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2011年06月の記事は以下のとおりです。

「キング・オブ・ファイターズ(KOF)」の実写映画版が日本公開

ハリウッドでいつのまにか製作されていたらしい、往年の人気格闘アクションゲーム「キング・オブ・ファイターズ(KOF)」の実写映画版が日本でも公開される運びになりました。
2011年7月2日にお台場シネマメディアージュ他で初披露となり、順次全国公開されるとのこと。
映画の公式サイトはこちら↓

http://kof-movie.net/

私の地元である熊本では予告編すら流れていないため、熊本での劇場公開が実現するのか否かはまだ分かりません。
しかしこれ、公式サイトで公開されている情報だけを見ても、既に原作レイプの兆候がそこかしこに漂いまくっていますね。
ストーリーからしてこんなシロモノですし↓

戦いに勝った者だけが次の試合に進めるファイターズのためのトーナメント。しかし、その「THE KING OF FIGHTERS」になるために、以前大会に出場禁止になったルガールが復讐の時を狙っていたのだ。美しい女ファイターである舞と八神一族の庵は、ルガールに力を与え続ける「オロチ」を封印するため、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を探し始める。そこで出会ったのが昔、ルガールを倒し「オロチ」を封印した柴舟とその息子京だった。舞は京に近づき剣の話を持ちかけるが…。八神一族と草薙一族の意外な事実も明らかになるのだが、その間にもルガールによってトーナメントは支配され、殺されていくファイターたち‥。舞たちは剣を手に入れて、悪に染められた世界を元に戻せるのか‥! 戦いの頂点に立つのは誰なのか?!

本来は餓狼伝説シリーズのキャラクターであってKOF独自のメインキャラクターですらない不知火舞が、草薙京を差し置いて主人公。
エンディングを迎える都度、チームメンバーを半殺しにしていた八神庵が不知火舞と手を組む。
もうこの時点で原作設定と大いに異なる点が多々あります。
草薙剣にしても、CMムービーを見る限りでは「草薙の拳」ではなく本当の「剣(というよりも刀)」のようですし↓

そもそも原作の登場人物を姿形だけでも真似ようという気配すら全くありませんし。
2009年公開映画「DRAGONBALL EVOLUTION」という駄作を出していながら、まだハリウッドは性懲りもなく日本のマンガ・アニメ・ゲームの実写映画化を画策していたわけですね。
その方面で何とか成功しているのは、原作からして相当なまでにアメリカナイズされていた「バイオハザード」シリーズくらいしかないというのに。
アメリカではヒットしているのかと思えば、当のアメリカですらブーイングの嵐のようですし。
ことさら駄作に仕立て上げて日本原作の作品を貶めることが本当の目的なのではないのかとすら思えてくるくらい、日本のマンガ・アニメ・ゲームとハリウッドの実写映画化はミスマッチもいいところなのですけどねぇ(-_-;;)。

映画「星守る犬」感想

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映画「星守る犬」観に行ってきました。
双葉社が発行する青年漫画雑誌「漫画アクション」で連載されていた、村上たかし原作の同名ベストセラーコミックを映画化した感動作。
北海道でワゴン車と共に遺体で見つかった身元不明の中年男性と飼い犬ハッピーの足跡を訪ね歩き、その旅路に思いをはせる姿を描く作品です。

この映画の主人公・奥津京介は、北海道名寄市役所の福祉課に勤務する青年。
彼は幼少時に両親を事故で、祖母を病気で立て続けに亡くした過去を持ち、唯一の肉親だった祖父にも先立たれ、今ではひとり暮らしをしています。
過去の経緯から、人と積極的に関わることを避け、小説などの本の世界に没頭する性格で、映画冒頭にその趣味のありようが描写されています。
そんなある日、警察から福祉課へ、一台のワゴン車と共に身元不明の中年男性の遺体が発見されたとの連絡が入ります。
福祉課はそういった遺体を引き取り弔うことも生業としているため、連絡してきた警官に先導される形で、奥津京介は同僚と共に遺体発見現場へと向かいます。
現場に辿り着いて検分を進める奥津京介は、放置されたワゴン車とそばに盛り土がされていることに気づきます。
警官によると、それは遺体のそばに寄り添って死んでいた秋田犬を弔った墓であるとのこと。
その時、突如吹きぬけた風で、ワゴン車の下にあった数枚の紙切れが奥津京介の足元に飛ばされてきました。
それはレシートやリサイクルショップの買取証であり、特に買取証には名前や住所も記されていたことから、死んだ男の身元を特定する手がかりになるのではないかと考えられました。
ところが電話で関係各所に連絡を取っても、個人情報保護などを理由に具体的な情報を引き出すことはできず、それ以上の調査は行き詰ってしまいます。
結局、福祉課としては手がかりがないということで、身元不明の遺体を「無縁仏」として処理する判断を下します。
しかし、どうしても身元不明の男性と秋田犬の正体が気になる奥津京介は、ついに有給休暇を取り、リサイクルショップに書かれていた住所へ単身向かうことを決意。
祖父から譲り受けた愛車であるワーゲンビートルに乗り込み、自腹で一路、単身東京へと向かうのでした。

買取証に書かれていた東京の住所と名前は、結局のところ身元不明の遺体とは全くの別人であることが判明。
若干は落胆しつつも、残ったレシートに書かれている店とリサイクルショップを回って北海道に戻ろうと考えた奥津京介ですが、東京に土地勘がないこともあって間違って一方通行路に入り込んでしまい、対向車に怒鳴られながら車を擦ってしまいます。
車の傷を見て落胆する奥津京介の前に、突如「悪い男達に追いかけられている!」などと叫ぶ少女が現れ、車に乗せてくれるよう奥津京介に迫ります。
半ば急かされる形で少女を乗せた奥津京介は、少女を警察へ連れて行こうとしますが、いざ警察署に着くと今度は「おなかが痛いから病院に連れてって!」などと言い出す始末。
目に見える範囲に病院があったのでそこまで歩いていくよう奥津京介が促すと、ようやく少女は本当の事情を話し始めます。
何でも少女こと川村有希は、新人アーティストのオーディションを受けるために旭川から上京してきたものの、旅費も尽きて困窮していたところだったとのこと。
旭川ナンバーだった奥津京介のワーゲンビートルを見つけ「これだ!」と閃いた川村有希は、奥津京介に対し自分を実家のある北海道まで一緒に連れて帰って欲しいと懇願します。
奥津京介は川村有希の身勝手な態度に辟易しながらも、結局、奥津京介は旅の道連れに、北海道までの旅路を進めていくことになります。

映画「星守る犬」における旅の旅程は以下の通りです。

東京

福島県いわき市

岩手県遠野市

青森県弘前市

北海道石狩市

北海道名寄市

今作は2010年8月~10月に撮影が行われたとのことで、震災前の風景が映し出されています。
映画の風景は今現在のそれとはもう違うのかと思うと、作品本来の意図とは違う視点でも切なくなってきましたね。
特に福島県いわき市のエピソードでは、すぐ後ろが海岸であるコンビニが出ていましたし、そこで泳ぐ子供達の姿も映し出されていました。
今となっては、もはや収録不可能な光景ですね(T_T)。

主人公である奥津京介が身元不明の男性である「おとうさん」と秋田犬ハッピーに興味を抱いた理由は、自身も以前にクロという犬を飼っていたことにありました。
クロは、祖母が死んで間もない時期に祖父が奥津京介に飼い与えた犬で、奥津京介は最初の頃こそ可愛がっていたものの、次第にウザがり、邪険に扱うようになっていきます。
その理由については物語後半で明かされるのですが、「クロを愛してしまうと、いつかまた深い傷を負うのが怖かった」というものだったとのこと。
しかし祖父の死後、福祉課に就職した奥津京介を見届けて使命を全うしたかのごとく衰弱し、息を引き取ったクロを見て、奥津京介には「クロに愛情を注いでやれなかった」という後悔が残るのでした。
本当に犬を心の底から可愛がっていたとしても、「もっと可愛がってあげれば良かった」的な後悔は犬好きであれば誰もが思うことですから、奥津京介の後悔はなおのこと深かったであろうことは想像に難くありません。
奥津京介の考え方は結局のところ、クロにとっても自分自身にとっても不幸な結果しか残さなかったわけです。
しかし、件の「おとうさん」とハッピーは最後まで行動を共にし、2人寄り添うように亡くなっていたわけです。
彼らの関係は如何なるものだったのか、奥津京介が多大な興味を抱くのは当然のことだったと言えるでしょう。

映画「星守る犬」では、ペットに対する飼い主のスタンスがこれほどまでに得手勝手なものなのかということについても色々と考えさせられました。
主人公が個人的事情からペットを邪険にしていた件では、まだ主人公に悔恨の情が見られたから救いもあるのですが、秋田犬であるハッピーの方は壊滅的なまでに「ひどい」の一言に尽きますからねぇ。
自分から犬を飼いたいと言って父親を説得しながら、犬が大きくなったからといってその世話を父親に押し付けてしまう娘。
実家がある青森の弘前で、離婚した父親およびハッピーのことなど最初からなかったかのごとく普通に家から出かけている光景を見た時は「さすがに自分勝手が過ぎるのでは?」とついつい考えずにはいられませんでした。
主人公と異なり、彼女には何の悔恨の念もなさそうな雰囲気でしたし、父親共々犬のことなど忘れ去ってしまっているのではないかなぁと。
主人公についても言えることではあるのですが、最初「だけ」可愛がって「飽きた」「面倒臭い」などの理由から犬の面倒を見なくなる飼い主達というのは、ある意味ペット達にとってこれ以上ない残酷な仕打ちをしていると言っても良いのですけどね。

あと物語終盤、ハッピーが近づいてきただけで「野犬だ!」と騒ぎ立てた挙句、ハッピーに薪を全力で投げつけてきた親子についても、「いささか過剰反応過ぎないか?」という感想を抱きました。
確かに、長い間泥まみれ雪まみれ水まみれになって外見が著しく汚れていたハッピーには「可愛い」ではなく「何だこいつ」的な目を向けてしまうかもしれません。
しかし、あの状況では別にハッピーは誰かに吠え掛かったり噛み付いたりしたわけではなく、また唸り声を上げるでもなく、ただ普通に近づいてきただけでしかなかったわけです。
ただそれだけのことだったのに、あそこまで騒いだ挙句にハッピーに薪を叩き付けて致命傷を負わせなければならないことだったのでしょうか?
キャンプ場で犬や猫を見かけるなどさして珍しいことでもないわけですし、あの状況だったら、ある程度は警戒したり距離を置いたりしつつ様子を見るのが常道だったと思うのですが。
あの親子、ハッピーが野犬だったのかどうかが問題だったのではなく、元々相当なレベルの「犬嫌い」だったのではないか、とすら考えてしまったほどです。

私自身が大の犬好きということもありますが、「おとうさん」とハッピーのやり取りはやはり感情移入せずにはいられませんでしたね。
特に北海道石狩市の海辺にあるレストランのオーナーにハッピーを預けようとしながら、ハッピーが「置いて行くな!」と言わんばかりに吠えまくって追いかけようとする光景と、その光景を見て「互いに不幸になる」と分かっていながらハッピーを抱きしめ連れて行くことを決意するシーンは、映画で感動することなどほとんどない私でさえ思わずこみ上げるものがありました。
最初から明示されている結末は確かに悲劇的なものではありましたが、作中でも言われているように、ふたりは短いながらも素晴らしい時間を過ごしたと言えるでしょう。

ただのアンハッピーエンド物ではなく、悲劇的なはずの「おとうさん」とハッピーに勇気づけられ、未来に希望が抱ける終わり方をしています。
犬好きな方はもちろんのこと、そうでない方にも是非観て貰いたい映画ですね。

銀英伝外伝舞台版・双璧編の断片情報

銀英伝外伝舞台版・双璧編における稽古の様子が社長氏のツイートでレポートされていますね。

http://twitter.com/adachi_hiro

ただ、以前に銀河帝国編の舞台レポートを行った時と比べて、長い割にはまるでネタバレが披露されていない構成になっています。
アンサンブルがどうとか↓

http://twitter.com/adachi_hiro/status/79832578508595200
<舞台「銀河英雄伝説」稽古場なう。アンサンブルの動きが一週間前とは全然違います。>

キャストの人の演技内容についての当たり障りのない感想や↓

http://twitter.com/adachi_hiro/status/79833859625189376
<舞台「銀河英雄伝説」稽古場なう。メインキャストの稽古が始まりました。演出家の宇治川さんの演技指導は、すごい迫力です。>

http://twitter.com/adachi_hiro/status/79845017098784768
<舞台「銀河英雄伝説」稽古場なう。激しい当たりの稽古をすると、ちょっと身体を痛めることも。コールドスプレー、大活躍。>

http://twitter.com/adachi_hiro/status/79851779919056896
<舞台「銀河英雄伝説」稽古場なう。今回は双璧を中心としたアクションのシーンがあるのですが、是非とも周囲のキャストの演技も見てください。細かい場所で細かい芝居をしてます。>

衣装についての言及など↓

http://twitter.com/adachi_hiro/status/80510181510877185
<舞台「銀河英雄伝説」稽古場なう。衣装合わせ中です。いやぁ、ただでさえかっこいい人が軍服を着ると、さらにかっこ良さが増しますねぇ。>

http://twitter.com/adachi_hiro/status/80512227265884161
<舞台「銀河英雄伝説」稽古場なう。なにせアクションの激しい人たちだから、軍服も伸縮性のある素材じゃないとダメなんだね。難しいんだなあ。>

http://twitter.com/adachi_hiro/status/80516066215862272
<舞台「銀河英雄伝説」稽古場なう。東山さんが、殺陣のシーンに身に付ける衣装を着けて登場。カッコいいぞ!>

主に舞台周りの技術的なことについてのツイートばかりで、肝心要の作中のストーリーや登場人物に言及するものはほとんどありません。
まあ、当のレポートしている社長氏自身もこう言ってはいるのですが↓

http://twitter.com/adachi_hiro/status/80494814822535168
<例によって、舞台「銀河英雄伝説」の稽古場では、ネタバレにならない範囲でレポートをさせていただきますが、稽古場は電波の入りが悪いため、あまり小まめに書き込めないと思います。先に謝っておきます。>

前回の舞台レポートでは、公式サイトがまだ発表していないことをうっかり漏らしていたりしていたので、さすがに今回は注意しているといったところなのでしょうか。
今回は舞台版だけのオリジナルストーリーということもあってか、秘匿性が前回よりも高いみたいですし、あくまでもそういうのは最後まで秘密にする方針のようですね。
ただそのおかげで、宣伝戦略という観点では、前回の銀河帝国編に比べると確実に後れを取ってしまっているのが何とも言えないところではあります。
今回の舞台は前回に比べると劇場も小さいようですし、あまり宣伝をしても客を収容できないという判断もあるのかもしれませんが、それにしても「アピールが少なすぎるではないか?」とは正直思わざるをえないですね。

個人的には、舞台は観に行かないにしても内容は知りたいところだっただけに、せめてストーリー概要くらいは公開して欲しいところなのですけどね。

イタリアの原発反対国民投票と原発廃止の試算

イタリアで原発の再開を問う国民投票が行われ、投票率57%の反対93%でイタリア政府の原発再開計画が否決されました↓

http://ow.ly/5gYmW

原発反対派がここぞとばかりに「日本も原発廃止のバスに乗り遅れるな!」と気炎を上げそうな記事ですね。
しかしヨーロッパ諸国では、国家間で不足分の電力の融通が自由に行えるという特殊な事情があります。
特に原発大国フランスは各国に多くの電力を融通しており、イタリアもその恩恵を多々受けているのです↓

http://ow.ly/5gYnj

イタリアで反対されたのは「自国内に原発を誘致し自国内で発電する」ことについてのみであり、フランスの原発からの電力融通は現行通りそのまま継続されるわけです。
結局イタリアの「脱原発」というのは、本来自国が背負うべきリスクと負担をフランスに押し付け、恩恵だけを得ようという極めてエゴイスティックなシロモノなのです。
こういうのって「偽善の脱原発」でしかないのではないでしょうか?

また、経済産業省所管の日本エネルギー経済研究所が、全ての原発が停止して火力発電で代替する場合、1ヶ月あたりの標準家庭の電気料金が1000円値上がりするとの試算結果を発表しました。
石炭・天然ガス・石油の調達コストが3.5兆円分も新たに発生するためで、さらに夏場では、発電能力が最大消費電力を7.8%下回り、全国規模の電力不足に陥る可能性があるとのこと↓

http://megalodon.jp/2011-0614-0957-20/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110613-00000156-jij-bus_all

「標準家庭で1ヶ月1000円の電気料金値上げ」ということは、企業や工場・公共機関などではさらに大きな経費負担になることは自明の理です。
それらは標準家庭の数万~10万軒以上もの電力を使っている事例も珍しくないのですから。
製品の製造費も当然上がるわけですし、列車などの公共交通機関の経費なども上昇せざるをえなくなります。
電気料金が上がるということは、電気を使う製品や消費財全ての経費もまた上がるということをも意味するわけで、これでは全体的な物価上昇は避けられないでしょう。
ただでさえ冷え込んでいる経済に、さらに追い討ちをかけるような事態は論外もいいところなのですが、今の感情的な原発忌避の「空気」ではそれも是認されてしまいそうな雰囲気です。
どうせ料金値上げにすぐ耐え切れなくなり、今度は「電力を安定供給しろ!」「電力料金を値上げするな!」と叫び出すことなど最初から目に見えているのですが。

映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」感想

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映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」観に行ってきました。
アメリカのマーベル・コミックのアメコミ「X-MEN」シリーズのスピンオフ作品。
歴史上の事件であるキューバ危機を舞台に「X-MEN」に登場するプロフェッサーXとマグニートーの若き日の活躍を描いた物語となります。
ただ私の場合、過去の「X-MEN」シリーズの映画版は、同じくスピンオフ作品で2009年公開の「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」しか観たことがなく、本編3部作は全く観ていなかったりします(^^;;)。

全ての始まりは1944年まで遡ります。
ユダヤ人で後のマグニートーとなるエリック・レーンシャーは、ナチス・ドイツのホロコーストに巻き込まれ、母親から引き離されてしまいます。
その際、周囲の兵士達の制止を引き摺って強大な力を行使したエリックを、当時ナチス党に所属しシュミットと名乗っていたセバスチャン・ショウが目をつけます。
セバスチャン・ショウはエリックの目の前で母親を殺すことでその力を引き出させることに成功し、その代償としてエリックから多大なまでの憎しみを買います。
エリックはその後、ナチス狩りに精を出しつつ、セバスチャン・ショウの行方を追うことになります。
一方、後のプロフェッサーXとなるチャールズ・エグゼビアは、同じ1944年に食糧を盗むため自分の家に侵入してきたミスティークと出会います。
チャールズは自身の異能である読心能力でミスティークの正体を見破ると共に彼女を受け入れ、以後ミスティークはチャールズの義妹として成長していくことになります。
ミスティークは最初チャールズのことが好きだったようで、チャールズと恋人関係になるモイラ・マクタガートに嫉妬心を露にしていたりします。
ちなみにミスティークは多情な女性なのか、作中ではチャールズ→ハンク→エリックと、とっかえひっかえ的に男に惹かれていた感がありましたね(苦笑)。

プロフェッサーXとなるチャールズと、マグニートーことエリックの2人が出会ったのは1962年。
そのきっかけは、エリックが目の仇にしているセバスチャン・ショウの陰謀にありました。
彼は当時の米ソ冷戦を煽って第三次世界大戦を勃発させ、両者が共倒れした世界で自分が全人類の支配者になることを目的に、当時の米ソの政軍関係者を裏から操っていたのでした。
セバスチャン・ショウはまず、ラスベガスでアメリカの軍関係者と接触し、彼を通じて対ソ核ミサイルをトルコに配備させ、ソ連を刺激することに成功します。
しかしその際、CIAエージェントであるモイラ・マクタガートが偶然一部始終を目撃。
テレポートや身体をダイヤモンドに変異させるミュータント能力に驚いたモイラ・マクタガートは、エリックに協力を求めることになります。
一方、首尾良く計画の第一段階が上手く行ったセバスチャン・ショウは、滞在していたクルーザーで仇として狙っていたエリックからの襲撃を受けます。
エリックはクルーザーをズタズタに破壊したものの、肝心のセバスチャン・ショウには仲間のミュータント共々クルーザーに格納されていた潜水艦で逃げられてしまいます。
この時、生命の危険も顧みず海に潜っていく潜水艦を追わんとするエリックと、テレパス能力を駆使してセバスチャン・ショウの居場所を突き止め近くでマークしていたチャールズが、ここで初めて邂逅するのです。
最初は隔意ありげに接していたエリックもやがてチャールズと打ち解け合い、2人は無二の親友関係になっていきます。
そして、セバスチャン・ショウとそのミュータント仲間の力に対抗するため、2人は世界各地に散らばっているミュータント達を集め始めます。
その際、前作である「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」の主人公であるローガンに2人が声をかけ、「おととい来い」と返されてあっさりと去っていくサービスシーンが挿入されています。
この辺りはシリーズ物ならではのお約束と言ったところでしょうか。

一方、セバスチャン・ショウの画策はさらに進み、ソ連の高官を操ってついにキューバに核ミサイルに配備させる決断を下させることに成功。
これが歴史上の事件でもあるキューバ危機に繋がり、そしてこのキューバ危機を舞台にチャールズ・エリックとセバスチャン・ショウがそれぞれ率いるミュータント同士の戦いが繰り広げられることになるわけです。

映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」は、CGを駆使したSFXな描写もさることながら、キャラクター毎の人間ドラマなエピソードにも力が入っていますね。
プロフェッサーXが何故いつも車椅子に乗っているのか?
マグニートーが何故いつもヘルメットを被っているのか?
その他、「X-MEN」シリーズに纏わる様々な謎や設定が今作で分かるようになっています。
また、ミュータントであるが故にそれぞれの登場人物達が抱え込んでいる葛藤や決断なども上手く描写されており、ある意味SFXな描写以上に見所のひとつですね。
ただ、物語終盤で自分達の主人をエリックに殺されたセバスチャン・ショウの旧部下達が、いともあっさりとエリックに乗り換えたのには少々疑問を覚えずにはいられませんでした。
比較的新参で飛行能力を持つエンジェルはともかく、テレポート能力を駆使する赤悪魔風のアザゼルと、竜巻を繰り出すリップタイドは「いかにも忠臣」的なスタンスだったというのに。
母親を殺されたエリックのごとく主人の仇を討とうとは考えなかったのでしょうか、彼らは。
もっとも、彼らがセバスチャン・ショウにどれくらい忠誠を誓っていたのかについては議論の余地もあるでしょうし、彼らにしてみれば「自分達の目的が達成できるのであれば上司は誰でも良い」的な心境だったのかもしれませんが。
セバスチャン・ショウもエリックも、「母親殺し」というただ1点において対立していただけで、ミュータントと人間に対する認識と目的はどちらも同じでしたからねぇ。

あと同じく終盤、あそこまで対立が決定的になったのですから、どうしてエリックは自分にとって将来的な脅威となるであろうチャールズを、下半身不随状態になったのに乗じてチャッチャと殺しておかなかったのかと、物語の整合性を損ないかねない疑問も覚えてしまったものでした。
あの状態だったら赤子の手を捻るよりも簡単だったはずなのですけどね、後のプロフェッサーXことチャールズの殺害は。
もちろん、本当にそんなことをしてしまったら、その後の「X-MEN」シリーズのストーリーは全部消えて無くなってしまうのですから、シリーズ作品的には当然のごとく不可能な話だったでしょう。
しかし作品論的に見れば、マグニートーことエリックにとって、プロフェッサーXことチャールズとの今後の対立はあの時点で充分に予測できるものだったはずですし、作中でも無辜の米ソ兵士達を無差別虐殺する決断を躊躇なく下していたはずのエリックが、変なところで甘いなぁとは思わずにいられませんでしたね。
ここで虫の息だったチャールズを殺しておかなかったばかりに、エリックは後々余計な苦労をする羽目になったと思うのですが。

映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」の製作会社である20世紀フォックス社は、今作を「新三部作の1作目」として位置づけているのだそうで、シリーズ構想自体が中止に追い込まれなければ続編があと2つは製作されることになります。
ストーリー的にも演出的にもまずまずの出来な今作を見る限り、続編も充分に期待できそうではありますね。

関西電力の節電15%要請と電力問題

関西電力が、真夏の電力ピークの需要を抑えるため、管内の企業や一般家庭に昨年夏の15%程度の節電を要請すると正式発表しました。
他の電力会社に対する電力融通も中止する方針とのこと。

http://megalodon.jp/2011-0610-1740-07/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110610-00000044-mai-soci

以前から何度も述べていることではあるのですけど、原発の代替案が未だない現状で、しかも全国的な停電の危機を招いてまで、原発を止める必要なんてあるのでしょうか?
原発停止による電力不足や計画停電がどれほどまでの大混乱と経済的な停滞をもたらすのかは、震災直後から関東地方で行われた計画停電の事例が示しているでしょうに。
アレはまだ「発電所の多くが震災で壊れすぐには稼動できなかったから」という事情もあったのですが、今度の問題、特に西日本についてはそれすらもないわけです。

既に起こってしまった福島第1以外における原発事故の想定は、所詮「将来起こるかもしれない危機」でしかなく、未だ可能性のレベルで論じるべきシロモノでしかありません。
それに対し、原発停止による電力不足および計画停電は「今後発生するのが確実な危機」であり、かつすぐにも対策を必要とする「目の前に差し迫った問題」なのです。
危機対処の優先順位は後者の方が上のはずでしょうに、どうして前者の問題を後者のそれより最優先課題にしなければならないのでしょうか?

菅直人ことカンガンスの何の役にも立たないばかりか有害極まりない原発停止パフォーマンスのせいで、今や「原発停止にあらずんば人にあらず」的な【空気】が日本全土に充満しています。
しかし、実際に「自分の生活が脅かされてまで原発を止めて良い」という覚悟を本当に持っている人間なんて圧倒的少数派でしかないでしょう。
いざ本当に原発を止めて電力不足・計画停電という事態が招来した時、それまで原発反対・全面停止賛成を叫んでいた人達は、掌を返すかのごとく「電力を何とかしろ」「電力料金値上げ反対」と呼号するのは目に見えています。
そして、そういう事態を招いた自分達の責任には頬被りを決め込むのもお約束というものです。
原発廃止が決して簡単なものではないからこそ、長期的に取り組んでいかなければならないのに、原発の即時停止を絶叫する人達の何と短絡的かつ感情的なことか…。
今回の原発問題では、長期的視野に基づいた利害や打算よりも【その場の空気】を優先する日本の風土の、もっとも悪い一面が出ているとすら言えるのではないでしょうか。

原発の災害対策を強化しつつ、当面の間は現行の原発を使い続ける。
そして原発の代替エネルギーの開発と商用実用化を推進していき、それが達成された段階で初めて原発の廃止を実現する。
それ以外に「国民の生活を守りつつ原発を全廃する」現実的な方法なんてないと思うのですけどね。

不起立界のジャンヌ・ダルク?

入学式や卒業式における君が代斉唱の際、一切起立しない教師達の理論的支柱であり「不起立界のジャンヌ・ダルク」なる異名を持つ元女性教師がいるのだそうです。

http://megalodon.jp/2011-0609-2010-57/news.livedoor.com/article/detail/5620651/

君が代斉唱の際の不起立で、しばしば都教委から減給や停職の処分を受けていたのだそうですが、今年無事に定年退職することになったのだそうで。
そもそも「不起立界」なる業界がこの世に存在すること自体驚きなのですが、こんな変なことに生きがいを見出してしまう不良教師の存在は、ヤン・ウェンリーもビックリでしょうね。
ヤンでさえ、別に起立義務があるわけではなかったトリューニヒト演説の万歳唱和を無視していただけなのに、この手の教師達は「起立義務の命令」に真っ向から背いているのですから。
ああいう不良教師を見ていると、あの程度のことで異端視されていたヤン・ウェンリーの何と小さなことかとつくづく考えてしまいますね(苦笑)。

もちろん世界標準から言えば、こんな不良教師が存在しえるのは日本くらいなものなのですが。
愛国心というものを教育現場で普通に教えている外国であれば、こんな教師は処分どころか下手すれば逮捕すらされてしまう可能性が高いのですから。
たとえ言論・思想の自由が認められている国であっても、自国の国旗・国歌に敬意を払うのは当然であり、それを教育現場で子供達に叩き込むのもまた当然のことであるとされています。
そんな常識を、法で強制しなければ全く顧みることのない教師が続出するなどという事象は、世界中探しても日本にしかない珍事でしょう。
もっとも、当の日の丸・君が代反対論者でさえ、何故自分達が日の丸・君が代に反対しているのか? 反対した後に何がしたいのか? について答えられる人はほとんどいないのではないかと思えてならないのですけどね(爆)。

映画「マイ・バック・ページ」感想

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映画「マイ・バック・ページ」観に行ってきました。
学生紛争の末期となる1969年から1972年の日本を舞台に、雑誌記者と自称革命家との出会いから破滅までを描く、妻夫木聡と松山ケンイチ主演の作品です。

この映画は、1971年8月21日の夜に実際に起こった「朝霞自衛官殺害事件」を元に作られています。
「朝霞自衛官殺害事件」とは、東京と埼玉にまたがる陸上自衛隊朝霞駐屯地で、当時歩哨任務についていた一場哲雄陸士長が「赤衛軍」と名乗る新左翼グループに殺害された事件のことを指します。
犯行現場には「赤衛軍」の名称が入った赤ヘルメットやビラが散乱しており、また殺害された一場哲雄陸士長が左腕に付けていた「警衛」の腕章が無くなっていました。
「赤衛軍」はこの事件まで全く問題を起こしたことがなく、組織犯罪を担当する公安にとってもノーマークかつ正体不明な存在でした。
ところが、1971年10月5日発売の週刊誌・朝日ジャーナルに「謎の超過激派赤衛軍幹部と単独会見」という記事が掲載され、そこに一般に公開していなかった「警衛」の腕章についての記述があったことから、警察はこの取材源について徹底的な捜査を進めます。
結果、日本大学と駒澤大学の学生3人が捜査線上に浮上、同年11月16日と25日に相次いで逮捕されます。
またこの事件では、当時朝日ジャーナルの記者だった川本三郎が、犯人から「警衛」の腕章を受け取り燃やしていたことや、週刊プレイボーイの記者が犯人達に逃走資金を渡していたことなども判明し、両名は「犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪」で逮捕されています。
この時逮捕され、懲役10ヶ月・執行猶予2年の有罪判決を受けた川本三郎が「朝霞自衛官殺害事件」についての自己の体験を綴った回想録が、この映画の原作となる「マイ・バック・ページ」です。
今作の主人公で妻夫木聡扮する沢田雅巳のモデルが、原作者である川本三郎自身ということになるわけですね。

一方、「赤衛軍」ならぬ「赤邦軍」のリーダー格となるのが、松山ケンイチ演じる梅山(本名は片桐優)。
梅山は、思想活動サークルで学生紛争の目的について問われた際、問いかけた相手に「お前は敵だろ!」と逆ギレした挙句、自分の意見に従えないものは出て行けなどとのたまう、ディベートの論者としてはどこかの山○弘を想起させる、何ともお粗末な人物です。
さらには虚言癖まであり、犯行が発覚して逮捕された後における警察の事情聴取では、すくなくとも自衛官殺害を指示していたわけではない京大全共闘議長の前園勇を首謀者に仕立て上げるウソの供述を始める始末。
アジトでは、仲間達が隣の部屋で待機している中、防音性の欠片もない一室で女性隊員を垂らし込んでズッコンバッコンよろしくやっているシーンまでありましたし、その癖その女性にカネの調達を要求したりするなど、人間としてもあまり好感が抱けるような人物ではなかったですね。
物語の最後では、半ば功名欲から事件を起こすに至ったことを告白していましたし。
ただ一方では、主人公である沢田雅巳を上手く利用したり、自分達を利用しようとした反戦自衛官・清原(本名は荒川昭二)を逆に追い込んだりするなど、したたかで微妙にカリスマ性のある人物でもあったりします。
カリスマ性のあるエゴイスト、というのが人物像になるでしょうか。

映画「マイ・バック・ページ」では、「朝霞自衛官殺害事件」以外にも実際に起こった事件が取り上げられています。
物語序盤では、東大安田講堂事件の最中、日比谷の全国全共闘連合結成大会に出席・演説しようとしていた東大全共闘議長・唐谷義朗が、彼の取材をしていた主人公の面前で逮捕される事件が発生していますが、この唐谷義朗のモデルは、当時やはり東大全共闘議長を務めていた山本義隆という人物です。
事件の経緯も、逮捕された大会の会場が日比谷というのも全く同じですし。
また、作中で主人公が憧れの職場として配属を希望していた東都ジャーナルは、1971年に雑誌の回収騒動が起こっているのですが、これも同じく1971年3月19日号の朝日ジャーナルで発生した雑誌回収事件がモデルだったりします。
この回収事件は、雑誌の表紙が女性のヌードだったことと、同雑誌に掲載されていたマンガ「櫻画報」の最終回となるこの号で、朝日新聞の社章が日の出のように水平線から昇る絵に「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」という文が添えられ、さらに「朝日は赤くなければ朝日ではないのだ」などとキャプションがつけられたことが朝日新聞本社で問題となり、同誌の回収が決定されたというもの。
事件後、朝日ジャーナルでは編集長が更迭された他、61名の人事異動がなされ、雑誌自体も2週間にわたって休刊となります。
作中では「アサヒ」の部分が別の表現に置き換えられていましたが、やはり同じように問題となり、現実の回収事件と同じように大規模な人事異動が行われ、そこへ元から配属を希望していた主人公も配属される、という形になります。
しかしまあ、当時から朝日新聞で既に行われていた中国・北朝鮮礼賛報道、後年に次々とやらかしていくことになる教科書・南京・サンゴ捏造虚報事件、さらには近年における「ジャーナリスト宣言」や自民党に対するバッシング、さらには対民主党向けの「報道しない自由」の行使などに見られる愚劣な偏向報道の数々を鑑みるに、この当時の朝日ジャーナルは全くもって正しいことを述べていたように思えてならないのですけどね(苦笑)。
作中の朝日ならぬ東都新聞本社の社会部記者が主人公に対して放った台詞も凄まじいまでに傲慢なシロモノでしたし、「ああ、朝日はやはり当時からずっと朝日だったのだなぁ」と思わず頷いてしまいましたね(爆)。
朝日新聞のスタンスは今現在も昔とほとんど変わっていないばかりか、むしろ悪化すらしている始末ですし。

作中の描写として気になったのは、主人公が梅山へ協力したことについて警察から事情聴取を受けた際、「取材源について明かすわけにはいかない」を繰り返すばかりで、証拠隠滅を図った事実や逃走資金を供与した問題については全く何も言及していない点ですね。
特に後者の場合、「取材源の秘匿」云々は全く何の関係もないのですし、それが「犯罪」であることを自覚できなかったわけもないでしょうに。
まあ、自分の「犯罪」を率先して認めるわけにもいかないから「我が身可愛さ」に自白を拒んでいた、という面もあったのでしょうが、「取材源」云々以外の問題についてどのように考えていたのか、モノローグでも良いから語っている場面が欲しかったところです。

最初から最後まで陰々滅々な雰囲気に満ち満ちていましたし、明るい要素がどこにも見当たらない映画と言えます。
1970年代テイストは上手く再現できていたようで、年配の人には「懐かしい」と思わせるものがあったようなのですが、それ以降に生まれた人間としては「単なる歴史の1ページ」以外の感想など抱きようがありませんでしたし。
「当時の歴史を振り返る&検証する」という目的であればそれなりに楽しめるのかもしれませんが、エンターテイメントしての盛り上がりを期待すると痛い目を見ることになる作品でしょうね。

銀英伝外伝舞台版「オーベルシュタイン編」の公演が正式発表

ファイル 375-1.jpg

銀英伝舞台版公式サイトが更新されました。
6月公演予定の双璧編に続く舞台として、前回社長氏によってフライング発表されたオーベルシュタイン編の公演が正式に発表されています。
完全なオリジナルストーリーで、2011年11月3日~11日に公演予定とのこと。

銀英伝舞台版公式サイト
http://www.gineiden.jp/
オーベルシュタイン編公演予定発表
http://www.gineiden.jp/oberstein/

ミッターマイヤー&ロイエンタールについては、主役ではないにしても断片的に過去のエピソードが語られている記述が、原作の複数箇所(惑星カプチェランカの戦いや2人の出会いの話など)にあったのですが、オーベルシュタインにはそういうものすら全くないわけです。
ストーリー構成の予測など全く立てようがありませんし、一体どんな話になるのか大いに気になるところです。
双璧編にしてからが、今に至るまでストーリーの内容も主演以外の配役も全く公開されていないわけですし、オーベルシュタイン編もそうなる可能性がきわめて濃厚なのですけどね。

ただ、ここまで外伝で舞台話を引っ張られると、正伝の第二章になるはずの「自由惑星同盟編」やそれ以降の話を一体いつやるつもりなのかと、こちらについても疑問が出てきます。
観客からは見えない舞台裏でどんな「大人の事情」が繰り広げられているのやら。

ところで、「数日間の舞台公演期間中で18000人を動員した」というのは、舞台的には成功の部類に入るのでしょうか?
銀英伝舞台版第一章「銀河帝国編」では通算15回の公演を行っていて、青山劇場の収容人数が1200人ですから、15×1200=18000人と算出しているのでしょうけど。
映画だったら製作費用と興行収益でだいたいの成功の基準が分かるのですが、舞台についてはこれまでほとんど関わったことがないこともあり、その手の基準がイマイチ分からないんですよね。
まあ全国、場合によっては全世界公開の映画と、1劇場限定でしかも数日間15回公演しかない舞台では、単純な比較はできないでしょうけど。

カンガンスの「俺は辞めるつもりはない」発言

内閣不信任案否決後における菅直人ことカンガンスが周囲に漏らしていた「俺は辞めるつもりはない」という発言が悪い意味で話題を呼んでいます。

http://megalodon.jp/2011-0603-1855-29/www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00200720.html

とんち小僧の一休さんのごとき「言葉遊び」を、まさか政治の世界で垣間見ることになるとは思ってもいませんでしたが、わざわざあんな「勝利宣言」など出してカンガンスに何の利益があったというのでしょうか?
辞める時期を明確にした上での辞意表明であればまだ評価もされたでしょうに、アレではただの権力亡者以外の何物でもありませんし。
与野党問わず反発が強まり、風当たりがこれまで以上に悪くなったという点でも、カンガンスにとっては大いにマイナスでしょう。
日本国首相としても、「首相の言うことは信用できない」と国民のみならず外国からも見られるようになってしまったわけで、日本の国益の観点から言っても多大な損失とならざるをえません。
この期に及んでもカンガンスが首相でいることをなお支持する人が、今の日本にどれだけいるというのでしょうか?

創竜伝世界における首相、いやそれ以下のレベルですらある一国の総理大臣というシロモノを、まさか現実の世界で目の当たりにするとは思ってもいませんでしたし、そんな現実は招来して欲しくもなかったのですがね。
そんな男の政権基盤が、よりによって自分が熱烈に支持しているであろう民主党政権だというのは、作者である田中芳樹にとっては何よりの皮肉だったでしょうけど(苦笑)。

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