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カテゴリー「社会経済」の検索結果は以下のとおりです。

福井県おおい町議会が大飯原発再稼働への同意を決議

関西電力大飯原発の再稼働問題で、福井県おおい町議会が再稼働に同意する決議を下しました↓

http://www.asahi.com/national/update/0514/OSK201205140063.html
>  福井県おおい町議会は14日の全員協議会で、関西電力大飯原発3、4号機の再稼働に同意することを議長と病欠者を除く11対1の賛成多数で決めた。午後に時岡忍町長に伝える。
>
>  町議会は、東京電力福島第一原発事故を受けた安全対策、町民説明会などで出た住民の意見などを検証していた。
>
>  時岡町長は町議会の意向や福井県原子力安全専門委員会の結論などを見極め、週末にも西川一誠知事に同意の意思を伝える。

これで、原発再稼働の大きなハードルと言われていた「地元の同意」が得られたことになります。
ヒステリックな反原発の「空気」で、夏や冬に向けて電力不足や電気料金値上げの不安が現実化する中、ここで再稼働に向けての一歩が進められたのは朗報と言えます。
代替えエネルギーの確立もなしに脱原発や節電を推進するなど、戦前の「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」の世界でしかないのですし。
あとは、去年の浜岡原発やストレステスト等で見られたような「第二のカンガンス」が出ないことを祈るのみですが、さてどうなりますかねぇ。
去年の九州電力における玄海原発再稼働問題の際も、せっかく再稼働に必要な地元の同意が一旦は得られたにもかかわらず、カンガンスの余計な人気取りパフォーマンスが原因で水泡に帰したのですし。
アレの二の舞は勘弁してもらいたいところではあるのですけど……。

日本国内の全原発が42年ぶりに全停止

日本で稼動していた最後の原発である北海道の泊原発3号機が定期検査に入り、実に42年ぶりとなる原発全停止が実現する運びとなりました。
ついに来るべきものが来てしまった、という感がありますね↓

http://megalodon.jp/2012-0506-1932-07/sankei.jp.msn.com/economy/news/120505/biz12050523280013-n1.htm
>  北海道電力は5日深夜、定期検査のため泊原発3号機(北海道泊村)の運転を停止した。国内の商業用原発50基でほかに稼働している原発はなく、昭和45年以来、42年ぶりに国内の稼働原発がゼロとなる異例の事態となった。原発稼働停止による電力不足を回避するめどはたっておらず、家庭や企業は一段の節電を求められる。
>
>  泊原発3号機の停止作業は午後5時から行われた。原子炉の出力は89万キロワットから、ほぼ1時間に30%の割合で低下。午後11時ごろには出力ゼロとなった。6日未明には原子炉が完全停止し、「冷温停止」状態に移行する。検査期間は71日間を予定しているが、再稼働にはストレステスト(耐性検査)や地元了解が必要なため、停止期間は「未定」としている。
>
>  政府の需給検証委員会によると、
原発を再稼働できないまま平成22年並みの猛暑となった場合、沖縄を除く日本全体で0・4%の電力不足になると試算。不足率は、北海道電管内で3・1%、原発依存度が高い関西電力管内では16・3%に達する見通しで、今夏の電力需給は極めて厳しい状況に陥る。
>
>  電気事業連合会の八木誠会長(関西電力社長)は5日、原発すべてが停止したことを受け、「日本は化石燃料に過度に依存しないエネルギー構成が大切。立地地域をはじめ広く社会の信頼回復に努め、できる限り早く(原発が)再稼働できるよう最大限の努力を続ける」とコメントした。

原発が停まっても安全性は何ひとつ改善されず、またエネルギー供給の問題をどうするかなど問題が山積しているのですが、原発アレルギーな人達にとってそんな問題は他人事でしかないのでしょうね。
「やっと原発が停まった、良かった良かった」で思考停止しているでしょうし(苦笑)。
原発を停めずに稼動させ続ければ事故の危険性を言い立てまくり、停止して停電しなければ「原発は要らない」、停電すれば「電力会社は何をしているんだ」……。
「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」ならぬ「反原発は気楽な運動ときたもんだ」と言いたくなるような状況ですね。
何をやっても自身の発言責任を顧みる必要がなく、自分こそが絶対正義という立場でもって、電力会社がどう動こうと電力会社を絶対悪のごとく好き勝手に攻め立てることができるのですから。
東日本大震災前まではほとんど「死に体」状態だったというのに今日の状況を迎えられて、反原発運動の面々は笑いが止まらないことでしょうね。
実際には、「安全性を確認した上で原発を再稼動して欲しい」という人は意外に多いのではないかと思えてならないのですけどねぇ(-_-;;)。

人里に出現したヒグマの射殺に苦情殺到

北海道札幌市で北海道猟友会が射殺したヒグマがニュースで報じられた結果、札幌市役所に「何故ヒグマを殺した!」という苦情電話が相次いだのだそうです。
これを受けて札幌市では、これからはヒグマを殺さず、山に追い返す方法を模索するとのこと↓

http://megalodon.jp/2012-0424-2314-46/www.j-cast.com/2012/04/23130005.html?p=all
>  札幌市の民家近くに2、3歳と思われるオスのヒグマが一頭出現し、北海道猟友会のハンターが猟銃で駆除した。この様子がテレビのニュースで流れたことがきっかけで、札幌市役所には100件を超える電話が入り、その大半は「なぜ殺した!」という苦情だった。
>
>  札幌市役所では、本州に生息するツキノワグマに比べてヒグマは比較にならないほど巨大で凶暴なため駆除してきたが、これからは山に追い返すなど別の対策を検討しなくてはいけない、と頭を抱えている。
>
>  泣きながら訴える女性など100件以上の電話
>
>  駆除されたヒグマは体長が135センチ、体重が120キロほどだった。
2012年4月19日、里に降りてきたことが確認され、翌20日の午前6時ごろには民家から約20メートル離れた林の中にいた。人を怖がる様子はなく、このままでは住宅街に進入する心配があると判断し射殺した。この日、近隣の小学校では子供に親が付き添って登校させる姿が目立った。
>
>  ヒグマが射殺される様子を20日に複数のニュース番組が放送したところ、直後から札幌市役所の電話が鳴り続けた。環境局みどりの推進課だけでこの日60件近くあり、これまでに100件を超えているという。メディアからの問い合わせを除くと全てが苦情で、
>
> 「なんで殺したんだ!」「山に返せばいいだけなのに」
>
> といったものに加え、
>
> 「何も悪いことをしていない若いクマなのに・・・」
>
> と電話口で泣く女性もいたという。
全ての内容を細かく調べてはいないが、苦情は札幌市内からのものではなかったようだ、とみどりの推進課では話している。
>
> 北海道でヒグマを前年度785頭駆除
>
>  みどりの推進課によれば、ヒグマは大きいものになると体長が3メートル、500キロもあり非常に凶暴だ。小熊であったとしても人を恐れない場合はやがて大きな被害をもたらす可能性があるため射殺してきた、という。しかし、
今回のニュース映像がショッキングに受け止められ、苦情が多数寄せられた。これからはすぐに殺したりはせず、山に追い返すにはどうしたらいいのかなどの検討を始めているという。
>
>  北海道警察の調べによれば、2011年度の北海道でのヒグマの捕獲数は785頭で、調査を始めた55年度以降3番目に多い数字となった。目撃数は1240頭だった。
>
>  里に降りてきたクマの捕獲については、ニュースが流れるたびにネットで論争が起こる。以前は「可愛いから熊を殺さないでほしい」という意見も多かったが、今回の札幌に関しては「やむをえない」がネットでは主流になっている。

街中にヒグマが現れ、人に害を及ぼすかもしれないという状況では、ヒグマの射殺もやむをえない正当な行為としか評しようがないでしょう。
北海道は、ヒグマの獣害のために無人となった開拓民達の集落があるほどに、昔からヒグマの害が少なくない地域なのです。
行政側にしてみれば、市民の安全を守る義務があるのですし、ヒグマを放置して万が一にも人に害が及んだとなれば、謝罪だの賠償だのと責任を追及されるのは確実なのですから。
またヒグマは、そこに美味しい獲物や食料があると分かれば、何度追い払ってもまたすぐに同じ場所に繰り返しやってくるという習性を持っていますので、「山に追い返す」という対策は、その場その場の応急措置以上の効果を持ちえないのです。
さらに、何度も同じヒグマの対処を強いられるのでは、そのための手間と費用もかなりのものとならざるをえませんし、それは全て行政側が負担しなければならないのです。
獣害をまき散らす可能性の高いヒグマに対する対処法としては、やはり「その場で撃ち殺す」に勝る選択肢はないわけです。

にもかかわらず、そのヒグマの射殺を「可哀想」「殺すなんて」と非難する人達は、ペットと同じ感覚でヒグマを見ていたりするのでしょうかね?
犬や猫だって、人間側に経済的・社会的な余裕があるからこそ飼っていられるのであって、数が増えすぎたり凶暴化したりして人間に害を及ぼすとなれば、やはり「殺すのもやむなし」という結論に辿りつかざるをえないのですが。
動物愛護の精神も結構なことですが、それもまずは人間の安全と余裕があってこそのものです。
今回の問題は、動物愛護の精神が酷く歪んだ形で噴出したものであると言えるのではないでしょうか。
まあ、苦情を言っている人たちの中には、グリーンピースやシーシェパードのような、環境問題や動物保護問題を「パフォーマンス&金儲けのビジネス」程度にしか考えていない自称環境保護団体のテロ集団に属する輩もいたりはするのでしょうけどね。

日本社会に蔓延る「空気」の問題と対処法

よく日本社会では、口頭や文書などで命令されたりしていないにもかかわらず、自分の意思に反して半ば雰囲気的に非合理的な愚行への従属を余儀なくされてしまう事例が多々あります。
日本でこれまで生活したことのある人であれば、誰もが一度は「和を乱すな」「空気を読め」と言ったOR言われたことがあるのではないでしょうか?
しかし、この「空気」という概念は、自由な議論を問答無用で封殺し、責任回避の温床にもなっているという点で、社会に害悪しかもたらさないシロモノにしかなっていないんですよね。

「空気」の問題は何も最近になって突然発生したものではなく、戦前の時代には既に存在が確認されていました。
戦前の日本は、朝日新聞をはじめとする大手マスコミが煽りたてた「鬼畜米英」「進め一億火の玉」的な「空気」が世論を支配していましたし、映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-」でもその様相がはっきりと描かれています。
戦前の軍国主義についてよく言われる「軍部が暴走して戦争への道を突き進んだ」というのも、実は世論という名の「空気」がそれを支持していたからこそ実現しえたものだったわけです。
また「戦艦大和の沖縄特攻作戦」などは、実行すれば確実に失敗することがあらゆる資料やデータなどから明らかだったにもかかわらず、「当時の空気ではああするしかなかった」として実施せざるをえなかったと、当時の軍関係者が証言していたという話があったりします。
「空気」などに従っても何も良いことはない、それどころか身の破滅に陥る危険性すらあることは、戦前・戦時中における愚劣な政策・作戦の数々が「空気」の名の下に問答無用で実施され、無用な損害と犠牲を出してきたことを振り返っても一目瞭然でしょう。
「空気」の危険性は、既に戦前の昔から警告されていたわけです。

比較的最近における悪しき「空気」の実例としては、2009年8月の衆議院総選挙、およびその前の自民党バッシングが筆頭的なものとして挙げられるでしょう。
当時の日本では、たかだか政治家がカップラーメンの値段や漢字の読みを間違えた程度のことで、汚職事件にも匹敵する一大スキャンダルであるかのごとく騒ぎ立てられ、政治面での実績など何も顧みられることなく「自民はダメだ! 民主党に政権交代を!」などと呼号される始末でした。
挙句、民主党が政権を取ったらどうなるかについて、いくつもの実例を元に当時から警告も行われていたにもかかわらず、「民主党に投票するのは当然のこと」という「空気」がそれらを全て押し潰して政権交代を実現させてしまいました。
その結果が今日の惨状であることは今更言うまでもありますまい。

また、2011年3月11日に発生した東日本大震災では、「震災自粛」と「反原発」という名の「空気」が醸成されました。
「被災者に配慮する」という大義名分の下、震災被害とは全く関係のない地域で異常なまでに蔓延した震災自粛という「空気」は、そのために倒産する企業まで出るほど猖獗を極め、悪戯に日本経済を痛めつけ却って震災復興を遅らせてしまうありさまでした。
今から考えると、あのバカ騒ぎは一体何だったのかとすら言いたくもなってしまいますね。
そして震災直後に発生した福島第一原発事故に端を発した「反原発」という「空気」は、原発再稼働問題をこれまた悪戯に拗らせ、今なお日本社会に電力供給面での不安と抱え込ませると共に経済への悪影響を与え続けるに至っています。

戦前の軍国主義・民主党による政権交代・震災自粛・反原発…。
その存在によってこれだけの愚行が何度も執拗に展開されるのに、未だに日本社会では肯定的に扱われている「空気」。
このような珍現象が発生するのは一体何故なのでしょうか?

「空気」の弊害は誰もが感じているところでしょうが、一方で、誰もが利益や恩恵を受けないような社会システムが存続などするわけがありません。
となると、実は「空気」にも万人に受け入れられるだけの利益や恩恵が存在する、ということになります。
それは普通であれば、金銭や社会的インフラ・領土・有形財産などの「誰もが目に見える形での分かりやすいものになるはずですが、「空気」の場合は全然違うんですよね。
「空気」があることで得られる利益を突き詰めていくと、その最たるものは「責任の所在が曖昧になる」「責任回避・免罪が受けられる」という点に行き着いてしまうんですよね。
記憶や記録として残る口頭や文書で他人に命令しているわけではないため、言質を取られる心配が一切ない。
あとで「何故あんな愚行をやらかしたんだ」と問われても「あの当時の空気ではああするしかなかった、俺が悪いんじゃない」と自己の責任を回避できる。
結果、誰ひとりとして責任を取ることなく全員が免責されるか、「みんなが平等に悪い」「みんなで責任を取ろう」などという結論に終始することになる。
これが「空気」によって得られる利益と恩恵なのです。
理論的に言えば、「空気」を煽りたてた人間と、それを無条件に信じ込んで迎合した人間は、当然のごとく相応の責任を問われる必要があるはずなのですが、日本ではそれすらもロクに行われることがありませんからねぇ。
つまり「空気」というのは、その扇動者と大衆迎合主義者にとって大変に都合の良い概念である、というわけです。
戦前の軍国主義的な「空気」を煽り、かつて自社がやらかしたサンゴ捏造報道事件のシンボルである「KY」という言葉に「空気を読め」などという新たな造語を付与してのけた朝日新聞社などは、まさにその典型例でしょう(笑)。
戦前の報道に関する朝日の弁明も、まんま「あの当時の空気では…」の論理を地で行くシロモノでしかないですし。
「空気」の存在を誰よりも欲しているのは、昔から「空気」の煽り手だった大手マスコミなのではないかと。
そんな連中のために存続されている「空気」という社会概念は、一刻も早くこの世から消し去った方が良いのではないかと思えてならないのですけどねぇ。

では、そんな「空気」を打破するには一体どのような方法を取れば良いのか?
最初に行うべきは、やはり何と言っても客観的かつ実証性に満ちたデータを元に、「空気」を論破できるだけの強力な理論を作り上げること。
これが最初にできないと、そもそも「空気」のどこが問題であるのかを明示することもできないのですから、ある意味当然の方策でしょう。
また、そういった理論を自前で用意すること自体が「自分で考えて行動する」ことの証明にもなります。
しかし、ただ理論を用意するだけでは「空気」の流れに抗うことはできません。
相手は数を頼みに問答無用で迫ってくるのが常なのですから、ただ正論を振りかざすだけでは、これまでの事例が明らかなように数で押し潰されるだけでしかありません。
そこで、その正論を公の場で大々的に宣伝する場と、理論の正しさを他者に評価してもらう場が必要となります。
前者は後者も兼ねている場合がありますが、後者は前者だけでなく「議論をする場」なども含みます。
ここで重要なのは、宣伝や議論の際には常に第三者の目を意識し、彼らに「『空気』よりもこちらの方に理がある」と評価してもらうことです。
特に議論の場合は、議論相手をいくら追いつめても論点そらしや開き直り、さらには諸々の圧力(暴力行為や脅迫、個人情報の流布など)などで逃げられる可能性が大ですから、むしろそのような無様な姿を第三者の目に晒させる方がはるかに効果的です。
尊敬・崇拝する相手がどんな愚行をやらかしても敬意の念を抱き続ける、などという「信者」的な人間なんてそうそういるものでもないですし、たまにいたとしても笑いのネタにしかならないのですから。

ただ実際には、そこまでやってもなお「空気」を覆せないことの方が圧倒的に多かったりします。
先に紹介した4つの事例でも、結局非合理的な「空気」が合理的な正論を押し潰している現実が存在するわけですから。
「空気」側もなかなかに狡猾なもので、自分にとって脅威となるであろう理論には「絶対悪」のレッテルを貼って人格的に貶めたり、全体から見ればどうでも良い部分をことさら論って挙げ足取りに走ったり、最初から「あんな奴は相手にしない」と上から目線で無視を決め込んだり、さらには有形無形の政治的・経済的圧力をかけて社会的どころか非合法的かつ物理的に相手を葬ってしまったりすることすらも珍しくなかったりします。
たとえ相手に理があると考えても、そこから「空気」に逆らうためには、自分の選択の正しさを信じ、かつ周囲の圧力に抗しえるだけの強い精神が必要となります。
それは大多数の一般人にはなかなか難しいことですし、ましてや、そのことで人的・物的な被害まで発生しかねないとなればなおのことでしょう。

ならば、そういった事情を勘案した上で、より安全確実に「空気」に逆らうにはどうすれば良いのか?
それは、「当時の『空気』の実態およびそれに基づく発言を全て記録し公開すること」これに尽きます。
当時の「空気」の中で、誰がどんな発言をし、どんな行動に出ていたのか、その事実を全て記録し尽くすのです。
そうすれば「空気」が変わり、そいつが変節をしようとした時、その記録を突きつけて責任を問うことが可能となります。
独自の正論も持たず、「空気」だけを担保に好き勝手やっているような人間は、「空気」が変わった途端にそれまでの主張を簡単に翻してしまいます。
しかし、過去の記録があればそういうことも簡単には行えなくなりますし、周囲も「お前はかつて正反対なことを述べていたじゃないか」と警戒するようになります。
もちろん、記録を突きつけられた人間も、その際にはまさに「あの当時の空気では…」などという言い訳をここぞとばかりに披露することになるでしょうが、それは「俺は空気に流されるだけの風見鶏な人間でしかない」と自ら告白するようなものですし、節操のない変節漢として信用も大きく失ってしまうことにならざるをえないでしょう。
しかも、記録する行為自体は何ら「空気」に逆らうものではありませんから、誰でも何らリスクを抱え込むことなく行うことができるわけです。
「空気」で動いている人間も、まさか「俺の言動を記録するな!」などと主張することはできないでしょうし、そんなことをしたら自分の言動に正当性がないことを自ら自白するようなものです。
また、その場の「空気」に基づいた言動が「記録」によって後から裁かれる、ということになれば、安易に「空気」によって動くことについても一定の抑止力として機能しえます。
一見迂遠な手法ではありますが、急がば回れの格言のごとく、「空気」に対抗する一番の道は結局これなのではないか、と考える次第です。

自分の意に沿わないばかりか、自身や社会にとっても害悪しかもたらさない「空気」に従わなければならない理由など、世界の果てまで探してもあろうはずがありません。
他者、特に大手マスコミが煽りたてる「空気」に対抗する術を、国民ひとりひとりが持つべき時にいいかげん来ているのではないでしょうか?

高齢者のネット利用率が増大

高齢者のネット利用が増えているそうです。
電通総研のインターネット利用に関する調査によると、何らかの形でインターネットを利用している割合は60代で57%、70代で23.3%に達しているとのこと↓

http://megalodon.jp/2012-0416-2032-16/www.j-cast.com/2012/04/11128522.html
>  電通総研は2012年4月10日、60~79歳のいわゆる「シニア層」600人を対象に、インターネット利用に関する調査結果を発表した。
>
>  
全国のシニア層で、何らかの形でインターネットを利用している割合は、60代で57.0%となり、過去3回の調査に続いて今回もアップした。70代でも23.3%に達したという。特に100万人以上の大都市圏でシニア層のネット利用率が高い傾向にあり、60代で70.2%、70代でも26.3%といずれも全国平均を上回った。

今のこの情報化社会の中で若年層のネット利用はさして珍しくもないでしょうが、高齢者でこの利用率は意外もいいところですね。
高齢者のネット利用については「技術の習得が難しい」という問題が少なからず横たわっているはずなのですが、それでもなおネット利用率が着実に上がっている実態は驚きです。
まあ、個人でブログを開設するだけならば、さして難しい知識も技能も必要なくレンタルでも簡単に行えますし、ブラインドタッチ程度であれば比較的簡単に身につけられるものではあるのですが。
そのレベルであれば、技術を習得するというよりは「慣れ」の問題でもありますし。
現時点でもそこまでネット利用率が高くなっているのであれば、今後年月が経過して現在のネット層が高齢になるにつれて、さらに高齢者のネット利用率は上がることになるでしょうし、この流れはもはや覆すことはできないのではないかと。

ところで我らが田中芳樹御大も、今年で60歳、かつ高齢者でも特にネット利用者の多い大都市圏在住でもあるはずなのですが、それでネット利用を忌避するというのはどうにも理解に苦しむものがありますね。
社長氏などは以前、「キーボードに習熟するヒマがあるのならば、1文字でも多く原稿を書いて欲しいですし」などとのたまっていましたが、どうせ今の田中芳樹はロクに仕事してなどいないではありませんか(爆)。
他ならぬ社長氏自身、かつてこんなツイートを残しているわけですし↓

http://twitter.com/adachi_hiro/status/64824234060423168
<田中芳樹さんいわく、「作家というのは、人が休んでいるときにも仕事をしているのだ」。全国いやいや、あなたの場合、人が働いているときに休んでいるほうが多いでしょう。まあ、連休明けの9日が締切なので、今回の大型連休は真面目に執筆していると思いますが。そう信じますが。>

「2年に1冊の新刊刊行」などという今の田中芳樹の執筆ペースでは、パソコンを学ぶ時間を勘案してさえお釣りがくるくらいでしょう。
パソコンや携帯端末を使って文章を作っていけるようになれば、確かに一時的には時間がかかっても、手書きよりもはるかに少ない手間と時間で文章が書けるようになるのですから、結果的には今よりも作品を完成させることもできるようになるはずなのですが。
田中芳樹の姉もネットをやっているみたいですし、その弟ができないわけもないでしょうに。
ここまでネットや情報端末を積極的に拒絶する様を見ていると、田中芳樹にはその手のデジタル情報端末に手を出したくない理由なりトラウマなりが存在するのではないかと、ついつい思えてならないところなのですが。

原発再稼動問題における「お前が原発に行け」論の破綻

原発11基を抱える関西電力が、大飯原発3、4号機の再稼働が認められた場合でも、今年の夏に節電要請を行う方針であることを明らかにしました。

http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201204100073.html
>  関西電力は10日、今夏も管内で節電を要請する方針を明らかにした。現在停止中の大飯原発の3、4号機が再稼働した場合でも、今夏の電力不足は避けられないとの考えからだ。関電は昨夏も前年比で15%の、今冬も同10%以上の節電をそれぞれ要請していた。
>
>  同日、大阪府市の「エネルギー戦略会議」に出席した関電の岩根茂樹副社長は記者団に対し、「基本的にいまの段階の(電力)需給で見れば、節電要請をしないケースはほとんどない」と指摘。
「仮に(大飯3、4号機が)稼働してもそういうことになる」と述べた。(溝呂木佐季)

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/environment/555680/
>  藤村修官房長官は10日の閣議後の記者会見で、関西電力大飯原発が再稼働せず、電力が不足する場合、「節電をお願いすることになるが、非常に厳しい状況ではないか」と述べ、計画的な節電を要請するとの見通しを示した。
>
>  
関電の岩根茂樹副社長も同日、今夏の電力需給について「今の段階で見れば節電要請をしないケースはほとんどない」と述べ、節電要請に踏み切る可能性を示唆した。大阪府市統合本部のエネルギー戦略会議に出席後、記者団に答えた。
>
>  政府は9日、
原発が再稼働せずに2010年並みの猛暑となった場合に関電管内で今夏、19.6%の電力不足となるとの電力需給見通しを示した。官房長官は「大変な数字」とした上で「供給が本当にもうないのか、節電でまだできるのではないかということを詰めなくてはいけない」と指摘した。

元々、かろうじて原発が稼働していた去年よりも、管内の原発が全て停止した今年の方がむしろ状況は悪化しているのですから、節電要請もある意味当然の帰結でしかないでしょう。
こんなことは、原発が次々と停止を余儀なくされてきた去年の段階から既に予測されていたことでしかないのですが、そのような事態に電力会社を追い込んだ反原発という名の宗教団体は、この期に及んでも「原発再稼働反対! 電力も足りているのだから節電にも反対!」と絶叫しまくるのでしょうね。
原発なき電力供給が電力会社にとって如何に大きな負担となるのか、それが回り回って結局国民の負担になることを、相変わらず理解する気配も全くありませんし、そればかりか、目先の原発停止にすら満足せず「全原発の廃炉に向けてひたすら邁進しなければならない」などという、戦前の一億総玉砕レベルの精神論的スローガンすら堂々と掲げる始末なのですから。
よほどの原発アレルギーなのか、それとも何もかも承知の上で「日本の経済的衰退」を待望して確信犯で述べているのか、いずれにしても傍迷惑な話でしかないのですが。

そんな反原発原理主義者が、原発再稼働を主張・容認する人達に対して、まるで何かのテンプレートであるかのごとく何度も使い回される主張があります。
それは「そんなに原発を動かしたいのであれば、言い出しっぺのお前が原発のすぐ近くに住んでみろ」というもの。
タナウツではもはやお馴染みの「お前が戦争に行け」論の原発バージョンといったところですね。
というか、当の田中芳樹御大からして、まさにそういう主張を開陳していた過去がありますし↓

創竜伝4巻 P38下段~P39上段
<一九八九年、日本の科学技術庁は、「原子力発電反対運動に対抗するための宣伝工作費用」として、10億円という巨額の予算を獲得した。これは前年度予算の五倍である。つまり、「原子力発電は安全である」ということを新聞、雑誌、TVで宣伝するわけで、協力してくれる文化人には多額の報酬が支払われる。一部の文化人にとって、原発賛成はいい商売になるのだ。
 なお、電力会社によっては、女子社員を原子炉近くの管理区域まで行かせて、原子力発電の安全性をPRすることがある。こういうのを、昔からの日本語で「猿芝居」という。上役の命令にさからえない弱い立場の社員に、そんなことをさせるのは卑劣というものだ。
電力会社の社員が、原子力発電所の敷地内に社宅を建てて、家族といっしょにそこに住みついたら、「原子力発電所は危険だ」などという者は、ひとりもいなくなるだろう。何億円も宣伝費をかけるよりも、よほど説得力があるというものである。できないのは不思議だ。彼らは「日本の原子力発電所は絶対に安全だ」と主張しているのだから、そのていどのことができないはずはない。もっと辛辣に、「東京の都心部に原発をたてたらどうだ、絶対安全なのなら」と主張する人もいるのだから。>

しかし、この論理の元祖たる「お前が戦争に行け」論からして破綻が明らかなのに、その改変バージョンでしかない「お前が原発に行け」論が成り立つわけもありません。
そもそも、原発再稼働を掲げる人達だって、別に「原発は100%安全だ!」と述べているわけではなく、安全対策について万全を期すよう主張する人がほとんどでしょう。
その上で「原発を再稼働しないと経済に悪影響がある」と言っているのですから、それに対して反論するのであれば、「原発がなくても【経済的に】やっていける」というものでなくては本来ならないはずです。
よって、この時点で「お前が原発に行け」論は単なる論点そらしにしかなっておらず、何ら反論になっていないのです。
そしてもうひとつ問題なのは、反原発が結局のところ国民に負担をかけることを強要するスローガンになっていることです。
原発再稼働の本質は経済問題、ひいては国民生活に直結する事案でもあるのに、それを無視して反原発を押しつける行為は、結果として「国民に不自由を強要する」ということにならざるをえないのですから。
そうなると、実は原発再稼働側の人間こそが「そんなに原発再稼働に反対するのならば、自分達から率先して電気を使った生活を捨ててくれ」「原発が停止した分の経済的損失を全額補填してくれ」という主張を、逆に反原発派に対して主張できてしまうわけです。
もちろん、そう主張されれば反原発派の人達はこう反論せざるをえないでしょう。
「主張の正しさと行動には何の相関関係もない」
「電力会社を批判する際には、電力会社の電気を使ってはいけないとでも言うのか!?」
と。
もちろん、その反論は全くもって正しいのですが、しかしそれならば、反原発派が展開している「お前が原発に行け」論もまた同じ論理で反論できるものでしかないんですよね。
戦争や原発に限らず、ちょっと視点と角度を変えてしまえば何にでも適用できてしまう「お前が○○に行け」論は、結局あまり意味がない論理でしかないということです。

しかし、この手の論理を主張する人達は、その矛盾に全く気づかないのか「自分達だけは特別」とでも考えているのでしょうかねぇ。
田中芳樹御大なんて、銀英伝の頃から既に30年近くも同じ論理を使い回し続けているのですし。
自分達自身に「お前が○○に行け」論が跳ね返されてきた時、彼らは一体どのような反応を見せることになるのでしょうか?

「テレビが売れない理由」から目を背けた次世代薄型テレビの販売戦略

ソニーが、「4K」と呼ばれるフルハイビジョンの4倍以上もの画像解像度を誇る次世代薄型テレビを発売すると発表しました。
映画館のスクリーンのような迫力ある画像を家庭で気軽に楽しめるようにするのが売りなのだとか↓

http://www.47news.jp/CN/201204/CN2012040501001595.html
>  ソニーは5日、フルハイビジョンの4倍を超える画像解像度を持つ「4K」と呼ばれる規格を採用した次世代薄型テレビを発売する方針を明らかにした。映画館のスクリーンのような鮮明で迫力のある画像を、家庭で気軽に楽しめるようにする。発売は数年内とみられる。当初は現行の液晶テレビと比べて高額に設定する見通しだ。
>
>  ソニーは12年3月期で8年連続の赤字見通しとなっているテレビ事業の立て直しが課題となっており、4K対応製品を事業再建に向けた柱の一つと位置付ける。

しかし正直言って、今のテレビ番組にマトモなコンテンツがない中で、これが売れるとはとても思えないのですけどねぇ。
低質かつ金太郎飴のごとく画一的なバラエティ番組ばかりと化しているテレビ番組などの画像がいくら高画質になったところで、低質な内容が改善するというわけでは当然ないのですし、はっきり言ってしまえばたかだか「高画質な画像【だけ】」のために、たとえ次世代とはいえわざわざ高いTVを買う人間は圧倒的少数派でしょう。
ただでさえ、昨今のTVは30インチ以上でも10万円以下の価格帯にまで下がっていますから、普通にそれだけで満足な家庭も少なくないでしょうし。
テレビが売れない理由は、ハードではなくソフト・コンテンツにその大部分の原因が求められるわけなのですから、ハード面をいくら売りにしても客は戻ってこないのではないかと。

携帯電話のワンセグですら「ほとんど使われない機能」と化している現実があるのに、本当の原因を直視することなくハード面を極めても意味がないということが、家電メーカーには理解できないのでしょうかねぇ……。

「空飛ぶ自動車」による初の試験飛行

ファイル 588-1.jpgファイル 588-2.jpg

空を飛ぶことができる自動車による初の試験飛行が行われたとのことです。
「空飛ぶ自動車」を開発したアメリカの「Terrafugia」社の発表によれば、飛行時間8分・高度約430mに到達したのだそうで。
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」の世界にまた一歩近づいた、といったところでしょうか↓

http://megalodon.jp/2012-0405-0001-42/photo.sankei.jp.msn.com/kodawari/data/2012/04/0403transition/
>  自家用機で気持ちよく大空を飛んだ後は、車に変身させて道路を走り、自宅に着いたら車庫に〝格納〟。そんな夢を乗せた〝空飛ぶ自動車〟が3月23日、ニューヨークのプラッツバーグ国際空港で、初の試験飛行を行った。開発した米「Terrafugia」社によると、飛行時間は8分で 高度は約430mに達したという。
>
>  「Transition」と名付けられた〝空飛ぶ自動車〟が使用するのは無鉛ガソリン。4輪で、2つの座席がある。
>
>  同社は、試験飛行の成功により来年中の発売へ向け大きく前進したとしている。試作機は4日から始まるニューヨーク国際自動車ショーに展示される予定だ。
>
>  
販売価格は27万9000ドル(約2400万円)となる見込み。これを高いとみるのか安いとみるのか? 意見の分かれるところではあるが、いずれにしても、車を運転する感覚で空を飛べる時代が、すぐそこまできていることは間違いなさそうだ。

やはりお値段はかなり高めになってしまうようですが、それでも買う人はいそうではありますね。
ただこの「空飛ぶ自動車」は、飛行に際して滑走路を必要とするのだそうで、それだと当面の間は、人口希薄な平原や農地等が広がっているような特定地域限定のクルマになりそうではありますね。
特に日本のような人口密集地帯が多く山岳も少なくない土地柄では、飛行に必要な滑走路の確保も難しいものがあるでしょう。
いざという時には飛行機の滑走路として使えるよう設計されているドイツのアウトバーンなどでは、意外な使用用途ができることになりそうではあるのですが、カーブがやたらと多い日本の高速道路ではそれも厳しいものがありますし。
垂直離着陸ができれば、もう少し違ってくるのでしょうけどねぇ(-_-;;)。

ただ、仮に「空飛ぶ自動車」に纏わる色々な課題が解消して一般に普及するようになったとしても、今度は安全性や運用面などの問題から、色々と法整備で規制されることになりそうな気はしますね。
特に市街地での飛行などは放置していたら危険なことは分かりきっているわけですし、免許制度をどうするのかという問題も出てきます。
現状でも、騒音や事故の問題などがあるラジコン飛行機などは、周囲への影響への配慮などから、人の多い場所では飛ばさないような措置が取られているところが少なくないのですから。
「空飛ぶ自動車」が市販され一般に普及するようになれば、移動手段の利便性が飛躍的に向上する反面、空での事故の多発や、2001年のアメリカ同時多発テロのようなことが「より手軽に」やりやすくなるなどのリスクも出てきます。
「空飛ぶ自動車」が大きな可能性を持つことは間違いないでしょうが、それ故に様々な社会問題が色々と頻出してくるであろうことも確実で、なかなかに各国の為政者達の頭を悩ませることになりそうではありますね。

東京電力の電気料金値上げ問題について

東京電力による電気料金値上げと、それに伴う強圧的な態度が話題になっています。
TVのワイドショーではこれをネタにこんな放送が流れたのだそうで↓

http://megalodon.jp/2012-0328-2153-29/www.j-cast.com/tv/2012/03/28126860.html?p=all
>  東京電力はきのう27日(2012年)に企業向けの料金値上げについて会見し、「新しい料金に賛同いただけないと契約が成り立たず、電気をお届けすることがむずかしくなる」と、言葉は丁寧ながら、脅しをかけた。料金値上げは契約更新までは拒否できるが、値上げ通知に明記せず、「連絡がなければ了解」と見なして4月1日からの実施をもくろんでいた。東電はこの「だましうち」を認めたが、「契約切れから50日経ったら電気を止める。4月1日からだと最短で5月22日になります」と開き直った。
>
>  早ければ5月22日からストップ
>
>  東電によると、これまでに値上げに同意したのは、約23万7000件の契約者のうち約3万件(13%)にとどまっている。電気停止の脅しはこの低い数字に対するけん制というわけだ。
>
>  猪瀬直樹・東京都副知事は「われわれがいないと困るでしょと、独占にあぐらをかいた意識が残っている。だから『止めるぞ』と言える。自らリストラはしないで、こちらが指摘すると『ああそうですか』と動く」と話す。
>
>  東京・大田区の工場主は「みんな反対したら、みんな止まるんだろうか」という。届いた通知に「了承いただけない場合は、3月30日までにご連絡を」とあったが、電話が殺到したのだろう、今週ようやくつながって、「納得いかない」と言ったら「他から買っていただきたい」と告げられたそうだ。
>
>  司会の小倉智昭
「今回はあんたたちのせいでしょといいたい。普通、消費者には選択の自由があるが、電力に関してはそれがない。『嫌なら他で』と言ったって代わりがないんだから」
>
>  高木美保(タレント)
「なんでこんな不快で横暴な物言いをするんだろう、大企業なのに。競争入札にするとかコストダウンはできるはずで、何兆円という数字もある。それをやってからお願い、それも頭を下げていうものでしょ」
>
>  みんなで拒否すれば怖くない?
>  1月の発表では「値上げは義務であり権利である」と言ってたっけ。笠井信輔アナが数字を出した。4月1日から値上げになる企業が約5万件あるが、5月22日にはこのうち4万6700件で電気が止まる可能性がある。翌4月2日からだと15万事業所に及ぶという。
>
>  小倉「そんなことやったら日本経済がストップする」
>
>  デーブ・スペクター(プロヂューサー)「お終いですね」
>
>  笠井「のむしかないのか、契約者の方は…」
>
>  小倉「電気は1社だからね」
>
>  デーブ「いや、公共性が高いから、行政が介入もできなくはないと思う」
>
>  笠井「たとえば、自治体がみんな拒否すると、国も動かざるをいえない」といってから気がついた。「こんなことを私が言ってははいけないが…」
>
>  小倉
「いちばん腹が立つのは、東電は今回の事故は地震や津波のせいだ、私たちのせいじゃないというのが見え隠れすること。隣の女川原発がなぜ助かったかというと、かつて東北電力の副社長が周囲を押し切って津波対策をとったため。それをやらないで、なんで東電はあんな態度がとれるのか」
>
>  全企業が不買同盟でもするか。

原発事故はともかく、電気料金値上げの最大の原因は、原発が停まったことに拠るところが大きく、むしろ「反原発」を煽った弊害でもあるのですけどね。
原発を停めれば電気料金の値上げは避けられない。
そんなことは福島第一原発事故の直後から既に言われ続けてきたことです。
電気料金値上げは、原発を停めて火力電力の代替に伴う燃料代が高騰したことを受けての当然の結果なのであって、元から原発を動かして欲しいと主張してきた人達はともかく、すくなくとも「反原発」を自負する人達がこれに反対するのは論外な話と言わざるをえないところですね。
こと電気料金値上げについては、東京電力のみならず全ての電力会社が「反原発」によって追い詰められた側面も多々あるのですから。
私がTwitterで原発再稼動問題について議論した際にも、「原発が停められるのならば電気料金が値上げされても構わない」と述べてきた方が複数人いたのですが、実際にそうなって彼らはさぞかしご満悦なことでしょうね(笑)。
まさか、この期に及んで「原発は停めろ、でも電気料金は値上げするな」などという、原発に代わる代替エネルギーもない現状でそんな御都合主義的な世迷言を主張するほど、「反原発」な方々がヤワでヘタレなシロモノだとは思いたくないところではあるのですが(苦笑)。

東京電力の居丈高な態度は確かに一般庶民の怒りを盛大に刺激するものではあるでしょうし、原発事故の責任問題から考えれば論外であろうとは私も思います。
しかし、それと電気料金値上げは全くの別問題ですし、電気料金値上げ自体は別に東京電力固有の問題などではなく、日本国内全ての電力会社について当てはまることなのです。
原発に取って代われる代替エネルギーがない今の時点では、電気料金値上げを防ぐには原発を再稼動する以外に方法がないのです。
風力や太陽光その他の自然発電では到底原発が抜けた穴を埋めきれませんし、火力発電では電力は足りても燃料費の高騰とそれに伴う電気料金値上げが避けようもないのですから。
ところが今の「反原発」は、「原発に代わる代替エネルギーを開発して最終的に脱原発に持っていく」という長期的構想すらヒステリックに反対した挙句、結果として今の惨状を招いたわけですからねぇ。
あそこまで近視眼的な発想では、本来あるべき「反原発」という最終目的にも全く合致していないのではないかと思えてならないのですけどね。

アメリカが原発建設計画再開の審議を開始

アメリカが1979年のスリーマイル原発事故以来途絶えていた原発建設計画が、アメリカ原子力規制委員会(NRC)の公聴会で審議されるとのことです。

http://megalodon.jp/2012-0210-1925-37/sankei.jp.msn.com/world/news/120210/amr12021000560000-n1.htm
>  【ワシントン=柿内公輔】米原子力規制委員会(NRC)は9日、南部ジョージア州での新規原発の建設計画について公聴会で審議する。米メディアによると、計画は承認される公算が大きく、米国で30年以上途絶えている原発の建設が再開される見通しだ。
>
>  公聴会では5人の委員が建設の是非を投票で決めるが、反対意見は少ないという。NRCはすでに昨年12月、同州ボーグル原発で採用が決まった東芝子会社の米ウェスチングハウス・エレクトリック(WH)の新型原子炉を認可している。
>
>  1979年のスリーマイル島原発事故以来凍結されている米国の原発建設について、オバマ政権は再開する方針を示していた。NRCは福島第1原発事故を受けて米国内の原発の見直しも進めたが、「同様の事故が発生する可能性は低い」とし、原発の再開も支障はないと判断した。

福島第一原発の事故後という状況を受けてなお原発を再開する辺りに、アメリカの「国としての強さ」がある、というべきなのでしょうか?
たとえ利権が絡んでいるにせよ、状況が悪く反発の声も少なくないであろうことを堂々と主張できる、というのは国としての大きな強みです。
言論弾圧や「空気」による自粛や自主規制などに左右されることなく「不愉快な正論」が口にできるということなのですからね。
それに実際問題、原発がないと火力発電の代替で環境には優しくないし燃料費は膨れ上がるしで全く良いことがありません。
2011年の日本の貿易収支が31年ぶりに赤字になったのも、その原因は原発停止に伴う火力発電の代替のために、燃料の輸入が増大したという要素が大きく響いているわけですし。
脱原発派がよく主張している「電力は足りているから原発再稼動の必要なし」という論は、経済および経済的効率という視点が見事なまでに抜け落ちているとしか評しようがないのですが。

第一、過去にも述べているように、現状で原発を停めたところで安全性は1ミリグラムたりともも保証されることがないのですからねぇ。
稼動していたにもかかわらず津波に襲われても大丈夫だった女川原発の事例もあれば、他ならぬ福島第一原発で停止中だったのに爆発した4号炉の事例もあるわけで。
この両者の事例を踏まえれば、事故対策をより充実させて安全性を高めていくことは決して不可能ではありませんし、むしろそれをこそすぐにでも実施すべきことですらあるはずでしょう。
にもかかわらず、今現在の脱&反原発運動は、代替エネルギーの商用実用化を達成した後に原発を全廃するという具体的なプランがあるわけですらなく、ただただ目先の原発停止に血道を上げているだけでしかないのです。
震災まで「死に体」と化していた脱&反原発運動を煽っている面々は、それが自身の利益になるのですからここぞとばかりに確信的に煽っているのでしょうが、それに国政や経済までもが振り回されるというのではねぇ……。
原発停止で経済が圧迫されている実態が誰の目にも明らかになっているこの期に及んでもなお原発が再稼動できないのは、何か合理的な考えがあるからではなく、そう言わないと四方八方から責めまくられるという「空気」と、「とにかく心理的な安心感(という名の錯覚)を得たい」という強迫観念に支配されているからでしかありません。
経済か脱原発かの二者択一ではなく、その両方が取れる道をどうして模索しないのでしょうか?
別に両者は対立概念でも何でもないというのに、「どちらかを捨てないとならない」と思い込んでいる人間の何と多いことか……。

震災直後に発生した無意味な「自粛」の乱発といい、原発問題といい、人を悪戯に感情的にしてしまう「空気」というのは本当に有害無益なシロモノとしか言いようがありませんね。
日本が先の大東亜戦争に突入する羽目になったのも、朝日をはじめとするマスコミが作った「空気」のなせる業だったというのに、それでも相変わらず「空気」を信奉しているとしか思えない日本の風潮って、いいかげんどうにかならないものなのでしょうか。

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