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2011年03月15日の記事は以下のとおりです。

東日本大震災の影響で映画「ヒアアフター」が上映中止

東日本大震災の影響により、映画「ヒアアフター」の上映中止が決定されました。
また、3月26日に公開予定だった映画「唐山大地震 想い続けた32年」も上映が延期になるとのこと。

http://megalodon.jp/2011-0314-1750-50/sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110314/ent11031417060013-n1.htm

「ヒアアフター」が上映中止になる理由は、作中に津波の描写があり、東日本大震災のことを鑑みると「内容が適当ではない」と判断したからだそうです。
確かに「ヒアアフター」には、スマトラ沖地震をモデルにした大津波の描写が存在します。
しかし、「ヒアアフター」における津波関係のシーンは10分程度のものでしかありませんし、そもそも「ヒアアフター」は別に津波をメインテーマに据えた映画作品というわけでもないのです。
しかも作品の主人公のひとりであるマリー・ルノは、大津波に飲み込まれ臨死体験はするものの、結果としては無事生還して帰国しています。
見方によっては「大津波に飲み込まれても生還する人間の強さ」を表現している、とも解釈できなくはないと思うのですけどね。
これも一種の「表現の自由の自主規制」というものですし、作品の本質とはあまり関係のない部分を指して公開の自粛を求める、という手法はあまり良いものとは言えないのではないでしょうか。

まあこの手の大事件で、それと若干でも関連性が疑われる映画作品が公開自粛を求められる、というあり方自体は別に日本に限った話でもないのですけどね。
アメリカでも、2001年の同時多発テロ事件後に公開が予定されていた、テロ事件を扱ったアーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画「コラテラル・ダメージ」が、事件の煽りを受けて無期限延期になったという事例があったりします。
「コラテラル・ダメージ」は結局半年の期間を置いて公開されましたが、政治的な理由から映画公開が自粛されるというのは、映画ファンとしてはあまり気分が良いものではありませんでしたね。
ましてや「被災地&被災者への配慮」などという概念は、たとえそれが見当違いなものだったとしても、言論・表現の自由のみならずありとあらゆる活動を理屈抜きで抑制しえる「葵の印籠」「錦の御旗」のごとき絶対的な強さを持ちえます。

被災地&被災者に対する「救済」「援助」「復旧」は確かに必要なものでしょう。
しかし、本当に当事者達が望んでいるかどうかも分からない「配慮」などを、しかも全くの第三者が勝手に忖度して表現規制の道具として利用する、という事態は、すくなくとも無条件に許して良いもののようには思えないのですが……。

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