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テレビドラマ「SP 革命前日」感想

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2011年3月4日に再放送されたテレビドラマ版「SP 警視庁警備部警護課第四係」シリーズのスペシャルアンコール特別編、および翌3月5日放送のテレビドラマ「SP 革命前日」を観賞しました。
3月12日公開予定の映画「SP THE MOTION PICTURE 革命篇」の事前復習&予習にはもってこいの番組だったので、久々のテレビ番組観賞になりましたね。
何しろ、前回観賞した映画「SP 野望篇」は、それまでのSPシリーズを全部観ていないと世界観すら理解できないストーリーになっていましたし。

スペシャルアンコール特別編は、テレビドラマ版SPシリーズのエピソード0~4までのストーリーおよびメインの場面をダイジェストにまとめたもの。
私の場合、事実上の開始点となるエピソード0だけは全く観賞できていなかったので、この点はありがたかったですね。
ちなみに、DVDを借りて観賞したエピソード1~4に関する私の感想はこちら↓

エピソード1&2
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-181.html
エピソード3&4
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-188.html

一方、「SP 革命前日」の方は、前半50分ほどが映画「SP 野望篇」のこれまたダイジェスト版で、後半が革命前日本編となります。
映画のダイジェスト版といっても、映画自体が1時間38分しかないこともあり、内容の把握には充分な分量がありましたが。
ただ、今回はエピソード1~4を予め観た上での復習となりましたので、以前映画を観賞した際にはよく分からなかった人物関係が今度は明確に理解できたのは収穫でした。

21時50分を過ぎた頃から革命前日本編が始まります。
こちらは、前回負傷した傷もある程度回復して束の間の休日を楽しむSP4人組と、来るべき「革命の日」に向けて着々と準備を進めていく黒幕達が描かれています。
高校時代から付き合っている彼女と久々に出会い、映画を観に行ったりラーメン屋?で外食したりしつつ、彼女からSPを辞めるよう言われる山本隆文。
久々に自分の妻子と再会しつつ、幼い娘と1日を共に過ごし、夕方また別れる際、子供のためにやはりSPの仕事を辞めるよう妻から催促されるSP第四係サブリーダー格の石田光男。
彼らはSPの仕事を続ける理由として、主人公である井上薫のことが心配だからしばらく見守りたいという主旨の主張を展開しますが、真剣味があった後者はともかく、前者は微妙に言い訳を探していたかのような雰囲気が否めませんでしたね。
まあどちらも言っていること自体は嘘ではないと思うのですが。

一方、主人公の井上薫は、エピソード2で検査してもらった病院で、脳内活性の状態が一段と悪化していることを告げられます。
症状改善のために女性医師から休養を進められますが、井上薫は「まだ現場を離れるわけにはいかない」とそれを拒否。
病院から引き上げる途中、井上薫は病院のロビーでSP第四係の紅一点である笹本絵里とばったり遭遇します。
井上薫と上司である尾形総一郎の関係がおかしいことを心配していた笹本絵里は、「息抜き」という名目で井上薫を強引に連れ回します。
バッティングセンターで球を打ちまくったり、大仏を眺めて心を和ませたりと、何とも奇妙な「デート」と言えるものでしたが(苦笑)。
それでも帰りの電車の中、井上薫に笹本絵里に説得されてその心情の一部を告白することになります。

作中で何やら画策しているらしい悪役達に目を向けてみると、尾形総一郎は自室?で
「革命」を決行する同志達の準備完了報告のメールをたびたび確認しつつ、何かの手紙を書いていたりします。
終盤の場面で、その手紙が井上薫宛に書かれていたものであることが判明。
尾形総一郎が井上薫に何を伝えたかったのかは、映画「SP 革命篇」のお楽しみといったところですね。
また尾形総一郎は、「革命当日」における国会議事堂の警備の配置について、当初決められていた配置を修正し、井上薫らSP4人組を警備に追加させるよう上層部に働きかけています。
作中における他の登場人物達の会話から察するに、これは「革命」の予定には全く含まれていないもののように思われるのですが、さて、これが一体どのような結果を招くことになるのやら。

また、今ひとりの黒幕と目される与党幹事長の伊達國雄もまた、奇妙な言動を披露しています。
尾形総一郎の行動に不審を抱き、監視をつけるべきだったのではないかと主張する側近に対し、伊達國雄は「これでいいんだ」という反応を返し、「あいつは絶対に裏切らない」と呟いたりしています。
「私を信用していますか?」と質問した側近に対して「信用なんかするわけないだろ、誰も彼も」みたいな主張をしていた言動を直前に披露していたこともあり、伊達國雄が尾形総一郎に何らかの信頼感を抱いていることは間違いないようです。
伊達國雄と尾形総一郎は一体どのような関係にあるのか?

さらに、警視庁公安部所属で尾形総一郎一派の調査を密かに行っていた田中一郎は、尾形総一郎の実家で何やら驚くべき情報を掴んだ模様。
ただ、彼自身も密かに監視されており、尾形総一郎の実家を出て帰途につく途中で襲撃を受けてしまいます。
突然の襲撃で彼は殺される直前まで行ったのですが、たまたま目撃者に見られたことからかろうじて一命を取りとめ、病院に収容されることになります。
秘密の真相はこちらもやはり「SP 革命篇」を待つことになりますね。

テレビドラマ版から続く登場人物達の謎と因縁、そして作中に張り巡らされた伏線が果たしてどのように収束・昇華されていくのか、楽しみなところではありますね。
私も映画「SP 革命篇」は映画館へ観に行く予定です。

コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】

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コミック版「大奥」検証考察6回目。
今回の検証テーマは 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】となります。
過去の「大奥」に関する記事はこちら↓

映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】

徳川3代将軍家光の時代に(作品的にも歴史考証的にも全くもって支離滅裂かつ非論理的ながらも)導入されることになった「大奥」世界における武家の女子相続システム。
本来は変則的かつ緊急避難的に導入されたはずのそのシステムを絶対的なものにしてしまう事件が、徳川5代将軍綱吉の時代に発生します。
その事件の名は、「忠臣蔵」で有名な元禄赤穂事件。
何故この事件が武家の女子相続に関係するかというと、その理由は、事件の発端となった松之大廊下の刀傷事件を引き起こした浅野内匠頭、および吉良邸に討ち入った大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士47士中の42人が「史実同様に」男性であったことにあります。
赤穂浪士の吉良邸討ち入り、および町民はおろか幕閣の中にすら赤穂浪士達を擁護する意見があることに激怒した徳川5代将軍綱吉は、感情の赴くままに以下のような発言を行うことになります↓

「これより先、武家において男子を跡目とする旨の届出は全てこれを認めてはならぬ!!
浅野長矩の刀傷然り、赤穂浪士の討ち入り然り…。遠き戦国の血なまぐさい気風を男と共に政から消し去ってしまえ!!」
(コミック版「大奥」5巻P195)

この発言が、「大奥」世界の日本における武家の女子相続を決定的なものとし、以後、女子相続が慣習として確立することになってしまうわけです。
……しかし、よくもまあこんな愚劣な発言が「大奥」世界で素直に受け入れられたものだなぁ、と私はむしろそちらの方が疑問に思えてならなかったのですけどね。

件の綱吉の発言には重大な問題がいくつも存在します。
その第一は、そもそも件の発言自体が「討ち入りを行った赤穂浪士達に対する幕府の評定(処分)」の一部として行われていることです。
実際に徒党を組んで他家を襲撃した赤穂浪士達に何らかの処分が下ること自体は、当の赤穂浪士達自身も覚悟していたことでしょうし、家族や旧赤穂藩に所属していた武士達にまで類が及ぶ可能性さえもあるいは承知の上だったかもしれません。
ところが綱吉の発言は、武士階級における全ての男子の存在自体を一方的に断罪している上、吉良邸討ち入りに全く関わっていない武家の相続に対してまで口を出す形になってしまっています。
赤穂浪士達を重罪人として磔獄門にでもすべきだ、と主張している人間でさえ、全く身に覚えのない吉良邸討ち入りの件を口実に、何より大事な自家の相続に余計な口を出されてしまうとなれば、何が何でも赤穂浪士達の処罰に反対する側に回らざるをえないでしょう。
しかも綱吉の時代では、まだ江戸城に参台している武家の男子も少なからず存在していますし、彼らは将軍と顔を合わせる度に「遠き戦国の血なまぐさい気風の象徴」として罵られる可能性まで存在するのですからなおのことです(4巻で綱吉が越後高田藩の継承問題の再裁定を行っている場に参台している武士達は女性と男性が混在している)。
事件とは全く関係のない他人にまで不安を覚えさせ、下手をすれば反感・敵意まで抱かせてしまうような評定を行うなど、論外も良いところではありませんか。

そして件の綱吉の発言があくまでも評定の一部である以上、赤穂浪士達に対する幕府の評定そのものがあまりにも不当なものであると評価されざるをえなくなります。
赤穂浪士達に切腹を命じた綱吉の評定でさえ、作中における町民達からの評判は散々なものでした。
それに加えての綱吉の発言は「赤穂浪士達に対する鬱憤を赤の他人にまで叩きつけている」「男に何か恨みでもあるのか」などといった悪評を追加してしまうことにもなりかねません。
さらに作中における発言当時の綱吉は、ただでさえ「生類憐みの令」をはじめとする失政の数々で評判が地に落ちている有様です。
そんな綱吉の、しかも出発点からして武士・町民問わず多大な反発と敵視が発生するであろう発言に、慣習として万人に受け入れられる余地があるとは到底思えないのですが。

綱吉の発言を現代の事件でたとえると、尖閣諸島沖での中国漁船衝突問題で、海上保安庁の一職員である一色正春がビデオを流出させた件を口実に、当時の民主党政権が「事件の再発を防止するため、海上保安庁そのものを廃止し、その全職員に対し罪を問う」と宣言するようなものです。
尖閣ビデオを流出させた一色正春を民主党首脳部が逮捕・起訴しようとするのに対してさえ、国民からの反発が凄まじかったことを考えれば、ましてや海上保安庁そのものを悪と断罪して廃止するとまで明言しようものなら、当時の民主党政権の支持率はこの時点で一桁台にまでガタ落ちし、さらには大規模な倒閣運動すらも発生しかねなかったでしょう。
しかし、コミック版「大奥」における綱吉は、それと同じ類の発言を、しかも武士階級全体をターゲットにやらかしているわけです。
いかに綱吉の発言が酷いシロモノであるのか、これだけでもお分かり頂けるのではないでしょうか。

第二の問題点は、武家の男子相続の禁止が、徳川3代将軍家光(女性)の遺訓に明らかに反していることです。
太平の世が長く続いた江戸時代ではとにかく事なかれ主義が横行しており、「祖法(昔からの決まりごと)を変えるべからず」という考え方が支配的でした。
そして、春日局の死後、自分が女性であることを正式に公開した家光(女性)は、武家の女子相続について「あくまでもこれは“仮”の措置である」と重臣一同の前で公言しています。
それに真っ向から刃向かっている綱吉の発言は、自分の母親である家光(女性)に対する裏切り行為とすら解釈されかねず、この観点から保守的な武士達からの反感を買うことにもなりかねません。
なまじ徳川家に忠誠を誓っている人間であればあるほど、祖法を蹂躙する発言をやらかしている綱吉には反感を抱かざるをえないところでしょう。
実際、後の徳川6代将軍家宣に仕えた新井白石はまさにそういう考え方の持ち主でしたし、綱吉の死後、家宣はその新井白石の進言を受け、件の綱吉の発言を「生類憐みの令」と共に廃止しています。
第一の理由と併せ、身内を含む武士階級の人間全てを敵に回しかねないという点で、男子相続の禁止令は愚行としか評しようがないのです。

ただ、かくのごとく愚劣な法令であったとしても、それが長い年月の間運用されていれば、江戸時代における「祖法を変えるべからず」の慣習も相まって民衆の間に定着する、ということはあったかもしれません。
徳川5代将軍綱吉の時代における悪政の象徴としてしばしば取り上げられ、20年以上もの間君臨し続けた「生類憐みの令」も近年では見直し評価が行われており、「綱吉の時代にまだ残っていた戦国時代の荒々しい風潮を一掃した」「殺生を禁ずることで治安が改善した」などといった肯定論もあります。
「生類憐みの令」は、長く続けられることによって初めてその効果を民衆の中に浸透させることができる法律だったのであり、だからこそ綱吉もその死の間際に「生類憐みの令だけは世に残してくれ」と遺言した可能性だって考えられるのではないでしょうか。
これから考えれば、妄言の類としか評しようのない綱吉の発言も、「長い年月をかければ」慣習化する可能性も充分にありえたわけですね。

ところがここでも(綱吉にとっては)不幸なことに、綱吉の男子相続を禁止する発言は、それが慣習として根付く時間すら満足に与えられていないのです。
それは綱吉の発言がいつ行われたのかを見ればすぐに分かることです。
元禄赤穂事件における赤穂浪士47士による吉良邸討ち入りが行われたのは、元禄15年12月14日(1703年1月30日)。
それに対し、「生類憐みの令」が廃止されるきっかけとなった綱吉の死去が宝永6年1月10日(1709年2月19日)。
件の綱吉の発言は「生類憐みの令」と一緒に廃止されていますので、武家における男子相続の禁止はわずか6年弱しか続いていなかったことになります。
貞享4年(1687年)から始まったとされる「生類憐みの令」と比較しても3分の1以下の期間しかありません。
ただでさえ綱吉の発言は評価ボロボロで多大な反発やサボタージュを招きかねないようなシロモノだというのに、たったの6年弱でどうやって慣習として定着するというのでしょうか?

しかも、綱吉の発言は「赤穂浪士達に切腹を命じて以降」の男子相続届出を認めないとするものであって、それ以前に認められている男子相続者については当然何の拘束力も発生しません。
たった6年弱では、「赤穂浪士達に切腹を命じる以前に認められていた男子相続者」がそのまま生き残る可能性も少なくないのですから、なおのこと女子相続が慣習として定着する可能性は低くなると言わざるをえないでしょう。
さらに、その時期の綱吉は(江戸時代当時としては)すでに老齢でいつ死ぬかも分からないような状態にあったのですし、綱吉の後継者と目された家宣は「生類憐みの令」にも綱吉の発言にも否定的だったのですから、「犬公方(綱吉の蔑称)が死ぬまで数年程度待てば良い、家宣様が将軍になれば元に戻るから」と考える人間も少なくなかったのではないでしょうか。
綱吉の男子相続禁止令が慣習として根付くには、前提となる条件が根本的に不足しているようにしか思えないのですけど。

前回の検証考察で取り上げた一夫多妻制否定論といい、今回の綱吉の発言といい、「大奥」世界で男女逆転を発生させるための世界設定がここまでズタボロな惨状で、一体どうやって作中のような「大奥」世界が成り立っているのか、私としてはいよいよ深刻な疑問を抱かざるをえないところですね。
男女逆転の過程を描いていると豪語するからには、当然社会システムの変遷およびそれに伴う問題点などについても少しは説得力のある理論や解決方法を提示しているのではないかと期待してもいたのですが……。

さて、次回の検証考察では、「大奥」世界における男性の立場やあり方について考えてみたいと思います。

コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】

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コミック版「大奥」検証考察も、今回で5回目を迎えることになりました。
今回の検証テーマは 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】です。
過去の「大奥」に関する記事はこちら↓

映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】

コミック版「大奥」における男女人口の激減と男女比率1:4の話を初めて聞いた際、そこから「一夫多妻」「ハーレム」といったものを連想した人は多いのではないでしょうか。
かくいう私自身、映画版「大奥」の存在と内容を知った時から、

「何故そんな男女比率でありながら一夫多妻制が採用されなかったんだ?」
「男性人口に対して女性人口が圧倒的に多いのだから、ハーレムが普通に成立してもおかしくないのでは?」

とずっと疑問に思っていましたし、元来原作者よしながふみのファンでもなければ「大奥」の愛読者でもなかったはずの私が、映画版のみならずコミック版にまで手を出すに至ったのも、実はその疑問を解消することが最大の動機になっていたりします。
その私の疑問に対する回答らしき説明が行われている箇所が、コミック版「大奥」3巻にあります。

コミック版「大奥」3巻 P167
<いわゆる一夫多妻の「ハレム」化を進めて大名家の統合を進めれば、必然的に残った少数の大名家が所有する領地は広大なものとなり、徳川家の脅威となってしまう。
そして「家」を存続させる事が、士農工商どの身分においても最重要課題であるこの国特有の事情ゆえに、
世帯数が極端に減少する(つまり多くの「家」が潰れる)事を意味する一夫多妻化は進まなかったのである。>

……初めてこの文章を読んだ時は思わず目眩がしてしまったものなのですが、こんな無茶苦茶なコジツケでよくもまあ一夫多妻制を拒否してのけたものですね。
まず、江戸時代における幕府の大名統制と一夫多妻制の問題は、全く無関係かつ何の関連性もありません。
大名家が婚姻を通じて「家の統合」を進めたいと本当に考えるのであれば、それは別に一夫多妻制でなく一夫一妻制下の婚姻であっても充分に進めることが可能です。
世界における政略結婚の歴史を見ても、カスティーリャ王国と王女とアラゴン王国の王子が政略結婚することで両国が統合され成立したスペイン王国、ヨーロッパに君臨したハプスブルク家の政略結婚などは、すくなくとも法的には一夫一妻原則に基づいた婚姻制度下で進められたものです。
大名家を統合するレベルの政略結婚が自由に行えるとなれば、一夫多妻制だろうが一夫一妻制だろうが関係なく推進されるに決まっているでしょう。
政略結婚に使うためのコマは、男女問わず子供をたくさん産んでしまえば済む話でしかありませんし、それこそ「お家のため」となれば自分の意思と関係なく「家が決めた相手」と結婚しなければならない、というのが近代以前の常識だったのですから。
一夫多妻制の導入が大名家の統合を推進するなど、すでにこの時点でトンデモ理論もいいところです。

そしてこれがさらに問題なのは、1615年に制定された「武家諸法度」の存在を完全に無視していることです。
「武家諸法度」には「国主・城主・一万石以上ナラビニ近習・物頭ハ、私ニ婚姻ヲ結ブベカラザル事」という法令があり、大名の結婚は幕府の許可が、その下で働いている武士達のそれは上司たる大名や藩の許可が必要不可欠でした。
日本の戦国時代も、主に同盟の締結を目的とした大名間の政略結婚が盛んに行われており、この経験から江戸幕府は、大名達が政略結婚によって互いに同盟を組んだりすることを阻止するために、大名をはじめとする武士の婚姻を厳しく規制していたわけです。
政略結婚による大名家の統合など「武家諸法度」で合法的に規制できる上に、それに逆らう大名家は改易などの厳罰でこれまた合法的に処分することができるのですから、一夫多妻制をことさらに警戒しなければならない理由はどこにもありません。
歴史考証にすら逆らっているという点においても、コミック版「大奥」における一夫多妻制否定論は論外なのです。

では、これらの問題を全て黙殺すると「家の統合」は可能になるのか?
実は、それでも政略結婚による「家の統合」は不可能なのです。
というのも江戸時代当時における武士階級は「夫婦別姓」が一般的なあり方で、夫に嫁ぐ女性は基本的には実家の姓で呼ばれていました。
現代では「夫婦別姓」というと男女平等を実現する制度であるかのごとく勘違いされていますが、元々「夫婦別姓」というのは、家を守ることを目的に妻を余所者扱いする男女差別的な思想に基づいて作られた慣習です。
前述のスペイン王国の政略結婚が顕著な実例となりますが、政略結婚で「家の統合」をするためには、すくなくとも形の上では妻も夫も対等な立場となる「同君連合」的なものにしなければなりません。
ところが、江戸時代における「夫婦別姓」下では、必然的に夫の家に妻の家が一方的に吸収合併されるという形にならざるをえないため、「同君連合」など成立のしようがないのです。
生まれてくる子供も全員父親の姓を名乗ることになるわけですからなおのことです。
一方の家が他方の家を武力なりカネの圧力なりで無理矢理併合し、その体裁を取り繕うために政略結婚を行う、という形であればあるいは可能かもしれませんが、戦国時代ならいざ知らず、幕府が睨みを効かせている江戸時代にそれをやるのは至難の技もいいところでしょう。
第一、一夫多妻だろうが一夫一妻だろうが、これでは結局「家を潰す」「世帯数が減少する」ことに変わりがありません。
江戸時代における大名統制の実態や武士階級のあり方についてあまり考えることなく、一夫多妻制と「家の存続」などという、本来全く関係のない事象を無理矢理繋げて論を展開したのがそもそも間違いの元なのです。

「赤面疱瘡」の大流行に伴い男性人口が激減した結果、女性が有力な働き手としてクローズアップされるようになったり、「一時的に」「後見人ないしは家長代行的な立場で」男性と同等の権力を行使したりする、という流れは確かにありえることでしょう。
しかし、単純に男子の世継を確保したいというのであれば、側室制度や多産奨励、それに養子縁組などといった様々な解決方法が他に色々と存在するにもかかわらず、それを無視して一挙に女系優先の社会システム移行へ突っ走るというのが何とも不思議でならないんですよね。
「あの」春日局でさえも、「いくらでも側女を抱えてお家を存続させれば良いではありませぬか!!(コミック版「大奥」3巻P165)」と明言しているわけですし、「5人にひとりしか男子が育たない」というのであれば、多産奨励で5人以上男子をこしらえれば良いだけの話ではないですか。
第一、史実の江戸時代でさえも、乳幼児の死亡率は男女問わず、また医学の未発達もあって5~7割以上にも達していたわけなのですから、あえて言えば、【たかだか】作中で描写されている「赤面疱瘡」の存在【程度】のことが、すくなくとも男系を差し置いて女系を優先しなければならない理由に【まで】はなりえないと思うのですけどねぇ。
男系から女系に社会システムが変革されるというのは、「あの」明治維新をもはるかに上回る凄まじいエネルギーを必要とする「革命」である、とすら言えるものなのですから。

さて、「大奥」世界における女系優先社会への変遷を語るにあたり、徳川3代将軍家光と並んでもうひとつ言及しなければならない時代があります。
次回の検証は、作中で「武家の女子存続を決定的にした」とされる徳川5代将軍綱吉について考えてみたいと思います。

コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】

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4回目となるコミック版「大奥」検証考察。
今回の検証テーマは 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちら↓

映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】

コミック版「大奥」における大奥に関する描写を見てみると、史実のそれと比較して「何故こんな非効率的なやり方で運用されているの?」と首を傾げたくなる慣習が多数存在していることが分かります。
「女将軍と最初に性交するものは死ななければならない」などという、史実の大奥には存在しないはずのトンデモな規則を定めた「ご内証の方」の慣習などはまさにその典型例です。
映画版を観た時からずっと疑問視していたこの慣習、コミック版「大奥」の2巻~4巻までの家光(女性)時代に如何なる理由から出来たのかについて描かれているのですが、その起源は何と、家光(女性)が男にレイプされたことに端を発するほとんど八つ当たり&逆恨み的な癇癪から生まれたシロモノでしかなかったんですよね。
私はてっきり、権力闘争で政敵を口実つけて抹殺するためにその場で適当にでっち上げた発言なり法令なりがいつの間にか慣習化したものとばかり思っていたのですが、それ以上に何とも低次元かつ非合理的な話です。
ついでに、コミック版「大奥」1巻で「ご内証の方」の慣習について水野に説明している大奥総取締の藤波は「この規則は春日局が決めたことだ」などと述べていますが、実際にこの慣習が正式に定められたのは春日局の死後、2代目の大奥総取締となったお万の方の時代です。
藤波にしてみれば、とにかく「ご内証の方」という慣習が持つ問題を何とかして処理することの方が最優先課題で、「いつ定められたのか?」という歴史考証など些細なことでしかなかったのかもしれませんが、何ともマヌケな話ではあります(笑)。

一般的に伝統や慣習の中で「悪習」とされるものは、それを作った当時は合理的で意味のある決まりだったものが、時代が進むにしたがって遅れた考え方になったり、現実と合わなくなって非合理的なものになったりするパターンがほとんどです。
ところがコミック版「大奥」における慣習は、それを作った瞬間からすでに現実と合わない非合理的な「悪習」になっているものが多く、「作った当時における合理性」というものすら全く見出すことができないのです。
たとえば、コミック版「大奥」によく出てくる慣習の中に「お褥すべり」という決まりがあります。
「お褥すべり」という言葉&慣習自体は史実の江戸時代にもあり、こちらは当然「30~35歳以上の【女性】は将軍と性交できない」という決まりです。
しかし、史実の江戸時代における「お褥すべり」は、高齢の女性と性交しても妊娠・出産について年齢的な限界がある、という意味合いが強い慣習ですし、医学が進んだ現代でさえ、40代以上の女性が妊娠&出産するのは身体的に難しく難産も多くなると言われています。
性交は男女問わず何歳になっても可能ですが、妊娠・出産には女性の身体的な問題があるわけですし、江戸時代における医学水準を鑑みれば、この慣習も江戸時代当時には一定の合理性が存在したわけです。

ところがコミック版「大奥」には、「35歳以上の【男性】は将軍と性交できない」という「【性交に関する】年齢制限」があり、その一方で、妊娠・出産を司っているはずの女性には「【性交に関する】年齢制限」が全く存在しません。
言うまでもないことですが、妊娠・出産を司っていない男性は、性交ができる限りにおいて、高齢になっても子作りを続けることが可能です。
「お褥すべり」の本来の対象はあくまでも妊娠・出産に関する年齢制限がメインなのであり、男女間の性交はその付属物に過ぎない、という観点から言えば、男性に「お褥すべり」なる慣習が存在するのは明らかにおかしな話です。
しかも、ただでさえ「大奥」世界では「赤面疱瘡」の蔓延によって男性人口が激減しており、史実の江戸時代以上に子作りが極めて重要な位置付けとなっているのです。
さらに、20歳以上の男性は、12~17歳を主な感染対象とする「赤面疱瘡」にかかりにくいという利点もあり、その点でも高齢の男性は「安全確実な子種の供給源」として大きな存在価値を有しています。
その貴重な「種馬」をわざわざスポイルするような「お褥すべり」の慣習は、非合理どころか「社会的な自殺行為」もいいところではありませんか。
何故このようなおかしな慣習が「大奥」世界で成立しえたのか、全くもって理解に苦しみます。

また、コミック版「大奥」における大奥の性交システム、および将軍(女性)と側室(男性)の性交の描写も、単に史実の江戸時代における大奥のそれを逆転させただけの「極めて非合理的」なシロモノです。
いくら側室たる男性が多数いたところで、妊娠・出産できる女将軍はただひとり、という時点ですでに一般的な後宮システムと比較して非合理もはなはだしいのですが、それに輪をかけてさらに非合理なのが「わざわざ父親が分かるような性交を行っている」点です。
コミック版「大奥」では、徳川5代将軍綱吉の父親である桂昌院や、7代将軍家継の父親・月光院が、その立場を利用して大奥内で権勢を誇っている様子が描かれています。
しかし、そもそもこのような体制を実現するためには、「父親が誰であるかが分かる」ような性交を行う必要があります。
現代の民法733条には、妊娠している子供の父親が誰であるかという問題を解消するために、離婚後6ヶ月間、女性は再婚することができないという規定があります。
この民法733条の規定を「大奥」に適用すると、「大奥」における女将軍は、ひとりの側室との最後の性交から6ヶ月間は、父親認定の観点から一切の性交ができないことになってしまいます。
「再婚」ではなく「性交」の観点から女性の身体的に最短の時間で考えるとしても、女性は性交してから妊娠するまで3週間~1ヶ月程かかるわけですし、発覚が遅れる事態があることも考えれば、それでも側室が代わる際には最後の性交から2ヶ月程度は性交禁止期間が置かれると考えるべきでしょう。
「大奥」世界において、女将軍から産まれた乳児の父親が誰であるのかを判定するためには、こういうプロセスが絶対的に必要なのです。

しかし、「暫定的な」女系中心社会である「大奥」世界において、わざわざ父親が誰であるかを判別・認定する意味などあるのでしょうか?
一般的な後宮システムにおいてさえ、君主の母親は「外戚」として強大な権勢を誇り、他の臣下との間で凄惨な権力闘争が勃発したり、国政をメチャクチャにしたりした事例が多々あります。
コミック版「大奥」においても、徳川5代将軍綱吉の父親である桂昌院が江戸城内で大きな権勢を誇り、娘である綱吉に「生類憐れみの令」をゴリ押ししたという作中事実が存在するのです。
男女逆転したところで「外戚」の問題は全く変わりようがありません。
しかも、コミック版「大奥」における女系中心社会はあくまでも「仮の措置」でしかなく、「本筋の」男系がいつでも取って代われる危険性をも有しているのですから、「外戚」の脅威は一般的な後宮システム以上ですらあるかもしれないのです。
徳川家にとっても国政にとっても脅威以外の何物でもない「外戚」を作らなければならない「合理的な」理由など、どこを探しても見つけようがないのではないでしょうか。

ではコミック版「大奥」における「大奥の正しくかつ効率的なあり方」とはどういうものなのか?
一夫多妻制の最大の利点が「ひとりの男性が複数の女性に種付けできる」ことにあるとすれば、一妻多夫制の存在意義は「ひとりの女性の卵子に複数の男性が精子を連射できる」ことにあります。
これから考えれば、一妻多夫制的なシステムになっている「大奥の正しくかつ効率的なあり方」というのは、「ひとりの女将軍に対して最低でも数人、場合によっては十数人以上の男性が群がり、18禁的な乱交ないしは輪姦同然のセックスで、妊娠が確認されるまでとにかく無制限に膣内射精を続けまくる」という形態にでもならざるをえないのではないでしょうか。
こういう形態であれば、性交相手を変える毎に少なからぬ性交禁止期間を置く必要がなくなり、その分女将軍は「子育て」に専念することができますし、また「外戚」の存在自体を完全に排除することもできます。
作中における大奥の性交システムは、世継ぎがマトモに生まれる方がむしろ僥倖とすら言えてしまうような構造的欠陥を抱え込んでいる以外の何物でもないでしょうね。

コミック版「大奥」における男女絡みの慣習は、史実の江戸時代に存在したそれを無条件に男女逆転して適用したものになっています。
しかし、慣習というのは元々「それが発生するための過程や一定の合理性・必然性」というものがあり、また男女の地位が逆転したからといって男女の身体的な特徴や違いまでもが変化するわけではありません。
それを無視してただ慣習を男女逆転に引っくり返したところで、江戸時代当時の人間ですら考えられないほどに支離滅裂で意味不明な「悪習ですらない何か」にしかなりえないのです。
「男女の違いに関する考察」という最も基本中の基本的な要素が、コミック版「大奥」には根本的に欠けているようにしか思えないのですけどね。

次回は「大奥」世界における大名統制について検証する予定です。

コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】

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よしながふみ原作のコミック版「大奥」検証考察。
3回目の検証テーマは【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】となります。
過去の「大奥」に関する記事はこちら↓

映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】

コミック版「大奥」の2巻および3巻では、キリシタンの排除と江戸幕府の交易独占を大義名分に、実際には「赤面疱瘡」の大流行とそれに伴う男性人口の激減を諸外国の目から隠すという意図の下、国を閉ざす、いわゆる「鎖国」体制が構築されていくことになります。
2巻では春日局が、3巻では家光(女性)が、諸外国に日本の現状を悟られないようにすることを主目的に、それぞれ「国を閉ざす」政策について言及しており、周囲の人間が「素晴らしい政策です」「何と優れた女傑か」とその「英断」を絶賛している様子が描かれています。
しかしこれ、隠蔽手段として本当に正しく機能しえるものだったのでしょうか?

そもそも「鎖国」という言葉と概念自体、17世紀当時は全く存在しないシロモノだったりします。
実は「鎖国」という言葉は、徳川5代将軍綱吉の時代に来日したドイツ人エンゲルベルト・ケンペルが著した「日本誌」の章のひとつ「日本国において自国人の出国、外国人の入国を禁じ、又此国の世界諸国との交通を禁止するにきわめて当然なる理」を、1801年に当時の蘭学者・志筑忠雄が翻訳してまとめた際に作った新造語を起源としており、その著書「鎖国論」が初出とされています。
19世紀に生まれた造語が17世紀当時に使われているわけがなく、実際、江戸幕府が「鎖国令」なる名前の命令を出したことはただの一度たりともありません。
一般に「鎖国令」と呼ばれているものは、

・ 奉書船以外の海外渡航および海外移住5年以上の日本人の帰国を禁止(1633年)
・ 長崎に出島を築造(1634年)
・ 日本人の海外渡航および帰国を全面的に禁止(1635年)
・ ポルトガル人を出島に集める(1636年)
・ ポルトガル船の来航禁止(1639年)

の5つの命令を、後世の人間が後付で命名した俗称に過ぎないのです。
しかも「鎖国」体制下では別に長崎の出島「だけ」で対外貿易が行われていたわけではなく、他にも3箇所、幕府から特例として認められていた外国貿易の窓口が存在します。
具体的には以下の通り↓

蝦夷口――松前藩による蝦夷地アイヌとの貿易
対馬口――対馬藩による李氏朝鮮との貿易
薩摩口――薩摩藩による琉球王国との貿易

琉球王国は1609年に薩摩藩の侵攻を受けて以降は薩摩藩の支配下に入り、薩摩藩への貢納や江戸幕府への使節派遣を行う一方、支那に君臨していた明王朝およびそれに取って代わった清王朝に対しても朝貢を続けていました。
そして、この琉球王国の微妙な立場を利用して、薩摩藩は琉球王国を中継点とした対支那貿易をも行っていたわけです。
さらに史実を紐解いてみれば、長崎の出島および3つの特例貿易窓口以外にも、貿易の巨利に目が眩んだ大商人による密貿易もまた後を絶たず、さらには財政難を理由に藩ぐるみで密貿易に乗り出し多くの関係者が処分された事例(竹島事件)も存在します。
もちろん、貿易の利益を独占したい幕府は、しばしば禁令を出して密貿易の取締りを行っていますし、特例で認めた3藩についても、渡航船の数や貿易の規模について一定の制限を課してはいました。
しかし、それでも巨万の利益が得られる密貿易は後を絶たず、ついに幕末まで完全に根絶することはなかったわけです。
いわゆる「鎖国」というのは、一般に思われているほどに「閉ざされた」体制ではなく、抜け穴がいくつもあるシロモノだった、ということですね。

さて、ここでコミック版「大奥」に話を戻しますが、上記の「鎖国」事情を鑑みれば、作中で語られている「国を閉ざして日本の国情を外国に知られないようにする」がいかに荒唐無稽な構想でしかないことがお分かり頂けるでしょう。
対外貿易を「公に」行っているのが長崎の出島1箇所ではないという時点ですでに「国を閉ざして情報封鎖」構想は瓦解しているのですが、さらに密貿易の存在がそれに追い討ちをかけているわけです。
密貿易すら根絶できないというのに、他国との貿易に際して「赤面疱瘡」絡みの情報統制を完璧に行うなど土台無理な話です。
しかも、「赤面疱瘡」の存在も、それによって日本の男女比率が著しく変わっているという事実も、「大奥」世界の日本人ならば誰でも知っている「当たり前の常識」でしかありません。
「機密を守る一番の方法は、機密の存在そのものを隠蔽し少人数のみで情報を独占すること」という鉄則から考えれば、「赤面疱瘡」絡みの情報ほど機密に向かない情報もないでしょう。
ただでさえ非合法的な密貿易の中で「赤面疱瘡」絡みの情報統制が万全に行われるなど夢物語もいいところで、密貿易が実施されるどこかの過程で確実に「赤面疱瘡」関連の情報は外国の人間に漏れてしまうのは必至というものです。
密貿易の取締以上に至難の業である「赤面疱瘡」絡みの情報統制が完璧に行えると豪語し、それを絶賛する作中の登場人物達が、私にはどうにも滑稽に思えてならないのですけどね。

また、他国との貿易を介して「赤面疱瘡」絡みの情報どころか「赤面疱瘡」そのものが海外に流出し、日本のみならず世界中に広がり猛威を振るう可能性というのはないのでしょうか?
山村の片隅で発生した「赤面疱瘡」が10年ほどで関東一円を、さらに10年で日本全土に蔓延したという作中事実から考えれば、たとえ長崎の出島限定の貿易でさえ「赤面疱瘡」が海外に進出しても何らおかしなことではありません。
ましてや、出島以外にも対外的な貿易口があり、さらには密貿易まで横行している「鎖国」体制では、むしろ「赤面疱瘡」が外国に拡散しない方が変というものです。
「赤面疱瘡」が治療どころか防疫すら困難を極める病気であることは、作中で江戸城内にあるはずの「大奥」内部で「赤面疱瘡」が発生し死者まで出ていることからも明らかです。
まあ「赤面疱瘡」が世界中に伝播して世界各国が壊滅的な大ダメージを被れば、実はそれ自体はむしろ日本の国益および安全保障にかなうことではあるのですが、そうならないのは全くもって不思議な話としか言いようがありませんね。

あと、「鎖国」体制の問題を考える過程でふと思いついたことなのですけど、他国との貿易を行うに際して「20歳以上の男性を輸入する」という選択肢は考えられなかったのでしょうか?
「大奥」世界における男性は「赤面疱瘡」の大流行により激減しており、その貴重な人材の確保は大都市である江戸でさえ汲々としている惨状を呈しています。
しかし海外に目を向ければ、そこには当然のように男性が数多く存在する現実があるわけです。
となれば、海外から男性を輸入し、子種の供給や労働の道具としてこき使い一攫千金を狙う、という人間がひとりくらいいても不思議ではないでしょう。
20歳以上の男性であれば「赤面疱瘡」の脅威からも(稀に感染することはあるにせよ)かなりの確率で回避することもできるわけですし、大量輸入すれば男女人口比率の改善及び人口増大にも寄与します。
しかも17世紀~18世紀中頃までは奴隷貿易が世界的に幅を利かせていた時代でもありますから、対外的な大義名分も充分に成り立ちます。
まあ対外貿易の結果、「赤面疱瘡」が外国でも蔓延するようになってしまったらこの手は早晩使えなくなってしまうわけですが、男性不足に悩んでいた「大奥」世界の日本であれば、商人や藩どころか幕府自身が男性輸入政策に積極的に乗り出しても不思議ではないと思うのですけどね。

次の検証テーマは、「大奥」世界における大奥の子作りシステムについて論じてみたいと思います。

コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】

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コミック版「大奥」検証考察シリーズ2回目。
今回の検証テーマは【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】です。
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちら↓

映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】

コミック版「大奥」2巻では、男女逆転の発端となる徳川3代将軍家光(男性)の死、およびそれに伴う春日局の策動が描かれています。
慶長9年7月17日(1604年8月12日)生まれで史実では慶安4年4月20日(1651年6月8日)・数え年換算で48歳まで生きるはずだった徳川家光(男性)は、「大奥」の世界では「赤面疱瘡」を患ったため、寛永9年(1632年)に31歳で病没します。
当時の家光には世継ぎがおらず、そのことに「徳川家の終焉」「戦国乱世の再来」と危機感を抱いた春日局は、家光の死の事実を隠蔽し、家光が20歳の時に江戸の町娘・お彩をレイプして産ませた娘・千恵を、4代将軍となる男児を産むまでの替え玉とすることを思いつきます。
作中ではこの春日局の決断を「さすが戦国の世を生きた女傑よ」と言わんばかりの高い評価を下しているのですが……。

しかし、大して考える必要もなく、これには大きな疑問が出てきます。
それは「家光の死が直ちに徳川家のお家断絶に繋がるわけではない」という点です。
徳川家には、江戸幕府の開祖である徳川家康の9男・10男・11男によってそれぞれ興された、後に「御三家」と呼ばれることになる徳川分家が存在します。
そして後年、徳川7代将軍家継が死去し、家光直系の血筋が途絶えた際には、御三家のひとつである紀州藩の紀州徳川家の当主だった徳川吉宗が8代将軍として迎えられています。
1632年の時点ではまだ水戸徳川家が興されていませんでしたが(水戸徳川家の勃興は1636年)、それでも家光の後釜に据えられる徳川一族の男子は立派に存在することになるわけです。
しかも、その中で最年少たる11男の徳川頼房でさえ家光より1歳年長なわけですから、若年層の男子を主な対象とする「赤面疱瘡」の脅威にもかなりの高確率で無縁でいることができます。
男子相続にこだわるのであれば、出自も怪しい家光の隠し子、それも女児などを替え玉にするよりも、分家筋の成人男性に将軍位を継がせる方が、当時の社会常識や慣習から言ってもはるかに現実的な選択というものではありませんか。
それを無視してわざわざ千恵姫を家光の替え玉とした春日局の決定は、あまりにも非常識かつ愚劣極まりないシロモノであったと言わざるをえないところです。

もちろん、史実から考えれば、8代将軍吉宗の代まで徳川分家の人間が江戸幕府の将軍になった例はないわけですから、春日局は「神の采配」に無理矢理操られる形で件の決断をさせられるに至ったのでしょう。
当の春日局は、徳川家というよりも、自身が可愛がっていた家光個人の血筋を維持するということに固執していたようですが、たかだか将軍個人の乳母風情がよくもまあここまで桁外れな越権行為をやらかしたものです。

春日局の横暴はとどまるところを知らず、家光死後から6年後の寛永15年(1638年)には、継目御礼のために江戸城に登城した公家出身の慶光院院主を城内に拉致監禁した挙句、脅迫同然のやり方で強引に大奥入りさせていたりします。
慶光院院主が容姿端麗&出自の高い身分であることを考慮したとはいえ、わざわざ寺社&公家勢力に公然とケンカを売る多大な政治的リスクを犯してまでやるべきことだったのでしょうか?
しかも、そこまでして手に入れた慶光院院主改め「お万の方」と家光(女性)の間に子供ができないと知るや、今度は一転して身を引くよう「お万の方」に命じる始末ですし。
徳川5代将軍綱吉の代に、同じ公家出身の右衛門佐(えもんのすけ)が自発的に大奥入りしていることを鑑みると、春日局のやり方は「平地に乱を起こす」極めて危険な手法と言わざるをえないですね。
後に春日局は、自身の行動について「戦の無い平和な世を守るため」などと自己弁護していますが、よくもまああんなことをして戦争が起こらなかったものだと私は逆に感心すらしてしまったくらいです。
「大奥」世界における春日局は、江戸幕府における「奸臣」「傾国の悪女」の第一号として歴史に記録されるべき人物と言えるのではないでしょうか?

次回は、「大奥」世界における「鎖国」体制について検証したいと思います。

コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】

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2010年の年末に、よしながふみ原作のコミック版「大奥」2巻~6巻、および公式ガイドブックを入手しました。
すでに購入済みの1巻も含め、これで当面の「大奥」シリーズの既刊本が全て揃ったことになります。
「大奥」については、映画版の劇場公開が宣伝されていた頃から「如何なる経緯から男女逆転という社会システムの変遷が実現したのか?」という疑問が気になって仕方がなかったんですよね。
そのため、以前から「大奥」の刊行本を検証しようと考えていたのですが、ようやくそれが可能な体制が整ったわけです。
そんなわけで、今回からいくつかのテーマに分けて、コミック版「大奥」の設定および問題点についての検証考察を行っていきたいと思います。

記念すべき第1回目を飾ることになる今回の検証テーマは【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちら↓

映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

コミック版「大奥」では、徳川3代将軍家光の時代に、12~17歳までの若い男性(ごく稀にそれ以降の年齢の男性も罹ることあり)に発症する「赤面疱瘡」なる謎の奇病が大流行して男性人口が激減した結果、男女逆転の世界が実現したとされています。
「赤面疱瘡」の致死率は80%と極めて高く、1巻で農民のひとりが発症から4日後に死んでいること、また3巻では、春日局が病で倒れた9月10日から死に至る9月14日までの間に、家光(女性)の側室である「お楽の方」とその部屋子が「赤面疱瘡」を発症し死に至っていることなどから、発症から死に至るまでの時間は最大でも数日程度と考えられます。
映画版「大奥」では、吉宗のお忍びの際に「赤面疱瘡」に罹った人間のシーンがいくつか出てくるのですが、アレは発症から死に至るまである程度の時間的余裕があるかのような描写だったんですよね。
これから考えると、「赤面疱瘡」は(男性限定ながら)ペスト以上の感染力と致死率を誇る病気、ということになります。

では、「赤面疱瘡」というのは実際にどれくらいの人間が感染し、日本の人口を具体的にどの程度減少させたのでしょうか?
実はコミック版「大奥」では、具体的な人口激減数について全く触れられていません。
作中の人口激減は「男子の人口は女子のおよそ4分の1で安定」「日本の男子の人口は女子の半数まで減少」といった「男女の人口比率」的なものでしか表現されておらず、肝心要の「実数」が全く書かれていないのです。
史実の江戸時代初期における日本の人口については、当時まだ全国的な統計が行われていなかったこともあり諸説あるのですが、だいたい最小1200万人から最大2000万人までの範囲にほとんどの説が収まっています。
その中間を取って当時の日本の人口を1600万人と仮定すると、「赤面疱瘡」流行前の男性人口は男女比率1:1で約800万人。
そこから「男子の人口は女子のおよそ4分の1で安定」というところまで減少するとなると、単純計算で約600万人以上もの男性が「赤面疱瘡」で死んでいるということになります。
実際には「赤面疱瘡」が大流行している間にも新たに出生してくる男児もいる状況で人口激減が発生しているわけですから、「赤面疱瘡」の病死者は男児の出生者数をさらに加算した数値になることは確実です。
「赤面疱瘡」は男性人口を著しく減らしているというだけでなく、日本の人口そのものをも大きく激減させている。
至極当然の話なのですが、コミック版「大奥」の問題を語るには、この基本中の基本的な事実をまずは踏まえておく必要があります。

さて、ここで問題となってくるのが、史実における江戸時代中期の日本の人口です。
徳川第8代将軍吉宗の時代、享保の改革のひとつとして全国的な人口調査が行われるようになりました。
これは1721年に行われたものが最初で、1726年以降は6年毎に改籍され、これによって日本の人口がある程度公式の文書から分かるようになったわけです。
その一番最初の調査によると、1721年当時における日本の人口は2606万5425人。
前述の江戸時代初期の推定人口と照らし合わせると、江戸時代の最初の100年ほどは明らかに人口が、それも飛躍的に増えているのが分かります。
しかもこの江戸時代の人口調査では、武士や公家を中心に調査の対象外となった人間が少なからずいることや、調査方法が地域毎に異なっていたことなどから、調査結果は実際の人口より400万人~500万人ほど少なくなっていると推察されています。
つまり、実質的な江戸時代中期の人口は約3000万人~3100万人。
ただでさえ「赤面疱瘡」が猛威を振るい、数百万単位の男性人口を消滅させている「大奥」世界の日本は、一体どのようなマジックを駆使すれば、約3000万人以上の人口を、それも史実の江戸時代中期頃に達成することができるというのでしょうか?
本来人口が右肩上がりになるはずの時期に人口が激減するというのは、それ自体が史実に反しているばかりか、大きな歴史改変要素にまでなってしまう、というわけです。

江戸時代前期に人口増大が発生した大きな原因としては、大規模な新田の開発が盛んに行われたことによる農業生産量の増大が挙げられます。
また、江戸を中心とする都市が商工業で発展し、人口が集中するようになった事情も見逃せません。
農村の出生率が増大し過剰になった人口を都市が吸収する、という、高度経済成長期にも見られた図式で、史実の江戸時代前期は人口が飛躍的に増えていったわけです。
ところが、「赤面疱瘡」の蔓延による人口激減という事態に直面している「大奥」世界の江戸時代では、農業生産量の増大どころか農村の維持すらも危ういというありさま。
当然、新たな新田の開発をやっている余裕などあるわけもなく、また人口が大幅に減ることで都市は拡大が不可能となり、さらには商工業も衰退を余儀なくされるという悪循環に陥るわけです。
「大奥」世界における日本の人口は、江戸時代中期になっても増大どころか現状維持さえも難しいと言わざるをえないところで、もうこれだけでも歴史に与える影響って少なくないと思うのですけどね。

「赤面疱瘡」による男性人口激減による男女逆転を織り交ぜつつ、政治や歴史的事件については史実の江戸時代と同じ流れで構成されている「大奥」の世界。
しかし「赤面疱瘡」は本来、それ自体が史実とは全く異なる流れの歴史を構築するだけの大きな改変要素であるにもかかわらず、それを無視して史実と同じ流れを無理矢理にでも辿らせようとする「神の采配」が、「大奥」の世界に大きな歪みと問題点を生み出してしまっているわけですね。
次回以降も、特定の検証テーマで「大奥」の問題点を取り上げていく予定です。

実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

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2010年10月に公開された映画「大奥」の原作となるコミック版「大奥」の1巻を購読しました。
男性人口の激減による男女逆転の江戸時代を描いた「大奥」の世界観には、宣伝を聞いただけでも疑問が多く、映画版を観てもその謎と疑問は解消されるどころか逆に増大する一方だったので、原作も当たってみることにしたわけですね。
今回は、映画版のストーリーの大部分を担っているコミック版「大奥」1巻との比較検証も兼ねて論じてみたいと思います。

コミック版「大奥」1巻だけを読んだ限りでは、映画版「大奥」はコミック版1巻のストーリーをほぼ忠実に再現している、というのが第一の感想ですね。
「赤面疱瘡」に関する説明から、水野佑之進の記録上の死→進吉に名を変えてヒロインと結ばれるという結末までの流れはほぼ同じ。
映画版で由来に関する説明が全くなかった「ご内証の方は大罪人として死ななければならない」という設定についても、1巻では「家光の時代に春日局が決めた」という以外の説明がなく、こちらもやはり説明不足の感は否定できません。
その由来は2巻以降で説明されているのでしょうが、映画版はこの説明不足な部分までそっくり忠実に移植しているわけです。
これから考えると、「大奥」は2巻以降の話も実写化される可能性があるのではないかという予測を立てたくもなってしまいますね。
1巻と同じく映画公開されるのか、TVドラマ形式になるのかは微妙なところですが。

その一方で、映画版「大奥」における徳川8代将軍吉宗に関するエピソードは、原作よりも大幅に強化されていたことが判明。
緑の草原を疾走する初登場の乗馬シーンと、家来1人を連れて江戸の町をお忍びで散策するシーンという、時代劇TVドラマ「暴れん坊将軍」を彷彿とさせる描写は原作には存在しません。
私はてっきり「原作にもそういう描写があった」とばかり考えていたのですけど、アレって映画制作スタッフのオリジナルシーンだったわけですね。
「露骨に狙っているなぁ」とは映画観賞当時から思っていましたが(笑)。

他にも、作中で水野佑之進が出世するきっかけとなった「鶴岡との一騎打ち」後のエピソード「鶴岡が水野佑之進を闇討ちした挙句に切腹する」シーンが映画版のみに存在したり、逆に大奥の「呉服の間」でなくなった針を探す原作のエピソードが映画版では省略されていたりと、ところどころで細かい部分での改変はありますね。
本筋の流れにはあまり関わらない部分ですが。

それと、原作・映画版共に「大奥には将軍護衛の役目もある」という設定があるようなのですが、どちらにも台詞やモノローグ以外でそれを裏付ける描写というものが全くと言って良いほどないですね。
そもそも、史実の江戸幕府には「書院番」という将軍の身を守る現代のSPのような役職が立派に存在していますし、江戸城および要地を警護する「大番」という役職も存在します。
他の役職と仕事が重複する、という一事だけでも、男性版「大奥」は非効率もいいところで全く存在価値が見出せません。
また作中でも、将軍護衛の役割を担っているはずの「大奥」の人間が、常に将軍に付きっきりで護衛しているような描写が全くありません。
将軍暗殺の刺客なんていつどこで襲い掛かるか知れたものではないのですし、護衛ならば「寝所」のみならずありとあらゆるところで付きっきりの護衛をやらないとマズいのではないかと思うのですけどね。
8代将軍吉宗の周囲にいる人間も基本的に女性ばかりですし、こんな状態で「大奥」の人間が将軍の護衛なんてできるわけがないでしょう。
これならば、男性の多くを「書院番」や「大番」に回し、訓練を重ねさせて錬度を高めた上で「専業の護衛」として任に当たらせた方がはるかに効率的です。
後宮システムとして全く機能しない男性版「大奥」が存続していること自体、壮大な無駄としか言いようがないのですが。

男性版「大奥」が将軍護衛の役割も担っている、という話を聞いた時に私が真っ先に連想したのは、神聖ローマ帝国(現在のドイツ)の領邦国家のひとつであるプロイセン王国の君主だった「兵隊王」フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(在位1713年~1740年)が創設した「巨人連隊(ポツダム巨人軍)」だったりします。
「巨人連隊」はとにかく「背が高い」男性ばかりを身分も出自も問わず集めて編成された連隊で、その構成員には莫大な契約金や給与・待遇などが保証され、閲兵などの訓練が徹底して施されました。
長身の男性を集める際にはカネを駆使した取引だけでなく、拉致誘拐などの強引な手段まで使われた上、知的障害者などまでもが問答無用で徴兵されたりしたため、その戦闘能力および費用対効果については多くの疑問が持たれていました。
何しろこの「巨人連隊」、実戦に参加したことはただの一度としてなく、兵達も隙あらば脱走しようと常に目を光らせていたばかりか、王の暗殺に動いたことすらあるというのですから、多額の維持費に対してのその「使えなさ」ぶりは想像を絶するものがあります。
軍隊としての機能性という観点から見ればこれほどまでに「無駄」としか言いようのない連隊もなく、実際、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世個人の道楽とまで酷評されていた「巨人連隊」は、その息子であるフリードリヒ大王(在位1740年~1786年)の代になって廃止されています。
その「巨人連隊」をさらに上回る「無駄」を、男性版「大奥」は多大にやらかしているようにしか思えないんですよね。
後宮システムとしても将軍護衛としても全く使えない男性版「大奥」の存在意義って一体何なのか、ますます疑問に駆られてしまうところです。

「大奥」の世界観には他にもまだ多くの疑問があるのですが、果たして2巻以降には私が納得できるだけの解答が用意されているのでしょうか?

テレビドラマ版「SP 警視庁警備部警護課第四係」エピソード3&4感想

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前回に引き続き、テレビドラマ版「SP 警視庁警備部警護課第四係」のエピソード3&4をDVDで観賞しました。

エピソード3は要人ではなく、証券取引法違反事件における重要参考人を警護するストーリー。
この重要参考人は色々と裏の事情を知り過ぎているため、逮捕して身柄を保護し証拠を自供させることは政治的な圧力がかけられており不可能。
かといって野放しにすれば、ここぞとばかりに「消される」恐れがあり、事件の立件もできなくなるためそれも論外。
かくして警視庁警備部警護課第四係に警護命令が下り、主人公達は警護の任につくことになるのですが、精神的に追い詰められていることもあってか、警護対象が何かとワガママをこねたりトラブルを起こしたりします。
それでも主人公の活躍もあり、何とか警護の任をこなしていく第四係の面々。
立て続けに襲撃されたこともあり、主人公の上司である尾形総一郎は警察上層部に対し警備体制の強化を訴えますが、あっさり却下されてしまいます。
しかも最後は、これまた政治的な都合により、殺害される危険性が全く消えていないにもかかわらず、突然重要参考人警護の任が解かれて終了。
どう見ても殺される結末が目に見えて分かってしまう重要参考人の哀れな命乞いが哀愁を誘いましたね。

エピソード4は主人公と尾形総一郎の因縁話、そして映画版ストーリーへの序曲となります。
必要最低限しかない人数と装備で苛酷な警護の任に当たっている現場の環境を改善することを目的に、尾形総一郎は警備部の改革案を提示するのですが、「予算が出ない」「目に見える危険がない」といういかにも官僚的な理由からあっさり却下されます。
これまでのSPシリーズの作中だけでも何度も要人襲撃事件が頻発しているのですが、警察上層部はよほどに事なかれ主義なのか、事件の存在そのものを全て「なかったこと」にしている始末でしたからね。
前の感想でも述べたように、物理的に隠すのは不可能なのではないかという事件でさえ、作中の警察は記録を強引に書き換えていましたし。

テレビドラマ版の最後を飾る話ということもあり、エピソード4は主人公と少なからぬ因縁を持つ人間が主要人物として登場します。
20年前の事件で主人公の両親を殺した山西。
その事件を裏で画策して政治家としての人気取りを行い、現職の総理大臣に就任している麻田総理。
事件当時に少年だった主人公は、主人公を庇いながら「私が事件を仕組んだのです」と言わんばかりにほくそ笑んでいた麻田を殺したいほどに憎んでおり、作中では自分が直接麻田を殺害する妄想シーンまで挿入されます。
しかしそれでも、その麻田総理を警護するという任務を、復讐心から殺害せんとする山西の前に「動く壁」として立ちふさがり、あくまで仕事を遂行する主人公。
映画版エピソード5の前半(野望篇)で、「麻田総理が主人公のことを気に入っている」という会話があったのですが、それってここから来ているわけですね。

事件解決後、警察内部の情報を流していた西島理事官なる警察上層部の人間を公安部が逮捕に動くのですが、公安が踏み込む前に被疑者は自殺に見せかけて殺害されていました。
この人物、実は尾形総一郎の卒業大学の先輩に当たる人物で、最後のシーンではその死について尋ねられた尾形が「仕方ないだろ……大儀のためだ」という謎の言葉を呟きます。
そして、たまたまその言葉を聞いていた主人公と尾形総一郎が一対一で対峙するシーンで、ドラマは終了します。
テレビドラマだけ観ていたら「本当の戦いはこれからだ!」的消化不良な終わり方(まあ「つづく」という文字は出ていましたけど)ですが、これがそのまま映画版のエピソード5へと続いていくわけです。

エピソード3&4では、主人公の過去話や尾形総一郎が警察の問題点として改革したがっている問題他、様々な伏線が色々な形でクローズアップされていて、映画「SP 野望篇」でも言及されています。
映画版のSPシリーズを観るのであれば必須で抑えておかなければならない箇所ですね。
伏線については前編である映画「SP 野望篇」でもほとんど説明されていないので、後編となる「SP 革命篇」で収束していくことになるのでしょう。
テレビドラマから連綿と続いているSPシリーズがどのようなクライマックスを迎えることになるのか、来年3月予定とされる劇場公開が楽しみですね。

テレビドラマ版「SP 警視庁警備部警護課第四係」エピソード1&2感想

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この間観に行った映画「SP 野望篇」のテレビドラマ版「SP 警視庁警備部警護課第四係」のエピソード1&2をDVDで観賞しました。
映画版が「エピソード5」としてテレビドラマ版の延長線上でストーリーが展開されている上、映画版ではそれまでのあらすじや作中設定などについての説明が全くなかったため、そちらも確認してみることにしたわけですね。
何せ、私は映画版で初めてテレビドラマの存在を知ったクチでしたし(-_-;;)。

さすがに映画版には劣るものの、テレビドラマ版でも主人公である井上薫の派手なアクションは健在で、こちらもなかなか面白かったですね。
エピソード2で主人公の能力についての「科学的な」説明があり、作中における主人公の能力の発動源が判明します。
また、映画版では冷戦状態だった主人公と上司・尾形総一郎は、この時点では理想的とすら言えるほどの相互信頼関係を構築していましたね。

ただひとつ、事件解決後に、警察が事件の存在そのものを「なかったこと」にして殊更真相を隠そうとするのについては、正直疑問に思わずにはいられませんでしたね。
何故そんなことをするのかもさることながら、「そもそも物理的に不可能なのではないか?」と思える点も少なくありませんでしたし。
事件についての緘口令などを布いたところで、事件の目撃者の誰か一人でも真相を告白したりすれば、いとも簡単に事件は表沙汰になります。
事件が大規模になればなるほど、目撃者が増えれば増えるほど、緘口令の実行は困難さを増してくるのです。

事件が密室の中、それも数十人程度の政治家やマスコミ関係者の中で起こったエピソード1であれば、ある程度統制も効きやすいですから、それなりに緘口令も有効に機能しえるかもしれません。
しかし、事件に巻き込まれた上、テロリスト達の病院占拠宣言まで直接聞いている人間だけでも百人以上、しかも病院関係者のみならず、一般の患者や見舞い客なども被害者に多く含まれているであろうエピソード2では、そもそも事件の真相を隠蔽するのは不可能でしょう。
さらに病院の外では「何が起こったのか」と病院を取り巻いている野次馬までいたわけですし。
警察上層部では「ガス爆発」として事件の事後処理を行う方針だったようですが、すくなくとも病院の中にいてテロリスト達の病院占拠宣言を聞いた上に拳銃を突きつけられての強制移動を余儀なくされた人達がそれで納得するわけがありません。
しかも今はインターネット時代。
個人であっても事件の真相をブログや掲示板、SNSなどでいくらでも拡散することができるのです。
一般の患者や見舞い客に緘口令を命じる権限が警察にあるわけもありませんし、統制しようのないことを無理矢理統制しようとすれば、今度はその反発から緘口令を逸脱しようとする人間が出てきてしまうでしょう。

警察がそのような隠蔽工作にひた走るのは、事件の存在が世間一般に流布されることで混乱が発生するのを避けるため、といった類の治安維持の理由でもあるのでしょうが、病院テロのような一般人が巻き込まれた大規模な事件までそれで押し通そうとするのはさすがに無理筋なのではないかと。
そのような警察の事後処理対応に苦言を呈していた尾形総一郎も、「そんなことがそもそも可能なのか?」ということについてこそ、まずはツッコミを入れるべきではなかったのかと。

また機会があったらエピソード3&4、それといくつかあるらしい番外編も観てみたいものですね。

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