エントリー

2011年03月の記事は以下のとおりです。

九州新幹線、ついに全線開業

福岡・熊本・鹿児島の新たな交通網となる九州新幹線が、本日0時をもってついに全線開業しました。
特に熊本にとっては長年の悲願だった新幹線の開通です。

……とはいえ、九州新幹線全線開業に伴い各地で開催される予定だった祝賀イベントなどは、東北地方太平洋沖地震の影響で全て中止となってしまったのですが(T_T)。

http://megalodon.jp/2011-0311-2156-06/kumanichi.com/jyuyo_sokuho/2011/0311/20110311004.shtml

もちろん、JR九州や各自治体がそういう決断をせざるをえなかった事情は分かるのですが、この日のためにイベントの準備をしていた人達にとっては残念な話だったのではないかと。
不可抗力ながら、何とも不運な全線開業スタートを九州新幹線は切ることになってしまいましたね(-_-;;)。

熊本駅の集客性アップと莫大な経済的効果が期待される九州新幹線。
しかし一方で、熊本駅前周辺の再開発や人口・産業流出を防ぐための政策、魅力ある街づくりなど、今後の課題も少なくありません。
果たして九州新幹線は、熊本に人と活気をもたらす起爆剤たりえるでしょうか?

東北地方太平洋沖地震とマスコミの過熱報道

2011年3月11日14時46分頃に発生した東北地方太平洋沖地震により、東北・関東地方で大きな被害が発生しています。

http://megalodon.jp/2011-0311-1954-42/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110311-00000572-san-soci

幸い私は熊本在住なこともあり何も問題はないのですが、タナウツでは地震があった時間頃からサイトへのアクセス数が激減しています。
主に東北・関東地方からのアクセスが壊滅状態になったことが原因で、全く意外な形で地震の被害と脅威を目の当たりにすることになりました。
タナウツに御訪問下さっている北海道・東北・関東地方の方々の安否は大丈夫なのか心配です。
田中芳樹と「らいとすたっふ」メンバーの安否は、社長氏のツイートによればどうやら大丈夫だったようで、こちらは何よりでしたが。

現在、地震に関する情報は錯綜しており、一刻も早い現状把握と救助&復旧活動が求められます。
しかし、ここで問題となるのがマスコミの過熱報道。
2011年2月にニュージーランドのクライストチャーチで発生した地震でも、日本のマスコミの手段を選ばぬ報道ぶりは国際的に多大な非難を浴びました。

http://megalodon.jp/2011-0226-2215-51/www.47news.jp/CN/201102/CN2011022401000578.html

また、阪神大震災をはじめとする日本国内の地震や火山噴火等の災害でも、日本のマスコミは現地の救助活動にロクに協力しないばかりか、何機ものヘリを飛ばして爆音を轟かせて妨害行為に及んだり、無茶な突撃取材で現地の負担を悪戯に増やしたり顰蹙を買ったりしています。
今回もマスコミが同じことをしないという保証が一体どこにあるというのでしょうか?
ここぞとばかりに過熱報道に精を出すマスコミが、大迷惑な取材を敢行したり救助活動を妨害したりしても充分に対処できるよう、一定の警戒が必要です。
ただでさえ被災地および被災者は自分のことで手一杯なのに、愚劣なマスコミの相手までしなければならないのですからたまったものではないのですけどね。

菅直人ことカンガンスが在日韓国人から献金を授受

大臣を辞任した前原誠司に続き、民主党の菅直人ことカンガンスが在日韓国人から献金を受けていた事実が発覚しました。

http://megalodon.jp/2011-0311-1250-24/www.asahi.com/national/update/0311/TKY201103100625.html

正直この報道、朝日のスクープということもあって「本当のことなのか?」と信憑性について疑問を抱かざるをえなかったのですが、当のカンガンスが事実関係を認めてしまったようでして↓

http://megalodon.jp/2011-0311-1111-17/sankei.jp.msn.com/politics/news/110311/plc11031109030010-n1.htm

献金の際には「通名」である日本名が記載されており、「在日による日本人成りすまし」の献金がまたしても行われたことになります。
政治資金規正法では、政治家が外国人から献金を受けることを禁止しています。
にもかかわらず、在日韓国・朝鮮人達が「通名」を駆使して献金を行うというのは、不正行為で日本の政治に干渉しようとする意思の表れ以外の何物でもありません。
「通名」が使われるから日本人か否かの判別がつきにくい、というのであれば、通名制度の全面的な見直し、場合によっては廃止まで含めた検討をすべきでしょう。
通名制度は一般的な日本人にとっては何の意味もないばかりか、日本人偽装や犯罪に悪用される危険性すらあることが実地で証明されてしまっているのですから。
まさか民主党も、自分達が骨を砕いて献身しているはずの在日に陥れられるとは考えてもいなかったでしょうね。
まあ、そうなったところで民主党の自業自得でしかないのですけど(苦笑)。

あと、今回の件がカンガンスの進退問題に直結するのは確実でしょうね。
4~5年間で総計20~25万程度の献金だった前原誠司が辞任したにもかかわらず、2006年と2009年の2回で104万円の献金を受け取っているカンガンスが辞任しないのは筋が通りません。
立て続けの不祥事続きで党内からさえそっぽを向かれつつあるのですし、いくら当人が強がってみせたところで、普通に辞任という方向に行かざるをえないのではないでしょうか。
民主党の存在自体が日本にとって害なのですから、できれば民主党自体も壊滅の方向へ持っていける形で職を投げて欲しいところなのですけどね(爆)。

映画「わさお」感想

ファイル 297-1.jpg

映画「わさお」観に行ってきました。
青森県西津軽郡にある鰺ヶ沢町(あじがさわまち)を舞台に、ネットで有名になった秋田犬長毛種のブサかわ犬・わさおの半生を描いたハートフルドラマ。
薬師丸ひろ子が22年ぶりに主演を演じ、また主人公である「わさお」を、代替犬を使うことなく本物のブサかわ犬である「きくやわさお」が自ら演じたということでも話題になった作品です。

物語は、過去に行われた鯵ヶ沢町のトライアスロン大会の際、両親と姉弟の4人家族が映し出されるところから始まります。
その中の末っ子の少年アキラは片手にシロという白い子犬を、片手に赤いボールを持ち、選手達の応援をしていました。
しかしその時、ふとした拍子に赤いボールが道路に転げ落ち、それを取ろうとシロが道路に飛び出してしまいます。
そこへ、お約束のように登場し、シロを跳ね飛ばさんと迫ってくる車。
事態に気づいた母親が道路に飛び出してシロを庇い、結果、シロの代わりに母親が交通事故に遭い半身不随となってしまいます。
そのことにショックを受けたアキラは子犬を飼う気を無くしてしまい、シロに対して半泣きになりながら「おまえなんかどっかに行っちゃえ!」という罵倒を投げつけ、子犬は東京の親戚にもらわれていってしまいます。
しかし、アキラのことが忘れられないシロは、親戚のオバサンが玄関先で配達人?の相手をしている隙を突いて空いていた窓から脱走し、鯵ヶ沢町までの長い旅に出ることになります。

月日は流れ、鯵ヶ沢町では畑が何者かに荒らされる被害が出ていました。
被害状況から見てクマか大きな野犬ではないかという疑惑が駆け巡り、住民が対処に追われる中、白いライオンのような犬が町のあちこちで目撃されるようになります。
鯵ヶ沢町の海辺でイカ焼き屋を経営し、元捨て犬だった4匹の犬を飼っていた薬師丸ひろ子演じる菊谷セツ子の前にも、この白いライオンのような犬が現れます。
もちろん、この犬の正体は、東京から鯵ヶ沢町までの長い旅を経て成長したシロだったりするのですが。
菊谷セツ子が初めてシロを見た際の感想は「ギリギリな犬」「わさわさしてる」。
菊谷セツ子はこれまで拾ってきた犬達と同じように「ギリギリな犬」と接し、当初は餌をやろうとしても拒否されていた「ギリギリな犬」も、ナギサという老犬が普通に食べる様子を目撃したからなのか、やがて餌を食べるようになります。
菊谷セツ子はこの「ギリギリな犬」に「わさお」という名前をつけ、なにかと世話をしていくことになるのですが……。

内容を見る限り、映画「わさお」はわさおファンを意識して製作された作品、というイメージがありますね。
作中で展開されるわさお関連のエピソードは、明らかにわさお関連のブログで取り上げられたネタを元に作られています。
たとえば、菊谷セツ子がわさおと初めて出会うシーンなのですが、これはわさおがブサかわ犬として全国的に有名になる発端となったブログ記事をベースにしていたりするんですよね↓

イカの町で出会ったモジャモジャ犬「わさお」 ― メレンゲが腐るほど恋したい
http://d.hatena.ne.jp/mereco/20080526/p1

両者が出会った場所からして、上記のブログ記事に掲載されているこの画像の風景そのものでしたし↓

ファイル 297-2.jpg

また、わさおとの初対面の際における菊谷セツ子の第一声もまた、件のブログ記事を執筆したブログ主であるメレ子さんの第一声「なんか犬としてもギリギリな感じの犬がいるー!」とほぼ同じものだったりします。
「わさお」という名前自体もこの時メレ子さんが仮に名付けたものですし。
実際のわさおは国道沿いで捨てられていたのを拾われたらしく、最初は「レオ」と名付けられていたようなのですが、飼い主である菊谷節子さんが「わさお」という名前を一発で気に入り、正式名称も2009年初頭に「わさお」へ改名したのだとか。
その辺りの経緯はこちらに載っています↓

レオがわさおになった理由(わけ) ― わさお通信:今日のしっぽ
http://www.toonippo.co.jp/blog/wasao/2009/01/24213145.html

さらに作中では、菊谷セツ子が元々飼っていた4匹の犬のうち、ナギサという老齢の犬が天寿を全うすることになるのですが、こちらも実際に菊谷商店でわさおと一緒に飼われていたチビという老犬のエピソードをベースにしたものです。
元ネタはこちら↓

チビ永眠 ― わさお通信:今日のしっぽ
http://www.toonippo.co.jp/blog/wasao/2010/05/02194623.html

ここでは、ナギサの死期が近いことを悟った菊谷夫妻がつきっきりで見守りつつも、夜も遅いこともあってついうたた寝してしまった間にナギサが逝ってしまうのですが、夜中にどこからともなく出てきたわさおがナギサの死を看取り、菊谷夫妻も朝になって残された毛からそのことを知る、というストーリーが展開されます。
ちょっと目を離してしまった間に老犬が逝ってしまい最期を看取りそこなう、というパターンは、実は私の実家でも似たようなことが過去にあったので、この辺りの話は個人的に他のシーンよりも飼い主に感情移入して観ていましたね。
この話の元ネタとなった老犬のチビは、昼過ぎ頃に永眠したということもあってか、飼い主とわさおにきちんと看取られての最期だったようですが。

作中に登場した動物達は、本犬役を演じた「きくやわさお」のみならず、菊谷商店で飼われていた4匹の犬や、菊谷商店の周囲にたむろしていた猫達も含めて、皆自由にのびのびしている感がありましたね。
飼い主が海岸で犬達の放し飼いにして好きに走らせたりする描写がありますし、菊谷商店に居つくようになって以降のわさおも基本は放し飼いです。
製作者達も、犬達の自然な様子を撮りたいという意図から、あえて訓練を受けていない犬を選んだとのことで、その辺りはさすが上手く表現できているのではないかと思いました。
ただ、主演という割には、思ったよりもわさおの出番が少なかったような印象は否めませんね。
特に物語中盤付近における鯵ヶ沢トライアスロン大会などでは、わさおはほとんどストーリーに絡むことがありませんでしたし、それ以外にも小さなエピソードを大量に詰め込み過ぎているような感もあります。
この辺りに「訓練された犬」ではなく本犬自身が出演、ということで生じる問題や限界などがありそうですね。

動物映画でありながら悲劇的な結末で終わらない、という点において、映画「わさお」は愛犬家にとってはある意味「安心して観れる作品」だったりします。
忠犬ハチ公や今年の6月公開予定の映画「星守る犬」などのように「飼い主・飼い犬のどちらか、もしくは双方共に死をもって終わる」的な悲劇的結末だと、確かに感動的ではあるかもしれませんが同時に悲しくもなってくるので、個人的にはあまり好きにはなれないんですよね。
悲劇で終わらない動物映画って最近少ないので、そういう観点から見ると、映画「わさお」は動物映画としては希少な部類の作品と言えるのかもしれません。

「髑髏城の花嫁」3月10日時点進捗状況

http://twitter.com/adachi_hiro/status/45636837598953472
<昨夜10時過ぎ、携帯に田中芳樹さんから電話。何ごとか、と思って出てみたら「執筆中の原稿、6章まで上がったよ」とのことだった。で、「全部で8章だてですよね、あと2章、頑張ってください。今日だけはのんびりしていてもいいですよ」と返したら、苦笑いして電話を切られた。むぅ。>

やっと全体の4分の3に到達ですか。
やはりというか何と言うか、想像以上の遅さとしか評しようがないですね。
当初の予定では、去年の晩秋で「髑髏城の花嫁」は完成しているはずだったのですが(T_T)。
田中芳樹は「納期」という言葉が一体どのような概念と意味を持っているのかについて、小学校レベルから学び直した方が良いのではないかと、今更ながらに思えてなりませんね。
「予定通り遅れています」「生産力の低さで定評のある私」などというタワゴトがジョークとして通用した時期など、すでに15年以上も前の昔に終わっているのですけどね、田中センセイ。

あと、以前にWebコミック化されていた「KLAN」が単行本化されたそうです。

http://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2011/03/klanno-600e.html

この作品を田中芳樹が執筆を1巻だけに留めて早々に他の作家に丸投げしたことについては、すくなくとも結果論としては評価せずにはいられませんね。
「KLAN」は1巻時点ですでに「創竜伝の劣化版」に成り果てていましたし、2巻以降も田中芳樹が執筆を続けていたら、舞台が現代ということも相まって、創竜伝並に社会評論が大量挿入されまくるゴミのような作品に堕していたのは確実ですから。
田中芳樹に続きを書かれることがなくて「KLAN」という作品も実に幸せだったと思いますよ、創竜伝と薬師寺シリーズの惨状を見る限りでは。
できればその調子で、創竜伝と薬師寺シリーズも同じように他人に丸投げするか、そうでなければ廃棄して欲しい、というのが私の「多分叶えられないであろう」願いですね。
まあもっとも、基本が1話完結で「とりあえずは」使い勝手も悪くない薬師寺シリーズならともかく、ストーリーも作品設定もグチャグチャで意味不明なウルトラトンデモ作品と化している創竜伝を引き継いでくれる作家なんて、世界中探してもいなさそうではあるのですが(爆)。

日本に竹島領有権放棄を求める民主党の土肥隆一

民主党の土肥隆一衆議院議員(兵庫3区)が、日本に対し竹島領有権の主張中止を求める共同宣言に名を連ね、韓国の国会で共同記者会見までしていることが判明しました。
同議員は「個人的には、竹島は日本の領土とは一概にはいえないのではと思っている」とまで話しているそうです。

http://megalodon.jp/2011-0309-1954-17/sankei.jp.msn.com/politics/news/110309/plc11030914140020-n1.htm
http://megalodon.jp/2011-0309-1830-35/sankei.jp.msn.com/politics/news/110309/plc11030914140020-n2.htm

この人、日本が何故竹島の領有権を主張しているのか、また島根県が何故「竹島の日」なる記念日まで作っているのかという基本的な認識すらも全くなっていないのではありませんかね?
竹島は歴史的に見ても17世紀頃から当時の江戸幕府が日本の領土であると認識しており(当時の竹島は「松島」という名前で、当時「竹島」と呼ばれていたのは現在の韓国領鬱陵島)、また19世紀に起こった浜田藩の密貿易事件である「竹島事件」でも、取り沙汰されたのは鬱陵島(当時の竹島)への渡航であり、竹島(当時の松島)のそれは全く問題になっていないのです。
1905年に島根県が編入する以前から竹島は日本の領土だったのですし、韓国が竹島の領有権を主張するのは「李承晩ライン」以降の話であり、しかもその際には大勢の日本人を武力で拉致して日本を恫喝するなどという所業まで行っていたわけです。
さらに竹島の領有には、周辺海域の広大な排他的経済水域の漁業権および海底資源の権利も伴っており、竹島の領有は日本の国益にも合致することなのです。
何故、その竹島の領有権主張を止め、韓国にくれてやらなければならないのでしょうか?

日本の国会議員でありながら韓国の主張に迎合した土肥隆一なる人物は、元々朝鮮半島出身の人間で、また今回の件以前にも「日本の植民地支配」なるものについて、日韓キリスト教議員連盟の日本側代表として謝罪するパフォーマンスを披露したりしています。
さらに今回の件が報道されるや、批判されるのを恐れてのことなのか、自身の公式サイトを閉鎖しています。
「売国無能」を旨とする民主党の基本方針をキッチリ踏襲している典型的かつスタンダードな民主党議員、といったところでしょうか(苦笑)。
上から末端に至るまでこんな人間ばかりが生息している組織、というのも世界的に珍しい話としか言いようがないですね。
そんなものに振り回される大多数の日本国民にとっては迷惑な話ですが。

民主党が「外国人からの献金禁止」の見直しを示唆

政治資金規正法違反の責任を取って大臣を辞任した前原誠司の騒動を巡り、民主党内では政治資金規正法の「外国人からの献金禁止」の条項を見直す声が相次いでいる模様。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011030800381

要するに、法に基づいて献金のシステムを改善したり、外国人からの支援を当てにするなどといった自分達のスタンスを見直したりするのではなく、自分達の都合に合わせて法を変えてしまおうというわけです。
前原誠司の政治資金規正法違反について、民主党が反省どころか「悪いことをした」という罪の意識すら全くないサマが見え見えですね。

民主党は政治資金規正法に何故「外国人からの献金禁止」の条項が存在するのか理解していないのでしょうか?
外国の個人または団体からの献金に依存するようになると、自国の政治が外国の意向によって左右される事態が生じかねない、それを未然に防止するための規定であることくらい、誰でも簡単に分かりそうなものなのですが。
外国人が日本名を名乗っている場合は外国人の区別がつきにくい、というのであれば、逆に外国人が日本名を名乗ったり、偽名で献金したりする行為こそ禁止すべきではありませんか。
日本国籍を持たない在日韓国・朝鮮人が、容易に変更できる通名を名乗って銀行口座まで作れたりすること自体が変なのですし。
自分の国籍まで偽装できる通名が公然とまかり通っていることの方がはるかに問題でしょうに、どうしてそちらに問題意識が向かないのか、理解に苦しむのですが。

こういうのって、田中芳樹が大好きな中国の言葉で言えば「法匪」というシロモノなのではないかと思うのですが、大の民主党支持者であろう田中芳樹的にはやはり心中複雑なものがあるのでしょうね(苦笑)。
これでますます、創竜伝や薬師寺シリーズで政治ネタが書けなくなってしまいましたね、田中センセイ(爆)。

コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】

ファイル 293-1.gifファイル 293-2.gif

コミック版「大奥」検証考察7回目。
今回の検証テーマは 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
過去の「大奥」に関する記事はこちら↓

映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】

コミック版「大奥」の世界を見てみると、そこでは女性の男性に対する異常なまでの偏見や差別が横行していることが分かります。
たとえば、徳川3代将軍家光が死去してまもなく「慶安の変」という事件が勃発しています。
「慶安の変」というのは、家光時代に行われた多数の減封・改易によって浪人の身に追いやられ、再仕官の道も閉ざされた武士達の救済を目的に、当時の軍学者だった由井正雪をはじめとする一派が引き起こした討幕未遂事件のことを指します。
その内容は、風の強い日を選んで江戸の町に火を放ちつつ、小石川の幕府火薬庫を爆破して混乱を発生させ、それに乗じて老中や旗本を討ち取り江戸城を占拠、さらに駿府・大坂・京都でも反乱を起こし、最終的に幕府を転覆させるというものでした。
この計画は結局、決行直前に密告者によって幕府側に露見してしまい、決行前に由井正雪一派が幕府によって一網打尽にされるという形で未遂に終わります。
この事件の反省から、幕府は改易を減らすために末期養子の禁を緩和したり、浪人の採用を奨励したりするなど浪人対策に力を入れるようになり、それまでの減封・改易を乱発してきた武断政治から、法律や学問によって世を治める文治主義に移行していくことになります。

コミック版「大奥」の世界でも「慶安の変」は同じように発生しています。
しかもその構成員は「史実同様に」全員男性であり、さらに彼らは「自分達に仕官の口を与えない」と幕府に対する不満と怒りを抱いています。
……この時点ですでにおかしな話なのですが、何故男性が激減しているはずの「大奥」世界で、浪人の「男性」が仕官に苦しむなどという事態が発生しているのでしょうか?
「赤面疱瘡」の蔓延によって男性が激減しているこの世界では、男性は身分を問わず喉から手が出るほど欲しい存在であるはずですし、「慶安の変」当時はまだ女性相続が一時的な措置に過ぎないという認識が強かった時代です。
この当時であれば男性相続にこだわる武家も少なくはなかったでしょうし、お家相続に幕府の認可を必要とする大名家はともかく、それ以外の武家であれば「養子」を取るのにすくなくとも幕府の認可は必要としません(代わりに直接の主君である大名の許可が必要にはなりますが)。
職を失った浪人達と、家の存続のために男性を求める武家。
需要と供給は見事に一致しているわけですし、互いの利害から両者の間で普通に「取引」が成立しそうなものなのですけどね。
皮肉なことに、「赤面疱瘡」で男性人口が激減しているが故に、却って史実ではありえないはずのこういう抜け道が成立してしまったりもするわけです。

しかし現実には、「慶安の変」を画策していた男性達は「史実同様の」不満を並べて討幕を画策していますし、また「慶安の変」鎮定後の事後処理における幕閣達の会話でも、巷に浪人が溢れかえっていることが明示されています。
一体何故、経済の論理から考えても妥当な抜け道が「大奥」世界では成立しえないのか?
その答えは、「慶安の変」後の事後処理に当たっていた幕閣のひとりである酒井忠清(もちろん女性)の発言に表れているのではないでしょうか↓

(「慶安の変」の計画内容を聞いた後)
「ですから、浪人の男どもは皆、江戸から追い出すべきなのです!」
「大体ひとところに男どもがうじゃうじゃと集まって密談をしている図なぞ考えただけでもああおぞましや」
(コミック版「大奥」4巻P67)

……そりゃこんな男性に対する差別・偏見の類が女性社会で大手を振ってまかり通っていたら、武家が浪人達を養子に迎えようとしても、家の中で実質的な権力を握っている女性に反対されることは必至でしょうし、「男性の」浪人が社会に溢れて謀反を画策するのも必然というものでしょう。
この酒井忠清のような女性が決して少数派などでないことは、後の徳川5代将軍綱吉が「遠き戦国の血なまぐさい気風」として【男性そのもの】を断罪した挙句、武家の男性存続禁止令を出したことや、それに対する社会的な不満や悪評が全く出てこなかったこと、そして何よりもたった6年弱しか続かなかったはずの男性存続禁止令がその短期間で慣習化されてしまった作中事実からも窺い知ることができます。
特に元禄赤穂事件で仇として討ち取られる羽目になった吉良上野介義央などは、今際の際でさえ「浅野内匠頭や大石内蔵助が女であればこんなことにはならなかった」などと心の中で嘆いたりする始末でしたし。
コミック版「大奥」の世界は、家の存続や社会的安定などよりもはるかに重要と見做されるレベルの男性差別が存在する社会である、と言えるのではないでしょうか。

また、「赤面疱瘡」の大流行で男性が激減したからといって、男性が子作り以外の仕事を担わなくなった理由も理解に苦しむものがあります。
確かに「赤面疱瘡」は伝染性も致死性の高い病気ではありますが、病気を患う主な年齢層は12~17歳までと極めて限定的です。
もちろん、稀にそれ以上の年齢の男性でも「赤面疱瘡」にかかる場合があることは明示されていますが、それもほとんどの場合は軽い症状で済むということもまた、作中キャラクターによって示されています。
そしてこれが一番重要なことなのですが、「大奥」世界における人間は、このような「赤面疱瘡」の特性を身分の別を問わず誰もが知っているのです。
そこまで正確な知識が社会的に周知されているのであれば、「赤面疱瘡」を患う危険が高い時期だけ社会的に隔離した上で、その後は以前の時代と同じように社会で働かせる、という選択肢がない方がおかしいでしょう。
20歳以上の男性に対してまで、患う可能性が著しく低い「赤面疱瘡」で死なせることを恐れて子作りに専念させなければならない理由がありません。
しかも「大奥」世界においても、カネをもらって子作りを行う行為は「賤業」同然の扱いを受けているのです。
大部分の男性、それも「赤面疱瘡」の脅威が薄れている年配の男性までもが、何故「賤業」という仕事に唯々諾々と従事しなければならないのか?
そこにも私は、「大奥」世界における社会的な男性差別・偏見の意図を感じずにはいられないのですが。

「大奥」世界における男性の地位が低いのは、「赤面疱瘡」そのものが原因なのではなく、「赤面疱瘡」を口実に男性を押さえつけ、自身の権力および社会的地位を確保・維持しようとする女性側の意図と、それを後押しする社会的な政策があったからではないのか?
コミック版「大奥」を読む限り、そういう仮説でも立てないと作中世界の支離滅裂な慣習や作中キャラクターの意味不明な言動の説明などやりようがないのですが、果たして作者本人的にはどんな意図でもって作中世界を構築していたのやら。

さて、コミック版「大奥」検証考察シリーズも、次の回でとりあえず一区切りをつける予定です。
一区切り、というのは、一応次の回で既存6巻までに出てきた検証テーマが一巡するので、そこから先の検証考察は次の巻が出るまでやりようがない、というのが実情なものでして(^^;;)。
コミック版「大奥」検証考察シリーズ自体は、コミック版「大奥」が完結するまで続けたいと考えているのですけどね。
そんなわけで、一応の一区切りとなる次回8回目の検証考察は、「赤面疱瘡」以上に「大奥」世界を蝕む真の社会的病巣について論じてみたいと思います。

映画「ツーリスト」感想

ファイル 292-1.jpg

映画「ツーリスト」観に行ってきました。
ハリウッドのトップスターである、ジョニー・デップとアンジェリーナ・ジョリーが初共演するということで話題を集めた、2005年公開のフランス映画「アントニー・ジマー」のリメイク作品です。

この作品序盤の舞台はフランスのパリ。
アンジェリーナ・ジョリー扮する謎の美女エリーズ・クリフトン・ワードと、彼女の動向を密かに監視するイギリス警察との駆け引きから物語は始まります。
イギリス警察はとある組織から大量のカネを盗み、かつ7億4400万ポンドもの脱税行為を働いたアレクサンダー・ピアースという男の行方を追っていました。
エリーズはアレクサンダー・ピアースの恋人と目されており、彼女を通じてアレクサンダー・ピアースの行方を探る目的から、彼女が警察からマークされていたわけです。
そんなある日、彼女は朝食を取っていたレストランで、配達人からアレクサンダー・ピアースからの手紙を受け取ります。
そこには、8時22分のリヨン駅発イタリア・ヴェニス(ヴェネツィア)のサンタルチア駅行の列車に乗り、自分と良く似た体格の人間を探し自分の身代わりにしろとの指示が書かれていました。
手紙を燃やして監視の目を何とか撒いて問題の列車に乗ったエリーズは、そこでジョニー・デップが演じるアメリカ人教師でイタリア旅行の途上にあったフランク・トゥーペロと出会い、声をかけることになります。
エリーズとフランスは列車内の食堂室?の中で楽しく会話を交わしますが、その様子を、手紙の燃えカスを回収・分析し先回りしていた警察によって携帯画像に収められ、フランクは「アレクサンダー・ピアースではないか?」という疑いの目を向けられることになります。
列車から降りたところを取り押さえるべく、終点のサンタルチア駅ですぐさま非常線を張るイギリス警察。
しかしその後、警察本部が採取されたフランクの画像を照合していった結果、フランクの身元が確認されたため、2人が駅に着く直前になって非常線は解除されます。

しかし、この一時的な嫌疑を真に受けた警察内部のスパイが、「フランクはアレクサンダー・ピアースである」と外部に連絡したことが、物語をさらに進展させていくことになります。
スパイから連絡を受けたのは、アレクサンダー・ピアースによってカネを奪われた組織のボスであるレジナルド・ショー。
彼が率いる組織は、早速エリーズとフランクが宿泊するホテルの監視を始め、エリーズがフランクにキスした場面を目撃したことから、勘違いが事実であると確信するようになります。
そして翌日の朝、エリーズがいなくなったホテルの部屋で、フランクは組織からの襲撃を受けることになるのですが……。

映画「ツーリスト」は、主人公をも含めた登場人物達に謎があり、それを暴いていく過程を楽しむことをメインとしている点で、今作と同じくアンジェリーナ・ジョリーが主役を演じた映画「ソルト」を想起させるものがありますね。
ただ「ソルト」と異なり、「ツーリスト」ではアクションシーンが作中でほとんど展開されず、終始ミステリー的な頭脳戦や駆け引きをメインにストーリーは進行していきます。
フランクがホテルから逃げるシーンと、ヴェニスの街を舞台に繰り広げられた水上ボートの逃走劇が、作中で展開されたアクションシーンと言えるものではありましたが、時間が短い上にハリウッドお得意な迫力とスピード感はゼロに近いシロモノでしたし。
私がアンジェリーナ・ジョリー主演作品で観賞したことのある作品と言えば、「ソルト」以外にも「トゥームレイダー1&2」「Mr.&Mrs.スミス」「ウォンテッド」といったものがあるのですが、全部アクションシーンがバリバリに出てくる作品ですし、そういう作品をメインに活動している女優というイメージがあったので、かなり意外な感は禁じえなかったところですね。
一方で、ジョニー・デップ主演作品の方は今まで1作も観ていなかったので、こちらはそういう印象などそもそも抱きようがありませんでした(^^;;)。

ミステリーの醍醐味とも言える物語終盤には驚愕の真相が待ち構えています。
その真相が分かるための伏線は一応物語後半に用意されていたのですが、私の場合、映画観賞時はその伏線に注意を払っていなかったこともあって、突然の急展開に一瞬話についていけなかったクチだったりします(^^;;)。
映画観賞終了後に内容を思い返し、「ああ、あそこにああいう伏線があったなぁ」とようやく合点が行き、話の全体像が見えてくるというありさま。
アレクサンダー・ピアースを追っていたジョン・アチソン警部が、ことの真相を知って茫然自失しつつ空を眺めているシーンは、私もついつい共感せずにはいられませんでしたね(T_T)。

映画「ツーリスト」はアメリカ本国では興行的に失敗しているとのことで、また第68回ゴールデングローブ賞では何故かミュージカル・コメディ部門にノミネートされて批判を受けるなど、何かと醜聞が付き纏う映画だったようです。
作品を見る限り、確かにアメリカ人受けはしないような内容でしたが、果たして日本ではどのような評価を受けることになるでしょうか?

テレビドラマ「SP 革命前日」感想

ファイル 291-1.jpg

2011年3月4日に再放送されたテレビドラマ版「SP 警視庁警備部警護課第四係」シリーズのスペシャルアンコール特別編、および翌3月5日放送のテレビドラマ「SP 革命前日」を観賞しました。
3月12日公開予定の映画「SP THE MOTION PICTURE 革命篇」の事前復習&予習にはもってこいの番組だったので、久々のテレビ番組観賞になりましたね。
何しろ、前回観賞した映画「SP 野望篇」は、それまでのSPシリーズを全部観ていないと世界観すら理解できないストーリーになっていましたし。

スペシャルアンコール特別編は、テレビドラマ版SPシリーズのエピソード0~4までのストーリーおよびメインの場面をダイジェストにまとめたもの。
私の場合、事実上の開始点となるエピソード0だけは全く観賞できていなかったので、この点はありがたかったですね。
ちなみに、DVDを借りて観賞したエピソード1~4に関する私の感想はこちら↓

エピソード1&2
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-181.html
エピソード3&4
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-188.html

一方、「SP 革命前日」の方は、前半50分ほどが映画「SP 野望篇」のこれまたダイジェスト版で、後半が革命前日本編となります。
映画のダイジェスト版といっても、映画自体が1時間38分しかないこともあり、内容の把握には充分な分量がありましたが。
ただ、今回はエピソード1~4を予め観た上での復習となりましたので、以前映画を観賞した際にはよく分からなかった人物関係が今度は明確に理解できたのは収穫でした。

21時50分を過ぎた頃から革命前日本編が始まります。
こちらは、前回負傷した傷もある程度回復して束の間の休日を楽しむSP4人組と、来るべき「革命の日」に向けて着々と準備を進めていく黒幕達が描かれています。
高校時代から付き合っている彼女と久々に出会い、映画を観に行ったりラーメン屋?で外食したりしつつ、彼女からSPを辞めるよう言われる山本隆文。
久々に自分の妻子と再会しつつ、幼い娘と1日を共に過ごし、夕方また別れる際、子供のためにやはりSPの仕事を辞めるよう妻から催促されるSP第四係サブリーダー格の石田光男。
彼らはSPの仕事を続ける理由として、主人公である井上薫のことが心配だからしばらく見守りたいという主旨の主張を展開しますが、真剣味があった後者はともかく、前者は微妙に言い訳を探していたかのような雰囲気が否めませんでしたね。
まあどちらも言っていること自体は嘘ではないと思うのですが。

一方、主人公の井上薫は、エピソード2で検査してもらった病院で、脳内活性の状態が一段と悪化していることを告げられます。
症状改善のために女性医師から休養を進められますが、井上薫は「まだ現場を離れるわけにはいかない」とそれを拒否。
病院から引き上げる途中、井上薫は病院のロビーでSP第四係の紅一点である笹本絵里とばったり遭遇します。
井上薫と上司である尾形総一郎の関係がおかしいことを心配していた笹本絵里は、「息抜き」という名目で井上薫を強引に連れ回します。
バッティングセンターで球を打ちまくったり、大仏を眺めて心を和ませたりと、何とも奇妙な「デート」と言えるものでしたが(苦笑)。
それでも帰りの電車の中、井上薫に笹本絵里に説得されてその心情の一部を告白することになります。

作中で何やら画策しているらしい悪役達に目を向けてみると、尾形総一郎は自室?で
「革命」を決行する同志達の準備完了報告のメールをたびたび確認しつつ、何かの手紙を書いていたりします。
終盤の場面で、その手紙が井上薫宛に書かれていたものであることが判明。
尾形総一郎が井上薫に何を伝えたかったのかは、映画「SP 革命篇」のお楽しみといったところですね。
また尾形総一郎は、「革命当日」における国会議事堂の警備の配置について、当初決められていた配置を修正し、井上薫らSP4人組を警備に追加させるよう上層部に働きかけています。
作中における他の登場人物達の会話から察するに、これは「革命」の予定には全く含まれていないもののように思われるのですが、さて、これが一体どのような結果を招くことになるのやら。

また、今ひとりの黒幕と目される与党幹事長の伊達國雄もまた、奇妙な言動を披露しています。
尾形総一郎の行動に不審を抱き、監視をつけるべきだったのではないかと主張する側近に対し、伊達國雄は「これでいいんだ」という反応を返し、「あいつは絶対に裏切らない」と呟いたりしています。
「私を信用していますか?」と質問した側近に対して「信用なんかするわけないだろ、誰も彼も」みたいな主張をしていた言動を直前に披露していたこともあり、伊達國雄が尾形総一郎に何らかの信頼感を抱いていることは間違いないようです。
伊達國雄と尾形総一郎は一体どのような関係にあるのか?

さらに、警視庁公安部所属で尾形総一郎一派の調査を密かに行っていた田中一郎は、尾形総一郎の実家で何やら驚くべき情報を掴んだ模様。
ただ、彼自身も密かに監視されており、尾形総一郎の実家を出て帰途につく途中で襲撃を受けてしまいます。
突然の襲撃で彼は殺される直前まで行ったのですが、たまたま目撃者に見られたことからかろうじて一命を取りとめ、病院に収容されることになります。
秘密の真相はこちらもやはり「SP 革命篇」を待つことになりますね。

テレビドラマ版から続く登場人物達の謎と因縁、そして作中に張り巡らされた伏線が果たしてどのように収束・昇華されていくのか、楽しみなところではありますね。
私も映画「SP 革命篇」は映画館へ観に行く予定です。

ページ移動

  • ページ
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4

ユーティリティ

2011年03月

- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

ページ

  • ページが登録されていません。

新着画像

新着トラックバック

Re:デスクトップパソコンの買い換え戦略 ハードウェア編
2024/12/04 from refreshable braille display
Re:デスクトップパソコンの買い換え戦略 ハードウェア編
2024/11/19 from ヘッドレスト モニター 取り付け
Re:映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」感想
2014/11/27 from 黄昏のシネマハウス
Re:映画「プリンセストヨトミ」感想
2014/10/22 from とつぜんブログ
Re:映画「ひみつのアッコちゃん」感想
2014/10/19 from cinema-days 映画な日々

Feed