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2010年10月の記事は以下のとおりです。

「らいとすたっふ」社長氏の田中芳樹についての認識

「らいとすたっふ」の社長氏が、田中芳樹について何やら面白いことをTwitterで呟いているようです↓

http://twitter.com/adachi_hiro/status/27577897689
<『銀河英雄伝説』を読み直している友人が、「いまの政治って、本当に衆愚だよね。田中さんは、この状況を予見して書いた?」と言っていた。田中さんは単なる作家だから、政治的な意図はないと思うよ。でも、過去の歴史に題材をとっているから、きっと昔も似たような国があったということだと思うなあ。>

田中芳樹的には、「自民党政権をモデルに」思いつくまま悪し様に日本の政治や社会の悪口を書き殴っていた、というのが真相でしょう(苦笑)。
それが田中芳樹が敵視しているであろう自民党政権や保守派には全くと言って良いほどに当てはまらず、政治思想的には「同志」とすら言えるであろう民主党政権、および田中芳樹をも含めた民主党支持者に「結果として」当てはまってしまっているというのは皮肉もいいところなのですが(爆)。
創竜伝13巻に記載されている政策提言をはじめとするこれまでの田中芳樹の言動を見る限り、田中芳樹は反自民&民主党支持、そして反日反米思想の持ち主以外の何者でもないのですからねぇ(^-^)。

http://twitter.com/adachi_hiro/status/27578024928
ちなみに田中芳樹さんを「親中派」という人もいるけど、これは誤り。田中さんが好きなのは中国大陸を舞台に花開いた文化だから。で、その文化を「文化大革命」で破壊したのが現在の中国を治める政府。ここからでも、田中さんが持つ現政権へのイメージが判ると思うけど。>

田中芳樹がいつ文化大革命を否定的に論じたというのでしょうか?
文化大革命については、創竜伝7巻で、その首謀者である毛沢東のことを、よりにもよって竜堂続に「毛主席」とまで呼ばせた上、さらに別の中国人キャラクターに「その正当な評価は死後50年まで待つべき」などというタワゴトさえもしゃべらせる始末だったのですけど↓

創竜伝7巻 P125上段~P126上段
<「……狂気というやつは個人をとらえることもあるが、時代をとらえることもある。そして、そのほうがはるかに始末が悪い。日本人もドイツ人も、本来、とりたてて残忍な人々ではないはずだが、自分たちは優秀な民族だと思いあがったとたんに、狂気にとりつかれてしまったのじゃろう」
 しんとして竜堂兄弟は聞きいっている。
「ま、中国侵略は日本の恥だが、中国には中国の恥がある。なかなか一党独裁政治からぬけだせないという、な」
 黄老が話題を変えたのは、日本人である竜堂兄弟を底なしに落ちこませないための配慮であったのだろう。毛沢東のことを彼は話しはじめた。

「毛沢東には偉大な理想と巨大な野心とがあった。そのふたつの流れが合流するところで彼は魚を釣りあげた。中国という巨大な魚をな」
 黄老は複雑すぎる溜息をつき、それを頸すじで受けた続は、あやうく老人を放り出すところだった。
「毛主席は思想的には世界の半分を釣りあげましたね」
「そう、だが釣糸が途中ではずれてしまった。まあ、たぶん、全人類にとっては幸運なことだったろう。彼は大きな男でな、人類がささえるにはちと重すぎたよ」
 黄老は晩年の毛沢東やその後継者たちにさからって、何度めかの獄中生活を送ることになったのだ。
彼に対する正当な評価は、せめて死後五〇年を待つべきじゃろうな。だが、その後継者どもときたら……」>

文化大革命のみならず、大躍進で自国民を数千万単位のオーダーで死に追いやったり、5人にひとりを虐殺したとされるチベット侵攻を敢行したりと、田中芳樹的価値観からすれば全否定されるべき愚行を幾度もやらかした毛沢東に対してこれなのですから、田中芳樹の毛沢東に対する思い入れが充分過ぎるほどに分かろうというものではありませんか(苦笑)。
ちなみに、毛沢東と同じように「大虐殺者」として名を馳せているヒトラーやスターリンについては、かくのごとき留保的な評価を田中芳樹が行ったことはありません。
これ一事だけでも、田中芳樹の「親中」どころか「媚中」ぶり、そして対中ダブルスタンダードぶりが分かろうというものでしょう。

また、田中芳樹が現在の中華人民共和国をほとんど唯一否定的に論じているのは、文化大革命ではなく天安門事件です。
しかもその内容は、
「自国民を思想のゆえに強制収容所に閉じこめるような国家には、存続する価値はない」
という、田中芳樹が信奉する民主主義真理教の教理である「言論・思想の自由を認めろ!」的なものでしかありません。
さらにそうやって過去に天安門事件を元に中国を批判しておきながら、創竜伝13巻になると今度は一転、中国経済の礼賛論をぶっ放す始末です。

創竜伝13巻 P77下段~P78上段
<ヴィンセントの声がさらに高まる。
「やつらにあるとすれば、経済力や技術力でチャイナやコリアに追いぬかれる恐怖感だ。いったん追いぬかれたら、二度と追いつくことができず、置き去りにされてしまうという恐怖感。ふふふ、自信喪失が後ろ向きのヒステリーに結びついたあげく、この国の保守派どもにできることは、チャイナやコリアの悪口をいいたてることだけになってしまった。コリアは永遠にジャパンに追いつけない、チャイナは五年以内に崩壊する……」
 身ぶり手ぶりをまじえて、大統領補佐官の演説はさらに熱を加えていく。
「毛沢東が死んだときにも、トウ小平が地上から去ったときにも、チャイナは五年以内に崩壊するはずだった。だがそうはならなかった。
いまや、チャイナが五年以内に崩壊するなら、それより二年早くジャパンの経済が壊滅するだろうといわれておる
 総領事は力なくうなずいた。もはや口をはさむことを断念してしまっている。
「ジャパンを肥え太らせる時代は終わった。今度はチャイナを肥え太らせる。肥えて、太って、ふくらんで……血色よくふくれあがったところで……」
 いきなりヴィンセントは両手をひろげた。
「バン!」
 大声を上げると、ようやく口を閉じた。>

しかも、ここで中国経済を礼賛しているヴィンセントなる人物は、創竜伝の作中では四人姉妹における対中国破壊工作の総責任者であり、人民解放軍同士の内戦勃発を画策・実行させた人物として描かれています。
そんな人物が、自分が過去に中国に対して何をしていたのかを忘却し去ってまで、こんなタワゴトを吹聴していたりするわけです(爆)。
創竜伝13巻を何度読んでも、ヴィンセントが何故こんな発言をやらかしたのかについて作中には全く描かれていませんし、そもそも創竜伝12巻までの作中における現代中国は「権力闘争による内戦が勃発してまもなく崩壊するだろう」的な扱いだったはずなのですが(苦笑)。
まさに「作者である田中芳樹自身がこういうことを言いたかったから」以外の何物でもなかったわけで、こういう辻褄の合わないアホなことをするから、「親中派」どころか「媚中派」「【中国の】国粋主義者」などというレッテルを読者から貼られたりしてしまうのですけどね、田中芳樹は。

他にも、夏の魔術シリーズ3巻「白い迷宮」で「無主の地」であったはずの1930年代の満州地方を「中国の土地」などと定義していたり、台湾について「中国(中華人民共和国)に帰属するだろう」などとのたまっていたりと、「中国大陸を舞台に花開いた文化」だけでなく、現代中国の政治や経済についても数限りなくヨイショしているサマが、田中芳樹の言動からは伺うことができます。
そして、その対中国のスタンスが、罵詈雑言を叩きつけまくっている日本の政治や社会と比べてあまりにも正反対&ダブルスタンダードと言って良いほどに礼賛調、または犯罪正当化的な論調で固めているのが、田中芳樹が「親中派」とされる最大の理由なのです。
私などよりもはるかに田中芳樹と長い付き合いであろう「らいとすたっふ」の社長氏ともあろう者が、そんな基本中の基本的なことを知らないはずはないと思うのですけどねぇ~(-_-;;)。

映画「桜田門外ノ変」感想

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映画「桜田門外ノ変」観に行ってきました。
江戸幕府の権威を失墜させ、幕末動乱の発端となった井伊直弼暗殺事件「桜田門外の変」を映画化した作品。
何故PG-12やR-15指定されなかったのか疑問に思ってしまったほど、作中は流血シーンが満載でしたね。

ストーリーは、襲撃を指揮したとされる水戸藩士・関鉄之介の視点で展開されており、桜田門外の襲撃から関鉄之介の斬首までが描かれています。
どちらかと言えば、「桜田門外の変」の襲撃者達のその後の逃走過程を描いた作品と言って良く、その発端となる桜田門外の襲撃は序盤で早くも発生します。
襲撃内容は史実通りで、季節外れの大雪となった当日、まず井伊直弼の大名行列の先頭に駕籠訴を持った刺客が刀を振るい、護衛の注意を前方に引き付けます。
前方に護衛が集中したタイミングで、井伊直弼の駕籠めがけて短銃が発射され、本隊への襲撃が行われることになります。
この際、何の偶然だったのか、発射された弾がたまたま井伊直弼の腰部から太腿にかけて直撃し、井伊直弼は動けなくなってしまいます。
護衛側は狼狽しながらも健闘し、特に二刀流の使い手であった河西忠左衛門が駕籠脇を守って襲撃者達を手こずらせます。
それでも奇襲によって機先を制した効果は大きく、襲撃者側はついに抵抗を排除、井伊直弼の駕籠に刀を突き立てます。
そして井伊直弼を引きずり出して首を取り、襲撃者達は勝鬨を上げることとなるわけです。
しかし、この映画の本当の物語は実はここから始まるのです。

襲撃者達の内、最初に井伊直弼の駕籠に切り込んだ稲田重蔵は河西忠左衛門に斬られて討死。
その他、井伊直弼の首を獲った有村次左衛門を含む半数ほどの襲撃者達が、護衛側の猛反撃で重傷を負い、自刃または捕縛の一途を辿ります。
残りは大坂方面へと逃走を続けていくのですが、その途中で「桜田門外の変」が行われるに至る(ペリー来航から安政の大獄辺りまでの)過程が描かれていくことになります。
この辺りは、昔の回想と現在進行形の逃走過程の区別がつけにくく、描写的に「これ昔と現在、一体どちらの話?」と少々分かりづらいところがありましたね。
何とか大坂まで逃げ延びた襲撃者達も、幕府からの追捕を受けて自刃したり、捕縛・獄死・処刑の一途を辿ったりしてどんどんその数を減らしていきます。
主人公である関鉄之介は、打開策を探るべく旧知である鳥取藩や薩摩藩を頼ろうとしますが、そこでも門前払い。
やむなく水戸藩に戻り、日本三大瀑のひとつ「袋田の滝」に入ってそこで匿われ、底で中央の政情を聞きながら逃亡の日々を過ごします。
しかし、やがてそこにも追捕の手が迫り、今度は越後へ逃走。
そこから蝦夷へ渡り、再起を図ろうとしたのですが、蝦夷行きの船を待っている間にとうとう捕縛されてしまい、文久2年5月11日(1862年6月8日)、斬首されることと相成るわけです。

全体的には、歴史的事実を忠実に再現したノンフィクション作品で、ハッピーエンドとは全く無縁の映画ですね。
襲撃者達の末路は全員「悲惨」の一言に尽きますし、また主人公である関鉄之介の妻子(内縁関係だったらしいですが)も、「桜田門外の変」後、追捕によって家を荒らされて捕縛されています。
さらに主人公と関係があった愛人?らしき女性に至っては、捕縛された挙句、拷問にかけられて死亡するにまで至っています。
犯罪者の逃亡生活の悲惨さを描く、というのがテーマの作品なのでしょうか、これって。

映画「エクスペンダブルズ」感想

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映画「エクスペンダブルズ」観に行ってきました。
シルヴェスター・スタローン監督&主演のアクション物。
作中では、手足や首がもげたり、銃弾に当たった上半身が吹き飛んだり、流血がドバドバ流れまくったりする等のバイオレンスなアクションシーンがふんだんに盛り込まれているため、当然のごとくR-15指定されています。

この作品の特徴は、何と言ってもハリウッドを代表する新旧のアクションスター達が多数出演していることですね。
主人公バーニー・ロスを演じる、「ロッキー」「ランボー」シリーズでおなじみのシルヴェスター・スタローン。
主人公の相棒であるリー・クリスマス役のジェイソン・ステイサムは映画「トランスポーター」シリーズ、映画「デス・レース」でそれぞれ主人公を演じています。
作中のストーリーはこの2人を中心に進んでいくのですが、他の脇役ばかりか悪役まで含めた登場人物達も他の作品で主役や悪役を担当して有名になっている俳優が演じています。
たとえ俳優の名前を知らなくても、「この人どこかで見たことがあるような……?」と映画ファンでなくても首を捻ること請け合いですね。
俳優の顔ぶれは、まさに「史上最強の消耗品軍団(エクスペンダブルズ)」と呼ぶにふさわしい豪華さを備えていると言えます。

また、映画「エクスペンダブルズ」では、カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツェネッガーやブルース・ウィリスが友情出演することでも話題となりました。
両者が登場するのは主人公に対する仕事の依頼が行われるシーンで、アーノルド・シュワルツェネッガーは仕事を依頼される主人公のライバル候補として、ブルース・ウィリスは依頼を行うCIAの人間として登場しています。
出演時間はほんの2~3分程で、まさに文字通りの友情出演でした。
ただ、特にアーノルド・シュワルツェネッガーについては、ここ最近は映画「ターミネーター4」で顔だけCG合成した演出のみの友情出演でしか映画では見ていなかっただけに、本物が出てきた際には「おおー、本物だ」と感動もひとしおでしたね(苦笑)。
ブルース・ウィリスの方は、今年最初に観た映画「サロゲート」で演じていた主人公とイメージが全然違っていましたので最初全く気づかなかったのですが(-_-;;)。

ストーリーは、ソマリアのアデン湾で大型タンカーを占拠した海賊達を一掃するところから始まり、南アメリカの小さな島国ヴィレーナの独裁者ガルザ将軍の暗殺を依頼され実行していくという、ハリウッド的にはスタンダードなシナリオで進行していきます。
主人公バーニー・ロスと相棒役のリー・クリスマスのコンビによる掛け合いはなかなか味があって良かったですね。
この両者、演じている俳優の間には実に20歳以上もの年の差があるにもかかわらず、全くそれを感じさせない会話と演技をこなしていましたし。

作品そのものの全体的な評価としては、R-15なバイオレンス描写が多発することを除けば、「良くも悪くも安心して観れるアクション系ハリウッド映画」といったところですね。

「髑髏城の花嫁」進捗状況&発売延期

田中芳樹が避暑地の軽井沢から東京へ戻ってきたようです↓

http://twitter.com/adachi_hiro/status/27405241962
<軽井沢に行って、田中さんを引きずり下ろしてきた〜。まさか昼前に帰って来られるとは思わなかったね。>

http://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2010/10/post-d1f6.html
<本日は田中さんの引っ越しでした。
 と言っても、軽井沢の仕事場から東京の仕事場に執筆場所を移すだけなので、引っ越しというよりは「移動」ですね。
 暑さに弱く、冷房も嫌いということから軽井沢と東京の往復生活が始まったようなのですが、今年の東京はまだまだ暑さが続いています。
 明日の土曜日の予報は気温が25度近くまで上がるみたい。また軽井沢に戻りたい、なんて言わないか心配です。>

これだけ自分の希望が通っている職場で仕事しているにもかかわらず、執筆速度が全く上がっていないというのはある意味驚異ですね。
今の作品執筆状況はこんなザマらしいですし↓

http://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2010/10/post-d1f6.html
<肝心の仕事のほうなのですが、執筆中の『髑髏城の花嫁』も後半戦に入っています。理論社があんなことになってしまいましたが、書き始めている以上、とにかく書き上げようということ。
 どのようなカタチで世に出るかは未定ですが、なるべく読者の皆様をお待たせすることのないよう、私どもスタッフもサポートしていこうと思っています。>

理論社の民事再生法申請は不可抗力であったにせよ、社長氏は今年の夏コミで販売していた同人誌の中で、「髑髏城の花嫁」は晩秋に出来上がる予定と明言していたはずなのですけどね↓

とある作家秘書の日常2010年夏号 P2
<現在は、理論社で刊行された『月蝕島の魔物』の続編、「ビクトリアン・ホラー」三部作の第2巻を書いています。タイトルは『髑髏城の花嫁』。8月13日現在で、8章構成のうち、第3章までが出来上がっています。残り半分強が出来上がるのは、晩秋、といったところでしょうか。>

ところが実際には、すでに10月も半ばに入ってさえも「後半戦」、つまり全8章構成の5章にようやく入ったところくらいまでしか完成していないときているわけです。
「晩秋」って、「今年の」ではなく「来年以降の」だったりするのでしょうか(笑)。
しかも、理論社の民事再生法申請により、「髑髏城の花嫁」の刊行予定自体も白紙化してしまったようですし、田中芳樹的にはむしろ喜んですらいる可能性が高いと言わざるをえないところです。
出版社が危機的状況に陥っても、すでに公表済の作品刊行予定自体はきちんと遵守されるのではないかと思っていたのですが(-_-;;)。
今年に入ってから田中芳樹が執筆している作品は「髑髏城の花嫁」だけなので、今年は名実共に田中芳樹直筆作品の刊行がゼロの年、ということになりそうです。
遅筆遅筆言われていても、これまでは年に1~3冊ペースで小説自体は刊行されていたのですけどね~。

今回の件、いつぞやの創竜伝14巻刊行無期限延期問題の時と同じように社長氏に直接問い合わせたいところなのですが、ブログは私が投稿したところで、銀英伝パチンコ化問題の時のごとく非承認&アク禁されるのは確実ですし、Twitterの方はアカウントがブロックされているので、私からアクションを起こしても無駄な環境が構築されてしまっているのが何とも言えないところです(T_T)。
田中芳樹絡みの執筆スケジュールを公言しても、「予定通り遅れている」他様々なアクシデントで結果としてウソをつくことになりかねないのですから、もう公言するのは止めた方が良いのではないかと思うのですけどね。

続・「男女平等」の正しいあり方とは?

単身世帯を対象にした総務省の2009年の調査によると、30歳未満の女性の可処分所得(家計の手取り収入)が男性のそれを初めて上回ったとのことです。

http://ow.ly/2Tuk1

つい先日、世界経済フォーラムの男女性別格差ランキングで134ヶ国中94位と発表された結果とあまりにも大きな隔たりがあります。
こと給与水準だけを見れば、男女格差など存在しないも同然どころか、むしろ男性側を優遇しなければならないレベルですらあるわけです。
何故このような矛盾した調査結果が出てくるのでしょうか?

世界経済フォーラムの男女格差調査は、「経済」「教育」「健康」「政治」の4つの分野について国毎にスコアをつけ、総合的な「男女格差指数」を出すという手法が取られています。
具体的な基準としては、

・ 女性の就業率など経済への参加度
・ 産休制度の充実や、専門職に占める女性の比率など雇用機会の均等性
・ 議会や政府など政治決定機関に女性が占める比率
・ 教育機会の均等性
・ 女性の健康への配慮

といったものが挙げられますが、要するに

「女性がいかに家庭の外に出て働いているか&政治参加しているか?」
「女性に男性と同等、もしくはそれ以上の権利ないし政治的保護が認められているか否か」

というテーマを元にした調査であるわけです。

しかし、「経済への参加度」だの「政治の場や職場における女性の比率」だのといった項目は、そもそも「全ての女性が家庭の外で働きに出たがっている」という前提がなければ、すくなくとも男女平等の指標として調査する意味が全くないシロモノです。
実のところ、日本における女性の大部分は、子育てや家庭の維持、そして何より「自身の身体的負担を軽くしたい」などといった動機から、専業主婦やパート、事務職系などの軽労働を志願する割合が高く、他ならぬ女性自身が男性並の重労働や時間外超過残業を望まない傾向にあります。
調査の前提が成立していない日本において、「経済への参加度」だの「政治の場や職場における女性の比率」だのといったものを算出することに、一体何の意味があるというのでしょうか?

そして一方、女性の労働環境については、日経新聞の記事でも明らかなように、男女間の賃金格差は30歳未満では男女逆転していますし、また企業の中には従業員の半分以上、下手すれば4分の3近くが女性で占められている、というところも決して珍しくありません。
就業における男女間の「機会の平等」はすでに達成されていると言って良く、その上で女性の社会進出や政治参加の比率が小さいというのは「男女差別」などではなく、あくまでも「女性自身の選択による結果」というものでしょう。
そこからさらに「結果の平等」を追求した挙句、北欧諸国で採用されているようなクォータ制やアハーマティブ・アクションを採用しても、却って余計な人件費と人材の浪費、さらには新たな男女差別が誕生するだけでしかないと思うのですけどね。

さらに言えば、冒頭で紹介した、女性の可処分所得が男性を上回ったというニュース自体、実は男女平等の観点から言ってさえも歓迎できないシロモノだったりします。
件のニュースをよく読んでみると、可処分所得は女性が2004年から11.4%増加しているのに対して、男性が0.7%の縮小となっています。
また、完全失業率についても女性が男性を下回っています。
つまり、就労待遇では女性が優遇されている一方、男性は給与が削られ、雇用自体も減少しているという事態に直面しているわけです。
男女平等の観点からすれば、かくのごとき「女尊男卑」な状態が歓迎できる話であるはずもないでしょう。
表層的な数値のみを帳尻合わせただけの「男女平等」にこだわっていると、こういう別観点から見た問題をも結果として見落としてしまうことにもなりかねないのです。

巷に溢れかえっている、
「女性が家庭の外に出て男性並に重労働するのが男女平等」
「男性の権利を抑圧し女性を優遇するのが男女平等」
などという誤った旧時代の固定観念をいいかげん打破すべき時期にそろそろ来ているのではないか、と私などは思えてならないのですけどね。

Yahoo!サイトエクスプローラーが近日中に終了

日本のYahoo!サイトエクスプローラーが近日中に終了するそうです。

https://siteexplorer.search.yahoo.co.jp/

一方で、アメリカ本国のYahoo! Site Explorerは存続が決定しているとのこと。

https://siteexplorer.search.yahoo.com/

アメリカ本国のYahoo!では、Microsoftとの事業提携により、両社のサーチエンジンをbingに統合することが決定しており、すでに移行テストも行われています。
アメリカ本国のYahoo!公式からの発表によると、Yahoo! Site Explorer存続の理由として、2012年移行完了予定まではYahoo!検索からのアクセスがあるため、データ提供することがウェブマスターの役に立つと判断したから、としています。
しかし、日本のYahoo!Japanでは、Microsoftではなくgoogleと提携することが決定しているため、残す価値はないと見られてしまったようですね(苦笑)。

日本のYahoo!サイトエクスプローラーが消滅しても、アメリカ本国のYahoo! Site Explorerは健在ですし、両者はある程度連動しているので、そちらを代用することで、Yahoo!絡みのSEOは当面まだ生き残り続けるでしょう。
まあYahoo!Japanとgoogleの統合が実現すれば強制的に消滅に追い込まれることは必至ですし、それ自体は確定していることではあるのですが。
今回の措置により、Yahoo!Japanとgoogleの統合も加速されるのではないでしょうか。
日本の検索市場が果たしてどう変わることになるのか、注目されます。

Facebookに「またもや」流行の兆し?

世界最大のSNSサイト・Facebookに「またもや」流行の兆しがあるのだそうです。

http://megalodon.jp/2010-1013-2058-36/www.itmedia.co.jp/news/articles/1010/13/news078.html

そして、2010年10月時点の日本国内登録者数は159万人とのこと。

しかし、これと似たニュースを私は今年の4月頃にも見たことがありますし、日本国内の登録者数もまた、その当時からあまり変化が見られないんですよね。
Facebookの問題点については私も以前に書いたことがあるのですけど、言語問題と初心者対応の問題が解決されない限り、Facebookが日本市場を席捲できるとはとても思えないんですよね。
今回のニュースを見て久しぶりにFacebookにアクセスしてみたのですが、件の問題点は相変わらず存在したままでしたし、特にリニューアルが行われたというわけでもありません。
どうも、宣伝目的で同じニュースが定期的に流れているだけなのではないか? という疑問すら抱いてしまうくらいなのですが。

現時点におけるFacebookは、海外ではともかく、日本では規模といいシステム性といい「mixiの劣化版」的なイメージが否めません。
ニュースの通りにFacebookが日本で大々的に流行する日というものが、果たして本当にやってくるのか、はなはだ心許ない限りと言わざるをえないところですね。

「男女平等」の正しいあり方とは?

世界の大企業が参加している世界経済フォーラム(本部ジュネーブ)が発表した、社会進出や政治参加における性別格差ランキングによると、2010年度、日本は134ヶ国中94位とのことです。
前回は101位だったとのことで、順位自体は上がっているのですが、それでもこの順位は先進国の中では最下位なのだそうです↓

http://megalodon.jp/2010-1012-2128-50/sankei.jp.msn.com/life/trend/101012/trd1010122110010-n1.htm

ただ、これは以前から思っていることなのですが、女性の社会進出や政治参加が進んでいないという要素「だけ」で、「男女平等」の是非というのは果たして判定できるものなのでしょうか?

男女平等について語る際、よく「男女平等先進国」とされ、件の調査でも上位にランクインされていたノルウェー・スウェーデン・フィンランドなどといった北欧諸国の事例がよく挙げられます。
これらの国々では、公共機関の職員や議席数に一定数の女性を割り当てるクォータ制やアハーマティブ・アクションといった、理由や能力を問わず女性が「強制的かつ自動的に」採用される制度で運用されています。
男女間の競争の結果として男女平等が実現しているのではなく、最初から男女平等ありきで職員数や政治家等の男女の割合が政治的に決定されているわけです。
しかもこの制度は、無能な女性が有能な男性よりも優先的に採用されるという一種の「逆差別」的なものでもあり、その運用については多くの問題が指摘されています。
これって「男女平等」本来のあり方からは程遠いどころか本末転倒なシロモノですらあるでしょう。
「機会の平等」ではなく「結果の平等」を求めたところで、男尊女卑が女尊男卑に代わるだけで男女平等は一向に実現しないばかりか、人材の適材適所にも反するという点において「壮大な無駄」もいいところです。

元々男性と女性には、身体的のみならず脳や思考・発想法についても先天的な違いというものが存在します。
脳が認識する視点では、男性は一点集中的な視野を持ち、女性は周辺にまんべんなく行き届く目を持つ傾向にあります。
また、一般的な脳の傾向としても、男性は女性よりも空間能力に優れ、一方で女性は男性よりも言語能力に長じているという科学的な調査結果もあります。
それらの違いを無視して両性を無理矢理同列に並べようとすれば、大きな歪みや矛盾が生まれるのは必至というものです。
かといって、男女格差を完全に消去しようとすれば、行き着く先は、男女共に同室かつ裸でシャワーを浴びていた映画「スターシップ・トゥルーパーズ」のごとき世界か、さもなければ男女性の双方を併せ持つ「両性具有」に全人類が統合される、的なものしかないでしょう。
それって、本当にスバラシイ世界なのでしょうか?

就職については「機会の平等」を保証した上で、男性は男性の、女性は女性の、それぞれの個性に応じた分野で活躍する。それが「男女平等」の本来のあり方というものなのではないでしょうか。
そして、女性が家庭を維持し、子育てに専念する「専業主婦」というあり方もまた、それを志願する女性にとっては立派な仕事であり社会参加であると言えるでしょう。
「全ての女性が男性と同じように【家庭の外へ】働きに出なければならない」というのは、悪い意味での全体主義であり共産主義的な発想なのです。

巷で叫ばれている「男女平等」というのは、「女性が男性に合わせることによって男性の権利を獲得する」「男性を踏み台にすることで女性の優位を確立する【男尊女卑の裏返し】」的なものがあまりにも多いですね。
我らが田中芳樹御大もまた、その手の誤った「男女平等」に基づいて、薬師寺シリーズや田中小説版キング・コングなどという駄作を書き殴っていますし。
当の御本人様は「これこそが男女平等のあるべき姿であり、スバラシイまでに女性に配慮した描写である」とでも考えているのでしょうが、私からすれば勘違いも甚だしいと言わざるをえません。
まあ薬師寺涼子や田中小説版キング・コングのアン・ダロウのどこに「聡明な女性」的な要素があるのか、それからして私は疑問に思わざるをえないところなのですが(苦笑)。
同性を虐げている男性を叩き潰しさえすれば「強い女性」なるものが自動的に生成される、というわけではないのですけどね。

映画「ナイト&デイ」感想

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映画「ナイト&デイ」観に行ってきました。
トム・クルーズとキャメロン・ディアス共演のアクション物。

ストーリーは、空港で「運命の出会い」を果たした男が実は組織から追われている人間で、女がそれに巻き込まれるというシチュエーションから始まります。
妹の結婚式の準備から自宅があるボストンへと帰るため、飛行機で移動するためカンザス州のウィチタ空港に来ていた、キャメロン・ディアス演じるジューン・ヘイヴンス。
空港内を移動中、トム・クルーズ扮するロイ・ミラーと2度もぶつかり、運命の出会いと言わんばかりの出会いを果たし、二言三言会話をします。
実はこの出会いは、とある目的からロイが意図的に仕組んだものだったのですが、当初はジューンがそんなことに気づくわけもなく、両者は同じ飛行機に乗ることになります。
ジューンが飛行機内の化粧室に入っている間にロイは飛行機の乗員に扮した工作員達と戦闘を行い、パイロットも含め全員を殺してしまいます。
結果、飛行機は墜落。
混乱するジューンにロイは薬を飲ませて昏倒させ、次に目覚めた時、彼女はボストンの自宅で寝かされていました。
不審に思いながらも、妹の結婚式に出席するためのドレスを新調していた彼女の前に謎の集団が現れ、彼女を車に乗せてどこかへ連れて行こうとし、その後を追ってきたロイとの間でカーチェイスが展開される……、という形で、序盤の物語は進行していきます。

この映画は、全体的に女性であるジューンの視点を中心に展開されています。
ジューンはロイによって何度か薬を投与され意識を失うのですが、その間のストーリーは断片的にしか描写されることなく、目覚めることになる舞台まで一気に物語が進みます。
アクション以上に、いわゆるコメディ的な描写や「大人の会話や雰囲気」的なものが前面に押し出されていますし、アクション物はアクション物でも、この映画はどちらかと言えば「女性向け」に作られているという印象がありますね。
物語の序盤ではロイのお荷物&足手まといだったジューンが、後半では逆にロイを引っ張っていっていましたし。
特にラストの男女逆転なオチは結構笑いましたね。

何でもこの映画、日本に先立って6月に公開されていたアメリカとカナダでは、トム・クルーズ主演のアクション映画としては過去20年の中で最低の興行収益だったのだとか。
ただ、アメリカで大赤字を記録した映画が日本では大ヒットしたという事例も少なからず存在しますので、日本もアメリカの後追いをするとは限りません。
日本でも少なからぬライバル映画がひしめく中での劇場公開となったわけですが、結果は一体どうなりますかねぇ。

10月10日は中華民国国慶日(建国記念日)

10月10日は中華民国国慶日(建国記念日)。
1911年のこの日、清王朝支配下にある武昌で兵士達による反乱が勃発し、これを発端とする辛亥革命により清王朝は滅亡、翌年1月1日に中華民国が誕生しました。
中華民国では辛亥革命が起こった日が国慶日と定められています。

中華民国は建国当初から現在の台湾に臨時政府を樹立するまで内紛・内戦続きな印象があります。
建国当初、孫文が国家元首に当たる臨時政府の大総統に就任したものの、すぐさま国内最大の軍事力を持つ袁世凱との対立が始まり、袁世凱が権力闘争に勝利してとにもかくにもゴタゴタが収束したかと思えば、その袁世凱も1916年に病死。
その後は地方軍閥の群雄割拠、南京国民政府と汪兆銘政権の分裂、日中戦争(支那事変)と続いた挙句、最後は中国共産党との国共内戦に破れ、台湾に落ちのびることとなったわけです。
その台湾でも、二・二八事件をはじめとする現地の本省人との衝突があったわけですが、1996年には複数政党制と大統領制を主体とした民主共和制が導入され、すくなくとも中華人民共和国と比べれば「開かれた政治」を実現しています。
中華民国は、台湾のみの領有となって以降に初めて「平和と安住の時代」を迎えることとなったわけで、何とも皮肉な限りとしか言いようがありませんね。

昨今の中華人民共和国に比べれば、とにもかくにも民主主義を導入している中華民国の方が、細かいところでは対立点もあるにせよ、まだしも提携できそうな相手ではあるのですけどね、日本としては。

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