映画「ロック ~わんこの島~」感想
映画「ロック ~わんこの島~」観に行ってきました。
2000年に発生した三宅島大噴火の災害で、生まれ育った島を離れざるをえなかった小学生の主人公およびその家族と、飼い犬であるゴールデンレトリバーのロックの物語です。
なお、今作で私の2011年映画観賞本数は、記録的な大豊作となった去年1年間の映画観賞総本数である35本のラインに到達しました。
8月~10月にかけても観賞予定の映画が目白押しですし、今年の最終的な映画観賞総本数は60本近くまで行きそうな状況ですね(^^)。
作品最初の舞台は1999年?~2000年当時の三宅島。
東京から船で6時間半かかるこの島の「6区」で、民宿「たいよう」を営んでいる野山一家を軸にストーリーは進行していきます。
その野山一家の長男で今作の主人公である野山芯は、ヤンキーのような風体なのにウソがつけない熱血漢の父親・松男と、「かかあ天下」という概念を具現化したような母親・貴子の下で育った小学生。
ある日、父方の祖母である房子の家で飼われていたメス犬の老犬・ハナに、1匹の犬が生まれます。
母親犬が老齢で無理な出産だったことと、出産直後は反応がなかったことから最初は死産ではないかと思われていたのですが、野山芯が仔犬の目が開いているのを発見し、喜びに湧く野山一家。
仔犬は「ロック」と名付けられ、以後、当時小学生だった野山芯が面倒を見ていくことになります。
しばしば部屋を荒らしたり母親相手に粗相をしたりして教育指導的に2度にわたり捨てられるという経験を受けながらも、野山芯と共に健やかに育っていくロック。
ところが2000年8月、突如三宅島の大噴火が発生し、島民全てが島か避難せざるをえない事態に発展します。
それに先立ち、三宅島の子供達を東京の全寮制の学校に受け入れるという方針が決定。
野山芯は当時まだ小学2年生でしかなかったにもかかわらず、ロックどころか家族とまで一時的にせよ引き離れることを余儀なくされます。
そして、東京へ移動する日に当たる2000年8月29日の朝、駄々をこねつつも両親の説得(というより母親の一喝)で東京へ向かうための車に乗り込んだ野山芯は、異変を察知して追いかけてくるロックに見送られながら三宅島から離れることになるのでした。
しかし島の状況はそれからさらに悪化し、わずか4日後の9月2日は全島民が三宅島からの離島を余儀なくされることになります。
当然、ロックも一緒に家族と一緒に三宅島から離島することになっていたのですが、ここで大きなミスが発生します。
大型犬を収納するカゴに入れられることを嫌がったロックが、あろうことかカゴから脱走し、行方をくらましてしまったのです。
ロックの生存が絶望視される状況の中で父親からそのことを告げられた野山芯は、それでも「ロックは生きている」と信じて待ち続けるのですが……。
映画「ロック ~わんこの島~」は、フジテレビ系列で放送されている朝の情報番組「めざましテレビ」の人気コーナー「きょうのわんこ」で話題となった実話を元に製作された作品です。
その紹介内容はネット上でも公開されています↓
http://www.fujitv.co.jp/meza/wanko/wsp0706.html
こちらのロックはゴールデンレトリバーではなく雑種だったようですね。
ただ、今作の元ネタとなった実在のロックは、映画クランクインの3ヶ月前に、14年11ヶ月という高齢のため亡くなったとのこと↓
http://www.cinematoday.jp/page/N0034029
実在のロックもまた、三宅島の噴火で数奇な人生を歩んでいたようですね。
映画「ロック ~わんこの島~」では、飼い犬であるロック絡みの話もさることながら、大規模災害で被災した家族が如何にして避難生活を乗り越えるかというテーマについても描かれています。
自分達の生活を維持していくため下働きに出る両親。
同じ避難民達の相談窓口担当になる祖母。
離島者達を励ます意図で開催された祭り。
野山芯の父親が母親に向かって述べていた「俺達に出来ることはひとつ、落ち込まないこと」「落ち込んだら、負けるぞ」という言葉。
そして、奇跡的にロックと再会することができたものの、避難生活を余儀なくされているが故に避難先の仮住まいでは飼うことができず、収容されていた三宅島噴火災害動物救護センターの生活でストレスが溜まり衰弱していくロックを見て、「ロックを手放す」という自身にとってもつらい決断を下す野山芯。
いずれも、三宅島からの離島で生活基盤を破壊され、いつ終わるとも知れない避難生活を余儀なくされた避難民ならではの日常風景と言えるものでしょう。
時勢柄、東日本大震災や福島第1原発の被害に遭い、まさに「いつ終わるとも知れない避難生活」を続けている被災者の人々の境遇とも重なります。
それ故に作中で描写されている避難生活は、今の日本人にとって感情移入しやすいものになっているのではないでしょうか?
あと、物語後半でロックを引き取っていった新しい里親さん達が、2005年2月に三宅島の避難命令が解除された際、どういう心境でロックを手放したのかも気になるところではありましたね。
ロックは野山芯の決断で新しい里親に引き取られていったのですが、その際、野山芯の父親が、新しい里親の人に「三宅島の避難命令が解除されたら、再びロックを自分達に返して欲しい」と土下座までして頼み込んでいました。
しかしその後1年以上経っても避難命令が解除されなかったため、「もう返すようなことにはならないだろう」と判断した新しい里親の人達は、「ロック」という名前も改名してすっかり「自分達の犬」として可愛がっており、ロックもまた新しい里親の人達に懐いていたのです。
それを避難命令が解除され、自分達のところにロックを返すよう改めて求められた新しい里親の人達は、さぞかしロックのことについて悩まざるをえなかったことでしょうね。
確かに土下座までして頼み込まれた約束を承知してしまった以上、理論的には返すのが筋ではあるのですが、彼らとてロックを引き取っていた間にロックに対する愛着も湧いてきたでしょうし、こちらも相当なまでの葛藤があったであろうことは想像に難くありません。
両者を仲裁していた女性の獣医の真希佐代子も、ロックを返してもらうよう押しかけてきた野山芯の父親相手に何度も思いとどまるように忠告すらしていたくらいでしたし。
野山一家と再会したロックは、野山芯のことをちゃんと覚えていて、嬉しそうに吠えながら野山芯に向かって駆け出してきましたが、ロックにとって果たしてどちらの飼い主が本当に大事だったのか、微妙なところではあります。
ロックの視点から見れば、「野山芯および野山一家は自分を捨てた」と解釈しても不思議ではないところですからね。
というか、両者の再会でロックが吠え出した時、笑みを浮かべる野山一家の面々を見て「アレは野山一家を拒絶している吠え声かもしれないじゃないか、その判断はまだ早過ぎる」とすら、私はついつい考えてしまったくらいだったのですが(^_^;;)。
ペットを扱った作品としての方向性は、過去に観賞した映画「わさお」に近いですね。
最初から悲劇的な結末が明示されている映画「星守る犬」は「泣くのが分かりきっているから観ない」と犬好きな人間から敬遠される傾向が多々ありましたが、その点この映画はある意味「安心して観れる作品」です。