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カテゴリー「邦画感想」の検索結果は以下のとおりです。

映画「SP THE MOTION PICTURE 革命篇」感想

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映画「SP 革命篇」観に行ってきました。
フジテレビ系列で放送されたテレビドラマ「SP 警視庁警備部警護課第四係」の映画版「SP THE MOTION PICTURE」2部作の後編に当たります。
全く予備知識がなかった前作の観賞時とは異なり、今回はテレビドラマ版のエピソード0~4、映画版前編の「SP 野望篇」、そして「SP 革命前日」を全て網羅し、準備万端整えた上で映画観賞に臨むことと相成りました。
過去作を観賞した際の私の感想については以下を参照のこと↓

映画「SP THE MOTION PICTURE 野望篇」感想
テレビドラマ版「SP 警視庁警備部警護課第四係」エピソード1&2感想
テレビドラマ版「SP 警視庁警備部警護課第四係」エピソード3&4感想
テレビドラマ「SP 革命前日」感想

私が観に行った映画館では、初日で期待作ということもあり、スクリーンはほぼ満席状態でしたね。
ただ全国的に見れば、やはりこの作品も東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響は避けられなかったところだったでしょうけど。

物語は、「SP 革命前日」でも登場していた、妙にがらんどうな印象があるワンルームから、尾形総一郎が出勤していくところから始まります。
机には、これまた「SP 革命前日」で執筆していた井上薫宛に書かれた封筒が置かれています。
尾形総一郎はそれを胸ポケットにしまい、自らの職場である警視庁警備部警護課第四係へと向かうことになります。
一方、警視庁警備部警護課第四係では、サブリーダー格の石田光男と山本隆文が「SP 革命前日」で過ごした休暇の内容について語り合っています。
そこへ笹本絵里が登場し、山本隆文と2人でドツキ漫才を展開している最中に、我らが主人公である井上薫が入ってくるという展開になります。
しかしそこで突然、井上薫の例の危機感知能力が発動し、本人に「何かが起こる」と予感させます。
そんな中、トリで警視庁警備部警護課第四係に姿を現し、部下の4人組に、内閣総理大臣・麻田雄三の不信任案が提出される国会へ赴く4人の議員達を護衛する任務を伝える尾形総一郎。
エピソード4の最後と「SP 野望篇」以降、尾形総一郎に不信感を抱くようになっている井上薫もまた、議員のひとりの護衛任務に従事しつつ、国会議事堂へと向かうことになります。

国会議事堂の衆議院棟で本会議が始まる中、外で待機するSP4人組に別室を「検索」するよう命じて自分達と切り離しつつ、残ったSPメンバーと偽装した工作員達で国会議事堂の制圧に乗り出す尾形総一郎。
事前に周到な準備を整えていた襲撃側に対し、襲撃自体全く想定していない上に武器の携帯すら許されていないためにほとんど無防備と言っても過言ではない警備員達。
当然、マトモな勝負になどなるはずもなく、瞬く間に警備員達は倒され、衆議院棟へ続く通路は次々と封鎖されていきます。
そして全ての封鎖が完了し、不信任決議案で揉めに揉めている衆議院棟の扉を開き、拳銃を携えて侵入する襲撃者達。
国会議員達を銃で脅しつつ、壇上に上がった尾形総一郎は銃声一発と共に高らかに宣言します。
「国民の諸君に告ぐ。 現在をもって国会議事堂、衆議院棟は我々の支配下にはいった」と。
これが「革命」の始まりになります。

前作の「SP 野望篇」と同様、「SP 革命篇」のストーリーもまた、これまでの全エピソード、特に「SP 革命前日」を予め観ておかないと分からない設定が多いですね。
公安部所属の田中一郎が登場早々重傷を負って入院している光景や、本来国会警備の予定がなかったはずのSP4人組が国会警備に従事していることに気づいて愕然とする梶山光彦の姿などは、「SP 革命前日」を観ていないと意味不明な話でしかありませんし。
映画版「海猿」シリーズなどが単体でも話が成り立つ仕様であることを考えると、全ての話を踏襲しておかないとストーリーどころか人間関係や世界観すら理解できない、というのは、観客にとってはややハードルが高いかもしれません。
まあ、製作者側もその辺りのことを自覚していたからこそ、映画公開1週間前というタイミングで、スペシャルアンコール特別編や「SP 革命前日」をテレビ放送していたのでしょうけどね。

前作「SP 野望篇」で盛大に振舞われたアクションシーンは今作でも健在でした。
「革命」が始まり、SP4人組を始末に向かったSP四係新人チームとの戦いが勃発して以降はアクションシーンの連続。
エピソード2の戦いを髣髴とさせるような「そこら辺のありきたりな道具を使って撹乱・奇襲を仕掛ける」的な描写もあります。
ただ、それだけの卓越した戦いができるのに、衆議院棟の扉を守っていたSP所属の門番2人を倒す際に何故か丸腰同然で正面から説得に当たるという手に出ていたのは不可解もいいところでしたが。
国会制圧という挙に出ていたメンバー達は当然それなりの覚悟で事に当たっていたわけですし、井上達の説得に応じる方が変なのですし、それまでと同じように奇襲をかけて倒した方が安全確実だったのではないでしょうか。
相手が拳銃を一発ぶっ放すだけで衆議院棟や他の階にいる仲間達に自分達の所在が知られ、人質どころか自分達の身の安全すら確保しえなくなる、という現状でのあの作戦は無謀極まりない行為としか言いようがありませんし。

尾形総一郎が意図した「革命」の実態は、マスコミに国会を生中継させ、議事録にも発言内容を完全に記録させた状態で、特定政治家の過去の汚職や犯罪行為を暴露し、罪を認めさせるというもの。
何か一昔前の左翼グループの間でさかんに行われていた「総括」を想起させるものがあるのですが、本質的には「復讐」が目的だった尾形総一郎にとっては唯一絶対の必殺な策だったのでしょうね。
国民の審判を恐れる民主主義国家の政治家にとっては、確かにこれ以上ないほどに恐ろしい効果的な「罰」になりますし。

内閣を構成する閣僚達に対する追及から始まった「革命」は順調に推移し、最後に本命である麻田雄三が壇上に立たされることになります。
ここで麻田雄三は、自身を先輩として慕っていたとある議員の「自殺」についての「お前が殺したんだ!」と糾弾されることになるのですが、その際に描写された回想シーンから、実は尾形総一郎と伊達國雄が実の兄弟らしい、という事実が発覚します。
「SP 革命前日」で、伊達國雄が尾形総一郎を信頼しているかのような謎の発言を披露していたのはこれが原因だったわけですね。
しかし、尾形総一郎は確かに伊達國雄を裏切りませんでしたが、伊達國雄は尾形総一郎を見事なまでに裏切りました。
しかも伊達國雄は他の襲撃メンバー達も取り込み、尾形総一郎に銃口を向けさせるという念の入れよう。
さらにそこへ、門番達を説得し扉の向こうで待機していたSP4人組が乱入。
仲間の襲撃メンバーが次々と倒され、内と外の両面から尾形総一郎が意図した「革命」は失敗に終わってしまいます。

自分達の脅威が消失したことを知った議員達が扉に向かって殺到していく中、麻田雄三はよせば良いのに護衛もなしに単独で地下通路に逃げる道を選択してしまいます。
他の議員達をある意味「盾」にして一緒に安全圏まで逃げていれば、身の安全は普通に保証されていたのに、わざわざそんなことをするから尾形総一郎が追撃を開始してくるんですよね(苦笑)。
ここから始まる麻田雄三を巡る追跡劇は、アクションシーンがあることを除けばエピソード4のそれを想起させるものがありましたね。
これが最終的には、予告編や「SP 革命前日」にもあった屋上での対峙に繋がるわけです。

映画「SP 革命篇」は「運命の最終章」「The Final Episode」と謳われているのですが、終盤の展開を見る限りでは未だ解明されていない謎が残されており、また別の黒幕的な存在も暗示されています。
尾形総一郎が井上薫宛に出した封筒も、結局内容の公開どころか封を切られることすらなく終わってしまっていますし。
どう見ても「続きがある」ような終わり方をしているのですが、果たして続編が作られることはあるのでしょうか?

映画「わさお」感想

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映画「わさお」観に行ってきました。
青森県西津軽郡にある鰺ヶ沢町(あじがさわまち)を舞台に、ネットで有名になった秋田犬長毛種のブサかわ犬・わさおの半生を描いたハートフルドラマ。
薬師丸ひろ子が22年ぶりに主演を演じ、また主人公である「わさお」を、代替犬を使うことなく本物のブサかわ犬である「きくやわさお」が自ら演じたということでも話題になった作品です。

物語は、過去に行われた鯵ヶ沢町のトライアスロン大会の際、両親と姉弟の4人家族が映し出されるところから始まります。
その中の末っ子の少年アキラは片手にシロという白い子犬を、片手に赤いボールを持ち、選手達の応援をしていました。
しかしその時、ふとした拍子に赤いボールが道路に転げ落ち、それを取ろうとシロが道路に飛び出してしまいます。
そこへ、お約束のように登場し、シロを跳ね飛ばさんと迫ってくる車。
事態に気づいた母親が道路に飛び出してシロを庇い、結果、シロの代わりに母親が交通事故に遭い半身不随となってしまいます。
そのことにショックを受けたアキラは子犬を飼う気を無くしてしまい、シロに対して半泣きになりながら「おまえなんかどっかに行っちゃえ!」という罵倒を投げつけ、子犬は東京の親戚にもらわれていってしまいます。
しかし、アキラのことが忘れられないシロは、親戚のオバサンが玄関先で配達人?の相手をしている隙を突いて空いていた窓から脱走し、鯵ヶ沢町までの長い旅に出ることになります。

月日は流れ、鯵ヶ沢町では畑が何者かに荒らされる被害が出ていました。
被害状況から見てクマか大きな野犬ではないかという疑惑が駆け巡り、住民が対処に追われる中、白いライオンのような犬が町のあちこちで目撃されるようになります。
鯵ヶ沢町の海辺でイカ焼き屋を経営し、元捨て犬だった4匹の犬を飼っていた薬師丸ひろ子演じる菊谷セツ子の前にも、この白いライオンのような犬が現れます。
もちろん、この犬の正体は、東京から鯵ヶ沢町までの長い旅を経て成長したシロだったりするのですが。
菊谷セツ子が初めてシロを見た際の感想は「ギリギリな犬」「わさわさしてる」。
菊谷セツ子はこれまで拾ってきた犬達と同じように「ギリギリな犬」と接し、当初は餌をやろうとしても拒否されていた「ギリギリな犬」も、ナギサという老犬が普通に食べる様子を目撃したからなのか、やがて餌を食べるようになります。
菊谷セツ子はこの「ギリギリな犬」に「わさお」という名前をつけ、なにかと世話をしていくことになるのですが……。

内容を見る限り、映画「わさお」はわさおファンを意識して製作された作品、というイメージがありますね。
作中で展開されるわさお関連のエピソードは、明らかにわさお関連のブログで取り上げられたネタを元に作られています。
たとえば、菊谷セツ子がわさおと初めて出会うシーンなのですが、これはわさおがブサかわ犬として全国的に有名になる発端となったブログ記事をベースにしていたりするんですよね↓

イカの町で出会ったモジャモジャ犬「わさお」 ― メレンゲが腐るほど恋したい
http://d.hatena.ne.jp/mereco/20080526/p1

両者が出会った場所からして、上記のブログ記事に掲載されているこの画像の風景そのものでしたし↓

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また、わさおとの初対面の際における菊谷セツ子の第一声もまた、件のブログ記事を執筆したブログ主であるメレ子さんの第一声「なんか犬としてもギリギリな感じの犬がいるー!」とほぼ同じものだったりします。
「わさお」という名前自体もこの時メレ子さんが仮に名付けたものですし。
実際のわさおは国道沿いで捨てられていたのを拾われたらしく、最初は「レオ」と名付けられていたようなのですが、飼い主である菊谷節子さんが「わさお」という名前を一発で気に入り、正式名称も2009年初頭に「わさお」へ改名したのだとか。
その辺りの経緯はこちらに載っています↓

レオがわさおになった理由(わけ) ― わさお通信:今日のしっぽ
http://www.toonippo.co.jp/blog/wasao/2009/01/24213145.html

さらに作中では、菊谷セツ子が元々飼っていた4匹の犬のうち、ナギサという老齢の犬が天寿を全うすることになるのですが、こちらも実際に菊谷商店でわさおと一緒に飼われていたチビという老犬のエピソードをベースにしたものです。
元ネタはこちら↓

チビ永眠 ― わさお通信:今日のしっぽ
http://www.toonippo.co.jp/blog/wasao/2010/05/02194623.html

ここでは、ナギサの死期が近いことを悟った菊谷夫妻がつきっきりで見守りつつも、夜も遅いこともあってついうたた寝してしまった間にナギサが逝ってしまうのですが、夜中にどこからともなく出てきたわさおがナギサの死を看取り、菊谷夫妻も朝になって残された毛からそのことを知る、というストーリーが展開されます。
ちょっと目を離してしまった間に老犬が逝ってしまい最期を看取りそこなう、というパターンは、実は私の実家でも似たようなことが過去にあったので、この辺りの話は個人的に他のシーンよりも飼い主に感情移入して観ていましたね。
この話の元ネタとなった老犬のチビは、昼過ぎ頃に永眠したということもあってか、飼い主とわさおにきちんと看取られての最期だったようですが。

作中に登場した動物達は、本犬役を演じた「きくやわさお」のみならず、菊谷商店で飼われていた4匹の犬や、菊谷商店の周囲にたむろしていた猫達も含めて、皆自由にのびのびしている感がありましたね。
飼い主が海岸で犬達の放し飼いにして好きに走らせたりする描写がありますし、菊谷商店に居つくようになって以降のわさおも基本は放し飼いです。
製作者達も、犬達の自然な様子を撮りたいという意図から、あえて訓練を受けていない犬を選んだとのことで、その辺りはさすが上手く表現できているのではないかと思いました。
ただ、主演という割には、思ったよりもわさおの出番が少なかったような印象は否めませんね。
特に物語中盤付近における鯵ヶ沢トライアスロン大会などでは、わさおはほとんどストーリーに絡むことがありませんでしたし、それ以外にも小さなエピソードを大量に詰め込み過ぎているような感もあります。
この辺りに「訓練された犬」ではなく本犬自身が出演、ということで生じる問題や限界などがありそうですね。

動物映画でありながら悲劇的な結末で終わらない、という点において、映画「わさお」は愛犬家にとってはある意味「安心して観れる作品」だったりします。
忠犬ハチ公や今年の6月公開予定の映画「星守る犬」などのように「飼い主・飼い犬のどちらか、もしくは双方共に死をもって終わる」的な悲劇的結末だと、確かに感動的ではあるかもしれませんが同時に悲しくもなってくるので、個人的にはあまり好きにはなれないんですよね。
悲劇で終わらない動物映画って最近少ないので、そういう観点から見ると、映画「わさお」は動物映画としては希少な部類の作品と言えるのかもしれません。

映画「太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-」感想

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映画「太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-」観に行ってきました。
大東亜戦争(太平洋戦争)で激戦が繰り広げられたサイパン島のタッポーチョ山で徹底抗戦を続け、民間人を守り通した大場栄大尉(通称フォックス)率いる47人の日本兵達の物語。
元アメリカ海兵隊のドン・ジョーンズがまとめた長編実録小説『タッポーチョ「敵ながら天晴」大場隊の勇戦512日』を原作とするノンフィクション作品です。

大東亜戦争(太平洋戦争)の最中にある1944年、6月に行われたマリアナ沖会戦で勝利し、事実上戦争の勝敗を決したアメリカ軍は、当時日本領だったサイパン島南部に上陸。
アメリカ軍は圧倒的な装備と兵力で島の日本軍を圧倒、追い詰められた日本軍は7月7日にバンザイ突撃を敢行、少なからぬアメリカ兵を道連れにして全滅することになります。
しかし、今作の主人公である大場栄大尉は、この突撃に参加しながらもかろうじて生き残り、さらに日本軍から離れて戦う堀内今朝松一等兵をはじめとするヤクザ物の集団に出会います。
生き残りを図るために互いに共同戦線を張り、アメリカ軍の索敵から身を隠しつつ安全な場所を求めて歩き回った末、一向は水がある一軒の廃屋に辿り着きます。
ヤクザ物達が水を求めて狂喜するのを尻目に、廃屋の中を調べる大場大尉。
するとそこには、両親を殺されカゴの中で放置されていた赤子の姿が。
赤子を連れて行くことは困難であるとヤクザ物達から言われた大場大尉は、アメリカ軍に保護してもらうべく、赤い布切れの目印を廃屋の玄関先に垂らしてその場を後にします。
その後大場大尉一向は、サイパン島中部にあるタッポーチョ山へと向かい、仲間達を集めつつ、アメリカ軍への抵抗を続けていくことになります。

一方、アメリカ軍ではバンザイ突撃後も日本軍の残党狩りが行われていました。
しかし、圧倒的優位の戦力差と勝勢に慢心しているためか、日本軍残党を舐めまくっているアメリカ軍。
日本に留学経験を持ち、日本語も堪能なハーマン・ルイス大尉が「彼らを侮ってはいけない」とたしなめるものの、大多数のアメリカ兵達は態度を改めようとしません。
そして案の定、大場大尉率いる部隊の山岳&ジャングルという地形を活かしたゲリラ戦により、少なからぬ死傷者を出してしまうアメリカ兵達。
一向に日本兵を捕まえられない現状に苛立ちを覚え始めたアメリカ軍は、何千人もの兵士を使った大規模な山狩りに打って出るのですが、それでもほとんど戦果は挙げられず犠牲は増えるばかり。
そんな中、徹底抗戦でアメリカ軍を翻弄する日本人指揮官を、アメリカ軍は畏敬の念を込めて「フォックス」と呼ぶようになります。
そしてハーマン・ルイス大尉は、サイパンのアメリカ軍収容所で保護している日本人の証言から、その「フォックス」が大場栄大尉であることを突き止めるのです。

映画「太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-」は、史実のサイパンの戦いで敗退していく日本軍がメインで描かれているため、ストーリーはお世辞にも明るいとは言えたものではないですね。
まあ、結末は「一兵残らず玉砕」ではなく、ちゃんと日本に帰還できる終わり方をしているので、その辺りは救いだったりするのですが。
サイパン島に駐留しているアメリカ軍は、民間人に対しても比較的寛大なスタンスで迎え入れていましたし、日本軍に対しても「フォックス」に好意的なハーマン・ルイス大尉が降伏交渉に臨んだりしています。
戦時中、最大の激戦地となったガダルカナル島では、日本軍は捕虜にされることすらなく徹底的に虐殺された事例が多々あったわけですし、それに比べればサイパン島はすくなくとも流血が少ないまとめ方ができたと言える方でしょう。
また、降伏交渉の際、大場大尉が「日本軍はアメリカ軍に降伏できないが、上官からの命令であればそれに従う」という形で事実上降伏を受け入れたシーンは結構印象に残りましたね。

日本軍を扱った戦争物としてはそこそこに良く出来ている方なのではないかと。

映画「白夜行」感想

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映画「白夜行」観に行ってきました。
東野圭吾原作のサスペンス小説映画版。
質屋の殺人事件から始まる、被害者の息子、容疑者の娘、そして18年もの歳月をかけ真相に迫る刑事の視点で綴られる心理描写ミステリー作品です。
ちなみに私は、原作未読のまま映画を観に行っています。

物語最初の舞台は1980年(昭和55年)、廃ビルで質屋の店主だった桐原洋介が、廃ビルで遊んでいた子供達に発見されることから始まります。
事件発覚後、まずは被害者の妻である桐原弥生子と、質屋の従業員である松浦勇が警察に事情聴取されます。
その際、両者の事情聴取に当たっていた刑事・笹垣潤三は、質屋の2階にいた被害者の息子である桐原亮司からの話を聞くことになります。
この時のアリバイ証言である「テレビを見ていた」に関する裏づけとして行われた「クイズダービーではらたいらが竹下景子に敗れた」という説明は、当時の時代を象徴していて何とも懐かしい気分にさせられましたね(苦笑)。
その後の警察の調査で、被害者は西本文代という女性の家に足繁く通っていたことが判明。
彼女とその愛人である寺崎忠夫が容疑者として浮上したため、笹垣潤三は相棒の古賀久志と共に西本文代の自宅を訪問します。
その際に留守だった西本文代に代わって応対したのが、西本文代の娘で当時小学生だった西本雪穂。
被疑者である西本文代を待つ間、ハードカバー本?の「風と共に去りぬ」を黙々と読んでいる西本雪穂に、笹垣潤三は強い印象を抱くことになります。
やがて帰宅した西本文代に、笹垣潤三は事情聴取を行っていくのですが、彼女には事件当時「公園でブランコをこいでいた」というアリバイが出てきます。
決定的な証拠も出ないまま捜査が難航する中、西本文代はガス中毒で、寺崎忠夫は交通事故でそれぞれ死亡してしまいます。
有力な容疑者が死亡してしまったことに加え、警察上層部のひとりの出世問題が切迫していたという事情が重なったことも相まって、結局事件はそのまま被疑者死亡ということで表面的には決着することになります。
しかし、笹垣潤三はこの決着に納得がいかず、自らの出世を棒に振ってまで独自に調査を進めていき、事件の被害者の息子である桐原亮司と、容疑者の娘である西本雪穂も、それぞれの人生を歩んでいくことに……。
という形で、以後、1985年(昭和60年)、1988年(昭和63年)、1989年(平成元年)にそれぞれエピソードが語られていき、最終的には1998年(平成10年)で事件の真相が明らかになります。

映画「白夜行」では、作中における年を表す描写として、その時代を象徴するキーワードが出てくるのが面白かったですね。
1980年は前述のクイズダービーの話、1985年は本田美奈子のコンサート、1989年は社交ダンス関連の話が出てくることで、それぞれの年が表現されています。
まあ、この3つの中で私がピンと来たのはクイズダービーだけで、社交ダンスは1996年公開映画「Shall we ダンス?」からの連想で少し時代がズレていましたし、本田美奈子に至っては存在すら知らなかったというのが実態だったりするのですが(^^;;)。

作中のストーリーは、最初から最後までとにかく「暗い」の一言に尽きますね。
殺人、冷たい家族関係、学校内でのイジメ、報われない愛、レイプ・性的虐待と、暗い話が目白押しに続きますし。
ところどころに「明るさ」を感じさせてくれるエピソードもあるにはあるのですが、それもほとんどは後半で不幸のどん底に突き落とすための伏線だったりします。
さすが元々がミステリー小説なこともあってか、物語終盤で全ての真相が明らかになる描写の運び方は上手いものがありましたが、最終的な結末も「何故そこでそんな選択を…!?」と言わんばかりのバッドエンドな終わり方をしていますし。
映画の宣伝ポスターで謳われている「二番目に殺したのは、心」というキャッチコピーに良くも悪くも偽りはなし、ですね。

ハリウッド映画にありがちな「爽快感を伴うハッピーエンド」的なものは全く期待できませんので、そういう作品を観たいという方にはあまりオススメできない作品ですね。
あくまでもミステリー好きのための映画、といったところでしょうか。

映画「GANTZ」感想

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映画「GANTZ」観に行ってきました。
集英社の青年漫画雑誌「週刊ヤングジャンプ」で連載中の同名作品実写映画2部作前編。
映画「大奥」で主役を演じた二宮和也と、映画「デスノート」シリーズでL役を担当した松山ケンイチが共演するということで大いに喧伝された作品です。
作中では「肉体や血が飛び散る」的スプラッタな描写が満載のため、この作品はPG-12指定されています。

二宮和也が演じる主人公のひとり・玄野計は、地下鉄の駅ホームで、松山ケンイチが扮するもうひとりの主人公・加藤勝の姿を見かけます。
玄野計と加藤勝は小学生時代の幼馴染で、前者は就職内定がもらえない大学生、後者は弟を守るために父親を殺して少年院に入っていたという設定です。
加藤勝は、駅ホームで線路に転げ落ちた酔っ払いを助けようと線路に飛び込み、酔っ払いをホームに退避させますが、ちょうどその時快速電車が迫ってきます。
玄野計は加藤勝を助けようと手を差し伸べるのですが、逆に線路内に引っ張られてしまい、結果、2人共々電車に轢かれることになってしまいます。
しかし次の瞬間、光に巻き込まれた2人は、東京タワーが見えるとあるマンションの一室に出現することになります。
部屋から外に出ることはできず、また部屋の中には数人の人間と黒い球体がひとつ。
呆然とする2人の前で、黒い球体が放つ青い光によって裸の女性が構築されていき、周囲の人間が「お前達もこうして出てきたんだ」と教えてくれます。
その直後、黒い球体から60年代を想起させるような音程の音楽が流れ、音楽が終了すると、黒い球体に文字が浮かび上がり、ねぎ星人という名の存在と戦うよう命じられます。
それと共に黒い球体が開き、黒い球体からこれまた黒ずくめな武器とスーツが出現。
戸惑いながらも武器やスーツを手にする中、突然部屋の外にワープさせられる部屋の人間達。
ここから、主人公と星人達との戦いが始まることになります。

最初のねぎ星人が殺され、ミッションクリアを達成した後に、黒い球体が「GANTZ」と呼ばれていることが判明します。
作中に登場する星人達は、ねぎ星人・田中星人・おこりんぼう星人の3種類。
ただし、最後のおこりんぼう星人の際には、ターゲットのおこりんぼう星人以外にも千手観音と巨大大仏がおり、これも倒さないとミッションクリアになりませんでした。
幼稚園児レベルのネーミングセンスとは裏腹に、星人達は超絶的な戦闘力と残虐性を秘めており、GANTZの召喚メンバー達を次々と虐殺していきます。
GANTZの召喚メンバー達は老若男女問わず選出の対象にされており、老婆と子供の組み合わせまで召喚されている上、それでも作中では容赦なく虐殺されていたりします。
その一方で、ミッションクリアまでにとりあえず生存さえしていれば、どんなに重傷を負っていても、ミッションクリア後に完治状態で最初の部屋に戻ってくることができます。
ミッションクリアになると、GANTZがメンバー達を採点していくことになるのですが、その採点基準は「直接星人を殺したメンバーに点数が与えられる」のみ。
採点の際、0点の人には何故か「びびりすぎ」だの「存在感なさすぎ」「いたの?」だのといった、人を小馬鹿にしているような一言評価がくっついていたりします。
ネタとしか思えない評価が出される度に、スクリーン内では笑い声があちこちから漏れていましたね。

星人を倒して100点になると、そのメンバーは「GANTZから解放される」か「好きな人間を生き返らせる」かの2択を選ぶことができます。
原作では他にも「強力な武器が得られる」という選択肢があったようなのですが、映画版では削除されているようですね。

作中に登場する武器は、トリガーを押して光が発射されてから数秒後に内側から破裂させるショットガンもどきな銃(小型と大型の2種類)がメインに使用されていますが、他に獲物をグルグル巻きにして捕獲する銃と伸縮自在のソードが登場します。
一方、個々人の名前が書かれているアタッシュケースに収納されているスーツは、身体能力と防御能力を飛躍的に上昇させてスーパーマンのごとき人間になれる夢のようなスーツで、作中でもこのスーツを身に纏い、高台からジャンプして有頂天になる玄野計の姿が描かれています。
黒一色で洗練されたデザインといい、その驚異的な性能といい、この間観賞した映画「グリーン・ホーネット」に登場した発明品の数々が霞んでしまうほどに、いかにも未来感溢れる道具と言えますね。
玄野計の有頂天な描写も、ああいうスーツがあったら確かにああなるだろうなぁ、というものでしたし。

作品的な雰囲気としては、以前に観賞したことのある映画「トロン:レガシー」に近いものがありましたね。
アレも未来兵器的な武器が登場しますし、何よりも夜の舞台をバックに黒ずくめなスーツを着用して活動していましたから(苦笑)。
アクション系の描写も、本場ハリウッドには及ばないにしても、日本映画としては十分頑張っている部類に入るのではないかと。

映画「GANTZ」は2部作構成とのことで、後編となる次回作品は2011年4月23日に公開予定とのこと。
エンドロール後に後編の予告がありますので、映画を観賞される際には最後まで席を離れないことをオススメしておきます。

映画「相棒-劇場版Ⅱ- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜」感想

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映画「相棒-劇場版Ⅱ- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜」観に行ってきました。
警視庁の窓際部署である「特命係」の係長である杉下右京を主人公とするテレビ朝日系列放送の刑事ドラマ「相棒」の劇場公開映画第2弾。
なお、今作が私の今年最後となる映画観賞作品となります。

物語は、公安が中国系マフィアのアジトである船舶に強行突入するシーンから始まります。
強行突入は、マフィア側が自爆を敢行したことにより、マフィアの人間3人と公安の警察官1名の死という結末で表面的には決着し、これが本編で発生する警視庁占拠事件の発端となります。
それから7年後、警視庁の11階にある第11会議室では各部署のお偉方による定例の部長会議が行われていたのですが、その最中、警視庁内の12~14階で火災騒ぎが発生。
その混乱に乗じて、ひとりの男が拳銃を持って第11会議室に乱入。
定例部長会議に出席していた12名の幹部達を人質に立てこもる篭城事件が発生してしまいます。
警視庁内で特に担当する事件もなく暇をもてあましていた杉下右京と、その相棒でたまたま拳銃を持った犯人の姿を目撃していた神戸尊は、いち早く事件に対応。
杉下右京は、足にロープを繋いでビルの外壁を降下していき、会議室の外からデジタルカメラを使い、防弾ガラス越しに犯人の写真を撮ることに成功します。
その写真画像の分析から、篭城犯は元組織犯罪対策課の刑事だった八重樫哲也という人物であることが判明。
篭城犯がひとりであることが分かった警察上層部は、杉下右京が唱える慎重論を排して強行突入を決断。
一方、会議室に篭城し人質を取っているにもかかわらず、外に対して何故か何も要求することなく、人質達を問い詰めていく犯人。
そんな中、人質のひとりだった通信部長がおもむろに苦しみ倒れこみ、篭城犯がそれに駆け寄った一瞬の隙を突いて他の部長が一斉に篭城犯に襲い掛かり会議室内はもみ合いに。
ほぼ同時に強行突入も行われ、何とか人質は全員無事に確保されるのですが、混乱の中で篭城犯の八重樫哲也は自らの拳銃の弾に被弾して即死という結末に。
犯人の動機が一切不明、事件後の事情聴取でも人質となっていた幹部達は曖昧な証言しかしないなど不審な点が多いこの事件を、「相棒」の主人公である杉下右京と神戸尊が調査に乗り出す、という形でその後のストーリーは進行していきます。

残念ながら私はこれまでのTVドラマシリーズ「相棒」や劇場版1作目の映画はほとんど観ていないのですが、今作の「相棒-劇場版Ⅱ-」では警察組織の闇がテーマになっていますね。
警察を改革するために陰謀や謀殺に手を染めるという犯人側のスタンスは、同じく警察組織の問題点を扱っているTVドラマ&映画版「SP 警視庁警備部警護課第四係」シリーズともかぶるところがあります。
ただ、「SP」シリーズがアクションや危機感知等の超能力を駆使して犯人の意図を挫くのがメインの作品なら、「相棒」はひたすら冷静な推理と調査で犯人を追い詰めていくのが醍醐味といったところでしょうか。
一端捜査が行き詰まりを見せても、主人公である杉下右京はすぐさま次の手を考えて捜査を進展させてしまいます。
ストーリーのテンポは結構速いと言って良いですね。

物語のラスト付近では意外かつ突発的な大どんでん返しがあります。
全ての黒幕と言わんばかりの雰囲気をかもし出していた警察庁の大物と主人公が言い合いになり、いかにもこれから「見えない戦争」の開幕的なシーンで、それは誰も予想できない唐突な形で終わりを告げるのです。
その伏線自体は事前にきちんと張られていただけに、アレには全く良い意味で意表を突かれてしまいましたね。
あの展開は全くの「一見さん」である私でさえ驚いたくらいですから、古くからの「相棒」ファンは驚愕も良いところだったのではないでしょうか。
また、その結末も含めて、この映画は「次回に続く」的な終わり方をしています。

長年続いているシリーズ物作品の映画版ということもあり、作品の出来は問題ない水準と言って良いレベルかと。

映画「最後の忠臣蔵」感想

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映画「最後の忠臣蔵」観に行ってきました。
「忠臣蔵」として有名な元禄赤穂事件で生き残った赤穂浪士達の後日譚を描いた、佐藤浩市および役所広司主演の時代劇作品。

物語は、元禄赤穂事件で赤穂浪士四十七士が悲願を達成し泉岳寺に到着した後、大石内蔵助が寺坂吉右衛門(てらさかきちえもん)を呼び出し、事件の真実を後世に伝えることと、赤穂浪士の遺族に対する援助を行うよう密命を出したところから始まります。
その密命を受け寺坂吉右衛門が赤穂浪士から離脱してから16年後、最後の遺族を何とか探し当てて小判3枚を渡し終えたことで、寺坂吉右衛門は密命を無事達成します。
その後、寺坂吉右衛門は自分を庇護してくれている進藤長保(しんどうながやす)への密命終了の報告と、赤穂浪士の十七回忌法要のために京へ向かうことになるのですが、その途上、彼は討ち入り前に脱走したとされるかつての盟友・瀬尾孫左衛門(せおまござえもん)の姿を目撃します。
映画「最後の忠臣蔵」は、元禄赤穂事件の生き残りとなるこの2人を軸に話が進行していきます。

瀬尾孫左衛門は可音(かね)という16歳の女性と一緒に生活しており、執事か召使いのごとく彼女の世話をしています。
実はこの可音という人物は、大石内蔵助とその妾である可留(かる)との間に生まれた娘だったりします。
瀬尾孫左衛門は討ち入り直前になって、大石内蔵助から可留と生まれてくる子供(その時点ではまだ妊娠中だった)を密かに守り育て、どこかの家へ輿入れさせるよう命じられた結果、討ち入り直前に脱走することになったわけです。
物語序盤、可音は育ての親として自分を世話していた瀬尾孫左衛門を慕っているような発言を繰り返しますが、瀬尾孫左衛門は「自分は武士だから」という理由でその想いを拒否し続けます。
そんな折、心中事件を扱った人形浄瑠璃の小舞台場で、豪商である茶屋四郎次郎の息子である修一郎が、たまたま舞台を観に来ていた可音に一目惚れします。
父親である茶屋四郎次郎は、骨董の取引を通じて知り合いになった瀬尾孫左衛門に可音を自分のところに輿入れして欲しいと嘆願。
紆余曲折の末、可音は茶屋修一郎との婚儀と茶屋への輿入れを受け入れることになるのですが……。

映画「最後の忠臣蔵」は「武士としての忠義のあり方」というものについて考えさせられる作品ですね。
「最後の忠臣蔵」の主人公である瀬尾孫左衛門は「武士の忠義」というものを何よりも優先する男として描かれており、自分を慕ってくれる女性を振り切ってまでもそれに殉じようとします。
瀬尾孫左衛門の生涯は全て「武士の忠義」に捧げられており、その心は最後の最後まで自分の主筋であった大石内蔵助と共にあったわけです。
そのため、彼は大石内蔵助の密命を果たした後は「追い腹を切る」殉死の方針を最初から決めていたようです。
物語終盤では、可音を母親代わりに育ててくれた「ゆう」という女性から「お慕い申しております」「16年もお待ちしておりました」的な告白を受けていたにもかかわらず、瀬尾孫左衛門はそれを拒否して殉死するんですよね。
現代的な価値観からすればあまりにも理不尽な最期ですし、その後残されることになるであろう可音と「ゆう」の悲しみが理解できないのかと糾弾したかったくらいだったのですが、ただそれ故に「主人公の主人である大石内蔵助への忠義」の厚さが苛烈なまでに表現できているわけで。
この人、本当は元禄赤穂事件の際に大石内蔵助と行動を共にして一緒に死にたかったのだろうなぁ、というのがひしひしと伝わる最期でしたね。

理不尽といえば、そもそも瀬尾孫左衛門に自分の隠し子を託してその意に反する使命を与えた大石内蔵助もまた、理不尽としか言いようがないですね。
託す子供が、家もろとも叩き潰され存在すら許されなくなった自分達全ての主君であるところの浅野内匠頭またはその一族の隠し子、とでもいうのならばまだ話は分かるのですが、実際には大石内蔵助個人の、それも妾との間に「できちゃった」的に生まれた庶子でしかありません。
しかも大石内蔵助は、将来吉良家に討ち入りすることをすでに決定していたにもかかわらず、自分が面倒を見ることができない子供を作ってしまった上、わざわざ討ち入り要員を直前になって減らすというリスクを抱えてまで、討ち入り予定の部下を自分達から離脱させ後事を託しているわけです。
大石内蔵助の言動は無責任かつ公私混同もはなはだしいですし、またそんな私的な理由によって瀬尾孫左衛門の人生およびその評価を不当に歪めてしまってもいるわけです。
実際、作中では瀬尾孫左衛門が旧赤穂の家臣達に「裏切り者!」「臆病者!」と罵られ暴力を振るわれる描写もあったりします。
瀬尾孫左衛門にとっての主君は大石内蔵助だったようなので、瀬尾孫左衛門個人の忠義としては問題ないわけなのですが、肝心要の大石内蔵助による密命の動機が極めて個人的なものでしかない、というのはちょっとねぇ……。

作品としては極めて悲劇的に描かれていて、爽快感とはおよそ無縁なのですが、それ故に日本人的な情に訴える感動的な物語に仕上がっています。
「忠臣蔵」が好きな人なら観て損はない映画だと思います。

映画「SPACE BATTLESHIP ヤマト」感想

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映画「SPACE BATTLESHIP ヤマト」観に行ってきました。
言わずと知れた、キムタクこと木村拓哉主演による、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の実写映画版。
ちょうど映画の日の初日だったこともあってか、スクリーンは満席とは言わないまでも結構客で埋まっていました。
ちなみにこの映画が、私が今年映画館で観た映画としてはちょうど30本目となります。

ストーリーの冒頭は、ガミラス艦隊の前に地球側の戦力が為すすべなく一方的に叩き潰されていく中、主人公である古代進の兄・古代守が、味方の撤退を援護すべく、艦隊司令沖田十三の命令に背く形でガミラス艦隊に特攻をかけていく話となります。
原作では生きて捕虜にされる(らしい)古代守ですが、実写映画版ではガミラス艦隊に一方的に乗艦を攻撃され続け、そのまま帰らぬ人となってしまいます。
一方その頃、主人公の古代進はというと、かつて所属していた軍を退役し、ガミラスによる遊星爆弾によって放射能で溢れ返った地上で防護服を着ながらレアメタルを探索する仕事に従事していたりします。
その仕事の最中、突如空からイスカンダルのメッセージを乗せたカプセルが至近距離に落下。
衝突の衝撃で防護服が吹き飛び、地上の致死量を超える放射能に晒される古代進ですが、何故か死ぬこともなくピンピンしていたりします。
実はこれが物語後半の伏線となるのですが、自身に何が起こったのか呆然として空を見上げる古代進の視界に、ガミラス艦隊に破れつつも唯一帰還してきた、艦隊司令沖田十三の艦が下りてきます。
こんな感じで物語は進行していきます。

映画「SPACE BATTLESHIP ヤマト」における登場人物達の設定は、上記で説明した古代兄弟の事例を見ても分かる通り、原作のそれをかなり改変しています。
たとえば、古代兄弟の両親がガミラスの遊星爆弾が原因で死んだ、という設定自体は同じなのですが、原作はそのままストレートに遊星爆弾の直撃が原因となっているのに対し、「SPACE BATTLESHIP ヤマト」では、遊星爆弾が地球に落下するのを防ぐために軌道を逸らす攻撃を古代進率いる部隊が行った結果、逸れた先にあった宇宙ステーションに遊星爆弾が直撃し、そこにいた古代兄弟の両親が死んだ、ということになっています。
このことが、物語序盤で古代進が軍を退役していた理由にもなっていて、劇中の古代進はやや陰があるキャラクターとして描かれています。
その一方で、兄を見殺しにして帰還した沖田十三に怒鳴り込みに行ったり、命令違反を犯してまでヒロインの森雪を救助に向かったりと、猪突猛進的な性格も健在だったりするのですけどね。

ただ、一番原作の設定から遠くかけ離れた存在となっているのは、やはり何と言ってもガミラスとイスカンダルですね。
ガミラスは原作ではデスラー総統を国家元首とする帝国ですが、「SPACE BATTLESHIP ヤマト」におけるガミラスは、それ自体がひとつの生命体的な存在で、作中のガミラス軍もその生命体の一部として描かれ、デスラーというのは「ガミラスの頭脳的精神体の呼称」だったりします。
かなりマイナーなたとえになるのですが、ゲームの「マブラヴ オルタネイティヴ」に登場するBETAに近い存在、というのが実態でしょうか。
デスラーは精神体のため、ヤマトの艦内に2回ほど直接出現し、主人公達に敵対的なメッセージを残していきます。
一方のイスカンダルも、ガミラスと表裏一体を為す精神体の呼称で、滅びゆく惑星と運命を共にしたくないガミラスの暴走から人類を救うため、地球にメッセージを届けたという設定です。
原作の「形を変えた国家間紛争」的な要素は全くないと言って良いですね。

作中で進行しているストーリーは、どちらかと言えば主人公を取り巻く登場人物達の人間ドラマを重視した展開がメインでしたね。
SFX系の描写も「日本映画としては」「ハリウッドと比較しても」迫力があって良く出来ている部類には入ると思います。
ただ、すくなくとも物語中盤までのSFX的な描写は比較的あっさり風味な感じで時間も少ないような印象を受けました。
ハリウッド映画でよく見られるような、とにかく手に汗握るギリギリのシーンを目一杯引っ張って観客を引き込む、みたいな描写がなく、本来ギリギリなシーンがあっさり終わってしまっている感じです。
物語後半におけるSFX的な戦闘シーンでも、「ここは俺が食い止めるからお前は早く行け!」的な描写で彩られていますし、特に終盤はヤマト最後の特攻絡みでこれまたお涙頂戴シーンに多くの時間が費やされていますからねぇ。
また、ヤマト最後の特攻シーンは、キムタクと同じSMAP仲間の草彅剛が主役を演じた2006年公開映画「日本沈没」のラストとかぶるものがありました。

沖田十三が名台詞「地球か……何もかも皆懐かしい」を一字一句正確に呟いた後に力尽きるなど、原作ファン向けのサービスも少なからず盛り込まれています。
ただ、前述のように作中の設定についてはかなりの改変が行われていますので、原作至上主義の方にはあまり相容れない映画ではあるかもしれません。
それでも、SFX的な描写も含め、日本映画としては決して悪い出来な作品ではないので、原作ファンもそうでない方も、機会があれば是非観に行かれることをオススメしておきます。

映画「SP THE MOTION PICTURE 野望篇」感想

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映画「SP 野望篇」観に行ってきました。
フジテレビ系列で放送されたテレビドラマ「SP 警視庁警備部警護課第四係」の映画版。
この映画の正式名称は「SP THE MOTION PICTURE」で、今回の「野望篇」、および来年3月12日公開予定の「革命篇」の二部作で構成される作品となります。
今回は劇場公開日(10月30日)と映画の日が比較的近かったこともあり、月曜日の映画観賞となりました。

ストーリーは、六本木ヒルズで演説を行っている政治家の生命を公衆の面前で消さんとするテロリストを、主人公が持ち前の予知能力で事前に感知するところから始まります。
いざ実行の直前になった正体を見破られテロに失敗した犯人はその場から逃走し、主人公と仲間のSP達が追撃を開始します。
ここからしばらく、逃げるテロリストと主人公による追跡劇が繰り広げられるのですが、この追跡劇は、銃弾が飛び交わないことを除けばハリウッド映画と比較しても遜色のない、緊張感と迫力に溢れたアクションシーンに仕上がっています。
映画の長さ自体が1時間38分しかないこともあってか、アクションシーンはほとんど主人公の独壇場で、他のSP達は皆引き立て役も同然でしたね。

ただ、あえてツッコミを入れれば、特に後半におけるテロリスト達の襲撃方法があまりにもチャチ過ぎる印象を受けました。
映画の冒頭で傘に仕込んだ高性能爆薬を使い、ターゲットを六本木ヒルズごと吹き飛ばそうとしたテロリストのテロ手法に対し、後半は七福神?の覆面を被ったテロリスト達が、ナイフ・消火器・クロスボウ・ダイナマイトなどといった武器を手に直接ターゲットを襲撃するという、何とも地味かつコストパフォーマンスも悪そうな稚拙な作戦が3度にわたって繰り広げられます。
しかもそのうち2回はわざわざ車を使って主人公達の眼前に派手に登場しておきながら、その車そのものを武器ないし爆薬として主人公達に突撃をかますといった類の「はるかに効果的な襲撃方法」は全く使用されることなく、ただひたすら「手作業」の襲撃に専念する始末。
第一、ビルの屋上から主人公を狙撃するためのスナイパーと狙撃銃まで襲撃者達は「最後の切り札」としてきちんと用意しているのですから、襲撃者ひとりひとりに銃やマシンガンの類をわたす程度の準備くらい、普通にできそうな気もするのですけどね。
それができていれば、あの程度のSPの奮闘など鎧袖一触で蹴散らすことも充分に可能だったでしょうに。
夜中の襲撃だからら誰にも気づかれず隠密裏にことを運ぶための措置だった、というのであれば、作中でも大音響の大爆発を引き起こしていたダイナマイトのチョイスが理解不能になってしまいますし、あの襲撃作戦は根本的なところに塞ぎようのない大穴が最初から開いていたのではないかと。

作品自体が二部作構成ということもあり、黒幕達の真の目的や思惑などが今作ではまだ伏線として提示されているだけで謎も解明されておらず、ストーリーについてはまだ評価できる段階にはないですね。
起承転結の「起」としてはまずまずの出来ではありますが。
また、この映画は「テレビドラマ版の続き」的な位置付けのため、テレビドラマ版も事前に把握しておかないと作中の設定や演出が分からなくなる部分も少なからず存在します。
テレビドラマ版を知っているのであれば問題ありませんが、そうでない場合はテレビドラマ版も事前事後いずれにせよ確認することを是非オススメしておきます。

映画「桜田門外ノ変」感想

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映画「桜田門外ノ変」観に行ってきました。
江戸幕府の権威を失墜させ、幕末動乱の発端となった井伊直弼暗殺事件「桜田門外の変」を映画化した作品。
何故PG-12やR-15指定されなかったのか疑問に思ってしまったほど、作中は流血シーンが満載でしたね。

ストーリーは、襲撃を指揮したとされる水戸藩士・関鉄之介の視点で展開されており、桜田門外の襲撃から関鉄之介の斬首までが描かれています。
どちらかと言えば、「桜田門外の変」の襲撃者達のその後の逃走過程を描いた作品と言って良く、その発端となる桜田門外の襲撃は序盤で早くも発生します。
襲撃内容は史実通りで、季節外れの大雪となった当日、まず井伊直弼の大名行列の先頭に駕籠訴を持った刺客が刀を振るい、護衛の注意を前方に引き付けます。
前方に護衛が集中したタイミングで、井伊直弼の駕籠めがけて短銃が発射され、本隊への襲撃が行われることになります。
この際、何の偶然だったのか、発射された弾がたまたま井伊直弼の腰部から太腿にかけて直撃し、井伊直弼は動けなくなってしまいます。
護衛側は狼狽しながらも健闘し、特に二刀流の使い手であった河西忠左衛門が駕籠脇を守って襲撃者達を手こずらせます。
それでも奇襲によって機先を制した効果は大きく、襲撃者側はついに抵抗を排除、井伊直弼の駕籠に刀を突き立てます。
そして井伊直弼を引きずり出して首を取り、襲撃者達は勝鬨を上げることとなるわけです。
しかし、この映画の本当の物語は実はここから始まるのです。

襲撃者達の内、最初に井伊直弼の駕籠に切り込んだ稲田重蔵は河西忠左衛門に斬られて討死。
その他、井伊直弼の首を獲った有村次左衛門を含む半数ほどの襲撃者達が、護衛側の猛反撃で重傷を負い、自刃または捕縛の一途を辿ります。
残りは大坂方面へと逃走を続けていくのですが、その途中で「桜田門外の変」が行われるに至る(ペリー来航から安政の大獄辺りまでの)過程が描かれていくことになります。
この辺りは、昔の回想と現在進行形の逃走過程の区別がつけにくく、描写的に「これ昔と現在、一体どちらの話?」と少々分かりづらいところがありましたね。
何とか大坂まで逃げ延びた襲撃者達も、幕府からの追捕を受けて自刃したり、捕縛・獄死・処刑の一途を辿ったりしてどんどんその数を減らしていきます。
主人公である関鉄之介は、打開策を探るべく旧知である鳥取藩や薩摩藩を頼ろうとしますが、そこでも門前払い。
やむなく水戸藩に戻り、日本三大瀑のひとつ「袋田の滝」に入ってそこで匿われ、底で中央の政情を聞きながら逃亡の日々を過ごします。
しかし、やがてそこにも追捕の手が迫り、今度は越後へ逃走。
そこから蝦夷へ渡り、再起を図ろうとしたのですが、蝦夷行きの船を待っている間にとうとう捕縛されてしまい、文久2年5月11日(1862年6月8日)、斬首されることと相成るわけです。

全体的には、歴史的事実を忠実に再現したノンフィクション作品で、ハッピーエンドとは全く無縁の映画ですね。
襲撃者達の末路は全員「悲惨」の一言に尽きますし、また主人公である関鉄之介の妻子(内縁関係だったらしいですが)も、「桜田門外の変」後、追捕によって家を荒らされて捕縛されています。
さらに主人公と関係があった愛人?らしき女性に至っては、捕縛された挙句、拷問にかけられて死亡するにまで至っています。
犯罪者の逃亡生活の悲惨さを描く、というのがテーマの作品なのでしょうか、これって。

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