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2011年03月の記事は以下のとおりです。

3月21日はTwitterの誕生日

3月21日はTwitterの誕生日。
2006年のこの日、Twitter社の共同設立者兼会長のJack Dorsey氏によって、世界最初となるTwitterのつぶやき投稿が行われました。
世界最初のつぶやき内容は「just setting up my twttr」。
ちなみに「twttr」というのは当時のTwitterの旧称に当たります。

http://twitter.com/jack/status/20

同年7月にTwitterは一般向けにサービスが開始され、現在は全世界で1億5000万人以上のユーザーを擁する巨大なSNSにまで成長しています。

ユーザー数でこそFacebookの6億人には劣りますが、こと日本に限定すれば、Twitterは国内最大手のSNSであるmixiを大幅に上回る規模とアクセス数を誇っていると言えます。
日本市場になかなか浸透しないFacebookと異なり、Twitterの普及速度は凄まじいものがあり、世界的に見ても日本はアメリカに次ぐ世界第2位のユーザー数と投稿数を誇っています。
ユーザーの実利用者数に限定すれば、すでにそのアメリカをすら追い抜いているというデータもあります。
サッカーワールドカップの盛り上がりや東日本大震災における非常連絡網としてもTwitterは積極的に活用され、大きな成果を上げています。
今やTwitterは、国民生活に必要不可欠な情報伝達ツールとしての地位を確立しているとすら評価されるのではないでしょうか。
もちろん、それ故同時に「なりすまし」「スパムメールの頻発」「デマの拡散」など、今後解決すべき問題も決して少なくはないのですけどね。

Twitterは今年で誕生5周年になります。
Twitterには今後とも国民生活に密着する形での発展を続けてもらいたいものですね。

3月20日時点における「自粛」映画の公開中止&延期理由一覧

東日本大震災の影響で「自粛」に追い込まれた作品の中止理由をまとめてみました。
なお、これまで当ブログで取り上げていた映画に加え、「かぞくはじめました」「ジャッカス3D」「4デイズ」がさらに公開延期になっています。

ヒアアフター
2月19日公開 → 3月14日で公開中止
中止理由:映画の冒頭に2004年のスマトラ沖地震で起こった巨大津波の場面があるため。

ザ・ライト ―エクソシストの真実―
3月19日公開 → 公開延期
延期理由:交通事情の悪化により、公開までのフィルム配送の遅延があるため。

かぞくはじめました
3月26日公開 → 公開延期
延期理由:震災被害の被害状況を鑑みたため(PG-12指定のコメディ作品だから?)。

ジャッカス3D
3月26日公開 → 公開延期
延期理由:震災被害の被害状況を鑑みたため(R-15指定のコメディ作品だから?)。

唐山大地震 想い続けた32年
3月26日公開 → 公開延期
延期理由:唐山大地震や四川大地震を再現したシーンがあり、時節柄、上映にふさわしくないと判断したため。

世界侵略:ロサンゼルス決戦
4月 1日公開 → 公開延期
延期理由:CG映像による破壊的な映像が含まれているため。

4デイズ
4月 9日公開 → 公開延期
延期理由:震災被害の被害状況を鑑みたため(核爆弾を使ったテロと拷問が描かれているから?)。

カウントダウンZERO
4月16日公開 → 公開延期
延期理由:震災被害の被害状況を鑑みたため(核問題を語っているから?)。

サンクタム
4月22日公開 → 公開延期
延期理由:水難事故のシーンがふさわしくないため。

ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦
5月21日公開 → 公開延期
延期理由:地震の影響に伴う製作スケジュールの遅れのため。

父の初七日
6月 4日公開 → 公開延期
延期理由:“故人を送る”というテーマが現状にふさわしくないと判断したため。

こうして改めて対象の作品と理由を見てみると、物理的に劇場公開ができなくなった「ザ・ライト ―エクソシストの真実―」と「ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦」以外の作品は、ほとんど一部の描写のみをことさら問題視されたり、マトモな説明すらできていなかったりしているような理由でもって公開中止&延期に追い込まれていることが分かります。
その一方で、上記で挙げられているような理由から考えれば間違いなく「自粛」対象に入らなければならないであろう4月23日公開予定映画「GANTZ:PERFECT ANSWER」(予告編を見る限り、街が破壊されるシーン他、PG-12系の殺戮シーンも満載)が「自粛」されていない点も不可解で、「自粛」にはかなり恣意的に作品を選んでいるようなフシが伺えます。
しかも公開中止&延期対象となる作品自体、これで収束するという保証が未だにありませんし、最終的にはどれほどまでの映画が「自粛」で公開中止&延期に追い込まれるやら、知れたものではありません。

こんな御都合主義かつダブルスタンダードだらけな「自粛」という名の忌々しい表現規制で、被災者に一体何の得があるというのでしょうか?

シビリアン・コントロールすら満足に行えない民主党

福島第1原発の対応をめぐり、カンガンス内閣の北沢俊美防衛相が任務決断の全責任を自衛隊の統合幕僚長に丸投げするかのような発言をしたことが、自衛隊からの反発を招いています。

http://megalodon.jp/2011-0319-1743-36/sankei.jp.msn.com/politics/news/110319/plc11031901160000-n1.htm

ここで取り上げられているインターネットメディア「JBpress」に掲載された現職自衛官の記事とは、以下のURLページのものを指しています↓

http://megalodon.jp/2011-0319-1816-17/jbpress.ismedia.jp/articles/-/5677
http://megalodon.jp/2011-0319-1818-30/jbpress.ismedia.jp/articles/-/5677?page=2
http://megalodon.jp/2011-0319-1819-57/jbpress.ismedia.jp/articles/-/5677?page=3
http://megalodon.jp/2011-0319-1825-09/jbpress.ismedia.jp/articles/-/5677?page=4
http://megalodon.jp/2011-0319-1835-04/jbpress.ismedia.jp/articles/-/5677?page=5

現場の自衛官達は、専門の技術を持ち、また命じられれば死地に赴くことも辞さない、国を守るための貴重な要となる人達です。
その自衛官達に対し、普段は居丈高にふんぞり返って蔑むように見下し、「暴力装置」等を始めとする様々な悪罵を投げつけ、いざ死地に赴かせる命令を下す際にはロクな情報も提供しない上に全責任を投げつける。
それはシビリアン・コントロールなどと名乗れるようなシロモノでは全くありえません。
政治家は軍人に自らの責任に基づいてきちんとした命令を下し、また現場で何かが起こった際にはその政治的な責任を自ら背負う、というのが、シビリアン・コントロールのすくなくとも一部のあり方というものでしょう。
こんな責任逃れな所業が許されるのであれば、内閣なんて存在する必要も意義もありませんし、自衛隊がクーデターを起こして政権を打倒したとしても文句は言えないでしょう。
というか、民主党とカンガンス内閣は、いつぞやの尖閣問題の際にも自ら外交を担うことなく、当時の那覇地検に外交判断をさせるなどという愚行を演じていた前科がありますからねぇ。
そこまで民主党とカンガンス内閣は、政治責任というものを背負いたくないのでしょうか?

また、今回の震災に際して民主党の対応は著しく鈍いとすら言っても良く、被災地の救援活動すら満足に行えていない実情があります。
Twitterでも現職の自民党議員からこんなことを言われている始末↓

http://twitter.com/konotarogomame/status/47982530409934848
<ガソリン続報。青森港に海路運び、南下始めます。被災地向けのタンクローリーは緊急車両の許可証がすぐ出るようになりました。各県と経団連のホットラインを立ち上げ、官邸を通さずに直接要望が産業界に入り、対応できるようになりました。

しかも青森港の使用は、元々青森県知事が政府に直接打診していたにもかかわらず、政府は全く反応していなかったとのこと。
とうとう政府も民主党も抜きで救援活動が行われるようになってしまったわけで、もはや民主党は、いても全く意味のない、いやそれどころか「存在自体が邪魔」な存在に成り下がったとすら言えます。
そういえばカンガンスは、かつてこんなことをのたまっていたことがあるそうなのですが↓

http://www.n-kan.jp/2004/10/post-659.php
<昨日今日と愛媛、高知の台風被災地の視察。高知では堤防が波で破壊され、20トンを超えるコンクリートの塊が住宅に飛び込み、3名が亡くなった現場を見る。9月にお遍路で歩いたところだ。波というより鉄砲水のような力で堤防や家を破壊。
   それに加えて新潟で地震。
あい続く天災をストップさせるには昔なら元号でも変えるところだが、今必要なのは政権交代ではないか。

これから考えれば、未曾有の大震災の被害がこれ以上拡大するのを防ぐために自分が一体何をしなければならないのか、カンガンスは誰よりも深く理解しているはずなのではないでしょうか(笑)。
その「今必要な」ことを一刻も早く実施してくれるのを、今や大多数の国民が何よりも願っているのではないかと(爆)。

次々と「自粛」させられる映画はどこが問題なのか?

東日本大震災の影響による、映画の公開延期が相次いでいます
すでに当ブログでも取り上げていた「ヒアアフター」の上映中止と「唐山大地震 想い続けた32年」の公開延期に続き、以下に挙げる映画の上映延期が決定されています↓

3月19日公開予定映画「ザ・ライト ―エクソシストの真実―」
4月 1日公開予定映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」
4月16日公開予定映画「カウントダウンZERO」
4月22日公開予定映画「サンクタム」
5月21日公開予定映画「ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦」
6月 4日公開予定映画「父の初七日」

http://megalodon.jp/2011-0317-2020-13/www.moviecollection.jp/news/detail.html?p=2268
http://megalodon.jp/2011-0317-2024-25/news.livedoor.com/article/detail/5419888/

今回挙げた6つの映画には、そもそも地震や津波を連想させる要素自体がどこにも存在しません。

「ザ・ライト ―エクソシストの真実―」は、悪魔祓いとバチカンにおける正式な職業であるエクソシストの全貌に迫る作品。
「世界侵略:ロサンゼルス決戦」は、ロサンゼルスを舞台に地球に侵略してきたエイリアン達との戦いを描いた作品。
「カウントダウンZERO」は、核兵器の使用可能性について関係者の口から語られる社会派ドキュメンタリー。
「サンクタム」は、「タイタニック」「アバター」のジェームズ・キャメロン監督製作による、洞窟の中で展開される脱出劇を描いたアドベンチャー映画。
「ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦」は、戦隊モノの映画版。
そして「父の初七日」は、父親の死から葬儀までのゴタゴタを描いた台湾映画。

一体何を基準にすれば、被災者の心証を害すると判断され、公開を「自粛」しなければならないとされる要素が見つかるのか、ということすら理解不能です。
前述の「ヒアアフター」「唐山大地震 想い続けた32年」のように「地震や津波の描写が東日本大震災を連想させるから」的な言い訳すらありません。
同時多発テロ当時のアメリカにおける映画「コラテラル・ダメージ」公開延期でさえ、賛否はともかく誰でも理解はできる政治的な理由が付随していたというのに。
しかも、今回のような「自粛」が、ここで挙げている映画「だけ」で終わるなどという保証はどこにもなく、今後も「自粛」対象となる映画はさらに拡大する可能性すらあるのです。
「自粛」の基準が不透明かつ何の根拠もなく、ただ「被災者に対する配慮」と言いさえすれば何でもかんでも「自粛」に追い込まれる。
ここまで来ると「自粛」というよりも、もはや「被災者に対する配慮」という名を借りた「問答無用の表現規制」としか言いようがないではありませんか。
こんな「自粛」をすることが「被災者のためになる」などと、映画の配給会社はまさか本気で考えてでもいるのでしょうか?

今回の映画公開の「自粛」でひとつ疑問なのは、どうして過去の地震ではほとんど起こらなかった「自粛」が今回だけ凄まじいまでの猛威を振るっているのか、という点ですね。
多くの犠牲者が出た地震自体は、日本では阪神大震災や新潟県中越地震など他にも多々発生しているわけですし、にもかかわらずこれらの地震ではすくなくとも今回ほどの「自粛」は起こっていなかったわけです。
過去に類例のない大地震で犠牲者も多く出たから、というのであれば、スマトラ島沖地震など世界各地で発生した地震でも万単位もの多大な犠牲者を出しているものがあるのですから、それについても哀悼の意を表し、今回と同じような「自粛」があって然るべきだったはずですよね。
今回の地震における「自粛」ラッシュは、「被災者に対する配慮」とは全く関係のない別の理由ないし要素が他にあるのではないか?
一連の非合理的かつ理不尽な「自粛」の実態を見る限り、そうでも考えないと一連の社会現象に説明がつかないのですが。

帰ってきた伝説の「健忘長官」

何と、あの伝説の「健忘長官」が再び帰ってきてしまいました。
菅直人ことカンガンスは、参院で問責決議され、今年の1月に官房長官の職から退いていた仙谷由人を官房副長官として起用する人事を強行。

http://megalodon.jp/2011-0317-2234-07/sankei.jp.msn.com/politics/news/110317/plc11031721030045-n1.htm

蓮舫と辻元清美を抜擢した人事といい、今回の件といい、カンガンスの人を見る目は「ある意味」確かなものがありますね。
もちろん、トンデモで驚天動地な電波人間を見極める目が、という意味ではありますが(爆)。
さすがのカンガンスでも、あの健忘長官が問責決議まで食らった過去の経歴をまさか忘れてしまったわけではないでしょうに、よくもまあここまで呆れ果てた人事ができたものです。
問責決議を可決させた野党が盛大に反発するのが最初から目に見えていますし、これまでに健忘長官がやってきた過去の所業を鑑みれば、被災地で救助・復旧活動に当たっている自衛隊に対する負の影響も懸念されます。
「今は非常時だから何でもできる」という目先の打算でも弾き出して有頂天になってでもいるのでしょうかね、カンガンスは。

現代の「フォーク准将」を地で行くカンガンス

東日本大震災における福島第一原発事故の対処について、菅直人ことカンガンスが「私は原子力に強いんだ」と自称した挙句、「最悪の事態になったら、東日本がつぶれることも想定しなければならない。そういうことに対する危機感が非常に薄い」とひたすら東京電力に八つ当たりする発言を繰り出したのだそうです↓

http://megalodon.jp/2011-0317-0112-15/sankei.jp.msn.com/politics/news/110316/plc11031623250039-n1.htm

……一体誰のせいで今の惨状を招いているのか、当のご本人はまるで理解できていないのではないですかね?
地震直後の初動対応でこいつが無為無用な政治パフォーマンスを目的に「陣頭指揮」にこだわった挙句、現場を引っ掻き回すようなことをしなければ、早期に解決した可能性だってありえたかもしれないのですが↓

http://megalodon.jp/2011-0317-0121-53/sankei.jp.msn.com/politics/news/110315/plc11031521100044-n1.htm
http://megalodon.jp/2011-0317-0133-56/sankei.jp.msn.com/politics/news/110315/plc11031521100044-n2.htm
http://megalodon.jp/2011-0317-0136-43/sankei.jp.msn.com/politics/news/110315/plc11031521100044-n3.htm

カンガンスが実際にやったことはといえば、現場の活動を妨害しつつ、東電の社員を怒鳴りまくっただけではありませんか。
一連の愚劣な言動の数々からは、「最悪の事態」とやらを想定しているようにはとても見えないのですけどね。
無能なくせに自分の無能ぶりを自覚せず、やたらと動き回りたがる居丈高な上司など、誰にとっても有害無益以外の何者でもないでしょう。
そこに来て「私は原子力に強いんだ」などとまでほざくサマは、まるで銀英伝の「フォーク准将」をリアルで見ているかのような錯覚にすら襲われてしまいましたよ。
そのうちこいつは突然転換性ヒステリー症でも引き起こし、盲目になって倒れてしまったりするのではないですかね(爆)。
この未曾有の国難に際して、こんな「売国無能」な阿呆と、こんな阿呆を首相に据えた民主党が政権を担っていることは、日本にとって大変不幸なことであるとしか言いようがないのですが。

それにしても、今回の原発問題におけるカンガンスの言動ほど、田中芳樹御用達の持論である「お前が戦争に行け」論の破綻ぶりを実地で証明している事例もないですね。
確かにカンガンスは、放射能汚染というリスクを背負いつつ現地に直接赴き、「陣頭指揮」に当たったわけなのですが、その結果はというと「何もしない方がマシだった」としか評しようのない惨状を呈している始末です。
最高指揮官たる政治家が「前線」に出たところで全く無意味、それどころか有害ですらあることを、カンガンスは見事に実証してのけたわけです。
リアルで実例ができてしまった以上、今後田中芳樹はもはや愚論と化した「お前が戦争に行け」論は振り回さない方が良いのではないかと私は思えてならないのですが、当の田中芳樹自身は果たしてどう考えているのでしょうかね。

大災害直後における「自粛」「不謹慎」ムードの弊害

東日本大震災の影響で、東北地方以外で行われる予定だった様々なイベントが、「自粛」という名の中止に次々と追い込まれています。
私の周囲でも、九州では間違いなく一大イベントになったであろう九州新幹線全線開業の祝賀イベントが中止され、また「作中に津波の描写がある」というだけで映画「ヒアアフター」が上映中止になったりしています。
ニュース報道を見ていても、全国各地で大手のイベントが次々と中止されている様子が報じられており、日本全国に「自粛ムード」が漂っている感すらあります。

しかし、「被災者に対する配慮」という「錦の御旗」「葵の印籠」を悪戯に振り回し、日本全体を沈滞させるような雰囲気を醸成したところで、それで誰かが救われるのでしょうか?
確かに、地震および津波による甚大な被害に遭った人達のことを想い、安否を心配する気持ちは大事でしょう。
しかし一方では、せっかく楽しみにしていたイベントが「自粛」になってしまった人もいれば、そのイベント開催のための準備に時間と手間をかけていた人もいるわけです。
彼らには、被災地の犠牲と被災者に対する配慮と同じくらい、「自粛」されたイベントに対する残念・無念な想いがあっても不思議ではありません。
また被災者達の中にも、自分達とは全く関係のない地方のイベントが次々と「自粛」されることについて忸怩たる想いを抱いている人だっているかもしれません。
ただでさえ地震絡みで暗いニュースが続く中、「不謹慎だから」という理由で「自粛」と称し被災者と一緒に沈滞化するのでは、自分も被災者も救われないでしょう。
むしろ、こういう暗いニュースが続く時【だからこそ】、暗さを吹き飛ばしてしまうような明るいイベントやエンターテイメントを「あえて」企画・実行することが求められても良いのではないでしょうか。
自分も被災者も両方が救われる方法をこそ、このような状況に限らず人は模索すべきなのです。

吉本興業が「自粛ではなく行動」をキャッチフレーズに、吉本興業が沖縄国際映画祭開催をチャリティー重視で行うことを発表したのだそうです。

http://megalodon.jp/2011-0315-2204-06/www.cinematoday.jp/page/N0031079

明るいイベントを催しつつ、チャリティーで寄付を募り被災者を金銭面から支援する。
これこそが「身近で誰にでもできる支援活動」であり、また被災者のためにもなることなのではないでしょうか。
すくなくとも、他ならぬ被災者達が大迷惑だと誰もが主張する「押しかけ素人ボランティア」「プロ市民」の類などよりも、はるかに被災者のためになることは確実でしょう。
「悲劇の報道合戦」でもやっているかのごときマスコミの暗いニュースの洪水に翻弄され、被災者に同情しているばかりでは、被災者が救われないどころか、経済活動の停滞をも招いて、他ならぬ自分自身すら窮乏に追い込んでしまうことにもなりかねません。
暗いご時世だからこそ「自粛」「不謹慎」などという「空気」を跳ね除けて明るく振る舞う、ということが必要とされるのではないでしょうか。

東日本大震災の影響で映画「ヒアアフター」が上映中止

東日本大震災の影響により、映画「ヒアアフター」の上映中止が決定されました。
また、3月26日に公開予定だった映画「唐山大地震 想い続けた32年」も上映が延期になるとのこと。

http://megalodon.jp/2011-0314-1750-50/sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110314/ent11031417060013-n1.htm

「ヒアアフター」が上映中止になる理由は、作中に津波の描写があり、東日本大震災のことを鑑みると「内容が適当ではない」と判断したからだそうです。
確かに「ヒアアフター」には、スマトラ沖地震をモデルにした大津波の描写が存在します。
しかし、「ヒアアフター」における津波関係のシーンは10分程度のものでしかありませんし、そもそも「ヒアアフター」は別に津波をメインテーマに据えた映画作品というわけでもないのです。
しかも作品の主人公のひとりであるマリー・ルノは、大津波に飲み込まれ臨死体験はするものの、結果としては無事生還して帰国しています。
見方によっては「大津波に飲み込まれても生還する人間の強さ」を表現している、とも解釈できなくはないと思うのですけどね。
これも一種の「表現の自由の自主規制」というものですし、作品の本質とはあまり関係のない部分を指して公開の自粛を求める、という手法はあまり良いものとは言えないのではないでしょうか。

まあこの手の大事件で、それと若干でも関連性が疑われる映画作品が公開自粛を求められる、というあり方自体は別に日本に限った話でもないのですけどね。
アメリカでも、2001年の同時多発テロ事件後に公開が予定されていた、テロ事件を扱ったアーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画「コラテラル・ダメージ」が、事件の煽りを受けて無期限延期になったという事例があったりします。
「コラテラル・ダメージ」は結局半年の期間を置いて公開されましたが、政治的な理由から映画公開が自粛されるというのは、映画ファンとしてはあまり気分が良いものではありませんでしたね。
ましてや「被災地&被災者への配慮」などという概念は、たとえそれが見当違いなものだったとしても、言論・表現の自由のみならずありとあらゆる活動を理屈抜きで抑制しえる「葵の印籠」「錦の御旗」のごとき絶対的な強さを持ちえます。

被災地&被災者に対する「救済」「援助」「復旧」は確かに必要なものでしょう。
しかし、本当に当事者達が望んでいるかどうかも分からない「配慮」などを、しかも全くの第三者が勝手に忖度して表現規制の道具として利用する、という事態は、すくなくとも無条件に許して良いもののようには思えないのですが……。

蓮舫と辻元清美の最悪お笑いコンビの誕生

東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)に伴う電力不足の発生に備えるとして、民主党は蓮舫を節電計画等担当相に、辻元清美を災害ボランティア担当の首相補佐官に任命すると発表しました。

http://megalodon.jp/2011-0314-0003-06/mainichi.jp/select/seiji/news/20110313mog00m010008000c.html

この期に及んでもなお、民主党は失態とパフォーマンスを欠かさないのですね。
事業仕分けパフォーマンスで一躍有名になった蓮舫は、過去の事業仕分けで「災害対策予備費」「学校耐震化予算」「地震再保険特別会計」などといった地震対策の諸費用を削減したひとりと目されています。

http://megalodon.jp/2011-0314-0054-44/rocketnews24.com/?p=80137

一方、辻元清美は言わずと知れた元社民党所属の議員で当然のことながら自衛隊否定論者でもあり、特に阪神大震災の際には被災地で「デイリーニーズ」というミニコミ紙をばら蒔いてサヨク系の政治宣伝に明け暮れていたという逸話を持つ人物です。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9881/sinsai.htm
<辻元清美ピースボート現地入り。印刷機を持ち込み宣伝ビラを配布し始める。
「生活に密着した情報をとどける」と銘打つが、内容は、
ピースボートの宣伝や、被災した喫茶店主の「国は17日付で公庫の返済分をきっちり引き落としよった」や、韓国基督大学による韓国風スープ炊き出しの話しなど。

無能なくせにやたらと働きたがるこの2人が政治の要職に据えられたとなれば、被災地の救助・復旧活動がどれほどまでの妨害を受けることになるのか、知れたものではありません。
さし当たって考えられるのは、「現地の視察」と称して被災地を頻繁に訪れ、交通費と現地の負担を飛躍的に増大させる、という事態でしょう。
実際、菅直人ことカンガンスが政治的パフォーマンスを理由に突然「原発の視察」を実施し、それが現地に多大な負担を与えた事例もすでにあるわけですし↓

http://megalodon.jp/2011-0313-0210-37/sankei.jp.msn.com/affairs/news/110312/dst11031223220294-n1.htm
http://megalodon.jp/2011-0313-0140-01/sankei.jp.msn.com/affairs/news/110312/dst11031223220294-n2.htm

過去の経歴や国民からの評価を見れば、地震対策の責任者によりにもよって蓮舫と辻元清美などを選択する行為が最悪の人選であることくらい、誰でも分かりそうなものなのですけどね。
「女性だから国民受けが良いだろう」的な安易かつ勘違いな理由で選ばれた以外の何物でもない人事、としか言いようがありません。

この2人が失態を晒して民主党の支持率が下がる分には自業自得かつ万々歳なのですが、それが被災地および被災者の負担にも繋がるとなれば、大多数の国民にとってはたまったものではないでしょう。
一刻も早くこの2人のクビを挿げ替えることこそが、被災地および被災者のためにもなると思うのですが。

映画「SP THE MOTION PICTURE 革命篇」感想

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映画「SP 革命篇」観に行ってきました。
フジテレビ系列で放送されたテレビドラマ「SP 警視庁警備部警護課第四係」の映画版「SP THE MOTION PICTURE」2部作の後編に当たります。
全く予備知識がなかった前作の観賞時とは異なり、今回はテレビドラマ版のエピソード0~4、映画版前編の「SP 野望篇」、そして「SP 革命前日」を全て網羅し、準備万端整えた上で映画観賞に臨むことと相成りました。
過去作を観賞した際の私の感想については以下を参照のこと↓

映画「SP THE MOTION PICTURE 野望篇」感想
テレビドラマ版「SP 警視庁警備部警護課第四係」エピソード1&2感想
テレビドラマ版「SP 警視庁警備部警護課第四係」エピソード3&4感想
テレビドラマ「SP 革命前日」感想

私が観に行った映画館では、初日で期待作ということもあり、スクリーンはほぼ満席状態でしたね。
ただ全国的に見れば、やはりこの作品も東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響は避けられなかったところだったでしょうけど。

物語は、「SP 革命前日」でも登場していた、妙にがらんどうな印象があるワンルームから、尾形総一郎が出勤していくところから始まります。
机には、これまた「SP 革命前日」で執筆していた井上薫宛に書かれた封筒が置かれています。
尾形総一郎はそれを胸ポケットにしまい、自らの職場である警視庁警備部警護課第四係へと向かうことになります。
一方、警視庁警備部警護課第四係では、サブリーダー格の石田光男と山本隆文が「SP 革命前日」で過ごした休暇の内容について語り合っています。
そこへ笹本絵里が登場し、山本隆文と2人でドツキ漫才を展開している最中に、我らが主人公である井上薫が入ってくるという展開になります。
しかしそこで突然、井上薫の例の危機感知能力が発動し、本人に「何かが起こる」と予感させます。
そんな中、トリで警視庁警備部警護課第四係に姿を現し、部下の4人組に、内閣総理大臣・麻田雄三の不信任案が提出される国会へ赴く4人の議員達を護衛する任務を伝える尾形総一郎。
エピソード4の最後と「SP 野望篇」以降、尾形総一郎に不信感を抱くようになっている井上薫もまた、議員のひとりの護衛任務に従事しつつ、国会議事堂へと向かうことになります。

国会議事堂の衆議院棟で本会議が始まる中、外で待機するSP4人組に別室を「検索」するよう命じて自分達と切り離しつつ、残ったSPメンバーと偽装した工作員達で国会議事堂の制圧に乗り出す尾形総一郎。
事前に周到な準備を整えていた襲撃側に対し、襲撃自体全く想定していない上に武器の携帯すら許されていないためにほとんど無防備と言っても過言ではない警備員達。
当然、マトモな勝負になどなるはずもなく、瞬く間に警備員達は倒され、衆議院棟へ続く通路は次々と封鎖されていきます。
そして全ての封鎖が完了し、不信任決議案で揉めに揉めている衆議院棟の扉を開き、拳銃を携えて侵入する襲撃者達。
国会議員達を銃で脅しつつ、壇上に上がった尾形総一郎は銃声一発と共に高らかに宣言します。
「国民の諸君に告ぐ。 現在をもって国会議事堂、衆議院棟は我々の支配下にはいった」と。
これが「革命」の始まりになります。

前作の「SP 野望篇」と同様、「SP 革命篇」のストーリーもまた、これまでの全エピソード、特に「SP 革命前日」を予め観ておかないと分からない設定が多いですね。
公安部所属の田中一郎が登場早々重傷を負って入院している光景や、本来国会警備の予定がなかったはずのSP4人組が国会警備に従事していることに気づいて愕然とする梶山光彦の姿などは、「SP 革命前日」を観ていないと意味不明な話でしかありませんし。
映画版「海猿」シリーズなどが単体でも話が成り立つ仕様であることを考えると、全ての話を踏襲しておかないとストーリーどころか人間関係や世界観すら理解できない、というのは、観客にとってはややハードルが高いかもしれません。
まあ、製作者側もその辺りのことを自覚していたからこそ、映画公開1週間前というタイミングで、スペシャルアンコール特別編や「SP 革命前日」をテレビ放送していたのでしょうけどね。

前作「SP 野望篇」で盛大に振舞われたアクションシーンは今作でも健在でした。
「革命」が始まり、SP4人組を始末に向かったSP四係新人チームとの戦いが勃発して以降はアクションシーンの連続。
エピソード2の戦いを髣髴とさせるような「そこら辺のありきたりな道具を使って撹乱・奇襲を仕掛ける」的な描写もあります。
ただ、それだけの卓越した戦いができるのに、衆議院棟の扉を守っていたSP所属の門番2人を倒す際に何故か丸腰同然で正面から説得に当たるという手に出ていたのは不可解もいいところでしたが。
国会制圧という挙に出ていたメンバー達は当然それなりの覚悟で事に当たっていたわけですし、井上達の説得に応じる方が変なのですし、それまでと同じように奇襲をかけて倒した方が安全確実だったのではないでしょうか。
相手が拳銃を一発ぶっ放すだけで衆議院棟や他の階にいる仲間達に自分達の所在が知られ、人質どころか自分達の身の安全すら確保しえなくなる、という現状でのあの作戦は無謀極まりない行為としか言いようがありませんし。

尾形総一郎が意図した「革命」の実態は、マスコミに国会を生中継させ、議事録にも発言内容を完全に記録させた状態で、特定政治家の過去の汚職や犯罪行為を暴露し、罪を認めさせるというもの。
何か一昔前の左翼グループの間でさかんに行われていた「総括」を想起させるものがあるのですが、本質的には「復讐」が目的だった尾形総一郎にとっては唯一絶対の必殺な策だったのでしょうね。
国民の審判を恐れる民主主義国家の政治家にとっては、確かにこれ以上ないほどに恐ろしい効果的な「罰」になりますし。

内閣を構成する閣僚達に対する追及から始まった「革命」は順調に推移し、最後に本命である麻田雄三が壇上に立たされることになります。
ここで麻田雄三は、自身を先輩として慕っていたとある議員の「自殺」についての「お前が殺したんだ!」と糾弾されることになるのですが、その際に描写された回想シーンから、実は尾形総一郎と伊達國雄が実の兄弟らしい、という事実が発覚します。
「SP 革命前日」で、伊達國雄が尾形総一郎を信頼しているかのような謎の発言を披露していたのはこれが原因だったわけですね。
しかし、尾形総一郎は確かに伊達國雄を裏切りませんでしたが、伊達國雄は尾形総一郎を見事なまでに裏切りました。
しかも伊達國雄は他の襲撃メンバー達も取り込み、尾形総一郎に銃口を向けさせるという念の入れよう。
さらにそこへ、門番達を説得し扉の向こうで待機していたSP4人組が乱入。
仲間の襲撃メンバーが次々と倒され、内と外の両面から尾形総一郎が意図した「革命」は失敗に終わってしまいます。

自分達の脅威が消失したことを知った議員達が扉に向かって殺到していく中、麻田雄三はよせば良いのに護衛もなしに単独で地下通路に逃げる道を選択してしまいます。
他の議員達をある意味「盾」にして一緒に安全圏まで逃げていれば、身の安全は普通に保証されていたのに、わざわざそんなことをするから尾形総一郎が追撃を開始してくるんですよね(苦笑)。
ここから始まる麻田雄三を巡る追跡劇は、アクションシーンがあることを除けばエピソード4のそれを想起させるものがありましたね。
これが最終的には、予告編や「SP 革命前日」にもあった屋上での対峙に繋がるわけです。

映画「SP 革命篇」は「運命の最終章」「The Final Episode」と謳われているのですが、終盤の展開を見る限りでは未だ解明されていない謎が残されており、また別の黒幕的な存在も暗示されています。
尾形総一郎が井上薫宛に出した封筒も、結局内容の公開どころか封を切られることすらなく終わってしまっていますし。
どう見ても「続きがある」ような終わり方をしているのですが、果たして続編が作られることはあるのでしょうか?

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