映画「トゥルー・グリット」感想
映画「トゥルー・グリット」観に行ってきました。
アメリカ西部開拓時代を舞台に、14歳の少女が2人の男と共に父親の仇を追う復讐劇を描いた、1969年公開の西部劇映画「勇気ある追跡」のリメイク作品です。
映画「ヒアアフター」と同じく、スティーブン・スピルバーグが製作総指揮を、マット・デイモンが主演のひとりを演じています。
作中に指を切断するシーンや、片手を切断している女性の描写があったりするためか、この作品はPG-12指定されています。
物語はアメリカのオクラホマ州境にあるフォートスミスで、ひとりの資産家が殺されたから始まります。
殺人犯であるトム・チェイニーは、殺害した資産家から金貨2枚を奪い、インディアンの居留地へ逃亡します。
その後、父親の亡骸を確認に来た娘のマティ・ロスは、父親の形見となった銃を譲り受け、父親を殺害したトム・チェイニーをその手で殺しに行くことを決意。
付き人の弁護士?の静止を振り切り、復讐の軍資金を得るべく、生前の父親が馬を預けていたというストーンヒルという小屋に入り、そこの主人からカネをふんたくるための交渉を開始します。
14歳の少女とは思えないほどの法理論と弁術を駆使し、さらには訴訟恫喝まで交えた交渉術に、ストーンヒルの老主人もついに根を上げ、300ドル以上のカネの供与と馬の提供を約束させられてしまいます。
さらにマティ・ロスは、「真の勇者(トゥルー・グリット)」の異名を持つ保安官ルースター・コクバーンに犯人追跡の依頼を行います。
最初は「何だこの小娘は?」と言わんばかりに胡散臭げな対応しかしなかったルースター・コクバーンも、執拗に依頼を行うマティ・ロスと提示された報酬の魅力にこれまた根負けし、依頼を引き受けることを明言します。
そこへさらに、別件容疑でトム・チェイニーを追い、はるばるテキサスからフォートスミスにやってきた、マット・デイモン演じるレンジャーのラビーフも加わり、犯人追跡の苛酷な旅が始まることになるのですが……。
映画「トゥルー・グリット」は、良くも悪くもアメリカ西部劇を忠実に再現した1960年代臭漂う古風な作品、というイメージがありますね。
リメイク元の作品がそうなのですから当然なのでしょうが、作中で展開されるストーリーもアクションシーンも、CGを駆使したド派手な演出を見慣れた観客としての視点から見るとかなり地味な印象を受けます。
ハリウッド映画でありがちな「マシンガンの乱射をヒュンヒュンかわしていく主人公」的な描写は一切ありませんし、作中の悪役もスケールが小さいし。
同じ1960年代の作品をリメイクした邦画の「十三人の刺客」と比較しても登場人物が少なく、西部劇な描写が展開されるシーンも相当なまでに地味としか言いようがなかったですね。
まあ、そういう雰囲気を演出するのが製作者の意図でもあったのでしょうけど。
この作品の真骨頂は、どちらかと言えば主演3人が繰り広げる人間ドラマ的なものでしょうね。
ルースター・コクバーンとラビーフは、物語終盤近くに差し掛かるまで相当なまでに仲が悪く、特にラビーフは別行動を取ることもしばしば。
特に中盤付近でルースター・コクバーンが敵を待ち伏せしてスナイパー奇襲を仕掛ける際には、偶然その場に居合わせてしまったラビーフが邪魔になり、奇襲が失敗するという結果を迎えてしまったりします。
しかも合流すればしたで、今度は子供の喧嘩じみた言い合いから銃と乾パンを使った的当て合戦をはじめ、互いに貴重な弾丸と食糧を無駄に浪費する始末。
2人を傍観していたマティ・ロスでなくても「大丈夫かこいつら?」という感想を抱かざるをえなかったところですね。
また旅の途中では、ルースター・コクバーンとラビーフそれぞれの過去について語られます。
ルースター・コクバーンは1対多数の局面で単騎突撃を敢行し、多勢の敵を蹴散らした戦訓。
ラビーフは一度トム・チェイニーを300メートル先の眼前に捉えながらも、狙撃に失敗してしまった苦い過去。
これがそのまま、終盤の描写の伏線にもなっています。
結果的にマティ・ロスの復讐は成就され、仇を討つことには成功するのですが、その代償として彼女は左腕を毒蛇に噛まれてしまい、二の腕から下を切断することになってしまいます。
復讐の成就から25年後、彼女はメンフィスにいるというルースター・コクバーンの元を訪れるのですが、そこで待っていたのは「彼は3日前に病気で死去した」という報せ。
一方、ラビーフは生死も行方も不明で、生きていれば80歳近くになるというナレーションのみ。
マティ・ロスがルースター・コクバーンの亡骸を引き取り、新しく埋葬された墓に祈った後、墓から立ち去るシーンで物語は終了します。
古き良きアメリカ西部劇作品が好きな方には100%オススメですが、派手なアクションシーンが好みという人にとっては少々微妙な作品かもしれません。