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熊本の地震情報&福岡県西方沖地震の思い出話

2010年8月29日21時31分頃、熊本県熊本市を中心に震度1~3の地震が発生しました。
震源の深さは10㎞で、マグニチュードは3.4、地震による津波の心配はなし。
地震が起こる直前、前兆となる振動音がどこからともなく聞こえ始めたので「もしや地震か?」と身構えていたら、その直後に「ドーン!」という音と共に揺れ始め、15秒ほどで収まりました。
大した地震でなくて幸いでした。

私のこれまでの人生で一番大きな地震に遭遇したのは、2005年3月20日10時53分頃に発生した福岡県西方沖地震。
当時の私は福岡に在住していた上、当日は所用で福岡市の中心地にいたため、震度5強~6弱クラスの地震に遭遇する羽目になったわけです。
あの時は私の周囲だけでも、建物の壁にヒビ割れが入ったり、携帯電話が不通になったり、西鉄が全線ストップしたりと、地震の脅威の片鱗をまざまざと感じざるをえないトラブルが頻発したものでした。
しかもその1ヶ月後の4月20日の朝には再び震度5強の余震に見舞われ、交通機関がまたしても麻痺するという事態に直面していたりします。
福岡県西方沖地震が起きるまでは、福岡をはじめとする九州北部は「地震がほとんど起こらない地域」とさえ言われていたくらいですし、あの地震ほど「大地震はいつ起こるか分からない」と痛感させられたことはなかったですね。

この福岡県西方沖地震以降、地震というものについてかなり敏感になってしまったものです。
あれ以上の揺れを感じる地震には、今後もできれば遭遇したくはないものですね。

8月13日は韓国が「アメリカから」独立した日

8月13日は韓国が「アメリカから」独立した日。
韓国の独立記念日は「光復節」と呼ばれており、公式では「8月15日に」「日本から」独立したとされていますが、これは事実に反しています。

1945年8月15日、日本のポツダム宣言受諾による終戦に伴い、当時の朝鮮総督府は朝鮮半島の統治機構の権限を現地の朝鮮人達に付与すると発表。
当時の朝鮮総督だった阿部信行陸軍大将と、朝鮮軍司令官の地位にあった上月良夫陸軍中将により、朝鮮建国準備委員会の結成が命じられ、朝鮮総督府から日の丸が下ろされ、現在の韓国国旗である太極旗が掲揚されました。
これから考えると、1945年8月15日に朝鮮人達が獲得したのは「独立」ではなく「自治権」に過ぎなかったことになります。
ところがその自治権すら、同年9月8日に連合国であるアメリカとソ連が朝鮮半島に進駐してくると、一方的に解消させられてしまいます。
当時のアメリカとソ連は、朝鮮人に統治能力を一切認めず、朝鮮半島をあくまでも「日本の一部」として扱いました。
その結果、一度掲げられたはずの太極旗は引きずり下ろされ、再び日本の日の丸が掲げられたのです。
そして翌日には、日本の朝鮮総督府とアメリカとの間で朝鮮半島の統治権移譲の事務手続きが行われ、今度はアメリカの星条旗が朝鮮総督府に掲揚されるに至りました。
その後、アメリカが朝鮮半島南半分を、ソ連が北半分をそれぞれ占領支配することになります。

韓国が「アメリカの軍政から」独立したのは、終戦から実に3年も経過した1948年8月13日。
この日に大韓民国樹立の宣布式が挙行され、韓国という国が正式に発足したのです。
しかし韓国の初代大統領である李承晩(イスンマン)およびその側近達はこの事実を歪曲し、「我々は日本の敗戦によって【日本の植民地支配】から解放された」と喧伝して国民の愛国心を煽った挙句、8月15日を「光復節」としたわけです。

独立記念日からして自分達の都合が良いように歪曲する韓国に、愚かなる菅直人の談話が言うところの「歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さ」など欠片たりとも見出すことができないのですが、こんな連中に迎合して一体何が楽しかったのでしょうか、民主党は。
第一、韓国は自分達の自治権さえも否定し「民族の尊厳」を蹂躙した挙句、軍政による占領統治を3年にもわたって行ったアメリカに対し、何故日本に対するものと同様の謝罪と賠償を要求しないのでしょうか?
こんなダブルスタンダードが存在すること自体、韓国の日本に対する悪意と敵意は一目瞭然なシロモノでしかないのですけどね。

8月12日は君が代記念日

8月12日は君が代記念日。
1893年のこの日、文部省告示「小学校祝祭日大祭儀式規定」が公布され、小学校の祝日・大祭日の唱歌に「君が代」「一月一日」「紀元節」等の8曲が定められました。

明治以来、「君が代」は日本の国歌であると慣習的に定められており、1999年には「国旗及び国歌に関する法律(通称「国旗国歌法」)」によって法的にも認定されています。
ところが戦後の日本では、「君が代」は国旗である「日の丸」と並んで「右翼的」「軍靴の足音が聞こえる」「国家ナショナリズムを刺激する」「戦争を想起させる歌」などと謂れのない誹謗中傷を朝日新聞・日教組などから叩きつけられ、教育現場では教師達に対し「生徒達に強制的に歌わせるのはよくない」という逆方向の強制行為が公然と行われてきました。
卒業式などに至っては、国旗掲揚および国歌斉唱で一悶着が起きることも珍しくなく、行事の遂行に悩んだ校長が自殺したケースすら存在します。

世界的に見ても、「君が代」はかなり平和的な部類に入る国歌と言えます。
「君が代」の歌詞は「古今和歌集」に編纂されていた短歌のひとつであり、元々は長命祈願や祝い事のために歌われていたものです。
また、日本政府の統一見解でも「君が代」は「天皇を日本国および日本国民統合の象徴とするわが国の末永い繁栄と平和を祈念したもの」とされており、ナショナリズムや軍国主義的な要素などどこを探しても見当たりません。
ちなみに世界的に有名な国歌を調べてみると……。

フランス革命後にフランスの国歌となった「ラ・マルセイエーズ」は、その歌詞の中に「血塗られた軍旗は掲げられた」「市民らよ武器を取れ」などという物騒な単語が存在します。

アメリカの国歌である「星条旗」は、1812年から始まった米英戦争におけるマクヘンリー砦の戦いで、イギリス艦隊による夜間砲撃に耐え抜き、夜明けにはためいていた星条旗をモチーフに作曲された歌で、歌詞にも当然、戦争を想起させる単語で満ち満ちています。

中華人民共和国の国歌である「義勇軍進行曲」に至っては、直訳すると「我らの血肉を以って新たな長城を築こう!」「敵の砲火をついて進め!」となってしまう歌詞が含まれています。

これらの国歌と比較して日本の「君が代」が戦争的であると罵倒する朝日新聞や日教組の連中は、頭か耳鼻科の病院にでも行った方が良いのではないでしょうか(笑)。
しかも、常日頃から「君が代」や「日の丸」を罵倒しまくっている連中は、オリンピックやワールドカップなどの国際スポーツ大会が開催されると、何故かその手の論調を控えてしまうんですよね(苦笑)。
サッカーワールドカップなどは戦争勃発のきっかけになったことすらあるくらいなのですし、国家ナショナリズム高揚に伴う観客同士の争いなどは日常茶飯事的に発生しているではありませんか。
すくなくとも卒業式の国旗掲揚・国歌斉唱などよりもはるかに危険極まりない要素があることは疑問の余地もないことであるはずなのですが(爆)。

世界的にも稀に見るほどに平和的な国歌である「君が代」。
古くから存在する歴史的にも貴重な存在であるこの歌を、いつもとは言わないまでもたまには振り返り、日本人として尊重する日があっても良いのではないでしょうか。

8月9日は野球の日

8月9日は野球の日。
「や(8)きゅう(9)」の語呂合わせと、この時期に高校野球で野球に対する関心が高まることから制定された日です。

ところで、高校野球を主催している朝日新聞社は、1911年に「野球害毒論」なる連載を新聞紙上に掲載していたことがあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%90%83%E5%AE%B3%E6%AF%92%E8%AB%96

ちなみに、朝日新聞社が現在の高校野球の前身である全国中等学校野球大会を主催するようになったのは、件の「野球害毒論」を掲載したわずか4年後の1915年。
朝日新聞の掌返しの変節ぶりは、当時から健在だったというわけですね(笑)。
しかも現在の高校野球は、高野連なる硬直しきった組織が様々な弊害を撒き散らしていたり、野球賭博に代表される利権や犯罪の温床になっていたりするなど、「野球害毒論」の頃とは全く別の理由で「有害」になりつつあるという笑うべき惨状に。

そうでなくても高校野球には、まるで戦前の軍隊教育のごとく無茶な練習で選手の身体を壊したり、勝利した学校が校歌斉唱したり、敗北した学校が砂を持ち帰ったりするなどといった、常日頃の朝日新聞であれば「右翼」「軍靴の足音が聞こえてくる」とヒステリックに喚き散らすであろう要素が目白押しです。
戦前の日本についてアレほどまでに舌鋒鋭い罵倒を繰り広げ、戦後の日本に謝罪と反省と賠償を求める報道を社是としている朝日新聞ともあろうものが、「右翼の祭典」としか言いようのない高校野球を主催するなど、本来あってはならないことであるはずです。

今こそ朝日新聞は、社是の遵守と高校野球改革のためにも、かつての「野球害毒論」の原点に立ち返り、高校野球から一切の手を引くべきなのではないでしょうか。
まあ、あの変節漢のトンデモ新聞にそんな芸当ができるとは到底思えませんが(苦笑)。

街の中心的役割を担えない熊本駅の問題点

鉄道のターミナル駅といえば、鉄道をはじめとする交通の要衝にして街の経済活動の中心地であり、また人&物の移動と情報の発信基地として大都市機能の中核を担う場所、というのが普通一般的なあり方です。
ところが、九州第3の都市にして人口73万人(2010年5月時点)を誇る熊本市、ひいては熊本県における鉄道交通の中心的存在であるはずの熊本駅は、その常識が全く適用されない稀有な駅だったりします。

熊本市の中心は熊本駅周辺ではなく、そこから2~3㎞も離れた熊本城の周囲、特に通町筋および上通り・下通り・サンロード新市街のアーケード街一帯。
熊本市の公共交通最大の要となっているのもこれまた熊本駅ではなく、熊本城近くにあるバスターミナルの熊本交通センター。
鉄道のターミナル駅は、交通の利便性や効率性などの理由からバスターミナルの機能をも兼ね備えているのが普通なのですが、熊本の場合は両者の機能が切り離されています。
熊本のように鉄道とバスのターミナルが別々に存在するという形態は、全国的にも非常に珍しいのではないでしょうか。

熊本駅のお寒い実態は、1日当たりの利用乗車人数にもはっきりと表れています。
熊本駅の2009年度1日当たりの利用乗車人数は1万人を割り込んでおり、九州7県の県庁所在地におけるターミナル駅では下から2番目、人口が一番少ない佐賀駅よりも下となります(ちなみに最下位は宮崎駅)。
JR九州駅の中では上位10位内にすらランクインされておらず、私鉄を含めればさらに順位は下落します。
その一方、バスターミナルである熊本交通センターの1日当たりの利用者数が熊本駅の実に4倍以上にも達することを考えれば、熊本駅がその都市の規模と比較して如何に貧弱な駅であるかがお分かり頂けるでしょう。

熊本駅がこれほどまでに寂れまくっている最大の理由はその立地にあります。
熊本市の人口は熊本市の中心地から東部・北部に偏って集中しているのに対し、熊本駅があるのは熊本市西部の外れ。
熊本市の人口の大多数を占める北部・東部の住民にとって、熊本駅は中心地への通勤通学や買い物などには全く利用することができませんし、県外への移動に活用しようにも、駅に行くだけで時間と手間がかかってしまう「僻地」にあるわけです。
加えて、熊本では高速道路のインターチェンジ(熊本IC・植木IC・益城熊本空港IC・御船IC)が熊本市の人口密集地帯である東部方面一帯に集中しており利便性が高く、さらに空の玄関口である阿蘇くまもと空港も、熊本市の東にある上益城郡益城町に存在します。
駅の交通の便が悪い一方で他の交通機関は使いやすい場所にある、となれば、駅の利用率が下がるのも自然な流れというものでしょう。

しかも熊本駅は、その立地している場所自体にも大きな問題があります。
熊本駅は東に白川が、西に花岡山がほとんど目と鼻の先に位置しており、両者に挟まれた狭い敷地面積では大規模開発が行いにくく、よって駅前の商業集積が全く進んでいない状態にあるのです。
こと熊本駅周辺だけに限定すると、熊本市よりもはるかに小規模な他都市と比べてさえも「未開発な田舎」に見えてしまうのもこのためです。
さすがに熊本市もこれは問題と考えてはいるようで、熊本駅周辺の再開発計画を色々と立ち上げてはいるようなのですが、なかなか計画通りには進まない状態です。

来年の2011年3月にはいよいよ九州新幹線が全線開業され、熊本駅でも新幹線の乗り入れが可能となります。
熊本駅から新幹線に乗れるようになり、速やかな長距離移動ができるようになれば、それを利用する人も当然多数出てくるわけで、熊本駅周辺の地域活性化にも期待が寄せられます。

ただ、熊本駅の立地条件そのものは全然変わらないわけですし、熊本の住民にとって熊本駅まで行くための交通の便が悪すぎることもこれまた相変わらずだったりするんですよね(-_-;;)。
たとえば、「九州新幹線が全線開業すると熊本駅から博多駅までの移動時間が35分になる」と熊本ではよく喧伝されるのですが、現行でも高速道路を使えば熊本ICから福岡ICまで1時間弱もあれば行けますし、逆に熊本駅自体に行くまでの時間が30分~1時間以上かかる、という問題も健在のままです。
もちろん、福岡よりも距離が大きく離れている上に高速を飛ばしても3時間以上はかかる南の鹿児島市や、博多駅よりさらに先の本州にまで足を伸ばすのであればそれなりの需要は見込めるでしょうが、距離が長くなり過ぎれば今度は熊本駅よりは利便性の良い場所にある阿蘇くまもと空港を利用した方が時間的にも良い、ということになってしまうわけです。

熊本県民のひとりとしては、鉄道の玄関口である熊本駅には是非とも発展して欲しいと願いたいものなのですが、今の状況では何とも難しい話でしょうねぇ(T_T)。

7月15日はファミコンの日

7月15日はファミコンの日。
1983年のこの日、任天堂から家庭用TVゲーム機「ファミリーコンピュータ」が発売され、記録的な売上を叩き出しました。
同機の略称である「ファミコン」という名称は家庭用TVゲーム機の代名詞となり、人気ゲームの相次ぐ発売でゲーム業界を牽引する存在となります。

正確な年月日まではさすがに覚えていないのですが、私がファミコンを入手したのは1986年頃になります。
ファミコンで初めて購入したゲームソフトは、ハドソンから発売された「チャレンジャー」と「ロードランナー」。
当時の主流はアクション・シューティング・レースゲーム。
RPGの「ドラゴンクエスト」を友人に紹介されるまでは、その手のゲームを少なからずプレイしていましたね。

ただ、ファミコン自体は初めて購入した家庭用TVゲーム機ではなく、1984年頃にセガから出たSG-1000Ⅱが、私にとって初めてのゲーム機だったりします。
当時は「セガマークⅡ」という呼称で親しんでいました。
こちらでも「ロードランナー」「エクセリオン」「モナコGP」「ジッピーレース」など色々なゲームをプレイしていましたが、ファミコンに押されまくって次第にソフトが出なくなったことと、ファミコンでしかプレイできないゲームが増えてきたために、ファミコンに移転したという顛末です。
後年のゲーム機戦争でも同じ現象が見られましたが、ゲーム機が市場競争で敗北すると、そのゲーム機でプレイできるゲームそのものが出なくなって全く楽しめなくなってしまうというのは、高い金を払ってゲーム機を購入したユーザーとしてはたまったものではなかったですね。
SG-1000Ⅱ、PCエンジン、PC-FX、セガサターン、ドリームキャスト……。
皆、スペック的には悪いものではなかったにもかかわらず、競争相手との販売戦略で敗北し、それが原因でゲームも出なくなり、姿を消していってしまいましたからねぇ(T_T)。
購入したゲーム機に対する思い入れもあっただけに、個人的には寂しいものがありました。

最近はコンシューマーゲーム機とはあまり縁がなく、もっぱらパソコンゲームが主流ですね。
現役のゲーム機自体はPS3とWiiを所持しているのですが、それらのゲームのプレイ本数は年間2~3本といったところ。
ゲームそのものは年間平均で15~25本ほど攻略しているので、「コンシューマーゲームも触らなくなったなぁ」としみじみ感じてしまいますね。

7月14日は廃藩置県の日

7月14日は廃藩置県の日。
1871年のこの日、それまでの藩を廃止し、旧大名が主体だった藩知事に代わり中央政府から県知事を派遣する詔書が発布されました。

廃藩置県は700年以上続いてきた武家社会と封建体制に終止符を打ち、また日本の近代化に必要不可欠だった中央集権体制を確立したものであり、今日では明治維新における最大の改革として高く評価されています。
さらに、廃藩置県を断行するに際して、既得権を奪われることになる武士階級の反乱が1件も起こらなかったことは、世界的にも驚嘆すべき事例として特筆されています。
日本を欧米の植民地化から守り、今日における日本の繁栄の基礎を作り出してくれた明治の先人達に敬意を表しましょう。

熊本の水害の歴史に想像力が働かない人

6月26日は白川大水害の日。
1953年のこの日、集中豪雨によって熊本市を流れる白川が氾濫。
全市の70%が浸水し、白川に架けられた橋梁が長六橋・大甲橋を除き全て流失するなど、壊滅的な損害と死者・行方不明者をもたらしました。
この水害は熊本では特に「6.26水害」とも呼ばれ、県史に残る大水害として記録されています。

この事例に限らず、実は熊本という土地は昔から白川や球磨川といった河川が引き起こす洪水の脅威に悩まされ続けてきた歴史があります。
昔の白川は、源流がある阿蘇山の火山灰を運んでくるため、下流域では火山灰の堆積により川底が低くなり、流路が大きく蛇行して洪水の大きな原因になっていました。
その白川を、大規模な治水事業によって直線化し、洪水の被害を激減させたのみならず、その流域を肥沃な穀倉地帯に変えていったのが、肥後熊本藩の初代藩主となった加藤清正。
白川のみならず、緑川・菊池川・球磨川などといった、洪水をもたらし続けてきた熊本の代表的な河川でも、加藤清正の治水事業は洪水対策と農地拡大の両面で熊本に大きな恩恵をもたらしました。
その功績から、昔も今も加藤清正は「清正公(せいしょこ)さん」の名で親しまれ、熊本城本丸に加藤清正を祀った神社も建立され、崇敬されています。

しかしまあ世の中は広いもので、その熊本の、しかも白川が直近に流れている地域で幼少期を過ごしながら、洪水の脅威が全く理解できないバカもいるものなんですよね。
こんな感じで↓

創竜伝10巻 P93下段~P94上段
<四人はB&Bを出て、おおざっぱにテムズ川の方角へと向かった。一軒の店にはいって買い物をし、街角の旧式な時計を見ると九時半である。
 始はデジタル時計よりアナログ時計のほうが好きだ。デジタル時計は「五時五七分」というように単一の基準と表現を押しつけてくるが、アナログ時計だと「五時五七分」「六時三分前」「もうすぐ六時」という風にさまざまな見かたができる。ゆとりと多様性を感じさせてくれるからなのだが、「緻密さと正確さとを欠く時代遅れのもの」といわれれば、たしかにそれまでである。だが万人が秒以下の単位まで厳密な時間に追われる必要はないだろう、とも始は思うのだ。そして、アナログ時計の心地よさをロンドンの街に感じる。古いビルを建てなおすときに、内装や設備は最新式にしても外見は古いままに保つ。
日本橋の真上に高速道路をかぶせて建設し、醜悪な市街づくりに狂奔してきた日本では、泡沫経済がはじけて消えた後に、コンクリートの原野だけが残った。あらゆる亡命者を受け容れ、王室に対しても言論の自由を認めた大英帝国の度量を学びとらないまま、虚妄の繁栄を終わろうとしている。かつて「日本だけが永遠に繁栄する」とか「株と土地は永遠に値が上がりつづける」とか主張していた経済評論家たちは、いまごろどうしているのだろうか。>

イギリス病のすすめ・文庫版 P213~P214
<――:
 今の子供たち、森って言っても多分わからないでしょう。カブト虫も電池切れちゃう時代ですからね。(笑)
土屋:
 周りに自然がないでしょ? まあぼくは海育ちだけど、
川で育った人間にとって、川ってのは人が行って遊ぶとこだったはずなのに、今の日本の川ってのは全部コンクリートの護岸で固められてるのね。要するにあれは、川に人を近づけないことになってるんでしょ。そういうばかなことを、どうしてしてるのかなって。まあもうじき終わるけどね、全部固めちゃえば。日本中の川は全部コンクリートで固められて、溝に変わるわけだよね。(笑)もう、マンガとしか言いようがない。
田中:
 いや、固めちゃったらこわしてもう一度最初からやり直す。それを永久にくりかえす。(笑)
土屋:
 ほんと、曲がって流れてるものをまっすぐにしてみたりとか、山のてっぺんにまで砂防ダム造ってハゲ山にしてしまうとかね。
田中:
 川に入ってみるとわかるんだけど、ロンドンでテムズ河下りをやるのと、東京で隅田川下りをやるのとでは、全然違う。
隅田川下ったって、堤防しか見えないんだから。(笑)日本橋の上に高速道路渡したりして、池波正太郎さんなんかがもう、激怒してたけど、ああいうことをやるんだよね。日本のお役人ってのは。想像力といったけど、景色を見て、いいなあと思う気持ちってないのかな、どうにも不思議ですね。

ちなみに熊本県天草市(旧本渡市)生まれの田中芳樹は、1歳の頃に熊本県熊本市の黒髪という地区に移住してそこで幼少期を過ごし、同地区にある黒髪小学校および桜山中学校を卒業した経歴を持っています。
そして、その周囲の地図は以下の通り↓


大きな地図で見る

……ほとんど目と鼻の先に問題の白川が流れているのですが、よくもまあこんな常に洪水の脅威に晒され続けている白川直近の地域で幼少期を過ごしていながら、水害の危険性と治水の重要性についてそこまで無知でいられたものです(笑)。
田中芳樹が忌み嫌っている「コンクリートの護岸で固められ」た今の白川でさえ、大雨で増水した際には、全てを飲み込まんばかりの茶色い獰猛な濁流を見せつけ、洪水一歩手前の危険水位に達することも珍しくはないというのに。
日本のお役人を罵り倒している田中芳樹ご自慢の想像力とやらは、幼少期の頃に常に目の当たりにしていたであろう身近な白川の水害とその歴史については全く何も感知してなどいなかったのでしょうね(爆)。

6月23日は日米安全保障条約発効の日

6月23日は日米安全保障条約が発効された日。
1960年、当時の岸信介内閣によって日本とアメリカとの間で日米安全保障条約が締結され、この日に条約が正式に発効されました。

条約締結後、日本は軍事問題の一切合財をアメリカに委ねるのと引き換えに、世界史的にも稀と言われる奇跡的な経済成長を遂げてきました。
しかしそれは、軍事を含めた様々な政治・外交問題の主導権をアメリカに握られることに繋がり、また戦前とは逆の形で「政治と軍との関係の正しいあり方」を歪める結果ももたらしました。
その歪みは、1995年の阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件、1999年の能登半島沖不審船事件などで露呈することとなり、日本の額面的な軍事力が危機に全く対処できない「張り子の虎」でしかなかったことをまざまざと見せつけました。
その後、有事立法の成立などで法的な問題については改善されつつありますが、国民や政治家の国防の重要性に対する認識はまだまだ不十分なものがありますし、それが結局はアメリカへの依存度を高めてしまう大きな要因のひとつにもなっています。
アメリカとの同盟自体はアメリカのみならず日本にとっても大きな国益になることは間違いありませんが、一方で、この歪な同盟関係と軍事・外交依存が日本の政治のあり方を歪めているのもまた事実です。

今年2010年は、同条約の成立からちょうど50年目の節目に当たります。
この機会に、自国の防衛とアメリカとの同盟の歴史とあり方について一考してみるのも良いのはないでしょうか。

6月22日は日韓基本条約調印記念日

6月22日は日韓基本条約調印記念日。
1965年のこの日、日本と韓国の間で日韓基本条約の調印式が行われ、両国間の国交樹立が確定されました。
正式な日韓国交樹立は同年12月18日となります。

この条約では、日本が韓国を朝鮮半島唯一の合法政府として承認すると共に、財産請求権や補償を巡る戦後処理問題の最終的かつ完全な解決が謳われています。
一度そういう条約を締結した以上、日本は韓国に対して如何なる謝罪も賠償もする必要も義務もありませんし、韓国もまた条約を遵守する義務があるのです。
にもかかわらず、韓国は十年一昔のごとく数十年~100年前の「日本の植民地支配」とやらを声高に叫び倒して相も変わらず謝罪と賠償を日本に要求し続け、日本は日本でお人好しにも「カワイソウ」と涙ぐんだ挙句に頭を下げたがり、カネを出したがるときているわけです。
この世界史上にも稀に見るレベルの歪んだ外交関係、一体いつまで続けば両国共に気が済むのでしょうか?

この韓国の主張を日本で同調している勢力の筆頭が、日韓基本条約締結当時、当時の韓国を軍事独裁政権と罵り、北朝鮮を「地上の楽園」と礼賛していた朝日新聞・岩波書店・日教組。
その後彼らは、自分達が礼賛していた北朝鮮のメッキが剥がれると、自分達の言動を総括するどころか、今度は自分達で罵倒しまくっていたはずの韓国を絶賛し始める始末。
彼らは「反日」の道具として活用できるのであれば、礼賛する対象は何でも良いのでしょうね。
場合によっては、常日頃から日本と同じくらい罵倒しているアメリカでさえも。

一方通行かつ歪な日韓関係を見直し、日本の正常な国家間外交のあり方を模索するためにも、この日を機会に日韓基本条約の意義について考えてみるのも良いのではないでしょうか。

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