コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
今回でとりあえず一区切りとなるコミック版「大奥」検証考察の8回目。
暫定的な最終検証となる今回のテーマは【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】についての考察となります。
過去の「大奥」に関する記事はこちら↓
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」の世界では、作中の登場人物達が「道ならぬ近親相姦な人間関係」を構築している様子が描かれています。
徳川5代将軍綱吉の時代に大奥の重要幹部となる秋本惣次郎は、実の妹との間に子供を作っていますし、6代将軍家宣の側室で7代将軍家継の父親となる左京(後の月光院)は、実の母親に性交を迫られ2児の子供を儲けていたりしています。
「大奥」世界でも、近親相姦については社会的にも公認されてはいないようで、近親相姦の事実は子供にすら伝えない当事者だけの秘密、ということになるのが常だったようです。
しかしよくよく考えてみれば、元々「大奥」世界では、男女問わず不特定多数の異性と性交を行うことが身分の関係なく常習化しているわけで、近親相姦だけがことさらタブー視されるのも変な話です。
「婚姻制度が崩壊している」と作中でも謳われている「大奥」世界では、近親相姦のみならず「不倫」「姦通」「重婚」「離婚の濫用」その他ありとあらゆる不道徳な行為が社会的に蔓延していたとしても何ら不思議ではないどころか、むしろそうならないとおかしいものですらあるはずです。
婚姻制度の崩壊。
それは「【あの】赤面疱瘡」すらもはるかに凌ぐ、最強最悪なまでの社会的害毒になりえるのです。
婚姻制度の崩壊が社会に何をもたらすのか?
この良くいえば気宇壮大、悪く言えば恐ろしくキチガイな社会実験を、バカ正直かつ忠実にやってのけた国がかつてこの世界に実在しました。
それは、20世紀前半に君臨したレーニン・スターリン統治下のソ連です。
1917年にロシア革命で成立したソビエト共産党&ソ連政府は、政権を運営するに当たって様々な抵抗に遭遇しました。
ソ連政府はその原因が家族・学校・教会にあると考え、自分達に都合の良い社会システムを構築するため、これらを「旧秩序の要塞・伝統文化の砦」と見做し、様々な攻撃を行うようになります。
ニコラス・S・ティマシエフの「ロシアにおける家族廃止の試み」という論文によると、その攻撃は以下のような形で行われました↓
1.従来、「法律婚の要件とされていた教会での結婚式を不要とし、役所での登録だけで婚姻の効力が生ずるものとした。
2.離婚の要件を緩和し、当事者合意の場合はもちろん、一方の請求だけでも裁判所はこれを認めることとした。
3.犯罪であった近親相姦、重婚、姦通を刑法から削除した。
4.堕胎は国立病院で認定された医師の所へ行けば可能となり、医師は希望者には中絶手術に応じなければならないことになった。
5.子供たちは、親の権威よりも共産主義のほうが重要であり、親が反動的態度に出たときは共産主義精神で弾劾せよ、と教えられた。
6.1926年には、「非登録婚」も「登録婚」と法的に変わらないとする新法が制定された。
7.これらの結果により、同居・同一家計・第三者の前での結合宣言・相互扶助と子供の共同教育のうちの一つでも充足すれば、国家はそれを結婚とみなさなければならないこととなった。 これにより「重婚」が合法化され、死亡した夫の財産を登録妻と非登録妻とで分け合うことになった。
これらはまさに婚姻制度を崩壊させ、家族・学校・教会を解体する政策であり、その結果、確かにソ連政府が意図した通りに「旧秩序の要塞・伝統文化の砦」の力は著しく弱められました。
しかしその結果、思いもよらない副作用がソ連全土を襲ったのです↓
1.堕胎と離婚の濫用(1934年の離婚率は37%)の結果、出生率が急減した。それは共産主義国家にとって労働力と兵力の確保を脅かすものとなった。
2.家族・親子関係が弱まった結果、少年非行が急増した。1935年にはソ連の新聞は愚連隊の増加に関する報道や非難で埋まった。彼らは勤労者の住居に侵入し、掠奪し、破壊し、抵抗者は殺戮した。汽車のなかで猥褻な歌を歌い続け、終わるまで乗客を降ろさなかった。学校は授業をさぼった生徒たちに包囲され、先生は殴られ、女性たちは襲われた。
3.性の自由化と女性の解放という壮大なスローガンは、強者と乱暴者を助け、弱者と内気な者を痛めつけることになった。何百万の少女たちの生活がドン・ファンに破壊され、何百万の子供たちが両親の揃った家庭を知らないことになった。
このあまりな惨状には、さすがのソ連政府も根を上げてしまいました。
1934年頃から、これらの結婚制度の破壊および家族・学校・教会の解体政策が、社会の安定と国家の防衛を脅かすものと認識され始めるようになります。
そして今度は一転、結婚や家族の維持が共産主義の基本的なモラルとして称揚されるようになり、また離婚・堕胎の大幅な制限・非登録婚制度の廃止・多産奨励・親の権威の復活などといった方向へ法改正が行われていきました。
かくして、この壮大な社会実験は「完全無欠な大失敗」という悲惨な結果を残して幕を下ろしたのです。
このソ連が「実際に」試みた結婚制度の廃止&家族破壊の実例を鑑みれば、「大奥」世界で事も無げに言われている「婚姻制度の崩壊」という社会現象がいかに凄まじい害悪を生み出すことになるかがお分かり頂けるでしょう。
レーニン・スターリン統治下における当時のソ連は、大量粛清や戦争で自国民を数千万単位のオーダーで平然と虐殺した前科を持つフダ付きの超問題国家です。
ところがそのソ連でさえ、結婚制度の廃止&家族破壊がもたらす社会的弊害には耐えることができず、20年も経たないうちに方針転換を余儀なくされているのです。
これから考えれば、数百万単位の男性人口を奪った「赤面疱瘡」の脅威をすらはるかに上回る社会的害毒を、婚姻制度の崩壊は潜在的に保持していると言っても過言ではないのです。
では、婚姻制度の崩壊は「大奥」世界に一体どのような害悪をもたらすのでしょうか?
まず、「堕胎と離婚の濫用」は当然のように発生します。
「大奥」1巻に登場し、後に徳川8代将軍吉宗付の御中臈になった杉下は、14歳の頃から親によって毎晩売春行為を強要され、18歳で他家に婿へ行ったかと思えば、5年間子供ができないという理由から食事もロクに与えられることなく離縁させられた過去を持っています。
また江戸時代は、一般的には悪名高い「天下の悪法」とされている「生類憐れみの令」の保護対象の中に「人間の乳幼児」が含まれていたことからも分かるように、乳幼児に対する遺棄も数多く行われていた時代でもあります。
史実でさえそういう事情があるところへ、さらに「家族・親子関係が弱まった」という要素が加わるのですから、堕胎・乳幼児遺棄の大量発生は必至というものでしょう。
さらに生き残った子供の大部分も、婚姻制度の崩壊および「赤面疱瘡」の猛威のために「両親の揃った家庭を知らない」わけですから、親の保護を受けることなく犯罪に巻き込まれたり「少年非行が急増」したりする可能性も飛躍的に増大することになります。
そして、「両親の揃った家庭を知らない」子供達や、特に親から売春行為を強要された男子達は、家庭が持つプラスの要素を何ひとつ知ることなく育つわけですから、マトモな家庭を持ち、子供を育てようとする意識もロクに育まれないことになります。
それは当然、「出生率が急減」という結果を招来することになり、江戸時代における乳幼児の死亡率5~7割という高確率も相まって、長期的には「赤面疱瘡」の被害をもはるかに凌ぐ人口激減が発生する事態まで起こりえるのです。
現代日本並、下手すればそれ以下の出生率の中で乳幼児死亡率5~7割、男子に限っては9割以上、という事態が起こると考えれば、これがいかに恐ろしい社会問題になりえるかがお分かり頂けるのではないでしょうか。
かのソ連ですら20年足らずで軌道修正せざるをえなかった政策を、「大奥」世界は何と80年以上も続けているのですから、その社会的害毒は計り知れないものにまでなっていることでしょう。
徳川8代将軍吉宗の時代における当時の日本の人口は、史実だと約3000万人~3100万人ですが、「大奥」世界のそれは500万人に達していればかなり多い部類に入るのではないでしょうか?
そしてさらに滑稽なのは、これほどまでの社会的害毒が発生しているにもかかわらず、「大奥」世界における登場人物のほとんど全てが「これが問題である」という問題意識すら寸毫たりとも抱いていないことです。
そもそも「婚姻制度の崩壊」自体、徳川3代将軍家光の時代に「赤面疱瘡」の大流行にパニくった当時の男連中が、一夫多妻制というもっとも安全確実な道があったにもかかわらず、それを跳ね除けて女性を家の跡取りにしようとする際に「ついでに」導入されたという意味不明な経緯があったりしますからね。
家を存続させるために、家族制度を完全に破壊する「婚姻制度の崩壊」を伴う社会システムを導入するというのですから、その滑稽極まりない愚劣な選択にはもう笑うしかありませんね。
しかも「大奥」4巻P69では「大名の半数近くが女性であった武家社会から、男性はさらに減り続けてゆくのである」とあり、男女比率が徳川8代将軍吉宗の時代まで一貫して1:4であることから、女性人口は男性人口の4倍ものスピードで減少し続けていることが一目瞭然なのです。
男女問わず、これほどまでの人口激減が発生しているにもかかわらず、そして女性の人口激減に「赤面疱瘡」は全く関わっていないにもかかわらず、「大奥」世界の誰ひとりとしてこのことを問題視している形跡すらもありません。
問題意識のないところに改革は起こりえません。
「赤面疱瘡」の問題を改善しただけではすでにどうにもならなくなっている社会的病理が、誰にも気づかれないまま、着実に「大奥」世界を蝕みつつあるのです。
さて、これまで8回にわたって連載されたコミック版「大奥」検証考察シリーズも、既存6巻までで思い浮かんだ検証テーマについては、今回でとりあえず一巡することとなりました。
コミック版「大奥」が完結ないしは打ち切りになるまで、この検証考察シリーズは続けていく予定ですが、続きは7巻が刊行されて以降に再開したいと思います。