたのも、またそれ以外の出演作品を観賞したのも今回が初めてだったりします。
1年半以上ぶりに改めて調べてみたら、松坂桃李は去年から映画やテレビで積極的に顔を出すようになっているみたいですね。

映画「麒麟の翼 ~劇場版・新参者~」は、同じ東野圭吾原作のミステリー小説でも、まるで救いようのないバッドエンドと、人間の冷酷さがこれでもかとばかりに繰り広げられた映画「白夜行」とはまた一味違った面白さがありましたね。
ミステリー的な出来の良さや人間ドラマにスポットを当てたドラマ展開は相変わらず秀逸で、観る者を退屈させることがありません。
作中に出てくるエピソードの数々も、上記で挙げた通り現実にも充分に起こりえる展開ばかりで、それらが全て繋がることで謎が解明されていく過程は爽快感すら覚えるものがありましたし。
また今作は「白夜行」と違ってバッドエンド物ではないので、その手の作品が苦手という方にも素直に楽しめる作品ではないかと思います。

映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-」感想

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映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-」観に行ってきました。
日独伊三国同盟の締結および大東亜戦争(アメリカ命名:太平洋戦争)の開戦に反対しながら、開戦の発端となる真珠湾攻撃を決断せざるをえなかった山本五十六の足跡を描いた、役所広司主演の作品。
なお、今作が2011年における私の最後の新作映画観賞となります。

山本五十六の足跡を辿る物語は1939年の夏から始まります。
当時、日本は2年前に勃発した支那事変が泥沼化する中、ナチス・ドイツからイタリアを含めた日独伊三国同盟の締結を求められていました。
ドイツの実力に心酔していた陸軍、およびマスコミに煽られた国民世論は日独伊三国同盟の締結をすべきだと主張しますが、海軍大臣の米内光政、軍務局長の井上成美、そして今作の主人公にして海軍次官の山本五十六が断固とした反対の声を上げます。
彼らは反対派から暗殺やクーデターまで示唆されますが、それでも自らの信念を曲げることなく同盟の締結に反対し続けました。
ところがそんな折、ドイツが日本の宿敵だったソ連と突如不可侵条約を締結してしまい、当時の平沼内閣が「欧州情勢は複雑怪奇」という有名な言葉を残して総辞職。
さらに9月1日にはドイツがポーランドに侵攻を開始、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告することで第二次世界大戦が勃発します。
内閣が総辞職したことと国際情勢が激変したことで、日独伊三国同盟締結のための一次交渉は頓挫し、山本五十六らの懸念はひとまず収まりを見せました。
山本五十六は「根本的には何も解決していない」として引き続き同盟締結への動きを牽制すべく海軍次官として働きたいとの意向を示しましたが、米内光政海軍大臣は山本五十六が暗殺される可能性を懸念し、彼を安全な場所である軍艦長門の中に避難させるべく、連合艦隊司令長官に任命します。
連合艦隊司令長官に就任した山本五十六は、持ち前の持論からいずれ航空機の時代が来るとの考えから、航空戦力の充足を図るようになります。

翌年1940年5月になると、ポーランド侵攻以来軍事行動の動きを止めていたドイツが今度は西部へ侵攻。
ベネルクス三国(ベルギー・オランダ・ルクセンブルク)とフランス北部が瞬く間に制圧された上、フランス本国も6月には首都パリを占領され、ナチス・ドイツに降伏を強いられるのでした。
この報を受け、日本では再び日独伊三国同盟締結の動きが活発化。
今度も山本五十六は同盟締結に反対の意向を示すのですが、しかし今度は同じ海軍内の上層部も締結に賛成する側に回ってしまい、山本五十六に対しても海軍の方針に従うよう要求してきたため、同盟締結を止める術を断たれてしまいます。
日独伊三国同盟締結から1年の間に、アメリカとの関係は大きく悪化。
日本とアメリカの国力差を誰よりも熟知する山本五十六は、やがて「初撃で大ダメージを与えアメリカの戦意を喪失させ早期講和に持ち込む」ことを目標に、真珠湾攻撃作戦を構想し始めるのですが……。

映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-」では、ストーリーの基本的な流れは、日独伊三国同盟締結前~敗戦までの歴史を忠実になぞっており、また登場人物達の名前も当時実在していた人物の実名を使用しています。
また、陸軍省や海軍省といった当時の組織名や、大和・長門などの艦船名などもについても、史実のものをそのまま採用しています。
映画のタイトルからして「太平洋戦争70年目の真実」と銘打っているわけですし、この作品は完全なフィクションではなく、実話と実際の歴史を元に実在した人物のエピソードを語るというスタンスを最初から明らかにしているわけです。
ところが、そんなスタンスであるにもかかわらず、この作品には何故か「史実に反した架空の存在」が入りこんでいます。
それは、作中で山本五十六にしばしばインタビューを行い、作中でも「国民世論を煽っている」と評されていた「東京日報」という名の新聞社です。
作中でこの新聞社の名前が初めて出てきた時、私は「そんな新聞社が当時あったのか?」と疑問を抱かずにはいられませんでした。
しかも、いくらgoogleやwikipediaなどで調べてみても、そんな名前の全国系新聞社の痕跡は当時にも現代にも全く見当たらないんですよね。
一応googleだと「有限会社東京日報」という会社名と連絡先が書かれているページが出ては来たのですが↓

有限会社東京日報社
http://www.mapion.co.jp/phonebook/M10016/13207/21331652293/

しかしこの会社は公式サイトが全く見つからず、上記ページ内容以外の詳細は一切不明。
wikipediaにすら情報が載っていないことから鑑みても、この名前の企業が作中に登場する「東京日報」と同一の存在であるとは到底考えられません。
仮にも日本の国民世論を左右できるだけの影響力を持つ、あるいは過去に持っていた新聞社の詳細情報がWeb上に全く記載されていないなどという事態が、今の世の中で考えられるのでしょうか?
となると必然的に、作中における「東京日報」という名の新聞社は全く架空の存在である、と断じるしかないわけです。
しかしそれにしても、「太平洋戦争70年目の真実」などと銘打ち、しかも歴史的経緯や実在の人物名および組織名もそのまま採用している作品で、新聞社だけが架空の存在として登場する、というのは少々どころではなくおかしいと言わざるをえないでしょう。
しかも、この「東京日報」が作中で果たしている役割は決して小さなものではなく、史実に実在している(いた)のであれば実名を載せて然るべき存在であるはずです。
では、この「東京日報」というのは一体何物なのでしょうか?

今回の映画を製作したスタッフ達も、まさか「東京日報」という名前の全国系新聞社が当時実在していたと本気で信じていたわけではないでしょう。
作中の細々とした史実と異なり、そんなことは下手すれば小学生ですら知っている程度の知識でしかないのですから。
となると、作中の「東京日報」には元ネタがあり、何らかの理由で架空の名称を使わざるをえなかった、と考えるのが妥当なところです。
ではその元ネタとは何なのか?という話になるのですが、実のところ、「東京日報」の元ネタなんて簡単に絞り込むことが可能だったりします。
それは当時の「東京日日新聞」および「東京朝日新聞」。
前者は1943年に名称を変更した現在の毎日新聞、後者は1940年に当時の「大阪朝日新聞」と題号を統一した現在の朝日新聞です。
この2つの新聞は、当時の名称が「東京日報」と似通っているだけでなく、国民を戦争に煽りたてる記事を書きまくって部数を伸ばしたという点においても作中の「東京日報」と合致します。
作中でも繰り広げられた真珠湾攻撃とミッドウェー海戦では、朝日新聞がこんな報道をやらかしていたわけですし↓

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特にミッドウェー海戦の「戦勝報道」なんて、敵艦船撃沈の写真がないという作中の描写と全く一緒ですしね(苦笑)。
他にもこんな精神論じみたタワゴトをぶち上げていたり↓

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こんな「歴史的事実」が立派に存在する以上、作中の新聞社も「東京日報」などという架空の名称などを使うのではなく、素直に「朝日新聞」「毎日新聞」という実名を使った方が、史実にも「より」忠実になって良かったのではないかと思うのですけどねぇ(笑)。

もちろん、当の朝日新聞と毎日新聞にしてみれば、自分達の恥をばら撒く以外の何物でもないそんな行為は到底許せるものではなかったのでしょう。
特に朝日新聞には、1994年にリヨン社から発刊された「朝日新聞の戦争責任」という戦前報道を追及する本を、記事の著作権侵害などという意味不明な理由でもって廃刊に追い込んだ前科もありますし↓

朝日新聞の戦争責任
http://www.amazon.co.jp/dp/4872332369

今作における山本五十六は、「東京日報」の主幹である宗像景清が「国民の声」とやらを呼号して日独伊三国同盟に賛同するよう述べてきたことに対し、「その国民を煽っているのはあなた方ではないのですか」などと打ち返したりしていますから、新聞社の名前が実名だったら、現実的にも非常に愉快なエピソードになったであろうことは確実だったのですが(爆)。
やはりこの辺りは「自社の歴史の真実が表に出ることを非常に忌み嫌う新聞社様の意向に逆らうことができなかった」という大人の事情でも介在していたのでしょう。
朝日新聞と毎日新聞も、常日頃から「先の戦争について反省し、周辺諸国に対して謝罪しなければならない」「歴史の真実を捻じ曲げることはできない」などと述べているのですから、国民を戦争報道で煽ったという戦前における過去の事実を直視して素直に自社名を使わせてやれば良いものを(-_-)。
しかしまあ、「太平洋戦争70年目の真実」と銘打つ作品に登場する新聞社の名前がウソというのは、ブラックジョークにしてもなかなかに上手いセンスとしか言いようがないですね(苦笑)。

新聞社の名称以外のことに目を向けてみると、真珠湾攻撃の際に山本五十六が「攻撃に先立ち宣戦布告の文書を出させるよう本国に伝えてくれ」「日本人は奇襲を仕掛けるにもまずは枕を蹴ってから攻撃するものだ」などと述べていた辺りの描写は、いかにも「未来人的な視点に基づいた発言」としか思えなかったですね。
山本五十六が過去に参戦していた日清・日露戦争でも、日本は宣戦布告してから開戦なんて全くやっていませんでしたし、初撃の奇襲作戦後に宣戦布告というのは両戦争でも同じ流れを辿っています。
当時は「宣戦布告してから戦争をすべきだ」という国際ルールなど存在しませんでしたし、国際法で宣戦布告について定義されて以降も、そんなルールをバカ正直に守っている国なんて現代に至るまでほとんどないですね。
しかも当時の日本には、アメリカからハル・ノートという最後通牒を突きつけられて「開戦に追い込まれた」という一面もあったわけですし。
だから「当時の山本五十六がこんなことを言っているはずないだろ」というのが、この辺りのことについての率直な感想でしたね。
むしろ、圧倒的な国力差なのに相手に正々堂々を要求するなどというアメリカ側の宣伝に面食らっていたのではないかなぁ、とすら考えたくらいだったのですが。

内容的には史実をベースにした歴史物なので、先の見えない展開を楽しむというタイプの映画では間違ってもないですね。
当時の日本の「空気」について知りたい方と、役所広司をはじめとする俳優さんの演技が見たいという人向けの作品、と言えるでしょうか。

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