映画「最後の忠臣蔵」感想
映画「最後の忠臣蔵」観に行ってきました。
「忠臣蔵」として有名な元禄赤穂事件で生き残った赤穂浪士達の後日譚を描いた、佐藤浩市および役所広司主演の時代劇作品。
物語は、元禄赤穂事件で赤穂浪士四十七士が悲願を達成し泉岳寺に到着した後、大石内蔵助が寺坂吉右衛門(てらさかきちえもん)を呼び出し、事件の真実を後世に伝えることと、赤穂浪士の遺族に対する援助を行うよう密命を出したところから始まります。
その密命を受け寺坂吉右衛門が赤穂浪士から離脱してから16年後、最後の遺族を何とか探し当てて小判3枚を渡し終えたことで、寺坂吉右衛門は密命を無事達成します。
その後、寺坂吉右衛門は自分を庇護してくれている進藤長保(しんどうながやす)への密命終了の報告と、赤穂浪士の十七回忌法要のために京へ向かうことになるのですが、その途上、彼は討ち入り前に脱走したとされるかつての盟友・瀬尾孫左衛門(せおまござえもん)の姿を目撃します。
映画「最後の忠臣蔵」は、元禄赤穂事件の生き残りとなるこの2人を軸に話が進行していきます。
瀬尾孫左衛門は可音(かね)という16歳の女性と一緒に生活しており、執事か召使いのごとく彼女の世話をしています。
実はこの可音という人物は、大石内蔵助とその妾である可留(かる)との間に生まれた娘だったりします。
瀬尾孫左衛門は討ち入り直前になって、大石内蔵助から可留と生まれてくる子供(その時点ではまだ妊娠中だった)を密かに守り育て、どこかの家へ輿入れさせるよう命じられた結果、討ち入り直前に脱走することになったわけです。
物語序盤、可音は育ての親として自分を世話していた瀬尾孫左衛門を慕っているような発言を繰り返しますが、瀬尾孫左衛門は「自分は武士だから」という理由でその想いを拒否し続けます。
そんな折、心中事件を扱った人形浄瑠璃の小舞台場で、豪商である茶屋四郎次郎の息子である修一郎が、たまたま舞台を観に来ていた可音に一目惚れします。
父親である茶屋四郎次郎は、骨董の取引を通じて知り合いになった瀬尾孫左衛門に可音を自分のところに輿入れして欲しいと嘆願。
紆余曲折の末、可音は茶屋修一郎との婚儀と茶屋への輿入れを受け入れることになるのですが……。
映画「最後の忠臣蔵」は「武士としての忠義のあり方」というものについて考えさせられる作品ですね。
「最後の忠臣蔵」の主人公である瀬尾孫左衛門は「武士の忠義」というものを何よりも優先する男として描かれており、自分を慕ってくれる女性を振り切ってまでもそれに殉じようとします。
瀬尾孫左衛門の生涯は全て「武士の忠義」に捧げられており、その心は最後の最後まで自分の主筋であった大石内蔵助と共にあったわけです。
そのため、彼は大石内蔵助の密命を果たした後は「追い腹を切る」殉死の方針を最初から決めていたようです。
物語終盤では、可音を母親代わりに育ててくれた「ゆう」という女性から「お慕い申しております」「16年もお待ちしておりました」的な告白を受けていたにもかかわらず、瀬尾孫左衛門はそれを拒否して殉死するんですよね。
現代的な価値観からすればあまりにも理不尽な最期ですし、その後残されることになるであろう可音と「ゆう」の悲しみが理解できないのかと糾弾したかったくらいだったのですが、ただそれ故に「主人公の主人である大石内蔵助への忠義」の厚さが苛烈なまでに表現できているわけで。
この人、本当は元禄赤穂事件の際に大石内蔵助と行動を共にして一緒に死にたかったのだろうなぁ、というのがひしひしと伝わる最期でしたね。
理不尽といえば、そもそも瀬尾孫左衛門に自分の隠し子を託してその意に反する使命を与えた大石内蔵助もまた、理不尽としか言いようがないですね。
託す子供が、家もろとも叩き潰され存在すら許されなくなった自分達全ての主君であるところの浅野内匠頭またはその一族の隠し子、とでもいうのならばまだ話は分かるのですが、実際には大石内蔵助個人の、それも妾との間に「できちゃった」的に生まれた庶子でしかありません。
しかも大石内蔵助は、将来吉良家に討ち入りすることをすでに決定していたにもかかわらず、自分が面倒を見ることができない子供を作ってしまった上、わざわざ討ち入り要員を直前になって減らすというリスクを抱えてまで、討ち入り予定の部下を自分達から離脱させ後事を託しているわけです。
大石内蔵助の言動は無責任かつ公私混同もはなはだしいですし、またそんな私的な理由によって瀬尾孫左衛門の人生およびその評価を不当に歪めてしまってもいるわけです。
実際、作中では瀬尾孫左衛門が旧赤穂の家臣達に「裏切り者!」「臆病者!」と罵られ暴力を振るわれる描写もあったりします。
瀬尾孫左衛門にとっての主君は大石内蔵助だったようなので、瀬尾孫左衛門個人の忠義としては問題ないわけなのですが、肝心要の大石内蔵助による密命の動機が極めて個人的なものでしかない、というのはちょっとねぇ……。
作品としては極めて悲劇的に描かれていて、爽快感とはおよそ無縁なのですが、それ故に日本人的な情に訴える感動的な物語に仕上がっています。
「忠臣蔵」が好きな人なら観て損はない映画だと思います。