コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察も、今回で5回目を迎えることになりました。
今回の検証テーマは 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】です。
過去の「大奥」に関する記事はこちら↓
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」における男女人口の激減と男女比率1:4の話を初めて聞いた際、そこから「一夫多妻」「ハーレム」といったものを連想した人は多いのではないでしょうか。
かくいう私自身、映画版「大奥」の存在と内容を知った時から、
「何故そんな男女比率でありながら一夫多妻制が採用されなかったんだ?」
「男性人口に対して女性人口が圧倒的に多いのだから、ハーレムが普通に成立してもおかしくないのでは?」
とずっと疑問に思っていましたし、元来原作者よしながふみのファンでもなければ「大奥」の愛読者でもなかったはずの私が、映画版のみならずコミック版にまで手を出すに至ったのも、実はその疑問を解消することが最大の動機になっていたりします。
その私の疑問に対する回答らしき説明が行われている箇所が、コミック版「大奥」3巻にあります。
コミック版「大奥」3巻 P167
<いわゆる一夫多妻の「ハレム」化を進めて大名家の統合を進めれば、必然的に残った少数の大名家が所有する領地は広大なものとなり、徳川家の脅威となってしまう。
そして「家」を存続させる事が、士農工商どの身分においても最重要課題であるこの国特有の事情ゆえに、世帯数が極端に減少する(つまり多くの「家」が潰れる)事を意味する一夫多妻化は進まなかったのである。>
……初めてこの文章を読んだ時は思わず目眩がしてしまったものなのですが、こんな無茶苦茶なコジツケでよくもまあ一夫多妻制を拒否してのけたものですね。
まず、江戸時代における幕府の大名統制と一夫多妻制の問題は、全く無関係かつ何の関連性もありません。
大名家が婚姻を通じて「家の統合」を進めたいと本当に考えるのであれば、それは別に一夫多妻制でなく一夫一妻制下の婚姻であっても充分に進めることが可能です。
世界における政略結婚の歴史を見ても、カスティーリャ王国と王女とアラゴン王国の王子が政略結婚することで両国が統合され成立したスペイン王国、ヨーロッパに君臨したハプスブルク家の政略結婚などは、すくなくとも法的には一夫一妻原則に基づいた婚姻制度下で進められたものです。
大名家を統合するレベルの政略結婚が自由に行えるとなれば、一夫多妻制だろうが一夫一妻制だろうが関係なく推進されるに決まっているでしょう。
政略結婚に使うためのコマは、男女問わず子供をたくさん産んでしまえば済む話でしかありませんし、それこそ「お家のため」となれば自分の意思と関係なく「家が決めた相手」と結婚しなければならない、というのが近代以前の常識だったのですから。
一夫多妻制の導入が大名家の統合を推進するなど、すでにこの時点でトンデモ理論もいいところです。
そしてこれがさらに問題なのは、1615年に制定された「武家諸法度」の存在を完全に無視していることです。
「武家諸法度」には「国主・城主・一万石以上ナラビニ近習・物頭ハ、私ニ婚姻ヲ結ブベカラザル事」という法令があり、大名の結婚は幕府の許可が、その下で働いている武士達のそれは上司たる大名や藩の許可が必要不可欠でした。
日本の戦国時代も、主に同盟の締結を目的とした大名間の政略結婚が盛んに行われており、この経験から江戸幕府は、大名達が政略結婚によって互いに同盟を組んだりすることを阻止するために、大名をはじめとする武士の婚姻を厳しく規制していたわけです。
政略結婚による大名家の統合など「武家諸法度」で合法的に規制できる上に、それに逆らう大名家は改易などの厳罰でこれまた合法的に処分することができるのですから、一夫多妻制をことさらに警戒しなければならない理由はどこにもありません。
歴史考証にすら逆らっているという点においても、コミック版「大奥」における一夫多妻制否定論は論外なのです。
では、これらの問題を全て黙殺すると「家の統合」は可能になるのか?
実は、それでも政略結婚による「家の統合」は不可能なのです。
というのも江戸時代当時における武士階級は「夫婦別姓」が一般的なあり方で、夫に嫁ぐ女性は基本的には実家の姓で呼ばれていました。
現代では「夫婦別姓」というと男女平等を実現する制度であるかのごとく勘違いされていますが、元々「夫婦別姓」というのは、家を守ることを目的に妻を余所者扱いする男女差別的な思想に基づいて作られた慣習です。
前述のスペイン王国の政略結婚が顕著な実例となりますが、政略結婚で「家の統合」をするためには、すくなくとも形の上では妻も夫も対等な立場となる「同君連合」的なものにしなければなりません。
ところが、江戸時代における「夫婦別姓」下では、必然的に夫の家に妻の家が一方的に吸収合併されるという形にならざるをえないため、「同君連合」など成立のしようがないのです。
生まれてくる子供も全員父親の姓を名乗ることになるわけですからなおのことです。
一方の家が他方の家を武力なりカネの圧力なりで無理矢理併合し、その体裁を取り繕うために政略結婚を行う、という形であればあるいは可能かもしれませんが、戦国時代ならいざ知らず、幕府が睨みを効かせている江戸時代にそれをやるのは至難の技もいいところでしょう。
第一、一夫多妻だろうが一夫一妻だろうが、これでは結局「家を潰す」「世帯数が減少する」ことに変わりがありません。
江戸時代における大名統制の実態や武士階級のあり方についてあまり考えることなく、一夫多妻制と「家の存続」などという、本来全く関係のない事象を無理矢理繋げて論を展開したのがそもそも間違いの元なのです。
「赤面疱瘡」の大流行に伴い男性人口が激減した結果、女性が有力な働き手としてクローズアップされるようになったり、「一時的に」「後見人ないしは家長代行的な立場で」男性と同等の権力を行使したりする、という流れは確かにありえることでしょう。
しかし、単純に男子の世継を確保したいというのであれば、側室制度や多産奨励、それに養子縁組などといった様々な解決方法が他に色々と存在するにもかかわらず、それを無視して一挙に女系優先の社会システム移行へ突っ走るというのが何とも不思議でならないんですよね。
「あの」春日局でさえも、「いくらでも側女を抱えてお家を存続させれば良いではありませぬか!!(コミック版「大奥」3巻P165)」と明言しているわけですし、「5人にひとりしか男子が育たない」というのであれば、多産奨励で5人以上男子をこしらえれば良いだけの話ではないですか。
第一、史実の江戸時代でさえも、乳幼児の死亡率は男女問わず、また医学の未発達もあって5~7割以上にも達していたわけなのですから、あえて言えば、【たかだか】作中で描写されている「赤面疱瘡」の存在【程度】のことが、すくなくとも男系を差し置いて女系を優先しなければならない理由に【まで】はなりえないと思うのですけどねぇ。
男系から女系に社会システムが変革されるというのは、「あの」明治維新をもはるかに上回る凄まじいエネルギーを必要とする「革命」である、とすら言えるものなのですから。
さて、「大奥」世界における女系優先社会への変遷を語るにあたり、徳川3代将軍家光と並んでもうひとつ言及しなければならない時代があります。
次回の検証は、作中で「武家の女子存続を決定的にした」とされる徳川5代将軍綱吉について考えてみたいと思います。