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2011年02月の記事は以下のとおりです。

第31回ゴールデンラズベリー賞の結果発表

2010年に公開された映画の中で最低の作品と俳優を決定するラジー賞こと第31回ゴールデンラズベリー賞の結果が発表されました。
その「栄冠」を手にした作品は、最多となる9部門でノミネートされ、最低映画賞・最低監督賞・最低脚本賞・最低助演男優賞、そして今回新設された最低インチキ3D映画賞の5つを受賞した映画「エアベンダー」

http://megalodon.jp/2011-0227-2357-20/eiga.com/news/20110227/3/

今回は私もたまたまこの映画を観に行っていたので内容を知っているのですが、少林寺拳法だか太極拳だかの奇妙な踊りを駆使して気・水・土・火を操る何ともいえない描写は、確かに「ある意味」凄く印象に残っていましたね。
あまりにスローモーション過ぎてスピード感も迫力も欠けまくっていましたし、最初は「これ中国映画?」とまで考えてしまったくらいでしたからねぇ。
この映画が2010年7月に日本で公開された当時は、他に結構有力な映画が多数公開されていた上、3部作の1作目と聞いていたので、「興行的に大丈夫か? 続編はちゃんと作られるのだろうか?」と心配していたのですが……。

ただ、私は個人的に「ラジー賞」というのをあまり高く評価してはいないんですよね。
というのも、そもそも私の場合、この賞を知ることになったきっかけが、第二次アルマゲ論争の際に山本弘がアルマゲドンを罵倒する論拠としてラジー賞を持ち出していたことにあったりするんですよね(-_-;;)。
「あの」山本弘が得意気に持ち出すようなシロモノなのだから当然ロクなものではないだろう、という先入観もありましたし、その反論に際しては「シルヴェスター・スタローンが出ている映画というだけで駄作認定するような偏った賞」というとんでもない情報まで飛び交う始末。
実際、2010年10月に日本で公開されたシルヴェスター・スタローン主演の映画「エクスペンダブルズ」は、今回のラジー賞にも当然のようにノミネートされていましたし。
「アレってそこまで悪い映画なのか? 良作ではないにしても普通に楽しく観れる映画なのだけど」というのが「エクスペンダブルズ」に対する私の評価だったので、「ラジー賞は当てにならない」という印象をなおさら抱かざるをえなかったものでした。
「アメリカの映画界における『と学会』」という私の評価を聞けば、私がラジー賞に対して抱いているネガティブなイメージというものを理解頂けるのではないかと(苦笑)。

元々私はそんなに映画を酷評するようなタイプの人間ではありませんし、ラジー賞にノミネートされる作品自体、正真正銘の駄作という感じには見えないので、山本弘云々の件を抜きにして考えても「【本当の駄作】判定にはあまり使えない賞」というイメージはありますね。
まあラジー賞自体、「売れている有名な作品」を選ぶ傾向にあるようですから、一般人が考えるような駄作とは基準が少しズレているのかもしれないのですが。

映画「ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島(3D版)」感想

ファイル 284-1.jpg

映画「ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島(3D版)」観に行ってきました。
イギリス人作家のC・S・ルイス原作小説「ナルニア国ものがたり」の3作目「朝びらき丸 東の海へ」の実写映画版。

映画「ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島」の前身となる「第1章:ライオンと魔女」「第2章:カスピアン王子の角笛」でナルニア国に召喚され、ナルニアの危機に立ち向かい活躍したイギリスのペペンシー4兄弟。
しかし今作では、そのうちの上2人・長男ピーターと長女スーザンがアメリカに行っているという設定になっているため、ナルニアには召喚されません。
代わりに、ペペンシー4兄弟の下2人である次男エドマンドと次女ルーシー、そして彼らが一時的に預けられていたスクラブ家のユースチスが主人公として活躍することになります。
今作初登場でペペンシー4兄弟の従兄弟に当たるユースチス・スクラブは、とにかく頭でっかちでワガママな「良家のお坊ちゃん」として描かれており、特に序盤における非協調かつ現実を認めない発言を乱発するサマは、周囲にも観客にも悪印象を植え付けるに充分な態度でした。
物語中盤では、金銀財宝に目が眩んだ強欲さによってドラゴンに変化する呪いをかけられてしまいますし。
しかしこのユースチスが、主にしゃべるネズミのリーピチープとの会話を通じて次第に周囲との理解が深まり、終盤では戦いの帰趨を決する役割を担うまでに至ります。

また、前作・前々作と長男ピーターに活躍の場を奪われていた感があったばかりか、特に1作目では白い魔女の誘惑に物語終盤直前まで囚われていた次男エドマンドが、今作ではようやく汚名返上できる活躍の場が与えられています。
エドマンドはやはり1作目の白い魔女のことをずっと気にしていたのか、作中で登場する「人を誘惑する緑の霧」にも白い魔女を形作られ何度も誘惑されることになります。
エドマンドも最終的には見事に誘惑を断ち切り、白い魔女(を形作った緑の霧)は断末魔の声を上げて消えることになります。
そして、次女のルーシーもまた、長女スーザンの美貌にコンプレックスを持っていることが作中で明らかになるのですが、この辺りの描写は幼女だった1作目辺りでは考えられなかったことで、彼女が思春期の少女に成長していることを示すものと言えます。
エドマンド、ルーシー、ユースチス、3者3様でそれぞれ描かれる成長物語が、今作の魅力のひとつと言えるのではないでしょうか。

映画「ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島」のストーリーは、スクラブ家の一室にあった海の絵から突然溢れ出てきた大量の海水に巻き込まれ、エドマンド&ルーシー&ユースチスの3人がナルニアの海に放り出されるところから始まります。
放り出された目の前には、前作でも王子として登場しその後王位についたカスピアンが指揮する帆船「朝びらき丸」があり、3人は「朝びらき丸」に救助されることになります。
カスピアンは、亡き父親の友人だった7人の貴族(7卿)を探す旅の途中で、成り行きから3人はカスピアンの航海に同行することになります。
行く先々の島では、人売りに捕まったり、透明な化け物に襲われたり、黄金に魅入られたりと様々な事件に巻き込まれ、航海でも嵐の遭遇と糧食の問題に悩まされつつ、7卿を探す旅は進んでいくのですが……。

同じファンタジー作品系列になるであろう映画「ハリー・ポッター」シリーズが特にそうなのですけど、「ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島」もまた、ストーリー展開がやたらと速すぎる感が否めませんね。
7卿(と彼らが持っている7つの剣)を探す旅では、3人が1箇所でまとめて見つかったりしていますし、本来のストーリーをかなり端折っている感があります。
やはり「ハリー・ポッター」と同じで、1冊のストーリーを2時間あるかどうかの映画にまとめるのは物理的に無理があるのでしょうけどね。
シリーズ作品の宿命的な欠陥なのでしょうが、シリーズを重ねれば重ねるほど内容の理解が難しくなっていくこの問題、どうにかならないものなのでしょうか?

ところで「ナルニア国物語」と言えば、我らが田中芳樹御大がかつてこんなことを述べていたことがあります↓

薬師寺シリーズ7巻「霧の訪問者」 講談社ノベルズ版P27上段~下段
<原理主義というと、すぐイスラム教の過激派を想いおこすが、キリスト教にだって排他的な原理主義者はいる。じつはアメリカという国は、その種の連中の巣窟だし、意外なところでそういったものに出くわすこともあるのだ。
『ナルニア国物語』というイギリスの有名なファンタジー小説があって、映画にもなった。この作品はかなり保守的なキリスト教的世界観にもとづいて書かれたもので、あきらかにイスラム教を敵視したり女性に対して偏見を持った記述がある。その点に対する批判が欧米社会にはあるのだが、日本ではまったく問題にされなかった。日本は宗教に対して、よくいえば鷹揚だし、悪くいえば鈍感なので、『ナルニア国物語』も単なる異世界ファンタジーとして受容されたのだ。『指輪物語』の作者トールキンが『ナルニア国物語』をきらっていたとか、アメリカのキリスト教右派がこの本を政治的に利用したとかいう事実は、日本人には関係ないことだった。まあ実際、物語としてはおもしろいから、単にそれだけですませておくほうがオトナな態度かもしれない。>

で、私は一応「ナルニア国物語」の実写映画版は全て観賞しているのですが、あいにくと今作も含めて「あきらかにイスラム教を敵視したり女性に対して偏見を持った」に該当する描写というものを一度も観たことがないんですよね。
田中芳樹は「【アメリカ】にはキリスト教の排他的な原理主義者がいる」という論の根拠として【イギリス】の有名なファンタジー小説である「ナルニア国物語」を持ち出しています。
しかし、作者の出自はイギリス、原作小説の舞台もイギリスと架空の国ナルニアであり、アメリカとの関連性は全くありません。
そんな状態で「ナルニア国物語」からアメリカ批判に繋げようとするのであれば、アメリカで作られた実写映画版の「ナルニア国物語」シリーズにそういう描写がないと話がおかしくなってくるのではないかと思うのですけどね(苦笑)。
アメリカのキリスト教右派とやらが「ナルニア国物語」を政治的に利用しようがどうしようが、そんなものは作品にも(原作者含む)製作者にも、ましてやイギリスにも全く何の関係もない話でしかないのですし。
もちろん、7作あるとされる原作小説には、田中芳樹が問題視する「あきらかにイスラム教を敵視したり女性に対して偏見を持った記述がある」のかもしれません。
しかしそれならば、実写映画化に際してそういう描写を取り除いたハリウッド(アメリカ)の映画制作スタンスは、田中芳樹的にはむしろ賞賛すらされて然るべきではないのかと(爆)。
全く何の関係もないのに田中芳樹のアメリカ批判の「ヤクザの言いがかり」的なダシにされてしまった「ナルニア国物語」、特に実写映画版には、私は心からの同情の念を禁じえませんね(T_T)。

アメリカ本家のgoogleが検索アルゴリズムの変更を発表

アメリカ本家のgoogleが検索アルゴリズムの大幅な変更を明らかにしました。
検索クエリーの11.8%に大きな影響を及ぼすと言いますからかなりの変更になります。
改良版検索アルゴリズムは、まずアメリカ本国で導入され、順次日本を含めた他の地域にも拡大していくとのこと↓

http://megalodon.jp/2011-0225-2029-03/www.itmedia.co.jp/news/articles/1102/25/news050.html

今回のニュースは、日本におけるサイト&ブログ全てにとって軽視して良いものではありません。
何しろ日本におけるgoogleは、Yahoo!Japanと提携したことによりサーチエンジン市場を事実上独占している状態にあり、こと影響力という点で言えば、Facebook、Yahoo!、Microsoft3社の攻勢を受けているアメリカ本家のそれをはるかに凌ぎます。
「関係者以外は非公開」的なところならばともかく、集客の多くをサーチエンジンに依存しているサイト&ブログは、「サーチエンジンの動向が死命を制する」と言っても過言ではないのです。
今まで上位表示されていたサイト&ブログが突然数十位も順位を落とす、などということになれば、それはサイト&ブログとしては死んだも同然の壊滅的なダメージとならざるをえません。
アフィリエイト系のサイト&ブログでは戦々恐々としているところも少なくないのではないでしょうか。

かく言う私自身、自分で管理しているタナウツの検索結果がどのように動くのか、あるいは動かないのか心配なところがあります。
google検索におけるタナウツサイトは、長年「田中芳樹」検索で3位の座を維持し続けていますし、去年に新規開設したタナウツネット雑記ブログも、映画感想記事を中心に悪くない検索結果を叩き出しています。
これがより良い方向に変わるのであれば大歓迎なのですが、もし万が一にも悪い方向に動いたりしたら……、とは私もついつい考えてしまうんですよね。
サイトもブログも、内容的にも検索アルゴリズム的にも決して低くは評価されないだけの品質を持っているという自負はあるのですけど、こればかりは「出たとこ勝負」的なところもありますからねぇ(-_-;;)。

検索アルゴリズムがどう変わったのか、またそれが日本のみならず全世界における検索動向やSEOに対してどのような影響や変化をもたらすのか?
今後のgoogleの動向は注意深く見守っていく必要がありそうですね。

夫婦別姓推進論者達の「無能な」働きぶり

2月14日に提訴された夫婦別姓訴訟。
その中で、別姓のまま提出した婚姻届を受理しなかった処分を取り消すよう求めた訴えについて、東京地裁は却下する決定を下したとのことです。
国家賠償請求については同地裁の別の部で審理中なのだそうで↓

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011022400816

行政側にしてみれば、法的手続きに何らかの不備や問題があったのであればともかく、きちんと法に基づいて適正な処理をしたのに訴えられるのではたまったものではないでしょう。
こんなことが許されるのであれば、交通事故やスピード違反等の道交法違反における罰金や免停処分についても、同様の訴えができることになってしまいます。
裁判所が訴えを門前払いしたのも当然と言えば当然の話ですが、何とも自己中でワガママな提訴もあったものです。
訴訟の際にインタビューされていた75歳女性の言い分も相当なまでに酷いものがありましたが、他の訴訟人のそれはさらに上を行っていたわけですね。

また、夫婦別姓推進論者であり、現職の自民党衆議院議員である野田聖子が、2011年1月の男児出産に先駆け、事実婚関係にあった男性との婚姻届を提出したそうです。
姓は妻に合わせて「野田」を維持するとのこと↓

http://ow.ly/43dTs
http://megalodon.jp/2011-0225-1944-40/sankei.jp.msn.com/politics/news/110223/stt11022310400004-n1.htm

子供の問題を考えれば夫婦別姓を推進する意味など全くない、という実例を満天下に知らしめることが目的だったりするのでしょうかね、野田聖子は(苦笑)。
夫婦別姓推進論者達にとっては、典型的なまでの「無能な働き者」です(爆)。
第一、自分の姓を維持したいからという理由で夫婦別姓を推進している立場の人間が、他人に自分の姓を名乗らせるのはダブルスタンダードもいいところでしょう。
今回の場合、子供どころか夫にまで、自分の姓を自分の都合で押し付ける形になっているわけですし。

こうまで自己中かつワガママな事例をいくつも見せ付けられると、夫婦別姓を推進しなければならない「本当の理由」って一体何なのだろう、とつくづく考えずにはいられませんね。
我らが田中芳樹御大も、こんなシロモノを何故わざわざ創竜伝の作中で肯定評価したり過去の作中記述との整合性を無視してまで推進したりしようとするのか、夫婦別姓の実態について知れば知るほど理解に苦しむのですが。

宇宙戦艦ヤマトがハリウッドでも実写映画化?

往年のアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の実写映画化プロジェクトが、2010年12月に「SPACE BATTLESHIP ヤマト」として劇場公開を果たした日本のみならず、映画の本場ハリウッドでも進められているのだそうです。
日本では2011年3月公開予定の映画「トゥルー・グリット」の製作会社であるスカイダンス・プロダクションズが映画化権獲得に向け交渉中とのこと。

http://megalodon.jp/2011-0224-1721-30/eiga.com/news/20110222/18/

正直、2010年12月までならばいざ知らず、すでに日本製作の実写映画が劇場公開されているというのに、今更ハリウッドが後追いすることに一体何の意味があるのか理解に苦しむところがありますね。
そうでなくてもハリウッド映画は、こと日本のアニメ・マンガ・特撮作品を実写映画化する限りにおいては、1990年代の邦画並に駄作率が半端じゃなく高いことで有名なのですし。
特に2009年公開映画「DRAGONBALL EVOLUTION」などは、その予告からして「ドラゴンボール」の名を冠すること自体が間違っているとしか言いようがないほどに原作から乖離しているのが丸分かりな始末でしたからねぇ。
ちなみにこれが、ハリウッド実写映画版「DRAGONBALL EVOLUTION」の予告編↓

こういう実例やハリウッド映画における日本の描かれ方などを見ても、原作の「宇宙戦艦ヤマト」の雰囲気そのものを根底から壊してしまうようなトンデモ設定が付加されかねない危うさが禁じえないところですからねぇ。
まあ、「SPACE BATTLESHIP ヤマト」も相当なまでに原作から設定を変更してはいましたけど、それでもアレはまだ原作の雰囲気や人間ドラマ的なものは残っていましたし。
しかも、今後ハリウッドが実写映画を作るとなれば、それは当然、邦画の「SPACE BATTLESHIP ヤマト」と比較されることになるのは最初から目に見えています。
ただでさえハリウッドが苦手とする分野で、さらに後発作品として出発するとなると、よほどに上手く製作しないと駄作扱いされるのは必至というものでしょう。
本当に大丈夫なのか、とはハリウッド映画ファンならば誰もが考えたくなるところですね。

講談社の社長交代&田中芳樹の記憶力

講談社の社長が24年ぶりに交代するのだそうです。
現社長の野間佐和子氏が会長に就任し、息子で副社長の野間省伸氏が社長に昇格するとのこと。

http://megalodon.jp/2011-0223-1615-39/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110223-00000292-yom-soci

講談社は田中芳樹の小説が最も多く刊行されている出版社です。
田中芳樹作品の再販本は講談社文庫から数多く刊行されていますし、現行のアルスラーン戦記の出版元となっている光文社も、講談社がその発行株式のほとんどを所持している事実上の子会社だったりします。
今回の社長人事で講談社の経営方針がどのように変化していくのか、またそれが田中芳樹の執筆活動にどのような影響を与えるのか、注目されます。
現在の田中作品の中で講談社刊行の主力作品といえば、創竜伝と薬師寺シリーズになるのですが、前者はすでに7年以上、後者も3年以上は最新刊発行から間が空いてしまっていますからねぇ(苦笑)。
この機会にということで、講談社が遅筆作家の不良在庫整理などをやってくれると、田中芳樹にとってもなかなか良い刺激になるのではないかと思うのですが(爆)。

ちなみに社長氏は、田中芳樹の遅筆な作品執筆についてこんなことを述べていたりします↓

http://twitter.com/adachi_hiro/status/39689833072824320
<とある出版社の方が「3ヶ月あいだを空けて続巻を出しても、読者さんが前の巻の話を覚えていてくれないので困る」と言ってました。内心、(それは出版社が似たような本を出しすぎているのも原因じゃないの?)と思ったけど黙ってました。いずれにせよ、作家さんには大変な時代のようです。>

http://twitter.com/adachi_hiro/status/39695966084939776
よく本人が内容を覚えていると思う。 RT @aki_0117: 田中先生は続き出るまで年単位ですから解りますがねぇ…(笑) RT @adachi_hiro: とある出版社の方が「3ヶ月あいだを空けて続巻を出しても、読者さんが前の巻の話を覚えていてくれないので困る」と言ってました。>

……いや、あの惨状で「本人が内容を覚えている」というのであれば、むしろ逆に相当ヤバいのではないかと思うのですが(爆)。
アルスラーン戦記でも、アルスラーンの誕生日が9月29日→9月21日になっていたり、ギスカールの記憶力がおかしくなったりしていますし、創竜伝に至っては、ソ連が突然崩壊したり、極貧国で滅亡寸前の中国がこれまた何の説明もなくイキナリ経済大国にのし上がったりと、作中の社会情勢そのものが著しく激変しているのですから。
設定を忘れているのでさえ作家&作品としては大問題なこれらの設定矛盾が、ましてや「覚えている上で確信犯的にやっている」となると、作家としてのやる気や資質そのものまでもが問われかねないのではないかと。

2月22日は竹島の日

2月22日は竹島の日。
1905年のこの日、1月28日に行われた閣議決定を受ける形で、当時の島根県知事が竹島の所属所管を明らかにする告示を行い、竹島を島根県に編入しました。
2005年、竹島編入100周年を記念して島根県議会が「竹島の日を定める条例」を制定し、以降、2月22日が記念日となっています。

現在、竹島は韓国の侵略に晒されています。
その発端は1952年、当時韓国の大統領だった李承晩が、サンフランシスコ条約締結前の1月18日に突然「李承晩ライン」なるものを宣言したことにあります。
「李承晩ライン」とは、海洋資源の保護を目的に、韓国付近の公海での漁業を韓国籍以外の漁船で行うことを禁止する宣言です。
この「李承晩ライン」では、竹島を一方的に韓国の領土として組み入れており、ここから竹島を巡る領土問題が発生することになります。
さらに韓国はそれだけでは飽き足らず、翌年には「李承晩ライン」内に入ってきた日本漁船を徹底拿捕するようになり、結果、多くの日本漁船と日本人が韓国に抑留されることになりました。
しかも日本政府が抑留者を返還するよう求めると、韓国政府は日本国内における常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として収監されていた在日韓国・朝鮮人472人の釈放と在留特別許可を要求する始末。
北朝鮮の拉致事件も酷いものがありますが、韓国もそれに負けず劣らずの外道ぶりを披露していたわけですね。
こんな国が、日本に対して「正しい歴史認識」だの「過去の侵略行為の謝罪と賠償」だのを求めてくるというのは笑止な限りでしかないのですが。

竹島は日本固有の領土であり、韓国などに領有権を主張される謂われはありません。
その事実を、この日を機会に再確認してみるのも良いのではないでしょうか。

中東から飛び火してきた中国の政情不安

中東の政変が飛び火する形で、中国の国内情勢が再び不安定な状態になりつつあります。
中国当局は、民主化を求める大規模な暴動やデモに対する警戒を強めているとのこと。

http://megalodon.jp/2011-0221-1313-37/sankei.jp.msn.com/world/news/110220/chn11022020490009-n1.htm

中国では、当局の摘発を逃れる目的から暴動やデモが反日的色彩を帯びる傾向があります。
つい最近も、中国政府に対する不満のガス抜きとして、尖閣問題と日本に対する攻撃を錦の御旗に「反日デモ」という名の暴動が起こっています。
「反日」を掲げれば「愛国無罪」の論理で当局も摘発しにくくなる、という構造を利用しているわけです。
今回は果たして同じことが起こるのでしょうか?

国を問わず「民主化運動」というのは、我らが田中芳樹が一番喜びそうなネタではあるのですが、相手が中国となるとさてどうなることやら。
一応過去の創竜伝では、天安門事件の際における中国政府の対応を「人民を戦車で轢き殺したり強制収容所に閉じ込めたりするような国に存続する価値はない」などと評価している事例があるにはあるのですが、その評価は13巻で見事に覆されてしまいましたからねぇ(苦笑)。
中東の民主化は素直に絶賛しそうですが、中国については複雑な心情でもありそうで(爆)。

あと、中東の反政府デモではFacebookなどを使ったネットの力が大きな役割を果たしているのですが、ネットに無知かつ無関心な田中芳樹が果たしてこの事実をマトモに理解することができるのでしょうか?
ネットに全く言及することなく現代の物語を書くというのは至難の業も良いところですし、仮に言及したとしても、田中芳樹の知識では恐ろしく見当外れかつトンデモな話が出てきたりしかねないのではないかと思えてならないのですが(笑)。
「らいとすたっふ」の社長氏も、「これから現代物小説を書くのであればネットの知識は必要不可欠」とか何とか言ってもう少し強気にネットを勧めるべきだと思うのですけどね。

映画「ヒアアフター」感想

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映画「ヒアアフター」観に行ってきました。
クリント・イーストウッドが監督を、スティーブン・スピルバーグが製作総指揮をそれぞれ担っている、マット・デイモン主演作品です。

映画「ヒアアフター」では、人の死と死後の世界をテーマに、それぞれ3人の人物にスポットを当てたストーリーが展開されます。

1.インドネシアで彼氏と旅行中、大津波に巻き込まれて臨死体験をし、死後の世界のヴィジョンを垣間見たフランス人女性のマリー・ルノ
2.幼少時の臨死体験がきっかけで、他人を霊視することできる能力に覚醒したアメリカ人男性のジョージ(マット・デイモン演じる主人公)
3.ドラッグ中毒の母親を抱えながらも一緒に生活していた双子の兄ジェイソンを、突然の交通事故で亡くしてしまったイギリス人少年のマーカス

この3人はそれぞれ全く面識がなく、3つのストーリーは何の関連性も絡みもない状態からスタートすることになります。
ストーリーの核となる3人の登場人物は、それぞれ生活面で問題を抱え込んでいます。
フランスのテレビ局でアナウンサーとして出世し、恋人もいながら、大津波に襲われて以後は長い休養が続き、結果アナウンサーとして干された上に恋人にも浮気され別れる羽目になったマリー・ルノ。
かつては他人を霊視する能力を使ったビジネスで荒稼ぎをしていたものの、能力に振り回されて疲れきって引退してしまい、通常の生活を送れずに苦しむ中、霊視ビジネスの旨味が忘れられない兄から何度も復帰を促されるジョージ。
依存していた兄を失い、ドラッグ中毒の母親から引き離されて里親に引き取られるも、兄のことが忘れられず、「死者との会話」を夢見て里親のカネを持ち出し自称霊能力者に会うための旅に出てしまうマーカス。
個人的には、せっかく料理教室で知り合った女性と良い雰囲気になっていたにもかかわらず、兄からの電話で能力のことが知られてしまい、彼女の実の父と母のことをズバリ言い当ててドン引きされ、そのまま別れる羽目になってしまったジョージが哀れでならなかったですね。
ジョージもあの場で「適当なウソをついてその場を誤魔化す」的な選択肢を取れなかったのだろうか、とは思わずにはいられませんでしたが。

それぞれ独立していた3つのストーリーを1つに収束することになったきっかけは、マリー・ルノが自身の臨死体験と独自調査から執筆した1冊の本にあります。
その本の名前は、映画のタイトルにもなっている「ヒアアフター(来世)」。
元々「ミッテラン大統領のことについて書け」と言われていたにもかかわらず全く違う本を書いてしまったマリー・ルノは、上司から変人扱いを受けてしまうのですが、その本の内容に興味を持った出版社がマリー・ルノに打診。
結果、めでたく「ヒアアフター(来世)」は出版されることになり、それを記念して、マリー・ルノはイギリスのロンドンで開催されるブックフェアで講演&サイン会を行って欲しいと依頼されます。
そこに、元からイギリス在住だったマーカス、傷心旅行?でイギリスに来ていたジョージが足を運び、かくして3人は1つの場所に集うことになるわけです。

映画「ヒアアフター」は、ハリウッド映画にありがちな派手なアクションシーン的なものは微塵もなく、ただひたすら登場人物達の心の内面を描くことに徹しています。
また、実際にあった事件も作中で絡めており、冒頭で出てくるインドネシアの大津波の他に、ロンドンの地下鉄爆破テロ事件も登場します。
3人の登場人物達が抱える問題点が前面に出てくるため、序盤から終盤近くまで作品の雰囲気はとにかく暗いのですが、それでも最後はハッピーエンド的な結末がきちんと用意されています。
あれで結末まで悲惨な内容だったら「勘弁してくれ」と言いたくなるところではあったので、ラストシーンではついホッとしたものでした。
この辺りはやはり、製作総指揮を担ったスピルバーグの意向によるものなのでしょうか?

作品のテーマがかなり重く、ストーリーも単純な構成ではないだけに、映画「ヒアアフター」は今作と同じくスピルバーグが製作した映画「A.I.」ばりに哲学的な作品と言えます。
その点では映画「A.I.」と同じように、この作品もまたアメリカ人ではなく日本人向けと言えるのかもしれませんね。

シー・シェパードを増長させる日本の及び腰なスタンス

南極海における日本の調査捕鯨が、アメリカの反捕鯨団体「シー・シェパード(SS)」の妨害活動により中止されることになりました。
この決定について農林水産省は、「乗組員の生命の安全を守る」という理由を挙げています。

http://megalodon.jp/2011-0218-1252-06/sankei.jp.msn.com/economy/news/110218/biz11021810580010-n1.htm

しかし、日本側の調査捕鯨中止を受け、当のシー・シェパード側はここぞとばかりに勝利宣言を行っている始末↓

http://megalodon.jp/2011-0218-1957-18/sankei.jp.msn.com/world/news/110218/asi11021812480002-n1.htm

これで味をしめたシー・シェパードが妨害活動を緩めるとは到底考えられず、さらに執拗で過激な行為を日本に対して行ってくる可能性は極めて高いと言わざるをえません。
第一、調査捕鯨を中止したところでシー・シェパードが活動できなくなるわけではありません。
シー・シェパードは日本国内でも活動しており、特に和歌山県太地町ではシー・シェパードの工作員が常駐し、現地のイルカ漁に対して悪質な嫌がらせ攻撃を積極的に行い続けているのです。
日本側の弱気な対応では、シー・シェパードをさらに増長させ、場合によっては犯罪・テロ同然の行為によってより多くの日本人の生命と財産が危機に晒されることにもなりかねません。
実際、シー・シェパードはアメリカをはじめとする各国でテロ組織としての指定を受けて監視下に置かれているという事実もあるのですから。
日本でも警視庁公安部がシー・シェパードを監視しているらしいとの噂が囁かれていますが、それとは別に、明確な妨害活動に対して「撃沈」をも含めた断固たる措置というのは取れないものなのでしょうかねぇ。
日本が断固たる措置を取らないからこそ、シー・シェパードに舐められているのだと思えてならないのですが。

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