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カテゴリー「2010年」の検索結果は以下のとおりです。

映画「相棒-劇場版Ⅱ- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜」感想

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映画「相棒-劇場版Ⅱ- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜」観に行ってきました。
警視庁の窓際部署である「特命係」の係長である杉下右京を主人公とするテレビ朝日系列放送の刑事ドラマ「相棒」の劇場公開映画第2弾。
なお、今作が私の今年最後となる映画観賞作品となります。

物語は、公安が中国系マフィアのアジトである船舶に強行突入するシーンから始まります。
強行突入は、マフィア側が自爆を敢行したことにより、マフィアの人間3人と公安の警察官1名の死という結末で表面的には決着し、これが本編で発生する警視庁占拠事件の発端となります。
それから7年後、警視庁の11階にある第11会議室では各部署のお偉方による定例の部長会議が行われていたのですが、その最中、警視庁内の12~14階で火災騒ぎが発生。
その混乱に乗じて、ひとりの男が拳銃を持って第11会議室に乱入。
定例部長会議に出席していた12名の幹部達を人質に立てこもる篭城事件が発生してしまいます。
警視庁内で特に担当する事件もなく暇をもてあましていた杉下右京と、その相棒でたまたま拳銃を持った犯人の姿を目撃していた神戸尊は、いち早く事件に対応。
杉下右京は、足にロープを繋いでビルの外壁を降下していき、会議室の外からデジタルカメラを使い、防弾ガラス越しに犯人の写真を撮ることに成功します。
その写真画像の分析から、篭城犯は元組織犯罪対策課の刑事だった八重樫哲也という人物であることが判明。
篭城犯がひとりであることが分かった警察上層部は、杉下右京が唱える慎重論を排して強行突入を決断。
一方、会議室に篭城し人質を取っているにもかかわらず、外に対して何故か何も要求することなく、人質達を問い詰めていく犯人。
そんな中、人質のひとりだった通信部長がおもむろに苦しみ倒れこみ、篭城犯がそれに駆け寄った一瞬の隙を突いて他の部長が一斉に篭城犯に襲い掛かり会議室内はもみ合いに。
ほぼ同時に強行突入も行われ、何とか人質は全員無事に確保されるのですが、混乱の中で篭城犯の八重樫哲也は自らの拳銃の弾に被弾して即死という結末に。
犯人の動機が一切不明、事件後の事情聴取でも人質となっていた幹部達は曖昧な証言しかしないなど不審な点が多いこの事件を、「相棒」の主人公である杉下右京と神戸尊が調査に乗り出す、という形でその後のストーリーは進行していきます。

残念ながら私はこれまでのTVドラマシリーズ「相棒」や劇場版1作目の映画はほとんど観ていないのですが、今作の「相棒-劇場版Ⅱ-」では警察組織の闇がテーマになっていますね。
警察を改革するために陰謀や謀殺に手を染めるという犯人側のスタンスは、同じく警察組織の問題点を扱っているTVドラマ&映画版「SP 警視庁警備部警護課第四係」シリーズともかぶるところがあります。
ただ、「SP」シリーズがアクションや危機感知等の超能力を駆使して犯人の意図を挫くのがメインの作品なら、「相棒」はひたすら冷静な推理と調査で犯人を追い詰めていくのが醍醐味といったところでしょうか。
一端捜査が行き詰まりを見せても、主人公である杉下右京はすぐさま次の手を考えて捜査を進展させてしまいます。
ストーリーのテンポは結構速いと言って良いですね。

物語のラスト付近では意外かつ突発的な大どんでん返しがあります。
全ての黒幕と言わんばかりの雰囲気をかもし出していた警察庁の大物と主人公が言い合いになり、いかにもこれから「見えない戦争」の開幕的なシーンで、それは誰も予想できない唐突な形で終わりを告げるのです。
その伏線自体は事前にきちんと張られていただけに、アレには全く良い意味で意表を突かれてしまいましたね。
あの展開は全くの「一見さん」である私でさえ驚いたくらいですから、古くからの「相棒」ファンは驚愕も良いところだったのではないでしょうか。
また、その結末も含めて、この映画は「次回に続く」的な終わり方をしています。

長年続いているシリーズ物作品の映画版ということもあり、作品の出来は問題ない水準と言って良いレベルかと。

映画「最後の忠臣蔵」感想

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映画「最後の忠臣蔵」観に行ってきました。
「忠臣蔵」として有名な元禄赤穂事件で生き残った赤穂浪士達の後日譚を描いた、佐藤浩市および役所広司主演の時代劇作品。

物語は、元禄赤穂事件で赤穂浪士四十七士が悲願を達成し泉岳寺に到着した後、大石内蔵助が寺坂吉右衛門(てらさかきちえもん)を呼び出し、事件の真実を後世に伝えることと、赤穂浪士の遺族に対する援助を行うよう密命を出したところから始まります。
その密命を受け寺坂吉右衛門が赤穂浪士から離脱してから16年後、最後の遺族を何とか探し当てて小判3枚を渡し終えたことで、寺坂吉右衛門は密命を無事達成します。
その後、寺坂吉右衛門は自分を庇護してくれている進藤長保(しんどうながやす)への密命終了の報告と、赤穂浪士の十七回忌法要のために京へ向かうことになるのですが、その途上、彼は討ち入り前に脱走したとされるかつての盟友・瀬尾孫左衛門(せおまござえもん)の姿を目撃します。
映画「最後の忠臣蔵」は、元禄赤穂事件の生き残りとなるこの2人を軸に話が進行していきます。

瀬尾孫左衛門は可音(かね)という16歳の女性と一緒に生活しており、執事か召使いのごとく彼女の世話をしています。
実はこの可音という人物は、大石内蔵助とその妾である可留(かる)との間に生まれた娘だったりします。
瀬尾孫左衛門は討ち入り直前になって、大石内蔵助から可留と生まれてくる子供(その時点ではまだ妊娠中だった)を密かに守り育て、どこかの家へ輿入れさせるよう命じられた結果、討ち入り直前に脱走することになったわけです。
物語序盤、可音は育ての親として自分を世話していた瀬尾孫左衛門を慕っているような発言を繰り返しますが、瀬尾孫左衛門は「自分は武士だから」という理由でその想いを拒否し続けます。
そんな折、心中事件を扱った人形浄瑠璃の小舞台場で、豪商である茶屋四郎次郎の息子である修一郎が、たまたま舞台を観に来ていた可音に一目惚れします。
父親である茶屋四郎次郎は、骨董の取引を通じて知り合いになった瀬尾孫左衛門に可音を自分のところに輿入れして欲しいと嘆願。
紆余曲折の末、可音は茶屋修一郎との婚儀と茶屋への輿入れを受け入れることになるのですが……。

映画「最後の忠臣蔵」は「武士としての忠義のあり方」というものについて考えさせられる作品ですね。
「最後の忠臣蔵」の主人公である瀬尾孫左衛門は「武士の忠義」というものを何よりも優先する男として描かれており、自分を慕ってくれる女性を振り切ってまでもそれに殉じようとします。
瀬尾孫左衛門の生涯は全て「武士の忠義」に捧げられており、その心は最後の最後まで自分の主筋であった大石内蔵助と共にあったわけです。
そのため、彼は大石内蔵助の密命を果たした後は「追い腹を切る」殉死の方針を最初から決めていたようです。
物語終盤では、可音を母親代わりに育ててくれた「ゆう」という女性から「お慕い申しております」「16年もお待ちしておりました」的な告白を受けていたにもかかわらず、瀬尾孫左衛門はそれを拒否して殉死するんですよね。
現代的な価値観からすればあまりにも理不尽な最期ですし、その後残されることになるであろう可音と「ゆう」の悲しみが理解できないのかと糾弾したかったくらいだったのですが、ただそれ故に「主人公の主人である大石内蔵助への忠義」の厚さが苛烈なまでに表現できているわけで。
この人、本当は元禄赤穂事件の際に大石内蔵助と行動を共にして一緒に死にたかったのだろうなぁ、というのがひしひしと伝わる最期でしたね。

理不尽といえば、そもそも瀬尾孫左衛門に自分の隠し子を託してその意に反する使命を与えた大石内蔵助もまた、理不尽としか言いようがないですね。
託す子供が、家もろとも叩き潰され存在すら許されなくなった自分達全ての主君であるところの浅野内匠頭またはその一族の隠し子、とでもいうのならばまだ話は分かるのですが、実際には大石内蔵助個人の、それも妾との間に「できちゃった」的に生まれた庶子でしかありません。
しかも大石内蔵助は、将来吉良家に討ち入りすることをすでに決定していたにもかかわらず、自分が面倒を見ることができない子供を作ってしまった上、わざわざ討ち入り要員を直前になって減らすというリスクを抱えてまで、討ち入り予定の部下を自分達から離脱させ後事を託しているわけです。
大石内蔵助の言動は無責任かつ公私混同もはなはだしいですし、またそんな私的な理由によって瀬尾孫左衛門の人生およびその評価を不当に歪めてしまってもいるわけです。
実際、作中では瀬尾孫左衛門が旧赤穂の家臣達に「裏切り者!」「臆病者!」と罵られ暴力を振るわれる描写もあったりします。
瀬尾孫左衛門にとっての主君は大石内蔵助だったようなので、瀬尾孫左衛門個人の忠義としては問題ないわけなのですが、肝心要の大石内蔵助による密命の動機が極めて個人的なものでしかない、というのはちょっとねぇ……。

作品としては極めて悲劇的に描かれていて、爽快感とはおよそ無縁なのですが、それ故に日本人的な情に訴える感動的な物語に仕上がっています。
「忠臣蔵」が好きな人なら観て損はない映画だと思います。

映画「SPACE BATTLESHIP ヤマト」感想

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映画「SPACE BATTLESHIP ヤマト」観に行ってきました。
言わずと知れた、キムタクこと木村拓哉主演による、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の実写映画版。
ちょうど映画の日の初日だったこともあってか、スクリーンは満席とは言わないまでも結構客で埋まっていました。
ちなみにこの映画が、私が今年映画館で観た映画としてはちょうど30本目となります。

ストーリーの冒頭は、ガミラス艦隊の前に地球側の戦力が為すすべなく一方的に叩き潰されていく中、主人公である古代進の兄・古代守が、味方の撤退を援護すべく、艦隊司令沖田十三の命令に背く形でガミラス艦隊に特攻をかけていく話となります。
原作では生きて捕虜にされる(らしい)古代守ですが、実写映画版ではガミラス艦隊に一方的に乗艦を攻撃され続け、そのまま帰らぬ人となってしまいます。
一方その頃、主人公の古代進はというと、かつて所属していた軍を退役し、ガミラスによる遊星爆弾によって放射能で溢れ返った地上で防護服を着ながらレアメタルを探索する仕事に従事していたりします。
その仕事の最中、突如空からイスカンダルのメッセージを乗せたカプセルが至近距離に落下。
衝突の衝撃で防護服が吹き飛び、地上の致死量を超える放射能に晒される古代進ですが、何故か死ぬこともなくピンピンしていたりします。
実はこれが物語後半の伏線となるのですが、自身に何が起こったのか呆然として空を見上げる古代進の視界に、ガミラス艦隊に破れつつも唯一帰還してきた、艦隊司令沖田十三の艦が下りてきます。
こんな感じで物語は進行していきます。

映画「SPACE BATTLESHIP ヤマト」における登場人物達の設定は、上記で説明した古代兄弟の事例を見ても分かる通り、原作のそれをかなり改変しています。
たとえば、古代兄弟の両親がガミラスの遊星爆弾が原因で死んだ、という設定自体は同じなのですが、原作はそのままストレートに遊星爆弾の直撃が原因となっているのに対し、「SPACE BATTLESHIP ヤマト」では、遊星爆弾が地球に落下するのを防ぐために軌道を逸らす攻撃を古代進率いる部隊が行った結果、逸れた先にあった宇宙ステーションに遊星爆弾が直撃し、そこにいた古代兄弟の両親が死んだ、ということになっています。
このことが、物語序盤で古代進が軍を退役していた理由にもなっていて、劇中の古代進はやや陰があるキャラクターとして描かれています。
その一方で、兄を見殺しにして帰還した沖田十三に怒鳴り込みに行ったり、命令違反を犯してまでヒロインの森雪を救助に向かったりと、猪突猛進的な性格も健在だったりするのですけどね。

ただ、一番原作の設定から遠くかけ離れた存在となっているのは、やはり何と言ってもガミラスとイスカンダルですね。
ガミラスは原作ではデスラー総統を国家元首とする帝国ですが、「SPACE BATTLESHIP ヤマト」におけるガミラスは、それ自体がひとつの生命体的な存在で、作中のガミラス軍もその生命体の一部として描かれ、デスラーというのは「ガミラスの頭脳的精神体の呼称」だったりします。
かなりマイナーなたとえになるのですが、ゲームの「マブラヴ オルタネイティヴ」に登場するBETAに近い存在、というのが実態でしょうか。
デスラーは精神体のため、ヤマトの艦内に2回ほど直接出現し、主人公達に敵対的なメッセージを残していきます。
一方のイスカンダルも、ガミラスと表裏一体を為す精神体の呼称で、滅びゆく惑星と運命を共にしたくないガミラスの暴走から人類を救うため、地球にメッセージを届けたという設定です。
原作の「形を変えた国家間紛争」的な要素は全くないと言って良いですね。

作中で進行しているストーリーは、どちらかと言えば主人公を取り巻く登場人物達の人間ドラマを重視した展開がメインでしたね。
SFX系の描写も「日本映画としては」「ハリウッドと比較しても」迫力があって良く出来ている部類には入ると思います。
ただ、すくなくとも物語中盤までのSFX的な描写は比較的あっさり風味な感じで時間も少ないような印象を受けました。
ハリウッド映画でよく見られるような、とにかく手に汗握るギリギリのシーンを目一杯引っ張って観客を引き込む、みたいな描写がなく、本来ギリギリなシーンがあっさり終わってしまっている感じです。
物語後半におけるSFX的な戦闘シーンでも、「ここは俺が食い止めるからお前は早く行け!」的な描写で彩られていますし、特に終盤はヤマト最後の特攻絡みでこれまたお涙頂戴シーンに多くの時間が費やされていますからねぇ。
また、ヤマト最後の特攻シーンは、キムタクと同じSMAP仲間の草彅剛が主役を演じた2006年公開映画「日本沈没」のラストとかぶるものがありました。

沖田十三が名台詞「地球か……何もかも皆懐かしい」を一字一句正確に呟いた後に力尽きるなど、原作ファン向けのサービスも少なからず盛り込まれています。
ただ、前述のように作中の設定についてはかなりの改変が行われていますので、原作至上主義の方にはあまり相容れない映画ではあるかもしれません。
それでも、SFX的な描写も含め、日本映画としては決して悪い出来な作品ではないので、原作ファンもそうでない方も、機会があれば是非観に行かれることをオススメしておきます。

映画「SP THE MOTION PICTURE 野望篇」感想

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映画「SP 野望篇」観に行ってきました。
フジテレビ系列で放送されたテレビドラマ「SP 警視庁警備部警護課第四係」の映画版。
この映画の正式名称は「SP THE MOTION PICTURE」で、今回の「野望篇」、および来年3月12日公開予定の「革命篇」の二部作で構成される作品となります。
今回は劇場公開日(10月30日)と映画の日が比較的近かったこともあり、月曜日の映画観賞となりました。

ストーリーは、六本木ヒルズで演説を行っている政治家の生命を公衆の面前で消さんとするテロリストを、主人公が持ち前の予知能力で事前に感知するところから始まります。
いざ実行の直前になった正体を見破られテロに失敗した犯人はその場から逃走し、主人公と仲間のSP達が追撃を開始します。
ここからしばらく、逃げるテロリストと主人公による追跡劇が繰り広げられるのですが、この追跡劇は、銃弾が飛び交わないことを除けばハリウッド映画と比較しても遜色のない、緊張感と迫力に溢れたアクションシーンに仕上がっています。
映画の長さ自体が1時間38分しかないこともあってか、アクションシーンはほとんど主人公の独壇場で、他のSP達は皆引き立て役も同然でしたね。

ただ、あえてツッコミを入れれば、特に後半におけるテロリスト達の襲撃方法があまりにもチャチ過ぎる印象を受けました。
映画の冒頭で傘に仕込んだ高性能爆薬を使い、ターゲットを六本木ヒルズごと吹き飛ばそうとしたテロリストのテロ手法に対し、後半は七福神?の覆面を被ったテロリスト達が、ナイフ・消火器・クロスボウ・ダイナマイトなどといった武器を手に直接ターゲットを襲撃するという、何とも地味かつコストパフォーマンスも悪そうな稚拙な作戦が3度にわたって繰り広げられます。
しかもそのうち2回はわざわざ車を使って主人公達の眼前に派手に登場しておきながら、その車そのものを武器ないし爆薬として主人公達に突撃をかますといった類の「はるかに効果的な襲撃方法」は全く使用されることなく、ただひたすら「手作業」の襲撃に専念する始末。
第一、ビルの屋上から主人公を狙撃するためのスナイパーと狙撃銃まで襲撃者達は「最後の切り札」としてきちんと用意しているのですから、襲撃者ひとりひとりに銃やマシンガンの類をわたす程度の準備くらい、普通にできそうな気もするのですけどね。
それができていれば、あの程度のSPの奮闘など鎧袖一触で蹴散らすことも充分に可能だったでしょうに。
夜中の襲撃だからら誰にも気づかれず隠密裏にことを運ぶための措置だった、というのであれば、作中でも大音響の大爆発を引き起こしていたダイナマイトのチョイスが理解不能になってしまいますし、あの襲撃作戦は根本的なところに塞ぎようのない大穴が最初から開いていたのではないかと。

作品自体が二部作構成ということもあり、黒幕達の真の目的や思惑などが今作ではまだ伏線として提示されているだけで謎も解明されておらず、ストーリーについてはまだ評価できる段階にはないですね。
起承転結の「起」としてはまずまずの出来ではありますが。
また、この映画は「テレビドラマ版の続き」的な位置付けのため、テレビドラマ版も事前に把握しておかないと作中の設定や演出が分からなくなる部分も少なからず存在します。
テレビドラマ版を知っているのであれば問題ありませんが、そうでない場合はテレビドラマ版も事前事後いずれにせよ確認することを是非オススメしておきます。

映画「桜田門外ノ変」感想

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映画「桜田門外ノ変」観に行ってきました。
江戸幕府の権威を失墜させ、幕末動乱の発端となった井伊直弼暗殺事件「桜田門外の変」を映画化した作品。
何故PG-12やR-15指定されなかったのか疑問に思ってしまったほど、作中は流血シーンが満載でしたね。

ストーリーは、襲撃を指揮したとされる水戸藩士・関鉄之介の視点で展開されており、桜田門外の襲撃から関鉄之介の斬首までが描かれています。
どちらかと言えば、「桜田門外の変」の襲撃者達のその後の逃走過程を描いた作品と言って良く、その発端となる桜田門外の襲撃は序盤で早くも発生します。
襲撃内容は史実通りで、季節外れの大雪となった当日、まず井伊直弼の大名行列の先頭に駕籠訴を持った刺客が刀を振るい、護衛の注意を前方に引き付けます。
前方に護衛が集中したタイミングで、井伊直弼の駕籠めがけて短銃が発射され、本隊への襲撃が行われることになります。
この際、何の偶然だったのか、発射された弾がたまたま井伊直弼の腰部から太腿にかけて直撃し、井伊直弼は動けなくなってしまいます。
護衛側は狼狽しながらも健闘し、特に二刀流の使い手であった河西忠左衛門が駕籠脇を守って襲撃者達を手こずらせます。
それでも奇襲によって機先を制した効果は大きく、襲撃者側はついに抵抗を排除、井伊直弼の駕籠に刀を突き立てます。
そして井伊直弼を引きずり出して首を取り、襲撃者達は勝鬨を上げることとなるわけです。
しかし、この映画の本当の物語は実はここから始まるのです。

襲撃者達の内、最初に井伊直弼の駕籠に切り込んだ稲田重蔵は河西忠左衛門に斬られて討死。
その他、井伊直弼の首を獲った有村次左衛門を含む半数ほどの襲撃者達が、護衛側の猛反撃で重傷を負い、自刃または捕縛の一途を辿ります。
残りは大坂方面へと逃走を続けていくのですが、その途中で「桜田門外の変」が行われるに至る(ペリー来航から安政の大獄辺りまでの)過程が描かれていくことになります。
この辺りは、昔の回想と現在進行形の逃走過程の区別がつけにくく、描写的に「これ昔と現在、一体どちらの話?」と少々分かりづらいところがありましたね。
何とか大坂まで逃げ延びた襲撃者達も、幕府からの追捕を受けて自刃したり、捕縛・獄死・処刑の一途を辿ったりしてどんどんその数を減らしていきます。
主人公である関鉄之介は、打開策を探るべく旧知である鳥取藩や薩摩藩を頼ろうとしますが、そこでも門前払い。
やむなく水戸藩に戻り、日本三大瀑のひとつ「袋田の滝」に入ってそこで匿われ、底で中央の政情を聞きながら逃亡の日々を過ごします。
しかし、やがてそこにも追捕の手が迫り、今度は越後へ逃走。
そこから蝦夷へ渡り、再起を図ろうとしたのですが、蝦夷行きの船を待っている間にとうとう捕縛されてしまい、文久2年5月11日(1862年6月8日)、斬首されることと相成るわけです。

全体的には、歴史的事実を忠実に再現したノンフィクション作品で、ハッピーエンドとは全く無縁の映画ですね。
襲撃者達の末路は全員「悲惨」の一言に尽きますし、また主人公である関鉄之介の妻子(内縁関係だったらしいですが)も、「桜田門外の変」後、追捕によって家を荒らされて捕縛されています。
さらに主人公と関係があった愛人?らしき女性に至っては、捕縛された挙句、拷問にかけられて死亡するにまで至っています。
犯罪者の逃亡生活の悲惨さを描く、というのがテーマの作品なのでしょうか、これって。

映画「大奥」感想&疑問

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映画「大奥」観に行ってきました。
男女逆転の江戸時代を舞台に繰り広げられる男性版「大奥」を巡る物語。
ちょうど映画の日ということもあり、今回は金曜日の映画観賞となりました。

この作品は当然のことながらアクションやSFX系の映画などではなく、私の好みとなる映画のジャンルからは大きく外れるものでした。
それを承知の上であえてこの映画を観に行ったのは、ひとつにはこの映画のテーマのひとつである「男女逆転」がどのような歴史的背景の元、どのような過程を経て成立しえたのか、という命題に興味を抱いたからです。
作中では徳川幕府第3代将軍家光の時代に、男性にしか発症しない、真っ赤な発疹が全身に広がり高熱を発して死んでいく「赤面疱瘡(あかづらほうそう)」という原因不明の奇病が日本中で爆発的に蔓延したことにより、男性の人口が女性の4分の1以下になったことが明示されています。
この病の致死率は80%、つまり「5人にひとりしか助からない」という設定です。
この結果、人口で女性の占める割合が圧倒的となったことにより男女逆転が発生し、男性が一種の「種馬」として珍重される女系社会へと変わっていった、とされているわけです。

しかし、ここで大きな疑問が出てきます。
まず、「赤面疱瘡」という奇病は、作中の舞台となっている第7代将軍家継~第8代将軍吉宗の時代に至るまで治療法が全く確立されていないということ。
そして「赤面疱瘡」は、その時代に至っても相変わらず猛威を振るい続けており、それによって男性の多くが昔ほどではないにせよ死に至っている状態にあることが作中でも明示されているのです。
致死率80%の病気が80年以上にわたって猛威を振るい続ける、という設定では、「男女逆転」どころか、下手をすれば「男性絶滅」などという事態にすら至っても何ら不思議なことではありません。
しかも作中では、「赤面疱瘡」の患者に対する隔離政策すらもあまり行われていないようで、男性版「吉原」で「赤面疱瘡」を患っている十代の少年が主人と思しき人間から仕事を言い渡されて街中へと向かう描写が普通に描かれていました。
また一方、数少ない男性達にも特に「赤面疱瘡」対策としての外出規制等が行われている様子もありません。
「赤面疱瘡」の恐怖がおどろおどろしく描かれ、治療法も確立されていない割には、予防対策的なものが全くなく、また病に対する偏見や社会的迫害・隔離といったものも存在しないときているわけです。
これでよくもまあ、「男性絶滅」という事態に至らないものだと逆に感心すらしてしまいましたね。

次に疑問に思ったのが、男性版「大奥」の存在意義そのものです。
前述のように、映画「大奥」の世界では、希少種となっている男性が子種の供給源として重宝されているという設定があります。
作中では、主人公が子種を欲しがる女性達を相手にボランティアで性行為を行っている描写がありますし、男性版「大奥」に入っている男性のひとりもまた、親から命じられてカネを取り多くの女性と性交を行っていたと主人公に告白しているシーンがあります。
男性が女性の4分の1しかいないわけですから、厳格な一夫一妻制では女性の大半が子作りどころか結婚すらもできないわけで、子種獲得が目的の「売春婦」ならぬ「売春夫」的な商売が成立するのは自然の流れです。
というより、普通に考えれば「一夫多妻制」が成立したって何らおかしなことではないどころかむしろ合理的ですらありえますよね、この世界って。

それに対して、ひとりの女性に多くの男性を侍らせる「一妻多夫制」としかいいようがない男性版「大奥」を成立させなければならない理由というのは一体何なのでしょうか?
史実の「大奥」に限らず、諸外国で見られる「後宮」の類であれば、多くの女性を侍らせることで、世継ぎを多く産ませることができるという大きなメリットがありますし、そもそもそれが存在意義でもあるわけです。
しかし男性版「大奥」では、いくら男性を多く増やしたところで、子供が産めるのはあくまでも女性側の将軍ただひとりだけなのですから、世継ぎ対策としては全く使い物になりません。
もちろん、作中の「大奥」には世継ぎ対策だけでなく、将軍の身の回りの世話や護衛をするなどの役目もあり、そのための人員も少なくないのですが、それは別に男性版「大奥」が特に担わなければならない理由はなく、女性でも充分に代替が利くものでしかありません。
最大の存在意義がないも同然であるにもかかわらず、何故「大奥」という一種の「後宮システム」があの世界で成立し存続しているのか? その疑問こそが今回、私が映画「大奥」を観に行くことを最終的に決断するに至った最大の動機だったりします。
残念ながら、作中における男性版「大奥」も、その点については「無駄な贅沢だからこそ存在する」ということが強調されているだけで、私が抱いていた謎は解けるどころか却って深まるばかりでしたが(-_-;;)。

あと、作中における支離滅裂な慣習もいいところの設定として、「ご内証の方」という概念が挙げられます。
映画「大奥」における「ご内証の方」というのは、未婚の女将軍に対する初めての相手となる男性を指す言葉で、「ご内証の方」は将軍を破瓜させる罪人として死を与えられる定めにあります。
そして主人公は、8代将軍となる吉宗に見初められ「ご内証の方」として選ばれてしまうわけです。
……何と言うか、これほどまでに「女性としての潔癖症」丸出しの慣習というのも非常に珍しい限りですね(苦笑)。
史実の「大奥」にも「内証の方」という言葉があるのですが、こちらは「将軍のお手つき」、つまり「将軍と直接性交した女性」という意味合いの言葉に過ぎず、ましてや「初めて性交した者には罪人としての死が与えられる」的な慣習などありません。
正直、あまりにも意味不明過ぎる慣習で、「ひょっとしてこれは時の政敵を抹殺するだけのために勝手にでっち上げられたものが放ったらかしにされているだけなんじゃ……」などという疑惑まで浮かんでしまったほどです。

かくのごとく、世界設定面ではあまりにもツッコミどころ満載で、それ故に設定検証は逆に楽しめる作品ですね。
かく言う私自身、半分はそれが目当てだったようなものでしたし(苦笑)。
ただ、そこまで設定面で深く考える人もあまりいないでしょうし、もっと手軽に18禁エロゲー「恋姫無双」の江戸時代男女逆転版とでも解釈しておいた方が素直に作品を楽しめるかもしれません。
まあ「恋姫無双」は社会システムまで改変されてはいませんでしたけど。

世界設定面以外の作中描写で特に強く印象に残ったシーンは2つ。
ひとつ目は「大奥」の男同士で何度も繰り広げられた男色描写、特に主人公による「男同士」のキスシーンで、このシーンはさすがの私も少々ビビりました。
男女同士の濃厚なキスシーンや残虐シーンなどは特にハリウッド映画で何度も見慣れていたのでそれなりに免疫もあるのですが、男同士のキスシーンはすくなくともこれまで私が観てきたハリウッド映画には全く存在しなかったので完全に意表を突かれたというか(^^;;)。
この間観に行った映画「十三人の刺客」にもオマケ程度の扱いながら男色描写がありましたし、この辺りはキリスト教圏に比べて同性愛を罪悪視していない日本ならではのものと言えるのかもしれませんね。
二つ目は第8代将軍吉宗の初登場シーン。
緑の草原を舞台に白馬にまたがって疾走する初登場シーンは、明らかに時代劇TVドラマ「暴れん坊将軍」のオープニングテーマを意識している以外の何物でもありませんでした。
そりゃ「吉宗」と聞いて連想する第一印象と言えば確かにアレではあるのですけど、あまりにあからさま過ぎるパロディで、心の中で笑わずにはいられませんでしたね。

それと、銀英伝舞台版でアンネローゼ役を担当する白羽ゆりが「大奥」でも出演しているという事前情報があったので確認したところ、確かに主人公の姉役として作中で登場していました。
作中における出番は序盤と終盤のわずかな時間しかなかった上、台詞もほとんどありませんでしたが。

時代劇と男性同士による同性愛が好きという方、または世界設定面にツッコミを入れまくりたいという方には、映画「大奥」は間違いなく一押しの作品と言えるでしょう。

映画「十三人の刺客」感想

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映画「十三人の刺客」観に行ってきました。
1963年に公開された同名の時代劇映画のリメイク作品。
作中に切腹シーンがあったり、手足を切り落とされた裸の女性が映し出されるシーンがあったりすることもあり、この作品はPG-12指定されています。

ストーリーは、将軍の弟という地位にものを言わせて残虐の限りを尽くす明石藩主・松平斉韶(まつだいらなりつぐ)を13人の刺客が討ち取るというもの。
松平斉韶の暴虐ぶりは映画の序盤で明示されているのですが、手始めに、尾張藩の木曽上松陣屋詰である牧野靭負(まきのゆきえ)の息子の妻を犯した上、犯行現場で妻の惨状を発見し嘆き悲しむ息子を背後からなぶり殺しにするという行為に及びます。
次に、名もなき娘の手足を切り落として性奴隷として扱った挙句、その親族一同を全て皆殺しにするなど、現代どころか当時から見てさえも狂人扱いされて当然の所業が明らかになっていきます。
確かにこれは殺されても文句は言えないよなぁ、と観客および主人公に示されたところで、いよいよ松平斉韶を暗殺するための刺客が集められることになります。

ちなみに、この作品に登場している松平斉韶にはモデルが2人いて、ひとり目は全く同姓同名かつ明石藩第7代藩主の松平斉韶(1803年~1868年)。
そして二人目で、映画「十三人の刺客」の松平斉韶にまつわるエピソードの大部分の元ネタとなっているであろう人物が、明石藩第8代藩主の松平斉宣(まつだいらなりこと)(1825年~1844年)。
尾張藩とゴタゴタを引き起こしている経歴や、作中で舞台となっている年代とほぼ同じ1844年頃に死んでいることから考えても、映画「十三人の刺客」の松平斉韶は後者のエピソードを元に作られた人物と言って良いでしょう。
……名前だけ適用されてしまった明石藩第7代藩主の人が可哀想ではありますが(苦笑)。

松平斉韶の暗殺を成功させるため、主人公にして「十三人の刺客」のリーダー格である島田新左衛門(しまだしんざえもん)は、参勤交代で自分の藩に帰る松平斉韶を中山道の木曽落合宿を要塞化し、そこで待ち伏せ襲撃する計画を立てます。
松平斉韶が絶対に落合宿を通るという保証はなく、作中でもその部分は「賭け」と言われていましたが、主人公達が事前に手を打った尾張藩封鎖と、何よりも松平斉韶の自滅的な性格に助けられ、松平斉韶の一行は見事に落合宿を通ることになります。
かくして、映画の後半では落合宿を舞台とした壮絶な戦いが繰り広げられることになるわけです。

落合宿で襲撃された明石藩藩主・松平斉韶一行が引き連れている人数は、尾張藩封鎖に伴う分断効果で本来75名前後しかいないはずでした。
ところが落合宿に差し掛かった際、途中で人数を増強したのか200人以上も引き連れているという情報が「十三人の刺客」達に明示されています。
Wikipediaで元作品を調べてみた限りでは「13人対53人の殺陣シーン」しか行われていなかったようなので、この人数増強はリメイク作品のオリジナル設定なのでしょう。
しかも実際に映画を見ていると、明石藩側の人数はその200人よりもさらに多いとしか思えない描写ばかり出てくるんですよね。
落合宿序盤戦では、「十三人の刺客」達が落合宿に張り巡らせた罠の数々と、高みから一方的に放たれる矢戦によって、明石藩側の70人ばかりがほとんどワンサイドゲームで一方的に潰されています。
にもかかわらず、主人公の「斬って斬って斬りまくれ!」の号令で白兵戦に移行後、明石藩側は刺客ひとりにつき10人以上で取り囲んでいる上、どう見ても無傷にしか見えない新手の援軍が何回も登場していました。
松平斉韶自身の護衛に15~20人前後が付いていたにもかかわらずです。
当初は刺客の内3人くらいが待ち伏せ要員だったことを考えても、「明石藩側の人間、どう見ても300人近くいたんじゃないの? 残存130人にしては多すぎないか?」と考えざるをえなかったところです。
まあこの辺りは、時代劇の1対多数の殺陣シーンを見慣れている現代人向けに、人数を増やさざるをえなかったという事情もあるのでしょうけどね。

主人公を演じる「三匹が斬る!」の役所広司や、その補佐役で「遠山の金さん」でも御馴染みの松方弘樹など、時代劇では有名どころの俳優さんを揃えているだけあって、殺陣シーンはさすがに良く出来たものです。
時代劇が好きという方にはオススメできる映画ですね。

映画「-ザ・ラストメッセージ- 海猿」感想

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映画「-ザ・ラストメッセージ- 海猿」観に行ってきました。
同名の漫画原作作品の映画第3弾にしてシリーズ完結編。
ただ、「シリーズ完結編」といっても、それは前作に当たる2006年公開映画「LIMIT OF LOVE 海猿」でも、続編製作が発表されるまでは同じことを言っていたので、本当にこれで完結するのか否かは分かりませんが。
今作は3D版としても公開されているのですが、私が観に行ったのは通常版となります。

今作の舞台は、福岡県玄界灘沖に建設された天然ガスプラント「レガリア」。
このプラントには韓国とロシアも出資しているという設定で、そのためなのか、序盤で展開される救助活動では韓国人やロシア人らしき救助部隊の姿も見られます。
「レガリア」で火災事故が起こったのは、「レガリア」に変わり一時的に掘削作業を行っていたドリルシップが高波に煽られて制御を失い、「レガリア」に激突したことによるもの。
救助活動は順調に進んでいたものの、救助活動終了寸前になって「レガリア」が爆発の危機に晒された挙句、そのための安全措置として下ろされたシャッターに、主人公である仙崎大輔を含めた5人の人間が閉じ込められてしまいます。
おりしも台風が接近していたこともあり、海上保安庁の救助隊は一時現場から退避。
その後、たびたび危機的状況に見舞われる「レガリア」の問題に主人公がもうひとりの海上保安庁隊員と共に対処しつつ、ストーリーが進行していくことになります。

仙崎大輔は前作「LIMIT OF LOVE 海猿」の後、ヒロインである伊沢環菜と結婚、今作までの間に男の子が生まれています。
男児出生の際には、男児が未熟児だった上に母体も危機的事態に晒されるなど色々と問題もあったとのこと。
作中では「結婚3周年記念の日」に仙崎大輔が救助活動に向かっていることが示されており、前作からすくなくとも4年近くは経過している計算になりますね。

前作もそうでしたが、映画「-ザ・ラストメッセージ- 海猿」は人間ドラマの作り方が上手いですね。
主要人物全員分のエピソードが用意されていて、一定の感情移入ができるようになっています。
あと、主要人物が誰も死なないのも大きな特徴ですね。
同じ題材をハリウッド映画が扱ったら、誰が一人くらいはピエロ役として死ぬ人間が確実に出そうなものなのですが(苦笑)。

紆余曲折の末、「レガリア」はそのまま待てば破滅確定という最悪の事態に陥り、最終的には主人公達の手によって自沈させられることになります。
「レガリア」の建造には1500億円もの費用と韓国・ロシアの出資もあったことから、日本政府の上層部はゴーサインを出し渋っていましたが、あの状況で「レガリア」を自沈させなかったら、「レガリア」に取り残された5人全員死亡はもちろんのこと、「レガリア」破滅に伴う大火災や海洋汚染も発生するという最悪の結末を迎えただけでしょう。
作中では「たかが5人の生命を救うためにレガリアを放棄するのか!?」的な主張を政府高官が行っていましたが、何故か「大火災や海洋汚染の可能性」は無視されていて、その辺りは少し違和感を覚えたところですね。
「ガスタンクにいつ引火するか分からない」という報告は、主人公によって対策本部にも充分に伝わっていたわけですし。

映画「-ザ・ラストメッセージ- 海猿」は、人間ドラマ以外にも、手に汗握る緊迫感漂うシーンが結構続いたりするので、そういう映画が好きな人であれば、映画館へ直接観に行っても損はしない作品ですね。

映画「踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!」感想

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映画「踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!」観に行ってきました。
人気TVドラマ映画化シリーズ第3弾。
主人公である青島俊作を演じる織田裕二と室井慎次役の柳葉敏郎には一時期不仲説も囁かれ、映画の成立自体が危ぶまれる報道もありましたが、とにもかくにも映画が公開されて何よりです。
人気シリーズ作品かつ初日ということもあってか、スクリーン内はほぼ満席状態でしたね。

「踊る大捜査線」の映画は前作もそうでしたが、今作もとにかくギャグが満載。
湾岸署の引越し本部長に任命された青島俊作の「作戦会議」から始まり、その引越しのゴタゴタにまぎれて発生した事件と不祥事の数々、そして湾岸署外部に不祥事が発覚した後、身体を張っていかにも衰弱しているかのごとき過剰演出な3文芝居を繰り出しつつ、自己保身だらけの官僚答弁的な言動を披露しまくるスリーアミーゴスの公式会見シーンの辺りまではまさにギャグとツッコミのオンパレード。
その手のギャグが出てくる都度、スクリーン内のあちこちから声を潜めた笑い声が頻出していましたし、かくいう私も同じように笑っていたクチです。

ただ、今回の映画「踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!」は、過去2つのシリーズ作品とも内容がリンクしており、そちらも観ないと登場人物の相関関係が把握しにくいところも多々ありますね。
私も映画観賞後、Wikipediaを読んで過去作の登場人物を確認したりしていましたし。
今回の映画を観る際には、過去作である、
「踊る大捜査線 THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間!」
「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」
を事前に観ることをオススメしておきます。

それ以外で個人的に気になったのは、湾岸署を閉鎖状態に追い込んで囚人の釈放を要求してきた犯人に対し、室井慎次以外の警察の首脳陣達全てが「犯人の要求を呑む」という意見で完全に一致し、しかもそれが日本国首相の公式声明として発表されてすらいたこと。
作中でも「人道的見地」だの「人の命は地球より重い」だのといった類の発言が飛び交っていましたが、アメリカであれば映画でも現実でも絶対にありえないこの描写が、日本だと「うん、普通にありえる話だよね」と素直に頷けてしまう嫌な実態がありますからね~(T_T)。
ましてや今の売国民主党政権、特にその頭目が「あの」カンガンスであれば、これ幸いと嬉々として要求を呑むどころか、下手すれば国家としての無条件降伏すら本気でやりかねないところがありますし(-_-;;)。
あのヘタレ過ぎて情けない日本の首脳陣達の描写を「ありえないフィクション」として本当に笑い飛ばせる日が来て欲しいものなのですけどね。

「踊る大捜査線」はハリウッド映画と異なり、特にこれといった直截的な恋愛描写やアクションシーンがないにも関わらず、巧みなストーリー進行とギャグによる独特のテンポを駆使して観客を魅了する非常に優れたシリーズ作品ですね。
今作も、邦画の中では今年度最優秀作品の最有力候補として数えられることになるのではないでしょうか。

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