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2010年12月の記事は以下のとおりです。

2010年映画観賞総括

2010年もあとわずかとなりましたが、今回はこの1年における映画観賞総括を行いたいと思います。

私が今年映画館に行って観賞した映画は総計35本。
これは年間の映画観賞本数としては過去最大の数値となります(今までの最高記録は2008年の24本)。
今年の映画観賞作品は以下の通り↓

 1.サロゲート
 2.ゴールデンスランバー
 3.パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々
 4.シャッターアイランド
 5.第9地区
 6.タイタンの戦い(3D版)
 7.ウルフマン
 8.グリーン・ゾーン
 9.パリより愛をこめて
10.プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂
11.アイアンマン2
12.ザ・ウォーカー
13.踊る大捜査線 The Movie3 ヤツらを解放せよ!
14.アデル/ファラオと復活の秘薬
15.プレデターズ
16.エアベンダー
17.インセプション
18.ソルト
19.魔法使いの弟子
20.特攻野郎Aチーム The Movie
21.バイオハザードⅣ アフターライフ(3D版)
22.-ザ・ラストメッセージ- 海猿
23.十三人の刺客
24.大奥
25.ナイト&デイ
26.エクスペンダブルズ
27.桜田門外ノ変
28.SP THE MOTION PICTURE 野望篇
29.ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1
30.SPACE BATTLESHIP ヤマト
31.キス&キル
32.ロビン・フッド
33.トロン:レガシー(3D版)
34.最後の忠臣蔵
35.相棒-劇場版Ⅱ- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜

今年はアクションを中心とした洋画もさることながら、邦画にも良作が多かったのが大きな特徴と言えますね。
邦画は観賞本数的には35本中10本と洋画には及ばなかったものの、純粋な本数としてはこちらも過去最高の数値を達成していたりします(これまでの邦画の最大観賞数は2006年と2009年の6本)。
1990年代の「邦画=駄作の代名詞」の評価が確立していた時代から考えると、ここ数年の邦画の隆盛は隔世の感があります。
特に「SPACE BATTLESHIP ヤマト」は、原作&SFファンとしての観点ではともかく、日本映画としては駄作的な評価に満ちていた前評を良い意味で裏切り、また苦手分野と言われていたSFX系の描写でもここまで出来るのだということを示してくれました。
邦画部門は、ストーリーが暗い上に盛り上がりに欠け冗長感もあった「桜田門外ノ変」以外は概ね高評価で、このまま発展し続けてくれれば、いずれはハリウッドをも凌ぐ大作だって作れるかもしれないという期待を抱きたくなりましたね。

一方の洋画は、今年一番の良作が「インセプション」、駄作が「シャッターアイランド」といったところですね。
実はこの2作品、どちらもレオナルド・ディカプリオ主演作品で、かつ「妻や子供を巡る問題」を扱っているという点でも共通点があるのですが、この両者の評価を大きく分けたのは結末部分です。
「インセプション」のラストが基本的にハッピーエンドに見えつつ、「回り続けるコマ」からバッドエンドな夢オチにも解釈しえる余地を残す意味深な結末で物語を締めているのに対し、「シャッターアイランド」はどう見ても「主人公の誇大妄想&精神障害が全ての元凶」と言わんばかりのバッドエンドで締めくくっています。
いかにもミステリーっぽい作品で謎解きを売りにしているような作品だったのに、あの何の捻りも身も蓋もないラストはいくら何でもあんまりだろう、と思わずにはいられませんでしたからねぇ>「シャッターアイランド」。
ハリウッド映画ならではの痛快なアクション物を楽しみたいのであれば「パリより愛をこめて」「ソルト」「エクスペンダブルズ」「ロビン・フッド」辺りがイチオシになるでしょうか。

記録的な「大豊作」に恵まれた2010年映画観賞。
今年の「大豊作」に感謝すると共に、来年は更なる多くの映画と出会える年になることを祈りたいものですね。

映画「相棒-劇場版Ⅱ- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜」感想

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映画「相棒-劇場版Ⅱ- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜」観に行ってきました。
警視庁の窓際部署である「特命係」の係長である杉下右京を主人公とするテレビ朝日系列放送の刑事ドラマ「相棒」の劇場公開映画第2弾。
なお、今作が私の今年最後となる映画観賞作品となります。

物語は、公安が中国系マフィアのアジトである船舶に強行突入するシーンから始まります。
強行突入は、マフィア側が自爆を敢行したことにより、マフィアの人間3人と公安の警察官1名の死という結末で表面的には決着し、これが本編で発生する警視庁占拠事件の発端となります。
それから7年後、警視庁の11階にある第11会議室では各部署のお偉方による定例の部長会議が行われていたのですが、その最中、警視庁内の12~14階で火災騒ぎが発生。
その混乱に乗じて、ひとりの男が拳銃を持って第11会議室に乱入。
定例部長会議に出席していた12名の幹部達を人質に立てこもる篭城事件が発生してしまいます。
警視庁内で特に担当する事件もなく暇をもてあましていた杉下右京と、その相棒でたまたま拳銃を持った犯人の姿を目撃していた神戸尊は、いち早く事件に対応。
杉下右京は、足にロープを繋いでビルの外壁を降下していき、会議室の外からデジタルカメラを使い、防弾ガラス越しに犯人の写真を撮ることに成功します。
その写真画像の分析から、篭城犯は元組織犯罪対策課の刑事だった八重樫哲也という人物であることが判明。
篭城犯がひとりであることが分かった警察上層部は、杉下右京が唱える慎重論を排して強行突入を決断。
一方、会議室に篭城し人質を取っているにもかかわらず、外に対して何故か何も要求することなく、人質達を問い詰めていく犯人。
そんな中、人質のひとりだった通信部長がおもむろに苦しみ倒れこみ、篭城犯がそれに駆け寄った一瞬の隙を突いて他の部長が一斉に篭城犯に襲い掛かり会議室内はもみ合いに。
ほぼ同時に強行突入も行われ、何とか人質は全員無事に確保されるのですが、混乱の中で篭城犯の八重樫哲也は自らの拳銃の弾に被弾して即死という結末に。
犯人の動機が一切不明、事件後の事情聴取でも人質となっていた幹部達は曖昧な証言しかしないなど不審な点が多いこの事件を、「相棒」の主人公である杉下右京と神戸尊が調査に乗り出す、という形でその後のストーリーは進行していきます。

残念ながら私はこれまでのTVドラマシリーズ「相棒」や劇場版1作目の映画はほとんど観ていないのですが、今作の「相棒-劇場版Ⅱ-」では警察組織の闇がテーマになっていますね。
警察を改革するために陰謀や謀殺に手を染めるという犯人側のスタンスは、同じく警察組織の問題点を扱っているTVドラマ&映画版「SP 警視庁警備部警護課第四係」シリーズともかぶるところがあります。
ただ、「SP」シリーズがアクションや危機感知等の超能力を駆使して犯人の意図を挫くのがメインの作品なら、「相棒」はひたすら冷静な推理と調査で犯人を追い詰めていくのが醍醐味といったところでしょうか。
一端捜査が行き詰まりを見せても、主人公である杉下右京はすぐさま次の手を考えて捜査を進展させてしまいます。
ストーリーのテンポは結構速いと言って良いですね。

物語のラスト付近では意外かつ突発的な大どんでん返しがあります。
全ての黒幕と言わんばかりの雰囲気をかもし出していた警察庁の大物と主人公が言い合いになり、いかにもこれから「見えない戦争」の開幕的なシーンで、それは誰も予想できない唐突な形で終わりを告げるのです。
その伏線自体は事前にきちんと張られていただけに、アレには全く良い意味で意表を突かれてしまいましたね。
あの展開は全くの「一見さん」である私でさえ驚いたくらいですから、古くからの「相棒」ファンは驚愕も良いところだったのではないでしょうか。
また、その結末も含めて、この映画は「次回に続く」的な終わり方をしています。

長年続いているシリーズ物作品の映画版ということもあり、作品の出来は問題ない水準と言って良いレベルかと。

実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

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2010年10月に公開された映画「大奥」の原作となるコミック版「大奥」の1巻を購読しました。
男性人口の激減による男女逆転の江戸時代を描いた「大奥」の世界観には、宣伝を聞いただけでも疑問が多く、映画版を観てもその謎と疑問は解消されるどころか逆に増大する一方だったので、原作も当たってみることにしたわけですね。
今回は、映画版のストーリーの大部分を担っているコミック版「大奥」1巻との比較検証も兼ねて論じてみたいと思います。

コミック版「大奥」1巻だけを読んだ限りでは、映画版「大奥」はコミック版1巻のストーリーをほぼ忠実に再現している、というのが第一の感想ですね。
「赤面疱瘡」に関する説明から、水野佑之進の記録上の死→進吉に名を変えてヒロインと結ばれるという結末までの流れはほぼ同じ。
映画版で由来に関する説明が全くなかった「ご内証の方は大罪人として死ななければならない」という設定についても、1巻では「家光の時代に春日局が決めた」という以外の説明がなく、こちらもやはり説明不足の感は否定できません。
その由来は2巻以降で説明されているのでしょうが、映画版はこの説明不足な部分までそっくり忠実に移植しているわけです。
これから考えると、「大奥」は2巻以降の話も実写化される可能性があるのではないかという予測を立てたくもなってしまいますね。
1巻と同じく映画公開されるのか、TVドラマ形式になるのかは微妙なところですが。

その一方で、映画版「大奥」における徳川8代将軍吉宗に関するエピソードは、原作よりも大幅に強化されていたことが判明。
緑の草原を疾走する初登場の乗馬シーンと、家来1人を連れて江戸の町をお忍びで散策するシーンという、時代劇TVドラマ「暴れん坊将軍」を彷彿とさせる描写は原作には存在しません。
私はてっきり「原作にもそういう描写があった」とばかり考えていたのですけど、アレって映画制作スタッフのオリジナルシーンだったわけですね。
「露骨に狙っているなぁ」とは映画観賞当時から思っていましたが(笑)。

他にも、作中で水野佑之進が出世するきっかけとなった「鶴岡との一騎打ち」後のエピソード「鶴岡が水野佑之進を闇討ちした挙句に切腹する」シーンが映画版のみに存在したり、逆に大奥の「呉服の間」でなくなった針を探す原作のエピソードが映画版では省略されていたりと、ところどころで細かい部分での改変はありますね。
本筋の流れにはあまり関わらない部分ですが。

それと、原作・映画版共に「大奥には将軍護衛の役目もある」という設定があるようなのですが、どちらにも台詞やモノローグ以外でそれを裏付ける描写というものが全くと言って良いほどないですね。
そもそも、史実の江戸幕府には「書院番」という将軍の身を守る現代のSPのような役職が立派に存在していますし、江戸城および要地を警護する「大番」という役職も存在します。
他の役職と仕事が重複する、という一事だけでも、男性版「大奥」は非効率もいいところで全く存在価値が見出せません。
また作中でも、将軍護衛の役割を担っているはずの「大奥」の人間が、常に将軍に付きっきりで護衛しているような描写が全くありません。
将軍暗殺の刺客なんていつどこで襲い掛かるか知れたものではないのですし、護衛ならば「寝所」のみならずありとあらゆるところで付きっきりの護衛をやらないとマズいのではないかと思うのですけどね。
8代将軍吉宗の周囲にいる人間も基本的に女性ばかりですし、こんな状態で「大奥」の人間が将軍の護衛なんてできるわけがないでしょう。
これならば、男性の多くを「書院番」や「大番」に回し、訓練を重ねさせて錬度を高めた上で「専業の護衛」として任に当たらせた方がはるかに効率的です。
後宮システムとして全く機能しない男性版「大奥」が存続していること自体、壮大な無駄としか言いようがないのですが。

男性版「大奥」が将軍護衛の役割も担っている、という話を聞いた時に私が真っ先に連想したのは、神聖ローマ帝国(現在のドイツ)の領邦国家のひとつであるプロイセン王国の君主だった「兵隊王」フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(在位1713年~1740年)が創設した「巨人連隊(ポツダム巨人軍)」だったりします。
「巨人連隊」はとにかく「背が高い」男性ばかりを身分も出自も問わず集めて編成された連隊で、その構成員には莫大な契約金や給与・待遇などが保証され、閲兵などの訓練が徹底して施されました。
長身の男性を集める際にはカネを駆使した取引だけでなく、拉致誘拐などの強引な手段まで使われた上、知的障害者などまでもが問答無用で徴兵されたりしたため、その戦闘能力および費用対効果については多くの疑問が持たれていました。
何しろこの「巨人連隊」、実戦に参加したことはただの一度としてなく、兵達も隙あらば脱走しようと常に目を光らせていたばかりか、王の暗殺に動いたことすらあるというのですから、多額の維持費に対してのその「使えなさ」ぶりは想像を絶するものがあります。
軍隊としての機能性という観点から見ればこれほどまでに「無駄」としか言いようのない連隊もなく、実際、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世個人の道楽とまで酷評されていた「巨人連隊」は、その息子であるフリードリヒ大王(在位1740年~1786年)の代になって廃止されています。
その「巨人連隊」をさらに上回る「無駄」を、男性版「大奥」は多大にやらかしているようにしか思えないんですよね。
後宮システムとしても将軍護衛としても全く使えない男性版「大奥」の存在意義って一体何なのか、ますます疑問に駆られてしまうところです。

「大奥」の世界観には他にもまだ多くの疑問があるのですが、果たして2巻以降には私が納得できるだけの解答が用意されているのでしょうか?

仙谷「健忘」長官の「専業主婦という病気」発言

2010年4月26日の全国私立保育園連盟による「子供・子育てシンポジウム」で、仙谷「健忘」長官が「専業主婦という病気」なる発言を行っていることが判明。

http://megalodon.jp/2010-1227-1458-32/sankei.jp.msn.com/politics/policy/101227/plc1012271319010-n1.htm

仙谷「健忘」長官は早速「そんな表現をした記憶はない」と得意の健忘症を発症していますが、ではこの講演内容は一体何だというのでしょうか↓

全私保連シンポジウムでの仙谷由人大臣の講演内容
http://megalodon.jp/2010-1227-1459-41/www.yochien-joho.com/headline/photo/20100501/001.pdf
<なぜそうなってしまったのか。そこには専業主婦の存在があります。専業主婦というのは、日本の戦後の一時期、約50年ほどの間に現れた特異な現象です。工業化社会がうまくいって、働く人の大層をサラリーマンが占めるという一時的な社会構造が生み出したものです。そのために、働く女性が結婚し、働きながら子どもを産み、働きながら家庭を運営し子育てをするという、普通に行われてきた女性の環境が充実されないままになりました。もうそんな時代は終わったのに、それに気づかず専業主婦という病気を引きずっていることが大問題なのです。>

それに専業主婦が「工業化社会がうまくいって、働く人の大層をサラリーマンが占めるという一時的な社会構造が生み出したもの」って、それ以前の社会体制が経済システムについて全く理解できていないのが丸分かりですね。
工業化社会以前の社会というのは農業や狩猟採集を中心に成り立っていた「原始共産制」的な社会のこと以外にはありえませんが、それは当然のことながら工業化社会と比較して労働生産率が著しく低かったがために「女性も苛酷な労働をせざるをえなかった」時代でしかありません。
さらに、生産性が低かったが故に、女性の人権が認められるどころか、人権蹂躙の奴隷労働が当たり前とされ、間引きや人身売買が横行していた時代ですらあったわけです。
そして、工業化社会によって全ての人間をとにもかくにも養える「余裕」ができたからこそ、その「余裕」で家事や子育てに専念できる専業主婦が出てくるようになったのです。
それが何故「病気」などと評されなければならないのでしょうか?

そもそも、専業主婦というあり方は別に強制されたものではなく、自分から率先して選んでいる女性がほとんどなのですけどね。
それどころか、働いている女性でさえ「経済的な余裕があれば働くのを辞めて専業主婦をやりたい」と考える人は少なくないというのに。
専業主婦というあり方、ひいては女性そのものに対する差別意識丸出しのこの発言は、仙谷「健忘」長官のみならず民主党が抱える無知と旧時代の社会主義的体質が露呈していますね。
今時「原始共産制」を引き合いに出して現代社会を糾弾する人間など、時代錯誤もいいところなのですが。

映画「最後の忠臣蔵」感想

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映画「最後の忠臣蔵」観に行ってきました。
「忠臣蔵」として有名な元禄赤穂事件で生き残った赤穂浪士達の後日譚を描いた、佐藤浩市および役所広司主演の時代劇作品。

物語は、元禄赤穂事件で赤穂浪士四十七士が悲願を達成し泉岳寺に到着した後、大石内蔵助が寺坂吉右衛門(てらさかきちえもん)を呼び出し、事件の真実を後世に伝えることと、赤穂浪士の遺族に対する援助を行うよう密命を出したところから始まります。
その密命を受け寺坂吉右衛門が赤穂浪士から離脱してから16年後、最後の遺族を何とか探し当てて小判3枚を渡し終えたことで、寺坂吉右衛門は密命を無事達成します。
その後、寺坂吉右衛門は自分を庇護してくれている進藤長保(しんどうながやす)への密命終了の報告と、赤穂浪士の十七回忌法要のために京へ向かうことになるのですが、その途上、彼は討ち入り前に脱走したとされるかつての盟友・瀬尾孫左衛門(せおまござえもん)の姿を目撃します。
映画「最後の忠臣蔵」は、元禄赤穂事件の生き残りとなるこの2人を軸に話が進行していきます。

瀬尾孫左衛門は可音(かね)という16歳の女性と一緒に生活しており、執事か召使いのごとく彼女の世話をしています。
実はこの可音という人物は、大石内蔵助とその妾である可留(かる)との間に生まれた娘だったりします。
瀬尾孫左衛門は討ち入り直前になって、大石内蔵助から可留と生まれてくる子供(その時点ではまだ妊娠中だった)を密かに守り育て、どこかの家へ輿入れさせるよう命じられた結果、討ち入り直前に脱走することになったわけです。
物語序盤、可音は育ての親として自分を世話していた瀬尾孫左衛門を慕っているような発言を繰り返しますが、瀬尾孫左衛門は「自分は武士だから」という理由でその想いを拒否し続けます。
そんな折、心中事件を扱った人形浄瑠璃の小舞台場で、豪商である茶屋四郎次郎の息子である修一郎が、たまたま舞台を観に来ていた可音に一目惚れします。
父親である茶屋四郎次郎は、骨董の取引を通じて知り合いになった瀬尾孫左衛門に可音を自分のところに輿入れして欲しいと嘆願。
紆余曲折の末、可音は茶屋修一郎との婚儀と茶屋への輿入れを受け入れることになるのですが……。

映画「最後の忠臣蔵」は「武士としての忠義のあり方」というものについて考えさせられる作品ですね。
「最後の忠臣蔵」の主人公である瀬尾孫左衛門は「武士の忠義」というものを何よりも優先する男として描かれており、自分を慕ってくれる女性を振り切ってまでもそれに殉じようとします。
瀬尾孫左衛門の生涯は全て「武士の忠義」に捧げられており、その心は最後の最後まで自分の主筋であった大石内蔵助と共にあったわけです。
そのため、彼は大石内蔵助の密命を果たした後は「追い腹を切る」殉死の方針を最初から決めていたようです。
物語終盤では、可音を母親代わりに育ててくれた「ゆう」という女性から「お慕い申しております」「16年もお待ちしておりました」的な告白を受けていたにもかかわらず、瀬尾孫左衛門はそれを拒否して殉死するんですよね。
現代的な価値観からすればあまりにも理不尽な最期ですし、その後残されることになるであろう可音と「ゆう」の悲しみが理解できないのかと糾弾したかったくらいだったのですが、ただそれ故に「主人公の主人である大石内蔵助への忠義」の厚さが苛烈なまでに表現できているわけで。
この人、本当は元禄赤穂事件の際に大石内蔵助と行動を共にして一緒に死にたかったのだろうなぁ、というのがひしひしと伝わる最期でしたね。

理不尽といえば、そもそも瀬尾孫左衛門に自分の隠し子を託してその意に反する使命を与えた大石内蔵助もまた、理不尽としか言いようがないですね。
託す子供が、家もろとも叩き潰され存在すら許されなくなった自分達全ての主君であるところの浅野内匠頭またはその一族の隠し子、とでもいうのならばまだ話は分かるのですが、実際には大石内蔵助個人の、それも妾との間に「できちゃった」的に生まれた庶子でしかありません。
しかも大石内蔵助は、将来吉良家に討ち入りすることをすでに決定していたにもかかわらず、自分が面倒を見ることができない子供を作ってしまった上、わざわざ討ち入り要員を直前になって減らすというリスクを抱えてまで、討ち入り予定の部下を自分達から離脱させ後事を託しているわけです。
大石内蔵助の言動は無責任かつ公私混同もはなはだしいですし、またそんな私的な理由によって瀬尾孫左衛門の人生およびその評価を不当に歪めてしまってもいるわけです。
実際、作中では瀬尾孫左衛門が旧赤穂の家臣達に「裏切り者!」「臆病者!」と罵られ暴力を振るわれる描写もあったりします。
瀬尾孫左衛門にとっての主君は大石内蔵助だったようなので、瀬尾孫左衛門個人の忠義としては問題ないわけなのですが、肝心要の大石内蔵助による密命の動機が極めて個人的なものでしかない、というのはちょっとねぇ……。

作品としては極めて悲劇的に描かれていて、爽快感とはおよそ無縁なのですが、それ故に日本人的な情に訴える感動的な物語に仕上がっています。
「忠臣蔵」が好きな人なら観て損はない映画だと思います。

海上保安官・一色正春が書類送検

尖閣ビデオを流出した海上保安官・一色正春が書類送検されました。
これに伴い、海上保安庁は一色正春に対し停職の懲戒処分を発表、処分と同時に事前に提出されていた辞職届を受理、一色正春は依願退職となりました。
なお、書類送検されたことによって、これまで一部週刊誌でのみ名前が公開されていた海上保安官の実名が公表されています。

http://megalodon.jp/2010-1222-2241-12/sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101222/crm1012221834027-n1.htm

その他、鈴木久泰海上保安庁長官をはじめとする海上保安庁の職員23名が懲戒・内規処分を受けています。
刑事処分の判断は来年1月中に行われる予定で、現時点では不起訴処分になる可能性が高いとのこと。
尖閣ビデオ自体に秘密性が高くないから、というのが理由のようですが、一方では仙谷「健忘」長官がなりふり構わず政治介入してくる可能性も否定できず、予断を許さない状態です。
何しろあの「健忘」長官は、法を捻じ曲げてまで件の中国人船長を釈放させた張本人なわけですし、一般人並の遵法精神があるかどうかさえ怪しいものなのですから(苦笑)。
今回の件でも、未だに自分の責任を棚上げして海上保安官をひたすら断罪する始末ですし↓

http://megalodon.jp/2010-1222-1240-48/sankei.jp.msn.com/politics/policy/101222/plc1012221219010-n1.htm

今回の処分どころか流出事件が起こったそもそもの発端は、本来公開される予定だったビデオを、仙谷「健忘」長官が中国に迎合して場当たり的に機密扱いし出したことにあるはずなのですが、そういう自覚は相変わらず全くないようで。
無能なお飾り首相でしかないカンガンス共々、肝心要の最高責任者が何ら責任を取らずに居座っている時点で、今回の処分は茶番もいいところなのですけどね。

ところで、辞職して「元」海上保安官となった一色正春の今後はどうなるのでしょうか?
43歳で辞職というのは、一般的には再就職も難しい状況にあります。
ただ一色正春の場合は、職を辞したところで、今回の件を本にしてまとめれば莫大な印税収入は充分に見込めるでしょうし、その知名度と国民から圧倒的に支持されている背景から、再就職のクチは意外と多そうな気もするのですが。
しかし一方で、今の民主党政権をはじめとする左派勢力や親中派、さらには中国のお偉方など、非常に多方面からの怨み辛みまで買っているわけですから、連中の様々な嫌がらせ、下手をすれば「実力行使」の危険性も少なからず存在します。
場合によっては民主党ないし仙谷「健忘」長官の意向による問答無用の強権発動が襲い掛かってくる可能性すらありえるわけですし、ブログでも開設して常に自己の存在および主張をアピールするなど、何らかの自己防衛手段を講じた方が良いかもしれませんね。

映画「トロン:レガシー(3D版)」感想

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映画「トロン:レガシー(3D版)」観に行ってきました。
アメリカ・台湾合作による1982年公開映画「トロン」の続編。
前作「トロン」で主人公だったケヴィン・フリンと、その息子で今作の主人公となるサム・フリンが活躍する作品となります。
ちなみに私は、前作「トロン」は全く観ないまま今作を観に行っています。

ストーリーは、一言で言えば「プログラムの叛乱」がテーマですね。
エンコム社の重役で前作の登場人物でもあるアラン・ブラッドリーの連絡で、これまた前作の主人公ケヴィン・フリンが運営していたゲームセンター跡に隠されていた秘密部屋の端末を動かしたことにより、コンピュータ世界・グリッドへ転送されてしまいます。
そこは父親の補佐役として作られた「クルー」というプログラムによる独裁体制が行われている世界。
グリッドに到着早々、主人公はグリッドの治安当局?に拉致されてしまい、グリッド・ゲームという生死を賭けたトーナメント方式の勝ち抜き戦を強いられる主人公。
その最中、グリッド・ゲームの会場に乱入し、主人公を救出する謎の女性クオラ。
クオラに連れられていった先で父親と再会することができた主人公は、元の世界に戻るべく活動を開始することになります。

作中に登場するライト・サイクルやライト・ジェットなどの乗り物については、前作「トロン」でも登場したものがほぼそのまま使われているとのこと。
28年前の当時は凄く新鮮かつ斬新なアイデアだったのでしょうが、CGが発達し、ああいう乗り物が映画やゲームの世界でも普通に見られるようになった今となっては、CGや演出についてはともかく、アイデアについては感動のしようがないというのが何とも言えないところです。
まあ3D描写を駆使したアクションシーンや演出そのものは良くできていたので、それを最優先目的として観る映画としてならオススメではあるのですけどね。

ストーリーや設定・世界観は、28年前の前作映画をそのまま引き継いでいる上、作中でも明確な説明がほとんどないため、全体的に分かりにくいところが多々ありましたね。
序盤に登場するゲームセンターの存在や、「行方不明の父親から連絡があった」と主人公を導くアランという登場人物は、前作を観ていなければ全く意味不明なエピソードでしかありませんし。
数年前にヒットしたシリーズの前作作品でさえ、予め復習しなければストーリーや設定を忘れやすいことを考えれば、ましてや28年も前の前作映画など、ストーリーや設定どころか存在すら知らない、という人がほとんどなのではないでしょうか。
しかも前作「トロン」自体、すくなくとも日本ではそれほど知名度の高い映画というわけでもない上、興行的にも失敗しているときているのですから。
前作から続く人間関係や世界観の繋がりといった「分かりやすさ」という点では課題が残る映画と言えそうです。

SEOの完成形のひとつであるgoogleサイトリンク

googleには「サイトリンク」と呼ばれるものが存在します。
「サイトリンク」とは、特定の検索キーワードで1位表示されたウェブサイトの個別ページへのショートカットリンクを表示する機能のことです。
具体的には、以下のようなリンク表示のことを指します↓

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「サイトリンク」は、サイトがgoogle 独自のアルゴリズムによって「ユーザーに頻繁に利用されている」「ユーザーの役に立っている」と判断された場合のみ自動生成される傾向にあります。

「サイトリンク」は全てのサイトで表示されるわけではありません。
「サイトリンク」は「特定キーワードで検出されやすい&アクセス数が多い」サイトに生成される傾向にあるため、必然的にアクセス数が多い有名サイトには生成されることが多々あります。
しかし、それも絶対な法則というわけではなく、マイナーな検索キーワードでしか表示されないサイトで生成されることもあれば、誰もが知っている大手サイトで全く出現しない事例も少数ながらあったりします。
また、2chやTwitter、ニュース速報系などといった「頻繁に更新が行われアクセス数も多いサイト」では、検索結果が2位以下であっても「サイトリンク」が付加表示されることがあります。

ただ、「サイトリンク」が表示されるサイト=googleに認められているサイトとして一般的に評価される傾向があるのは間違いないでしょう。
「サイトリンク」が検索結果に表示されると単純に見栄えも良いですし、自サイトにおける複数の個別ページで検索上位を独占することもできるようになります。

「サイトリンク」の生成はSEOの完成形ないしは最終到達地点とすら呼べるものであり、また「あの」googleから特別待遇を受けているということで相当なブランディング効果が期待できます。
営利企業の公式サイトなどにとって「サイトリンク」は、まさに垂涎の的といえるものでしょう。

タナウツSEOでも「googleサイトリンクの獲得」は大きな目的のひとつとなっていて、そのためにサイト改造等の様々なSEOをこれまで行ってきたのですが、そのかいあってか、今年の12月に入った頃になってめでたくタナウツでもサイトリンクが設置できるようになったんですよね。
「田中芳樹を撃つ」でgoogle検索をすると、タナウツサイトの検索表示に「サイトリンク」が付加されていることを確認することができます↓

http://ow.ly/3rQTk

実は2010年12月20日時点では、あの「らいとすたっふ」公式サイトでさえ「サイトリンク」は未だ生成されていません。
「らいとすたっふ」でgoogle検索すると当然のようにあの公式サイトが1位表示されるのですが、そこには「サイトリンク」が存在しないのです↓

http://ow.ly/3rQXz

「らいとすたっふ」が持つ「公式」という肩書の重さと権威ぶりは、サーチエンジンの世界でも如何なく発揮されており、タナウツ以上の検索上位表示を実現させています。
にもかかわらず「サイトリンク」が存在しない、という事実を鑑みれば、タナウツの「サイトリンク」付加はSEO的にはなかなかの好成績であると考えて良いでしょう。
まあ現時点では、「田中芳樹を撃つ」以外の検索キーワードで「サイトリンク」を表示させることはできないのですけどね(T_T)。
本当は「田中芳樹」検索で「サイトリンク」が表示されるようになれば万々歳なのですが。

日本におけるサーチエンジン市場の98%が、互いに手を組んだgoogleとYahoo!Japan連合によって占められている現状では、googleが持つ「サイトリンク」のブランディング効果は今後ますます重要なものとなっていくのではないでしょうか。

尖閣ビデオ流出問題における海上保安庁の大量内部処分

中国漁船衝突事件の尖閣ビデオ流出問題で、海上保安庁が流出者本人を含む関係者50人以上もの職員に対する内部処分を検討しているとのこと。

http://megalodon.jp/2010-1220-0847-16/sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101219/crm1012192358013-n1.htm

これって本来、仙谷「健忘」長官をはじめとする民主党政府の関係者が真っ先に責任を取らなければならない問題であるはずでしょう。
海上保安庁は当初、例の尖閣ビデオを即座に公開する方針で準備を進めていたのですし、それに無理矢理ストップをかけて非公開にしたのは民主党政府です。
しかも民主党は、海上保安庁が逮捕した中国人船長を「日中友好」を理由に処分保留で釈放した挙句、その全責任を那覇地検に丸投げしています。
尖閣ビデオの流出事件が起こったのも、そういった事情が背景にあったわけですし、責任論の観点から言っても、海上保安庁よりは民主党政府の支離滅裂な対応ぶりとその責任こそが真っ先に追及されるべきではありませんか。
にもかかわらず、仙谷「健忘」長官をはじめとする民主党政府は、野党および国民からの批判や参議院の問責決議案可決をも完全無視してその座を退こうとしないばかりか、海上保安庁長官をはじめとする海保の人間に全ての責任を擦り付けようとさえしているわけです。
上が取るべき責任を取らず、下の人間「だけ」が責めを追わされる。
こういうのって、「トカゲの尻尾切り」以外の何物でもないと思うのですけどね。

ジュリアン・アサンジの保釈&マイケル・ムーアの支援表明

イギリスのロンドン高等法院が、逮捕されていたウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジを、「居場所を明確にする」「パスポートは警察に預ける」等の条件付で保釈を認める決定を下しました。
保釈金は24万ポンド(約3200万円)。

http://megalodon.jp/2010-1217-0012-41/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101216-00000164-jij-int

まあ、逮捕容疑からして「コンドーム不使用でセックスをした」などというスウェーデン国内法限定、しかもそれでさえも最高刑が罰金刑でしかないという、別件逮捕のモデルケースみたいなシロモノだったわけですからねぇ。
よくもまああんな容疑で国際指名手配までして逮捕したものだと、呆れるのを通り越して逆に感心すらしたくらいでしたが。
インターポールとしては、いっそ「できちゃった婚」は全て国際指名手配をして摘発する、みたいな方針をこの機会に打ち出せば却って一貫性も出てくるのですけど、どうせあんな法律を適用して被疑者を逮捕するという挙に出るのは今回だけでしょうからねぇ(-_-;;)。
まあさすがのインターポールもそこまでヒマではないのでしょうが、機密を漏洩されたメンツを何が何でも挽回せんとするアメリカに付き合わされて、インターポールも迷惑な話だったでしょうね。

また、アメリカの映画監督マイケル・ムーアがウィキリークスへの資金その他援助の提供を表明し話題となっています。
ジュリアン・アサンジの保釈金の一部を肩代わりする他、サイト運営の援助までするつもりなのだとか。

http://www.cinematoday.jp/page/N0029047

マイケル・ムーアといえば、アメリカの社会問題や時の政府の政策に何かと批判的で、そのための映画を数多く製作している人物として日本でも知られています。
コロラド州ジェファーソン郡のコロンバイン高校で起こった銃乱射事件を題材にしたドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」や、アメリカ同時多発テロにおけるブッシュ政権の対応を批判した映画「華氏911」、アメリカの医療問題を取り上げた映画「シッコ」などが代表作とされます。
「ハリウッド映画はアメリカ礼賛ばかり」などという巷に溢れている偏見混じりなアメリカ映画評をひとりで覆しているような人物であり、その過去の経歴を見れば、ウィキリークスを支援する意思を表明するのも分かろうというものでしょう。
世界各国で検閲や経済封鎖等の圧力に晒され、孤立無援の状態となっているウィキリークスにとっては心強い援軍となるのではないでしょうか。

ところで、ウィキリークスもさることながら、田中芳樹はマイケル・ムーアについてどんな評価を下していたりするのでしょうか?
田中芳樹は、過去に映画「インディペンデンス・ディ」を引き合いに出して「アメリカ人のセンスを笑いのネタにしている」と公言したくらいの「ハリウッド映画はアメリカ礼賛ばかり」説の信奉者ですし、またディズニー映画を「創造性がない」「過去の名作作品の流用でしかない」などと罵り倒したりするなど、アメリカ映画に対して相当なマイナス感情を抱いていることが伺えます。
それに対し、マイケル・ムーアはどちらかと言えばアメリカに対し批判的な人物であり、ことアメリカに関しては田中芳樹とかなり近い思想的傾向を有する一方、その存在自体が田中芳樹のアメリカ映画評を正面から粉砕する人物だったりします。
田中芳樹的には「肯定的に評価したいが、かといって下手に評価すると自分のこれまでの発言の正当性が失われてしまう」という、何とも複雑な立ち位置にいる人物なわけです。
案外、自分の発言を正当化するために「存在自体なかったことにする」かもしれないですけどね(笑)。

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