エントリー

カテゴリー「映画概論」の検索結果は以下のとおりです。

専用メガネ不要の3D映像が一般的になる日はいつ?

映画館でメガネなしの3D上映が実現するのは、その手の研究者によれば「真面目に研究をして、20年くらいかかる」とのことです。
テレビサイズはともかく、スクリーンの巨大サイズで3Dを実現するのはまだまだ課題も多いのだそうで↓

http://megalodon.jp/2012-0110-1748-00/www.cinematoday.jp/page/N0038284
>  ニンテンドー3DSなどで裸眼で観ることができる3D映像が身近になりつつあるが、映画館でメガネなしの3D上映が実現するのはいつになるのか……株式会社IMAGICAで、3Dスーパーバイザーを務める灰原光晴氏が語った。「真面目に研究をして、20年くらいかかります」。灰原氏が、研究者に話を聞くと、そう応えが返ってくるという。しかし、「ということは、その研究をしている人も、その研究を真面目にする気はないんですよね」と灰原氏。理論上はできるという映画館でのメガネなしの3D上映だが、その実現にはまだまだ長い道のりが必要だという。
>
>  左目を隠し、右目だけで見て指し示したものを、両目で見てみると、ずれが生じる。左目だけで見たものを、両目で見ても、同じようにずれが生じる。現在、映画館で導入されている3Dの映写システムは、この、幼いころに誰もが一度はやったことがあるであろう“目の遊び”、“視差”を利用している。2台のカメラを使って右目には右目用の映像、左目には左目用の映像を撮影し、3Dメガネを使い、右目には右目用の映像だけを、左目には左目用の映像だけを映し出すことによって、立体視が実現しているのだ。
>
>  では、映画館でメガネを使わずに立体視を実現するためには、どうすればよいのだろうか? 灰原氏は、現在は右目用の映像、左目用の映像と2視点で制作しているものを、多視点映像にすれば、メガネを使わない立体視は、理論上は可能だと言う。しかし、それを大きなスクリーンで実現するとなると、まだまだ課題は山積み。
「テレビの裸眼3Dは広がっていくと思いますが、スクリーンサイズは難しいですね」という灰原氏の言葉から“真面目に研究すれば20年”という月日は、リアルな数字なのであろう。

裸眼の3Dで連想するものと言えば、私の場合は映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」の2015年の世界に登場していたジョーズの3D映像ですね。
主人公の眼前まで飛び出して消滅したあの3D映像は、いかにも「未来的な世界」を連想させるものではありましたし、当時は「30年後ならばああいうのも社会的に普及しているのではないか?」という期待感もあったのですが。
同映画に登場していたような「空を飛ぶクルマ」も、実験的なものはあっても未だ商用実用化の目処までは立っていませんし、あの映画における「2015年の未来世界」は本当に絵空事のままで終わってしまうのでしょうかねぇ(T_T)。

ただ3D映像については、裸眼よりもまず「メガネ付3D」で確実に立体感を持った映像が出せるようにして欲しい、というのが大多数の映画ファンの本音なのではないでしょうか?
ただでさえ3D映画は3D料金があるために普通の映画よりも料金が高いというのに、「どこら辺が3D映像なの? 映像が飛び出るシーンなんて全編通して全くないんだけど?」と首を傾げざるをえないような作品があまりにも多すぎるのですが。
「通常よりも料金が高い」というだけでも敬遠する理由になるというのに、下手すればアイスの当たり棒レベルくらいに当たり率が低いというのではねぇ……。
挙句の果てには、そもそも3D演出をしなければならないような描写がどこにもないはずの映画までもが3D対応になっていたりする始末ですし。
何故3D映画はアレほどまでにハズレが多いのかと、つくづく疑問に思わざるをえないのですが。
こういう惨状を呈しているから、「3D料金はボッタクリと同じ」「映画業界の利権でもあるのでは?」などと言われてしまうのですが。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」のような3D映像が、一部のテーマパークのアトラクションだけでなく、そこらの街角や映画館などでも一般的にも見られるようになる日が来るまでには、果たしてあとどれくらいの年月を必要とするのでしょうか?
そんな日が早く来てくれることを願いたいものなのですけどね。

3D版映画に纏わる料金と演出の問題点

2009年公開映画「アバター」以降すっかり定着した感のある、3D対応の映画と、それを観賞するための3Dメガネ。
私が映画館で観賞している作品でも、だいたい7~8本に1本程度の割合で3D対応映画が出てきます。
3D映画の利点としては、「画面から飛び出す立体感が体験できる」といった類のキャッチフレーズがよく謳われています。
しかし、実際に何度も3D映画を観賞した人間としては、
「通常の映画とほとんど大差のない映像にしか見えないものにわざわざ追加料金を払ってまで観る価値はない」
というのが感想だったりするんですよね。

3D映画を観ようとすると、通常の映画料金とは別に3D料金が300~400円ほどかかります。
映画館にある各種割引サービスでも、3D料金については対象外で割引が全く適用されず、1ヶ月フリーパスポートすら無効で別途料金を支払わなくてはなりません。
最近では3Dメガネを持参すれば料金100円割引というサービスも出てきましたが、以前は300円だった3D料金を100円値上げした上での措置なのですから、「どこまでアゴキな商売やっているんだ」とついついツッコミを入れたくなりましたね。
単純に「カネが余計にかかる」というだけでも3D映画には軽視できない問題があります。

それでも「3Dならではの迫力や魅力」があるのであればまだ良いのですが、3D映画の中には「何故この映画が3D対応になっているの?」と首を傾げたくなるような作品も少なくありません。
立体的に演出されているのが分かるのは字幕だけ、などといった事例も多々ありましたし、よしんば、「これぞ3Dの演出!」という描写があるにしても、映画全体を通じてたった1~2箇所程度の描写だけしかない、という事例もあったりします。
演出的にも、「通常の映画とどこがどう違うのか?」というところからすでに疑問を感じざるをえない作品がほとんどであると言っても過言ではありません。
観客的な視点から見ると、3D映画の利点ってほとんどないのではないでしょうか?

最近では、映画館で3Dと2Dが同時公開されている作品については、時間の都合等でやむをえない場合を除き、無条件で2D版を選択するようになってしまっています。
余計なカネがかかる上に特別な魅力もなく、さらにメガネをかけなければならない手間が増えるだけとなれば、3D映画を敬遠するようになるのは当然のことです。
観客のニーズと合致していない現行の3D版映画が製作される理由って、観客から余分にカネを搾取できる映画館と映画制作者の利権でも絡んでいるのではないかとしか思えないところなのですけどね。
本当に立体的かつ迫力のある3D映画を製作するとか、現行の料金体系を見直すとか、3D映画の現状は何らかの改善を行うべき時期にいいかげん来ているのではないでしょうか。

次々と「自粛」させられる映画はどこが問題なのか?

東日本大震災の影響による、映画の公開延期が相次いでいます
すでに当ブログでも取り上げていた「ヒアアフター」の上映中止と「唐山大地震 想い続けた32年」の公開延期に続き、以下に挙げる映画の上映延期が決定されています↓

3月19日公開予定映画「ザ・ライト ―エクソシストの真実―」
4月 1日公開予定映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」
4月16日公開予定映画「カウントダウンZERO」
4月22日公開予定映画「サンクタム」
5月21日公開予定映画「ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦」
6月 4日公開予定映画「父の初七日」

http://megalodon.jp/2011-0317-2020-13/www.moviecollection.jp/news/detail.html?p=2268
http://megalodon.jp/2011-0317-2024-25/news.livedoor.com/article/detail/5419888/

今回挙げた6つの映画には、そもそも地震や津波を連想させる要素自体がどこにも存在しません。

「ザ・ライト ―エクソシストの真実―」は、悪魔祓いとバチカンにおける正式な職業であるエクソシストの全貌に迫る作品。
「世界侵略:ロサンゼルス決戦」は、ロサンゼルスを舞台に地球に侵略してきたエイリアン達との戦いを描いた作品。
「カウントダウンZERO」は、核兵器の使用可能性について関係者の口から語られる社会派ドキュメンタリー。
「サンクタム」は、「タイタニック」「アバター」のジェームズ・キャメロン監督製作による、洞窟の中で展開される脱出劇を描いたアドベンチャー映画。
「ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦」は、戦隊モノの映画版。
そして「父の初七日」は、父親の死から葬儀までのゴタゴタを描いた台湾映画。

一体何を基準にすれば、被災者の心証を害すると判断され、公開を「自粛」しなければならないとされる要素が見つかるのか、ということすら理解不能です。
前述の「ヒアアフター」「唐山大地震 想い続けた32年」のように「地震や津波の描写が東日本大震災を連想させるから」的な言い訳すらありません。
同時多発テロ当時のアメリカにおける映画「コラテラル・ダメージ」公開延期でさえ、賛否はともかく誰でも理解はできる政治的な理由が付随していたというのに。
しかも、今回のような「自粛」が、ここで挙げている映画「だけ」で終わるなどという保証はどこにもなく、今後も「自粛」対象となる映画はさらに拡大する可能性すらあるのです。
「自粛」の基準が不透明かつ何の根拠もなく、ただ「被災者に対する配慮」と言いさえすれば何でもかんでも「自粛」に追い込まれる。
ここまで来ると「自粛」というよりも、もはや「被災者に対する配慮」という名を借りた「問答無用の表現規制」としか言いようがないではありませんか。
こんな「自粛」をすることが「被災者のためになる」などと、映画の配給会社はまさか本気で考えてでもいるのでしょうか?

今回の映画公開の「自粛」でひとつ疑問なのは、どうして過去の地震ではほとんど起こらなかった「自粛」が今回だけ凄まじいまでの猛威を振るっているのか、という点ですね。
多くの犠牲者が出た地震自体は、日本では阪神大震災や新潟県中越地震など他にも多々発生しているわけですし、にもかかわらずこれらの地震ではすくなくとも今回ほどの「自粛」は起こっていなかったわけです。
過去に類例のない大地震で犠牲者も多く出たから、というのであれば、スマトラ島沖地震など世界各地で発生した地震でも万単位もの多大な犠牲者を出しているものがあるのですから、それについても哀悼の意を表し、今回と同じような「自粛」があって然るべきだったはずですよね。
今回の地震における「自粛」ラッシュは、「被災者に対する配慮」とは全く関係のない別の理由ないし要素が他にあるのではないか?
一連の非合理的かつ理不尽な「自粛」の実態を見る限り、そうでも考えないと一連の社会現象に説明がつかないのですが。

劇場公開映画の地域格差について

よく「都会と地方には格差がある」と言われますが、実は映画館の劇場公開映画にも立派な地域格差というものが存在します。
地方の映画館で上映されている映画は全体のごく一部でしかなく、特定の映画館でしか公開されていない映画や、地方によっては全く公開されない映画の存在も決して珍しいことではありません。

映画情報サイトの「シネマトゥデイ」で公開されている映画情報を確認すると、全国公開されている有名どころだけでなく、地方によっては全く上映されていないマイナーな映画の名前も数多く存在していることが分かります。

http://www.cinematoday.jp/

これらの映画は地方ではちょっとした宣伝広告さえ全く流されることがないため、映画館やTVのCMなどからでは存在すらも全く知ることができないのです。

2010年11月27日から全国の映画館で、ヴァンパイアが世界を支配する近未来世界を描いた「デイブレイカー」という作品が公開されています。
映画「デイブレイカー」の情報についてはこちら↓

http://www.daybreakers-movie.jp/

この映画、私は「シネマトゥデイ」でその存在を知ったのですが、あらすじを読む限りでは好みのジャンルだったので観に行こうかと上映映画館を確認したところ、何と熊本では劇場公開予定すら全くないことが判明。
全国47都道府県のうち、「デイブレイカー」が上映されているのはわずか17都道府県のみ。
九州では福岡・大分・鹿児島の3県だけ、中国地方では1県のみ、東北・四国に至っては上映する映画館自体なしと、映画を観賞できない地域の方がはるかに多いのです。

せめて県内1箇所だけでも上映されていれば、そこまで足を運んで観に行くこともできたのですけどね。
実際、2008年公開映画「ゲット・スマート」や、今年公開された映画「第9地区」「パリより愛をこめて」などは、行きつけの映画館では上映されていなかったので、いつもとは違う映画館までわざわざ足を運んで観に行った作品だったりします。
最低でも1都道府県内で1箇所だけでも上映されていれば、映画公開の地域格差もかなり是正されるはずなのですが(まあ北海道や離島などではそれでも厳しいでしょうけど)。

かくのごとき映画公開の地域格差が存在するのは、「上映しても利益が見込めないから」という映画館側の事情に拠るところが大きいでしょう。
特にPG-12やR-15作品などは、観客を限定することもあってか、内容が面白くても上映予定から外されやすい傾向にあります。
最近はシネコンの隆盛で、地方でも観賞できる映画は昔よりも増えているのですが、それでも限りがあるスクリーン数で全ての映画を一斉に公開するのは不可能なのですし、映画館側にしてみれば、できるだけ人気がある映画を優先的に上映し観客動員数と収益を増やさなければならないところですからねぇ。

ただ、そういう映画館側の事情を勘案しても、地方の一映画ファンとしては、やはり可能な限り全ての公開映画をフォローして欲しいところではあります。
特に私の場合、レンタルDVDやTVなどではほとんど映画を観ることがありませんし、「映画は映画館で観る」というこだわりがあるのでなおさらそう思わざるをえませんね。
劇場映画公開の地域格差も、市街地中心部にしか映画館がなかった時代に比べれば大幅に是正されてはいるのでしょうが、今後も更なる改善を進めて欲しいものです。

ハリウッド映画は「アメリカ万歳」ばかりなのか?

ハリウッド映画について述べられる際、「アレはアメリカ万歳映画ばかり」的な評価がよく聞かれます。
確かに1996年公開映画「インディペンデンス・ディ」や1998年公開映画「アルマゲドン」、2001年公開映画「パール・ハーバー」など、その手の作品がハリウッド映画の中に存在し、かつ興行的には大ヒットして大きな成功を収めているのは事実です。

しかし、実際のハリウッド映画は、巷でよく言われているほどに「アメリカ万歳映画」で溢れかえっているのでしょうか?
私は色々なハリウッド映画を観てきましたが、ハリウッド映画の中には逆にアメリカの政府や社会を批判する意図で製作されたものも少なからず存在します。
たとえば、1980年代に映画公開された「ランボー」「ランボー 怒りの脱出」は、ベトナム戦争から帰還した兵士達の視点から、自分達を冷遇したり罵倒を浴びせたりするアメリカ社会に対する批判が、主人公ランボーによって展開されています。
初期の「ランボー」シリーズには「アメリカ万歳」的な雰囲気は微塵もなく、むしろアメリカ社会は一種の「敵」として描かれてすらいるのです。

また、映画「ロボコップ」シリーズでは、近未来のアメリカ社会のあり方をブラックユーモア的な暗さで描いていますし、「ロボコップ」1作目の監督を担っていたポール・バーホーベンは、1997年にアメリカ帝国主義を皮肉ることを目的にした映画「スターシップ・トゥルーパーズ」を製作しています。
「ロボコップ」で描かれているあの荒廃した犯罪都市デトロイトの描写のどこをどう見たら「アメリカ万歳」的な解釈ができるというのでしょうか?

アメリカが国家組織の総力を挙げて一個人を陥れていく恐ろしさを描いた1998年公開映画「エネミー・オブ・アメリカ」という作品もあります。
この映画では、犯罪とテロの撲滅を目的に、政府による全国民に対するプライバシーの侵害を合法化する「通信の保安とプライバシー法」という法案の成立をめぐり、NSA(アメリカ国家安全保障局)が暗殺・盗聴・冤罪のなすりつけ等のありとあらゆる手段を使って一個人の人生を破滅させるストーリーが描かれており、悪役にされたNSAにしてみればこれほど不愉快な映画もないでしょう。
また、アメリカでは同時多発テロ事件後に「アメリカ愛国者法」という法律が成立しているのですが、この法律は作中に登場する「通信の保安とプライバシー法」と主旨が同じだったりします。

21世紀に入ってからも、アメリカCIAの暗部を描いた「ボーン・アイデンティティー」「ボーン・スプレマシー」「ボーン・アルティメイタム」の3部作映画が大ヒットを記録していますし、イラク戦争開戦の発端である大量破壊兵器問題を批判的に扱っている映画「グリーン・ゾーン」も公開されています。
特に「グリーン・ゾーン」は実際の歴史的事件を映画の舞台にしているだけに、政治イデオロギー的な要素がかなり強い作品です。

繰り返しになりますが、確かにハリウッド映画には「アメリカ万歳」的な映画「も」ありますし、それが興行的に大きな成功を収めていることも事実でしょう。
しかし、ハリウッド映画にはそれと同じくらいにアメリカの政府や社会に対する懐疑的・批判的な作品も少なからず存在しますし、またそれ以前にアメリカ社会のあり方とは何の関係もない純粋な娯楽作品も多いのです。
色々な主旨の映画があって、結果的にバランスが取れている。その懐の広さこそがハリウッド映画の大きな魅力であると言えるのではないでしょうか。
にもかかわらず、何故ごく一部の映画のみをクローズアップして「ハリウッド映画はアメリカ万歳ばかり」などと評価されなければならないのか、私はそこが以前から疑問に思えてならないんですよね。
巷のハリウッド映画評にはおかしな予断と偏見でも入っているのではないか、そう思えてならないのですが。

映画を身近なものにしたシネコンの功績と今後の課題

21世紀に入ってからの映画の発展を語る際にシネマコンプレックス、通称「シネコン」の存在を外すことはできないでしょう。
シネコンとは、同一の施設に複数のスクリーンがある映画館のことで、日本ではワーナー・マイカル・シネマズ、TOHOシネマズ、シネプレックスなどが主な代表格です。

往時は2億5000万人を数えた日本の映画人口は、テレビやレンタルビデオなどの普及およびそれに伴う映画産業自体の衰退などにより、1990年代には半分以下の1億2000万人にまで落ち込んでいました。
ところがシネコンは、それまで「高嶺の花」だった映画をより身近でかつ手軽に観賞できる娯楽に昇華させると共に映画人口を1億6000万人にまで回復させ、映画の衰退と映画人口の減少に歯止めをかける存在となりました。

特に市街地郊外にショッピングモールと並んで併設されるシネコンには、移動の手間と交通費の負担が軽くなるという大きな利点があります。
市街地中心にある映画館の場合、移動だけでも少なからぬ時間と手間がかかる上に駐車代等の交通費が無視できず、これが客離れを起こす大きな原因となっていました。
それに対し郊外型シネコンは、市街地中心に比べて手軽に行ける距離にあり、また駐車代に至っては無料で済ませられるところも少なからず存在します。
都市圏と異なり、周囲に映画館というものがない上に鉄道網があまり発展していない車社会の地方において、このメリットは非常に大きなものがあり、それまで映画に興味がなかった人をも映画に引き込めるようになったわけです。

またシネコンの大きな特徴として、売店の存在は無視できません。
従来の映画館にあった売店は、映画グッズとスナック菓子が適当に置かれただけの、規模が小さい上に品揃えも品質もお粗末なシロモノでしかありませんでした。
そのため、以前は映画館に入る前にわざわざコンビニに入って買い物をし映画館に入る、などということすら行っていたほどです。
しかしシネコンの売店は映画グッズも飲食類も品揃えがはるかに豊富。
特に映画観賞の際の定番となるポップコーンに至っては、それ単品の店を作っても充分に儲かるのではないかとすら思えるほどの一品だったりします。
個人的にはワーナー・マイカル・シネマズで売られていたポップコーンが一番美味しかったですね。

映画を「より」身近で手軽に観に行けるものへと進化させ、売店をも充実させることで相乗効果的な売上アップと集客を行う。
この点においてシネコンは既存に映画館を大きく引き離しており、都市部に集中していた既存の映画館がシネコンに取って代わられてしまったのも必然かつ時代の流れというものだったでしょう。

一方でシネコンの今後の課題としては、その便利さと集客性故にあちこちに乱立され過剰競争が発生している問題についてどのように対処するか、ということがまず挙げられますね。
若干微増しているとはいえ、最盛期に比べればやはり少ない映画人口に対して、映画観賞が行えるスクリーン数はその最盛期と同等以上にまで増えている状態。
結果、映画館同士で客を取るための過剰競争が発生した挙句、1スクリーン辺りの利益が減ってしまい、採算割れを起こす危険性が懸念されるわけです。

熊本でも、2004年に熊本市の東隣にある菊池郡菊陽町にTOHOシネマズ光の森、熊本市ダイエー熊本店横にシネプレックス熊本がオープンしたのを皮切りに、2005年、2006年にも郊外型シネコンが立て続けに開館し乱立状態に。
熊本はシネコンの激戦地と言われており、シネコン同士が互いにシノギを削る一方、市街地にあった従来の映画館はシネコン群に客層を食われ、衰退傾向にあります。

シネコンが映画の発展に大きく寄与する存在であると共に、消費者にとっても便利なものであることはまず間違いありません。
シネコンには集客や採算性の問題をクリアしてもらった上で、今後も少なからぬ映画ファン達に数多くの映画を提供し続けてもらいたいものですね。

ページ移動

  • ページ
  • 1
  • 2

ユーティリティ

2024年11月

- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

ページ

  • ページが登録されていません。

ユーザー

新着画像

新着トラックバック

Re:デスクトップパソコンの買い換え戦略 ハードウェア編
2024/11/19 from ヘッドレスト モニター 取り付け
Re:映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」感想
2014/11/27 from 黄昏のシネマハウス
Re:映画「プリンセストヨトミ」感想
2014/10/22 from とつぜんブログ
Re:映画「ひみつのアッコちゃん」感想
2014/10/19 from cinema-days 映画な日々
Re:映画「崖っぷちの男」感想
2014/10/13 from ピロEK脱オタ宣言!…ただし長期計画

Feed