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映画「ライジング・ドラゴン」感想

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映画「ライジング・ドラゴン」観に行ってきました。
ジャッキー・チェンが主演・監督を担う、中国・香港のアクション映画。
今作では、主演であるジャッキー・チェン自身が「自ら身体を張った本格アクション映画はこれを最後に引退」と述べていることでも話題となっています。
ただまあ、ジャッキー・チェンは過去に何度も自らの引退をほのめかす発言を行っていながら、都度発言を反故にしているわけですし、今回もあまりアテになるものではないのではないかと。

香港映画であることから、冒頭のプロローグでも当然のごとく中国語のキャスティング情報が飛び交う今作の物語の発端は、1860年のアロー戦争(作中では「第二次アヘン戦争」と呼称)にまで遡ります。
当時は清王朝が支配していた中国大陸では、円明園と呼ばれる離宮が建造されていました。
円明園では、十二支を模した動物の銅像が、それぞれ決められた時間毎に水を噴射し、正午には12の銅像全てから水が噴射されるという仕掛けが施されていました。
ところがアロー戦争時、清へ侵攻した英仏連合軍は、円明園に対し略奪の限りを尽くした上に徹底的に破壊してしまいます。
その際、十二支の銅像もまた、略奪を担った英仏連合軍によって首を切り取られ、国外に持ち去られていたのでした。
ちなみに、この銅像の中のひとつである龍の首の銅像が、映画のタイトル名の由来にもなっています。

時は流れ、この十二支の銅像のうちのいくつかがオークションに出品され、数百万ユーロという高値で落札されていました。
このカネになるオークションビジネスに、高額な秘宝や盗品の文化財を扱うマックス・プロフィット(MP)社が目をつけます。
MP社は、既に中国へ返還または寄贈されている6体を除く残りの十二支の銅像を手に入れるべく、今作の主人公である伝説のトレジャーハンター・JC(当然ジャッキー・チェンの略称でしょうね(笑))に銅像の探索と奪取の依頼を行うことを考えます。
その頃、当のJCは、どこかの山岳地帯にある軍事施設?へ潜入し、何らかの目的を果たした後に見つかってしまい、逃走を図っていました。
何故か全身でローラースケートが可能なスーツを身に纏い、文字通り地べたを這う奇想天外なアクションで敵の追手と包囲網を次々とかわしていくJC。
最後は通気口?の中へ逃げ込み、仲間に拾われて無事逃走に成功するのでした。
無事を喜ぶJCは、仲間達からMP社の依頼を聞かされることになります。
MP社は、十二支の銅像ひとつにつき100万ユーロ、さらに龍の銅像を見つけたら報酬を10倍にするという条件での探索と奪取をJCと仲間達に対し申し出てきます。
JCはこの依頼を快諾し、まずは十二支の銅像があるとされるフランスのマルソー城へと向かうことになるのですが……。

映画「ライジング・ドラゴン」のストーリーにおける重要なキーワードとなっている十二支の銅像は、その正式名称を「円明園十二生肖獣首銅像」と言います。
作中では、この「円明園十二生肖獣首銅像」がアロー戦争時に英仏連合軍によって略奪されたと、中国人の登場人物達が盛んに主張しているのですが、実はこれは空虚なフィクションもいいところなんですよね。
確かに円明園は、アロー戦争時にフランス軍によって略奪の限りが尽くされ、清軍の捕虜殺害に対する報復としてイギリス軍によって焼き払われた歴史的事実があります。
しかし「円明園十二生肖獣首銅像」については、アロー戦争時には略奪を免れ、英仏連合軍の円明園での略奪後も同じところにそのまま鎮座し続けていました。
「円明園十二生肖獣首銅像」は、アロー戦争後に当時の清王朝自身の手によって移設され、すくなくとも1930年頃までは中国国内に存在していたのです。
したがって、現在「円明園十二生肖獣首銅像」が世界に分散しているのは、アロー戦争時の英仏連合軍の手によるものなどではなく、全くの別人もしくは別勢力によって行われたことになります。
となると、被害者意識丸出しでフランス人達に「略奪された中国の文化財は中国に返すべきだ!」などとがなり立てている作中の中国人達の主張は、その正当性が180度完全にひっくり返されることになります。
彼らは、全く無実のフランス人達に冤罪を押し付けていることになりますし、その一方で自分達の同胞達の罪を不問に付していることになるわけなのですから。
そもそも、当時の中国を支配していた清王朝は漢民族が作った王朝などではなく、元々は女真族こと満州族が建国したものなのですし、当時はその版図の一部に組み込まれていたに過ぎない漢民族が、我が物顔で清王朝の文化財の所有権を主張するというのは滑稽もいいところでしかないのですが。
清王朝の文化財の本来の所有権者である現在の満州族は、中国国内の少数民族として消滅の危機に晒されている状態にある上、満州族本来の領土である満州もまた、清王朝末期頃から漢民族の大量流入によって席巻されている始末です。
満州族をそのような境遇に追いやった中国人というよりも漢民族の人々は、アロー戦争時の英仏連合軍よりも、まずは自分達の「侵略行為」についてこそ素直に反省し、満州族に対して謝罪でもすべきなのではないですかねぇ(苦笑)。
作中でココという女性が、中華思想丸出しな言動でフランス人女性に迫っていった光景は、私から見れば実に笑止な限りでしかなかったのですが。

また他にも、「円明園十二生肖獣首銅像」には結構面白いエピソードがあったりします。
2009年4月に、「円明園十二生肖獣首銅像」の中の兎と鼠の銅像が、フランスのオークションで出品されるという出来事がありました。
フランス在住の中国人達がパリ地方裁判所に競売差し止め請求を行ったものの却下され、2つの銅像は出品されることになったのですが、それを落札したのが中国人の蔡銘超。
彼は3143万ユーロという大金を提示して2つの銅像を落札したのですが、何と彼はその後「カネを払うつもりはない、中国人としての責任を果たしただけだ」と支払いを拒否したんですね。
ということは、彼は最初からパフォーマンスを意図して虚偽の落札を行ったのでなければ、詐欺的な意図をもって銅像を手に入れようとしていたことになります。
これだけでも笑えるところなのですが、当然のごとく銅像の受け渡しを拒否した出品者ピエール・ベルジェの発言がまた振るっていて、彼は「中国が人権を守り、ダライラマ14世がチベットに帰還出来るなら中国政府に銅像を引き渡してもいい」などと述べていたりするんですよね。
当然、そんな切り返しをされた中国政府は、人権問題について反省するどころか鼻で嘲笑い、せっかくの引き渡しのチャンスを棒に振っています(苦笑)。
出品者は、中国の厚顔無恥かつ強欲な性格を大変よく理解していらっしゃるようで(爆)。
痛烈な皮肉で返された中国の態度も、いっそ清々しいほどに自分の面子と欲求に忠実なシロモノですし、中国人および中国政府の性格を理解するのにこれほどふさわしいサンプルも、そうそうあるものではないですね。

さて、少々脱線したので映画の方に話を戻します。
今作では、ジャッキー・チェンが主演ということもあるのでしょうが、銃撃戦を活用したアクションシーンはあまりなく、どちらかと言えば身体を張った格闘戦がメインに展開されていますね。
銃器類が使用されるシーンもあるにはあるのですが、ほとんどコメディタッチなノリで登場しているだけでしかありません。
物語中盤の海賊と対峙するシーンなどはその典型例で、海賊がぶっ放したロケットランチャーや、フランス人女性キャサリンが銃を乱射しまくるシーンでその場にいた全員がビックリ仰天していたり、蔓に絡まっていたロケットランチャーの砲弾が空中をブラブラしていた際は全員が行方を追っていたりと、明らかに笑いを取る進行で物語が進んでいました。
終盤の戦いに至っては、銃をぶっ放せる局面がいくらでもあったにもかかわらず、敵味方含めてほとんど銃を使うことがありませんでしたし。
この辺りは同じアクション映画でも、欧米と中国系で大きな違いがあると言えるのではないでしょうか。
中国系の映画で銃器類がメインで大活躍するような作品というのは、まるで見たことがないですしねぇ。

ジャッキー・チェンのファンの方々にはオススメの映画ではあるのでしょうが、個人的には少々微妙な出来かなぁ、といった評価ですね。

映画「王になった男」感想

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映画「王になった男」観に行ってきました。
17世紀前半の李氏朝鮮の宮廷を舞台とし、イ・ビョンホンが一人二役で主演を担う韓国映画となります。
今作は韓国で製作された映画ということもあり、当初は観賞予定作品のリストにも全く入っていなかったのですが、久々に試写会に当選するという僥倖に恵まれたため、「まあタダなのであれば……」ということで観賞に臨むことと相成りました。
韓国映画は、心理描写一辺倒&ラスト30分がグダグダの「リベラ・メ」や、トンデモ反日臭があまりにも強すぎる「マイウェイ 12,000キロの真実」と、どうにも良い印象を持ちようがないのが実情だったのですが、今作は如何に?

1616年の李氏朝鮮。
日本では徳川幕府が豊臣家を滅ぼし太平の世の礎を確立しつつあり、支那では明王朝が衰退から滅亡へと邁進しつつあったこの時代、当時の李氏朝鮮では光海君という人物が15代国王として君臨していました。
この光海君というのは、1623年に政敵にクーデターを起こされ廃位させられたという経緯も手伝い、李氏朝鮮では「暴君」という評価を受けている国王だったりします。
後世でもそんな評価な光海君は、作中でも周囲から恐れられる暴君として振る舞っており、それ故に自身も他者から暗殺される危険に怯えていました。
特に食事時などは、毒殺されるリスクが少なからず存在することもあり、光海君も毒見役に当たり散らすなど神経を尖らせていました。
暗殺のリスクを何とかして減らしたいと考える光海君は、国王の意思を臣下達に伝達したり、逆に臣下や民の意見を国王に伝える役割を持つ承政院の都承旨(トスンジ・承政院の長官)の地位にあるホ・ギュンに対し、自分とよく似た影武者を探させろという命令を下します。
しかし、影武者がなかなか見つからない中で、光海君に対する暗殺の脅威はますます増大するばかり。
光海君もホ・ギュンも、光海君の影武者をますます切望するようになっていきます。

そんなある日。
光海君の部下達は、ついに光海君と瓜二つの人間を見つけ出すことに成功します。
その男は、事実上の売春婦に相当する妓生(キーセン)達のたまり場である妓生宿のひとつで、妓生達を相手に国王の道化として振る舞っていたのです。
その道化師の名前はハソン。
目的の人物をついに見つけ出した彼らは、ハソンを家から宮廷に連れ出し、光海君と対面させることになります。
一時は光海君の不興を買う危機に直面しながらも、ハソンは持ち前の機転で逆に気に入られ、当人は乗り気ではなかったものの、光海君の意向により彼の影武者として採用されることとなります。
当初は3日に1度宮廷に赴けば良いとされた影武者役だったのですが、ハソンが最初に影武者を務めた夜の直後、光海君は突如体調を崩し倒れ意識不明の状態となってしまいます。
光海君は政敵から毒を盛られた可能性もあり、彼が死ねば宮廷、ひいては李氏朝鮮そのものが混乱することは必至でした。
事態を重く見たホ・ギュンの判断により、ハソンは四六時中宮廷内で光海君を演じることを余儀なくされるのですが……。

映画「王になった男」は、ひたすら周囲に恐怖と威圧感を与える暴君と、右も左も分からない宮廷でコメディな言動に終始しつつ、次第に王としての風格を持ってくる道化師という、全く異なる役柄を演じきったイ・ビョンホンの好演が光る作品ですね。
全体的にはシリアスな展開ですが、物語中盤はコメディとしても成り立っており、どちらの観点でも一見の価値はあります。
ただ、当時の朝鮮の独特な文化や政治情勢が何の説明もなく当たり前のように作中に挿入されているため、李氏朝鮮の知識がない人が見たら理解に苦しむ描写が少なくないのがやや難点なところです。
その手の歴史用語でマトモな説明があったのは、税制改革の一環である大同法くらいなものでしたし。
また、韓国映画なのですから韓国文化を前面に出すのは良いにしても、当時の宮廷におけるトイレ事情とか、国王の糞便を舐めて健康状態を判断する「嘗糞」なんてシロモノを、しかも全年齢対象の映画で出してくるのは正直どうなのかと。
ウンコを元に製造される「トンスル」なる人糞酒などというシロモノが現代にいたるまで存在する朝鮮では、嘗糞なんて行為も当たり前の文化なのかもしれませんが、朝鮮以外の文化圏の人間は確実に引かざるをえないでしょうに(苦笑)。
嘗糞描写では、試写会のスクリーン内でもどよめきが起こっていましたし、ある程度朝鮮文化を知っている私でさえ「そこまでやるか」と思わずにはいられなかったですからねぇ。
この手の描写って、韓国以外の国で果たして一般受けしえるものなのかと、いささか心配せずにはいられないですね。

また、韓国映画の弊害のひとつである「ラスト30分の展開が暗い」という要素は、今作でも健在ですね。
道化師のハソンは、最終的に李氏朝鮮の宮廷から逃亡を余儀なくされ、船に乗って難を逃れるという結末で終わっていますし。
一応、若干妙な感動エピソードなシーンが挿入されてはいるのですが、基本的な流れは「陰々滅々なまでに暗い」の一言に尽きます。
この辺りは、「マイウェイ 12,000キロの真実」でも似たような流れがありましたし。
何故韓国映画は毎回毎回「暗い結末」な話ばかり作ろうとするのか、全くもって理解に苦しむのですが。
個人的には、ハリウッド映画によくある「爽快感に満ちたハッピーエンド」的な終わり方をする方向で作品を製作していった方が、韓国のみならず他国でも一般受けしやすい映画ができるのではないかと思えてならないのですけどね。
アクションシーンとか演出面などは結構良いものを持っているのですから、ストーリー展開の問題を改善さえすれば、韓国映画はもっと飛躍しえる可能性があるはずなのですが……。

韓国映画として見た場合、今作は過去2作と比較しても意外なくらいに良く出来ている部類に入るとは思います。
ただ、これがハリウッドや躍進著しい日本映画に対抗しえる作品なのかというと、やはり首を傾げる評価にならざるをえないところですね。
内容的に見てもあまり万人向けに作られているとは言い難く、明らかに人を選ぶ映画なのですし。
ただでさえ今週は「ダイ・ハード/ラスト・デイ」などの大作が目白押しなのですし、また昨今の日韓関係の悪化という政治事情もありますから、興行収益的には結構厳しい戦いを強いられる映画と言えそうです。

映画「ドラゴンゲート 空飛ぶ剣と幻の秘宝(3D版)」感想

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2013年新作映画観賞のトップを飾る作品は「ドラゴンゲート 空飛ぶ剣と幻の秘宝」。
明王朝時代の中国大陸を舞台とする、ツイ・ハーク監督製作によるジェット・リー主演の中国アクション映画です。
この作品は日本やアメリカとの合作では完全無欠の中国映画とのことなのですが、個人的に中国映画は今まで不思議と全く縁がなかったんですよね。
唯一中国的な要素が前面に出ていた作品で馴染み深かった映画「幽幻道士」シリーズも、実際は台湾の作品だったわけですし。
劇場で観賞した中国映画としては、2009年公開映画「レッドクリフ PartⅡ -未来への最終決戦-」以来になるでしょうか。
なお、今作はPG-12指定作品で、かつ熊本では3D版でしか上映されていないため、3D版での観賞となりました。

明王朝時代の中国大陸では、東廠(とうしょう)および西廠(せいしょう)と呼ばれる特務機関が専横を振るっていました。
東廠は朝廷内の役人達の動向を監視する機関であるのに対し、西廠は一般人を監視する機関とされ、共に他者から恐れられる存在となっていました。
今作の物語は、東廠の長官が五軍の都督府長を粛清しようとする場面から始まります。
東廠の長官が都督府長を処刑させようとしたまさにその時、突如巨大な丸太が壁を突き破り、兵達は大混乱に陥ります。
さらに、その混乱に乗じて3人の暗殺者達が東廠の長官や兵達に襲い掛かります。
東廠の長官はその老獪な外見に反して凄腕の剣技を披露する実力者ではあったのですが、奮戦むなしく、暗殺者のひとりで今作の主人公でもあるジャオにあえなく討ち取られてしまいます。
主を失ってしまった東廠は対策会議で事態の収集を図ろうとしますが、そこへ西廠の督主であるユーが訪れ、東廠の重鎮達を嘲笑います。
ユーは皇帝の正妻である貴妃とも関係を持つ宦官でもあり、貴妃の意に沿わぬ人物を片っ端から始末することで今の地位を築いてきた人物です。
そんなユーに東廠の面々は怒り狂うのですが、ユーは彼らの怒りを意に介することなく、その場を後にするのでした。

その直後、貴妃に呼び出されたユーは、後宮に仕えている女官4人が身籠ったことを貴妃に報告していました。
ユーはそのうち3人を葬ったのですが、残りのひとりの逃走を許していました。
彼は自分以外の女性が皇帝の子を孕むことを何よりも憎む貴妃の意を受け、残りひとりの女官スーを捕縛すべく、スーが逃亡したとされる谷へ大隊を派遣するのでした。
スーは谷を流れる川の渡し船で一般乗客を装い逃走を続けていましたが、ユーが放った大隊の検問であえなく御用となり、今まさにその首を刎ねられんとしていました。
西廠が放った大隊の存在に気づき、ひそかに追跡していたジャオを含めた3人の暗殺者達は、スーを助けるべく戦闘を開始しようとします。
しかし、彼らが姿を現すよりも前に、顔を隠した謎の人物が突如兵達に襲い掛かり、自身のことを「ジャオ」と名乗り、あっという間に彼らを制圧してスーを救出するのでした。
その人物の正体はリンという女性で、ジャオとは何らかの関係を伺わせるものがあったのですが……。
リンはスーを明王朝の手の届かない場所へ送るべく、明王朝の西北国境にある宿場へと向かうことになります。
その宿場の名は「龍門宿」。
ここが、今作における主戦場となるのです。

映画「ドラゴンゲート 空飛ぶ剣と幻の秘宝」は、冒頭のオープニングの時点で「ああ、中国映画だな」ということがよく分かるシロモノですね。
洋画ならばアルファベット、邦画ならば日本語が並べられるスタッフロールで、誰の目にも明らかな中国語が並んでいましたし、音楽もどことなく聞き慣れないものだったりしましたから。
洋画の「エクスペンダブルズ」シリーズにも出演していたジェット・リーが主演とのことだったので、てっきり「中国的な雰囲気を持つハリウッド映画」とばかり考えていたものだったのですが。
というか今回は、数年ぶりの中国映画ということもあり、ジェット・リー以外に知っている俳優さんが誰もいなかったりします(苦笑)。
中国映画ではそれなりに有名どころを集めているようなのですが、中国映画なんてめったに見ない私の視点では知らない人ばかりですし。
今作の場合、映画の冒頭数分の時点で「しまった、映画のチョイスを間違えた!」と考えてしまった人が意外に多いのではないかなぁ、とついつい考えてしまったものでしたね。

作中で繰り広げられるアクションシーンは、ハリウッドとはまた一味違った味を出しています。
やたらと暗器類を駆使したり、さしてダッシュもしていないのに舞空術でもやっているかのごとく高い跳躍力を見せつけたりと、科学考証的にはツッコミどころ満載なアクションが披露されています。
確かに演出的にはハリウッドよりもスピード感はありますし、それなりに「見れる」ものにはなっているのですが、ただ、やはりどこか「違う」感はどうにも否めないですね。
迫力に欠けている、というのとは少し違うのですが、どこか根本的な部分でハリウッドに遠く及ばない要素があるというか……。
銃撃シーンやカーチェイスが皆無なことではないと思うのですが、この辺りは何とも言えないところではありますね。
人間ドラマも、大味なハリウッドアクション映画と大同小異といったところでしかないですし。

個人的にこの作品で納得がいかなかったのは、物語終盤で「皇帝の子供を身籠った」として貴妃から追手が差し向けられていたはずの元後宮の女官スーの真の正体が判明したことですね。
実はあの女官スーは西廠の督主ユーの密偵で、最終的に彼女は主人公達を裏切ってユーと共に主人公と対峙するんですよね。
その際には「皇帝の子供を身籠った」という設定もどこかに消えてしまっていて、ピアノ線のような武器を駆使して主人公達を窮地に追い詰めていくのですが……。
しかし、そもそもユーをはじめとする西廠の面々達は、貴妃の命令に基づいてスーの身柄を確保することを最優先課題としていたのではないのでしょうか?
第一、作中でもスーは一度西廠が敷いた検問に引っかかってしまい、これみよがしに斬り殺される寸前までいっていたわけですし。
これが完全なフェイクだということになってしまうと、西廠は一体何のためにあんな大部隊を用意してはるばる龍門へ遠征までしていたのか、全く理解不能になってしまうのですが。
自分達に刃向ってくるジャオの始末を目的とするのであれば、そもそも龍門への遠征を敢行する必要それ自体がまるでなく、西廠のみならず明王朝の軍団そのものまで動員できる紫禁城周辺に罠でも仕掛けて待ち伏せていた方がはるかに効率が良いのですし。
「敵を騙すにはまず味方から」の論理を駆使していたにしても、ユーとスーを除く西廠の遠征軍が全滅した後に暴露されてもそれは宝の持ち腐れもいいところですし、払う必要のない犠牲が多すぎるとしか評しようがないでしょう。
スーが主人公達を裏切って大功を挙げるつもりだったのであれば、もっと効率良く主人公達を各個撃破できる局面が他にもたくさんあったのではないかと思えてならないところです。
特にジャオとリンについては、1対1で相対していた局面が作中でも複数個所にあったわけですし、彼女が裏切るまで誰も彼女のことを疑ってもいなかったわけなのですから、いくらでも裏のかきようはあったのではないのかと。
どう見ても後付で裏切りエピソードが追加されたとしか考えられないほどに、スーの裏切りは物語の辻褄が合わず必然性にも欠け、かつタイミングも最悪だったとしか言いようがありませんでした。
裏切りエピソードを描きたかったのであれば、もう少し物語の整合性や全体像というものに配慮して欲しかったところですね。

日本ではマイナーな部類に入る中国映画ということもあり、結構観る人を選びそうな作品です。
あの奇抜なアクションシーンが受けられるか否かで、今作の評価は個々人で大きく変わってきそうではありますね。

映画「ロボット」感想(DVD観賞)

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映画「ロボット」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2012年5月に公開されたインド・ボリウッド映画で、世界最高の頭脳と能力を持つ人造人間が暴れ回る、ラジニカーント主演のSFアクション作品です。
今作では劇場公開時に熊本では全く上映されておらず、今回そのリベンジを果たす形での観賞となりました。
ちなみに、私がインド・ボリウッド映画を観賞するのは、実は今回が初めてとなります。
インド・ボリウッド映画って、「あの」ハリウッドすらも超える数の映画を製作しているという割には、日本ではあまり劇場公開されておらず、どうにもマイナーなイメージが拭えないところなんですよね。
もう少し劇場公開されても良さそうな気はするのですが……。

今作の主人公であるバシーガランは、実に10年にもおよぶ歳月をかけて、1体のロボットを製作していました。
製作は順調に進み、製作の時点で既に自立歩行はもちろんのこと、格闘技まで問題なくこなし、さらには会話の方法を学んだり歌を歌ったりすることまでできるという高性能ぶりを披露しています。
恋人であるサナですら門前払いをして研究に没頭したために怒りを買って別れ話を切り出されるにまで至ってしまうという副作用はあったものの、ロボットはめでたく完成の日を迎えます。
スピード:1テラヘルツ・メモリー:1ゼタバイト(ゼタはテラの10億倍)という、スペックからして凄まじい能力を誇るそのロボットは、バシーガランの母親によって「チッティ」と名付けられることになります。
最初は、間からの指示を字面通りに解釈し融通の利かない様を見せたり、電話帳の中身を丸暗記して驚異の記憶力を見せつけたりと、いかにもロボットらしい言動を披露するチッティ。
そしてバシーガランは、ロボット工学の要人達?を集めた発表会で、チッティの存在を世に知らしめるのでした。
しかし、発表会の場でそれを面白くなさそうに眺めるひとりの男がいました。
AIRD(人工知能開発局)の局長であるボラ教授です。
彼もまた人工知能を持つロボットの製作を生業としていたのですが、バシーガランと異なり開発がまるで上手く行っておらず、自身が為し得ない成功を達成したバシーガランを妬んでいたのでした。
彼は、男の嫉妬丸出しで、バシーガランに一泡吹かせることを決意するのでした。

そんな中、チッティの桁外れな高性能ぶりに目をつけたサナは、大学?の試験対策のための家庭教師としてチッティを使うことを思いつき、バシーガランに頼み込んで2日ばかりチッティを借りることに成功します。
しかしサナは、大学で好き放題やりまくっているチンピラ学生達と対立し、チッティは彼女を守るべくチートな奮闘を展開しまくることに。
その後、チッティの調整を終えたバシーガランは、AIRDからチッティの承認をもらうべく、AIRDの審査会に臨むこととなるのですが……。

映画「ロボット」は、全体構成の3分の2近くを「チッティの能力披露と変遷の過程」に注ぎ込んでいますね。
序盤は基本的な性能の披露から始まり、中盤にかけてはチンピラとの格闘、火災現場における人助けと、ロボットの性能とそれ故のイザコザに関する描写に終始しています。
個人的に少々疑問を持ったのは、火災現場で風呂に入っていたセルビという女性をチッティが助けた際、衆人環視の前で裸を晒す羽目となった彼女が、報道陣から逃げ出した挙句にタンクローリーに轢かれて死亡した責任がチッティの責任にされてしまったことですね。
あれってどう見ても、チッティではなく裸の女性にカメラを突きつけたマスコミの方に問題があったのではないかと思えてならなかったのですが。
日本やアメリカであればまず真っ先に人権問題に発展しかねない報道だったのですが、ああいうパパラッチ以下レベルでしかない報道手法がインドでは許されるとでも言うのですかねぇ(苦笑)。
今作特有の描写で言えば、チッティがサナを誘拐して逃亡していた際に、サナという人質がいることが分かっていながら、そんなことお構いなしに銃を乱射しまくっていた警官達の描写もなかなかにクるものがありました。
クルマの真横という至近距離からマシンガンをぶっ放しまくるという描写までありましたし。
あれだけ銃を乱射しまくってサナが死亡どころか負傷すらもしなかったのは、単なる奇跡かご都合主義以外の何物でもなかったでしょう。
いくらあの時点ではチッティの驚異的な性能が周知だったとは言え、人質もろとも殺してしまえとあっさり突き抜けてしまえる作中におけるインドの警察機構は、日本やアメリカとはまた違った組織であることをまざまざと見せつけてくれます(爆)。
日本やアメリカの映画で同じような場面に遭遇した際には、必要以上に人質に対する配慮を示して行動を束縛されたり、そこを犯人側に付け込まれて好き勝手されたりする描写が展開されるのが常だったりするのですが。
特に日本なんて、硬直しきった警察機構や官僚組織のあり方が、しばしば映画のみならずエンタメ作品のテーマとして取り上げられたりするくらいなのですからねぇ。
そんな苦悩とは全く無縁な作中におけるインドの警察機構は、日本人から見たらある意味羨望に値するものですらあるのかもしれません。

あと、せっかくチッティをバシーガランから離反させて自分の意のままに操れるチャンスを得たにも関わらず、結果的にチッティに惨たらしく殺されてしまうボラ教授が、あまりにもマヌケに見えてならなかったですね。
彼は、チッティのプログラムを書き換えて好き勝手に暴れ回るよう仕向けた際に、自分にだけは絶対に逆らわない&逆らえないようにするためのセーフティプログラムを全く組み込んでいなかったんですよね。
プログラムの中に主人に対する絶対服従を仕込み、自分達に逆らおうとした際には強制的な措置でもってその行動を抑止するという手法は、映画だと「ロボコップ」辺りで既に描かれている、誰でも考えるべき手垢の付いたシロモノでしかないはずなのに。
チッティを助けたのだから自分は大丈夫だろうと、何の根拠もなく信じ込んでいたのですかねぇ、ボラ教授は。
そんなものは何の安全保障にもならないと、彼ならば他ならぬ自分自身の経験から理解できたはずでしょうに。
あれだけのことをやって黒幕的な雰囲気を醸し出しておきながら、その末路がセーフティネットの張りそこないによる自業自得な自滅というのは、いささか竜頭蛇尾もいいところだったのではないのかと。

しかし今作の真骨頂は、物語後半50分ほどで展開されるアクションシーンにあります。
逃走するチッティとそれを追う警察との戦いと、チッティによって製作された大量の「チッティ軍団」の暴走ぶりは、確かにハリウッド映画も顔負けな要素がふんだんに盛り込まれています。
確かにあんなアクションシーンは、日本映画どころかアクション映画の本場ハリウッドでさえもなかなか思いつけるものではないでしょう。
というか、一体どうやったらあんな超高度な組体操モドキなアクションシーンを考えつくものなのかと(苦笑)。
当然のごとく警察は全くの無力で、チッティ軍団に対抗しえるのは、バシーガランの知略とコンピュータワームを駆使したIT戦術のみというありさま。
圧倒的な力を誇るチッティ軍団と、それを相手に頭脳戦を挑むバシーガランの熾烈な頭脳戦は、製作費37億円もかけているというだけあってなかなかの出来ではあります。
これがしかし日本ではマイナーな映画でしかないという辺りに、インド・ボリウッド映画に対する日本での評価というのが垣間見えて、何とも泣けてくる話ではありますね(T_T)。
もう少し洗練されれば、インド・ボリウッド映画はすくなくとも韓流映画や中国映画などよりは日本のみならず世界にも通じるものになりそうな気がしてならないのですが。

インド・ボリウッド映画の魅力を知りたい方にはオススメの一品と言えるでしょうか。

映画「マイウェイ 12,000キロの真実」感想

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2012年映画観賞のトップを飾る作品は「マイウェイ 12,000キロの真実」。
1944年のノルマンディー上陸作戦時に捕虜になったという東洋人の証言を元に作られた韓国映画です。
韓国映画は、2001年に日本で公開された映画「リベラ・メ」以来、実に11年ぶりの観賞であり、さらに今作が2作目の作品となります。
しかも「リベラ・メ」は元々「ハリウッド系」と勘違いして観に行った映画でしたし、最初から韓国映画と承知の上で観賞した作品としては、実は今作が初めてだったりするのですが(^^;;)。
さて、その出来の程は如何に?

物語は、1948年のロンドンオリンピックにおけるマラソン競技が映し出されるところから始まります。
競技の終盤になったところで突如、265番のゼッケンを付けた選手が他の先頭走者をごぼう抜きしていく描写が展開されます。
競技を実況していたアナウンサーが叫んだ、ここでは後ろ姿しか描写されないその選手の名前は「韓国のキム・ジョンシク」。
そしてここから、舞台は1928年の日本へと移っていくのです。

日本の併合下にあった1928年当時の朝鮮。
その中心地であった京城(現在のソウル)に、現地の憲兵隊司令官の孫である長谷川辰雄が親に連れられてやってきました。
まだ少年だったこともあってか、両親と一緒に乗っている車の中でこれからの生活に不安を抱く長谷川辰雄。
しかし窓から外を見ると、自分のことを見つめながら車を一緒に走っている自分と同年齢くらいの少年の姿が。
そして憲兵隊司令官である祖父の家に着くと、長谷川辰雄は門の前まで出迎えに出ていた祖父に使用人の兄妹を紹介されます。
その兄こそがキム・ジョンシクであり、長谷川家の使用人をやっている朝鮮人の息子だったのです。
同じ「足が速い」ことを特技としている2人は、その場で競争を開始。
以後、2人は様々なマラソン競技大会で競い合うようになり、自他共に認めるライバル関係となっていきます。
ところが、そんな2人の良好な関係は、とあるマラソン大会の直後に行われた祝賀パーティーで一変します。
長谷川辰雄の祖父が、朝鮮人によるものと思われる爆弾テロによって殺されてしまったのです。
そのありさまを目の当たりにした長谷川辰雄は、以後、朝鮮人を激しく憎むようになってしまい、同じ朝鮮人であるキム・ジョンシクに対しても「二度と俺の前に現れるな、その時は殺す」という脅し文句を叩きつけて絶交してしまうのでした。

その後、キム・ジョンシクは人力車の仕事で生計を立てていくのですが、その走りがベルリン・オリンピックに「日本代表」として出場し金メダルを獲得した朝鮮人のソン・ギジョン(孫基禎)の目に止まり、彼に1940年開催予定の東京オリンピック出場者を選考するためのマラソン大会に出場する権利を与えてくれます。
もちろん、そのマラソン大会には、あの長谷川辰雄も当然出場することが決まっており、当然のごとく2人はマラソン大会で雌雄を決することになります。
結果的に言えば、マラソン大会を1位で制したのはキム・ジョンシクだったのですが、彼はレース終盤で日本人選手の妨害を受けた上、その選手を転ばせたということで失格扱いを受けてしまいます。
その裁定に不満を持ったキム・ジョンシクは審査員達に胸倉を掴むレベルの直談判をやらかし、それに刺激された現地の朝鮮人達も一斉に暴動を展開。
もはやマラソン大会どころではなくなる騒動にまで発展してしまいます。
キム・ジョンシクをはじめとする暴動に参加した朝鮮人達は裁判にかけられ、刑罰として日本軍への強制徴用を言い渡され、望まぬ軍での戦いを強いられることになるのですが……。

ここまでの展開を観た際に最初に出た私の感想は、「ああ、やっぱりこの映画は反日的な韓国人が作ったものなのだなぁ」というものでしたね。
日本の併合下にあった当時の朝鮮人達が、その出自を巡って日本人から差別を受けていた、という事例は確かにあったでしょう。
しかし、暴動を起こした朝鮮人に対して日本軍への強制徴用を言い渡す、などというようなことは、当時の朝鮮における政治・経済的事情から考えてもありえません。
というのも、当時の朝鮮人にとって日本軍に入ることは「金と名誉が得られる」ことと同義だったのであり、1938年に志願兵募集が開始されて以降、その倍率は常に高い水準を維持していたのです。
朝鮮で日本の国民徴用令が適用されたのは1944年な上、その前年の志願兵募集では、6300人の募集に対して30万人以上が殺到する事態となっており、倍率は実に48倍にも達していました。
朝鮮人にとって当時の日本軍というのはそれほどまでの垂涎の職種でもあったわけです。
それが暴動を起こしたことへの刑罰として得ることができる、というのであれば、誰でも進んで暴動を起こし、喜んで徴用されていったことでしょう。
それをわざわざ「強制連行された」と言わんばかりの主張に置き換えてしまう辺りに、昨今の日韓で揉めている従軍慰安婦問題と全く同じ構図があったので、「いかにも韓国だよなぁ」という感想を抱かざるをえなかった次第で(笑)。

また、当時の日本軍側にとっても、軍内における朝鮮人の管理・扱いは頭の痛い問題でした。
日本軍に入った朝鮮人達は、日本軍の権威を笠に着てやりたい放題なことばかりやらかしており、大東亜戦争時においても「占領地で最も残虐な行為をやっていたのは朝鮮人だった」などと現地の人間にすらも言われていたりします。
作中でも、ノモンハン事件で捕虜になった日本人に対して、ソ連の威光を笠に着て残虐に扱った挙句に暴動を引き起こされた朝鮮人が登場していましたが、あの朝鮮人が媚び諂っている対象を日本軍に置き換えると話が分かりやすくなるのではないかと。
朝鮮人の「強者の権威を背景にした弱者に対する残虐非道ぶり」は、ベトナム戦争でも現地住民からアメリカ軍以上に恐れられていましたし、当時にも全く同じ問題が存在していたわけですね。
また当時の日本陸軍も、朝鮮人の扱いにはかなり手を焼いていたようで、こんな通達まで出していたりするほどでした↓

一、いつ、いかなる時でも唐辛子粉を食事に際し好きなだけ使わすこと。
一、絶対に頭、体を叩いてはいけない。怨みを持って復讐する気質があり、脱走の原因となる。
一、清潔な食事運搬用バケツと雑巾バケツの区別をよく教えること。
一、危険な状況下では銃を投げ捨てて哀号!と泣き出す習癖があるから、日本兵二名で一名の朝鮮兵を入れて行動せよ。

こんなに管理が大変な朝鮮人を押し付けられれば、当の日本軍だってウンザリせざるをえないところでしょう。
ましてや作中のケースでは、日本に対し反感を抱き、暴動まで起こすことも辞さない朝鮮人達が相手です。
意に沿わないことをやらされているのですから当然のごとく士気も低く、また脱走やサボタージュその他諸々の問題を引き起こす可能性も濃厚に存在するのです。
現に作中でも、強制徴用された朝鮮人達は不平タラタラでやる気が全くありませんでしたし、実際に軍を脱走までしていました。
こういう面々では当然、志願した朝鮮人達よりもはるかに管理が難しくなりますし、そもそもマトモな兵力として使用できるかどうかすらも、大いに疑問符と言わざるをえないところです。
そして、もし万が一にも軍内の朝鮮人達が問題を起こせば、それは当然、軍を管理している上層部が責任を取らされることになるのです。
そんな「厄介事」を自ら好き好んで抱えようとする「日本人」が一体どこにいるというのでしょうか?
ただでさえ、朝鮮人の入軍志願者が多すぎて困っているくらいなのに。

そんな朝鮮人達を効率よく扱うにはどうすれば良いのか?
それについては、皮肉なことに作中のソ連が見事に実践していますね(苦笑)。
作中におけるソ連軍は、ノモンハン事件で捕虜にした日本人と朝鮮人達に対して「自分達の命令に従うか、死ぬか」という選択を、銃口を突きつけて強要していました。
逆らう者は反抗の余地も与えずにその場で即刻射殺。
そこまでやられれば、別に朝鮮人でなくても人は動かざるをえないわけです。
残念ながら、現実どころか作中の日本軍でさえも、朝鮮人に対してそこまで徹底した管理を行うことはできませんでした(爆)。
ソ連のやり方は、スターリン統治下では3000万人以上もの自国民を粛清し、独ソ戦争では2000万以上もの自国の国民を完全武装したドイツ軍相手に万歳突撃させまくった国ならではの手法ではあったのでしょうけど。
なので、ソ連が日本軍の捕虜達に軍服を着せてドイツ軍相手に万歳突撃をさせた、という話の方は充分にありえそうなエピソードではあるんですよね。
自国の国民すらも粗末に扱うような国が、他国、しかも「敵国ドイツと同盟を締結している日本」の捕虜に対して容赦するとは到底考えられない話なのですし。

しかしまあ、ソ連に捕虜にされた朝鮮人達は、作中のような過酷な扱いを受けながら「日本の方がソ連よりはまだマシだった」とは寸毫たりとも考えなかったのですかねぇ。
同じ捕虜になった日本人に対してボロクソに罵ったり暴力を振るったりしているにもかかわらず、ソ連の将校に対しては陰口すらも全く叩いていませんでしたし。
それだけソ連軍の「調教」が凄まじかったのかもしれませんが、ああいうのを見ていると「当時の日本もソ連と同じくらいのことを朝鮮人に対して行った方が良かったのではないか?」と逆説的に思わなくもなかったですね(爆)。
中途半端に扱っているから作中のような造反や暴動を朝鮮人に起こされたりもするわけで(苦笑)。

戦争映画としては、去年観賞した映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-」よりも「戦争をやっている」的な派手なシーンや「戦場の残虐な現実」が上手く描かれていますね。
負け戦の連続なので、物語的にはかなり暗いと言わざるをえませんが。
また、「リベラ・メ」で問題になった「アクションシーンなどのメイン描写そっちのけの心理描写乱発」も、今作では比較的抑え目で、また作中の戦争描写とも程よくマッチしている感じです。
日本絡みの歴史考証ではツッコミどころが多々ありまくりますが、「戦争描写がメインの戦争映画」「日本人と朝鮮人の友情物語」として観る分にはそれなりの出来なのではないかと思います。

放火犯の心理描写満載の韓国映画「リベラ・メ」

ファイル 169-1.jpg

2000年に韓国で製作され、翌年日本でも公開された映画「リベラ・メ」。
題名の意味はラテン語で「我を救いたまえ」。
街を襲う連続放火事件を巡り、狂気に取り憑かれた放火犯と、消防隊員とのアクション&知略戦を描いた作品です。
日本ではそれほど振るわなかったものの、韓国では累計100万人の観客動員数を記録したのだとか。

映画「リベラ・メ」は、大都市の連続放火事件を描いていることもあり、火災シーンやアクションシーンについては、ハリウッド映画にも引けを取らないと言って良い出来を誇っています。
しかし後半に近づくにつれ、連続放火犯の心理描写がメインの描写そっちのけで挿入され、物語の進行を阻害しています。

特にクライマックス付近の描写はほとんど連続放火犯の心理描写オンリーな展開で、せっかく好印象だった前半の迫力満点な描写がここで全てチャラになるほどのウザさと酷さに満ち溢れていました。
この期に及んで放火犯の心情なんてどうでも良いから、迫力ある対決シーンをキッチリ見せてくれと何度もイライラさせられましたね。
ここはハリウッド映画ばりに単純なストーリーにした方が却って映画全体の評価も良くなったのではないかと。

私にとって映画「リベラ・メ」は、映画館で観た最初で最後の韓国映画だったりします。
この映画、そもそも始めからして、紹介内容等から「ハリウッド映画だろう」と思い込んで映画館に行き、映画開始時点になってようやく韓国映画であることに気づかされたという経緯があったりします(-_-;;)。
最初から韓国映画と分かっていたら、この映画はすくなくとも映画館まで観に行ってはいなかったと思うんですよね(苦笑)。
そして、この映画を観て以降は「韓国映画は何となく馴染めない」というイメージが定着してしまったものでした。

今年の9月から日本で公開が始まった映画「TSUNAMI -ツナミ-」も、その題名から「日本映画ではないか?」と考え面白そうだと映画観賞リストに加えていたものの、製作元が韓国であると分かった途端に観に行くのを止めたという経緯があったりします(^_^;)。
韓国映画への偏見は日本映画以上ですね。

映画「きけ、わだつみの声 Last Friends」から始まる日本映画全体に対する偏見からして解消されるのに10年近くもの時間が必要でしたし、それ以上に偏見が根強い韓国映画の評価が覆るのは正直容易なことではないんですよね。
そもそも韓国映画が日本に来ること自体、極めて稀な事例であるわけですし。
それでも、韓国映画に対する偏見を吹き飛ばすだけの面白さを持つ映画というものを期待したいところなのですけどね。

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