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2011年05月の記事は以下のとおりです。

映画「プリンセストヨトミ」感想

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映画「プリンセストヨトミ」観に行ってきました。
作家・万城目学による同名の長篇小説を原作とする、大阪国と会計検査院の間で繰り広げられる駆け引き、および家族の絆を描いた作品です。
TVドラマ&映画版「SP 警視庁警備部警護課第四係」シリーズで好演した堤真一が主人公だったことが、今作をチョイスした最大の理由となりました。

このことは誰も知らない。
2011年7月8日金曜日 午後4時のことである。
大阪が全停止した。

こんなキャッチフレーズから始まる物語冒頭。
各所にひょうたんが掲げられた状態で誰もいなくなった大阪の街を、ひとりの女性が驚愕の表情を浮かべながら歩いている光景が映し出されます。
かくのごとき衝撃的な事態にまで至ったそもそもの遠因は、7月8日から遡ること4日前の7月4日月曜日に、東京の会計検査院から3人の人物がやってきたことにあります。
今作の主人公にして「鬼の松平」の異名を取る会計検査院第六局副長・松平元(まつだいらはじめ)。
冒頭にあった無人の大阪の街を歩いていた会計検査院第六局所属の女性・ミラクル鳥居こと鳥居忠子。
そして、今回の大阪出張が会計検査院第六局としての初仕事になるらしい、日本人とフランス人のハーフの男性・旭ゲーンズブール。
会計検査院とは、国および国の出資する政府関係機関の決算・独立行政法人および国が補助金等の財政援助を与えている地方公共団体の会計などに関する検査を行い、会計検査院法第29条の規定に基づく決算検査報告を作成することを主要な任務としている組織です。
簡単に言えば、公的機関の決算や会計で無駄や不正が行われていないかをチェックするのを仕事とする組織ですね。
法律上は行政機関となるのですが、内閣に対し独立した地位を有していることが日本国憲法第90条第2項および会計検査院法第1条で定められており、国の公的な機関でありながら、立法・行政・司法の三権いずれからも独立しているという非常に特殊な組織でもあります。
会計検査院所属の3人は、大阪の各公的組織の決算・会計を調査するため、東京から大阪へやってきたわけですね。

大阪各所にある公的機関は、緊張の面持ちで会計検査院の面々を迎えます。
もちろんその理由は、陰で色々な不正や無駄などをやらかしているため、それがバレることに戦々恐々としていることにあるのですが。
しかし、最初の調査対象機関である大阪府庁では旭ゲーンズブールによって30万前後の不正支出が、次の空堀中学校ではミラクル鳥居の「怪我の功名」によって事務がらみの不正がそれぞれ暴かれていきます。
大阪府庁と空堀中学校のチェックを終えた会計検査院の一行は、次の調査対象である財団法人OJO(大阪城址整備機構)がある長浜ビルへと向かいます。
この時の調査は何事もなく終わるのですが、ミラクル鳥居の駄々こねで長浜ビルの正面に位置しているお好み焼き屋「太閤」で食事をすることになった際、松平元がOJOに携帯電話を忘れたことから、事態が意外な方向へと動き出します。
「鬼の松平」が携帯を忘れる、という描写は作品冒頭にもあるのですが、この辺りは何となくSPシリーズの「いつも手錠を忘れる」主人公のことを想起せずにはいられませんでしたね(苦笑)。

それはさておき、携帯を取りに再びOJOに行くと、さっきまで働いていた職員達の姿が全くありません。
OJOに電話をかけても目の前にある電話は全く鳴ることがなく、デスクの引き出しの中も空っぽの状態。
不審に思った松平元は、翌日再びOJOを訪ね、昨日の件についての説明を求めるのですが、OJOの経理担当である長宗我部はのらりくらりと質問をかわし、なかなかボロが出てきません。
大阪中の人間に片っ端から電話をかけまくり調査するという手段に打って出ても不正の証拠は何も出てくることがなく、松平元以外の2人は半ば諦めムード。
しかし、OJOの表向きの管理対象である大阪城について調べていった結果、大阪城の緊急脱出用の抜け穴がOJOに通じており、そこから職員が出入りしているのではないかという仮説を、松平元は導き出します。
そして、OJOの長浜ビルのロビーにあった、曰くありげな扉がその出入り口ではないかと踏んだ松平元は、OJOに乗り込み長宗我部に扉を開いて中を見せるよう要求するのですが、長宗我部は頑強にこれを拒否。
業を煮やした松平元がさらに強硬に要求しようとした時、突如後ろから「私がご案内致します」という声がかけられます。
松平元が振り返ると、そこにいたのは何とお好み焼き屋「太閤」の店主・真田幸一。
扉の中は長い廊下が続いており、その先にあったのは国会議事堂モドキな光景。
半ば呆然とする松平元に対し「ここは大阪国議事堂です」と説明をする真田幸一。
そして「大阪国?」と訝しがる松平元に対し、真田幸一は高らかに宣言するのです。
「私は、大阪国総理大臣・真田幸一です」と。

映画「プリンセストヨトミ」で「大阪国」なるものが建国されるに至った起源は、1615年の大坂夏の陣まで遡ります。
この戦いによる当時の大坂城陥落の際、豊臣家の血筋は絶えたとされているのですが、実は豊臣秀頼の幼い息子だった国松が難を逃れ、その血筋は細々ながらも続いていたのでした。
豊臣家は当時の大坂の民から親しまれていたこと、またその後に莫大なカネをかけて大坂城を再建し威勢を誇った徳川家に対する反発も手伝って、国松および豊臣家の血筋を守り抜くことを目的に、大坂城の地下に寄り合い所が作られたのが「大阪国」の起源であるとされています。
その後、明治維新の際に資金不足に陥っていた当時の明治政府が、資金調達を目的に「大阪国」を正式に国として承認する条約を「大阪国」と締結します。
条約では「大阪国はその存在を外部に公表してはならない」とも定められており、またその条約締結の際の文書には、大久保利通や西郷隆盛などといった明治の元勲達の署名もはっきり記されていたりします。
つまり「大阪国」とは日本国という主権国家から承認を受けているれっきとした「国」であるわけですね。
財団法人OJOも、「国」として公に出来ない「大阪国」の隠れ蓑ないしは出先機関であり、また「大阪城址整備機構」なる略称自体も実は全くの偽りで、その読み方もローマ字読みで「オージョ」、つまり「王女=プリンセス」という、映画のタイトルにもなっている「大阪国」が守るべき対象そのものを指す名称だったのです。
まさかそんな読み方をするとは思わなかったので、この辺は結構良い意味で意表を突かれましたね(苦笑)。

ただ、この話だとある疑問が出てきます。
それは、いくら国家の三権から独立した存在だとはいえ、会計検査院に「大阪国」を好き勝手に処分する権限があるのか、という点です。
先にも述べたように、「大阪国」は明治時代に当時の日本政府から国家としての承認を受けている「外国」であり、その領域は日本国の主権が及ぶところではありません。
会計検査院の調査対象はあくまでも「国内限定」であり、「外国」が調査対象、ましてや「取り潰し」の権限まで行使することは本来ありえないのです。
作中で財団法人OJOが調査対象になっているのは、実は「大阪国」の人間で、会計検査院を利用して「大阪国」の存在を外部に知らしめようとしていた旭ゲーンズブールの画策であることが明らかになっているのですが、実際問題、会計検査院ができるのってここまでが限界なはずなんですよね。
「外国」である「大阪国」でどんな不正や会計が行われていようが、そこに「日本国」の会計検査院が口を出したら、それは「他国に対する内政干渉」になってしまうのですから。
唯一、会計検査院が干渉できるところがあるとすれば、それはすくなくとも表面的な法理論上では「日本国の財団法人」として登録されているOJOだけしかないのですが、作中の松平元は明らかに「大阪国」を攻撃の対象にしています。
真田幸一をはじめとする「大阪国」の面々と対峙していた松平元は、一官僚の立場をわきまえずに日本国代表としての「他国に対する宣戦布告」を無断でやっているも同然だったわけで、これってかなり大問題になるんじゃないのかなぁ、と思えてならないのですけどね。
一方の「大阪国」の面々も、自分達が「正規の条約に基づいて日本国から正式に国家承認されている国である」という事実の強みをもっと大々的に主張すべきだったのではないかと。
「国の重み」というのは、たかだか会計検査院程度の組織くらい黙らせられる力を持つものなのですけどね、小なりといえども。

あと、作中における「大阪国」の人間って、物凄く宗教的かつ国家総動員的な体質を持っていますね。
大多数の人間にとっては一度も見たことがないばかりか正体すらも不明な「プリンセストヨトミ(豊臣家の末裔)」のために、あそこまでの総動員が短時間のうちにかけられ、しかもそのことに誰も疑問を持たないときているのですから。
物語のラストで真田幸一が大衆に向かって笑顔を見せた時も、皆熱狂的に歓喜の雄叫びを上げていましたし(苦笑)。
見様によっては、「アメリカ万歳主義」などとしばしば見当違いな揶揄をされるハリウッド映画が裸足で逃げ出してしまうほどの「右翼的」かつ「愛国心礼賛」な作品ですよね、これって。
まあ、作品および作者的にはそういう意図を込めてはいないのでしょうけど。

作品設定的には色々とツッコミどころが満載ですし、派手なアクションシーンやラブロマンスの類も全くありませんが、主演である堤真一・綾瀬はるか・岡田将生の3人の演技で結構点を稼いでいる映画でもありますね。
俳優さん目当てで映画を観る、という人にはオススメの作品かもしれません。

映画「アジャストメント」感想

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映画「アジャストメント」観に行ってきました。
フィリップ・K・ディックの短編小説「調整班(Adjustment Team)」を原作とする、マット・デイモン主演のSF恋愛サスペンス作品。
2011年に入ってから観賞したマット・デイモン主演の映画は、「ヒアアフター」「トゥルー・グリット」に続きこれで3作目になります。

物語は、元バスケットボール選手でアメリカ上院議員候補として選挙を戦っていたデヴィッド・ノリス(マット・デイモン)が、選挙戦を有利に進めていながら、本番となる選挙の直前に酒場で下半身露出というスキャンダルをやらかし、結果落選の憂き目を見る羽目になるところから始まります。
敗北に直面したデヴィッド・ノリスは、敗北宣言を行う際の演説の内容をひとりで考えるため、男子トイレに入ります。
「誰か入っていますか?」という確認に返答がなかったのでしばらく演説のシミュレーションを展開するデヴィッド・ノリスですが、イマイチながらも一通り考えがまとまりかけたところで、トイレの中から突然女性の声がかけられます。
その女性エリースとの会話から何らかの天啓でも受けたのか、デヴィッド・ノリスは敗北宣言で当初考えていた演説の内容を変更し、結果として民衆に好印象を与える演説を行うことに成功します。
しかし、実はこの2人の出会いは、作中にチラチラ登場するシルクハット帽子をかぶった謎の男達によって意図的に演出されたものだったのです。
そして、彼らの当初の考えでは、2人はここで二度と会うことはなかったはずでした。

選挙の敗北宣言後、デヴィッド・ノリスは、彼の幼馴染で選挙参謀でもあったチャーリーが勤務しているとあるベンチャー企業に役員として招かれ就任します。
役員就任後のある日の朝、デヴィッド・ノリスはチャーリーからの電話で、太陽光発電などの環境系に資金援助を行うよう提言しますが、チャーリーはコストがかかることを理由に難色を示します。
適当なところで電話を切り、朝起きた際に入れたコーヒーを片手に持ったまま、デヴィッド・ノリスは会社に出社します。
ここで再び登場する謎の男2人。
そのひとりリチャードソンは、もうひとりの男ハリーに対し、デヴィッド・ノリスが片手に持っていたコーヒーを、7時5分にこぼすよう指示します。
ハリーは公園で待ち伏せして指示を実行するつもりだったのですが、デヴィッド・ノリスを待っている間にうたた寝してしまったハリーは、予定の7時5分になっても起きることがなく、デヴィッド・ノリスは予定時刻にコーヒーをこぼすことなくバスに乗り込んでしまいます。
このハリーのミスが全ての元凶となり、事態は思わぬ方向へ進展することになります。
まず、本来二度と出会うはずがなかったデヴィッド・ノリスとエリースが、乗り合わせたバスの中で再会してしまいます。
バスを必死になって追いかけるハリーは、遠隔操作のような能力を駆使してバスの中にいるデヴィッド・ノリスのコーヒーを何とかこぼしますが、既に手遅れでまるで意味のない行動でした。
そしてさらに、謎の男達の予定よりも早く会社に到着したデヴィッド・ノリスは、そこで時が止められたような状態で固まっている会社員達と、正体不明の機器を使って彼らをなで繰りまわしている謎の男達の集団を目撃することになります。
異様な雰囲気に驚いたデヴィッド・ノリスはただちにその場から逃走を図りますが、何故か行く先々で謎の男達にことごとく先回りされてしまい、デヴィッド・ノリスは多勢に無勢で押さえつけられ眠らされてしまいます。

次にデヴィッド・ノリスが目覚めると、そこはだだっ広い倉庫だか駐車場のような場所。
彼を拉致し、周囲を取り囲んでいる謎の男達は、自分達のことを「運命調整局(アジャストメント・ビューロー)」と名乗り、超常的な能力を披露します。
そしてデヴィッド・ノリスに対し、自分達のことを一言半句も他人にしゃべらないこと、そしてエリースに二度と会わないよう強要します。
「何故彼女に会ってはいけないのだ?」というデヴィッド・ノリスの質問にも「秘密だ」以外の回答が返ってくることはなく、バスで出会った際にもらった、デヴィッド・ノリスとエリースの唯一の繋がりだった彼女の電話番号が記されたメモも燃やされてしまいます。
しかも解放された後に行われた会社の会議では、朝の電話の会話で太陽光発電の投資を渋っていたはずのチャーリーが、全く正反対の賛成の立場に転じており、「調整(アジャストメント)」の恐ろしさがデヴィッド・ノリスの眼前で展開されるのです。
これでデヴィッド・ノリスとエリースの恋も終わったかに思われたのですが、しかしデヴィッド・ノリスは想像以上にしぶとい人間でした。
彼は何と3年以上もかけて同じバスに乗って通勤し続けることで、ついに彼女を探し当て、3度目の再開を果たすことに成功するのです。
この異常事態を当然のごとく察知して2人の仲を引き裂かんとアレコレ工作を始める「運命調整局」の面々。
かくして、デヴィッド・ノリスの運命を巡る「運命調整局」との戦いが繰り広げられることになるのです。

映画「アジャストメント」は、今作と同じくマット・デイモンが主人公(のひとり)を演じている映画「ヒアアフター」と同様、哲学的な要素が極めて強い作品です。
「ヒアアフター」のテーマが「死後の世界」ならば、「アジャストメント」のそれは「運命の重み」「運命に逆らうことの難しさ」といったところでしょうか。
面白いのは、他人の運命を左右する「運命調整局」の面々は、決して悪意からデヴィッド・ノリスに干渉しているのではないという点です。
むしろ彼らは「人類にとって最悪の未来を回避すること」を目的に、つまりある種の「善意」に基づいて他者の「運命」を調整しているわけです。
作中でも、「ハンマー」の異名を持つ「運命調整局」所属のトンプソンなる存在が、人間の運命を人間自身に委ねるとロクでも事態が起こるということを、ヨーロッパ中世の暗黒時代と2度の世界大戦&冷戦を例にデヴィッド・ノリスに説明している描写があります。
彼の説明によれば、デヴィッド・ノリスは将来、上院議員四選の末にアメリカ大統領までのし上がる「運命」の人物であり、それが「最悪」を回避できるものであるが故に彼に干渉しているのだとのこと。
個人の我欲で動いているわけではないが故に、「運命」の重みというものが感じられる描写でしたね。

主演のマット・デイモンも、かつては「ボーン・アイデンティティー」「ボーン・スプレマシー」「ボーン・アルティメイタム」の3部作シリーズや「オーシャンズ11~13」シリーズなどといった「アクション物」をメインにこなしていたので、アクション俳優としての印象が強かったのですが、最近の作品はどちらかと言えばアクションシーンが控えめですね。
「ヒアアフター」は完全にアクションがありませんでしたし、「アジャストメント」も全体的にはアクションが少なく、ストーリー性や作品テーマで勝負しているような感じです。
まあ過去作自体、ボーンシリーズや「グリーン・ゾーン」などのように「アメリカの暗部」を炙り出しているようなところがありますから、ストーリー&作品テーマ重視の方針は昔から一環していたのかもしれませんが。
マット・デイモン的にはそういう作品の方がやはり好みなのでしょうかね?

あと、作中に出てくる「運命調整局」のアイテムや異能がこれまた面白いですね。
機械の設計図のような幾何学模様の中を、FXチャートのような軌跡を残しながら走り続ける青い光点と、明らかにヤバそうな雰囲気をかもし出している赤い光点が描かれ続ける「運命の書」。
光点が一体何を意味するのか、その原理は作中で全く何にも説明されておらず、「接触点」云々の専門用語まで出てくるのに、雰囲気自体は何となく分かるというシロモノ。
ラストで幾何学模様が消えていった真っ白な右半分を青い光点が走っていくシーンは、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」の終盤近くのシーンを想起させるものがありました。

ドアを開けると何故か全く別の場所に繋がる「どこでもドア」的な能力。
こちらもやっぱり原理は何も説明されないものの(帽子があれば誰でも使えるらしいのですが)、映画の中における描写としては上手いものがありましたね。
特に物語終盤は、「ただドアを開けていくだけ」のシーンをアレだけテンポ良くかつ格好良く描いているわけですから。
ああいう観せ方もあるのか、とここは結構感心したところだったりします。

全体的な構成としては、「哲学的な要素を大量に盛り込んだ恋愛映画」といったところになるでしょうか。
アレだけ主人公に(表面的に見れば)ソデにされまくり、最初はそのことに怒りまくるのに、それでも最終的には主人公についていく女性エリース・セラスには「何とも忍耐強い女性だなぁ」という感想を抱かずにはいられませんでしたが(苦笑)。
まあその部分も「運命的な結びつきの強さ」というものを表現するためのものではあるのでしょうけどね。

2011年5月の田中芳樹近況

http://twitter.com/adachi_hiro/status/73672482674061312
<うん。アルスラーン。つい先日、執筆に着手した「薬師寺…」の次の次。RT @unmotored: @dameosan @adachi_hiro アルスラーンw

となると、今後の執筆スケジュールは

薬師寺シリーズ → タイタニア → アルスラーン戦記

となるわけですね。
片手間でできるであろう薬師寺シリーズはともかく、タイタニアは「髑髏城の花嫁」ばりに時間がかかりそうではあるので、アルスラーン戦記の執筆開始は下手すれば来年すら難しいかもしれませんが。
一方、他のシリーズはというと……。

http://twitter.com/adachi_hiro/status/73672992177135616
<あれは、もう本人のなかでは終わった話になってるみたい。私は好きな話なんですけどね。RT @Raemiel: @adachi_hiro 七都市は…

いや、田中芳樹は「田中芳樹読本」でこんなことをのたまっていたではありませんか↓

田中芳樹読本 P80
七都市物語は、オリンポス・システムが終わるまで続く話です。キャラクター達の運命もこのまま中途半端にしておくわけにはいきません。次をどうするか、現在困惑しつつ考えております。できれば気長にお待ちいただければ幸いです」

こんなことを言っていながら「もう本人のなかでは終わった話になってるみたい」はないでしょう。
終わった話にするならするで、過去の発言を総括するなり改めて中断・終了宣言を発表するなりするのが、自分の作品に対する作家としての責任というものでしょうに。
少しは自分の発言というものに責任を持ってはどうなのですかね、田中芳樹は。

http://twitter.com/adachi_hiro/status/73673557976158208
<『創竜伝』も、ずいぶんご無沙汰ですよね。私が最初に読み始めたのは、まだ続さんよりも若かったハズなんだけどなあ。RT @tmmiyako: @unmotored @dameosan @adachi_hiro 創竜伝…

創竜伝も、最新刊である13巻が刊行されてから2011年6月6日でついに8年目突入ですが、こちらもこちらで、一体いつ14巻が執筆されるのか、それとも中断されるのか、先行きが全く見えないグダグダな様相を呈していますね。
まあストレス解消の道具としては薬師寺シリーズがすでにあるわけですし、ストーリーも作品設定もボロボロな惨状を露呈している上に読者からの反発も少なくないであろう創竜伝に対する執筆意欲がなくなるのは、ある意味当然なのかもしれませんが。
私が田中芳樹の立場にあったとしても、とても「続きを書きたい」とは思えないですね、今の創竜伝は(苦笑)。
だからこそ、こちらについても断筆宣言をするのが「今の田中芳樹にとっては」最良の責任の取り方だと思えてならないのですけどね。

高橋名人がハドソンを退社

かつて16連射を携え、ゲーム業界で一世を風靡した高橋名人が、2011年5月末をもってハドソンを退社することになったのだそうです。

http://blog.hudson.co.jp/16shot/archives/2011/05/post_1848.html

ハドソンは、今年の1月にコナミの完全子会社化してから大規模なリストラを推進していたとのことで、その煽りを食らった形のようです。
かつてはゲーム業界大手としてその名を轟かせてきたハドソンも、凄まじいまでの凋落ぶりとしか言いようがないですね(T_T)。

高橋名人は、私がシューティングゲーム好きになるきっかけとなった人物で、小学生の頃は憧れの対象ですらありました。
ハドソン主催のシューティングゲーム全国キャラバンにも何度か参加していましたし、その際に間近で高橋名人の姿を確認して感激したこともあったくらいです。
アレだけ「会社の顔」として活動し知名度も少なからずある高橋名人がハドソンを退社とは、これも時代の流れと言うものなのでしょうかねぇ……。

映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命(いのち)の泉」感想

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映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命(いのち)の泉」観に行ってきました。
ジョニー・デップが演じるキャプテン・ジャック・スパロウを主人公とする海賊冒険作品。
実はこのシリーズの作品、過去の3部作は映画館どころかテレビでさえも一度も観たことがなく、4作目となる今作が初めてのシリーズ観賞ということになりました(^^;;)。
この映画は3D版でも公開されていますが、私が観に行ったのは2D版となります。
3Dっていちいち専用の赤青メガネをかけなければならないし、作品によっては2Dとほとんど見た目が変わらないこともあり、カネが余計にかかるだけでどの辺りに魅力があるのかイマイチ分からないんですよね。

物語の始まりは、スペインのとある漁師達が引き上げたゾンビが、「生命の泉」のことが記されている200年前の伝説の海賊であるポンセ・デ・レオンの航海日誌を手に入れ、スペインが国として「生命の泉」探索を決定することが発端となります。
一方その頃、イギリスのロンドンでは、牢獄に囚われの身となっていたキャプテン・ジャック・スパロウの公開処刑が行われようとしていました。
ところが、いざ裁判の場に連行され、顔を隠していた覆面が外された時、そこにいたのはジャック・スパロウではなく、彼の相棒だったギブス。
「俺はジャック・スパロウではない!」と主張するギブスの前に現れたのは、何と裁判長に擬態したジャック・スパロウその人でした。
裁判長ジャック・スパロウは、いかにも投げやりに裁判過程をすっ飛ばした挙句、「ジャック・スパロウ」扱いされているギブスに対し終身刑を言い渡、娯楽としての公開処刑を望む民衆からの罵倒を受けつつとっととその場を後にします。
その後ジャック・スパロウは、再び牢獄に連行されていくギブスの馬車に一緒に搭乗。
馬車を引く御者をも買収し、ギブスと一緒にロンドンから逃亡する算段を立てていました。
その際ジャック・スパロウは、自分の名を騙る人間が「生命の泉」を目指すために船の乗組員を募集しているという噂話をギブスから聞かされます。
どこで手に入れたのか「生命の泉」にまつわる地図を所持していたジャック・スパロウは、その話に怪訝な顔をするのですが、その最中、予定よりも早く馬車が停止します。
しかし馬車を降りたジャック・スパロウを待っていたのは、バッキンガム宮殿の広場のど真ん中で自分達に銃剣を突きつける衛兵達。
再び囚われの身となってしまったジャック・スパロウは、時のイギリス国王ジョージ2世の前に引き据えられ、「生命の泉」に関する情報を出せと迫られます。
処刑をも示唆されて脅迫されたジャック・スパロウは、ここから一大脱出劇を敢行。
ここからしばらく、17~18世紀当時のロンドンの街を舞台にしたアクションシーンが繰り広げられます。

紆余曲折の末、からくも衛兵達の追撃から逃れたジャック・スパロウは、たまたまそこで偽物の自分が乗組員募集を行っているという酒場に鉢合わせします。
そこで自分の名を騙っていたのは、かつて修道院?でジャック・スパロウが愛の告白をした女海賊アンジェリカ。
彼女はジャック・スパロウに対し「生命の泉」を一緒に探そうと誘いをかけるのですが、「生命の泉」にあまり興味がないジャック・スパロウは当然のごとく拒否。
ここでもすったもんだのゴタゴタの末、結局ジャック・スパロウはアンジェリカの部下に眠らされた挙句、彼女の船に強制連行され、その後「父親」である黒ひげの脅迫もあって「生命の泉」探索に無理矢理協力させられることになってしまいます。
一方、ジャック・スパロウに逃げられたイギリス側では、海賊なのにイギリス海軍に取り入った、過去3部作におけるジャック・スパロウの宿敵バルボッサ。
彼は「生命の泉」に興味を持ち、かつライバル国でもあるスペインに対抗する気満々のジョージ2世からの命で、イギリス海軍の船1隻を率いて「生命の泉」探索へと向かうことになります。
かくして、永遠の生命が与えられるとされる「生命の泉」を巡り、イギリス軍・スペイン軍・海賊達の三つ巴の戦いが展開されるわけです。

今作を観てまず驚いたのは、やはり何と言ってもジョニー・デップの好演ですね。
コメディタッチな演技とアクションシーンは、私が初めて観賞したジョニー・デップ主演映画「ツーリスト」からは到底想像もつかない高レベルなものでした。
もちろん、ジョニー・デップおよび彼のファン的には「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズにおけるアクション演技が本来の姿であり、「ツーリスト」のあのショボ過ぎるアクションシーンの方が論外なシロモノだったのでしょう。
しかし、「ツーリスト」で初めてジョニー・デップを観た私としては、そちらの印象が強かったこともあって驚かざるをえなかったわけです。
こんなことなら過去作もきちんと観ておけば良かったか、とつくづく思わずにはいられませんでしたね。

また、作中では微妙に影が薄いスペイン軍の目的が「国としては」およそ支離滅裂に満ち満ちたシロモノだったのも個人的にはかなり衝撃的でしたね。
せっかく「生命の泉」を手に入れる好都合なチャンスが自分のところに巡ってきたにも関わらず、彼らがやったことはと言えば「永遠とは神に対する信仰によってのみもたらされるべきものである」という理由から「生命の泉」を破壊するというものでした。
「生命の泉」を破壊するためだけのために軍艦3隻と多くの兵士達を派遣するスペインは、今回の遠征に一体どんな国益や見返りを求めていたのか、はなはだ理解に苦しむものがあります。
「生命の泉」がもたらす利益を求めたイギリス国王ジョージ2世や、「生命の泉」の領土宣言を行おうとしてスペイン軍に撃ち殺されたイギリス軍将兵の方が、国の方針としてははるかにマトモに見えます。
海賊であるバルボッサを利用して「生命の泉」を探させたのも、イギリス的には自国の国益のための一環であったわけですし。
スペインの目的は「生命の泉」がもたらす利益や国益を目指したものではなく「国を挙げての十字軍的な狂信」に基づいたシロモノでしかなかったわけで、こういうのは個人としてはともかく「国としては」絶対にやってはいけないことだったのではないかと思えてならないのですけどね。
略奪による利益すらも全く上げられなかったわけですから、現場のスペイン軍にとっても「骨折り損のくたびれ儲け」以外の何物でもなかったでしょうに。
3つ巴の構図自体は結構面白かったのですが、スペイン軍については「一体何しにやってきたんだよ」とツッコミを入れずにはいられなかった次第です。

物語の最後は明らかに続編が作られるような終わり方をしており、またスタッフロールが終わった後にも、アンジェリカがある「強力な武器」を手に入れるエピソードが挿入されています。
実際にあと2本続編が作られることも既に決まっているのだそうで、今後も期待されるであろうシリーズ作品と言えるでしょうね。

九州キャンピングカーショー2011に行ってきました

2011年5月21日~22日にグランメッセ熊本で開催されている、九州キャンピングカーショー2011に行ってきました。

http://www.grandmesse.jp/event-syosai.html?eid=10770&year=2011&month=5
http://www.k-campingcar.jp/

個人的にキャンピングカーは昔から好きな部類に入る車種ですね。
クルマの中で普段の生活を満喫しながら旅行をする、というシチュエーションに昔から憧れていましたし、その影響もあって今でもステーションワゴンやミニバンといったタイプの「荷台が大きい&7~8人乗りのクルマ」を愛用していたりします。
ステーションワゴンやミニバンは、後ろをフラットにすることで寝床を即席で作ることができる、という利点があって「旅行の際などに簡易寝床として利用できるのではないか?」と考えた結果がそういう好みに繋がったわけです。
もっとも、自分のクルマでそんな使い方をしたことは実のところ今まで一度もなかったりするのですけどね(T_T)。
いつかは実現したいと考えてはいるのですが。

キャンピングカーといえば、以前にタナウツ掲示板で最大級の物議を醸した銀英伝考察3の移動要塞論も、元々はキャンピングカー好きが高じて思いついた発想だったりします。
完全自給自足でどこへでも手軽に移動可能なシステムというのは、キャンピングカー究極の完成形でもあるわけですからね。
実際のキャンピングカーは、電源や水の確保などの手間が必要だったり、大きいクルマの場合は小回りが効かず、小さいクルマでは積載量に限界があったりするなど、色々と課題も多いのですが、外部補給不要の自給自足能力を持つ移動要塞にそんなものはないわけですし。
「何て便利な物を持っているんだ、そして何故その便利さに作中の誰も気づかないんだ!」というのが、私の移動要塞論の出発点でしたからねぇ。

グランメッセ熊本の会場では、牽引トレーラータイプやハイエース等の大型車ベース、さらには軽自動車を改造した小型なものまで、様々なキャンピングカーが展示されていました。
一昔前のキャンピングカーは、必ずMT車でしかも燃料が軽油でパワーが弱くスピードが出ないなどの問題点もあったのですが、最近はAT車が当たり前でガソリン車も普通に出てきているようです。
運転席周囲もカーナビが標準装備できる最新式の仕様になっており、普通車を運転する感覚で運転できるようになっているのが良いですね。
特にバックモニターなどは、後ろがふさがっていることも少なくないキャンピングカーには絶対必須の装備なわけですし。
驚いたのは、クルマのエンジンと連動しているバッテリーとは別に、独自のバッテリーを使い稼動するエアコンを搭載していたキャンピングカーが複数台あったこと。
これはエンジンを切っていても動作するわけで、大容量のバッテリーを搭載していれば、丸1日エンジンを切っていてもエアコンを動かすことができるのだとか。
エアコン以外にも、テレビやノートパソコンに電子レンジ・冷蔵庫など、キャンピングカーで使用するであろう電気製品は意外とたくさんあるので、エンジンから独立したバッテリーとそのサポートを行う発電機は、これからのキャンピングカーには必需品となっていくでしょうね。
水の確保はともかく、バッテリーと発電機はこれからの技術革新でまだまだ伸びていく分野でしょうし。

他にも、軽自動車の内装を改造してキャンピングカーに仕立て上げていたスペースや、キャンピングカーについての説明会なども開かれており、キャンピングカー好きには一見の価値があるイベントでしたね。
熊本在住の方でキャンピングカー好きという方は観に行かれてはいかがでしょうか?

九州大学が「女性枠」の導入を中止決定

九州大学が、理学部数学科の2012年度一般入試から導入予定だった「女性枠」を中止すると発表しました。
実力に拠らず「女性」という理由だけで合格判定を出すのは「法の下の平等に反する」「男性差別である」との意見が複数寄せられたためだそうです↓

http://megalodon.jp/2011-0520-1951-27/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110518-00000009-maiall-soci

特定の職種で「女性が少ないから」といって「女性枠」を設け、一種の数合わせ的に「男女平等」を実現しようとするのは、本当に実力のある男性を不当に差別することになるだけでなく、当の女性達に対してさえも良い結果をもたらすとは言えません。
欧米でも「アファーマティブ・アクション」という名の少数民族や被差別者に対する優遇措置が行われてきましたが、その結果発生したのは「あいつはアファーマティブ・アクションで採用された奴だから信用ならない」という更なる差別の拡大でした。
本来試験に通らなかったはずの黒人が「アファーマティブ・アクション」で採用されたものの、周囲の優秀な人達の水準についていけず落ちこぼれるといった事例や、本当に優秀なはずの黒人が「お前は優遇されたからいいよなぁ」とあらぬ目で見られたりするわけです。
数合わせの「男女平等」は、当の昔に滅んだはずの共産圏が唱えまくっていた「結果の平等」以外の何物でもなく、実力によらない一種の「特権階級」とそれに対する反発を生むだけでしかないのです。

今回の九州大学の「女性枠」中止決定は、男女平等=女性優遇の図式に一石を投じる形になりましたね。
元々男性と女性は、身体的のみならず脳の構造からして根本的に異なっており、男性は空間能力に長け、一点集中と論理的思考を得意とするのに対し、女性は言語能力が優れ、広い視野を持つという特性の違いがあります。
これは男性ホルモンと女性ホルモンの働きによるもので、男性は胎児の頃にテストステロンという男性ホルモンを大量に浴びて男性としての脳を形成していくのに対し、女性はエストロゲンという女性ホルモンを分泌して女性的な脳を構築していきます。
このホルモン分泌の有無、働きの大小によって千差万別の脳というものが生まれるのですが、一般的な男女の脳は幼少の頃から違いが生まれるわけです。
これから考えれば、理工系というジャンル自体が女性には基本的に不向きな分野とすら言えるわけですから、その事実を無視して単なる数合わせ的な「男女平等」を実現したところで無意味も良いところなのですけどね。

聖闘士星矢がミュージカル化

聖闘士星矢がミュージカル化されるそうです。
元となる作品は1987年公開映画「聖闘士星矢 邪神エリス」であることも併せて発表され、7月28日~31日に全労済ホール/スペース・ゼロにて上演されるとのことです。

http://www.cinematoday.jp/page/N0032329

聖闘士星矢は、以前にも海王ポセイドン編をベースにSMAPによって舞台化されたことがあります。
SMAPにとっては黒歴史も良いところだったようですが(苦笑)。
ミュージカル版の出来は果たしてどんなものになるのでしょうか?

「邪神エリス」に限らず、聖闘士星矢の映画版は、ファンならば誰もが知る黄金聖闘士12宮の戦いや冥王ハーデス編などに比べると、知名度という点ではかなりマイナーなイメージが否めませんね。
原作とアニメ版はともかく、映画版はほとんど観ていないこともあって「どんな話なのか?」ということすら分からない始末ですし。
私も聖闘士星矢は昔からファンだったクチで、最近まで週刊少年チャンピオンで連載していた「聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話」と、同雑誌で車田正美本人が連載している「聖闘士星矢 NEXT DIMENSION 冥王神話」なども、単行本を全部揃えていたりします。
ただ、「聖闘士星矢 NEXT DIMENSION 冥王神話」の方は、休載が長すぎるため(一度の休載で3~4ヶ月以上話が止まる)、連載物としては正直どうかと言わざるをえないレベルなのですが。

東京の劇場で公演されるのでは私が観に行くことはまずありませんが、ミュージカル版は是非成功して欲しいものですね。

九州電力玄海原発2・3号機の「再開は問題ない」という見解

定期検査で停止中の九州電力玄海原発2・3号機の運転再開問題で、経済産業省原子力安全保安院は、佐賀県玄海町町議会の原子力対策特別委員会に対し「再開は問題ない」との見解を伝えました。

http://megalodon.jp/2011-0516-1941-18/www.nishinippon.co.jp/nnp/item/242277

カンガンスの単なる政治パフォーマンス以外の何物でもない浜岡原発の停止が全国各地の原発再稼動に多大な悪影響を与えている中、電力不足と電力料金値上げを防ぐためにも、一刻も早い原発再開が待たれるところです。
以前にも述べたことなのですけど、原発の廃止というのは、原発に代わる代替の発電システムの商用実用化を達成して初めて検討すべきものなのであって、一時の感情から原発を止めたところで、電力不足と電気料金値上げに翻弄された挙句、結局原発を再稼動する羽目になるのは最初から目に見えています。
原発に賛成している人達も、それによって電気料金が値上げされ、結果として自分達の生活が困窮しても構わない、などと考える人は極少数派でしょう。
突然ドラスティックな代替エネルギーが商用実用化された、などという夢物語的なことでも起きない限り、当面の間は代替エネルギーの開発に全力を注ぎつつ、地震および津波の対策を強化しながら原発を使っていく以外にはないと思うのですけどね。

その場凌ぎの感情に訴えるだけの人気取りしか能のない民主党などのために、何故国民が不便な生活を強いられなければならないのでしょうか?
カンガンスの浜岡原発全面停止の決定は、決して賞賛されるべきものなどではないのです。

「大阪維新の会」が国歌斉唱で起立を義務づける条例案を提出方針

大阪府の橋下徹知事が代表を務める地域政党「大阪維新の会」の府議団が、府立学校の入学式や卒業式などで国歌を斉唱する際、教職員に起立を義務づける条例案を、2011年5月の定例府議会に提出する方針を固めたとのことです。

http://megalodon.jp/2011-0514-1856-38/sankei.jp.msn.com/life/news/110514/edc11051411270004-n1.htm

国旗国歌を全否定し続けてきた日教組や朝日新聞等はどのような反応を示すのでしょうか?
そして何よりも、銀英伝でヤンに「起立したくない自由」を行使させ、創竜伝でも国旗国歌の強制を推進する「右翼」の文部官僚達を罵り倒してきた田中芳樹がこのことについてどう考えるのか、何とも興味深いところではあります。
過去にはこんなことをのたまった事例もあるわけですし↓

創竜伝7巻 P78下段
<プロ野球を記事などは苦笑してすませることができるが、文部省も教科書に対して同じようなことをやっている。「日の丸・君が代は法律でさだめられた国旗・国歌ではない」と事実を明記した教科書が、文章の削除を命じられた。言論を統制し、国民を洗脳するやりくちは、ナチス・ドイツも日本国文部省も同じである。一方で積極的な嘘をつきながら、もう一方ではつごうの悪い事実を隠すのである。

創竜伝7巻当時は確かに日本の国旗・国歌について定めた法律は存在しませんでしたが、日の丸・君が代は慣習に基づいて国内でも諸外国でも事実上の国旗・国歌扱いされてきたのですから、国旗・国歌として認めるのはむしろ当然のことなのですけどね。
むしろ、成文法がないからと散々ゴネまくり、ついには自殺者まで出すに至った日教組の方が異常だったわけで。
イギリスの国旗「ユニオンジャック」と国歌である「God Save the Queen」も、成文法ではなく慣習に基づいて国旗・国歌として定義され、かつ世界中の国がそのことを認めているのですが、それで何か問題があるわけではないのですし、田中芳樹もつくづくバカなタワゴトをほざいているものだなぁ、と思わずにはいられませんね。
イギリスをアレだけ礼賛している田中芳樹ともあろうものが、まさかイギリスの国旗・国歌の歴史を知らないはずもないでしょうに(苦笑)。
全く「一方で積極的な嘘をつきながら、もう一方ではつごうの悪い事実を隠すのである」とは、田中芳樹自身に返すべき言葉であると言えますね(爆)。

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